次の日、私は急いでコンビニでご飯を買っていた。本当だったら手作りでなにかつくってあげたいけれど、先に如月さんと話をしたかった。
……如月さんと私の出会いのきっかけのあのキャンパス。
あのキャンパスが次の日回収されていたってことは、如月さんのお母様が来ていたはずなんだ。何度も何度もループを繰り返している中でも、あのお通夜のとき以外、彼女を見かけたことがない。
……あの人の如月さんへの態度を変えない限りは、あと何回ループできるかわからない中、何度ループしても変わらないと思う。
だからふたり分のお弁当に、どうせお弁当は嵩増ししているからと、おにぎりもふたつ買い足して、急いで彼の住む高層マンションに向かった。
高層マンションの近くに、高そうな車が停まっているのが目に入った。ハンドルが右ハンドルだ。多分外車。私は胸騒ぎを覚えて、急いで如月さんの家の階に向かった。
珍しいことに、田畑さんが廊下に出ているのが目に留まった。
「おはようございます」
「あー……おはよう」
田畑さんは、明らかに如月さんの家の方角を見ていた。
「あのう……如月さんがなにか?」
「いや? 強烈なお母さんが来てるから、大丈夫か心配で様子見てる。警察を呼ぶほどでもないけれど、強烈だから。如月さん大丈夫かなと」
「今……今いるんですか?」
「そうそう」
どうも田畑さんは、如月さんのお母さんを知っているらしかった。
それにたまりかねた私は、如月さんの家のチャイムを必死で押し続けた。
「こーんーにーちーはー。きーさーらーぎーさーんー、いーまーすーかー!?」
ガンッガンッガンッと扉を叩く。それを田畑さんは「うわあ」という顔で見ていたものの、特に止めることがなかったので、それでかまわなかった。
私の騒音にか、とうとう扉が開いた。
「なんですか、あなたは。朝から騒々しい……!」
それは迫力のある美人だった。
長く豊かな髪をひとつのサイドテールにまとめ、タイトなワンピースを着こなしている。これが若作りに見えないのは、タイトなワンピースもきちんと自分に合う形を選んでいるからだろう。
私の記憶にあるのは、喪服のしおれている人だったけれど。化粧のひとつ、爪先ひとつとっても隙の見当たらない人。それが如月さんのお母様の第一印象だった。
それに慌てて如月さんが出てくる。
「ちょっと、母さん……! あ……」
「……こんにちは、如月さん」
「……ごめん」
「謝るところないじゃないですか」
私が笑いかけると、如月さんはまるで母親に悪戯がバレたかのような気まずそうな顔をして視線を逸らした……いや、これは。
自分の母親を私に会わせたくなかったから、気まずいんだろう。
お母様は目を吊り上げる。
「あなたいったいなに!? 朝から本当にうるさい……今は大和からちゃんと次の仕事の斡旋をしようとしていたところで」
「あ……斡旋?」
「そうよ。この子にテーマを与え、それで描いてもらう。現代美術は値段が変動するけれど、今のこの子だったら、山だって買える価値がある」
「山だって買える……」
もしも如月さんのことを全く知らなかった、ただ遊び半分で繰り返す一週間を貪っていた頃の私だったら「すごーい」とのたまいながら、「もっと描けばいいじゃないですか」と無責任なことを言って背中を押していただろう。
その背中を押したら最後、あの人がマンションの一室から飛び降りてしまうことを気にも留めずに。
そんな自分じゃなくてよかったと、私は心の底からほっとした。自分を許せなくなるところだった。
私はなんとか自分の中の言葉を摺り合わせて、吐き出す。
「……それは、本当に如月さんの望んだことですか?」
「そうよ。この子は絵が描けるんだから。でもこの子は絵しか描けない。だから私が管理しているのよ。美大には一応籍は置いてあるけどね。あそこは駄目ね。あそこの授業じゃこの子の才能は潰れてしまう。ただの凡才に成り下がってしまう。だから代わりに家を買ったのよ」
それは……。気付けば田畑さんは部屋に引っ込んでしまったものの、おそらくはいつ通報してもいいようにと、魚眼レンズでこちらを眺めて、飛び出せる準備はしているだろう。あの人は口調よりもよっぽどまともな人だから。
だけど。如月さんのお母さんは駄目だ。これだから……これだから如月さんは羽を剥かれたように、自分はなにもできないと追い詰めてしまった。
そうかもしれないけど。絵の天才で才能があって、それだけでずっと生きていけるのも間違いじゃないかもしれないけど。
「それって本当に……こんなところに閉じ込められて、生きてるって言えるんですか?」
きっと如月さんのお母様からしてみれば、私は鼻持ちならない、どこの馬の骨ともわからない高校生だろう。
そうだよ、私はなんでもないよ。
語れる夢も、なにかに打ち込む才能も、なにも持ってないよ。
でもそれがなに? どれだけ天才で才能が溢れている人でも、その才能だけ求められていたら、その本人はどうなってしまうの?
如月さんの才能が必要なのであって、如月さん本人はいらないの?
私はすっくとお母様を睨み付けた。
……如月さんと私の出会いのきっかけのあのキャンパス。
あのキャンパスが次の日回収されていたってことは、如月さんのお母様が来ていたはずなんだ。何度も何度もループを繰り返している中でも、あのお通夜のとき以外、彼女を見かけたことがない。
……あの人の如月さんへの態度を変えない限りは、あと何回ループできるかわからない中、何度ループしても変わらないと思う。
だからふたり分のお弁当に、どうせお弁当は嵩増ししているからと、おにぎりもふたつ買い足して、急いで彼の住む高層マンションに向かった。
高層マンションの近くに、高そうな車が停まっているのが目に入った。ハンドルが右ハンドルだ。多分外車。私は胸騒ぎを覚えて、急いで如月さんの家の階に向かった。
珍しいことに、田畑さんが廊下に出ているのが目に留まった。
「おはようございます」
「あー……おはよう」
田畑さんは、明らかに如月さんの家の方角を見ていた。
「あのう……如月さんがなにか?」
「いや? 強烈なお母さんが来てるから、大丈夫か心配で様子見てる。警察を呼ぶほどでもないけれど、強烈だから。如月さん大丈夫かなと」
「今……今いるんですか?」
「そうそう」
どうも田畑さんは、如月さんのお母さんを知っているらしかった。
それにたまりかねた私は、如月さんの家のチャイムを必死で押し続けた。
「こーんーにーちーはー。きーさーらーぎーさーんー、いーまーすーかー!?」
ガンッガンッガンッと扉を叩く。それを田畑さんは「うわあ」という顔で見ていたものの、特に止めることがなかったので、それでかまわなかった。
私の騒音にか、とうとう扉が開いた。
「なんですか、あなたは。朝から騒々しい……!」
それは迫力のある美人だった。
長く豊かな髪をひとつのサイドテールにまとめ、タイトなワンピースを着こなしている。これが若作りに見えないのは、タイトなワンピースもきちんと自分に合う形を選んでいるからだろう。
私の記憶にあるのは、喪服のしおれている人だったけれど。化粧のひとつ、爪先ひとつとっても隙の見当たらない人。それが如月さんのお母様の第一印象だった。
それに慌てて如月さんが出てくる。
「ちょっと、母さん……! あ……」
「……こんにちは、如月さん」
「……ごめん」
「謝るところないじゃないですか」
私が笑いかけると、如月さんはまるで母親に悪戯がバレたかのような気まずそうな顔をして視線を逸らした……いや、これは。
自分の母親を私に会わせたくなかったから、気まずいんだろう。
お母様は目を吊り上げる。
「あなたいったいなに!? 朝から本当にうるさい……今は大和からちゃんと次の仕事の斡旋をしようとしていたところで」
「あ……斡旋?」
「そうよ。この子にテーマを与え、それで描いてもらう。現代美術は値段が変動するけれど、今のこの子だったら、山だって買える価値がある」
「山だって買える……」
もしも如月さんのことを全く知らなかった、ただ遊び半分で繰り返す一週間を貪っていた頃の私だったら「すごーい」とのたまいながら、「もっと描けばいいじゃないですか」と無責任なことを言って背中を押していただろう。
その背中を押したら最後、あの人がマンションの一室から飛び降りてしまうことを気にも留めずに。
そんな自分じゃなくてよかったと、私は心の底からほっとした。自分を許せなくなるところだった。
私はなんとか自分の中の言葉を摺り合わせて、吐き出す。
「……それは、本当に如月さんの望んだことですか?」
「そうよ。この子は絵が描けるんだから。でもこの子は絵しか描けない。だから私が管理しているのよ。美大には一応籍は置いてあるけどね。あそこは駄目ね。あそこの授業じゃこの子の才能は潰れてしまう。ただの凡才に成り下がってしまう。だから代わりに家を買ったのよ」
それは……。気付けば田畑さんは部屋に引っ込んでしまったものの、おそらくはいつ通報してもいいようにと、魚眼レンズでこちらを眺めて、飛び出せる準備はしているだろう。あの人は口調よりもよっぽどまともな人だから。
だけど。如月さんのお母さんは駄目だ。これだから……これだから如月さんは羽を剥かれたように、自分はなにもできないと追い詰めてしまった。
そうかもしれないけど。絵の天才で才能があって、それだけでずっと生きていけるのも間違いじゃないかもしれないけど。
「それって本当に……こんなところに閉じ込められて、生きてるって言えるんですか?」
きっと如月さんのお母様からしてみれば、私は鼻持ちならない、どこの馬の骨ともわからない高校生だろう。
そうだよ、私はなんでもないよ。
語れる夢も、なにかに打ち込む才能も、なにも持ってないよ。
でもそれがなに? どれだけ天才で才能が溢れている人でも、その才能だけ求められていたら、その本人はどうなってしまうの?
如月さんの才能が必要なのであって、如月さん本人はいらないの?
私はすっくとお母様を睨み付けた。