空で弾けた色取り取りの光は次々と暗闇に溶け込み、最後の一発が消えた時、花火大会の終わりを告げた。
僅かに見える打ち上げ花火を部屋の窓から眺めて、眠りにつく。そして彩華と花火をする日になった。
約束の時間まで大分余裕があったので、ひとりで祭り会場に赴いた。
十八時台というのに、外はまだ昼のように明るい。
会場近くになってくると、駅の広場に設置された提灯おおやぐらが視界に入る。提灯おおやぐらとは、千百八十九個の提灯をピラミッド型に組み立てたものだ。
まだ点灯していないものの、この時期にしか見られない壮大な提灯おおやぐらが夏の思い出として目に焼き付く。
歩道橋を上って、奥に広がる屋台を一望し、りんご飴の屋台があったので人混みができる前に買いに行く。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は自分と彩華の分で、カットされていないりんご飴を二つ買う。ビニール袋までつけてくれた。
その場を立ち去ろうとしたところで、賑やかな声の中に紛れて、微かに聞き覚えのある男の声が俺の名前を呼んだ。
「もしかして、颯太?」
振り返ると、自分とほぼ同じ背丈の紺色の浴衣を着た男性がいた。隣には同じく浴衣姿で、手を繋いでいる女性。
「え? 颯太くんじゃん!」
横の女性も声を上げた。
俺は思わず手を見開く。
あの頃より少し大人びているが、目の前の男は高瀬だ。隣の女性は、彼と別れたはずの来栖さん。
なんで高瀬は来栖さんと一緒にいるんだ? それに、なぜあんな酷いことを言われた相手に声を掛けた?
なにかもが不透明だ。
目の前にはかつて親友と呼べていた相手、それでいて俺のトラウマに関係する相手。
気づいた瞬間、心臓がどっくどっくと重たく鳴る。
会って謝りたいと常々思っていたのに、いざ高瀬と顔を合わせるとそわそわする。
「あっ……高瀬久しぶり。来栖さんも」
俺は咄嗟に作り笑いを貼り付け、口を開いた。
「久しぶりだし、あそこ座って話そうぜ」
彼にそんなつもりはないのだろうけど、不思議と圧を感じる。
三人で近くのバス停の椅子に腰を下ろした。高瀬の右に俺、左に来栖が座る。祭りの期間は屋台を設置するため、ここら一辺が交通規制されている。
「あの、今のふたりはどういった関係?」
別れたはずのふたりが仲良く祭りに来てるのが不思議でならなかったから訊いてみる。
「ああ、そういや颯太には言ってなかったっけ。高校でまた付き合ったんだ、俺とこいつ」
「こいつって言うな、馬鹿!」
ふたりは嬉しそうに笑い合う。
俺は高瀬が幸せそうでほっとした。
「そうなんだ、おめでとう。ふたりともお幸せに」
俺がふたりの復縁に祝福の言葉を贈るや否や、高瀬はきょとんとした顔でこちらを見つめる。来栖さんも前屈みになってこちらを見る。
「なんか変わったな、お前」
「んね、私も思ってた。なんか大人っぽくなったっていうか、幼稚さが消えたみたいな?」
彼らの発言で肩がびくりと震える。
「そうかな? あんま実感ないけど」
俺は当たり障りのない言葉だけを並べる。また傷つけてしまうのを恐れて、それしかできなかった。
高瀬は相変わらず俺や来栖さんのことをお前と呼ぶ。来栖さんは昔のように彼の隣でにっこりしている。
変わらないふたりとは違い、俺だけが変わってしまったのだ。
「結構変わってるぞ。なんか、俺の知ってる颯太じゃないみたい」
彼の言葉で『高瀬とすらも今まで通りの会話ができないのか』と絶望して、肩を落とす。
それと同時に『自分にはもう彩華しかいない』と思った。
これ以上この場にはいられないし、いたくない。
俺はスマホを開き、時間を確認した。約束の時間まで、まだ一時間以上ある。
「ふたりともごめん、そろそろ時間だから行くわ」
俺はここから離れるために嘘をついた。それが自分にとっても彼らにとっても最適な行動だと思ったから。
「ああ、まじ? 颯太もやっと彼女できたか?」
茶化してるのか、本音なのか、彼はそう訊いてくる。
「いや、いないよ。とにかくお幸せにね!」
場を離れたい衝動に駆られて、会話を不自然に止め、立ち上がる。
「おう!」
「ありがとう。じゃあ、ばいばいー!」
入り込む隙もないくらい幸せそうなふたりに背を向けて、俺は祭り会場から去った。
*
空は黄昏色になりかけている。外は相変わらずモワッとした暑さがあった。
約束の時間を五分過ぎたが、彩華は待ち合わせ場所の公園に来ない。
たった数分遅れることは誰にでもあることなのに、俺はひどく心もとなくなった。彼女がなにか事件に巻き込まれたのか、と悪い予感が脳裏をよぎったのだ。
いつしかベンチで俯いて、手が落ち着きを失った。
すぐ近くにいるような蝉の鳴き声。祭りからの帰宅中なのか、賑やかな声が複数。全ての音が、耳から頭に移動する途中でぼんやりとした雑音に変わる。
「お待たせー! ごめんね、遅れて」
脳まで届くこの声は彩華だ。
俺は胸を撫で下ろして、彼女の声がするほうに顔を向ける。
彩華はオフホワイトの生地に紺桔梗色の椿の柄がついた浴衣を着ている。祭りは人混みが苦手だから行けないと言っていたはずなのに、なんで浴衣なのだろうか。
「え! 浴衣?」
私服で来ると思っていたから、俺は驚いて思わず立ち上がった。
「そう、着てみたの。どうかな?」
彼女は腕にコンビニの袋を掛け、瓶のラムネを両手に持って、俺の元に歩み寄る。浴衣姿の彩華はいつにも増して可憐で、少し大人びて見えた。
「普通に似合ってるよ」
率直な感想を伝えると、彩華は「ありがとっ!」とベンチに腰を下ろした。
「これ一緒に飲もう」
差し出されたラムネを取り、俺も隣に座る。すると傍から梨の甘い香りがして、鼻をくすぐる。きっと香水だろう。
「彩華、夏祭り行けたの? ラムネ売ってるところ、確か人混んでたよね」
浴衣を着ていたことや瓶のラムネを持っていたことから、祭りに行ったのだと推測した。
「私、行ってないけど……あっ、ラムネのこと? ラムネはスーパーで買ったやつだよ」
考えてみれば、瓶のラムネは祭りじゃなくても売っている。ということは、もしかすると、浴衣は俺との花火のためだけに着てきたのか、と淡い期待を抱いた。
俺は貰ったラムネを開けて、クビっと飲む。清涼感のある懐かしい味だ。
ふと隣に視線を動かすと、彩華は容器の口に唇をつけながら、じーっと俺の左腕あたりを見ている。
「さっきからなに見てるの?」
訊ねると、彩華は容器と密着してた唇をそっと離す。
「なんか赤いの見えるけど、なんだろうなって」
徐にそう言われて、りんご飴の存在を思い出す。
「あっ、そういや買ってわ。はい、あげる」と袋の中から出したりんご飴を渡した。
「え、ありがとう。でも、颯太くんのは?」
俺の分のりんご飴を譲ったと思ったのか、彩華はそう訊ねた。
「俺のもあるよ、ほら」ともう一つのりんご飴を見せた。
「じゃあ、元から二つ買ったの?」
「うん、そう。彩華に少しでも祭り気分味わってもらいたかったから」
彼女はラムネ瓶をベンチに置き、空いた手で口元を隠して控えめな笑みを浮かべた。
「私のために買ってきてくれたんだ……ありがとう。じゃ、頂きます」
いつもと違ってボソボソと喋る彩華が、一瞬とても可愛く見えた。
俺は気恥ずかしくなって、太もも両肘をつき、猫背になった。
パリッと音がして少し間が開き、彩華が「ん!」と喜ぶような高いトーンを出した。
「この飴、甘くて美味しいよ! 颯太くんも食べてみて」
促された通りに、俺も赤い飴部分ををかじる。
「だね。久しぶりに食べたかも」
最後に食べたのは、確か高瀬と祭りに行ったときだったか。少し懐かしいな。
元カノとの思い出に浸るかのように、高瀬との記憶を思い出してしまった。それほど、俺にとって彼が大事な存在だったらしい。
もう戻らない過去のことは今すぐにでも忘れたい。でも本音は、もう一度笑い合える関係になりたいと思っている。
「ねえねえ、写真撮りたいからさ、ちょっとの間りんご飴こっちに寄せて」
脳内で記憶を眺めていると、彩華から指示が出された。
俺は右手の瓶ラムネと左手のりんご飴を持ち替え、割り箸を回して口をつけてないところを表にした。それを彼女のほうに近づける。
「これでいい? 撮ったら教えて」
隣からカシャッとシャッター音がした。
「……なんか颯太くん、素っ気なくない?」
唐突に彩華からそう言われ、曲がった背中をスッと元に戻す。
「そう?」と訊くと、彩華は首をコクっと縦に振った。
俺は知らず知らずのうちに素っ気ない態度を取っていたらしい。多分、色々考えてたからだと思う。
「ごめん。そんなつもりなかったんだけど……」
不快な気持ちにさせてしまったと反省して、頭を深く下げて謝った。
「別に怒ってないよ。でも楽しい思い出にしたいから、いつもみたいに話そう」
彩華の瞳が淋しげに見えるのは気のせいだろうか。
そこから俺はできるだけ考え事をせず、いつものように過ごした。
数十分前まで明るかったのが信じられないくらい、辺りはもう暗かった。それに伴って、耳に入ってくる祭り帰りの人たちの声も増えた。
俺は、ベンチの近くの外灯の明かりがあるところに水入りバケツを用意する。
「ねえねえ、線香花火は最後として、まずどれからする?」
様々な種類の手持ち花火が入った袋の前で、彩華はしゃがんで目を輝かせていた。
この人と付き合ったら楽しいだろうな、とふと思った。
あれ、俺、なに考えてるんだろう。
「彩華が決めていいよ」
花火の順番選択を彩華に委ねた。どれを先にやっても同じと俺は考えているので、楽しそうな彼女のほうが適任だと思った。
「えー、じゃあ最初はこれで、次は七色のやつ、そして最後に線香花火!」
スパーク花火、七変色のススキ花火、線香花火の順に決定した。
俺は彩華の隣にしゃがみ込む。
スパーク花火は、パチパチと音を立てて、雪の結晶のように火花を飛び散らせた。
「綺麗だったね。じゃ、次しよっか!」
そう言って、俺に七変色のススキ花火を渡してきた。
「ありがとう」
花火を眺めていると、なぜか無言になっていて、数十秒しか経ってないはずなのに久しぶりに会話したような気分だ。
ススキ花火は着火するや否や、輝かしい緑の火花を前方に飛ばす。数秒経つと緑から青に色を変えた。
ふと隣を向くと、青の光に照らされた彩華の横顔が視界に映る。長いまつ毛、青に光る瞳、揺れて揺れなくても綺麗な茶髪。
彼女の全てが今まで見てきたなによりも美しくて、俺は見惚れて無意識のうちにカメラを彼女に向けていた。
カシャッと音が鳴り、彩華が振り向く。俺はぼんやりと見ていた対象が急に動いたことでハッとした。
綺麗な景色があったら、カメラで撮って共有したり記録に残したい。きっと、写真を撮った動機はそんな感じだと思う。でも、この景色は共有したくない。
「あっ……ごめん」
俺は勝手に撮影したことを詫びて、今撮った写真をフォルダから消そうとした。
すると彩華は、こちらに顔を向けたまま微笑み、花火を持たない左手でピースをする。
「花火消える前に、可愛く撮ってね」
表情、浴衣姿、ポーズ、声色、全てが愛らしい彩華を、俺は何枚も撮った。スマホのデータ容量を彩華の写真で埋め尽くしてもいいと思えた。
やがて、彼女が手に持った花火は光を失った。自分の花火を見ると同じ状態だった。
「消えたちゃったね。他のやつもしよ」
線香花火で締め括りたいので、他の一度した種類の花火たちをふたりで楽しんだ。
その時間は一瞬のようだった。
俺らは線香花火を持つ。これが最後の二本。
「最後だしさ、これで勝負しようよ」
唐突に彩華がそう言い出した。
「ああ、先に落ちたほうが負けみたいなやつ?」
「そう。負けた人は一つカミングアウトね! 題して“秘密の打ち明け花火”!」
秘密の打ち明け花火。打ち上げ花火をもじったのだろうけど、今からするのは線香花火。
ツッコミを入れようか迷ったが、結局なにも言わずに承諾する。
「わかった。あっ、ちょっとだけ待って」
俺は昔ネット記事で見かけた線香花火を長く続かせる方法を思い出し、花火の火薬の少し膨らんだ部分を軽く捻る。そして斜め四十五度で持った。
「なにしてるの?」
「こうすると、長持ちするらしいよ」
自分だけが知ってる知識を使うのは平等じゃない気がしたので、彩華にも教えた。
彩華は「ふーん。そうなんだ」と明るく言いつつも、教えたコツに背いて、下に向けて真っ直ぐ持った。まあ、別にいいんだけれども。
「じゃ、始めよう」
「……これで、君との思い出納めだね……」
蝋燭の火に先端をつける寸前で、彩華の口が徐に動いた。俺は咄嗟に手を止める。
言葉はハッキリ聞き取れたけれど、理解はできない。そもそも、仕事納めというのは知っているが、思い出納めなんて言葉は初めて耳にした。
「思い出納め? それ、どういうこと?」
訊くと、彩華は寂しげな声で「なんでもないよ。あんま深く考えないでね」と返事をする。
「それより、早くしよ」
「あ、うん」
そんなに気になっていなかったけれど、話を曖昧にされたことで、却って脳裏にモヤモヤと残った。
満を持して火に先端をつけ、ほぼ同時にふたりの線香花火が着火する。
パチパチと音を奏でる牡丹は、まだ稚い火種。他の花火とはひと味違う、儚さみたいなものを感じた。
「颯太くん、学校いつから始まる?」
視線は線香花火の虜になった。だから無理に動かそうとせず、そっとしておいた。
「多分、あと三日」
「じゃ、もう会えなくなっちゃうね……」
夏休みが終われば、今までのようにほぼ毎日会うことは叶わなくなる。
「まあ、だね。でも、たまには会えるよね?」
心の中にもの淋しい感情が湧いて、つい柄にもないことを俺は言った。それに対する彩華の返事はなにもない。
その後、松葉、柳と燃え方を変化させ、やがて散り菊へと変わった。
隣を見ると、彩華の持つ花火の火種が先に落下する。それをバケツに入れて、口を開く。
「私の負けだね。じゃあ、黙ってたこと言うね」
別に催促していないのに、今すぐカミングアウトするらしい。
俺の線香花火は未だ燃え続けていて、視線は動かさずに聞く態勢を取る。
「うん。言いづらいことならぼかしていいから」
彩華は少し間を置いて、そっと口を開く。
「実は私、もう成人してるの。本当は今年で二十五」
これにはさすがに呆れた。真剣な声色だけど、どうせ前みたいに作った話なんだろうと思った。
「そう。別に言える秘密がないなら、そう言ってくれればよかったのに」
俺が素っ気なく言うと、彩華は間髪入れずに「今回は作り話じゃないよ」ともう一度、真剣さを感じさせる声で言う。
「って言っても、すぐには信じられないよね。ゆっくりでいいから、これ見てみて」
まだ線香花火は生きているのに、俺は思わず顔を上げた。彩華が差し出したものは、顔つきの身分証明書。
受け取って、本名、生年月日、顔写真をそれぞれ見澄ます。名前も写ってる人も彩華だった。しかし、生年月日は明らかに高校生じゃない。
そこに記されている生年月日が、彩華が今まで嘘をついてきたことを証明した。
親指と人差し指から花火の持ち手が離れて、困惑と衝撃が沈黙を作った。
俺は素の自分を出していたのに、彩華は年齢を偽ってたなんて……。
騙されていたことに対して、憤りも悲しみも湧かなかった。ただ、今まで弄ばれていた自分が情けなかった。
それからしばらく沈黙が続き、彩華の「ごめん」という弱々しい声で破られる。
「すぐバレると思ってたけど、颯太くん全く気づかなくって、ほんとにごめん……」
彩華は立ち上がり、地面に落ちた俺の線香花火を拾ってバケツに入れ、ビニール袋にりんご飴のゴミやラムネの瓶を入れていく。
「彩華……さん? なんて呼べばいい?」
俺も立ち上がって、彼女の背中に向けて訊いた。
「もう呼ぶことはないと思うけど、今だけなら適当に呼んでいいよ」
彼女の口から出た冷たい言葉の意味を理解して、色んな感情が込み上げてくる。
「もう会えないってこと、だよね。なんで? なんで会えないの?」
「逆に会いたいの? 一か月近く騙してたんだよ」
一切躊躇せず彩華はそう言い切った。きっと前から決めていたのだろう。でも俺は、彼女に逡巡してほしかった。
「会いたいよ。いつもみたいに」
振り向いてくれない彼女に本音を伝えると、彼女の手からレジ袋が離れて地面に落ちた。
後ろ姿だからあまり正確に分からないけど、両手を口に持っていき、口元を隠してるようだった。
「俺、彩華といると素の自分になれるんだ。親の前でも取り繕って常に偽ってるのに、彩華の隣は気楽なんだよね」
俺はきっと、彩華に依存している。彩華がいないと駄目な身体になっている。最近そんな気がしてたけど、やっぱりそうだった。
「ねえ、なんか言ってよ」
そう言いながら俺は彩華の正面に立った。外灯に照らされた彼女の瞳は潤んでいて、頬には涙を垂らしていた。
「えっ」
涙をこぼしてるとは思ってもいなかったので、とても驚いた。泣いてる理由は自分な気がした。
「ごめっ……」
「ねえ、訊いていい?」
俺の謝罪を遮って、彩華は涙声でそう言った。俺は首を縦に振る。
「嘘ついてたけど、高校生じゃないけど……また、いつもみたいに隣にいていい?」
涙声で出したその言葉が嬉しくすぎて、気持ちが昂った。
「うん、逆にいてほしい」
ほんと、今日は柄にもないことを言ってしまう。
すると彩華は無言で抱きついてきた。
「えっ、なになに」
彼女の突拍子もない行動に驚いて、思わず情けない声を出した。
彩華は俺の鎖骨あたりに顔をを押し付けて「秘密……」とだけ言い、さらに強く抱きしめた。
「できれば、これからずっと隣にいてほしい……」
俺は彼女の背中に手を添えて、ぼそっと本音を口走る。すると彼女の頭がモゾモゾと動き出した。
どうしたんだろう、と思っ瞬間、鎖骨にうずめていた顔を上げ、俺の頬に小さい音を奏でるように、一秒にも満たない時間キスをした。
これ以上にない、幸せだ。
それを俺は返事だと思い、『このまま時間が止まれ』と強く願った。
僅かに見える打ち上げ花火を部屋の窓から眺めて、眠りにつく。そして彩華と花火をする日になった。
約束の時間まで大分余裕があったので、ひとりで祭り会場に赴いた。
十八時台というのに、外はまだ昼のように明るい。
会場近くになってくると、駅の広場に設置された提灯おおやぐらが視界に入る。提灯おおやぐらとは、千百八十九個の提灯をピラミッド型に組み立てたものだ。
まだ点灯していないものの、この時期にしか見られない壮大な提灯おおやぐらが夏の思い出として目に焼き付く。
歩道橋を上って、奥に広がる屋台を一望し、りんご飴の屋台があったので人混みができる前に買いに行く。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
俺は自分と彩華の分で、カットされていないりんご飴を二つ買う。ビニール袋までつけてくれた。
その場を立ち去ろうとしたところで、賑やかな声の中に紛れて、微かに聞き覚えのある男の声が俺の名前を呼んだ。
「もしかして、颯太?」
振り返ると、自分とほぼ同じ背丈の紺色の浴衣を着た男性がいた。隣には同じく浴衣姿で、手を繋いでいる女性。
「え? 颯太くんじゃん!」
横の女性も声を上げた。
俺は思わず手を見開く。
あの頃より少し大人びているが、目の前の男は高瀬だ。隣の女性は、彼と別れたはずの来栖さん。
なんで高瀬は来栖さんと一緒にいるんだ? それに、なぜあんな酷いことを言われた相手に声を掛けた?
なにかもが不透明だ。
目の前にはかつて親友と呼べていた相手、それでいて俺のトラウマに関係する相手。
気づいた瞬間、心臓がどっくどっくと重たく鳴る。
会って謝りたいと常々思っていたのに、いざ高瀬と顔を合わせるとそわそわする。
「あっ……高瀬久しぶり。来栖さんも」
俺は咄嗟に作り笑いを貼り付け、口を開いた。
「久しぶりだし、あそこ座って話そうぜ」
彼にそんなつもりはないのだろうけど、不思議と圧を感じる。
三人で近くのバス停の椅子に腰を下ろした。高瀬の右に俺、左に来栖が座る。祭りの期間は屋台を設置するため、ここら一辺が交通規制されている。
「あの、今のふたりはどういった関係?」
別れたはずのふたりが仲良く祭りに来てるのが不思議でならなかったから訊いてみる。
「ああ、そういや颯太には言ってなかったっけ。高校でまた付き合ったんだ、俺とこいつ」
「こいつって言うな、馬鹿!」
ふたりは嬉しそうに笑い合う。
俺は高瀬が幸せそうでほっとした。
「そうなんだ、おめでとう。ふたりともお幸せに」
俺がふたりの復縁に祝福の言葉を贈るや否や、高瀬はきょとんとした顔でこちらを見つめる。来栖さんも前屈みになってこちらを見る。
「なんか変わったな、お前」
「んね、私も思ってた。なんか大人っぽくなったっていうか、幼稚さが消えたみたいな?」
彼らの発言で肩がびくりと震える。
「そうかな? あんま実感ないけど」
俺は当たり障りのない言葉だけを並べる。また傷つけてしまうのを恐れて、それしかできなかった。
高瀬は相変わらず俺や来栖さんのことをお前と呼ぶ。来栖さんは昔のように彼の隣でにっこりしている。
変わらないふたりとは違い、俺だけが変わってしまったのだ。
「結構変わってるぞ。なんか、俺の知ってる颯太じゃないみたい」
彼の言葉で『高瀬とすらも今まで通りの会話ができないのか』と絶望して、肩を落とす。
それと同時に『自分にはもう彩華しかいない』と思った。
これ以上この場にはいられないし、いたくない。
俺はスマホを開き、時間を確認した。約束の時間まで、まだ一時間以上ある。
「ふたりともごめん、そろそろ時間だから行くわ」
俺はここから離れるために嘘をついた。それが自分にとっても彼らにとっても最適な行動だと思ったから。
「ああ、まじ? 颯太もやっと彼女できたか?」
茶化してるのか、本音なのか、彼はそう訊いてくる。
「いや、いないよ。とにかくお幸せにね!」
場を離れたい衝動に駆られて、会話を不自然に止め、立ち上がる。
「おう!」
「ありがとう。じゃあ、ばいばいー!」
入り込む隙もないくらい幸せそうなふたりに背を向けて、俺は祭り会場から去った。
*
空は黄昏色になりかけている。外は相変わらずモワッとした暑さがあった。
約束の時間を五分過ぎたが、彩華は待ち合わせ場所の公園に来ない。
たった数分遅れることは誰にでもあることなのに、俺はひどく心もとなくなった。彼女がなにか事件に巻き込まれたのか、と悪い予感が脳裏をよぎったのだ。
いつしかベンチで俯いて、手が落ち着きを失った。
すぐ近くにいるような蝉の鳴き声。祭りからの帰宅中なのか、賑やかな声が複数。全ての音が、耳から頭に移動する途中でぼんやりとした雑音に変わる。
「お待たせー! ごめんね、遅れて」
脳まで届くこの声は彩華だ。
俺は胸を撫で下ろして、彼女の声がするほうに顔を向ける。
彩華はオフホワイトの生地に紺桔梗色の椿の柄がついた浴衣を着ている。祭りは人混みが苦手だから行けないと言っていたはずなのに、なんで浴衣なのだろうか。
「え! 浴衣?」
私服で来ると思っていたから、俺は驚いて思わず立ち上がった。
「そう、着てみたの。どうかな?」
彼女は腕にコンビニの袋を掛け、瓶のラムネを両手に持って、俺の元に歩み寄る。浴衣姿の彩華はいつにも増して可憐で、少し大人びて見えた。
「普通に似合ってるよ」
率直な感想を伝えると、彩華は「ありがとっ!」とベンチに腰を下ろした。
「これ一緒に飲もう」
差し出されたラムネを取り、俺も隣に座る。すると傍から梨の甘い香りがして、鼻をくすぐる。きっと香水だろう。
「彩華、夏祭り行けたの? ラムネ売ってるところ、確か人混んでたよね」
浴衣を着ていたことや瓶のラムネを持っていたことから、祭りに行ったのだと推測した。
「私、行ってないけど……あっ、ラムネのこと? ラムネはスーパーで買ったやつだよ」
考えてみれば、瓶のラムネは祭りじゃなくても売っている。ということは、もしかすると、浴衣は俺との花火のためだけに着てきたのか、と淡い期待を抱いた。
俺は貰ったラムネを開けて、クビっと飲む。清涼感のある懐かしい味だ。
ふと隣に視線を動かすと、彩華は容器の口に唇をつけながら、じーっと俺の左腕あたりを見ている。
「さっきからなに見てるの?」
訊ねると、彩華は容器と密着してた唇をそっと離す。
「なんか赤いの見えるけど、なんだろうなって」
徐にそう言われて、りんご飴の存在を思い出す。
「あっ、そういや買ってわ。はい、あげる」と袋の中から出したりんご飴を渡した。
「え、ありがとう。でも、颯太くんのは?」
俺の分のりんご飴を譲ったと思ったのか、彩華はそう訊ねた。
「俺のもあるよ、ほら」ともう一つのりんご飴を見せた。
「じゃあ、元から二つ買ったの?」
「うん、そう。彩華に少しでも祭り気分味わってもらいたかったから」
彼女はラムネ瓶をベンチに置き、空いた手で口元を隠して控えめな笑みを浮かべた。
「私のために買ってきてくれたんだ……ありがとう。じゃ、頂きます」
いつもと違ってボソボソと喋る彩華が、一瞬とても可愛く見えた。
俺は気恥ずかしくなって、太もも両肘をつき、猫背になった。
パリッと音がして少し間が開き、彩華が「ん!」と喜ぶような高いトーンを出した。
「この飴、甘くて美味しいよ! 颯太くんも食べてみて」
促された通りに、俺も赤い飴部分ををかじる。
「だね。久しぶりに食べたかも」
最後に食べたのは、確か高瀬と祭りに行ったときだったか。少し懐かしいな。
元カノとの思い出に浸るかのように、高瀬との記憶を思い出してしまった。それほど、俺にとって彼が大事な存在だったらしい。
もう戻らない過去のことは今すぐにでも忘れたい。でも本音は、もう一度笑い合える関係になりたいと思っている。
「ねえねえ、写真撮りたいからさ、ちょっとの間りんご飴こっちに寄せて」
脳内で記憶を眺めていると、彩華から指示が出された。
俺は右手の瓶ラムネと左手のりんご飴を持ち替え、割り箸を回して口をつけてないところを表にした。それを彼女のほうに近づける。
「これでいい? 撮ったら教えて」
隣からカシャッとシャッター音がした。
「……なんか颯太くん、素っ気なくない?」
唐突に彩華からそう言われ、曲がった背中をスッと元に戻す。
「そう?」と訊くと、彩華は首をコクっと縦に振った。
俺は知らず知らずのうちに素っ気ない態度を取っていたらしい。多分、色々考えてたからだと思う。
「ごめん。そんなつもりなかったんだけど……」
不快な気持ちにさせてしまったと反省して、頭を深く下げて謝った。
「別に怒ってないよ。でも楽しい思い出にしたいから、いつもみたいに話そう」
彩華の瞳が淋しげに見えるのは気のせいだろうか。
そこから俺はできるだけ考え事をせず、いつものように過ごした。
数十分前まで明るかったのが信じられないくらい、辺りはもう暗かった。それに伴って、耳に入ってくる祭り帰りの人たちの声も増えた。
俺は、ベンチの近くの外灯の明かりがあるところに水入りバケツを用意する。
「ねえねえ、線香花火は最後として、まずどれからする?」
様々な種類の手持ち花火が入った袋の前で、彩華はしゃがんで目を輝かせていた。
この人と付き合ったら楽しいだろうな、とふと思った。
あれ、俺、なに考えてるんだろう。
「彩華が決めていいよ」
花火の順番選択を彩華に委ねた。どれを先にやっても同じと俺は考えているので、楽しそうな彼女のほうが適任だと思った。
「えー、じゃあ最初はこれで、次は七色のやつ、そして最後に線香花火!」
スパーク花火、七変色のススキ花火、線香花火の順に決定した。
俺は彩華の隣にしゃがみ込む。
スパーク花火は、パチパチと音を立てて、雪の結晶のように火花を飛び散らせた。
「綺麗だったね。じゃ、次しよっか!」
そう言って、俺に七変色のススキ花火を渡してきた。
「ありがとう」
花火を眺めていると、なぜか無言になっていて、数十秒しか経ってないはずなのに久しぶりに会話したような気分だ。
ススキ花火は着火するや否や、輝かしい緑の火花を前方に飛ばす。数秒経つと緑から青に色を変えた。
ふと隣を向くと、青の光に照らされた彩華の横顔が視界に映る。長いまつ毛、青に光る瞳、揺れて揺れなくても綺麗な茶髪。
彼女の全てが今まで見てきたなによりも美しくて、俺は見惚れて無意識のうちにカメラを彼女に向けていた。
カシャッと音が鳴り、彩華が振り向く。俺はぼんやりと見ていた対象が急に動いたことでハッとした。
綺麗な景色があったら、カメラで撮って共有したり記録に残したい。きっと、写真を撮った動機はそんな感じだと思う。でも、この景色は共有したくない。
「あっ……ごめん」
俺は勝手に撮影したことを詫びて、今撮った写真をフォルダから消そうとした。
すると彩華は、こちらに顔を向けたまま微笑み、花火を持たない左手でピースをする。
「花火消える前に、可愛く撮ってね」
表情、浴衣姿、ポーズ、声色、全てが愛らしい彩華を、俺は何枚も撮った。スマホのデータ容量を彩華の写真で埋め尽くしてもいいと思えた。
やがて、彼女が手に持った花火は光を失った。自分の花火を見ると同じ状態だった。
「消えたちゃったね。他のやつもしよ」
線香花火で締め括りたいので、他の一度した種類の花火たちをふたりで楽しんだ。
その時間は一瞬のようだった。
俺らは線香花火を持つ。これが最後の二本。
「最後だしさ、これで勝負しようよ」
唐突に彩華がそう言い出した。
「ああ、先に落ちたほうが負けみたいなやつ?」
「そう。負けた人は一つカミングアウトね! 題して“秘密の打ち明け花火”!」
秘密の打ち明け花火。打ち上げ花火をもじったのだろうけど、今からするのは線香花火。
ツッコミを入れようか迷ったが、結局なにも言わずに承諾する。
「わかった。あっ、ちょっとだけ待って」
俺は昔ネット記事で見かけた線香花火を長く続かせる方法を思い出し、花火の火薬の少し膨らんだ部分を軽く捻る。そして斜め四十五度で持った。
「なにしてるの?」
「こうすると、長持ちするらしいよ」
自分だけが知ってる知識を使うのは平等じゃない気がしたので、彩華にも教えた。
彩華は「ふーん。そうなんだ」と明るく言いつつも、教えたコツに背いて、下に向けて真っ直ぐ持った。まあ、別にいいんだけれども。
「じゃ、始めよう」
「……これで、君との思い出納めだね……」
蝋燭の火に先端をつける寸前で、彩華の口が徐に動いた。俺は咄嗟に手を止める。
言葉はハッキリ聞き取れたけれど、理解はできない。そもそも、仕事納めというのは知っているが、思い出納めなんて言葉は初めて耳にした。
「思い出納め? それ、どういうこと?」
訊くと、彩華は寂しげな声で「なんでもないよ。あんま深く考えないでね」と返事をする。
「それより、早くしよ」
「あ、うん」
そんなに気になっていなかったけれど、話を曖昧にされたことで、却って脳裏にモヤモヤと残った。
満を持して火に先端をつけ、ほぼ同時にふたりの線香花火が着火する。
パチパチと音を奏でる牡丹は、まだ稚い火種。他の花火とはひと味違う、儚さみたいなものを感じた。
「颯太くん、学校いつから始まる?」
視線は線香花火の虜になった。だから無理に動かそうとせず、そっとしておいた。
「多分、あと三日」
「じゃ、もう会えなくなっちゃうね……」
夏休みが終われば、今までのようにほぼ毎日会うことは叶わなくなる。
「まあ、だね。でも、たまには会えるよね?」
心の中にもの淋しい感情が湧いて、つい柄にもないことを俺は言った。それに対する彩華の返事はなにもない。
その後、松葉、柳と燃え方を変化させ、やがて散り菊へと変わった。
隣を見ると、彩華の持つ花火の火種が先に落下する。それをバケツに入れて、口を開く。
「私の負けだね。じゃあ、黙ってたこと言うね」
別に催促していないのに、今すぐカミングアウトするらしい。
俺の線香花火は未だ燃え続けていて、視線は動かさずに聞く態勢を取る。
「うん。言いづらいことならぼかしていいから」
彩華は少し間を置いて、そっと口を開く。
「実は私、もう成人してるの。本当は今年で二十五」
これにはさすがに呆れた。真剣な声色だけど、どうせ前みたいに作った話なんだろうと思った。
「そう。別に言える秘密がないなら、そう言ってくれればよかったのに」
俺が素っ気なく言うと、彩華は間髪入れずに「今回は作り話じゃないよ」ともう一度、真剣さを感じさせる声で言う。
「って言っても、すぐには信じられないよね。ゆっくりでいいから、これ見てみて」
まだ線香花火は生きているのに、俺は思わず顔を上げた。彩華が差し出したものは、顔つきの身分証明書。
受け取って、本名、生年月日、顔写真をそれぞれ見澄ます。名前も写ってる人も彩華だった。しかし、生年月日は明らかに高校生じゃない。
そこに記されている生年月日が、彩華が今まで嘘をついてきたことを証明した。
親指と人差し指から花火の持ち手が離れて、困惑と衝撃が沈黙を作った。
俺は素の自分を出していたのに、彩華は年齢を偽ってたなんて……。
騙されていたことに対して、憤りも悲しみも湧かなかった。ただ、今まで弄ばれていた自分が情けなかった。
それからしばらく沈黙が続き、彩華の「ごめん」という弱々しい声で破られる。
「すぐバレると思ってたけど、颯太くん全く気づかなくって、ほんとにごめん……」
彩華は立ち上がり、地面に落ちた俺の線香花火を拾ってバケツに入れ、ビニール袋にりんご飴のゴミやラムネの瓶を入れていく。
「彩華……さん? なんて呼べばいい?」
俺も立ち上がって、彼女の背中に向けて訊いた。
「もう呼ぶことはないと思うけど、今だけなら適当に呼んでいいよ」
彼女の口から出た冷たい言葉の意味を理解して、色んな感情が込み上げてくる。
「もう会えないってこと、だよね。なんで? なんで会えないの?」
「逆に会いたいの? 一か月近く騙してたんだよ」
一切躊躇せず彩華はそう言い切った。きっと前から決めていたのだろう。でも俺は、彼女に逡巡してほしかった。
「会いたいよ。いつもみたいに」
振り向いてくれない彼女に本音を伝えると、彼女の手からレジ袋が離れて地面に落ちた。
後ろ姿だからあまり正確に分からないけど、両手を口に持っていき、口元を隠してるようだった。
「俺、彩華といると素の自分になれるんだ。親の前でも取り繕って常に偽ってるのに、彩華の隣は気楽なんだよね」
俺はきっと、彩華に依存している。彩華がいないと駄目な身体になっている。最近そんな気がしてたけど、やっぱりそうだった。
「ねえ、なんか言ってよ」
そう言いながら俺は彩華の正面に立った。外灯に照らされた彼女の瞳は潤んでいて、頬には涙を垂らしていた。
「えっ」
涙をこぼしてるとは思ってもいなかったので、とても驚いた。泣いてる理由は自分な気がした。
「ごめっ……」
「ねえ、訊いていい?」
俺の謝罪を遮って、彩華は涙声でそう言った。俺は首を縦に振る。
「嘘ついてたけど、高校生じゃないけど……また、いつもみたいに隣にいていい?」
涙声で出したその言葉が嬉しくすぎて、気持ちが昂った。
「うん、逆にいてほしい」
ほんと、今日は柄にもないことを言ってしまう。
すると彩華は無言で抱きついてきた。
「えっ、なになに」
彼女の突拍子もない行動に驚いて、思わず情けない声を出した。
彩華は俺の鎖骨あたりに顔をを押し付けて「秘密……」とだけ言い、さらに強く抱きしめた。
「できれば、これからずっと隣にいてほしい……」
俺は彼女の背中に手を添えて、ぼそっと本音を口走る。すると彼女の頭がモゾモゾと動き出した。
どうしたんだろう、と思っ瞬間、鎖骨にうずめていた顔を上げ、俺の頬に小さい音を奏でるように、一秒にも満たない時間キスをした。
これ以上にない、幸せだ。
それを俺は返事だと思い、『このまま時間が止まれ』と強く願った。