夏休みが終わり、二学期が始まった。
 奏はかつて棄権したフルートコンクールに出ると決めてからは猛練習に励んでいた。
 吹奏楽部の個人練習にて、個人的に出場するコンクールの曲を練習していた奏。
「奏、もう大丈夫なんだね」
 彩歌は少し心配そうである。
 奏は彩歌にも三年前に棄権したコンクールに出場することを伝えていた。
「うん、私はもう大丈夫。ありがとう、彩歌。フルート奏者の道に進むつもりだから」
 奏の目の奥からは芯の強さが見えた。
「そっか。応援してる」
 彩歌は嬉しそうな表情だった。
 しかし、すぐにムッとした表情になる。
「彩歌?」
 怪訝そうに首を傾げる奏。
「でもさ、コンクールのこと、何であたしよりも先にあいつに話してるの?」
 あいつとは、もちろん響のこと。
「それは……」
 奏は穏やかに微笑みながら口を噤む。
 脳裏に浮かぶのは、響との幼い日の思い出や、高校で再会して以降の笑顔。
「あいつよりもあたしの方が奏のこと大事に思ってるのに」
 彩歌は拗ねたように頬を膨らませた。
「ありがとう、彩歌。私も、彩歌のことが大切だよ。一番(つら)かった時に、そばにいてくれてどれだけ救われたか」
 奏はかつての挫折を思い出していた。
「それはあたしだって、奏がいてくれたお陰で救われたわけだし」
 彩歌はやや照れたような表情だった。
 その後、二人はお互い顔を見合わせながら笑っていた。

 この日の部活が終わり、奏は帰る準備をしていた。
「かなちゃん、今日もコンクールの曲の練習してたんだね。もうすぐ予選だっけ?」
 いつの間にか響が隣に来ていた。
 奏は準備の手を止めて響を見る。
 フルートコンクールの予選は九月下旬にあるのだ。
「はい。今は特に行事もないですし、個人的なコンクール優先にしてもらえてありがたい限りですよ」
「顧問の先生もかなちゃんに期待してるみたいだよ。明日は部活休んでレッスンだっけ?」
「はい」
 奏は現在学校の部活よりもフルートコンクール優先になっている。コンクールが終わり次第再び部活に力を入れるつもりである。
「本当は予選も見に行きたいけど、ちょうど体育祭と被ってるからね」
 響は苦笑した。
 音宮高校の体育祭と奏のコンクール予選の日程が丸被りなのだ。
 当然奏は学校に事情を説明して体育祭は休むことになっている。
「……体育祭休んでかなちゃんの応援に行きたいな」
「響先輩、そうしたらクラスが困りませんか?」
 奏は苦笑した。
「まあ……そうだよね。でも、本選は絶対見にいくから」
 響は真っ直ぐ奏を見つめていた。
「はい。まずは絶対に予選突破して見せます」
 奏は穏やかだが、自信に満ち溢れた表情だった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 目まぐるしい日々が過ぎ、予選の結果発表があった。
 奏は無事に予選通過し、本選出場が確定したのである。
 そして更に時が経過し、十二月になった。
(いよいよ明日が本選……。大丈夫、きっと大丈夫)
 レッスンを終え、先生からも太鼓判を押された奏。
 大月家の楽器部屋で深呼吸をし、もう一度コンクールの曲を演奏した。
 いつも通り、狂いなく曲を終えたことで、ホッと方を撫で下ろす奏。
 その時、スマートフォンに連絡が入る。
 響からだ。

《かなちゃん、いよいよ明日本選だね。でも、かなちゃんならきっと大丈夫だよ。応援しに行くからね》

 そのメッセージを見て表情を綻ばせる奏。
 響の言葉に勇気付けられたのだ。

《ありがとう、響くん》

 奏は完結に返信し、丁寧にフルートを片付けるのであった。

 そして迎えた本選当日。
 いつも通りのコンディションではあるが、やはり自身の番が近付くと緊張してしまう。
(直前の練習もいつも通り出来た。衣装も変なところはなかった)
 奏はコンクール用の淡い紫のロングドレスを着用していた。
(それに……響くんも来てくれているから)
 奏は深呼吸をした。
 そして奏の番になり、ゆっくりとステージに立ち、演奏を始めるのであった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





(わあ……かなちゃん、凄い……)
 響は客席で奏の姿を見つめていた。
 淡い紫のロングドレスは奏をより大人っぽく演出している。
 演奏を聴きに来たのだが、奏のドレス姿にも見惚れてしまう響なのだ。
 そして奏の演奏が始まる。

 優雅な音が会場全体を包み込む。奏のフルートの音には、煌びやかさが加わっていた。
 響の脳内には夜空が広がる。

 広大な草原に広がる夜空。そして数々の星々。カラフルな星々は、ダイヤモンド、サファイア、ルビー、エメラルド、アメジスト、シトリンなど、まるで宝石のよう。夜空に宝石が流れ出した。その宝石のような星々は、地面に落ちてはキラキラと弾けて周囲を華やかにする。

 ずっと聞いていたくなるような、軽やかさと深みがあり華やかな音。
(今までの中で一番良い音だ……! 凄い、凄過ぎるよ!)
 奏が会場内に響かせる音は、響の胸にすっと染み渡る。まるで、人生で一番幸せな時間のような気さえした。

 奏の演奏が終わると、会場は盛大な拍手に包まれる。響もこの感動を伝えるかのような拍手を奏に送っていた。





♪♪♪♪♪♪♪♪




 本選の表彰式は当日中に(おこな)われる。
(ベストを尽くした。後は結果を待つだけ。私個人としては、かなり満足)
 本番を終えた奏は落ち着いた様子で審査員達からの所感を聞いていた。
 そしていよいよ結果発表である。
 五位から順に発表されている。
 奏の名前は呼ばれないままいよいよ一位の発表となった。
(まあ、私より実力のある人は大勢いるからね)
 奏は若干諦めたように軽くため息をつく。
 その時、一位が発表された。
「第一位……大月奏」
 見事に奏の名前が呼ばれた。
 奏は目を大きく見開き、ゆっくりと立ち上がる。ステージでトロフィーを受け取った瞬間、会場が大きく湧いた。
(私……あの時を超えたんだ)
 思わず奏の目からは涙がこぼれた。
 かつて棄権したコンクールで、奏は見事一位になったのだ。





♪♪♪♪♪♪♪♪





「かなちゃん!」
 会場の外で待っていた響は奏の姿を見た瞬間駆け寄った。
 もう十二月なので日は短く、今にも夜を迎えそうである。
「響くん」
 奏は安心したように、嬉しそうに目を細めた。今は幼馴染モードなので敬語は使わないようだ。
「かなちゃん、一位おめでとう! かなちゃんの演奏、今までで一番良かった!」
 まるで自分のことのように、奏以上に喜ぶ響。
「ありがとう。何だかようやく三年前を乗り越えられた気分」
 奏は達成感に満ちあふれた表情だ。
 その表情が、響を更に嬉しくさせる。
「本当に、おめでとう。嬉し過ぎてどうにかしそうだよ」
 響は興奮から醒めない様子だ。冬の冷たい空気とは裏腹に、響の心身は熱くなっている。
 その様子を見て奏は苦笑した。
「響くん、じゃあ少しだけ歩かない?」
 奏からそう言われ、会場付近の公園まで歩くことにした。

 公園のベンチに座る二人。
 空は暗くなり、ポツリポツリと星が輝き始める。
 冬の澄んだ空は、星をより美しく見せている。
 響は空を見上げながら、はあっと白い息を吐いた。
「昔からかなちゃんのフルートの音は綺麗だったよ。そして今は何というか……カラフルになった」
「カラフル?」
 奏は響の横顔を見てクスッと笑う。
「うん。深みが増した言うか……そんな感じ」
 響は嬉しそうに表情を綻ばせながら奏を見る。
「そっか、ありがとう。……もしかしたら、響くんのお陰かも」
 奏はふふっと笑った。
「それだったら……嬉しいな」
 響は頬を染めていた。
 そして真剣な表情になる響。
「俺さ、かなちゃんのことが……好きなんだ。女の子として。ずっと前から、小さい頃から」
 響は幼い頃から抱いていた奏への恋心を伝えた。
 その目はどこまでも真っ直ぐだった。
「響くん……」
 奏は驚きながらも表情を綻ばせる。
「私も、響くんが好き。実はね、コンクールが終わったら、響くんにこの気持ちを伝えようと思っていたの」
 その答えを聞いた響は、胸の中が熱くなった。
「かなちゃん……俺、めちゃくちゃ嬉しい……! じゃあ、その……付き合ってくれる?」
「うん」
 奏はコクリと頷いた。
「あ、でも、響くんもうすぐ受験生だけど大丈夫なの?」
 若干心配そうに首を傾げる奏。
「まあその辺は何とかするよ。勉強漬けじゃなくて息抜きも必要だし」
 響は来年から高校三年生であることを思い出して苦笑した。
「図書館で一緒に勉強なら、喜んで付き合うよ」
 奏はふふっと楽しそうに笑う。
「図書館デートだね」
 響は照れながら笑っていた。

 冬の夜空に、響と奏の嬉しそうな声は柔らかく溶け込んでいた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 響と奏が付き合い始めて少し経過したある日。
 響は奏の家の楽器部屋にいた。
「響くん、お待たせ」
 楽器部屋に奏が入って来た。
「いよいよだね」
 響はワクワクした様子でクラリネットを持つ。
 奏もゆっくりとフルートを構えた。
 この日、響が幼い頃に音楽教室で聞いた曲でクラリネットとフルートの二重奏をするのだ。
 ずっと響が夢見ていたことである。
「じゃあ行くよ」
 奏の合図により、二人は演奏を始めた。
 柔らかで明るい響のクラリネットの音と、優雅で繊細な奏のフルートの音が重なり合う。

 響の脳内には色とりどりの花が咲き誇る草原が広がる。そこを駆け回る黒うさぎと白うさぎ。時に楽しく、時に競い合い、時に互いを引き立てるかのようである。

 二人の音は鮮やかに絡まり合っていた。