「千鶴星那…っと。よし、書けた。」
今、私が書いているものは、クラブ入部届。四日間のクラブ体験を経て、吹奏楽部に入部することにした。
(まあ、吹奏楽部以外のクラブには見学に行ってないんだけどね。)
明日には担任の先生に提出して、晴れて吹奏楽部に入部することになる。
「オーボエ、吹きたかったなあ…」
とはいえ、担当がもう三人もいるのであればどうしようもない。二年ほど待てば何とでもなるだろう。
「結局、六華も結乃も吹奏楽部に入るのよね…」
六華は電子楽器が使えるのなら吹奏楽部でいいと言い出し、結乃は弓道部の大変さを目の当たりにしてしまい諦めたとのこと。
「やるならクラリネットかなあ…」
折角なら”あの人”に頼むか。
「電話、かかるかな…」
『おお、おほしか。』
「りく助、ちょっと頼みたいことがあるんだけど…」
『——ああ、分かった。おほしの頼みなら何とかしてやろう。』
「ありがとう。また連絡する。」
♢ ♢ ♢
「今年は15人の新入部員が来てくれました。はい、拍手。」
放課後、新入部員歓迎会が開かれた。
(結構多いのね…変に緊張しちゃう…)
一通りの説明を受けた後、新入部員だけ部屋に残された。
「最後に、この吹奏楽部に伝わるある魔法をかけよう。」
(…は?)
そんな訳がない。ここはただの中高一貫校。魔法使いだなんている訳がない。そうだ、これは比喩表現に違いない。魔法だなんてそんな…
「目は閉じておけよ。3、2、1…」
先生が指揮棒を構えたその瞬間、辺り一面に光が放たれた。赤、黄、緑、そしてこの前見たものと同じような、青。
「よし。もう良いぞ。」
「え…?何も変化はないですけど…」
「何が起きたの?」
ざわざわとする部屋。
「これはお遊びの魔法なんかじゃない。正真正銘、本物の魔法だ。まあ、レパートリーはこれしかないけどな…」
「「「「「「「「「「「「「「「え⁈」」」」」」」」」」」」」」」
きれいにはもった。
「詳しいことは、まあいつか話すが…一応魔法が使えるんだよ。」
驚きでしかない。こんなことなんて本当にあるんだ。
「みんなも楽器が演奏できるようになれば、きっとこの魔法が花開くだろう。今日からの目標は『最高の演奏をたくさんの人に届ける』だな。」
初っ端からとんでもない展開だ。本当にここはただの中高一貫校なのか本気で疑いたくなる。今、私の身の回りで起こっていることが全て信じられない。
「あ、星那がまた…」
「本当だ…保健室の先生に説明するのが面倒なのに…」
(六華…結乃…ごめん。)
またふわふわしてきた。頭の容量がキャパオーバーしそう。
「あー、君か。この前得体のしれないものを見て気を失った者というのは。」
「え?なぜそれを…」
「そりゃあ、学校の先生同士で共有するべき問題だからな。」
(え?)
「あの得体のしれない光こそが、私たち吹奏楽部の魔法だよ。」
その瞬間、またしても先生の指揮棒が光った。
「この魔法が何かを救うことはない。だが、人々に感動を与えることはできるのだよ。」
(なんか強者っぽさを感じる…)
この吹奏楽部、何だかおかしなことが起こっている気がする…そう思ってしまった星那であった。
数日後、私たちの担当する楽器を決めることになった。中等部一年生はコンクールに出られないらしいけど、まあ、いいや。
「そうそう。それで唇をぶるぶるーって震わせる感じで…」
今はトランペットの体験中。ここのパートリーダーである主野未来先輩は初期から私に優しくしてくれている。余談だが、噂によれば彼氏がいるらしい。
(まあ、先輩ってすごく明るい人だからね…)
未来先輩は太陽並みに明るい人で、誰かが落ち込んでいるときには話を聞いてあげられる、素敵な人。多分人類の鏡か何かになれる。
「こ、こうですか…?」
「そうそう!すっごく上手!」
(褒められただけでもすごく嬉しい…)
「よし、じゃあ楽器を付けて吹いてみて。」
初めて持った楽器は、これでもかというくらい重たかった。
「楽器、重いでしょ。私も、昔は少し高く持ち上げるだけで肩が凝ったからね…」
「肩、凝るんですか?」
「まあね。でも、今はもう何も思わない。」
(流石は先輩…)
「ほら、感覚を忘れないうちに吹いてみて。」
「は、はい!」
「これで、全員体験し終えたな。」
三日間かけて、全ての楽器を体験した。意外なことに、全ての楽器で音らしい音が出た。
「一度、全員と面談をして決める予定だ。自分の希望通りにはいかないかもしれないが、そこは分かっておいてください。」
私の今のところの希望は、クラリネット。オーボエは人手が足りなくなって困ったときに、一番最初に声をかけてもらいたいから、クラリネットで修行する予定。
「じゃあ、一旦名簿順で面談しますね。一条から。」
待っている間は、雑談タイム。自分の挑戦したい楽器を言い合っていると、あることに気付いた。
(オーボエに挑戦したい人全然いない⁈)
正直言うと、多いのはサックスやトランペットなど、バンドの花形とも呼ばれるところ辺り。聞いた感じはトランペット希望が五人、サックス希望は四人。
(でも定員は二人…)
先輩たちの情報によれば、定員オーバーしたパートは話し合いをしたり先生が思いを聞いたりするらしいが、最後まで決まらなければくじ引きをするということもあるらしい。
『私たちはね、くじ引きだったの。みんなどうしてもトランペットが良いって言って譲りたがらなかったから、くじ引きをしたの。』
『それで、未来先輩は…』
『私は何とかね。でも、私と仲が良かった子とはできなくってさ。』
『…』
『その子とは今も仲良しだけど、その時はすごく話すのが気まずくてさ…』
未来先輩もそう言っていたぐらいだから、結構身構えてはいた。
「星那、空振りだね。」
「ホントそうだよ…何となく人気があるのかなって思ってたけど…」
「それに、このままいけばクラリネットも定員オーバーしないからね。」
「うん…もう笑うしかないよ…」
六華の言う通り、空振り。結乃も、クラリネットが定員オーバーしていないことを分かっている…
「そういや、もうすぐ星那の番じゃない?」
「確かに…」
「千鶴ー!」
呼ばれた…
「星那、頑張って!」
「どんなかんじだったか、教えてよね。」
結乃と六華の言葉を背に、私は先生のいる部屋に向かった。
「で、千鶴はクラリネットとオーボエをしたいと…」
「はい。オーボエは先輩たちが卒業するまで出来なさそうなので、クラリネットで修行して、将来的にはオーボエをしたいなって…」
そう、私は第一希望にクラリネットとオーボエ、二つの楽器を書いていた。
(オーボエに関しては募集してなかったから、多分先生も混乱しているのよね…)
こうなることは予想していた。それを覚悟の上で、第一希望に二つの楽器を書いた。
「——ふふ…はっはっは!」
「先生…?」
「いや、すまない…これほど熱意のあるやつは久しぶりに見たからなあ。」
(⁇)
「それと、クラリネットもオーボエも家にあると…」
「あ、はい。」
そう、私は既に楽器を購入していた。りく助こと、千鶴陸羽。私の父の兄、つまり伯父である人。楽器店に勤務しているため、それなりに楽器のことは分かるらしい。まだ誕生日は先だったけど、『誕生日プレゼント』としてクラリネットとオーボエをりく助に買ってもらった。
「まあ、分かった。しばらくはクラリネットにいることになると思うが、いつかはオーボエに入ってもらおう。」
「⁈はい!」
「あれ?星那戻ってくるの早かったね。」
「そうかな?」
「楽器、どうなったの?」
「それはみんな確定してからって約束でしょ?」
流石に言えない…クラリネットはまだしも、オーボエまで確定しちゃってるだなんて…
(でも、オーボエは家で練習しないと流石にできないよね…)
そう、クラリネットとオーボエは何もかもが違う楽器なのだ。吹き方も、指使いも、音域も。
(はあ…たくさん練習しないとなあ…)
♢ ♢ ♢
別室で一通り生徒と会話し終えた宮下は、星那のことを思い出していた。
「まさか、“あの時の私”のような生徒に会えるだなんてな…」
そう、宮下も学生時代にクラリネットとオーボエを兼任していた。
「というか、色んな生徒と似ているのだよな…」
宮下が一番似ていると感じたのは、過去の宮下ではなく、主野未来だった。
『主野は絶対にトランペットをしたい、と。』
『…はい。』
『まあ、ここの第一希望の欄に“絶対”って書いているからなあ。』
主野は今と比べると、元気な感じはあまりなかった。ただ、今も昔も瞳の奥で小さな炎が燃えているようにも感じられた。
「主野と同じように、千鶴の瞳の奥にも何か炎が見えたのは、気のせいかな…」
主野は残念なことに定員オーバーしているパートを選んでいたので、やむを得ずくじ引きで決定した。だが…
「千鶴の第一希望は定員オーバーもしていないし、熱意があったからな…きっと、ここの吹奏楽部は安泰だ…」
♢ ♢ ♢
(オーボエ…クラリネット…オーボエ…クラリネット…)
「——いな?星那?おーい、千鶴?」
「⁈」
「あ、良かった。ずっとぼんやりしてたから。」
目の前には、結乃。
「大丈夫?体調が悪いとか、そんなのじゃない?」
「あ、うん…ちょっと考え事をしていただけ。」
「ならいいけど!」
私、さっきまで何を考えていたのかな…?
「もうすぐ六華も戻ってくるはずだし、もう起きておきなよ。」
「うん。」
「あ、来た来た!」
「おっ!らっしゃいらっしゃい!」
「なんやねんそのノリは…」
「うふふ、いらっしゃい。」
「今年も来てくれましたね、新入部員さん。」
「いらっしゃい、クラリネットパートへ!」
晴れてクラリネットを演奏できると決まった私が一番最初に思ったこと、それは…
(個性の渋滞が起きている…!)
もちろん悪い意味ではない。けど、ありとあらゆる個性が渋滞しすぎていて、何が何だかよく分からない。多分、この癖の強さのおかげで、先輩たちのことはすぐに覚えられるだろう。
「まあ、自己紹介をしましょうか。私は安藤ゆかり、高等部三年生でパートリーダーです。よろしくお願いします。」
「俺は宮本勇雅!高三!よろしく!」
「自分は仲島拓。高等部二年だ。」
「三日月妃那です。高等部一年生です。」
「うちは新島美琴!中三や。よろしくな!」
「俺は岩神光琉!中二!」
——ここは個性のパラダイスなのか?
「じゃあ、あなたのお名前も教えてもらってもいい?」
「あ、はい。千鶴星那です。よろしくお願いします。」
(よし。何とか噛まずに言えた。)
だが、ここで安堵するのはまだ早かった。
「えーっと、このパートでの掟について話すわね。」
「——掟?」
「ええ、掟。」
(は?)
もう嫌な予感しかしない。何か上下関係等の話だろうか…
「自分の個性を大切にしなさい。自分のことを否定せず、自分のことを誇れるような人間になりなさい。これだけね。」
「え?あ、はい。」
思わず拍子抜けしてしまった。
「そうだそうだ!自分らしく生きることが、一番大切だからな!」
「光琉、あんたちょっと…いや、とてつもなくうるさいわ。」
「えー。美琴先輩には言われたくないですよ…」
「はあ⁈あんたの方が充分うるさいわ!」
「ま、まあまあ二人とも…」
急に戦いを始めないでいただきたい。妃那先輩が困っているでしょ。
「まあ、いつもこんな感じよ。光琉くんと美琴ちゃんが言い合いをして、妃那ちゃんが仲裁して、拓くんと勇雅と私はそれを眺めながら練習。」
「そ、そうですか…」
何だかここに馴染める気がしない…
「ゆかり…ちょっといいか?」
「何?」
(勇雅先輩…?)
「拓が…」
「あ、例のダーク何とか状態か…」
(何それ…)
「楽器たちに閉ざされし暗闇よ…」
(いや、厨二病にしては特殊過ぎる。)
もうだめだ。何も分からない…
「まあ、正直に言っちゃうと、個性を大切にし過ぎた結果ってわけね…」
「あ、あの…」
「なあに?」
「ゆかり先輩は何でそんなに『個性』を大切にしているんですか…?」
「あー。先輩たちが卒業するまでは、何となく息苦しい練習ばっかりしていたの。だから、自分自身を見失わないために、私が掟にした。」
「そう、ですか。」
確かに。息苦しい練習ばかりじゃ上達はする訳がない。一理ある。
「まあ、これから頑張りましょうね!」
「…はいっ!」
「そういえば、美琴先輩って関西出身ですか?」
「ん?ああ、そうやよ。」
ある放課後、パートのみんながそれぞれの諸事情により、クラリネットパートは二人だけで練習していた。
「なんだか、流ちょうな関西弁がすごく素敵で…」
「——そんなん言うてくれたの、星那ちゃんが初めてや。」
「…え?」
どこか悲しそうな顔をした美琴の顔を見て、星那は驚いた。
「うちな、小三まで大阪に住んでてん。小四でここら辺に引っ越してきたんよ。」
「そうだったんですね。」
「関西弁なんてここらで話したらビックリされるやろ?それに、うちは『何か方言で喋って』みたいなこと言われるのが一番嫌いやった。」
「…」
「だから、ある時期を境に関西弁を喋るの辞めたんよ。」
初めて聞いた話だからか、戸惑ってしまう。
「でも、美琴先輩って今は関西弁を話していますよね…?」
「うん。ゆかり先輩が自分を誇れって言うてたから。自分を隠すのはもう辞めてん。この髪も目もな。」
(笑顔の輝きがすごい。)
「ていうか、星那ちゃんって、私のこと見ても驚かんかったよな…」
「あ、はい。綺麗だなとは思ったけど…」
そう、美琴は金髪で青色の目をしていた。
「え?ホンマにそれしか思わんかったん?」
「それだけ、ですね…」
「——すごいな、あんたは…」
「えっと、生まれつきです…よね?」
「うん。父さんがアメリカ人で、母さんが大阪人。うちは英語喋るより関西弁喋る方が好きやけどな!」
(多分、いやきっと、美琴先輩は色々なことで苦労していたんだ…)
星那も生まれつきの茶髪で、昔から色々と聞かれたことはあった。
(まあ、私の親はどっちも日本人だから、別にそこまででしかないけどね。)
星那の中ではそこまで髪や目の色は気にするものではない、みんな同じ“人”という結論で終わっていたため、美琴の髪や目の色は気にするほどではなかった。
「そういや、星那ちゃんも綺麗な髪やなあ…」
「そ、そうですか…?」
「うん。すっごい綺麗。」
「ありがとう、ございます…?」
少し返答に困ったけど、綺麗と言ってくれるのは嬉しい。
「よーし、練習頑張るぞー!」
「はい!」
「——よってこのような反応が起こります。このようなことを…」
今は授業中。だけど…
(つまらない…)
既に塾で習っていたので、何も面白くない。
(せっかくだし、譜読みするか。)
吹奏楽部三大内職の一つ、譜読み。
(まあ、バレなきゃ犯罪じゃないからね。隣の席は…有島なら大丈夫か。)
そんなこんなで、机の中から貰いたてほやほやの楽譜を取り出した。
(えーっと、ソ、レ、シのフラット…)
『千鶴さん、何してるの?』
『あ、これはその…』
しまった。速攻で有島にバレた。
『先生が来そうだったら呼ぶから。心配しないで。』
(…神。)
『ありがと。』
そのまま何とかばれないように、ノートに隠しながら譜読みをした。
(後は…)
一番最後に残していたのは、私の大好きな曲。
『あ、その曲…』
『え?有島も知ってるの?』
『うん、俺の好きな曲で…』
『本当に?実は私も。』
バレないように小さな声だけど、お互いの共通点を見つけた。
『千鶴さん、すごいよね。スラスラと楽譜を読めてさ。』
『そんなことないよ。先輩たちの方がもっと早いよ。』
譜読みが終わってからは、指練習の時間。
(ここの連符、嫌い。)
お気に入りの三色ボールペンを上手く利用して、指を動かしていた。
(装飾…もう良いってば…)
どれだけお気に入りの曲とはいえ、楽器との相性がある。唯一違うことといえば、他の曲よりも楽しく練習できることくらい。
(まあ、今日のクラブで頑張るしかないか…まだまだ音の状態も良いとは言えないからね…こんな感じじゃ、オーボエの練習も大変だろうな…)
学校ではクラリネットの練習をしているけど、家ではもちろん、オーボエの練習をしている。
(先生、今日ノート全然書かないな…珍しい。)
まあ、その方が嬉しいけどね。
♢ ♢ ♢
「では、授業を終わります。号令!」
やっと終わった…ずっと指連をしていたからか、指がつりそうだった。
「星那ちゃん聞いた?」
「ん?何を?」
この子は花岡薫ちゃん。同じ吹奏楽部で、フルートを担当している。結構上手。
「今日、宮下先生が急な出張でクラブが休みになったらしいの。」
「そうなの?」
せっかく例の曲を練習しようとしていたのに、残念。まあ、今日はやることがあるから、まあいいか。
「それにしても、宮下先生も忙しい人よね。」
「確かに…今は研修とかのシーズンなのかな…まあ、先生は、その…研修が必要そうな年齢ではない気もするけどね…」
「それを言っちゃ、ねえ。うふふ。」
今日は授業が五限までだから、家に帰ってからオーボエの楽譜を買いに行くつもり。せっかくだから、有島の好きな曲にでもしてやろうかな、なーんて。
「有島、ちょっと聞きたいことがある。」
「どうかした?」
「さっきの曲以外で、好きな曲とかってある?」
「あ、うん。この曲知ってる?」
そう言って、筆箱に入っていたメモ帳を取り出し、そこに曲名を書いてくれた。
「これ、『一つの赤いバラ』って曲。知ってる?」
「あー、何となく知ってはいるけど、聞いたことはないかな。」
有名な曲ではあると思うので、多分楽譜にもなってはいるだろう。
「でも、俺の好きな曲を聞いてどうするの…?」
「オーボエの練習に使おうと思って。」
「あ、千鶴さんの楽器だっけ?」
「正式的にはクラリネット担当だけど、いつかオーボエも担当したいなって思って。今はまだ練習中!」
「そうなんだ。練習、頑張ってね。」
「うん、ありがとう。」
「らっしゃーい…って、おほしか。」
「うん。ちょっと聞きたいことがあって…」
「何だ?楽譜探しにでも来たのか?」
「まあ、うん。」
放課後、星那は一度家に帰ってから陸羽の店に行った。
「えっと、『一つの赤いバラ』のソロ楽譜、オーボエ用のってある?」
「あー…クラリネット用は見たことあるけどな…」
「まあ、見てみる。どこら辺にあるの?」
「おう。『ひ』だから多分、一番右奥の棚の『ひと③』のファイルだな。」
「区切り方が気持ち悪いね…」
「そこか?」
右奥の棚まで、早歩きで向かう。
(えーと、多分ここだよね。)
そこには陸羽の説明通りのファイルがあった。
(えーっと、どこかな…)
一つの赤いバラのソロ用ではない楽譜や、オーボエ以外の楽譜はずっと出てくる。
「無かったら困るのにな…」
せっかく有島が楽しみにしてくれているのに、ここで見つからなければ意味がない。絶対に見つけ出さないといけない…
(お願いだから出てきて…!)
ファイルも残り1ページ。心の中で一生懸命に願いながら、ページを掴み、めくった。
「あっ…」
あった。見つけた。
「りく助、あったよ。」
「そうか。データが書かれてあると思うから、読み上げてくれ。」
「うん。えっと…」
「——よし。少しだけ待っておけ。」
待っている間は、近くのソファーに座っていた。
(まあ、無断転載禁止のためにだと思うけど、でかでかと“SAMPLE”って書かれると内容が分からないのよね…)
確かに、誰かが心を込めて作った曲にお金を払わないのは言語道断。かといって、買うまで分からないのは少し緊張する。
「おい、出来上がったぞ。」
「ありがとう。いくら?」
「ファイルに書いてあるはずだから、それを見ろ。」
「はーい。」
♢ ♢ ♢
「——疲れた。」
あれから数時間、必死になって練習をした。けど…
「何よこの連符…本っ当に吹きづらい。」
だけど、原曲にも同じような部分があるので致し方ない。練習する他に道はない。
(それにしても、有島ってこういう感じの曲とか聞くのね。何だか、意外。)
調べた感じによると、『一つの赤いバラ』は、少し前のテレビドラマで使われていた曲とのこと。恋愛が主軸の物語だったらしいので、この曲の歌詞などにも恋愛が少し絡んできている。
(『一目惚れ』『あなたしかいない』…曲名には会っているけど、有島には何だか合わない気もするような…まあ、人の恋愛には興味ないし。)
もう一度頑張ってみよう、星那がそう決意すると、星那のスマホが鳴った。
「…誰?」
スマホを覗くと、メッセージアプリからだったらしい。
「あ、結乃からだ。」
『せいなー! 先生、明日の部活にも来れないらしいから、私たちは個人練習だって!』
先生…どれだけ忙しいの…?
『了解! 教えてくれてありがとう!』
明日は、あの曲を頑張ろっと。
「飽きた。」
一人ぼっちの練習。流石に飽きてきた。
(先輩たちはみーんな合奏に行っちゃったし…何もやることがない…)
先輩たちはみんなでコンクール曲の合奏をしているらしい。私たちは初心者だし、人数の関係もあって出られないらしい。だから…
「もう飽きた…」
オーボエは家にあるから練習できないし、かといってクラリネットの練習も飽きてきてしまった。
「——あれ?もうお茶がない。」
いくら初夏とはいえ、ここ最近は暑すぎる。そのせいでかは分からないが、お茶の減りが早すぎる。
「給水所に行くか…」
ここ華月学園には、いくつか給水所がある。今いる場所から一番近いのは…
「アイスリンクの近くか…」
正式名称は華月アイスリンク。冬のスケートの授業で使われる他、スケート部の人たちの練習場所でもあるらしい。
「行くか…」
♢ ♢ ♢
着いた。けど…
「暑すぎる…」
早く水を入れてしまおう…
「千鶴さん?」
「え?」
そこに居たのは、いつもと違う服を着た有島だった。
「あ、有島か。綺麗だね、その服。」
「そうかな…?これ、今度の試合で着る服でね、これを着た状態でも上手く滑られるか確認していたんだ。」
「入部直後から試合が出れるなんて、羨ましいな~…うふふ、なんてね。」
「ふふ、スケート部は人が少ないからね。」
いくら人が少ないとはいえ、入部直後の、しかも中等部一年生から試合に出られるのは冗談抜きでも羨ましすぎる。
「ていうか、その衣装って…作ったの?」
「うん。従姉弟のお姉さんに作ってもらったんだ。ここの高等部三年生。」
「そうなんだ。良かったじゃん、素敵な服を作ってもらえて。」
「うん!俺も頑張らないとね!」
「そうね。応援してる。」
普段と違う有島は、どこかいつもよりも輝いている気がした。
「うん、ありがとう。千鶴さんも頑張ってね!」
「はーい。」
少し立ち話をしているだけで、汗をかいてしまった。
(暑い…早く水を入れて、早く部屋に戻らないと…)
水を入れようと、蛇口を開くと…
「…は?」
水が異常なほどぬるい。暑さのせいか、水を求める人が多いからか…
「いくらなんでも…」
食堂近くの自販機も、流石に売り切れているだろう。諦めたくはないが、暑すぎるのでこれ以上外にいるのは良くないかもしれない。
「まあ、すぐに戻れば大丈夫か…」
♢ ♢ ♢
「なーんだ。あったじゃん。」
私の大好きなアップルティー。嬉しいことに、これでもかというくらい冷えている。持ち合わせもあったので、何とか買うことができた。
「よし、戻ろっと。」
戻ったら“私も”頑張らないとね。
「これで、今日のクラブを終わります。ありがとうございました。」
『ありがとうございました。』
あの後からも練習は続き、たくさん入ってあったはずのアップルティーもあと少しになってしまっていた。
(これから歩いて帰らなきゃいけないのか…)
伯父の陸羽を含め、私の家族はみんな仕事で忙しいので、相当な雨か異常な気温じゃないと車での送迎はしてくれない。
(あ、流星と菜々星のお迎え…忘れてた!)
星那の弟で小学三年生の流星と、妹で小学一年生の菜々星。五年生にも弟、光星もいるが、学校終わりには塾に行くので、家には流星と菜々星の二人だけになってしまう。それは流石に防犯上危ないということで、今は民間の学童保育所に入ってもらっている。
「まあ、どうせ光星も迎えに来るか。」
光星は姉、弟、妹の三人のことが大好きすぎて、迎え当番ではない日も絶対に学童保育所に足を運ぶ。
(でも、ちょっと急がないと…)
流石に小学生三人をほったらかしておくのは可哀想だし、みんな危なっかしいからちょっと心配。
あれからしばらく、上り坂を走った。きつい。でも…
「見えてきた…」
私が小学生の時も通っていた、『小鳥学童保育所』。外装も内装も、何なら遊具も綺麗。
「こんにちは、千鶴流星と菜々星の姉です。」
「あら星那ちゃん、いらっしゃい。ちょっと待っててね。」
ここの先生も、私が通っていた時から変わっていない。
「お姉ちゃーん‼」
「菜々星、ちゃんといい子にしてた?」
「うん!今日はね、凪ちゃんと遊んでたんだ!」
「そっか。遊んでもらえて良かったね。」
菜々星から聞いた話によれば、凪ちゃんは小学二年生で、この春からここに入ったらしい。苗字は知らないけど、すごくいい子。
「あ、凪ちゃん!いつも菜々星と遊んでくれてありがとう。」
「そんな…こちらこそ、いつもありがとうございます…」
小学二年生で、完璧に敬語が使えている…こんな子本当にいるの?
「あれ?そういえば流星は?」
「あっちのブランコで、光星兄ちゃんと遊んでる。」
(元気だな…)
光星も来ていたんだ。まあ、これくらい遊んでくれた方が夜もすぐ寝てくれるだろうし、ちょうどいい。
「こんにちは、有島凪の兄です。」
ちょっと待て、めちゃくちゃ聞き覚えのある声だが…
「え?千鶴…さん?」
「有島…?」
(凪ちゃんって、有島の妹だったの⁈)
♢ ♢ ♢
「え⁈菜々星ちゃんって千鶴さんの妹だったの⁈」
「うん。あと、流星と光星も私の弟。」
坂を下りながら、有島に事情を説明する。
「いつも凪から菜々星ちゃんのことは聞いていたけど、まさか姉妹だったなんて…」
「いや、私もびっくりよ。いつも妹と仲良くしてもらっている女の子のお兄ちゃんが、自分と同じクラスの、何なら隣の席の男子だなんて…そんなに起こることじゃないでしょ…」
有島に兄弟がいるのは少し前に聞いていたし、私にも兄弟がいることは言っていた。だけど、まさか自分の弟や妹と同じ学童保育所に通っているなんて…
「凪、今日の晩御飯はコロッケにする?」
「うん。ポテトサラダも買ってくれる?」
「もちろん。」
にしても、仲良しな兄妹だね…
「素敵ね。」
「ん?」
「ふふ、何でもない。」
ここから見えるのは、綺麗な夕日…と、少し前で走り回る光星と流星。
「あんまり走り回って、怪我しないでよねー!」
「「はーい!」」