「14日? バイト入ってるからだめだ。あ、おじさんがこづかいくれるって言ったら、遠慮しないでもらっといて」

 世田谷(せたがや)に住む父さんの兄は名の知れた商社に勤めていて、すごく羽振(はぶ)りがいい。
 僕が顔を出さなくても、父さんにこづかいを預けてくれるありがたい人だ。
 湯河原の温泉付きマンションで悠々自適(ゆうゆうじてき)の生活を送っている祖父母も、いまだに僕に甘い。

「もうっ、ちゃっかりしてるんだから。高3にもなって親戚(しんせき)からおこづかいもらうなんて、いいかげん恥ずかしいったらないわ。バイトだってしてるのに。
 鴨生田(がもうだ)のおばあちゃんが『いいからいいから。持っていきなさい』ってしつこいからしかたなく頂くけど、ほんとは嫌なんだからね、お母さんは」

 母さんは額にシワを寄せて、くちびるをとがらせた。僕が親戚に甘えるのを好ましく思っていないのだ。

「いいじゃん。くれるっていうものをもらって、なにが悪いのさ」

 父さんのご先祖は雑司ケ谷(ぞうしがや)の霊園に眠っている。
 僕もちいさなころからお参りしてきたし、先代の役目を引き継いだカズユキおじさんの家のでっかい仏壇に何度も手を合わせてきた。

 毎年お盆やお彼岸の行事を深く考えずに受け入れてきたけど、ふっといまさらな疑問が頭に浮かんだ。

 湯気の立つコーヒーをゆっくりすすっている母さんに、きいてみる。

「あのさ、お盆に先祖の霊が帰ってくるって言うけど、それってどんな意味があるの? なんでお盆のときしか帰ってこられないわけ?」

「ええ、なにとつぜん。意味? えーと。お盆の由来については諸説あるし、わたしもくわしくは知らないんだけど……」

 母さんは当惑顔(とうわくがお)をしつつも、

「むかーし、おばあちゃんから聞いた話ね。一説(いっせつ)によると……」

 と話しはじめた。

「旧暦の7月1日は“地獄の(かま)のふたがあく日”とか“閻魔(えんま)の口あけ”と言われていて、地獄の出入り口が開けられていた日だったんですって。
 で、あの世にいた人たちがこの世の自宅に帰ってきて、7月30日までにあの世にもどることになっていたそうなの。
 つまり7月いっぱいは地獄の入口が開けっぱなしだったってことよね。
 あの世の人たちがこの世にもどってこられる日がいまのように短くなったのはどうしてなのか……、それはわたしもわからないんだけど。
 お盆の時期が地方や各家庭によって、7月だったり8月だったりしてるでしょ。
 それについても疑問に思ったことはあったけど、深く追究しないままきちゃったわ。 
 なぁに? 善巳、宗教に関心がでてきたの?」

「べつにそうじゃないけど、なんとなくきいてみただけ」

 地獄の出入り口が開けられるという一説も、チヒロからすると壮大なファンタジーのひとつになるのだろうか。

 僕のなかの“お盆”の概念(がいねん)が、ゆらいでいく。

「母さんはどうなの。父さんと母さんって無宗教だよね。だけどお盆やお彼岸には墓参りしてるじゃない。
 仏教徒じゃないのに。まあ、あたりまえのように俺もそれにならってきたけど」

「そうなのよね」

 と母さんは、眉をへなっと下げてうなずいた。

「わたしの家系で仏教を信心してたのはおばあちゃんの代までで、両親は無宗教なの。
 それなのにお盆やお彼岸にちゃんとお墓参りしてたのは、ご先祖のために仏教の供養を守っていかなきゃっていう、義務感と使命感からだったのよね。
 それと仏教の世界観を子どものころからしぜんと教えられてきたから、かってに身についちゃったというか、頭に染みこんじゃったというか……。
 すっかり大人になったいまは仏教を信じているわけじゃないけど、亡くなった人の魂を忘れずに供養するって大事なことだとは思うわよ」

「亡くなった人って、どこへ行くんだと思う? 母さんはそういうこと考えたことある?」

「あるわ」

 意外にも母さんは即答した。
 カップの持ち手を人差し指でさすりながら、遠い目をして僕に言う。

「ちょうどいまの善巳の年に。はじめて人の死を身近に、深く考えたの。クラスメートの男の子がバイク事故で亡くなったのよ」

 えっ……。
 うそみたいな話に声を失った。