3月もお彼岸が過ぎると朝が明るくなるのも早くなった。今日は3月23日(土)、時計を見るとまだ6時を過ぎたところだった。僕の横では瞳が眠っている。彼女の眠っている顔を見ているとまた抱きたくなった。それで眠ったままの瞳を愛し始める。
それに気づいて目覚めた瞳は僕に応えてくれる。それが彼女の良いところだ。それでまた二人は夢中で愛し合う。これで何度目だろう。昨晩、彼女が訪ねて来てから3度目になるだろうか。まだまだ慣れていないところがあるけど毎回新しい発見がある。ひとしきり愛し合ったところで、また二人とも眠りに落ちていく。
ドアホンの音で目が覚めた。もう11時を過ぎていた。宅配を頼んだ記憶はない。なかなか鳴り止まないのでカメラをみると目を疑った。映っていたのは妹の美幸だった。美幸がどうしてここにいるんだ?
「どなた様ですか?」
「お兄ちゃん、美幸です。開けてください」
「どうしたんだ、突然、訪ねて来て?」
「いいから開けて」
ドアを開けると正しく美幸が立っていた。横に赤いスーツケースを引いている。すぐに玄関へ入ってきた。そして目ざとく玄関に脱いであった瞳の靴を見つけた。
「誰かいるの?」
「ああ、友人の飯塚さんが遊びに来ているけど」
「友人って、お兄ちゃんの恋人?」
「まあ、そうかな」
美幸が靴を脱いで上がろうとする。瞳がベッドで寝ているのを見られてはまずいと思い、とっさにさえぎった。寝室の方から瞳の声がする。
「誠、どうしたの、宅配でも届いたの?」
「いや、妹が訪ねてきた」
「ちょっと待って」
しばらくして、身づくろいをした瞳が出てきた。そして美幸をじっとみた。美幸もじっと瞳を見ている。鉢合わせか、まずいことになった。
「美幸、とりあえず入って」
美幸はスーツケースを玄関に残して入ってきた。そしてリビングのソファーに座った。少し離れて瞳も座った。並んで座ると二人は姉妹と言っても良いくらい容姿と雰囲気が似ていた。
「飯塚さん、妹の美幸です」
「初めまして、兄がお世話になっています」
「飯塚 瞳です。こちらこそ。お兄様とは同期入社でいつもお世話になっています。妹さんがいるとは聞いていましたが」
「妹と言っても義理の妹です。血は繋がっていません。兄の父親と私の母親が再婚しましたので」
「道理でお顔が似ていないと思いました。それでは私はこれで失礼します。ご兄妹で積もるお話もおありでしょうから」
二人が張り合っているようないやな雰囲気を感じた。瞳は寝室に戻り、バッグを持って玄関へ向かった。僕はすぐに後を追った。
「申し訳ない。せっかく来てもらったのに。訪ねてくるなんて聞いていなかったから」
「そうみたいね、じゃあ」
瞳はそっけなく言うと帰っていった。リビングに戻ると美幸は邪魔者を追い払ったというようにニコニコしていた。美幸とは昨年3月に僕が就職して上京したとき以来だった。それからは仕事が忙しかったこともあり、一度も帰省していなかった。
美幸は小さい時からとても可愛かった。目がぱっちりして、髪が長くて、すらっとしていた。1年前よりずっと綺麗で可愛くなっている。瞳は起きがけでメイクもしていなかったからこんな美幸を見て引け目を感じたかもしれない。
「どうしたんだ。急に訪ねて来て」
「お兄ちゃんのところに住まわせてもらおうと思って」
「ええっ、ここは1LDKだぞ、二人でなんか住めないと思うけど」
「昼間はお互いに働いているから、一緒になるのは朝と夜だけでしょう、大丈夫、大丈夫」
「大丈夫じゃないと思うけど」
「お兄ちゃん、覚えている? 私との約束」
「約束って?」
「大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんにしてくれるって約束したこと」
「いつのこと?」
「美幸が小さいとき、覚えてないの?」
「ああ、覚えてない。はっきりとは」
僕は中田 誠、妹は中田 美幸、父は中田紘一、母は中田 紗恵の4人家族だ。父は僕を連れて、母は美幸を連れて、再婚していた。
僕に物心がついたころには妹がいた。僕と妹はいつも夜、同じ布団に寝かされていたのを覚えている。そして隣の布団には父親と母親が寝ていた。
朝方になると妹はよく父親と母親の布団に入りにいっていた。そして妹は父親と母親の間に入って寝ていた。それで僕も妹に続いて父親と母親の間に入ったりしていた。
両親はそういう僕たちを抱き締めて寝てくれていた。そしていつも4人で仲良く目覚めて起きていたように思う。
僕が何歳のころかは覚えていないが、夜中に物音で目が覚めた。隣の布団にいるはずの両親がいなくて探したら、ガラス戸の隙間から隣のリビングのソファーで二人が抱き合っているのが薄暗い中に見えた。しばらくして静かになったので、僕も布団に戻って眠った。朝、気が付くと両親は隣の布団で眠っていた。
それからは時々物音で目が覚めると両親が抱き合っているのを戸の隙間からこっそり見ていた。僕はそうして二人が仲良く抱き合っているのを見るのが嬉しかった。それに僕は両親が喧嘩しているのを見たことがなかった。
あるとき僕がこっそりのぞいて見ていると妹が起きてきて僕のところへ来た。「お兄ちゃん何しているの?」と聞いてきた。僕は「静かに」と小声で言いきかせた。妹は僕をまねて覗いた。
そして妹は「パパとママは仲が良いね」と言って嬉しそうだった。それで二人は布団に戻って眠った。そういうことがあってから、妹は母親の真似をしてか、僕に抱きつくようにして眠るようになっていた。
僕が何歳だったかはっきりとは覚えていないが、小学校入学後だったと思う。僕たち兄妹は家に帰ると二人でいつも遊んでいた。2階の前の和室には布団がいつも敷いてあった。あるとき、美幸がそれを見つけるとお兄ちゃんと「パパママごっこ」をしたいと言い出した。
僕たちはズボンを脱いで抱き合って両親の真似ごとをしていたと思う。そのうちに2階の部屋での「パパママごっこ」を母さんに見つかってしまった。
「二人で何をしているの?」
「『パパママごっこ』をしているの? パパとママがしているから」
美幸がそう言ったように思う。
「パパとママは結婚しているからいいのよ」
「結婚しているからいいの?」
「美幸とお兄ちゃんは兄妹《きょうだい》だから、『パパママごっこ』をしてはいけません」
「お兄ちゃん、これからは妹と『パパママごっこ』をして遊んでは絶対にだめですよ。約束して」
「約束する」
「ママ、美幸がお兄ちゃんと結婚したらいいの?」
「そうね、大人になって、お兄ちゃんのお嫁さんになったらいいわよ。でも小さいうちはこんなことをして遊んでは絶対にだめよ。分かった?」
「分かった」
母さんにきつく言われたことを今でもはっきりと覚えている。そのころに『美幸が大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんにしてほしい』と言っていたような気がする。
それを美幸と約束したようにも思うけれど、はっきりとは思い出せない。それは母さんから妹と『パパママごっこ』をして遊んでは絶対にだめと約束させられたからだと思う。
去年の連休の後に美幸が東京の旅行会社に就職がきまったとは聞いていた。それでも二人が別々に住むものと思っていて、一緒に住むことは想定していなかった。
「美幸、父さんと母さんは僕と一緒に住んでも良いと言っているのか?」
「お兄ちゃんが良いと言えば良いと言っていたけど」
「本当か? 電話して確かめるぞ」
「どうぞ」
僕はすぐに父親に電話した。
「父さん、誠だけど、美幸が僕と一緒に住みたいと言ってここにいるけど、良いと言ったの?」
「美幸が東京に就職したいというので、女の子の一人暮らしは心配だから、誠と一緒に暮らすのなら良いとは言ったけど」
「何で、事前に言ってくれなかったの? こちらも心づもりがあるのに」
「美幸が事前に言うと断られるからと言うものだから、しかたなかった」
「母さんはどう言っているの? 母さんに代わってくれない?」
「誠、迷惑かもしれないけど、美幸を一緒に住まわせてくれない? 一人暮らしをさせるのはとても心配で」
「分かった、母さんがそういうなら一緒に住まわせるから、安心して」
「誠は小さいときからいつも美幸をかばって守っていてくれたから、それなら安心です。お願いします」
僕は分かりましたと言って電話を切った。
「父さんも母さんも僕と一緒に暮らすと安心だと言っているので、まあしかたないか」
「ありがとう、お兄ちゃん」
「荷物はそのスーツケースだけなのか?」
「引っ越しの荷物は今日の午後、ここへ届くから」
「ええっ、今日の午後にか!」
手回しの良いのに驚く。午後1時になって引っ越し屋さんが美幸の荷物を運んできた。衣類などの段ボール箱が20個ほどで搬入はすぐに終わった。家具や家電は一切持って来ていなかった。
荷物を片付けたいというのでクローゼットを整理して美幸のスペースを作った。僕の持ち物は元々少なかったので美幸の分のスペースを空けてやることができた。衣料用のクローゼットにはスーツやワンピースなどを片付けていた。
1LDKでもなんとか二人分が片付けられるものだとその時に思った。そういえばこの賃貸マンションは単身者専用と思っていたが、二人で住んでいる人もいた。
4時には片づけが終わった。美幸はお腹が空いたと言うので宅配ピザを注文した。外へ食べに行こうにも荷物の片付けで疲れたと言うのでそうした。僕はコーヒーメーカーでコーヒーを二人分作っておいた。ピザが届いたので食べ始める。そこで大事なことに気が付いた。
「美幸、ところでベッドや布団などの寝具がなかったけど」
「必要ないでしょう。一緒に寝れば良いから」
「一緒に寝るって、ベッドは一つしかないよ」
「さっき確認したらセミダブルくらいの大きさがあるから大丈夫よ」
「大丈夫よって、大丈夫じゃないだろう」
「抱いて寝てもらえれば大丈夫だから」
「抱いて寝るなんてできないだろう」
「どうして、小さい頃は同じお布団で二人抱き合って寝ていたのを覚えていないの」
「覚えてはいるけど、子供のころの話だろう。それに母さんから妹とは『パパママごっこ』を絶対にしてはいけないと言われているから」
「『パパママごっこ』って何? どういうことするの?」
美幸は分かって聞いてきている。
「どういうことって」
「お兄ちゃんは考え過ぎよ、一緒に寝るだけ、狭いから抱いて寝てもらわないとベッドから落っこちるでしょう」
「でもできないな。今はもう大人だし、僕も男だし」
「だから?」
「美幸はベッドで寝てくれれば良い。僕はソファーで寝るから」
「それで良いの?」
「それしかないだろう」
それで美幸はベッドで、僕はソファーで寝ることになった。これじゃあ先が思いやられる。
ピザを食べ終わると美幸は疲れたので眠りたいと言う。すぐにお風呂の準備をする。ここのお風呂はスイッチを入れるとお湯が入って、満杯になるとアナウンスで知らせてくれる。
その間に僕は美幸のためにベッドメイキングをする。美幸は下着やパジャマの用意をしている。僕はそれを横目で見ながらシーツ、かけ布団の上掛け、枕カバーを洗濯済のものに交換した。
お風呂が沸いたので美幸に先に入ってもらった。ゆっくり入ってと言ったのに美幸は早めに上がってきた。パジャマに着替えて髪にバスタオルを巻いている。いつも見ていた懐かしい美幸の風呂上がりだった。
ベッドに入ると美幸はお兄ちゃんの匂いがすると言ってすぐに眠ってしまった。
僕は小さい時から、妹の美幸はとても可愛い女の子だと思っていた。小顔で目がぱっちりしていて、鼻筋がとおっていて、口元も可愛かった。兄の贔屓目かもしれないが、まるでお人形のようだった。これは間違いない。小学生から中学生、高校生になるにつれてますます綺麗で可愛い美少女になっていった。
妹の美幸とは3歳の年齢差があった。僕は小学生のころからそのかわいい妹を守らなくてはいけないと思っていた。それは両親から妹を守ってやってほしいと言われていたからでもあった。それで小学生のときから近所の空手道場に通わせてもらっていた。小学校では必ず一緒に登下校していたし、中学校でも一緒に登校していた。
僕はというと自分でもそんなにハンサムでもなくて妹とは全く不釣り合いな普通の顔つきをしていると思っていた。ただ、身体はがっちりしていて身長もあった。だから、妹と二人で歩いていると、僕の友達はお前たちは本当に兄妹かとからかったりした。
僕はそれを可愛い妹を持つ僕に対するやっかみだと思うことにしていた。でも一方では、妹には僕が不釣り合いだという劣等感もあったのだと思う。
ただ、勉強は僕の方ができた。僕は地元の大学の医薬系学科に進学していた。父は町の薬局に勤めていたが、経営者が高齢になって父がその薬局を引き継いでいたからだ。いずれは僕が引き継ごうと考えてのことだった。それで父も反対はしなかった。
美幸が高校の1年生になった時に僕は大学1年になっていたので、それから僕は美幸の家庭教師となって勉強を見てやっていた。
美幸は僕ほど勉強が得意ではなかったが、僕の言うとおり素直に従って一生懸命に勉強をしていた。その甲斐あって、美幸は同じ大学の文系学科に進学することができた。両親が喜んだのは言うまでもなかった。
美幸の入学式があった日のお祝いの夕食の時に僕たちは両親から重大な話を聞かされた。僕は父の連れ子で、美幸は母の連れ子で、両親が再婚したので、僕と美幸は兄妹になったというのだ。
僕の母親は僕が2歳の時に好きな人ができて、父に僕を残して家出して離婚したという。でもそれを聞いた時、その母親に会ってみたいとは思わなかった。
それはきっと今の母が僕に愛情を注いでくれたからだと思う。母は保育所で保母をしていたが、美幸が小学生になると専業主婦になって二人を育ててくれた。
一方、美幸の父親は美幸が1歳の時に交通事故で亡くなったと聞いた。それは父親が母に暴力を振るって美幸にも害が及ぶのを恐れて母が美幸と実家へ家出して、その時に二人を連れ返そうと向かった途中で起こした事故だったそうだ。
そんな同じような境遇にある父と母は気晴らしに行っていた民宿のオーナー夫妻の紹介で知り合ったという。父は母にただ真似をするだけの「恋愛ごっこ」をしていやな思い出に上書きをして過去を忘れようと誘ったという。
それから父と母の付き合いが始まり、それが親子の付き合いになり、やがて一緒に住むようになって、結婚したという。そして美幸は僕の父親の養女になったから、僕と美幸は兄妹になったという。その時、僕は5歳で美幸は2歳だった。
それを聞いて僕は今までなんとなく分からなかったことに合点がいった。それは突然母親と妹ができたという幼いころの記憶があったからだった。美幸にはそういう記憶は全くなかったと思う。でも美幸は本能的にそれを感じていたのかもれない。
その夕食の時に美幸と父と母が言った言葉を今でも覚えている。
「それじゃあ、私はお兄ちゃんと結婚できるの?」
「血の繋がった兄妹は結婚できないけど、二人は血が繋がっていないから結婚できるよ」
「誠はこれからも美幸を守ってあげてね、お願いします」
僕はその時、母の言葉の真の意味が理解できなかった。今もそうだ。
美幸が大学に入学した時、僕は4回生になっていた。キャンバスは同じだったから、美幸から昼休みに一緒に昼食を食べようと誘われると僕は学食に付き合っていた。
キャンパス内では僕はいつものとおり美幸と呼んでいたが、美幸は僕をお兄ちゃんとは呼ばずに誠さんと呼んでいた。
そのころの美幸はキャンバス内でもかなり可愛い方で、近づきがたいような綺麗な女子学生だった。それはすれ違う男子学生のほとんどが振り返るほどだった。
だから、僕たち二人が歩いているときっと不釣り合いに見えたのだろう。美幸は見られていたが、僕もじっと見られた。きっとあんな不細工な男が不釣り合いな綺麗な女の子を連れていると見ていたのだろう。
それに美幸が僕の妹だと知っているのは極く限られた友人だけで、ほとんどの人は顔があまりにも違い過ぎているので、兄妹とは思わなかっただろう。
それで僕には周りの女子学生が全く近づかなくなっていた。それは美幸にも言えることだった。目立つ美幸と歩いていると彼氏がいるみたいに見えて、ただでさえ近づきがたい美人だったから誘ってくる男子学生はほとんどいなかったと思う。
それに美幸は女子の友人はいたが、男子学生には声をかけられても無視するか断っていると言っていた。今思うに、美幸はあえて大学では僕に近づいて、僕に他の女子学生が近づくのを阻止していたのだろう。
僕は美幸と歩いていると他の男子学生が羨望のまなざしで僕を見ていることも嬉しかった。僕は小さい時から美幸が好きだった。そして陰になり日向となって彼女を守ってきた。それで彼女を守れているのならそれでよかった。
大学キャンパスでの妹とのそんな関係が2年ほど続いた。僕にとっては、大好きな可愛い美幸と昼食を一緒に食べたり散歩したりして本当に楽しい学生生活だった。
自宅ではというと、2階の前の8畳の和室が美幸の部屋になっていて、2階の後ろの8畳の和室が僕の部屋になっていた。階段は玄関側と後ろの勝手口側にもあるのでどちらからも自分の部屋に行けた。
僕が6回生になって、実習や卒業研究などで遅く帰っていたころには美幸と家で会うことが少なくなっていた。
また、6回生になったころから、美幸との関係を考えることが多くなった。僕は美幸が好きだったし、美幸にも好かれていると思っていた。
僕たち二人は小さい時から兄妹として暮らしてきた。お互いに好意を持っている。それは間違いないと思う。でもそれだけで将来、結婚するようなことになっても良いのだろうか?
僕は美幸以外の女性とはほとんど付き合ったことがない。それに美幸とも本当にこれが付き合っていると言えるのだろうか?
美幸にしても、僕以外の男性とはほとんど付き合っていないはずだ。それだから、僕と美幸が一緒になったとして、そのあとで美幸がほかの人を好きになることはないだろうか? 僕にしてもほかの人を好きになることがあるかもしれない。
それで僕は美幸と距離をおいてみることにした。それがあとあと二人のためになると思ったからだ。そして美幸のいないときに両親に相談した。
僕たち二人は小さい時から一緒に暮らしてきて、お互いに好意を持っていることやこのまま結婚して一緒になることの懸念を正直に話した。そしてしばらく美幸と距離をおいてみたいこと、そのため就職は東京でしたいとの希望を話した。
両親は僕の懸念を理解してくれて、ここを離れて東京へ就職することに賛成してくれた。そしてこうも言って背中を押してくれた。
「父さんと母さんは縁があって出会って一緒に住んで結婚した。そして誠と美幸は兄妹になった。これも何かの縁だと思う。ただ、その縁は二人が結婚するまでの縁なのかは父さんと母さんにも分からない。結ばれる二人は赤い糸で繋がっていると言うから、今しばらく二人が別れて生活しても結ばれる縁ならば必ず結ばれると信じている。誠は後悔しないように自分の思うとおりに進んで行けば良い」
僕は美幸と二人になったときに僕の美幸への気持ちや今後の懸念を話した。美幸も同じような懸念があると言って、僕の懸念を理解してくれた。そしてしばらく距離をおいて二人の関係を考えてみようということも理解してくれた。寂しいかもしれないがこれも二人のための試練なのかもしれないとも話した。
そして6回生の5月に僕は東京の大手食品会社への就職が内々定した。
ベッドから落ちそうになって目が覚めた。いやベッドではなくてソファーから落ちそうで目が覚めたのだった。まだ、7時前だった。今日は日曜日だからゆっくり寝ていれば良いが、やはりソファーは寝心地が悪かった。
今、僕は大手食品会社の中央研究所に勤めている。仕事の内容は機能性食品の研究開発だ。去年の7月に3か月の研修を終えて配属された。その研究所はあざみ野にある。ここの賃貸マンションは高津駅から徒歩5分くらいのところにあって、家賃の1/3を会社が負担してくれている。通勤時間は30分くらいだ。
一人暮らしが快適なように、大型テレビ、大型の冷凍冷蔵庫、ドラム式乾燥洗濯機、電子レンジ、電気釜などの家電を買いそろえた。Wi-Fi でパソコン、スマホは使い放題、オール電化で、一人暮らしなら快適な住まいだ。まあ、今となっては美幸と二人でもなんとか快適に暮らしていけると思う。
リビングには2畳ほどのカーペットを敷いてその上に大きめの座卓を置いている。そばに3人掛けのソファーを置いて、これに座るか寝転がって大型テレビを見る。この3人掛けの大きめのソファーを買っておいてよかった。これがないと床で寝なければならないところだった。
8時になっても美幸は起きてこない。寝室のドアをそっと開けると美幸が着替えをしていた。
「いや、お兄ちゃん、覗かないで」
「ごめん、まだ、寝ているのかと思って。もう起きて朝食にしよう」
僕は朝食の準備をする。トーストを焼いて、牛乳をカップに入れてチンする。バナナとリンゴを切る。しばらくすると部屋着に着替えた美幸が出てきた。バスルームへ行ってから、ソファーに座って、僕の作った朝食を食べ始めた。
「ありがとう。朝食を作ってもらって。ここへ来たかいがあったわ」
「甘えてないで少しは手伝えよ」
「おんぶにだっこというわけにもいかないから、家事は分担します」
「ところで、就職先は大手旅行会社と聞いているけど、勤務場所はどこになりそう?」
「本社が虎ノ門にあって、本社勤務になるみたい。4月1日に入社式があって、それから研修が2か月ほどあって、その後に配属先がきまるみたい」
「うちの会社も本社が虎ノ門にある。高津駅から虎ノ門駅まで30~40分くらいかな、50分くらい見ておけば十分だと思う」
「お兄ちゃんは本社勤務にならないの?」
「ときどき打ち合わせに行くくらいだけど、しばらくはならないだろうな」
「お兄ちゃん、今日の予定は?」
「特にないから、まず、その旅行会社の本社へ行ってみないか? 通勤経路を教えるから、それから銀座へでも行ってみよう。あとは時間次第で美幸が行きたいところに連れて行ってあげる」
「ありがとう、お兄ちゃん、私のことを考えてくれているのね。じゃあ案内してください」
美幸は瞳のことを何も聞いてこなかった。美幸のことだから僕を問い詰めてくるかと思っていたが、ほっとした。僕には美幸には瞳のことで後ろめたさがあった。
飯塚瞳とは同期入社だった。入社して2か月の研修期間中に同じ班になって知り合った。彼女は文系の学卒で僕よりも2歳下だった。髪の長い綺麗な娘だった。一目見た時に惹かれるものを感じた。研修中の共同作業や報告書の作成などを協力して行っているうちに話す機会も増えて親しくなった。
研修終了後、瞳は虎ノ門本社の商品企画部に配属され、僕はあざみ野の中央研究所へ配属された。それからはメールやLINEなどでお互いの近況などを知らせ合ったりしていた。
9月に同期会があって僕も参加したが、瞳も参加していて、久しぶりに会うことができた。それを機会に時々週末にデートをするようになっていった。
12月初旬の土曜日にデートの約束をしたが、僕が風邪を引いて高熱で行けなくなった。そのことを連絡すると瞳は僕にマンションの場所を聞いて見舞いに来てくれた。そして昼と夜の食事の世話をしてくれた。
そしてその晩は心配だからと言って泊まってくれた。瞳はソファーで寝ていたが、明け方になって僕の熱を測りに寝室へ入って来たようだった。そして僕の額に手を当てたので、僕は目が覚めた。
瞳は僕にキスをして布団の中に入ってきた。僕はその時、まだ熱があって朦朧としていた。美幸が僕にキスをして布団の中に入ってきたように思った。
それから瞳は僕に抱きついてきた。僕も瞳を抱きしめてそれから愛し合った。美幸か瞳かよく分からなくなっていたのかもしれない。目が覚めると隣で瞳が眠っていた。
僕は女子とそういうことになったのは初めてだった。ただ、瞳が初めてだったかは分からない。お互いにぎこちないところがあった。
次の週には僕は回復して出勤していたが、瞳に僕の風邪が感染したみたいで、金曜日から会社を休んでいるとの連絡が入った。それでお返しに今度は僕が瞳の住まいを訪ねて行って弁当などの差し入れをしてあげた。
心細いので泊まってほしいというので泊まった。二人とも風邪にかかったので、もううつる心配がないとか言って愛し合った。
それからは2週毎くらいにデートを繰り返して、そのたびごとに愛し合うようになっていった。ただ、愛し合った後にまどろんで抱き合っているときに、瞳を抱いているのか美幸を抱いているのか分からなくなるときがあった。
そのときは、子供のころ美幸と同じ布団で抱き合って寝ていたからだろうと思っていた。今思うに、美幸と瞳はよく似ていた。それは二人が僕のマンションで鉢合わせしたときにはっきりと分かった。
11時を過ぎたので、昼食をパンとコーヒーで軽く済ませて、マンションを出発した。高津駅まで歩いて電車に乗る。二子玉川駅で乗り換えて、大岡山駅で乗り換えて、溜池山王駅に着いた。ここまで電車で約35分かかった。ここから虎ノ門までは歩いて数分の距離だ。美幸の会社の場所はネットで調べておいたのですぐに見つかった。
「ここまでマンションから歩く時間を含めて50分も見ておけば十分だ」
「結構乗り換えが大変ね」
「通勤時間が1時間以内なら東京では御の字だから。これから銀座へ行ってみようか?」
「銀ブラというのをしてみたい」
今度は虎ノ門から銀座線に乗って銀座で降りた。ここは銀座のど真ん中だ。大通りの両側を端から端まで歩き回った。歩き疲れたので、スタバを見つけて一休みする。
「日曜日だから人が多いね」
「ウィークデイの会社の帰りに寄ってみると良い。地下鉄ですぐだから」
「これから、どうするの?」
「虎ノ門を通って違った経路で帰ってみようか?」
「いろいろな経路があるのね」
「事故で不通になった時のために帰る経路をいくつか知っておいたほうが良いから」
それから銀座駅から虎ノ門駅を経由して、表参道駅で乗り換えて、渋谷経由で二子玉川駅へ戻ってきた。ここで降りて美幸の歓迎会をレストランでしようと思っている。
出発前にネットで予約を入れておいた。初めて来たが落ち着いた感じのイタリアンレストランだった。アラカルトで何品か頼んだ。飲み物は、僕がビールで、美幸はジンジャエールを頼んだ。飲み物がくるとすぐに乾杯する。
「就職おめでとう。それと二人の再会を祝して乾杯」
「ありがとう。こんな素敵なお店で歓迎会をしてもらって、ご馳走になっていいの?」
「ああ、せっかく東京に出てきたのだから、兄貴として当然のことだから」
「一緒に住まわせてもらうから生活費は出させてもらいます」
「美幸よりも少しは多く給料をもらっていると思うけど、そうしてもらうと助かる。でもそれは4月に初めてのお給料をもらってからでいいよ」
「お給料日っていつごろ?」
「会社によって違うと思うけど、僕の会社は20日に銀行振り込みで支払われる。お金はあるの? 給料日までの必要な分は貸してあげるよ」
「大丈夫、両親が給料1か月分くらいを持たせてくれたから」
料理が次々と運ばれてきた。
「それじゃあ、せっかくの機会だ。食べながらでも、マンションでの家事や生活費のことを相談しておこうか」
「はい、お兄ちゃんに甘えてばかりではいけないので、相談しておきましょう」
「そうだな、まず、朝食だけど、僕は今日の朝みたいな朝食を作って食べているけど、どう思う?」
「そうね、パン、牛乳、果物か野菜サラダ、茹で卵か目玉焼きくらいにしたい」
「今とそんなに変わらないからそれでいいと思う。交代で作るのはどうかな」
「できないときは代わればいいと思う」
「昼食はどうする? 僕は社員食堂があるけど、お弁当を作って持って行く?」
「私も社員食堂はあると思う」
「夕食はどうする?」
「お兄ちゃんはどうしているの?」
「実験で帰りが遅くなったりすることがあるので、駅前の食堂で外食したり、コンビニで弁当を買ってきて食べたり、冷凍食品をチンして食べている。土日はスーパーで惣菜を買ってきたり、材料を買ってきて食べたいものを自分で作ったりしている」
「私は仕事の具合で帰宅時間がどうなるか分からないので、落ち着くまではお弁当を買ってくるか、外食してくると思う。土日はお兄ちゃんと交代でなにか作っても良いと思う」
「料理はできるのか?」
「就職がきまってから、ママが炊事、掃除、洗濯などの家事の仕方を教えてくれたから、大丈夫」
「お兄ちゃんこそ料理できるの?」
「自己流だけど、ネットで調べて作っている。味もまずまずだと思っている」
「お洗濯はどうするの?」
「毎日、お風呂に入って着替えるだろう。洗濯機に二人分入れて、ONにしておけば、翌朝には乾燥して出来上がっている」
「お掃除はどうするの?」
「ウィークデイはできないから土日に協力してすればいい。ハンディ掃除機とクイックルがある」
「寝室とリビングは私で、キッチンとバスルームはお兄ちゃんでどう?」
「それでいいよ」
「生活費はどうするの?」
「住居費は僕が持つけど、自炊の食費と光熱費などは折半でどうだろう? そのほかはそれぞれの分はそれぞれが払う」
「住居費を持ってもらえると助かるわ、それでお願いします」
恋人同士が同棲するときにはこういう相談をするのだろうか? 実家に二人がいたときは両親がすべて払っていたからこういうことを相談する必要がなかった。それに二人だけの生活になってみて初めて二人の相性もはっきりすると思う。良い機会かもしれない。
食事を終えて二人はマンションへ帰ってきた。僕はすぐにお風呂の準備をした。僕から先に入ってほしいと言うので、先に入った。僕が上がると入れ替わりに美幸が入った。美幸が上がってくると僕に言った。
「入社式まで1週間ほどあるから、しばらくは夕食を作ってみるから、食べてみて」
「大丈夫か? 無理することはないけど、楽しみだ。買い物は二子玉川か溝の口のスーパーでするといいよ」
「ネットで調べて行ってみる。いつも帰りは何時ごろになるの?」
「7時から8時くらいかな、でも日によって違うから、帰る時にメールを入れることにしよう。研究所からマンションまで30分くらいだから」
「そうしてもらえると助かるわ」
それから美幸は寝室のベッドへ、僕はソファーで眠りについた。明日は仕事だ。
朝、キッチンの音で目が覚めた。美幸の背中がみえる。7時10分だった。これでも出勤までには十分に時間がある。
「おはよう」
美幸はトーストの皿を持ってきて座卓に並べている。それからホットミルクのカップ、フルーツ、目玉焼きの皿が次々に並ぶ。僕はバスルームに入って歯磨き、髭剃り、洗面を終えて、寝室に入ってスーツに着替える。
寝室は美幸の匂いがする。しばらく忘れていた甘酸っぱいような匂いだ。美幸がここで寝ていたと実感できる。僕はこの匂いが好きだ。癒されるというか、心を落ち着かせてくれる。
そういえば美幸も僕の匂いがすると僕のベッドで初めて寝たときにそう言ったのを思いだした。一緒に住んでいたからお互いの匂いを覚えていた。離れていたからそれが敏感に分かるのだろう。席に着くと美幸が待っていてくれた。
「朝食を作ってくれたんだ」
「早く目が覚めたから、作ってみようと思って、こんな感じでどう?」
「言うことはない。朝食を食べて行かないと11時ごろに疲れてくるから、勤めてからは朝食を抜かないことにしている」
「良いことだね。私もそうする」
二人が食べ終わると、美幸は片付けを始めた。後片付けは僕がするというと、今のうちは私がすると言ってさっさと片付けて洗い終えた。
「美幸の今日の予定は?」
「二子玉川でショッピングをして、それから溝の口にも行ってみます。それと今日は夕食を作ってみます」
「無理することはないけど、入社まで何日かあるから、今のうちにできることはしておいた方が良いと思う。勤め始めると時間が取れなくなるから」
僕は8時過ぎに出かけた。美幸は掃除を始めると言っていた。無理をしなければ良いが、美幸は身体が丈夫な方だった。
それと連絡はLINEですることにした。心配だからマンションに帰ったら連絡を入れるように言っておいた。
午後2時過ぎに[帰宅しました]とのLINEが入っていたので安心した。[了解]の返信を送った。
7時過ぎに[これから帰る]のLINEを入れた。[気を付けて帰って]の返信が入っていた。
7時半過ぎにマンションに着いた。いつもは暗い自分の部屋の明かりが点いているので不思議な感じがした。ドアを開けて入ると美幸が出迎えてくれた。良いものだな、迎えてくれる人がいるって、そう思った。カレーの匂いがする。
「おかえり。夕食はカレーライスとサラダにしたけど」
「ありがとう、ごちそうになるよ」
僕は部屋着に着替えてから食卓についた。いい匂いだ。一口食べてみる。美幸が心配そうに見ている。
「おいしくできている。そういえば母さんのカレーに似ているな」
「ママに作り方を教えてもらったから、2種類のルーを混ぜて作るの」
「おふくろの味だね」
「私もママのカレーが好きで、お兄ちゃんも好きだったから、作ってみようと思ったの」
「ありがとう、1年ぶりかな、このカレーの味」
僕はお替りをした。美幸は嬉しそうによそってくれた。
「明日は何がいい?」
「何でもできるのか」
「ママがよく作っていたものなら習ってきたから」
「肉ジャガはできる」
「大丈夫だと思う」
そうして3月31日(日)まで、美幸はおふくろの味の夕食を作ってくれた。