朝、なんか寝苦しくて起きたらイケメンが俺の腹を枕にしてた時の正しい対応を誰か教えてくれ。

 かれこれ20分くらいはこうしてるんだけど今何時なんだろう。障子窓の向こうは明るいし車の音も聞こえてるから、もう朝と言える時間ではあると思うんだ。

 どけりゃいいんだよ。そーっと横にズレて大和の頭を布団につけてやればいい。
 でももし途中で起きたら。俺の腹に頭乗っけて寝てたんだって知ったら気まずくないか。

(勝手に寝返り打って落ちてくんねぇかなぁ……苦しい)

 腹が圧迫されてて呼吸がしにくい。
 天井との睨めっこももう飽きたし。 
 しかもトイレに行きたくなってきた。なんとかしないと。
 俺は仰向けになって気持ちよさそうに寝息を立てている大和をどうやってどかすか考えた。

 いっそ、一気に振り落とすか。そんで、

「ぶつかったみたいだ、悪い」

 って、適当なこと言って誤魔化すか。
 よし、それで行こう。
 覚悟を決めた俺は腹に力を込めたわけだけど。

「大和ー! 蓮くーん! 朝ごはんできたから食べてー!」
「んー」
「わぁあっ!」

 引き戸の向こうから聞こえてきた女将さんの声に反応した大和が、寝返りを打って俺の腹に顔を埋めてきたので。
 俺は勢いよく起き上がってデカい体を思いっきり引き剥がしてしまった。

 ◆

 舌の上でとろける砂糖たっぷりの卵焼き、皮がパリッパリの鮭の切り身、ひじきの煮物とほうれん草のお浸し。熱々の白いご飯と豆腐とわかめの味噌汁は当然美味い。

 塩の効いたおかずに対して飯が足らないなと思ったら女将さんが良いタイミングでおかわりをよそってくれた。
 至れり尽くせりすぎて怖い。オレが泊まったのは旅館か何かなのだろうか。

「女将さんすげぇ」
「祖母さん、やりすぎなとこあるよね。ありがたいけど」

 朝飯でこんなに腹一杯になることがあるんだってくらいパンパンの腹を抱えて、大和と並んで廊下を歩く。

 洗濯物とかでバタバタと忙しそうな女将さんに洗い物するって言ったら「布団の片付けの方をしてー」と言われたので大和の部屋に戻っている。
 大和が言うには、女将さんは台所は絶対触って欲しくないタイプらしい。今は市場に買い出し中の大将も、家の台所はほとんど入らないんだとか。

「いつもあんな飯が出てくんのか」
「うん。少なくとも、俺がここに来てからはそう」
「ふーん」

 羨ましいな。

「祖母さんの卵焼き、小さい時から好きなんだよね」
「デザートみたいだった」
「うん、いつも最後にとっとくんだ」

 仄かに目尻が下がっているのは、何かを思い出してるんだろうか。
 進学校のエリート様の好きなものがおばあちゃんの卵焼きって、なんか親近感があってこっちも顔が緩みそうだった。

 会話しながら部屋についた俺たちは、さっそく布団を畳み始める。

(大和がここに来てから、か)

 この家には大将と女将さんと大和しか住んでいない。リビングに大和が小さい時の写真や、両親との家族写真、大和の母親であろう女性の子供の頃の写真とかはあったけど。

 聞いてもいいものだろうか。
 いつからここに住んでるのかとか、親は今どこにいるのかとか。

 でも家族の話って、向こうからするのを待った方がいいよな。もし何か不幸があったんだとしたら、俺は掛ける言葉も見つからなくなるし。
 知らないで何か地雷踏んだりしないように聞いときたい気もするんだけど。

 大和がバサリと薄掛け布団を広げる音を聞きながら、俺はあれこれ考え込んでしまう。

「蓮君の家は朝どうしてる?」

 なんの前触れもなく「蓮さん」から「蓮君」に格上げしている。俺も「大和」って呼び捨てにしちゃったし、呼ばれ方なんてどうでもいいんだけど。
 俺は畳んだ掛け布団を敷布団に乗せながら、女将さんが見たらひっくり返りそうないつもの朝食を頭に描いた。

「親が買っといてくれるパンとかおにぎりとか食ってる」
「だよね。僕も実家ではそう」

 実家が、ある!
 今の言い方なら現在進行形で実家がありそうだと確信した俺は、少しだけつっこんで聞いてみることにした。

「実家、どこなんだ」

 家がどこか、とかは普通にする会話だよな。自然な流れで聞けてると信じよう。大和は布団を抱えあげながら、なんの引っ掛かりもなく答えてくれる。

「隣の県なんだ。通えなくはないんだけど、ここからならうちの学校近いから」
「あー、そうだな」

 通学中に電車の窓から見える進学校を思い出す。ここから二駅先くらいだろうか。自転車で行くには少し遠いかなってくらいの距離だ。

 大和と同じく、ズッシリと腕にくる布団を抱え上げて廊下に出る。
 ホッとした。大和が祖父母の家に住んでいるのは、とても平和な理由だった。良かった。 

 大和について布団を片付けた押し入れがあったのは、おそらく本来は客室だろう部屋。ここに俺を泊らせてくれた方が布団を用意してくれた女将さんは楽だったろうに、本気で大和と俺が喜ぶと思って布団を運んでくれたに違いない。
 どうしてそうなったのかはさっぱり分からないが、善意だけはものすごく感じる。

 部屋に戻って一息つく。
 大和が別の部屋から持ってきてくれた座椅子は、ギシギシ音を立てるけど座り心地は悪くない。大和も勉強机の前にある座椅子に座って、

「人が来ることを想定したことがなかったからテーブルなくてごめん」

 と、ペットボトルのコーラとチョコレートを畳に直接差し出してきた。
 どう見ても、この間のクリアファイルを貰った時に買ったやつと同じだ。

「まだあったのかこれ」
「夜の勉強の時に食べようと思ってたんだけど……優先順位が低くて」

 つまりそんなに好きじゃないってことか。
 コーラとチョコレートを買って何日も消費せずに置いとく人間がいることを初めて知った。そもそも人間にあまり詳しくないんだけど。

「じゃあ、俺は好きだから遠慮なく」
「だと思って渡そうと思ってたんだけど……なかなか言い出せなくて」

 意外だった。あんなに興味なさそうだったのに、声を掛けようとしていたのか。

「女将さんに渡してくれって頼むとかあったろ。俺みたいに」
「ん……そしたら蓮君は、『お礼言わないと』ってソワソワするだろ? 僕が渡したらその場で言えば済むし」
「なんか……うん、そうだな」

 納得した俺は手を伸ばして丸いアーモンドチョコを摘み、大和はブラックコーヒーのペットボトルを開けた。

 大和は俺の性格をすでに色々把握してる上に、気持ちが分かるんだと思う。きっと俺にファイルの礼を言いに来た時も、言い終わるまでずっと落ち着かなかったに違いない。
 それでもちゃんと俺のことを呼び止めた勇気は尊敬する。

 甘いチョコレートは、もう何も入らないと思っていたはずの口に染み渡る。こう言うのはやっぱり別腹だ。
 美味いなーと顔を上げた時、大和の後ろの勉強机に赤と青のクリアファイルがあるのに気がついた。

「あれだよな」
「うん、これ」」

 机のブックスタンドにあった2枚のファイルを引き出し、大和がこちらに見せてくる。

「このキャラがね、なんだか蓮君に似てるんだ。イキってるのにじつは怖がりで」

 大和が前面に出した青い方のファイルには、五人のキャラクターがいた。
 長い指が示してるのは、舌を出して親指を下に向けている、髪が逆立ったやつだ。この見た目でビビリなのはギャップがありすぎる。
 相当柄が悪そうなんだけど、俺はこんなイメージだったのか大和の中で。すごく怖い不良だと思われていたようだ。

 実際には怖がりなただのコミュ障だってバレたのが悔しかったから、俺は腕を組んでイラストのキャラクターみたいに眉を寄せた。

「悪かったなイキってんのに怖がりで」
「ご、ごめん」

 口を抑えて声は焦ってんのに、あんまり目元や眉毛は動かない。大和は顔に感情が出にくいんだろうけど、見ていて不思議だ。
 仕返しってわけじゃないが、俺は赤いファイルのセンターに映っているメガネの女子キャラクターを指で軽く叩く。

「お前もガキの頃読んだ漫画のヒロインみたいだぞ」
「どこが?」

 このキャラクターがヒロインかどうかなんて知らないけど、大和はそこに突っ込むことはなくただ首を傾げた。

「メガネ外したら顔がいい」
「……そう?」

 自覚なしかよ。
 照れるわけでも自慢するわけでもなく、大和はぽかんと口を開けている。

 こいつの周りには顔を褒める奴が居なかったんだろうか。気軽に外見を褒めあっているのを教室とかでは耳にするけど、もしかしたら賢いやつらは顔を褒めないのかもしれない。
 また変な沈黙が流れ始めたから、俺は慌てて話を逸らした。

「……これは、アニメなのか?」
「漫画が原作のアニメだよ」
「へぇ。この部屋には」
「あるよ!」

 キラリと眼鏡の奥が光って、

「あ、変なスイッチ押したかも」

 と思ったけどそれは後の祭り。
 怒涛の勢いで漫画をおすすめしてくる大和に負けて、漫画を持ち帰るハメになった。

 本人が言っていた通り驚くくらい顔を近づけて喋りまくった大和は、途中で正気に戻って落ち込んでたけど。
 楽しそうだったし、全然嫌じゃなかった。口を挟む余裕すらないから、喋らなくていいしな。
 お互いコミュニケーションが苦手って仲間意識もあるからかもしれない。

 大和といるのは、心地よかった。