文化祭二日目になった。
 この日は一般祭で、生徒の家族や他校の生徒や近隣住民などもやって来る。

 響は舞台袖で少しだけ緊張しながら待機している。
 吹奏楽部のステージ発表が次なのだ。
 昨日の校内祭はそこまで緊張しなかった。しかし一般祭では曲や演出が一部変更になる。少し難しめの曲も追加することになったので、響はひたすらクラリネットの指使いを確認していた。
 その時、奏と目が合う。
 奏は響に対し、朗らかに口角を上げた。
 その笑みを見た響は、心臓がトクリと跳ねる反面、落ち着きを取り戻した。
(大丈夫、練習では上手く出来たんだし)
 響は深呼吸をした。
 その時、前のステージプログラムが終わる。
 響達吹奏楽部は舞台袖から出て、それぞれの席に着くのであった。

 壮大な宇宙、煌めく銀河が響の脳内に広がる。
 トランペット、トロンボーン、サックスの勢いがありつつも荘厳な音。クラリネット、フルート、オーボエの柔らかで華麗な音。ピッコロの独特で可愛らしい高音。ホルン、ユーフォニアムの支えるような柔らかな助奏。チューバ、ファゴット、パーカッションなどの、音楽を支える低音やリズム感。
 難しい曲だが皆練習の成果を発揮出来た。
 観客の拍手が鳴り響く。
(上手くいった……)
 響は肩の荷が降り、ホッとしたような表情だ。

「響先輩、今日は燕尾服なのですね」
 奏は響の姿を見てクスッと笑う。
「まあね。一般祭はメイド服を断固拒否した。昨日の写真でも父さんと母さんに散々いじられたからさ」
 先日のメイド服とは打って変わり、クラスの女子達から今日は燕尾服を着ることが許された響である。
「メイド服も……可愛かったですよ」
 奏は思い出したようにふふっと表情を綻ばせている。
「かなちゃんが着たら可愛だろうけどさ」
 響は思わずポロッとこぼしていた。
「そう……ですか?」
 奏は少し頬を赤く染め、戸惑ったような表情になる。
「……うん」
 響も頬を赤く染めながら頷いた。
「奏!」
 そこへ彩歌がやって来る。
 響と奏はハッと我に返った。
「セレナ先輩の男装コンテスト、始まっちゃうよ。行こ」
「そうだね。響先輩、私の両親が響先輩のご両親に会いたいそうなので、また後で」
「分かった。また連絡お願い」
 響は奏の言葉に頷き、若干残念ではあるが奏の時間を彩歌に譲るのであった。
(天沢さんも、かなちゃんのこと大切に思ってるもんね)
 響は奏と彩歌の後ろ姿を見て穏やかな表情を浮かべていた。
「響、随分とあっさり引き下がるんだな」
 風雅がやって来る。一連の様子を見ていたようだ。
「まあ……かなちゃんは天沢さんとの時間も大切だと思うから」
「そっか。でも、うかうかしてられないと思うけど」
 ニヤリと笑う風雅。
「うかうかしているつもりはないけど……まだ告白とかしたら迷惑かもしれないし」
 苦笑する響。
「奏ちゃんってさ、彩歌ちゃんと一緒にいることで結構注目浴びるんじゃない?」
「風雅、どういうことだ?」
 響はきょとんと首を傾げた。
「いやさ、彩歌ちゃんは誰もが認める美人って感じで目立つじゃん。本人が嫌がっても関係なく視線集めるタイプ」
「……まあ、確かに」
「それで、彩歌ちゃんの隣にいる奏ちゃんにも目がいくわけ。奏ちゃんってさ、彩歌ちゃんみたいな華があるタイプじゃないけど、それでも美人なのは響も知ってるよな」
「……ああ」
 響は少し頬を染めながら頷く。
「だからさ、彩歌ちゃんに注目した奴らはみんな奏ちゃんも見て、こっちの子も美人じゃんってなるんだよ。奏ちゃん狙ってる奴らも多いんじゃないかって俺は思う。幼馴染って立場に胡座(あぐら)かいてたら横からかっさらわれるかもよ」
 風雅は悪戯っぽく笑った。
「マジか……」
 響は青ざめるが、奏との関係を壊したくないので行動出来ずにいた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 響と奏が両親達と合流する時間になったので、彩歌は一人で校内を歩いていた。
 そんな彩歌を見つけた風雅は声をかける。
「彩歌ちゃん、今一人なんだ」
「話しかけんな、鬱陶しい」
 彩歌はキッと風雅を睨む。
「俺も一人なんだけどさ、良かったら一緒に模擬店回らない?」
 風雅は彩歌に怯まず誘う。
「はあ!? あんたと一緒とか死んでも嫌!」
 彩歌は目を吊り上げて一蹴するのであった。
「そっか、残念」
 風雅はフッと笑う。
(まあ……しつこ過ぎる男は嫌われるか)
 風雅は一旦彩歌から離れUターンした。
 しかし、背後から聞こえた話し声にハッとする。
「だからあたしに話しかけんな!」
 彩歌の声だ。
「良いじゃん文化祭一緒に回ろう」
「それと連絡先も教えてよ。俺、拍秀(はくしゅう)高校二年の谷口って言うんだけど」
「あ、抜け駆けすんな。俺も連絡先教えて」
「はあ!? あんた達に教えるわけないじゃん!」
 彩歌は他校の男子達から声をかけられていたようだ。
「じゃあ一緒に回って仲良くなったら連絡教えてくれる?」
「ちょっと離せ!」
 何と他校の男子達の中の一人から腕をつかまれた彩歌。
 風雅はいても立ってもいられなくなり、急いで彩歌の元へ行く。
 そして彩歌の腕をつかんでいる男子の腕を力強くつかむ。
「この子に何か用?」
 風雅は恵まれた容姿や身長を活かし、他校の男子達に()が悪いことを思い知らせるような表情になる。
「いや……別に」
「何だ、彼氏持ちか」
「やっぱ美人にはイケメンの彼氏がいるのか」
 他校の男子達は風雅を見て勝ち目がないと判断し、その場を立ち去った。
「彩歌ちゃん、大丈夫?」
 風雅は心配そうに彩歌の顔をのぞき込む。
「近い! 離れろ!」
 すると彩歌から軽く突き飛ばされた。その様子がいつもより刺々しく、異様に感じた風雅。
「彩歌ちゃん……?」
 改めて彩歌の表情を見ると、悔しそうに目に涙を溜めていた。
「あたしは……好きでこの見た目になったわけじゃない。クソ男を喜ばせる為にこの見た目で生まれたわけじゃない!」
 鋭く引き裂くような、刺々しい口調。彩歌から伝わる激しい怒り。
 風雅はそれらから目が離せなかった。
「男はあたしのことを美人だとか囃し立てるけど、それで女子の中であたしの立場が悪くなってもお構いなし。男なんて、自分が楽しければあたしのことなんてどうでもいいって思ってる。だから嫌いなの。男なんて、この世から滅びろ!」
 激しい嵐や雷のような、それでいてストレートな彩歌の怒り。
 その怒りは、風雅をハッとさせた。まるで氷水を真正面からぶっかけられたような感覚だ。
(俺は……自分のことばっかりだったな。彩歌ちゃんが今までどんな目に遭っていたのか、考えたことがなかった……)
 風雅はいつもの軽薄そうな雰囲気からガラリと変わる。
「ごめん、彩歌ちゃん。俺、君のこと全然知らなかった。きっと知らずに傷付けてた。……謝ってどうなるとかじゃないけど、ごめん」
 風雅は真剣な表情で真っ直ぐ彩歌を見ていた。
「……別にあんたに謝られても」
 彩歌はいつもとは違う風雅に若干戸惑いを見せる。
 その時、彩歌の後ろから走って来る複数の女子生徒がいた。
「ちょっと早く! 次のステージ始まっちゃうよ!」
「ああ、待って待って!」
 女子生徒達は急ぐあまり彩歌に気付かず勢いよくぶつかってしまう。
「うわっ」
 女子生徒達にぶつかられた彩歌はバランスを崩し、倒れかける。
「彩歌ちゃん!」
 風雅は咄嗟に体が動き、彩歌を支える。
 しかし自身もバランスを崩し、床に倒れてしまう。
 彩歌の下敷きになる風雅であった。
「彩歌ちゃん、大丈夫? 怪我はない?」
 風雅は自身の上にいる彩歌に優しげな表情を向ける。
 彩歌は驚きながら「別に」と素っ気なく答え、立ち上がり風雅から少し離れる。
「良かった。それにしても、俺ダサいな。彩歌ちゃん助けようとしたけどこのザマだ」
 自嘲気味に立ちあがろうとする風雅。しかし、左足首にズキリと痛みが走る。風雅は痛みに顔を歪め、左足首に手を当てる。
「嘘……捻挫?」
 彩歌は若干心配そうな、怒ったような複雑な表情である。
「多分そうかも。本当、俺ダサいな」
 フッと自嘲し、ゆっくりと立ち上がる風雅。
「保健室」
「え?」
 風雅は目を丸くしてきょとんとする。
「保健室行くんでしょ?」
 彩歌は呆れたようにため息をついた。
「連れて行ってくれるんだ」
 風雅は意外だと言うかのように表情を綻ばせた。
「あんたのことはうざいし消えて欲しいって思うけど……ここで放っておくのは違うから。……あたしのせいでもあるし」
 彩歌はフイッと風雅から目をそらす。
「ありがとう、彩歌ちゃん」
 風雅は柔らかく笑う。いつもの軽薄そうな笑みとは違った。
「言っとくけど、肩は貸さないから。あんたみたいな巨体、あたし運べないし」
「分かってるよ。自分で歩く」
 クスッと笑う風雅。
 身長百八十七センチの風雅を身長百六十二センチの彩歌が運ぶのは無理がある。
「じゃあ彩歌ちゃん、保健室まで付き添いお願い」
 それに対して彩歌は何も答えず、若干ムスッとしながら風雅のペースに合わせて歩き出した。
「そう言えば、奏ちゃんとは一緒じゃないんだ」
「奏は今両親と一緒。あいつとも一緒だけど……」
 面白くなさそうな表情の彩歌。
「あいつ……響のこと?」
 風雅がそう聞くとムスッとしながら頷く彩歌。
「響って奏ちゃんのこと好きなのバレバレだよね。奏ちゃんは気付いてるのか知らないけどさ。でも、響、良い奴だよ。素直で真っ直ぐだし、他人のこともあんまり悪く言わないからさ」
「知ってる。……だからムカつくの。もっと嫌な奴だったら、奏から遠慮なく引き離せるのに」
 心底不機嫌そうな彩歌である。
「そっか。俺としては、友達が認められた感じで嬉しいかも」
 風雅はまるで自分のことのように喜んでいた。
 彩歌はそんな風雅に対してほんの少しだけ表情を和らげた。
 そうしているうちに、保健室に到着した。
 風雅は保健室の先生に湿布とテーピングをしてもらっていた。
「彩歌ちゃん、俺もう大丈夫だから。ありがとう」
 すると彩歌は黙り込む。
「彩歌ちゃん?」
「……ごめん。それと……ありがと」
 彩歌はそれだけ言い、保健室から出て行った。
「俺は大したことしてないよ。でも、どういたしまして」
 風雅は彩歌の後ろ姿に向かってポツリと呟いた。
 その表情は、真っ直ぐで穏やかだった。