「ほぉ、これは……」
数日後、シラーヴは王宮に招かれガレマ11世の前で新曲を披露した。
デイツ夫人のサロンで着想を得て作った曲だ。
演奏が終わると、割れんばかりの拍手が沸き起こる。
ガレマ11世も満足そうに手を叩いた。
「優雅さの中に愛らしい旋律が重なる、心の浮き立つような作品だな。実に良い」
「ありがたき幸せに存じます」
シラーヴは椅子から立ち上がり、王に敬意を示す。
「先日デイツ伯爵夫人のサロンがありまして、その時に浮かんだ曲です」
「デイツ夫人か。なるほど、先ほどの曲の優雅さは彼女のイメージなのだな」
「はい。そしてもうお一方、キサット子爵令嬢が来られていまして。この方が小鳥のように愛らしく軽やかなステップを私に見せてくださったのです。その足取りが忘れられなくて、曲の中に織り込みました。まるで詩人のごとく、美しい言葉を紡ぐ方でした」
「ふむ」
ガレマ11世が僅かに興味を示す。
「キサット子爵令嬢か……」
■□■
「ミューリ、招待状だ」
今日も書斎で勉強をしていた私の元へ、カイルが封筒を持って入って来た。
「これは……!」」
封書は三通。全て差出人には見覚えがあった。
「全部、デイツ夫人のサロンでお会いした方々からのものだわ」
「やったじゃないか、ミューリ」
カイルの大きな手が、私の背を軽く叩く。
「お前の言葉でいい気分になりたい、その三人にそう思わせたってことだ」
「はは……」
微妙な評価に苦笑いが出る。
「それってさ、媚びるのが上手いってことじゃない? 幇間として必要とされるのもなぁ」
「誉めるのと媚びるのは違うぞ、ミューリ」
カイルがスッと表情を引き締めた。
「相手の歓心を得るために心にもないことを言うのが媚びだ。そして褒めるというのは……」
「本当に思ったことを伝える、よね」
「そうだ」
「だけど、本心が根っこにあっても大袈裟な言葉で飾り立ててるのは事実よ。それを素直な気持ちなんて言えるのかな」
「なるほど」
言ったかと思うとカイルは部屋を出ていく。やや経って、彼は包みを手にして戻ってきた。
「何?」
「ミューリ、これをやる」
そう言ったかと思うと、カイルは剥き出しのネックレスを掴み上げ私に突きつける。
「ぇえ……」
虹色に輝くオパールのネックレスだ。とても美しく、金の金具にも見事な細工が施されている。高価なものということは一目でわかった。
「でも、プレゼントをくれるならもう少し何かない? 乱暴に手掴みで渡されても、何だか安っぽく感じちゃうよ」
「なら、こちらをやろう」
次にカイルは透かし模様のある美しい白い箱を差し出してきた。艶やかなシルクのリボンがかかっている。
「今度は何?」
私はわくわくしながらリボンを引き箱を開ける。中には先ほど手掴みで渡されたネックレスと、同じものが入っていた。
「……何がしたいの?」
「どちらを、より高価だと感じた?」
「それは当然、箱に入っていた方でしょ」
「言葉で飾るというのはそう言うことだ。
カイルは剥き出しだった方を引き寄せ、自分の首に着ける。
「くれたんじゃないの?」
「こっちは元々俺用だ。そっちの箱に入ったやつがお前用」
「はぁ」
「だがこれでわかっただろう。飾るというのは相手への気づかいだと」
「そうね」
私も箱からネックレスを取り出し、身に着ける。
「本質が同じでも飾ったものとそうでないもので、受け取る側には価値が違って感じる。そう言いたいんでしょ」
「理解が早くて助かる」
私は二人の胸元に輝くネックレスを見つめる。
「お揃いなのね」
「夫婦だからな。これくらいいいだろ」
「そうね」
ほんの少し、胸の奥が甘く疼いた。
以降、私はサロンへ足しげく通い、そこで言葉を尽くして芸術家をほめたたえた。私の言葉は芸術家とそのパトロンを喜ばせ、それが次のサロンの招待へと繋がる。
「おい、ミューリ」
ある日、カイルが嬉しそうに封筒を持ってきた。
差出人を見て、私は息を飲む。
「ハネーギル伯爵夫人……!」
「お前の評判を耳にして、もう一度招待をしたくなったんだ」
カイルは嬉しそうに目を細め、歯を見せて笑う。
「やったな! 一度見限った相手にもう一度チャンスをくれるなんて、滅多にないことだぞ!」
カイルは大仰に両手を開くと、私を強く抱きしめた。
「次こそは名誉挽回だ、気合入れていけ!」
「う、うん!」
私はカイルの温かい胸に抱かれながら、少し戸惑う。
どうしてこんなに胸が高鳴るのだろう。
どうして彼の匂いはこんなにも頭の奥を痺れさせるのだろう。
私が、好きなのは……
「これならきっと、近いうちにお前の名は陛下の元へ届くぞ。愛妾に選ばれた暁には俺の出世の件頼むな、ミューリ!」
(あ……)
そうだ、私が好きなのは国王陛下。結ばれたいのは陛下ただ一人。
私たちはそのために結婚したのだ。
なのになぜ。
(胸の奥に、尖った石が刺さったみたい……)
サロンに招待される回数が増えるに従い、そこにいる芸術家もより名の知れた人物へとなっていった。
「頃合いだな。ミューリ、今日からこれも読むんだ」
久しぶりに書斎を訪れたカイルが、私の前に本を積み上げる。
「世界情勢や歴史、それに政治の勉強? なぜこんなものを?」
「必要になる可能性が高まってきたからな」
その日の晩餐の席、父は上機嫌だった。
「いやぁ、よくやってくれたカイル! まさか、十年以上もごたついていた問題をたった数週間で解決してしまうとは」
それは父からたびたび聞かされていた、領民同士の土地の境界問題についてだった。
「いえ、それほどでも」
カイルはにこやかに微笑む。
「双方の主張を直接聞き取り、妥協点を見つけて納得してもらっただけです」
「いや、そこが見事だというのだよ。これまではいくら話し合いの場を設けても平行線だったのだ。酷い時には殴り合いにまで発展する始末で。それをまさか、あれほど穏便に収めてしまうとは」
「義父上のお役に立てて光栄です」
「先日の、思い切った予算案にも驚かされた。しかし、君の説明には納得せざるを得なかった。これほどの逸材が我が家に婿入りしてくれるとは、スネイドル伯爵家には感謝してもしきれないな」
「こちらこそ、キサット家の至宝とも言えるミューリ嬢の夫として認めていただけたこと、心より感謝しております」
んぶっ!?
「どうした、ミューリ?」
「いえ」
(至宝って!!)
私はスープをわずかに吹いてしまった口元を、ナプキンでぬぐう。カイルと目が合うと、彼はいたずらっぽくニヤッと笑った。
(ほら、これが本性だよ!)
とはいえカイルが、お父様を長年悩ませていた問題をさらっと解決してしまったのも事実なのだ。
自室に戻り、私はベッドに横たわる。
カイルの部屋は館の東側にあり、私の部屋は西とかなり離れている。これは貴族の家では珍しいことではない。
カイルとは、未だベッドを共にしたことはなかった。
(振る舞いにそつがないし、弁舌爽やか……)
子どもの頃から見ていたカイルは、やんちゃな兄のような存在だった。我が家に訪れては、年甲斐もなく木剣を振り回して遊ぶ、自分を飾る必要のないおバカ友だちのような。
けれど同じ建物の中で過ごすようになり、カイルの様々な面が見えて来た。
頭がいい、人当たりがいい、機転が利く、行動力もある。
(もう、なんなの……)
私は起き上がり、机の引き出しからコインを取り出す。ガレマ11世ご成婚記念で配布されたコイン。当時26歳だった若々しく美しい国王陛下の横顔が、そこに彫り込まれていた。
子どもの頃から、大切に持っていたお守り。
(うん、やっぱり陛下の方が素敵だよ)
私はコインを両手で捧げ、そっとキスを落とす。
(私がカイルと結婚したのは愛し合うためじゃない。陛下と恋愛する資格を手に入れるためだし、カイルは……)
胸の奥がチリッと焼ける。
(私を差し出して、見返りとして陛下から土地や地位を受け取るのが目的なんだから)
サロンへの参加もすっかり慣れ、書斎での勉強も苦痛でなくなったある日のこと。
「ミューリ! 今すぐこっちに来てくれ」
階下から、カイルの声が聞こえて来た。
部屋に向かうと、そこには職人らしき女性が立ち並んでいた。
「? 仕立て屋?」
「頼むぞ!」
カイルの声を皮切りに、仕立て屋たちは一斉に私の採寸を始める。
「ちょ、え!? 何、急に!」
「急ぐんだ。お前の新しいドレスを作らなきゃいけない」
「ドレスならこの間一着仕立てたところだけど!?」
「後で説明する。今は大人しくしていろ」
本当に何!?
「で? 説明していただきましょうか」
採寸を終え職人たちが引き上げると、私はカイルに詰め寄った。
カイルは涼しい顔で口を開く。
「近々、国王陛下御一家がマスミノ湖畔へピクニックにやってくるという情報を掴んだ」
「国王陛下が?」
「マスミノ湖畔の近くには、俺の実家スネイドル家の別荘がある」
「え……!」
「わかるか? これはチャンスだ」
カイルはニッと悪い笑いを浮かべる。
「偶然を装い、国王陛下とお前の最高の出会いを演出するぞ」
(国王陛下と、私が、出会う……)
カイルの言葉に、私は身震いする。
「え? 本気で? 私が、陛下と出会う?」
「そうだが?」
十二年もの間、神のように崇め続けて来た憧れの人と、直接顔を合わす?
想像しただけで、緊張で喉がカラカラになってきた。
「で、でも、あの、心の準備が……」
「準備はピクニック当日までに済ませておけ」
「いや、でも、こんな急に……」
「今更怖気づくんじゃない。お前、陛下と結婚するんだ、って何年言い続けた?」
「!」
カイルの言葉に、私の胸の奥が跳ねる。
「チャンスが来たんだ、ミューリ。逃げてどうする? この機を逃せば、お前を知ってもらうことなど二度とないかもしれないぞ? いいのか?」
「それは……、良くない」
「なら、腹をくくれ!」
カイルの強い言葉に私は息を飲み、そしてうなずいた。
「……わかった」
「よし」
カイルは今後について、てきぱきと説明する。
「明日からは舞台女優ワッザーから、身のこなしをみっちり学べ。ここへ来るよう手配してある。食事は肌つやや髪に良いものを作るよう、料理人に伝えた。残さず食え。睡眠はしっかりとること、夜更かしをするな。出発の日まで、書斎での勉強も怠たるな。それから鏡の前で、最高の笑顔を見つけろ。顔のどこをどう動かしどの角度にすれば、可憐で美しく神秘的な笑顔になるか、徹底的に研究するんだ。いいな」
「えぇ……」
「最高に美しいお前を、陛下に見せつけろ」
「美しい……」
「自信を持て」
カイルの両手が私の肩にかかった。
「ミューリ、お前は美しい。その肌も、その髪の、その瞳も。今以上に磨けば必ず国王陛下の目に留まる」
青い瞳がまっすぐに私を見ていた。
「頑張る」
私がうなずくと、カイルは満足気に笑った。
国王陛下のピクニック当日となった。
私たちは昨日からスネイドル家の別荘に到着している。
「うん、天気もいい。風向きも悪くない。これは絶好の出会い日和だ!」
窓から空を見上げ。うきうきと声を上げるカイルに、私は歩み寄る。
「カイル、本気でこのドレスを着ろって言ってる?」
「お、着替えたかミューリ」
カイルが振り返り、私の頭から足の先まで確認する。
「うん、完璧に仕上がってるな」
「いや、どこが!?」
カイルの仕立ててくれたドレスは、流行から完全に外れたものだった。
薄手でふわふわした布地、体のラインに纏いつくような、ボリュームの全くないデザイン。淡い桃色の生地は、遠目には肌の色と同化してしまいそうだ。
「これじゃドレスと言うより、仮装よ! こんなに体の線がくっきり出るデザイン、下品にもほどがある! てか、ほぼ下着じゃない!? こんなはしたない姿で国王陛下の前に挨拶なんて行けない! 何考えてんの、カイル!」
「ワッザーから教わった演技は覚えているな?」
「覚えてるけど! 今はそんな話してなくて!」
「よし、行くぞ」
カイルが私の肩にマントを掛ける。
「よし! これから国王陛下の心に、お前の姿を刻み付けるぞ!」
「変態として記憶されるわ!!」
(つ、ついに来てしまった……)
私とカイルは物陰からそっと顔を出す。
湖畔では国王一家がゆったりと食事を楽しんでいるのが見えた。
(あぁ、陛下ー!)
子どもの頃の記憶とは違い、目元や口元に年齢相応の渋みがにじみ出ているが、そこがまたいい。
(やっぱりきれいな顔立ちだな。はぁ、最高に、いい!)
肉を挟んだパンを口へ運ぶその指先、そして開いた口元もセクシーだ。
長年の想い人がすぐ目の前にいる。
勝手にほとばしりそうになる悲鳴を、両手でぐっと抑え込む。
気持ちが高ぶり、少し泣きそうになってしまった。
(なのに私はこんな、下着みたいな姿で……!)
「ミューリ」
「何!?」
国王陛下に会うというのにとんでもないドレスを用意したカイルに、私は怒鳴るように返す。
「声が大きい。いいか、今から俺の言う通りにしろ」
カイルは声を潜め、湖畔を取り巻く森を指差す。
「俺は今から陛下を散歩道へと誘導する。お前は湖の中に入って待て」
「はぁ!? 湖の中に、入る!?」
「俺は今から陛下を散歩道へと誘導する。お前は湖の中に入って待て」
「はぁ!? 湖の中に、入る!?」
「あの地点だ」
カイルが指差したのは、散歩道から近い、湖面が木漏れ日を跳ね返し輝いている場所だった。
「そこでお前は……」
カイルが私の耳元へ口を寄せ、作戦内容をささやいた。
「そんな、上手くいくわけ……」
「上手くやるんだよ、お前が。それとも陛下への想いは偽物か?」
「! 偽物じゃない!」
「なら、作戦開始だ。お前があの地点に到着したらマントを枝に掛けろ。それを合図に俺も行動に移る。ほら、行け」
(本当にこんなので上手くいくの?)
私はカイルに言われた地点に到着すると、羽織っていたマントを枝に掛け、思い切って水の中へと足を入れた。
(少し冷たい。けど、慣れれば問題なさそう)
どれほどの時が経っただろうか、こちらへ近づく二つの足音が耳に届いた。
「陛下にぜひ見ていただきたい景色がございまして」
カイルの声だ。
私は水音を立てぬようにそっと滑り降り、胸の辺りまで水に浸かる。
「ああっと、これはいけない。どうやら忘れ物をしてきてしまったようです。急いで取りに戻ってまいりますので、陛下はそちらの木陰にあるベンチでお待ちください」
足音が一つ遠ざかる。
「ふむ、ベンチとはこれか」
「っ!!」
心臓が跳ね上がった。低く深く甘い、陛下の声だ。土を踏みしめる足音がゆっくりと近づいてくる。
(もう少し、あと少し……)
私は水の中で、うるさく高鳴る胸を押さえる。舞台袖で出番を待つ女優とは、いつもこんな思いをしているのだろうか。震える指を固く組み、私は物音に耳を澄ませる。
やがて、ぎしりとベンチのきしむ音がした。
カイルの立てた作戦通り、私はその瞬間を逃さなかった。
パッシャア!
私は大きく背を逸らし、両手で水をはね上げながら伸びあがった。水面にはねる魚のように。
「ぬっ?」
陛下の驚く声が聞こえる。だが、私はそれに気づかないふりをする。
「ふふふっ」
出来るだけ無邪気に笑いながら、私は指先で水面をなぶり、飛沫を上げる。腰から下は水に浸かった状態で、ダンスをしながら。首の角度、腕の広げ方、指先の動き、視線の運び方、全てワッザーに教わった『妖精のような動き』を忠実に守って。
飛沫が木漏れ日を跳ね返し、キラキラと輝く。
カイルの仕立ててくれたドレスは、水に濡れても胸や腰が透けぬよう、工夫がされていた。それだけでなく、水の中でものびのびと動けるよう特別にあつらえられたものだと、この時になって理解した。つまりこれはただのドレスではなく、ドレスのようなフォルムの水着だったのだ。
ひとしきり舞った後、私は水面をすべるように泳ぐ。顔を濡らさぬよう注意しながら。
「水の中は気持ち良いか」
突如投げかけられた陛下の声に、心臓が口から飛び出しそうになる。
(は、話しかけられた!! 陛下が、私に!?)
私は、初めて陛下の存在に気付いたように振り返り、口を押さえ目をしばたかせる。
「……あっ」
ドレスは二重構造になっていて、外側の部分は水面に浮かび、妖精の羽のような形になる。
「こ、国王陛下……!」
すっと目を逸らし、恥じ入るようなしなを作る。頬が赤くなっているのは演技ではないが。
「お、お恥ずかしいところをお見せしました」
「いや、構わぬ」
陛下は目を細め、クックッと喉の奥で笑う。
「この美しい湖を司る、女神に出会ったかと思ったぞ」
「お戯れを」
「さぁ、我が手を取り上がってくるがよい。名は何と申す?」
(名前、聞かれた!!)
陛下が私に手を差し伸べてくれている。ずっと触れたかった憧れの人の手。
その手を取りたい、名前を答えたい。
けれど私はカイルの立てた作戦に従った。
「私は……、湖の精霊でございます」
「うん?」
「失礼いたします」
鏡の前で繰り返し練習した、一番の笑顔を返し、私は湖の中へと身を沈める。そして教えられたルートを通って物陰へと身を隠した。
「……」
「陛下、お待たせいたしました」
カイルの戻ってきた声がした。
「いかがなされました?」
「いや」
国王陛下の楽しそうな声が聞こえる。
「麗しい、湖の精霊に出会うたのよ」
「はぁ、湖の精霊でございますか」
二人の足音が完全に遠ざかったのを確認し、私は船着き場へとよじ登る。
(これで、本当にいいのよね?)
国王陛下との芝居がかった出会いから、ひと月が経とうとしていた。
(あれから何もない……)
私はベッドに寝転がったまま、胸に抱えた枕をぎゅっと抱きしめる。
カイルは、陛下に名を聞かれても名乗らずすぐその場を離れろと言った。だから私もその指示に従ったけど。
(やっぱり名乗った方が良かったんじゃないかな?)
名前を伝えていないのだから、陛下が私を王宮に呼ぶこともないだろう。と言うか、進展のしようがない。
(カイル、頭がいいと思って言われた通りにしたけど、これ失敗じゃない!? 貴重なチャンスをふいにしてしまったんじゃないかなぁあ~!?)
ぎちぎちと枕を締め付けていると、ノックの音が耳に届いた。
「……何やってんだ、お前」
ベッドの上で不貞腐れ、枕を締め上げている私を見て、カイルが呆れた表情となる。
「ねぇ、カイル。やっぱりあの時、名前を告げた方が良かったんじゃない?」
「湖の話か? いや、あれはあれで印象付けたはずだ」
「だってさー、国王陛下に名前聞かれて答えなかったとか、普通に失礼だよね? 水から上がって、ちゃんとした挨拶すべきだったんだよ」
私の言葉に、カイルは小さなため息をつく。
「あそこで水から上がれば、お前はただの人間になってしまっていた。近くの別荘に来ている子爵家の人間と分かれば、ひょっとするとその日は一夜の甘い夢を見られたかもしれんが、な」
「甘い夢って……国王陛下のお手付きになるってこと!? じゃあ、チャンスだったんじゃない!」
「その一夜で飽きられる可能性が高い。ピクニック先で見つけた面白い女止まりだ」
「そんなのわからないじゃない! あぁ、勿体ない!」
うーうー唸る私の頭に、カイルはペシペシと何かを当てる。
受け取って見てみれば、それはウィヒッツ侯爵夫人からのサロンへの招待状だった。
「ウィヒッツ夫人と言えば、侯爵夫人でありながらご本人も作家をされている才女だ」
招待状には、夫人のお抱えであり作家仲間でもあるアイダン・モヒャルの名が記されていた。この日は新作発表ではなく、彼と文学について意見交換する日とされていた。
「アイダン・モヒャルの小説は一冊だけ読んだかな。かなり甘めでロマンティック路線の作風だよね。ウィヒッツ夫人のは読んだことないな」
「俺が数冊持っているから、あとで貸す。主催者の作品を一冊も知らないというのは、さすがにまずい。アイダン・モヒャルは女性に人気の作家だな。すぐ数冊取り寄せる。当日までにしっかり目を通しておけ」
「……わかった」
寝ころんだまま面倒くさそうにため息をついた私の側に、カイルが腰を下ろした。
「ミューリ、相手は侯爵夫人だ」
カイルの手がくしゃりと私の頭を撫でる。子どもの頃、よくしてくれたように。
「しかも女流作家として、幅広い人気のある方だ。王妃様とも交流が深い」
「そうなんだ」
「上手くやれ。気に入られれば、王妃様付きの女官の道が開かれる可能性がある。国王陛下の褥へまた一歩近づくぞ」
「! そ、そうだよね!」
湖の件は今更悔やんでもどうしようもない。
ならば陛下の元へたどり着くために、これまで通りサロンで頑張るしかない。
「湖の一件は無駄になってないはずだ。いずれ大きな効果をもたらす」
(カイル……)
私は頭に添えられたカイルの手に、自分の手を重ねる。
「カイルは、私に陛下の公妾になってほしいんだよね? そうすればカイルは、陛下から見返りがもらえて目標達成なんだよね」
「……そうだな」
ふとカイルの目元が愁いを帯びる。
だがすぐにそれは消え去り、その面にいつもの明るさが戻った。
「まぁ、精いっぱい頑張れ。お前が国王陛下と恋をするには、この方法しかないんだからな、ミューリ。お互い夢を叶えて、幸せになろうぜ」
「うん」
ウィヒッツ夫人のサロンの日がやってきた。
経験をそれなりに重ねた私は、挨拶からトークまでそつなくこなす。
ウィヒッツ夫人の著作への感想を述べると、彼女は楽しそうに目を細めた。
「噂通りの方ね、ミューリ嬢。語彙と感性が豊かで、貴女の言葉は詩そのものだわ。貴女も何かお書きになればよいのに。きっと多くの方の心を震わせる作品を生み出せるわ。その時は私と作家友だちになってくださいましね」
「畏れ多いことです、ありがとうございます」
(うん、よし!)
よくぞ自分でも、これだけ舌の回ることだと思う。けれどカイルに言われた通り、嘘は絶対に言っていない。花を束ねてラッピングして、ブーケにして渡すような感覚だ。
やがて、アイダンの著作について語り合う時間が来た。だが、やはりここに招かれた人たちは文学に精通している。分析が鋭いし、着眼点もいい。誉め言葉の語彙も豊富だ。
(これは、普段通りにやると埋もれるな……)
ウィヒッツ夫人の心に残るには、皆と同じことをしていても駄目だ。
(さて、どうするか……)
他の人と感想や発言がかぶらないよう、しっかりと耳を傾けつつ考える。
(そうだ)
ふと、先日身に着けた技術が生かせるのではないかと気づいた。
(下手をすれば顰蹙を買うかもしれないけど)
私は手にしていたアイダンの著作の、目をつけていたページを開いた。
「ミューリ嬢」
やがて私の名をウィヒッツ夫人が呼んだ。
「貴女のご意見も聞かせてほしいわ」
「はい、私は……」
私は作品名と、お気に入りのシーンを挙げる。
「特にここの台詞ですが、恋する乙女の気持ちがとても細やかに表現されていて、胸に染みました。私自身の心がそのまま本になり、一枚一枚ページをめくって確かめていくような、そんな心持ちになりました」
「あら素敵。心が本になって、そのページをめくるだなんて」
「はい。そして何より心に響いたのはこのセリフです」
私はソファから立ち上がり、胸を張る。そして中性的に聞こえるよう低い声で語り始めた。
「あぁ、なんと愛らしい方だろう。貴女の噂を耳にするたび、僕の心にはひとひら、またひとひらと恋が降り積もっていきました。会いたい気持ちが募り、その甘い胸苦しさに幸せと苦しみを味わい続けてきました。しかし今宵、ついに貴女とこうしてお会いできたのです。僕の心に降り積もった恋心はあなたの眼差しの前に全て溶け、今や奔流となって僕を飲み込まんとしています」
女主人公ではなく、あえてその恋のお相手役のセリフを私は演じてみせる。
先日演技指導のワッザーから、どこをどうすればどんな役どころを演じられるか、ポイントを教わった。その中の一つに『男らしい演技』があったのだ。
ひとしきり演じた後、私は元のミューリに戻りにっこりと微笑む。
「このセリフが本当に素敵で。私自身がこんな風に言われたらどれだけ幸せだろうと思いつつ何度も読み返し、ついに暗記してしまいました」
静まり返る室内。私は恥じらうように微笑んで見せつつも、内心「どっちだ!?」と冷汗をかきつつ結果を待つ。
やがてぱちぱちぱちと拍手が聞こえて来た。
作者のアイダンだった。
「いや、素晴らしい」
ロマンティックな作風とは裏腹に、やや厳めしい顔つきの中年男性が、口元を緩め、歩み寄ってきた。そしてスマートに私の手を取る。
「今のは、エゥトーゴのセリフですね。こんなにも愛らしい方が演じたというのに、先ほどの貴女の姿は麗しい好青年に見えましたよ。僕の書いたものがこんな素晴らしい芝居になるとは」
アイダンが言葉を終えると、女性陣の間から、ほーっと息が漏れた。
「えぇ、本当に。私自身がエゥトーゴから愛を囁かれているようでドキドキしてしまいました」
「この作品、ぜひとも王立の大劇場で見てみたくなりましたわ」
「女性が演じる男性と言うのは、何とも言えない魅力があるものですのね」
(よし、好感触!)
少なくとも、作者自身と客からは好意的に受け止められた。あとは……。
「ミューリ嬢」
背後から聞こえて来たウィヒッツ夫人の声には、咎めるような響きがあった。
(う!?)
サロンの主には不評だったか。
「はい」
私は恐る恐る、ウィヒッツ夫人をふり返る。彼女は少し面白くなさそうな顔つきをしていた。
しかし次にその口から飛び出したのは、思いも寄らない言葉だった。
「ずるいですわ、アイダンばかり! 私の作品の中に、演じてみたくなる台詞はございませんでしたの?」
「え? あ、とんでもないことです!」
私はソファに置いていた彼女の著作を手に取る。そして、しおりを挟んでおいたページをさっと開き彼女へ示した。
「このセリフ、私に演じる許可をいただけますか?」
「許可など必要ありません」
ウィヒッツ夫人がフッと微笑む。
「そのセリフ、私にとっても思い入れのあるものですのよ。さぁ、早く見せてくださいまし」
「はい! では」
■□■
サロンの客を全て送り出すと、ウィヒッツ夫人は満足気に微笑んだ。
「今日はとても面白いものが見られましたわね」
「えぇ」
アイダンは楽し気にうなずく。
「僕は今、次の作品に男装の麗人を登場させようかと考えております」
「まぁ、アイダン、ずるいわ。私も同じことを考えておりましたのよ!」
「ではともに書きましょう。どちらがより、ご婦人方の心を掴むか勝負です」
「いいでしょう、受けて立ちますわ」
二人の作家は顔を見合わせ笑う。
ミューリの評判が作家界隈に広まり、そして王妃の元へ届くのに、そう時間はかからなかった。
――あたしは、国王陛下のお嫁さんになるの!
幼い私が、うっとりとコインを胸に抱く。
――無理だよ、ミューリ。だって陛下はもう結婚してしまわれたじゃないか。
私より少し年かさのカイルが現実を見せる。
――するもん! 陛下のお嫁さんになるんだもん! もし出来なきゃ……
幼い私は癇癪を起こす。
――悲しくて、死んじゃう!
私の言葉に、少年のカイルは息を飲む。そして泣きじゃくる私を優しく宥めた。
――死んじゃだめだ、ミューリ。俺が君の夢をかなえてあげるから。
「ミューリ」
私の名を呼ぶカイルの声に、はっと目を覚ます。
見回せば辺りは真っ暗。
私は書斎で読書しながら眠ってしまっていたようだ。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと転寝しちゃっただけ」
カイルの手にした灯りが目に眩しい。
私は目をこすり、伸びをした。
(なんか、懐かしい夢を見ていたような……)
お腹が、クゥと鳴った。
「晩餐の時刻?」
「あぁ。いつまでも来ないから迎えに来た。義父さんも待ちくたびれてるぞ」
「いけない、急がなきゃ」
立ち上がった瞬間、軽い眩暈を起こす。
「わわっ」
「ミューリ!」
カイルが灯りを持ったのと逆の腕で、私を支えた。
「ごめん、ありがとう。ちょっと頭使いすぎたみたい」
「……」
カイルは机の上に積み上げた本に目をやった。
「ウィヒッツ夫人のサロン以降、急に増えたもんな。作家関連のサロンへの招待が」
「うん。おかげで、読まなきゃいけない本が山ほど」
作家関連のサロンに参加して、作者を前に「読んだことありません」はご法度だ。
「読書は嫌いじゃないけど、中には相性の良くないのもあるからね。そういうのは義務感で読むことになるから、どうしても眠くなっちゃうね」
「別に、全部のサロンに行かなきゃいいだろ。最近は招待の数も多いし、少し絞ったらどうだ?」
「そうね」
私はカイルの肩に頭を持たせかける。
「でも、私の名が陛下の元へ届かなきゃ、カイルは出世できないでしょ?」
「え……」
「だったら、頑張るしかないよ。特に、位の高い方のサロンには絶対行かなきゃ」
「ミューリ」
カイルの指が私の髪を優しく梳く。子どもの頃のように。
「明日、時間取れるか?」
「明日? うん、予定と言えば読書くらいかな」
「よし。なら俺と出かけるぞ」
出かける?
「おお、カイル様だ!」
「カイル様、こんにちは!」
翌日、私はカイルと共に馬車で出かけた。カイルが窓から顔をのぞかせると、領民は嬉しそうに声をかけてくる。しかもずいぶんフランクに。
「止めてくれ」
カイルは御者にそう言って、馬車を止めさせた。
「来いよ、ミューリ」
「えっ、何?」
カイルは私の手を取り、共に馬車から降りる。
「おや、今日はミューリ様もご一緒でいらっしゃいましたか」
「あぁ、デートだ」
カイルの言葉に、領民たちは微笑ましい顔つきになる。
「まぁ、仲のおよろしいことで」
「昔から、睦まじくていらっしゃいましたものね」
(えぇ……)
領民たちの言葉に、なぜか頬が熱くなる。
(仲がいいって言っても、兄と妹みたいなものだったし。今だって、互いの目的のために手を組んでるだけだし)
そんな私の気も知らず、カイルはグッと私の肩を抱く。
「長年の想いが通じたってやつだな!」
「ちょ、ちょっとカイル!」
「ははは、照れる顔も可愛いな」
「人前でこういうのは……」
「ん? なら二人きりの時にするとしよう」
そう言いながら、カイルは私の額にキスを落とす。
「カイルー!」
私たちのやりとりに、領民たちの間から好意的な笑いが起こった。
「あのっ、カイル様!」
若い娘がオレンジを入れたかごを持って近づいてきた。
「カイル様の指示通りやり方を変えてみたら、こんなに大きく実りました。ありがとうございます!」
「おぉ、見事なオレンジだな。一つもらっていいか?」
「はい、どうぞお好きなだけ」
カイルはかごからオレンジを取ると、器用に皮をむく。そして房を分け、その一つを口に運んだ。
「うん、美味い。口に入れた瞬間、甘い汁があふれてくる。実にみずみずしいな、これは」
「ありがとうございます」
「ほら、ミューリ」
カイルはオレンジの一つを指先で摘まみ、私の口元へ持ってくる。
「口開けろ、美味いぞ」
「えっ、えっ?」
「うちの領民が精魂込めて作ったオレンジだ」
見回せば、期待の眼差しが私に集中している。気圧されるように私は口を開け、それを受け入れた。
「美味しい!」
思わず声を上げてしまう。甘く程よくすっぱい果汁が、口の中を優しく潤す。
「だろ?」
カイルが得意げに笑う。
「採りたてのオレンジのおいしさは、やっぱ館では味わえないからな」
「こんなに香り豊かでみずみずしいオレンジ初めて」
私はカイルの手にあるオレンジの房に目をやる。
「それ、半分ちょうだい」
「わかった、口開けろ」
「自分で食べるから」
「口開けないんなら、俺が全部食おーっと」
「あーっ、意地悪! ケチ!」
私たちが子どものようにじゃれ合うのを、領民たちは笑って見ていた。
私たちはその後、屋台をめぐり、農家でミルクをもらい、花の咲く丘へと足を運んだ。
「ふぅ」
わたしは下草の生い茂る丘に、行儀悪く大の字になって寝ころぶ。マナーを忘れ、パンやチーズや果物をかじり、牛乳でのどを潤して。
「なんだか子どもの頃に戻ったみたい」
「こういうのもたまにはいいだろ」
「うん。……あっ!」
私はガバッと身を起こす。
「どうした」
「もしかして、今日のこれもレッスンだった? こう、新しいものに触れて感性を磨けとかそう言う? 私、何も考えず満喫しちゃったんだけど」
「それでいいんだよ」
カイルが私の手を引き、やや強引に隣に寝ころばせる。
「お前、最近ちょっと頑張りすぎてたからな。外の空気吸わせなきゃと思ったんだ」
「カイル……」
私は空を見上げる。
「青いね、すごくきれい」
「あぁ」
「風も、気持ちいい」
「だな」
「カイル」
私はそっと手を伸ばし、カイルの指先に触れる。ごく自然な動きでカイルは私の手を取った。
「カイル、領民のみんなに慕われてるんだね。どこに行っても大歓迎だった」
「まぁ、何かを決める際には必ず現場に足を運んでいたからな。直接顔を合わせて何度か話をすれば、親しみも持ってくれるさ」
私はカイルの指を弄ぶ。
「カイルだって、頑張りすぎじゃない? 私のお父さん、そこまでしてないと思うよ。もう少し手を抜いても……」
「俺は、そのうちもっとでかい領地の主人になるつもりだから」
カイルの言葉に、胸の奥にすき間風が一筋流れ込んだ。
それは私を陛下に差し出した後、見返りとして手に入れる土地のことを言っているのだろう。
私はカイルの掌から、自分の手をそっと抜く。カイルがこちらを見た気がしたが、私は空を見上げたまま言った。
「二人で、それぞれの目標達成して幸せになろうね」
「そうだな」
カイルは一つ息をつく。
「王宮によく出入りしている兄から聞いたが、最近、お前の名が王宮でもたびたび上がるようになったらしいぞ」
「本当に?」
「あぁ。ダンサーのように軽やかに舞い、詩人のように巧みに言葉を駆使し、女優のように表情を変える。そして数多の芸術家にインスピレーションを与える、女神のようでもあると」
「……ちょっと話が大袈裟に伝わってない? 実物が顔を出しにくいんだけど」
「きっともう少しだ。お前の夢は、もうじき叶う」
カイルの手が、ふいに私の手をやや強引に掴んだ。引き抜こうとしたものの、しばらくの間カイルはそのまま手を離してくれなかった。
(ついに来た……!)
ある日私の元へ届いたサロンの招待状、送り主はショーアイ公爵夫人だった。
公爵、つまり爵位の中でのトップ。
――いずれ評判が公爵夫人の耳に届けば、陛下の元まであと少しだ
かつてカイルはそう言っていた。ついに目標の近くまで手が届いたのだ。
固唾を飲みつつ、私は招待状に目を通す。
作家の間で評判になっている私を、ショーアイ夫人お抱えの作家であるコダール・ジャノーメが、会うことを熱望している、とのことだった。
(また、作家のサロンか)
事前に本を読んでおかなくてはならないのは、少し面倒だが。
(でも、公爵夫人開催のサロンなら断るわけにはいかないよね!)
「コダール・ジャノーメか」
いつの間に入って来たのか、カイルが私の背後から招待状をのぞき込んだ。
「脅かさないでよ、カイル」
「コダールは超有名作家だ。ショーアイ夫人お抱えの作家でありながら、国王陛下も彼を大いに支援している」
「そうなんだ」
「あぁ。毎年かなりの金額が陛下からコダールに流れてるぞ。それにコダールは庶民出身でありながら、国王陛下とは親友のようにふるまうことを許されている」
「つまり、絶対に敵に回しちゃいけない人ってことね」
「そうだ。ただ……」
カイルが不快そうに眉をしかめた」
「何よ」
「コダールと言う作家、かなりの毒舌家でな。正直、直接言葉を交わして愉快になったことは一度もない。しかも女性に対しては恨みでもあるかのように辛辣だ」
「えぇ……。そんなのを陛下は支援してるの?」
「作品は素晴らしいからだそうだ」
サロンに行く前から気が滅入る。
そんな私の肩を、カイルはポンと叩いた。
「耐えろ、ミューリ」
「うぅ」
「奴に何を言われても笑って聞き流せ。奴に気に入られれば、陛下は必ずお前に強い興味を持つ」
「……わかった」
「コダールの著書はいくつか部屋にあるから持ってこよう。正直、見るたびにやつの言動を思い出して焼き捨てたくなったが、持っていて良かった」
なんか、そんな人の本を読むのは嫌だなぁ……。
(想像していた以上だった!)
ショーアイ公爵夫人のサロンに足を踏み入れた瞬間、耳に入って来たのは下品な胴間声だった。招待客の女性を捕まえては、一人一人に胸のサイズや形がどうの、腰つきがどうのと品評し、相手が顔を赤らめ唇を噛み涙を浮かべるのを見て、ゲラゲラ笑っている。
小一時間も経たぬうち、私のフラストレーションは限界に達しつつあった。
ストレスをためているのは当然私だけではない。他の招待客たちも、ショーアイ夫人の顔を立て不満を口にはしないものの、鼻白み不快そうに眉を顰めて彼を睨んでいる。
私がここへ招待されたのは、コダールが私に会いたがっているという理由のはずだった。
しかし彼は、私を見るなり吐き捨てるように言ったのだ。
「なんだ、ただのちんちくりんだな。噂とはあてにならんもんだ」
いきなり!
初対面から、これ!
「ダンサーのように軽やかで? 詩人のように言葉が巧みで? 女優のようで? 女神のようでもある? ギャッハッハッハ! これが? ウァッハッハッハ!!」
腹を揺すって笑うな、オッサン!!
いや、私だってその噂は大袈裟と思うよ? けど、本人目の前にそれはなくない?
けれど私も大人だ。目的のためには自分を抑えられる。
私は奥歯を噛みしめ、コダールにただにっこりと微笑みを返した。
「そういえばミューリ嬢、私の著作は読んでおられますかな?」
「えぇ、勿論」
事前に数冊読んだが、確かに彼の作品は素晴らしいものだった。こんな奴が書いたとは到底思えないほどに。ただ、全く心に響いては来なかったが。
「貴方の作品は……」
苛立ちを抑え込み、彼の作品を賛美する言葉を並べようとした時だった。
「いや、結構! 私の崇高なる作品が、女の頭で理解できようはずもありませんからな!」
は?
あまりの言葉に、一瞬頭の中が真っ白になる。
今、なんて? は?
「貴女にはあれだ、子どもの妄言のようなシュージンあたりのフワフワした空っぽ作品が丁度いい」
なんて?
「もしくはぺらっぺらの言葉を並べ立て、ろくな思想もないクァンズなどがピッタリだ」
はい?
「そういえばアイダンがお気に入りでしたかな? 女に都合のいい妄想そのものの奴の作品は、夫に愛されぬ女が一人寂しく我が身を慰めるのに良さそうですなぁ」
おぉおん!?
「ウィヒッツ夫人の作品は、まぁ、女が書いたにしては読めなくもないが、所詮は女の作品。生意気にも小説らしきものの形にだけはなっているが、我らの手慰みの落書きにも劣る」
あぁあぁああぁあ!?
「おや、気を悪くされましたかな?」
私の顔が強張っているのに気づいたのだろう、コダールは楽しそうにニッタリと笑った。
「ははは、仕方ないですなぁ! まぁ、男は理性の生き物、女は感情の生き物と言いますからなぁ! 男のように頭でちょっと考えれば理解できようものが、女はお気持ちだけですぐにキーキーとわめきたてる」
キレた。
ブチ切れた。
「まぁ、面白いことをおっしゃる方」
私は扇で口元を覆い、目を細める。
「確かに私は心で考える傾向にあるかもしれませんわ。でも、貴方は頭で考える方でしたのね? てっきり下半身で考えているお方だと思いましたわ」
私の言葉に、コダールが固まった。
招待客たちも皆、毒気を抜かれて私たちを見ている。
やがて徐々にコダールの顔が赤く染まり、顔つきはガーゴイルのごとき醜悪なものとなった。
「き、貴様ぁ!!」
唾を飛ばしながら、コダールが私に掴みかかろうとした。私は幼少期からカイルと繰り返していた剣戟ごっこの際の足取りで、さっとそれを躱す。
目標を失ったコダールは、バランスを崩したたらを踏む。
その瞬間、招待客の間から「ぷっ」と吹き出す声が聞こえて来た。
「誰だ?」
コダールは招待客をふり返り、肩を怒らせる。
「今笑った奴は誰だ!?」
だが、彼に辟易していたサロンの女性陣は、もう彼の機嫌を取る気になれなかったのだろう。くすくすという笑いはさざ波のように部屋中に広がった。
「くっ、ぐぅう……っ」
コダールは悪鬼の形相で私を睨む。やがて
「不愉快だ!!」
そう言い捨てると、足を踏み鳴らしながら部屋から出て行ってしまった。
扉が派手な音を立てて閉まる。
その瞬間、私は我に返った。
(やってしまった……!!)
公爵夫人お抱えの作家を。
国王陛下お気に入りの作家を。
(怒らせてしまった……!!)
蒼ざめる私に、一つの足音が近づく。振り返れば、そこに立っていたのはショーアイ夫人だった。