カーテンの隙間から()れる一筋の光が眩しい。また気怠い朝が始まろうとしていた。枕元の目覚まし時計は6:00、そろそろベッドから這い出さないと部活動の朝練に間に合わない。その時、突き抜けて明るい声が玄関先で響いた。

「はーせがわさーん!がっこういーこーう!」
「・・・・・ちっ」

 あいつは(いく)つになったら小学生気分が抜けるのだろう。春夏秋冬、伊月は毎日欠かさず俺を迎えに来た。

「はーせがわさーん!」
「うるせぇ!その呼び方止めろよ!」
「・・・・・・・・」
「今起きるから!」

 慌ただしく準備を終えてスニーカーを履くと伊月は玄関先のコンクリートの階段に座って待っていた。

「おっす」
「おはようございます」
「おまえさ、美術部に朝練なんてないだろう?もうちょっと寝てろよ」
「そんな事をしたら陸斗さんが先に登校しちゃうじゃないですか」
「そりゃ陸上部には朝練があるからな」

 俺は母親が握ったおむすびを頬張りながら伊月を見上げた。すると伊月は真顔になった。

「一緒に居たいんです」

ぶっ

 思わず()せ危うく梅干しを飲み込むところだった。

「なっ!」
「一緒に登校したいんです」
「そ、そうか・・・一緒に」
「はい。陸斗さんと一緒にいると楽しいですから」
「あ、楽しいね。楽しい、はははは」

 高等学校に入学した頃から伊月は変わった。時々俺が赤面する様な台詞(せりふ)を臆面もなく口にする。それはまるで恋人に(ささや)く様な甘い言葉だ。俺はその一言一言に戸惑った。

「それにまた痴漢が現れるかもしれないでしょう?」
「ああ、あの中年男性(じじい)ね」
「そうですよ!」

 伊月は改札を抜けると厳しい顔で駅のホームを見回した。

「おまえ、なにそんなに怒ってんだよ」
「私ですら!」
「ん?」
「私ですら触った事がないのに!」
「はぁ?」
「いえ、なんでもありません。忘れて下さい」

 電車が到着するアナウンスが流れた。

「てかさ、痴漢に遭うなら伊月なんじゃねぇの?」
「なぜですか?」
「・・・・そ、その綺麗だし?」
「綺麗だなんて!陸斗さんの魅力には到底及びません!」

 俺の身長は165センチメートル、伊月より20センチメートルも低い。身体は陸上部で鍛えているので筋肉質だが一見すると頼りのない印象を受けた。そして面差しは鼻ぺちゃで、黒くつぶらな瞳は小動物だと比喩(ひゆ)される。そこで俺は実年齢よりも幼く見られる事が多かった。

「魅力だぁ?俺なんかモモンガにチンチラって言われてるんだぞ!」
「小動物系男子!抱き締めたい愛らしさです!」
「てか、なんで俺ら()め合ってんの?」
「そうですね」
「自分大好き人間かよ」

「私は陸斗さんが大好きです」
「そうかよ」
「はい」
「そりゃどーも」

 そしてまた電車は鮨詰(すしず)め状態で俺は出入り口の扉に頬を押し付けられた。「くっ、そ」電車がカーブを曲がる度に押寄せる乗客の波、その圧迫感に顔を歪ませていると不意に呼吸が楽になった。目の前には伊月の喉仏と白いカッターシャツ、ネクタイがあった。視線が絡まるいわゆる壁ドンの距離。

「ちょ、おま、なにやってるんだ」
「陸斗さんが窮屈(きゅうくつ)かと思って」
「そんなん良いって」
「遠慮しないで下さい」
「腕疲れるぞ」
「大丈夫です、私がこうしたいんです」

 伊月は電車の扉に両腕を突いて俺のスペースを確保してくれた。

「さ、さんきゅ」
「はい」

 伊月は微笑んだ。