憂鬱な月曜日の朝も窓の外が雨降りならば特別になる。
ピンポーン
「おはようございます」
愛おしい声に胸がときめく。
「おはよ」
「今朝は早いですね」
「彼氏を雨の中待たせちゃ悪いからな」
そして二人で一つの傘を差して駅へと向かう。
「あ、赤信号」
横断歩道の信号機が赤になると伊月はさり気なく傘を傾けた。雨粒が流れ雫が垂れる。黒い傘に隠れて俺と伊月は優しく唇を重ねた。
「また赤にならないかなぁ」
「ゆっくり歩けば次の信号機も赤になりますよ」
雨の朝、俺と伊月は必ずホームルームに遅刻した。
「長谷川!大谷!また遅刻か!」
「雨で乗り遅れました」
「早起きしろ!」
「申し訳ありません」
「おい、陸斗。おまえ肩がびしょ濡れだぞ?」
「傘が壊れてたんだよ」
「買い替えろよ」
「うっせぇ」
俺と伊月に傘は一本で十分だ。
「はい、プリント回します!足りなかったら手を挙げて下さい!」
進路指導のプリントが前列から順番に送られて来た。伊月の手には二枚のプリント、そしてゆっくりと振り返った。
「はい、どうぞ」
手のひらが重なりギュッと握られる。
(隣のやつに見られたらどうするんだよ)
伊月が手を離すと蛍光色でピンク色の付箋がプリントに貼られていた。
あ い し て ま す
思わず顔が赤らんだ。
俺と伊月は鮨詰め状態の電車に揺られ毎日学校に通う。その姿は蟻によく似ている。けれど高等学校三年生の蟻はいつまでも右往左往してばかりではいられない。
「伊月!なんで国公立大学に行かないんだよ!」
「だって陸斗さんが私立大学に行くって言うから」
「俺はスポーツ特待生でそこに行くんだよ!俺はそこしか行けねぇの!」
「だって」
「だってじゃねぇ!」
「離れ離れになってしまうじゃないですか!」
「もう中学のガキじゃねぇんだぞ!国公立大学に丸付けてプリント出せ!」
伊月は中学生の時と同じく進学の事で担任を悩ませていた。
「伊月、俺は伊月がいるから頑張れる」
「陸斗さん」
「大学が違ったって良いじゃん」
「顔を見る事が出来ません」
「心が繋がってればどこにいても一緒だろ?」
伊月は渋々目に涙を浮かべながら進路指導のプリントに国公立大学の名前を書いて丸印を付けた。プリントには点々と涙の跡が付いた。
「そんなに泣く事かよ」
「泣く事です」
「ばーか」
「陸斗さん」
「俺だって一緒にいたい」
「・・・・」
「これでも我慢してんだ」
「陸斗さん」
「なぁ、大学卒業したら一緒に暮らそうぜ」
「・・・・!」
「それもアリだろ?」
「は、はいっ!」
「いやぁ、同棲かぁ、楽しみだなぁ」
なかなか良い提案だったとベッドに転がり枕を抱えた俺はふと蓋が錆びたクッキー缶の事を思い出した。
「そうだ!ごめん、アレ見ちゃったんだけど捨てねぇの?」
「あれ?」
「あぁ、ベッドの下のクッキーの缶。割れたビー玉とか入ってた」
「みっ、みた見たんですか!?」
「ごめん、つい」
伊月はベッドの下に腕を伸ばすとクッキー缶を取り出して錆びた蓋を開けた。中には縁の欠けたビー玉やアイスキャンディの当たり棒、空き瓶の王冠の蓋が缶いっぱいに入っていた。青いシーグラスを指で摘んだ伊月はベッドに転がった俺に翳して見せた。青いシーグラスは伊月の碧眼の瞳に似て吸い込まれそうな程に美しかった。
「これは陸斗さんとの思い出です」
「ふーん」
「大切な宝物です」
「それじゃもっと大きな缶を用意しないとな」
「え」
「これから俺と思い出作るんだろ?」
「は、はい!」
ふと見ると蓋が錆びたクッキー缶の中に缶ジュースのプルタブがあった。俺はそれを指で摘むと伊月の左手を取って薬指に嵌めた。プルタブの穴は小さくて伊月の第二関節で止まってしまった。
「これは」
「婚約指輪だよ」
「婚約指輪」
「そ、大人になったらプラチナの指輪を買おうぜ」
伊月は眉毛を八の字に歪ませ唇を噛んだ。
「ちょっ、おい!」
碧眼の瞳に涙が滲んだ。
「なに泣いてるんだよ!泣くんじゃねーよ!」
伊月は嗚咽を漏らしながら泣き笑いをした。
「なんだよ!嬉しいのか嬉しくないのかそれじゃ分かんねぇよ!」
「嬉しいに決まっているじゃないですか!」
「そ、そうか」
「はい」
ティッシュの箱を手繰り寄せた伊月は涙と鼻水でグチャグチャになった顔を拭った。
「ありがとうございます」
伊月はプルタブを握り締めた。
「そんなモンで喜ぶなよ」
「嬉しいんです」
伊月は左手を天井に翳して薬指の鈍い光を見つめた。
「俺も嬉しいよ」
これから俺たちは等身大の恋をする。
ゆっくりと大人になり、ゆっくりと二人で歳を重ねる。
ーーーーーーーーその時、俺はおまえに恋をした。それは一生分の恋だ。
了