5
「いいかい蓮くん。超念武遣いの身体の中には念素って名前の化学元素が巡っているんだ。そんでもって念素は、人間の持つ三つの要素に働きかけるんだよ。筋繊維、電気信号、血液の三つにね。
筋線維が強くなると筋力が、電気信号が強化されると反応速度が上がる。血液が強化されると、細菌に強くなったり、毒に強くなったり。あとは五感も鋭くなるね。当然、高い次元の人ほどそれらの効果も大きいよ」
隣を行くアキナは、歌うような調子で説明を始めた。横顔は、まだどことなく嬉しそうだった。
「ただ私の脚の装甲とか、クウガの黒球みたいな固有の能力『念武術』はまだ解析が進んでないの。私たちの現在の推測は、神人の血が少しでも混じっていないと、念武術は使えないっていうものなんだよ」
「さっきの挙動を見る限り、少なくとも蓮は筋線維と電気信号は強化されている。だが過信は禁物だ。反応速度向上の恩恵で、多少は攻撃を避けられるようになってはいるが、銃弾や刀剣の類を食らうと命はない」
アキナの向こうを走るクウガが、深刻な調子で引き継いだ。
「俺は自分の手で、父さんの事件のけりをつけたいから従いて来てるんだ。危険は初めから承知してる。強い力が身について、ほんのちょっと立場が変わっただけだ」
自分に言い聞かすように、蓮はきっぱりと断言した。アキナの言葉通り、走っていても明確に身体が以前より軽かった。
鴨川を超えた三人は、冷泉通りをひた走った。やがて視界の左に、平安神宮の社殿の屋根が入った。護国輔翼会の拠点はもうすぐだった。
三人が朱色の門の横を通り過ぎようとした時だった。バンッ! 平安神宮から銃声が響いた。
アキナは両手を地に付けた。神速の反応だった。逆立ち姿勢で回転し、開いた両足を大きく振り回す。
三人の周りに黒色の炎壁が生じた。ジュッ! 何かが焼ける音がしたかと思うと、炎壁はすぐさま消失する。
「アウー・ジラトーリオで炎の壁を作って、銃弾を燃やし切って防いだんだ。安心して、壁は私が自発的に消しただけ。あんななまくら鉄砲には消されたりはしないよ」
アキナは平安神宮の内部を睨みつつ、静かな調子で呟いた。蓮も吊られて同じ方向に顔を向けた。
朱色の柱と濃緑色の屋根から成る応天門の向こう、白色の砂石の敷き詰められた広場に四人の人影があった。女らしき者は直立、後の三人はしゃがみ状態で銃を構えている。
アキナが駆け出した。クウガはわずかに遅れて従いていき、蓮も走り始める。
鋭い銃声とともに、敵の三人から次々と銃弾が飛来する。
だが銃声とほぼ同時、アキナが両の拳を額の位置まで上げると、直径二メートルほどの黒みがかった氷が出現。ビシッ! 銃弾が当たるも氷にひびを入れるのみだった。
(今度は氷。ムエタイとかいう格闘技の効果か!)
蓮が思考を巡らしていると、アキナは再びノピチャギを放った。ほぼ真上への蹴りが頭の高さに至ると、黒雷が発生。斜め上の軌道で氷の盾を超えて、直角に折れ曲がった。
しかし敵は後方に飛びのいて躱した。ズバチッ! 黒雷が地面に至ると耳障りな音とともに帯電していたが、しばらくすると消えた。
蓮たちと葵依たちは平安神宮の内側、社殿と松などの木々に囲まれた砂地にて、三メートル強の間隔を空けて対峙する。
「とうとうここまで来やはりましたなぁ。よう頑張らはったもんやぁ。そやけど今までのんは様子見の前座。うちらもおんなじ調子でどうにかできると思うてはるなら、そりゃあ大きな間違いやさかい」
鷹揚な笑顔の葵依のおっとりとした語調には、どこまでも危機感がなかった。蓮は葵依以外の三人に目を遣った。
二人が男で一人が女だった。男の二人は褐色のシャツ、黒ネクタイの上に黒いスーツのような軍服を着用している。女は白いブラウスの上に、男と同色の背広を着ていた。
三人とも、頭にはシャコー帽を身につけており、正面の部分には二本の骨の上に髑髏をかたどった帽章が取り付けられていた。身につけるものの冷徹な雰囲気と相まって、不気味な感じだった。
「ああ、やっぱり気にならはる? こちらのお三方はな、護国輔翼会が雇った、欧州はドイツから来はった軍人さん。名前は、紅一点がヘリガ、男の二人は背の高いほうがアデルモで低いほうがロドルフやったかいな。
それもそんじょそこらの軍人やないえ。あんたら神人に潰された秘密結社、ゲルマン騎士団の残党。ドイツ民族こそが至高の民族で、精神病者とか同性愛者とか『普通』、『一般』から外れる者は汚染の源、堕胎でも何でもして根絶やしにすべしっていう素敵な考えをお持ちどす」
「ふんだ。ヘドが出るね。あなたも志那大嫌い団体の一人娘だし、東西差別主義者大大大集合って感じだよね。人種よりもっと大事な物ってたくさんあるでしょ。子供でも知ってるよそんなこと。心が狭いったらあーりゃしない」
不快そうに顔を歪めるアキナは、嫌みったらしく怒りを吐いた。
だが葵依は、なおも和やかに笑んでいる。
「ご高説おおきに。けれど、あれこれ喋るのもこのへんにしとこか。どうもこのお三方は、我慢しきれん質みたいやからなぁ。言葉はわからんでも伝わってこん? あんたらが憎うて憎うて、殺しとうて殺しとうてたまらんっていう重うて暗ぁい情念がな」
葵依の挑発の終わり際、三人の軍人がほぼ同時に拳銃を構えた。だが一瞬にして、拳銃はそれぞれの手から離れ始める。
クウガが能力を使ったようだ。三丁の拳銃が宙を舞って、クウガの手に届──。
刹那、クウガの身体が後方に急加速。五メートル強を行ったところで地面に接触し、三度跳ねて停止した。
「なっ!」クウガを目で追う蓮の口から、思わず驚きが漏れた。
「伏せるんだ蓮くん!」
アキナの凛々しい声が届いて、蓮は慌てて身をかがめた。チッ! 見えない何かが髪を掠める。
「あらあら、厄介やな。折角気づかれんうちに楽ぅに勝たせて貰おうと思っとったのになぁ。そちらの娘さんには見えてしまうんやね。つくづく不思議な御仁やわぁ」
形の良い眉をわずかに上げて、葵依はおっとりと呟いた。
二歩の助走を取ったアキナは、装甲靴を履いた足から葵依に飛び込んだ。だが見えない壁に当たったかのようにアキナは中空でぴたりと止まった。
間髪を入れず、アキナと少し離れたところに黒球が出現。後ろに跳躍して一回転して着地したアキナを尻目に、クウガが矢のように飛んできた。勢いそのままにボクシングのストレートを放つ。
だが、やはり拳は葵依の五〇センチほど手前から先には行かなかった。
クウガは飛びすさって着地し、血の混じった痰を吐き捨てた。大きく飛ばされて、致命傷とまではいかないがそこそこのダメージは負った様子だった。
蓮たちは三人横並びになった。アキナが軍人たちの三丁の拳銃を拾って、後ろを見ずにぽいっと放った。拳銃は平安神宮の門をわずかに超えたところに落下した。
「動きに格闘技を感じん。……俺たちとは異種の力なのか? どうなんだ、アキナ」
クウガは不可解そうな面持ちで言葉を捻り出した。
「うん、超念武じゃない全く別種の異能だね。直感でわかるよ。ちなみにあの極悪のドイツなんちゃら騎士団の三人は、壱次元だけど超念武遣いだから。あと一応確認だけど、二人ともあの性悪泥棒猫の周りにはなんにもまったく見えないんだよね?」
神妙な語調のアキナの問いに、「俺は何にも見えないけど、何か見えるのか?」と蓮は軽く尋ねた。クウガは依然、難しい視線を葵依にくれている。
「よし、これで決まりだね。私があの性悪女狐を担当するよ。私には見えるんだ。今もあいつの目の前にある、紫っぽいけど後ろが透けて見えるおっきな扇みたいなものがさ」
「あの女の力の件は後だ。自分は残りの三人を屠ろう。平和を揺るがす危険思想の持ち主は即刻排除だ。例外はない」
「いいや、二人だ。軍人の一人は俺がどうにかするよ。さっきも言っただろ、俺も力になりたい。二人だけを危険に晒したくはないんだよ。同じ階級だって話だし、一人ぐらいはどうにかしてみせる」
クウガの断固たる宣言に、蓮は即答した。二人は静かな視線を蓮に向け続けていたが、「わかった」とクウガが小さく呟いた。
突如、風を切る音がしたかと思うと、アキナは左にトルリョチャギ(テコンドーの回し蹴り)を見舞った。
アキナの膝から下が黒い雷を纏い、バチバチと音を立てる。だが何かと衝突したのか、頭の高さでぴたりと静止した。
葵依の不可視の攻撃と拮抗するアキナを睨みつつ、軍人たちが武器を抜いた。ヘリガはレイピア、アデルモはサーベル、ロドルフはなんと日本刀だった。間違いなく手の放せないアキナを攻撃する意図である。
(させるかっての!)いきり立つ蓮は、クウガとほぼ同時に駆け出した。
「いいかい蓮くん。超念武遣いの身体の中には念素って名前の化学元素が巡っているんだ。そんでもって念素は、人間の持つ三つの要素に働きかけるんだよ。筋繊維、電気信号、血液の三つにね。
筋線維が強くなると筋力が、電気信号が強化されると反応速度が上がる。血液が強化されると、細菌に強くなったり、毒に強くなったり。あとは五感も鋭くなるね。当然、高い次元の人ほどそれらの効果も大きいよ」
隣を行くアキナは、歌うような調子で説明を始めた。横顔は、まだどことなく嬉しそうだった。
「ただ私の脚の装甲とか、クウガの黒球みたいな固有の能力『念武術』はまだ解析が進んでないの。私たちの現在の推測は、神人の血が少しでも混じっていないと、念武術は使えないっていうものなんだよ」
「さっきの挙動を見る限り、少なくとも蓮は筋線維と電気信号は強化されている。だが過信は禁物だ。反応速度向上の恩恵で、多少は攻撃を避けられるようになってはいるが、銃弾や刀剣の類を食らうと命はない」
アキナの向こうを走るクウガが、深刻な調子で引き継いだ。
「俺は自分の手で、父さんの事件のけりをつけたいから従いて来てるんだ。危険は初めから承知してる。強い力が身について、ほんのちょっと立場が変わっただけだ」
自分に言い聞かすように、蓮はきっぱりと断言した。アキナの言葉通り、走っていても明確に身体が以前より軽かった。
鴨川を超えた三人は、冷泉通りをひた走った。やがて視界の左に、平安神宮の社殿の屋根が入った。護国輔翼会の拠点はもうすぐだった。
三人が朱色の門の横を通り過ぎようとした時だった。バンッ! 平安神宮から銃声が響いた。
アキナは両手を地に付けた。神速の反応だった。逆立ち姿勢で回転し、開いた両足を大きく振り回す。
三人の周りに黒色の炎壁が生じた。ジュッ! 何かが焼ける音がしたかと思うと、炎壁はすぐさま消失する。
「アウー・ジラトーリオで炎の壁を作って、銃弾を燃やし切って防いだんだ。安心して、壁は私が自発的に消しただけ。あんななまくら鉄砲には消されたりはしないよ」
アキナは平安神宮の内部を睨みつつ、静かな調子で呟いた。蓮も吊られて同じ方向に顔を向けた。
朱色の柱と濃緑色の屋根から成る応天門の向こう、白色の砂石の敷き詰められた広場に四人の人影があった。女らしき者は直立、後の三人はしゃがみ状態で銃を構えている。
アキナが駆け出した。クウガはわずかに遅れて従いていき、蓮も走り始める。
鋭い銃声とともに、敵の三人から次々と銃弾が飛来する。
だが銃声とほぼ同時、アキナが両の拳を額の位置まで上げると、直径二メートルほどの黒みがかった氷が出現。ビシッ! 銃弾が当たるも氷にひびを入れるのみだった。
(今度は氷。ムエタイとかいう格闘技の効果か!)
蓮が思考を巡らしていると、アキナは再びノピチャギを放った。ほぼ真上への蹴りが頭の高さに至ると、黒雷が発生。斜め上の軌道で氷の盾を超えて、直角に折れ曲がった。
しかし敵は後方に飛びのいて躱した。ズバチッ! 黒雷が地面に至ると耳障りな音とともに帯電していたが、しばらくすると消えた。
蓮たちと葵依たちは平安神宮の内側、社殿と松などの木々に囲まれた砂地にて、三メートル強の間隔を空けて対峙する。
「とうとうここまで来やはりましたなぁ。よう頑張らはったもんやぁ。そやけど今までのんは様子見の前座。うちらもおんなじ調子でどうにかできると思うてはるなら、そりゃあ大きな間違いやさかい」
鷹揚な笑顔の葵依のおっとりとした語調には、どこまでも危機感がなかった。蓮は葵依以外の三人に目を遣った。
二人が男で一人が女だった。男の二人は褐色のシャツ、黒ネクタイの上に黒いスーツのような軍服を着用している。女は白いブラウスの上に、男と同色の背広を着ていた。
三人とも、頭にはシャコー帽を身につけており、正面の部分には二本の骨の上に髑髏をかたどった帽章が取り付けられていた。身につけるものの冷徹な雰囲気と相まって、不気味な感じだった。
「ああ、やっぱり気にならはる? こちらのお三方はな、護国輔翼会が雇った、欧州はドイツから来はった軍人さん。名前は、紅一点がヘリガ、男の二人は背の高いほうがアデルモで低いほうがロドルフやったかいな。
それもそんじょそこらの軍人やないえ。あんたら神人に潰された秘密結社、ゲルマン騎士団の残党。ドイツ民族こそが至高の民族で、精神病者とか同性愛者とか『普通』、『一般』から外れる者は汚染の源、堕胎でも何でもして根絶やしにすべしっていう素敵な考えをお持ちどす」
「ふんだ。ヘドが出るね。あなたも志那大嫌い団体の一人娘だし、東西差別主義者大大大集合って感じだよね。人種よりもっと大事な物ってたくさんあるでしょ。子供でも知ってるよそんなこと。心が狭いったらあーりゃしない」
不快そうに顔を歪めるアキナは、嫌みったらしく怒りを吐いた。
だが葵依は、なおも和やかに笑んでいる。
「ご高説おおきに。けれど、あれこれ喋るのもこのへんにしとこか。どうもこのお三方は、我慢しきれん質みたいやからなぁ。言葉はわからんでも伝わってこん? あんたらが憎うて憎うて、殺しとうて殺しとうてたまらんっていう重うて暗ぁい情念がな」
葵依の挑発の終わり際、三人の軍人がほぼ同時に拳銃を構えた。だが一瞬にして、拳銃はそれぞれの手から離れ始める。
クウガが能力を使ったようだ。三丁の拳銃が宙を舞って、クウガの手に届──。
刹那、クウガの身体が後方に急加速。五メートル強を行ったところで地面に接触し、三度跳ねて停止した。
「なっ!」クウガを目で追う蓮の口から、思わず驚きが漏れた。
「伏せるんだ蓮くん!」
アキナの凛々しい声が届いて、蓮は慌てて身をかがめた。チッ! 見えない何かが髪を掠める。
「あらあら、厄介やな。折角気づかれんうちに楽ぅに勝たせて貰おうと思っとったのになぁ。そちらの娘さんには見えてしまうんやね。つくづく不思議な御仁やわぁ」
形の良い眉をわずかに上げて、葵依はおっとりと呟いた。
二歩の助走を取ったアキナは、装甲靴を履いた足から葵依に飛び込んだ。だが見えない壁に当たったかのようにアキナは中空でぴたりと止まった。
間髪を入れず、アキナと少し離れたところに黒球が出現。後ろに跳躍して一回転して着地したアキナを尻目に、クウガが矢のように飛んできた。勢いそのままにボクシングのストレートを放つ。
だが、やはり拳は葵依の五〇センチほど手前から先には行かなかった。
クウガは飛びすさって着地し、血の混じった痰を吐き捨てた。大きく飛ばされて、致命傷とまではいかないがそこそこのダメージは負った様子だった。
蓮たちは三人横並びになった。アキナが軍人たちの三丁の拳銃を拾って、後ろを見ずにぽいっと放った。拳銃は平安神宮の門をわずかに超えたところに落下した。
「動きに格闘技を感じん。……俺たちとは異種の力なのか? どうなんだ、アキナ」
クウガは不可解そうな面持ちで言葉を捻り出した。
「うん、超念武じゃない全く別種の異能だね。直感でわかるよ。ちなみにあの極悪のドイツなんちゃら騎士団の三人は、壱次元だけど超念武遣いだから。あと一応確認だけど、二人ともあの性悪泥棒猫の周りにはなんにもまったく見えないんだよね?」
神妙な語調のアキナの問いに、「俺は何にも見えないけど、何か見えるのか?」と蓮は軽く尋ねた。クウガは依然、難しい視線を葵依にくれている。
「よし、これで決まりだね。私があの性悪女狐を担当するよ。私には見えるんだ。今もあいつの目の前にある、紫っぽいけど後ろが透けて見えるおっきな扇みたいなものがさ」
「あの女の力の件は後だ。自分は残りの三人を屠ろう。平和を揺るがす危険思想の持ち主は即刻排除だ。例外はない」
「いいや、二人だ。軍人の一人は俺がどうにかするよ。さっきも言っただろ、俺も力になりたい。二人だけを危険に晒したくはないんだよ。同じ階級だって話だし、一人ぐらいはどうにかしてみせる」
クウガの断固たる宣言に、蓮は即答した。二人は静かな視線を蓮に向け続けていたが、「わかった」とクウガが小さく呟いた。
突如、風を切る音がしたかと思うと、アキナは左にトルリョチャギ(テコンドーの回し蹴り)を見舞った。
アキナの膝から下が黒い雷を纏い、バチバチと音を立てる。だが何かと衝突したのか、頭の高さでぴたりと静止した。
葵依の不可視の攻撃と拮抗するアキナを睨みつつ、軍人たちが武器を抜いた。ヘリガはレイピア、アデルモはサーベル、ロドルフはなんと日本刀だった。間違いなく手の放せないアキナを攻撃する意図である。
(させるかっての!)いきり立つ蓮は、クウガとほぼ同時に駆け出した。