放課後のグラウンドには楓の樹が列をなし涼しげな木陰を作っていた。そこにはイーゼルを持った数人の生徒の姿があった。
「なんだあれ」
「俺らの絵を描くんだと」
「ふーん」
美術部の顧問から各運動部の顧問に「運動部員の動きをクロッキーさせて欲しい」との申し出があった。俺はウォーミングアップをしながら横目で伊月の姿を探した。
(・・・いた)
伊月は左から三本目の楓の樹の下でイーゼルを立てテニス部の素振りを凝視しカンバスの上に鉛筆を走らせていた。俺は目の前に広がる光景をスケッチする伊月の綺麗な横顔に見惚れた。
(ん?)
そこへ数人の女子生徒が集まり伊月のカンバスを指差しその肩に触れて談笑し始めた。なぜか俺の胸の奥がチリチリと痛んだ。
「おい!陸斗!おまえの順番だぞ!」
「お、おお」
「おせぇぞ!」
「すまん!」
俺は慌てて自分のレーンに指を突いた。
「位置について、よーい」
グラウンドの白線に膝を突いた俺は400メートル先のゴールよりも楓の樹の下にいる伊月を意識していた。
「どん!」
赤い旗が振り下ろされ俺は全速力で走った。第一ハードル、第二ハードル、振り上げ足と抜き足でグラウンドを蹴った。
(伊月!)
一瞬の出来事だった。伊月の姿が目の前にチラつき集中力が途切れてしまった。
「あっ!」
俺は第九ハードルと共にグラウンドに叩き付けられた。
「おい!なにやってるんだよ!」
なぎ倒したハードルの中に崩れ込んでいると部員が集まって来た。
「おい!大丈夫か!」
「痛ててて、下手こいたわ」
「血、出てるぞ」
「大丈夫、大丈夫、ちょっと水で洗って来るわ」
手洗い場で水道のカランを捻ると蛇口からぬるま湯が出た。顔に付いた土をぬるま湯で拭い、伊月に対する意味不明な感情を洗い流そうと冷えた水を頭から被った。
(なんだこれ)
髪からポタポタと冷たい雫が垂れた。
(なんだよ)
俺は冷静になるどころか女子生徒に囲まれる伊月の笑顔に掻き乱された。
「なんだよ、これ」
それはこれまでに味わった事のない初めての感情だった。