「うん、大学三年だし、一応出る予定。桃花は?」
「どうしようかな。就職とか考えたことなかったんだよね」
「桃花はいいのよ。だって、個人チャンネルも上手くいっているじゃない。わたし個人のチャンネル登録者数は伸び悩んでいるのよね。向かないのかなって思うんだ。いつまでも動画配信とかやってられないだろうし。インターンを考えるならそろそろ動かないとね。あ、五限目の授業が休みよ」
 梨美が苦笑いをする。
今までフォロワー数など気にしないでやっていたが、大学を卒業しても動画クリエイターとして生計をたてられるだろうか。
梨美は就職も考えているようだ。
これから一人? どうしよう?
四年生になったら就職活動や卒論もある。就職活動をするなら、おそらくSNSも企業側もチェックするだろう。動画配信をしていたことがプラスに思われないかもしれない。
動画の反応からも梨美は真面目で常識があるとファンに思われている。企業側の印象もきっといいはず。就職する気なら就職できるだろう。
(わたしは就職は無理かもしれないな)
言いたいことは言ってしまうし、今更いい子ぶることは無理だ。会社勤めをしたら、万人受けする服を着ないといけない。
わたしはロリータファッションも着物ミックスも大好き。就職活動用のスーツは着たくない。ロリータ系スーツとかあるんだろうか。着てもいいの? 今度調べてみよう。
就職すると窮屈になりそうだ。
桃花はため息をついた。
 次に配信する動画のテーマは、「十万円あったら何を買うか」だ。取材オーケーの大型雑貨店で一時間のうちに十万円を使い切るという、ヨーチューバーの中でも人気のある企画だ。すでに撮影済みで、桃花が編集し、梨美の許可も取ったので、あとはマネージャーに提出するだけ。
エービーコミュニケーションズのOKが出たら、アップして公開だ。エービーコミュニケーションズがまずい箇所があったら指摘してくれるし、視聴者がつかないときはアドバイスもしてくれるので、ありがたかった。
 動画クリエイター一年生のときは、撮影時間と視聴者の登録者数の相関も考えず、迷走していた。最近では、いつ視聴者が視聴をやめたのかなどを研究して、視聴者が「メタモルフォーゼ」や「桃花の独り言」で何を求めているのかがわかるようになってきた。
「動画、マネージャーに渡しておいてね。お昼に来るの?」
梨美が桃花に念を押す。
「五限がないからマネージャーの車でエービーコミュニケーションズまで行く予定。そろそろ駐車場に行くね。次回はカフェとか学生でもお洒落なところでランチ企画もいいかなって思うんだけど」
「そうね。うちの大学の食堂紹介でもいいけどね」
「たしかに。まあ、ちょっと考えておいて」
「うん、じゃ、マネージャーによろしく」
 食堂はおなかをすかせた学生でいっぱいになりつつある。桜宮桃花は大河原梨美と別れた。
「さて、うちのマネージャー、駐車場のどこに車停めたかな」
 駐車場は、灯京大学と灯京大学附属病院の裏手にある。食堂の外へ通じるドアから出てすぐの細い通路をまっすぐ歩く。この道はあまり使われていないが、駐車場に出るには一番近い。
 数メートルおきにハナミズキの木が植えてあり、通路に木蔭をつくっていた。すこしだけ涼しい風が吹いている。
 もうすぐ夏だ。じんわりと日差しが肌を焼く感覚がした。
そろそろ本格的に衣替えをしないといけないな。桃花が考え事をしていると、足音がうしろから聞こえたような気がした。
 振り向くと誰もいないが、目の端で木蔭に隠れている人影をみつけた。
 気持ち悪い。やだな。ストーカーかも。コメント荒らしの人?
 急ぎ足で歩く。後ろから足音が迫ってくるのを感じた。桃花は、いっそのこと誰なのか顔を見てやると覚悟を決めた。
後ろを振り向くと同時に
「痛い!」
激痛が走った。思わず背中に近い脇腹に手をやる。黒い人影がわたしのそばに立っている。
怖い。あなた誰? 顔を見せなさいよ。あれ、なんで手が濡れているの?
 手を見ると、真っ赤になっていた。
 え? なんで?
 今まで体験したことのない痛さだ。
 桃花は地面に崩れ落ちそうになるが、視界の端に黒い影が。再び後ろをみると、黒い人がまた襲ってきた。
「やだ。だ、誰か助けて」
 刺された側の脇腹を押さえながら、駐車場へ逃げる。
 殺されるのかも。怖い。心臓がバクバクする。
 きらりと刃物の刃が光ったのが見える。黒い服を着た人が追いかけてくる。黒い帽子に黒いマスクで、男か女かもわからない。
「やめて」
 もしかしてあれで刺されたの? 怖い。怖い。助けて。わたし、殺されちゃう
 桃花は脇腹を押さえながら走った。
 駐車場にマネージャーがいるかもしれない。助けて。
「ドン」
大きな衝撃を受けた。
よくわからないけれど、空が青い。身体が、浮いている。ええ、まさか私、飛んでいるの? どうして?
身体が空中に投げ出された。車の中にいた綾音先輩と綾音先輩のマネージャーの内山さんと目が合った。
 背中も痛いけど、お腹側も痛い。やだ、なんだか頭の中が真っ白。グルグル目が回るんだけど。
わたし、もう死ぬのかもしれない。最後に推しの綾音先輩に会えてうれしかった。もし次に生まれるなら、綾音先輩のような顔に生まれたい。そっと神様にお願いする。
今度は下に向かって落ちていく感じがした。
「ドサッ、バキバキ」
桃花は気が付くと植込みの上に倒れていた。
思ったより痛くない。チクチクするけど、どうやら生きている感じがする。
桃花はそっと目を開けた。
天国でも地獄でもない。青い空に白い雲が見える。死んだ父と母が迎えに来たわけではなさそうだ。アスファルトの匂いに花の甘い匂いがする。
ここはまだ大学の駐車場。私、生きているわ。
桃花はほっとした。
でも、さっき車にぶつかったのでは? あれ? そうだ、刺されたんだっけ。まずいんじゃない?
桃花は手の指を動かしてみる。
動いた。足もゆっくりだが動く。首を動かすと緑が見えた。赤いツツジの花が顔の横に見える。頭も無事らしい。
「キャー」
誰かの叫び声がする。
 わたし、殺されそうだったんだっけ。助けて。助けて。誰か助けて。
「あ、そのまま、動かないで」
 知らない男性の声がした。
「ええ? わたし、刺されているんです」
 もう黒い人はいないんだろうか。助かったの? あ、でも、このままだとツツジの木が折れちゃうんだけど。
 のろのろと身体を起こそうとする。
「いいから、気にしないでいい。刺された? 背中か」
 白衣を着た男性がにっこりとした。
 あとで植え込みに肥料でもあげよう。本当にツツジさん、ごめんなさい。
「あ、黒木さん」
 綾音先輩が駆け寄ってきた。
ミニスカートを翻すあたりが、アイドルだなあ。相変わらず綾音先輩はかわいい。
 内山マネージャーは逆に顔色が悪い。
わたしを撥ねちゃったからだね。申し訳ないことをしたなあ。
この人、黒木さんはお医者さんかも。白衣着ているし。もしかして、綾音先輩と週刊誌に写真を撮られた人? この靴、絶対にそうだ。週刊誌の写真の男性が履いていた靴そっくりだもん。綾音先輩、お幸せに。祈ってますね。
 服が赤くなっているのが見えた。こんなに汚れちゃったら落ちないよね。血だし。ああ、がっかり。シースルーの長袖もレースが裾についたワンピースもダメにしちゃった。なんだか瞼が重い。
「ああ、君ね、目を閉じないでね。ぜったい起きていて?」
「はい」
 黒木に返事をするが、眠いものは眠い。
桃花の目の焦点は合わなかった。
「今日はどうしたの? 何があったの? 教えてくれる?」
 黒木が声掛けを続ける。優しい声だ。
「あの、わたしの顔は無事ですか?」
 桃花は顔をなでる。顔からは痛みは感じない。
「うん、顔にケガはないよ。でも脇腹から血が出てる」
「さっき誰かに刺されたんです。逃げていたら、車にぶつかっちゃって」
「なるほど」
 男性は桃花の脇腹を診ていた。
「内臓は大丈夫みたいだね。傷も浅いしね。詳しくは検査しないとわからないけど」
「ありがとうございます。よかったです」
「名前は? 名前は言える?」
「名前? ええっと、くうらあああむうう」
 なんだろう。言えない。口が回らなくなってきた。
 桃花の眉が八の字になる。
「大丈夫。落ち着いて。今はろれつが回らないだけだからね。頭の方も確認するね。あとでちゃんと名前が言えるようになるからね」
 桃花は小さく頷いた。
あれ、梨美がいる。綾音先輩と内山マネージャーもわたしを見ていた。きょうは特に綾音先輩と会う約束はしていないのになあ。あ、黒木さんに会いに来たのか。うちのマネージャーの姿も見えた。
「頭に外傷はないね」
 黒木のほっとしたような声が聞こえた。
 もう無理。寝かせて。眠いの。
「おーい、こっち! ケガ人はこっちだ」
 遠くで声がした。足音も聞こえてきた。身体が重い。きっともう大丈夫。
 桃花は意識を手放した。

桃花は隣の大学附属病院に運ばれ、すぐに手当てされた。
こういう時、附属病院付の大学は便利だ。普通、大学構内で刺されることはないので、あまり役立つ機会はないかもしれないけれど。
(検査と入院か。どうしよう、配信が遅れちゃう)
桃花は大きく息をついた。
「うちのマネージャーに動画渡してないよ。梨美に連絡してお願いしておかないと」
 電話は通じなかったが、梨美はすぐにメールを返してくれた。『刺されて交通事故って聞いたけど大丈夫? エービーコミュニケーションズに連絡してあるよ』とある。ほっとした。さすが、情報が早い。もう梨美は知っていた。
動画クリエイターにとって動画を更新しないことは生命線に関わる。チャンネル登録者が離れて行ってしまうからだ。まず、まめに更新して、存在を知ってもらい、覚えてもらう。動画を楽しんでもらって、友達に紹介してもらい、動画を拡散していく。多くのヨーチューバーの中から選んでもらい、がっちり登録者の心を離さないようにしなくてはいけない。
 テレビをつけたら、昼の情報番組で「大学構内で殺人未遂事件が起きた」と報じていた。病室のテレビはベッドでも見ることができるように動かすことができる。チャンネルを変えても、「大学構内で刃物を持った不審者が出現」とテロップが出ている。
それって、わたしのこととだよね。
他人がわたしのことで動画を作っている。報道される側の気持ちってこんな気持ちなのか。桃花は不思議な気持ちになる。
病院の窓から大学の正門を見たら、マスコミが来ていて大騒ぎになっていた。
「ただの動画クリエイターなのに、びっくり。わたしって意外に有名人?」
 桃花は乾いた笑みを浮かべた。
「トントン」
ドアのノック音が聞こえた。
「おとなしく寝てる? 休んでないとだめだよ」
 梨美が顔を出した。
「だって、暇なんだもん。テレビくらいいいじゃん」
「刺されたでしょ。痛くないの?」
 梨美は心配そうな顔をした。
「すぐに治療してもらったから大丈夫。ところでさ、わたし、ここで動画配信してもいいかな?」
「ええ? 病院でやるの? ちょっとやりすぎじゃない?」
 梨美がしかめっ面をする。
 こんなこと一生に何度もあることじゃないしね。それに気になることもある。
「わたし個人のチャンネルのほうでやるよ。一応、梨美には断っておこうと思ってさ。そうそう、刺された時、綾音先輩を駐車場で見たの」
「……」
 梨美は無言で肯いた。
「内山マネージャーもいた」
「桃花がぶつかった車は内山マネージャーの車だもの」
「うちのマネージャーは?」
「うちのマネージャーは、遅刻してきたわ。桃花が刺されたって知って、あたふたしてたわよ」
 梨美が肩をすくめた。
「ところで、なんでわたし、刺されたんだろう? 知ってる?」
 梨美に聞いてみる。
「思い当たる節は? 恨まれていたんじゃない?」
「まったくないよ。悪いことしてないもの」
 桃花の返答に梨美はきゅっと口を結んだ。