あやかしの王と甘味婚 ~婚約破棄された甘味令嬢は、朱雀王に嫁入りする~

「夕飯のお時間です、寧々子(ねねこ)様」

 障子の向こうから声をかけられ、寧々子ははっとした。
 慌てて起き上がる。
 疲れと緊張感からか、すっかり寝入ってしまっていたようだ。

「あ、はい! すぐ行きます」

 さすがに浴衣ではまずい。
 寧々子は慌てて着物に着替えた。
 廊下に出ると、使用人らしき若い小柄な女性が立って待っていた。

(髪の毛が茶色で顔立ちがとても小振り……なんとなく雀みたいで可愛らしい……)

「広間までお連れしますので」

 女中の彼女も、寧々子と目を合わせない。

「あ、あの、私、寧々子です。これからよろしくお願いいたします」
「女中の珠洲(すず)です。私が寧々子様付きになります」
「そ、そうなの! よろしく、珠洲さん」
「……どうぞ、こちらへ」

 珠洲は素っ気なく言うと、廊下をそそこさと歩いていく。
 よく見ると動きがぎこちない。緊張しているのかもしれない。
 寧々子は慌てて後を追った。

(この人もあやかしなのかしら……?)
佐嶋(さじま)様の言うとおり、人間にしか見えない)

 強いて言うなら、髪の色が明るい茶色なのが目立つくらいだ。
 すたすた歩く珠洲のあとを必死で追いかけた寧々子はつんのめった。

「あっ!」

 前を歩く珠洲に思わず手をかけてしまう。

「チュン!!」

 小鳥のような声を出した珠洲の体が、すっと細くなる。

「えっ!?」

 驚いて手を放すと、珠洲は元のサイズに戻った。

「あ、あの、ごめんなさい。つまずいてしまって……」
「いえ」

 何事もなかったかのように、珠洲が歩き出す。
 だが、その足取りは先程と違ってぎこちなく、ぴょんぴょんと小さく跳ねるようだ。

(雀が歩いているみたい……)
(鳥って驚くと木の枝に擬態して細くなるって聞いたことがあるけど……)

 ここは朱雀(すざく)の屋敷。
 働いているあやかしたちも、鳥に関係する者が多いのかもしれない。

(可愛いな……珠洲さんは雀のあやかしなのかしら)
(聞いたら失礼になるのかな……)

 廊下の突き当たりの座敷の前で珠洲が足を止めた。

「こちらの座敷に夕食をご用意してあります」
「あ、はい」

 蘇芳(すおう)が待っている姿を想像すると、寧々子は胸がドキドキしてきた。
 開けられたふすまの向こうには、十畳ほどの部屋が広がっていた。
 お膳が向かい合わせに二つ用意されている。

(蘇芳様はまだ来ていないのね……)

 少し落胆しつつ、背筋を伸ばして座布団に座る。 
 ようやく蘇芳とちゃんと顔を合わせることができると思うと、期待に胸が膨らんだ。

(何を話そう……)
(いきなり10年前のことを話しても驚くだけよね)

 だが、いくら待っても蘇芳は来ない。

「失礼します」

 男性の声がし、がらっとふすまが開けられる。
 寧々子は居住まいを正した。

蒼火(そうび)さん……」

 顔を出したのは、蘇芳ではなく蒼火だった。

「寧々子さん、お待たせしてすいません。申し訳ないですが、蘇芳様は多忙のため夕食をご一緒できないようです。帰りはかなり遅くなるようなので、先に食べていてほしい、と」
「そうですか……」

 蒼火が下がり、また寧々子はひとりぼっちになった。
 仕方なく、箸を取る。

 贅をこらしたお膳だったが、あまり味がよくわからなかった。
 夕食を食べ終え、寧々子は部屋に戻った。
 ふすまを閉めると、涙がぽたぽたこぼれ落ちる。

(嫁入りって……異界のバランスを取るためだけの、本当の形だけの結婚なの?)
(顔も合わせないなんて……)

 少しでも浮かれた自分が馬鹿みたいだ。
 机の上に置いておいた白い箱を開ける。
 嫁入りの挨拶代わりにと、拙いながらも一生懸命作ったイチゴ大福が入っている。

(……結局渡せなかったな)

 寧々子は仕方なく大福を口にした。日持ちのしない菓子なのだ。

「しょっぱい……」

 涙がまじった大福は切ない味がした。
 予想はしていたが、朝食もひとりぼっちだった。
 どうやら帰りが遅く、まだ眠っているらしいと珠洲(すず)が伝えてくる。
 寧々子(ねねこ)は砂を噛むような気持ちで朝食をとった。

(嫁入りをしたのにひとりぼっちだなんて……)
(つらいことを耐える覚悟はしていたけど……)
(放っておかれる寂しさは想像していなかった……)

 なんとか食事を食べ終えたとき、ふすまが開いた。

「寧々子さん、大丈夫ですか?」
蒼火(そうび)さん」

 寧々子は慌てて目元をぬぐった。

「すいません、せっかく来てもらったのに、蘇芳(すおう)様が全然お相手できなくて」
「いいの。お忙しいって聞いているから」
「そうなんですよ。また町で暴れる奴が出たらしくて。火鳥組……ウチの警備隊が出動したんですけど、蘇芳様も駆けつける羽目になって」
「そう……」

 多忙なのは事実のようだが、避けられているのではないかと不安ばかりがぐるぐる渦巻く。

「あの、私、何かすることはありますか?」
「いえ、何も。くつろいでくれれば――」

 優しいはずの言葉に絶望する。
 知り合いも誰もいない、だだっ広い屋敷でぽつんとひとりぼっち。
 寧々子は息が苦しくなる。
 まるで水槽の中の金魚のよう。
 どこにもいけず、ただ水の中をたゆたうだけ。

「だ、大丈夫ですか?」

 寧々子の苦しげな表情に蒼火が気づく。

「……あの、蘇芳様にはいつお会いできるんでしょうか?」
「それがちょっとわからなくて」

 蒼火が言葉を濁す。

「つまり、私に会いたくないのですね」
「……」

 蒼火は否定しなかった。

「そう……」

 一つだけ置かれたお膳が寂しい。

「……お忙しいのでしょうけれど、夜は屋敷に帰られるのよね?」
「はい」
「だったら……私が夜ご飯を作ります」
「えっ」
「私がご飯を作ったら……もしかしたら食べてくださるかも」

 ぱっとした思いつきだったが、悪くない考えだと思った。

「蘇芳様は人間の花嫁がイヤイヤ来たのだと思っておられるのかも。その誤解を解きたいんです」
「寧々子さん……」

 決意を秘めた寧々子の表情に蒼火が息を呑む。

「……そうですね。寧々子さんがわざわざ作ってくれたのであれば、蘇芳様もきっと時間を作るでしょう」

 蒼火が賛成してくれて寧々子はホッとした。

「ただ、銀花(ぎんか)さんの了承を得ないと……」
「銀花さんって?」
「厨房の料理長です。雪女で、朱雀屋敷の料理は彼女が一手に担っています」

 料理長が雪女ということに驚いたが、あやかしの屋敷なのだから不思議ではない。

「わかったわ。じゃあ、彼女に頼んでみる!」

 立ち上がった寧々子に、蒼火が懸念を口にする。

「……きつい言い方をされるかもしれませんが、あまり気になさらないでください」
「そ、そうよね。彼女の大事な仕事を軽んじているわけじゃないけど、いきなり余所から来た人間が料理をするなんておもしろくないわよね……」
「それだけじゃないんです」
「え?」

 だが、蒼火はそれ以上語らなかった。

「……私からも頼んでみます。寧々子さんが手料理を作るという考え自体はとてもいいと思うので……」

 寧々子は不安を押し殺しうなずいた。
 今はもう、他に手立てが浮かばなかった。
「こちらです……」

 蒼火(そうび)が案内してくれた厨房は、一階の奥にあった。
 入り口には白いのれんがかかっている。
 中はよく見えないが、慌ただしく働いている気配が伝わってくる。
 足を進めようとした寧々子(ねねこ)を蒼火が止めた。

「寧々子さんはここで待っていてください。銀花(ぎんか)さんを呼んできます」
「え、ええ」

 確かに作業をしている厨房に入ったら邪魔になるだろう。
 寧々子は大人しく廊下で待った。
 すると、しばらくしてのれんをかきわけて割烹着姿の女性が出てきた。

(うわあ……銀色の髪だ)

 後ろでひとまとめにされた髪は白銀だったが、顔立ちは若い。
 髪は白髪ではなく、おそらく生来のものだろう。
 肌も真っ白く、彼女からはひんやりした冷気が漂ってくる。

(本当に雪女なんだ……)

 寧々子は思わずまじまじと銀花を見つめた。

「寧々子さん、こちらが料理長の銀花さんです」

 ゆっくりと銀花が顔を向けてくる。
 銀花は切れ長の目をした美女だった。
 年の頃は人間だとしたら三十代くらいに見える。

「あんたが嫁入りしてきた人間?」

 銀花がじろっと睨んできたので、寧々子は思わず居住まいを正した。

「は、はい!」

 銀花が頭の天辺からつま先までじろっと見据える。

「フーン、若様の晩ご飯を作りたいんだって?」
「はい! ご迷惑なのは重々承知しておりますが、一回だけでいいので厨房をお貸し願えませんでしょうか!」

 寧々子は深々と頭を下げた。
 とにかく厨房を使わせてもらいたい一心だった。

「なんで自分でご飯を作りたいわけ? 私の料理に文句でも? 雪女の作ったものなんか食べたくないとか?」
「ち、違います! すごく美味しかったです!」

 銀花に睨みつけられ、寧々子は慌てた。

「特に晩ご飯の鯛の煮付けは絶品でした! しっかりお味が染みこんでいて、身はふかふかで! はまぐりのお吸い物、紅白のなます、どれも華やかで美味しくて……お祝い膳、嬉しかったです!」

 この屋敷で初めて食べるご飯には、結婚を祝う品々ばかりだった。

「あらそう。ならいいけど。こっちは冷気でガードをしながら一生懸命温かいものを作っているのに、雪女が作る料理など冷えて食べられたものじゃない、とか言うやつがいるから……」

 銀花は何やら思うところがあるらしく、険しい表情になった。

(そうか……人の姿をしているけれど、どこか元のあやかしの性質が残るのね。確かに雪女が火のそばにいるのは大変に違いない……)

「どれも食べやすい温かさでした。それにこれから夏になりますから、そのときは腕の振るいどころですね」
「まあね」

 寧々子の言葉に銀花が鼻を鳴らす。どうやら若干機嫌が直ったようだ。

「私が料理を作りたいのは、蘇芳(すおう)様とお話ししたいからなんです」
「話?」
「……まだちゃんとお話しできていないんです。晩ご飯も別々で……」
「ふうん。つまり、花嫁アピールをしたいわけね?」
「は、はい!」

 少なくとも、自分は嫌々来たわけではないと証明したい。
 銀花が満足げに笑む。

「ふふっ、若様のご機嫌取りね……そうでなくちゃ!」
「えっ?」
「あやかしの王に嫁入りなんだから、本来とても名誉なことなのよ!」

 銀花がじろっと見つめてくる。

「確かに霊力が高い貴重な人間の女だけどさ」
「貴重……?」

 寧々子は首を傾げて蒼火を見やった。

「ええ。霊力の高い女性はまずいないですし、そもそも異界には人間がほとんどおらず……。とても目立つ存在なのです」
「そうなの……?」

 初めて聞く情報に寧々子は戸惑った。

「皆、何かしら人間界に憧れや執着を持つ者が集まっているのが境国なので、人間の配偶者、しかも霊力が高い女性ともなれば、とても誇らしいことなのですよ」
「はあ……」
「だからって、調子に乗らないでよね!」

 銀花が不機嫌そうに顔を歪める。

「そ、そんなつもりはありません! 新参者で右も左もよくわからないので、皆さんにいろいろ教えていただきたいです!」

 まさか自分がそんなにも特別視される存在とは知らなかった。
 寧々子は慌てて頭を下げる。

「ふん……高慢ちきにふんぞり返っているのであれば厨房に一歩たりとも入れる気はなかったけどね。若様を振り向かせるために頭を下げるというのであれば、今日のところは蒼火の顔に免じて使わせてあげるわ」
「本当ですか! ありがとうございます!」

 銀花の言葉に、寧々子はホッとした。

「ただ、使う材料は自分で買ってくるのよ。自分の料理、と言うのであれば、材料の品定めからするべきね」

 銀花が挑戦的な目を向けてくる。

「銀花さん、寧々子さんは屋敷を出るなと厳命されていて――」
「わかりました! 自分で買ってきます!」

 寧々子のきっぱりした言葉に蒼火が目を見開く。

「寧々子さん? 蘇芳様の言いつけに背くことになりますが……」
「わかっています。でも、蘇芳様の言葉は私の身を案じてのことでしょう。慣れない場所で危険な目に遭わないように、と。大丈夫です。買い物くらいできま――」

 言いかけて寧々子はハッとした。

「あの、この国ではどういった方法で買い物を……」
「人間界と同じですよ。同じ貨幣を使って買い物ができます」
「なら、大丈夫ですね」

 多くはないが、貯めていたお金を持ってきている。
 晩ご飯の材料を買うくらいできるはずだ。
 寧々子の決意が固いのを見た蒼火が、腹をくくったようにうなずいた。

「わかりました。では私が付き添います。寧々子さんのお支度用のお金もお預かりしておりますし」
「えっ、でも――」
「寧々子さんに万一のことがあれば申し開きしようがない。最近、厄介なあやかしが不法侵入してきているんです」
「……」

 そういえば、佐嶋のそのようなことを言っていた。

「それに町のことを何も知らないでしょう? 私が案内しますよ」
「ありがとう……お言葉に甘えます」

 正直、不安だったのでホッとする。

「でも、町に行くことは蘇芳様に内緒ですよ。余計な心配をかけてしまいますからね」
「わ、わかりました!」

 これ以上、蘇芳の機嫌を損ねたくない。
 寧々子は大きくうなずいた。
 動きやすい袴姿に着替えると、蒼火(そうび)が廊下で待っていた。

「お待たせしました」
「いえ、行きましょう。蘇芳(すおう)様は出かけているので大丈夫ですよ」

 足音をひそませ、左右を窺いながら歩く寧々子(ねねこ)に、蒼火がくすっと笑う。
 言いつけを破って町に出るのだ。
 寧々子はドキドキしていた。

(晩ご飯を作ったら、食べてくださるだろうか……)

 そのときは頑張って話すのだ。
 あなたにもう一度会いたくて来た、と。
 忘れられていても構わない。ちゃんと自分の気持ちを伝えるのだ。

(頑張ろう!)

 蒼火の後についていくと、広々とした玄関に出た。

「草履はこれですね」

 きちんと草履が揃えて出ている。

「ありがとう」
「その袴だったら、ブーツも良さそうですね。ついでに買いますか」
「えっ、ブーツまであるの!?」
「ほぼ人間界と変わりませんよ」

 蒼火がくすっと笑う。

「人間界で生まれたり、長く過ごしたあやかしたちの国ですからね」
「八百屋さんや市場もあるってこと?」
「ええ、もちろん」

 寧々子はホッとした。食べ物には事欠かなそうだ。
 木々や低木が綺麗に剪定された広い前庭を抜けると、大きな門をくぐる。

「うわあ……!」

 眼下に広がる町並みに、寧々子は声を上げた。
 屋敷は町を見下ろすことができる、小高い丘のような場所に建てられていた。

「ほんと、人間界と変わらない……」

 ざっと見たところ、和風の屋敷が多い印象だが、洋風の建物もいくつか見られる。

「さあ、こっちです」

 石段を下りていくと、町の入り口が見えてきた。
 道沿いにお店がずらりと並んでいる。

「じゃあ、まずは八百屋さんへ――」
「いえ、化け面屋さんです」
「えっ……? 化け面?」

 聞き覚えのない言葉に、寧々子は蒼火をまじまじと見つめた。

「言ったでしょう? ここじゃ人間は目立つんですよ。お忍びで歩くなら、あやかしのお面をかぶってください」
「なんでお面を……?」
「化け面をつけていると、あやかしっぽく見えますから。妖気をまとえますし」
「そ、そうなの? じゃあ、あのお面をつけている人たちは人間……?」
「いえ。ほとんどあやかしですよ」
「どういうこと!?」
「ここのあやかしは人に化けていますが、うまく化けられなかったり、人の姿に違和感がある者はお面をつけているんですよ」
「だからこんなにお面の人が多いのね……」

 だが、あやかしが人に化けて、更に面をつけているのが不思議だった。

「あやかしのままの姿じゃダメなの?」
「別に構わないですが、少数ですね。人と同じ営みをしたいあやかしが来る場所ですので」
「そうなの……複雑なのね」

「あやかしと人が共存する、まだ若い国ですからね。いろいろ手探り状態なんですよ」
「わかったわ。じゃあ、お面屋さんに連れていってくれる?」

 蒼火と連れ立ち、寧々子はお面屋さんへと向かった。
 確かに蒼火に言うとおり、道行く人はお面をつけている者が多い。
 つけていない人は人間そっくりなので、人間界の町を歩いているのとさほど変わりはない。

「あの人たちは本当にあやかしなの?」

 寧々子はこそっと蒼火にささやく。

「ええ。堂々としているでしょう? お面をつけていないあやかしは、人に化けるのが得意で慣れている証拠です」
「そう……」

 幼い頃の蘇芳を思い出す。
 髪や目の色を除けば、蘇芳も人の子にそっくりだった。

(あんなに小さかったのに、化けるのがうまかったのね……)

 だから朱雀に選ばれたのかもしれない。

(きっと、特別な子どもだったんだ……)

 もっと蘇芳と色々話してみたい。蘇芳のことや朱雀の国のことを聞いてみたい。
 その思いが強くなっていく。

「はっくしょん!」

 通りすがりの男性がくしゃみをした瞬間、ぴょこっと腰から長いふさふさの尻尾が飛び出した。

「きゃっ!!」

 寧々子は思わず声を上げてしまった。
 男性はぎょっとした表情になり、さっと尻尾を消す。
 そして、何食わぬ顔で歩いていく。

「狸か狐のあやかしですね。気を抜いたり驚いたりすると、元の姿が出るんですよ」
「そ、そうなのね」

 どんなに人そっくりに見えても、やはりここはあやかしの町なのだ。

(そういえば、珠洲も驚いたときに姿を変えていた……)

「一番近くの化け面屋さんはあそこです」

 蒼火が指差す先には、軒先にずらりと面が飾られている店があった。
「わあ……」

 初めて見る化け面屋に、寧々子(ねねこ)は目を奪われた。

 木でできた棚にずらりとあやかしのお面が並べられている。
 縁日で子ども向けのお面屋は見たことがあるが、専門店は初めてだ。

「とても精巧にできているのね」

 子ども向けに売られているお面と違い、とても丁寧に作られているのがわかる。
 狐や狸、犬や猫のような見覚えのある造形のものから、何の生き物がわからない――けむくじゃらだったり、鱗で覆われていたり、角や牙が生えていたりする面もある。

 どの面も付けたまま食事ができるように、顔の上半分だけを覆うようになっている。

「どれでもいいの?」
「ええ。でも、これは化け面なので、鬼などはお勧めしません。強い面に精神が引っ張られることがあるので」
「そ、そうなの?」

 そんな風に言われると、途端に鬼の面が恐ろしいものに見えてしまう。
 寧々子は慌てて手を引っ込めた。

「相性もありますから、気になるものはまず試着してから買ったほうがいいですよ」
「わかったわ」

 お面といえど身に付けるからには、何らかの影響を受けるのだろう。

(妖気をまとうって言っていたし……)

 改めてそう言われると二の足を踏んでしまう。

(何か……可愛らしくて、穏やかそうな面がいいわ……)

 お面を見ていくうちに、寧々子は一つの面に目を惹きつけられた。
 寧々子は三毛猫のお面を手に取った。

「ほう、猫の面ですか」

 蒼火(そうび)が興味深そうに見つめてくる。

「ほら、私の名前、三毛猫っぽいでしょ?」
「みいけねねこ……なるほど、みけねこ……」

 蒼火がくすっと笑った。

「だから、三毛猫に何となく親しみがあって」
「名前は(たい)を表しますからね。大事なことです。いいんじゃないですか。つけてみたら?」
「うん」

 蒼火をお墨付きをもらい、表面にふわふわの毛がついているお面をそっと顔につける。
 ぴたり、と皮膚に張り付くような感触があった。

(思ったより視界が広いわ……)

 想像以上に違和感がない。これが化け面なのか。

「これ……不思議な感触ですね」
「ええ。妖力が込められていますからね。顔の上に分厚い皮膚があるような一体感があるでしょう?」
「はい……」
「猫の面は軽やかさ、快活さといういい影響がありますよ」
「そうなの?」

 そう言われると、さっきよりも不安感が薄れている気がする。

「似合ってますよ」
「これにします」
「店主! この猫の面をくれ」

 蒼火が店主に声をかける。

「50(せん)になります」

 財布を取り出そうとした寧々子を制し、蒼火がさっとお金を払ってくれる。

「そんな、私が出します!」
「いいえ、あなたはもう朱雀(すざく)屋敷の人間なのですから遠慮は不要です」

 蒼火のさりげない言葉が嬉しい。

(そっか……私、朱雀屋敷の一員って認められているんだ……)
(でも、まだ蘇芳に認められていないけど)

 寧々子は気を引き締め直した。

「あ、ありがとうございます。本当にお金……人間界と同じなんですね」
「ええ。基本的には人間界と変わらない生活ができます。でも、あなたは目立たない方がいい」

 そう言うと、蒼火がお面を手渡してくる。
 寧々子は通行人から、ちらちらと見られていることに気づいた。
 通りを歩くほとんどのものが面をつけている。
 寧々子は慌てて面をつけた。

「うん……いい感じ」

 自分が町に馴染んだ気がする。
 猫の面の効能か、浮き浮きした気分で寧々子は歩き出した。

 あやかしのお面をつけていると、あやかしの仲間入りをした気分になった。
 顔を隠しているせいか、誰に憚ることなく堂々と歩ける。
 寧々子(ねねこ)は足取りも軽く道を闊歩(かっぽ)した。

「お面、いいものですね。付けている人が多いのがわかります」
「別人になった気分って悪くないですよね。僕も何か買えばよかったな」

 楽しげな寧々子に、蒼火(そうび)の表情も心なしかやわらいでいる。

「あっ、甘味屋さん!!」

 道行く寧々子の目に、甘味屋の看板が留まった。
 和菓子店で育ったので、どうしても甘味という文字に目が行ってしまう。

「入ってみますか?」
「いいんですか!?」

 蒼火が笑顔でうなずく。

「もちろん。せっかく町に出たんだし」

(あやかしの甘味店って、どんなお菓子が出てくるんだろう……)

 寧々子はドキドキしながら、のれんをくぐった。

「あれ……」

 店は無人で、店員も客も誰もいない。
 寧々子は戸惑って店内を見回した。

「お店、やってますよね……?」
「のれんが出ていますからね。すいませーーーん」

 蒼火が店の奥に向かって声をかける。
 すると、奥の作業場らしきところから、ぬっと長身の男性がでてきた。

「ひっ!」

 紺色の作務衣を着た男性の顔面には、つるりとした肌色のお面がつけられている。

(のっぺらぼう……?)

「……いらっしゃいませ」

 消え入るような小さな声だった。

「あ、あの、食べていきたいんですけど、お品書きとかありますか?」

 恐怖より興味が先に出て、寧々子は話しかけていた。

「……」

 無言で差し出された白い紙には、達筆でメニューが書かれていた。

「わあ……」

 豆大福の文字に思わず顔がほころぶ。
 三池屋の一番の人気商品だ。まさか、あやかしの国でも食べられるとは思わなかった。

「私、豆大福とほうじ茶のセットで!」
「僕は……わらび餅のセットにします」

 蒼火も心なしか楽しそうだ。

「蒼火さんもこの店は初めて?」
「ええ。確かこの店は長く閉まっていたんですよ。最近、新しく人が入ったんですね」
「そういうものなの?」
「ええ。異界からか人間界からかはわかりませんが、仕事や住まいを斡旋する世話役がいて、たぶん紹介されたんでしょう」

 寧々子は店内を見回した。

「あやかしの人に和菓子が作れるなんて……!」
「あやかしは人間界の食べ物が好きですからね。でも、ちゃんとした料理をするとなると大変で……和菓子を作れるなんてすごいな」
「じゃあ、あんな和食を作れる銀花(ぎんか)さんって特別なの?」
「まぎれもなく朱雀(すざく)国一番の料理人ですよ」
「そ、そうなんだ!」

 さすが王の屋敷で料理長をしているだけはある。

「あれだけ多種多様な料理を作れるあやかしは他にいません」

 確かに銀花のご飯は、ちゃんとした料亭で出てもおかしくない出来だった。

「……」

 寧々子はちらっと厨房に目をやった。

「あの人……のっぺらぼうのお面をかぶっていたけど、元々はのっぺらぼうってこと?」
「どうでしょうか……自分の本性に近いお面をかぶっていることが多いです。でも、自分がなりたい姿のお面を選ぶ人もいるので、本人に聞かないとわかりません」
「そういうものなのね……」

 ふたりで話していると、のそりと店員が出てきた。

「……お待たせしました」

 耳を澄まさないと聞こえないほどの小声で話す。
 小さなお盆に乗せられた甘味が目の前に置かれた。

「わあ!」

 寧々子は品の良い小皿に乗せられた豆大福に声をあげた。
 ふくふくでとても美味しそうだ。
 味はもちろんだが、甘味は見た目も大事だ。
 食べる前から食欲をそそる外見に、期待が高まる。

「いただきます」

 寧々子はさっそく大福を口にした。

「……!? この味……」

 一口食べた寧々子は愕然とした。

「ウチの豆大福にそっくり……!」

 皮のもちっと感や厚み、甘さ控え目の上品なあんこ、少し塩っけのある豆――三池和菓子店の豆大福そのものだった。

「なんで――?」

 見た目も味も食感もすべてが模倣のレベルを越えている。
 そのとき、ふっと脳裏に一人の男性の姿が浮かんだ。
 長身の痩せぎすで、無口だった職人――。

「まさか、修三(しゅうぞう)さん?」

 寧々子は思わず立ち上がり、厨房に戻ろうとした職人の背に声をかける。

「えっ?」

 のっぺらぼうの面をかぶった店員が振り返った。

「あの、私、寧々子です!」

 お面をとった寧々子を、のっぺらぼうの男性がまじまじと見つめた。
 そっと骨張った指が面を取る。

「やっぱり修三さん!!」

 見覚えのある顔に、寧々子は声を上げた。
 修三(しゅぞう)は三池屋で最も優秀な職人だった。
 店の一番人気商品の豆大福の製造を任せられていた一人だ。

「本当にお嬢さんですか!? なんであやかしの国に!!」

 修三が愕然とし、珍しく大きい声を出す。
 ふたりは呆然と見つめ合った。

「修三さんってあやかしだったの!?」
「い、いえ、人間です!!」
「じゃあ、なんでここに!?」
「仕事のためです……」
「そ、それはごめんなさい……」

 父の不始末で給金が払えなくなり、ほとんどの職人が店を出ていってしまっていた。
 修三もそのひとりだ。

「でも、修三さんの腕前ならどこの菓子店にでも再就職できたのでは?」
「……私はこのとおり口ベタで……三池屋さんでは古参で黙々と作業にだけ専念することができたんですが、他のお店ではうまくいかず……」
「そうだったの……」

 修三は寧々子(ねねこ)が生まれる前から勤めてくれていた職人だったが、確かに挨拶しかかわしたことがない。
 そもそも、目を合わせてくれないのだ。

「一人で店を出すことも考えましたが、初期費用の捻出や接客のことを考えると実現できそうになくて。困っていたら、世話役の佐嶋(さじま)さんに声をかけてもらって」

 久々に人と会って嬉しいのか、修三が珍しくぺらぺらと話す。

「佐嶋さんに!?」

 寧々子は一瞬驚いたが、今自分がここにいるのも佐嶋の采配によるものだ。
 寧々子の件に限らず、手広く人間界と境国を繋いでいるのだろう。

朱雀(すざく)国では今、料理人を募集していて、お店を用意してくれると。あやかしたちも人の姿をしていて怖くないし、愛想もいらないと言われて……」
「それで、こっちで甘味処を……」

 あやかしたちを相手に商売し、あやかしの国で暮らすと聞くと、なんと勇気がいることかと思ってしまう。
 だが、人間界の煩わしさを忌避したいのであれば、何のしがらみもない場所に思い切って飛び込む人もいるのだろう。

「材料の仕入れも手探り状態でしたが、なんとかお店を開くことができました」
「す、すごいですね……」

 無口で引っ込み思案だと思っていた修三の行動力に、寧々子は舌を巻いた。
 誉められた修三が、照れくさそうに微笑む。

「最初は恐ろしかったですけどね、食われるんじゃないかって……」
「あやかしって人を食べるの!?」

 そう言われれば、昔話でよく人を食ったり、さらったりしている。

「そういう危険なあやかしは境国に入れなくしているので大丈夫ですよ。それこそが王のの仕事です」

 安心させるように蒼火(そうび)が口を挟んできた。

「そ、そうなの?」
「ええ。治安維持がもっとも肝要ですから。おかげで蘇芳(すおう)様は、『朱雀の閻魔』と言われて恐れられています」
「閻魔……」
「あやかし、人を問わず、罪人は絶対に許さない、というのが蘇芳様の立場です。あ、でも普通に暮らしている者たちにはとても優しいですよ、蘇芳様は!」

 寧々子の表情が曇ったのを見て、蒼火が慌てる。

「ですが、最近異界との境界線にほころびが出て、危険なあやかしが流入してきているんです」
「やっぱりそうなのね……」

 佐嶋が話していたとおりだ。

「ちゃんとした門を通らずにほころびを使って秘密裏に流入するあやかしを、『結界破り』と呼んでいます。勝手に入ってきた結界破りには警備担当の火鳥組ひとりぐみが対応していますが、揉め事があちこちで起きていて……それで蘇芳様も大忙しなんですよ」
「そうなの……私、避けられているとばかり……」
「昨日、帰りが遅かったのもそのためです」
「そっか……」

 寧々子は少しホッとした。

「ところで、お嬢さんはなんで朱雀国に?」

 借金を返すために嫁入りに来たと話すと、修三は目を見開いた。

「ええっ、蘇芳様の花嫁に!? あやかしの王ですよ!?」

 修三が腰を抜かさんばかりに驚いている。

「すごいですね……。お嬢さんが王の嫁ですか……!」
「う、うん……一応」

 まだ目も合わせてもらっていないので、花嫁と言われると気まずい。

「でも、修三さんの方がすごいよ。お店は一人でやってるの?」
「ええ。大変ですが、一人が気楽なので……」

 ふう、と修三がため息をつく。

「ただ、菓子作りはいいのですが、やはり接客が……」
「誰か雇うのは?」
「……よく知らない人と働くのはちょっと……。そういうのが嫌でこっちに来たので」
「そうよね……」

 そのとき、鬼の面をつけた男たちが店に入ってきた。
「おうおう、人間くさいな、この店は!」

 いきなり入ってきたのは、鬼の面をつけた三人の大柄な男たちだった。
 口元の開いた面の下で、鼻がひくひくと動く。
 角と牙がついた面は(いか)つく恐ろしげで、寧々子はびくりとした。

「何か食い物を寄越せ」
「ここは食い物屋だろう?」

 口々に勝手なことを言う男たちの腰には、刃物らしきものがある。

「な、何?」

 怯える寧々子(ねねこ)をかばうように蒼火(そうび)が前に出る。

「おまえたち、異界から勝手に来た結界破りだな」
「なんだ、このガキ」
「失せろ」

 ぽっと青い炎が空中に浮いたかと思うと、銃弾のように男たちに向かって放たれた。

「あちちっ!!」

 たまらず男たちが店の外へと逃げ出す。

「何するんだよ! 俺たちは結界破りじゃねえ!!」
「このとおり人間の姿に化けているし、面もかぶってるだろ!」

 地べたに転がり、着物についた火を消しながら男たちが叫ぶ。
 蒼火が冷ややかに男たちを見下した。

「じゃあ、許可証を出せ」
「は?」
朱雀(すざく)国に居住を許された者には在留許可証を出している。持っていないのであれば、おまえたちは不正な手段で入国した結界破りと見なす」

 男たちが顔を見合わせる。

「他の境国ではどうか知らんが、ウチでは王がちゃんと仕切っているんだ」
「知るか!」
「俺たちは俺たちの好きにするんだよ!」

 男たちが腰紐からするっと武器を抜いた。

「蒼火さん!!」

 明らかに体格で圧倒する男たちが攻撃姿勢を取っている。
 寧々子はどうしたらいいかわからず、おろおろした。

「僕の後ろにいてください。大丈夫ですよ、こんな奴ら。それに、この騒ぎを聞きつけて火鳥(ひとり)組がすぐ来てくれますよ」

 蒼火は悠然とした態度を崩さない。
 なぜそんなに余裕があるのか、寧々子には理解できなかった。
 男たちは今にも飛びかかってきそうだ。

「おまえたち、何をしている!!」

 よく通る声が響いた。

「ほら、火鳥組が――」

 そう言いかけた蒼火がぽかんと口を開けた。

「蒼火! おまえ何をしている!」

 毛皮のついたマントをはためかせて駆けつけたのは、黄金色の髪をなびかせた蘇芳(すおう)だった。
 屋敷内では着物だったが、今の蘇芳はマントの下に軍服のような洋装をしている。

「えっ、なんで蘇芳様が――」
「火鳥組の見回りを手伝っているんだ。手が足りないらしくてな」

 蘇芳がじろりと鬼の面をつけた男たちを睨めつける。
 背丈は男たちと変わらないが蘇芳は細身で、体の厚みが全然違う。
 寧々子はハラハラと見守ったが、蘇芳はまるで動揺した様子がない。
 それどころか口の端に笑みが浮かんでいる。

「ふん、一応人に化けられるのか。結界破りのくせにこしゃくな」

 男たちがじりっと後ずさりをする。

「こいつ……やばい、朱雀王だ」
「王がなんだって言うんだ! 同じあやかしだろ!!」

 男たちは面を投げ捨てた。

「あっ……」

 男たちの体が膨れ上がったかと思うと、一気に体が大きくなる。
 ザンバラ髪が伸び、頭部には日本の角が生え、口からは牙が覗く。

「鬼……!」
「それが本性か」

 蘇芳が不敵に笑う。
 バサリという音とともに、その背中に大きな翼が生えた。
 蘇芳の背後に現れた翼は、髪と同じ金に赤が混ざった美しい色をしていた。

(なんて……美しいの……)

 寧々子は息を呑んだ。
 太陽が顕現したかのように、煌びやかに輝く羽に目を奪われる。

(朱雀……伝説上の四神がここにいる……!!)

 ばさりと大きく翼を羽ばたかせると、矢のように羽が飛ぶ。

「ぎゃっ!!」

 羽はまるで刃物のように、鬼たちの屈強な体に突き刺さった。

「あっ……」

 突き刺さった羽が炎に変わる。

「ぎゃあああああ!!」

 鬼たちの体はあっという間に炎に包まれ、塵となって消えた。
 いつの間にか集まった民たちから、わっと歓声が上がる。

「さすが蘇芳様!!」

 にこやかに手を上げて応えると、蘇芳は店内に入ってきた。
 背中の翼は消え去っている。

「大丈夫か、蒼火」
「ええ。すぐ蘇芳様が来てくれたので」
「ん? そっちは――」

 蘇芳が目を向けてきたので、寧々子はびくっとした。

(どうしよう、怒られる!!)

 蘇芳(すおう)に見つめられ、寧々子(ねねこ)は体をすくませた。

(こっそり町に出たのがバレてしまった!!)

 だが、蘇芳から返ってきたのは、安心させるような優しい笑みだった。

「三毛猫の化け面か。可愛いな」
「えっ……」

 寧々子は慌てて顔に手をやった。
 すっかり馴染んでしまって忘れていたが、猫の化け面をかぶっていたことを思い出す。

(そっか! お面をかぶっているから気づかれていないんだ!)

 安堵しつつも、寧々子はうつむき加減になった。
 声や仕草でバレないとも限らない。

「ど、どうも……」
「怖かっただろう。怪我はないか?」
「は、はいいっ……」

 蘇芳が気遣うように顔を近づけてきたので、修三(しゅうぞう)顔負けの小声になってしまう。

「そうか、よかった」

 輝くような蘇芳の笑顔に、寧々子は呆然とした。

(笑うと……こんなに可愛らしく見えるんだ……)

 寧々子が屋敷で見た蘇芳は、冷ややかで感情のない能面のような顔をしていた。
 優しい方だといくら他人に言われても実感できなかった。

 だが、目の前で穏やかな笑みを浮かべている蘇芳は、同一人物とは思えないほどリラックスして見える。

(こんな屈託のない顔をなさるのね……)
(ああ、変わらない。十年前と――)
(あのときも安心させるように笑ってくれていた)
(やっぱり蘇芳だ……)

「見ない顔だな、猫娘。名前は?」
「ええっ、あっ、ね――」

 寧々子、と本名を言いかけて慌てて口を閉じた。
 かたわらで蒼火(そうび)が目を剥いている。

 必死で目配せしてくる蒼火に、寧々子は軽くうなずいてみせた。
 バレないように振る舞わなくては。

「ね、猫又のミケです……」

 適当なあやかし名と名前を名乗ってしまう。

(ちょっとそのまますぎたかな……)

 ドキドキして蘇芳を見やると、ぱっと笑顔になった。

「ミケか! 可愛い名前だな」
「ど、どうも……」

 ホッとしつつも、寧々子は複雑な気分だった。

(こんなに近くで話しているのに、全然私だと気づかないのね……)
(お面をかぶっているからしょうがないかもしれないけれど)
(本当に私に興味がないんだわ……)

 わかっていたことだが、気持ちが沈む。
 寧々子の気も知らず、蘇芳が蒼火に楽しげに話しかける。

「おまえの友達か? こんなに可愛らしい友人がいるなんて知らなかったぞ」
「え、ええ、そうなんです。人間界から来たばっかりで……な?」

 蒼火が話を合わせてくれたので、寧々子はこくこくうなずいた。

「まだ申請中で正式な認定書はないけど……」
「そうなのか。道理で見覚えがないと思った。すまないな。警備の仕事に追われ、書類仕事が後回しになってしまっている」
「大丈夫ですよ! 認定待ちでも朱雀国には住めますし!」

 蒼火が必死で事情を寧々子にわかるように説明してくれる。

(この国に住むには王の許可が必要なのね。でも、審査が追いつかなくて、認定待ちの人たちもいるってことか……)
(警備の仕事もあるし、王様って本当に忙しいのね)
(そりゃあ、私のことなんか(かえり)みないはずだわ)
(だって、望んだ結婚じゃないもの……)

 寧々子はしょんぼりうつむいた。

「もしかして、デート中だったか?」

 蘇芳の言葉に、蒼火と寧々子は飛び上がらんばかりに驚いた。

「ち、違いますよ! ね……ミケを案内していただけです!」
「照れるな。おまえがミケを気に入っているのは見ればわかる」

 蒼火の慌てっぷりに、蘇芳がクスクス笑う。
 蒼火が気まずそうにそっぽを向いた。