またキミに会うために~1400年の時を超えて~

「私は明日から真の己に戻る」

「それって、患うふりをやめるの?」

「そうだ」

 欺くための策を自ら辞めるなんて……。

「まさか、バレたの?」

「バレた?」

「えっと、知られてしまったの?」

「わからぬ。だが中大兄皇子が水面下で動きを見せているのは確かだ」

 __動き。
 途端に背筋が冷たくなる。

「患っていようといまいと私が邪魔なのだ」

 大王の地位を狙っていようといまいと。患っていようといまいと。その存在が邪魔になる。前大王の息子という地位が故。

「で、でも、中大兄皇子は大王じゃないんでしょ?」

 本当に力があるのは大王のはずだ。
「確かに大王は叔母上である」

「だったら」

「しかし、政治の実権を握っているのは別の者だ」

「それって……」

「中大兄皇子は己が実権を握る為に操れる者を大王の位につけた。斉明大王は云わばお飾り」

「そんな……」

 この世界を動かしているのは大王じゃない。中大兄皇子が、この世界を支配している。

「父上とてそのように思われていた故に大王になられた。しかし背いた」

「だから、難波宮に置き去りにされた……」

 私の言葉に皇子は頷く。
 中大兄皇子には誰も逆らえない。

「案ずるな」と、私の心の中を見透かしたように優しい声で言う。

「そんな簡単に殺されまい」

 だけど触れた温もりに思わず泣きそうになる。
「患うふりを辞めるのは諦めたからではない」

「……皇子」

「私の病をも治したこの湯を勧めることで、敵意がないことを少しでも示せればよいと思っておる。斉明大王は今、孫を亡くされ消沈しておられるのも確か。この湯が癒してくれるであろう」

 そう明るく笑う皇子を私はぎゅっと抱きしめた。
 __大丈夫。
 そんな無責任な言葉は言えない。だからせめて、この熱が伝わるように。皇子は一人じゃない。

「……温かいな」

 そう言って抱きしめ返してくれる腕の強さに安心する。皇子は生きている。大丈夫。大丈夫。まるで自分自身に言い聞かせるように私は何度も心の中で繰り返した。
 次の朝。皇子は皆を集めると、しっかりとした口調で言った。

「皆、聞いてくれ。この湯に入ったら病が治ったぞ!」

「な、何という!」

「み、皇子様!」

 心底驚いた顔をしている者や「良かった」と、涙を流している者がいる。その様子から芝居だということに気がついた者は誰もいないと知る。皇子の側でずっと遣えていた家臣達や侍女達をも欺く程の演技を遠くにいる中大兄皇子だけが見破ったとは思えない。

 “__患っていようといまいと邪魔な存在”

「この湯は天からの思し召しだ。恐らく斉明大王の御心も癒やしてくださることであろう。皆このまま飛鳥板葺宮に参るぞ」と、平伏す家臣達に皇子は力強く言った。
「食べるか?」

「へ?」

 目の前に差し出された紫色の飴と怪訝そうな皇子の顔を交互に見つめる。

「どうした? 難しい顔をして」

「べ、別に?」

 笑って誤魔化すと揺れる輿の中で私は飴を頬張る。ぶどうの味は人工的で懐かしい。

「美味だな」

「そうだね」

 この心の中で不安が大きくなっていく。
 政治の実権を握っているのは中大兄皇子だと言っていた。だけど今、皇子が敵意がないことを伝えようとしているのは斉明大王。きっと、これは賭け。
 “__中大兄皇子が水面下で動いている”
 その言葉の意味をその言葉の危険性を皇子は誰よりも理解している。
 行きと同じように輿はゆっくりゆっくり進んでいく。気分転換に外を眺めても昼間に見た白浜の海を通っても気持ちが晴れることはない。ただ良からぬことを考えないように皇子にこの不安を悟られないように時を過ごす。
 担ぎ手の人達はあまり休憩をとらずに歩き続けた。そして二日目の朝に泊まったお寺にまたお世話になったけれど仮眠をとる程度にしたのは、あちらに着く時間を調節する為だとか。通常運転の皇子は相変わらず笑っているけれど、その顔はいつもと違う。どこか気を張っている。
 __中大兄皇子。
 ただ教科書に載っていただけの名前。それが今は私の目の前に生きて立ちはだかっている。そう考えたら、とても眠ることなんてできなかった。
 飛鳥宮に着いたのは白浜温泉を出発して三日後の朝だった。ここから難波宮まではすぐ近くだと皇子が言っていた。

「それにしても……」

 初めて見た飛鳥宮は威厳のある佇まいで難波宮に引けを劣らない大きさだ。しかし、先程五月雨さんが教えてくれたけれど飛鳥宮は何度も火災にあっているそう。よくわからないけれど民の不満の表れだと言っていた。
 辺りを見渡すと確かに火災の跡が窺えるけど被害は小さかったようだ。遠くの方ではせこせこと木を担いだり石を担いだ人達が列をなして歩いている。

「水路を造っておられるのですよ」

 まるで大きな蛇のように遠くまで続く人の数に思わず口が開いてしまう。
 先程、皇子は家臣達だけを連れて屋敷の中へと入って行ってしまった。侍女達と私は外で待っていたのだけれど、寒いからと飛鳥宮の人が客室に通してくれた。そして、今話が終わるのを待っている。
 それにしても屋敷の大きさも使用人らしき人の数も半端ない。きっとこの中には難波宮にいた人達もいるのだろうと思うと若干腹が立つ。しばらくすると私達は女官に呼ばれ屋敷の外へと出る。すると話し合いは終わったのか既に皇子達の姿があった。

「どうだった?」

「斉明大王は喜ばれておった」

 その笑顔を見てホッとする。
 __中大兄皇子は?
 気になるくせに聞けないのは私の弱さ故。
 モヤモヤしたまま難波宮に戻ると小さな宴が開かれた。皇子の病気が治ったお祝いだ。
 担ぎ手の人達はどうやら皇子の使用人らしく今夜は一緒にお酒を呑んでいる。侍女達はひたすら御酌にまわることになっているけれど高校生に酒の席の振る舞い方なんてわからない。ただ遠巻きに見ていることしかできない。

「優花殿も是非」

「あ、私は」

 塩谷さんにお酒の入ったお猪口を渡され戸惑っていると頭上から声がする。

「お前は一人で飲んでおればよい」

 そして私を立たせると自分の横に座らせる。

「優花殿は、そのようなことをしなくてよいのだ」

 「そのようなこと」とは、御酌のことだろうか。遠くでニヤニヤしている塩谷さんを睨みつけると私は皇子のお猪口にお酒を注ぐ。