ピピピッピピピッと、部屋に鳴り響くアラームのけたたましい音で目を覚ます。布団の中で胎児のように丸まりながら、また朝がやって来たのだと靄がかかった頭で理解した。
気怠い仕草で起き上がり、のろのろと習慣づいた朝の支度をする。バシャバシャと顔を洗って視線を上げると、目の前の鏡に映る自分と目が合った。
あの頃、高校生の時から、何も変わっていないように見える私の野暮ったい顔。あれから、何年の月日が流れただろうかと無意識に記憶を遡る。
その顔を支える首には、あの頃どうにも出来なかった赤い縄の存在は何処にも見えなかった。
首を一周するように巻き付いて、顎の下、喉仏の辺りから鳩尾辺りにまで縄先を垂らしていた気味の悪い赤い縄。それはいつからか、はっきりと記憶には無いが、いつの間にか見えなくなっていた。
そこに居た存在を確かめるように、そっと首へ手を伸ばす。何も括り付けられていない首の姿も、もうすっかり見慣れたものだ。
ふと時計を確認すれば、思ったよりも時間は経過していて私は慌ててスキンケアをし、野暮ったい顔にメイクを施した。
服を着替えて鞄を持ち、急いで家を出る。外に出ると、朝の通勤、通学の為に忙しなく人々が行き交っている。学生、サラリーマン、OL、婦人、老人、また学生。その擦れ違う人々の首には、やはり赤い縄は見えない。この世界に、誰一人として赤い縄が首に括り付けられた人は見かけなかった。
今日も今日とて混雑する駅の前を通り過ぎて、商業施設の中に入る。その中の一店舗である書店で、私は最近バイトをし始めた。
スタッフルームに入って従業員の方に挨拶をすれば、特に会話もなく「おはようございます。」とだけ返ってくる。この職場の人達は仕事以外の会話はあまりしない人が多くて、その当たり障りのない感じが私は気に入っていた。
ロッカーに荷物を入れ、仕事を始める準備をしていればスマホが短く振動する。画面を触って確認すると、『葉山由香里』からメッセージが入っていた。内容を確認すれば近々会おうとの事だったので、私はすぐさまOK!!のスタンプを送った。
葉山とは、学生の頃に海で出逢ってから不思議と交流が続いている。あの後、保健室の先生を通じて連絡先を交換し、妊娠中で時間があるという葉山から何度かメッセージが送られてきたのだ。それがきっかけで再び会うことになり、今でもこうやって時折メッセージが送られてきては定期的に会っている。そんな葉山が、今では私にとって唯一の友達と呼べる存在になった。
近々葉山に会う事が決まって、内心ウキウキしながら仕事を始める。バックヤードから届いた書籍を運び出し、発売された新刊を平積みにしたり、本棚へ書籍の補充をする。あちこち忙しなく動いていれば、あっという間に開店時間となった。
平日はそこまで人混みは多く無いため、緩やかな時間が書店内には流れている。ちらほらと客が入って来ては新刊をチェックしたり、雑誌を眺めたりしていた。
レジで接客をしながら、本の独特な匂いがする書店内を見渡した。客が立ち読みしているページが捲くられる音が、聞えて来そうな程の静寂。
その静寂に、反応しなくなった下腹部を見て私はとても感慨深い気持ちになった。ここまで来るのにどれだけ大変だったか、きっと私だけが全て知っている。
あの日、私が逃避行した日。
海の中に入って葉山と出逢って、保健室の先生に私の晒したくない姿を見せてから、色々と変わっていったことがある。あれから、保健室の先生は発言通りに、私の状況を母と担任教師にきちんと伝えてくれた。
そして、母は私の為に、日常生活の色々な面でサポートしてくれるようになった。朝、人が溢れる電車に乗らなくても良いように車で学校へと送ってくれたし、病院にも一緒に行ってくれたのだ。
私の異常な腹痛は過敏性腸症候群というやつで、過度なストレスや緊張などから自律神経が乱れ、腸内に異常をきたすよくある現代病の一種だった。症状をネットで調べた時から、ずっと心の中でそうだろうなと思っていたけれど、病院でちゃんと診断を受けてやっぱりなというのが正直な気持ちだった。
担任教師にも説明をし、授業中にどうしても腹痛で辛いようなら保健室へ行っても良いと許可してもらえた。それと、高校を卒業するために必要な出席日数や授業時間などを詳しく教えてもらえて、出来る限りのサポートをしてもらえるようになったのだ。
そんな色々な事が変化していく中で、以前よりも少しは日常生活がマシになった。けれど、マシになったとは言っても相変わらず授業中の腹痛は辛いし、毎回毎回また公開処刑が起きたらどうしようという恐怖と戦う日々だった。
私が授業中に保健室へ行く事が増えたせいか、クラスメイトからは「またサボってる」と悪く言われる事もあったし、「三上さんは、すぐ保健室行けていいなぁ〜」と当てつけのように言われた事もある。トイレに駆け込む回数が多すぎて木嶋佳奈に「三上さんって頻尿だよね」とデリカシーの欠片もない事を言われた時には、普通に殺意が芽生えた。
何も、羨ましがられるようなものじゃない。私はこんな事を一度も望んでなんかいない。毎日惨めで情けない自分を嫌悪しながら、気が狂いそうになるのを必死で耐えている。何も不自由無く、楽しい高校生活を送れてる奴らが私はずっと憎くて仕方なかった。
それから月日が経ち、なんで私だけがこうなんだろうと何度目かの絶望をした日。結川が、学校を辞めた。
結川が学校に来なくなって夏休みに突入し、二学期が始まってから半月経った秋頃の事だった。朝のHRで担任教師が、淡々と連絡事項を告げる中でおまけのように結川の事が告げられたのを今でも覚えている。
あれだけ結川と一緒に行動していたスクールカースト上位集団は、その事に対して特に反応はなく、結川が居ない事が当たり前になった日常をいつも通り騒ぎながら楽しそうに送っている。
そんな息苦しい教室の中で、私はただ一人ポッカリと胸に空いたような気持ちで過ごしていた。
夏の間、あれだけ煩く鳴いていた蝉はいつの間にか死んでしまった。いつか結川が言っていた夏の匂いが徐々に薄れていき、空気が少し乾いたものに変わっていく。
遣る瀬無さと悔しさと悲しさが入り混じって、ぐちゃぐちゃになった心で私はそれでも学校に通った。首から気味の悪い赤い縄を垂らして、死にたくなるくらい生きてやった。
そうやって途方も無く遠いものに思えていた日々が過ぎ去り、私は五年程前に高校を卒業したのだ。
高校は卒業したけれど、私は出席日数や授業時間がギリギリで春休み中に補習授業を何時間も受け続けた。その為、進学も就職も出来ず高校卒業後は暫く家に引きこもる生活が続いた。
他のクラスメイトたちは、皆それぞれ大学や専門学校に進学したり、就職先が決まったりして明るい新生活に向かって飛び立って行った。それにも関わらず、私だけがまた普通に生きていけないことが情けなくて惨めだった。
こんなに頑張って学校を卒業した事に、一体意味があったのかと嘆いた事もある。高校を卒業して、ひたすらに腹痛に耐える苦痛な学校生活から逃れられたのに、私の首から赤い縄はいつまで経っても消えなかった。
仕事をするにも、この腹痛ではどうにもならない。電車さえまともに乗る事が出来ない私は、病院に通いながら必死にこの病を治そうと足掻き続けたり、時に酷く落ち込んだりしながら進んでるのか立ち止まっているのか分からない年月を過ごした。
私が社会から離れて家に引きこもっている間、同級生たちは皆、色々な経験を経てどんどん先へ進んでいると思ったら、どうしたって悔しくて憎たらしくて堪らなかった。根暗な私は悪い妄想が止められず、自らの心への自傷行為も止められない。
そこで全ての事から一旦距離を置くため、何も考えないようにする為に私は本を読みまくった。というのも、私の事に理解ある母が読書を勧めてくれたのだ。
本を読みながら、私は少しずつ自分を俯瞰して見れるようになった。現実から距離を置いて、ただ活字を追っていく時間が、知らぬ間に私を癒していった。
それが、今この書店で働こうと思った事に繋がっている気がする。本に囲まれた空間は、あの頃苦手だった静寂に包まれている。今も決して得意というわけじゃないけれど、少しずつ耐性がついてきてある程度普通に過ごせるようになったのだ。
この普通が私にとっては、とても奇跡的な事に近い。
病院に通ってカウンセラーの先生と自分に合った治療法を探し、この腹痛と共に生きていく練習をたくさんした。苦手の克服はそう簡単なものじゃなくて、嫌いな人混みに敢えて足を運んだり、映画館や電車やバス逃げ場の無い状況を作って腹痛を起こさない為に思考をコントロールしたりと身体を張ったものだ。
無意識の不安と緊張から腹痛を起こす前に、思考の安心材料を探す。それは私にとって、ある意味分かりやすいものでもあった。何故なら私には、この気味の悪い赤い縄が見えているからだ。
人が溢れる窮屈な電車に乗れば、相変わらず何人かの人が首から赤い縄を垂れ下げている。人の波に呑まれながらも、気味の悪い血の色が私の首で息苦しいと主張する。
それはきっと私だけじゃなくて、結川にあって葉山にもあったものだ。彼等に自覚があるのか無いのか分からないが、きっと何かしらの仄暗い感情を抱いているのだろうと私は勝手に解釈している。
いつか結川が「楽になりたい」と言ったように、葉山が「人間なんだから」 と言ったように、この世界で生きていく事に絶望したり諦めたりしている人々が、私以外にもちゃんと居る。だから怖くて不安だと思う度に、何度も大丈夫だと必死に自分に言い聞かせた。
そう思う事で、生きづらい人々に巻き付いた死の縄は、いつしか私を密かに安堵させるものになった。社会の中で埋もれるように生きながら、抗っている事の証明のような気がして、赤い縄と共に生きていく人々を長い時を経て尊く思えるようになったのだ。
そう思えるようになった自分が少しだけ、あの頃よりも嫌いじゃなくなった。
ずっと自分だけが世界に上手く馴染めていないような気がして、人も自分も環境も全てが嫌いだった。けれど、私は赤い縄を通して、生きづらい自分も周りの人もいつの間にか認められるようになっていった。
何度も絶望や諦めを繰り返しながらも、そうやって少しずつ私の狭まった思考の中に余裕が生まれていく。赤い縄はいつしか、私が私である事の自信の一つになった。
気付けば、徐々に私の異様な腹痛は治まっていった。心と身体はこんなにも密接に繋がっている事を、私はその時初めて実感したような気がする。
暫くして、通っていた病院を卒業し社会復帰を目指す新たな日々が始まった。その途中で、私は赤い縄が首に括り付けられている人たちを以前よりもあまり見かけなくなっていった。
行き交う人々の中に、あれほど居た生きづらさの象徴は二ヶ月程で誰の首からも消えていた。そして、私の首に括り付けられた赤い縄も時間が経つに連れて薄れていき、半透明なものになっていく。
私はそれを毎日鏡で確認しながら、これは一体何が起こっているのかと焦っていた。何年もずっと見えていた景色が唐突に変わっていく事が、少しだけ怖かった。
それでも、私の心境など知る由もない赤い縄の存在は日に日に薄れていき、ある日とうとう私の首から赤い縄の存在が消えたのだ。首を一周するように巻き付いて、顎の下、喉仏の辺りから鳩尾辺りにかけてその縄先をだらんと垂らしていた赤い縄が消えた。
何も巻き付いていない肌色の首を見るのは何年ぶりだったか、衝撃のあまりに私は数時間も鏡の前で自分の姿を見続けていた程だ。
赤い縄が首に現れた当初は気味悪がって早く消えろと毎日念じていたものだけど、今はそれが消えてしまった事が何故だか寂しいものに感じる。
そもそも赤い縄は全て、学生の頃に心が病んでしまった私の妄想だったのかもしれない。妄想か現実かはもう定かではないけれど、それでも私以外の誰の目にも見えないどす黒い赤色が存在していた首をなぞる。
もうそこに赤い縄の存在はないのに、今までと変わらない息苦しさは私の中で継続していた。
赤い縄が消えたからといって私の生きづらさというものは失われたわけでもなく、毎日毎日見えない何かに抗っている真っ最中だ。きっとそれは私だけでなくて、今はもう見えない赤い縄を首から垂れ下げた人たちも皆同じなのだろう。
赤い縄はきっと私の目に見えなくなっただけで、消えてなんかいないのだ。今も、この首に括り付けられている。
人がざわめく休日の昼間、近々会おうと言っていた葉山との約束の日がやって来た。街でも広くて有名な公園で待ち合わせていれば、あの頃よりも随分大人びた葉山と、その葉山の細い手を掴んで歩く小さな影がある。
「結〜!久しぶりだね!」
「りっちゃん!」
小さくとも力強く歩くその姿に、堪らない気持ちになって思わず手を振り声を上げれば、その子は勢い良く顔を上げてまるで花が咲くように笑う。
近寄って両手を広げると、葉山の手を離して柔らかな髪を揺らしながら駆け寄って来る女の子。あの時、葉山のお腹に居た子だ。
ドンッと身体に衝撃が走って、愛おしいぬくもりが触れる。それがなんとも尊くてギュッと抱きしめれば、その子はキャッキャッと弾けるように笑うのだ。
「律、そのくらいにして結が潰れる。」
後からやって来た葉山の呆れたような声に我に返り、「あっ、ごめん!苦しくない?」と抱きしめていた腕の力を緩めれば、「ぜんぜんヘーキ!」となんとも可愛い声が聞こえた。
葉山と海で出逢った時、お腹の中に居た子は『結』と名付けられもう五歳になった。会う度に大きくなる結の成長を目の当たりにして、あれから随分と時が経ってしまったんだなと実感する。
「りっちゃん!遊ぼ!」
「いいよ。何して遊ぶ?」
「うーん、鬼ごっこ!」
「よし!分かった!由香里が鬼やるから、一緒に逃げよう!」
その小さな手を取って結と二人、ニヤリと悪い笑みを浮かべて走り出せば、背後から「ちょっと!勝手に決めないで!」と葉山の怒鳴り声が聞こえる。
あの頃、乏しかった葉山の表情は結が産まれてから、どんどん感情が現れるようになった。笑ったり怒ったりと忙しなく動き始めた葉山の表情を見て、私は密かに安堵した事を思い出す。
鬼のように目を吊り上げた葉山を見ながら、キャッキャッ笑って私達は公園内を全力で走り回った。葉山はそんな私達に頭を抱えながらも、「待てコラ!」と怒りに身を任せるように地面を蹴る。
その後、走り過ぎてへとへとになった私達はベンチに倒れるように座り込んだ。ダラダラと額から汗を流して、息を乱す大人の姿を見た結は、まだまだ遊び足りないと言わんばかりに口を尖らせる。子供の体力を、完全に舐めていた。
「ごめん、結。お母さんたち限界だ…」
「も〜!情けないなぁ!」
ゼェハァと呼吸を荒くした葉山の言葉に、結は文句を言いながらも「ブランコ乗ってくる!」と直ぐに気持ちを切り替えたように駆け出していく。
その姿が眩しすぎて、私は思わず目を細めて走っていった小さな背中を眺めていた。
「あー、疲れた。」
隣に座った葉山が低い声でそう呟く。それにクスッと笑って「結、大きくなったね。」と声を掛ける。
「あっという間にね。来年の一月でもう六歳だって。」
「子供の成長早すぎる〜」
公園内に設置されたブランコに乗り、ゆらゆらと揺られている結の姿を見ながら、流れる時の速さを改めて感じた。
結が産まれて直ぐの頃、私は保健室の先生と共に葉山の元へと会いに行った。葉山に抱かれた赤ちゃんを見た時の衝撃は、今でも忘れられない。
あの時、海にまで浸かった私を生かしてくれた命は、ふにゃふにゃとした柔らかなものだった。小さな紅葉のような手で私の指先をきゅーっと握った温もりが、やはりあの時ように私の心を他者の前に晒していく。
自然と流れていく涙に、これが生きるという事なのかもしれないと当時十七歳だった私は悟った。私も葉山も首から気味の悪い赤い縄を垂らして、無垢な命の前で泣いた。
色々な事に絶望しながら、どうにもならない事を諦めながら、ひりつくような痛みを知って大人になった。そんな私の首にも葉山の首にも、あの頃見えていた筈の赤い縄の存在は何処にも見えない。
「由香里、」
ベンチに座ったまま、隣に居る葉山の名前を無意識に呼ぶ。
「何?」
「…いや、やっぱ何でもない。」
「は?何それ、気になるじゃん。」
私の曖昧な言葉に、葉山は分かりやすく眉を潜める。それがなんだか面白くて、私はケラケラと笑う。
この数年の時を経て、色々なものが変化した。私はもう学生では無いし、以前のような異様な腹痛は起こらない。昔ほど人の事が嫌いではなくなったし、今は自分の事もそこまで嫌いではない。
葉山もよく表情が動くようになったし、私と葉山は名前で呼び合う関係にもなった。軽口を叩く事もしょっちゅうだ。こんな日々が訪れるなんて、全く人生何があるか分からないものだなぁと感慨深くなる。
きっと今、私も葉山もあの頃よりは呼吸がしやすいんじゃないかと思う。
数年前の自分ではどうにも出来ない刃物のような感情が、ズタズタに心を突き刺していた頃はもう通り過ぎた。
この世界を知る度に傷付きながらも、少しずつ丸みを帯びて、昔よりもこの扱いづらい感情を自分でコントロール出来るようになってきたような気がする。
コントロール出来るようになったとは言え、生きづらさやこの世の中や自分に対しての負の感情が決して無くなったわけではない。まだ首を締め付けられているような息苦しさは、ちゃんと感じている。
けれど、あの重苦しくて痛々しい日々を、今では少し懐かしく思うのだ。そんな懐かしい絶望の中で思い返されるのは、首に赤い縄を括り付けられた結川の姿だった。
今、彼は一体何をしているのだろうと、私は時折考える。結川が学校に来なくなった日からずっと、結川の事を忘れた事はなかった。今でもしこりのように胸に残って、こうして過去を思い浮かべる度に、彼は何度も私の記憶の中で登場してくる。
息苦しい教室で首から赤い縄を垂らし、いつもヘラヘラと笑って苦しんでいた結川の姿が忘れられないのだ。
「りっちゃん!」
唐突に呼ばれた幼い声にハッとして、追憶から現実へと目を向ける。目の前には、ニコニコと笑みを浮かべる結が居た。
「どうしたの?」
「一緒にアレしたい!」
小さな指先が指す方向には、公園に設置されているアスレチックがあった。
「よし!じゃあ、あそこまでどっちが速いか競争ね!」
「あっ!りっちゃんズルい!」
態とらしく走り出した私を、結が小さな歩幅ながらに猛スピードで追い抜いていく。前を走り去る背中を見ながらふと、この子もいつかは、あの気味の悪い赤い縄がその首に括りつけられる時が来るのだろうかと考えた。
それとも、もう既に私に見えていないだけで、その細い首にはどす黒い血の色の縄が存在しているのかもしれない。生きているからこそ、起こる普通な出来事。
赤い縄の存在は決して異常なものではなくて、誰にでも起こり得るごく自然の事なのだと今ならば理解できる。
そんな今だからこそ、私はまた結川の事を思い出すのかもしれない。
気怠い仕草で起き上がり、のろのろと習慣づいた朝の支度をする。バシャバシャと顔を洗って視線を上げると、目の前の鏡に映る自分と目が合った。
あの頃、高校生の時から、何も変わっていないように見える私の野暮ったい顔。あれから、何年の月日が流れただろうかと無意識に記憶を遡る。
その顔を支える首には、あの頃どうにも出来なかった赤い縄の存在は何処にも見えなかった。
首を一周するように巻き付いて、顎の下、喉仏の辺りから鳩尾辺りにまで縄先を垂らしていた気味の悪い赤い縄。それはいつからか、はっきりと記憶には無いが、いつの間にか見えなくなっていた。
そこに居た存在を確かめるように、そっと首へ手を伸ばす。何も括り付けられていない首の姿も、もうすっかり見慣れたものだ。
ふと時計を確認すれば、思ったよりも時間は経過していて私は慌ててスキンケアをし、野暮ったい顔にメイクを施した。
服を着替えて鞄を持ち、急いで家を出る。外に出ると、朝の通勤、通学の為に忙しなく人々が行き交っている。学生、サラリーマン、OL、婦人、老人、また学生。その擦れ違う人々の首には、やはり赤い縄は見えない。この世界に、誰一人として赤い縄が首に括り付けられた人は見かけなかった。
今日も今日とて混雑する駅の前を通り過ぎて、商業施設の中に入る。その中の一店舗である書店で、私は最近バイトをし始めた。
スタッフルームに入って従業員の方に挨拶をすれば、特に会話もなく「おはようございます。」とだけ返ってくる。この職場の人達は仕事以外の会話はあまりしない人が多くて、その当たり障りのない感じが私は気に入っていた。
ロッカーに荷物を入れ、仕事を始める準備をしていればスマホが短く振動する。画面を触って確認すると、『葉山由香里』からメッセージが入っていた。内容を確認すれば近々会おうとの事だったので、私はすぐさまOK!!のスタンプを送った。
葉山とは、学生の頃に海で出逢ってから不思議と交流が続いている。あの後、保健室の先生を通じて連絡先を交換し、妊娠中で時間があるという葉山から何度かメッセージが送られてきたのだ。それがきっかけで再び会うことになり、今でもこうやって時折メッセージが送られてきては定期的に会っている。そんな葉山が、今では私にとって唯一の友達と呼べる存在になった。
近々葉山に会う事が決まって、内心ウキウキしながら仕事を始める。バックヤードから届いた書籍を運び出し、発売された新刊を平積みにしたり、本棚へ書籍の補充をする。あちこち忙しなく動いていれば、あっという間に開店時間となった。
平日はそこまで人混みは多く無いため、緩やかな時間が書店内には流れている。ちらほらと客が入って来ては新刊をチェックしたり、雑誌を眺めたりしていた。
レジで接客をしながら、本の独特な匂いがする書店内を見渡した。客が立ち読みしているページが捲くられる音が、聞えて来そうな程の静寂。
その静寂に、反応しなくなった下腹部を見て私はとても感慨深い気持ちになった。ここまで来るのにどれだけ大変だったか、きっと私だけが全て知っている。
あの日、私が逃避行した日。
海の中に入って葉山と出逢って、保健室の先生に私の晒したくない姿を見せてから、色々と変わっていったことがある。あれから、保健室の先生は発言通りに、私の状況を母と担任教師にきちんと伝えてくれた。
そして、母は私の為に、日常生活の色々な面でサポートしてくれるようになった。朝、人が溢れる電車に乗らなくても良いように車で学校へと送ってくれたし、病院にも一緒に行ってくれたのだ。
私の異常な腹痛は過敏性腸症候群というやつで、過度なストレスや緊張などから自律神経が乱れ、腸内に異常をきたすよくある現代病の一種だった。症状をネットで調べた時から、ずっと心の中でそうだろうなと思っていたけれど、病院でちゃんと診断を受けてやっぱりなというのが正直な気持ちだった。
担任教師にも説明をし、授業中にどうしても腹痛で辛いようなら保健室へ行っても良いと許可してもらえた。それと、高校を卒業するために必要な出席日数や授業時間などを詳しく教えてもらえて、出来る限りのサポートをしてもらえるようになったのだ。
そんな色々な事が変化していく中で、以前よりも少しは日常生活がマシになった。けれど、マシになったとは言っても相変わらず授業中の腹痛は辛いし、毎回毎回また公開処刑が起きたらどうしようという恐怖と戦う日々だった。
私が授業中に保健室へ行く事が増えたせいか、クラスメイトからは「またサボってる」と悪く言われる事もあったし、「三上さんは、すぐ保健室行けていいなぁ〜」と当てつけのように言われた事もある。トイレに駆け込む回数が多すぎて木嶋佳奈に「三上さんって頻尿だよね」とデリカシーの欠片もない事を言われた時には、普通に殺意が芽生えた。
何も、羨ましがられるようなものじゃない。私はこんな事を一度も望んでなんかいない。毎日惨めで情けない自分を嫌悪しながら、気が狂いそうになるのを必死で耐えている。何も不自由無く、楽しい高校生活を送れてる奴らが私はずっと憎くて仕方なかった。
それから月日が経ち、なんで私だけがこうなんだろうと何度目かの絶望をした日。結川が、学校を辞めた。
結川が学校に来なくなって夏休みに突入し、二学期が始まってから半月経った秋頃の事だった。朝のHRで担任教師が、淡々と連絡事項を告げる中でおまけのように結川の事が告げられたのを今でも覚えている。
あれだけ結川と一緒に行動していたスクールカースト上位集団は、その事に対して特に反応はなく、結川が居ない事が当たり前になった日常をいつも通り騒ぎながら楽しそうに送っている。
そんな息苦しい教室の中で、私はただ一人ポッカリと胸に空いたような気持ちで過ごしていた。
夏の間、あれだけ煩く鳴いていた蝉はいつの間にか死んでしまった。いつか結川が言っていた夏の匂いが徐々に薄れていき、空気が少し乾いたものに変わっていく。
遣る瀬無さと悔しさと悲しさが入り混じって、ぐちゃぐちゃになった心で私はそれでも学校に通った。首から気味の悪い赤い縄を垂らして、死にたくなるくらい生きてやった。
そうやって途方も無く遠いものに思えていた日々が過ぎ去り、私は五年程前に高校を卒業したのだ。
高校は卒業したけれど、私は出席日数や授業時間がギリギリで春休み中に補習授業を何時間も受け続けた。その為、進学も就職も出来ず高校卒業後は暫く家に引きこもる生活が続いた。
他のクラスメイトたちは、皆それぞれ大学や専門学校に進学したり、就職先が決まったりして明るい新生活に向かって飛び立って行った。それにも関わらず、私だけがまた普通に生きていけないことが情けなくて惨めだった。
こんなに頑張って学校を卒業した事に、一体意味があったのかと嘆いた事もある。高校を卒業して、ひたすらに腹痛に耐える苦痛な学校生活から逃れられたのに、私の首から赤い縄はいつまで経っても消えなかった。
仕事をするにも、この腹痛ではどうにもならない。電車さえまともに乗る事が出来ない私は、病院に通いながら必死にこの病を治そうと足掻き続けたり、時に酷く落ち込んだりしながら進んでるのか立ち止まっているのか分からない年月を過ごした。
私が社会から離れて家に引きこもっている間、同級生たちは皆、色々な経験を経てどんどん先へ進んでいると思ったら、どうしたって悔しくて憎たらしくて堪らなかった。根暗な私は悪い妄想が止められず、自らの心への自傷行為も止められない。
そこで全ての事から一旦距離を置くため、何も考えないようにする為に私は本を読みまくった。というのも、私の事に理解ある母が読書を勧めてくれたのだ。
本を読みながら、私は少しずつ自分を俯瞰して見れるようになった。現実から距離を置いて、ただ活字を追っていく時間が、知らぬ間に私を癒していった。
それが、今この書店で働こうと思った事に繋がっている気がする。本に囲まれた空間は、あの頃苦手だった静寂に包まれている。今も決して得意というわけじゃないけれど、少しずつ耐性がついてきてある程度普通に過ごせるようになったのだ。
この普通が私にとっては、とても奇跡的な事に近い。
病院に通ってカウンセラーの先生と自分に合った治療法を探し、この腹痛と共に生きていく練習をたくさんした。苦手の克服はそう簡単なものじゃなくて、嫌いな人混みに敢えて足を運んだり、映画館や電車やバス逃げ場の無い状況を作って腹痛を起こさない為に思考をコントロールしたりと身体を張ったものだ。
無意識の不安と緊張から腹痛を起こす前に、思考の安心材料を探す。それは私にとって、ある意味分かりやすいものでもあった。何故なら私には、この気味の悪い赤い縄が見えているからだ。
人が溢れる窮屈な電車に乗れば、相変わらず何人かの人が首から赤い縄を垂れ下げている。人の波に呑まれながらも、気味の悪い血の色が私の首で息苦しいと主張する。
それはきっと私だけじゃなくて、結川にあって葉山にもあったものだ。彼等に自覚があるのか無いのか分からないが、きっと何かしらの仄暗い感情を抱いているのだろうと私は勝手に解釈している。
いつか結川が「楽になりたい」と言ったように、葉山が「人間なんだから」 と言ったように、この世界で生きていく事に絶望したり諦めたりしている人々が、私以外にもちゃんと居る。だから怖くて不安だと思う度に、何度も大丈夫だと必死に自分に言い聞かせた。
そう思う事で、生きづらい人々に巻き付いた死の縄は、いつしか私を密かに安堵させるものになった。社会の中で埋もれるように生きながら、抗っている事の証明のような気がして、赤い縄と共に生きていく人々を長い時を経て尊く思えるようになったのだ。
そう思えるようになった自分が少しだけ、あの頃よりも嫌いじゃなくなった。
ずっと自分だけが世界に上手く馴染めていないような気がして、人も自分も環境も全てが嫌いだった。けれど、私は赤い縄を通して、生きづらい自分も周りの人もいつの間にか認められるようになっていった。
何度も絶望や諦めを繰り返しながらも、そうやって少しずつ私の狭まった思考の中に余裕が生まれていく。赤い縄はいつしか、私が私である事の自信の一つになった。
気付けば、徐々に私の異様な腹痛は治まっていった。心と身体はこんなにも密接に繋がっている事を、私はその時初めて実感したような気がする。
暫くして、通っていた病院を卒業し社会復帰を目指す新たな日々が始まった。その途中で、私は赤い縄が首に括り付けられている人たちを以前よりもあまり見かけなくなっていった。
行き交う人々の中に、あれほど居た生きづらさの象徴は二ヶ月程で誰の首からも消えていた。そして、私の首に括り付けられた赤い縄も時間が経つに連れて薄れていき、半透明なものになっていく。
私はそれを毎日鏡で確認しながら、これは一体何が起こっているのかと焦っていた。何年もずっと見えていた景色が唐突に変わっていく事が、少しだけ怖かった。
それでも、私の心境など知る由もない赤い縄の存在は日に日に薄れていき、ある日とうとう私の首から赤い縄の存在が消えたのだ。首を一周するように巻き付いて、顎の下、喉仏の辺りから鳩尾辺りにかけてその縄先をだらんと垂らしていた赤い縄が消えた。
何も巻き付いていない肌色の首を見るのは何年ぶりだったか、衝撃のあまりに私は数時間も鏡の前で自分の姿を見続けていた程だ。
赤い縄が首に現れた当初は気味悪がって早く消えろと毎日念じていたものだけど、今はそれが消えてしまった事が何故だか寂しいものに感じる。
そもそも赤い縄は全て、学生の頃に心が病んでしまった私の妄想だったのかもしれない。妄想か現実かはもう定かではないけれど、それでも私以外の誰の目にも見えないどす黒い赤色が存在していた首をなぞる。
もうそこに赤い縄の存在はないのに、今までと変わらない息苦しさは私の中で継続していた。
赤い縄が消えたからといって私の生きづらさというものは失われたわけでもなく、毎日毎日見えない何かに抗っている真っ最中だ。きっとそれは私だけでなくて、今はもう見えない赤い縄を首から垂れ下げた人たちも皆同じなのだろう。
赤い縄はきっと私の目に見えなくなっただけで、消えてなんかいないのだ。今も、この首に括り付けられている。
人がざわめく休日の昼間、近々会おうと言っていた葉山との約束の日がやって来た。街でも広くて有名な公園で待ち合わせていれば、あの頃よりも随分大人びた葉山と、その葉山の細い手を掴んで歩く小さな影がある。
「結〜!久しぶりだね!」
「りっちゃん!」
小さくとも力強く歩くその姿に、堪らない気持ちになって思わず手を振り声を上げれば、その子は勢い良く顔を上げてまるで花が咲くように笑う。
近寄って両手を広げると、葉山の手を離して柔らかな髪を揺らしながら駆け寄って来る女の子。あの時、葉山のお腹に居た子だ。
ドンッと身体に衝撃が走って、愛おしいぬくもりが触れる。それがなんとも尊くてギュッと抱きしめれば、その子はキャッキャッと弾けるように笑うのだ。
「律、そのくらいにして結が潰れる。」
後からやって来た葉山の呆れたような声に我に返り、「あっ、ごめん!苦しくない?」と抱きしめていた腕の力を緩めれば、「ぜんぜんヘーキ!」となんとも可愛い声が聞こえた。
葉山と海で出逢った時、お腹の中に居た子は『結』と名付けられもう五歳になった。会う度に大きくなる結の成長を目の当たりにして、あれから随分と時が経ってしまったんだなと実感する。
「りっちゃん!遊ぼ!」
「いいよ。何して遊ぶ?」
「うーん、鬼ごっこ!」
「よし!分かった!由香里が鬼やるから、一緒に逃げよう!」
その小さな手を取って結と二人、ニヤリと悪い笑みを浮かべて走り出せば、背後から「ちょっと!勝手に決めないで!」と葉山の怒鳴り声が聞こえる。
あの頃、乏しかった葉山の表情は結が産まれてから、どんどん感情が現れるようになった。笑ったり怒ったりと忙しなく動き始めた葉山の表情を見て、私は密かに安堵した事を思い出す。
鬼のように目を吊り上げた葉山を見ながら、キャッキャッ笑って私達は公園内を全力で走り回った。葉山はそんな私達に頭を抱えながらも、「待てコラ!」と怒りに身を任せるように地面を蹴る。
その後、走り過ぎてへとへとになった私達はベンチに倒れるように座り込んだ。ダラダラと額から汗を流して、息を乱す大人の姿を見た結は、まだまだ遊び足りないと言わんばかりに口を尖らせる。子供の体力を、完全に舐めていた。
「ごめん、結。お母さんたち限界だ…」
「も〜!情けないなぁ!」
ゼェハァと呼吸を荒くした葉山の言葉に、結は文句を言いながらも「ブランコ乗ってくる!」と直ぐに気持ちを切り替えたように駆け出していく。
その姿が眩しすぎて、私は思わず目を細めて走っていった小さな背中を眺めていた。
「あー、疲れた。」
隣に座った葉山が低い声でそう呟く。それにクスッと笑って「結、大きくなったね。」と声を掛ける。
「あっという間にね。来年の一月でもう六歳だって。」
「子供の成長早すぎる〜」
公園内に設置されたブランコに乗り、ゆらゆらと揺られている結の姿を見ながら、流れる時の速さを改めて感じた。
結が産まれて直ぐの頃、私は保健室の先生と共に葉山の元へと会いに行った。葉山に抱かれた赤ちゃんを見た時の衝撃は、今でも忘れられない。
あの時、海にまで浸かった私を生かしてくれた命は、ふにゃふにゃとした柔らかなものだった。小さな紅葉のような手で私の指先をきゅーっと握った温もりが、やはりあの時ように私の心を他者の前に晒していく。
自然と流れていく涙に、これが生きるという事なのかもしれないと当時十七歳だった私は悟った。私も葉山も首から気味の悪い赤い縄を垂らして、無垢な命の前で泣いた。
色々な事に絶望しながら、どうにもならない事を諦めながら、ひりつくような痛みを知って大人になった。そんな私の首にも葉山の首にも、あの頃見えていた筈の赤い縄の存在は何処にも見えない。
「由香里、」
ベンチに座ったまま、隣に居る葉山の名前を無意識に呼ぶ。
「何?」
「…いや、やっぱ何でもない。」
「は?何それ、気になるじゃん。」
私の曖昧な言葉に、葉山は分かりやすく眉を潜める。それがなんだか面白くて、私はケラケラと笑う。
この数年の時を経て、色々なものが変化した。私はもう学生では無いし、以前のような異様な腹痛は起こらない。昔ほど人の事が嫌いではなくなったし、今は自分の事もそこまで嫌いではない。
葉山もよく表情が動くようになったし、私と葉山は名前で呼び合う関係にもなった。軽口を叩く事もしょっちゅうだ。こんな日々が訪れるなんて、全く人生何があるか分からないものだなぁと感慨深くなる。
きっと今、私も葉山もあの頃よりは呼吸がしやすいんじゃないかと思う。
数年前の自分ではどうにも出来ない刃物のような感情が、ズタズタに心を突き刺していた頃はもう通り過ぎた。
この世界を知る度に傷付きながらも、少しずつ丸みを帯びて、昔よりもこの扱いづらい感情を自分でコントロール出来るようになってきたような気がする。
コントロール出来るようになったとは言え、生きづらさやこの世の中や自分に対しての負の感情が決して無くなったわけではない。まだ首を締め付けられているような息苦しさは、ちゃんと感じている。
けれど、あの重苦しくて痛々しい日々を、今では少し懐かしく思うのだ。そんな懐かしい絶望の中で思い返されるのは、首に赤い縄を括り付けられた結川の姿だった。
今、彼は一体何をしているのだろうと、私は時折考える。結川が学校に来なくなった日からずっと、結川の事を忘れた事はなかった。今でもしこりのように胸に残って、こうして過去を思い浮かべる度に、彼は何度も私の記憶の中で登場してくる。
息苦しい教室で首から赤い縄を垂らし、いつもヘラヘラと笑って苦しんでいた結川の姿が忘れられないのだ。
「りっちゃん!」
唐突に呼ばれた幼い声にハッとして、追憶から現実へと目を向ける。目の前には、ニコニコと笑みを浮かべる結が居た。
「どうしたの?」
「一緒にアレしたい!」
小さな指先が指す方向には、公園に設置されているアスレチックがあった。
「よし!じゃあ、あそこまでどっちが速いか競争ね!」
「あっ!りっちゃんズルい!」
態とらしく走り出した私を、結が小さな歩幅ながらに猛スピードで追い抜いていく。前を走り去る背中を見ながらふと、この子もいつかは、あの気味の悪い赤い縄がその首に括りつけられる時が来るのだろうかと考えた。
それとも、もう既に私に見えていないだけで、その細い首にはどす黒い血の色の縄が存在しているのかもしれない。生きているからこそ、起こる普通な出来事。
赤い縄の存在は決して異常なものではなくて、誰にでも起こり得るごく自然の事なのだと今ならば理解できる。
そんな今だからこそ、私はまた結川の事を思い出すのかもしれない。