『ちょっと。本当にこんな所に性悪貴妃が入って行ったんでしょうね』
『は、はい! 確かに……』
ふむ。招かざるお客様が侵入したようですね。性悪貴妃というのは、私の事でしょうか? 心外ですよ。何もされなければ人畜無害の良い子です。
「ガウッ、ガウッ、ガウニャ〜」
あら? 唐突に子猫が狼程の大きさに成長しましたね? 酔ったようで、ゴロンと転がってお腹を見せます。これは構ってちゃんポーズというやつですね。
「可愛らしいこと」
『こ、声がしたわ! ほら、貴女が先に行きなさい!』
『えぇっ?! 幽霊が出ると評判なのですよ!? せめて一緒に……』
『嫌よ! 私だってこんな所に来たいわけじゃないの! 貴女の方が生家の爵位が低いんだから、言う事を聞きなさい!』
『そんな!? ……くっ。ハイハイ、わかりましたぁ!』
どうやら私に用がある様子。こちらに来るつもりのようです。わざわざ迎えに行く必要はありませんね。
それにしても何を怖がっているのでしょう? 幽霊が出るのですか? 最後の言葉にはどことなくヤケクソ感が滲み出ておりましたが。
バタバタと足音が大きいのは、恐怖を紛らわせているとか?
「子猫ちゃん? もしかして酔っ払いましたか?」
とはいえ知った事ではありません。そもそも誰に断りを入れて、この宮に足を踏み入れたのだか。やはり後宮には破落戸も住みついているのですね。
「ガウニャ〜ゴ」
「ふふふ、可愛らしいですね」
顎の下にある上廉泉というツボを刺激しながら、押し撫でてあげます。喉がゴロゴロと鳴り始めましたね。このツボを押すと、人も動物も心地良さを感じるようです。更に人ならば二重顎にも効くとか。
「お、おりました! さあさあ、お早く用件を済ませて、幽霊宮を脱出しましょう!」
「ちょっと範女官! 押さないでよ! 言いがかりつけて罰せられるだけじゃなく、呪われたらどうしてくれるの!」
なかなか、けたたましい登場ですね。やって来て早々、なかなかの失言を連発させてますが、やはりこの二人は女官ではなく破落戸ですね。
「これを受け取りなさいませ! 我が主であり、三嬪がお一人であられる梳巧玲様より、茶会のお誘いです! 明日、春花宮へ起こしになられませ!」
生家の爵位が上とやらな破落戸の一人が、ツカツカと勢い良く私の元へ突進し、勢いのままに文を押しつけます。
何かに怯えているようですが、私達の間でゴロンとしている大きくなった子猫には目もくれませんね?
梳シューとは生家のお名前です。侯を爵位に持つお家柄で、梅花宮(東宮)の嬪。凜汐貴妃と丞相の生家である風家と、ご縁がおありです。確かご当主方が従兄弟の間柄。
皇貴妃や貴妃である私達四夫人は、陛下との婚姻により姓が王に変わっております。なので後宮で私達を呼ぶ場合には、肩書きか名前となります。
ですが、嬪は皇帝の妾。なので肩書きか、生家の姓で呼ぶのが慣習となっております。
「ウニャゴ〜」
「「ヒィ!!!!」」
唐突に、子猫が低い鳴き声を上げ、破落戸達が悲鳴と共に飛び上がりました。
二人が子猫に反応したのは、これが初めて。となると子猫はやはり妖の類のようです。
のそりと立ち上がった子猫はグルグルと喉を鳴らし、どことなく機嫌のよろしい相貌で二人に近づきます。まるで餌を見つけたよう。
しかし、もし私の予想が正しければ二人は無事……。
――ザリュ。
「ひぎゃああああ!」
爵位が上とやらの破落戸は騒がしいですね。ザラザラの舌で、ほんの少し手を舐められ……。
――ドサッ。ザリュ、ザリュ、ザリュ。
「ひぃぎゃああああ!」
押し倒されましたね。狼くらいの大きさになった子猫。今度は顔を舐め始めました。
猫の舌はザラザラです。大きくなって、更にザラザラ具合が増したのでしょうか。破落戸の顔が赤くなってきています。痛そうなので、ちょっぴり同情して差し上げましょう。
それにしても顔を舐めまわす子猫は、何故ああも、うっとりしているのか。流石に変態が過ぎますよ?
「ヒィィィ! いた、痛いぃぃぃ! お助けぇぇぇ!」
悲鳴がうるさいので、そろそろ止めようかと思ったところで、ある事に気づきました。
子猫は破落戸の纏う何かを舐め取っているのはではないかと。
「おたおたおたおた……」
「おた?」
大く成長した子猫に押し倒され、何かを舐め取られている破落戸。何語かわからない言葉を発しております。
私に向かって手を伸ばしておりますが、どうしたのでしょう? 首を傾げてしまいますね。
「あわわわわわ……」
もう一人の破落戸はいつの間にか床に座りこんでおります。こちらも何語か話しているのかわかりませんね。
ズリズリと不器用な後退りを見せておりますが、殆ど後ろに下がれておりません。
子猫が動きました。
「ングッ、ゴホ、ギャ……」
座りこむ破落戸の後ろに回って襟を噛み、引きずってもう一人の破落戸の隣に転がしました。
「「フグッ」」
まあ。仲良く蛙が潰れたような声を……。
子猫が仰向けに並んだ二人の腹にドカッと寝転がったので仕方ありません。後宮に住まう軟弱な女子達には、中々の苦行かもしれませんね。
再びのヒイィィィとか、ギャアァァァとか騒ぐ耳にキンとくる悲鳴もなんのその。今度は代わる代わるザリュザリュと何かを舐め取っては、堪能し始めました。
あら? 舐めれば舐めるほど、体が大きくなっていませんか?
それにこの状況は何なのでしょう? 暫し考えてみます。
「……ふむ、ごゆっくり〜」
しかし考えたところで、わからないものはわかりません。何より私には、無縁の者達。勝手に宮に立ち入った破落戸です。放置で良いでしょう。
そのまま破落戸達の横をすり抜けようとして……。
「お助け下さいまし!」
後から押し倒されていた方の破落戸が、ガシッと私の足を掴んでしまいました。
「まあ、どうしたの?」
「み、見ておわかりになりませんか!」
「全く?」
「お、襲われているのですよ!」
「何に?」
大くなっていく子猫は、破落戸達には見えていないはず。
「姿の見えない何かにです!」
「話にならないわ。良い? お前達は私が何者であるのか確認もせず、貴妃の宮に無断で立ち入ったの。礼も取らず、名乗りすらせず、文を手渡すでもなく、押しつけた。その上、妾にすぎない嬪が、妻である貴妃の予定を尋ねもせず、よりによって翌日の茶会に来い? これは如何なる事なのかしら? その上、勝手に騒いだかと思えば、埃まみれの床に寝そべって助けて?」
「そ、それは……」
「その髪と瞳の色からしても、仕える女官がいない事からしても、滴雫貴妃じゃない! それに嬪とはいえ、生家の爵位は胡家より梳家の方が上! それも風家の正式な後ろ盾のある巧玲様の方が、立場は上よ!」
口ごもる範と呼ばれていた破落戸とは対象的に吠えますね。
「本気で申しているの? もう一度言うわ。ここは貴妃の宮。お前達は無断侵入した。その上この宮で、宮の主に無礼を働いているのよ?」
口調をずっと変えていますが、何だか今朝した皇貴妃の女官達とのやり取りが思い出されますね。
「だから何?! さっさと助け……」
「止めて!」
――パチン!
「な、た、叩いた?! 何する……」
――パチン!
まあ。見事な平手打ち。もちろんお見舞いしたのはファンと呼ばれていた破落戸です。もっとも寝転がりながらなので、大した威力ではないでしょう。
「ふざけないで! 連座なんてごめんよ!」
仲間の破落戸が口を開く前に、怒鳴り散らしてますね。
「申し訳ございません! 貴妃様! どうか、どうかお許し下さいまし!」
というより、恐怖で恐慌状態のようにも見えます。ある意味正しい判断ですね。破落戸から下女には、格上げしておきましょう。
「あんたも謝りなさいよ! え、ギャ!」
下女がそう言うと、子猫は興味を失ったようです。謝罪した下女を解放し、後ろ足で私の足元に蹴り飛ばしました。
もう要らないと言いたそうです。美味しくなくなったのでしょうか?
「なっ、何で!? 私も……くっ、やっぱり動けない!? 何でよ!?」
――ザリュ、ザリュ、ザリュ。
「ひぎゃああああ! 何でぇぇぇ!!!!」
何故と叫ばれても、ねえ? やはり子猫ちゃんは私の知るある妖に性質が似ております。
確かかの妖は、初代の清国では四凶と呼ばれる霊獣の一体。不徳者を好む性質を持っていたはず。
「ねえ、お前は四凶という言葉を聞いた事はある?」
「ぐすっ…………へ? しきょう? ですか? ぐすっ」
床に転がっていた下女は恐怖で悲鳴を上げ続けていたからか、解放された安堵からか、へたりこんだまま涙を浮かべておりました。
尋ねたものの、逆に聞き返されてしまいます。どうやらこの言葉に心当たりは無さそうですね。
ちなみに四凶とは、初代の世界の書物に書かれていました。人の悪徳を象徴する四体の悪獣を総称した呼び名です。
初代と今いる二つの世界に、四神は存在します。四凶も同じかと思いましたが、違うのでしょうか?
四体の悪獣の名は、渾沌、窮奇、檮杌、饕餮。悪獣が好む悪徳は、順に怠惰、不徳、横暴、貪欲。
子猫は翼の生えた虎のようですから、さしずめ窮奇。破落戸を好む妖に仮認定です。
素直に謝罪した下女は早々に解放し、今は何の興味も示しておりません。代わりに、ずっと傲慢な態度であり続けた破落戸は、美味しそうにザリュザリュと堪能しておりますもの。
窮奇の生い立ちは諸説あります。ですが子猫のいる後宮に限って言うならば、西方位が凶相となって生じた妖が、この子猫かもしれません。
四神の中で西の守護神獣である白虎だけが唯一、吉凶混合の相を持ちます。白虎は陰気が濃くなると吉相が陰転し、凶相となります。
初代の私が読んだ書物には、凶相が過ぎて窮奇に堕ちると書いておりました。子猫の体が徐々に大きくなっておりますし、もしやちょうど今、窮奇へと堕ちつつある?
少し前の天の邪鬼ながらも、小さくて可愛らしい面影、絶賛激減中ですし。
今の後宮は謀りに満ちています。帝国が建国された頃は四神相応の地になるよう配置された宮。今では何の意味も為しておりません。
その上、私が寝起きしている小屋の先人が申しておりました。過去には玄武を象徴とするこの北の宮で人が殺され、まともに弔っていないのだと。
加えて後宮においては北に位置するこの水仙宮。実は皇城という観点で見た時は中央に位置するのです。
気づいたのは少し前。もっと早く図面と羅針盤を照らし合わせれば良かった。
丞相が望む、今の皇帝陛下の十年後の御世の繁栄。私が果たさねばならぬ事の難易度が、べらぼうに高すぎです。先が思いやられます。
やはりこの契約は、端から私に不利益だらけですね。
三国を統一した初代皇帝の襟首掴まえて、ガクンガクンしたくなります。かなり面倒です。何故、初代皇帝陛下はもっと、ちゃんと後世に残るような手段を講じていなかったのでしょう。
まあ、かの陛下なら不遜に笑って、『後の世なんぞ知らねえよ』とか言いそうですが。
あの方の顔だけは、私の好みドンピシャでしたからね。その笑顔で私が黙るのをわかっていて、わざとそんな顔をするんでしょうね。
何なら当時の王城の改善点を、風水的観点から寝物語として中途半端に話した二代目の私が悪い。そのように言われてしまいそうです。
何故寝物語か? 娼妓でしたからね。そこは察して下さいな。
そもそも私、かの陛下から三国統一するなんて聞いてませんでしたよ。まさか統一したら、こんな難しい配置で後宮と皇城を合体させるなんて。誰も予想できないんじゃないでしょうか。
まったく。陛下には転生してからも、頭を悩ませられますね。
「……ふぅ、手のかかる方」
片手を頬にやり、思わずため息を吐いてクスリと苦笑い。
仕方ありません。二代目の私に、たくさんお金を落としてくれたパトロンです。義理を通すのも、これまた私の矜持。
「美しい……」
ん? 突然、下女がうっとりと私を見やりました。
「ガウニャ〜ゴ」
子猫の気が済んだのか、私の腰にスリスリ顔を擦りつけにいらっしゃいました。可愛いですが、大きくなった分、力が増し増しです。足腰鍛えていてようございました。
それにしても下女が子猫の鳴き声に反応しないくらい、私にうっとりとした視線を投げております。突如甘えん坊が発動した子猫といい、どうし……はっ、もしや。
慌てて腰の帯に差しこんでいた手鏡を取り出し、顔を確認。
ふむ、特に化粧は落ちておりませんね。驚かせないで欲しいものです。
「それでは、その者を連れてお帰りなさいな」
手鏡を仕舞いながら、いつの間にか気絶していた破落戸を視線で示してから踵を返します。子猫もついてくるようです。真横に侍ります。
「へっ、あ、あの、お待ちを! 文をお受け取り下さいまし! 明日は……」
文をはそのまま落としてあったのに気づいたようです。しかし、いい加減しつこいですよ。
「無礼が過ぎる。身の程を弁えよ」
今度こそ、瞳に魔力を纏わせて圧を与えつつ、冷たく言い捨てます。
「言葉そのまま、妾に伝えなさい」
「あ……」
下女は震え上がり、二の句が告げられずに黙りこみました。
何か事が起こりそうなので、丞相と皇貴妃に伝えた上で……そうですね。梅花宮の主、凜汐貴妃にも抗議しておきましょう。
不満だらけではありますが、契約は契約。餌の役割はしっかり担って差し上げねばなりません。
「さてさて、まいりましょうか」
ここでの戦利品は、お酒と七輪と……。
「ガウニャ〜ゴ」
「ひぃ~」
子猫の鳴き声に、やっと気づきましたか。下女は悲鳴を上げて身を伏せます。顔を軽く上げて視線はキョロキョロと見回しているので、やはり見えてはいないのでしょう。
七輪と瓢箪瓶を持って、その場をあとにします。
「一人にしないで下さいまし〜」
もちろん下女の声は無視。そもそも気絶しているとはいえお仲間がいますからね。
そのまま一階に降り、軽く中と外を探索。埃の被った棚にお猪口を見つけたので、それも七輪の中に入れて運びます。お猪口にも玄武の絵が描かれておりました。
「意外にお宝はあるものですね」
足取り軽く、鼻歌を歌いながら一旦、小屋へと戻ります。
「荷物を置いてまいりますね。外で待っていて下さい」
「ガウッ」
子猫は良いお返事です。もう酔いは冷めたよう。随分と大きくなりましたが、可愛いです。
「戻りました」
薄暗い小屋の奥に向かって声をかけます。
無造作に置かれていた縁台に腰かけ、奥をじっと見つめていた先人が、こちらへ向き直りました。昼間でも薄暗い小屋です。表情まではわかりません。
「ああ、この七輪と瓢箪ですか? 飲めそうなので持ってきてしまいました。鳥を獲って来ますから、それを肴に晩酌なんていかがです? 辛味調味料も見つけましたよ」
先人の視線が私の手元に集中している事に気づいて、そう声をかけます。特に返答を待たずにもう一度外へ出れば、子猫は大人しく待っておりました。
懐かれましたね。窮奇は不徳者を好むらしいのですが……。
もしや私、不徳者認定されましたか!? これでも信のおける者には、誠実に接していると自負しているのですが?!
「お待たせしました」
「ガウッ」
しかし胸中を表へ出さずに声をかければ、良いお返事。
「そうそう、少し試したい事がありました
「ウガウ?」
厳つい虎顔も、こうやって首を傾げていると可愛らしい。ですが個人的には、やはり愛らしい子猫な外見が好みです。
懐から金の延べ棒を取り出せば、子猫はビクッと体を震わせます。
翼の傷は癒えたようですが、私が投げつけられたせいで負った心の傷は、まだ完治していない模様。ちょっぴり罪悪感を抱きそうです。
金の延べ棒にゆっくりと魔力を纏わせれば、プルプル震え始めた子猫の腰が引け、後ずさり。
あら、子猫が尻餅をついてしまいました。
「投げつけたりなど致しませんよ」
子猫の怯えた様子に思わず苦笑してしまいます。
「もしあなたの存在が思った通りならば、付け焼き刃ではありますが……」
頭ににそっと金の延べ棒を置くと、ビクリと硬直してしまいましたね。これは恐怖を感じてというより、体が金の延べ棒と反射的に反応しただけではないかと。
子猫の頭から落ちないように手で支えます。その手から金の延べ棒、金の延べ棒から子猫の大きくなった体へと魔力を這わせます。魔力で子猫を包んだら、魔力を水へと発現しました。
これ、動物を洗う時に短時間で終わって便利です。なおかつ、限られた量しか出せない水を無駄にしません。私独自のジャブジャブ魔法です。
生活魔法の延長ではありますが、今はお留守番させている私の愛馬に好評なのですよ。
それはそうとドス黒い水が、大きな体から流れ始めましたね。しかも見る間に、出会った頃の子猫へと縮みました。
「ガウ?」
あら、キュルンとしたつぶらな瞳がキョトンと私を見返して、首を捻りましたよ。何が起きたかわかっていないようですが、とっても可愛らしいです。
それよりこの水、どうしましょう?
『何様よ、あの女!』
『私の方が美しいわ!』
『お慕いしております……シクシク……』
『生家の爵位は私が上よ!』
『私を見て下さいまし、麗しい陛下』
『あんな年増がどうして愛を独占するのよ!』
『ふふふ。建国の宴で引きずり下ろしてやる』
足下の水たまりに足先が触れていると、頭に様々なる女子の声音が響きます。
女子の業、撒き散らし過ぎではありませんか? 華ある後宮も、なかなかのものですね。女の情念とはいつの時代も、どこの世界も、生々しい。世の常なのかもしれません。
私自身は、こうした情念など慣れたもの。特に引きずられる事もありません。気持ちの良いものではありませんが。
ふむ、と少し考えます。そこらにある手頃な石を拾い、黒い水たまりは丸く囲って置きましょう。
「簡易の情念置き場です」
「ガウッ」
「南無南無」
子猫も賛成とばかりに、良いお返事。行く前に手を合わせます。情念供養です。気持ちの問題というやつですよ。
女子の念は怖いですからね。初代が生きた世界でも、古い物語の源氏物語なとでそうしたお話が出るくらいです。遥か大昔から、色男との色恋について回る議題かもしれませんね。
初代から今の私に至るまで、こうした物が視えてしまう質のようです。私の目には黒い水がモヤモヤと黒い煙を燻らせているように映っておます。しかし他の方にはただの濡れた土にしか見えないはず。
アレ、誤って踏んだらどうなるんでしょうね? まあ今は私しかいません。後で立ち入り禁止の看板でも立てておきましょう。
「さあさ、日が落ちる前にまた鳥を狩りましょう! たくさん狩りますよ! えい、えい、おー!」
「ガウッ、ガウッ、ガウ〜!」
意気揚々と追加の種と、手頃な石を片手に岩場へと戻ります。子猫に戻った子猫も!言葉を理解できるだけあって意欲的。
そして……。
「んっふふふ、大漁です! 鳥ですが!」
「ガウッ」
「本日は鳥肉祭りです! 流石は後宮! 鳥はボケボケして狩り放題! おまけにフクフクと太って柔らかな肉質! 平和ボケした鳥ばかりで嬉しゅうございます! あの辛味調味料で味つけして屋台で売ったら、絶対行列店になりますよ! あー、貴妃などより、お金儲けがしたい!」
「ガウッ、ガウッ」
薄暗くなった夕暮れ時。岩場で嬉々として羽根を毟る私。鳥の頭や内臓をバリバリ食す子猫。
「おい、どこの狩猟民族を後宮に入れた!? 後宮は狩り場ではなかろう! しかも呪いの宴を開いておるようにしか見えん! そなたの一推し貴妃は、本当にアレで良いのか!? 妻と認めるわけてはないが、本当にアレで良いのか、晨光!? 大体、どれだけ金が好きなのだ! おまけに妖の餌づけに成功しておるぞ!?」
「ブフォッ。さ、流石……ブフッ……たった一日かそこらで……」
とこからか失礼極まりない評価と、相変わらずの笑い上戸な声が。
妖と仰っておりますから、あちらでコソッと隠れているお二人に子猫は視えているのでしょう。
「何です、これは……」
顔を顰めているのは丞相。
「……」
無言でドン引きしているのは陛下です。
「くあっ」
子猫は私の隣で欠伸をしています。
と思ったら、何処かへ去りましたね。相変わらず足が速いです。もう姿が見えなくなりました。
「いつの間にやら、情念置き場がどすこい修羅場舞台に……」
と呟いたのは、私です。
「梅花宮の貴妃は癇癪持ちでございましょう! だから陛下に見向きもされないのではありませんか! そんな夫人付きなど、程度が知れております!」
「何ですって! それはそっちだって同じでしょう! たかが秋花宮の嬪付きのくせに、偉そうなのよ!」
「だから何ですの! 私の生家の方が、貴女より家格は上よ!」
「それこそ何! アンタは嬪付きの女官! 私は貴妃付きの女官よ!」
言い合いしながら、石で囲っていたはずの土俵の上で土埃にまみれて取っ組み合いをする二人の……ええ、破落戸に違いまりませんね。
元は綺麗に化粧をして、髪も結っていたのでしょう。見る影もありませんが、身だしなみにかけた時間がもったいないという発想にはならないのでしょうか?
どすこいと相撲を取るには、やはり狭かったようです。石は方々へ蹴り散らかされております。
しかし随分と遠くに散った石もありますね。初めはわざと蹴散らそうとして、中に入ったのかもしれません。
とりあえずあの黒い水を踏むと、こうなるのですね。良いお勉強になりました。
開いたままになっている出入り口から、小屋の中を覗きます。入ってすぐに置かれていた差し入れらしき物は、無事なようです。何よりですね。
恐らく中を荒らす前に、情念置き場に足を踏み入れたのでしょう。他意はなかったのですが、罠に引っ掛けたようで面目ありませんね。まあ、不法侵入したのだから自業自得です。
「情念置き場とは何だ。犯人はお前か」
ジトリと陛下が私を見やりますが、事実無根も良いところ。
「まあ、犯人とは心外な。そもそもどのようにすれば、このような事態を引き起こせると? それより中にお入りになりませんか?」
「……あれを放置すると?」
陛下が今度は私にドン引いた視線を向けましたね? 何故でしょう?
「ひとしきり暴れて気が済めば、治まるのでは? 元来、喧嘩とはそのようなものかと」「殺生沙汰になったら、どうするつもりだ」
今のところ刃物は出ておらず、張り手か髪を引っ張るかしか、技は出ていないようですが……。まあ石もありますし、火事場の馬鹿力で首を絞めて殺す可能性も、なくはないのかもしれませんね。
「無断かつ、不法に侵入した者同士の争いです。結末など、私の知った事ではありませんよ。破落戸達の主が私に罪を被せようとしても、今は運良くお二人がいらっしゃいます。一心不乱にどすこい中で、私達の姿が目には入らない程、素晴らしい集中力を発揮されているのです。邪魔するのは気が引けますね。聞く限り梅花宮と秋花宮の破落戸のようですし、責はそれぞれの宮の貴妃と嬪に問えばよろしいのでは?」
「貴女の良心は痛まないのですか?」
丞相は今更、何を試すような事を言って私の反応を窺っているのでしょう?
「昨夜は首を切られ、本日は毒入りの菓子が贈られ、このような破落戸が当然のように不法侵入。これ以上ない程に私は身の危険に曝されておりますのに、良心とは、これ如何に?」
クスリと冷たく微笑めば、陛下は何かを言いたげながら、結局は何も告げられずに口を噤みます。
丞相は……どうやら私は期待通りの反応を返したようです。満足そうに微笑まれております。今世はまだ十四歳の少女のはずなのに、なかなかの非道っぷりではありませんか?
「そもそも勝手に自滅して下さるなら、これ程良心が痛ませずして楽にこなせる仕事もありません。そうそう、少し前には春花宮の破落戸と下女も不法侵入していますよ。主の嬪が明日茶会を開くから来い、だそうです。そのようにしたためたらしき文まで押しつけようとしておりました。 今朝の皇貴妃と私の話はどうなったのでしょう?」
皇貴妃に挨拶はしないし、できないと他の貴妃達に知らせるようお願いした話です。
もちろん皇貴妃はが陛下達の前で了承したのです。話が守られていない事を、チクリとつついて差し上げます。
この後宮において嬪の不出来は、皇貴妃や貴妃の落ち度になるのか。陛下達の反応を見て、確認する意図もございます。
「何です、これは……」
顔を顰めているのは丞相。
「……」
無言でドン引きしているのは陛下です。
「くあっ」
子猫は私の隣で欠伸をしています。と思ったら、何処かへ去りましたね。相変わらず足が速いです。もう姿が見えなくなりました。
「いつの間にやら、情念置き場がどすこい修羅場舞台に……」
と呟いたのは、私です。
「梅花宮の貴妃は癇癪持ちでございましょう! だから陛下に見向きもされないのではありませんか! そんな夫人付きなど、程度が知れております!」
「何ですって! それはそっちだって同じでしょう! たかが秋花宮の嬪付きのくせに、偉そうなのよ!」
「だから何ですの! 私の生家の方が、貴女より家格は上よ!」
「それこそ何! アンタは嬪付きの女官! 私は貴妃付きの女官よ!」
言い合いしながら、石で囲っていたはずの土俵の上で土埃にまみれて取っ組み合いをする二人の……ええ、破落戸に違いまりませんね。
元は綺麗に化粧をして、髪も結っていたのでしょう。見る影もありませんが、身だしなみにかけた時間がもったいないという発想にはならないのでしょうか?
どすこいと相撲を取るには、やはり狭かったようです。石は方々へ蹴り散らかされております。
しかし随分と遠くに散った石もありますね。初めはわざと蹴散らそうとして、中に入ったのかもしれません。
とりあえずあの黒い水を踏むと、こうなるのですね。良いお勉強になりました。
開いたままになっている出入り口から、小屋の中を覗きます。入ってすぐに置かれていた差し入れらしき物は、無事なようです。何よりですね。
恐らく中を荒らす前に、情念置き場に足を踏み入れたのでしょう。他意はなかったのですが、罠に引っ掛けたようで面目ありませんね。まあ、不法侵入したのだから自業自得です。
「情念置き場とは何だ。犯人はお前か」
ジトリと陛下が私を見やりますが、事実無根も良いところ。
「まあ、犯人とは心外な。そもそもどのようにすれば、このような事態を引き起こせると? それより中にお入りになりませんか?」
「……あれを放置すると?」
陛下が今度は私にドン引いた視線を向けましたね? 何故でしょう?
「ひとしきり暴れて気が済めば、治まるのでは? 元来、喧嘩とはそのようなものかと」「殺生沙汰になったら、どうするつもりだ」
今のところ刃物は出ておらず、張り手か髪を引っ張るかしか、技は出ていないようですが……。まあ石もありますし、火事場の馬鹿力で首を絞めて殺す可能性も、なくはないのかもしれませんね。
「無断かつ、不法に侵入した者同士の争いです。結末など、私の知った事ではありませんよ。破落戸達の主が私に罪を被せようとしても、今は運良くお二人がいらっしゃいます。一心不乱にどすこい中で、私達の姿が目には入らない程、素晴らしい集中力を発揮されているのです。邪魔するのは気が引けますね。聞く限り梅花宮と秋花宮の破落戸のようですし、責はそれぞれの宮の貴妃と嬪に問えばよろしいのでは?」
「貴女の良心は痛まないのですか?」
丞相は今更、何を試すような事を言って私の反応を窺っているのでしょう?
「昨夜は首を切られ、本日は毒入りの菓子が贈られ、このような破落戸が当然のように不法侵入。これ以上ない程に私は身の危険に曝されておりますのに、良心とは、これ如何に?」
クスリと冷たく微笑めば、陛下は何かを言いたげながら、結局は何も告げられずに口を噤つぐみます。
丞相は……どうやら私は期待通りの反応を返したようです。満足そうに微笑まれております。今世はまだ十四歳の少女のはずなのに、なかなかの非道っぷりではありませんか?
「そもそも勝手に自滅して下さるなら、これ程良心が痛ませずして楽にこなせる仕事もありません。そうそう、少し前には春花宮の破落戸と下女も不法侵入していますよ。主の嬪が明日茶会を開くから来い、だそうです。そのようにしたためたらしき文まで押しつけようとしておりました。 今朝の皇貴妃と私の話はどうなったのでしょう?」
皇貴妃に挨拶はしないし、できないと他の貴妃達に知らせるようお願いした話です。
もちろん皇貴妃はが陛下達の前で了承したのです。話が守られていない事を、チクリとつついて差し上げます。
この後宮において嬪の不出来は、皇貴妃や貴妃の落ち度になるのか。陛下達の反応を見て、確認する意図もございます。
「今朝の……チッ。晨光」
「はぁ……後で梅花宮へ立ち寄っておきましょう。その文は受け取ったのですか?」
丞相の義妹が関わる可能性。お気づきになったよう。殿方二人はげんなりなさっておられます。
自身に火の粉が降りかかると、流石の丞相もそうなるのですね。好い気味。
「いいえ。捨て置いたまま、持参した者に嬪である身の程を知れと言伝を命じてその場を去りました。何かしら謀るのなら、文を渡したと言い張る可能性もございますね。破落戸と下女でしたし、あれ以降会っておりません」
どうやら貴妃と嬪の後宮での責任の在処は、私の思った通りの認識で良さそうです。
「もしくは……ふふふ。今頃、妖にザリュザリュ襲われた話を触れ回っているのかもしれません」
それならそれで、やりやすくなりましたね。機嫌良く、その時の様子を教えて差し上げましょう。
「ザリュザリュとは何だ!? 目を離した少しの間に、お前は何をどれだけ仕出かしておる!?」
……この法律上の夫は新妻かつ幼妻である私を、事実無根のやらかし犯に仕立て上げたいようです。
「何も? 勝手に倒れて泣き叫んだ末、失神する破落戸。そして泣き叫びながらも素直に謝った末に腰が抜ける下女。その一部始終を、ただ傍観していただけです。姿の見えない何者かから助けろと、面白い難癖をつけてらっしゃいました。どちらにしても、ちゃんとこの宮から出て行ったなら何よりです」
あの時の二人は、後宮の東に位置する春花宮の嬪付き。恐らく丞相の義妹である、同じく東に位置する梅花宮の貴妃は、既に皇貴妃から釘を刺されております。
それならば、と己の宮に属する春花宮の嬪を唆したのでしょう。
皇貴妃の言葉は嬪に伝えていない。又は貴妃共々、嬪も皇貴妃を軽んじているかのどちらか。いえ、両方かもしれませんね。
少なくとも貴妃は、暗に皇貴妃を貶めた行為を取った。しかし分が悪くなれば、春花宮の嬪に責任をなすりつけ、切れば良いだけ。
梅花宮と春花宮。後宮の東側にある二つの宮の、真の関係はさておき、どちらにしても表向きは協力体制でいるようです。
ただし下々の者達は、どうでしょう? どすこいを絶賛展開中のそこの破落戸達。
梅花宮の者は、明らかに嬪付きの者を見下しております。そして秋花宮の者からは貴妃付きの者への劣等感が窺える。
仲睦まじい陛下と皇貴妃。なのに皇貴妃付きの女官達を良く思っていない様子だった、陛下付きの女官や官吏達との関係のようではありませんか?
梅花宮の貴妃は大方、春花宮の嬪が思うような成果を得られなかったが故に、今度は直接動いたのでしょう。私の後ろ盾は、梅花宮の貴妃の義兄である丞相。それを建前に、心配したとそれらしく理由をつけるつもりではないでしょうか。
皇貴妃は梅花宮の貴妃に、私からの挨拶ができないと断りを入れた。しかし同時に、相手からの挨拶については言及しなかっとすれば? 言い逃れは可能ですね。
皇貴妃が、それをわざと狙った伝え方をしたのかまではわかりませんが……ふむ。
陛下は本日、私の所へ三度もいらっしゃいました。丞相が私を味方につけろと、皇貴妃共々諭したのではないでしょうか。
「小娘。入宮してほんの一日しか経っておらぬ。なのにほんの一日で、どれだけ自らに悪評がついたか自覚しておるか」
「悪評?」
はて? 何かした覚えはありませんが?
「田舎貴妃や数打ち貴妃は、入宮前から囁かれていましたね。本日からは更に、守銭奴、粗野、傲慢、悪妃等々、なかなかのものが追加されていましたよ」
首を捻れば、何故か丞相が嬉しそうに教えてくれます。
「まあ。そのように褒められると、照れてしまいますね」
「どこが褒められておるのだ!」
頬に手を当てて照れを表現してみれば、夫には理解不能なようです。折角ですから教えて差し上げましょう。
「金銭感覚が良い。少々の事は気にしない広い心根の持ち主。妃たる威厳を備えている。切れ者。素晴らしい評価ではありませんか」
「どれだけ前向きなのだ!?」
信じられない物を見るような顔を私に向けてくるのは、夫として如何なものなのでしょう。しかし中身は、私の方がお姉さんですからね。
「事実ですよ? ではそのような悪妃らしく、更に追加して差し上げましょうか?」
「ほう、例えば?」
広い心で、出血大サービスを提案すれば、夫と違って丞相の方が愉快そうに、私の提案に乗ってきます。
「ふむ、失礼」
「え、おい! 何をする!?」
まずは陛下の襟元を弛め、首を幾らか見えるようにします。横に流していた前髪は、崩して紫紺色の目元を隠しましょう。
そうそう、特に触れてはおりませんでしたね。陛下はお忍びです。当然、藤色の髪は焦げ茶色の鬘で隠しておりますよ。
「そのままでいらして下さい」
陛下に告げてから、未だに土俵でどすこい中の破落戸達の背後に立ちます。懐から金の延べ棒を取り出して、魔力で包み、軽く振りかぶりました。
――ゴイン、ゴイン。
「「ぎゃっ」」
金の延べ棒を素早く、手首の返しを効かせて二人の破落戸達の頭に振り下ろします。すると短く叫んで頭を押え、しゃがみこみました。喧騒が途絶えてようございました。
金の延べ棒には私の魔力を纏わせましたからね。普通に振り下ろすより、鈍い痛みに繋がったはずです。
もちろん意識を失わないのはもちろん、タンコブもできない程度の力加減にしてあります。
「なっ、何?!」
「わ、私は一体……」
どうやら二人共、正気に戻ったようですね。
「何をはこちらのセリフでは?」
まずはふわりと優しく、魅せるように微笑みます。そう。殿方を昼間の茶屋へ軽く誘う程度の微笑みです。
「へ……あ……滴雫貴妃、でございますか?」
「ええ、そうよ? 本日ここへいらした殿方と戻って来てみれば……お前達、何をしているの?」
次第に、夜の褥へ誘う時のように、蠱惑的な微笑みに表情を変えながら、優雅な足取りで陛下の元へ。
破落戸達の視線は釘づけです。胥吏にしなだれかかるでもなく、触れるわけでもなく、しかしこれから男女の何がしかを、つい想像させるかのように寄り添うのですから。
途端に破落戸達は顔を険しくさせました。
陛下の胸元を些か乱したのも、功を奏したようです。思った通り、殿方日照りの後宮に住まう女子は、このような仕草に免疫が無かったのでしょう。
「はっ。首に墨を入れておらぬ殿方を連れこむとは! さすが田舎娘ね!」
「盛りのついた下品な娘! 胥吏のお前も、服装を正しなさい! 凜汐様の義兄君も、そうやって誑かしたのね! 何の価値もないはずの伯家の娘の後ろ盾になるなんて、おかしいと思った!」
先程までのどすこい修羅場からは考えられない、息の合った罵りに感服してしまいそう。
触れるわけでもないのに、前髪に隠れた紫紺色の瞳は凪ぎ、どことなく不機嫌。つれない夫ですね。
丞相はニヤつき、巻き込み事故を警戒していますね? 距離を取りました。もしやこの方、女子嫌いではないでしょうか?
「そう。下品、ねえ?」
色を出しつつ、嘲りを混ぜてクスリと嘲笑って魅せます。
「たかだか伯の生家の者が、馬鹿にするの!」
「恥を知りなさい! 田舎者!」
しっかりと煽れたようです。
それにしても嬪付きの破落戸は、田舎者という単語がお気に入りなのかしら?
「お前達? 自らの夫を宮に迎え入れるのに、何の不都合があるの? そもそも今の夫人も、妾も、世継ぎを作る事こそが急務ではない?」
「……は、夫? あはは! 見え透いた嘘をついて! 誤魔化されないわよ! 陛下が先に入宮した方々を差し置いて、田舎娘など相手になさるはずがないでしょう!」
嬪付きの破落戸は鼻で笑った後、そう言って馬鹿にしてまいります。
けれど貴妃付きの破落戸は、訝しげに陛下を見つめます。あらあら、少しずつ顔色を悪くして……震え始めてしまいましたね。
「ねえ? ほら、もっとよく拝顔なさい?」
「……ひっ……へ、陛下」
「は? ……え、本当に? え、え?」
馬鹿にしていた破落戸も、もう片方の反応から信じたようです。慌て始めました。
「貴妃が夫君をもてなしていただけ。なのにお前達、随分な物言いでしたね? まさか蘭花宮の者が、滴雫貴妃の後ろ盾である私が、わからなかったとでもと?」
「ひっ、丞相!? も……申し訳ごじゃり……ございません! どうか、どうか、お目こぼしを! どうか!」
焦るあまり噛んでしまった破落戸の様子に、うっかり笑いそうになるのを堪えます。初代のご贔屓さんに、麻呂言葉を好む公家の方がいたのです。思い出してしまったではありませんか。
「そうですね? では、しっかりディーシャ貴妃には金銭で償って差し上げなさい」
「は、はい……」
丞相は冷たい物言いからの、優しげな物言いで、初心な破落戸を撹乱しましたね。破落戸は頬を赤らめてしまいましたが、それで良いのですか?
「だ、そうですよ?」
もちろん私は構いません。あこぎな御方と思いつつ、丞相の言葉ににっこり微笑んで頷くのみ。
「ボロ儲け……」
「私のせいではございませんよ、陛下。それに、まだまだ損は取り返せておりません。国家予算分、さっさと耳を揃えて私に返しますか?」
「チッ……」
「フブッ」
失礼な夫に釘を刺せば、舌打ちと笑いという対象的な殿方二人の反応が返ってまいりました。