平安時代、理屈では説明し得ない技術を持つ人間たちを世間は『陰陽師』と呼んだ。人々は奇怪な事柄が起これば直ぐに彼らを頼った。
一条天皇が国を治める頃、姫が次々と拐われる異変が起きた時もそうであった。何としてでも犯人を見つけてほしいと"私"の元へ訪ねてきた。
私には自信があった。この異変の主犯は鬼であるという確信もあったから、鬼のことを徹底的に調べあげて確実に仕留めてやろうと考えていた。
今思えばこれが大きな間違いだったのかもしれない。私が陰陽師としてどうするべきであったのか。"あれ"知ったうえであの鬼退治に協力したことは正しかったのだろうか。死期が近づき床に着いている現在も、私のもて悩み種としてつきまとっている。
だから私はこの術を使うことを決意した。生きてる間に出来ることの大半は既に終わっている。他に私に出来ることは"あれ"について後世に知ってもらうことだ。
今から行うのは最後の術。泰山府君祭(魂を呼び戻す術)を応用した、私にしか出来ない術。私の魂が持つ"あれ"について、あの鬼のやったことを主観的に第三者へ伝える術だ。私の選択の是非は、この記述を見た誰かに判断してもらうとしよう。
「頭目ー!どこにいるんですか!」
「お頭ー!!」 「乾鬼姫の旦那~!」
今年も色づく大江山に星熊や茨木たちの声が響く。隠れている身ではあるが一つ物申したい。私は頭じゃない!
この山で一番強い鬼は確かに私だ。けど、お前らを従えた記憶は全くないぞ!それと…誰だ私を『旦那』と呼んでいるやつは!黙って聞いてたがもう我慢できん…
「私は女だ!」
声に出してからものの数分で見つかってしまった。私が言い返してくること知ってやっていたなこいつら…
「頭も諦めて認めれば良いのに~」
「誰が頭だ!私は群れるつもりなんて無いからな。」
「またまた~この山以外でも噂してますよ。『大江山の乾鬼姫』って。なんなら俺たちは『大江山四天王』なんて呼ばれてるらしいですよ!」
満更でもない…というかずいぶんと嬉しそうだな。
どうやら私は巷で『乾鬼姫』と呼ばれているらしい。なんでも、血も涙も無い女の鬼という意味だと。なんて失礼な名前だ!私だって血ぐらいドクドク流れてるし、情だってあるさ!
「とりあえず認めるかどうかはさておき、さっさと冬備えの準備しましょうよ。」
冬備えねぇ…つい最近までは、そんなの獣のすることだと思っていたけど、そうも言っていられないらしい。
「なんだっけか、オンミョージだっけ?そいつら全員食えば前みたいに冬備えしなくても人襲いに行けるだろ。」
「勘弁してくださいよ。最近若い人間でかなりの強者が現れたらしいんですから。」
オンミョージめ…面倒な冬備えためにもどうにかしなくては。なんとかして人間を食べれるようにしてやる。
いつの間にか『四天王』らの言うことに従っていたことに気がついたのはもうしばらくしてからだった。
秋の大江山はまさに宝箱だ。山の幸はいくらでも手に入る。栗やら茸やら餓鬼やら…あ?
なーんでこんなとこに人間の子供がいるんだ。齢は大体五か六ってとこか?髪の毛ボサボサで服もだらしないな。
「久しぶりの人間!けど、骨と皮しかないような小さいですね。こんな小さい状態で生まれるなんて相当な外れだこりゃ。」
星熊がそう言ったのに少々驚いたが直ぐに理解した。妖怪や鬼には成長の概念がない。妖怪は基本的に人の恐怖心などから生まれてそれっきりだからな。よっぽど長く生きてる妖怪でもなければ、そもそも子供を知らなくてもおかしくはない。
「捨てられたみたいですね。人間の世界も弱いやつは切り捨てられるなんて。」
「さしずめ食いぶち減らしか税収から逃れるために親が追い出したんだろう。中途半端に群れるからこうなるんだ。人間は責任も仲間意識も足りないやつらみたいだな!」
「頭…やけに人間に詳しいですね。もしかして普段俺たちから隠れて人間の生活見てるんじゃないですか。」
ギクッ
「さて、こいつどうするか。食べるにしてはいくらなんでも細すぎる。冬備えの足しにもならん。」
「まったく…わかりやすく話すり替えないでください。」
星熊たちに説教されている間、人間の子供は一言も発しなかった。まだ状況を理解できていないのだろうか。それとも言葉を話せないのか。
なんであれ、今の私はまるで星熊に躾されているようでストレスが溜まる。そんなことを思っていると、私は一つ妙案を思いついた。
「そうだ躾だ!こいつを手懐けて人間を襲わせるんだよ!オンミョージも人間には手を出せない!人間が犬とかいう獣を飼って狩りしてるのを真似てやろう!」
こうして私たち妖怪と一人の生活が始まった。
初めにどこから来たのかと聞いてみた。するとボソリと「伊吹山…」と呟いた。多分あそこの山の麓にある村から来たのだろう。随分遠い場所から来たものだ。親はそんなにこの子供を殺したかったのか。
次は名前だ。本当は自分で考えてもらうつもりだったが、どうやらこの子供は言葉をあまり知らないらしい。知ってる言葉はないのかと聞いても、「母」とか「金」とかしか覚えていなかった。
私が説教食らってる間も黙って聞いていたのはそのせいか。というか数少ない知ってる単語に「金」が入ってるの生々しいな。せめて「父」くらい覚えさせてやれよ。家庭環境浮き彫りになってるぞ。
仕方なく私たちで名前を考えた結果、伊吹山の麓から来た子供ということで『伊吹童子』になった。早速伊吹にそのことを伝えると、今までで一番目を輝かせてコッチを見つめてきた。
まさに純粋無垢って感じだ。案外かわいいところもあるんだな。
ほら、今コイツに情が移ってただろ?やっぱり私が『血も涙もない』だなんて言い過ぎなんだよ。
伊吹を拾ってから数年が経過した。細かった四肢もすっかり人並みになった。実り豊かな大江山と星熊の鍛練の賜物だな。
この調子で成長すればあと5年程で立派な部下に成長するだろう。よかったよかった。そうしたらもう冬備えせずに人間を食べることが出来るぞ。
いつの間にか更に6年が経っていた。ここ10年は時間の流れがやけに早く感じた。伊吹はまさか時間を操る能力でもあるのか…?なんてな。そんなわけないのはわかってるよ。
この10年で伊吹は著しい成長を遂げた。もう他の人間とステゴロしたって負けはしないだろう。よく頑張ったな。
伊吹が変化したように、私も大いに変わった。最初の頃あんだけ拒絶していた『乾鬼姫』の名前も、星熊らが勝手に言っていた『お頭』という身分も認めた。
歳をとって丸くなったか…って関係ないか。妖怪からすれば10年なんて夢幻の如く過ぎるんだ。人間とは比べものにならない長生きだからな。
人間は確かある程度大人になると元服というやつをする習慣があるらしい。伊吹にもやってやろうかと思い、聞いてみることにした。するとあいつは度肝抜くこと言いだした。
「僕は元服ってのはやらないよ。だってそれ人間の儀式でしょ?僕はこのまま妖怪として生きて、そして妖怪として死んで行きたい。このまま今まで通り母さんたちと暮らしたいんだ。」
今思うと、私は伊吹がどう思っているかなんて考えもしなかったな。伊吹自身も言ったことはない。つまりこれが初めての主張なんだ。
当然なのかもしれない。もし伊吹が拾われて直ぐのことを覚えているのなら、伊吹は自分が『犬』と同じであると聞いていたはずなんだ。だから今まで一度も意思の主張なんてしてこなかった。
よく見ると身体が小刻みに震えている。私に突き放されるのが怖いんだ。それはつまり、今の主張に一切の嘘が隠されていないということ。紛れもない本心だということ。
その後私は一つ提案した。元服の代わりに約束しよう。ずっと側にいること、それが守れるならこれからはもう怖がる心配はしなくて良いと。
こうして私にとっての『犬』は『部下』となり、そして自分の『子供』へと変化したのだ。
約束してから数日経った。伊吹は今までよりずっと明るい青年になった。大江山の中だけでは飽き足らず、山の外へ遊びに行くこともしばしばだった。
「やっぱり最近お頭穏やかになりましたね。」
「そうか?あまり変わらないと思うけど。」
「頭目…元気なの嬉しい…。」
茨木が久しぶりに喋った。そういえばお前だけは私のことを『頭目』と呼んでいたな。
そうやって仲間と話してしばらく経つが…伊吹が帰ってこない。一体どこをほっつき歩いているのか。
「お頭、そんなに心配せずとも大丈夫ですよ。伊吹ももう色を知る歳だからきっと今頃…」
「それ以上喋るなら、血が無いのは貴様のほうになるぞ。」
「すみませんって!冗談ですよ!!」
冗談では済まないから言っているというのに。
そのやり取りの直後だった。部下の一人が血相変えて走ってくる。息も絶え絶え、足もガクガクと震えて今にも倒れそうだ。
急いで側に寄ってやると、待っていたとばかりに私の両腕を掴んだ。それだけで尋常でないとわかった。汗にまみれた掌、腕に跡を残そうとしているのかと疑ってしまうほど強い握力がそれを物語っている。
心当たりがなければどれだけ良かったことだろう。おそらく走ってきたそいつは疲れすぎてまともに喋るには相当な時間を要する。だから飛び出した。部下が走ってきたその方向にひたすら突き進んだ。
星熊と茨木はその場に残り、その部下から正しい情報を聞き出す準備をした。もしかしたら二人には走ってきた方向に何があったのかわかったのかもしれない。
私はわからない。わかりたくもない。ただ走ってる。この不安が杞憂で終わるようにと祈ってひたすら走り続ける。私の不安事が事実でないことを証明するために走る。
何も考えられなくなる。それは疲労などによるものなんかではない。吐き気を催すほどの、生まれてから一度たりとも感じたことのない漠然とした恐怖に、この10年で衰弱した私の心が打ちのめされそうであったからだ。
頼む…頼む…嘘であってくれ、勘違いであってくれ。別人であってくれ。
久しく嗅ぐことのなかった錆びた鉄の臭いを察知して私は止まった。私の恐怖もそこで止まってしまった。