吸血鬼に恋をした三人

「シセル兄さん、なぜここにいる!」
力強く激しく憎しみが詰まった荒い口調。
セスはシセルを心の底から嫌い、嫌って当然だという。
しかし。
「ははははははっ! 別にいいだろ、俺は第一王子だぞ、お前のような邪魔者はさっさと消えろ」
血の繋がりのある弟に
「消えろ」
という信じられない言葉を面白おかしく笑い、堂々と腕を組んで言ったシセル。
本当に、性格の悪さというのはこのことだろう。
でも。
「僕は消えない。お前が消えて、兄さん」
シセルの態度が気に食わずに真っ赤な瞳を怪しげに綺麗に輝かせて笑うセス。
その二人の様子をじっとセスの後ろで見ていたナイはシセルとの記憶を思い出している途中のようだ。
「んー」
シセル。
私、この吸血鬼とどこかで会った気がするのよね、どこかしら?
頭の中で過去の出来事を歯車のようにグルグルと回して思い出そうとした時。
「君、セスと契約を結んだ人間か?」
セスの怒りなど気にせず通り抜けてナイの目の前に立ったシセル。
その真っ赤な瞳と目が合った瞬間、ナイの体に異変が起き始めてしまう。
「あ、かあっ」
何よ、これ?
口から血が出てきているの?
そう、シセルはナイのお腹を力強く押して壁に突き放してその衝動で血が出てしまった。
「あ、かああ、くる、苦しい」
せっかくセスが褒めてくれたドレスが汚れてしまったわ。
嫌よ!
私、このまま死んでしまうの?
まだセスを好きになっていないのにこんなどうでもいいシセルに殺されて死んでしまうのではないかという強い不安と焦りが襲いかかったナイ。
こんな簡単なことで自分の人生が終わってしまうのではないかという不安もナイの心を乱して瞳が激しく揺れ動いて。
「ダメよ」
「は?」
「私が死ぬのはセスに殺される時よ。あなたなんかに殺されるなんて絶対に許さないわ!」
ナイは自分の人生の終わりは全てセスに任せると言った。
それは信頼しているのか、それとも他の何かなのか。
理由は一体。
「私はセスを好きになる希望を持ったの。他人のあなたに私の希望を汚させないわ。あなたが今すぐここで消えなさい!」
もうすでに言いたいことを言うだけ言って後悔などせずに堂々と真剣な眼差しで三十歳の大人らしくシセルに立ち向かうナイ。
すると。
「君、もしかしてナイーアか?」
「あっ、そんな・・・」
突然知らない名前を言ったシセル。
セスは何が起きているのかが状況理解ができずに固まって、ナイは動揺してやっと何かを思い出したようだ。
嘘だわ。
だって、その名前は私の本名。
もしかしてこの吸血鬼はあの時私を助けてくれた命の恩人?
確かにそれはあり得るわね。
あの時の私は十九歳。
二度目に働いていたパン屋によく私が作ったパンを買いにきてくれていた優しい男。
『すいません、このパンは彼女が作った物ですか?』
ガラス越しに見える厨房でパンを作り毎日残業しながら働いているナイーアを毎日閉店間近にやってきて慌てて買いにきてくれていたシセル。
姿は真っ黒なローブで隠して顔はメガネをかけて頼りないただ優しい人間にも見えていた。
シセルがナイーアという名前を知ったのは店長にこう言ったからだった。
『あの、彼女の名前を教えてくれませんか? 僕、恋人で彼女の名前を全く知らなくて中々教えてくれなくて』
全くの嘘をついたシセル。
それを店長はイケメンの頼みならとナイの本名「ナイーア」を教えてしまったのだ。
「ナイーア、まさかここで再会できるとは思っていなかった」
「・・・そうね。でも、私はあなたと話したことは一度もないけど」
「はははっ、確かにそうだ。でも、俺はあの時から君が気になっていたんだ。あんなに真面目に一生懸命に働いているのはあまり見たことがなかったからな」
「いつも閉店間近に来ていたのは吸血鬼だったからなのね」
「そうだ。店が閉まるのは十八時。俺はすぐに起きて走って店に通って君が作ったパンを食べていた」
「それは嬉しいけど、どうしてさっき私を殴ったのよ? おかしいわよね」
「・・・君がセスと契約を結んだことが憎かったからだ」
嫉妬深い吸血鬼の一人シセルは実はナイにだいぶ昔から興味があったようで何度もこっそりナイが働いていたレストランにパン屋、お菓子屋に来ていたようだ。
「俺、僕は君をずっと見ていた。そして、結婚したいという強い希望を抱いていた」
「シセル」
「だから、その希望を壊したセスが、君が許せなくて君に当たった」
「・・・・・・」
シセルは私と結婚したいという希望を持っていたのね。
けど、私はそうは思っていないわ。
というか、まだお腹が痛くて自分では立てそうにないわ。
予想以上にシセルの力が強すぎてナイは立ち上がることも向かい合うこともできずに悔しがって涙を流す。
「は、うううっ、は」
悔しい。
私が好きならどうしてこんなひどいことをするのよ?
私もう三十歳だから体力も若い頃と比べれば半分はなくなっているわ。
「はあっ」
見た目は私と同じくらいなのに、やっぱり女の私は男のシセルには勝てそうにないわね。
それに、セスは。
「・・・・・・」
初めて知った。
ナイの名前がナイーアだなんて、全然教えてくれなかった。
ていうか、契約書にサインした時にはその名前じゃなかった。
嘘をついた。
僕に遠慮していたとかそういうことじゃないはず。
何か別の理由がある。
うん、なら納得できる。
「あははっ」
ナイの本名を知れたことだし、僕はナイに信頼されていることと変わりない。
じゃあ、安心してシセル兄さんには消えてもらおう。
「僕たちの契約を邪魔する吸血鬼はみんな殺す」
そう言って、セスはシセルの両手を握って骨が折れるまで後ろに伸ばして伸ばしてどんどん血が床に流れていく。
「ああああああっ、セス、お前、何を」
「あはははっ、別にいいでしょ。兄さんが一番悪い。僕だけじゃなくて兄さんの物も妹の物にも傷をつける。そんなの許されるはずがないよ」
兄さんのせいでみんな傷つくんだよ。
兄さんがいるからみんな泣くんだよ。
何で分からない?
「少しは他の者の気持ちを考える努力をしてよ! 兄さんは本当に頭が悪い、自分勝手でわがままな吸血鬼!」
言いたいことを好きなだけ言ってセスがシセルを床に押し付けて足で蹴ろうとした時。
「セス、やめなさい」
もう見ていられないと思ったナイが大粒の涙を流しながらセスの手を握って動きが止まった。
「お前、シセル兄さんがお前に何をしたのか忘れたのか?」
「忘れていないわ。忘れていないからやめて欲しいのよ」
「それは理由にはなっていない。もっとちゃんとした理由を言ってくれたらお前の言うとおりにしても構わな」
「じゃあ、私があなたを消してあげるわ」
「は? お前、自分が何を言っているのか分かっている? 僕たちは契約を結んだ、一生離れることのない契約をな!」
契約を結んでから二人は一瞬でも離れずに行動している。
食事もお風呂も寝るのも全て一緒。
いつどこでナイが襲われるか分からない恐怖をセスは心の底から恐れてそれをされないように自ら希望してやっている。
それはナイも理解している。
理解した上で、好きになりたいという希望を持って笑顔でセスのそばにいる。
しかし、今のナイはどこか何かに惑わされて本音を隠して似合わない苦笑いを見せている。
「ふ、ふふっ、私はシセルを許して欲しいと思っているわ。たとえあなたに嫌われても、私が言っていることは信じて欲しい」
シセルには色々と聞きたいことがあるの。
本当に私と結婚したいと思っているのか、私をどうするのか。
シセルには色々と気になることが多いわ。
この世界の第一王子で四兄妹の長男。
セスの態度からするとシセルは過去に下の三人に何かひどいことをしたのは確かね。
こんなに乱暴で自分勝手でわがまま。
最悪な組み合わせしか持っていない最低な男に暗い感情を持つのは仕方のないこと。
ナイがシセルに深い興味を持っているのは単なる運命なのだろうか?
それとも、セスを捨ててアムと同じようにシセルを選ぶのか?
アムもそうだが、なぜここに来た女はみんなシセルに魅了されてしまうのか、シセルのどこがいいのか?
全く分からない。
人間が思う理想のタイプというものは案外思っていたよりも単純で簡単で魂の少ない人形みたいに弱い生き物。
吸血鬼が人間を襲う理由もこうなってくると分かってしまう、理解してしまう。
しかし。
「僕は許さない! こんなクズ、誰も許したりしない!」
セスの怒りは真っ赤に燃える炎のように爆発して煙が出て焦げ臭い・・・というような想像がついてしまう怖さ十倍。
「兄さんが僕たちにしたことは絶対に許さない! 何で兄さんを庇う、何で僕から離れる?」
「セス、落ち着い」
「嫌だな! こんな時に落ち着いてどうする、僕がこうなったのは全部お前が悪い!」
次はシセルだけでなく契約者のナイを責めてドレスの裾をちぎれるくらいに握りしめるセス。
その行動に、ナイはパシッとセスの頬を叩いた!
「いい加減にしなさい! どうして私のことを信じないのよ、どうしてそんなに一人で抱え込もうとするのよ?」
とうとうナイも腹を立ててまだ日もそんなに立っていない、好きになりたいという希望を持つセスに怒りを見せた。
「・・・・・・」
こいつも、怒る時があるのか。
僕は別にこいつを怒らせるために怒ったわけじゃない。
ただ、僕は、憎いシセル兄さんにこいつを奪われたくなくてつい怒ってしまった。
こいつは、ナイは、僕の一番大切な宝物だ。
誰にも渡さないって怒るのはダメなのか?
セスはナイの笑顔にいつも心惹かれて目が離せない。
これが「好き」という気持ちに繋がるなら、こんなに無駄な怒りを感じずに済んだはずなのに。
まだまだ子供という証がセスには深く錆びた鉄のようにこびりついて離れない。
「僕はお前が大切なんだ。大切で、誰にも渡したくなくて、それから」
「ははははっ! セス、結局お前は子供だ。何も変わっていないな」
折れた腕からは血が流れて足だけで起き上がることなんて不可能なのに、無理なのに。
この男はどんな手段でも気に入った物は絶対に逃さない。
逃して後悔したら物に当たる。
そのせいで傷ついた三人の気持ちなど無視して自分の物にしようとひどいことを何度でも繰り返す恐怖の生き物。
こんな生き物がこの世界に存在していいのか、天はどう感じているのか。
適当に作っておいてあとはどうでもいい。
なんていうのもひどいことに含まれるだろう。
全てを作った者にしか全てを分かる資格はない。
それを利用して抵抗するのも天に暮らす者の導。
なのに。
「セス、ナイーアを渡してくれるならお前にはもう一生何もしないと約束してやる」
「・・・は?」
「どうだ? お前にとっては最高な条件だろ?」
「・・・・・・」
「はっ、何も言う気力もないようだな。所詮その程度の吸血鬼だ」
「何度言えば分かる? お前に渡す物はこの世界には何一つも存在しない。そうだな、唯一渡せる物ならゴミ、くらいだな」
どんな状況でも兄に抗う三男のセス。
この世界で一番嫌われている吸血鬼のシセルを弟のセスがどうしようが別に他人からしたらどうでもいいこと。
どうでも良くて、すぐに忘れるほど、ゴミみたいにボロボロに消えていく。
シセルもそれは分かっているはず。
「お前、兄の俺にゴミと言ったな?」
「ああ、言ったさ」
「くっ、調子に乗るのもいい加減にしろ。最後はお前もゴミになるんだ」
「ならない。兄さんと同じじゃないんだ、僕は」
「同じだろ、血が繋がっているからな」
「はっ!」
今、何て言った?
兄さんからその言葉は一生聞きたくなかった、その事実を受け入れたくなかった。
本当に、兄さんは。
「消える価値が高いな」
そう言って、セスはこっそり柱に隠れていたサロールに瞬きを二回し、サロールが左手を上げた一瞬でシセルの身体がプシューと空気が抜けるような音と共に姿を消した。
それを見たセスは心の底から嬉しそうに喜んで満面の笑みをサロールに見せる。
「助かったよ、サロール」
「いえ、私はセス様の言うとおりに動いただけです。褒められるようなことはしておりません」
何を見ても全く動じずに平然と執事らしく常に姿勢を整えるサロールは特に笑顔を見せることはない。
そんなことを知っているセスは目を逸らして夜空を見上げる。
「別に、褒めてはいない。ただ計画が成功したことに喜んでいるだけだ」
「はい、そうですね」
「じゃあ、食事を作り直してくれるか? きっと冷めているだろうからな」
兄さんのせいでナイのお腹は僕が想像している以上に空いているだろうからな。
「早くして、こいつが死んだら僕も死んでしまうからな」
「はい、かしこまりました」
セス様は結局自分のために行動されている。
それがいいのです。
吸血鬼が人間を優先するなどあってはならないことです。
セス様はシセル様を強く憎んでいた。
ご自分が大切にされていた数々の宝物を壊し奪われた憎しみを抱くのは当然と言えるでしょう。
私は執事として、何があってもセス様のおそばにおります。
サロールはセスを尊敬し愛情を注いできた。
何十年も歳が離れていようと、サロールはセスを一番大切に尽くして離れようとしなかった。
だが、ナイがお城に来てから少し態度が変わった。
「セス、今日のご飯は何にするのかしら?」
食べることが大好きなナイの楽しそうな笑顔がサロールには気に入らない。
自分が一番セスのそばにいたのに、突然やってきた三十歳のおばさんのナイを受け入れることができないサロール。
まだまだ幼い子供のセスとおばさんのナイが釣り合うはずがない、上手くいかない。
だから、サロールはセスに対しては何も変わらず優しく丁寧に語りかけ、ナイにはちょっと冷たく適当。
今まで大切にしていたセスを糸がブスッと途切れるみたいに簡単に奪い取って自分の物にする。
それをサロールは許せないのだ。
なぜ人間がこのお城に来る必要があるのか、なぜ自分の元には来てくれないのか。
色々な感情がゴチャゴチャにまだまだ塊が残っている生クリームみたいに甘くはならずに柔らかくもない。
一体、どうすればみんな幸せな未来が待ち受けてくれるのか。
どんなに悩んでも分からないことはそのまま分からずに頭を抱えて顔を上げたらそこには自分そっくりの人形が一生戻ることのない危険な道に誘おうとしてその手を握ってしまう。
きっとサロールもそうなのだろう。
今は自分だけで考えられるが、それが他の吸血鬼に迷惑をかけてしまえば大事故に発展してしまうのも事実。
「私はセス様が生きてくださる今を大切にするしか方法はありませんね」
そう、それがいい。
未来よりも今を大切にする。
それが一番良い方法で間違いない。
やはり生きてきた歳月が大きく差があるほど、どんなに悩んだとしても最後には冷静に大人らしく適切な判断を探し見つける。
「ふ」
さっさと料理人に作り直してもらいましょう。
ナイのためではなくセスのために静かにゆっくり歩いて厨房へ向かって行くサロールの姿に、セスは不思議に首を傾げた。
「ん? 何だ、少し違和感がある」
サロールはいつだって僕を優先してくれる。
それが普通だと今でも僕はそう思っている。
そう思う方が正しいからな。
でも、今はそんなことよりも。
「ナイ、お前、薔薇以外に何が欲しい?」
「えっ」
欲しい物・・・別に特にはないわ。
私はセスのそばにいられる、それだけで十分、と言ったら引かれてしまうからやめておきましょう。
大人らしく振る舞いたいのに、セスは言いたいことをちゃんと素直に言えることもすごいことだとナイを見ていたらそう思うのも普通であるはず・・・実際のところはナイにしか分からない。
他人が勝手に口出すことは良くない。
他人に振り回されて後悔するよりも思っていることをちゃんと相手に分かりやすくはっきりと伝えることで関係も良くなることだっていくつかある。
相手には相手の意見が自分には自分の大切な気持ちをお互いが受け入れてくれるだけで少しでも二人の関係は良い方へと傾く。
逆に受け入れられなかったら、その時に考えればいい。
事前に考えても正直意味などない。
言ってから、その立場になったらその時に考えて良い判断を見つける。
大体がそうなっているのだから深く考える必要はない。
むしろ、その立場になった時を楽しめばいい。
楽しんで面白おかしく笑って受け流す。
それもありだと思うだろう、大体の生き物は。
「ほら言えよ」
「ん」
言えって言われても本当に欲しい物が見つからない。
言ってくれたのはすごく嬉しいけど、タイミングがもうちょっと後だったら見つかったはずなのに・・・まあ、せっかくセスが言ってくれたんだから、とりえず何か言いましょう。
欲しい物がないなら正直に言ってもいいのに、ナイはセスの思いやりにどうしても応えたくて動揺しているのか、瞬きを何度も繰り返してどこか逃げているように見えるのは気のせいなのだろうか?
「はああっ」
気持ちを整理するために一旦深呼吸をし、ナイは満面の笑みをセスに見せてこう言った。
「じゃあ、セスをもらっていいかしら」
「・・・は?」
今、僕が欲しいって言った?
どういう理由でそうなった?
からかっている?
愛の告白みたいに恥ずかしく照れてしまう言葉を言われたセスは顔を真っ赤にしてめちゃくちゃ恥ずかしそうに胸がドキドキしてナイから目を逸らすことができない。
「かあああっ」
何だ、これは。
何度僕に告白すれば気が済む?
僕はそんなに甘くはない。
甘くないのに、こいつの言葉はケーキよりも二倍以上甘すぎて生クリームみたいに溶けてなくなってしまう気がしてある意味怖い。
恥ずかしさと怖さとが混ざり合ってナイの瞳に映るセスは両手で真っ赤になった顔を隠してめちゃくちゃ可愛く見えてしまう。
「ふふっ」
セスは本当に可愛い子ね。
あなたが私より年上でも、私はあなたを嫌いになったりしないわ。
それよりも、私はあなたよりも先に私があなたを必ず好きになる。
十年前から希望を持っていた吸血鬼との恋。
誰に反対されても私は必ずセスを選ぶわ。
大人だから多めに見てあげているのもいいけど、少しは子供っぽくわがままを言って私のことをもっと知って欲しい。
これは、おかしい、かしら?
思っていることを中々言えずに心の中で自分と会話をしているような感覚。
弟のムイがいた時はほとんどムイの言うとおりに行動していたナイ。
姉として、たった一人の家族として。
大切に傷つけることなく守り続けた・・・。
でも、今はもう守る必要はない。
今は守られる側にいるのだから。
「ふふっ、セス。私は必ずあなたを好きになって見せるわ」
「そう・・」
「だから、あなたは私を好きにならないで欲しい」
「は?」
「吸血鬼が人間を好きになる必要はないわ。ただあなたは私を、私だけを見て欲しいの。私の希望を叶えられるのはあなただけなんだから」
本気で言っているのは確かだ。
ナイは恋愛経験はほとんどない。
ずっと仕事で恋愛なんて考える余裕もなかった過去。
けれど、十年前、街の本屋で百年前に消えた吸血鬼の伝説の本を見つけて立ち読みして一瞬でこう思った。
『この世界で私の希望を叶えられるのは吸血鬼だけ。ふふっ、決まったわ。私の第一の希望は吸血鬼を好きになること。それを叶えられるまでは生きる!』
ただの伝説、過去の話を自分の思うままに「希望」と心美しく微笑んで心の中で決めてしまったナイ。
それから十年経ってようやくその日が来てセスと契約を結んだ。
これ以上にない希望がどこにあるのだろうか?
ナイはそう明るく捉えても、セスはどう思っているのか?
「・・・はああああっ」
こいつは恥ずかしい言葉を笑顔で堂々と僕本人に伝えて全く、人間ていうのは予想外で意外と魅力がある。
僕がこいつに好かれているのは別に嫌じゃない。
嫌じゃないから困るんだ!
どんなに胸が苦しくなっても、ドキドキしても。
吸血鬼は「恋」を知らない。
知っていたらきっと百年前の事件は起こらなかった。
誰も傷つけることはなかった。
でも、三人は違う。
三人は吸血鬼を嫌ったりしない。
好きでも愛してもいる。
興味があって契約を結んでいる人間も二人? いた。
きっとナイもその二人に会ったら考え方も変わるだろう。
変わらなければおかしい。
人間には人間の事情が。
吸血鬼には吸血鬼の事情が。
お互いの意見が違えばケンカは起きる。
そして、仲良くなることはない。
人間が吸血鬼を許していたら、吸血鬼が人間の存在を認めてくれたら。
きっと仲良し計画はどこかであったはず。
でも、現実はそんなに甘くはない。
「・・・ナイ」
こいつが僕を好きになりたいっていう気持ちはとっくに知っている。
知っているからこそ、こいつは遠慮なく僕にアピールする。
告白して、恥ずかしくさせて、おかしくさせる。
本当に、ナイには一生敵わないな。
僕たち兄妹は吸血鬼。
それも王族の特別な生き物。
誰も反対しない、反対させない力を持っている。
だけど、それは今は関係ない。
今僕の目の前にいるのはナイだけだ。
ナイがいつまでも僕を見てくれている、好きになってくれる。
こんな出会いはもう二度と訪れない。
僕は正直誰でもいいって思っていた。
血がおいしければ誰でもいい。
誰でも良かったのに、こいつと出会って契約を結んで離れることを心の底から拒んでいる。
それくらい大切で手放したくなくて・・・。
「セス」
じっと床を見つめて何か重いことを考えてボッーっと疲れているように見えたナイがそっとセスの頬を撫で、それに気づいたセスはどこか寂しそうに嬉しそうに曖昧な笑みでナイに抱きついた。
「はあっ、お前はずるい、ずるすぎる!」
「えっ、何のことかしら?」
私、何かセスの気に入らないこと言ったかしら?
全く理由が分からないナイがとりあえず落ち着かせようと頭を撫でてみる。
だが。
「撫でるな! これ以上僕をドキドキさせるな!」
本音で叫んだセスに、ナイはどんどん分からなくなって首を傾げて質問を変えてみる。
「セス、あなたが嫌な言葉は何かしら?」
「は?」
何を聞かれているのか全く理解できないセスも首を傾げて同じ姿勢を保っている。
「私が何かあなたの気に触るようなことを言ったならすぐに謝るわ」
「・・・いや、違う」
「違う、の?」
じゃあ、何がダメだったのかしら?
三十歳のおばさんが歳が離れているまだまだ若そうなセスの気持ちはまだまだ理解できていないようだ。
「セス、はっきり言って。あなたに嫌なことを言ったなら私が悪かったから、謝って欲しいなら遠慮なく言って。ちゃんと直すか」
「だから違うんだよ!」
「えっ」
「お前は何も悪いことは言っていない。ただ、恥ずかしいことを言って僕が照れているだけだ。僕はすぐに照れるからちょっとしたことでも顔が赤くなる、それだけなんだよ」
セスはナイに自分の気持ちを伝えるのに全く慣れていないようだ。
契約を結んで常に一緒にいても別にセスは何も遠慮はしていないが、少しだけナイに嫌われることが怖くて伝える勇気がまだまだ足りないようでもある。
「別に僕はお前が嫌いとかそういうことじゃない。お前は僕よりも大人で子供じゃなくて綺麗で目が離せない。僕は多分、悔しいんだな。大人のお前が隣にいるのにいつまでもわがままを言ってお前の言うことをあまり聞いていないから、僕は僕にイライラしているんだな。うん、そう・・・」
王族なのに言葉遣いは全く正しくないが、セスは何も教わることなく今まで生きてきたおかげで言葉遣いも礼儀もあまり身に付いていない。
長男のシセルがあんなクズな性格であれば仕方のないことだとも思えてしまう。
シセルが機嫌が悪い時はなるべく怯えないように堂々と負けずに文句を言い続けてシセルには絶対に負けないように強い態度をとってきた。
両親は全く四兄妹のことなど気にせず今はどこにいるのかも分からない。
自分たちの一番大切な場所を捨てて幼い四兄妹を見捨てて遠くへ逃げて行った。
なんて最低なのだろう、なんてこの世界はひどく悲しい世界になってしまったのだろう。
一体この世界を作った天で暮らす者たちは何も思わないのか、感じないのか。
人間と吸血鬼がお互いを認め合って仲良く生きられる世界を誰も考えたことはない。
過去も今も未来も、それは叶うことはないのだろうか?
恋を知らない吸血鬼、それに触れようとしない人間。
だが、それを変えられる人間はこの世界に三人存在する。
それは。
「君も人間だよね?」
「うん、そうです」
「じゃあ、僕と仲良くしてくれるかな?」
「・・・どうして」
「えっ、だって、君も僕と同じ人間だから仲良くしたいと思うのは当然だよ」
「・・・そう、ですね」
「うん、ねえ、君の名前は何かな? 僕はルロ、二十一歳だよ」
「・・・アミナム、アムです。そう呼んでください」
二人の人間の声を聞いてしまったナイ。
「ごめんなさい、セス。私、少し行ってくるわ」
「はあ? まだ話を終わっていないよ。僕はまだお前と、ナイと離れるなんてそんなの嫌だ」
「ごめんなさい。少しだけだから、ここで待ってて」
そう言って、ナイは好きになるはずのセスから離れてドレスを着ていても気にせず全力で走ってアムとルロを見つけてしまった。
「あなたたちも人間、なのね」
「はい」
「そうだよ」
このお城で暮らす人間の三人が出会ったこの瞬間、ナイはあることを提案した。
「私たちで人間を滅ぼし、吸血鬼を救いましょう」


「どういう、ことなの?」
私の他に人間がいたなんて・・・それも男。
こんなこと、信じられない。
もっと早く知っていればきっと私は今までの無駄なことはしなかったはず。
「もっと早く」
アムはこのお城で暮らす人間は自分だけだと思っていた。
いや、そうだと思うしかなかった。
このお城は真っ黒で灯りが少なくて血の匂いがする。
こんな場所で人間が暮らすのは当然無理がある。
綺麗好きの人間がただ人間の血を欲するまま生きている吸血鬼と暮らしたいと思う人間がどこに存在する?
それくらい危険で最悪で汚れている。
でも、アムの他に人間がいたという事実をここで知ってしまえばアムが考えている夢は大きく変わる。
ルロという男がなぜ笑顔でここにいるのか、なぜそんなにも幸せそうに指輪を見つめているのか。
アムの考えは全てこの男によって壊されていく。
「・・・・・・」
この男、歳は私よりも年上なのは分かる。
背が高くて体は少し細いけど、十五歳の私と違って大人の余裕を見せつけられる美しい微笑み。
もっと早くこの男と出会っていたら私がスラと契約を結んでいたら、何か大きな変化があったかもしれない。
スラと契約を結んで結婚して家族が増えて幸せになるか。
それともこのお城から出て行ってあのパン屋で働いて孤独になるか。
ううん、それはきっとない。
私はもうここから出て行っても何も意味なんてない。
あるのは孤独だけ。
アムはもうこのお城から出て行くことをルロと出会った瞬間に諦めた。
十五歳の自分に今できることをルロから探るためであった。
「あの、ルロさんも吸血鬼と契約を結んでいるんですか?」
同じ人間でも年上のルロに対してあのパン屋の店長以上に緊張と焦りで瞳が激しく揺れているアムに、ルロは。
「ははっ、いいね。いいこと聞いてくれるね!」
さらに幸せそうに左手を大きく空に上げて満面の笑みで喜んだルロ。
「あっ、はは」
ルロの幸せアピールが悔しくて苦笑いを浮かべるアム。
こんな調子で二人は一体お互いをどう感じるのか?
「ルロ、さん」
「呼び捨てでいいよ」
「えっ、でも」
「いいんだよ。僕、『さん』とか『様』って嫌いなんだよね」
「あっ、分かりました。ルロ」
「うん! それでいいんだよ、今からよろしくね!」
親しみを込めてというのか、ルロはアムに対してとても優しすぎて怪しいほどに明るすぎて無理やり握手をされて苦笑いで嫌な気持ちを抑えるアム。
「あ、ははっ、はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
めちゃくちゃ悔しくてその笑顔を見たくない。
はあっ。
人間が吸血鬼と契約を結び結婚して幸せになる。
吸血鬼と契約を結んだ人間はその命が尽きるまで契約を結んだ吸血鬼に自分の血を与えなければいけない。
そうやって吸血鬼は自分に似合う人間の血を吸い生き延びる。
何年も何百年も。
同じことを繰り返して終わりを目指さない。
何があってもどんなことが起きても絶対に生きて全てを支配する。
吸血鬼という生き物は人間の想像を遥かに超える最強で一番関わりたくない存在。
「ふっ」
アムとルロ、出会ってはいけない二人の会話にじっとアムの後ろから黙って怪しげに笑っていたスラがそっとアムを抱きしめてルロにこう言った。
「お前には渡さない。人間が俺たち吸血鬼に勝てると思うな」
血みたいに真っ赤な瞳は吸血鬼の証を示す。
その瞳から睨まれたら人間は恐怖を感じて少しずつ後ろに一歩一歩下がって逃げて行く、はずが。
「はははははっ、本当に面白い吸血鬼ですね! さすがです、お兄様」
吸血鬼のスラから睨まれて怖がるはずが、ルロは大声を上げて笑い、さらに「お兄様」と親しく丁寧に返した。
この反応を見たアムは違和感を感じずにはいられなかった。
なぜなら。
「どうして、笑っていられるの? 吸血鬼が怖くないの?」
そう、普通なら吸血鬼から睨まれたら怖がって怯えて逃げる。
ルロの今の反応は明らかにおかしすぎる。
いや、ルロにとってはこれが普通ならおかしいことではない。
「普通」というのは物によっては異なるため、どれが正しいとかは特に決まっていない。
ほとんど本人が決めることになるのも事実になってしまうから。
ルロの嫌な反応で抱きしめているアムの体が少しずつ震えていることでスラはさらにルロを睨みつけて深いため息を吐いた。
「はああっ、お前は本当に変な人間だ。妹の結婚は俺は許した覚えはないぞ」
「えっ?」
妹?
スラに妹がいるの?
そんなこと一回も言ってなかった。
分からなくなってきた。
このお城にいる吸血鬼って・・・。
アムはまだ何も知らない。
聞かされていない。
いや、もう今変わっている。
ルロの言うこと全てがアムの考えを壊し吸血鬼という生き物の本当の正体を解かしていく。
「いやですねー、お兄様。僕はソリーとちゃんと仲良くやっていますよ。お兄様が心配しなくても、僕はソリーの全てを受け止めています。もう無駄なことは考えないで、アムちゃんと結婚したらどうですか?」
スッと右手の人差し指でアムを指したルロ。
すると。
「あなたも人間なら、私の気持ち、分かってくれますよね?」
スラをからかうつもりが、まさかのアムが予想を遥かに超えすぎる真面目な質問を返されてしまったルロ。
けど。
「はっははははは! うんうん、そうだね。僕と君は同じ人間。僕にもちゃんと人間の心があるからアムちゃんの気持ちなんてとっくに分かってい」
「じゃあ私が今何を考えているか当ててください」
そう言ったアムの表情はルロに自分の気持ちをちゃんと分かってほしくて受け入れてほしくて涙を堪えて願っている。
その姿を見たルロはさすがに笑えなくて固まって一旦冷静になって下を向いた。
「・・・・・・」
たとえ同じ人間であっても、皆が皆同じ考えを持っているわけではない。
それは「絶対」だと言い切れるだろう。
皆性格も個性も異なっていて全く同じではない。
皆、自分の思うままに生きたいと夢見ている。
アムの「自由になる」という夢と同じように、きっとルロにも心の底から譲れない願いがある。
アムはそれを分かっていなかった。
ルロにだけでも分かってもらえると思うのも少し間違っている。
初めて出会った者に突然自分の考えていることを当ててもらえるはずがない。
あるわけがない。
だから、今のルロの反応はほとんど正しいと言えるだろう。
「・・・ごめんね」
突然謝ってアムから目を逸らして瞳を震わすルロに、アムは不思議に思って首を傾げる。
「えっ? どうして、謝るんですか?」
「ごめんね」
「は?」
「僕は君の考えていることは何も分からない。分かるはずがないよ、それが当然、だからね」
珍しく正直に呟きゆっくり頭を下げたルロを、アムは意味が分からなくてスラに抱きしめられている腕から離れて一歩前に出てルロの肩を軽く叩いた。
「・・・どうして、あなたは人間じゃないんですか? どうして私の考えていることが分からないんですか?」
おかしい。
ルロは人間なのに、私の考えていることが分からないなら人間じゃないかもしれない。
「は」
アムは段々と何がどうなっているのか状況を理解することが難しくなっていってしまった。
じっとアムが自分を見ているのに気づいたルロは冷静に落ち着いて真剣な眼差しでこう言った。
「ごめんね、僕は人間の心が分かる力は持っていないんだよね」
そう、この世界では魔法も術も人間には使えない。
それに、ルロは妻のソリーのことだけで頭がいっぱいで他人のアムのことは正直興味が薄いようだ。
「僕は僕と同じ人間の君がいたことが嬉しくて声をかけただけだよ。君が期待していることは僕には絶対にできない。それだけは分かってほしいかな」
二十一歳という少し大人な言葉遣いと人間の力の弱さを知った大人の美しい微笑みを見せるルロ。
その心の中は一体どうなっているのか。
アムの瞳に映るルロの姿は少し違うように見えてしまった。
「・・・・・・」
ルロが私よりも大人なのはよく分かった。
子供だったらこんなに美しく微笑んで余裕なんて見せない。
「はあああっ」
私がバカだった。
私の他に人間がいたことが嬉しくて、私の夢が少し近づいた気がして嬉しかった。
でも、私の夢はルロのせいで壊れた。
他に人間がいたなら、このお城から出られる方法を知っているはず。
私と同じようにここから出て行きたいはずだと思っていた。
けど。
「あなたはどうしてそんなにも幸せなの? このお城で幸せに暮らして何が楽しいの?」
ついに出てしまった本音と腹立ち。
「吸血鬼と結婚しても何も意味なんてない。あるのは絶望だけ。どうして、それが分からないの?」
その言葉を聞いたルロは自分の幸せを否定された気がして胸が痛んでとっさにアムの右手を力強く握りしめてこう言った。
「僕の幸せは僕だけの物じゃない。ソリーが、妻がいるから全てが成り立っているんだよ。だから、僕たちの幸せを否定する者は同じ人間であっても許さない」
本気で本心で、ルロはソリーとの二人だけの幸せを否定されることが心の底から腹が立ち傷つき、相手がどんなに大きくても小さくても関係ない。
自分の幸せを否定されて傷つかない者はどこにも存在しないだろう。
特に、ルロの場合は。
「はあっ、少し言いすぎたね。今日はこのくらいにしてあげるよ、そろそろ戻らないとソリーに怒られてしまうからね」
そう言って、ルロはスッと握りしめていたアムの手を離してさっきとは全く違って満面の笑みで愛するソリーの元へと帰って行った。
アムはその後ろ姿を見てようやくルロを傷つけていたことに気づいてひどいことを言ってしまったことに後悔して怖くなって、足に力が抜けて横に倒れた!
「はっ、はあっ、わ、私」
他人でも、ルロの幸せは否定したらダメ。
私とルロは同じ人間。
同じ生き物。
結婚した相手が人間でも吸血鬼でも関係ない。
ルロにはルロの幸せがある。
「私、最低だ・・・」
言ってしまった言葉はもう二度と取り消せない。
それが相手に伝わってしまったら全てが壊れる。
関係も、立場も、何もかもが。
でも。
「君は悪くない。悪いのはあいつだ、勝手に俺たちのところに来て、勝手に怒って帰って。はっ、あいつの方が最低だ」
ルロをよく知っているスラは落ち着いていて、悔しくてもそれをわざわざ本人にはぶつけない憧れと言える存在・・・に誰もが見えて瞳をキラキラと輝かせて納得する?
「さっきあいつに言われてしまったな。君と結婚したらいいってな」
そう、スラはアムの本名「アミナム」を知ってアムの過去を受け入れる勇気がなくて契約を結ぶことを拒み、扉を開けようとしたアムをからかっていた。
でも、ルロが現れたことで何か考えを変えたようだ。
「アム、君と契約を結んで結婚したら俺はどうなるか分からない。君を知って俺は変わり、何が正しいのかを忘れるかもしれない。それでもいいなら俺と」
「そんなのどうでもいい!」
スラが少しずつプロポーズみたいな嬉しい言葉を分かりやすく伝えてくれていたのに、突然アムがさっきのルロの幸せを否定したようにその言葉を全て拒もうとなぜか涙を流しながら続けて話す。
「私はずっとスラと契約を結びいたいの! 他でもないあなたとずっと一緒にいたい、私だけを見ててほしい! 私のことなんてこれ以上知らなくていい、スラが変わっても私はスラのそばにいる。お願い、もう私を見捨てないで!」
泣いて叫んで足に力が入らなくても精一杯手を伸ばしてスラを抱きしめるアム。
これは全て本当のこと。
アムはスラ以外の吸血鬼とは永遠に合うことはないだろう。
一度シセルと契約を結んだが、シセルの野生化にお気に入りのメイドサミールを傷つけられてもうスラ以外の吸血鬼を信用できなくなってしまったアム。
このお城にいる限り、誰を信用しようが関係ない。
アムはまだ十五歳で二十歳を過ぎていない。
まだまだ子供で考えも甘すぎる。
不安も焦りも迷いも常に頭の中で泥みたいにぐちゃぐちゃに混ざり込んで離れない。
そういう期間の途中で止まっているアム。
色々な物と出会って見て学んで触れて、何がどうするべきかをはっきりと見極めきれない。
けど。
「私は多分スラが好きなんだと思う」
「えっ」
「私にはスラしかいないの」
「あっ」
「お願い、スラ。私と幸せになって、お願いだから」
涙は止まって少しずつ顔を上げて唇と唇が重なる一瞬、スラが珍しく顔を真っ赤に染めて何かを期待するように目を閉じた。
「・・・ん」
こんなこと、今まで初めてだ。
俺は吸血鬼だ、血が欲しい。
アムは俺に一番似合う血を持っている。
一回目の契約は俺はアムの血を吸い続けた。
アムの体の心配などせずにただ俺は俺の欲のままに吸い続けてアムは一度俺のそばから離れて・・・正直、寂しかった。
「寂しい」という感情は俺にとって嫌なことだ。
俺たちはシセル兄さんのせいで皆距離を取ってもう何年も話していない。
全部、シセル兄さんのせいにしたかった。
だから、もう何も。
「分かった。もうこれで最後にする」
目を開いたスラは全てを捨てて新しく生まれ変わったような今まで見たことのない王族らしい気品と優雅な微笑みを見せている。
けど。
「最後? 何を言っているの?」
アムには何が「最後」なのかがよく分かっていない。
むしろ、不安が心の底から湧き出て心臓の音が耳の中でうるさく響いて気持ち悪い。
「うっ・・・どうして」
スラは一体何を最後にするの?
私とはもう二度と関わらない、二度と顔を見せるなっていう決意?
分からない。
早く教えて、その顔、私は見たくない。
スラの心が読めたなら、もっと早く抱きしめていたなら。
スラはその微笑みをせずに済んだのかもしれない。
いや、それは関係ない。
アムが思っている以上にスラは賢くて強くて何より・・・美しい。
「ふっ、もう俺は君と契約を結ぶのを今で最後にする。そして、君と幸せになる、永遠に」
そう言って、スラはアムと唇を重ねて優しく頭を撫でてあげる。
アムはそれがとても嬉しくて心臓の音が静かになって落ち着いて安心して満面の笑みになった。
「ふふっ」
なんだ、そういうことだったんだ。
今を最後に私はスラと契約を結んで結婚して永遠の幸せを手に入れられる。
「ふふふっ」
ルロには感謝しないと。
スラが私と契約を結ぶ気になったのは全てじゃないけど、ほとんどルロのおかげだと思う。
ルロも契約を結んで結婚して幸せみたいだから、私も同じような幸せをスラと見てみたい。
やっぱり私には。
「スラが必要。絶対に」
人間が自ら危険な生き物の代表と言える吸血鬼と契約を結び結婚して幸せになるという信じられないことをする。
こんなことがあっていいはずがないのに、アムは、ルロは、自分に似合う血を求めてくれるスラとソリーを心から好きになって愛する。
これがお城の外に情報が渡ってしまったら、吸血鬼だけのせいにはできないだろう。
それに関わったアムとルロにも責任がある。
もうこれ以上、足を進めてしまったらその先に待っているのは平穏ではなく絶望。
どんなに苦しいことがあっても、どんなに痛くても。
絶望への道が開かれた限り、後には戻れない。
でも。
「今から結婚式が楽しみだな」
「ふっ、うん。綺麗なドレスが着たい、スラが選んで」
心からお互いを好きになるなら、愛を分け合うなら。
誰に何を言われてもバカにされても、アムがスラを選んだことは正しく真剣であればアムの夢はほんの少しずつ叶えられる・・・そう信じていれば。
「じゃあ、式を挙げよう」



とうとうこの日が来てしまった。
結婚式、二人の幸せが始まる場所。
式場はお城の一番奥にある色鮮やかなガラスの窓が印象的な華やかで少し場所が違うような気もしてくる。
スラはいつもとは全く違う真っ白な服にアムも長袖の真っ白なドレスを着て結婚式に相応しい物をちゃんと着こなしている。
けど。
「私たち以外、誰もいない?」
そう、せっかく大切で結婚する幸せを見守ってほしいところなのに、二人以外に誰も来ていない。
本当に、空っぽで寂しい。
けど。
「まっ、こんなものだ。人間と吸血鬼の結婚式に来る者なんてどこにもいない。大丈夫だ、二人だけでも幸せになろう」
前向きというかこれが現実というのか。
スラは全く寂しそうに暗い顔なんて一つも見せずにどこか嬉しそうに笑っていてすごく幸せそう。
そんなスラの大人な姿を見て、アムもできるだけ明るく微笑んだ。
「ふふっ、そうだね。別に私たちの幸せなんて誰も見なくていい。私たちは私たちだけの幸せを見ればい」
「そんなこと言わないでよー、せっかく来てあげたのにー」
完全に適当すぎる棒読みで現れたのは。
「おい、お前を呼んだ覚えはないぞ」
スラがめちゃくちゃ敵視する人間、そう、ルロである。
だが、一人ではないそうで。
「ちょっとあんた、勝手に一人で行動しないで。何のために私がここにいるのか分かってるの?」
ルロの後ろから隠れるようにこっそり現れて文句を言いながらもアムとスラの目の前に立った瞬間で顔を見せたのは。
「ソリー、なんでお前が」
そう、ルロの妻、スラの妹のソリーである。
久しぶりに会ってしまったのか、スラは心の底から驚いて戸惑って目を逸らしてしまう姿を見たソリーがそっとスラの右手を握った。
「スラお兄様、久しぶりね。もう何十年会っていないかも忘れてしまったわね」
「・・・ああ、そう、だな」
「私とルロの結婚式には顔一つ見せに来なかったのに、自分の結婚式には私が顔を見せに来るなんて予想外でしょ?」
「・・・す、すまない」
「私はシセルお兄様が大大大嫌いだけど、スラお兄様だけは違うのよ。私は兄妹の中で一番信頼しているのはスラお兄様だけなの。それはちゃんと知ってほしかった、理解してもらいたかった。本当に、勝手な吸血鬼ね」
そう言ったソリーは傷ついているというより寂しくて大切にされたかった。
瞳は真っ赤でも、その中には願いがたくさん込められてキラキラと輝かせてスラに期待していた。
本当はもっと早く会いたかった気持ちを抑えて胸に閉じ込めて、スラに会いたいという願いを消しかけていた。
だから、今やっと会えたことで今まで抱えていた感情がどんどん溢れてついにスラの服の襟を力強く握りしめてこう言った。
「ルロの幸せを否定することは許さない。ルロの幸せは私の幸せでもあるの。それをスラお兄様には絶対に否定されたくない・・・兄なら、妹の私の気持ちをちゃんと分かって、お願いだから」
その言葉をスラの隣で聞いていたアムは心が揺さぶられて心臓の音が耳までうるさく響いて瞳も激しく揺れて、とにかくソリーと気が合うことだけは分かっていたようだ。
「あなたなら私の気持ち、分かってくれますよね?」
同じ言葉を話して同じ気持ちを抱えて何度も迷い置いて行かれる、アムはソリーの言葉に心の底から共感してとっさに肩を掴んで瞳をキラキラと輝かせる。
「ソリー、様。私、アミナム、アムです。仲良くなりたいです!」
サミールと仲良くなれた私なら、ソリー様とも仲良くなれるはず。
私の夢「自由になる」夢が叶うなら。
私はどんな吸血鬼とも仲良くしたい。
夫のスラは私と幸せになってくれるけど、それだけじゃ足りない。
もっと他の吸血鬼、シセル以外のスラの兄妹と仲良くなれたら私は絶対に。
「はあ? なんで私がこんな子供と仲良くならないといけないの?」
「えっ」
子供? 
私が?
突然言葉遣いが荒くなったソリー。
すると。
「ソリー、もう少し柔らかく答えてあげてよ。今の君は怖いよ、ね」
ルロにとってはいつものことらしいので全く気にせず優しく言い返らせようとする。
けど、ソリーは全く止めようとしない。
「私はあんたと仲良くしたくない。子供と仲良くするほど私はバカじゃない」
「・・・そんな」
「私はあんたと違って大人なの。それも何十年も年上なのに、こんな何も知らない子供と仲良くする私じゃない。私がここに来たのはスラお兄様に本気で似合うのかを確かめるためよ。ふっ、でも、予想通りだったわ。目つきも顔つきもまだまだ子供。何十年も年上のスラお兄様には絶対に似合わない。早く捨てるべきよ」
そう言って、ソリーがアムのドレスを両手で破って歯で食いちぎってボロボロにさせた。
その様子を見てしまったスラはとうとう腹が立って。
「おい! ソリー、お前、俺たちの幸せを汚しに来たなら自分の部屋に戻れ!」
スラは滅多にソリーを怒ったりしない。
傷つけもしない。
スラは誰よりもソリーを妹として優しく接して本当はソリーの結婚式は参加したかったのに、ルロという何も知らない人間の男が気に食わなくて参加するのをやめた。
でも、それは過去のことで今は違ったはずなのに・・・どうして。
「俺はもう嫌なんだ! 俺にはアムがいる、アムしかいない。アムだけが俺を分かってくれる、必要としてくれる。お前にルロがいるように、俺にはアムがいる。お前も人間と結婚した吸血鬼なら、当然俺の気持ちが分かるはずだろ!」
ソリーが知らない兄の気持ち。
こんなに本気で人間のアムの味方になる吸血鬼は少ない。
それも、格が高い吸血鬼は尚更頭の使い方が遥かに違いすぎて話にもならないほどに。
初めて怒られたソリーは驚きとショックで涙が溢れてしゃがみ込んで雑に両手で涙を拭っても拭いきれないほどに辛そう。
「う、ふっ、うううっ」
今日はアムとスラの結婚式なのに、こんなに予想外すぎる出来事があるのは仕方なくはないだろう。
まさかもう何十年も会っていない妹のソリーが来てしまったことでスラは溢れ出る気持ちを抑えきれずにそのままソリーにぶつけて初めて泣かせた。
「はっ、ああ」
俺は悪くない。
勝手にルロがソリーを連れて来たのが一番悪い。
この二人が来なかったら式は全て予定通り上手くいった。
そうだ、俺は、俺たちは何も悪いことはしていない。
それはアムも分かって・・・えっ。
スラは自分たちは悪くないと言おうしたが、隣で見たのは瞳が真っ白に染まって感情一つも失った人形の姿だった。
「アム?」
「・・・・・・」
「どう、したんだ?」
「・・・・・・」
「君、は、俺たちは何も悪いことはしてない。自信を持つんだ」
「・・・・・・」
何も声も出さず言葉なんて知らないような本当に空っぽになったアム。
スラの呼びかけに反応をするどころか、ただ破られたドレスを見つめて呼吸がどんどん小さくなって生きているのかも分からないほど、全てに絶望している。
「・・・・・・」
アムの絶望はとても大きすぎた。
やっとスラと結婚式を挙げられてドレスを着て幸せになれると思っていたのに・・・人生とは予想外のことだらけで計画も予定も全てが壊れる。
それが今のアムの姿でもある。
ただ一つのことに絶望はしても、誰かの力を借りればいつかは元通りになり、また始まりが生まれる。
その繰り返しから生まれる幸せもある。
どんなに転んでもどんなに失敗しても、必ず成功への道が開かれる。
何かを信じればいいとかそういうことではない。
信じるだけだったら誰にでもできる簡単なことだ。
でも、アムはもう何も信じられない、何を信じて夢を見ればいいのかを見失っている。
せっかく幸せになれるのに、スラが選んでくれたのに、アムはボロボロにされたドレスをじっと見つめたままで動くこともない。
こんな状態が何日も続いてしまったら、きっとどこかで夢を捨ててしまうだろう・・・。
それを分かるのはスラだけ。
「アム、お願いだ、何とか言ってくれ」
何度も呼びかけても無駄なことだ。
いや、何が無駄なのかも分からないほどにアムはどんどん人形化していき、そのうち目を開くこともないだろう。
それでも。
「君が俺に一番似合う血を持っているんだ! 君しかいない、君だけが俺を幸せに、永遠にそばにいてくれる大切な存在なんだ!」
これは心からの叫び、本心。
自分の中で閉じ込めても、相手に伝えれば全てが変わる。
今のスラがそうだ。
一度兄のシセルに取られてしまったが、アムがスラを選び今ここで幸せを誓おうとしている。
その事実だけでも、アムが絶望する理由が崩れるのも事実になる。
本気で誰かを好きになって愛し合って永遠にそばにいる。
「俺は君と最後まで一緒にいる。何があっても、絶対に君のそばから離れない。絶対にだ」
その言葉を聞いたアムがほんのちょっとずつ顔を上げる。
「・・・絶対に?」
スラ、が、私と、さい、最後まで、そ、そばに、いてくれる?
「本当、に?」
少しずつ瞳の色が元の水色に戻っていく。
「私も、スラと、最後まで、い、いい、一緒にいたい!」
そう言ったアムはギュッとスラを抱きしめておでこを頬にくっつける。
「ふふっ、今言ったことは絶対約束して。私はずっと覚えているから」
くっつけられたアムのおでこが柔らかくて心地良くて、スラは美しく微笑んで頷いた。
「ああ、俺も覚えておくぞ」
ボロボロなドレスでも、自分を好きになってくれた吸血鬼がいる幸せはどこにもない。
二人の中にある。
けど。
「はっははははは! へえー、君たち結構面白いね。うんうん、じゃあ、ここで終わりだよ。君たち、僕たち以上の幸せは絶対に手に入れさせない。君たちが僕たちの目の前で幸せになるのは、そんなこと、あっていいはずがないからね」
大声で笑ったルロが愛するソリーを傷つけられたことを心の底から二人を憎み、最悪な結婚式の本番が始まる。






「へえー、面白いね」
僕の他に、それも可愛くて綺麗な人間が二人いたなんて嬉しいね。
でも、何か・・・。
「普通すぎてつまらないね!」
見た目が良くても、中身がソリー以上に愛せれるならって。
「はあ、ダメだね。こんなこと考えたらソリーに怒られてしまうよ!」
一人悩んで失礼なことをサラッと大声で呟いたルロ。
これを見ていたアムとナイは。
「あなた、大人なんですよね? どうしてそんなことが言えるんですか?」
「そうよ。私たちの姿を見て勝手に残念に思うのは大人として恥ずかしくないのかしら?」
二人共腹が立って拳を握りしめて睨んでどんどんルロに近づいて服の襟をお互い力強く掴む。
でも、ルロは特に気にすることなく。
「一応謝っておくよ、ごめんね。ははっ、だけど、僕は君たちと違ってすごく幸せ者なんだよ。君たちがどうしてここにいるのかは少しは知りたいと思ったのに、僕を『大人』っていう決められた役をバカにされたら僕だってそれは許せない」
そう言って、ルロはスッと風のように二人から掴まれていた襟をパンパンと手を叩きながら避けてこう言った。
「無駄な願いは捨ててもっと大きな願いを持った方が君たちのためになる。絶対にね!」
ルロは自分が「大人」であることを分かっていても分かりたくもなさそうだ。
生まれも育ちも貴族。
それなりに気品高く仕上げられて苦しい生き方をしていつのまにか歳を取って「大人」になってしまった。
「ははっ」
別にこれでいい、これでいいんだよ。
だって、そうだよね?
僕と同じ人間がまさか二人、それも女の子がいてくれたなんて・・・本当はすごく嬉しい。
僕以外にも吸血鬼と契約を結んで幸せを感じてくれているって考えるとすごくドキドキして興奮がたまらなくてつい変な笑い方になってしまう。
だから。
「僕の幸せを分かってくれたら、またあの二人に会いに行ってもいいかもしれないね」
めちゃくちゃ上から物を言うルロ。
しかし、その余裕はいつまで持つのだろうか・・・。
「あっ、ソリー! お待たせ!」
大きく右手を上げて手を振りながらソリーとサムールの元に帰ってきたルロ、だが。
「ちょっとあんた! 一体何をしに行っていたのよ!」
何かいい物を持ってくると言っていたのに、ルロは何も持たずに満面の笑みを見せていることに心の底から腹を立てて怒るソリー。
その怒りは誰だってよーく分かるだろう。
そして。
「あははは、やっぱり使えない、人間は使えない! ソリー様、今からでも遅くありません、さっ、私をもう一度メイドとしてお使いください。あなたに一番似合うのはこの私、サムールだけですから!」
さっきまで王に報告されることに恐れて拒んで嫌がって叫びまくっていたのがパサっと枝が折れるかのように心変わりしたサムール。
けれど、ソリーはそんなどうでもいい、くだらないサムールの言葉を聞いてさらに怒りが限界を超えて真っ赤な瞳が薄暗く明かり灯したように本物の吸血鬼の恐ろしさをその瞳で深く味わせていく。
「あんた、本当にバカな子ね! 誰があんたをもう一度やり直させると思っているのよ!」
私とルロの幸せを邪魔したのに、それを無しにしてもう一度私の元で働くなんてそんな都合いい話、あるはずがないでしょ!
他人から自分の幸せを邪魔されて怒らない者など、どこに存在する?
特にルロとソリーの絆は誰にも邪魔させない強力すぎる物。
サムールは本当に何も分かっていない。
いや、分かっているかもしれない。
今まで何十年もソリーの元でメイドとして働いて一番近くでずっと見て学んでいたのに、ルロのせいで全てが壊れて全部台無しにされて。
勝手に契約を結んで結婚して幸せになって、その後もどこかで二人の空間が増えてしまうことをサムールは心の底から嫌がっていた。
主人がどんどん遠くに行っていつか手を伸ばしても一生届くことのない場所に辿り着いてしまう恐怖に包まれることもサムールは怖がっている。
だから!
「私はまだまだメイドとしてソリー様のお役に立てます! 私は、私は、最後までソリー様のおそばにいたいんです! 最初にソリー様を見た時、胸がドキドキしました。こんなに美しい吸血鬼は私は見たことがありませんでした。ソリー様の元で何十年も働いて私は嫌に感じたことは一度もありません! だって、こんなに美しい吸血鬼を毎日見られる喜びは他にありませんから!」
大丈夫。
ここまで私の本気を伝えられたんだから、ソリー様も心変わりしてもう一度私を選んでくれるはずよ。
私はいつでもソリー様を大切に想っている。
それがソリー様に伝わっていたらきっと。
心から期待して出会って時のような幼く可愛らしい瞳を見せるサムールに、ソリーは深いため息を吐いた後、目を合わせてこう言った。
「はあ、そうね。そこまで言われたら断れないわね」
何かを諦めたような雑な言い方にも聞こえてしまうが、サムールにとってはとても嬉しい言葉で涙を流し笑った。
「はい! 私、これからもソリー様の元で一生懸命働きます!」
ソリーの優しさはルロと同じようで少し違う。
誰かの力になりたい、役に立てたらそれでいい。
そんな都合良く自分の優しさに浸ってしまう者こそ、バカとなるだろう。
それでも。
「私はあんたと最後までいられる保証はないの。もちろん、私が先に消えてしまうかもしれないし、あんたが先に消えてしまうかもしれない。私たち吸血鬼はいつどこで消されるか分からない危険な生き物なの。私だって、何十年と過ごしたあんたを捨てたくない」
ほんの少しずつサムールの元に歩き出して手を差し伸べるソリーに、サムールは満面の笑みで頷いた。
「分かっています。ソリー様が消される前に、私がソリー様をお守りします。私はそのために生まれたんですから」
その言葉を聞いたソリーは美しく微笑んで頷いてサムールの両手を握った。
「そうね。あんたたちは私たち王族に仕え守るために作られた人形。良かった、ちゃんとそこは分かっていて」
「はい、私たちは王族の皆様のために存在しているんですから。基本はしっかり身につけているので、安心してください」
幼い頃からずっと仲が良かったソリーとサムール。
特にサムールの場合は主人のソリーを何十年もそばに居続けた大切な存在。
ルロとは違う大切で。
ソリーとサムールの仲直りを微笑ましく明るい笑顔で見ていたルロが二人を大きく両手を広げて抱きしめようとしたが、サムールがまだまだ力強く睨みながらスッと風のように避けられてしまった。
「何をするんですか? 気持ち悪いです」
さっきまでの満面の笑みとは全く違う吸血鬼の赤い瞳を黒く輝かせるサムールを、ルロは苦笑いを浮かべてどこかショックを受けている。
「あ、はははっ、ごめんね。僕も君と仲良くなりたいから、ちょっと触れてみようかと」
「気持ち悪いです。私はメイドです、ソリー様の夫だからって調子に乗らないでください。本当に気持ち悪い」
何度も「気持ち悪い」と真っ赤な瞳で見られてしまったルロは少しずつ一歩一歩後ろに下がって近くの木に隠れて自分が思っていた以上にショックで心が折れていく。
「えー、どうして・・・」
僕、何か間違ったこと言ったかな?
すごく仲直りのいい雰囲気に混ざりたかっただけなのに、それがダメだったのかな?
「うーん、女の子って、難しいね」
僕は一人っ子だったから・・・それに舞踏会とかでも一度も誰とも会話をしたことなんてなかった。
でも。
「ソリーがいるから僕は頑張れる。何にだってなって見せるよ。君が願うことなら僕は何も迷ったりしない」


三日後、ルロは一人で庭へ散歩に出る。
「わあー、昼の空は青くて夜と同じくらい綺麗だね。まあ、今はまだソリーが寝ているからあまり意味はないけどね」
人間の起床時間と吸血鬼の起床時間は全く違う。
今までルロはソリーに合わせて起きて行動してまた一緒に眠る。
それが何ヶ月も続いてしまえば生活習慣も当然人間としてはとても乱れる。
人間は朝に起き昼に働き夜は眠る。
それが人間の普通の習慣。
逆に吸血鬼は夜に起き夜に行動し朝に眠る。
ほとんど夜に行動するため、吸血鬼は昼の空を見たことはない。
見てしまったら一瞬で燃え尽きて消える。
そういう生き物。
だが、なぜ今日ルロが一人で昼に散歩に出たのか、それは。
「やあ、来てくれて嬉しいよ」
満面の笑みで軽く手を振るルロの前に現れたのは。
「何の用ですか? また失礼なことを言うなら帰ります」
「そうよ。あなた、見た限りボロボロで一人で寂しそうで笑ってしまうわ」
三日前に失礼なことを言われたお返しにサラッとひどいことを言ったアムとナイ。
でも、ルロは三日前と同じように全く気にせず鼻歌を歌い少しずつ二人の前に歩き出す。
「ねえ、君たちも吸血鬼と契約を結んでいるんだよね?」
その言葉を聞いたアムとナイは一瞬体がビクッと震えたが、平常心で首を横に振って否定した。
「いいえ、していません。あなたには関係ないことです」
「ええ、私たちが吸血鬼と契約を結んでいることをどうして他人のあなたに教えなければならないのかしら?」
やはり二人はまだ怒っている。
勝手に自分たちの見た目を否定して残念そうに帰って行ったことを怒らない生き物はどこにもいないだろう。
いてもほんの少しの数だけ。
アムとナイが誰と契約を結ぼうがルロには関係ないのも事実になってしまう。
だけど。
「僕は教えてあげるよ。僕はソリーっていうすごく可愛くて優しい女の子の吸血鬼と契約を結んで結婚して今とても幸せな人間。ははっ、これで分かったかな?」
悔しいほどに自慢するその満面の笑みがさらにアムとナイの怒りを爆発させる。
「そうですか。それは良かったですね!」
「ふっ、自分で自分を幸せと言うのは贅沢じゃないかしら。もっと違う言い方があったでしょ!」
さすがに大声で怒られてしまったルロはようやく自分の言い方が悪かったことに反省して少し頭を下げて正しく謝る。
「ごめんなさい。そうだよね、僕、君たちのこと、何も考えていなかった」
って、別にそんなに怒らなくてもいいのに・・・。
まあ、これが普通なら仕方ないね。
何が普通なのかをよく理解してないルロ。
だが、そんなことは今は当然関係なく。
「僕が知りたいのは君たちはどうしてここにいるのかな? 僕みたいに吸血鬼が好きとかそういうの?」
その「吸血鬼が好き」という言葉を聞いた二人は一瞬動揺し瞳を激しく震え立たせてルロから目を逸らし、後ろに下がってしまう。
「・・・どうして、そ、そそんな、こと、聞くんですか?」
吸血鬼のことをあまり知られたくないアム。
「わ、わわ私は、ただ吸血鬼に憧れていただけよ。そ、それの何が悪いのよ・・・」
ナイが言った「憧れ」という言葉を聞いてしまったルロは怪しげな微笑みでシュッとめちゃくちゃ早く走ってつい嬉しくてナイの両手を握った。
「ははははっ、嬉しい、嬉しいね! 良かった、僕の他に吸血鬼に興味があったなんて!」
こんなの奇跡みたいだよ。
ああ、僕、このお城に来て良かった・・・。
自分の選択は自分次第。
それが正しくても間違っても自分が選んだことは最後まで責任を持って行動する。
誰にも頼らず、自分の力だけでやり直せるならそれでも構わないだろう。
他人の力を借りて願いを叶えるよりも、自分の力で叶えるのも悪くはない。
それがどんな方法であっても、自分がそれを正しいと言えるのなら、その後のことは何も考えずに前を向き続ける。
後ろを振り向く隙は与えない。
そんなことをさせるなら捨てるのが一番。
夢も願いも、希望もきっと、そのために・・・。
「ははっ、こんなに笑うなんて思わなかったよ。こんなに嬉しいこともあるなんて、本当に、君たちは、人間は面白いね」
自分も人間なのに、別の生き物のように上から物を言うルロ。
本当に、他人の腹を立たせるのが上手な人間。
吸血鬼と結婚したことを一度も後悔せず、むしろ誰よりも幸せを感じるおかしな人間。
こんなことで笑えるのも本当にバカだと言えるだろう。
でも、そんなルロの姿にアムはあることを言い始める。
「私はスラっていう吸血鬼が気になっています。いや、好きです。好きだから苦しいんです。あなたならこの気持ち、痛いほど分かりますよね? そんなに吸血鬼と幸せになっているなら、あなたも何かに痛いほど苦しい気持ちになったことが絶対にあるはずですよね?」
どんどん近づいてまだまだ動揺しているのか、アムは震える両手でルロの手を握って真剣な眼差しを向ける。
だけど。
「うん、そうだね。君の言うとおりだよ」
静かな声で頷いたルロ。
本気で真剣で真っ直ぐで嘘はない一番正しい姿。
ここまでルロが本気なのは珍しい。
同じ人間でも上から物を言えるバカがただ一人のために本気になれるのは「愛」という絆のせいだろう・・・。
「僕は妻といるとすごく胸が苦しくなる。こう言ったけど、これで合っているかな。そう言ったら傷つくかな。僕は日々こんなことを考えながら今も生きている。他人の君たちからしたらどうでもいいことかもしれないけど、僕本人にとっては命よりも大切で消せない物なんだよ。これでいいかな?」
言いたいことはまだまだたくさんあるけど、それを全部言ったら夜になってしまうから今はここまでにしておこう。
このお城で暮らす人間が僕を含めて三人。
それも僕だけが男。
何かがあった時、この二人を守る必要があるかもしれない。
同じ人間だから、自然と助け合う力はとっくに持っている。
持っていて当たり前。
それが人間なんだからね。
だから。
「僕たちは人間だから、人間なりの力を発揮するために、これから仲良くしてくれないかな?」
そう言って、アムに握られている手をそっと離して両手をアムとナイに差し伸べるルロ。
すると。
「いいですよ。正直、あなたの言うことは聞きたくないけど、仲良くするだけなら構わないです」
「わあ、嬉しい!」
「そうね。同じ人間なんだから、仲良くするのは悪いことじゃないわね。あなたの吸血鬼への愛は私もよく理解できることだから」
少しずつ納得しながらアムとナイはルロの手を握り、ルロは満面の笑みで何度も頷いた。
「ははははははっ、嬉しい、嬉しい! これから長くよろしくね!」
同じ人間ならではの絆、本気。
その気持ちが重ねればどんなことでも立ち向かえる。
だが、その絆がいつ破壊されても文句は言えないだろう。
だって、ここは人間の住処ではない。
吸血鬼の住処だということを忘れたら、永遠に心は吸血鬼の物に変えられてしまう。
この三人が出会えたのはただの偶然でも奇跡であってもどうでもいい。
出会ってしまってはいけない三人だった。
この三人の共通点をお互いが知ってしまったらきっと三人はお互いを殴り合い、全てを奪い合う。
それを知らない今はまだ、仲良くしても問題はない。
特にルロはソリーを一人にはしていけなかった。
もう、奪い合いは始まっている。
いや、気づくことすらもできないほどに浮かれてしまっている三人。
一体、これから仲良し状態はどこまで続くのだろうか?


夜になった。
ソリーが起きる前に部屋に戻ったルロ。
「ソリー、朝だよ。起きてー」
愛する妻を起こすのは夫の使命? と、ルロが勝手に妄想している。
これは正しいのか?
でも、ソリーは一回で起き上がってルロに寄りかかる。
「はあ、眠い。ねえ、ルロ」
「何?」
「あんた、私が寝ている間にどこに行っていたの?」
「・・・え?」
突然言ってもいないことを聞かれたルロ。
その瞳は激しく震えてとっさにアムとナイのことを隠すようにソリーから目を逸らしてしまった。
けれど、ソリーは遠慮なく続けて質問する。
「あんた、私以外の女と親しくなったりしていないよね?」
「・・・・・・」
「私、一応、あんたの妻なんだけど?」
「・・・えっと」
「妻の私を捨てて他の女と仲良くしたらどうなっているか分かっているわよね?」
「・・・・・・」
「ちょっと、いい加減何か言ったらどうなの? 別に怒ったりしないから、ほら!」
そう言って、ソリーが力強くルロをベッドに押し倒して無理やりにでも顎を右手で掴んで唇と唇が重なる手前まで顔を近づけて、ようやくルロが口を開く。
「・・・人間に会ったんだよ」
「は?」
「僕の他に二人の人間がいるんだよ、それも女の子」
その事実を知ったソリーは衝撃すぎて頭が追いつかずに黙ったままだが、ルロは続けて話し続ける。
「今日君が寝ている間、庭に二人を呼んで仲良くすることになった」
「・・・そんな、どうして!」
妻の私がいるのに、どうして他の女、それも人間と仲良くする必要があるの?
私だけじゃ満足できなかったって言うの?
私が人間だったら良かったの?
私が人間じゃないのがもう面倒になったの?
理由は何なの!
「くっ」
考えれば考えるほど腹が立っていくソリー。
朝から腹を立たせるルロもすごいが。
「ソリー、聞いて。僕は二人と仲良くしても、絶対に好きにはならない。これだけは分かって、お願いだ」
「嘘は言わないで!」
「え?」
「私はルロに他の女と仲良くしてほしくない! 私だけを見ててほしい、愛してほしい、最後まで!」
そんなお願い聞けるはずがないでしょ!
「どうして私が分からないといけないのよ! 普通は逆でしょ!」
「・・・ソリー、僕は」
「私はルロが好き! 私にはルロしかいないの、ルロがいるから今も生きていけるの! 私を一人にしないで、捨てないで!」
大粒の涙を流しながら本音を全て伝えたソリー。
その本音は絶対に嘘ではなく愛の本気でもある。
「うっ、ふ、あああああああっ!」
朝から泣かせるルロは本当にすごい。
起き上がったばかりの妻に衝撃の言葉をかけて言い方が悪くて腹を立たせ泣かせる。
全く貴族育ちとは思えない最低すぎる生き物だ・・・。
でも。
「ソリー、僕は君を捨てたりしない、永遠に離さない。あの二人よりも、この世界で一番可愛いのはソリーだけだよ。僕が君と結婚したのは君が誰よりも愛らしくて心から永遠に愛したいと思って結婚したんだよ。僕は絶対に君が以外の子を選ばない、選ぶはずがない。だって、僕はもう君の物なんだからね」
大人の美しい微笑みを見せるルロは心の底から妻のソリーを愛する最高の人間の姿。
吸血鬼でも関係ない。
好きになった相手がどんな生き物でも、自分を求め愛してくれる限り、永遠にそばに居続ける。
それがルロの愛の本気。
本気でソリーを愛する人間。
自分の血を吸い喜ぶソリーのためなら、ルロはどんなことだってやってしまうだろう。
誰にも止められない形であっても、愛するソリーのためなら何も迷わない。
「愛」とは色々な意味で恐ろしい。
特にソリーとルロはお互いを愛しすぎて恐ろしいことを頭に浮かばせるほど手を伸ばしてももう時は遅く絶望が待ち構えている。
二人はその世界に入り込んでしまっている。
人間と吸血鬼がここまでお互いを本気で愛し合い、全てを消せる力をも手に入れてしまいそうなくらいに危険な場所に立っている。
それでも、二人が幸せなら誰も止めはしないだろう。
なぜなら、このお城で暮らす人間が四兄妹の一人と結婚し幸せになったのは今までルロだけだった。
現在はどうなのか。
「ソリー、ごめんね」
「どうして、あんたが謝るのよ? 私も色々とひどいこと言ったんだかtらお互い様でしょ」
「そんなことないよ。ソリーが言ったことは僕、結構嬉しいよ。ソリーが僕のことをそんなふうに愛してくれていたことが嬉しくてよだれが垂れてしまうところだったよ」
変な意味で興奮して本当によだれを垂らしてシーツが染みていく姿を、ソリーが自然と体を震わせて一旦距離を取る。
「ひっ、それは汚いからやめて。分かったから、私もルロが言うことは全部嬉しい。全部私のためでルロのためになる。ふふふっ、私たち、本当に仲が良いわね」
「そうだね。そうじゃないとおかしいよ。僕たちは夫婦なんだから、仲が良くて当たり前。もっと自信を持って二人でこれからも幸せに生きていこう!」
「ふふっ、そうね。あんたの言うとおりだわ」
二人だけの世界で一番の幸せな空間。
誰にも邪魔できない「夫婦」だからこその強い愛の絆を持っている。
この絆は誰にも止められない。
ルロとソリーだけの黒い幸せが今、動き出す。



一ヶ月後。
「ソリー、こっちだよ! 早くおいで」
「ちょっと待って! あんた男なんだから、女の私の体力くらい理解しなさいよ。はあっ、はっ、気持ち悪い」
ルロとソリーがお互いを愛していることを改めて確認して一ヶ月が経った今、二人は真夜中のお城の中を走って遊んでいる。
この歳で走り回るなんてどうかしているけど、ルロの誘いなんて私は絶対に断れない。
それに、日頃あまり動いていないから、たまにはこうやって足を動かすことも大事。
「私はルロが笑ってくれるなら何も怖がったりしない」
今までの私だったらあのお兄様たちを毎日毎日無駄な涙を流して怖がっていたけど、今は違う。
今は、これからはルロがいてくれる。
そう考えたら何も怖がったりしない。
私のために生きてくれるルロがいてくれるだけで、私は。
手を伸ばしたらいつもソリーはルロの手を握れる。
それが普通だと思っていた、が。
「はあ、面倒だな」
その一言で、ソリーは一瞬で体中が震え上がって瞳も激しく震えていて足に力が抜けてしゃがみ込んでしまった。
「は、ああっ、はあっ」
この声、何年ぶり?
久しぶりすぎて胸のドキドキが抑えられなくてどんどん怖くなっていく。
どうして?
「ソリー!」
突然しゃがみ込んだソリーを心配するルロがすぐに走ってそばに寄り添うが、ソリーの体の震えは止まることはなく、さらに悪化していくだけだった。
「は、ああっ、はっ」
息が、まともにできない。
ちゃんと深呼吸をしているのに、体が言うことを聞いてくれない。
どうしよう、このままあの吸血鬼が来るまでここで待っていたら、私はまたあの苦しい一年を過ごすことになる。
「はっ、あああっ」
「ソリー」
何度呼びかけても返事をしてくれない、いや、ルロの声が聞こえていないソリー。
それはあの吸血鬼から受けた苦しみをもう一度味わうことを心の底から恐れているからであった。
すると。
「ソリー、お前は本当に面倒な吸血鬼だな。僕よりも先に幸せになるなんて、そんなこと、僕は一度も許した覚えはないけど?」
そう言って、怪しげな微笑みをしながら堂々と腕を組みながら現れたのは四兄妹の三男、セスだ。
「セス、お兄様、私はもうあなたの道具じゃない。私に構わないで!」
まだまだ怖がっているのか、ソリーはセスと目を合わせるのが無理なようだ。
けれど。
「あなた、誰ですか? 僕の愛する妻を傷つけたこと、絶対に許しません」
この吸血鬼、見たことがない。
ソリーが「お兄様」って言ったから、きっと四兄妹の多分、三男のセス様だよ。
きっと、そうに違いない。
でも、今更僕たちに、ソリーに会いに来るなんて、一体何を考えているのかな?
少しずつ何か悪いことを考え出すルロ。
その考えは決して間違いではない。
なぜなら。
「セス、そこで何をしているの?」
そう、セスと契約を結びセスを好きになりたいという希望を胸に抱くナイが現れたことでルロの考えは全て変えられる。
「ナイ、ダメだよ。ここにいたら、君は消されて」
「は? こいつは僕と契約を結んでいる大事な人間、お前みたいなゴミがその名を簡単に口にするな」
そう強くナイの存在を一番大事にするセスがナイをそっと抱きしめている姿を見たルロとソリーは。
「・・・あっ」
嘘、セスお兄様も人間と契約を結んでいたなんて・・・だったら、尚更私のことなんてどうでもいいはずなのに、どうして。
「そんな」
ナイがセス様と契約を結んでいた人間。
じゃあ、ナイは僕の姉になるんだね・・・。
初めて知った事実、衝撃。
それは突然起こること。
誰がどんな予想や想像をしても辿り着けない。
事実なんていうものは誰も考えられない形で巻き起こるような最強な魔法。
現実では難しいけれど、「魔法」という言葉は誰にだって使えてしまうような簡単そうな物。
そして、セスの怒りは止まることはなく。
「はっ、お前たちには消えてもらう、ううん、消えてもらうのは今じゃない。ソリーなら分かる?」
ゆっくりとソリーに近づいてルロとバタッと足で蹴って退かしたセスは不気味な笑みを浮かべながらソリーの肩を両手でバッと限界まで力を込めて掴んだら。
「う、あああっ! やめてください、やめてください、セスお兄様!」
必死に首を横に振って大粒の涙を流しながら拒むソリー。
だけど。
「やめない。お前が消えるまで僕はお前を苦しめる。お前だけ幸せになって、僕がどれだけお前を憎んでいるか、お前は知らなかっただろうな!」
セスの怒りは本気で嘘ではない。
その様子をずっと理解できずにぼーっと見ていたナイが少しずつセスに近づいてこう言った。
「セス、やめなさい。あなたには私がいるでしょ」
その言葉を聞いたセスは冷静になってソリーから距離を置いてナイに寄り添う。
「そうだな。僕にはお前がいる。でも、あいつらの幸せが僕は嫌いなんだ」
「そう、じゃあ、こうしましょ。私も手伝ってあげるわ」
「何を?」
「ふふっ、私とあなたの幸せのための正しい場所へよ!」



「私たちで人間を滅ぼし、吸血鬼を救いましょう」
出会ってはいけない三人がここに集まった。
このお城に隠すはずの大切な餌が顔を見せたことでお互いを理解し助け合う。
そういう存在を知ってしまった以上、もう過去には戻れない。
他人にはなれない。
でも。
「突然何を言われたか分からないでしょ? 私も私が何を言っているのか正直分からないけど、これだけは信じて。私はあなたたちの味方よ、あなたたちがどんな人間でも、私は全てを受け入れるわ」
三十歳になっても恋を経験していないナイ。
やっと手に入れた最高の希望なはずなのに、ナイはその希望を自分で失っていくことをまだ知らない。
知った時のナイはきっと・・・。
十五歳のアム。
二十一歳のルロ。
二人はナイよりも年下でまだまだ大人の経験は浅い。
考え方も想像も甘くてバラバラに溶けてしまうくらいの年齢だからこそ。
「私は、私たちは吸血鬼を好きになれる唯一の人間。普通の人間なら吸血鬼を好きになるなんて絶対に嫌だけど、私たちは違う。私たちは吸血鬼を好きに、愛せる人間よ。これは同じ希望。私たちがここで出会ったのは何かの運命、何も遠慮せず、自信を持って私がさっき言ったことをやってみましょう」
誇り、尊敬、意味。
全てがごちゃごちゃに混ざり合うはずなのに、ナイの美しすぎる大人らしい微笑みがアムとルロを明るく陽よりも眩しいくらいに照らしてくれる。
これがナイのすごいところ。
出会ってそんなに時間が経っていないのに、ナイの微笑みは全ての生き物を明るく照らす笑顔の魔法を持っている。
すると。
「私にもできますか? 私と同じ気持ちがあるなら、あなたを信じたいです」
勇気を出して真剣な眼差しと可愛い微笑みを見せるアム。
「僕も、吸血鬼を愛せる人間の見本として、その提案を受け入れるよ」
愛する妻のために堂々と右手を挙げるルロ。
二人のやる気を待っていたかのように、ナイがさらにあることを提案する。
「じゃあ早速、明日あなたたちが契約を結んでいる吸血鬼と一緒にお茶でもどうかしら?」
その言葉を聞いてしまった一瞬で、アムとルロの表情が暗く沈む。
「それは、ダメな気が、します」
「えっ?」
「僕は別に構わないけど、妻は納得はしないだろうね」
「そう、なのね」
困ったわ。
やっぱり契約を結んでいる吸血鬼の方が大切よね。
私が良くても、セスが嫌がったら意味がないわ。
「はあっ」
もっとちゃんとした言葉をかけるべきだったわ・・・。
大人の私がしっかりしないとダメなのに。
でも、ここで止まるわけにはいかない!
「あなたたちの吸血鬼を私はこの目で見てみたいの。きっと美しくて思いやりのある素敵な吸血鬼だと私は強く希望がある。それに、私はあなたたちよりも大人なんだから、少しくらい私の言うことを聞いてほしいわ」
って、結構上から言ってしまったけど、まあ、少しくらいは年上らしく基本を見せるのも大切なことよ。
私が遠慮してどうするのよ?
それこそ、私も、もっと自信を持ってセスを二人に紹介したい。
私がこの世界で一番好きになりたいセスを、アムとルロに見て欲しい。
「ふふっ」
自分の希望を他人に押し付けるのは良くない。
ナイも当然それは理解している。
理解しながらも、自分が大人らしさをどう伝えるかをはっきりと頭に入れておくことで、さらにナイの笑顔が輝ける。
出会いの形がバラバラな三人。
どんな理由でも、契約を結んだアムとルロが気になるナイ。
すると。
「ナイ、そこで何をしている? 僕を待たせるなんていい度胸だな」
ほんのちょっとでも待つのが大嫌いなセスが不気味な笑みを浮かべながら三人の目の前に現れ自然にナイを抱きしめるセス。
「僕とお前は契約を結んでいる、僕から離れるのは許さない」
起きる時から寝る時までずっと離さないセスの甘える可愛い姿に、ナイはいつも通り優しく頭を撫でて優しく笑った。
「ふふっ、ごめんなさい。そうだったわね、あなたは私のことが好き。私もあなたを好きになる。そういう仲なのに、離れてごめんなさい」
「別に、謝る必要はない。ただ、えっ・・・」
何かの気配を感じたセスがその何かを警戒してとっさにナイを自分の背中に隠す。
ナイは何が起きているのか全く理解できずに首を傾げる。
「セス? どうした」
「黙って」
「えっ?」
「最悪。何でここにいる、絶対に会いたくなかったのに!」
そう言ったセスが睨む方向からゆっくり近づいた正体。
「セス、久しぶりに会うのに、その言い方はないだろう?」
「そうですよ。わ、わわわわわわ私も、本当は会いたくなかった」
そう、アムと契約を結んだ四兄妹の次男スラ。
そして、ルロと契約を結んだ四兄妹の長女ソリー。
ナイがお茶会をしようとしていたところにちょうど来てくれた二人。
ナイは少し嬉しそうに瞳をキラキラと輝かせる。
「へえ、あの二人の吸血鬼がセスの兄妹なのね」
見た目はあまり変わらないのね。
やっぱり家族はどこか似ているのは普通みたいね。
だが、その嬉しい感情は一瞬で壊される。
「セスの後ろに隠れているその女はもう捨てていいんだろう?」
スラが突然ひどいことを言い始めた。
それを聞いてしまったセスは。
「兄さん、今の言葉、ナシにして。そんなことを言える兄さんこそが捨てられるべきだ!」
好きなナイを否定した兄のスラに強すぎる怒りを感じたセスが右手を上に挙げ下ろした瞬間、スラの右手から大量の血が流れる。
「う、ああああああっ! 痛っ、セス、お前何をした!」
見事に自分の思うままにスラの体から血を流させたセスの顔は怪しげに心から嬉しそうに笑っている。
「あははははははははははははははっ! 兄さんが悪い、悪すぎるんだ。僕の好きなナイを捨てるなんて言うからこうなった。あははっ、本当に僕以外の皆は頭が悪い。はあっ、こんなクズな家族に生まれた僕の気持ちを少しは考えてよ。お前もな、ソリー」
まだまだ怒りが止まらずに、次はソリーに目が映ったセスがもう一度右手を挙げ下ろす前にルロがバサッとセスを地面に押し倒した!
「させないよ!」
「くっ、こいつ・・・」
ソリーの夫。
こいつがここに来てから僕はずっと嫌だった、最悪だ。
ここは吸血鬼の住む場所。
餌が一人で来ていい場所じゃない。
なのに、こいつのせいでソリーが僕よりも先に幸せになった。
こんなこと、絶対に許せない!
「僕たちの幸せを邪魔するなら、お前も殺すけど、いいの?」
吸血鬼らしい血みたいに赤い瞳と目が合ったルロだが、愛する妻のソリーと同じだと勘違いしてなぜか明るく微笑んでいる。
「そうだね、その気持ちはよく分かるよ」
「はあ?」
「僕もソリーとの幸せを誰かに邪魔されたら君と同じことをするだろうね」
「だったら、早く」
「だけど、それは子供の話で大人の僕は違う。僕は大人だから、そんなバカなことをしたらソリーは絶対に悲しむし絶望させてしまう。幸せっていうのは、そういうものなんだよ。いくら怒っても、誰かに当たるのは子供がすることだよ。今君がしていることは子供だよ。その自覚があるなら、別に僕たちは構わない。ねえ、どうするのかな?」
自分よりも年下のルロからめちゃくちゃ正しすぎる言葉を言われてしまったセス。
それ以上のことをしたら、本当にルロの言う通りになってしまうが・・・。
「はあっ、分かった。お前とソリーには何もしなきゃいいんだよな?」
「えっ」
「僕とナイは将来結婚する。お前とソリーよりも、誰よりも一番に幸せになるからな!」
そう、僕とナイは結婚する。
幸せになるんだ。
僕にだけ与えられた力をここで使う。
もう後悔はしない。
誰がするか、そんな無駄なこと。
ナイも僕と同じ気持ちだよな。
自信満々に後ろを振り向くと、ナイは大粒の涙を流して両手でそれを見られないように隠している。
「う、ふっ、ああ」
その姿を見てしまったセスは急いでナイを抱きしめて自分の手で涙を拭ってあげる。
「どうした、何で泣いている?」
僕が何かしたか?
それとも!
一番大切なナイを泣かせた理由を知るために、セスは周りをしっかり見渡して理由を探している時。
「お前は幸せにはなれない」
いつのまにか目を離していた一瞬を狙っていたスラがセスを力強く爪をわざと引っ掻かせて押し、ナイの首に食用のナイフを向けた!
「この人間の血はまずいだろう? まずい人間をこの城に住まわせるのは良くない。お前も王族なんだ、もっと質の良い人間を選べ」
シセルとは違う強引で身勝手な言葉。
だが、セスは何も迷うことなくこう言った。
「ナイは僕の宝物。質なんてどうでもいい!」
僕が好きなナイはもう餌じゃない。
人間同士が恋に落ちるみたいに、僕もナイに恋に落ちた。
一生離れられない契約を結んだけど、それはただの紙切れ。
実際はもっと大切な物なんだ。
「スラ兄さんには分からない、分かって欲しくないな。僕とナイの絆はそんなナイフだけでは崩れない。壊せるほどボロボロじゃない。そんなことも分からない? 僕よりも年上なのに、あははっ」
動揺も衝撃も受けない。
一人の人間を好きに、愛する一人の吸血鬼の恋はもう、誰にも止められない。
なぜなら。
「そうよ。セスは私を一生選んでくれるわ。セスの魔法は誰であっても全てを消せる特別な物なんだから」
そう言って、ナイは自分の持てる精一杯の力で首に向けられていたナイフを足で蹴ってそれをスッと左手で握ってお返しにスラの首に傷をつけた。
「なっ、人間のくせに、吸血鬼の俺に傷をつけるとは!」
「スラ! 大丈夫?」
スラに傷がつけられたことを契約を結んでいるアムが心の底から心配して走って走ってスラを抱きしめる。
「ごめんなさい。私がいるのに、嫌、スラが消えたら私・・・」
「大丈夫だ、こんなの大したことじゃない。不安にならなくていい」
その様子を見ていたソリーとルロは。
「ねえ、ソリー」
「何?」
「君は僕が死ぬまで絶対に消えないでね」
「は? 何言っているの、私は、吸血鬼はそんなに簡単に消えたりしない。変なこと考えたらダメよ。私だって、あんたより先に消えたくはないわ」
お互いを思いやる気持ち。
それが好きでも嫌いでもどちらでもなくても関係ない。
この七人が幸せな未来が待っているなら誰だってもう・・・。



朝が来てしまった。
それぞれ部屋に戻っているはずが。
「じゃあ、今からお茶を飲みましょう」
美しく微笑みながらそう呼びかけるナイ。
「あの、どうしてこうなったのか教えてください」
全く今の状況が理解できないアム。
「そうだよ。どうして僕たちが君に付き合わないといけないのかな?」
無理やり付き合わされてさっきから聞き飽きた文句を言うルロ。
だが、この三人だけなら何も問題はなかったのに。
「ちょっと、ルロ、私眠いんだけど?」
「少し休ませてくれ」
「はあああっ、眠くて退屈」
そう、人間なら朝なんて普通に起きていられるが、吸血鬼は当然耐えられない。
それを知った上でナイは庭ではなく広間に来させた。
めちゃくちゃ無理やりで・・・。
「セス、少しは耐えられそうかしら?」
分かっているわ。
吸血鬼が朝になっても起きているなんて大きな問題。
でも、せっかく集まったんだから、もっと皆のことを知りたい。
私の勝手なのは十分知っている。
セスの体調も気にしながら続けたい。
「セス、ごめんな」
「謝らないで。お前が僕に謝ることなんて何もない。それに、僕だって少しくらい人間のお前の生活を体験してみたいからちょうどいい機会だ、ありがとうな」
満面の笑みでまさかお礼を言われるとは予想外だったナイは何度も瞬きを繰り返したが、また微笑んで優しくセスの頭を撫でてあげる。
「ふふっ、セスと契約を結んで正解だわ。本当に、私はあなたを好きになれて良かったわ」
「えっ」
今の「好き」という言葉を聞いたセスは一気に眠気が治ってナイみたいに何度も瞬きを繰り返して現実かどうかを自分の頬を力強く叩き、痛みを感じたことで現実と理解してナイをギュッと可愛らしく抱きしめた。
「あははっ、嬉しい! ナイからその言葉が聞けて僕は幸せだな。うん、僕も大好き、愛してい」
「許さない」
セスの愛の言葉を言いかけて止めたその声は力強くとても低くそれを見た者は心の底から恐怖を感じさせる。
セスはそれが何なのかをよく分かっている。
「嘘、そんな、ことって、あり得ない・・・」
何で、今になってここにいる?
僕たち兄妹を捨てたくせに、よくもここに帰って来られたな!
「一番最悪だな! 僕を、僕たちを置いて逃げたくせに、お前なんていらない、早く消えろ、ササ!」
そう、吸血鬼の四兄妹を過去に捨て遠くに逃げてお城から出て行ったはずのいとこ、髪を伸ばしたまま体も洗わず汚い姿を何十年も見てきたササが三十年ぶりにこのお城に帰って来てしまった。

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