ユウトと街をぶらぶらしながら話していると、あっという間に時間が過ぎていった。地元の駅でユウトと別れたのは夕方頃。
駅を下りて東方面に歩いて十分。小五から住んでいる十階建ての年季の入ったマンションに辿り着いた。僕の家は六階部分にある。
正面エントランスをくぐり、エレベーターのボタンを押すと──
「あら、ショウジ。おかえりなさい」
不意に声をかけられ、僕は後ろを振り向く。そこには、両手いっぱいの買い物袋を抱えた母さんがいた。フォーマルスーツを身に纏い、髪の毛をまとめている。少し崩れたメイクをした顔で、微笑みかけてきた。
「母さん? その格好、もしかして」
「ええ。入学式、ちゃんと見に行ったわよ」
「うわ。全然気づかなかった。来なくていいって言ったのに」
「なに言ってるの! あなたが自分で決めた高校の入学式よ? 親としてはちゃんと見守りたかったの」
母さんは目を輝かせる。
この歳になると、母親に晴れ姿を見られるのはなんとなく恥ずかしい。まさか、こっそり来ていたなんて……。
目をそらしながらも、僕は買い物袋を母さんから受け取る。
エレベーターが到着し、二人並んで乗り込んだ。
というか、僕が自分で決めた高校って母さんは言っていたな。
実は大層な理由なんてない。ただ成り行きで東高校を選んだだけなんだ。偏差値的にもちょうどいいレベルだったし、家の最寄り駅から一駅で行けるし、なによりもユウトが東高を受けると言ってたから、僕も受験してみようという流れだった。
そんなこともつゆ知らず、母さんは安堵したような顔になる。
「ギリギリまで進路を決められなかったから、心配してたのよ。無事に入学できて安心したわ。ショウジは重要な決断をするときは、いつも優柔不断になるんだから」
痛いところを突かれる。たしかに僕は物事を決める際、迷い出すと沼にハマってしまうことがしばしばある。
話しているうちに六階へ到着し、エレベーターを降りた。左の角を曲がると、六○五号室がある。僕たち若宮家の住む場所だ。
「ま、東高校は落ち着いた子たちが多い印象だったし、よかったわね。一年生だけで二百人くらいいるんでしょ? 新しいお友だちもたくさん作れそうね!」
「お友だちって言いかた……。僕のことを小さな子ども扱いかよ」
「ふふ。あなたはいくつになっても、わたしにとっては小さい子どもよ!」
自宅前のドアに辿り着き、母さんが鍵を開ける。
扉を開くと、部屋のこもった空気が流れてきた。落ち着く我が家の匂い。キッチンに買い物袋を置いてから、僕は洗面所で手を洗った。
このときにふと、鏡に映る自分と目が合う。
一切くすみのない、紫色の瞳。改めてまじまじと見ると、やはり不自然に思う。平々凡々なこの顔に貼りつく紫の目は、日本人の僕には不釣り合いだ。両親から譲り受けたものではない。
彼女も──サヤカも、珍しい瞳の持ち主だ。もしかして、彼女のルーツになにか事情があるのかもしれないが、それよりも共通点というか、彼女となにか通ずるものがある気がしてならない。
「そういえば」
母さんに、訊いてみよう。サヤカのことを。
手を洗い終えた僕は、買い物袋を整理する母に向かって口を開く。
「あのさ、母さん」
「なに?」
「北小学校の友人について、教えてほしいことがあるんだ」
「北小の……?」
母さんは、ピタリと手を止めた。
「どうしたのよ、急に」
「実は今日同じクラスになった子で、僕を知ってる人がいたんだ。『久しぶり』とか話しかけてきたんだけど、僕はその子が誰なのかわからなくてさ」
「その子があなたを、他の誰かと勘違いしてるんじゃない?」
母も、僕と同じ考えのようだった。そりゃそうだよな。
……でも、なんだろう。どことなく母の声が低くなった気がする。
「でもな、その子、白鳥先生を知ってるらしいんだ」
「……えっ?」
「しかも、僕と同じような目の色をしてる。と言っても、彼女は水色で、僕よりも瞳の色は薄いんだけどな。でも珍しいと思わないか?」
僕がそこまで話すと、母さんはキッチンから出てきて顔を見上げてきた。
「その子、名前はなんていうの?」
「松谷サヤカだよ。母さん、知ってる?」
彼女の名前を口にした瞬間、母さんは目を逸らした。それから、大きく首を横に振るんだ。
「……いいえ。知らないわ」
一文字一文字、強調するように、母さんは言葉を連ねる。
「その子、本当に北小にいたの? 嘘くさいわ。いや、きっとショウジを知ってるのも嘘ね!」
「……は?」
母さんは背を向け、キッチンへと戻っていった。買い物袋から食材を出し、冷蔵庫に入れていく。
母さんの反応に、僕はとてつもない違和感を覚える。
「どうしたんだよ、母さん」
「どうもしないわ。ショウジ、その子は絶対に勘違いしてるだけ。あなたは無駄なこと考えないでいいのよ」
「怒ってるのか?」
「怒ってるわけないじゃない」
と返事する母さんの声は、明らかに不機嫌だ。
「とにかく。これからの高校生活、しっかり勉強に励みなさいよ。サボってたら留年しちゃうのよ? もう、義務教育は終わったんだからね」
──そんなのわかってる。話を逸らさないでくれ。
そう言い返そうとしたが。母さんの暗い顔を見ると、これ以上問いかけるのは止めた方がいいらしい。
母さんは買い物袋を片づけると、リビングにある父の仏壇の前に座り、手を合わせた。その横顔は、とても神妙だった。
疑念を抱いたまま僕は自室へと戻る。
鞄を片付け、私服に着替えてベッドに寝転がった。
母さんのあのリアクション……なにかしら事情を知っているんじゃないか? でもあの調子じゃ、深く突っ込んでもなにも教えてくれないだろうな。
今後、母さんの言動にも注意しつつ、タイミングを見計らってもう一度問いかけてみよう。
駅を下りて東方面に歩いて十分。小五から住んでいる十階建ての年季の入ったマンションに辿り着いた。僕の家は六階部分にある。
正面エントランスをくぐり、エレベーターのボタンを押すと──
「あら、ショウジ。おかえりなさい」
不意に声をかけられ、僕は後ろを振り向く。そこには、両手いっぱいの買い物袋を抱えた母さんがいた。フォーマルスーツを身に纏い、髪の毛をまとめている。少し崩れたメイクをした顔で、微笑みかけてきた。
「母さん? その格好、もしかして」
「ええ。入学式、ちゃんと見に行ったわよ」
「うわ。全然気づかなかった。来なくていいって言ったのに」
「なに言ってるの! あなたが自分で決めた高校の入学式よ? 親としてはちゃんと見守りたかったの」
母さんは目を輝かせる。
この歳になると、母親に晴れ姿を見られるのはなんとなく恥ずかしい。まさか、こっそり来ていたなんて……。
目をそらしながらも、僕は買い物袋を母さんから受け取る。
エレベーターが到着し、二人並んで乗り込んだ。
というか、僕が自分で決めた高校って母さんは言っていたな。
実は大層な理由なんてない。ただ成り行きで東高校を選んだだけなんだ。偏差値的にもちょうどいいレベルだったし、家の最寄り駅から一駅で行けるし、なによりもユウトが東高を受けると言ってたから、僕も受験してみようという流れだった。
そんなこともつゆ知らず、母さんは安堵したような顔になる。
「ギリギリまで進路を決められなかったから、心配してたのよ。無事に入学できて安心したわ。ショウジは重要な決断をするときは、いつも優柔不断になるんだから」
痛いところを突かれる。たしかに僕は物事を決める際、迷い出すと沼にハマってしまうことがしばしばある。
話しているうちに六階へ到着し、エレベーターを降りた。左の角を曲がると、六○五号室がある。僕たち若宮家の住む場所だ。
「ま、東高校は落ち着いた子たちが多い印象だったし、よかったわね。一年生だけで二百人くらいいるんでしょ? 新しいお友だちもたくさん作れそうね!」
「お友だちって言いかた……。僕のことを小さな子ども扱いかよ」
「ふふ。あなたはいくつになっても、わたしにとっては小さい子どもよ!」
自宅前のドアに辿り着き、母さんが鍵を開ける。
扉を開くと、部屋のこもった空気が流れてきた。落ち着く我が家の匂い。キッチンに買い物袋を置いてから、僕は洗面所で手を洗った。
このときにふと、鏡に映る自分と目が合う。
一切くすみのない、紫色の瞳。改めてまじまじと見ると、やはり不自然に思う。平々凡々なこの顔に貼りつく紫の目は、日本人の僕には不釣り合いだ。両親から譲り受けたものではない。
彼女も──サヤカも、珍しい瞳の持ち主だ。もしかして、彼女のルーツになにか事情があるのかもしれないが、それよりも共通点というか、彼女となにか通ずるものがある気がしてならない。
「そういえば」
母さんに、訊いてみよう。サヤカのことを。
手を洗い終えた僕は、買い物袋を整理する母に向かって口を開く。
「あのさ、母さん」
「なに?」
「北小学校の友人について、教えてほしいことがあるんだ」
「北小の……?」
母さんは、ピタリと手を止めた。
「どうしたのよ、急に」
「実は今日同じクラスになった子で、僕を知ってる人がいたんだ。『久しぶり』とか話しかけてきたんだけど、僕はその子が誰なのかわからなくてさ」
「その子があなたを、他の誰かと勘違いしてるんじゃない?」
母も、僕と同じ考えのようだった。そりゃそうだよな。
……でも、なんだろう。どことなく母の声が低くなった気がする。
「でもな、その子、白鳥先生を知ってるらしいんだ」
「……えっ?」
「しかも、僕と同じような目の色をしてる。と言っても、彼女は水色で、僕よりも瞳の色は薄いんだけどな。でも珍しいと思わないか?」
僕がそこまで話すと、母さんはキッチンから出てきて顔を見上げてきた。
「その子、名前はなんていうの?」
「松谷サヤカだよ。母さん、知ってる?」
彼女の名前を口にした瞬間、母さんは目を逸らした。それから、大きく首を横に振るんだ。
「……いいえ。知らないわ」
一文字一文字、強調するように、母さんは言葉を連ねる。
「その子、本当に北小にいたの? 嘘くさいわ。いや、きっとショウジを知ってるのも嘘ね!」
「……は?」
母さんは背を向け、キッチンへと戻っていった。買い物袋から食材を出し、冷蔵庫に入れていく。
母さんの反応に、僕はとてつもない違和感を覚える。
「どうしたんだよ、母さん」
「どうもしないわ。ショウジ、その子は絶対に勘違いしてるだけ。あなたは無駄なこと考えないでいいのよ」
「怒ってるのか?」
「怒ってるわけないじゃない」
と返事する母さんの声は、明らかに不機嫌だ。
「とにかく。これからの高校生活、しっかり勉強に励みなさいよ。サボってたら留年しちゃうのよ? もう、義務教育は終わったんだからね」
──そんなのわかってる。話を逸らさないでくれ。
そう言い返そうとしたが。母さんの暗い顔を見ると、これ以上問いかけるのは止めた方がいいらしい。
母さんは買い物袋を片づけると、リビングにある父の仏壇の前に座り、手を合わせた。その横顔は、とても神妙だった。
疑念を抱いたまま僕は自室へと戻る。
鞄を片付け、私服に着替えてベッドに寝転がった。
母さんのあのリアクション……なにかしら事情を知っているんじゃないか? でもあの調子じゃ、深く突っ込んでもなにも教えてくれないだろうな。
今後、母さんの言動にも注意しつつ、タイミングを見計らってもう一度問いかけてみよう。