小学生まではサッカーのクラブチームに入っていた。
そして中学1年のとき、サッカー部に入った。

たまたまサッカーが強い中学だったから。
全国大会へ出場するレベルのそこにいれば、

小学生の全国大会で戦った、関西のどこかのジュニアユースのアイツと再会できるのかもしれない。と淡い期待を抱いていたからだった。

本当にムカつくくらいサッカーが上手い選手がいた。
あと煽りも上手い。
ボールの奪い合いの中、耳元で「そんなもんかよ」と嘲笑いながら言ってくる。
思い出すだけでムズムズする。
それくらい、当時の俺は見かけに寄らず負けず嫌いだった。
サッカーで負けたなら、サッカーで勝つ。
目には目を、歯には歯を。
それが勝負事だと信じていた。

入部してすぐ、主将の彼女が俺に目をつけた。
いつもプレゼントやら連絡をくれるようになった。

勿論、主将はそれが気に入らなくて、露骨にパスや部活の連絡をくれなくなった。

それでも別にサッカーが好きだったから続けたかった。

でも、周りはサッカーが得意で、顔が良い俺が女の子すら奪い取っているように見えていたようだった。

サッカー、顔関係ないだろ。女の子はもっと関係ないだろ。
もっと俺の技術を見てよ。足さばきを見てよ。

そう訴えても、監督しかその言葉を信じてくれなかった。
結局、技術があってもパスがもらえなきゃサッカーはできない。

俺はサッカー部を退部した。

サッカーを嫌いというか、外面しか見てくれない周りをこれ以上、嫌いになりたくなかった。だから離れた。

でも、サッカー部から離れて暇な時間ができるほど、
自分を外面で評価する人の多さを思い知った。

自分の顔とイメージだけが、先に歩いていく。
優しそう、紳士そう。
いざ違うかったら『イメージと違うがっかりした』
とか意味のわからないことを言う。

じゃあイメージに合わせてやる。
じゃあ、中身の俺なんか、泥まみれの負けず嫌いの俺なんか、いらないじゃないか。

ルッキズムが物を言う時代に生まれなければ、こんな事にはならなかったのだろうか。

そのイメージにあわせて生きると、負けん気が強い、サッカーが好きな俺は死んで行った。

何もかも周りに答えを握られている、今の俺になった。

サッカーを続けていたら、どうなってたんだろう。

考えても予想つかなかった。

もしかしたら結局今みたいな感じになっていたのかもしれない。