『見聞きしたことは、絶対に他言無用ぞ!』
「もちろんだ。この一件が終わったあとは、聞いた事情を他の(だれ)かに話したりしないと誓う」

 片手を上げて宣誓するマハトに、クロスも同意を示して同じポーズで頷いた。

「とりあえず訊ねたいんだが、先刻の二人の言い争いに出てきた、神耶族(イルン)というのはなんなんだ?」
「マハさん、ヒトならざる者(ヴァリアント)の寵愛を得ることが出来たら、不老不死の秘術が手に入る…みたいなおとぎ話って、聞いたコトない?」
「俺は修道院で育ったから、おとぎ話のような空想混じりの話は、殆ど聞かされたことが無いんだが。ではこの水晶がタクトで、不老不死の秘術を授けてくれる器物なのか?」
(たれ)が器物かっ、この石頭のサウルスめがっ! そも、神耶族(イルン)とその他のものを、ヒトならざる者(ヴァリアント)などという言葉で十把一絡(じゅっぱひとからげ)にするでないわ!』

 マハトは、全く意味が解らないといった顔で、首を傾げている。

「ええっと…。おとぎ話を引き合いに出したのは、知ってたら解りやすいと思ったから…なんだけど。タクトはヒトならざる者(ヴァリアント)じゃなくて、神耶族(イルン)って種族で、今はそんなまんまるの水晶みたくなってるけど、本来はヒトガタをしているはずなんだ」
「いや、待ってくれ。それじゃあまるで、この世界に人間(リオン)以外のヒトガタの種族が存在しているみたいじゃないか?」
「みたいじゃなくて、してるんだよ」
「いや…、いやいやいや、待ってくれ」

 マハトは(かぶり)を振った。

「俺は今まで生きてきて、そんな話は聞いたことも無いんだが」
「そうだろうね」
「落ち着き払って、肯定してるが…俺を騙そうとしているのか?」
「まさか、違うよ。まぁ、人間(リオン)の常識では、ヒトガタ…つまり二足歩行をするイキモノは、人間(リオン)の他は妖魔化(ガルドナイズ)した妖魔(モンスター)以外に存在しない…みたくなってるけど、実際に人間(リオン)以外のヒトガタをした種族は存在するんだよ」
「おとぎ話ではなく、実在していると…? だが、タクトは先刻一緒くたにするなと言っていたが、他にもいるのか?」
「もちろん」

 修道院育ちであれば、特にこの話は信じがたいだろう。
 さっぱり意味が解らないといった感じで、マハトは首を傾げている。

「なぜ俺は、他種族の存在を知らないんだ? 確かにいまだ若輩だとは思うが、それにしたって…」
「他の種族は人間(リオン)…いや、人間(フォルク)は自分たちを迫害するって知ってるから…」
「なぜ、わざわざ "ふぉるく" と言い換えたんだ?」
「そもそも人間(フォルク)のほうが正しい…と言うか、他種族は人間(リオン)人間(フォルク)って呼んでいるんだよ。人間(リオン)は、簡単に言うと "自称" だから」
「なぜ、わざわざ違う呼び名にしてるんだ?」
人間(フォルク)が傲慢なイキモノだからに決まっておろう』

 タクトが、鼻であしらうような、やや見下したような声音で言った。

「傲慢が、なんの関係があるんだ?」
「リオンは古代語(フォニルオロ)で "頂点に立つ(もの)" って意味なんだよ」
『ちなみにフォルクは "数が多い" だ』
「そんなに多いのか?」
「他のヒトガタ種族全部と、人間(リオン)の人口を比較すると、人間(リオン)のほうが多いんじゃないかな。そこも人間(リオン)の偏見が強くなる理由の一つなんだろうけど」

 マハトは溜息を()いた。
 頂点に立つ(もの)と言う古代語(フォニルオロ)と同じ音の名称が付いているのは、この様子からすると偶然では無いのだろう。
 ならばタクトの皮肉は、当然の言葉だと思った。

「それは(だれ)もが知っておくべき知識…じゃないのか?」
「どーかなぁ? 俺は知らないほうが良いと思う派だから…」
「なぜ?」
「世界のヒエラルキーの基準になるのは、魔力(ガルドル)の大きさだからさ。つまり、人間(リオン)は下の(ほう)の種族なんだよ? 実生活に直接関係がナイなら、そんな話わざわざ知る必要ないじゃん」
「そうか…、人間(リオン)持たざる者(ノーマル)(ほう)が多いし、魔力(ガルドル)で比較をされたらどうしてもそうなるな…」

 なるほどと感心したようにうなずくマハトに、しかしクロスは心のなかで嘆息する。
 (じつ)を言えば、持たざる者(ノーマル)なんて世界に存在していない。
 魔素(ガンド)が存在する以上、全ての生き物は常に魔気(ガルドレート)にさらされているようなものだ。
 それから身を守る程度に、全ての生き物は魔力(ガルドル)を備えている。
 だが、そういった知識は一般的に広まっていない。
 人間(リオン)の歴史の中で、魔力(ガルドル)は忌み嫌われているが故に、そんな "素養" 程度のものですら、持っていることを認めようとしないのが、人間(リオン)の種族的な特徴なのだ。
 マハトのような素直な(もの)ならば、言葉を尽くして説明すれば納得するかもしれないが。
 ここでそれに使える時間は無い…と、クロスは判断したのである。




「先刻も言ったとおり、人間(フォルク)ってぐらいに人間(リオン)は数で勝る種族だし、コミュニティを作って発展してる。ただ種族内でのいざこざも多いし、国家間の戦争やら、異種族への嫌悪やら、いろいろあって、他の種族は利用することはあっても、率先して関わり合いたいとは思ってない…みたいな感じなんだよね」
「それって、避けられてるって意味か?」
(だれ)だって、モメゴトに巻き込まれたくはないし、わざわざ詰られたくもないでしょ?」

 マハトが微かに顔をしかめている。
 世界に覆すことが出来ないヒエラルキーが存在し、自分の所属はその三角形の底辺で、しかも他種族から避けられているなどといきなり言われて、良い気持ちはしないだろう。

「でもって、神耶族(イルン)はその真逆。ヒエラルキーのほぼ頂点に立つ、いわば絶対王者なんだよ。神耶族(イルン)は、能力値(ステータス)が高いだけじゃなくて、おとぎ話に語られるような不老不死を、他者に付与出来る特殊技能(スキル)を持っている…と言われていて…」
『おい、ヘタレ! 貴様なにを言っておるっ!』

 それまでクロスの説明をおとなしく聞いていたタクトが、そこで声を上げた。

「なにって、なにが?」
『なにがじゃとっ! 適当な発言で、このサウルスを惑わして、やはり貴様も禁忌に触れる、ペテン師どもの仲間であったかっ!』
「そうじゃなくて…」
『ええいっ! やはり人間(フォルク)なぞを信用したのが馬鹿であったわ!』
「だからっ! 神耶族(イルン)特殊技能(スキル)を肯定しちゃったら、アンタらの身がより危なくなるって、なんでワカンナイんだよっ!」
『高慢ちきでめちゃめちゃと、言っておったくせに』
「たとえ神耶族(イルン)が全部そういうヤツだったとしてもっ! アンタらが人間(フォルク)の私利私欲の犠牲になるのなんてっ! 俺はっ、絶対にっ、どうしてもっ、イヤなんだよっ!」
『莫迦者! 今はこのサウルスに "きちんと" 説明すべき場であろうが! 真実と虚実がないまぜになった伝承ではなく、現在起きている事実を有り体に伝えねば、サウルスが混乱するだけとなぜ解らぬ! 語ると決めたら、腹を(くく)れい!』

 タクトの厳しい口調に、クロスはなにかを言い返そうと口を開き、一瞬の間を置いて、肩の力が抜けたように消沈して、それからおもむろに顔を上げた。

「ごめん。そうだね。確かに今は、タクトの言ってる事の方が正しい…。あやふやな事ばっか言ってごめん。マハさんには、ちゃんと全部話すよ」

 そこで一度、クロスはため息と深呼吸が入り混じったような大きな息を吐いた。

「つまり、不老不死を付与出来る特殊技能(スキル)は、実際にある…と?」
「うん、そう。神耶族(イルン)と契約を交わすと、特殊技能(スキル)でその能力を分け与えて貰えるんだ」
「しかし神耶族(イルン)とは、人間(リオン)よりも遥かにチカラのある存在なのだろう? 契約なんて、単に人間(リオン)を隷属させるだけのものじゃないのか?」
『ふん。(まさ)人間(フォルク)の意見だの』

 マハトが抱いた感想を述べると、タクトが鼻で笑った。

『契約と言うのは、双方の同意があってこそ成り立つもの。そも、神耶族(イルン)が与える破格の恩恵を欲して、わざわざ我らを取り込みにきておるのは、そちらではないか。最も、中途半端な知識で神耶族(イルン)の子供を捕らえたとて、真のチカラは手に入れられぬがな』
「なぜだ」
神耶族(イルン)特殊技能(スキル)の殆どは、子供では使えぬからよ』
特殊技能(スキル)と言えば、生まれながらに持っているものだろう? 技術的には拙くとも、普通は子供でも使えるものでは?」
神耶族(イルン)に限ったことでなく、子供などというものは無法な振る舞いを思慮も浅いままに(おこな)うものであろうが。神耶族(イルン)の強大なチカラを、そんな無思慮に振るっては、他種族にどのような影響が及ぶかなど、計り知れん』
「そんなにか?」
「当然じゃ! 神のごとくと()うたであろうが。相手の人品骨柄を見抜く経験も足りぬゆえ、ジェラートには人間(フォルク)と一切口を聞いてはならぬと言ったのじゃ。そんな無垢なる(もの)が、狡猾な毒まんじゅうのような(もの)に洗脳されてしもうては、(まさ)にそのまま隷属されてしまう』
「一部の封印された歴史書には、ヒトならざる者(ヴァリアント)…つまり神耶族(イルン)の能力を利用した独裁者によって、数世代に渡る悲惨な歴史が積み上がった…なんて記載もあるよ」

 クロスがタクトの言葉に、補足の説明をいれる。

「実際にあった、事件なのか?」
『ここでそれを詳しく語ったところで、埒もないであろ。だが神耶族(イルン)は個体数が極端に少ない種族ゆえ、横の繋がりも薄い。守護者(ケルヴィンガー)を失った子供が洗脳されたことに気付くのが、人間(フォルク)の言う "数世代" に及んだとして、不思議はないわな』

 マハトは、神耶族(イルン)人間(リオン)を隷属させることを嫌悪したのではなく、自我と知性のある(もの)の自由意志を奪われる行為そのものに嫌悪感を(いだ)いていた。
 故に、この語られた内容に「これでは神耶族(イルン)人間(リオン)に対して良い感情を持っていないのは当然だ」と、タクトの態度の一部に納得したのだった。




「では、攫った連中は、とりあえずジェラートの命を奪うようなことはしない…と考えて良いんだな」
「そもそも、人間(フォルク)神耶族(イルン)を殺すなんて、よっぽど策を弄さないと無理だしね」
「そういうものか?」
「上級幻獣族(ファンタズマ)を殺しにいくようなもんだよ」

 クロスの説明に、マハトはなるほどと頷いた。

『ジェラートは未だ子供ではあるが、儂の押し込み(・・・・)もあるから、丸め込むにも、しばらくの時間が掛かると見てよかろうぞ』
「しかし、不思議だな。おまえは決して思慮の浅い(もの)じゃなさそうなのに。そんなおかしな(もの)に目をつけられていて、なぜ悪目立ちするようなことをしたんだ?」
『おぬしも大概ボンクラじゃの。もし貴様がジェラートの立場にあったとして、目をつけられた原因が "自分が子供である" ためだと知ったら、傷つかぬか? そのような、避けようもない理由で、狙われて逃げ回る羽目になった子供に、気遣いをするのは傲慢か?』

 クロスが少し意外そうな顔をしている。
 たぶんその視線の先に、マハトには見えないタクトの顔があるのだろう。
 とはいえ、そのタクトの言葉はマハトを納得させるに足るものだった。

「すまない、余計なことを言った」
人間(フォルク)に理解してもらおうとは、思っておらんわ』

 タクトの顔は見えないが、その言葉が額面通りのタクトの気持ちと言う(わけ)でも無いのだろうと、マハトは思った。

「よし。神耶族(イルン)のあらましは判った。それで、こいつは何者なんだ?」
「アルバーラの四番弟子のカービンだよ。二番弟子のルミギリスとべったりツルんでる仲良し(・・・)コンビさ」
「なぜそこで、わざわざ仲の良さを強調するんだ?」
『オトコ不要のオンナ友達…という意味を、含んでいるからであろ』

 タクトは如何にも小馬鹿にしたような揶揄(からか)い口調だったが、そんなことよりマハトは、目の前のカービンが女性だったことのほうに驚いていた。

「女? じゃあそいつ、いや、その人は…、女性…なのか?」
『どこをどう見ても、オンナの格好をしておるではないか』
「格好…」

 カービンの身なりは、ガーターベルトにタイツとショートブーツ、それにマントを羽織っているが、今はそのマントが捲り上がって、肌が露出した胸当てが見えている。
 とはいえ、カービンの身長はマハトと大差なく、更に骨ばっていて胸にも尻にもほとんど肉付きがない。
 髪はボサボサで手入れもされておらず、それを面長で頬の痩けた顔を隠すように顔面に垂らしているので、正直、マハトのような(もの)でなかったとしても、性別を一目(ひとめ)で判別するのは難しいだろう。
 もっとも、魔力持ち(セイズ)はいわゆる "見栄え" のする(もの)は稀であり、痩せぎすで長躯か、痩せぎすで短躯ばかりではあるが。
 服装的には女性だが、そもそも他人の服装などに気を払う性質(たち)ではなさそうなマハトでは、無理からぬことだろうな…とクロスは思った。

「女性に乱暴を働いてたのか、俺は…」
「マハさん、そもそも先に仕掛けてきたのは向こうなんだし、性別に関係なく、魔導士(セイドラー)相手の時に容赦は不要だよ」
「そう、なのか……。それで、この四番弟子と二番弟子がコンビで、その二番弟子がジェラートを攫ったのか?」
「だろうね。それにルミギリスは、一番弟子のアンリーと、後継者を巡って泥沼の争いをしているって話だから、カービンからルミギリスの情報を聞き出せても、読めない敵がまだ居るって考えて行動するべきだろうな」
「よし、それならまずそのカービンを起こして、ルミギリスの居場所を聞き出すのが順当だろうな」

 マハトの提案に、クロスも同意した。




 昼前になってから、縄で腕を縛ったカービンを連れて、三人が向かったのは、町の西側にある遺跡だった。
 昨晩の、カービンへの尋問はあっけないほど簡単に終わった。
 というのも、目を覚ましたカービンは、マハトの鍛え上げられた体躯を見ただけで震え上がり、こちらが何かを問う必要もなく、知っていることをペラペラと喋ったからだ。
 その情報の中には、自分とルミギリスがねぐらにしている遺跡の場所をも含んでいた。

「砂漠というのは、こんなにも不毛の土地なのか…」

 クロスの仕入れた(まえ)情報どおりに、砂漠に踏み込むとそこは見渡す限りの砂と、ポツポツと点在する遺跡しかない場所だった。

『この地は以前、緑豊かな場所であったが、人間(フォルク)が考えなしに大規模な魔力(ガルドル)を使った戦いをしおっての。窪地だったために魔素(ガンド)が滞留し、土地の奥深くにまで染み込んでしまったのじゃ』
人間(リオン)が、大規模な魔法(ガルズ)で戦争を?」
「今の魔導組合(セイドラーズギルド)は、人間(リオン)同士の戦いに魔導士(セイドラー)が参加しないことを徹底してるけど、昔は国家間の戦争に魔導士(セイドラー)部隊が投入されたりしたんだよ」
「じゃあ、遺跡は人間(リオン)の物なのか…」

 (くだん)の事前情報によると、遺跡は宿を取った町が出来る以前からあると言う。
 だが近代(・・)人間(リオン)にとっての遺跡とは、人跡未踏の地と大差が無い。
 というか、そもそも持たざる者(ノーマル)人間(リオン)にとって、壁や柵といった人家を守る囲いの無い場所は、街道と言えど常に危険が伴う。
 それは妖魔(モンスター)のような強力な外敵以外にも、魔気(ガルドレート)のような、目に見えないが人体に影響を及ぼすような危険もあるからだ。
 タクトの言う通り、魔素(ガンド)が土地に染み込んでいるこの地などは、何らかの防御策を講じてなければ、魔障(ガルドリング)してしまう。
 知能が低く体が頑強な生き物であれば妖魔(モンスター)と成るが、脆弱な人間(リオン)の体は、魔障(ガルドリング)に耐えきれずに死に至る。
 そこに遺跡があることを知っていても、調査に赴けるほどの余力は、現在の人間(リオン)には無いのだ。
 故にその遺跡が、どの年代の、どんな民族が、なんの目的で作ったのか? 何故に打ち捨てられたのか? など、調べることなどおぼつかない。

「サンドウォームも出るらしいから、気をつけないと…」

 通商路(つうしょうろ)は、それでも魔気(ガルドレート)が多少はうすい場所が選ばれているが、ルミギリスとカービンの隠れ家は、そこから外れた遺跡の中だ。
 クロスは魔気(ガルドレート)を退けるための結界(フルンド)を、マハトの体に施した。

一日(いちにち)ぐらいは、これで問題ないと思うよ」
「これは、便利だなぁ」

 マハトは無邪気に感心しているが、こちらを見るタクトはもの言いたげな顔をしている。
 その視線に気づいて、クロスは心のなかでしまったと思う。
 なぜなら、結界(フルンド)古代魔法(フォニルガルズ)で、一般的な魔導士(セイドラー)ならばここは防御(プロテクション)を使うべきだと、タクトの視線で思い出したからだ。
 だが、ここでタクトに何らかの言い(わけ)をしたら、事態は更に面倒な方向へと転がるだろう。
 そう考えたクロスは、あえてタクトを無視した。
 そしてカービンと自身の体にも、結界(フルンド)を施す。
 そうして、通商路(つうしょうろ)から外れてしばらく歩くと、遠くに砂に埋れかけた廃墟(ぐん)が見えてきた。




 確かにこんな場所なら、不審者が隠れていても判らないだろう。
 乾いた粘土を積み重ねて作られた建物の合間を歩いていると、聞き覚えのある声がした。

「ビンちゃ~ん!」

 一段と高い位置から、声がしている。

「ルミ~、ゴメン~、捕まっちゃったぁ~!」
(たれ)が勝手に喋って良いと言ったか!』

 後ろ手に縛られているカービンが情けない声を出すと、タクトが苛立ったように叱りつけた。
 だが彼女は、特に反論もしない。
 というか、カービンの様子を見るに、彼女はタクトの存在を認識出来ていないらしい。
 持たざる者(ノーマル)のマハトならばいざ知らず、大所帯のアルバーラ一門の四天王の一人であるカービンが "視えない" のはどうなんだろう?
 と、思いつつも。
 反面、カービンがその大所帯の中で四天王の一人になれたことにも疑問はあったので、クロスは疑問に思いつつも心のなかでスルーしていた。

「悪いヤツらめ! ビンちゃんを追っかけまわして、捕まえたりして!」

 叫びながらルミギリスが、カービンの縄を掴んでいるマハトに向かって小石を投げつけてくる。
 長躯(ノッポ)なカービンに対し、こちらは非常に短躯(チビ)なルミギリスは、幼い顔立ちも相まって、子供に見えかねない。
 しかしそれ以上に態度が幼稚で、投げつけられた小石を軽く弾きながら、マハトは少し呆れたように呟いた。

「自分のことを棚に上げてよく言えるな…」
「おいルミギリス、攫った子供を返せ!」
「あれ~? あれれれれ! クロスさんじゃん、ひっさしぶり~!」

 ルミギリスはピョンと飛ぶと、齧歯目(げっしもく)の小動物が高い木を降りてくるような仕草で、建物の上から器用にスルスルと一行の前にまで降りてきた。

「ジェラートはどこだ!」
「それはナイショだよー。それにあのスイートキャンディーは、ボク達の師匠が見つけたんだから! 横取りなんかさせないからね!」
「横取りに来たんじゃない、俺はジェラートを助けに来たんだ」
「どーだか。キミ、いっつも綺麗事ばっか言ってたケド、そんなにご立派でもなかったんじゃないの〜? 孤高の聖人君子を目指してるとか言いながら、古代魔法(フォニルガルズ)の資料集めにあっちこっちに手を回すので、ウチの師匠としのぎを削りまくってたし、穏健派の旗頭になってたよね〜え?」

 ルミギリスの言葉に、マハトは少し驚いた顔でクロスを振り返る。
 だがクロスは、先程のタクトの時と同様に、こちらも無視した。

「貴様ら一派のゴリ押しが酷いから、仕方なく引き受けただけだ!」
「周りに勧められて~断れませんでした~って? ウッソくさ! でももうそんなコトはどっちでもいいよ、どっちにしたってあのスイートキャンディーはボクのものだよ~だ!」
「そうかい! じゃあカービンはこのままでいいんだな!」

 クロスは、後ろでマハトが捕まえているカービンを指差した。

「ビンちゃん!」
「ルミ~~~~」
「言っとくが俺はカービンに微塵も同情してないから、ジェラートの守護者(ケルヴィンガー)がカービンを絞めたって、一切助けないぞ!」
「非力なビンちゃんを人質に取るなんて、鬼! 悪魔! ひとでなし!」
『子供を攫うほうが卑劣であろうが、このヒダリマキ女め!』

 ルミギリスに向かってタクトが怒鳴り返したが、どうやらルミギリスにもタクトの声は聞こえないらしい。
 常にアンリーと一番弟子の座を競っていたルミギリスは、カービンと違ってその実力は本物(・・)だ。
 そのルミギリスまでもがタクトを認識出来ないことに、クロスは一種の怒りに似た苛立ちを覚えた。




「さあ、どうする?」
「ううう~ん、分かったよぅ~。ビンちゃんの命には代えられないぃぃ~」
「それなら早く、ジェラートを連れてこい」
「ちぇ! 上手いコト、アンリーもセオロも出し抜けたと思ってたのにぃ~」

 ルミギリスは拗ねた子供のようにプクッと頬を膨らませ、地団駄を踏みながら廃墟の中に戻っていった。

「ねえ! ボクが一人でそっちに行くと、二対一でズルされるかもしんないじゃん。そっちの戦士(フェディン)が一人でビンちゃん連れてこっちに来てよ。あ、戦士(フェディン)は丸腰が条件だからね!」
「じゃあ、クロスさん。これを…」

 マハトは腰に下げていた大剣と、タクトの本体である豪奢な短剣をクロスに渡してくる。

「マハさん、タクトは持ってたほうが良いんじゃない?」
「いや、剣に見えるものは持って行けない。ジェラートに危害が及ぶリスクは()けたい」
『これ、儂を離すでない。おい、まて、鈍感サウルスめがっ!』
「手放した時点で、マハさんにはもう聞こえてないし…」
『貴様もきちんと説得せいっ! あのヒダリマキ女はイカレておるが、能力は高い! 持たざる者(ノーマル)魔導士(セイドラー)を相手にするならば、特に警戒すべき相手ではないか! 避雷針ぐらい、備えさせねば!』
「避雷針…って、自分のコト?」
『そのような些細なことをツッコミしている場合(ばあい)かっ!』

 要求通りにカービンを連れてくるマハトの姿を確認して、ルミギリスが建物から出てきた。
 ジェラートはさるぐつわを噛まされていて、更に首から下は大きな麻袋に包まれているが、小柄(こがら)なルミギリスはそれをどうにかこうにか持ち上げているようで、歩く姿がフラフラと頼りない。
 何かを伝えようとジェラートがモゴモゴと動くため、余計に重心が危うく、しかも足元が砂のために、一歩進むだけでこちらがハラハラするほどだ。
 とうとう、ルミギリスがバランスを崩して前傾(ぜんけい)し、持っていたジェラートを放り出す。
 思わずマハトは両腕を伸ばし、ジェラートを抱き取ろうとした。

「ビンちゃんっ、今だ!」

 マハトの手がカービンの縄尻を手放したと見た途端に、ルミギリスが叫び、カービンは駈け出した。
 彼女らは事前に打ち合わせをしていたのか、はたまたこのコンビの息がそこまでぴったりと合っているのか?
 とにかくルミギリスは投げ出すフリをしただけで、意外なほどの腕力で左手だけでジェラートを肩に抱え上げ、右手は差し出されたマハトの腕を掴んでいた。

「あっ!」
「きゃーーっ! 何これーーっ!」

 閃光でマハトの目の(まえ)が真っ白になったのと、大きな爆発音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
 卑怯な不意打ち攻撃を掛けられたマハトの声だけでなく、それを仕掛けたはずのルミギリスの叫び声も聞こえてきて、クロスの目の前で廃墟が崩れ、地面が陥没していく。

「マハさん!」

 半ば砂に埋もれていたとはいえ、それが大きな建造物だったと判る程度に建物の一部は目に見えていた。
 それらが、突然の震動で一部は壊れ、一部は更に砂に埋れるように傾いたために、辺り一面に砂が巻き立つ。
 ルミギリスがマハトに(じゅつ)を仕掛けたところまでは見えていたが、その先の状況はクロスにも全く見えなくなった。

「ドロボーーーー!」

 陥没の奥から、悲鳴じみた悪態を()くルミギリスの声が響く。
 砂の動く大きな音が収まると徐々に視界も開けてきたが、目の前の景色は一変していて、まるで巨大なアリジゴクの巣穴のように、大きなすり鉢状に地面が抉れていた。
 ギリギリですり鉢の外側に立っていたクロスが見ると、斜面にルミギリスとカービン、少し離れた場所にマハトが倒れていた。
 穴の底では、サンドウォームの体の一部が蠢いているのが見えたが、すぐにも砂に潜っていってしまう。

『下ではない! 上じゃ!』

 タクトに叱責されて、クロスはハッと空を見る。
 大きな鳥が羽ばたきながら飛び去る姿が見え、その足には、麻袋に押し込められたジェラートが居た。

「でもマハさんが!」
『ジェラートが先であろう! 見失っては取り返しがつかぬぞっ!』

 タクトの主張に、クロスは狼狽えた。




 クロスは、意を決したように口元を引き結ぶ。

「タクト。アンタ、ホントは物理的に何も出来ないワケじゃないんだよな?」
『いきなり何じゃ?』
「アンタにマハさんを任せられるなら、俺がジェラートを追う!」
『なにぃ!? この状態の儂に、あのサウルスをどうせいとっ!?』
「今の状況は、それぞれがそれぞれに心配している相手の面倒は見られないケド、仕事を交換すれば対応出来る…って、ワカッテるんでしょ」

 タクトは、その美しい顔にとんでもなく不快な表情をのせて、クロスの顔を見上げていたが、数秒の(のち)に諦めたように大きな溜息を()いた。

『よかろう。あの残念サウルスの身柄は儂が預かる。だが! そこまで言うのだから、そちらもきちんと責任を持ってもらうぞっ! ジェラートの身になにかあったら、貴様の身を八裂(やつざ)きにしてくれるから、そう思え!』
「解ってる、絶対に取り戻す!」
『では、儂を上手くあの残念サウルスのところへ投げるのじゃ! それと、ジェラートには、狙われたのは儂が迂闊だったという話で、最後まで押し通すのだぞ!』
「うん、それはもちろん…」

 答えて、それからクロスはなにか物言いたげな顔で黙り込んだ。

『なんじゃ? 時間が惜しいのじゃ、言いたいことがあるなら早く言え』
「…うん…、あの、俺がアルバーラと組合(ギルド)でしのぎを削ってた…とかいう話のことだけど…」

 言いかけたクロスに対して、タクトは『てっ!』と一言で黙らせる。

『貴様、自分で言い訳しておったではないか。おおかた、その性格で本当に "奉り上げられて" しまったんじゃろ?』
「ホントに、信じてくれてるの?」
『なんらかの下心が全く無かった…とは言えないといった顔じゃな。だが、儂は正直、人間(フォルク)如きの微細な権力闘争なぞ、どうでもいい。こちらに迷惑を及ぼさない限りは、殺し合いでもなんでも好きにせえ』
「アンタから見たら、俺とアルバーラは同類なんだろうけど…」
『そんなことは、思っておらんと言っておるに。貴様が "高慢ちきでめちゃめちゃ" な儂に力を貸すと言った時から、ヘタレの小心者だが性根は善良と見極めておるわ』
「なんか、めっちゃけなされてるようにしか聞こえない…」

 口の中でブツブツと文句を言うクロスを、タクトはチラッと見やった。

『ではこちらも、ひとつだけ訊きたいんじゃが…?』
「え、なに?」
『貴様、本当に人間(フォルク)なのだよな?』

 タクトの問いに、クロスは微かに顔を歪めた。

「なんで、そんなこと聞くのさ?」
『禁忌の(じゅつ)を紐解いたからと言って、そうそう簡単に結界(フルンド)が使える人間(フォルク)がおるとは思えぬ』

 諦めたように、クロスはため息と共に言った。

「正真正銘、そんじょそこらの人間(フォルク)だよ。ただ、魔力(ガルドル)が少々多めってだけで…」
『少々…とは?』
気量計(ガルドメーター)が、白光輝石(フィルトスヴァリン)になるぐらい?」
『それはちょっとではなく、ケタハズレ(・・・・・)じゃろ』

 タクトの返しに、クロスはもう一度深々とため息を()く。

「言っとくけど、ホントのホントに骨の髄まで生粋の人間(フォルク)だから! そりゃ親の顔は知らないけど、魔導士(セイドラー)らしく馬鹿げた身長なだけで、他に身体的特徴は無いし。魔力(ガルドル)の量のことは昔から色々言われたけど、マジでそれ以外無いから!」
『ふーむ。先祖返り…と言うこともあるからの。まぁ、とりあえずはそういうことにしておくほかに、なさそうじゃな』

 納得しかねる顔をしつつも、タクトは頷いた。

『あいわかった。では、時間もない。儂をあのサウルスの元へと投げ、貴様はジェラートの(あと)を追ってくれい』
「判った」

 力の限りにタクトを放り投げ、クロスは怪鳥が飛び去った方角に向かう。

『このノーコン非力のヘタレ野郎めがー!』

 後ろからタクトの苦情が聞こえたが、今はそれに構っている余裕は無い。
 クロスは自分の合切袋の中から、ビンを取り出した。
 飛翔能力を持たない人間(リオン)が、砂漠で空を飛んで行く怪鳥を見失わずに追い続けることなど出来るはずもない。
 それは分かりきっていたから、クロスは使い魔(スレイブ)のカマキリに命令を与えて空へと放った。




 互いをかばい合うように抱き合っていたルミギリスとカービンは、地面の鳴動が止み、辺りが静かになったところで目を開ける。

「ビンちゃん! 生きてる?!」
「ルミ~、ドジっちゃってゴメン~。あんな真っ暗の中で追っかけてくる(やつ)がいるなんて、思わなくってぇ~」
「ビンちゃんが無事だったから、それはもうイイよ~」
「アタシがもっと、大きなルフ鳥を捕まえられてたら、一緒に逃げられたんだけど…」
「なに言ってんのさ! あれでさえ、維持するのが難しくて放っちゃったんだよ? あれより大きかったら、仮契約も出来なかったってば!」
「でもぉ、ルミーなら時間掛ければ…」
「あれすら、結局絶対服従(サブミッション)させられなかったんだもん。たられば言っても仕方ないよぅ」
「でもぉ〜」
「ビンちゃんが無事だったことが、一番だよぉ〜。ヘタレたクロスは逃がしたけど、戦士(フェディン)にはボクのスペシャル雷撃(サンダー)を浴びせて、ビンちゃんのカタキを取ったよ! どんなデッカイ奴だって、イチコロさっ!」

 伏して動かぬマハトを横目で見て、ルミギリスはフフンと鼻先で笑った。

「次はにっくきアンリーをやってやるっ! ボクらのスイートキャンディーを横取りしやがって! カッコツケばっかのスカスカ野郎!」

 カービンの縄を解きながら、ルミギリスが苛立たしげに吐き捨てた。

神耶族(イルン)を獲ったのは、アンリーの鳥なの?」
「アイツがピッピちゃんとか呼んでる、トンスラハゲ鳥だよ! いつからボク達の秘密基地(アイドルワイルド)の地下に、サンドウォームを潜ませてたんだろ。ホントにヤなヤツ! あのデッカイ芋虫に落とし穴を掘らせて、こっちがビックリしてる間に、上からトンスラハゲがスイートキャンディーを()っ攫ってったんだ! ドロボー使い魔(スレイブ)! 焼き鳥にして食ってやる!」
「ピーちゃんは焼き鳥だけど、サンドウォームは焼き芋なんじゃない?」
「あっはっは、ビンちゃん、さっすが~!」

 縄を解き終えると、ルミギリスはカービンの服に付いた砂も綺麗に(ハラ)い落としてやった。

「じゃ、さっさとあとを追っかけよ! どうせアンリーの行き先は、ババアが研究に使ってた屋敷に決まってる! 神耶族(イルン)を取り込む方法は、アンリーだってまだ解ってないンだからね! それじゃあビンちゃん、こっから脱出しよう!」
「任せて、ルミー!」

 カービンは自分の服のポケットに手を入れると、一粒の種子を取り出した。
 クロスが疑問に思った程度に、カービンは魔導士(セイドラー)としての実力はさほど高くない。
 彼女の持つ魔力(ガルドル)では、使い魔(スレイブ)を持つのは非常に難しいレベルだ。
 だがカービンには、植物に感応出来る特殊技能(スキル)があった。

 特殊技能(スキル)とは、生まれ持った能力である。
 あとから修行などで身に付けることは不可能であり、しかも魔力(ガルドル)の有無も関係ない。
 カービンの特殊技能(スキル)は、触れた植物の成長を、ある程度操ることが出来るものだ。
 子供の頃に魔力持ち(セイズ)として迫害を受け、魔導士(セイドラー)としては大したことがないと言われた彼女は、自身の特殊技能(スキル)を徹底的に鍛え上げた。
 ただ少しだけ成長を促し、早くに芽を出させる…程度の特殊技能(スキル)を、魔力(ガルドル)を込めて自在に操れるようになるまで研鑽したのだ。

 門戸を大きく開いて、魔力(ガルドル)の低い(もの)でも構わずに迎え入れてくれるアルバーラ一門に加わった時に、カービンは心の友(・・・)とも言えるルミギリスと出会った。
 以後、一門の中で目覚ましい出世をするルミギリスに尽くしてきたが、カービンの努力は師匠の目にも留まり、弟子の序列の映えある四番を与えられたのだ。

 砂の上に落ちた種子は、カービンの(じゅつ)で蛇のようにうねりながら、穴の外へと繋がるツタを這わせた。
 二人が伸びたツタの一部に手を掛けると、植物はスルスルと二人の体を保護して、穴の外にまで運び出す。
 そしてカービンに指示された仕事をこなし終えたところで、ツタはあっという間に枯れて、砂の上に散っていった。




 ルミギリスとカービンはその存在に全く気付いていなかったが、マハトから少し離れた砂の上に、タクトの短剣が突き刺さっていた。

『くそ忌々しい!』

 クロスの申し出を引き受けはしたものの、今のタクトはそうそう気軽に行動する(わけ)にはいかなかった。
 タクトの身に施されている核化(フィルギナイズ)は、クロスが語った伝説の "人間(フォルク)の独裁者・フィルギア" が考えた(じゅつ)である。
 それは精的(スピリチュアル)なものである魂魄(ヴェッテイル)を、透晶珠(リーヴィ)という物理的(マテリアル)なものへと変える。
 透晶珠(リーヴィ)にされてしまうと、能動的な行動は総じてとれなくなるため、タクトは自身の身体が変容し始めた時に、その場にあった剣に(じゅつ)を掛け、透晶珠(リーヴィ)をその剣の一部になるようにした。
 ジェラートが身を守るための武器を持たせつつ、自身を持ち運ぶことを兼ねて、都合が良かったからだ。

 透晶珠(リーヴィ)であっても、手足を使わない(じゅつ)の行使は可能だが、やはり様々な枷がある。
 神耶族(イルン)の肉体である時ほど迅速な技の発動が出来ないし、神耶族(イルン)であれば息をするように戻せる魔素(ガンド)の取り込みに、やたらと時間が掛かるのだ。
 使った分を速やかに取り戻せないとなれば、強大な魔力(ガルドル)を放出するタイミングは、慎重に見極めねばならない。
 タクトは周囲の気配を探った。

 すり鉢の表面の砂は、ところどころで動いている。
 それは斜めに傾いている表面の砂が移動しているのでは無く、サンドウォームが移動した影響による、もっと地中の奥から()る動きだろう。
 遺跡の規模は、かなり大きい。
 タクトがザッと把握しただけでも、辺鄙な町ではなく、もっと大きく栄えた街といった様子だ。
 砂漠が不毛の地になった理由を軽く流した程度に、タクトは人間(リオン)同士の権力争いになんの興味もない。
 人間(リオン)にとっては悠久(ゆうきゅう)の時を掛けねば浄化されない土地であっても、それ以上の寿命を持つ神耶族(イルン)にとってはそれすらも些細な出来事に過ぎないため、わざわざ澱みを作る彼らを迷惑だと思っても、その戦いに介入する気にもならない。
 そんなことよりも今は、サンドウォームが地下の砂を大きく動かした結果、埋もれた遺跡が崩れる気配が感じられることの(ほう)が問題だ。
 崩落はサンドウォームが動いた場所を中心に起こると考えると、自分たちが居る場所はその真上…ということになる。
 時間が迫っている中、此処はもう賭けに出るしかないだろう。

 ジッと場を読んで、砂が崩れる方向を伺い、慎重に魔力(ガルドル)を配分して力の浪費を最小限に抑え、短剣の角度をほんの少しだけ変える。
 崩れる砂と共に、短剣は緩い円を描きながらマハトの脇へ滑り落ちた。
 そこでタクトは、魔力(ガルドル)によって自身の体を実体化させる。
 そして倒れ込んだマハトを抱き起こすと、その(ひたい)に自分の唇を寄せた。