数日後の部活にて。
 コンクールが終わり、吹奏楽部は少しだけ落ち着いていて緩い雰囲気である。
「そういやさ、今週の土曜日祭りあるよな」
 帰る準備をしている最中、風雅がポツリと呟いた。
「そういやだったか」
 響は思い出したかのような表情だ。
 この週の土曜日、響達が住む市で比較的大規模な祭りがあるのだ。
「響は奏ちゃん誘ったりしないのか?」
「かなちゃん……誘っても来てくれるかな? 小さい頃はよく一緒に行ったけどさ」
 響は少しだけ臆病になる。
「当たって砕けてみろよ。臆病になってたら奏ちゃん誰かに取られるかもよ。それで良いのか?」
 響の肩をポンと叩く風雅。
「それは……嫌だけど」
 響の脳内に律の姿がチラついた。
 奏と共に音楽準備室に閉じ込められた際、律は奏にカーディガンを貸していた。
 おまけに期末テストの勉強会では奏に個人的にお土産を渡していた。
(律……かなちゃんと少し距離が近い気がするけど、あいつもかなちゃんのことが好きなのかな?)
 響の胸の内には、モヤモヤとした不安が生じていた。
 律は奏とクラスも同じだからもしかしたら自分以上に接点があるのではとすら思う響である。
 気付いたら響は動き出していた。
「かなちゃん、今週土曜の祭りは行くの?」
 響は帰る準備をしている最中の奏にそう話しかけた。
「まだ考えていなかったです」
 奏は帰る準備をしながら響に目を向けて苦笑する。
「そっか。じゃあさ、もし良ければだけど、一緒に祭り行かない?」
 やや緊張しながらも奏を誘う響。
「響先輩と……」
 奏の手が止まる。
「あー! ちょっと、何であんたが奏を祭りに誘ってんの!? 奏はあたしが誘うつもりだったのに!」
 そこへ物凄い勢いで彩歌が割り込んで来た。
 奏を守るように立ちはだかる彩歌である。
「へえ、彩歌ちゃんも祭り行くんだ。じゃあ俺も一緒して良い?」
 更に風雅まで乱入だ。
「はあ!? 何であんたが入って来んの!? どっか行けこのクソ野郎!」
 キッと風雅を睨みつける彩歌。
「でも彩歌ちゃん、大人数の方が楽しくない?」
 風雅は怯んだ様子はなく、彩歌に笑みを向ける。軽薄そうな笑みではなく、優しく真っ直ぐな笑みである。
「でもあたしは奏と……!」
 風雅の笑みに、逆に彩歌の方がペースを乱されたようだ。
「先輩方、祭りに行くんですね。俺もご一緒して良いですか?」
 彩歌の大声が響き渡っていたのか、律の耳にも祭りの話が耳に入っていたらしい。
「おお、律も参加か。賑やかだな」
 風雅がフッと笑う。
「大月さんも行くの?」
「まあ、行く流れになっているみたいだから」
 奏は少し困ったように苦笑する。
 響が誘ったりはずの祭りだが、彩歌の乱入により風雅までやって来て、更には律まで参加することになったのだ。
(何か……急に人数増えたな。にしても、律も参加か……)
 響は奏と律の様子に目を向けて、今の状況に苦笑するしか出来なかった。
「あの……」
 そこへ更に一人加わる。
 詩織だ。
「楽しそうなので私も参加して良いですか?」
 何かを決意したような表情の詩織だ。
(内海も……? かなちゃんは大丈夫なのかな?)
 かつて奏は詩織にメトロノームなどを壊されたり悪意を向けられていた。だから響は心配になったのだ。
 しかし当の奏は特に気にした様子ではない。
(かなちゃん、気にしてない……のかな)
 響は奏の様子に少し安心した。
「おお、かなり大人数になったな。まあ賑やかだし良いか」
 風雅があっさりと詩織も許可した。
 奏とのトラブルもあったが、詩織は爪弾きにされることはなかったのだ。
 こうして、土曜日の祭りには、響、奏、彩歌、風雅、律、詩織の六人で行くことになった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 そして土曜日になった。
 待ち合わせ場所の駅には既に律が来ていた。
「小日向先輩、こんにちは」
「おう、律」
 響は軽く手を上げ、律が待つ場所へ向かう。
 この日は祭りなので、駅には浴衣姿の人がそこそこ多かった。
 響と律は私服である。
「他の人達はまだ来てないみたいですよ」
「そうか。まあまだ待ち合わせ時間まで十五分あるもんな」
 響はスマートフォンで時間を確認した。
「小日向先輩は内海さんと一緒じゃないんですね。同じ中学出身だから最寄駅も同じはずなのに」
 律の表情は、爽やかだが、何を考えているのか分からない。
「内海? 確かに最寄駅は同じだけど、この駅で待ち合わせだから別に一緒時をなくても合流するしな」
 響はやや怪訝そうな表情だった。
「そうですか」
 律は相変わらず爽やかだが何を考えているのか分からない表情のまま、響から目をそらした。
(律……同じ部活だけど、そういえばかなちゃんがいない時にはあまり関わったことがなかったな)
 ふとそれを思い出す響。
 奏が入部した時も、響が奏を夏祭りに誘おうとした時も、決まって律がやって来ていた。更に、期末テストの勉強会の時は律だけ奏に焼き菓子のお土産を渡していた。
(律、やっぱりかなちゃんのことが……)
 モヤモヤとした不安が響の胸の中に広がった。
「おう、響、律。二人共早いな」
 そこへ風雅が軽薄そうな笑みでやって来た。風雅も浴衣ではなく普通の私服姿だ。
 彼が来たことで響は少しだけホッとしたような気分になる。
 何となく、律と二人だけでは気まずかったのだ。
「朝比奈先輩も時間には間に合ってますよ」
「まあ女の子達を待たせるわけにもいかないからな」
 律の言葉に風雅は軽薄そうにハハッと笑う。
「風雅、お前相変わらずだな」
 響は苦笑した。
「そうだ、二人はオープンキャンパスどこ行った?」
 風雅がそう話を振る。
「俺は近隣の国立の教育学部と教育大に行った」
「響は教員志望だったもんな。俺はとりあえず近隣の国立大学の経済学部と経営学部と文学部。後、私立も行った」
「先輩達二校も行ったんですね」
「律は一つだけか?」
 風雅がそう聞くと律は頷く。
「はい。今の所、国立一つ行きました。でも、吹奏楽部の合宿前に家族で京都に旅行するので、その時に京都の国立大学のオープンキャンパスにも行く予定です」
「マジか」
 風雅はフッと笑った。
 その時、駅の改札口から浴衣姿の女子二人が見えた。
「あれは……大月さんと天沢さんだ。おーい、大月さん、天沢さん、こっち!」
 律が奏と彩歌を見つけて手を上げる。
 するとそれに気付いた奏と彩歌が響達の元へやって来る。

 紫の生地に白い百合の柄の浴衣を着た奏。水色の帯が涼しげだ。真っ直ぐ伸びた長い髪も、サイドの低い位置でまとめている。
 赤い生地に白い牡丹の柄の浴衣を着た彩歌。帯は黄色で派手である。巻かれたミディアムヘアをハーフアップにしていた。

「お待たせしました」
 奏が柔らかな笑みを浮かべる。
 彩歌は挨拶もなしにフイッと男子勢から顔を背けている。
(かなちゃん……浴衣、可愛い……!)
 響は奏の浴衣姿に見惚れていた。
「彩歌ちゃんも奏ちゃんも浴衣可愛いね」
 風雅は上機嫌である。
「うるさい。あたしは奏がせっかくだから浴衣着ようって誘われたから着ただけ。あんたの為じゃない」
「分かってるよ。でもやっぱ浴衣姿って華やかだからさ」
 風雅は嬉しそうである。
「大月さん、浴衣、似合ってるよ」
 爽やかな笑みで律が奏にそう言った。
「ありがとう、浜須賀くん」
 奏はややはにかみながら微笑む。
(しまった! 律に先越された!)
 響は焦りを感じた。
 奏と話す律は距離が近いように感じた。それは響にとって十分(じゅうぶん)脅威をなす程である。
 焦れば焦る程、言葉が出ない響。
「すみません! お待たせしました!」
 元気な声が響く。
 詩織だ。
 ショートカットの髪には向日葵の髪飾り。白い生地に橙色の大きな花柄の浴衣。帯も花と同じ橙色である。
 詩織が来たことで全員が揃い、歩き始めるのであった。
 ここでようやく響は奏の隣に行くことが出来た。
「かなちゃん……浴衣、可愛いね。その、凄く似合ってる」
 響は少し赤くなりながら微笑む。
「……ありがとうございます」
 奏は小声で表情を綻ばせた。頬はほんのり赤くなっているような気がした。
「小日向先輩、私の浴衣はどうですか?」
 ひょこっと詩織が割り込んで来た。
「えっと、まあ、良いんじゃないか?」
 響は戸惑いながらもそう答えた。
「ええ、小日向先輩、それだけですか?」
 やたらとグイグイ来る詩織に、響はたじろいでしまう。
 その様子を奏が少し複雑そうに見えいることには気付かない響だった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 祭りで賑わう街。祭りは夜八時半から花火大会もある。街ゆく人々は皆楽しそうな表情だ。
 しかし、奏はどこか浮かない表情である。
 その原因は、自分の少し前を歩く響と詩織。
「小日向先輩、向こうにたこ焼き売ってますよ。一緒に買いに行きましょう」
 ニコニコと響に話しかけ、彼の袖を少し掴む詩織。
「まあ、確かにお腹空く時間だからな……」
 響は少し後ずさりがちの様子だ。
(詩織ちゃん、響先輩のことが好きって言ってたよね。積極的にアプローチしてる……)
 凄いなと思いつつも、奏の胸の中はモヤモヤとしている。
 自分に向けてくれた響の明るく優しい笑み。もし詩織と響が付き合い始めたら、響はその笑顔を詩織にも向けるのだろう。
(それは……何か嫌だ……。でも、何で……?)
 奏の胸の中に、更なるモヤモヤが広がる。

『あのさ……奏ちゃんは……小日向先輩のことは本当にただの幼馴染としか思ってないの?』

 かつて詩織に言われた言葉を思い出す。
(まさか……こんな時に気付くなんて。……響先輩が、響くんが好きだってことを。幼馴染としてじゃなくて、男の人として……)
 奏は胸が苦しくなった。
「かなちゃん、大丈夫?」
 ふと気付けば、響が奏の顔を覗き込んでいた。
「あ……」
 ハッとする奏。
「ボーッとしてたみたいだけど、大丈夫? まだ暑いから熱中症とか。一応俺水持って来てるけど」
 響は心配そうに奏にペットボトルを差し出そうとする。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
 奏は響から目をそらしてしまった。
「……そっか。お腹空いてない? 今からたこ焼き買うけど、かなちゃんは食べる?」
「……はい」
 奏はぎこちなく笑って頷くしか出来なかった。
「小日向先輩、人数分買いに行きましょう」
「そうだな」
 詩織にそう言われ、響は彼女と共に屋台へ向かうのであった。
「奏、さっきから元気なさげだけど、本当に大丈夫?」
 彩歌も心配そうである。
「うん、大丈夫。ありがとう、彩歌」
 奏は心配かけないように柔らかく微笑んだ。
「……なら良いんだけど」
 彩歌はまだ心配そうな表情である。
 奏は黙って目線を少し下に下げるのであった。
「大月さん、これ、さっき駅で買ったんだけど、一つ食べる?」
 コソッと律が鞄からあるものを取り出した。
 キャラメルである。
「うん、じゃあもらおうかな。ありがとう、浜須賀くん」
 奏は律からキャラメルを受け取り、口の中に入れた。
 ミルク感のある甘さが口の中に広がる。その甘さが、奏の心を少しだけ落ち着けてくれた。
「良かった。さっきよりちょっとだけ元気そうだ」
 ホッとしたような表情の律。
「ごめんね。私、みんなに心配かけちゃってるみたいだね」
 奏は少し申し訳なくなった。
(これは私の極めて個人的なことだから、彩歌や浜須賀くんを巻き込むわけにはいかないよね)
 奏は心を落ち着ける為に軽く深呼吸をした。
「お祭り、楽しみだね」
 奏はふふっと微笑んだ。
 その後は屋台のたこ焼きや焼きそばなどを食べてお腹を満たし、祭りの雰囲気を楽しんでいた。
 詩織は常に響の隣をキープしている。
 ひたすら話をする詩織に対し、響は受け答えしている。
 奏はその様子を後ろから見ていることしか出来ない。
(自分の好きな人と仲が良い人に対して嫌がらせしちゃう詩織ちゃんの気持ち……少し分かる。でも、分かりたくなった……。こんな醜い感情……)
 奏はうつむき、ギュッと拳を握る。
「大月さん? 本当に大丈夫?」
 隣にいた律が心配そうな表情を向けてくる。
「あ、うん」
 奏はハッとした。
(さっきお祭りを楽しもうって決めたところなのに)
 奏は内心ため息をつき、前にいる響に目を向ける。
(恋って……難しい……)

 夏は日が長い。しかし段々と夜の気配が近付いている。
 屋台の灯りも光り始め、お祭りの夜の空気感が流れている。
「何か人増えてきてるな」
 風雅が言った通り、人の数も多くなっていた。
「確かにそうですね。これから花火大会始まりますし」
 律は周囲を見渡し苦笑した。
「じゃあそろそろ花火見る場所決める?」
 響がそう提案した。
「身動き取れなさそう……」
 彩歌は鬱陶しそうな表情である。
 奏達六人は完全に人混みの中なのだ。
 その時、急に人混みが動き出した。
「えっ! ちょっと!」
「彩歌!」
「かなちゃん、危ない!」
 奏は人混みに流されそうになった彩歌の手を取ろうとするが、転びそうになり響に支えられる。
「彩歌ちゃん、手出して!」
 風雅は人混みに流されつつある彩歌の手を握る。
 しかし、彩歌と風雅は人の濁流に流されてしまった。
「朝比奈先輩! 天沢さん!」
 律は慌てて二人を探そうとするものの、人が多過ぎて見当たらない。
「かなちゃん、大丈夫? 怪我はない?」
 響の優しげな声。転びそうになったところを支えられて、体は密着している。奏は少しだけドキリとしてしまった。
「うん、ありがとう、響くん」
 奏の顔は赤くなり、まともに響を見ることが出来ない。敬語も抜けていた。
「あ、ごめん! 咄嗟のこととはいえ……!」
 響も体が密着していることに気付き、顔を真っ赤にしていた。
 奏はゆっくりと姿勢を立て直す。
「朝比奈先輩と彩歌ちゃん、完全にはぐれましたね。私連絡してみます」
 詩織はスマートフォンを取り出した。しかし、再び人混みが流れ出してしまう。
「きゃっ」
 詩織は思わず響の服の袖をつかむ。すると、響も詩織と一緒に人の濁流に流されてしまった。
「響くん……!」
 奏は響に手を伸ばそうとするが、律に止められた。
「危ないよ。大月さんも流されるから。とりあえず、この人混みから抜け出そう」
 律に言われるがまま、奏は人混みを抜けるしかなかった。
 こうして、奏達はすっかりはぐれてしまった。

「大月さん、大丈夫?」
 人混みから抜け、丁度ベンチが空いていたので奏はそこに座っていた。
 律が屋台で飲み物を買ってきてくれたので、奏はペットボトル受け取る。
「ありがとう、お金出すよ」
「いや、このくらいは俺が払うよ。だから気にしないで」
「……ありがとう」
 奏は少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「それにしても、見事に人混みにやられたね。もうすぐ花火大会始まるけど」
 響、彩歌、風雅、詩織の四人と人混みの不可抗力ではぐれてしまった奏と律。
「連絡取ってみますね」
 奏はスマートフォンを取り出し、響の連絡を見つけて手が止まる。
(響先輩、詩織ちゃんと一緒にいるのかな……?)
 人混みの濁流に飲み込まれた時、詩織が響の服の袖をつかんだことを思い出す。
 考えるだけで、胸がチクリと痛んだ。
「小日向先輩のこと?」
「え……?」
 律からそう言われ、奏はスマートフォンの画面から律に目を向ける。
「今日の大月さん、ちょっと(つら)そうというか、何か複雑そうな表情ばっかだよ」
 律が困ったように目を細めている。
「そう……なんだ。何かごめんね」
 奏は視線を律から地面に落とした。ほんの少しだけ萎んだ声になってしまう。
「いや、気にしないで。だけど……俺なら大月さんにそんな表情させないよ。もっと笑顔に出来ると思う」
 律の声は真剣で、真っ直ぐだった。
「え……?」
 思わず視線を上げ、律を見る奏。律は爽やかな表情だった。その目は優しげで真っ直ぐ奏を見ていた。
「それってどういう」
 どういう意味かと聞こうとした瞬間、パッと夜空が明るく光り、ドーンと音が鳴り響く。
 花火大会が始まったのだ。





♪♪♪♪♪♪♪♪





(花火大会、始まっちゃったか。まだかなちゃんと合流出来てないのに……)
 響は明るくカラフルな花が咲く夜空とは裏腹に、気持ちは少し沈んでいた。
「花火大会、始まっちゃいましたね」
 隣にいた詩織がクスッと笑い、夜空を見上げている。
 人混みに流された後、響は詩織と一緒に人の少ない場所へ抜けていた。
「とにかく、かなちゃん達と連絡とって合流しないと」
 響はスマートフォンを取り出そうとする。
 しかし、詩織にその手を止められてしまう。
「内海?」
 突然のことに驚く響。
「もう少しだけ……二人でいたいです……」
 うつむきながら響の服の袖をつかむ詩織。
 ドーンという音と共に、明るい光が詩織を照らす。
「え……?」
 響は戸惑いを隠せなかった。
「でも、早くかなちゃん達と合流しないと……」
 響の中に焦りがあった。
 彩歌と風雅がはぐれ、響と詩織も人混みに流されて以降、もしかしたら奏は律と一緒にいるかもしれない。
 律の本心は分からないが、響にとって律の存在は脅威だった。
「私、小日向先輩が好きなんです。中学の時からずっと。だから……」
「え……!?」
 再びパッと夜空が明るく光り、ドーンと音が鳴る。
 詩織の言葉に、響は目を大きく見開いた。
 必死で真っ直ぐな目を詩織から向けられる響。
(内海が俺を……? 全然知らなかった。でも……)
 響の心を占めているのは奏の存在である。思い浮かぶのは、奏の笑顔やフルートを演奏する姿。
「……ごめん、内海。その気持ちには答えられない」
 響は少し申し訳なさそうな表情である。
「……ですよね。小日向先輩は、奏ちゃんのことしか見てませんからね」
 詩織は悲しそうに笑い、響から目をそらした。
「本当にごめん。というか、内海にまで俺の気持ちバレてたんだ」
 響はため息をついて苦笑した。
「そりゃあ、ずっと小日向先輩のこと見てましたから。正直、奏ちゃんが羨ましくて仕方ないです」
 やや拗ねたような口調の詩織。
「……だからかなちゃんのメトロノームとかを壊したの?」
「はい……」
「そっか……」
 響は優しげだが困ったような表情になった、
「ある意味俺のせいでかなちゃんは……」
「やっぱり奏ちゃんのことばっかり」
 盛大なため息をつく詩織。
「でも、勝ち目がないことは分かりました。小日向先輩、困らせてしまってすみません。私、もう帰ります」
 詩織は少しだけ吹っ切れたような表情になり、響に背を向けて歩き始めたのだった。
 ドーンと花火の音が鳴り響くだけである。
「ごめんな、内海」
 詩織の背中にそう声をかけるしか出来ない響だった。
 そして自身のスマートフォンを取り出す。
 奏から連絡が来ていた。どうやら響がいる場所から少し歩いた西の広場にいるらしい。彩歌と風雅はかなり遠くまで流されて合流が難しそうとのことだ。
 響は奏がいる西の広場に急いで向かった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 程なくして、響はベンチに座って花火を見ている奏と律を見つけた。
「かなちゃん、律」
 響がそう呼ぶと、奏と律は少し驚いたように響に目を向けた。
「響先輩……。詩織ちゃんはどうしたのですか? 先輩と一緒では?」
 奏は響と一緒にいるはずの詩織がいないことを疑問に思ったようだ。
「ああ、えっと……用事を思い出したからって先に帰った」
 響は詩織から告白されたことをそう誤魔化した。
「そう……ですか」
 奏は少しホッとしたような感じが混ざった複雑そうな表情だった。
「先輩はどこにいたんです?」
 何を考えているのか分からないが爽やかな表情の律。
「俺はここから東に行ったあたり」
「そうでしたか」
 響の答えを聞くと、律はスマートフォンを取り出した。
 律のスマートフォンには、詩織から連絡が入っていた。

《小日向先輩にフラれた。先輩、奏ちゃんのことしか頭にないよ》

 律は困ったように苦笑し、スマートフォンをしまう。そして今度は箱に入ったキャラメルを取り出した。
「大月さん、そろそろ小腹空かない? 良かったらまたどう?」
 律は奏にキャラメルを一つ渡す。
「ありがとう、浜須賀くん。何か今日は浜須賀くんにもらってばかりだね」
 奏はキャラメルを口に入れ、少しだけ表情を綻ばせた。
「いや、気にしないで」
 律は爽やかな笑みを浮かべていた。
(律、かなちゃんに何をしたんだろう?)
 響の中に焦りと不安が広がる。
 そんな響を見透かすかのように、律は挑発的な目を向けていた。
(律、やっぱりかなちゃんのこと好きなんだな……)
 疑念が確信に変わった。
(……負けたくないな)
 響の胸に、炎が灯る。夜空に打ち上がる花火に負けないくらいの強さだ。
(でも、かなちゃんは俺のことをどう思ってるんだろうか? 律のことが好きだったりするのかな……?)
 少しだけ不安も生じていた。
 そんな響の心とは裏腹に、夜空はパッと光り、美しく力強いカラフルな花が咲く。
 花火大会はクライマックスになっていた。
 響にとっては少しだけほろ苦い夏の思い出となるのであった。
 夏祭り以降、奏は響や詩織に対してモヤモヤとした気持ちを抱えながら、吹奏楽部の夏合宿が始まった。
 海辺の合宿所を借りて、ホールでは全体練習、泊まる部屋では昼間にそれぞれのパート練習を(おこな)う。それだけでなく、宿題をする時間を設けたり、レクリエーションとして夜に花火をする時間も設けられているのだ。
 泊まる部屋割りは基本的にパートごと。しかし男子は響、風雅、徹、蓮斗、律の五人しかいないのでその五人は問答無用で同じ部屋に入れられる。
 奏は彩歌と他のフルートパートの一年生と同じ部屋だ。

「奏、次って三時半から全体合奏だよね?」
「うん、そうだよ彩歌」
 休憩中、奏は彩歌の問いにそう答えた。
「ありがとう。じゃあそろそろホール行かないと」
 若干気怠げな彩歌はピッコロと譜面台と楽譜を持って立ち上がる。
「行こう、奏」
「うん」
 奏はフルートなど、必要なものを持って個人やパート練習で使っていた部屋を後にした。
「あ、ごめん彩歌。筆記用具忘れたから、先にホール向かって」
 ホールへ向かう最中、奏は忘れ物に気付く。
「分かった。じゃあまた後で」
 彩歌の言葉を聞き、奏は筆記用具を取りに行った。
 そして、その後ホールに向かう際、同じくホールに向かう詩織とばったり会った。
「奏ちゃん、ギリギリだね」
 詩織は悪戯っぽい表情だ。
「うん。忘れ物しちゃって」
 奏は困ったように微笑んでいる。
 二人揃ってホールへ向かうものの、何となく気まずくなり奏はうつむいている。
(詩織ちゃんは夏祭りの時、響先輩にかなりアプローチしていたよね……。途中で用事があって帰ったみたいだけど、その後どうなったんだろう?)
 少し不安になる奏だ。
「私さ、小日向先輩にフラれたんだ。夏祭りの日に」
 奏の心を読んだかのように、隣から詩織の声が聞こえた。
 その声は悲しんだ様子ではなく、どこか吹っ切れた様子である。
「そうなんだ……」
 奏はぎこちない表情である。
 ほんの少しだけホッとしてしまった。
「やっぱり私じゃ最初から駄目だった」
 残念そうに呟くが、詩織の表情は明るかった。
「ごめんなさい……」
 奏は思わず謝っていた。
「私、詩織ちゃんが響先輩にフラれたって聞いて……少し安心しちゃったの」
 奏は申し訳なさそうな表情になる。
「それって、奏ちゃんも小日向先輩のことが好きってことだよね」
 気にした様子はなく、クスッと笑う詩織。
 奏は黙って頷いた。
「ごめんね、詩織ちゃん。私性格悪いよね」
 ため息をつく奏。
「本当に奏ちゃんには敵わないよ。私は嫉妬心に負けて奏ちゃんに嫌がらせしちゃったのに、奏ちゃんは私の失恋を聞いてホッとしたことに謝るんだもん」
 はあっとため息をつく詩織。
「ま、私の分まで頑張ってよ」
 ニッと明るく笑う詩織。
「うん、ありがとう」
 奏はホッとしたように、柔らかく微笑んだ。
 胸のモヤモヤはスッと消えていた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 その日の夜。
 夕食を終えた後は花火の時間である。
 顧問や副顧問達が部員の為に手持ち花火を買ってくれているのだ。
「おい馬鹿徹! こっち向けんな!」
「あ、(わり)いな蓮斗」
 徹が花火を持ってはしゃぎ、蓮斗から怒られていた。
「昼岡先輩、相変わらずだね」
「ほんと、馬鹿猿じゃん」
 奏と彩歌はカラフルな花火を持ちながら苦笑していた。
「彩歌ちゃん、ちょっと火もらえる?」
 風雅がまだ火をつけていない花火を持ち、彩歌の花火に近付ける。
「ちょっと、勝手にやるな!」
 ムッとした表情の彩歌。
「駄目かな? 蝋燭の火、今人がいっぱいなんだよ」
 苦笑した風雅は蝋燭に群がって花火に火を付ける部員達に目を向けている。
 蝋燭の火が風で消えないよう、小夜とセレナが壁になっているようだ。
「じゃあ火を付けたらさっさとどっか行って」
 彩歌はムスッとしたまま風雅にまだ勢い良く燃えている花火の火を向けた。
「おっと、危ない」
 風雅は火を向けられ少し後ずさりした。恐らく彩歌はわざと火を向けたのだろう。
 風雅は彩歌から火をお裾分けしてもらい、手持ち花火を点火した。
 赤い花火がザーッと激しい音を立てて周囲を照らす。
 その間に奏の花火が消えたので、水が入ったバケツに入れに行った。
「かなちゃん」
 消えた花火をちゃぽんと水に入れた瞬間、響から声をかけられた奏。
「響先輩……」
 胸のモヤモヤが消えた今、少し穏やかな表情の奏である。
「はいこれ、新しい花火」
 響はそっと奏にまだ火が付けられていない花火を渡す。
「ありがとうございます」
 奏は響から花火を受け取った。線香花火である。
「俺もさっき消えたところだからさ。火、付けに行く?」
 響は蝋燭の方を指差す。
「はい」
 奏は頷き、響と一緒に線香花火に火を付け、ゆっくりとしゃがんだ。
「線香花火ってさ、他の手持ち花火と違ってミニチュア花火大会感ない?」
「どういう意味ですか?」
 まだ蕾のような火の玉になっている線香花火から響に目を移し、首を傾げる奏。
「ほら、線香花火はこう……この前の夏祭りで見た打ち上げ花火みたいな感じじゃん。他の手持ち花火は勢い良く……何て言うか、火炎放射器みたいな感じだけど、線香花火ならこう……小さな夜空に咲く花火みたいなさ」
 響はパチッパチッと一つずつ火花が散り始めた牡丹のような線香花火と奏を交互に見ながら自分の言葉で説明した。
「……何となく、言おうとしていることは分かるような気がします」
 奏は牡丹のようにパチッパチッと火花を散らす線香花火を見ながら表情を綻ばせた。
 やがて線香花火は勢い良く松葉のように次々と火花が散り出す。
 まるで打ち上げ花火のクライマックスのようだ。
 線香花火から出る火花は丸みを帯び、柳のようになった。やがて火花は一本一本落ちていき、散り菊となる。
「小さい頃、よく家族ぐるみで手持ち花火やったよね」
 響は散り菊となった線香花火を見ながら懐かしそうに呟く。
 かつて奏が響と同じマンションに住んでいた頃、夏は大月家と小日向家勢揃いでマンションの駐車場で手持ち花火をやった記憶がある。
「そうだったね」
 当時を思い出し、奏は懐かしげな表情になった。敬語も抜けている。
「あの頃は、ただ無邪気に楽しくフルートを吹いていたかな」
 奏はふふっと微笑む。
「今は?」
 響はゆっくりと線香花火から奏に目を移す。
「今も楽しいよ。でも、また中学一年の頃みたいになったらって思うとほんの少しだけ怖くはある。私はいつまでフルートを続けられるのかなって」
 奏はもう少しで落ちてしまいそうな線香花火を見ながらそう言った。自分が思っている以上に穏やかな声である。
「俺は……かなちゃんのフルート、ずっと聴いていたいな。それに、昔約束した曲で、フルートとクラリネットの二重奏もしたい」
 隣から聞こえる、真っ直ぐな響の声。
 奏は嬉しくなり、響を見る。
 響は穏やかに微笑み、その目は真っ直ぐだった。
「ありがとう、響くん」
 奏は再び線香花火に目を戻し、口元を綻ばせた。
 奏と響の線香花火は同時にポトリと落ち、消えるのであった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 花火が終わり、片付けに移っていた。
 準備は金管楽器担当の部員達がやったので、片付けは木管楽器担当の部員達がやることになっている。
「じゃあ花火のゴミ捨てはジャンケンで負けた二人にお願いするよー」
 セレナの掛け声により、ジャンケンをした。
「おお、綺麗に決まったね」
 結果を見た小夜は面白そうに目を見開いている。
「じゃあゴミ捨ては奏と浜須賀よろしく」
 セレナが明るく笑いそう言った。
 ジャンケンに負けたのは奏と律だった。
「奏、早く戻って来てね」
「うん、分かったよ、彩歌」
 奏は彩歌にそう微笑みかけた。
 そして奏は律と一緒にバケツを持ち、ゴミ捨て場へ向かった。

「大月さん、そっちのバケツも持とうか? 多分重いでしょ」
 二人で歩く中、律は奏のバケツも持とうとする。
「でも、それじゃ何か悪いよ。私何も持たないことになるから」
 奏は申し訳なさそうな表情だ。
「だったら、スマホのライトで道照らして」
 爽やかで優しげな笑みの律。
「……分かった。ありがとう」
 奏はバケツを律に渡し、自身のスマートフォンのライトを付けた。
「道が暗いからさ、助かるよ」
 律は軽々と二つのバケツを持ち、奏のペースに合わせて歩いてくれた。

 ゴミの処理が終わり、バケツが空になったので帰りは奏もバケツを持っている。
「大月さんって小日向先輩と幼馴染なんだっけ?」
 律は興味ありげな様子だ。
「うん。昔、同じマンションに住んでた。通っていた音楽教室も同じで、よくレッスン終わりにフルートとピアノの二重奏をしてた。当時は響くん、ピアノ習っていたからね」
 奏は夜空を見上げ、懐かしげに目を細めた。
 夜空には星々が散りばめられている。
「大月さんってたまに小日向先輩のことを響くんって呼ぶよね」
 やや複雑そうに笑う律。
「あ、学校とか部活関連の時だから不適切だね」
 奏はハッとして苦笑した。
「何か、大月さんと小日向先輩の距離の近さを見せつけられてる感じで……嫉妬しちゃうよ」
 律の表情はいつもの爽やかさとは違い、少し余裕がなさそうである。
「……何で?」
 いつもとは違う律に戸惑う奏。
 律は足を止めた。それに伴い、奏も足を止める。
「だって俺、大月さんのことが好きだから」
 真っ直ぐ射抜くような律の視線が奏を捕える。
「え……」
 奏はまさか律から好意を寄せられているとは思っておらず、ただ戸惑うばかり。
(浜須賀くんが、私のことを……)
 律は夜空を見上げ、ゆっくりと話し始める。
「入学したばかりの頃はいつも天沢さんと一緒にいて、クールだったから近寄り難い感じの子なのかなって思ってた。でも、ハンカチを返してくれた時の笑顔を見て、何か良いなって思った」
 再び奏に目を戻す律。
 奏は一旦律から目をそらし、しばらくして再び律を見る。
「ごめんなさい。私、響先輩が、響くんのことが好きなの」
 奏は真っ直ぐ律を見て謝った。
「そっか。それは残念」
 律は軽くため息をついた。
「大月さん、みんな待ってるだろうし、そろそろ行こうか」
 いつもの爽やかな笑みに戻る律。
「……うん」
 奏は律から視線を外し、前を見て歩く。
(私は響くんが好き。でも、この気持ちを伝えるのは今じゃない。その前に、私には決めたことがあるから)
 奏はあることを決意していた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





「奏、遅かったね」
 奏の姿を確認した彩歌。すぐに奏に駆け寄る。
「うん、ゴミ捨てに手間取っちゃって」
 律から告白されたことは言わない奏である。
 一方、響は奏と律の様子から、何かあったことを察して気が気でなかった。
「律……かなちゃんと何かあった?」
「俺、大月さんに告白したんですよ」
 フッと笑う律。
 響は驚愕し、思わず息を呑む。
「でも、フラれました」
 律はそれだけ言って、その場を立ち去った。
 響はただ呆気に取られるだけである。
「響くん」
 彩歌との話を切り上げた奏は響の元へと来ていた。
「かなちゃん……」
 少し驚く響。
「私、決めたことがあるの」
 奏は真っ直ぐな目を響に向ける。その目は覚悟が決まったかのような目である。
「私、十二月のフルートコンクールに出ることにしたの。三年前、中学一年の時に本戦で棄権したコンクールに、三年前と同じ曲で」
 奏は穏やかだが力強い笑みだった。
「そっか」
 響は嬉しそうに見守るかのような表情だ。
「迷っていたけれど、本格的にフルート奏者を目指すことに決めたの」
「かなちゃん、応援してるよ」
 響は真っ直ぐ奏を見つめている。
「ありがとう、響くん」
 奏も真っ直ぐ響を見ていた。
(響くんに気持ちを伝えるのは、フルートコンクールが終わった後)
 奏の胸に灯った炎は、熱く強く燃えていた。
 夏休みが終わり、二学期が始まった。
 奏はかつて棄権したフルートコンクールに出ると決めてからは猛練習に励んでいた。
 吹奏楽部の個人練習にて、個人的に出場するコンクールの曲を練習していた奏。
「奏、もう大丈夫なんだね」
 彩歌は少し心配そうである。
 奏は彩歌にも三年前に棄権したコンクールに出場することを伝えていた。
「うん、私はもう大丈夫。ありがとう、彩歌。フルート奏者の道に進むつもりだから」
 奏の目の奥からは芯の強さが見えた。
「そっか。応援してる」
 彩歌は嬉しそうな表情だった。
 しかし、すぐにムッとした表情になる。
「彩歌?」
 怪訝そうに首を傾げる奏。
「でもさ、コンクールのこと、何であたしよりも先にあいつに話してるの?」
 あいつとは、もちろん響のこと。
「それは……」
 奏は穏やかに微笑みながら口を噤む。
 脳裏に浮かぶのは、響との幼い日の思い出や、高校で再会して以降の笑顔。
「あいつよりもあたしの方が奏のこと大事に思ってるのに」
 彩歌は拗ねたように頬を膨らませた。
「ありがとう、彩歌。私も、彩歌のことが大切だよ。一番(つら)かった時に、そばにいてくれてどれだけ救われたか」
 奏はかつての挫折を思い出していた。
「それはあたしだって、奏がいてくれたお陰で救われたわけだし」
 彩歌はやや照れたような表情だった。
 その後、二人はお互い顔を見合わせながら笑っていた。

 この日の部活が終わり、奏は帰る準備をしていた。
「かなちゃん、今日もコンクールの曲の練習してたんだね。もうすぐ予選だっけ?」
 いつの間にか響が隣に来ていた。
 奏は準備の手を止めて響を見る。
 フルートコンクールの予選は九月下旬にあるのだ。
「はい。今は特に行事もないですし、個人的なコンクール優先にしてもらえてありがたい限りですよ」
「顧問の先生もかなちゃんに期待してるみたいだよ。明日は部活休んでレッスンだっけ?」
「はい」
 奏は現在学校の部活よりもフルートコンクール優先になっている。コンクールが終わり次第再び部活に力を入れるつもりである。
「本当は予選も見に行きたいけど、ちょうど体育祭と被ってるからね」
 響は苦笑した。
 音宮高校の体育祭と奏のコンクール予選の日程が丸被りなのだ。
 当然奏は学校に事情を説明して体育祭は休むことになっている。
「……体育祭休んでかなちゃんの応援に行きたいな」
「響先輩、そうしたらクラスが困りませんか?」
 奏は苦笑した。
「まあ……そうだよね。でも、本選は絶対見にいくから」
 響は真っ直ぐ奏を見つめていた。
「はい。まずは絶対に予選突破して見せます」
 奏は穏やかだが、自信に満ち溢れた表情だった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 目まぐるしい日々が過ぎ、予選の結果発表があった。
 奏は無事に予選通過し、本選出場が確定したのである。
 そして更に時が経過し、十二月になった。
(いよいよ明日が本選……。大丈夫、きっと大丈夫)
 レッスンを終え、先生からも太鼓判を押された奏。
 大月家の楽器部屋で深呼吸をし、もう一度コンクールの曲を演奏した。
 いつも通り、狂いなく曲を終えたことで、ホッと方を撫で下ろす奏。
 その時、スマートフォンに連絡が入る。
 響からだ。

《かなちゃん、いよいよ明日本選だね。でも、かなちゃんならきっと大丈夫だよ。応援しに行くからね》

 そのメッセージを見て表情を綻ばせる奏。
 響の言葉に勇気付けられたのだ。

《ありがとう、響くん》

 奏は完結に返信し、丁寧にフルートを片付けるのであった。

 そして迎えた本選当日。
 いつも通りのコンディションではあるが、やはり自身の番が近付くと緊張してしまう。
(直前の練習もいつも通り出来た。衣装も変なところはなかった)
 奏はコンクール用の淡い紫のロングドレスを着用していた。
(それに……響くんも来てくれているから)
 奏は深呼吸をした。
 そして奏の番になり、ゆっくりとステージに立ち、演奏を始めるのであった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





(わあ……かなちゃん、凄い……)
 響は客席で奏の姿を見つめていた。
 淡い紫のロングドレスは奏をより大人っぽく演出している。
 演奏を聴きに来たのだが、奏のドレス姿にも見惚れてしまう響なのだ。
 そして奏の演奏が始まる。

 優雅な音が会場全体を包み込む。奏のフルートの音には、煌びやかさが加わっていた。
 響の脳内には夜空が広がる。

 広大な草原に広がる夜空。そして数々の星々。カラフルな星々は、ダイヤモンド、サファイア、ルビー、エメラルド、アメジスト、シトリンなど、まるで宝石のよう。夜空に宝石が流れ出した。その宝石のような星々は、地面に落ちてはキラキラと弾けて周囲を華やかにする。

 ずっと聞いていたくなるような、軽やかさと深みがあり華やかな音。
(今までの中で一番良い音だ……! 凄い、凄過ぎるよ!)
 奏が会場内に響かせる音は、響の胸にすっと染み渡る。まるで、人生で一番幸せな時間のような気さえした。

 奏の演奏が終わると、会場は盛大な拍手に包まれる。響もこの感動を伝えるかのような拍手を奏に送っていた。





♪♪♪♪♪♪♪♪




 本選の表彰式は当日中に(おこな)われる。
(ベストを尽くした。後は結果を待つだけ。私個人としては、かなり満足)
 本番を終えた奏は落ち着いた様子で審査員達からの所感を聞いていた。
 そしていよいよ結果発表である。
 五位から順に発表されている。
 奏の名前は呼ばれないままいよいよ一位の発表となった。
(まあ、私より実力のある人は大勢いるからね)
 奏は若干諦めたように軽くため息をつく。
 その時、一位が発表された。
「第一位……大月奏」
 見事に奏の名前が呼ばれた。
 奏は目を大きく見開き、ゆっくりと立ち上がる。ステージでトロフィーを受け取った瞬間、会場が大きく湧いた。
(私……あの時を超えたんだ)
 思わず奏の目からは涙がこぼれた。
 かつて棄権したコンクールで、奏は見事一位になったのだ。





♪♪♪♪♪♪♪♪





「かなちゃん!」
 会場の外で待っていた響は奏の姿を見た瞬間駆け寄った。
 もう十二月なので日は短く、今にも夜を迎えそうである。
「響くん」
 奏は安心したように、嬉しそうに目を細めた。今は幼馴染モードなので敬語は使わないようだ。
「かなちゃん、一位おめでとう! かなちゃんの演奏、今までで一番良かった!」
 まるで自分のことのように、奏以上に喜ぶ響。
「ありがとう。何だかようやく三年前を乗り越えられた気分」
 奏は達成感に満ちあふれた表情だ。
 その表情が、響を更に嬉しくさせる。
「本当に、おめでとう。嬉し過ぎてどうにかしそうだよ」
 響は興奮から醒めない様子だ。冬の冷たい空気とは裏腹に、響の心身は熱くなっている。
 その様子を見て奏は苦笑した。
「響くん、じゃあ少しだけ歩かない?」
 奏からそう言われ、会場付近の公園まで歩くことにした。

 公園のベンチに座る二人。
 空は暗くなり、ポツリポツリと星が輝き始める。
 冬の澄んだ空は、星をより美しく見せている。
 響は空を見上げながら、はあっと白い息を吐いた。
「昔からかなちゃんのフルートの音は綺麗だったよ。そして今は何というか……カラフルになった」
「カラフル?」
 奏は響の横顔を見てクスッと笑う。
「うん。深みが増した言うか……そんな感じ」
 響は嬉しそうに表情を綻ばせながら奏を見る。
「そっか、ありがとう。……もしかしたら、響くんのお陰かも」
 奏はふふっと笑った。
「それだったら……嬉しいな」
 響は頬を染めていた。
 そして真剣な表情になる響。
「俺さ、かなちゃんのことが……好きなんだ。女の子として。ずっと前から、小さい頃から」
 響は幼い頃から抱いていた奏への恋心を伝えた。
 その目はどこまでも真っ直ぐだった。
「響くん……」
 奏は驚きながらも表情を綻ばせる。
「私も、響くんが好き。実はね、コンクールが終わったら、響くんにこの気持ちを伝えようと思っていたの」
 その答えを聞いた響は、胸の中が熱くなった。
「かなちゃん……俺、めちゃくちゃ嬉しい……! じゃあ、その……付き合ってくれる?」
「うん」
 奏はコクリと頷いた。
「あ、でも、響くんもうすぐ受験生だけど大丈夫なの?」
 若干心配そうに首を傾げる奏。
「まあその辺は何とかするよ。勉強漬けじゃなくて息抜きも必要だし」
 響は来年から高校三年生であることを思い出して苦笑した。
「図書館で一緒に勉強なら、喜んで付き合うよ」
 奏はふふっと楽しそうに笑う。
「図書館デートだね」
 響は照れながら笑っていた。

 冬の夜空に、響と奏の嬉しそうな声は柔らかく溶け込んでいた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 響と奏が付き合い始めて少し経過したある日。
 響は奏の家の楽器部屋にいた。
「響くん、お待たせ」
 楽器部屋に奏が入って来た。
「いよいよだね」
 響はワクワクした様子でクラリネットを持つ。
 奏もゆっくりとフルートを構えた。
 この日、響が幼い頃に音楽教室で聞いた曲でクラリネットとフルートの二重奏をするのだ。
 ずっと響が夢見ていたことである。
「じゃあ行くよ」
 奏の合図により、二人は演奏を始めた。
 柔らかで明るい響のクラリネットの音と、優雅で繊細な奏のフルートの音が重なり合う。

 響の脳内には色とりどりの花が咲き誇る草原が広がる。そこを駆け回る黒うさぎと白うさぎ。時に楽しく、時に競い合い、時に互いを引き立てるかのようである。

 二人の音は鮮やかに絡まり合っていた。

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