【残り十五日】

 校舎の端にある演劇部の小さな部室。その入り口を入ってすぐ横の壁に数枚重ねて張られた紙に手を伸ばす。

【残り十四日】

 一枚剥がすと当たり前にカウントダウンが進む。二週間ほど前から日課になったこの行為が、今日は俺・瀬戸一颯(せといぶき)を一段と憂鬱な気持ちにさせる。

「瀬戸、ちょっといいか」

 声に反応し部室を見渡すと部長である高橋と俺の二人だけの空間になっていた。

「何かあった?」
「今日の稽古の様子見てると、何か思い詰めてるのかなって」
「あー」

 高橋が何を言いたいのかは一瞬で理解できた。今の俺を何よりも苦しめていることだからだ。流石部長、よく見てるなと思いながら、当たり障りのない言葉を探す。

「全然平気。少し演技で悩んでただけ」
「そうか。話せることだったら聞くぞ」
「いや、大丈夫」

 ありがとうと会話を終わらせようとすると高橋は何か言いたげな表情で俺を見ている。それに気づかないふりをして荷物をまとめバッグを手に持つ。

「まあ、瀬戸の納得のいくように頑張れよ。やっと勝ち取った役なんだから」
「うん。じゃあ俺帰るわ」
「おう。また明日」

 外に出ると室内とは比べ物にならない暑さにため息が出る。正午を回ったばかりなのだから仕方のないことだが、少しでも早く家に帰りつきたくて歩幅を広めた。

***

 俺は家に帰りつくなり着替えと軽食を済ませ自室にひきこもる。バッグから取り出した台本は本のように綴じられていて、初めて渡されたときの高揚感を思い出す。いつもは紙をホッチキス止めしただけの台本だが、今回は気合い入れて本のようにしたのだと。今回の台本だけでなく、今までのものや参考になる資料もまとめられている。パラパラとめくるとシャーペンで書かれたメモが目に入った。自分が頑張っている証のようで大切なメモが今は不安を掻き立てる。

“やっと勝ち取った役”か……

 ふと高橋の言葉が蘇る。高橋の言ってたことは間違っていない。俺らの通う高校は大きい学校とは決して言えない。そんな高校の一部活に過ぎないが、俺らは本気で高校演劇に向き合っている。部員数は各学年十人前後でその半分以上は役者志望だ。役者をしたくてもできなかった人、望んだ役を得られなかった人はもちろんいる。俺も入学当初は、セリフが一言二言の役しかもらえないこともあった。それから少しずつ力をつけ高校二年生になり、先輩たちが引退してから初めて公演で俺は初めて主役を務めることになった。
 今までも何度も立候補しオーディションに挑んできたが敵わず、今回もオーディションを経てやっと勝ち取ったのだ。夏休みが終わる九月一日、この日に地元の施設で公演をすることが決まっている。それが俺の初主役の公演になる。

もう、二週間後だなんてな

 七月から稽古に入っていたことを考えると一か月半はこの公演に向けて動いている。夏休みに入りさらに力を入れてからは時の流れが何倍にも感じ、あっという間に残り二週間になっていた。三十分から四十五分の劇をすることが多い俺らにとって、今回する九十分の作品は新鮮で慣れないことばかりだ。

皆頑張ってるんだから、俺も頑張らないと

 演劇は一人では成り立たない。他の役者や裏方がいて初めて俺も舞台に立てる。だからこそ絶対に失敗したくないし、後悔したくない。部活の時間だけでは足りずに家でも稽古しているが、ここ数日焦りとプレッシャーでうまくいっていないのは自分が一番理解している。もっとうまくできるはず、もっと頑張れるはずと頭の中の自分が言っている。

「あぁ、息苦しいな……」

 初めて口に出したこの言葉が自分の中にストンと落ちる。毎日稽古していると自室だというのに息苦しくて仕方ない。こんなに息苦しい空間にいて何になるのだろう。一度気づいてしまうとこの空間にいても何も解決しないような気がする。台本とペットボトルの水、スマホだけをバッグに入れ家を出る。久しぶりに自転車に跨り気の向くままに進んでみることにした。

***

 家から自転車を走らせて十分、懐かしい景色が広がっていた。通っていた小学校のすぐそばの河川敷。最後に来たのは中学一年の頃だがそこはあのころと変わらず綺麗な青が広がっていた。自転車を降り橋下へ足を進める。

橋の下ってだけでどこか特別で好きだったな

 懐かしさに浸りながら腰を下ろす。川と空が繋がったような青の広さに水を一口飲み深呼吸をする。先ほどよりも息がしやすくなったのを感じて台本を取り出す。

「ちょっとだけ、ここでやってみよう」

 台本をめくりぼそぼそとつぶやく。声は張れない代わり、いつも以上に役の心情を読み取れるように意識してみる。主人公であるひきこもりの少年が夜に散歩をしたことから始まる物語。そこでいろいろな悩みを持つ人と出会い、自身と向き合うきっかけになる。この作品では主人公が一人舞台に立つシーンが多くある。セリフがあったりなかったり、そんな自分しかいない空間で自分を見つめる、それがどうにも難しい。台本を手にしたまま目を閉じる顔を伏せる。

「お前は何を思ってるんだよ……」
「お前って?」

 返ってくるはずのない返事に驚き顔を上げる。隣を見ると肘をつきこちらを見る少女と目が合った。

「堀内さん……?」
「えー!分かってくれるの?!」
「そりゃあ、ドラマ出てるし……」

 初めは知らない人だと思ったが見覚えがあったその姿に自然と名前がこぼれる。彼女は堀内涼音(ほりうちすずね)、僕と同じ、高校二年生だ。去年出演したアーティストのミュージックビデオがバズったのをきっかけに仕事が増え、今は女優としてドラマに出演することが増えている。

「嬉しいなー。私、地元がここなんだよね」
「し、そうなんだ」

 知ってると言いかけてやめたことに彼女は気づく様子もなくニコニコとしている。彼女は多分出身地を公開して活動はしてないだろう。それなのに知っているだなんて気持ち悪がれるだけだ。
 実は彼女と俺は同じ小学校に通っていた。しかし六年間で話したことはほとんどなく、俺が一方的に知っているだけ。学習発表会で劇をする小学三年生の彼女が輝いて見えて、ただそれだけで初恋におちた幼い頃の思い出だ。小学卒業後は地元を離れたと誰かが言っていたから、今後会うことはないと思っていた。

「で、君はこんなところで何してるの?」
「瀬戸でいいよ、瀬戸一颯。何って、台本読んでたかな」
「えー、瀬戸くんも役者してるの!」

 質問に素直に答えたことに後悔してしまう。部活で役者してるだけの俺と仕事にしてる彼女、レベルが違い過ぎて恥ずかしい。

「高校の部活でだけどね」
「そんなの関係ないよ。役者は役者じゃん」

 自虐気味に言う俺に被せるように言った彼女の言葉に目を見開く。そんな風に考えることができる人なのだと、自分とは比べ物にならないほどできた人間なのだと感じてしまう。一ミリも嫌味と感じないのはきっと彼女の本心だからなのだろうか。

「でも、なんでこんなところで?」
「最近うまくいってなくて……」

 わざわざ自分のダサい部分を見せる必要はないと誤魔化そうとしたが、すぐにばれてしまいそうだと正直に答えることにした。うまくいかないから河川敷で台本を広げていると知っても彼女なら馬鹿にしないと期待してしまう。

「分かる!たまにはこういうところで息抜きもいいよね。っていうか邪魔しちゃったよね、ごめんね」
「いや、全然邪魔ではないよ」
「じゃあ!」

 食い気味に彼女が声を上げた。今までよりも顔の表情が明るく見える。何を言おうとしてるのかは分からない。しかし、きっと俺は何を言われても否の言葉は出せない、そんな気がした。

「私を瀬戸くんの稽古に付き合わせてよ!」

***

「へー、こういう話なんだー」

 隣に座る彼女は満足そうに台本を閉じた。数十分前の提案に思わず首を縦に振ってしまった俺は、早速彼女に稽古に付き合ってもらうことになっている。彼女にアドバイスがもらえるのならば俺にとっては絶対にためになる、ありがたい提案ではあったのだ。逆に彼女はいいのか聞くと「九月まで地元にいるけどやることなくて暇なの」と笑いながら言っていた。それならとお言葉に甘えることにし、たった今台本を読み終わったところだ。

「瀬戸くんは何が上手くいってないって感じるの?」
「何がって……主人公が分からない」

 主人公の気持ちを知ろうとすればするほど、彼が何を思って行動して何に苦しめられていたのか、何もかも分からなくなっていく。

「役に入りきることができないんだ」
「そっかー。私はさ、そういう時は難しく考えすぎなだけだと思うんだよね、案外」
「考えすぎか」
「何の参考にもならないね、ごめん。でも人間って単純だから、妬み嫉みとかいう感情に繋がるのかなって」

 妬み嫉み、いわゆる嫉妬――彼女の言葉が分かるような分からないような。今はまだハッキリしない答えだが、もうすぐ自分の中の正解にたどり着けるような気がした。

「ありがとう。もっと向き合ってみる」

***

「前より確実に良くなってるね」

 彼女は台本もメガホンのように丸め手を叩く。お守りのように持ち歩いていた台本だが、セリフを覚えているため稽古中は彼女が手にしている。
 まだ完全に悩みもないほどうまくいっている訳ではないけれど、あの日から少しずつ主人公の気持ちが分かった気がする。学校生活が上手くいかずにひきこもって、本当はやりたいことも夢もあるけど口に出せなくて。自分の思いを口に出すことができる人が羨ましくて仕方ない、周りの環境を言い訳にしてしまう自分が情けない。この主人公は俺に似てるなと気づいてから、役に入り込めている気がする。この主人公は出会いを通して自身を見つめなおす、そこだけが自分とは違って創作はいいなと思ってしまった。

「こいつの気持ち、少しわかった気がするんだ」
「そっか、大事だね」


 部活が午前で終わる日は十四時から河川敷で、あの日そう約束した。彼女と河川敷で会うのも今日で五回目になる。十四時から十八時までの四時間、稽古だけでなく色々な話をしている。
 彼女は物心ついた頃からお芝居が好きで将来は役者さんになると言い続けていたらしい。小学生の頃は家で芝居を勉強していたが、親が東京に転勤をしたのを機に中学からは劇団に所属したのだと言う。今は祖父母の家に泊まっているがやることがなくて散歩していたらこの河川敷にたどり着いたと言っていた。

***

【残り八日】

「瀬戸、最近は大分調子いいな」
「まあ、本番近いからね」

 本番まで一週間ちょっとの部活はどこかピリピリとした空気を感じる。それでも皆良い公演にしたい気持ちは一緒でそのために力を入れて稽古している。

「そうだな。皆、頑張ってるよ」
「うん、それじゃあまた明日」

 挨拶もそこそこに部室を去る。憂鬱だったはずの稽古がいつの間にか楽しみだと思えるようになっていることを察し、スランプだったのかなと他人事みたいに感じる。そんな楽しさを思い出させてくれた河川敷での稽古も残りわずか。明日からは午後も部活が増えることになっている。ラストスパートだから、できることは全部やろうと部員全員で話し合った結果だ。午前で部活が終わり河川敷に行けるのは今日と八月三十日、残り二日間だけだ。


「そういえば、一颯はなんで演劇始めたの」

 稽古の合間の何気ない雑談。いつしかお互い下の名前を呼び捨てにするようになったが、それでもお互い知らないことが多い。彼女の質問にドキッとしたのを悟られないように口を開く。

「昔見た劇の主人公に憧れたからかな」
「へー、なんて劇?」
「分からないや」

 嘘のような本当のこと。大げさに言ったけれどあの学習発表会の劇が忘れられなくて憧れてしまった。なんて劇かもどんな内容かも覚えていないけれど、光景だけが目に焼き付いたように残って忘れられなかった。

「涼音は?」
「私は前も言ったけど物心ついた頃には好きだったから、なんでって聞かれると難しいかも」
「そっか」
「あっ、でも、小五くらいで本気で役者になってやるってことがあったかな」
「どんな?」
「それは内緒!」

 知っているけれど知らない彼女の小学時代にもやもやするのはなぜだろう。幸せそうな、懐かしそうな彼女の表情は初めて見る顔だった。

「よし、また演技見てもらってもいい?」

 あまりにもあからさま過ぎただろうか。ここからどう話を広げていいか分からず雑談を終わりにしてしまった。公演本番まで残りわずか、自分の演技に集中しようと心に決めた。

***

「ねえ、ラストシーンがなんか心ここにあらずな気がするのは気のせい?」

 やはりというべきか、気づかれていたんだなと冷静に思う。明後日には本番を迎える八月三十日。最後になる河川敷は今日も変わらず青が広がっている。そんな清々しい空気の中、彼女の声が何よりも通って聞こえた。

「やっぱり、ラストが思うようにいかないな」

 事実をそのまま口にすると彼女は複雑そうな表情でこちらを見つめてくる。何かを口にするか迷った様子を見せたかと思うと決心したように口を開く。

「一颯って将来どうなりたいの?」
「……え?」

 想定外の質問に間抜けな声で返してしまう。演技を指摘されるとばかり思っていた脳みそを切り替え答えを探す。

「適当に大学行って働くと思う」
「……演劇は?」
「できないでしょ」

 きっと彼女が聞きたかったのはこのことなのだろう。ラストシーンに感情が込められない理由は自分でも何となく感じている。主人公と自分があまりにも真逆だと。出会いを通して自分と向き合い夢を口に出して追う主人公に俺はなれない。

「私の勘違いかもだけど、演劇続けたいんじゃない?仕事にしたいんじゃ」
「そんなの無理だよ」

 自分の声とは思えないほどの低い声が喉を震わす。高校を卒業したら大学に行って就職をする、そんなありふれた人生計画しか立てられない。役者として生きていける人なんてほんの一握り。そんな小さな可能性の中に自分が入れるわけがないのだ。やりたい、でもできない。それが紛れもない事実。

「でも、本気ならきっとできるよ」
「それは涼音が特別だったから言えるだけでしょ」

 口をついて出た言葉は止まることを知らない。

「涼音はこんな小さな町を早くに出て成功してるから。俺は高校生になってもこの町から出られないで、ただ部活で演劇をやってるだけの人間なのに何ができるんだよ」

 憧れと同じくらいの劣等感。それを感じざるを得ないほどの差が俺らの間にはある。できることなら夢を口に出して叶えたい。だけれど現実が見える年齢になってしまっているのだ。

「夢は叶わないもんでしょ」

 この言葉を言い切ると、本当に叶わないのだと実感してしまう。心のどこかで夢見ていた自分に言い聞かせているようだった。先ほどから声の聞こえない彼女を見れず浅く息を吐く。

「君だけは、そんなこと言わないでほしかった」

 涙をこらえるように鼻にかかった声に息を呑む。やってしまったという気持ちともう戻れないという気持ちが交差する。何も言葉にできずにいると続けて言葉が紡がれる。

「覚えていないかもだけど、私は君の言葉で頑張れたのに」

 悔しそうに下唇を噛み涙をこらえている。こんな姿を見たかったのではない。

「ごめん、帰るね」

 ひどくショックを受けたような後ろ姿に、俺は声をかけることすらできなかった。どんなところよりも息がしやすかった河川敷が初めて息苦しいと感じた。

***

【明日本番!】

 壁に貼られたカウントダウンを見てため息をつく。本番前最後の部活。一日の予定だったが身体を休めることを優先し午前で終わることになった。

「明日本番楽しもうな。お疲れ!」

 高橋の声を合図に部員たちが帰る用意をしていく。俺もバッグに荷物を詰め、帰る用意を進めていく。

「瀬戸、大丈夫か?」
「大丈夫。ちょっと疲れてるだけ」

 背後から掛けられた声に振り返らず答える。高橋は心配そうにこちらを見ているが気にせず帰り支度する。

「あ、これ読むか?」

 ガサゴソと自分のバッグを漁ったかと思うと一冊の雑誌を取り出す。なぜ突然と思いながらも受け取り表紙を見る。

「色んな役者のインタビューが載ってるから買ってみたけど勉強になるぞ」
「俺あんまりこういうの読まないけど……」

 表紙に視線を滑らせるととある名前が目に入る。

「やっぱ貸して。明日返すわ」
「おう。じゃあまた明日な」

 いつも以上に急いで家に帰る。この雑誌が何かの役に立つのかは分からない。ただ、読まなくてはいけない気がした。

***

 家に帰ると着替えもせずに雑誌を取り出す。表紙の『堀内涼音』の文字の横に書かれたページを開くとテレビで目にする女優の彼女の姿がある。一緒に載ったインタビュー記事に目を通しているととあるエピソードに目を奪われる。

『幼少期から役者を目指していたとのことですが、やめたい・諦めたいと思ったことはありますか?』

 彼女の回答は〈ある〉ということ。このことすら知らなかった俺だが、その先に綴られたエピソードは既視感があった。

『私、家でも学校でもずっと役者になるんだって言葉にしていたんです。小学五年生の時かな?皆少しずつ将来の夢が現実めいたものになってきて、こんな小さな町で役者になれるわけない、現実見ろって馬鹿にされることが増えて、その時やめちゃおう、諦めちゃおうって思いましたね。』

『そのときどうして続けられたんですか?』

『周りの子に馬鹿にされてるときに助けてくれた子がいたんです。夢は叶うから夢なんだ、無理なことはない。どこに生まれたとか関係ない、努力してる人を笑うなって怒ってくれて。小学生の私は嬉しくて、こんなに言ってくれる人がいるから絶対に夢叶えるって決めたんです。』

 間違いなくこのエピソードは俺だ。なぜずっと忘れていたのだろう。一方的に知っていただけだと思っていたが、彼女も俺を知っていた、覚えていたのかもしれない。
 彼女を救った小学生のまっすぐさはいつ失くしてしまったのだろう。一番情けない聞かせたくない言葉を言ってしまったのだと後悔しても遅い。口から出た言葉は消えることはない。だから、俺にできるのは行動にすることだけだ。

『昨日はごめん。明日、十三時から上演見に来てください。伝えたいことがあります。』

 連絡先を交換してからほとんど使われていないメッセージを送る。すぐに既読が付いたが返信は来ない。そっとアプリを閉じ、息がしやすくなった自室で明日に備えて最後の稽古をする。

***

 何度立っても慣れない緊張感の中深く深呼吸をする。本ベルが開演を知らせ緞帳が上がる。目の前に広がる景色は稽古では見られなかったもので心臓の音がうるさい。

大丈夫、大丈夫……

 今日までの努力が無駄なんかじゃないと証明するように物語を進める。小さな部屋で一人殻に閉じこもる主人公。外に出て色んな人を知る主人公。主人公の悩みも苦しみも全部俺自身のものだ、そう感じながら物語は終盤へと差し掛かる。

「ずっと羨ましかった。環境を言い訳にする僕が大嫌いだった」

 この震えた声も誰かに届いただろうか。主人公は俺で、俺は主人公だ。だから、この物語の結末みたいに夢を無我夢中に追いかける。今更かもしれないけれど、夢を口にしたいんだ。

 緞帳が下がると客席からは拍手が沸き起こった。何度経験してもこの瞬間の安堵感は泣きたくなる。観客の反応を見るため会場出入り口に足を運ぶとずっと探していた姿が目に入る。

「ちょっと席外すね」

 近くにいた部員に声をかけ急いで後を追う。深く帽子を被っていたが間違いない、涼音の姿を追いかける。

「涼音っ」

 人混みで中々追いつけなかったがバス停のベンチに腰掛ける彼女にようやく声をかける。先ほどまで気づけなかったが手にはキャリーケースをひいている。

「来てくれてありがとう」
「ううん、お疲れ様。今までで一番良かったよ」
「ありがとう」

 二人の間に気まずい沈黙が流れる。

「ごめん、俺八つ当たりしてた」
「私こそ、急に怒ったみたいでごめん」

「俺小学生の頃見た涼音の演技に憧れて、同じ世界を見たかったんだ」
「……うん」
「それなのにいつの間にか勝手に諦めて、それでも諦めきれなくて」

 諦めたつもりで諦めきれない、たちの悪い俺は勝手に嫉妬して彼女を傷つけてしまった。それでも、許されるならもう一度憧れたい彼女の世界に。

「俺、涼音と同じ道を目指すよ。きっと大変な選択だけど同じ景色観れるように頑張るから」
「そっか。私はずっと君の言葉に励まされてきたから、今度は私が応援するよ」

「そういえば、小学生頃のこと思い出してくれたんだ」

 元通りの空気が流れ彼女が言う。その後すぐに到着したバスを確認し、このまま東京に戻るのだとベンチから立ち上がった。

「絶対追いついて見せるから」

 決意を緩めないよう言葉にして伝える。振り返った彼女の満足そうな笑顔に安心して手を振る。

「あ、君は知らないだろうけど、初恋だったよ」

 それだけ言い残して東京に戻っていった彼女はきっとしてやったりと思っているのだろう。

『俺もだよ』

 一方通行のままだったメッセージに追加して、そっとアプリを閉じた。