最後の恋って、なに?~Happy wedding?~



「ごめん瑠歌、俺と別れてほしい」


 どうしてこうなった?
 なぜ私は今、彼氏にフラれているのだろうか―――


***


 新緑の香る、風が心地良い季節。
 腕時計が18時ちょうどを指しているが、日没までの時間が長くなったおかげで、太陽の沈みかけの空は綺麗な夕焼けで赤く染まっている。

 私は定時に仕事を終わらせて、いつものように同じ職場の彼氏と一緒に帰るつもりで外に出たはず、だったのに。

「俺、他に好きな人が出来たんだ」

 夕日に照らされた彼の表情は真剣で、その突然すぎる告白に私は愕然としている。
 それもそうだ。近々同棲をしよう、なんて話が持ち上がっていた矢先の出来事。それだけにまさかこんな言葉を吐かれるなんて、想像もしなかったんだから―――

「瑠歌さん、こっちはどうします?」
「そうだね、……うん、ここにも花が欲しいかな」

 左手に手帳を持ち、100人が収容出来る大会場を右へ左へと指示を飛ばすと、皺の無い黒のパンツスーツに動きやすいパンプスで(せわ)しく行き交う20代の女性社員達は、テーブルや高砂席(たかさごせき)を器用に飾りつけていく。

 ここ”オルコス・ド・エフティヒア”は『幸せを一緒に味わう空間』をコンセプトに、恋人達が一生を誓いあい”夫婦”としてのこれからを祝福する、ゲストハウス型の結婚式場。

 そしてそこで働く私、棗 瑠歌(なつめ るか)は、ウェディングプランナーのマネージャーとして多くの新郎新婦達のサポートをするため奮闘。『お客様を第一に』をモットーに基本の身だしなみには気を付けて、ナチュラルメイクにラベンダーグレージュ色のセミロングパーマを1つに束ね、信頼あるよう誠実な対応を心掛けている。
 
 ……なんて真面目な事を言ってはみたものの、私自身は来月30歳になるのに、つい《《昨日》》彼氏にフラれて結婚が遠のいてしまったわけで。

「瑠歌さん、14時から打ち合わせが入っているんですがその前に困った事があって―――」
「了解。ここがもう少しで終わるからちょっと待ってね、すぐ話聞く」

 後輩のサポートもしながら昨日の出来事を1秒でも早く忘れようと、気持ちばかりが焦っている。

 正直まだ、現実味を帯びていないんだ。



 








「瑠花、悪い……ここだけど、さ」
「え、うん……」

 話し掛けるのが気まずそうに、辿々しくこちらに近付きプランナーファイルを開いて見せる男。
 少し日に焼けた小麦肌に、奥二重の猫目とアッシュブラウンの癖っ毛が特徴の彼がそう、私の彼氏《《だった》》相手。“鷹松 凪(たかまつ なぎ)
 私はこの男に、捨てられた。


 
 昨日、何が起きたかなんて私自身が教えて欲しいくらい―――――


***



「は? 急に何言ってんの?」

 申し訳なさそうに、だけどどこかスッキリとした表情で私に『別れたい』と言った男を目の前に、こっちは状況が掴めず愕然と目を見開くしか出来ずにいる。

「本当、ごめん」

 彼の口から発せられるのは謝罪の台詞ばかり。
 
 交際2年が経ったけど、仲は良かった……と思っている。2人ともアウトドア派だから旅行やキャンプに行っていたし、お酒が好きでよく居酒屋で飲んだりもした。喧嘩だってした事なかったのに。
 結婚を視野に同棲する話を出したのは私の方。お互いなかなか休みが合わないから、日程を調整しながら賃貸会社をまわろうって話していたはず。
 それで?その続きがこれって、どういう事?

「ごめん」
「謝るんじゃなくて説明が欲しいんだけど」
 
 もう何度目かの『ごめん』にウンザリした私は、それよりも『好きな人が出来たって、いったい誰? いつから?』と、知りたい気持ちの方が上のせいか少し語尾が強まる。

 けれど彼はそれ以上頑なに話そうとせず、複雑に私を見つめたまま口を閉ざしている。
 それで何となく察しがついてしまうのは、“女の勘”というものが働いているからなのかもしれない。
 そしてその直感って、強ち間違ってない。

「もしかしてその相手って、私も知ってる人だったりして」

 遠まわしに聞き出そうとズルい方法で問い掛けると、沈黙を続ける彼が一瞬ピクリと眉を動かして反応を示した。私はそれを見逃せるはずがない。だってそれがつまり《《答え》》だから。

「だから言いたくないわけか……」

 思わず口に出してしまったのは無意識。そんな漫画みたいな事ってあるんだな……って、かなりガッカリしているのが正直なところで。そして同時に、もう1つ疑問が残る。

「いつから? その人を好きになったのは」

 答えなんて聞けば聞く程ショックが重なるだけなのに、気になって聞きたくなるのはフラれる側の複雑な心情だと思う。
 別れを切り出すこの男がこんな私の気持ちを理解出来るとは到底思えなくて、馬鹿正直にちゃんと応えてくれる。

「……先月の飲み会、から」

 やはり答えづらいらしく、この男にしてはハキハキしない。って、ん? 待って。飲み会って今言った?

飲み会(そこ)で急接近して仲良くなったんだ」

 曖昧に答える彼とは裏腹に、私は嫌味ったらしい直球を投げつけた。
 
 

 すると彼は私のストレートな質問に対し、わかりやすく動揺して目を逸らす。そういう反応をするって事はやっぱりビンゴか。
 本当、2年だけでも付き合っていると、些細な仕草だけで何を言いたいのかわかるものね。

 先月の飲み会というのは、ウチの会社の支配人が退職してしまう関係で、お疲れ様会も兼ねての席として開催したもの。だからもちろん私も出席だし、なんなら幹事として忙しく動いていた側。

 そんな席で自分の彼氏に新しい恋が始まっていたなんて、誰が想像するよ?
 そしてその相手がまさか同じ職場の子だなんてーーー

「ねぇ……その彼女と《《寝た》》とか言わないよね?」
「えっ」

 ハッとしたような反応は、まさに肯定そのもの。この話題に触れれば触れるほど本音が態度に現れるし、比例して私に衝撃が走る。

 “寝た”なんて、なんとなくの胸騒ぎからで口にしたものだったけど、まさか事実だったとはな。

「ヤッちゃって好きになったんだね……」
「それは違うっ!」
 
 食い気味にハッキリと否定する彼からは、さっきまでの曖昧さなど無く『勘違いをするな』とでも言いたいように聞こえる。
 何がどう違うの?ヤる前から好きだったとでも言いたいの?……なんて聞いたところで、言い訳を受け入れられる余裕なんて今の私に持ち合わせていないんだけど。

 怒りとショックが入り混じる複雑な気持ち。本当は物凄く責め立てたいよ、当たり前。
 けれどそれを言葉にして『私はずっと好きだったのに』なんて言いたくない。そんな未練がましく言ったところで現状が変わるわけでもないし、余計に惨めになるだけだから。

 もう、潔く良く身を引くしかないって……理解してる。
 
「……そういう事なんだね、わかったよ」

 一言だけ、精一杯に声を絞り出した。

 『わかった』って言いながら正直思う。負けたんだな、私はって。
 気持ちが冷めたって言われるより、他に好きな人が出来たって言われる方が傷は深いものだって痛感させられたな。身体まで重ねてしまえば尚更――

「ねぇ、凪?」
「……?」
「私は楽しかったよ、毎日がとても……」

 『とても……』の後に言葉が詰まる。気の利いた事が言えれば良いのに、何も出て来ない。悔しさ半分、苛立ちが半分で泣きそうになってしまったのが本音。
 指先が食い込んで痛いくらいに、私はグッと拳を握る。

 素直に受け入れるほど苦しいものなんて、ない。


***


「瑠歌、聞いてる?」
「あ、うん」

 ……聞いてなかった。
 私とした事が《《その元カレ》》と仕事の話をしていながら、昨日の出来事をフラッシュバックするなんて。

 でも頭に入ってくるわけない。だって無理よ。フラれた翌日で一緒に仕事とか。

「それでこれなんだけど」

 そう言いながら、凪は自分が担当する方達の当日の日程を真剣な表情で私に説明してくる。立ち話のままだけど、その距離は肩が触れ合うギリギリくらいに近い。
 顔が近付く度にこっちの心臓は鼓動が早くなって困っているのに、この男はさすがだな。最初の気まずさなんてもう微塵も感じさせないくらい平然としている。そう、仕事として割り切れているみたいに。

「うん……それでいいと思う……」

 仕事だからって私も割り切っている。……はずなのに、そんな簡単に上手くいくはずなんてなくて、内心あたふたしている。だから発言に動揺が隠し切れない。

 なのにこの元カレは、後腐れなんてなく見える。

「そっか、これでいいのか! さすが瑠歌!ありがーー」

 忖度なんて全くない屈託のない笑顔でいつもみたいに喜んでいたのに、急に『ヤバい、付き合ってる時の癖が出た』とでも思ったんだろう。言い終わる前に明らかにハッとした様子で、急ブレーキが掛かったように最後の方の言葉をプツンと切る。

 そういう所だ。そういう笑顔が1番困る。

 そして。
 
「じゃ、じゃぁ俺、仕事に戻るから」

 言った自分が現実に戻るその瞬間がこっちはキツいし、急に現実に戻って距離を空けようと目を逸らして逃げようとする。
 気まずそうなのがバレバレ。