今日、私――ミューリ・キサットは結婚する。
「病める時も健やかなる時も」
 親戚筋に当たる伯爵家の三男、カイル・スネイドルと。

 彼からのプロポーズの言葉は、きっと一生忘れられない。

 ――ミューリ、俺と結婚しよう。
 そしてお前は王の愛妾となり、俺を出世させてくれ――


 ■□■


 それは、カイルが久々に我が家を訪れた際、口にした言葉だった。
「ふざけてんの、カイル?」
 私は中庭で、訓練用の木剣を幾度もカイルに叩き付ける。カイルは余裕綽々と言った風情で、こちらの攻撃を全ていなした。
 この遊びは、子どもの頃から兄妹のように育ってきた私たちの間で、幾度も繰り返されてきたものだった。
「私があんたと結婚? 私が結ばれたいのは国王陛下だけだって知ってるでしょ?」

 ナラディ王国国王ガレマ11世。12年前のパレードでお姿を目にした瞬間、私は恋に落ちた。
 ちなみに当時、陛下は26歳、私は8歳。その日から、私の運命の相手は陛下だと心に決めている。
 そう、たとえ恋に落ちた瞬間が、陛下のご成婚パレードだったとしても。

「お前こそ、いつまで子どもみたいなこと言ってんだ。何のコネクションもない子爵令嬢が一国の王と結婚できるわけないだろ。てか、国王陛下にはすでに王妃さまがいらっしゃる」
 カイルの木剣が私のものをはじく。それは私の手を離れ、植え込みの中へと突き刺さった。私は痺れた手をさすりながら、カイルの青い瞳を見返す。
「わからないじゃない。王妃さまが亡くなれば、私に出番が回ってくるかもしれないし」
「不穏なこと言うのはやめろ。誰かに聞かれたらキサット家だけじゃなく、下手すりゃ親戚である俺ん家までお取り潰しになるだろうが」
 カイルはすたすたと植え込みの所まで行くと、私が手放した木剣を引き抜いた。
「だがな、王妃は無理でも愛妾ならお前にも可能性がある。過去には平民から成り上がった女だっているからな」
「私がなりたいのは妾じゃなくて、妃」
「現実を見ろ、ミューリ」
 カイルは私の木剣を投げて返す。
「王族にとって結婚とは、常に政略結婚だ。相手は国にとって有利であることが必須条件。現に王妃様だって隣国から嫁いで来られた方だろう。恋愛沙汰とは程遠い」
 ぐぬぅ。
「だが愛妾はちがう。そこにあるのは立場を選ばない真の恋だ。ミューリ、お前は国王陛下と恋がしたいんだろう?」
「そうよ」
「そこで取引だ。俺と結婚しろ。そうすれば王と恋愛する資格をお前は手に入れられる」
(恋愛する資格……)

 カイルの言う通りだ。
 この国には奇妙なルールがある。既婚者が未婚の人間に手を出せば『不倫』として咎められるが、既婚者同士であれば『大人の自由恋愛』と認められるのだ。それは国王陛下とて例外ではなかった。
「対して俺は、伯爵家の三男坊。兄が爵位を継げば、あの家に俺の居場所はなくなる。だがお前と結婚し、お前が国王陛下に気に入られさえすれば」
「私を差し出す見返りとして、あなたには陛下から金や土地が与えられる、と言う算段ね」
「そういうこと」
 私は再び木剣をカイルに叩き込む。カイルは片手でそれを受けとめた。
「その話、乗った」
「ふふん、お前ならそう言うと思ったぜ」
 私たちは至近距離でにやりと笑い合い、そして剣を下ろす。
「それにしてもミューリ、お前は陛下のどこが好きなんだよ?」
「どこって、むしろ好きにならない理由がないでしょ。顔がいい。お金持ち。そして国の頂点《トップ》。そして顔がいい」
「欲望まみれか」
「何とでも言って。私は国王陛下が好きなの。あのお方とただ素敵で熱烈な恋がしたいの」
「はいはい。お前は子どもの頃から、陛下の顔が刻まれたコインを、片時も手放さなかったもんな」
 私は首に下げていた小さなお守り袋から、陛下の顔をかたどったコインを取り出し、そっとキスを落とす。
「だってこんなにきれいな顔、普通ある? 神の作り給いし奇跡の造形。はぁ、お顔が天才」
 カイルは片方の口端を吊り上げ、肩をすくめる。栗色の髪が風に揺れた。
「カイル、そっちこそいいの? 私と結婚しちゃって」
「何が?」
「例えば、将来を約束した恋人はいないの?」
 私の言葉にカイルは前髪をかきあげる。
「いないね。それに本当に好きな相手を、王に差し出せるかよ」
 妻を差し出す前提で結婚するのやめろ。
「まぁ、本気の恋をしたら、『大人の自由恋愛』を楽しむことにするさ」
「カイルがそれでいいなら」
「じゃあ、俺は出世のために」
「私は国王陛下との恋のために」
 私たちはニッと笑い、グラスのように互いの木剣の柄頭を軽くぶつけ合った。

 ■□■

「新婦、ミューリ・キサット」
 神の前で私たちは嘘をつく。
「その命のある限り心を尽くすことを誓いますか?」
「誓います」
 私とカイルは見つめ合う。そして微笑んでキスを交わした。

 この日、私たちは「夫婦」と言う名の戦友(パートナー)となったのだ。
 打算まみれの目的を果たすために。