翌日、ビールの空き缶とおにぎりの袋を放置したまま、小さなテント内で目を覚ます。
襲われた直後になんという醜態かもしれないが、気配察知でなんとなく周囲がわかる。
一応、自信を持ったうえで眠った、ということをにしておこう。
テントから這い出るとまず小川で顔を洗い、昨日出来なかった釣りを再開した。
だが一時間、二時間、三時間経っても釣れず、場所が悪いのかと移動したら、昨日より小さなウルフがいた。
恐怖よりも、昨晩のビールとおにぎりが忘れられない。
釣りよりも狩ったほうが早い、冷静沈着のおかげだろうか、心が穏やかで狂喜に満ちている。
ゆっくりと近づき、今度は後ろから不意打ちで倒す。
罪悪感は多少あるが、これも生きる為だ。
昨日と同じ要領で投げ入れると、金額は350円だった。
なるほど、個体によって金額が違うのか。
そしてレベルがまた上がった。超成熟のおかげかわからないが、何とも言えぬ快感はある。
名前:キミウチシガ 28歳。
レベル:7⇒9
体力:C
魔力:C
気力:B
ステータス:やや興奮気味、寂しがり、
装備品:作業現場ワーカー上下(やや安い)、安全靴(やや硬い)、ナイフ
スキル:空間魔法Lv.2、冷静沈着Lv1、並列思考Lv1、解析Lv1、New:短剣術Lv2、気配察知Lv2、隠密Lv1
固有能力:超成熟、お買い物、多言語理解
短剣術や気配察知、隠密を習得したことから考えると、魔物と戦ったことや足音を殺して近づいたことが関係するのだろう。
となると、スキルを習得する為に必要なクエストのようなものが裏設定されているのかもしれない。
しかしステータスの寂しがり、は相変わらず消えていない。
「まあ、それもそうだよな」
ここへ来てから誰とも話していないのだ。ウルフとは対話なんて出来なかった。
昔飼っていた猫でもいれば違うのだが……。
『ピロロロン、ステータス寂しがりが基準値を超えました。状態を維持する為、魔獣召喚Lv1を習得しました』
「しょうか……ん?」
まさか……。流行る気持ちを抑えてテントまで戻ると、静かに詠唱してみる。
魔獣召喚。
何も起こらないと思っていたが、Nyamazonの時と違って今度は地面に黒い魔法陣が現れた。
するとそこから――もふもふの猫が現れた。だが、背中には小さな羽が付いている。
「にゃごろーん」
「これが、魔獣か……」
そして私に頭を擦りつけてくる。
これは……かわちぃ。
おじさんの心もきゅんきゅんだ。
「にゃん」
私の寂しがりゲージが、どんどん減少していくのがわかる。
やはり誰かと過ごすと心が洗われるようだ。
「そうだな……うむ」
Niyamazonを操作して購入、出てきたのは――チャールだった。
180円と少し高いが、猫の笑顔が見たい。
「にゃ……」
「大丈夫、ほら食べてごらん」
くんくんと匂ったあと、無我夢中でぺろぺろしはじめる。
その様子を見ていると、つい時間を忘れてしまったほど愛おしく見えた。
「はは、美味しいか」
「にゃん!」
その日、私はご飯を食う事も忘れてニャン太郎と遊んでいた。
だが――。
『召喚終了、5.4.3.2.1.消滅しました――』
そのままニャン太郎は消えてしまった……。
「そんな……」
もう一度詠唱してみたが、『魔力が足りません』と表示される。
ステータスを見てみると、マナがなくなっていた。
そういえばニャン太郎がいる間は魔力が消費しているような気分だった。
「そういうことか……」
四時間ほど待って再び召喚してみると、次に現れたのは小さなリスだった。
ニャン太郎ではなかったが、この子もまた可愛かった。そして小さい分、ニャン太郎よりも長く居てくれた。
理屈はわからないが、私の現在の心に寄り添うように魔物を召喚してくれるのだろう。
『魔獣召喚レベルが2になりました』
気づけばレベルが上がった。だが、リス次郎が消えた時、私の心がきゅっとなった。
これは諸刃の剣だ。
だからもう少し、本当に必要な時までは我慢しようと思った。
ニャン太郎やリス次郎にまた会える日まで、おじさん強くなるニャン……。
異世界転生してから一番の危機が訪れていた。
いや、普通に考えるとずっと危機なのだが、以前の仕事があまりにも過酷だったのでそうは感じられなかったのだ。
「腹減った……」
空腹である。
人間は不便だ。食べても食べても消化してしまう。
子供のように小石を川に投げつけながら、お腹をすりすり。
とにかく食べる物がない。
期待していた釣りは全然ダメだった。お買い物をしようにも価値のあるものがない。
ビールの底に残っていた水滴を少量摂取した後、ようやく覚悟を決める。
「そろそろ狩るか……♠」
テンションをあげたいので言ってみたが、やはりテンションは変わらない。
つまりただのおっさんの私が、モンスターを積極的に狩っていこうということだ。
一応、たまに魔狼の遠吠えは夜に聞こえてくる。
Nyamazonがあるので解体などはしなくてもいい、ただ倒せばいいのだ。
魔狼は一体650円、二体で1300円だ。つまり三体で1950円!
当たり前のことなのだが、自分を奮い立たせる為に言ったのである。
顔を洗って焚火の火を消すと、キャンプ用品を全て空間魔法に収納した。
その後、寂しいわけではないが、覚悟を決めて魔獣を呼び出す。
「いいのが出てくれよ」
『プルルルルルル?』
すると現れたのは、一体のスライムだった。
レベルはLv2、おそらく私の魔獣召喚レベルと比例しているのだろう。
「ぷいにゅにゅー?」
ドラゴンやフェニックスが出てくれるとありがたかったが、そう上手くはいかない。
スライムは私の頭の上に乗ると、ぷにぷにと鳴き声をあげながら、あっちだ、こっちだと教えてくれる。
言語を喋っているわけではないが、なんとなくわかる。
魔力探知能力に優れているのだろうか、今の私にはピッタリだ。
「ぷい郎、出来るだけ離れた場所から観察したい」
「ぷいにゅ」
わかった、ということらしい。
小さなナイフは、サバイバルナイフになっていた。
これもNyamazonから手に入れた物だ。
魔法があれば遠距離から攻撃できるのだが、ステータスには表示されていない。
他のスキル同様、何かきっかけが必要なのかもしれない。
一時間ほど歩いた後、ぷい郎が敵を見つけたらしく、ぷいぷいと教えてくれた。
森の影から覗いてみると、離れた場所に魔狼の群れがいる。
一匹ずつだと思っていたので、流石にこれは退かねば、と思っていたら、魔狼が私に視線を向けた。
「もしや……」
咄嗟に唾液をつけた指を風にさらしてみると、風下だったのだ。
すぐにその場から離れようとしたが、魔狼は獰猛な叫び声をあげ、凄まじい速度で走ってくる。
その数は五体、等価交換だと3250円、おにぎりにすると21個は買える。こんな時に冷静沈着は辞めて頂きたい。
「ガルルウウウウウウウウ!」
「覚悟を決めるしかないな……」
サバイバルナイフを構えると、魔狼は警戒したのか少し手前で止まった。だが私を囲むようにじりじりと前後左右に分かれていく。
一体でさえ手こずったのだ。絶体絶命に等しいかもしれない。
だが不思議と恐怖はなかった。
人はありえない状況に遭遇すると、心の辻妻を合わせる為に正常性バイアスというのが働くらしい。
自分にとって都合の悪い情報を無視したり過小評価する防衛本能の一つだ。
だが今この状況で一番危険なのはパニックだろう、冷静沈着と合わせて感謝していると、後ろの魔狼が唸った。
思わず反応して振り返る。だが次に前が、そして横のウルフが一斉に襲ってきた。
――罠か。
私は半ば夢中でナイフを振りかぶろうとした。
その時、不思議な事が起きた。
何かが、いやスキルが手助けしてくれる感覚があった。
誰かがそっと身体を支えてくれているかのように、回避行動、体重移動、攻撃方法、剣の達人ならばこうだよ、と赤ん坊の私に細胞レベルで教えてくれる。
まるでスローモーションとも思えるほどの感覚を味わいながら、気づけば飛び掛かってきた魔狼全ての息の根を――完全に止めていた。
『ピロピロリン、レベルが上がりました♪ 新たなスキルを習得しました♪ レベル10を超えたので、ボーナススキルを取得、選択してください』
名前:キミウチシガ 28歳
レベル:9⇒15
体力:C+
魔力:C+
気力:A
ステータス:心臓高鳴る、溢れる高揚感
装備品:作業現場ワーカー上下(やや安い)、安全靴(やや硬い)、サバイバルナイフ
スキル:空間魔法Lv.2、解析Lv1、短剣術Lv3、気配察知Lv2、隠密Lv1、冷静沈着lv2、魔獣召喚Lv2⇒3
New:格闘Lv1、君内剣Lv1
固有能力:超成熟、お買い物、多言語理解、New:能力解析
やはり超成熟のおかげだろう、レベルが一気に上がった。
その時、ボーナススキルを選んでくださいと、視界に映し出される。
①身体強化(弱)
➁騎乗術(弱)
③自然治癒(弱)
これだけじゃ何もわからないな……そうだ、解析を覚えたのか。
すると詳細が映し出される。
①身体強化(弱)、魔法耐性、防御耐性を向上させ、怪我を負いにくくなります。
➁騎乗術(弱) 、生物、機械に関わらず、基本的な操縦技術を身につけます。
③自然治癒(弱)、自己の軽傷や軽い病気であれば、一日程度で回復できるようになります。
こんなものが……。
どれも魅力的だが、いざ習得しようとなると悩んでしまう。
①は魅力的だが、効果のほどが不明だ。➁は今すぐに必要はないだろう。この世界に機械があるかどうかも甚だ疑問だ。
となると、③が安牌かもしれない。
軽い病気と言うのは気になるが、歯医者嫌いの私は虫歯がいくつかある。是非習得しておきたい。
何よりも体力が回復しやすくなるだろう……決まりだな。
「③の自然治癒(弱)だ」
『了承しました。スキルが適用されます』
すると体少し軽くなったような感覚に陥った。擦り傷だらけの身体が、ほわほわと温かみを感じる。
なるほど、これが自己治癒か。
10でボーナスだということは、次は20だろうか。
高鳴る鼓動を抑えながら、そういえばスライムは何をしていたんだと思って上を見ると、ガクガクブルブルと震えていた。
「もう大丈夫だよ」
「ぷ、ぷいにゅ……」
戦闘能力はなくとも、魔物察知能力がある。そう思えば贅沢は言えないか。
そんなことを考えていると、後ろっ! とスライムが教えてくれた。
「ピイイイー!」
見たこともない巨大なクモの魔物だ。
強そうだが、やはり恐怖はない。
「ふむ、次はどんなスキルを習得できるかな?」
私は、今まで浮かべたことのない笑みを浮かべてナイフを構えた。
初めての国は、深く眠っていた私の童心を呼び起こしていた。
不安はどこへやら、高鳴る鼓動を抑えるので必死だ。
「すごい……すごいな」
「ははっ、そんな面白いか?」
ヨーロッパ風の街並みだが、大きく違うのは人種だ。
垂れ下がった犬耳、猫耳、かと思えば、普通の人もいる。
魔狼がいても、やはりどこかで異世界ではないのかもしれないと疑っていたが、これで確信した。
やがて馬車を路地の一角で止める。目の前には少し古い建物があった。
入口には使用人のような人が待機しており、馬車を預けて私も降りる。
どうやらビアードは私が思っていたよりも立派な商人のようだ。
Nyamazonを使って売買しながらお金を稼ごうとも考えていたが、ここでコネができるのはありがたい。
「古い屋敷だが中は広いぞ、部屋もいくつかあるから都合がいいんだ」
「都合がいい?」
「ま、見たらわかる。心配せず入りな。お前はあの妖魔の森を抜けてきたんだ。強さぐらいわかってる、悪さはしない」
妖魔の森……? そういえば途中から魔物が多かった。詳しく聞こうとしたが、建物の中に入った途端、そんなことは頭から消えてしまった。
お香のような匂い、壁に掛かっている絵画は、エルフやドワーフ、偉人のようにも思える。
天井は魔法陣で光り輝き、照明の代わりをはたしている。内装は、西洋を思わせる造りだ。
文明が混在している、だがそれが余計に私の好奇心をくすぐった。
彼の後を追って階段を上がっていくと、話の通り部屋がいくつもあった。
人の気配もするが、挨拶をすることもなく奥まで歩くと、応接間と思われる部屋に通された。
骨董品だろうか、壺や魔法の杖のようなものや、ここにも絵画が壁に飾られており、一目見て高価なことがわかった。
商人といっても様々なはずだ。古銭を扱うもの、骨董品を扱うもの、だが彼はそのどれも当てはまらないように思える。
ナイフを見た時のあの鋭い目は、気に入ったものを幅広く物を取り扱っている気がした。
その時、誰かが扉をノックした。
「失礼します」
――現れたのは小さな女の子だった。髪は金色の毛並みで、腰まで長い。
耳はピンと伸びており、おそらく……エルフだろうか。鼻筋が通っていて、青い瞳が輝いている。
「どうぞ、お客様」
「ありがとう」
ここで働くにしては随分と若いが、おしぼりのようなものを手渡してくれた。
彼女にお礼を言った後、ビアードが気にせず話し始める。
「色々と聞きたいこともあるが、さっきのナイフをもう一度見せてもらっていいか?」
「ああ、構わない」
少し不安はあったが、何が起きても対処できるだろうという謎の自信があった。
魔物を倒し続けていたという成功体験が、私の性格を大胆にさせたのかもしれない。
ナイフを受け取ったビアードは、しっかりと品定めをした後、ゆっくりと机に置いた。
「やはり良いものだな。それで、友人はどんなものを持ってるんだ?」
「色々だ。ただ間違いないのは、品質は良く、めずらしいものが多いだろう」
「ははっ、強気だな。ククリ、飲み物を持ってきてくれ」
「畏まりました」
彼は、先ほどのエルフの少女に声をかけた。ククリという名はわかったが、使用人だろうか。
この国での常識がまだわからないが、中学生ぐらいのように思える。
「あの子は?」
「西の森で死にかけてたところを拾った。だが幼過ぎて買い手がつかねえ。エルフのくせに魔法が使えないのが致命的だ」
「買い手? ――もしかして……彼女を売っているということか?」
「ああ、もしかして奴隷が非合法の田舎から来たのか?」
今まで好感を持っていたのが、嘘のように熱が引いていく。
だが歴史上、奴隷はどこの世界もあるものだ。
彼女が死にかけていたという発言からも、一概にこの状況が悪いとはわからないが、何ともいえない気分になってしまう。
その時、ハッと部屋が多いほうがいいという彼の言葉に気づく。
「もしかして……この家にある部屋には……」
「そうだ。でも勘違いするなよ。俺は三流奴隷商人じゃない。商品は大事にするし、クソみてえなやつには売らねえ。実際、ククリは自らここへ来た」
彼の口調はぶっきらぼうだが、確かにククリの身なりは整えられていた。
言葉遣いも丁寧だったところをみると、粗末な扱いはしていないのだろう。
だが元気がないのは……いや、親が亡くなったなのだから、当たり前か。
それより――。
「魔法が使えないと買い手はつかないのか?」
「そりゃそうさ、奴隷ってのは基本的に戦闘要員だ。家で囲って愛でるだけなんざ一部の道楽者しかしねえ。そんなことも知らないのか?」
「ああ、そうか……いや、そうだな」
無知な自分が酷く恥ずかしい。
そして話の途中で戻って来たククリが、私に飲み物をくれた。目が合った瞬間、少しだけニコリと微笑んでくれたが、逆に心が痛くなる。
可哀想、というのは私のエゴだろうか。
彼に言ってククリを離れさせた後、好奇心か、いやよくわからない感情のままに、彼女の値段を訊ねてみた。
「そうだな、6万ペンスってところだ。魔法が使えなくても、あいつは容姿がいい」
「6万ペンス……例えば、このナイフはいくらになる?」
そういえば、私はこの世界の通貨のことを知らなかった。
値段を訪ねてもわかるわけがない。それがいくらなのか、さっぱりわからない。
「俺が買い取るなら――5000だな。ちなみに言っておくが、これでも良心的だぜ」
金額が高いか安いかではなく、少女の値段がサバイバルナイフ十二本分だということ驚いた。
同時に気づく。
この世界の命は――間違いなく軽い。
「どうした、ククリが欲しいのか?」
「いや……」
自分でもわからなかった。だが初めての出来事を目の当たりにしたのだ。解放してあげたい気持ちが湧いてくるのは当然の感覚だろう。幸い、私には魔物を倒して得た9500円がある。サバイバルナイフの値段は一本1850円だ。足りない分は魔物を倒しにいけば数日で貯まる。
少しの苦労で、彼女を解放することができる、その事実が、私の心を揺れ動かせた。
「ちなみに言っておくが、明日、ククリは東のゴルドー国へ行く。勘違いさせたくないが、売る為に嘘をついてるんじゃない。買い手がつきそうな富豪がいるんだ。さっきの言葉と真逆だが、そいつはガキが好きなんだとさ」
「売る為じゃないといっておきながら……その割には私の心を揺さぶってくるじゃないか」
ニヤリと笑う彼は、商売をわかっているようにも思えた。
子供を売買することを真剣に悩んでいる自分に嫌気がさしたが、この衝動は、抑えられない。
「買おう。ナイフと交換でお願いしたい」
「毎度ありがとよ、ちなみに初物だ」
「……それはいい。だが頼みがある。数日だけ待ってくれないか? 今手持ちが五本分しかない。必ず買う、色もつけよう」
この交渉が決裂すれば、ククリは私の目の前から消える。だが――。
「数日と言わずに数週間待とう。それに今日、ククリのやつを持っていってもいい」
「……いいのか? なぜだ?」
「ははっ、自分から言っといて逆に質問するなよ。俺はこれでも目利きがいいんだ。お前が嘘をいってないこと、ここで恩を売ったほうがいいことぐらいわかってる。けどまあ色はつけてくれよ」
ふむ、やはり彼はそこまで悪いやつではないみたいだ。
友人から残りのナイフを取りに行くと嘘をついて外に出ると、少し時間を潰して、Nlyamazonからナイフを購入した。
彼は私が間違いなく戻って来ると思ったのか、ククリは外行き用の服に着替えて待っていた。
だが少し不安気に私の顔を覗き込み、「よろしくお願いします」と言った。
「じゃあなククリ、お前は幸運だ。シガ、俺は当分この屋敷にいる。他にも困ったことがあったら訪ねてこい」
「すまないな。――じゃあ、行こうか。ククリ」
「は……はい」
なぜかわからないが、私は屋敷から逃げるような気持ちで外に出た。人を買ったという事実から早く逃げたかったのか、理由は定かではない。
その罪悪感を消すかのように、外に出て少し歩いた後、しゃがみ込み、ククリに声をかけた。
「すまない。実は衝動で行ってしまった。私は君に何かさせるつもりはない」
「衝動……?」
「ああ、奴隷として……その、買ったんじゃない。君を解放する為なんだ」
「解放……私をですか?」
「そうだ。君はもう自由だ。何処へ行ってもいいし、何をしてもいい。お金がないなら、私が少し都合をつけよう」
どう考えても偽善行為だ。あの屋敷には部屋はいくつもあった。もしかしたら、ククリと同じ年齢の子供もいたのかもしれない。
けれども、私に後悔はない。
幼い頃、私は、父親と母親を事故で亡くし、親戚の家を点々とした。
その時の思い出はあまりいいものではない。それが、彼女と重なったのだ。
何度もするつもりはない、ただ理屈ではなかった。
「でも、行く所がない……」
その言葉で、ハッとなった。どやら私の頭は、平和な世界のままだったらしい。
解放さえすれば喜ぶと思っていたが、普通に考えたらそんなわけがない。
衣食住にくわえて、安全面も考慮しないといけない。考え方によっては、以前よりも危険な状態なのかもしれないと猛省した。
「私はバカだ……」
大きなため息を吐いて項垂れるような声を出してしまう。
だが笑い声が聞こえた。
「ふふふ、ご主人様は、凄くお優しい方なんですね」
「どうだろうな……その、ご主人様ってのはやめてくれないか。私の名前は志賀というんだが、シガって呼んでくれるか」
「シガ様ですか?」
「ああ、様はいらないが……。とりあえず今すぐに放りだすのは身勝手だとわかった。とりあえず、君が落ち着けるまで私が責任もって面倒を見よう」
「ありがとうございます。てっきり……エッチなことをされると思ってたので」
「そ、そんなことはしないぞ!?」
「はい、でも望むのならいつでも」
といっても、異世界に来て初めての買い物が、食べ物でも武器でも防具でもなく、子供のエルフだなんて……普通はそうだよな。
だが彼女の笑顔を見ていると、なんだか落ち着く。
おそらく私のステータスに、寂しいとは書かれていないだろう。
「それでシガ様、今日はどこにお泊りになるのですか?」
「……あ」
気づけば夜になっていた。
敵を倒してはお金に替えてを繰り返していると、次第にレベルも上がっていた。
生きたままの魔物をNyamazonに入れて見たらどうなるかとやってみたが、それは出来なかった。
ステータスも軒並み上昇。
レベルが15から17しか上がってない所を見ると、必要経験値が高くなってきたのだろうか。
そしてようやく、念願の魔法を覚えたのだ。
キャンプをしている時に、火を、顔を洗っている時に水を、風が心地よかった時に風を、転んだ時に土を。
最後は情けないが、とにかく覚えたのである。
スキル:空間魔法Lv.2、解析Lv1、短剣Lv3、気配察知Lv2、隠密Lv1、冷静沈着lv2、魔獣召喚Lv2⇒3、格闘Lv1、君内剣Lv1
New:火魔法Lv1、水魔法Lv1、風魔法Lv1、土魔法Lv1、魔法糸Lv1。
更にもう一つ、魔法糸、というのを覚えた。
おそらくスパイダーの攻撃を受けたことが要因だが、手の平から魔力の糸を出せるようになったのだ。
少し不気味だが、とはいえ貴重なスキル。
ゴムのように伸び縮みするし、裁縫が出来そうな小さな糸も出せる。
また色々と調べてみようと思う。
Nyamazonの貯金残高は9500円、なんとビールワンケースを買える勢いだ。
思わず頬が緩む。
近くの川で顔を洗おうとしたら、自身が返り血に染まっている事に気づく。
「……人の心は忘れないようにしないとな」
戦闘は楽しいが、道徳まで無くしたくはない、そんな思いを胸に抱き、顔を上げると、遠くに灯りが見えた。
知らないうちに随分と森を突き進んでいたのだろう。あれは――街だ。
この世界の知識はないが、言語理解があれば人と対話をすることはできるはず。
一晩山で過ごし、早朝向かってみるか。
考えていたことがある。
Nyamazonで購入したアイテムを売れば、もしかしたら高く売れるんじゃないのか、と。
幼い頃、親のお使いを頼まれた時のような不安と高揚感。
逸る気持ちを抑え身体の血を綺麗にふき取ると、空間魔法からキャンプ用品を取り出し、テントを設営して中に入る。
そして召喚した魔獣のハム三郎を抱きしめながら、ぐっすりと眠った。
◇
「凄いな、結構大きな街だな、いや国か」
近づくとその全貌が見えてきた。
高い壁に囲まれた国、行商のような者、一般人、兵士のような人たちが出入りしている。
特に何か見せている様子はないが……怪しまれないだろうか。
自分の恰好を確かめてみると、完全なる作業着。
「これは……どうなんだ」
その時、カッポカッポ馬車の音が聞こえてきた。
積み荷は少なく、どうやら何かの帰りだろうか。
馬を操っているのは、ふくよかで穏やかそうな男性だった。
……そうか。
「すみません」
「……ん? なんだ君は?」
声を掛けると馬を停止させてくれた。
だが眉をひそめて私を見る。
この格好のせいだろうか。ということはやはり変わっているのだろう。
だが止まってくれるということは、悪い人ではないと思った。
「田舎から来たのでわからなくて……あの国に入るには何か必要ですか?」
「田舎……ねえ? 確かに身なりはボロボロだが……どうやってここまで来たんだ?」
「森を抜けてました」
「森? この森をか?」
「はい、途中魔物に出くわしましたが、倒しつつ」
「ほう、そこそこ腕はあるのか。あそこはオーリアという国だ。その恰好なら許可証がないと怪しまれるだろう」
「やはりそうですか……」
事前に教えてもらって良かったが、問題が解決したわけではない。
一か八かで入国しようとしてもいいが、捕まったりしないだろうか。
やはり国はまだ早いか……。
「入りたいのか?」
「え?」
「オーリアだ、そうなのだろう」
「ええ、はい。ですが、許可証は持ってなくて……」
「だろうな。だが育ちは悪くなさそうだ。言葉遣いがしっかりしている」
「ありがとうございます」
どこか私を品定めするかのように見た後、何かを考えこんだ。
「俺の名前はビアードだ。商人で色々な国を渡り歩いている。それで訊ねたいが、何か珍しいものでも持ってるか? それ次第では付き人だと伝えよう」
「珍しい物ですか?」
なるほど、やはり商人だったのか。積み荷を降ろして戻って来た、ということなのだろうか。
空間魔法にはいくつか入っているが、人前で見せるのは少し不安だ。
ゴソゴソとポケットを探るが何もない。
唯一身に着けていたものはサバイバルナイフだった。
「でしたら、こちらはどうでしょうか? 傷つけることはしません、どうぞ手に取ってみてください」
逆手に持ってナイフを手渡すと、ビアードさんはすぐに驚いて声をあげた。
「精巧な作りだな……耐久性も高そうだ。これはどこで?」
「私の田舎で作っていたものです。あの国に古い友人がいまして、他にも珍しいものはいくつか」
「ほう……」
嘘も方便だが、商人ならこの物言いだけでわかるだろう。
つまり珍しい物を今後も譲ることができるという意味だ。彼にとってもコネが出来るかもしれない。
「頭も切れるようだな。ナイフは返そう。取らぬワイバーンの皮算用、俺の好きな言葉だ。国に着いたら色々と話を聞かせてくれ。お前に恩を売れば得になる気がする。どうだ? 国に入りたいか?」
差し出された手、交渉成立だ。
偶然の出会いだったが、どうやら出会いのスキルも習得していたらしい。
「キミウチシガだ、よろしく」
「シガか、いい名前だ」
そうして私は馬車の後ろに乗り込むと、少年のように高鳴る鼓動を抑えながら、門をくぐった。
初めての国は、深く眠っていた私の童心を呼び起こしていた。
不安はどこへやら、高鳴る鼓動を抑えるので必死だ。
「すごい……すごいな」
「ははっ、そんな面白いか?」
ヨーロッパ風の街並みだが、大きく違うのは人種だ。
垂れ下がった犬耳、猫耳、かと思えば、普通の人もいる。
魔狼がいても、やはりどこかで異世界ではないのかもしれないと疑っていたが、これで確信した。
やがて馬車を路地の一角で止める。目の前には少し古い建物があった。
入口には使用人のような人が待機しており、馬車を預けて私も降りる。
どうやらビアードは私が思っていたよりも立派な商人のようだ。
Nyamazonを使って売買しながらお金を稼ごうとも考えていたが、ここでコネができるのはありがたい。
「古い屋敷だが中は広いぞ、部屋もいくつかあるから都合がいいんだ」
「都合がいい?」
「ま、見たらわかる。心配せず入りな。お前はあの妖魔の森を抜けてきたんだ。強さぐらいわかってる、悪さはしない」
妖魔の森……? そういえば途中から魔物が多かった。詳しく聞こうとしたが、建物の中に入った途端、そんなことは頭から消えてしまった。
お香のような匂い、壁に掛かっている絵画は、エルフやドワーフ、偉人のようにも思える。
天井は魔法陣で光り輝き、照明の代わりをはたしている。内装は、西洋を思わせる造りだ。
文明が混在している、だがそれが余計に私の好奇心をくすぐった。
彼の後を追って階段を上がっていくと、話の通り部屋がいくつもあった。
人の気配もするが、挨拶をすることもなく奥まで歩くと、応接間と思われる部屋に通された。
骨董品だろうか、壺や魔法の杖のようなものや、ここにも絵画が壁に飾られており、一目見て高価なことがわかった。
商人といっても様々なはずだ。古銭を扱うもの、骨董品を扱うもの、だが彼はそのどれも当てはまらないように思える。
ナイフを見た時のあの鋭い目は、気に入ったものを幅広く物を取り扱っている気がした。
その時、誰かが扉をノックした。
「失礼します」
――現れたのは小さな女の子だった。髪は金色の毛並みで、腰まで長い。
耳はピンと伸びており、おそらく……エルフだろうか。鼻筋が通っていて、青い瞳が輝いている。
「どうぞ、お客様」
「ありがとう」
ここで働くにしては随分と若いが、おしぼりのようなものを手渡してくれた。
彼女にお礼を言った後、ビアードが気にせず話し始める。
「色々と聞きたいこともあるが、さっきのナイフをもう一度見せてもらっていいか?」
「ああ、構わない」
少し不安はあったが、何が起きても対処できるだろうという謎の自信があった。
魔物を倒し続けていたという成功体験が、私の性格を大胆にさせたのかもしれない。
ナイフを受け取ったビアードは、しっかりと品定めをした後、ゆっくりと机に置いた。
「やはり良いものだな。それで、友人はどんなものを持ってるんだ?」
「色々だ。ただ間違いないのは、品質は良く、めずらしいものが多いだろう」
「ははっ、強気だな。ククリ、飲み物を持ってきてくれ」
「畏まりました」
彼は、先ほどのエルフの少女に声をかけた。ククリという名はわかったが、使用人だろうか。
この国での常識がまだわからないが、中学生ぐらいのように思える。
「あの子は?」
「西の森で死にかけてたところを拾った。だが幼過ぎて買い手がつかねえ。エルフのくせに魔法が使えないのが致命的だ」
「買い手? ――もしかして……彼女を売っているということか?」
「ああ、もしかして奴隷が非合法の田舎から来たのか?」
今まで好感を持っていたのが、嘘のように熱が引いていく。
だが歴史上、奴隷はどこの世界もあるものだ。
彼女が死にかけていたという発言からも、一概にこの状況が悪いとはわからないが、何ともいえない気分になってしまう。
その時、ハッと部屋が多いほうがいいという彼の言葉に気づく。
「もしかして……この家にある部屋には……」
「そうだ。でも勘違いするなよ。俺は三流奴隷商人じゃない。商品は大事にするし、クソみてえなやつには売らねえ。実際、ククリは自らここへ来た」
彼の口調はぶっきらぼうだが、確かにククリの身なりは整えられていた。
言葉遣いも丁寧だったところをみると、粗末な扱いはしていないのだろう。
だが元気がないのは……いや、親が亡くなったなのだから、当たり前か。
それより――。
「魔法が使えないと買い手はつかないのか?」
「そりゃそうさ、奴隷ってのは基本的に戦闘要員だ。家で囲って愛でるだけなんざ一部の道楽者しかしねえ。そんなことも知らないのか?」
「ああ、そうか……いや、そうだな」
無知な自分が酷く恥ずかしい。
そして話の途中で戻って来たククリが、私に飲み物をくれた。目が合った瞬間、少しだけニコリと微笑んでくれたが、逆に心が痛くなる。
可哀想、というのは私のエゴだろうか。
彼に言ってククリを離れさせた後、好奇心か、いやよくわからない感情のままに、彼女の値段を訊ねてみた。
「そうだな、6万ペンスってところだ。魔法が使えなくても、あいつは容姿がいい」
「6万ペンス……例えば、このナイフはいくらになる?」
そういえば、私はこの世界の通貨のことを知らなかった。
値段を訪ねてもわかるわけがない。それがいくらなのか、さっぱりわからない。
「俺が買い取るなら――5000だな。ちなみに言っておくが、これでも良心的だぜ」
金額が高いか安いかではなく、少女の値段がサバイバルナイフ十二本分だということ驚いた。
同時に気づく。
この世界の命は――間違いなく軽い。
「どうした、ククリが欲しいのか?」
「いや……」
自分でもわからなかった。だが初めての出来事を目の当たりにしたのだ。解放してあげたい気持ちが湧いてくるのは当然の感覚だろう。幸い、私には魔物を倒して得た9500円がある。サバイバルナイフの値段は一本1850円だ。足りない分は魔物を倒しにいけば数日で貯まる。
少しの苦労で、彼女を解放することができる、その事実が、私の心を揺れ動かせた。
「ちなみに言っておくが、明日、ククリは東のゴルドー国へ行く。勘違いさせたくないが、売る為に嘘をついてるんじゃない。買い手がつきそうな富豪がいるんだ。さっきの言葉と真逆だが、そいつはガキが好きなんだとさ」
「売る為じゃないといっておきながら……その割には私の心を揺さぶってくるじゃないか」
ニヤリと笑う彼は、商売をわかっているようにも思えた。
子供を売買することを真剣に悩んでいる自分に嫌気がさしたが、この衝動は、抑えられない。
「買おう。ナイフと交換でお願いしたい」
「毎度ありがとよ、ちなみに初物だ」
「……それはいい。だが頼みがある。数日だけ待ってくれないか? 今手持ちが五本分しかない。必ず買う、色もつけよう」
この交渉が決裂すれば、ククリは私の目の前から消える。だが――。
「数日と言わずに数週間待とう。それに今日、ククリのやつを持っていってもいい」
「……いいのか? なぜだ?」
「ははっ、自分から言っといて逆に質問するなよ。俺はこれでも目利きがいいんだ。お前が嘘をいってないこと、ここで恩を売ったほうがいいことぐらいわかってる。けどまあ色はつけてくれよ」
ふむ、やはり彼はそこまで悪いやつではないみたいだ。
友人から残りのナイフを取りに行くと嘘をついて外に出ると、少し時間を潰して、Nlyamazonからナイフを購入した。
彼は私が間違いなく戻って来ると思ったのか、ククリは外行き用の服に着替えて待っていた。
だが少し不安気に私の顔を覗き込み、「よろしくお願いします」と言った。
「じゃあなククリ、お前は幸運だ。シガ、俺は当分この屋敷にいる。他にも困ったことがあったら訪ねてこい」
「すまないな。――じゃあ、行こうか。ククリ」
「は……はい」
なぜかわからないが、私は屋敷から逃げるような気持ちで外に出た。人を買ったという事実から早く逃げたかったのか、理由は定かではない。
その罪悪感を消すかのように、外に出て少し歩いた後、しゃがみ込み、ククリに声をかけた。
「すまない。実は衝動で行ってしまった。私は君に何かさせるつもりはない」
「衝動……?」
「ああ、奴隷として……その、買ったんじゃない。君を解放する為なんだ」
「解放……私をですか?」
「そうだ。君はもう自由だ。何処へ行ってもいいし、何をしてもいい。お金がないなら、私が少し都合をつけよう」
どう考えても偽善行為だ。あの屋敷には部屋はいくつもあった。もしかしたら、ククリと同じ年齢の子供もいたのかもしれない。
けれども、私に後悔はない。
幼い頃、私は、父親と母親を事故で亡くし、親戚の家を点々とした。
その時の思い出はあまりいいものではない。それが、彼女と重なったのだ。
何度もするつもりはない、ただ理屈ではなかった。
「でも、行く所がない……」
その言葉で、ハッとなった。どやら私の頭は、平和な世界のままだったらしい。
解放さえすれば喜ぶと思っていたが、普通に考えたらそんなわけがない。
衣食住にくわえて、安全面も考慮しないといけない。考え方によっては、以前よりも危険な状態なのかもしれないと猛省した。
「私はバカだ……」
大きなため息を吐いて項垂れるような声を出してしまう。
だが笑い声が聞こえた。
「ふふふ、ご主人様は、凄くお優しい方なんですね」
「どうだろうな……その、ご主人様ってのはやめてくれないか。私の名前は志賀というんだが、シガって呼んでくれるか」
「シガ様ですか?」
「ああ、様はいらないが……。とりあえず今すぐに放りだすのは身勝手だとわかった。とりあえず、君が落ち着けるまで私が責任もって面倒を見よう」
「ありがとうございます。てっきり……エッチなことをされると思ってたので」
「そ、そんなことはしないぞ!?」
「はい、でも望むのならいつでも」
といっても、異世界に来て初めての買い物が、食べ物でも武器でも防具でもなく、子供のエルフだなんて……普通はそうだよな。
だが彼女の笑顔を見ていると、なんだか落ち着く。
おそらく私のステータスに、寂しいとは書かれていないだろう。
「それでシガ様、今日はどこにお泊りになるのですか?」
「……あ」
いい匂いがする。
久し振りのような、初めてのような匂いが鼻腔をくすぐる。
「おはようございます。シガ様」
「シガ……え、だ、誰だ!?」
エルフの少女は、首を傾げる。そうか、いや、そうだ。彼女はククリだ。
私が――買った少女だ。
「この宿は朝食が出ないので、パンを購入してきました。あ、もちろん費用は結構です! その、少しばかりのお礼です!」
「……ありがとう、これではどっちが主人だかわからないな。いや、私たちは対等だが」
私は何もかも無計画だった。この街の事も知らない、食べ物も、しきたりも。
だが彼女はそれなりに長い間この国で暮らしていたので、安い宿を教えてくれた。
わずかばかりではあるが給付金も頂いていたらしく、そこから私の宿泊代も出してくれた。
不甲斐ないが、更に朝食まで用意してくれている。
この歳になって養ってもらっているような気分だが、事実、私の知識は赤子と変わらない。
「それとシガ様、奴隷紋を付けないでくれたこと、本当にありがとうございます」
ククリは、ペコリと頭を下げる。
奴隷紋とは、首や腕、とにかく第三者にわかるように見せつける所有物の証だそうだ。
昨晩、彼がククリに刻み込もうとしたところを止めたのである。
『おい、わかってるのか? これが無きゃ逃げられても知らねえぞ。ククリは従順で良い奴だが、それでもわからねえぞ』
『その時はその時だ。私は既に罪を犯した。商売にとやかく言うつもりはないが、私が嫌なのだ』
『……ははっ、やっぱり変わってるなお前』
奴隷紋を付けていると、解放されたとしても痕を消すのに一苦労するらしい。
私はククリを生涯の奴隷とするつもりもないし、今もそうは思っていない。
そんなリスクを、彼女に負わせたくなかった。
「ここのパン、ふわふわで美味しいんですが、時間が経つと固くなっちゃうんです。早く食べないともったいないですよ」
「ああ、ありがとう。――確かに美味いな」
「でしょ? あっ!? すいません。ですよね」
「構わないよ。多少の砕けた喋り方はむしろ嬉しいだけだ」
思っていたよりも、ククリは前向きで明るい子だ。
私の価値観はどうもこの世界とは合わなそうだが、それでもなんとかやっていけるかもしれない。
パンを食べながら今後のことを考える。
まず近くの魔物を狩ってお金を貯めて、それでククリの負債を完済する。
当面の目的はそれでいいだろう。
それ以降は、ゆっくりと世界を見て回りたい。
元の世界では旅行なんて行く暇も金もなかったが、能力《スキル》があれば何とかなる。
そういえば、ククリは魔法が使えないといっていたな。
――もしかすると。
「ククリ、ちょっとこっちに来てくれるか?」
「? はい」
昨日、人と出会ったばかりですっかり忘れていた。
もしかしたら、解析スキルは他人にも使えるのではないか? と。
試しにステータスと声に出してみたが、自分のしか出なかった。
無理なのか? いや……。
「ククリ、少し手を握るぞ」
「は、はい」
ステータス、オープン――。
名前:ククリ・ファンセント 年齢不明
レベル:2
体力:E
魔力:B
気力:C+
ステータス:緊張、やや興奮気味、
装備品:綿のシャツ、綿のスカート、綿の白下着、
スキル:魔法Lv:0、格闘Lv:1、料理Lv:2
「魔法がゼロ……レベル?」
「どうしましたか?」
「いや……」
変だ。魔法が使えないのならば、スキルに記載されていないはず。
レベルがゼロなのも違和感だが……何らかの理由でロックされている状態、ということか?
「ククリ、君は本当に魔法は使えないんだな?」
「はい……エルフは生来魔力が高いのですが、私は……申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ」
格闘スキルと料理はそのままだろう。ステータスが間違っているとも思えないが……念のため……。
「下着の色は白か?」
「え!? あ、は、はい」
「そうか」
どうやら間違ってもいないようだ。
おや、ステータスが、赤面に変わったぞ、なぜだろうか。
まあいいか、慌てるような話でもないし、ゆっくりと調べていけばいいだろう。
もういいぞ、と言おうと思ったが、ククリは震えていた。おそらく魔法が使えない事を再確認したのが、彼女が怖がらせてしまったのだろう。
私にはわからないが、魔法が使えないと商人が念押しするということは、この世界において凄く重要に違いない。
「……魔獣、召喚」
「え?」
「にゃおーん♪」
空中からにゃん太郎が落ちてくる。
ククリの膝の上に着地すると、ごろごろとネコナデ声をあげて頬をすりすりした。
「な、何ですかこの生き物!? ~~~~ッッッッ、か、かわいいです!」
「魔獣だ。私のスキルで生み出したんだ。制限時間はあるが、癒してくれるんだ」
「確かに……これは癒されますね……」
ククリは、笑顔を取り戻してくれた。いつも出すのに躊躇してしまうが、スキルを覚えていてよかった。
存分にニャン太郎を撫でた後、ククリは我に返ったかのように声をあげた。
「シガ様……そういえばさっき、魔獣っていいましたか?」
「ああ、それがどうしたんだ」
「……私の記憶が正しければ、魔獣を召喚できるのは……世界でほんの一握りです」
「そうなのか? といっても、他の魔法も使えるが……」
私は手の平からゆっくりと火、水、風、地を出した。まだレベル1なので大した事はないと思っていたが、ククリの様子が――変だ。
「な、な、な、な、な、な!? 四大魔法を一人で!? いや、それよりも魔獣もありましたよね? え、え、え、え、え ど、どういうことですか!?」
「いや……なんだ、普通じゃないのか? 練習すれば、誰でも使えるだろう。ほら、他にもこんなのがあるが」
私が糸魔法を出すと、ククリはもはや声を出せないぐらい驚いていた。
「魔法は一種類のみ、世界の大魔法使いでも、使えて二種だと聞いています。それに魔獣と合わせて糸魔法なんて固有能力は見たこともありませんよ!? シガ様、一体何者ですか!? こんなの、英雄を超えて世界征服できちゃうレベルですよ!?」
どうやら私は、無自覚に凄いことになっていたようだ。
ああ、どうしよう。
Niymazonのこと、話したらどうなるのだろう。
「ククリ、そっちへ行ったぞ!」
「はい!」
魔狼が、涎を滴り落としながらククリに牙を向ける。
普通のか弱い少女ならば悲鳴をあげて尻餅をつくだろう。
だが彼女は、手にしている鉄の剣で、見事なまでに首を切り落とした。
「はあはあ……やりました!」
「よくやった。レベルを見てみよう、手をかしてくれ」
「はい!」
名前:ククリ・ファンセント
レベル:5⇒8
体力:C
魔力:B
気力:B+
ステータス:高揚感、やや緊張気味
装備品:C級防具、鉄の剣、綿の下着、
スキル:魔法Lv:0、格闘Lv:2、料理Lv:3、剣術Lv:2、隠密Lv:1、気配察知Lv:1
固有スキル:パーティーボーナス、超成熟恩恵
「いい感じにレベルが上がってるな。10日で8になるのが早いかどうかはわからんが……」
「8!? そんなにですか!? 低レベルでも、1あげるのに数ヵ月はかかると言われていますよ。きっと、シガ様の超成熟のおかげです!」
私がククリを購入してから、いや、共に行動するようになってから10日が経過していた。拠点は変わっておらず、オーリア国と妖魔の森、そして宿を行き来している。
「それは良かった。今近くに魔物の気配はない。ここらで昼食にしよ――」
「鮭がいいです! 鮭おにぎりっ!」
「わかったわかった、突然抱き着くのはやめるんだ」
Nyamazonを立ち上げると、鮭おにぎり四つ、ツナマヨとこんぶ二つ、最後に水を二本を購入した。
『お買い上げ、ありがとにゃ~ん♪』
ポテっと落ちてくる前に、ククリが既に待機しており、見事に空中でキャッチ。
ただすぐにがっつくようなはしたない真似はしない。
まるで犬のように私を待ってくれている。
「待たなくていいぞ。おじさんは行動が遅くてな」
「シガ様はおじさんではありませんよ! それに、この待ち時間も幸せです」
ククリとは随分打ち解けたと思う。
色々考えたが、無責任に放り出すのは自己中心的すぎるとわかったので、私が培った多少の戦闘知識を授けることにした。
彼女は思っていた以上に筋が良く、数日でかなり動けるようになった。
元々格闘術を覚えていたこともあり、動きは機敏だ。
魔法は相変わらずゼロレベルのままだが、急ぐようなことでもない。
嬉しい誤算だったのは私の超成熟スキルが、ククリにもボーナスとして付与されていたことだ。
ただ解析スキルは私しか習得していないので、ククリ自身がステータスを見ることは出来ないが、随分と強くなったことに喜んでいる。
そんなことを考えていたら、ククリが耳をぴくぴくさせていた。
これは、もう待ちきれないサインだ。
「すまない、食べよか」
「はいっ! がぶがぶっ、――はう、美味しい……」
「いつも鮭で飽きないのか?」
「飽きません! 死ぬまでこれでも構いません!」
「ははっ、他のも美味しいのだがな」
色々と悩んだが、ククリにはスキルを含む全てを話した。
私が異世界人であること、転移か転生で突然ここへ来たこと、Nyamazonのこと。
そして異世界人だということはすんなり受け入れてくれた。
様々な人種がいるこの世界では、そこまでの驚きがないのかもしれない。
反対にお買い物には疑心暗鬼というか、理解してもらえなかった。
ネットで購入の説明がいまいち伝わらなかったので、Nyamazonを実際に見せて鮭おにぎりを食べていなさいと言うと、この世の物とはおもえないほど美味しいと喜んでくれた。
それ以来、鮭おにぎりの虜だ。
商人《ビアード》には既に借金を返し終わっているが、もう少しお金が貯まれば何か販売しようと考えていた。
あまり目立つのも良くないだろう。なので薄利多売ではなく、貴族向けにまずは美容製品にしようかと考えていた。
シャンプーやリンス、石鹸などがいいだろう。
どの世界でも女性は美容に気を遣っているはず。それに商売は消耗品が一番いい。
少しズルい考えかもしれないが、そのくらいは許してほしい。
だがいい事ばかりではない。
それは思っていたよりも稼げていないことだ。
妖魔の森で私が最初に倒した魔物や魔石は、特別な個体だったらしい。魔石はかなり希少価値が高かったらしく、今倒した魔狼を投げ入れても250円にしかならない。
そしてこの世界の貨幣を入れてお買い物ができるのではと思ったが、それが一番最悪だった。
例えば私たちの宿代は一泊1200ペンス。
Nyamazonに100ペンスを試しに入れて見たのだが、それは10円にしかならなかったのだ。
つまり、現地通貨でネットショッピングをするには、現地通貨で十倍以上のお金が必要ということになる。
そう思うと、赤い魔石は800円、つまり8000ペンスだ。もの凄く高価だった、少し後悔した。
それなのになぜ私たちは、安いパンではなくおにぎりを食べているのか。
それは単純明快、硬いパンより美味しいからだ。
「食べ終わりました! ええと……ご馳走様でした」
「ははっ、もう覚えたのか」
「はい! シガ様の丁寧な物言いが好きなので真似したいです」
「そうか、ありがとう」
ククリを見ていると、温かい気持ちになる。だが一方で、まだ完全に吹っ切れないでいた。
私は彼女を買ったのだ。その事実は、今後消えることはない。
「私、シガ様と一緒に居るのが楽しいですよ。だから、無理にここにいるわけじゃないです」
「……まるで心を見透かしたような言い方だな」
「エルフは、人の心が読めるんですよ」
「……本当か?」
「嘘です。えへへ、でも、本当に思ってますから」
ククリは不思議な少女だ。気配りが良く、それでいて嫌味がない。
「そういえばシガ様、冒険者に興味はありませんか?」
「冒険者か、手続きとかもあるんだろう?」
興味がないといえば嘘になる。だが面倒なしがらみも増えるだろう。
私はこの世界について詳しくない。人付き合いが増えるとリスクも増える。
「はい、多少の登録費もかかります。ですが、魔物を狩り続けるなら手続きをした方がいいと思います。縄張り争いで揉めることもあると聞きますし、あと身分証にもなります。妖魔の森で何か依頼があれば追加でお金にもなりますし。ここまで順調だと思わなかったので、早く言えば良かったんですが」
「いや、無知な私が悪いのだ。なるほどな……」
ククリは、私がこの世界について何も知らないことを聞いてから様々な提案をしてくれる。
押しつけがましくもなく、最後は私の決定に従う、と。
だが、いつもよりも少し強気な気がした。
「縄張り争いはそれほど危険だったりするのか?」
「聞いた話ですが、免許を持たない野良旅人が荒らしていると難癖を付けられて……殺されることもあると。もちろん、シガ様がお強いのは知っていますが、念の為です」
「そうか……」
だがそれを聞いても、すぐに決断が下せなかった。元の世界でもそうだ。大変なことがあっても、いつも後回しにしてしまう癖がある。
それで随分と……ひどい目にあったこともある。
異世界に来てまで、そんな思いはしたくない。
それに今は、一人じゃない。
「……わかった。冒険者の手続きをしにいこう。迷惑でなければ、私が二人分の登録費を払う。そのほうがいいだろう」
「え!? あ、いや! シガ様だけでも大丈夫だと思いますよ!?」
「身分証にもなるんだろう? 気にするな」
「……ありがとうございます! シガ様は、本当にいい人ですね」
「そうかな」
「はい! ふふふ、それに冒険者ってちょっと憧れでもあったんです」
「それは良かった。だが――」
「道案内ですね、はいっ! 行きますよ!」
そう言ってククリは、私の腕を掴んだ。
まったく、彼女には何も言う必要がないな。
「それではこれで講習を終わります!」
受付の猫耳お姉さんが、元気よく話を終えた。
冒険者ギルド内は、私が思っていたよりも明るい雰囲気だった。殺伐とした空気かもしれないと緊張していたが、王国内の治安が保たれていることもあって静かなものだ。
ただ小さな街だったり、それこそ兵士が仕事をサボっているところは私の想像通りの場所もあるらしく、注意したほうがいいとククリに釘を刺された。
椅子に座って待っていると、ククリを見た冒険者の男たちが、なぜか怪訝そうな顔をしていた。
「すみません、私のせいです」
「……どういうことだ?」
「……後で説明しますね」
その様子から少し込み入った話だと思ったので、すぐに言及はしなかった。
ほどなくすると、木板のカードのようなものを猫耳お姉さんが渡してくれた。
肌身離さず持ってほしいとのことだが、失くした場合の再発行は可能、ただし登録料が別途必要になるとのことだった。
落としたものを再利用された場合どうなるのかと訊ねたところ、本人確認する為の秘密があるらしく、問題はないとのことだ。
ちなみにククリと二人合わせて4000ペンス。
凄く高いわけではないが、今の私たちにとっては大金だった。
カードには私の名前と等級が書いてある。
10級から1級、それ以上になると特級と呼ばれて称号が付くらしいが、そこまでいくことは流石にないだろう。
最初なので二人とも10級だ。
掲示板には様々な依頼書が貼られており、等級のレベルによって任務を受領することが可能となる。
特別な推薦があればレベル外でも受けることもできるらしいが、できるだけ死なずに遂行してほしいので基本的には守られているとのことだった。
どうしてこんなにも登録が簡単なのだと訊ねてみると、冒険者は万年人手不足らしく、死人が多いので受け入れてもすぐに減ってしまうらしい。
なんとも恐ろしい話だが、気を引き締める良い話ではあった。
冒険者ギルドから外に出る。
ククリから先ほどの話題を切り出してもらうまで雑談でも続けようと思ったが、すぐに教えてくれた。
「エルフ族は、冒険者からあまり好かれてないんです」
「……なぜだ?」
「基本的にエルフ族は、高位な魔法を使える人が多く、従って戦闘能力が高い傾向にあります。ただ、そのせいか傲慢な人が多く、長命種は短命種を見下す事も多くて……あ!? でも、私は全然そんなことないですよ!? そもそも魔法も使えませんし……」
これだけ多種多様な人種がいるのだ。差別は少なからずあると思っていたが、この治安の良い国でもあんな目をされる。
となると、治安の悪い国は……想像するのが怖いな。
「そうか。だがみんな勘違いしているな」
「勘違い?」
「ククリはとても思いやりのある性格だ。たとえ魔法が使えたとしても、その優しさ変わらなかっただろう」
「そんな……でも、そう言ってくださって嬉しいです」
えへへと笑うククリの笑顔は、とても可愛かった。
私たちは、せっかくだからと簡単な依頼を受けてみた。
いつもの狩場の近くで薬草拾いだ。
実績を積む目的とわずかばかりのペンスが手に入る。
現在の手持ち通貨は5000ペンス、Nyamazonの残高が6000円ほど。
今日頑張れば、8000円ほど貯まるだろう。
そろそろ商人の彼に話をしてみようと思っている。
捕らぬ狸の皮算用だが、勝算はある。
嬉しい誤算だったのは、この世界の品質が元の世界と比べて著しく程度が低いことだ。
石鹸はなく、草の樹液のようなもので身体や髪を洗うのだが、ゴワゴワになるし、匂いも決して良いとは言えない。
もちろん上等なものはあるだろうが、日本産のシャンプーに勝てるわけがないだろう。多分。
「シガ様、どうして笑っておられるのですか?」
「あ……いや、ちょっと色々考えていた。そうだな、悪巧みってやつかもしれない」
「ふふふ、似合いませんね」
ククリにも転売の話はしているが、まだおにぎりと水以外を見せたことはない。
どうせだったら、アッと驚かせてみたい。
ククリの金髪の長い髪が透き通るようなサラサラになれば、冒険者ギルド内にいた男たちも考えを改めるだろう。
「さて、日が落ちる前にもうひと踏ん張りだ」
「はい! 鮭おにぎり食べたいです!」
「今日は昼に食べたから、夜ご飯はパンで節約だ。また明日な」
「ぐう……はい! だったら、薬草を沢山拾いましょうね!」
今から魔物と戦うのだが、気持ちはピクニックのよう。
最近は。ククリの笑顔が見たいがために行動している気がする。
ああ、異世界は――存外楽しいな。
「確かに……シガの言う通りのようだな」
数日後、少し時間はかかったが、目標の金額を達成した。
薬草拾いの任務は定期的に受領している。頂いたペンスは夕食のパンになっており、ククリの提案のおかげで食費も浮いていた。
今はビアードの屋敷、ククリのサラサラになった髪を眺めながら、彼が感心の溜息を洩らす。
昨晩、宿にあるお世辞にも綺麗とは言えない水洗い場で、初めてシャンプーをククリに見せた。
『これ……凄いですね』
『わかってくれたのか』
『凄く硬い容器ですし、色々使い勝手が良さそうです!』
……当然伝わらなかったが、私に使い方を教わり、おそるおそる髪をほぐしていくとサラサラになっていく様に驚いていた。
だが汚れた垢が水に流れていくのを見て、『私ってこんなに汚かったんだ……』とショックを受けていたのは申し訳なかったが。
だが綺麗に乾かした後のククリの笑顔は、二度と忘れないだろう。
Nyamazonには様々な種類があったが、まずはシャンプー&リンスが合体している安価な物を売ることにした。
猫のマークが付いているオリジナルブランドなのだが、この猫を私のマークということにすれば、説明も容易い。
元の世界の基準で考えると凄まじい法律違反だ。
真面目に生きていた私が、こんな悪いことをしているのは少し笑える。
「ほう、で、髪に濡らした後にこの液体を使うのか」
「基本的には貴族向けに考えてる。だがまずはお試し用に一本、そしてもう一本をビアードに無料で渡そう。試してもらって、更に購入希望者がいた場合のみ買い取ってもらえばいい」
「ははっ、俺に好条件すぎるが、いくらふんだくるつもりだ?」
ビアードは、がははと笑う。
シャンプー&リンスの値段は800円。ペンス換算だと8000ペンスだ。
といういうことは、8000以上で売れば利益が出るということになる。
商売の基本は売り上げの数パーセントの利益が出れば良いらしいが、ずっとここで商売するつもりはない。
つまり私は彼の言う通り、ふんだくろうとしている。
「一つ16000ペンスで販売したいと思ってる。手間もかかるのと、容器代も考えると妥当だと思う」
「なるほど、いい値段だな。だが――安いぜ」
「……安い?」
「今後の付き合いを考えた上で言うが、一般人価格としては高い。だが貴族としては安い。2万ペンスでどうだ? 俺なら売れる自信がある。もちろん数日時間は頂くがな」
……予想以上の好条件だった。
もしそれが実現すれば、
シャンプー&リンス、ペンスで購入した場合-8000 販売+20000=利益12000ペンスの黒字になる。
いや彼の取り分が入っていないか。
「俺の取り分は2000ペンスでどうだ?」
「……そんなに少なくていいのか?」
「貴族にコネを売っておけば他で儲けることができる。それにお前にも恩を売ることができる。どうだ?」」
私の後ろで、ククリは微笑んでいる。
売れたのが嬉しいのか、その後の鮭おにぎりのことを考えているのかはわからない。
「もちろんだ。ただ、私はずっとこの国にとどまるとは考えていない。それでもいいか?」
「真面目だな、だが問題ない。俺も商人だ、そういうのは慣れてる。お互いに利益を確保しながら出来るだけ長く相棒でいよう」
交渉成立、私たちは、強い握手をした。
まずは顔見知りの男爵貴族に持っていくらしい。
貴族内でこれが流行ってくれれば、生活も随分と楽になるだろう。
しかしNyamazonは最強だな……。
◇
「はうはう、鮭おにぎり最高……」
「そんなに急いで食べるとすぐに無くなってしまうぞ」
「はっ! た、確かに……でも、置いておくと固くなりますよね」
「温度が変わるとでんぷんが硬くなるからな」
「ふふふ、シガ様は何でも知っていますね」
「褒めてもおにぎりしかでないぞ」
「凄い、格好いい、天才! いけおじ!」
悪戯っぽく笑うククリも、とても可愛い。最後はちょっと嫌だが。
おにぎりを頬張る彼女をみながら自身のステータスを確認していると、もうすぐ20レベルになりそうだった。
商売を始めた理由としては、まずこの現地に慣れることと、生活の基盤が欲しかったからだ。
この国でNyamazonを利用して大商人を目指すこともできるだろうが、やはり私は……男なのだろう。
戦闘の高揚感、魔法を使うときの楽しさが頭から離れない。
等級が上がれば、色々な依頼を受けられるのも関係している。
もし私が十代なら、すぐに旅に出て色んな国を見たいと急ぐだろうが、そうではない。
まったりとしたペースでお金を稼ぎ、安全マージンを取った上で、じっくりレベルを上げたいと思っている。
「美味しかった……。そういえばシガ様、明日からはどうしますか? また薬草とレベルあげですか?」
「いや、一段落したし、観光というか、たまには国を見てみようか。剣を購入してから随分と武器屋にも行ってないしな、新しいのも見てみたい」
「わかりました! でしたら、そうしましょう!」
ククリはどんなことも否定しない。前向きで私を肯定してくれる。
あまりにいい子過ぎて、申し訳なくなるが……。
しかしもうそろそろククリは独り立ちできるのはないだろうか。
そんな考えがふと頭に過る。
「……レベルも上がってお金も少し増えた。シャンプー&リンスが売れれば、少しまとまった金が入る。私から離れて一人で生きて行く事も出来る。好きにしていいんだぞ」
だがククリは首を横に振る。
「シガ様といるのは楽しいです。それに私は戦うことも、人に感謝されることも嫌いじゃないです。これからも冒険者、一緒に頑張りましょう!」
私は特別頭が良いわけではない。商売だって、私でなければもっと効率が良いことを思いつく人がいるだろう。
能力に恵まれていることはわかっているが、それを上手く使いこなせているとは思えない。
もっと強い場所で魔物を倒せばすぐにお金が手に入るかもしれない。
だが私は自分のペースを守っていこうと思う。
何かに振り回されることなく、自分自身の感覚に従って――ククリと共に。
「それじゃあ今日は少しいい宿に泊まらないか? ベッドがふかふかなところがあるとビアードから聞いたんだ」
「ええ、いいんですか!? 楽しみです!」
小さな幸せを、一歩ずつ噛みしめていけばいい。