衣替えの移行期間が終了し、梅雨真っ只中。なんでも今年は空梅雨らしく、登下校だけでじんわりと汗ばむ日もある。
とはいえ、冷暖房が完備されている教室だと、窓際の席は日差しが心地いい。
――ただ、問題が一つ。
ふとした時に視界へ入ってくる空模様だけは、どうしても好きになれない。
既に夏空と呼べそうな青と、掴めそうなくらいの質量を感じる白。このコントラストを見ると、否が応でも一糸先生の絵を思い出してしまう。
『晴士が悪かったな』
一糸先生がそう呟いたのは、あの日の帰り道。街灯に照らされた一本道を歩きながら、隣にあった先生の顔を盗み見たときのこと。
「あの……訊いてもいいですか?」
「なに」
「環境に応じて変化できる、ってどういう意味ですか? 焼き鳥屋では『とあちゃん』だったのに、何で晴士さんは『イット』なんですか?」
「質問多いな」
面倒くさそうにこちらを見下ろした先生は、いきなり私の肩を押し、ここ左――と進路変更を促す。
私達の会話は、まるで独り言を言い合っているようだった。少しの沈黙で夜道に解け消えて、やはりこの質問も有耶無耶にされるのか、と思った。
「人付き合いとかそういうの。周りの環境によって、一番ラクなキャラクターってあるだろ」
半歩ほど前を歩いていた先生が、角を曲がった先の自販機で立ち止まる。
「お前が知ってる一糸先生も、親しまれやすさを考慮した上でのキャラって感じ。とりあえず上手くいってるし、本性バラすのだけはやめて。あ、これ、飲む用じゃなくて暖とる用な」
先生から差し出されたのは、モッさんが買ってくれたカフェオレと同じだった。
「あとは何だっけ? あだ名?」
「あっ、はい」
「えーっと、元々が『イット』で、高校に入ってから『とあちゃん』になった。簡単に言うと、『とあちゃん』も都合のいいキャラってやつだよ」
淡々と話す先生にならい、一旦止めた足を再び踏み出す。両手で缶コーヒーを握りしめると、指先から熱が伝い、足取りまでわずかに軽くなる。
「……いくつもあだ名あるんですね」
「羨ましいか?」
「そういう意味じゃないです」
「あっそ。素直じゃねぇな」
嫌味ったらしく口角を上げる先生を見て、思わず顔を背けていた。
「お前が愛嬌ってのを覚えたらまた呼んでやるよ」
先生の余計な一言で、その『また』が頭の中で繰り返される。
ある意味、晴士さんの冗談よりタチが悪い。いまこの人はモッさんなのか、一糸先生なのか。それともイットか、とあちゃんか。
――結局この奇妙なシチュエーションは、見知った公園を素通りし、いつかと同じ道を辿り、焼き鳥屋まで続いた。
「では、終礼は以上です。あっ椎名さん、ちょっといいですか?」
名前を呼ばれて教壇へ目を向けると、一糸先生がにっこりと微笑んだ。
既に本性を知っている身としては、もうため息すら出ない。
生徒達が続々と帰っていくなか、渋々教卓を挟んで立った私に、先生は教師然とした態度を貫く。
「この後、いつもの場所で待ってます」
――――は?
いつもの場所って、旧校舎の屋上? なんで? 放課後にわざわざ? カンナがいたらマズイ話?