陽向くんの部屋は、陽向くん家の玄関のちょうど真逆裏側のところにある。庭におじゃまして部屋の前に着くと、カーテンが開いていたから、中を覗いた。
ちらっと中を覗いてみると、明かりがついていた。
――あっ、いた。
ベットでごろごろしながらスマホ見てる陽向くんを発見。来てみたけれど、どうしようかな。話しかける? とりあえず、窓をこんこん叩いてみた。
気が付かないのかな? 全然こっちを見なくて、気にしてない様子。
二度目のこんこんチャレンジ。
さっきよりも強く叩いてみた。強く叩きすぎてちょっと手が痛い。
あっ、陽向くんが立った。
陽向くんはこっちを見たけれど、僕は暗いところにいるから僕のこと気がついていなさそう?
どうしようか迷った末に出した答えは……とりあえずしゃがんで隠れた。
こっちに来るよね?
羊毛フェルトのスズメを持つ手を上にあげて、陽向くんにはスズメだけが見えるようにした。
窓を開ける音がした。目の前の白い壁しか見えないけれど、陽向くんが開けたのだろう。「スズメ?」と、独り言を呟く陽向くん。
「うわっ、ビックリした。叶人、何してるの?」
陽向くんに声を掛けられたから、僕は上を向いた。
「陽向くん、さっきは秘密事をしてごめんね」
謝ると、心が浄化されたみたいになってきて、自分の目が潤ってくる。
「いや、それよりも……とりあえず中に入りな?」
陽向くんが両手を出してきたから、僕はスズメをズボンのポッケの中にしまい、陽向くんの手を両手でギュッと握る。そして窓に登り、部屋の中に入った。
僕は部屋に入ると、床にぺたん座りする。
陽向くんも僕の前に座った。
「何? 叶人は、わざわざ謝りに来たの?」
「うん……そしてね、秘密事を連れてきた」
「……連れてきた?」
「陽向くんに秘密事を教えようと思って」
僕はポケットからスズメを出した。
「さっき家の中、覗いてきた子か」
「そう、これが秘密事なの」
「どういうこと?」
「僕ね、実は最近羊毛フェルトにハマっていてね――」
お母さんが時間潰しにやっていた羊毛フェルトを少しやらせてもらって、それからハマりだしたことを陽向くんに教えた。
「なんだ、別に秘密事にすることじゃないじゃん」
「そうだよね」
陽向くんが笑ってくれた。
僕も陽向くんの笑顔を見て安心し、一緒に笑う。
「俺も、作ってみたいな」
「陽向くんも?」
「うん、そのスズメみたいに可愛いやつ。陽葵の好きなキャラの、作ってみようかな」
陽葵ちゃんは、陽向くんの妹だ。ふたりとも名前に太陽の〝陽〟がついている。明るい兄妹で、僕の気持ちもいつも明るくしてくれて、とてもふたりに似合う名前だと思う。
いつもはひとりでのんびりやってる羊毛フェルト。陽向くんと一緒にそれぞれ好きなものを作っているところを想像してみた。
よくよく考えたら、羊毛フェルトを作っている空間に陽向くんがいても、全然嫌じゃないな。
陽向くんだけは特別――。
「いいよ、一緒に作ろ?」
「その、羊毛フェルトって、何準備すればいいんだ?」
「教えてあげる! 手芸屋さんにも売ってるし、100円ショップにも種類がたくさんあるよ」
「じゃあ、明後日のソフトクリーム食べる日に、買いに行くの付き合ってもらおうかな?」
「いいよ!」
良かった!
これで明日はいつも通りに、陽向くんと一緒に学校へ行ける。
一緒に買い物に行く約束をした日、放課後いつものように陽向くんが教室に迎えに来てくれた。僕は鞄に物を入れて、帰る準備をする。
「まず、羊毛の材料買ってからソフトクリーム食べに行くでいい?」と、陽向くんは質問してきた。
「うん、そうしよう」
「手芸屋って、駅前にあるよな?」
「そうそう、そこだよ!」
羊毛フェルトが売っていて、自転車で行けるお店はこの辺にいくつかあるんだけど、陽向くんは僕と同じお店を想像していた。いつも僕が行きたい場所と陽向くんが行きたい場所が一致するんだよね。
「色々教えてな」
「うん、もちろんだよ」
僕たちは、自転車で目的地の手芸屋さんに向かった。陽向くんに羊毛フェルトについて教えるのが楽しみだ。いつも陽向くんは僕に色々教えてくれたりしてくれるから、力になればいいな!って思う。そう考えているうちに、あっという間に駅前に着いた。駐輪場に自転車を停めて、手芸屋さんへ。
店の中に入ると早速「こっちだよ」と、羊毛フェルトがある場所まで案内した。
「まずはね、ニードルだけでもできるんだけど、このスターターセットがおすすめかな? あとは、使う色の羊毛を選ぶだけで、揃う感じ」
「こんな感じのを使って作るんだ? 初めて知った。楽しそうだな」
僕が手に取った、羊毛フェルト制作のための道具たちが袋に入っている商品を、まじまじと陽向くんは見つめた。
「羊毛をぶすぶす刺すニードルと、ニードルホルダー。作業台になって、針が折れるのを防止するマットがセットになってるよ」
「じゃあ、これ買おうかな?」
「うん!」
まるで自分がここのお店の店員になって、お客さんの陽向くんに説明しているみたいで、楽しい。
「あとは、羊毛だね! 陽葵ちゃんは何のキャラが好きなの?」
「今、ネットではやってるウサギのキャラ……名前、なんだっけ? ど忘れした」
「うさぎのもっふんちゃま?」
「そう、それそれ」
うさぎのもっふんちゃまは、真っ白な姿で、つぶらな瞳。とても可愛く、今動画サイトで子供たちに人気なアニメキャラクターだ。ちなみに他にも色や形が違ううさぎたちが出てきて、ミニゲームで競ったり色々遊んだり動画内でしている。
「うちに白い羊毛沢山ありすぎるから使う?」
「ありすぎるの?」
「うん、白色の羊毛は可愛くてね、買いすぎたんだ」
「叶人は、羊毛だけですでに可愛く感じるんだな」
「可愛いよ! ふわふわだもん!」
そんなこんなで、耳や頬に使うピンク色や、耳についている花とか……白以外で必要な色の羊毛を選び、無事に陽向くんの羊毛フェルトグッズを買えた。よかった!
無事に使命を達成できて安心した気持ちになった。それから歩いてソフトクリームのお店に向かう。
「最近いつもソフトクリーム奢ってくれて、ありがとう。いつも奢ってもらってばかりで、ごめんね」
「いいんだよ、だって叶人に奢りたいから奢ってるんだもん」
陽向くんは本当に優しい――。
手芸の店に行った後は、駅の隣にあるお店で売っている、濃厚な牛乳味のソフトクリームをふたつ買い、駅前の広場にある白くて丸いテーブルの席に座り、叶人と一緒に食べる。
最近の、俺にとって至福な時間だった。
ソフトクリームを食べている時の叶人は、いつも幸せそうな顔をしてる。そして口元にいつもソフトクリームつけてて、可愛い。うん、その時だけではなく、いつも可愛いんだ。見た目も小さくて、小動物みたいな見た目で、言動もふわふわしていて。
さっき「白い色の羊毛がかわいい」と言っていた叶人だけど、叶人が白い羊毛みたい。
毎回ソフトクリームが食べ終わった後に「口の横についてるよ」ってティッシュを渡すと「本当に?」って言いながら、照れたような表情をしてティッシュを俺から受け取り拭いている。
「美味しかった! ごちそうさまでした」
ほら、今日も。
「叶人、口の横にソフトクリームついてるよ」
「本当に?」
「ふふ、叶人、毎回ソフトクリーム口についてるよな?」
「だって、美味しいから顔につくの気にしないで、真剣に食べちゃうんだもん」
「はい、ティッシュ」
――美味しいって言ってくれて、嬉しいな!
ゆっくりと口元についたソフトクリームを拭く叶人。
「叶人、今日はこの後も暇?」
「暇だよ」
「そしたら、羊毛フェルトやりに叶人の家に行っていい?」
「いいよ! やり方教えてあげるよ」
「ありがとな!」
そうして俺らは、叶人の家で一緒に羊毛フェルトをやることになった。
自分の家に自転車を置くと叶人の家へ。
「おじゃまします!」
「あら、陽向くん。家に来るの、ちょっとだけ久しぶりじゃない?」
「最近カフェのバイト、シフトが結構入ってたんで……」
「そっか、ゆっくりしてってね」
「ありがとうございます」
俺と軽く会話した後、叶人の母親は微笑みながら叶人と目を合わせて首を傾けた。そしてその反応を確認した叶人は笑顔で頷いた。まるでテレパシーで会話してるみたいだな。叶人はテレパシーが本当に使えてもおかしくはない雰囲気をしているし。
というか、ふたりは何を確認したのだろう。
二階へ上がり、叶人の部屋に入る。
叶人は可愛いものが大好きで、水色の生地に白い水玉の柄なカーテンをはじめ、ベットやぬいぐるみも〝可愛い〟で揃えられている。その中に馴染む叶人はやっぱり可愛い。
叶人は部屋の真ん中に、折りたたみ式のベージュのローテーブルを置く。俺がテーブルの前に座ると、叶人は前髪をピンで止め、勉強机に乗せっぱなしだった羊毛フェルトの制作セットを手に取り、俺の向かい側に座った。
俺も今日買った羊毛フェルトセットの準備を終え、早速作業に取り掛かる。
俺はウサギの胴体を、叶人は顔を手伝ってくれることになった。
ひたすら羊毛をニードルでチクチクする作業をしている。何度もチクチクするが、変化は何もなし。
「何も変わらない……」
「ニードルを持っていない方の手で、もっとギュッと羊毛を強く押して、そしてそのままチクチクしてみて?」とアドバイスをくれた。
今日の叶人は自信満々で、いつもよりもたくましい雰囲気。アドバイス通りにやると、少し形になってきた。
「叶人、さっき親と何かテレパシーしてたの?」
「テレパシー?」
チクチクしながら叶人にそう質問すると、叶人は、くしゅっと笑った。叶人は些細なことでも本当によく笑う。
「だって、この部屋に来る前、親となんかアイコンタクトして、叶人も頷いてたから」
「あれね! 陽向くんに秘密事して僕が謝った時あったでしょ?」
「うん」
「あの時、謝る前にね、陽向くんと喧嘩したみたいなことをお母さんに言ってたから、さっきは『仲良しに戻ってよかったね』って、僕の心の中にお母さんが直接話しかけてきた気がして。だから僕は頷いたんだよ」
「そうだったんだ……」
「お母さんね、陽向くんは僕のこと大好きだよってその時に言ってた。陽向くんは、僕のこと好き?」
「なんだよ急に、好きだよ!」
叶人は、他の友達よりも一番一緒にいたい人だし、一緒にいるとなんか眠くなるぐらいに落ち着いて、優しい気持ちにもなれる。同じ歳だけど、弟みたいで何かしてあげたくなるし。
「よかった! 僕も陽向くんのことが大好きだよ!」
俺らは一緒に、微笑んだ。
俺は叶人が大好きだ――。
お互いに好きだと思っていたのに、それを覆す、俺にとっては大きな事件が起きた。
***
羊毛フェルトを始めてから少し経った日。何気なくスマホのカレンダーを見ると『陽葵、誕生日』と書いてあるのが目に入った。ちょうど連休中の、五月三日が陽葵の誕生日だ。
――そっか、そういえばもうそんな時期。今作っているウサギをあげようかな? 喜んでくれるかな?
だけど、誕生日まで後二週間じゃん。
作り始めてから何回か、のんびり叶人と一緒に作業はした。だけどバイトの日は一切、手をつけていない。それに、ひとりの時にできる時間はあったけれど、叶人と一緒にじゃないとやる気はでなかった。ウサギ制作の進行状況は、まだ顔と身体の形だけができた感じだ。
間に合わなさそうだ。
どうしよっかな?
登校中とりあえず事情を叶人に話してみた。
「じゃあさ、学校の昼休みとか一緒にやろうよ! なんか暇だし。あっ、陽向くんは人気者だし忙しいのかな?」
「いや、別に忙しくないけど」
「あっ、じゃあ今日からやる? まだ家から出たばかりだから道具持ってこれるよね?」
返事を聞かないまま叶人は家の方向に戻っていく。もちろん俺もついていき、それぞれ自分の羊毛フェルト制作セットを取りに、家に戻った。先に準備を終え、自転車に乗って外で待っていると「お待たせ!」と明るい声の叶人も家から出てきた。叶人も自転車に乗り、再び学校に向かう。
――なんか、羊毛フェルトの話をしている時の叶人は、本当に生き生きしていて楽しそうだな。
叶人は秘密事として羊毛フェルトをしている。それを打ち明けてくれて、本当にありがたいと思う。叶人の楽しい時間を共有できて、嬉しい。
と言うか、これは叶人の秘密事だっけ?
「そういえば、学校の人たちには秘密事バレて大丈夫なの?」
「あ、そっか、そうなるよね……僕の羊毛フェルト制作中の世界は、陽向くんと家族以外には触れられたくはないかも……でも、陽向くんとふたりだけの世界を築ける自信はあるし、大丈夫だよ!」
学校でふたりだけの世界?
ちょっと分からないけれど……。
まぁ、叶人が大丈夫そうならいいのか。
そして昼休み。
急いで弁当を食べて、叶人がいる隣のクラスに行こうとしたら、叶人が弁当と羊毛フェルト制作セットが入っている鳥柄模様の巾着を持って教室に入ってきた。
「叶人がこっちに来るの、珍しいな」
「うん、違うクラスの中に混ざるのはちょっとドキドキするけどね……陽向くんのために、来ちゃった」
はにかんだ笑顔の叶人。
俺のために頑張って、教室の奥にある俺の席にまで来てくれたんだ――。
「夏樹、席借りるわ」
「おう」
教室の後ろで立ちながら友達と話している、前の席の夏樹に俺は声を掛ける。
「叶人、ここ座りな」
「ありがとう」
「ありがとうはこっちの台詞だよ」
叶人はふふっと笑いながら夏樹の椅子に腰掛けて、こっちを向き、俺の机の上に羊毛フェルト制作セットを出そうとした。
「先に弁当食べちゃえば?」
「あ、うん。そうだね」
叶人は、俺の作業スペースを空けて、弁当箱を俺の机の端に置く。そして弁当箱の蓋を開けた。
「うわ、めちゃ可愛い弁当だな」
「そうなの! 最近ね、自分で作ってるんだ!」
「すごいな!」
「可愛いって言ってくれて嬉しいな! 実は今日ね、陽向くんにお弁当見られるかな?って思って、いつもよりも頑張ってみたんだ」
弁当箱の中には花の形のウインナーと卵焼きと人参。そしてハンバーグや丸められたご飯には可愛い鳥の顔が海苔で描かれていた。
「可愛いし、美味しそうだな」
「陽向くん、これあげる」
叶人が持っているフォークに刺さったハンバーグが俺の口に入る。
「叶人が作ったハンバーグ、おいしい!」
俺の反応を確認した叶人は「良かった!」と言うと、弁当を食べ始めた。
「ご飯、顔についてる」
「ありがとう、陽向くん! おかしいな……お弁当、いつもは顔につけないんだけど。陽向くんがいる所で食べると美味しさが増して食べるの真剣になっちゃうから、顔に何か食べ物をつけちゃうのかな?」
――めちゃくちゃ可愛いこと言うよな。
叶人の顔についたご飯をとると、自分の口に入れた。
俺は叶人の食べる姿をチラ見しながら、羊毛フェルト制作作業を先に始めた。
昼休みに叶人が俺の教室に来て弁当を食べ、一緒に羊毛フェルト制作作業をする。そんな生活を始めてから数日が過ぎた。
一人通れるぐらいの距離がある隣の席。そこの席のクラスメイトはいつも昼休みになると、この教室からいなくなる。叶人が教室に入ってくると、俺の前の席にいる夏樹はそこに自ら移動してくれた。そして夏樹の席には叶人が座る。
夏樹は頬杖つきながら、こっちをじっと見ていた。
かまわず俺らは黙々と作業をする。昼休みや放課後に叶人も頑張ってくれているお陰で、順調にウサギは完成へと近づいている。顔や胴体の他に、手足もできてきた。後は耳や尻尾と、顔とかの細かい部分、か? この調子なら、なんとか間に合いそうだ。
「ふたり、めちゃくちゃ仲良いよな」
夏樹が話しかけてきた。
「うん、俺ら昔からずっと仲良いよ」
「陽向の、雪白への好きってオーラがダダ漏れだよな」
「うん、俺、叶人のこと大好きだもん」
夏樹の言葉に、流れるような返事をしながら作業を進める。
「なんか、ふたり恋人みたいだな」
――こ、恋人?
俺の手が止まった。
ふたりの関係が恋人なんて、初めて言われた。
叶人はどんな反応をしているんだろうか気になって、チラリと視線を叶人に向けた。
叶人も動きが止まっている。
「雪白も、陽向のこと大好きっぽいよね?」
当たり前だ。こないだだって、お互いに〝好き〟って言葉をきちんと確認しあったし。
「そんな好きではないし……」
無表情で羊毛フェルトを見つめたまま、気のせいかいつもよりも低い声で叶人はそう言った。
ん? 今の叶人の言葉はまぼろしか?
ありえない。俺のこと、好きではないとか。
ありえない、ありえない――。
しかも叶人は「ちょっと体調不良になったから、教室に戻るね?」って、教室から出ていった。
なんで?
叶人は一体どうしたんだ――?
「俺、なんかまずいこと雪白に言った?」
「いや、うん。いや、どうだろ……」
夏樹に質問されるも、答えが全く見つからない。
叶人の「そんな好きではないし……」って言葉が何度も頭の中で繰り返され、胃がギリギリと痛くなってきた。