動きやすい袴姿に着替えると、蒼火(そうび)が廊下で待っていた。

「お待たせしました」
「いえ、行きましょう。蘇芳(すおう)様は出かけているので大丈夫ですよ」

 足音をひそませ、左右を窺いながら歩く寧々子(ねねこ)に、蒼火がくすっと笑う。
 言いつけを破って町に出るのだ。
 寧々子はドキドキしていた。

(晩ご飯を作ったら、食べてくださるだろうか……)

 そのときは頑張って話すのだ。
 あなたにもう一度会いたくて来た、と。
 忘れられていても構わない。ちゃんと自分の気持ちを伝えるのだ。

(頑張ろう!)

 蒼火の後についていくと、広々とした玄関に出た。

「草履はこれですね」

 きちんと草履が揃えて出ている。

「ありがとう」
「その袴だったら、ブーツも良さそうですね。ついでに買いますか」
「えっ、ブーツまであるの!?」
「ほぼ人間界と変わりませんよ」

 蒼火がくすっと笑う。

「人間界で生まれたり、長く過ごしたあやかしたちの国ですからね」
「八百屋さんや市場もあるってこと?」
「ええ、もちろん」

 寧々子はホッとした。食べ物には事欠かなそうだ。
 木々や低木が綺麗に剪定された広い前庭を抜けると、大きな門をくぐる。

「うわあ……!」

 眼下に広がる町並みに、寧々子は声を上げた。
 屋敷は町を見下ろすことができる、小高い丘のような場所に建てられていた。

「ほんと、人間界と変わらない……」

 ざっと見たところ、和風の屋敷が多い印象だが、洋風の建物もいくつか見られる。

「さあ、こっちです」

 石段を下りていくと、町の入り口が見えてきた。
 道沿いにお店がずらりと並んでいる。

「じゃあ、まずは八百屋さんへ――」
「いえ、化け面屋さんです」
「えっ……? 化け面?」

 聞き覚えのない言葉に、寧々子は蒼火をまじまじと見つめた。

「言ったでしょう? ここじゃ人間は目立つんですよ。お忍びで歩くなら、あやかしのお面をかぶってください」
「なんでお面を……?」
「化け面をつけていると、あやかしっぽく見えますから。妖気をまとえますし」
「そ、そうなの? じゃあ、あのお面をつけている人たちは人間……?」
「いえ。ほとんどあやかしですよ」
「どういうこと!?」
「ここのあやかしは人に化けていますが、うまく化けられなかったり、人の姿に違和感がある者はお面をつけているんですよ」
「だからこんなにお面の人が多いのね……」

 だが、あやかしが人に化けて、更に面をつけているのが不思議だった。

「あやかしのままの姿じゃダメなの?」
「別に構わないですが、少数ですね。人と同じ営みをしたいあやかしが来る場所ですので」
「そうなの……複雑なのね」

「あやかしと人が共存する、まだ若い国ですからね。いろいろ手探り状態なんですよ」
「わかったわ。じゃあ、お面屋さんに連れていってくれる?」

 蒼火と連れ立ち、寧々子はお面屋さんへと向かった。
 確かに蒼火に言うとおり、道行く人はお面をつけている者が多い。
 つけていない人は人間そっくりなので、人間界の町を歩いているのとさほど変わりはない。

「あの人たちは本当にあやかしなの?」

 寧々子はこそっと蒼火にささやく。

「ええ。堂々としているでしょう? お面をつけていないあやかしは、人に化けるのが得意で慣れている証拠です」
「そう……」

 幼い頃の蘇芳を思い出す。
 髪や目の色を除けば、蘇芳も人の子にそっくりだった。

(あんなに小さかったのに、化けるのがうまかったのね……)

 だから朱雀に選ばれたのかもしれない。

(きっと、特別な子どもだったんだ……)

 もっと蘇芳と色々話してみたい。蘇芳のことや朱雀の国のことを聞いてみたい。
 その思いが強くなっていく。

「はっくしょん!」

 通りすがりの男性がくしゃみをした瞬間、ぴょこっと腰から長いふさふさの尻尾が飛び出した。

「きゃっ!!」

 寧々子は思わず声を上げてしまった。
 男性はぎょっとした表情になり、さっと尻尾を消す。
 そして、何食わぬ顔で歩いていく。

「狸か狐のあやかしですね。気を抜いたり驚いたりすると、元の姿が出るんですよ」
「そ、そうなのね」

 どんなに人そっくりに見えても、やはりここはあやかしの町なのだ。

(そういえば、珠洲も驚いたときに姿を変えていた……)

「一番近くの化け面屋さんはあそこです」

 蒼火が指差す先には、軒先にずらりと面が飾られている店があった。