悪魔の僕は天使の君に恋をする。

* * *

 部室で帰り支度を終えた3人が校門を出ると、そこには黒いリムジンが止まっていた。

「このリムジン、たしか藤堂さんの……」

 ルナが呟くと、リムジンのドアが開いて制服姿の少女が降りてきた。少女は長い黒髪をかき上げて、ルナに向かってにこりと微笑む。

「ルナ君、ごきげんよう!」

 彼女は藤堂菫。ルナのクラスメイトで、彼の隣の席のお嬢様だ。校内有数の美人で、その家柄も相まってとても目立つ。

 そんな彼女だが、ルナにやたらと構ってくるのだ。理由が分からないため、ルナはいつも少し戸惑ってしまう。

「今日の練習試合、お見事でしたわ。わたくし、陰ながら応援しておりましたの」

「そ、そっか。ありがとう藤堂さん」

 ルナが笑顔で応えると、菫はにこにこしながら言った。

「疲れましたでしょう?家までリムジンでお送りしますわ。勿論、お友達も一緒に」

 菫の申し出はありがたかったものの、ルナは残念そうに首を横に振る。

「いや、僕達これからラーメン食べに行くから、今日は遠慮しておくよ」

 ルナがそう言うと、菫の顔が明らかに曇った。

「そう……」

 しょんぼりした様子の彼女を見て、ルナの胸が罪悪感でいっぱいになる。

「な、なら!藤堂さんも一緒にどう?」

 ルナは咄嗟にそう提案した。すると、菫の表情がぱぁぁっと明るくなる。

「いいんですの!?少しお待ちになって。今執事に相談しますわ」

 そう言うと、菫は大慌てでリムジンの中に戻っていった。

 ……しばらくルナ達が彼女を待っていると、それは庶民の食べ物ですやら、はしたないですやら、お嬢様を一人でお店に行かせると旦那様が心配なさりますやら、口論の声が車から聞こえてきた。

 それを聞きながら、ルナは不安げに呟く。

「悪いことしちゃったかな……?」

「黒崎君は悪くないよ。藤堂さんの家、ルールとか厳しそうだし……」

 傍らの百合に励まされるも不安は拭えず、ルナは心配そうにリムジンの方を見つめていた。

 ……しばらくして、菫が勝ち誇った顔でリムジンから出てきた。

「わたくしも一緒に行きますわ!」

「あ、ほんと!?良かった……」

「ええ。さ、行きましょ!」

 菫を加えて、ルナ達は4人でラーメン屋に向かって歩き出した。

「ところで、らーめんってどんな食べ物ですの?」

 菫が口元に人差し指を当てながら、不思議そうな顔で3人に尋ねる。

 すると、景太は目を丸くしながら彼女を見た。

「藤堂、ラーメン食べたこと無いのか?!」

「ええ。ありませんわね」

 すると景太は、真顔で菫を見つめて口を開く。

「いいか藤堂、ラーメンってのは至高の食べ物だ。食べると気力が回復し、疲れがぶっ飛んで、何でも出来るようになる……」

「まぁ、そんなすごい食べ物なんですの?」

 目をキラキラさせる菫を余所に、百合は景太を小突いた。

「こら、藤堂さんに変なこと吹き込まないの」

 そう言いながら百合はスマホでラーメンの画像を検索し、菫に見せた。

「こんな感じの食べ物だよ。醤油とか、塩とか、味噌とか、色々種類があって、どれも美味しいの」

 百合のスマホの画像を見て、菫は目を輝かせる。

「美味しそうですわ~!ね、ルナ君!」

 楽しそうな表情の菫を見て、ルナは優しく微笑みながら頷く。

「うん、そうだね」

 4人で話しているうちに、ルナ達は横断歩道に差し掛かった。

 青信号になり、前を歩いていたルナと菫は横断歩道を渡り始める。

 その時だった。

 信号を無視したトラックが、ルナ達めがけて突っ込んできたのは。

「藤堂さん!」

 ルナは菫の背中を思い切り突き飛ばした。

「ルナ君!」

 横断歩道の向こう側に倒れ込んだ菫の悲鳴を聞いた次の瞬間、ルナの体に強い衝撃が走り、意識が飛んだ。
* * *

 ルナが気がつくと、白い天井と共に、心配そうにこちらを覗く景太と百合の姿が目に入った。

「ルナ!」

「黒崎君!」

「2人とも……ここは……?」

 ルナの問いかけに、景太が心配そうな顔で答える。

「病院だよ。お前、1週間も目を覚まさなかったんだぞ」

 景太の答えに、ルナは目を丸くした。

「そんなに……?」

「ああ。ルナ、何があったか、思い出せるか?」

 景太に尋ねられて、ルナは宙を見ながら先日のことを思い返す。

「えっと、信号無視したトラックから藤堂さんを助けようとして……って、藤堂さんは?!」

「ほんのかすり傷だったよ。今日はピアノのレッスンで来てないけど、すごく心配してた」

「そっか……。じゃあ、顔見せに行かないと……」

 そう言って起き上がろうとしたルナのことを百合は慌てて止めた。

「待って!黒崎君、あなた今両足を骨折してるのよ!」

「え……?」

 ルナが慌てて布団をめくると、両足がギプスで固定されていた。

「トラックに撥ねられてそれだけで済んだなんて奇跡だってお医者さんは言ってたけど……まだ無理しちゃ駄目よ」

「そ、そうだったんだ……」

 トラックに撥ねられても脚が折れただけで助かったのは、ルナが悪魔だからだ。

 悪魔は人よりもずっと体が丈夫で、回復力も強い。だから大事故に遭っても命に別状はなかったという訳だ。

 しかし、両足を怪我してしまったとなると、しばらくは学校に行けないだろう。

 落ち込むルナを見かねて、景太は明るく言った。

「まぁ、今日は仕方ないさ。それより久しぶりに目が覚めたんだから、ちょっと散歩しようぜ。俺が車椅子押すからさ」

 たしかに、怪我をしてしまったことを悔やんでいても仕方がない。今は気分転換も必要だろう。そう思い、ルナは景太に頷いた。

「うん……そうだね」

 百合と景太に補助されながら、ルナは車椅子に乗り、景太に連れられて病室から出た。
* * *

 病院近くの公園に辿り着いたルナは、広場を囲うように植えられた木々を見上げながら深呼吸をした。

 桜のシーズンは既に終わり、緑の香りが鼻をくすぐる。

 周りを見ると、犬の散歩をしている中年の女性もいれば、ブランコで遊ぶ子ども達もいた。また、病院の近くと言うだけあって患者と思しき人の姿もある。

「のどかだな~」

 景太の声にルナは頷いた。

 ルナもこの1年ですっかり慣れきってしまったが、年中薄暗くマグマが剥き出している魔界では見ることができない景色だ。

(本当にいいところだよな、人間界って……)

 ルナが平和を堪能していたその時。コロコロと、足下にサッカーボールが転がってきた。

「サッカーボールだ」

 ルナは腕を伸ばしてボールを手に取る。すると、まだピカピカの新品なのが分かった。

「すみませーん」

 しばらくして、遠くから持ち主らしき人物が駆け寄ってきた。

「サッカーボール飛ばしちゃって……」

 その、少しハスキーな声をした少女にルナは目を釘付けにされた。

 色素の薄い金髪、空色の瞳、色白な肌、スラリと伸びた手足。その全てに目を奪われる。

(綺麗な人だな……)

「ねぇ、君」

 ルナが見とれていると、少女は彼に声をかけてきた。

「あ、はい!」

「ボール、返して欲しいんだけど……」

 そう言われて、ルナは自分がボールを持ちっぱなしだったことに気がついた。

「あ、ごめん!」

 慌ててボールを返すと、少女はクスクスと笑いながらルナに尋ねる。

「君、翔北高校の黒崎ルナだよね?」

 少女の言葉を聞き、ルナは思わず驚いた表情を見せる。

「え!?僕のこと知ってるの?」

「ああ、去年の新人戦全国大会、弟とテレビで観てたんだ。翔北のエースディフェンダーでしょ。随分活躍してたからね」

 少女の言葉にルナは、つい顔を赤らめた。

 そんなルナの様子を気に留めず、少女は話を続ける。

「それにしても、事故に遭ったって話は本当だったんだね。ボクの高校でも話題になってたよ」

「そういえばその制服……南野女子高校のよね?超進学校って有名な、あの」

 少女の話を聞いていた百合は、ふと彼女に尋ねる。すると、少女は頷いた。

「そうだよ。うちの学校にも翔北サッカー部のファンは多いからね。特に、花里君。君とかね」

 少女はそう言うと、景太を見てふわりと笑いかけた。

「俺が?」

「そう。花里景太。高校生の中じゃトップクラスの実力に加えて、イケメンで格好いいってさ」

「そうなのか、ありがとな」

 頭をかきながら笑う景太を見て、ルナの胸が少し重くなる。

(……何かモヤモヤする)

 少女はルナの気持ちには気づかずに、3人に向かって笑顔を見せた。

「長居しちゃったな。そろそろ弟の所に戻るよ」

「ま、待って!」

 そう言って立ち去ろうとする少女に、ルナは慌てて声をかけた。

「君、名前なんて言うの?」

ルナに尋ねられ、少し驚いていた少女だったが、やがて、ニッと笑ってこう言った。

「白神ハル。脚、おだいじに」
* * *

 ルナが事故に遭ってから2週間が経とうとしていた。

 ルナも、もうすっかり車椅子生活にも慣れ、1人で病院の中を出歩けるようになっていた。

(車椅子に慣れたのはいいけど、暇だな……)

 ルナが病院内を散歩してると、見覚えのある姿が、こちらに歩いてくるのが見えた。

(あれは確か……白神ハルさん!)

 ルナの脳裏にあの日の光景が蘇った。

 日の光を浴びてキラキラと輝いていたハルに見とれていた自分……。

 ルナは恥ずかしくなって首をブンブンと振った。

(普通に挨拶すればいいだけ……何も恥ずかしくない!)

 ルナは思い切ってハルの方に向かい、声をかけた。

「あの!ひ、久しぶり!」

 ルナの声に気がつき、ハルは表情を明るくする。

「あ、黒崎ルナ!久しぶりだね」

「ハルさん、病院に用事?どこか悪いの?」

 ルナが尋ねると、ハルは平然とした様子で頷く。

「ああ、入院してるんだ」

「え……!?」

 ハルの言葉に、ルナは目を丸くした。

 どこをどう見ても健康そうなハル。先日はサッカーだってしていた。

 ルナには、彼女が入院するような病気に罹っているようには見えなかった。

(いや、見えないだけで本当はどこか悪いのかもしれない……)

 驚いたまま動かなくなっているルナを見て、ハルは事態を察して笑った。

「ボクじゃなくて、弟がね」

 そう言うと、ハルはルナの背後に回って車椅子を押し始めた。

「ハ、ハルさん……僕をどこに?」

「折角だし、弟のところに一緒に来てよ。あいつ、君のファンなんだ」

「え、ええ……!?」

 驚きが止まないルナに微笑みながら、ハルはルナの車椅子をどんどんと押していった。

* * *

ハルに連れられてルナが入った病室のベッドには、一人の少年が座っていた。

「あ、お姉ちゃん!……と、黒崎ルナだ!」

 そう言って目を輝かせる少年は、黒髪に黒い瞳をしていて、全体的に色素の薄いハルとは似ても似つかなかった。

(本当に弟なのかな……?)

 ルナが不思議そうな顔をしているのを気にせずに、ハルは弟の方に右手を向けて微笑む。

「紹介するよ。ボクの弟の白神涼介。サッカーが好きで、たまに一緒にボールを蹴ってるんだ」

「白神涼介です!よろしくね、黒崎ルナ!」

 姉に紹介されて、涼介は明るく笑った。

 確かにハルとは似ていないが、涼介の反応を見ている限り、2人は本当に姉弟なのだろう。ルナはそう思い、涼介に微笑んだ。

「ルナでいいよ。よろしくね、涼介君」

 ルナにそう言われた涼介は、目をキラキラさせながら、ルナの方に向かって身を乗り出した。

「うん!ルナ、サッカーのお話ししよ!」

 涼介の申し出に、ルナは快く頷く。

「いいよ。昨日のJリーグの試合見た?」

「見た!最後のシュートカッコよかったよね!」

「分かる!あのシュートすごく難しいんだ。きっとたくさん練習したんだろうな……」

 サッカーの話題で盛り上がる2人を見て、ハルは思わず微笑む。

(涼介、嬉しそうだな)

 ハルの空色の瞳が、柔らかく光った。

 ……ハルは天使だった。人に幸福を与えるのが天使の仕事で、ハルはその修行のために涼介の病気を毎日少しずつ癒していた。

 お陰で、今ではボールを蹴るだけのような軽い運動なら許可されるようになったのだ。

(完治までもう少し……)

 ハルは2人の様子を慈愛に満ちた表情で見つめていた。

(涼介、ボクが君を幸せにしてみせるからね)
* * *

 しばらくして、夕方5時のチャイムが聞こえてきた。

「あ、もうこんな時間か」

 ハルは立ち上がり、ルナの車椅子の取っ手を握った。

「そろそろ帰らないと。涼介、また来るからね」

「分かった!」

 良い返事をした涼介は、ルナに満面の笑みを浮かべて言った。

「ルナもまた来てね。絶対だよ!」

「うん。もちろん!」

 ルナはそう答えて、明るい笑顔を見せる。

「……さて、病室まで送っていくよ」

 ハルは、ルナの車椅子を押して病院の廊下を歩き始めた。

「涼介と話してくれてありがとう。嬉しそうだったよ」

 ハルの声に、ルナは笑顔で頷く。

「うん。僕も楽しかったよ」

 やはり部活が忙しいのか、景太と百合は頻繁には来てくれない。そんな中でルナも寂しさを感じることもあったが、涼介と話してその寂しさも薄れた。

 ルナの明るい返事に微笑みながら、ハルはゆっくりと涼介の事情を話し始める。

「……涼介はね、もう11歳なのに、難病で学校に行ったことがないんだ。だから、友達もいなくて。お見舞いに来ても元気のないことが多かった」

 ハルの話を聞き、涼介の事情を知ったルナは表情を曇らせる。

「そうだったんだ……」

 彼の暗い声色に気がつき、ハルはすぐに明るい声を出す。

「でも、今日の涼介はいつもより元気だった。君のお陰だね」

 ハルにそう言われ、ルナは照れ臭くなって頬をかいた。

「そんな、いいんだよ。僕も楽しかったし……」

 そんな彼の様子を見て、ハルは思わず微笑む。

「ふふ……君はお人好しだね」

「そうかな?」

「そうだよ。急に連れて行かれたのに、文句1つ言わないで楽しかったなんて……」

 言われてみればその通り。半ば強引に連れて行かれ、1時間も拘束されていた。普通ならば怒るだろう。

 しかし、ルナにとっては些細なことだった。

「でも、涼介君もハルさんも喜んでくれたから、いいんだ」

 ルナは、誰かを笑顔にすることが好きだったのだ。自分の周りにいる人には、少しでも幸せに生活して欲しかったから。

 その性格のせいで、悪魔の仕事は全くできていなかったのだが。

 優しく笑うルナを見て、ハルは少し照れ笑いを浮かべながら言った。

「ハルさんじゃなくて、ハルで良いよ。ルナ」

 ハルにそう言われ、ルナは嬉しそうに目を細めた。

「……うん」

 そんな風に仲良く話す2人を、見ている影があった。

「ルナ君……」

 菫はお見舞い用の花を持ったまま、病院から逃げるように帰って行った。
* * *

 2カ月後、ルナはようやく退院することになった。もう車椅子は必要ない。

「まったく、君の回復力には驚いたよ……」

 ルナの主治医は、笑いながらそう言った。

「足に何か異常があったら、すぐに診せにくること。いいね?」

「はい!ありがとうございました」

 ルナは彼に対して深くお辞儀をした。

 その傍らで、ルナのバッグを持った百合が、彼に尋ねる。

「黒崎君、荷物これで全部?」

「うん。ありがとう雨宮さん」

 ルナが退院すると聞いて、練習を離れられない景太の代わりに百合が手伝いに来てくれたのだ。

 荷物……といっても、百合と景太に取ってきてもらった日用品と勉強道具ぐらいしか無いのだが。

「……やっぱり荷物くらい自分で持つよ」

「いいのいいの。病み上がりなんだから、歩くのに集中して」

「そっか……うん、ありがとう」

 ルナは百合の気遣いに甘えることにした。

「それじゃあ、お世話になりました」

 ルナはもう一度お辞儀をし、病室を後にした。

* * *

「黒崎君、とりあえず家に帰るよね?」

 廊下を歩きながら、百合は彼に尋ねる。

「うん……あ、ちょっと寄りたい場所があるんだけど、良いかな?」

「良いけど……どこに?」

「友達の病室」

 ルナはそう答えて、百合を連れたまま白神涼介の病室に向かった。

 病室に入ると、ハルと涼介が談笑している光景が飛び込んできた。

「涼介君、ハル、こんにちは」

 ルナが声を掛けると、ハルは表情を明るくする。

「あ、ルナ!と、この前の……」

 ハルに見つめられ、百合は微笑みながら名乗る。

「雨宮百合です」

「百合ちゃんか。ボクはハル。よろしくね」

 ハルは百合に笑いかけると、辺りをキョロキョロと見渡して首を傾げる。

「今日は花里君がいないね」

「部活なの。ほら、大会が近いから……」

「そうか。そろそろ関東予選だもんね」

「関東予選!?」

 ハルの言葉を聞いた涼介が、目を輝かせながらルナに向かって尋ねた。

「ルナも出るの?」

 涼介の言葉に、ルナは苦笑いして答える。

「ケガが治ったばっかりだから、僕はまだ出してもらえないかな……」

「そっかぁ……」

 落ち込んだ様子の涼介にルナは力強く微笑む。

「大丈夫だよ。早く試合に出してもらえるように、僕頑張るから」

「……!分かった。僕、応援してるからね!!退院おめでとう、ルナ」

 涼介はそう言うと、ルナに向かって笑顔を見せた。

「いつでも遊びに来て良いんだからね?」

「うん、また会いに来るよ。約束する」

 ルナはそう言って涼介とグータッチした。

 その様子を見ていたハルも、ルナに向かって微笑んで口を開く。

「ルナ、ボクもまた君とお話ししたいな」

「あ、じ、じゃあ連絡先交換しようよ!」

 ルナは慌ててスマホを差し出した。画面にはメッセージアプリのQRコードが表示されている。

 またハルと話ができる……それだけで、ルナは何だか嬉しかった。

「うん。もちろん」

 ハルは笑顔で頷いて、スマホを出してQRコードを読み取った。

「ちゃんと連絡するから!」

 ルナは少し焦りながら言った。

 不自然じゃないだろうか。鬱陶しくないだろうか。ルナの頭に、そんな不安が過る。しかし、その心配を余所に、ハルはあの日のようにニッと笑った。

「うん。楽しみにしてる!」

 ハルの明るい笑顔を見て、ルナもつられて笑った。

 人を惹きつけ、明るい気持ちにさせる力。そんな力が、ハルの笑顔にはあった。

(不思議な人だな。ハルって)

 ルナはそう思い、小さく微笑む。

「じゃあ……またね。2人とも」

「うん。またね、ルナ」

 ハルと涼介に見送られながら、ルナと百合は病室を後にした。

* * *

 ルナと百合と別れた後、ハルのスマホが鳴り響き始めた。

「電話だ……ちょっと出てくるね」

 涼介を病室に残し、ハルは廊下に出た。

「もしもし……」

『おお、ハル。修行の調子はどうだ?』

「お父様……うん。順調です」

 ハルの答えに、彼女の父親は嬉しそうに笑う。

『そうかそうか!……婚約者も待っている。早く終わらせて、天界に帰ってくるのだぞ。お前は大天使の娘だ。くれぐれも失態のないようにな』

「……分かってます」

 ハルは短く答えて電話を切った。

 婚約者だの、大天使の娘だの、ハルはもううんざりだった。

(結局、お父様は自分のメンツが大事なんだ。婚約者だって、近頃権力を強めている大天使の若者を適当に選んだだけだった。しかも、独占欲が強いと噂の)

 嫌なことを思い出してしまい、ハルは思わず溜息をついた。

(みんながみんな、周りのために生きてくれたら良いのに。例えば、ルナみたいに)

 ハルはルナのお人好しさを思い出し、少し微笑んだ。

(早く連絡、来ないかな……)
 久しぶりに学校に戻ったルナを待ち受けていたのは、期末テストだった。

 もちろん病室で勉強はしていたが、自習でできる分には限界がある。正直なところ、テスト範囲の内容全てを理解することはできなかった。

 絶望感に襲われたルナは、思わず机の上で頭を抱えた。

「期末テスト……死んだ……」

「あ、ルナ君!」

 そんなルナの肩を、菫はぽんと叩く。

 ルナが顔を上げると、菫がにこにこと笑っていた。

「藤堂さん……」

「やっと戻ってきてくれて嬉しいですわ。何か困ったことがあったら聞いて下さいね」

「う、うん……ありがとう」

 何とか笑顔を作り、お礼を伝えたものの、ルナの頭の中は感謝の気持ち以上に期末テストのことでいっぱいだった。

 菫に言っても解決しないことは分かっている。しかし、もう菫に縋るしかない。

「藤堂さん、僕、期末テストピンチなんだ……。もし良かったら、助けてもらえるかな?」

 そう弱々しく言うルナに、菫は微笑みながら言った。

「なら、勉強会をしませんか?」

「勉強会……?」

「ええ。雨宮さんや花里君も呼んで、分からないところを教え合えばいいですわ!」

 確かに勉強会ならみんなの勉強にもなるし、自分の勉強にもなって一石二鳥だ。

 ルナは迷わずに頷いた。

「よし、やろう!勉強会!」
* * *

 部活のある2人と別れてルナは1人家に帰ると、スマホを取り出した。菫の勉強会に景太と百合を誘うためだ。

「えーっと、今度藤堂さんの家で期末テストの勉強会を開くんだけど、2人もどうかな?っと……」

 ルナは送信ボタンを押した。まだ2人は部活だが、終わったら見てくれるだろう。

 ホーム画面に戻ると、宛先一覧に「白神ハル」の文字があった。

 病院を出る前に連絡するとは言ったものの、あれ以来ルナはハルと連絡は取り合っていなかった。

「そういえばハルって、超進学校に通ってるんだっけ……」

 勉強会に誘うのを口実に、ハルに連絡してみようかと思い、ルナはトーク画面を開いた。

 どんな風に誘ったら自然か……嫌な思いをさせないメッセージを送らなければ。

 そこまで考えて、そもそも勉強会に誘うこと自体が迷惑にならないかという不安が過る。

「そもそも、ハルの学校もテストだとは限らないし……第一、ハルは藤堂さん達のことよく知らないし……」

 ルナは一人頭を抱えた。1番始めの連絡が、勉強会でいいものか。

「でも、会えたら嬉しいかも……」

 ルナは30分間悩み、葛藤した挙げ句、友達と勉強会するんだけど、ハルも来ませんか?とだけ打って送信した。

(送ってしまった……)

 変に思われないだろうか、やっぱり連絡しない方が良かっただろうか。

 ルナはベッドにうつ伏せになり、一人唸った。

「あー……もう考えるの止めよう……晩ご飯作ろ……」

 そう呟き、ルナは1人台所に立った。

 人間界での一人暮らしにも慣れたルナにとっては、料理なんて簡単だ。ルナは慣れた手つきで野菜を切っていく。今日は野菜炒めだ。

 野菜を切り終え、火にかけようとしたその時、ルナのスマホが鳴った。
 
「ハル!?」

 ルナは慌ててスマホを見る……が、ただの夕方のニュースだった。

(なんだ、ニュースか……)

 ルナが落胆したその時だった。

 ティロン!とスマホが鳴った。

(ハルからだ!)

ルナは慌ててトーク画面を開いた。すると画面には短く

『行くよ!場所教えて』

と記されていた。

「良かったぁ……!」

 ルナは小さくガッツポーズをして、返事を打ちこんでいく。

「藤堂さんっていうお金持ちのお屋敷があるんだけど、そこでするんだ」

『ごめん。場所が分からないから待ちあわせしても良いかな?』

「大丈夫!じゃあ病院前で待ちあわせしよう」

『分かった。楽しみにしてるね』

 一通り打って、ルナは机に突っ伏した。

 ハルにまた会える。それだけで何故か嬉しかった。

(勉強会、楽しみだな……)
* * *

 勉強会当日の土曜日、ルナはハルとの待ち合わせ場所に向かった。

 季節はすっかり夏。少し歩いただけでシャツが汗ばむ。
 
(暑いな……)

 20分歩いてようやく病院へ着くと、可愛らしい水色のワンピースを着たハルが、こちらに向かって手を振っていた。

(綺麗だな……)

 ルナは思わず、彼女に目を奪われる。

 色素の薄い、柔らかそうなショートボブの金髪。空色の瞳は夏空を切り抜いたように爽やかだ。そして、可愛らしい笑顔。いつまでも見ていたい……そう思わずにはいられなかった。

 ルナがハルに見とれていると、ハルがこちらに駆け寄ってきた。

「ルナ!」

「ハ、ハル……!」

 ハルは、緊張しているルナに向かって明るい笑顔を見せた。

「おはよう。みんなを待たせてるだろうし、早く勉強会に行こう」

 ハルの言葉にルナははっとした。

(そうだ。今日は勉強会……うかうかしてちゃ駄目だ!)

 ルナは自分の両頬をパシンと叩いた。唐突なルナの行動にハルは目を丸くする。

「うわっ!急にどうしたの?」

「……ちょっと気合い入れてて」

 慌てて誤魔化すルナにハルは微笑んだ。

「じゃあ、ボクも真似しようかな」

 するとハルはルナと同じように自分の両頬を叩いた。

 頬を叩いたせいか、暑さのせいか、色白な肌は少し赤みを帯びている。  

「……よし。一緒に勉強頑張ろうね!」

 そう言って明るく笑うハルの表情に吸い込まれそうになりながらも、ルナはしっかりと頷いた。