冴えない社内SE女子が異世界皇帝になる話

 翌日の昼下がり。

「今日もお疲れさまでした」

 今やすっかり、私の執事ポジションに収まったクゥン君が、労働一一型鉄神2号に飛び乗ってタオルを渡してくれた。

「むふーっ、成し遂げたぜ」

 2号の肩に腰掛ける私は、タオルで汗を拭いながら、本日の『成果』を見下ろす。
 鉄神の『dig』コマンドによって北の山から掘って掘って掘り抜いてきた溝――もとい『河』である。
 河の延伸、温泉郷やバルルワ村の開拓、城壁の付け替え――いずれも主力は2号だ。
 2号でざっくりやって、細かい加工を村人や領都から出稼ぎに来ている建築ギルドの人たちにやってもらう。
 この『溝』も、このあと合流する職人さんたちがさらに(なら)し、ローマンコンクリートで舗装してくれる手はずになっている。

 けれど、今は、2人きりだ。

「なんか、クゥン君に出逢ったばかりのころを思い出すね」

「そうですね。エクセルシアはオレをバルルワ村に連れ出してくれて。鉄神でホブゴブリンを撃退して、たった一夜でバルルワ村を立派な堀と土塁で囲ってくださいました」

「あったねぇ、そんなことも」

「あの日、オレは救われました」

「そんな大げさな」

「大げさなんかじゃないんです」

 クゥン君が、じっと私の目を見る。
 私は戸惑う。
 ふわっふわな茶髪、もふもふな犬耳、愛らしい黒い瞳。
 私の好みどストレートの甘ショタ・クゥン君。

「俺はあの日、エクセルシアから全部もらいました。生まれて初めて、人間様から『素敵な耳』だと言ってもらえて。名前を聞いてもらえて。あのとき、オレがどれほど驚いたのか――感動したのか、分かりますか?」

 なんだろう。
 なんだか泣けてきた。




 私は誰と結婚すべきか問題。




 そりゃ、バルルワ = フォートロン辺境伯家のことを考えるならカナリア君一択だ。
 けれど。
 けれど私は、できれば想い人と一緒になりたい。

 私の想い人――クゥン君と、だ。

 そんな、惚れる要素なんてあったか、って?
 あったんだよ。
 出逢ったその瞬間に。
 超弩級の『惚れる要素』が。
 私は、この子に、命を、救われたんだよ!!

 私がエクセルシアとして目覚めて0秒で死にかけて、ゴブリンに殺されるか犯されるか攫われるかしかけて。
 あのときの私の恐怖は、混乱は、実際に同じ経験をした人じゃなきゃ分からないと思う。
『転生キタコレ!』とか『甘ショタキターーーー!』とか言いながら陽気に振舞っていたけれど、私の心はいつも、恐怖におびえていた。

 馬車滑落で死にかけて、
 ゴブリンに馬車を燃やされて死にかけて、
 弓矢で死にかけて、
 極めつけに、ゴブリンに腕を捻り上げられて。

 あまりの恐怖で心を失くしかけたあの瞬間、颯爽と現れたクゥン君の、なんと格好良かったことか!
 あのときの感動は。
 あのとき、私がどれほど救われたのか。
 クゥン君の小さな背中を、どれほど心強く思ったのか。
 私がどれほど強く、クゥン君に夢中になったのか。
 それはきっと、彼自身にだって分からない。
 この体――エクセルシアの初恋の相手は、間違いなくクゥン君だった。

 死ぬかもしれないのに、クゥン君を連れてゴブリンまみれのバルルワ村に飛び込んだり、
 痛む体を押して鉄神でゴブリンたちと戦ったり、
 疲労困憊なのに鉄神で堀と土塁を築いたり。
 我ながらめちゃくちゃ無茶をした。
 あれは全て、惚れた相手にいいところを見せたい一心での行動だった。

 今でこそ、カナリア君やクローネさん、ヴァルキリエさん、バルルワ村と温泉郷のみんな、領民たち――と守るべき相手が増えて、クゥン君のことばかり考えてもいられなくなってしまったけれど、それでも今なお、心の大部分を占めている相手。

「ど、どうされました? オレの顔をじっと見て」

 やばい。
 ちょっと、熱っぽい視線を向けすぎたな。
 いいや。これを機にいっちょ揺さぶりをかけてみよう。

「ねね、クゥン君って好きな人とかいる?」

「エクセルシアです」

「ぶっふぉ」

「エクセルシアは、オレの命の恩人で、村の恩人です。このご恩はオレの一生を、全部をかけてお返しさせていただきます」

「あー……」

 愛はある。
 が、恋ではないなぁ。
 いや、諦めるのはまだ早い。

 クゥン君は自分を律するのが得意なタイプだ。
 そう簡単には本心を明かさないだろう。
 なら、建前が崩れるまで押してみたら?
 押して無理なら押し倒せ、だ!

「ね、ね、クゥン君」

 私はクゥン君に密着する。

「え、エクセルシア?」

 クゥン君が顔を赤くしている。

 自慢じゃないけど、今世の私は絶世の美少女だ。
 ウェーブがかった長い銀髪、淡い琥珀色の瞳。
 二重まぶたの大きな目。
 ツヤツヤなお肌。
 スタイルはまぁ、ヴァルキリエさんには劣るけれど……それでも14歳基準から見れば育っている方だろう。

「急にどうしたんですかっ? からかわないでください」

 を?
 ををを?
 これ、脈ありなのでは。

「クゥン君。私、実は――」

「おっ、オレ!」クゥン君が、鉄神から飛び降りる。「急用を思い出しました! 失礼いたします!」

 こ、これはフラれたのかなー……。




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side クゥン】


 体が熱い。
 心臓が口から飛び出しそうだ。
 バルルワ村の片隅を走りながら、オレはエクセルシアの表情を思い出す。
 濡れた瞳、はにかむように微笑む口元。
 一度意識してしまえば、もう止まらない。

 今までは、既婚者だから、領主様の奥様だからガマンできていた。
 それが、先日の決闘でエクセルシアは離婚を果たした。
 そう。
 求婚しようと思えば、できるのだ!

「……でも、ダメだ」

 この心臓の高鳴りは、走っているからというわけではない。

「この気持ちは、ダメだ。忘れろ、忘れるんだ、オレ!」

 エクセルシアは、この領の領主様だ。
 バルルワ = フォートロン辺境伯家は今や、王国で一、二位を争う大家と言われている。
 単純なお金だけで言えば、地龍シャイターンの血肉・素材の販売によって王国で一番潤っている。
 エクセルシアは、飄々としながらとんでもない偉業を次々となさってしまうお方だ。
 きっとこの領は、もっともっと大きくなることだろう。

 そんな王国一の領主の夫が、オレのような無名な獣人だったとしたら?

 オレの存在は、絶対にエクセルシアの足を引っ張ることになる。
 領では依然として獣人差別が根強い。
 それに、政治の世界でオレはあまりにも無力だ。

 自惚れでなければ、オレはエクセルシアとよく目が合う。
 求婚すれば、もしかするともしかするかもしれない、とも思っている。
 けど、ダメだ。
 エクセルシアのお相手は、カナリア王太子殿下こそが相応しい。

「キュンキュン、いるか?」

 幼馴染の家のドアをノックすると、

「どうしたの、クゥンにい?」

 幼馴染で妹分のキュンキュンが出てきた。

「珍しいね、こんな時間に。女神様の護衛はいいの?」

「話があるんだ。とても大事な話が」
 クゥン君が、姿を消した。
 今まで、風呂と就寝の時間以外は片時も離れることがなかったクゥン君が、半日もの間、私のそばから離れたのだ。
 こ、これはフラれたのかなー……。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「おはようございます、女神様」翌朝、クゥン君は普通に現れた。「昨日は申し訳ございませんでした」

「ダ、ダイジョウブダヨ」

 頭を下げるクゥン君に対し、私はギクシャクしてしまう。

「それで、実は女神様にご報告したいことがございまして」

「ナ、ナニカナ?」

「紹介します」

 クゥン君が、隣に佇む少女――キュンキュンちゃんを示して、

「オレの妻・キュンキュンです」

「……………………………………………………………………………………はい?」

「実は昨晩、式を上げまして。キュンキュンとは婚約関係にあったのですが、これからも女神様の右腕としてお仕えし続けるにあたり、身を固めるべきだと親からも言われていたのです」

 私がこの世界に来た直後の話。
 ゴブリン軍団に襲われているバルルワ村に、加勢に行きたがっていたクゥン君。
 キュンキュンちゃんがゴブリンに襲われているところを見て、我を忘れたクゥン君。

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!? あれ、伏線だったのぉおおおおおお!?」

 私は卒倒した。




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side キュンキュン】


「本当に良かったの?」

 白目を剥き、泡を食いながらも執務を行っている女神様を眺めながら、私はクゥン(にい)に話しかける。
 違った。クゥン兄はもう、私の旦那さんなんだった。

 ここは、女神様の執務室。
 私たちの結婚報告で卒倒した女神様だったが、卒倒したままむくりと立ち上がり、ものすごい勢いで執務に励みはじめたんだよね。
 正直ちょっと怖いけど、女神様ならまぁ、こういうことも可能なのだろう。

「何がだ?」

 女神様の背後に侍りながら、クゥンが聞き返してくる。

「クゥンってば本当は――」

「昨晩、誓っただろ。オレはお前を幸せにするって」

「っ――うん!」

 私がクゥンの許嫁だったというのは、本当だ。
 この村では、酒の席で自分たちの子供の婚約を決めたりする。
 獣人差別の激しいこの地で、村の子供が人間と結婚することはあり得ないので、村の子供同士で結婚することになる。
 となると、小さなころから、自然と組み合わせが出来上がってくるものなのだ。
 酒での席の婚約は、追認作業のようなもの。

 私は物心ついたころからずっとクゥンに面倒を見てもらってきて、クゥンのことがずっとずっとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと好きだった。
 だから、クゥンと結婚できたのは嬉しい。
 それがたとえ、クゥンが女神様に対する気持ちを諦めるための手段だったのだとしても。

 いや、違うな。
 女神様のこのご様子を見るに、どうもこの2人、両想いだったっぽい。
 私との結婚は、女神様にクゥンを諦めさせるための手段でもあったわけか。

 自分の結婚を他人の恋の言い訳に使われて、もやもやしないと言えばウソになる。
 けどまぁ、お陰で好きな人と結婚できたんだから良しとしよう。
「……ちゃん……お姉ちゃん……お姉ちゃんってば!」

「――――はっ!?」

 気がつけば、日が暮れていた。
 目の前には、山と積まれた処理済みの仕事たち。
 私、気絶しながら仕事していたのか。
 さすが、社畜歴ゲフンゲフン年ともなれば覚悟が違うな。

「お姉ちゃん?」

 膝の上のカナリア君が、こちらを見上げてきている。

「あ、うん。何かなカナリア君?」

「あぁ、良かった。やっと戻ってきた。ほら、見て見て! コレ、ボクが書いたんだよ」

 そう言ってカナリア君が見せてくれたノートバソコンの中には、世にも美しいコードが!

「う、ウソでしょ……これ、もはや私よりも上手く書けてない? カナリア君、マジもんの天才!」

「えへへ。天才? ボク天才?」

 そう言って屈託のない笑顔を見せてくれるカナリア君は、天使だ。

「やっぱりお姉ちゃんにはカナリア君しかいないよぉ~!!」

 私がカナリア君の体をぎゅっと抱きしめ、温泉の香りがするつむじに顔を埋めると、

「きゃ~っ」

 カナリア君が楽しそうにジタバタする。
 カナリア君の笑い声が、可愛らしいさえずり声が私の脳を満たしていく。
 カナリア君、マジカナリア!

 失恋した直後に別の相手にすがりつくなんて、現金にもほどがある。
 けれど、妻帯者相手に粘着するよりも、よほど健全だろう。
 それに、そうだ!

「カナリア君だって、私の命の恩人だものね」

 そう。
 忘れもしない1週間前、地龍シャイターンに殺されかけていた私を、身を挺して守ってくれた人こそ、このカナリア君なのだ。

「ねぇ、カナリア君」

「なぁに?」

「お姉ちゃんのこと、好き?」

「だから、何度も好きって言ってるでしょー!?」

 カナリア君が怒りだす。
 まぁ、そうだよね。
 出逢った初日からほぼ毎日プロポーズを受け続けてきて、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとのらりくらりと逃げ続けてきたものね、私。

「でも、でもさ、私、10歳も年上だよ? それでも好き?」

「好きだよ。年なんて関係ないよ」

「も、もしも」額に、じっとりとした汗が浮かび始める。「もしも11歳上だったとしても?」

「好きだよ」

「12歳上でも?」

「好き」

「13歳上でも?」

「好きだってば」

 心拍数が上がっていく。

「じゅ、14、15、16――」

 視界が狭まっていく。

「21歳年上でも!?」




「エクセルシア」




 ぎゅっと、手を握られた。痛いほどに。
 それでようやく、いつの間にかカナリア君が膝から降りていたことに気づいた。
 真正面に、カナリア君の顔がある。

「ボクは」カナリア君の小さな手が、震えている。「ボクは――」




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side カナリア】


 物心ついたころからずっと、ボクの意識は暗いモヤの中に閉ざされていた。
 倦怠感。
 絶え間ない頭痛と吐き気。
 ぐるぐると回り続ける視界。
 食べても飲んでも吐いてしまう。
 ただただ不快で、生きているのがしんどかった。

 いろんな人が話しかけてきたけれど、生きているだけで精いっぱいで、相手の顔も満足に見ることができなかった。
 ボクは、絶望していた。
 生まれながらに絶望していた。
 しんどくてしんどくて、ただただしんどくて、早く楽になりたかった。

 そんな地獄の日々は、ある日突然終わりを告げた。




 …………ちゃぽん




 父上が、僕を温かなお湯に漬けた。
 とたん、ボクの世界を覆っていた暗いモヤが、ぱっと消え去った。
 世界が、明るくなった。
 あれほどボクを蝕み続けてきたはずの倦怠感が、きれいさっぱり消え去ったんだ!

「……ちちうえ?」

「カナリア! あぁ、あぁ、カナリア!」

 父上は泣いていた。
 父上って、こんな顔してたんだ。

 そこからは、驚きの連続だった。
 生まれて初めて、自分の足で歩くことができた。
 お風呂上りに飲んだ水が、ぶり返すことなく喉を通った。
 そして――

「あのっ、もし良ければこの子で診断を――」

 生まれて初めて正視した、女性の顔。
 エクセルシアお姉ちゃん。
 女神みたいに可愛らしいその女性に、ボクは夢中になった。
 ボクの体を治してくれて、ボクに人生をくれた人。
 この人のためなら、何でもしてあげたい。
 あとになって、女神図書館の物語本から、この感情が『恋』であることを知った。

 エクセルシアお姉ちゃんは面白い人だ。
 いつも笑顔で自信満々に見せかけて、実は気が弱い。
 魔物が相手だと体がすくんでしまい、鉄神への指示が一瞬遅れる。
 好き勝手やっているように見せかけて、実は周囲の人たちの顔色を窺っている。

 今も、ボクとの年齢差のことで悩んでいる。苦しんでいる。
 僕はちっとも気にしていないのに。
 可愛い人だと思う。
 守ってあげたいと思う。
 だから――

「エクセルシア」

 ボクはお姉ちゃんの手を全力で握りしめる。

「ボクはキミが14歳だから好きなんじゃない。キミがキミだから、好きなんだ。キミが14歳でも、20歳でも、30歳でも40歳でも50歳でも、100歳でも好きだ!!」

「あ……」

 お姉ちゃんが泣いている。

「わ、わた、私なんかが……」

 ぽろぽろ、ぽろぽろと泣いている。

「私なんかが、キミのことを好きになっても、いいの?」

「うん!」

「カナリア君!」

 抱きしめられた。

「私も、私もカナリア君のことが好き! 大好き!」

 それから、お姉ちゃんがボクの口に唇を近づけてくる。
 あ、これ、物語本で読んだ『口づけ』ってやつだ――




 ――ばぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!!




 そのとき、執務室のドアが開いた!
 ボクらは大慌てで飛び退く。

「た、たたた大変だ!」駆け込んできたのはヴァルキリエ。「モンティ・パイソン帝国が攻めてきた!!」

「「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!?」」
「なっ、なっ……」

 カナリア君と一緒に陸戦鉄神M4に搭乗した私は、息を飲む。
 格納庫の扉を開いた先――魔の森の様子が、M4のメインスクリーンに映し出されている。
 望遠されたカメラの中央に、地龍シャイターンが木々を薙ぎ倒した跡を道路代わりにして何百台もの戦車が、装甲車が、何百機もの陸戦型鉄神が出てくる様子が映し出されている。

 地下の遺跡に眠る兵器群の、百倍以上の戦力。
 極めつけに、魔の森上空には飛空艇のようなものまで浮かんでいる。
 とてもじゃないが勝てっこない。
 が、黙って蹂躙されるわけにもいかない。
 領民が避難するための時間を稼がなくては。

「カナリア君はこのままM4に乗って、格納庫の隠し通路から地下遺跡へ。ありったけの戦車と鉄神を起動させて、奇襲の準備をしておいて」

「お姉ちゃんは?」

「2号で時間を稼ぐ」

「逆だよ。時間稼ぎなら、M4でボクが行くべきだ」

「ありがとう。でも、ダメだよ」

「お姉ちゃんが死んじゃったら、ボクは――」

 私はカナリア君をぎゅっと抱きしめる。

「…………いや、やっぱり、私が行った方が良さそうだ」

「どういうこと?」

「ほら」

 メインモニタの中央。
 ひときわ立派な塗装を施された鉄神が、単騎で城壁へと近づきつつある。
 よく見てみれば、白旗を掲げている。

「あれは、軍使というやつかな、たぶん」

 戦いの前の挨拶というか、降伏勧告にでも来たのかもしれない。
 何にせよ、交渉の余地があるのは良いことだ。

「これは、領主である私の仕事だ。国と国との交渉事に5歳児なんて持ち出したら、相手を怒らせちゃうでしょう?」

「それは……そうかも、だけど」

「というわけで、奇襲作戦の準備をしておいて」

「了」




   ◇   ◆   ◇   ◆




 私が労働一一型鉄神2号に乗って単身で向かうと、

『話が通じそうな相手で助かったよ』

 鈴の鳴るような声とともに、敵機の中から搭乗者が出てきた。
 鉄神の手の平に飛び移ったその姿は――

「褐色ショタ!? しかもネコ耳!?」

 褐色肌に、肩口で切り揃えられた白髪、ネコ耳、金と碧のオッドアイという属性過多な美少年だった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

『あはぁっ、開口一番、「褐色ショタ」に「ネコ耳」ときたか』

 年のころは10歳くらい?
 身長140くらいの小柄な体は金糸マシマシな瀟洒な軍服に包まれていて、『さぁ今から血みどろの戦争をしましょう』といった雰囲気には見えない。
 その少年が、人を食ったようなシニカルな笑顔を浮かべて、

『しかも、流ちょうな帝国語だな。いわゆる「転生特典」というやつかな? どうやら大当たりだったらしい』

「どっ、どういうこと!?」

『余は』褐色ネコ耳ショタが、鉄神の手の上で優雅にお辞儀をする。『モンティ・パイソン帝国、第13代皇帝キッシュ = ト = ブ = モンティ・パイソンだ。顔を見せてくれないかな? 異世界から来た旅人よ』

 皇帝!?
 皇帝本人が来たの!?
 っていうか皇帝がショタ!?
 そんなことより、この人、転生うんぬんのことを知っている!?

 ……混乱するばかりだが、今はコイツの指示に従うほかはないだろう。
 コイツを2号でとっ捕まえて人質にすることも考えたが、コイツが皇帝本人である保証はどこにもないのだから。
 もしコイツが影武者だったら、捕まえた途端に即開戦。
 あの、圧倒的物量でバルルワ = フォートロン辺境伯領は、いや、ゲルマニウム王国は秒で蹂躙されるだろう。

 ――プシュー

 私はハッチを開いて、鉄神の肩の上に上がる。
 鉄神の身長差もあって、私と皇帝キッシュは正面から見つめ合う形となる。

「あはぁっ。これはまた、ずいぶんと可愛らしいお嬢さんだ」

 お嬢さんて。
 アンタの方が年下でしょう、どう見ても。
 それとも、コイツも転生者なのか?

「あはぁっ。余は転生者ではないよ」コチラの考えを読んだかのようなタイミングで、皇帝キッシュが笑った。「代々、皇帝にだけは始皇帝ソラの日記を読むことが許されていてね。――それで」

 皇帝キッシュがネコのような身のこなしで、私の鉄神に飛び移ってきた。
 いわゆる『顎クイ』をされる。




「9999を99999にしたのは、キミだな?」




「――!?」

「あれは、ワナだったんだよ。プログラミングスキルを持つ人間を炙り出すためのね。全てのアンドロイド、ロボット、自動車や兵器には、プログラムが書き替えられた時点で、そのことをモンティ・パイソンの中央管理サーバに発信するためのプログラムが埋め込まれているんだ」

「ど、どうしてそんなことを!?」

「ヘッドハンティングのためさ。我が国は常にIT人材が不足していてね。だから、周辺国に我が国の製品をわざとバラまいて、センスがあるヤツを探しているのさ。今回は大当たりの様だ。――さぁ」

「きゃっ!?」

 皇帝キッシュが、私をお姫様抱っこした!
 そのまま、ぴょんぴょんと皇帝機の中へ連れ込まれる。
 ヘルメットのようなものを渡されて、

「これを付けたまえ。我らが始皇帝ソラ陛下がお待ちだ」

「ちょっと待って、どういうこと!?」

「言っておくが、拒否権はないぞ? こちらの要求はお前の身柄。それ以上のものを奪うつもりはない。が、お前が抵抗するのなら、その限りではない」

 私は無理やり搭乗席に座らされ、ヘルメットを被らされる。

 ――バチンッ

 と脳が弾けるような衝撃がして、目の前が真っ暗になった。




   ◇   ◆   ◇   ◆




『今から100個の問題が出題される』

 どこまでも広がる白いタイル。
 ただ、1対の机と椅子、そして1台のノートパソコンだけが存在する空間で。
 ノートパソコンのモニタに、そう表示されている。
 いや、より具体的には、画面の右下に『お前を消す方法』を検索するためだけに存在するイルカが漂っていて、そいつが吹き出しでそう言っている。

『全問正解した場合に限り、貴女は解放される』

「なっ……」

 イルカのクセに生意気な。

『第1問題』

「ちょっ、テンポ早いって!」

『コンソールに「Hello World」と表示させよ。言語はPythonとする。制限時間は10分』

「はぁ? いくら都落ちだからって、元プログラマの社内SEを舐めんな」




 print('Hello World')




 ノートパソコンのOSは、WindowsとmacOSを足して2で割ったような仕様になっていた。
 プログラムそのものは秒で書けたものの、コマンドプロンプトというかターミナルというか、コンソール画面の開き方だったり、プログラムファイルの実行手順で戸惑った。
 が、

『> Hello World』

 なんとか、残り3分で出力させることができた。

『正解。第2問』

「だからテンポ早いんだって!」

『「print(‘2’ - 3 * 7)」。何と表示される? 制限時間は1分』

「1分!?」

 3択が表示される。

 1:19
 2:-19
 3:表示されない(エラー)

「ええとええと、-3 * 7で-21。そこに+2するから-19?」

 私は液晶に表示されている『-19』の選択肢ボタンをタップしかけて、

「違う違う!」慌てて指を引っ込める。「2が文字列になってる! だから答えは3だ」

『3:表示されない(エラー)』をタップ。

『正解。第3問――』




 意識が加速していく。




 矢継ぎ早に出題される問題。
 容赦のない制限時間。
 脳が全力で汗をかき始める。
 呼吸が浅くなる。
 と同時に、ひどく冷静沈着に、集中している自分がいる。

『第10問。「果物」インタフェースを作成し、「リンゴ」クラス、「ミカン」クラスを実装せよ。各クラスに持たせるメソッドは――』

「ちょいちょいちょいちょい!」たまらず私は、イルカに語りかける。「私、Pythonは聞きかじった程度しかできないんだって! VBAでやらせて!」

 ビジュアルベーシック・フォー・アプリケーションズ!
 エクセルシア・ビジュアルベーシック・フォン・アプリケーションズの本懐、ここにあり。

『…………』イルカ君、しばらく悩んでいる様子だったが、『許可する』

 ゆ、許された!

 モニタに、見慣れたVBE(VBAの開発画面)が表示される。
 これは勝ち申したわ。
 VBAさえあればこっちのもの。
 私は秒で問題をクリアした。

『正解。第11問――』

 いよいよ楽しくなってきた!




   ◇   ◆   ◇   ◆




『第19問。オセロ(リバーシ)を実装せよ。升目は8*8である。制限時間は60分』

 1時間でオセロ作れって!?
 できらぁ!
 エクセルシア舐めんな!




   ◇   ◆   ◇   ◆




『第23問。将棋を実装せよ。制限時間は30分』

『第31問。インベーダーゲームを実装せよ。制限時間は15分』

『第40問。陸戦四二型戦闘車両搭載IFFを実装せよ。仕組みは次のとおり。――制限時間は10分』

『第52問。空対空戦闘九九型航空機のアビオニクスを全て実装せよ。諸元は次のとおり。――制限時間は5分』

『第74問。量子コンピュータを実装せよ。理論も諸元も自由とする。制限時間は1分』

『第88問。当該惑星網羅シミュレータの対地龍迎撃プログラムを実装せよ。制限時間は1秒』

『第99問。地球を再構築せよ。制限時間はコンマ1秒』




 思考は無限に加速する。
 私は0と1になる。
 人でありながら、人でなくなる。




『第100問――――……』
「おめでとう!」

「…………――はっ!?」

 耳元で祝福され、私は我に返った。
 目の前には、ちっぽけなノートパソコン。
 だけどその中では、何やらものすごいものが――なんというかもう、言語に絶するほどすさまじいものがシミュレートされ、いくつもの命が、可能性が、銀河が生まれては朽ちている。

「いやぁ、才能あるねお前さん。『9999のワナ』を張り始めて以来、最高級の逸材だよ」

「え、えーと」

 顔を上げると、見知らぬ女性がいた。
 年のころは40? 50? いやいや90歳かも?
 見る角度によって年齢がクルクル変わる。
 黒髪黒目で、髪を結い上げている。
 服装はひと昔、ふた昔前の『ザ・OL』って感じのパンツスーツ。

「私はソラ」老女? 少女? が、笑った。

「始皇――」

「『始皇帝』というのはよしとくれ。シナっぽいのはニガテでね」

「は、はぁ」

 頭が混乱している。
 とりあえず、世間話でアイスブレイクしよう。

「は、初めまして。私は■■■■――もとい、エクセルシア = ビジュアルベーシック = フォン = バルルワ = フォートロンです」

「くくっ……空飛ぶモンティ・パイソンが人の名前を笑うのも何だが、エクセルVBAとはまた、けったいな名前で転生しちまったもんだねぇ

「あはは、そのようです。それにしても、最高級の逸材は言い過ぎですよ。エクセルが人よりちょっと得意なだけの、都落ちの社内SEです」

 まぐれで入社できた超大手ゲーム会社のスーパープログラマたちが喋る内容の1割も理解できなかったし。
 同期からは早々に置いてけぼりにされてしまった落ちこぼれだ。
 たった一人で鉄神や自動人形、戦車やら飛空艇を開発してしまった天才・ソラ皇帝に『逸材』と言われるような人間じゃない。

「そりゃ、地球にいた天才プログラマたちに比べりゃ格段に劣るが」

 か、格段に。

「でもほら、お前さんが開発した地龍迎撃プログラムが、さっそく最前線の自動化歩兵師団に配信され始めているよ。これは良いプログラムだ。師団の損耗率が格段に下がるだろう」

「早っ! 動き早っ! それに『機械化』じゃなくて『自動化』って仰いました!? ……ええと、いろいろと理解が追いついていないのですが。そもそも地龍シャイターンは私たちが倒したはずです」

「あぁ、見ていたよ。眷属の幼体を倒していたね」

「……『眷属』の『幼体』ときましたか。あれで」

「話せば長くなるんだが……どこから聞きたい?」

「まず最初に確認したいのですが、この空間って時間が圧縮されてますか?」

「3,400,000,000倍に」

「コアi7か!」

「あーっはっはっはっ! そういうボケとツッコミができるのは、本当に嬉しいねぇ!」

「了解です。要は、ここでどれだけのんびりしていても、外では1秒にも満たない、と。じゃあ次の質問ですが、帝国には、ゲルマニウム王国を征服する意図はないんですよね?」

 そう。
 今を生きる私――バルルワ = フォートロン辺境伯にとっては、それこそが最重要事項。

「ないよ。安心しな」

「あぁ、良かった!! でも、それにしちゃずいぶんと物々しかったように思いますが」

「何しろ現皇帝自らが交渉に行かなきゃならないからね。その護衛のためなら、1個師団はむしろ少ない方だろう」

「あー……皇帝だけがソラ皇帝の日記を読めるんでしたっけ」

「それに」ソラ皇帝が肩をすくめる。「相手がいつも友好的とは限らないからね。右手で銃を突きつけつつ左手で握手を求めるのが、結局のところ一番安全に交渉できるものなのさ」

「へぇ。じゃあ次です。キッシュ皇帝は『ヘッドハンティング』と仰っていましたが、もしかして私、このまま帝国に拉致られるんですか? 領地経営してて仕事が山積みなんですけど……」

「そこは、要相談さねぇ」言葉を濁すソラ皇帝。「あの子――キッシュがどう考えているのか。本人に直接聞いとくれ」

「うーん。というか私以外に『9999』を『99999』にした人はいなかったんですか?」

「いたよ。数百年の歴史の中で、100人くらいはいたかな?」

「おお!」

「だが、みんなオセロや将棋のあたりでドロップアウトしちまうんだよ」

「そりゃルールを知らないからでしょう」

「もちろん、そこは相手の国で流行しているボードゲームに変えるよ。けど、ボードゲームを実装するってのが、どうやら異世界人にとっての限界らしいのさ。アレを乗り越えたらゾーンに入ってレベルアップできるんだけどねぇ」

「ゾーン」

 そう。
『レベルアップ』という言葉のとおり、今の私にはITの神髄みたいなものが『解る』。
 まるで生まれ変わったようだ。

「でも、何百年もやっていて、100人もいて、1人もその壁を突破できなかったなんて、何だか妙ですね」

「江戸時代の人間にさ」

「はい?」

「プログラミングができると思うかい?」

「あー……」

「どう頑張ったってエレキテル止まりだろうさ。それ以上の発想ができるヤツなんて、まさに異世界人。常識人からは奇人変人扱いされて迫害されるのがオチだよ」

「迫害……でも私は受け入れられてますけど」

 何しろ『女神』だから。

「言いつつ分かってるんじゃないのかい? お前さんが受け入れられたのは、『成果を上げたから』だよ」

「そういうものですか。――あっ、実はカナリアくんっていう稀代の天才がいるんですけど」

「あぁ、それも見ていた。あの子は確かにすごいねぇ! 天才ってのはああいうのを言うんだろうね。諸々落ち着いたら、是非あの子にもテストを受けさせたいよ」

「お手柔らかにお願いしますね。体も心も5歳児なんですから。でも、あの子がすんなりプログラミング言語を覚えれたのはなぜなんでしょう?」

「赤ん坊がさ」

「はい?」

「『日本語難しい』なんて言うと思うかい?」

「言いませんね。カナリア君は生まれたときから先日までずーっと、魔力欠乏症で意識が混濁し続けてきた。つまり今の彼は生まれたての赤ちゃん。ネイティブプログラミング言語ってことですか!」

 そのうちプログラミング言語で会話し始めるかもしれない。

「次の質問です。どうして侵略戦争をしたんですか? 現代日本人的にはすごく抵抗があるんですけど」

「どの戦争も、相手の方から仕掛けてきたものばかりさ。それに、戦争を遂行する上ではできるだけ血が流れないように、かつ併合後に現地民が幸福になれるよう最大限気を配ってきたよ。お陰で今や帝国は、髪と瞳と肌の色が様々なのはもちろん、犬耳猫耳狐耳、ツノにエルフ耳にウロコ肌に人魚脚にと人種のるつぼさ」

 言われてみれば、ソラ皇帝には猫耳が無い。
 黒髪黒目だが、顔立ちは欧州とアジアを足して2で割ったような風貌。
 一方キッシュ皇帝は猫耳で欧州顔だった。
 つまり、始皇帝と人種の異なる人が皇帝になれるくらい、おおらかで穏やかな統治というわけか。
 なら、いいか。

「あ、良くないです! 魔の森の地下に大きな基地作ってたでしょ!?」

「念のための備えだよ。いざそちらが戦争を仕掛けてきたら、王国軍が森奥深くまで浸透したのを見計らって、基地から進軍して補給路を遮断。全周包囲して降伏勧告、という流れさ。最も血が流れない、理想的な戦いだろう?」

「すげぇ……」

 辺境伯として、モンティ・パイソン帝国とはなんとしてでも仲良くしておこう。

「次の質問です。地龍って他にもたくさんいるんですか?」

「いるよ。シャイターンだけでなく、水龍レヴィアタンも火龍ポイニックスも風龍ルキフェルも、嫌になるくらいウジャウジャいる。帝国からさらに東の方に、それはもう大きな帝国――シン帝国があってね。そこの皇帝が龍使いで、モンティ・パイソン帝国にけしかけてくるんだよ」

「それで、迎撃プログラムですか」

 モンティ・パイソン帝国にはぜひともがんばってもらいたい。
 地龍の『幼体』1体で命懸けだったのに、そんなのがわんさか攻めてきたら、辺境伯領はおろかゲルマニウム王国が秒で蒸発してしまう。

「最後の質問です。ご年齢をお伺いしても良いですか?」

「地球時代の私は27歳で事故死した。こっちの私は80歳で体の限界を感じたから、こうして電子生命体になったのさ。だから精神年齢は――ええと、まぁ数百歳だ。私が地球で死んだのが西暦1999年だから、それ以降の話を聞かせてもらいたいもんだね。ノストラダムスの大予言はどうなったんだい? 『笑っていいとも』が懐かしいよ」

「ソラさん、実は――」




   ◇   ◆   ◇   ◆




「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」

 始皇帝ソラ、おったまげる。

「いいともが、終わった!? え、いいともが終わるとかあり得るの!?」

「もう5年以上も前になりますか。当時は私も驚きました」

「そりゃビビるだろうさ。話は変わるが、ゲームハード戦争には誰が勝ったんだい?」

「ソニーとマイクロソフトですかねぇ」

「は? マイクソ?」

 マイク『ソ』ソフト呼びは、Windowsのバグや仕様やサポート終了に日々日々右往左往させられる私たち社内SEの心の叫びだ。

「あはは。ソラさんの時代もクソ呼ばわりだったんですね。そのMSが作ったXboxというのが、主に世界で流行ってます」

「ええええ!? ドリキャスは!? 湯川専務はどうなったんだい!?」

「売り上げの問題で常務に降格してましたね」

「あぁ、それは知ってる」

「ゲーム機はやっぱりプレステが強いです。今は5まで出てますね。とはいえ今じゃゲームと言えばスマホばっかりですよ」

「スマホとは何だい?」

「えっ!? あー……そうなるのか。このくらいの、OSが搭載された携帯電話です。パソコンの方は相変わらずWindows一強ですけど、スマホはアップルが強いですね。私はandroid派ですけど」

 androidだとJavaやkotolinでプログラミングできるからね。
 iOSは独自言語の習得が必要だから嫌い。

「大人から幼稚園児までみーんな1人1台スマホを持っていて、電車の中でも路上でもずーーーーっとスマホ眺めてますよ現代人」

「な、ななな……Windowsと言えば、あのけったいなイルカはどうしたい?」

「カイル君は死にました」

「おおぅ」

「スティーブジョブズも亡くなりました」

「ええええっ!?」

「ビルゲイツは生きてます」

「それは良かった。そうか、もう23年にもなるんだから、イルカちゃんも死ぬよねぇ……」

「でもカイル君、最近になってポケモンに転生したらしくて。ちょっとバズってましたよ」

「バズ……? ポケモンは今もサトシが主人公なのかい?」

「いえ。私がトラック転生する直前に始まったアニメでは、ついに主人公交代してました。相方もピカチュウじゃなくなって。これもバズってましたね」

「バズ? というのは『流行る』『ブレイクする』みたいな意味かい?」

「そうですそうです」

「有名人が亡くなったり情勢が変わったり言葉も変わったりと。23年か。時の流れを感じるよ」

 精神年齢数百歳が何か言ってる。
 その後も、皇帝ソラに乞われるまま、2023年のIT、サブカル、政治、世界情勢などの話をした。
 ChatGPTでプログラマとイラストレーターと小説家が断末魔の叫びを上げていることを伝えたら、白目剥いていらっしゃったよ。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「――はっ!?」

 気がつくと、ヘルメットの中だった。
 ヘルメットを外すと、目の前にはネコ耳の皇帝キッシュキュン。

「終わったようだな。その目を見る限り、大成功のようだな」

 目? 私の目がどうかしたって?

「ほら」

 手鏡を差し出されたので、のぞき込む。
 うむ。相変わらずの美少女顔である。
 ……ん?

「目! 目が輝いてる!」

 宝石みたいに!

「それは、『覚醒』した証だ」

 そのとき、私たちが乗っている陸戦鉄神がサムズアップした。
 誰も操縦していないのに。
 きっと始皇帝ソラだな?

「ささ、陛下(・・)

 皇帝キッシュが私に手を差し伸べる。

「はい? 陛下?」

 皇帝キッシュが私を抱き上げた。
 鉄神はしゃがんでも結構な高さがあるので、私は逆らわずに身を任せる。
 皇帝キッシュがボタン操作でハッチを開くと、

「「「「「わぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」」」」」

 辺りは、とてつもない歓声に包まれていた!
 ありとあらゆる鉄神、戦車、装甲車から将兵が降りていて、皇帝キッシュに大歓声を送っている。

 皇帝キッシュが私を鉄神の肩の上に降ろし、

「新皇帝陛下、万歳」

 私にひざまずいた!!!!!!!!!!!!
 え? え? え?
 どういうこと!?

「「「「「新皇帝陛下、万歳!! 新皇帝陛下、万歳!!」」」」」

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
「ど、どどどどういうことですか、キッシュ皇帝陛下!?」

 拉致られるように乗せられた飛空艇の中。
 ひときわ豪華な応接室で。
 私の魂の叫びに、

「僕はもう皇帝じゃなくなったから、気軽にキッシュと呼んでください」

 元皇帝キッシュが穏やかに微笑んだ。
 一人称も口調も、まるで別人だ。
 皇帝ということで、偉そう、強そうなキャラを作っていたのだろうか。

「いやいや、そうじゃなくて。キッシュ君、元皇帝? で、私が皇帝……って、こと!?」

「そのとおりです」

「いやいやいやいや、何でそうなるの!?」

「始皇帝が、貴女をお認めになったからです」

「あー……」

 ソラさんが仰ってた『要相談』というのは、このことか。

「でも、皇帝はさすがに荷が重いというか」

「この国では」私の言葉をさえぎるように、キッシュ君が言った。「プログラミングスキルが全てなのです。4年に1回、全国プログラミング選挙が行われて」

「プログラミング選挙」

 初手パワーワードだな。

「優勝者が皇帝になるんです。シン帝国と戦うための兵器も、それを開発する工場も、民の生活を支えるインフラ群も、全ては始皇帝が残した聖遺物。それらを維持管理できる人材こそが尊ばれるのです」

 なるほどなぁ……って、

「キッシュ君、その年で優勝したの!? 天才じゃん!」

「僕なんて全然」

「ちょっと見せてみてよ」

 これでキッシュ君が十分な実力を持っているなら、褒めて褒めて褒め殺して帝位に残ってもらおう。
 何しろ私には領地経営の仕事があるし、早いとこカナリア君たちの顔が見たい。
 あと、優勝者の実力というのが純粋に気になる。

「……分かりました。実際にご覧いただいて、エクセルシア様に帝位に就いていただく必要性を痛感いただくとしましょう」

 キッシュ君がノートパソコンを持ってくる。
 プログラミングエディタを表示させ、タイマーを起動させて、

「スタート!」

 キッシュ君が猛烈な勢いでタイピングをし始める。
 あっという間に出来上がっていくクラス群。
 これは、リバーシ(オセロ)だな。

 キッシュ君は猫のような――実際猫だが――手さばきで、一度もタイプミスすることなく、猛然とコーディングしていく。
 あっという間に盤上が現出し、黒と白の駒が配置され、相手(CPU)のロジックが組まれ始める。

「終わり! 記録は――」

 たったの16分20秒で、リバーシが出来上がってしまった!

「て、ててて天才じゃん!? 始皇帝の試験受かるよこれ!?」

「いえ……リバーシ作りはこの国では定番の試験なのです。僕は何度も何度も練習して、暗記するまで練習してようやくこれなので」

「いやいやいや」

「それに、暗記してしまったのでは、『ゾーン』に入れないのです」

「あー……」

 それはなんか分かる。

「そして僕では、戦闘車両のIFFや戦闘機のアビオニクスを10分で開発するなんてとてもとても。実際、僕も始皇帝の試験を受けたことがあるのですが、第30問辺りで脱落しました」

「そっか……いやいや、それでも私より格段に早かったよリバーシ!? やっぱり皇帝はキッシュ陛下にしかできないって!」

「エクセルシア皇帝陛下、陛下のプログラミングをお見せください」

「だから言ったじゃん。大した事ないって」

 私は一刻も早くバルルワ = フォートロン辺境伯領に戻らないといけないんだって。
 きっとみんな、ひどく不安がっているはずだから。

「お願いします」

 上目遣い。
 ネコ耳美ショタの、上目遣い。
 くっ…………………………………………くぅぅぅうううううううっ!!

「い、一回だけだからね!?」

 私はノーパソの前に座る。
 リバーシを思い浮かべながらキーボードに触れた。
 その瞬間、

「――はっ!?」

 いかんいかん、なんか意識が飛んでた。

「1分35秒です」

「え?」

 目の前には、完成したリバーシ。

「陛下の記録です。ゾーンに入っていない状態ですら、コレですよ。これが陛下の、今の実力です」

「なっ、ななな……」

「お願いします!」キッシュ君が頭を下げてくる。「始皇帝が遺してくださった膨大な兵器たちを使い潰しながら抑え込んできましたが、シン帝国が使役する四龍たちの猛攻はすさまじく、もう数年も持たないところまで、我が帝国は追い詰められているのです。兵器がすりつぶされてしまえば、今度は民が銃を持って戦わなければなりません」

 涙ながらのキッシュ君の話は、悲痛を通り越して悲惨だ。

「国を挙げての総力戦。祖国戦争です。ですが、長い間、機械に守られ続けてきた我が国民が、今さら銃を取って戦うなどとても現実的ではありません。そもそも帝国は、周辺諸国を飲み込む際に、帝国が国防を担うのを条件にして武装放棄させてきたのですから」

 キッシュ君の目。
 助けを求める者の目。
 この目には、私は弱いんだ。

 思い出す。
 陽子さん、千絵ちゃん、春奈ちゃん、叶恵ちゃん……愛沢部長のえげつないパワハラとセクハラで神経をすり減らし、そこに追い打ちをかけてくる止まないトラブル電話。
 仕事がパンクしそうになったとき、情報管理課の元同期たちはみな、キッシュ君と同じ目をしていた。




 ……………………あぁ、くそっ。




「……分かったよ」

「では!?」

「だけど、このまま連れていかれるのは勘弁してね。いったん戻って、領地経営の引継ぎを――」




 ビーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!




 ひどく長い、不吉な警報。

「これは――」真っ青な顔のキッシュ君。

 そのとき、帝国の将官が応接室に転がり込んできた。

「大変です、陛下! シン帝国からの、今までにない規模の総攻撃です! 前線を維持しきれません!!」

 前線。
 ソラさん曰く『ウジャウジャいる』四龍の猛攻を受け止めている前線。
 ソラさんが遺した兵器たちによって維持されている前線。
 そこが突破されてしまったら――

 ……仕方がない。
 今ここで、私が見捨てて帰ったら、モンティ・パイソン帝国は崩壊する。
 そうしたら、バルルワ = フォートロン辺境伯領も、ゲルマニウム王国も、遠からず四龍の食後のおやつになるだろう。

 私は席を立ち、キッシュ君が乗っていた陸戦鉄神が眠る格納庫へと走る。

「エクセルシア陛下!?」

「キッシュ君。私、ソラさんと話してくる」

「助けてくださるんですね!? ありがとうございます!」

 キッシュ君が器用に私を抱き上げ、ぴょんぴょんと鉄神に登っていく。
 ハッチを開け、例のヘルメットを手渡してくれた。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「ど、どどどどうしましょう!?」

 格好良く飛び込んできてはみたものの、私にはどうすれば良いのか分からない。
 今の私、『覚醒』しているらしいし、実際リバーシは1分、2分で開発できたけど、力の使い方がよく分かっていないのだ。
 そこで、始皇帝――ソラさんに相談しに来たというわけ。

「慌てなさんな」

 白いタイルが無限に続く不思議空間の中、ソラさんは飄々とした笑顔を浮かべていた。
 が、よく見ると、薄っすらと額に汗が浮いている。
 年長者の意地で余裕を見せてはくれてるものの、内心は大焦りのようだ。
 っていうか電子生命体でも汗かくのな。

「見てみな」

 何もない空間に、モニタが浮かび上がる。
 モニタに映っているのは世界地図か?
 いや、航空写真だ!
 どこまでも続く前線が真っ赤に燃え上がっている。

「あの前線に張り巡らしているのは全て、無数の砲と機銃を詰め込んだコンクリート製の堡塁。私はマジノ線って呼んでるけどね」

「フランスか!」

 めっちゃ迂回されそう。

「道路になる国が隣にあったりしないでしょうね?」

「おや、戦史にも詳しいのかい?」

「詳しいってほどではありませんが、都落ちする前はゲーム会社に勤めてましたので」

 アクションにRPGにシミュレーションにFPS。
 ゲームはよくする方だった。
 愛沢部長が本性を現すまでの話だけど。

「大丈夫。道路国(ベルギー)は存在しないよ」

 ソラさんが航空写真の一点をタップすると、今度はモンティ・パイソン帝国側からシン帝国側を映した動画になった。

「これが、数分前の映像だ」

「なっ、なっ、なっ」

 山脈が、動いていた。
 いや、山脈と見まごうばかりの無数の地龍たちが、ものすごい勢いでマジノ線へ突撃してきているのだ。
 さらに、

「空が……赤い?」

 夕焼けだろうか?
 いやいや、時刻はまだ午前だぞ!?

「あれは、火龍ポイニックスの眷属どもだ」

 夕焼けではなかった。
 空を埋め尽くすほどの火龍が、押し寄せてきているのだ。

「か、勝てるわけがない……」

 地龍の幼体1体で死にかけた私たちだというのに。
 ほら、迎撃する陸戦鉄神たちが、あっという間に地龍の群れに飲み干されて――

「…………おや?」

 鉄神たちが地龍をバッタバッタと薙ぎ倒してる!!

「そりゃあ、伊達に数百年戦い続けちゃいないよ。だが――」

 そこに襲いかかる、火龍たちによる強烈なファイアブレス。
 地龍たちもろとも、鉄神たちが焼けただれていく……。

 そんな火龍を迎え撃つはモンティ・パイソン帝国軍の戦闘機!
 何百機という戦闘機が放つミサイルが、火龍たちを叩き落としていく。

「こ、これはイケるのでは!?」

「いや……」

 ソラさんの顔色は、悪い。
 モニタを見ていると、ソラさんの顔色の理由が分かった。
 戦闘機たちが、次々と墜落し始めたのだ。

「何で!?」

「風龍ルキフェルの眷属さ」

 見れば、労働型鉄神が使う風魔法ウィンドカッターに似たかまいたちが空に吹き荒れ、戦闘機の翼を斬り落としている。

「火龍たちのさらに上空――我が軍の戦闘機では到達し得ない高高度4万フィートから、一方的に攻撃してくるのさ。今までは、単純に風龍を上回る量の戦闘機を出すことで拮抗させていたんだが……今回の総攻撃では、予備の風龍も投入してきたようだ。このままだとマジノ線を突破されてしまう」

「マズイじゃないですか!」

「あぁ、マズイ。だから」ソラさんが、ニヤリと微笑む。「お前さんの助けがいるのさ」

「何をすれば!?」

「補給は急がせている。が、今この瞬間は、現有戦力だけで何とかするしかない。数が足りないなら質で何とかするまでだ」

「んな、大戦期の日本軍じゃないんですから」

「精神論じゃないよ。戦闘機のアビオニクスを、戦闘車両の行動ルーチンプログラムを現在進行形で改善していくんだ。実は戦場は、ここだけじゃなくてね。海の方も水龍レヴィアタンの大軍でヤバい。私は海の方を担当するから」

 ソラさんが私にノーパソを手渡す。

「お前さんには、陸の方をお願いする」

 とたん、私は0と1になった。
 いわゆる『ゾーン』に入ったというやつか。
 0と1になった私は、最前線で地龍と白兵戦をしている陸戦鉄神の中に入り込む。
 徹甲弾をばらまく長大なアサルトライフルで、鉄神は地龍を圧倒している。が、

「あっ」

 熱と、燃え上がる視界と、疑似的な死。
 私が意識を乗せていた鉄神が、火龍のファイアブレスによって破壊されたのだ。

 私は別の鉄神に乗り、対空レーダーで空を注視する。
 ――来た! ファイアブレス!
 ブレスはあまりにも大きく、少し移動したくらいではよけきれない。
 さりとてブレスを防げるほどの盾も、結界魔法も本機には搭載されていない。

 だから私は、目の前にいた地龍の腹の下にもぐる。

 ――オォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン……

 地龍の断末魔を聴くが、鉄神の方は生きている。
 なんだ、簡単に攻略できたじゃないか。
 対空レーダーに意識を向けていると、

「あっ」

 別の地龍の足に、鉄神が踏みつぶされた。
 ぐしゃり、という音と感触とともに、意識が途絶える。
 ……そりゃそうか。空も陸も両方警戒しなきゃならない。

 また別の鉄神に乗り、何度か試行錯誤するも、上手くいかない。
 鉄神は、どんどんと数を減らしつつある。
 このままじゃヤバい。
 どうすれば――

「空だ! 空の力を借りよう!」

 戦闘機たちのさらに上に、実は早期警戒機が飛んでいる。
 ソラさんは『我が軍の戦闘機では到達し得ない高高度』と仰っていたが、それは重たいミサイルを抱えた戦闘機の話。
 私は早期警戒機に乗り込み、見下ろす。

「――いた」

 火龍の群れ。
 早期警戒機の優秀なレーダーは、計375体の火龍が火を吹くタイミングと弾着予測地点を正確に割り出す。
 0と1になった私は3,400,000,000倍の世界にもぐり、外部時間では1秒にも満たない間に、早期警戒機と鉄神の間のデータリンクシステムを開発する。

 同システムを全機に配信した途端、戦場が劇的に楽になった。鉄神の群れが地龍を圧倒し始める。

「よし、よし、よし! これなら――あっ」

 早期警戒機が風龍に撃ち落された!
 私はマジノ線手前の空軍基地から次の早期警戒機を飛ばす。
 同時にミサイルの蓋を開いて風龍たちの群れへ打ち上げる。
 が、そのミサイルが当たらない。
 風龍の機動性は高く、戦闘機も舌を巻く動きでミサイルを避けるのだ。

 私はFCSの中にもぐり込み、早期警戒機とFCS間のデータリンクシステムを構築する。
 早期警戒機によるリアルタイムデータリンクにより、ミサイルが次々と風龍を撃ち落し始める。
 だが、しばらくすると風龍の動きがさらにランダム性を帯び始め、ミサイルが当たらなくなってくる。
 こちらは早期警戒機の数を増やす。
 が、それでも当たらない。

「くそっ、ヤツらすぐに学習しやがる」

 私は陸戦鉄神のレーダーシステムにもぐり込み、レーダーが鉄神から独立して動けるよう、プログラム改修を加える。
 さらにはFCSとレーダー間のデータリンクシステムを開発し――

 ……

 …………

 ……………………

 ………………………………

 …………………………………………





















 どれくらい、戦っていただろう。
 私は前線に存在するありとあらゆる電子資源にもぐり込み、機能改修を加え、資源間のデータリンクを確立させ、マジノ線全体を一個の生物にし、さらに育成を続けた。
 育てて育てて、育て続けた。

 それでも、地龍たちの侵攻は止まらない。
 火龍たちはあとからあとから飛んでくる。
 風龍は依然として制空権を確保し続けている。

 こちらが手を打ち、有利になったかと思えば、あちらが別の手を打って勢いを吹き返す。
 いたちごっこだ。

「…………くそっ」

 この戦争は、この地獄はいったいいつまで続くんだ?
 私はもう何日、何週間、ここにいる? こうしている?
 1/1の時間と1/3,400,000,000の時間を行ったり来たりし過ぎて、時間の感覚が曖昧だ。

 早く楽になりたい。
 冷たいお茶が飲みたい。
 バルルワ温泉郷の温泉卵が食べたい。
 …………カナリア君に、逢いたい。




「エクセルシア!」




「――はっ!?」

 顔を上げると、目の前にソラさんがいた。
 ここは、例の白い空間だ。

「勝ったよ、エクセルシア!」

「え!? どういうことですか!?」

 私は早期警戒機と意識を直結させる。
 すると、地龍が、火龍が、風龍が撤退していく様子が見えた。

「勝ったんですか? 私たちが?」

「ああ、勝った。あくまで一時的なものだろうが、それでも勝ったんだ」

 ソラさんが、私の頭を撫でる。

「よくやってくれた。お前さんが、モンティ・パイソン帝国と、その向こうにあるゲルマニウム王国を守ったんだ」

「あぁ……あぁ、良かった」

 私は疲労困憊だった。
 目を閉じる。

「キッシュのやつに伝えておくれ。補給を急ぐように、と」

 果たして私は、ソラさんに対してちゃんとうなずけただろうか。
 そこから先の記憶はない。




   ◇   ◆   ◇   ◆




「――はっ!?」

 次に意識が戻ったとき、私は見知らぬ部屋のベッドの上にいた。

「こ……は……」

 ここはどこ? と言おうとしたが、声が出ない。
 起き上がろうとしたが、

「痛――」

 痛い! いたたたたたた!
 全身が、全身が痛い!!

 体がまったく動かないので、視線だけを動かしてみる。
 見知らぬ部屋。やけに豪華だ。
 天蓋付きのベッド。
 皇帝の寝室だろうか。

「エクセルシア陛下!?」

 声の方に視線をやってみれば、ベッドのそばに、目を真っ赤に腫らしたキッシュ君が座っていた。

「あぁ、良かった! お目覚めになられて!」

「わた……し……は……ごほっごほっ」

「お水です。ゆっくり、ゆっくり飲んでください」

 キッシュ君が水差しのようなものを私の口に近づけてくる。
 あれか、給水するためのやつか。
 ――ちゅうちゅう、ごくん

「私、どのくらい寝てたの?」

 声はがっさがさだったが、何とか喋ることができた。

「1ヵ月です」

「1ヵ月ぅ!? ごほっごほっ」

 道理で全身が痛いわけだよ。
 いくら若い体でも、1ヵ月も寝たきりじゃ全身バキバキだ。
 キッシュ君に支えてもらいながらゆっくり起き上がると、額から端子のようなものが落ちてきた。
 心電図みたいなやつ。
 あれか、ヘルメットの代わりか。

「……とりあえず、お風呂入りたい」




   ◇   ◆   ◇   ◆




「あー……」

 疲れと汚れが洗い流されていく。
 いくら若い体だとは言っても、1ヵ月もお風呂に入っていなければ臭いからねぇ。
 メイドさんたちが、私の体と髪を恭しく洗ってくれる。
 他人に洗われるのは恥ずかしいが、体が動かないのだから仕方ない。

「……お?」

 お湯の中で洗われているうちに、体が動くようになってきた。
 メイドさんたちの話によると、1ヵ月の間、点滴の他に毎日喉を湿らせ、関節の運動もしてくれていたのだそうだ。

「それで」豪奢なお風呂場の、扉の向こうへ声をかける。「兵器の補充はどうなってるの?」

「ははっ」私の執事と化したキッシュ君が、扉の向こうから返事をする。「昨日までの総攻撃で40%まで損耗しましたが、陸海空ともに1年で元の水準に戻せる見込みです」

「遅すぎる。ゲルマニウム王国その他各国境沿いの基地からかき集めて、大至急前線に送り込んで」

「お言葉ですが、国境沿いのものは全て有人機かつ旧式で、とても四龍との戦いには耐えれません」

「大丈夫。私が制御プログラムを作り替えれば十分戦えるから」

「おおおっ、何と頼もしい!」

「その代わり、兵站のことはキミに任せるよ。悪いけど、私はいったん帰るよ。1ヵ月もバルルワ = フォートロン辺境伯領を開けるわけにはいかないから」

 カナリア君たちが心配だ。




   ◇   ◆   ◇   ◆




 というわけで、痛む体を陸戦鉄神M9に押し込み、魔の森を走る。
 道中、多数のモンスターが妨害してきたが、全部蹴り倒した。
 鉄神の移動速度はすさまじく、瞬く間にバルルワ村手前に到達した。

 >stealthmode

 ステルスモード・オン。
 この子で温泉郷に入ったら、きっとみんなが『すわ帝国が攻めてきたか』ってなるからね。
 じゃあ労働型鉄神2号で来れば良かったじゃないか、とも思うけど、それはキッシュ君に止められた。
 労働型で魔の森を抜けるなんて危険すぎる、と。

 音もなく城壁を飛び越え、懐かしきバルルワ村に入る。

「……どういうこと?」

 村が、やけに寂れている。
 いや、崩壊している。
 家屋という家屋が破壊されていて、しかも村の中心に見えるのは……

「火事?」

 底知れぬ不安に突き動かされながら、私は村の中心へ向かって鉄神を走らせる。

 村の中心、教会の中庭で繰り広げられていた光景というのが――























「「「「「一人はみんなのために!! みんなは一人のために!!」」」」」




 スキやクワで武装したナゾの集団が、教会を取り囲んでいる!
 そして、あぁ、あぁ、そして――!
 カナリア君が、クゥン君が、ヴァルキリエさんが、クローネさんが!!
 火あぶりにされている!!
 遡ること、1ヵ月前――。




   ◇   ◆   ◇   ◆




【Side コボル男爵(元・フォートロン辺境伯)】


「くそっ、くそくそくそっ、どうして僕がこんな目に――」

 汗とヘドロの不快な臭い。
 臭いエールと噛み切れないほど硬い干し肉。
 フォートロンブルクの貧民街。
 場末の酒場で、僕は毒づく。

「何もかも、あのエクセルシアとかいう頭のオカシな女の所為だ。アイツさえ嫁いでこなければ、僕は665人の可愛い妻たちと一緒に幸せでいられたのに」

 エクセルシアの、人を食ったような卑しい笑みを思い出す。
 憎い、憎い、憎い!
 僕から幸せな世界を奪った卑しい女。
 アプリケーションズ家に抗議したくても、男爵位では侯爵家に手紙を出すこともできない。
 何かないか、エクセルシアに復讐するための手段が。




「聞いたか? 例のウワサ――」




「ああ、聞いた聞いた。領主様が帝国の間者(スパイ)かもしれないって話だろ?」

 モンティ・パイソン帝国が、攻めてきた。
 かと思ったら、あっという間に退去していった。
 バルルワ = フォートロン辺境伯領の領主を連れて。

 それが、昨日のこと。
 それ以降、辺境伯家からは何の声明も出ていない。
 そのことで、領民が不安がっているのだ。

「新領主はモンティ・パイソン帝国の自動人形や兵器に詳しいって話だし」

「常識はずれなことばかりやるらしいしな」

 酒場では、壮年の男性たちが根も葉もないウワサ話に花を咲かせている。

「それに、新領主は獣人贔屓(びいき)だって聞くぜ」

「そりゃねぇよ。フォートロン辺境伯領を支えているのは、俺ら人間だぜ!?」

「獣人ばっかり裕福になって、俺たちの生活はちっとも楽にならねぇ」

「俺なんて、領主の所為で仕事を失っちまったんだぞ!? 獣人叩きの演目を領主が禁止したもんだから、劇場が倒産しちまってよ。獣人を叩けば客は喜ぶ。劇場は儲かる。それの何が悪いって言うんだ?」

「そうだそうだ!」

 良い。
 実に良い。
 こんなところに、あったではないか。
 エクセルシアに復讐するための、絶好の手段が。
 僕の得意分野が!

 人は隣人が裕福になると、相対的に自分が貧しくなってしまったように思うものだ。
 虐げられていた者を保護すれば当然、人は保護された者に嫉妬する。
 そして、自分を助けてくれない為政者に不満を抱く。
 極めて当然のことだ。
 なのにあの小娘は、そんな当然のことにも気づかないらしい。

 下地はすでにできている。
 あとは、彼らの卑しい本質をほんの少しくすぐってやるだけでいい。

「その話」僕は(おご)りのエールを携えて、彼らの席に加わる。「詳しく聞かせてもらえませんか?」
【Side カナリア】


 お姉ちゃんが、モンティ・パイソン帝国に攫われてしまった!

「お姉ちゃん……」

 あの日からもうすぐ1ヵ月になる。
 相変わらず、お姉ちゃんは戻ってこない。

 ボクは鉄神M4でお姉ちゃんを連れ戻そうと考えた。
 けれど父上から、『それはさすがに許可できない』と言われた。
 相手の出方を見極める必要がある、とか……何だか難しい話をされた。
 こちらから鉄神で攻め込んだら、いよいよ戦争になるかもしれない。
 理由は分からないけど、帝国がお姉ちゃんだけを連れていき、それ以上のものを王国に要求しないのならば、様子を見るしかないのだと。

 ボクは父上に、『お前がエクセルシアを守れ』と言ったじゃないか、と言った。
 そうしたら父上は、『すまない』とだけ言った。
 ボクは父上を恨んだ。
 けれど、父上の本当につらそうな顔を見ると、もう本当に、どうしようもないのだと悟った。

「「「「「一人はみんなのために、みんなは一人のために」」」」」

「まただ」

 ボクはバルルワ村の自室から、窓の外を見る。
 すると、『友愛』と書かれたハチマキをした連中が、街を我が物顔で歩いているのが見えた。
 最近増えた、ナゾの連中だ。
 フォートロンブルクで生まれた気味の悪い集団で、

『友だちを愛せ』
『手を取り合おう』

 なんて言うクセに、獣人に対しては『人間以外は愛するべきではない』とか言って差別する、ナゾの集団。
 温泉郷で、彼らの思想を書き連ねた紙を配ったり、温泉郷の従業員――つまり獣人――とトラブルを起こしたりして、ヴァルキリエが神経を尖らせている。
 ヤツらの所為で、温泉郷の雰囲気はすっかり悪くなってしまった。

「村の中にまで入り込んでくるなんて……」




   ◇   ◆   ◇   ◆




 状況は日に日に悪くなっていった。
 ハチマキをした連中は当然の顔をして村中をうろつくようになり、村の畑や倉庫を荒すようになり始めた。
 村人が抗議すると、

『なんて人情のないヤツだ』
『友愛精神を理解できないケモノ』

 と言い返してきた。
 ヴァルキリエは何度も兵を動かして、連中を追い出そうとした。
 けれど剣を向けると、ヤツら涙を流して土下座するからタチが悪い。
 しかも、無理やり立たせようものなら『殺されるー!』って温泉郷にまで届くほどの大声で叫ぶ。
 その所為で温泉郷でも『領軍は友愛の連中を殺し回っているらしい』なんて根も葉もないウワサが流れ始めている。
 まさか本当に殺すわけにもいかず、ヴァルキリエはどうすれば良いか分からなくなっているようだ。

 こんなとき、お姉ちゃんならどうするのだろう?

「お姉ちゃん……」




   ◇   ◆   ◇   ◆




 犯人が分かった!
『友愛』集団のトップのことだ。
 コボル男爵!
 あの、お姉ちゃんが離婚した、気味の悪い元辺境伯が友愛集団のトップだった。
 いや、集団からは『教祖』と呼ばれているらしい。

 友愛の連中は今やバルルワ村の人口よりも増えてしまっていて、村人を追い出して勝手に家に住み着いたりしている。
 昨日なんて、この屋敷の厨房で勝手にご飯を漁っていて死ぬほど驚いた。
 ヴァルキリエからは、僕は部屋に隠れているように、と。
 絶対にカギを開けてはいけないと言われた。




   ◇   ◆   ◇   ◆




 その日は、朝から外が物々しい雰囲気で満ちていた。
『友愛』の連中が村のスキはクワで武装して、屋敷を包囲していたんだ。

「一人はみんなのために! みんなは一人のために!」

「友だちを愛せ! 愛さないものには死を!」

「村の豊かさをフォートロンブルクに還元しないバルルワ村は、友愛を理解しないケモノの村だ! 悪魔たちの巣窟だ!」

「悪魔に死を!」

「「「「「死を! 死を! 死を!」」」」」

 連中が、屋敷の中に雪崩れ込んできた!
 ヴァルキリエは結局最後の最後まで、連中を武力で制圧するという手段を取ることができなかった。
 屋敷は破壊された。
 徹底的に破壊され、僕は屋敷から引きずり出されて、まるで魔女裁判の後の魔女のように、火あぶりにされた。

 …………今。
 ボクは今、教会の中庭で木にくくりつけられている。
 足元からは炎と煙が舞い上がっていて、炎は遠からずボクの足を焼き、体を焼き、ボクを殺してしまうだろう。

「あぁ、お姉ちゃん……お姉ちゃん!」

 最後に、エクセルシアの顔が見たかった――




『やめろぉぉぉおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』




 懐かしい声を聴いた。
 お姉ちゃんの声だ!

「お姉ちゃん!?」

 ぱっと顔を上げた。
 その視線の先に、陸戦鉄神がいた。
 何もいなかったはずの空間から、急に現れた。

 鉄神の頭上に魔法陣が展開された。
 とたん、土砂降りの雨が広場を満たし、ボクらをあぶる炎が消えた。
 雨が止むと同時、お姉ちゃんが乗っているらしき鉄神が、猛然と動き出す。

 ドカッ、バキッ、ベキャッ

 鉄神が『友愛』の連中を次々と殴り飛ばしていく。
 友愛の連中が、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 お姉ちゃんはそんな連中を追いかけ、執拗に、丁寧に殴り飛ばしていく。
 ものすごい勢いで殴ってるけど……どうやら死人は出ていないらしい。

『カナリア君!?』

 全員を殴り飛ばした後、お姉ちゃんが戻ってきた。
 鉄神の巨大な手と、装備のナイフで器用に縄を切ってくれて、ボクを優しく下ろしてくれた。
 ヴァルキリエたちも順に下ろされる。
 そうして、

 ――プシュー

 ひざまずいた鉄神のハッチが開き、お姉ちゃんが飛び降りてきた!

「お姉ちゃん!」

「あぁ、あぁ、カナリア君! 良かった。本当に良かった!!」

「お姉ちゃん……痛っ、いたたた!」

 お姉ちゃんが、ボクをものすごい力で抱きしめている。

「……許さない。もう、絶対に許さない!!」

 耳元で、お姉ちゃんが叫んでいる。
 ぞっとするほどの、深い深い恨みのこもった声だ。

「どこだ愛沢!! 出てこい!!!!」