現世の夢。幽世の現。

 上弦の月の淡い光が、湖面に波紋のように広がる。足元にはたんぽぽの綿毛のような金色の草が揺れ、風が吹くたびにふわりと舞い上がる。 見渡せば、どこまでも続く草原の先に、大きな樹が立っている。
「……ここは?」
自分の声が、静寂に溶けていく。 その瞬間、背後から優しいが強い声が響いた。
「お前は、ここに・・・・なのだ」
うまく聞き取れず、振り向こうとした瞬間。光の波が視界を包み込み、現実へと引き戻された。
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「——ッ!?」
 瞳子は息を詰め、跳ね起きた。
寝室のカーテンの隙間から、上弦の月の光が差し込んでいる。 隣で寝息を立てる夫の雪兎(ゆきと)を気遣いながら、ゆっくりとベッドから抜け出した。
 ふと、左手の薬指を撫でる。 そこには小さな★型の疵——生まれつきあったはずのものが、なぜかいまさらに火照っているような気がした。
(また……あの夢)
最近、何度も繰り返し見る。 まるで、何かを思い出せと言わんばかりに。

スマホの画面がうっすらと光る。

【景子(新着メッセージ)】 「ウコさん、起きてる? いや、起きてるでしょ? 絶対起きてるよね?」
(こんな時間に……?)
軽くため息をつきながら、メッセージを開く。 画面には、景子から送られてきたリンクが貼られていた。

【幽世ツアー 参加者募集中】
【参加条件】 ☑ 40歳以上の女性 ☑ 髪色:濃茶 ☑ 瞳色:鳶色 ☑ 生月:如月・満月 ☑ 左薬指に星の印を持つ者
この条件にあてはまる、魂の波長が幽世と共鳴する選ばれた方を幽世の老舗旅館『幽玄館 龍別邸』へ宿泊ご招待

「魂の波長が幽世と共鳴」・・・その言葉が、妙に心に引っかかった。
 メッセージを見つつ、心にひっかかったそれを繙こうと思いめぐらしていると、スマホが振動した。突然の着信に危うくスマホを落とすところだった。
 ドレッサーの椅子に置いていたカーディガンを羽織って、雪兎を起こさないように、そっと寝室から出て、電話に出た。
 瞳子が応えるより早く、夜中とは思えないテンションの景子の声が飛び込んできた。
「ウコさん! びっくりした? いやいや、夜中だけど、すっごい面白い話見つけたんだって! これ、絶対ウコさん向き!でしょ?」

 『ウコ』とは、瞳子の愛称だ。「とうこ」の「と」を省いてそう呼ばれている。
 学生時代の仲間内での愛称だったのを、一度そのメンバーの飲み会に景子を連れて行ったら、その後すっかりその呼び名。景子が呼ぶせいで、同部署メンバーも皆が呼ぶようになってしまった。

「なにコレ?どこがアタシ向きなの?ま。ま、もう定年も近くなってきたことだし、40歳以下とはいわないけどサ。
 だいたい幽世なんて行きたくないわよ。どうせ、そのうち死ぬときには寄ってかなきゃいけない場所なんでしょ?まだ行かなくて良くない⁉」
「何言ってるんですか!いま、『幽世ツアー』って流行ってるンですよッ。身上調査だ、なんだっていろいろ審査あって、ち、ちょっと金額も敷居も高いけどぉ…。でもそれが、『選ばれし者だけが行ける街』って感じで、人気あるんですよ。いま。それに!幽世って、現代と古代の融合した街で、それはそれは幻想的な世界が広がっていて…しかも‼しかもですよ!あやかしたちって、イケメン多いらしいンですよぉ〜。あはぁ〜。夢の街並みに、道行くイケメンッ」

 もう幽世に行くことが決まっているかのごとく、熱に浮かされたように行ったこともない幽世を熱く語っている。もう心は幽世という景子に呆れながら、スマホは通話モードのままメッセージを開いて、再度さっきのメッセージを読んだ。

『☑ 髪色:濃茶 ☑ 瞳色:鳶色 ☑ 生月:如月・満月 ☑ 薬指に星の印を持つ者』

 髪は生まれつき「烏の濡れ羽色」というよりは赤めで、高校時代など風紀の先生やヤンチャ系の先輩に捕まっては、染めてるんじゃないかと絡まれてたけど…。
 瞳もカラコンを疑われるコトがあるくらいの茶目である。
 もともと肌も色白な方で貧血がひどかったときなど、「青白い」と評されたくらいなので、カラダ全体の色素が薄い方なのだと思う。

「ウコさん?ウコさん?聞いてます?」
「ハイハイ。それにしても、コレのどこが、私なのよ。干支と年齢と性別だけなら、世界中に掃いて捨てるほどいるわよ?髪だって()だって、この程度ならどこにでもいるじゃない」
 (うつつ)に戻ってきた景子がさらに声を大にして反論する。

「ココですよッ!ココ!条件の一番最後!『左薬指に星』
 ほら、ウコさん普段はその太めの指輪で隠してるけど、あるじゃないですか!星型っぽい、イボ!もう、これ見て、『キターーーーーー』って叫んじゃいましたよ」
「い、イボって、アンタ…もうちょい言葉選びなさいよッ!」
 答えながら、目の前の画面を眺めつつ、無意識に右手で左薬指の指輪を触っていた。夢から覚めたとき火照ったような気がした疵。また少し熱を帯びてきた気がする。

 瞳子の左薬指の付け根と第二関節のちょうど真ん中辺りに、5㎜ほどの星型の疵がある。
 それは生まれつきで、大きくも小さくもならないまま今日に至る。気にしなければそんなに目立つ疵でもないが、やはり女の子の指。気にならないといえばウソになる。
 でもそれをあまり表に出さないようにしていた。実は、本人よりもその疵を気にした祖母がお金を出してくれて、除去手術をしたことがある。しかも二度。どちらのときも、ホンの二週間ほどでまた疵が浮かび上がってきてしまった。
 以来、学生時代は絆創膏を巻いて隠し、大人になってからはとっかえひっかえ太めの指輪をしていたが、ここ十数年はいまの夫・雪兎(ゆきと)が初めて買ってくれた指輪をしている。
 龍が二匹絡みあいながら、頭を突き合わせて、その口に疵が隠れるくらいの大きさの水晶玉を支え合うように咥えている。女性が着けるにはやや大ぶりと思える指輪だが、気になる疵は隠れるし、なんだか二匹の龍に守られている感じがあるし、なにより龍好きな瞳子のお気に入りだ。
 左薬指のその指輪を右手で弄びながら、思い出しそうで思い出せないような、何か大切なことを忘れてしまっているような…そんな思いに瞳子は駆られていた。

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 淡い色の提灯が並ぶ古い町並み。

 たんぽぽの綿毛のような草原。
 そのところどころが、射し込む光にその姿を金色に変えながら風に靡いている。

 遠目に見える青い丘に、空にぽっかりと口を開けたような黄色が鮮やかな半月。
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 ん?・・・・なんだろ?
 いま、ちょっとアタマの中を過ぎったアレ…。
 いつも見る夢?でも、どこか少し違うような・・・  
 「卯兎(うと)ぉ〜!青龍さまがお呼びだぞぉ〜!卯兎ぉ〜‼」

 狩衣の裾を翻しながら走ってきたのは、龍神たちに仕える神薙の『兎士郎(としろう)』。総髪に纏めた白髪を振り乱している。
 卯兎が、宿のなかにある『めし処』の厨の小窓から何ごとかという顔を覗かせた。
 「なんですよ。兎士郎さま。そんなに慌てて…」
 「いやいや、今日の祭りで奉納された御神酒(おみき)を青龍さまがいただいたのだけどな。なにやら良からぬモノが混じっておったのか⁉いただきすぎたのか⁉もう『卯兎が来ぬことには、ココを一歩も動かぬ!』と申されてな。次の神事に向かってくださらぬのぢゃ」
 「はあぁ??それは、良からぬモノのせいじゃのうて、ただのいただき過ぎ(・・・・・・)でございましょ。放っておきなされ。ご自分のお務めはご自分で、ようご存知でございましょう」
 「卯兎は、そのように申すが…もう次の神事まで時間がないのぢゃ。なんとか青龍さまを説得してくれんかのぉ…」

 いい歳の白髪の爺さまが、いまにも泣きそうだ。
 もう、恋する乙女の如くの熱視線を送られて、卯兎も折れた。

 「わ・か・り・ま・し・たッ。でも、私がどうしようと、一切、止めないでくださいましよ?」

 兎士郎に睨めつけるような目線をくれると、赤い袴をたくし上げて廊下を走り出した。
 倒れ込みながらの「くれぐれも、御手柔らかにぃ〜」との兎士郎の叫びは、卯兎に届いたかどうか…⁉

 半地下の厨から青龍がいる二階座敷まで、赤い袴を翻し全速力で走る卯兎。

 青龍が酒を呑みつつまったりしているであろう座敷の戸を引き開け、厨から引っ提げてきた大きめの木べらを翳しつつ、仁王立ちして一喝する。
 「ごるぅあ〜〜ッ!(さく)ぅ〜ッ‼」

 枡を手に片肘をついて、半分横になった姿勢だった青龍は、卯兎を見るなり身体を起こして、枡を高々と突き上げ、笑っている。
 「アハハ〜卯兎ぉ〜。顔、怖ぇーよ」
 「朔ッ!アンタってば、いつになったら、大人になるのよッ‼これじゃ、私はいつになっても嫁にいけないじゃないの‼」

 木べらを振りかざしながら、熱り立って突入してきた卯兎をスルッと躱し、背後からフワッと抱きとめ、青龍が囁くように言う。
 「卯兎は、俺の嫁になればいいんだから、どこにも行かなくていいだろ?」
 「な・ん・で、アタシがアンタの嫁にならなきゃいけないのよっ!」

 フワッとは抱きしめられているが、腕はしっかり押さえられているので、身動きできない卯兎は、バタバタと木べらを動かす。

 「イッ痛ってぇ‼!」

 木べらの端が、青龍の向う脛にヒットしたらしく、卯兎から手を放して、自分の膝を抱え上げて悶絶している。
 カラダが自由になった卯兎は、木べらをさらに振り回し、青龍の背を、尻を、腹を打ちつける。青龍は、痛さに絶叫しているが、卯兎に止める気配はない。
 「ほら、ほら、ご希望の卯兎サマが来てやったんだから、とっとと神事に就きなさいッ!」

 「こ、こ、コラコラ。卯兎、青龍様に向かってなんということを‼」

 騒ぎを聞きつけて兎士郎とその手下(てか)が駆けつけて来た。兎士郎の目くばせを合図に、今度は兎士郎の手下たちの手によって自由を奪われることになった卯兎。
 その姿を見て、さっきまで悶絶していた青龍が、指さして笑い転げる。

 「離せぇ~!兎士郎さま、話が違います!私が何をしようと止めないでください!とお願いしたではありませぬか‼」
 「いやいや・・・しかし、これは・・・」
 「朔には、言ってもわからぬのですから、このくらいしないと‼」

 「卯兎、青龍様ぢゃ。もうお前の幼馴染の『朔』様ではないのだ。これから幽玄界のみならず幽世を率いていくお方なのだぞ!」

 兎士郎の細い老体から出されたとは思えない、低く威厳ある声がその場の空気に沁みわたるように響くと、卯兎はピタリと動きを止めた。
 その威厳に戦いたように、兎士郎の手下たちも卯兎から手を離した。

 再び自由の身となった卯兎が、体をほぐすように腕を大きく回すと、周りで身構える手下たち。それらをぐるりと睨めまわし、最後に兎士郎をキッと見た卯兎。
 徐ろに袴を(はた)いて、折を整え、揃えながら、青龍に向かってきれいな正座をした。手にしていた木べらをカラダの横に揃えると、指を膝前に揃えてつき、深々と頭を下げる。

 「青龍さまにおかれましては、お寛ぎのところ、誠に痛みいりますが、まだ神事のお務めが途中でございます。皆、青龍様のお出ましを心待ちにいたしておりますゆえ、神殿の方へお運びいただけますと、我ら青龍様の下僕(しもべ)一同、幸甚にございます」

 卯兎が言葉を発し始めると、兎士郎もその手下も卯兎に倣うように青龍に向かって正座して頭を下げた。
 バカ笑いをして転げ回りながら酒を飲んでいた青龍も、突然の卯兎の一挙一動に、呆気にとられたように固まったまま卯兎を見つめていた。
 しかし、卯兎が言葉を発し終わってさらに深く頭を畳にこすりつけるように下げたのを見て、持っていた枡を畳に投げつけた。
 枡は二度、三度バウンドして転がり、卯兎の前で止まった。
 「なんだよッ!その態度!なあ、卯兎。なんなんだよッ!俺は卯兎からそんな言葉聞きたくて呼んだんじゃないッ!」

 卯兎は、動かない。ジッと正座のまま頭を下げたきりだ。

 今度は兎士郎のそばまで行って、タタンっと足を踏み鳴らす。
 兎士郎も頭を下げたまま動かない。

 「兎士郎ッ!なんで卯兎にこんなことさせる?俺はそんなこと頼んでないぞ!なんなんだよッ!もうこのあとの神事には出ねえ!そのつもりで!」
 「青龍様、これ以上遅れれば神殿の神気が乱れますぞ!この祭礼は百年に一度の……」
 縋りつくように説得する兎士郎を振り切ると、
 「なんだよッ!その態度!」
 帯に差していた扇子を取り出し、指先で開いてパシンと鳴らしながら、青龍は乱暴に立ち上がった。

 「俺は卯兎からそんな言葉聞きたくて呼んだんじゃないッ!」
 そう言いながらも、どこか拗ねたような目つきで睨んでいる。
 その顔に、卯兎は思わずため息をついた。
 (……ったく、アンタはいつまで経っても子供なんだから)
 そう思いながらも、青龍の周囲に漂う神気は、やはり龍神としての風格を感じさせる。
 青龍は、そのまま扇子で掌を打ちながら歩き始めた。

 「お待ちくださいッ!」卯兎が声を張り上げる。

 「わたくしどもの物言いがお気に召さなかったのなら、それはわたくし卯兎の不徳の致すところ。いかようなお叱りもお咎めも甘んじて受ける所存でございます。ですが、ここにいらっしゃる兎士郎様と共にお仕えする皆さま。また、神殿で青龍様のお出ましを心待ちにしている町の衆たちにはなんら罪なきこと。ご神事は…お務めは果たしていただけますよう、重ねてお願い申しあげます」

 「それだ!ソレ!その物言いが気にくわぬ!」
 パシパシパシと苛立たしく扇子で手を打つ青龍は、しばしそうしていたが、扇子をパシンっと鳴らすと、ニヤリと口角を上げ、卯兎を振り返った。
 「卯兎、いかような咎めも受けると言ったな?」

 卯兎の前に回り込み、扇子で卯兎の顎を持ち上げて自分の方へ向かせると、絶対に良からぬことを企んでいるだろう…と、誰しも推測できるような笑みを見せた。
 不敵な笑みを見せつつ「兎士郎、ゆくぞ!」と、青龍は衣を翻し、神殿への扉を開けた。

 「おぉ。そうだ‼」大仰に振り返ると、

 「卯兎、お前には“相応の咎め”を受けてもらわねばならん。 ……ふふ、心して待てよ」

 言い放ち、高笑いしながら、神殿へと続く通路へと消えていった。
 景子が(くだん)の「幽世ツアー」募集を瞳子に教えてから数日が経ち、景子の『幽世』熱も随分治まったかにみえていた。
 しかし幽世ツアー騒ぎは、世間では大盛りあがりをみせている。
「今回の募集には、全国から10万人以上が応募したものの、一次選考を通過したのはわずか100人以下だということです!特に“薬指に星の印”の条件を満たそうと、フェイクタトゥーを入れた応募者が続出。審査基準を満たさないとして、大半が落選しているようです。」
 テレビでレポーターが興奮気味に伝えている。
タトゥ以外にも『40歳以上』と云われているにも関わらず、生年・干支を偽る者が多く、どう見ても20代30代の女性からの応募が引きも切らず。主催者側が困惑しているとか…。

「幽世ってそんなに魅力的なとこかしらね」
 テレビを見ながら瞳子が呆れ顔に言う。
「瞳子さんは、興味ないの?」
 夫の雪兎が、瞳子のカップにコーヒーを継ぎ足しながら尋ねる。
「えぇっ⁉雪兎、興味あるの?行ってみたいの?どーせ、死ぬときには立ち寄るんだよ?いま行かなくて良くない⁉」
「う〜ん…。ちょっと興味あるかな⁉死ぬときに行ったら、ひとりじゃない。生きているうちに瞳子さんと行って、思い出があったら、死ぬときにひとりで行っても、そこに思い出があるわけじゃない。そしたら、光の(うみ)もひとりで渡れるかな⁉って。ホラ、僕ってひとりっ子だったじゃない。だから、ひとりは平気だったんだけど…瞳子さんと一緒になってからは、ひとりで居たり、ひとりでなにかするのは寂しくてね」
 雪兎は、ボソボソと独り言のように言うと、照れくさそうに笑いながら、コーヒーを飲み干した。そんな雪兎をみながら、瞳子は改めて雪兎との再婚は間違ってなかったとひとりニヤけている。

「雪兎らしいね。私もひとりで橋を渡れるか自信ないなぁ…」
 コーヒーカップの縁を指で撫でながら、上目遣いに雪兎を見ると、包み込むような笑顔で瞳子を見返しながら瞳子の頭を宥めるようにポンポンっとする。
 白髪交じりの髪を見なければ、60をもう二、三年超えたとは思えない笑顔は若々しく、いつも瞳子を癒やしてくれる。
 瞳子と雪兎は、バツイチ同士で知りあった。
 前婚のコトは、お互いに多くを語らないけれど、「いまが幸せだからそれでイイ」と共に納得している。

「私は今日リモートだけど、雪兎は?」
「あぁ、僕はちょっと会社に行って、現場見てくるよ。瞳子さん、お昼、一緒にどう?」
「いいネ♪でもオンライン会議が11時からだから、合流できるのは午後イチくらいになりそうだけど?」
「いいよ。じゃ、午後イチくらい(・・・)に…う〜ん…カフェ・トゥツィでどう?」

『カフェ・トゥツィ』は、瞳子と雪兎が出逢った店。以来、店から常連として認識されるほど通っている、飲茶を中心とした中華カフェだ。

「飲茶か…イイね♪午後イチくらい(・・・)にね!」
 朝食の片づけをして、雪兎を送り出し、瞳子は仕事を始めた。
  
 *・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*

 リモート会議を終えて、時計に目をやると、12時を少し回ったところ。

『カフェ・トゥツィ』は、瞳子の家から行くと地元駅の反対側の商店街の中ほどにある。瞳子の家からは、駅まで10分弱。パソコンを片づけて、シャワー浴びて着替えたら、頃合いの時間。よしっ!掛け声とともに、瞳子は予定の行動に移った。
 サクサクと後片付けを済ませ、シャワーを浴びて髪を乾かしていると、スマホがチカチカ光り、着信を知らせている。ドライヤーを止めて、スマホを手に取ると、景子からの着信だ。

 ん??なんだろ?
 さっきのオンライン会議後に、会社で何かあったかな⁉
 画面をスライドさせて、電話に出ると飛び込んできた景子の興奮した声。

「う、ウコさんッ‼た、大変です〜‼」
「え?なに?あの企画、なんか問題出た?」

 瞳子が、退職前の最後の大仕事として企画した、学生の就活と企業の求人をマッチングさせるイベント企画。
 さっきのオンラインミーティングでの社内プレゼンでは好評価な手応えを得たと思っていたのだが…。

「あ〜、仕事の話じゃないです」
 急に声のトーンが色を失う。
「は?じゃ、なにッ?景子ぉ、私、ちょっと出掛けるんで急いでるんだけど?」
「あ、お出掛けですか?どちらに?私も行きますっ。表で会いましょう」
「えぇ?いいわよ!来なくて!切るわよ」
「なんでですかぁ〜。雪兎さんとデートですか?イイなぁ〜。
 あ。でも雪兎さんもご一緒なら、その方が都合いいかも!やっぱ、私も行きます!どこですか?」

 雪兎も一緒の方が都合がいいって、なんだろう?
 そんなことを考えているうちに、景子に押し切られるようにして、待ち合わせの『カフェ・トゥツィ』の場所を教えてしまった。

 電話を切ってから「しまった!」と思ったところで後の祭り。
 雪兎が「2人」で予約を取っているといけないと思い、電話を入れて、景子が来ることを伝えた。
「へぇ。景子ちゃんと会うの久しぶりだなぁ。予約は2人って入れてるけど、料理は行って決めるコトにしてるし、平日だから、ひとりくらい増えても大丈夫でしょ。僕、もうちょっとで着くから、席、確保しておくよ」

 (雪兎ぉ〜、そーゆーことじゃないのよ。もぉ〜‼久々の2人での外食なのに!)
 でも雪兎のそういうところも好きなところではある。

 13時をかなり過ぎて『カフェ・トゥツィ』に瞳子が着くと、テラス席でニコニコと笑いながら手を振る雪兎。
 そして…隣には、景子。

「ウコさん、遅い!遅いッ!」

 ・・・景子…なんで?早っ‼
 つか、遅れたのはアンタのせいだっちゅーの!

 一瞬、イラッとして目がつり上がったが、気を取り直してパチパチと瞬きを数度。
 怒りに吊り上がった眦を修整しつつ雪兎に声を掛ける。

「ゴメン!ゴメン、待たせたね」
「いいんだよ。約束は『午後イチくらい(・・・)に』だっただろ?まだその範囲だ。さて、瞳子さんも、景子ちゃんも腹減ったろ?なに食べる?」
 雪兎は、瞳子を景子とは逆側の隣に座らせて、メニューを広げた。

 ― 小龍包、海老蒸し餃子、鶏肉とザーサイの蒸し物、海老チリ、冷製クラゲ、腸詰め、皮蛋、金華豚の甘酢ソース、白麻婆豆腐、牛肉と野菜のブラックペッパーソース…  ―

 3人でも多すぎじゃないかと思うほど注文したうえに
「今日は平日なので、北京ダックはごさいませんが、『金華ハムと真鯛の汁そば』のご用意がごさいますよ」
 という店長のひと言に載せられた雪兎。

「じゃ、ソレも!」
 ・・・マジか・・・雪兎…大丈夫かぁ??
 *・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*

 さすがに、食べ過ぎた…。

 しかし、甘いモノは別腹。
 瞳子は、杏仁豆腐。景子は、マンゴープリン。雪兎は、タピオカ入りココナッツミルク。

 お腹も落ち着いて、デザートでまったりしたところで思い出した。
「あれ?景子、なんか話があったんじゃないの?」
「あぁ〜!すっかり忘れるところでした‼」
 そんなにカンタンに忘れるようなコトをあんな大騒ぎに電話してきたのか!ま、こんなところも景子の景子たる所以だ。
大したことではなかったのだろうと、流そうとしたときに、景子が一枚の紙をテーブルに置いた。

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 盈月(えいげつ) 瞳子様の代理人様

 ご応募ありがとうございます。

 多数の応募のなか、盈月様は書類選考を通過されました。

 つきましては、後日、面談のうえ最終決定させていただきたく、
 ご本人様のご都合の良い日時をご指定いただければと存じます。

 お返事、心よりお待ち申しあげます。

 幽世ツアーズ
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チッ。
 なぁにが、「"相応の咎め"を受けてもらわねばならん」じゃ!
「……ふふ、心して待て」って、何様よっ‼正座で頭を下げたまま、去ってゆく青龍の背に、つぶやく卯兎。

「卯兎ぉ〜、聞こえてるぞぉ〜」
 遠くから高笑いとともに、青龍の声。

 ったく、地獄耳なんだから。

 正座のまま周囲を見廻し、ひとりになったことを確認して、袴をパタパタと払いつつ立ち上がった。座敷を後にしようとしたところで、神殿への通路からドタバタと走ってくる音が聞こえてきた。きっと、「神殿への廊下は走るな!」と始終兎士郎に云われている、兎士郎の手下の中でも一番若い秋菟(しゅうと)だ。どうせ神事に必要なモノを忘れでもしたんだろう。
 卯兎は、肩をすくめて笑いながら、座敷の外に出た。

「卯兎さまぁ〜」
 へ?私?私に用なの?3、4歩進めていた足を止めて振り返る。息を切らして秋菟がやってきた。
「あぁ、良かった。まだいらした…ハァ…ハァ…」
「逃げやしないから、ちょっと息ついて!」
 2度、3度、秋菟の背をさすってやる。うつむいて、両手を膝にゼェゼェ言っていた秋菟も息が整ってきて、改めて、背筋をシャンと伸ばして続きを言い始めた。
「卯兎さま、今日はもう神子の務めはいいそうです」
「えっ?なんで?さっき、朔…青龍様をひっぱたいたから?このあとの神事の神子は誰がやるの?」
 突然のお達しに、卯兎は驚いたのと、怒りと、やるせなさがないまぜになったような気分で秋菟に詰め寄った。兎士郎か、その上からのお達しなので、秋菟如き下っ端に詰め寄っても仕方のないことだとはわかっていても、納得いかず…。

「あ、あの青龍様の件は関係ないです。このあとは、結卯(ゆう)様が神子を務められるそうです」

 結卯は、卯兎と幼なじみで親友の神子だが、粗忽なところがあり、大事な神事に神子として出ることはほとんどない。
 何年か前の秋の大神事で、その祭の主である赤龍(せきりゅう)に神事に使う御神酒(おみき)を頭から掛けるという大失態をやらかしてからは、なおさら神事から遠ざかっていた。
「結卯が?大丈夫かなぁ…。それより朔の件が関係ないのに、なんで私が外されたのッ?」
 秋菟がビビって後退るくらいにズイッと、詰め寄る。
「えっと…あの…お、黄龍(おうりゅう)様と姫龍様がご逗留になられることになりまして…」

 黄龍といえば、龍のなかのトップ・オブ・トップである。龍のトップといえば、幽世でももちろんトップである。その幽世のトップとその妻である姫龍がこの『幽玄館 龍別邸』に逗留するというのだ。
 
 幽玄館は、幽世に大小数件あるが、ここはさほど大きな方ではない。それでもここが『龍別邸』と呼ばれるのは、正式な神事を行うことができ、そのための大人数を収容できるだけの大きな神殿を擁しているからに他ならない。

「えーっと、で、そのご逗留の間のお食事を卯兎さまにお願いしたいとのことでございます。その準備が大変だからと、今日、この後からの神事は結卯さまに代わっていただき、ついでに私には卯兎さまのお手伝いをするようにとの仰せです。ハァ…」
 秋菟は、一気に伝えきって力尽きたらしく、その場にヘナヘナと座り込んだ。
「わかった。わかった。事情はわかったけど…なんで私?この宿には、ちゃんとした厨人がいるじゃないの」
 ヘタリこんだ秋菟の両腕を掴んで立ち上がらせ、肩をポンポンっと叩いて尋ねる卯兎。
「宿のお食事ではなく、宿の『めし処』の料理をご所望なのだそうです。実は、黄龍様が以前、お忍びでいらしたことがあって、そのとき召しあがった料理をたいそうお気に召したらしく……今回、神事で正式に逗留なさるにあたっても『あの味を再び』とご所望されたとか……」
 幽玄館 龍別邸の一階の一画には、宿泊客が食事の合間の一杯や風呂上がりの一杯を楽しんだり、宿泊客以外の客も立ち寄れる、カンタンな料理と酒を出す『めし処』がある。
  卯兎は、神子の仕事がないときは、ココの厨房に立っている。
「……はぁ?つまり、黄龍様の“お気に入りの隠れ家グルメ”になっちゃったってわけ?ん?へ?え~?黄龍様が?めし処に?お忍びで…?え?え?え〜っ⁉いつ?いつの話よぉ〜」
 さっきまで労るように秋菟の肩にそっと添えられていた手に、グッとチカラを込めて秋菟の首がもげるんじゃないかという勢いで揺さぶる。

「あ、わ、わ、わ……い、いつかは聞いていません…
 そ、そんなことより、準備始めなくていいんですか?あと何刻もありませんよ。神事の終わる前にご到着されて、神事の最後にご挨拶されたら、お湯に向かわれ、その後すぐにお食事ですよ」

 卯兎は、時間がないといわれ、ハタと秋菟の肩から手を離したが、揺すっていたのを急に止めたので、突き放すようなカタチになり、秋菟は勢いよく後ろに倒れてしまった。

 ゴンッ。

 なかなかにいい音を響かせて倒れた秋菟は、打った頭を抱えながら、立ち上がった。

 いつだろう?いつ黄龍様が宿のめし処に…?  
 『めし処』でのいろいろなお客さんの顔や出来事が頭のなかを駆け巡る。
 黄龍様なんていう大物が来てれば、絶対、わかる‼……はず……
 でも、お忍びで?お忍びって…
 秋菟をおいてけぼりに、速足で厨房に向かいながら、いろいろと思い返してみるが、コレだ!と思うようなことは思いだせない。
 そんな卯兎の思考を断ち切る、舌っ足らずな声が響いてきた。

「卯兎ぉ~」
 両手をパタパタしながら内股で駆けてくるのは、結卯だ。
「あれ?結卯、何してるの?アンタ、私の代わりに神事に行かなきゃ、でしょ?」
「そぉなんだけどぉ~・・・千早、汚れてて、兎士郎さまに叱られちゃったの。卯兎の千早、貸してっ。ウサギの紋のヤツ」
「はぁぁ??アンタ、神子としてどうかと思うよ。汚れた千早のまま神事に出るなんて。私、このあと出る予定だったから、厨の裏の部屋に掛けてるから、ソレ着ていいよ。それから、「紋」は自分の好みや気分で選ぶもんじゃなくて、神事の種類やそのときの神事の主の龍神様が指定したモノを着るの!今日は「うさぎ」じゃなくて、「月」の紋か無地の日!わかった?」

 人差し指で、チョンっと結卯のおでこを突いた。
 大して痛くもないだろうに、結卯はおでこに手をやって、大げさに痛がって見せた。
「まったく、大げさなんだからぁ!」という卯兎と、2人顔を見合わせて大笑いする。

「あのぅ・・・盛り上がっているところ、恐縮ですが、お二人ともお時間が…」
 忘れ去られていた秋菟が二人の笑いに割って入る。

「あ!」
「やだ!」
『やばぁーい』

 顔を見合わせて、声を揃えて叫ぶふたり。大慌てで、厨房へと走り始めた。

「あ、あの、廊下はお静かにぃ~」
「うるさいっ!いつも言われてるアンタが言うな!つか、アンタも早く来なさい!」
 卯兎に言われて、秋菟は走りだしそうになったのを堪えて、早歩きで二人に迫る。
 *・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*

 結卯に千早を着せてやって、送りだした卯兎は、今度は『めし処』の厨の棚を覗きこんでは、宙に向かってなにやらブツブツと呟いている。
 厨と店の間に渡した幅広の横木の『つけ台』に頬杖をついて、そんな卯兎を目だけで追う秋菟。
 しばらくはそうしていたが、たまりかねて、声を掛ける。
「卯兎さまぁ、何やってるんですか?買い出しとか、お湯沸かしたりとかしなくていいんですかぁ??」
「う~~ん、いま、考えてるんだよぉ。なんせ黄龍様と姫龍様だよ?下手なモノお出しできないじゃない」
「そうですけど…キチンとした饗の膳をご所望なら、宿の厨人にお任せになるはずでしょう?だけど、『めし処』のお品を召し上がりたいとおっしゃってるんですから、いつも通りでいいじゃないんですか?」
「そのいつも通りを額面通りに受け取って、『無礼モノぉ!』とかってなったら、どーするのよぉ」
「そ、そのときは、わたくしが卯兎さまをお守りし、一緒に謝ります」
 頼りになるのかならんのか・・・秋菟は大まじめな顔で答えているが…。
 せめて、お忍びでいらしたときに何を召し上がって、お気に召したのか…わかればなぁ…。
 いずれにしても、もう時間がない。
 意を決して動き始めた卯兎は、あれやこれやと秋菟に指示をだし、自分は食材の下ごしらえを始めた。
 *・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*

 なんとか食事の支度をほぼ終えて、卯兎が二階の座敷に料理を並べ、指差し確認で最終チェックをしているところへ神事を終えて先に戻ってきた結卯がやってきた。

「卯兎ぉ〜、ごめ~ん」

 その声に振り返ると、頭からずぶ濡れ姿の結卯。
 小袖も千早もべっとりとカラダに貼りついている。
「どーしたの?その格好‼」
「う〜ん…御神酒捧げるときに、青龍様の裾を踏んじゃってさぁ…」
 またか…赤龍のときもソレでやらかしている。

「えっ⁉まさか、アンタ、朔の頭に御神酒ぶっかけちゃったの?また…」
「あぁ、いや…。朔…じゃなかった青龍様には掛からなかったよ」
「ふたりのときは、『朔』でいいわよ!で?朔は無事で、なんでアンタそんなにずぶ濡れなの?」
「私が御神酒を持って一歩出て、朔の裾を踏んだと思ったら、すごい勢いで朔が振り返ったから、私がバランス崩して…」

 その後、青龍は転んだ結卯に向かって、なにやら祓の祝詞を唱え、
『皆、喜べ!皆の厄災はこの神子がすべて引受け、そしていま、神酒により厄災は拭われた‼』
 などと両手(もろて)を挙げて宣わって、大喝采を浴びていたらしい。

「ったく…(さく)らしいっちゃ、朔らしいわね。ま。結卯、アンタも神事のときにまで内股でかわいこぶるの止めなさい。動きにくくて、足がもつれていろいろやらかすわ、そこまでやっても大して可愛く見えないんだから。だいたい神事の最中に、誰も神子のことなんか見てないわよ」
「そんなこと、わかんないじゃない‼兎朱(とあけ)なんて、冬至の神事で鳳の若様に見初められたじゃない」

 兎朱は、卯兎たちの少し歳下の神子だったが、いまや鳳一族の若妻で、次期鳳凰夫人になる予定だ。

「あれは、まさに玉の輿だったわね。でも、あんなの稀よ。そうそうあることじゃない」
「それにしても卯兎はいいわよ、朔がいるんだから。末は、龍王の妻ってかぁ〜。あ〜〜〜っ。私も誰かもらってぇ〜」
「はぁ?朔とは…朔とはそんなんじゃないよ。幼なじみじゃない。朔も。結卯も」
「同じ幼なじみでも、卯兎と私じゃ、朔の扱いが違うじゃないッ。
 朔ってば、私のコトは子ども扱いしてバカにしてるしさぁ。だけど卯兎のいうことは聞くじゃない。今日だって、神事に行きたくないってダダこねてたのを卯兎が行かせたんでしょ?神薙のみんなが『さすが卯兎!青龍様には卯兎だな』って褒めてたよ」

「バカねぇ。私たち、歳も近くて幼なじみとして育ったけど、どっちかというと兄弟みたいだったじゃない。私が長女。で、晦(かい)と朔。結卯は末っ子って感じだったでしょ。
 さ。ホラホラ、バカなコト言ってる時間ないよ。
 結卯、その千早と小袖、洗濯場の盥に水張って浸けといて。アンタは水浴びして御神酒落として、早く着替えてこっち手伝ってよ」

 「はぁ〜い…」イマイチ納得しない顔で、結卯が座敷から出て行った。
「なに?コレ。書類選考通過って…私、応募した覚えはないわよ?」
 目をパチパチさせている瞳子に、雪兎がプリントの上を指差して言った。

「瞳子さん、ホラ。宛先、見て。代理人(・・・)って書いてる。宛名は、瞳子さんじゃなくて、瞳子さんの、『代理人』。コレはぁ…」
 紙を指していた指をゆっくり回しながら、景子に向けて、止めた。
 舌をチョロっと出して、首をすくめる景子。

「えぇ〜〜。景子ぉ〜。ったく…」
「いや、だってね、ホラ…あの…どう見てもウコさんのコトとしか思えなくて。応募してみて、ダメならそれまでだしぃ〜…ね?」
「なぁにが、『ね?』よッ!私、面接なんて行かないわよ!」
 瞳子は、杏仁豆腐の最後のひと口を流し込んで、メールのプリントをクシャリと握りしめた。

「瞳子さん、ちょっと待って。見せて」
 雪兎は、プリントを握り込んだ瞳子の手を上からそっと包み込むように自分の手を重ねて、瞳子からプリントを受け取り、広げて再度、読み返している。
 イタズラを叱られている子どものように、目をキョロキョロさせて、瞳子と雪兎の様子を交互に伺っている景子。
「景子、怒ってないよ。怒ってないけど、私は行かないから」
 景子は、一瞬、ホッとしたような顔になったが、瞳子の頑なな返事に口を尖らせて不満そうだ。

 ひとときテーブルに貼りついた沈黙を破ったのは、雪兎だった。

「ねぇ、瞳子さん。行ってみたら?なにも面接に幽世まで行くわけでもないし。それに全面的に瞳子さんの都合のいい日時を優先させてくれてるじゃない。ちょっとしたヒマつぶし、いや、酒の肴になる話題づくり感覚でいいじゃない。僕も興味あるなぁ…」

 雪兎のこの言葉に、会津の『赤ベコ』かっていうくらい、ブンブン首を縦に振る景子。
    
「え〜⁉雪兎がそんなこと言うと思わなかったわ」
「でね、行けるとなったら、僕も一緒に行きたいんだけど…」
「雪兎が幽世に行ってみたいって話は、今朝ちょっと聞いたけど、そんなに?意外だわぁ…」

「それなら私だって行ってみたいですぅ」

 会話に割って入った景子の言葉は、夫婦ともにスルー。
 雪兎は、驚いたような目を向ける瞳子の方だけを向いて話始めた。

 ― 実はね、この歳になって自分のルーツが気になり始めてね。いろいろと調べてたんだよ。
 親ももういないし、親戚も北海道と金沢にいるだけ。しかも金沢の伯父・伯母とはつきあいがなくてね。ほら、瞳子さんも会ったことあるだろ?北海道の春莵(はると)叔父さん。あの叔父さんを頼りにね、いろいろと調べたわけ。―

「あ。なんか飲む?もうちょっと長い話になりそうだからさ。花茶にしようか。ほら、瞳子さんお気に入りの、桜の花茶、どう?」

 雪兎はテーブルにあったメニューを手にはしたが、それを開くことなく、サッサと決めてしまうと店員を呼んでオーダーした。
 幽世行きを勧めるだけでも驚いたのに、いつもは言葉少なな雪兎が瞳子だけでなく、景子という他人の前でも饒舌にしゃべり始めたことに、瞳子は、さらに驚きを隠せなかった。

 そんな瞳子の驚きをよそに、雪兎は続きを話し始めた。

 ― 盈月(えいげつ)って名字が前から珍しいよなぁとは思っていたんだけど…。
 実は、龍神様に仕える神薙の一族だったらしいんだな。
 明治の最初頃っていうから、僕の高祖父くらいまでは幽世に住んでいたらしいんだよ。
 明治の中頃までは、現世と幽世の境界が緩かったっていうか…。
 カンタンに行き来できていたらしいんだよね。

 だけど、盈月(えいげつ)の家から神薙を出せなくなって…。

 あぁ、その頃の神薙っていうのは、単に神主さんみたいなことをするだけじゃなくて、いろいろと特殊な能力が必要だったらしいんだ。
 だけど…、僕の曽祖父はそのチカラが弱かった。
 生まれて、数年で開花しないと、その能力が発現することはないらしい。

 それで、『普通のひと』としての暮らしをさせるために、高祖母はまだ幼子だった曽祖父を連れて、現世で暮すことにしたらしい。
 神薙として務めていた高祖父を幽世に残して。

 まぁ、幽世と現世に別れていても、行き来はできたわけだから、高祖父は幽世に単身赴任。休みには、妻子のいる現世の高祖母たちの元へ…っていう暮らしだった。
 だけど、ある日突然、幽世と現世を隔離することになったらしいんだ。
 それまでは、幽世の神やあやかしたちのチカラで開かれていた幽世への道は閉ざされ、一度現世に入ると、二度と幽世に戻れなくなった。

 以降は、幽世と現世の行き来は、特別な許可証を手に入れるか⁉死んでしまうか⁉しかなくなってしまった。
 ・・・そのとき、神薙であった高祖父は妻子をとるか、神薙の務めをとるかの選択を迫られた。なにせ、一度、幽世から現世に戻ると幽世には戻れなくなっていたからね。

 神薙なんていう仕事をしているんだから、幽世への許可証が出ても良さそうなモノだと思うんだけど…。
 春菟叔父さんが調べてくれたことによると、神薙という職だからこそ、カンタンには幽世の外に出られなかったんだそうだ。
 神事に使う神器などは、現世ではおそろしく高値がつくほどの『お宝』だったから、それらの持ち出しを恐れてのことだったらしい。
 いつの世にも神をも恐れぬ不届き者がいたってことかな⁉

 そんなことがあって、高祖父母は残りの人生を別れて生きることになったらしい。だから、僕のルーツの一部は幽世にあるんだよ。

 春菟叔父さんのとこも、金沢の伯父、伯母のところも子どもは女の子で、僕には前妻との間に息子がいるけど、前妻は再婚して他の姓を名乗ってる。もちろん、息子もね。
 だから、もう『盈月(えいげつ)』は僕の代で終わりなんだよ。
 そう思ったら、無性に自分のルーツが気になり始めて、それが幽世にあると知ったら、行ってみたくなったんだよ。
 死んでからじゃなく、生きているうちにね。
 そしてそれを瞳子さんと一緒に叶えられたら、僕は死んでしまったときもひとりじゃないって思えるかなぁ…って。

 幽世は自分のルーツの場所で、瞳子さんとの思い出もある場所。

 ひとりじゃないと渡れないって云われている『光の湖(うみ)』もひとりで行けそうな気がするんだ。―

 子どもに、絵本の読み聞かせでもするように、スルスルと語り終えた雪兎は、大きく息をついて、改めて瞳子を見据えた。

「どう?瞳子さん?面接受けるだけでも受けてみないかな⁉」
「雪兎のルーツが幽世にあったとはねぇ・・・どうりで、普段はスピリチュアルな話とか興味なさげなのに、今回は食いつくなと思ったのよねぇ・・・」
「瞳子さんは、なんでそんなにイヤなの?」
「う・・・ん・・・笑わないでよ?笑わないで聞いてよ?心臓が悪化してから、意識が飛ぶような発作を起こすことがあるじゃない?
 そのたびにチラチラと見える映像があるのよ。チラチラ見えるっていうか、フラッシュする感じかな。何枚かの景色の写真が高速で切り替えられるスライドみたいな。確信はないんだけど、その見えてる景色が幽世の景色なんじゃないのかな?って漠然と感じてて…。で、幽世へ行って、ホントにその景色に出くわしたら、私はそこから出られなくなるような気がして…」
「幽世から出られなくなりそうで、怖いのかい?」

 幼い子どものように、こっくりと頷く瞳子。

「その景色と一緒に『サルバトール・ムンディ』がフラッシュすることもあるの。あぁ…キリスト様がお迎えに来るなんて、ホントに終わったわって思ったもの…」
「さ、さ『サルバトール・ムンディ』ってあの?ダ・ヴィンチが描いた青いローブのイエス・キリスト?」
「そ、そうよ。おかしい??だから笑わないで聞いてって言ったじゃないッ」

 目を潤ませて上目遣いに睨む瞳子の手を両手で包み込んで自分の方に引き寄せながら雪兎が答える。
「笑ってないだろ?いや、すごい豪勢なモノを夢に見るなぁって感心したヨ。500億超の絵画だからねぇ。でもさ、瞳子さん、クリスチャンでもないんだから、わざわざキリスト様は来てくださらないよ。ご自分の信者をお迎えに行くので手いっぱいだよ、きっと。それに、たとえキリスト様でも、僕がいる限り、瞳子さんをカンタンに渡したりしないよ。ねっ?」

 ―ゴホッ、ゴホッ、ゴホッン
「あのぅ…お二人とも、私がいること忘れてません?」
 たまりかねて景子が割って入った。

「あぁ…景子…」

「景子ちゃん…」

『いたんだっけ…』
 声を揃えて言うふたりに、ふくれっ面の景子。3人で顔を見合わせて、吹き出した。

「で?ウコさん、どうします?選ばれた者だけよ!? ウコさん、これはもう運命でしょ!」
「う〜ん…雪兎のあんな話聞いちゃったしなぁ…。モノは試し。面談だけでも受けてみようかな⁉」
「やった!」
 手をたたいて小躍りせんばかりの景子。
「なんで、景子が喜んでるの?まさか、一緒に行けるとか思ってる?」
「えっ…アハッ…アハハハ〜。  ダメ⁉…デスカ??」

 瞳子は、上目遣いに様子を見る景子のおでこを指でツンと付く。
「イッ痛ぁ〜いッ」
 大げさにおでこを押さえて痛がる景子を見て、大笑いする瞳子夫婦。

「ま。まだ行けるかどうかわからないんだし、確かに景子ちゃんが応募しなかったら、こういうことにもなってないわけだから、景子ちゃんにも権利があると言えば、あるかもね」
 笑いながらも答える雪兎に、瞳子は不服そうだ。
「だって、雪兎が行けなくなっちゃったらどうするの?雪兎のルーツの場所なんでしょ?」
「瞳子さんと他に1人じゃなきゃダメだとしたら、ソコは雪兎さんに譲りますよ!もちろんッ!3人でもOKなら、私も!ね?それならいいでしょ??」
「う…ん…まぁ…それならなねぇ…」

「アハハハ〜止めようよ、こんな話。だってまだ、瞳子さんでさえ、行ける資格があるのかないのかわからないんだよ⁉これじゃ、宝くじを買っただけで、まだ当たってもない当せん金の皮算用してるのと変わらないよ」
『確かにぃ〜』瞳子と景子も声を揃えて笑った。

 結局この日、瞳子は幽世行きの面談を受けることを決め、都合が良さそうな日程を景子に伝えて長めのランチを終えて、帰宅した。
洗濯場へ向かった結卯と入れ替わりに入ってきたのは、兎士郎だった。

「卯兎、準備は…」
 言い終える前に、座敷を見て、固まってしまった。

 座敷には、竹林のなかかと思うほどの笹が持ち込まれ、食卓代わりの板の上には万年青(おもと)の葉。

 そこ、ここに並べられた大小、縦横に切った竹。ところどころに細長い竹に差されている金糸梅(きんしばい)の黄色や禊萩(みそはぎ)の赤紫が笹の緑に映えて、華やかではあるが、一面の笹の原の様相にギョッとしたらしい。

「う、卯兎や・・・こ、これは・・・こんな野っ原のような座敷で、黄龍様をお迎えするというのか?」
「そうでございますよ。兎士郎様。幽玄館 龍別邸の厨人の饗の膳ではなく、めし処の料理をご所望と伺いました。本来ならば、めし処で召し上がっていただくのがよろしいのですが、それでは、御付きの皆さまはご相伴になれませんでしょ。あの狭さでは・・・」
「あのな、卯兎。黄龍様は、料理はめし処の厨人に。とおっしゃっただけなのだ。何も下賤の者のマネなどさせなくて良いのだ!あぁ!もう!なんとかしなさい!この笹を!」
「なにをおっしゃいます兎士郎様。お料理は、供するその雰囲気も、演出も、味のうちです。それに、ご存知ですか?今宵は「上弦の月」。幽世と現世が半々になるといわれる宵。お隣の国では、力強く成長する竹や笹に健康長寿の祈りを込めて飾るのだそうですよ。そして、下賤の者のマネどころか、高貴な方々はこの笹に歌など詠んで流したり、飾ったりされるとか聞き及んでおりますよ」
「屁理屈は、よい。屁理屈は‼ともかく!料理をキチンとお出しすれば…」

「兎士郎、もうよいのかな?」
 兎士郎の背後にいつの間にか、黄龍が立っていた。

「こ、これは、黄龍様。いま、ひとときお待ちくださいませ。隣の座敷を準備させておりまして…え〜こちらはなんというか…控えの間と言いますか…え〜」
 取り繕う兎士郎を余所に、サッサと座敷に入って来た姫龍がはしゃいだ声を上げる。
「まぁ〜ステキ!ねぇ、御大(おんたい)もご覧なさいまし。思い出すわぁ…ふたりで竹林で逢瀬を重ねて、それから…あぁ、そうそう。御大ったら、笹の葉を持って、照れながら言ってくださったのよねぇ〜」
 ゴホッゴホッ  …
「姫、昔話はそのくらいにしときなさい」
「あら、そぉ?これからがクライマックスなのにぃ〜」
 バツの悪そうな黄龍は、不服そうな姫龍の背を押して、一緒に中へと踏み入れ、ぐるりと見回して感嘆した。
「ほぉ…これは、これは…」

「兎士郎、コレが控えの間なのか?私には、充分に準備された場にみえるがな?」
「い、イヤイヤ…此のような場に黄龍様と、姫龍様の饗食をご用意するなど…」
「私は、ホントはめし処のつけ台越しに卯兎と話しながらの飯でも良かったのだがな」
「卯兎、ご案内せよ」
 兎士郎は黄龍の言葉に、それ以上止めることもで疵、卯兎に声をかけた。

 卯兎は、いつの間に着替えたのか⁉神子の衣装に、うさぎの紋の千早を身に着け、(うやうや)しくふたりの龍神を席へと案内した。
「いつもの上座とは違い、今宵はこちらを背にお座りくださいませ。姫龍様にはこちらを…」
 いつもは下座にあたる、入口近くにふたりを案内し、姫龍には薄布で綿を(くる)んだものを渡した。
「あら?コレは?」
「笹でお召し物を汚されませんよう、お座りになる際に敷いてくださいまし」
「卯兎、私にはないのか?」と黄龍。
「殿方が、お召し物の細かいことなど気になさいますな」
「う、卯兎、黄龍様にもご用意せぬか!」気が気でない兎士郎。

「わはははは…そうじゃの。細かいことを気にする男は嫌われるのぅ…アハハハハ」

 ようやく主役二人が腰を下ろし、お付きの者もそれぞれ席に着いた。皆が席に着いたのを確認して、卯兎が黄龍夫妻の前に正座をし、深々と頭を下げる。

「今宵は、わたくしの料理を御所望いただき、誠に光栄至極にございます。今宵の宴は、『上弦の月の宴』。幽世と現世が交わる宵をとくとお楽しみくださいませ」

「ほぉ~。『上弦の月の宴』か。いかなる趣か、楽しみじゃ。なぁ、姫よ」
「この竹林の造りだけでも充分に心が潤いますわ」

 卯兎は周囲をぐるりと見回して、青龍が席に着いていないことに気づいたが、いつも気ままな青龍のこと、宴たけなわの頃、ふらりと現れるだろうと、宴の進行を続けた。

 ― お手元、右の太い竹には御酒(ごしゅ)が入っております。二段になっておりますので、竹の上の方をそっと持ち上げてくださいませ。―

 皆、言われるがままに、そっと持ち上げると、歓声が上がる。
「おぉ〜!コレは‼なかなかうまく考えたな、卯兎」

「ハイ。下の竹に小さな炭を入れて、御酒を温めております。隣の小さな竹に注いでお召し上がりくださいませ」

「竹の爽やかな薫りが良いのぅ」
 目尻を下げて、酒を口にする黄龍を楽しげに見つつ、自分もと…酒の竹筒に手を伸ばしかけた姫龍に、卯兎はスッと小さな手ぬぐいと小さな竹の小鉢を差し出した。
「おぉ。手を汚さぬように?気が効くのネ。ありがとう。で、この小鉢は…これは!」
「ハイ。姫龍様には、御酒を冷やしてご用意いたしました。冷やしておく時間がなかったものですから、紗雪(さゆき)の術を用いましたので冷え過ぎて持ちづらいかもしれません。その手ぬぐいを充ててお持ちください。それから御酒に、こちらの鬼桃の実を潰したものを入れてお召し上がりくださいませ」
「おお。鬼桃…。懐かしい!私が鬼族の「鬼龍家」の出と知って、用意してくれたの?うれしいこと。御大とは違う趣向というのも楽しみだわ。どれどれ…ほぉ…冷たい。ほんのり甘い。竹の薫りが爽やかで、いくらでもイケそうな味わい。う〜ん…おいしい♪」
「なに?私のと違う趣?姫、私にもひと口。ちょっとだけ味見させてくれ」
「イヤですぅ。コレは、わたくしの、も・のっ!」
 少女のようにコロコロと笑ってかわす姫龍に、駄々っ子のようにねだる黄龍。
 これが幽世の頂点の夫婦とは思えない可愛らしさだ。

 黄龍・姫龍が、酒に口をつけたところで、卯兎が二人の正面にあたる位置の笹を真ん中から割って、二手に分けた。
「お料理やおもてなしの足りない部分は、どうぞこちらでご勘弁くださいまし」
 卯兎が掻き分けた笹の間からは、空にポッカリと口を開けたような、明るい上弦の月が浮いている。
 幽世の闇に輝く黄色い月は、得も言われぬ風情を醸している。黄龍・姫龍をはじめ、その場にいた誰もから、ため息が漏れた。

「いやぁ、天晴だ。卯兎。月に笹、旨い酒と料理。『上弦の月の宴』の所以、しかと受け止めたぞ」
 黄龍の感服した声を聞いて、兎士郎はようやく酒を口にした。

 ― さて皆さま、あとはそれぞれの竹を開けてみてくださいまし。
 まず、手前にございます竹の皿に並べましたのは、鮎と山女魚の塩焼きと甘露煮でございます。お好みで小皿に入っております梅のタレをつけてお召し上がりください。
大の竹には、山菜と野菜の煮物。
中の竹の一つには豆の絞り汁を山蜜柑の汁で固めたもの。
それから鳥の卵が手に入りましたゆえ、溶いた卵を出汁で割り、山菜など入れて蒸し固めて冷やしたもの。
豆を山椒と炒りつけたもの、貝と青菜を炒め蒸したもの。
 以上をご用意いたしました。
飯ものは、頃合いを見てお出ししますので、しばし御酒をお楽しみくださいませ―

 卯兎は、ひと通りの案内を済ませ、厨へと引き上げて行った。手応えを感じつつ厨へ戻ると、店側に何者かの気配がする。
「誰?今日は、ココはお休みなのよ」

 誰ともわからぬままに声を掛けながら、厨から店を見ると、厨と店の境に渡した横木にもたれかかるように肘をついて酒を飲んでいる青龍。
「なんだ、朔…ここにいたの?せっかくなんだから、皆とあっちで食べればいいのに…」
 そう言いながらも、皆に出した料理と同じものを青龍の前に次々と並べていく。
「ああいう場にいるのは好きじゃない…ここがいい」
 青龍がいるこの場所は本来、厨から料理を出したり、下げてきた食器をここから厨に戻したりするための台として取り付けたものだ。
 しかしいつの間にか、めし処に来て、一杯やりながら卯兎と話したい連中が陣取る客席になっていた。
「そろそろ宴に飯物出すけど、朔、あんたも食べる?」
「飯?なに?」
「山菜とか筍とかいろいろ入ってるよ」
「そりゃ、肴にもなりそうだの。くれ」
「菜っ葉と魚と茸の汁もいる?」
「おう」

 青龍は、盃を片手に甲斐甲斐しく動く卯兎を目を細めて眺めている。

「なんだ、新妻に賄ってもらう夫を気取ってるのか⁉」
 声に振り返ると、がっしりした体躯の錫杖を携えた男がめし処の入り口に立っている。

 幽世の鬼界を預かる鬼族のトップ鬼龍家の直系分家・百目(どうめ)家の次期当主・鬼堂(きどう)である。青龍や卯兎と幼なじみで、幼名を『鬼丸』といった。
 青龍よりもいくつか若いが、神族の100年単位など人の月単位と変わらない。

「おう!鬼丸か。いや、『鬼堂』の名を賜ったそうだな。鬼堂様とお呼びしようか?」
 イヤミな笑顔を鬼堂に向ける。
 鬼堂がなにか返そうとしたとき、奥から卯兎の声がした。
「朔ぅー、誰か来たのぉ?今日はお休みだと言ってー」

「だ、そうだ。残念だったな。またな」
 卯兎の言葉を受けて、青龍は鬼堂に言い放つと背を向けて盃に口をつけた。

 ギリッと音がしそうな歯噛みをした鬼堂は、奥に向かって声を掛ける。
「卯兎ぉー、俺だ。鬼丸だ❢なんか食わせてくれ」
 奥からパタパタと足音を立てて、卯兎が厨から出てきた。
「えぇ‼鬼丸ぅ‼久しぶりじゃない‼今日から黄龍様と姫龍様がご逗留で、その食事のお世話を任されたのよ。だから、ご逗留の間はココはお休みなの」
「そっか…じゃ、休みの店にいる、コイツはなんだ?」
 青龍を指差して、尋ねる。

「あぁ、それ。それは龍の抜け殻。今日の大神事の主を滅多にやらない真面目さでやったら、神事終わりに魂が抜けたのよ。だから、客じゃなくて置物ね」
 ケラケラと笑いながら言う卯兎に、顔を引きつらせて言い返そうとする青龍を抑えて、鬼堂が答える。
「なら、鬼の置物も置いてくれ」
「ったく…仕方ないわね。宴の余りものしかないわよ」
「おう!あとは酒があれば、文句はない‼」
「ハイハイ」
 卯兎は、苦笑しながら、青龍の隣に青龍と同じ料理を並べ、盃を置く。

「余りものでもさすがに黄龍様の御膳のもの。豪勢なものだの…。して、酒は?」
「朔のところにあるでしょ?」
 厨で作業しながら答える。
『え〜⁉コイツと分け合うのかぁ?』
 睨み合う青龍と鬼堂。

「あ。イヤなら、朔は、座敷に。鬼丸は帰っていいよ」
 渋々といった(てい)で、お互いの盃を満たして飲み始める二人。

「鬼丸、錫杖は入口に置いて。みんな怖がるから」
「みんなってなんだ?今日は休みで他の者は来ぬのだろう?」
「客じゃなくて、お手伝いしてくれたみんなよ。ほら、もうコレ出したら、宴も終わりだから、みんなも出てきて食べて」
 卯兎の声に、厨のなかから、裏から、数人のあやかしが出てきた。

「あれ?秋菟は?」
『アレなら、裏でひっくり返ってる』
 答えたのは竹切狸のポン太と万年竹のあやかし竹暁(ちくぎょう)
 今回の笹の演出を手伝ってくれた二人だ。

「起こしてこようか?」
「なんでひっくり返ってるの?」
「竹暁、疲れて寝た。竹暁、寝たら人形(ひとがた)解けた。秋菟、集めた竹を座敷に運ぼうとして、竹と一緒に居眠りしてた竹暁を抱き上げた。竹暁、目ぇ覚まして動いた。秋菟、ビックリして泡吹いてひっくり返ったぁ」
 幼な口調で、あっけらかんと言いながら席に着くポン太。
「まったく仕方ないわねぇ。神薙のくせにあやかしに泡吹くほど驚くなんて。紗雪、起こしてきて」

「卯兎、準備できた」
 火を灯した竹の皿をいっぱいに抱えた、妖狐の一族の弥狐(やこ)が声を掛ける。
「悪いわね、弥狐。それ持っていったら、弥狐もお料理食べてね」

「う…卯兎様…スミマセン…突然のことでビックリしちゃって…」
 紗雪に腕を引かれて来たのは、全身霜に覆われた秋菟だ。
「さ・・・さっちゃん、あり…がと…ね…って、秋菟、そのカッコ、さっちゃん?まさかの、吹雪で起こした?」
 吹雪を吹かなくとも凍りつきそうな笑顔でニコリとうなずく紗雪。
「あぁ…ま。今回は、今回はいいけど、『ひと』を起こすときは危ないから、吹雪はやめよっか?ね?」
 つまらなさそうに頬を膨らませながらも、おとなしくうなずく。

「さてと、最後の仕上げと行こう❢秋菟と結卯は、それ持って。よいしょっと。行くよッ」
 卯兎は、自分も大きな竹筒を抱えて、歩き始めた。
「他のみんなは、先に食べてて!あ。そこの龍と鬼の置物が暴れるようなら、さっちゃん、猛吹雪よろしくね」

『雪女の猛吹雪は、神でもあやかしでも凍るわっ‼』
 冷ややかにうれしそうに微笑む紗雪に、慄いて叫ぶ置物2体の声を背で聞きつつ、座敷へと向かった卯兎一行。

 *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
 その頃、座敷は、いわゆる『宴もたけなわ』という風情。

 この肴がいいの、こっちの方が酒に合うだの、その合間合間に、ちょいちょいと愚痴なども…。
 そんななか、姫龍が白い細い指で箸を持ち上げ、卵の蒸し物を口にして、感嘆の声を上げた。
「これは、まぁ。御大も召し上がってごらんなさいまし。宝探しのようですよ。喉越しの良い卵のなかに、いろいろな具が入ってますよ。ウフフフ…楽しくなる美味しさですわね」

「おぅ〜。これじゃ、これ‼この間、めし処で食して、忘れられなかったのじゃ」
「あら、御大?いつのお話ですの?わたくし、存じ上げませんけれど?」
「あ…あ〜。あれじゃ。ほれ、そのぉ〜」
「え?どれですの?何?どう?」
 たおやかで上品な美しさのまま、問い迫る様は姫龍の本来の血筋、鬼の一面が現れたかと思うような迫力である。

「あ!ソレ、私も知りたい」
 ちょうど、飯物と汁物を運んできた卯兎が口を挟む。
「おい、おい。卯兎、話を掘り下げるな‼せっかく治まり掛かってるのに…」
 兎士郎が割って入る。
「兎士郎?何が治まりかかってるのかしら?わたくし、まだ御大からお答えをいただいておりませんよ?」

「おぉ!卯兎、何を持ってまいった?飯ものか?どれどれ、こっちへ…」
 黄龍が渡りに舟とばかりに、卯兎を手招く。

 卯兎は、持ってきた大きな竹筒を中央に置き、竹筒から切り取って作った蓋を開ける。
ふわぁ〜と広がる湯気とともに芳ばしい薫りが漂う。盛り上がっていた一同も匂いに釣られて、一斉にこちらを向く。

「お待たせいたしました。飯ものと汁物をお持ちしました」
 目配せで秋菟と結卯に汁物を配膳するよう指示する。

「少々、月も翳りはじめました故、月の邪魔にならぬ程度に灯りを灯させていただきます」
 弥狐から火の灯った竹皿を受け取ると、皿に上手く通した紐を持ち、笹の程よい枝へ掛けてゆく。
「まァ、狐火を灯りに使うなんて。柔らかくて、月光の邪魔もせず、素敵だわぁ」
 姫龍は、この光の演出にうっとりしている。
「ほぉ…見事じゃ。ところで、飯はなんじゃ?よい香りで辛抱できんぞ」

「あら、御大は色気より食い気ですのね。もう少し、この情緒をお楽しみなさいな。まったく、殿方は情緒というものが欠けてますわねぇ。ねぇ、卯兎」
 姫龍の言葉に、笑顔でうなずきながら
「姫龍様、今宵はお食事は黄龍様に、情緒は姫龍様にご用意したようなものですから。それに、あまり情緒に聡い殿方というのも鬱陶しいものですよ」
「オホホホホ、これは、まぁ〜。卯兎からそのような言葉を聞くとは…大人になったのねぇ…いくつになったかしら?」

「『ひと』の歳で言うなら、22でしょうか」
 その返事を聞いて姫龍は、少し考える風にしたが、すぐに笑顔に戻って、卯兎がつぎ分けたご飯を受け取った。

「ところで黄龍様?ホントにいつめし処へおいでに?」
「う、卯兎、せっかく鎮火した火を熾すでない‼」
 兎士郎は、ゲホゲホと咽ながら割って入った。
「おぉ、その件。忘れるところでしたわ、御大?」
 姫龍がヒヤリとするような美しい笑みを浮かべて、黄龍に重ねて迫る。

「あ、アッハッハ…こりゃまいった。わかった。わかった。卯兎、飯が終わったら湯に行く。その後、部屋に戻って、また一杯やりたいのぉ。頃合いを見て、酒と何か見繕って届けてくれ。そのときに話をしよう。いまは、この旨い飯を味わわせてくれ」
「雪兎ぉ、コレ、どう?おかしくない?」

 ベッドに服を広げ放題広げて、鏡の前で悩んでいる瞳子をベッドで服に塗れながら、横になってニコニコと眺めている雪兎。
「どれも似合ってるよ。瞳子さんのお気に入りは、どれ?」
「う~ん・・・ブルーの花柄のワンピースかな?あ。でも、でも、ストライプのシャツとスキニーパンツの組み合わせも・・・でも、相手のこと考えたら、着物?浴衣?ねぇ、どーしよう・・・」
「わかった!瞳子さん、僕とデートに出かけるなら、どれを着たい?昼間のお出かけで、ショッピングしたり、お茶したり・・・。帰りには軽く一杯やって、フルーツでも買って帰ろうって感じの・・・」
「あぁ!行きたいっ!そんなデート、ここのところしてないねぇ」
「瞳子さんッ。早くしないと!もう皆さん、来ちゃうよ!」
「あ!そうだった…雪兎とデートなら…そうね、うん。コレにする!」

 ようやく着るものが決まり、冷静になった瞳子は、部屋の惨状を見てガックリ肩を落とした。
「アハハ〜。決まったようだね。良かった。片づけは僕も手伝うから、後にしようか。面談に来る方たちも、家の隅々まで見るわけじゃないだろうからネ」

 景子と3人でのランチで、雪兎のルーツの話を聞いてから10日後。幽世ツアーの面談日となった。
 雪兎と瞳子、そして景子の予定が合う日を2、3日挙げたなかで、一番早い日付だった。そして、会う場所もこちらの指定の場所で良いというので、自宅に来てもらうことにしたのだ。

 白いコットンのシャツに、ブルーのタンクトップをのぞかせたトップスに、ストライプのガウチョパンツを合わせた夏仕様の瞳子は、もう一度、鏡の前に立って大きく深呼吸した。
 別に幽世へ行きたいわけじゃない。
 でも、面談となると誰か他人に自分を値踏みされるようで居心地が悪い。

「あれ?雪兎は、そのカッコ?」
「だって、僕は君の面談の『立会人、その2』、だからね」
 雪兎は、いたずらっぽく笑って答えた。

 『立会人、その1』は、応募した景子だ。面談にあたって、雪兎も同席したいというと、「『立会人、その2』としてなら認めましょう」という回答だった。
 なんだか、雪兎を安く見られたようで気分が悪かったが、当の雪兎は意に介せずという風だったので、瞳子も喉元まで出かかった文句を飲み込んだ。

    ―ピ、ピン・・ポンッ♪  ピ、ピン・・ポンッ♪―
 撚れたような音の呼び鈴が鳴る。

「雪兎、ピンポン、さすがに直さなきゃ、だねぇ」
「鳴ってるうちは大丈夫だよぉ。鳴らなくなったら考えよ」
「鳴らなくなったら、って・・・まったく・・・」
「ほら、ほら、瞳子さん。お客様到着だよ!さぁ、行こう!」
 ベッドルームのドアを開けて、エスコートするように手を広げて、廊下へと瞳子を誘(いざな)う雪兎。

 瞳子は促されて、もう一度鏡で姿を確認すると、背筋を伸ばして玄関へと向かった。

  *~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*
 景子に伴われてやってきたのは、時代がかった和服の老人が二人。
 黒いスーツがビシッと決まっている背の高い若い男性がひとり。

「幽世ツアーズの、天目 漣(あまめ れん)と申します」
 名刺を差し出したのは、黒スーツの男。長い前髪で左目が隠れているが、顔立ちの端正さまでは隠せないくらいのイケメンである。

 そのイケメンぶりに目を奪われている瞳子と景子をよそに、天目漣と名乗った男は、淡々と続ける。
「こちらが、幽世で長年、青龍様付の神薙を務めていらっしゃる神事(しんじ)省の月影 兎士郎(つきかげ としろう)様と幽世の治安を守っていらっしゃる刑部(ぎょうぶ)省の烏頭 刑(うとう ぎょう)様です」

 自分たちの紹介を終えて、ぐるりと面々を見回した漣は、椅子を指さして「座っていいか?」という風に瞳子を見て小首を傾げた。
 漣の人間離れしているともいえそうなイケメンぶりに、景子ならず瞳子までもがぼぉっと見惚れている。

「瞳子さんっ!景子ちゃんっ!」
 たまりかねて雪兎が、二人の背をポンッと叩く。

 ハッと我に返った瞳子が漣と目が合って、慌てて、席を勧める。
 老人二人は「遅いわっ!」と言わんばかりの顔をして、咳ばらいをしながら(うやうや)しく腰掛ける。漣に比べて、小さなカラダの二人は、腰掛けたというより、ちょこんと置物を置いたようだ。
 4人掛けのテーブルに、老人二人と瞳子、景子が着いた。
 雪兎は、キッチンから二つの丸椅子を持ってきて、「こんなので悪いけど・・・」と一つは漣に、もう一つは瞳子の後ろに置いて自分が座った。

「さて、それでは・・・」

 漣が開きかけた口を遮って、景子が声をあげた。
「えぇーっと、漣さんはあやかしさんなんですか?」
「あ?えぇ。あやかしというか・・・私は、神族のひとりでして、刑様は天狗のあやかしでございます。兎士郎様は、「ひと」であらせられますが、特別な「ひと」なのでございます」

「あやかしだからって全員イケメンってワケじゃないのね」
 景子が刑をチラッと見て小さくつぶやく。
「ふんっ小娘に値踏みされるほど安くないわっ」
 景子の小さなつぶやきを逃さなかったらしい。
「コホンッ。えー。もう本題に入ってよろしいか?」
 漣がカバンから書類を取り出し始めた。
「あぁ。すみません、ホントに不躾で・・・」
 謝る瞳子に、不服そうに景子が言う。
「瞳子さんだって気になってたクセにぃ」
「景子、もういいから。ね。早く本題の話を聞こう」

 漣が書類を読み上げ始める。
盈月(えいげつ)瞳子様  昭和三十八年二月八日生まれ  お間違いないですか?」
「盈月?盈月じゃと?」
 すっかり置物と化していた兎士郎が声をあげる。
「はい。兎士郎様。こちらへ来る前にお話しいたしましたよね?」
 漣はキツめの冷たい声で返す。

「はて?そうだったか?しかし・・・盈月と言えば・・・」
「盈月の、盈月の家のことをご存知なんですかっ?」
 『立会人 その2』を決め込んでいたはずの雪兎が立ち上がって、兎士郎に迫る。
「あぁ・・・いや・・・」
 言い淀む兎士郎の声に被せるように「その話は、今日は止めてください」と漣。

「それより兎士郎様、月の暦は合っておりますか?」
「月の暦って、『如月・満月』ってヤツですか?それなら、間違いないですよ。ほら」
 景子は、自分のスマホで瞳子の生年月日の月齢暦を出して、見せる。
「あぁ、現代の現世は便利になりましたからねぇ。でも、ちょっと違うんです。ただの『満月』ではダメなんです」

 漣は端正な顔立ちがさらに美しくみえるような冷たさで言い放った。
 その美しさに、冷たく突き放されたはずの景子は熱を帯びた目で漣に見惚れている。

「あぁ。月は十四夜。間違いないっ」
 兎士郎の言葉を受けて、今度は刑が椅子の上に立ち身を乗り出して、瞳子の顔を覗き込む。

「うむ。この鳶色。瞳のチカラ。間違いないだろう」
 刑は瞳の奥までも覗き込んでいるような視線で瞳子の眼を見つめながら言う。

「痛っ‼何するんですか!」

 刑はじっと瞳子を見ていたかと思うと、突然、瞳子の髪を引き抜いた。それも3~4本まとめて。
  
 引き抜いた瞳子の髪を兎士郎と自分の前に並べた。
 刑と兎士郎は、舐めてるんじゃないかと思うほど顔を近づけて髪を見ている。4~5分はそうしていたかと思うと、今度はその1本を陽の光に翳してみたり。

 その後、兎士郎は古い紙に包んだものを懐から大切そうに出して広げた。
 そこには、ひと房の茶色の髪があった。
 その髪の隣に瞳子の髪を並べて、また矯めつ眇つしている。そうしてるうちに、兎士郎は洟をすすり始めた。溢れんばかりの涙を湛えた目で、漣と刑を見て、何度も頷く。

「兎士郎様、お気持ちはわかりますが、まだ確認しなければならないことがございます。お泣きになるのは、それが確定してからになさってください」
 漣の言葉を受けて、兎士郎は袖口から取り出した手ぬぐいで目と鼻を拭って、深呼吸した。

「そうだったな。そうじゃ、一番大切なことだな」

 なんとも言えない空気に、瞳子は肩で大きく息をしてうなだれた。

「はい。どうぞ。瞳子さんの好きなキリマンジャロのカフェオレだよ」
 手持ちぶさたな雪兎は、キッチンに立ってコーヒーを淹れていたらしい。

「さぁ、みなさんもどうぞ。あ。お二人は、緑茶の方が良かったですか?すぐに淹れますよ」
『バカにするな!』
 老人二人が声を揃えて、慌てたようにコーヒーカップを引き寄せる。
「あぁ。この薫り・・・」  
 カップに鼻を寄せて、クンクンと嗅ぐ兎士郎。
「この苦みが良いのだ。う~ん」
 噛みしめるように飲む刑。

「良かった。お口にあったようで」
「お口に合うもなにも、大好物じゃ!のう、刑殿」
「おう、しかし幽世ではこれほどのモノには出会わん。土産に買って帰りたい。後で店を教えてくれ」
「お気に召したのなら、この豆は分けて差し上げますけど?」
『おぉ。それはありがたい!』二人は目を細めてコーヒーを啜り始めた。

「そろそろ、良いですか?お二人様」
 漣の冷ややかな声が通る。

『おぉ。そうだな。そうだ』

 二人は、名残惜しそうにコーヒーカップから手を放して、瞳子に向き直った。
「瞳子、左手を見せてくれるか?」
 兎士郎が自分の右手をテーブルの上に載せた。
 兎士郎の手に重ねろということか?それよりも、初対面の他人を呼び捨て?何様よ!瞳子は、ムッとしながらも手を兎士郎の手の上に重ねた。

 その重なる瞬間・・・。

 「ハッ!」兎士郎は、声を上げて後ろへのけ反った。
『あぶないっ‼』
 椅子とともに兎士郎が倒れるかと思われた刹那。スッと漣が片手を伸ばして受け止めると、何事もなかったかのように元の位置に戻した。

「兎士郎様、お気をつけください」
 言っている言葉は優しいが、その音は冷たい。

「刑殿、これは・・・見るまでもないかと・・・」
「ふーむ。そうは言っても見ないわけにはいかぬだろう。どれ!」

 今度は、刑が瞳子の手を取る。というか、取ろうとした瞬間。

 「ハッ!」声を上げて後ろへのけ反った。
 『あぶないっ‼』
 椅子とともに刑が倒れるかと思われた刹那。またしてもスッと漣が片手を伸ばして受け止めると、何事もなかったかのように元の位置に戻した。

「刑様、お気をつけください」
 言葉は相変わらず優しいが、その音はさっきよりもさらに冷たい。

「瞳子様、申し訳ございません。左手をこちらの板の上へ」
 その板をテーブルに置いたとたんに、空気が清澄になるような香りが立った。
 ・・・この香りは・・・瞳子の考えを遮って、景子が頓狂なトーンで叫ぶ。

「あ!うなぎのにおい‼」
「うなぎの?におい?えぇ??景子、何を言いだしてるの」
「あぁ、間違えました。うなぎに掛けるヤツ。の、ほら、なんて言いましたっけ」
「これは、山椒の木なんですね?漣さん?景子ちゃん、うなぎに掛けるって、山椒のことだろ?」

 『はい』景子と漣の声が重なる。
 景子は妙な照れ方をしているが、漣の方は露骨にイヤな顔をしている。

 気を取り直した漣が説明する。
「こちら、幽世のとある山のなかに何百年と生きてきた山椒の木。その木を削り、磨いたものです。本来は、魔除けなどに使われますが、強い氣を発するものに触れるときなど、その強い氣の緩衝材代わりにも使われます」

『それを持ってきたなら、とっとと出さんか!』
 老人二人が猛抗議するも、漣のひと睨みに負けて口を閉じた。

「さて、それではこちらに、左手を」
 瞳子は、言われるままに、山椒の板のうえに手を置いた。
 老人たちは、先ほどの髪の毛のときさながらに、矯めつ眇めつしている。瞳子の指輪に目を留めて、指輪を恐る恐る撫でながら兎士郎は刑に語りかける。
「お?これは、双頭の龍。刑殿、これは偶然なのかのぉ?私にはココで青龍様と蒼龍様が卯兎を守っておったとしか…」
「そうだな・・・ほんに、そうだ・・・」
 刑は兎士郎の言葉にうなずきつつ、ずっと同じ言葉を繰り返し、声がだんだん涙声になっている。

「兎士郎様っ!刑様っ!指輪で止まらないっ!次!」

 老人二人のゆるゆる加減に堪忍袋の緒が切れたのか、とうとう命令口調になる漣。

「そうだった。瞳子、指輪を外して、星を見せてくれ」
 兎士郎は、指輪の下にあった、星型の疵を触ると、溢れ出る涙を止められなかった。刑も兎士郎に倣って、瞳子の指の疵に触れる。
 老人二人は、とうとう抱き合って泣き出してしまった。

「お、おじいちゃんたち?どうしたの?ねぇ、大丈夫?」
 心配げに老人二人を覗き込む景子に『おじいちゃんと言うな!』と言い返して、また抱き合って泣いている。

 もはや呆れ果てたという(てい)の漣。

「二人は放っておきましょう。どれ、私にも見せていただけますか?」
 そういうと、指輪、瞳子の疵、それぞれを丁寧に見、徐に山椒の板を外すと、瞳子の指の疵に触れると目を閉じた。

 次の瞬間、のけ反ってひっくり返りそうになったのは、瞳子だった。
「やっだぁ!瞳子さんたら、いくら漣さんがイケメンだからって、手を触られたくらいで卒倒しちゃうなんてぇ」
 景子は能天気に笑うが、瞳子の顔は真っ青だ。

「瞳子さん、大丈夫かい?」
 ひっくり返りそうになった瞳子を後ろで支えたのは、雪兎だった。
「顔色が悪いけど、発作、出そうなのかい?」
「大丈夫。なんか、ドンって衝撃が走って、何かとんでもない量の映像が一気に流れ込んできたの」
 そう答える瞳子は息も浅く、顔には脂汗が滲んで、苦しそうに顔をしかめている。
「ほう、映像が・・・。何か見覚えのあるものは見えましたか?」
 たったいま倒れそうになり苦しそうにしている人間に言うようなトーンではない、淡々とした口調で尋ねる漣に、ずっと見惚れていた景子が素に戻った。
「漣さん、ちょっとそんな言い方・・・ウコさん、心臓が悪いんですよ。ちょっと落ち着くまで、待てませんか?」

 これに反応したのは、抱き合って涙にくれていた老人二人。
『ウトじゃと?瞳子ではないのか?ウトというのか?え?え?え?』

「『う』『こ』。『と』じゃなくて、『こ』!T、Oじゃなくて、K、O。わかる?おじいちゃんたち。瞳子の、『と』を取って、『ウコ』さん、なの!」

『おじいちゃんというな!』

「ウトじゃなくて、ウコなのか・・・これも偶然なのか?のう、刑殿」
「もうこれは、戻って青龍様に報告しても良いだろう」
「お二人とも、いずれにしても書類を整えねばなりませんので、いま少しお待ちを」
 なにやら幽世トリオだけが納得の会話をしているが、置いてけぼり感満載の現世トリオは顔を見合わせて苦笑している。

 漣は、もう一度だけと、瞳子の手を取って疵の上にもう片方の手を重ねて目を閉じた。
「うん。確かに…」

 納得したようにつぶやくと、今度は瞳子に向き直って言った。
「瞳子さま、私たちが幽世へご招待するのは、貴女様でございます。幽世へ渡るための、諸々の手続きがございます。手続き終了次第、ご連絡差し上げますね。幽世ツアーの日程は、それから決定しますので」
 言うだけ言うと、バタバタと片付け始め、老人二人は早くも玄関へ向かっている。

「ちょ、ちょっと待ってください‼」

 瞳子が3人の背に声を掛けた。

「なんなんですか?いったい…一方的に人を値踏みするような真似して、何がどうだったかもわからないまま、『幽世へどうぞ!』なんて言われても、『ハイ。そうですか』って、行けるわけないじゃない‼」

「は?行きたくないと?」
 漣が薄笑いしながら返した。
「あなたねぇ、その態度、どうかと思うわよっ」
「そうおっしゃいますが、瞳子様も幽世にいらっしゃりたいから応募なさったのでは?」
「私は別に…」
「いらっしゃりたくないと…?」
「特に行きたかったわけじゃないわよッ」
「そうでしたか…。それでは今回のお話は…」


『ちょぉーっと、待ったぁー‼』

 老人二人と景子が同時に割って入り、景子は瞳子に、兎士郎と刑は、漣に向かって諭し始めた。漣も瞳子もそっぽを向いて話を聞こうとしない。
 説得する3人とそっぽ向く二人の膠着状態が続くこと数分。

「アハハハハ…瞳子さんが言い出したら、引かないのはわかってたけど、漣クンもなかなかだねぇ、アハハハハ」
 膠着を引き剥がしたのは、雪兎だった。

「漣…『クン』?お前、俺をなんだと…」

「申し訳ないけど、面談が終わったいまは、僕は、ココ、この家の主人で、瞳子さんの夫だ。君は、この家のゲスト。客だ。客としてのマナーのあるひとには、敬意を以てもてなすけれど、そうでないひとには、相応の対応をさせてもらう。そして君は、幽世では神族だか何だかんだ知らないけど、ココへは『幽世ツアーズ』のスタッフとして来た。そうだろう?それなら、瞳子さんは君にとってお客様じゃないのかい?」

 漣は、雪兎をジッと見つめるが、その目に敵意がないのはわかる。

「とにかく、今日のところは、今日の結果を持ち帰って、書類を整えて来てください。そして、次回お会いするときには詳細を聞かせてもらいたいな。それから、瞳子さんがツアーに参加するかどうか決める。こういうことでどうかな?月影さんも烏頭さんも、それでいいですか?」

 雪兎に論破されたカタチの幽世チームは、また1週間前後に会う約束をして去っていった。
 二階座敷の宴会も高潮の時を超え、宴を後にする者、酔いつぶれて眠る者、皆の残り物と愚痴を肴にグダグダと飲み続ける者。卯兎と結卯、秋菟は、その間を縫うようにして片付けを始めていた。

「卯兎、これから風呂へ行くからな。あと、頼んだぞ」
 先に寝所へ引き上げていた黄龍が座敷に顔を出した。
「皆も、もうそこそこにして、片付けを手伝ってやれ!」

 『鶴のひと声』ならぬ、『龍のひと声』で、残っていた者も片付けを始めた。

 厨と座敷を何往復かして、ようやく片付けを終え、掃き掃除をしてゴミを持って厨に戻ると、裏で竹暁が宴会に使った竹や笹をまとめていた。
「竹暁、ありがとね。アンタが助けてくれなかったら、今日はダメだったわ。ホントに助かったわ。あ。食器にした竹は置いていってくれる?また、ココで使いたいから」
「卯兎、そう言うと思った。せっかく作ったし、紗雪がきれいに洗ってくれた。弥狐が乾かしてくれて、厨の棚に仕舞ってある」

 いまは、坊主頭の少年の人形ひとがたを取っている竹暁は、卯兎に御礼を言われて、照れくさそうに頭を掻きながら答えた。

「わぁー。みんな、気が利くね!ありがとう‼」
 竹暁に御礼を言いながら中へ入ると、厨の中もきれいに片づいていた。こういうことは、結卯の得意なところだ。
「結卯、ありがとうね。厨、きれいに片づけてくれて」
 卯兎の呼びかけに戻ってきたのは、結卯の嬌声。

 店の方を覗くと、結卯が鬼堂にしなだれかかっている。
 鬼堂の方は、明らかに迷惑そうな顔をして、体を躱そうとするが、結卯は逃さない。
「鬼丸ったら、やっだぁ〜」
 躱されても躱されても、、甘えたようにしなだれかかる結卯。酔っているのかと思いきや、目は猛獣が獲物を狩るときのソレだ。

 (鬼がウサギに狩られてちゃしょうがないわね)

 卯兎がそんなことを心でつぶやいたと同時に、結卯がしなだれ掛かる逆側に懐かしい顔を見つけた。
「あらあら、私が宴を仕切ってる間に、龍の置物が一体増えてない?晦かいっ!久しぶり〜。朔と晦が揃うだけでも珍しいのに、鬼丸もいて、懐かし過ぎるわぁ~」

『おー卯兎‼』

 置物三体(・・・・)が卯兎の声に答える。特に鬼堂など、これは好機とばかりに立ち上がって卯兎を迎えた。
 急に立ち上がられて、支えを失った結卯は派手な音を立てて床に激突。

「いっ痛ぁーい」

 結卯が頭を抱えながら立ち上がるのを「大丈夫かい?」と優しく声を掛けながら助け起こしたのは、青龍とそっくりの、晦・蒼龍(かい そうりゅう)だ。

 蒼龍は、朔・青龍の双子の兄で、幼名を「(かい)」。

 『朔』は、はじめ。『晦』はおわり。
 そういう漢字の意味からすると兄弟逆のようだが、月は暗い新月から始まる。月のない日を表す『晦』はそういった意味では、最初ともいえる。
 『朔』自体にも新月の意味があり、双子にはピッタリの名だったと言えるかも知れない。
 その兄弟は、いまや『黄龍・八龍』入りする、青龍と蒼龍である。

 龍族は、幽世を治めるトップの一族。
 そのトップ・オブ・トップは、黄龍(おうりゅう)であり、その地位は世襲制ではなく、天啓により示される。
 黄龍の補佐に、白龍(はくりゅう)赤龍(せきりゅう)黒龍(こくりゅう)青龍(せいりゅう)上四龍(かみしりゅう)。この上四龍から、次代の黄龍が選ばれることが多い。が、それも天のみぞ知ることであり、絶対的なことではない。
 この四龍の下に、蒼龍(そうりゅう)金龍(きんりゅう)銀龍(ぎんりゅう)朱龍(しゅりゅう)下四龍(しもしりゅう)が控え、次の上四龍はここから選ばれる。そしてここまでの龍が、『黄龍の八龍』と呼ばれる、龍族の、いや幽世の上層部である。
 新たな八龍が選ばれるのは、その籍が空くとき。
 しかし神族である龍は、基本的に不老長寿。その死は、神氣を失うときに迎える。いつ、どうして、神氣が失われるのか⁉誰も知らない。まさに「天のみぞ知る」天命なのだ。
 それはある日突然、プツンと失われるものではなく、その兆候が現れ始め、徐々に失われていく。八龍の誰かの神氣が失われ始めると、時の黄龍と選ばれし龍に天啓が下される。
 黄龍には、直感のような報せとして。選ばれし龍には、その髭の色に現れる。
 通常、龍の髭には色がない。曇硝子のような無色の髭に、八龍のどれかの色が差し始め、徐々に濃くなっていく。龍が人形ひとがたを採ったとき、その髪の一房が髭に現れた色となるので、龍としていても人形であっても、天啓を受けたと一目瞭然である。
 黄龍となった龍は、また話は別である。神氣が失われても、すぐに亡くなることはない。自分の後継・黄龍の神氣が失われ始めると、その役目と命を終える。それまでは、虹龍(こうりゅう)として、時の黄龍の後見を務める。

 青龍である朔が、黄龍の天啓を受けたのは100年前。

 現・黄龍が気分がすぐれないと、神事を白龍に任せ、半年ほど床についた。
 その明けの神事の際に青龍を伴って現れ、次期・黄龍が青龍であるコトを告げると、皆に動揺が走った。なぜなら、その時点では朔は上四龍入りさえしておらず、八龍入りして銀龍になって間もなかったからだ。
 150年前、双子の兄・晦に遅れること50年で、銀龍として八龍入りした。
 奔放な朔より、物静かで柔和な晦の方が早く上四龍入りし、末は次期・黄龍だろうと、龍族・神族のみならず、神薙やあやかしたちでさえ、そう思っていた。

 しかし、黄龍の隣に鎮座する青龍の一房の髪は、根本から鮮やかな黄色が差し、その先は抜けるような青色に染まっていた。
 上四龍としての青龍への天啓と次期・黄龍への天啓が同時に朔に現れたのだ。
 これまでになかったことではないが、一番驚いたのは、時の青龍である。次期・青龍が現れたということは、自分の遠からぬ消滅を示されているのだから無理もない。

「黄龍の陰謀だ!息子贔屓だ!こんな横暴が許されるのかッ‼」
 大きく取り乱した。

「青龍っ!いい加減にしないかっ!お前の悪行を私が知らないと思ったか⁉上四龍であることを笠に、身分の低いあやかしを使って『ひと』たちをたぶらかしていたことを‼」
 その場にいた全員が猛抗議を奮っていた青龍から距離を取って、冷たい視線を向ける。

「なんでだ?お前も、お前も、お前も潤っていただろ‼私だけのせいなのか?」
 次々に指差された神薙、役人たちは、顔を背けて他の者の背に隠れている。
「心配するな、青龍よ。この償いはお前ひとりじゃない。関わった者全員が引責する。龍籍にあるものは、龍籍返上とし、その職を解く。『ひと』であるものは幽世での職を解き、現世へ戻したうえ、再び幽世へ踏み入れることまかりならんッ。そうと知らず関わったあやかしも可哀そうだが、罰を受けてもらう。鬼界の鬼たちのところで天狗堂からの沙汰を待て!」

 青龍の悪事に関わっていたであろう、神薙もひともあやかしも顔色を失っている。なかには、泣いて許しを乞う者もいる。震えてしゃがみこんでしまった者もいる。
 黄龍は、それらをジリッと見回し、最後に静かにしかし力強く言い放った。

「そうして…青龍の邪な行いに気づいたのちも数十年、『青龍自ら過ちを正してくれるだろう』と目を閉じていた私も黄龍の任を解かれる」

「これが天命である‼」


 これを機に、朔は四龍入りし、次期・黄龍としてその座に就いている。
 蒼龍・晦は、これを恨むことも羨むこともなく、弟・朔の前にひざまずき、心から寿ぎの言葉を述べた。青龍・朔は慌ててこれを止めようと、晦の腕を取り立たせようとしたが、晦は頑なにそれを拒み、頭こうべをより深く垂れた。

 このときから晦は朔と一緒に住んでいた屋敷を出て「月の丘」と呼ばれる、幽玄界の外れに居を構えた。
 生来、体が強くなかった晦は、同じ時期に幼少期を過ごした、卯兎や朔、結卯、鬼丸などと川や野山を駆け回って遊ぶことは少なく、書を読んだり、書いたり、絵を描いて過ごすことが多かった。
 『月丘蒼邸(げっきゅうのそうてい)』と呼ばれる屋敷で、いまもそうして過ごしていることが多いのだろう。街へ降りてくることがほとんどない。神事で幽玄館龍 別邸まで来ても、宴会には挨拶程度の顔出しに止とどめ、幽玄館に泊まることもせず、卯兎のいる『めし処』で静かに飲んで、食事をして帰っていく。

「晦、ホントに久しぶりねぇ。今日はどうしたの?神事にはいなかったのに…」
「ん?うーん・・・父さ・・・黄龍様に呼ばれてね。でも、ああいう宴の場所に入るのは苦手で、宴が終わるまでココでまたせてもらおうかなって」
「お前もか。俺は神事があったから、その後でって言われてたんだけど、その後すぐに宴になったから、ココに避難してた」
 見た目は瓜二つ。髪のひと房の色だけが違う、蒼龍と青龍がそれぞれに答える。

「黄龍様は、息子二人に何のご用だったのかしら?あ‼あ~~~忘れてたっ!お湯のあとに、一杯召し上がりたいって仰られてんだった」

 卯兎は、慌てて厨へ向かって、バタバタと準備を始めた。

 卯兎の背を見送り、盃にまた新たに酒を満たした鬼堂が盃を蒼青の双子龍にに向けながら言った。
「晦は、なかなか『月丘の蒼邸』からお出ましにならんから、気になさってお呼びになったんだろうが、朔なぞ、ちょこちょこ顔を合わせておるだろうに、いまさらなんの御用だったのかのぅ?」
「知るかっ!もうちょっとしっかりやれ!とかそんな話だろ。どうせ!」
 青龍はめんどくさそうに言い放つと、盃を大きく煽った。
「私だって、それなりに定期的にはご挨拶に行ってるから、思い当たることはないんだけどね」
 蒼龍は、散らかった卓の上を片付けながら答えた。
「お前さぁ、あんなに寂しい場所でよく一人でいられるな」
 片づけている蒼龍の手元を見ながら、鬼堂は自分の方がよほど寂しそうに尋ねた。
「鬼丸、いつもありがとう」
「な、なにがだよっ」
「子どものときから、鬼丸はいつも私のこと気に掛けてくれてたよね。みんなで山へ遊びに行けば、胡桃や木の実。川へ行けば沢蟹や川魚を持ってきてくれたよね。あまり外で一緒に遊べなかった私に。私が行けなかった日は必ず何かお土産持ってきてくれたよね」
「そうそう。ホント優しいんだよねぇ」
 ここぞとばかりに、鬼堂の腕に絡みつく結卯。
「そんなこと、ねぇよッ。ついでだから」

「ホッホッホッ。そういえば、晦の寝床の蚊帳の中に蛍をてんこ盛り連れこんだら、翌朝、蛍の死骸だらけ。乳母だった妖狐のお銀に、晦がこっぴどく叱られて、朝から掃除させられてたコトもあったのぅ…」

『父さんっ』
『黄龍様ッ』

「えぇ〜〜。黄龍様、いま、お部屋にお持ちしようと…」
 みんなの声を聞いて、晩酌の用意をした盆を掲げて、卯兎が厨から出てきた。

「おぉ、みな、ここにおったのか。卯兎、ここで良い。皆とココで寝酒をもらおう」
「父さ…黄龍様、こちらからお部屋の方へ伺おうと思うておりましたのに…」
「晦、堅いことはヌキだ。ここには身内しかおらん。晦、朔、父さんで良いではないか。のう、鬼丸?鬼堂とお呼びしたほうが良いかな⁉」
「黄龍様、もったいないことでございます。どうぞ『鬼丸』とお呼びつけくださいまし」
「で?何だったんだ?俺たちを呼びつけたのは?」
「朔、堅いことはヌキだと言うただろ。まずは、皆で一杯、やらんか?」

「あら…アタクシは、仲間はずれですの?母なのに」

『母さんっ』
『姫さまっ』

 姫龍は、優雅に滑るように室内に入ると、素早く双子龍の頭を搔き抱いた。
「元気にしてたの?」
「離せよ!ガキじゃあるまいし」
「母さん、心配かけてすみません。元気ですよ」

「おお。コレで全員揃ったの。卯兎、お前もここへ来て、一緒にやろう」
「ハイ…それでは皆に、改めて肴を用意してから参ります。先にお始めください」
「卯兎、わたくし、先ほどの御酒をいただきたいわ。まだあるかしら?」
「ハイ。姫龍さま、鬼桃を潰すのに少しお時間いただければ」

「なに?さっきの姫のための御酒か。わたしもそれがイイな」
「御大、アレは、卯兎がわたくしのために・・・用意してくれた、特別な御酒ですのよ?」
 またジャレあうようなやり取りを始めた黄龍夫妻の前に、潰した鬼桃を載せた皿と冷酒、二つの盃が差し出された。

「卯兎、さすがだな。よしっ。皆揃った。始めよう、懐かしの宴を!」
 コポコポと湯が沸き上がる音とコーヒーの薫りが心地よい。
 もう少しこのままでいたい…。
 そんな瞳子の鼻下に、温かい湯気とともにさっきまでよりも強いコーヒーの薫り。

「瞳子さん、そろそろ時間だよ」

 目をゆっくり開けると、コーヒーを瞳子の目の前に差し出した雪兎がいた。
「もうそんな時間?さっき目を瞑った気がするのに…」
「ほら。1時間は眠ってたよ」
 雪兎がコーヒーを啜りながら、棚の置き時計を指さす。
 時計のデジタルは「14:08」。
 オンラインミーティングが終わった13時前にソファに倒れこむように寝てから、もう1時間以上経っていた。約束の時間は15時だけど、準備に時間が掛かるだろう瞳子のことを考えて、早めに起こしてくれたんだろう。

 雪兎が用意してくれたコーヒーを手に、スマホでSNSのチェックを始めた。

「瞳子さん、いいのかい?そんなゆっくりしてて」
「何が?」
「い、いや…また、ファッションショーやらないの?」
「ファッションショーって…失礼ねっ。洋服なら、このままでいいわ。オンラインミーティングのままだから」
「あ。そ?ホントに?」
「なんで?ダメ?おかしい?」
「うーん・・・上はそれでイイんだろうけど、オンラインミーティングじゃなくて、リアルに会うわけだから、下のソレはどうかな?」
 雪兎が苦笑いしながら、瞳子の下半身を指さす。

「あ~~~~‼そーだった。オンラインだからいいやって、下はスウエット短パンのままだったぁ‼」
 
 カップを置いて、大急ぎでベッドルームへ走る瞳子の背中をコーヒーを飲みつつ笑いながら見送る雪兎。

「雪兎ぉー、コレ、どう?」
 着替えてリビングへ来た瞳子は、クルリとひと回りして見せた。
「うん。悪くないよ」

「悪くない?良くはないってことだよね?えぇ…どうしよ。じゃ・・・」
 またバタバタと寝室へ走る瞳子。
こんなことを繰り返しているうちに、もう時間は15時になろうとしている。

    ―ピ、ピン・・ポンッ♪  ピ、ピン・・ポンッ♪―

「え?もう?どうしよう・・・」
「いや、彼らじゃなく、景子ちゃんだと思うよ。僕が出るよ。瞳子さん、この間のパンツ、カッコ良かったよ。食事に行ったときに履いてたヤツ」
 そう言い残して、雪兎は玄関へ向かった。

「ウコさぁーん、いよいよですねぇ♪」
 景子の能天気な声が響いてきた。

    ―ピ、ピン・・ポンッ♪  ピ、ピン・・ポンッ♪―

「うわっ。今度こそ、彼らね」
 鏡の前で数度振り返りながらチェックして、迎えに出た。

「わ。ウコさん、そのパンツ、カッコいいですね♪」
「そう?ありがとう」
「だろ?」
 なぜか、雪兎の方が自慢げだ。

 雪兎がドアを開けると、恭しくお辞儀をしている先日の幽世トリオ。
 前回と同じ並びで席につくと、今回は雪兎が先にコーヒーを出した。
「お好きでしたよね?お二人とも」
『うむ』
 仰々しい頷き方の割には、好物のコーヒーを前にだらしなく目尻が下がっている、神薙の月影兎士郎と幽世の治安を守っているらしい烏頭刑。

「おぉ良い薫りぢゃ。やはりココのコーヒーは、ひと味違うのぅ。兎士郎殿」
「同じコーヒーなのに、我らが日々にいただいておるのとは違いますな。刑殿」
「あ。前回、あんな終わりになってしまったので、お渡しし損ねたコーヒー豆と、美味しい淹れ方のメモをこちらに置いておきますね」

『おぉ~‼ありがたい』
 雪兎が、コーヒー豆とメモの入った小袋をテーブルに置くが早いか、スッとテーブルから小袋が消えた。
 あまりの早業に、キョロキョロと周りを見回す、兎士郎と刑。
 薄い唇の口角を片側だけ上げて、凍り付くような笑みを見せる漣の指先で二つの小袋が揺れている。

『お~っ!返せ!我らのコーヒーっ!』
 猫じゃらしにじゃれつくように、小袋に手を伸ばす小さな老人2人。
 漣も猫をじゃらすかのように、上へ下へ、左へ右へ。

 現世3人の唖然とする視線を感じた漣が冷静に戻り、またまた素早い身のこなしで、2人の手元に小袋を置いた。

「オッホン!お二方、本来のお仕事をお忘れなきよう」

 天目漣が眉をひそめて、キツめに釘を差すが、二人はうれしげにコーヒーの小袋を抱えてどこ吹く風。

「漣クンは、コーヒー嫌いだったかな?紅茶もお茶もあるよ」
「いえ、おかまいなく。こちらをいただきます」
 漣が背筋を伸ばして、肘を水平にしてカップを持ち上げる様は、絵のようだ。
「イケメンは、何をしてもイケメンですねぇ」
 景子が惚れ惚れしながら、漣を見つめている。それを横目でチラリと見やって、静かにカップを置くと、漣が口を開いた。

「それでは、先日の面談の結果と今回の経緯(いきさつ)をご説明いたします。よろしいか?」

『はい。お願いします』

「まずは、面談の結果ですが…。こちらは、先日申し上げた通り、今回、こちらが探していた方は、盈月瞳子(えいげつ とうこ)様。あなた様で間違いございません。あれから幽世に戻りまして、再度、審査しましたが、間違いないということに…。えーっと、この間はバタバタとして、いろいろとご納得いただけなかったようですので、こちらの事情を少しお話させていただきます」

 ー 約500年ほど前の話になります。
 幽世に龍籍の神子・卯兎という者がおりました。
 彼女は龍籍の者ですから、そのままいれば、いまも私たちと一緒に過ごしていたことでしょう。
 『龍籍』と申しますのは、『龍神』の『籍』。「龍神」の『龍』、「戸籍」の『籍』と書きます。時の黄龍様…幽世の長たる方ですが…から、その『籍』を与えられた『ひと』が『龍籍』に入ることができ、その黄龍様がいらっしゃる限り、『神籍』にいる者と同じで不老長寿でいられます。
 まぁ、不老長寿と申しましても、老いは多少ありますが。でも『ひと』の速度に比べれば、かなり遅いものです。ー

「え~!幽世ってそんなシステムあるんですねぇ。聞きしに勝る不思議の国ぃ~」
 景子が感嘆の声をあげる。
「システムって…ま、まぁ、そうですね。こちらにいらっしゃる月影兎士郎様は『ひと』でいらっしゃいますが、『龍籍』に入られております」
「月影サンって、不老長寿っていう割には、結構なおじいちゃんじゃない。何千年生きたら、こんなになるのぉ?」
「お!お前、おじいちゃんって‼まだ、千年生きとらんわっ!龍籍に入ったのが遅かったのぢゃ!」
 それまでコーヒーを舐めるように飲んでいた兎士郎が、立ち上がって反論した。

「お話し中申し訳ございません。まだご説明はサワリでしかありませんっ」
 冷たい目線と口調を景子と兎士郎に向けて、漣が続きを話始めた。

 ― その卯兎様ですが、500年前のある日、龍籍を離れられ転生を望まれたのです。
 その際に、7回目の転生を終えられたら、幽世に戻られるだろうと黄龍様が仰られました。
 しかし、それまで卯兎様と一緒に転生を繰り返していた者が7回目の転生に一緒に転生で疵、卯兎様を見失ってしまったのです。ー

「ったく、昔から粗忽なヤツだったが、こんな肝心なとこでやらかしてくれるとはな」
 烏頭刑がカップの底を指で掬って舐めながらぼやいた。
「刑様っ‼はしたない真似、お止めくださいっ!」
 鬼のように怒った顔も美しい漣が刑に言い放った。

「烏頭さん、おかわりいかがです?」
 雪兎がキッチンからコーヒーポットを持ってきた。
「おぉ。いただくぞ!」
「私にもくれぃ!」
 ここぞとばかり、兎士郎もカップを差し出す。
 雪兎は苦笑しながら、二人のカップにコーヒーを足し、残りを自分のカップに入れると、キッチンで新しいコーヒーを淹れ始めた。

 ― 見失った卯兎様を我々で探し始めましたが、なかなかその足跡を掴めず…。
 手掛かりは、卯兎様の誕生月と月の暦。卯兎様と同じ髪と瞳の色。そして、左薬指の星型の疵。
 これだけは、何度転生を繰り返しても変わらないもの。
 八方手を尽くして、消息を掴み切れないことに業を煮やした青龍様の提案で、現世の方を一部、受け入れていこうと現世の長の方々に掛け合い、150年と少しぶりに幽世と現世の垣根を下げて、行き来できるようにしたのです。ま、ほんの一部の方たちですが。
 それでもなかなか見つからないものですから、今回の募集に至ったわけです。  —

「ここまではよろしいか?」

 漣はまっすぐに瞳子の目を見た。
 瞳子は、あまりにまっすぐな漣の視線に戸惑いながら、頷く。
「えぇ。でも、なぜそこまでして、その『卯兎』さんを探してるの?っていうか、その卯兎さんの生まれ変わりが私だっていうの?なぜ?髪や瞳の色なんて同じひとはいくらだっているし、2月の満月生まれだってこの世に何人いると?」

「そうですね。それについてはいろいろと根拠がありますが、一番はその星型の疵です」
 漣は、瞳子の左薬指を指した。

 ―髪色:濃茶
  瞳 :茶色
  生月:如月・満月
 これらは、確かにかなりの方々が当てはまります。ですが、髪色も瞳の色も普通の方がご覧になると同じ色に見えても、私たち幽世の者には、微妙な違いまで見分けることができるのです。—

「あぁ。それで、あんなに舐めるように髪の毛を見たりしてたわけね」
 瞳子は二人の老人が前回のときに、気味が悪いくらいに自分の髪の毛を矯めつ眇めつしていた姿を思い出した。

 ― 続けます。
 「如月(きさらぎ)の満月」
 生まれ「月」というのは、魂が何度生まれ変わっても、その魂の決められた「月」にしか生まれ出(いで)ないものなのです。
 「新月(しんげつ)」「繊月(せんげつ)」「三日月(みかづき)」「上弦(じょうげん)」「十日夜(とおかんや)」「十三夜(じゅうさんや)」「幾望(きぼう)」「望月(もちづき)」・・・いまは「満月」と呼ばれることの方が多いですね。「十六夜(いざよい)」「立待(たちまち)」「居待(いまち)」「臥待(ふしまち)」「更待(ふけまち)」「下弦」「有明」、「晦日」と月齢の分かれているなか、「幾望」「望月」「十六夜」が満月期と呼ばれる月域。
 卯兎様と同じ「月」の生まれは、カンタンに申し上げると『十四夜』。「幾望」と呼ばれる月齢ではあるのですが、「幾望」のなかでもかなり「望月」に近い月齢。
 もう少し詳しく申し上げますと、卯兎様は『十四夜』の月がまさに「満望月」にならんとする時刻にお生まれです。
 瞳子様のお生まれになったのは、現在の時刻で18:05。この日の「満望月」は23:50。
 見た目には変わらない満月ですが、満ちきるまでにあとほんの少し足りない。そんな時間にお生まれになったのが、卯兎様であり、その転生の瞳子様なのです。
 そして、肝心の「星型の疵」。これには、決定的なモノがございます。
 今回ご応募の方のなかに、タトゥと言う手法で入れてきた方やご自分で傷つけてきた愚か者もおりましたが、この疵はそんなものでは代わりにはならないのです。
 瞳子様、その疵は生まれつきおありになったでしょう?
 その疵には、あることがきっかけで「神氣」が宿っているので、わかるものが触れればその「氣」を感じ取ることができます。
 先日、面談の際にこちらのお二方が触れた途端に倒れそうになったのは、それほどに強い「神氣」がその疵からは発せられていたからです。  ―

「へぇ~そうなの?私なんか触っても全然、平気だけど?」
景子が瞳子の左手に手を重ねた瞬間、少しビクンっとした。
「もぅ、ウコさんこの指輪デカ過ぎですって、いま、龍の頭に指が引っかかちゃったじゃないですか」
 一瞬、その場の視線が景子に集まったが、景子の軽口に、場が一瞬和む。
しかし、瞳子の手を見ていた兎士郎と刑が、目を見合わせた。
漣も、ほんの一瞬だけ引き攣った表情を見せたが、すぐにいつもの冷静な漣に戻ってそのまま話を続けた。


「お前のような「ひと」の小娘に、青龍様の「神氣」がわかってたまるか‼」
「ゴホゴホッ!刑様っ!」
 漣の一喝に、口をすぼめて慌てて黙り込む刑を見て、皆が吹きだした。
 笑いが治まったところで、瞳子が尋ねる。

「だいたいはわかりました。それで?なんでこの時期に幽世に行かなきゃいけないの?このまま待てば、私ももうすぐ死ぬわ。死ねば、いずれ行かなきゃいけない場所でしょ。幽世って」
「瞳子さん、死ぬなんて言うなよ!」
 それまでキッチン近くの丸椅子に腰掛けて、黙って聞いていた雪兎が声を荒げた。
「雪兎、そんなに怒らないでよ。だって、もうこの歳だもの。おかしくはないでしょ?普通に考えてってことよ。今日・明日のことを言ってるんじゃないから」
「ウコさん、雪兎さん、心配してるんですよ。ここのところ、発作起こすことも少なくないし。私だって心配ですよ!」
「わかってる。景子も雪兎もありがとう。ゴメン。そんなにカンタンに死ぬって思ってるわけじゃないから」
 三人のやりとりが落ち着くのを待って、漣が答えた。

「そうですね。そこのところをご説明しなければならないかも知れませんね。どうでしょうか?兎士郎様、刑様」

 雪兎からもらったコーヒーの小袋を抱えながら、嬉々としながら匂いを嗅いでは眦を下げて「猫にまたたび」のごとく恍惚としている、兎士郎と刑。
 漣が咳払いをしても恍惚の世界から戻らない。

 ドンッ‼

 瞳子たち三人も飛び上がるくらいの勢いで、漣が足を踏み鳴らすと、二人の老人は本当に椅子から数㎝飛び上がって、小袋をギュッと抱きしめたまま漣に目を向けた。

「なぜ、この時期に瞳子様を幽世にお迎えせねばならないのか⁉その説明を差し上げなければならないのではっ?」
 漣が大きめの声で、ゆっくり、ハッキリ、キツめに二人に再度問いかけた。

 兎士郎と刑は、顔を突き合わせてコソコソと小声で話し始めた。
「…だから、そこは青龍様の…」
「しかし、それでは瞳子がのぅ…」
「そうは言うが、私の一存では…」
「まさしく、そこがちょっとなぁ」
『う~~ん』
 結局、結論は出なかったようだが、意を決したように兎士郎が口を開いた。

「瞳子、どうぢゃろ?それを知るためにも、一度、幽世へ来てみんか?お前の納得できる理由になるかどうかはわからんが、ココ現世ではわからぬことも幽世ならわかることもあると思うんだがのぅ…」

「と、瞳子って…この間も思ったけど、いきなり呼び捨て、『お前』呼ばわり、失礼じゃない?」
 瞳子は、兎士郎の問いには答えず、兎士郎の言動に不快感を露わにした。

「申しわけございません。こちらにいらっしゃる、月影兎士郎様と烏頭刑様は、こう見えて…」
『どう見えてなんぢゃ‼』  
 二人の老人のツッコミなどなかったかのように続ける漣。

「こう見えて、兎士郎様は神事省にて幽世全体の神薙を統べるお立場の方。刑様は、刑部省にて幽世の治安を守る者たちを統べていらっしゃる。現世で言うところの『総理大臣』と『警視総監』とでも申しましょうか。つまり、御二方の上には黄龍様とその八龍の皆様、黄龍様の奥方でいらっしゃる姫龍様しかいらっしゃいません。したがって、この方々以外の方に、敬語やへりくだった物言いをなさることはないのです。ご了承くださいませ」

『ソーリダイジン…』
『ケイシソーカン』
 目を白黒させつつ、二人の小さな老人を見やる現世トリオ。
「アハハハハ〜。ホントにぃ?ホントにこのちっちゃいおじいちゃんが幽世のケイシソーカン?うけるぅ〜」
 瞳子を呼び捨てにした失礼さを上回る失礼さ加減で大笑いする景子を冷たい目で一瞥して、漣がさらに続ける。
「先程お話申しあげました通り、兎士郎様は『ひと』ではありますが、龍籍の方。そして刑様は、烏天狗のあやかしでいらっしゃるのです」

「天狗?天狗って、あの天狗?」
 景子は、失礼を通り越している笑い方で笑い転げながら、自分の鼻に握り拳を付けて尋ねる。
「ソレは、何の意味でございましょうか?」
「え?天狗って言ったら、コレでしょ?鼻が高くて大きい…」
「あぁ〜あ。そういう意味でしたか。それは現世の方の創作物ですね。我々の言う天狗族とは、コチラですよ」

 猛禽類の鳥人間とでもいう風体の画像をタブレットに映し出した。

『えっ⁉』
 ぎょっとしたように、刑を見つめる現世トリオ。

「やっ、やっだぁ〜!漣さんたら、冗談がお上手なんだからぁ。この凛々しくて猛々しい感じの鳥さんと、このおじいちゃんが同じワケないですよねぇ」

「おのれ小娘、言わせておけば…」
 地の底から響くような声がしたかと思うと、ミシッミシッっと家の悲鳴のような家鳴がした。
さっきの画像がタブレットから抜け出て巨大化したかのような、天井にも届きそうな大きな烏天狗が見下ろしている。

『ひっ、ひぃー』
 瞳子を抱き寄せ、空いた片手で景子の肩を引っ張り壁際に寄せ、二人を庇うようにその前に雪兎が立った。


「刑様ッ‼刑様ッ‼……烏頭刑ッ‼」

 漣の怒声に、烏天狗はかき消すように消えて、前のテーブルには何事もなかったかのように刑がちょこんと座っている。
 ヘナヘナと床に腰を着く3人を漣が、それぞれ立ち上がらせ席に着かせ、ため息混じりに自分も席に戻った。

「我々あやかしは、本来の姿の他に『人形(ひとがた)()る』と申しまして、いまのように『ひと』の姿に見た目を変えることができます。本来の姿ならば、チカラは数倍になり大きさも自在に変えられます。現代では、本来の姿に戻るのは緊急事態のときくらいになりましたが…」

 まださっきの衝撃から現実に戻りかねている3人は、お互いに何かを確認するかのように顔を見合わせている。
「あれ⁉瞳子さん⁉苦しいんじゃないの?いまの衝撃で、発作かな?」
「うん…ちょっと出そうな感じかな。薬飲んでおく」
 立ち上がりかけた瞳子を座らせて、雪兎が薬と水を持ってきた。

「瞳子さん、心臓があまり良くないんですよ。急に驚かすようなことは止めてください」
 雪兎の言葉に、刑は、さっきの猛々しい烏天狗の姿など微塵も感じさせないほど、さらにちんまりとしている。

「すまん…。その小娘があまりにナメたことを言うのでの…つい…」
「確かに先ほどの景子ちゃんは、失礼でしたね。僕も謝ります。景子ちゃん?景子ちゃんも。ほら」
「えーっ。私のせいですかぁ?思ったこといっただけなのにぃ」
「景子、イイ歳して、アタマと口が直結してるその構造、なんとかしなさい。思っても、一旦、心に止めて考えなさいよ」
「ウコさんまでぇ〜。はいはい。すみませんでした。おじいちゃん」
「おじいちゃんと呼ぶなッ」
「刑様、刑様ももうほどほどに…」
「おぉ。漣、すまぬ。ん?いま、ふと思い出したが、お前、さっき儂を呼び捨てにしなかったか?ん?」

 猛禽類の眼力を取り戻した刑が漣を睨むが、漣に冷ややかに睨み返されて、その眼力を失った。

「さて、いろいろと話が逸れてしまいましたが、先ほどの兎士郎様のご提案、いかがでしょうか?瞳子様」