[書籍化、コミカライズ]稀代の悪女、三度目の人生で【無才無能】を楽しむ

「そうそう、アッシェ家」

 忘れていたわ。
四公の内、残るアッシェ家はどうなのか。

 当時の王妃の生家である為に、その血筋と王家がそれ以上の縁を持つ事はなかったの。

 当時の王妃は血が繋がらない亡き平民の側室が産んだ娘であったとはいえ、王女を育んだ者としての責任の重さを痛感したのですって。

 そしてただ1人の世継ぎだった王太子の惨状。
その心痛が重なって早々に蟄居したらしいわ。
自らを咎人として城の奥にあった王女とその母が過ごしていた離宮で晩年を過ごし、その時の代のアッシェ家当主も早々に次へ代を譲ったわ。

 そうして四公の次世代、つまり今世の私の祖父母世代ね。
彼らは現在の王、つまり私の両親世代が育って当主を代替わりするまで、それはそれは親身に王家に尽くしたようよ。

 現王は学園の最終学年中の19才という若さで即位し、父王と先々代の祖父王は名実共に蟄居。
その数年後、執政が彼の代で上手く機能するのを見届けたかのようにそれぞれ没した。

 何て素晴らしいお話かしらね。

「ふふふ、事実は小説より奇なりね」

 真実は違うわ。
私こそがその証人。

 でも良いの。
今なお悪の権化のように語り継がれる前々世ベルジャンヌだった私は、前世で心から癒やされたもの。

 そう、私には王女と公女の間にもう1つ生きた人生(記憶)があるの。

 色々ハードモードな一生で刺激が過ぎた前々世の人生の最期に願ったのは、穏やかな来世。

 死ぬ直前に契約していた聖獣に魂を抜き取らせ、運に任せて輪廻の輪に滑りこんで自分を転生させたわ。

 次の生が産まれたのは異世界。
全くの予想外。
地球と呼ばれる星の日本という国。

 前世王女だった事を思い出したのは普通に物心つく頃だったけれど、魔法の無い世界なのに科学や技術が進んでて、不便どころか便利過ぎて愕然としたのが懐かしいわ。

 両親からは普通に一般的愛情を注がれてぬくぬく育ったの。
そのままJS、JC、JK、JDと学生生活をエンジョイ。
もちろん女子小・中・高・大学生の略よ。
久々に使いたくなっちゃった。

 JD卒業後は普通に就職して独身貴族を謳歌した後、マッチングアプリで性格の合いそうな男性を適当に見つけて結婚。
32才くらいだったかしらね。

 前世では政略結婚なんて当たり前の世界で過ごしていたからか、惚れた腫れたは特に感じる事もなく、あくまで性格の相性を重視したセルフ政略結婚だったと思うの。

 少し味気ないのかしら?

 でもお陰で大きな波風もない新婚生活を経て、37才までに女児1人と双子の男児を出産したんだから悪くない選択よ。

 まあその後なんやかんやありつつも、振り返れば思いのほか穏やかな生活を過ごし、夫と数年の差で最期は孫や曾孫にも囲まれて一生を終えたわ。
享年86才。
当時の平均寿命くらいよね。

 今思えば来世、つまり今世へのインターバル期間だったのかと思うほどにただ愛を受け、怯える事なく心からの愛を誰かに与える事のできる穏やかな一生。

 何だかんだで色々と傷つきまくってギッスギスのトゲトゲ王女として短い一生を終えた魂は、すっかり癒やされてしまったわ。

「けれど元お婆さんは思うのよ?
何も再び前世、あら、違うわ。
前々世の王女だった自分を稀代の悪女呼ばわりするこの世界に戻って自分の元婚約者の孫やら、あれこれを押しつけた人達の身近な場所に転生しなくても良かったんじゃないのかしらって。
あら、うっかり独り言」

 年を取るってやあね。
ついお口が緩んでしまったわ。
まあ今世はまだ16才なのだけれど。

 しかも今世は公女となった挙げ句に最期はそれまでの腹いせ含めてボロクソ、ごほん、完膚無きまでに叩きのめした前々世の異母兄の孫(第2王子)の婚約者だなんて。

 それに王子は魔法を使えない、頭の悪い、無才無能で嫌な事からは逃走するのを良しとして義妹を虐めているらしい婚約者を心から毛嫌いしているわ。

 あらあら?

 義妹を虐める云々はさておき、それ以外は当然といえば当然ね?
それに彼は腐っても出自は責任ある王子だったわ?
2番目だけど。

 従妹で義妹も本来は庶子なのだけれど、伯父様があの元婚約者の息子だったからかしら。

 外見と学力はなかなか、魔力と魔法はそこそこ、中身はダメ子、合わせて割ればレベルは四公とはいかないまでも高位貴族並み程度の実力を持つロブール公爵家の養女シエナ。

 彼女と私との婚約者差し替えを申し出ているのも、まあ頷けるわ。
「むしろ早く差し替えを承認しろよ、このグズ、とすら前々世の血縁者に言ってしまいたいわね」

 まあまあ?
ついうっかり、またまた独り言ね。
それにお口が悪いわ。

 ごめんなさいね。
前世は子育ても終えちゃった孫や曾孫持ちの庶民なの。
時折のお耳汚しはどうぞご容赦下さいな。

 それはそうと、勢力的にも過去の背景からもロブール家の血を王家に招きたい気持ちはわかるのよ。
そういう意味でも私と差し替えるならシエナが適していると思うわ。

 なのに何がどうなったのか、特に学園を中心とした多くの人達は私が婚約者の立場にしがみついていると勘違いしているようなの。
私は婚約に関する事で何かを望んだり、邪魔した事はこれまでの人生においてないのよ。
ただの1度もね。

 婚約前も、その後も。

 王女だった前々世も、公女の今世も。

 ただねえ。

 まだ婚約を解消もしていないのに、王子は婚約者である私の義妹を侍らす節操なしだし、浮気相手と一緒になって周りを煽るように正式な婚約者に悪意を隠しもせずにぶつけるのは、いかがなものかしら?
特にこの世界の貴族はあっちの世界の日本とは比べられないくらいに貞操観念がカッチリしてるもの。

 現実でどこまで手を出しているか、ではなく、既にお手つきになっているんじゃないかって思わせる事が問題なのよ。

 まあ三十六計逃げるに如かずがバイブルな私も悪いわね。

 けれど現実問題として実は魔力も十分、魔法も好きに使えちゃって大魔法師と呼ばれている父親よりも多分強いのよ、ラビアンジェ=ロブールは。

 何より前々世では王女教育も早々に終えていたわけだし、異世界の知識も併せ持ってしまった私が無才無能なはずがないじゃない?

 あ、優秀とまでは自分で言わないわ。
元日本人だし、そこは謙虚に慎ましく、それなりに経験があるとでも言おうかしらね。

 王女経験、社会人経験、出産育児経験、老後経験……ふふふ、多彩でしょ。

 それに今世の私も実は聖獣ちゃんとも愉快な仲間達とも仲良くしてるのよ。

 だからね。
バレたらまた使い倒される人生が決定しそうじゃない?
そんな人生は前々世王女だった1度で十分。 

 まあ、だから、そうね。
私の前世が享年86才のお婆さんで本当に良かったわ。

 王女の時と同じく悪意まみれの周辺環境のはずなのに、あの時のように心が傷だらけになったり、人に対して恐怖を感じて萎縮する事がないの。

 だって合う人もいれば、合わない人もいるってもう知っているもの。
合わない人にこちらが無理に合わせる必要はないし、無理に合わせても疎遠になる時間が先送りされているだけで時間の無駄だと普通に思えるの。

 それが家族であっても他人であっても同じだわ。
特に他人の悪意なんて小鳥のさえずりね。

 前々世にも前世にも合う人はいたのだから、今世でもそのうち合う人がでてくるって確信しているわ。

 それに生きていれば皆環境が変わっていくでしょ。
時間を置いたら合うようになった、なんて事もあるもの。

 もちろんその逆もね。

 ほら、仲の良いママ友だったはずなのに、子供が巣立って改めて見回したら、あら不思議。
お互い連絡先も知らないくらい疎遠になってた、なんてよくある話じゃない?

 慌てて無理して取り繕う人間関係なんて、今世の私の人生では無駄でしかないわ。

 だってあの穏やかな人生を終えた前世が忘れられないもの。
思い返すだけで、涙が出る程に幸せで。

 だからごめんなさいね。
今世の私は今度こそ、自分の為だけに前々世と同じく無才無能として生きるわ。

「明日の学園が楽しみね」

 そうして眠りにつく。

 きっと明日はあの孫、じゃない、あら?
王女だった自分からすると、かの浮気王子は何と言うのかしら?
まあ孫でいいか。
孫が噛みついてくるはずよ。

 うふふ、孫だと思うとちょっと可愛らしいわね。

 前世でも甘やかしちゃったのよ。
お陰か最期は看取りに来てくれたの。

 ああ、あの子達元気にやってるのかしら?
どうか穏やかで実りある人生を生きて欲しいわ……。

 ……なんて思ってる間に朝が来たわね。
今日も1人で支度をして、徒歩で登校よ。

 30分程で着くの。
ちなみに健脚だと自負しているわ。

 お兄様や従妹で義妹は四公の公子公女らしく馬車通学よ。
将来足腰の弱った老後を送らないか元お婆ちゃんはちょっぴり心配ね。

 そのまま歩いて正門から入って、ほとんどのクラスメイトが揃った教室に向かう。
いつも通りの朝のルーティンワークよ。

「ラビアンジェ=ロブール!!」
「ふふふ、ほらね」

 清々しい朝の教室では怒鳴らなくてもちゃんと声は通るのよ?
「何がほら、だ!」

 まあまあ、失言だったかしら。

 それにしても朝から怒鳴りっぱなしで疲れない?

 いえ、これは若さね。
朝から孫のテンションが高いわ。
祖母(おばあ)ちゃんはついていけないのだけれど?

 目の前には銀髪碧眼のあちらの世界によくいる乙女ゲームの攻略キャラ並みに王子然とした、あ、王子だったわね。
麗しき王子様が……あらあら?

「お顔が残念でしてよ?」
「ラビアンジェ=ロブール!!
無才無能なお前が王族である私に暴言か!!」

 ふふふ、うっかり火に油を注いだみたいね?

 聴力は一般的16才並みのはずだから、更に声を張り上げなくても聞こえるのよ?
むしろ耳が痛いくらい。

 でも私の微笑みはデフォルトだから崩れないわ。

「いいえ?
ただ、お供の怖いお顔で睨む騎士科の男性と、婚約者以外の女性を連れて教室中に響く怒声を早朝から撒き散らすのは、それこそ王族としていかがなものか、とは思っておりますの。
ほら、周りのか弱い女性達へのイメージも大切でしょ?」

 その言葉にうっ、と詰まるお怒り孫と背後のお供君。

「お義姉様!
王子様のお顔に失礼でしてよ!」

 うふふ、お供君の後ろからひょっこり出現ね。
うちの従妹で義妹は今日も甲高い声で元気だこと。
大柄なお供君の陰になってて、いたのを一瞬忘れていたわ。

「そうよねえ、シエナ。
王子殿下のご尊顔に失礼よね?」
「は?!
何を言って……」
「だって、微笑めば美しいはずのご尊顔をそのように歪めては残念と思うのは、(いち)女性として当然ですもの。
同じ意見で嬉しいわ、シエナ」

 うふふ、と微笑みかける。

「王子殿下ご自身であっても、麗しいご尊顔を崩すなんて世の中の損失ですものね。
それよりもこんなにも殿下のご尊顔を敬愛する私の言葉の何が暴言なのかしら?
優しい淑女でもある従妹で義妹のシエナなら、教えてくれるわよね?」

 更に優しく微笑んで義妹の緊張感を解きほぐすよう努めてみるわ。
どうしてだか顔を強張らせるのだもの。

「そ、れは……だから、怒ったお顔も……」
「まあ、シエナ。
駄目よ?
殿下は王族でしょう?
なのにこのように未来を担う学生の、非公式とはいえ社交の場たる教室で、早朝から怒りを表情に出すはずがないじゃない。
そうでしょう?
それもここは成績だけでいえばDクラスなの。
学年違いとはいえAクラスのあなた達がそんな事を率先して伝えれば、下手をすればこの場の生徒全員を下に見ているなんて捉えられるのに、どうするの?
これはあなたの淑女性にも影響しない?」
「待て、下などとっ」
「勝手なっ」
「そんなっ」

 孫もお供君も従妹で義妹も慌ててどうしたのかしら?

「そうよね。
だから女性の感性が少し残念と感じさせている。
ただそれだけの魅力的なご尊顔で合っているわよね」

 曇りなき微笑みを向けるとわかってくれたのね。

「ラビアンジェ=ロブール。
後で生徒会室に来い。
あ、いや、来て欲しい」
「お聞き致しましたわ、殿下」

 命令と見せかけてからの、ちゃんと言い直せたわね。
良くできました、孫ちゃん。
えらいえらい。

 どこかバツの悪そうな顔になった3人は、憮然としながらもすごすごと出て行ったわ。

 そうして午前の授業を受け、お昼は持参したお弁当よ。
食堂もあるのだけれど、正直貴族の豪華な学食も毎日はつらいし、何より静かに食べたいぼっち飯推奨派なのよ、私。

 それで今世で入学した時に前々世も通っていた頃を思い出したの。

 前々世では人気のない、誰も来ない忘れられた用具室を空間ごと切り離して出入り口に目くらましの魔法をかけて使っていたわ。
確認したら急死した後もその魔法が生きていたのよね。
だから普段はこの特等室を使っているわ。

 本日のお弁当は仲良し料理長さんに鮭サンドをお願いしてあったの。
ほろほろとした鮭と、その昔伝授したマヨネーズのハーモニーは絶品間違いなし。

 誰にも絡まれる事なく、ひたすらに料理に酔いしれるぼっち飯は最高ね!

「いただきます。
……うふふ、やっぱり美味しいわ。
素敵ね」

 パクリと一口食べて絶賛する。
そしてまたパクリ、パクリ……。

「ご馳走さま。
今日も美味しかったわ、料理長さん。
ありがとう」

 帰ってからもちゃんと伝えるけれど、感謝の言葉はその場で口に出すようにしているの。
気持ちよく生きるコツね。

 軽く仮眠を取って、教室に戻って、授業を受けて、帰宅する。
部屋に戻ってお風呂に入ってから、摘んであった野草や仲良しさん達からのいただき物のハムを調理して食べる。
歯磨きしてベッドに横たわる。

 今日も穏やかな1日に感謝よ。
「……あら?
何か忘れているわ?
何だったかしら……まあいいわね」

 就寝前。
わずかに起こった疑問を頭から消し去って意識を手放したのだけれど、これがいけなかったのかしらね?

 そうしてまたいつもの朝がきたわ。
今日のDクラスは2校時目からの遅出登校だったの。
いつもより遅い時間に登校して教室に……。

「ラビアンジェ=ロブール」

 入る前に孫に腕を掴まれたわ。

「残念ね。
何だかシチュエーションにトキメキがないわ」
「何の話だ」
「いいえ?」

 何だか怒りを抑えたような能面みたいなお顔ね?
掴まれた腕が痛むから、青少年特有の力まかせってやつかしら?

「昨日、後で、生徒会室に来るよう、伝えたはず、だが?」

 ……はて?

 思わずコテリと首を傾げた。

 一言ずつ区切って話すにつれて少しずつ力を入れていっているのかしら。
乱暴な孫ね。

 痛みが出てきたわ。
私も少しずつ怒りが湧いてくるわね。
お年寄りには優しくなさいな。
あら、今世はまだ16才だったわ。

「王族で仮にも婚約者である私の言葉を忘れていたか?
何様だ、無能が」
「そう、ですね?
でもその日中に行くなんて言いまして?
お聞きしましたと伝えただけでしてよ?」
「何だと?!」

 声を抑えつつも、表情筋は保てなくなりつつあるのね。

「そもそも後で、の後とはいつですの?
確か殿下が先月の新入生歓迎会の際に後で迎えに行くとおっしゃいましたが、どれほど待っても迎えにいらっしゃいませんでしたわよね?」 
「はぁ?!
何の話をしている!」

 結局声が大きくなったような?
他の生徒がチラチラ見始めたけれど、いいのかしら?

 ちなみにあの日孫がエスコートしたのは、もちろん新入生の従妹で義妹のシエナよ。
大方そうなると思って会の開始と同時に帰宅していつも通りの時間に眠っていたら、夜中に帰ってきたあの子に叩き起こされた上に延々と自慢されたのよ。

 美容に悪いから勘弁して欲しかったわ。

「その翌日、確か先月の入学式の後の歓迎会の翌日のちょうどこの時間ですわね。
念の為お聞きしましたでしょう?」
「おい、黙れ、無能」

 あらあら、声を低くして関節を捻り始めたわ。
私の怒りも表面化しそう。
もちろん今もデフォルトの微笑みだけれども。

 でもあなた達と違って事実以外は口にしないのだから安心なさいな。

「後がいつかはわからないのが当たり前だ、無能め。
そもそもそんなあやふやな約束は約束とは言わない。
気が変わっただけだ。
と、仰いましたもの。
無能とお呼びになる私も、ちゃんと学習しておりますでしょう?」
「無能が愚弄するか?!」

 おかしいわね?
言われた事をそのまま、何なら殿下の口調を真似て言ったのにまだ思い出せないのかしら?

「腕を逆手方向に力を入れすぎでしてよ。
暴力と見なしてしまいまいそうですわ?」
「貴様!」

 ギリリ、と更に力を込める。

 全く、若いわね。
予想通り過ぎてデフォルトが崩れそう。

「何をしているのですか!!」

 まあまあ、女性担任教師が割って入ってくれたわ。

 声を聞きつけて男性教師も2名駆けつけて、そのまま孫を引き離してくれる。

 腕は見るからに赤青く腫れ上がっていくのだけれど……。

「あ……私は……」

 残念だけれど、我に返って彼が見るのは私ではないのよね。

 周りを見回す孫。
これじゃあさすがの祖母ちゃんも怒っていいわよね。

「ふぅ。
さすがに痛いですわよ。
あらあら、随分と腫れてきてしまったわ?」

 この言葉にギクリと顔を強ばらせるけれど、もう遅いわ。

「先生、保健室でしばらく冷やしてきてもよろしいかしら?
利き腕ですので、ペンが持てないのは困りますもの」
「待て、私が……」

 孫も治癒魔法は使えるのよね?
でもさせない。

「お断りでしてよ?
稀代の悪女のように無能なら何をしても良い、治癒させれば問題ない、王族なのだからこれくらいは許される、などと思われたくもありませんもの」
「な、そんな、つもり……」

 はっきりと声に出した稀代の悪女と拒絶の言葉に大きく動揺する孫。

 でもね、孫と思えばこそ続けてきてあげた甘いお顔もここまで。

 祖母ちゃんは怒りましてよ。
「ジョシュア=ロベニア第2王子殿下。
あなたの言動にそう思わされるのは私。
あなたの言動でそう思わせたのがあなたでしてよ。
間違えないで下さいな?
立場と力のある加害者が被害者のような顔をして済ませようとするのは、卑怯ではなくて?」

 微笑みをかつて稀代の悪女だった頃のような氷の微笑に切り替え、きっぱり告げてあげるわ。
中身があなたの祖母ちゃんでもDVは許しません。

 恐らく初めての婚約者の圧を乗せた氷の微笑に息を飲む孫。
反論するのも忘れているみたいね。
これでも昔は王女だったのよ? 
舐めないでちょうだい。

 それにしてもついでに教師まで息を飲むなんて。
ちょっと傷つくわ。

 ま、それはともかく、人生経験豊富なお婆ちゃんに青臭いガキが勝てると思うなよ。

 あらあら、またお口が悪くなってしまったわね。

「それでは、ご機嫌よう」

 負傷した腕以外はきちんとしたカーテシーを取ってその場を後にする。
もちろん振り返った時にはいつものデフォルトの微笑みに戻しているわよ。

『あいつ、殺す?』

 ん?!
うちの可愛らしい聖獣ちゃんの不穏な声が頭に直接響いたわ?!

『あらあら、キャスちゃん?
いきなり何の殺害予告?』
『だって僕の愛し子を傷つけた』

 あら大変。
どこからともなく殺気を感じるわね?!

『ふふふ、駄目よ。
あんなポンコツでも一応王族だもの』
『昔もそう言ってたら、殺された』
『あの時は悪魔が絡んだだけでしょ』
『稀代の善人が悪女にされたのに』
『だからあれ以降王家にあなたの愉快な仲間達は見向きもしなくなったんだから、それで十分だわ』
『四公の奴らだって····』
『あれはある意味もらい事故みたいなものよ。
だからあれ以降彼らの血筋の誰か1人にしかあなたの愉快な仲間達は手を貸さなくなったんだから、それで十分だわ』
『むう。
善人め』
『そんな事を言うのはあなたと愉快な仲間達くらいよ』
『後で痛み取る?』
『そうね。
あの保険医が手を抜いたらお願いするわ。
どちらにしても、帰ったらキャスちゃんの白いもこもこな毛皮をもふもふしたいわ』
『……わかった』

 微妙な間は何かしら?

 可愛い聖獣ちゃんとの突然始まった念話を切り上げ、辿り着いた保健室のドアを無事な方の手で開ける。

「珍しいな。
四公の公女様。
どうかしたか?」

 うーん、やっぱり不遜なのよね、この人。
何がってわけでもないのだけれど、おちつかないの。

 お弁当を食べに行く時にたまーに廊下の曲がり角とかで出くわす黒髪の保険医さん。
前髪長いし厚めの細工物の眼鏡をかけているせいか、顔や瞳の色がいまいちはっきりしないのよ。

「腕を捻挫したようなので、診ていただける?」

 腕を差し出せば、眉を顰められたわ。

「これ……捻挫ではないだろう。
何があった?」
「うーん、痴情のもつれの果ての巻き込み事故?
の、ようなものです」

 デフォルトの微笑みを浮かべる。

「何だそのどうしようもなくくだらなそうな理由は。
とにかくすぐに治癒魔法を……」
「その前に、診断書を書いていただけまして?」

 遮って診断書を優先してもらう。

「何の為だ?」
「今後の保険に良いと親切な方にお聞きしましたのよ」

 だって相手は仮にも王家だものね。
証拠がなければ色々もみ消されるわ。

「……良いだろう。
無能と噂される割に抜け目はないんだな」
「誰かしらからの忠告に従っているだけですわ」

 昔の私の経験からの処世術ですけどね。

「なるほど」

 さらさらと慣れた様子で診断書を書き上げ、今度は待った無しにそのまま腕を取られた。

「お前は無能と言われて平気なのか?」
「うーん……特に困る事もありませんのよ?
無能だからと軽く扱うなら、その方とは疎遠になれば良いだけですもの」
「大抵ぼっちだよな」
「気心知らない方といるより、ぼっちの方が心穏やかで幸せでしてよ?」
「……そうか」

 何だか気の毒な何かを見るようなお顔をしてないかしら?
前髪と眼鏡のせいで雰囲気くらいしかわからないけれども。

 腕の血流が温かく感じ、痺れと痛みが消えていく。

 良かったわ。
腕の腫れも引いてくれたみたい。
「急に動かしたり重い物を持ったりすればぶり返す。
数日は安静にしておけ」
「ふふ、ありがとうございます」

 ちゃんと治してもらえた事にほっとする。
不遜だけれど無才無能だからと偏見を行動に移す人でなくてよかったわ。

 いつもより自然な笑みを向けてから教室へと戻ったわ。

「そんな顔もできんのかよ」

 だからその後保険医がどんな顔をしていたのか、もちろん知る由もないわ。

 余談だけれどうちのキャスちゃんがこの時こっそり見てたと知ったのは、もっとずっと後よ。
心配してくれてたのね。
うちの子はとっても可愛いんだから。

 そして授業も(つつが)無く終わり、待ちに待った放課後。

「殿下、参りましたわ。
これ、診断書の控えです。
今回は生活に直接的被害が出ましたので、殿下のポケットマネーから慰謝料を下さいな」

 もちろん診断書を受け取れば、その日の放課後には孫を捕獲しに行くわよね。
今なら1年生は補講授業中で生徒会役員の従妹で義妹の邪魔は絶対無いもの。

 最終学年のお兄様も生徒会役員なのだけれど、今日は卒業後の就職先候補の就職説明会でいないの。

 孫とお供君はもう就職先は決まっているから関係ないのでしょうね。

「はあ?!
何のカツアゲだ!
シュア、無視しろ!」

 まあまあ、カツアゲだなんて。
それに随分と喧嘩腰ね。
鉄分足りてないのかしら?

 執務机に座る孫の後ろから背の高いお供君はひょい、と置いた診断書を奪ったら、ビリビリと破いて紙吹雪を私に投げつける。

 あらあら、惜しかったわね。
紙吹雪の大半が空気抵抗で私に当たらず、机に散らばったわ。
誰が掃除するのかしら?

 孫は(しか)めっ面ではぁ、とため息を吐いたわ。

「構わん。
いくら欲しい」
「シュア?!」
「俺がこの無能に公衆の面前で危害を加えた。
教師達も目撃している。
ここは基本的には王家の権力的な介入を許さない学園だ。
あの王家の恥部たる稀代の悪女の一件もある。
いくら欲しい」

 前々世の私、今度は恥部扱いね。
それよりも……。

 ふむ、と少しだけ様子の変わったようにも感じる孫を観察する。

「そうですわね……それではこのロベニア国第2王子の正式な婚約者たるラビアンジェ=ロブールに相応しい慰謝料の額をご提示下さいな」
「貴様、調子に……」

 お口が悪いお供君ね。
1度はっきりさせましょうか。

「四大公爵家であるアッシェ家第3公子。
(わたくし)は誰です?」
「はぁ?!」

 怪訝なお顔にガラの悪いダミ声だこと。
彼もあちらの世界の乙女ゲームの登場人物になれそうな程には美男子なのに、残念ね。

 キャラでいけば……そうね……喜怒哀楽のはっきりしたワンコ系騎士見習いね。
赤髪の騎士とか、そんな感じかしら?
キラキラしてる空色の瞳がチャームポイント、的な?

「何が言いたい!」

 まあまあ、つい物思いに耽ってしまったわ。

 それにしても王子は珍しくだんまりね。
瞳に敵意は宿してはいるけれど……何故だか私の様子を窺っているのかしら?
こんな事は初めてね?

 まあいいわ。
視線をお供君に戻す。

「おわかりになりませんの?
四大公爵家であるロブール家第1公女であり、ロブール家当主の血を確実に継いだ()()の嫡出子の内の1人であり、あなたが本来仕えている王家の王位継承権を持つ第2王子殿下がどれほど撤回、差し替えを求めていても、現状では王家が認め続ける正式な婚約者。
それが私ですの。
私の立場はあなたより下だと?
何より婚約の当事者の1人である殿下の意思を受理せず、王家が継続させている婚約者でしてよ?
殿下の意志と同じく、王家の意向も私を軽んじているとでも仰るのかしら?」
「そ、れは……」

 きちんと正して宣言されれば、下だとは言えないわよね?

 ふふふ、悔しそうね。
可愛いワンコ君だわ。

(わたくし)は少なくともあなたより下の立場ではないはず。
そして私は1度として、少なくとも立場が上ではないあなたを貶めた事はないわ。
違いまして?」
「っぐ……」

 絶句する。
そうなるわよねえ。
どちらかというと王子の婚約者である私の方が本来は立場が上になるもの。

 あなたの私への態度は本来ならそれほどに酷く、常識からも騎士の本分からも外れているのよ?

 ここが学園であなた達が学生という立場だからこそ、私が何もしなければ大きな問題にならない。
ただそれだけ。
でも全ては私次第。
現状を正確に理解できたかしら?

 不意にこれまで静観していた孫がお供のワンコ君を制するように腕を上げたわ。
「違わない。
お前は1度もこの者ばかりか誰かを貶めた事はない。
言い返したり反撃したり、生家の権力を使ったという事実もこの短時間ではあるが、私の調べた限りなかった。
いつも微笑んで受け流す。
それだけだ」
「左様ですわ」

 あら、今度こそちゃんと調べたのね。
そうよね。
私は仮にも王族の婚約者だもの。
王家の誰かしらの監視の目はついていて然るべき。

 私が噂通りの言動をしているかどうかくらいなら、少し調べようとするだけで本来なら()()()結果は出てくるはずね。

「だが第2王子である私の婚約者として相応しくないとの考えを撤回もせん。
お前が教育という義務を放棄している現状と魔法もまともに使えん無才無能である事は変わらん。
腕の件以外の謝罪をするつもりはない」

 あら、そこは納得よ。
放棄どころか隙あらば逃走しているもの。

 眼差しにはまだまだ敵意があるから、思っていた悪女ではないという事実も完全には受け入れられていないのでしょうね。

「左様ですか。
ねえ、公子」

 改めてお供君に声をかけ、温かく微笑む。

「卒業後に騎士として王家に仕えるならば本来の騎士が誰に仕え、恥が何たるかを己の剣にかけて知りなさいな」

 孫は相変わらず私の観察を続けているけど、お供君ははっとした顔をする。

 やはりはき違えていたのね。

 騎士が仕えるのは王であり、王の命令なき場合は弱者を守らなければならないの。

 あなたは将来王に仕え、王の命令で王子を守る事はあっても、根本的に王子に仕えるわけではないわ。
王の命令なく弱者を軽んじ、処断してもならないのよ。

 稀代の悪女にしてお供君を瞬殺できる私が弱者かどうかはさて置いてね。

「お前にそのような面があったとはな……。
まさかとは思うが、無能は仮面か?
何故仮面を被る?」

 あらあら?
孫は頭がお花畑なのかしら?

 一瞬呆れそうになったけれど、私のデフォルト的淑女の微笑みは簡単には剥がれなくてよ。
仮面ならむしろこの微笑みではないかしら?

「ふふふ。
無能ならば蔑み、調べもせずに噂に重きを置いて貶めて良いとの愉快な人間性を垣間見る良い機会でございましてよ、殿下」

 思わずムッとする孫は、けれどもう怒鳴るつもりはないみたいね。

「信用できる人間性をどなたがどの程度お持ちになっていらっしゃるかわかりますもの。
それに、殿下方がまともに私のお話に耳を傾けたのも今が初めてでございましょう?
押し問答するならば時間の無駄ですもの。
だって殿下はそんなでもこの国の権力者でしてよ?
お昼寝する時間に充てた方が私には実利がございますわ」

 そう言えば、孫もお供君も鼻白んだわね。

 孫ってば王族として誇るのは良いけれど、驕るのはまた別よ?
驕る平家は久しからずってあちらの世界でも有名なんだから。

「そんなでも、か。
耳が痛いな」

 今度は顔を(しか)めてため息ね。
お顔は忙しそうだけれど、朝から散々怒鳴り散らした若さはどこに遠足に行ったのかしら?

「ふふふ、もちろん殿下方は信用致しませんわ。
ご安心して下さいな」
「安心……」

 お供君、事実を突かれて傷ついた顔をするなんてまだまだね。

「蔑まれて屈辱ではないのか?
何故今になって仮面を外した?」

 まあまあ、そもそもどうしてそんなに仮面扱いしたいのかしら?
もちろん無才無能のレッテルが私に都合の良いものではあるのだけれど、根本的に間違ってもいるのよね。

「そもそも誰にとっての無能でも、私は気になりませんの。
それに私は無能とも有能とも申し上げた事はありませんわよ?
好きに振る舞って楽しく生きているだけ。
ですから殿下が王子の婚約者役としての私を相応しくないと判断なさっている事にも否と唱えた事はありませんわよね?
逆に私が殿下に、殿下が私に相応しいと申し上げた事もありませんわ?
仮面など被った事もありませんし、私を何かしらの色眼鏡で見ているのは周りの方々では?」
「ふっ……そうか。
そうだったな」

 孫ったら納得したようだけれど、浮かべる笑みは何だか自嘲的ね。
「そんな事よりも慰謝料は直接私に下さいませね。
私の手元に来て初めて私への慰謝料ですもの。
もちろんこの件は口外致しませんし、殿下もしないで下さいな」
「ふっ、そんな事扱いか。
それよりもお前への慰謝料が誰かの手に渡るなど……いや、何でもない」

 何かに気づいたように口を噤む。
そうね、私の事を調べさせたのよね。
なら私の周りは色々とおかしいと気づいたかしら。

「ふふふ、ありがとうございます。
それから婚約はいつでも解消なり破棄なりしてくださって私はかまいませんのよ?」
「……は?」
「……いや、それは……」

 何かしら?
2人して瞠目しているわね。
お供君が慌てているけれど、どうしたの?

「もしや誰かから全く真逆の事でもお聞きになりまして?
良い機会ですから1つはっきりさせるならば、私は1度も婚約を望んだ事もありませんし、今も継続など望んでおりませんわ。
公女としての立場があるから王家と公爵家の決まり事に拒否もしていない。
それだけでしてよ」
「いや、しかし、お前、いや、あなたは……」

 お供君たら、嘘だろ?!みたいな顔しないで欲しいわ。
珍しくお前呼びを改めたのは褒めてあげるけど。

 それに今までの孫の私への言動を鑑みれば、個人的にそこの孫に魅力なんて感じるはずもないってどうして考えつかないのかしら?
主従揃って自意識過剰なナルシストなの?

「1番良いのは陛下とお父様に筋を通した形で直接婚約に際しての経緯をお尋ねになられる事ですわね。
より濃い血に縛られるのならば貴族間に産まれたお父様とお母様の実子たる私。
平民の血よりも魔力や魔法を重視するならば彼等の義娘たるシエナ。
どちらも先代公爵たる祖父の血は等しく継いでおりますから、違いはその程度では?
政略結婚など、ただそれだけの事でしてよ?」
「随分と冷めた……」

 あら?
どうして傷ついたようなお顔をしているのかしら?
孫と私の関係なんてそれだけよね?

「そうですわね。
冷めているから、お相手の人間性など気にせず私も婚約の継続を成り行きに任せていられるのでしょうね」

 つまるところ孫の人間性は好ましくないのよ、と言外に伝えてみれば、思わずでしょうけれどたじろいでくれたわ。

 さてさて、そろそろ1年生の補講授業が終わりそうね。
お暇しましましょうか。

「慰謝料を受け取りましたら、診断書の()()はお渡ししますわよ。
ご機嫌よう、殿下、公子」

 うふふ、と微笑んで告げれば、今更ながらに青くなる男性陣。

 もちろん用は終わったからさっさと立ち去るわ。

 それにしても、いい加減気づいたわよね?

 私が原本を持っていれば、学園内の証言も含めて確固たる婚約を継続するに値しない理由として私の方から有利に破棄できたのよ。
その場合、悪評がついて回るのは孫の方。

 だって学園では未だに稀代の悪女たる王女の話は存在しているもの。
孫はその末裔なのだから。

 前々世の自分の悪評を利用するなんて。
ふふふ、まるであちらの世界でいうところの悪役令嬢みたいよね。

 そしてそれから数日後、私はほくほくとした面持ちでベッドの上で胡座をかき、令嬢にあるまじき笑い声を上げているわ。

「ぬっふぉっふぉっふぉっふぉっ」
「ラビ、何でそんなに上機嫌?」
「ぬっふぉっふぉっふぉっふぉっ。
慰謝料よ、キャスちゃん。
私だけのお金よ」

 わかっているのよ、頭では。
こんな令嬢は駄目って。

 でも王族貴族生活なんかよりもずっと長い間過ごした異世界庶民の感情が……金貨を前にして抑えられない!!

 ポン、とすぐ頭上に現れて私の頭にダイブしたのはもふもふの純白毛皮を纏った九尾のお狐様。
この子が人間じゃない同居人であり、あの時の念話のお相手である聖獣のキャスケット。

 愛称はキャスちゃん。
キャスちゃんは私をラビって愛称で呼ぶわ。

 左手につけてある紺色基調で一部ピンク生地とレースを使用したパッチワークで作ったシュシュがここ数ヶ月でトレードマークになったの。

 今は手の平サイズだけど、最大値は大岩くらいになれるらしいわよ。
本人談ね。
見た事は無いの。

 満面の笑みはそのままに、目の前の大盛り山の金貨をドヤッと胸を張って見せたわ。
「これ、どうやって持って帰ったの?」
「……背負って……」

 もう!
そんな呆れた顔しないで欲しいわ!
藍色に金の粒子が散ったような、可愛らしいつぶらな視線が何故だか痛いのだけれど?!

 まあそうね、あちらの世界のサンタが抱えてそうな袋1杯分くらいの金貨だものね。
令嬢が背負ってなんておかしいわよね。

 でも本当ならもう2袋分くらいあったのよ?
どうでもいいけど王子殿下のポケットマネーってそんなのポンて出せるくらいあるのね。
そこはビックリよ。

 でも持って帰るのが大変なのもわかってたからお断りしたの。
ほら、私徒歩通学じゃない?
大袋3つ担ぐのは令嬢としてないなって、ちゃんと判断したの。
日を分けて持ち帰っても悪目立ちするでしょうし。
えらいでしょ。

 それを伝えた時の孫とお供君のお顔を思い出すと少し面白いわね。
人って心から愕然とすると乙女ゲーム的ハンサム男子もあちらの世界の名画のようなムンク風のお顔になるのね。

 慌てて馬車で持って行くって言われたんだけれど、今まで婚約者としての交流も無かったから絶対誰かに見つかって怪しまれるでしょ?

 しれっと亜空間収納に放り込むにしても、人目をはばかるのよね。
亜空間収納って高等魔法だから、コツを掴めないと維持し続けるのも大変なのよ。

 そんなのに魔力の低いまともに魔法が使えない公女の私が放り込むのを見られてしまうと……ねえ。

 小袋で小分けにするにしても、同じく交流のない私達が頻繁に会うのはとっても不自然。

 で、ぎりぎり無理できる範囲で1袋だけをサンタスタイルで持って帰ったの。
もちろん重力操作してたし、人気が無くなったら亜空間に放り込むつもりだったわ。

 ただね……気を利かせたのか孫の婚約者になって初めて護衛がついたみたいなの!
今までみたいな定期的などこぞからの監視ではなくて、帰宅するまでつかず離れずの護衛よ!
余計な事してんじゃないわよ!
どこぞのセキュリティ会社の回し者なの!
このバカ孫!
雰囲気読みなさい!

 ああ、お口が……でもそのせいで帰宅するまでずっと重い荷物のふりしなきゃだし、裏口から入ったところで結局使用人の何人かに見られてしまったわ。

 中身が何かまではわかってないでしょうけどね。
何せ今世の私がお金持った事ないのなんて、この家じゃ使用人も含めて周知の事実よ。

 大袋一杯の金貨とは縁が無さすぎたわ。 

「むしろしまりとだらしがない……」
「まあ、酷い。
でもお金が大好きなのだから仕方ないわね」

 あら、キャスちゃんの言葉に現実世界に舞い戻ったじゃないの。
酷いけど、納得。

 そう、私は自分名義のお金に関しては昔から……そうね、前世から好きなのよ。

 自分で稼いだお金って見てると苦労が報われるじゃない?

 もちろん前世は現金よりクレカや電子マネー主義だったから、通帳の残高見てヘラヘラ笑ってたわ。

 あの時の私の夫はそんな私をいつもそっと遠巻きにして諦観の笑みを浮かべて見ていたわね。

 そんな夫が何だか可愛らしかったのを覚えているわ。
ふふふ、穏やかで至福のひと時だったのよ。

「何を買おうかしら。
やっぱりハーブやスパイスの苗は欲しいわね。
ああ、岩塩もそろそろ……」

 なんて言いつつ、頭の中で欲しい物リストを作成していく。

 するとコンコンとドアが叩かれる。

 瞬時に亜空間へ金貨を移したわ。
人目を気にしなければこんなのすぐなのよ。

 キャスちゃんも姿を消してるわ。
素早いわね。

 それにしても珍しい。

 来客はもちろんだけれど、シエナなら問答無用でドアを開こうとするだろうし、仲良し料理長や滅多に来ない他の使用人なら必ず声を一緒にかけるのに。

「……」

 無視ね。
怪しい音には反応しないわ。

 コンコン。

 ……無視無視。

 コンコン。

 しつこい……念の為、気配を探って……あら?

「どなた?」
「私だ」

 そうね。
ふふふ、何だかあちらの世界のオレオレ詐欺みたい。

 私が気配をよめない普通の令嬢なら、声ですぐわかるほどの関わりを持たない私さんがお兄様だなんてわからないはずよ?

 そう思いながらこの部屋の奥に位置するベッドから降りてドア近くに設置してある小さなテーブルのあたりへ移動する。

「どちらの私様?」
「ちっ。
お前の兄のミハイル=ロブールだ」

 まあ、舌打ちなんてドアの向こうからでも失礼ね。
それより兄と呼ぶなと言ったり自分は兄と言ったり、忙しい人ね?
まあいいわ。