『そう緊張するな。術式を刻み間違えても、またリングを溶かして作り直せばよい』
「簡単に言いますけど、リングを溶かすって――」
『レンジでできるだろう?』
レ、レンジで……そうだ。坑道でやったじゃないか。
熔かして固める。
「術式を刻むのは、どうやるんですか?」
『野菜はどうやって切っておるのだ?』
「えっと……レ、レンジが……」
『では魔導レンジが刻んでくれよう。とにかくデューよ。術式をよぉーく見て刻むのだ』
冒険者のみなさんが見守る中、僕は魔導石を外したリングを魔導レンジに入れた。
魔導具に刻まれた術式には二つの意味があるとヴァルゼさんは言う。
一つは魔法を発動させるという意味。
もう一つは魔導石内のエネルギーを、発動させるという術式に流し込むというもの。
「はぁ……じゃ、やります。ヴァルゼさん、模様を教えてください」
『うむ』
ヴァルゼさんが指を動かすと、宙に幾何学模様が浮かび上がる。
宮廷魔術師だった家庭教師に教わった、マジックルーンに似た文字があるな。
文字を見ながら、それをリングに刻む――とイメージしながらスタート。
ん、んん?
あ、れ?
なんか物凄くたくさん、僕の中の何かが――魔力が吸い取られてる気が。
「あの、ヴァルゼさん」
『魔力であろう? そうだ。術式を刻むには、かなりの魔力を消耗する』
「え、でも僕、魔法は使えませんよ」
『術式を刻むことは魔法ではない。だが魔力は消費する。デュー、お主は膨大な魔力を持っているから、術式彫り師に適しておる』
こんなところで僕の無駄に多い魔力が役立つとは。
チーンと鳴って中身を手に取る。
リングの内側と外側に、幾何学模様が描けている。
間違っていないかヴァルゼさんい確認してもらうと――
『よし。間違ってはおらぬな』
「成功ってことですか?」
『うむ。おい、使ってみろ』
リングの持ち主である魔術師風の女の人に、作り直した魔導具を手渡す。
「あの、これ、何回使えるんだろう?」
『このサイズの魔導石は百回だな』
「そんなに使えるの!? やったっ。じゃ、一回ぐらい試しに使ってもいいか。キリー、実験台にお願い」
じ、実験台……。
女の人が「ディフェンスシールド」と唱えると、キリーと呼ばれた剣士さんの体がうっすらと光った。
「成功してる!?」
「領主様、それはこいつを殴ってみないとわかりませんよ」
「え、殴る?」
言うや否や、別の屈強な男の人がキリーさんを殴った。
いや、殴ろうとしたけど、拳が届いていない。何かに弾かれたようだ。
「キャーっ。ちゃんとディフェンスかかってるぅ」
「防御魔法ですか」
「そうなのそうなのぉ。よかったぁ。コツコツ貯金して、やぁっと買った初めての魔道具なんです。それが不良品だったもんだから、すっごく落ち込んでたの」
「実際、そういう魔導具って多いんですよね?」
「そうだな。出回ってる魔導具の二割ぐらいは不良品だし、三割ぐらいはエネルギー残量が少ないとかそんなんばっかりだ」
だから冒険者は、魔導具が入った宝箱を迷宮で探している。
どうして魔導具が迷宮で見つかるのかは、僕にもわからない。ヴァルゼさんなら知ってるかな?
その時ふと、背中に悪寒が走った。
「あー、んー、たぁー、たー、ちぃ」
「ル、ルキアナ、さん」
階段の上から、ドスの効いたルキアナさんの声が。
しまった。
冒険者のみなさんを部屋に案内すると言ってから、案内しないまま階段下でずーっとレンチンだのなんだのしてた。
ルキアナさんには部屋の前で待ってもらっていたんだ。具体的に男女の人数が分からないから、部屋の割り当てをその場で決めるために。
ずーっと、彼女を待たせてしまってた!
「いったいいつまで待たせるのじゃ!」
「ご、ごめんなさぁい」
うわぁん、すっかり忘れてたぁ。
「それもこれも、ヴァルゼさんが予定外のタイミングで出てくるからですよ!」
……っていないし!
こんな時だけ姿を消すなんて、卑怯だあぁぁぁぁぁぁぁ。
「こんなお菓子で、んく、長々と待たせたことがチャラになると、んん、思わないでよね」
「分かってますって」
でもニコニコ顔でたい焼き、食べてるじゃないですか。
フレドリクさんが早馬で一番近くの冒険者ギルドに行って帰って来るのに四日。
その間に護衛にドワーフさんの戦士と一緒に、ルキアナさんの実家のある森へ行った。
鳥のさえずりは聞こえてきたけど、それ以外の動物の姿は全く見えず、少し不気味に感じた。
彼女の実家から持ち帰った小豆で、今回はたい焼きをレンチンしてみた。
造形がなんというか、鯛というより鯉に見えるけど気にしない。
僕の記憶にあるたい焼きより、少し餡子の甘さが足りないな。砂糖が少なかったのかな。
でもたい焼きを知らないルキアナさんには、好評だったようだ。
「ルキアナさんをお待たせして悪かったと思いますが、実は凄いことできたんです」
「凄いこと? おかわり」
「あ、はい。餡子がもうないので、カスタードクリームで焼きますね。"魔導レンジ"」
小豆を全部使ってしまう訳にもいかないので、少量しか用意していない。
チョコレートがあればなぁ。
カスタードクリームのたい焼きをレンチンして、ルキアナさんに手渡す。
「実はですね、魔導レンジで魔導具をレンチンしたんです」
「まほうぐほ!? んく。できたの?」
「はい、できました! 冒険者さんが持っていた魔導具が不良品で、術式に傷が入って使えなかったんです。リングだったのですが、それをレンジで溶かして作り直しました」
「やったじゃない! 魔導レンジで魔導具が作れることが証明されたのじゃな」
「そうなんです。魔導鉱石の精錬ができるようになれば、僕にも魔導具が作れるということがわかりました」
これは大きな第一歩だ。
僕にも魔導具が作れる。
融雪装置、現実味を帯びてきたな。
あとは追加の鉱石が早く採掘されることを祈らないと。
雪が降り積もる前に見つかりますように。
「出たんですか!?」
寒さが本格化してきたある日、鉱山組合長のダルタンさんが屋敷にやってきた。
ずいぶんと笑顔だったので、思わず出た言葉だったけど――
「あぁ、出たぜ坊ちゃん。いやぁ、雪が降り始める前でよかったよ」
「ほんとですね! これでミスリル銀が出れば、融雪装置の魔導具が作れそうです。今夜はご馳走を振るいますよ」
『デューよ。吾輩たちも坑道に行くぞっ』
ヴァルゼさんも嬉しくて仕方ないようだ。
「お邪魔ではないですか?」
「いや、大丈夫だぜ。つっても、もう台車一台分は運んで来てんだけどな」
『おぉ! デュー、見に行くぞっ。吾輩はお主に憑りついておるのだから、動けぬ。代わりにデューが動くのだっ』
「はいはい、わかりましたよ。あ、ルキアナさん」
掃除を終えたルキアナさんが、一階へと下りて来た。
「どうしたのじゃ?」
「魔導鉱石が出たそうなんです。これから見に行きますが、ご一緒にどうですか?」
「ん……ま、デューが寂しいというなら、一緒に行ってやってもいいわよ」
寂しいわけじゃないけどなぁ。
「はい、寂しいです。一緒に来てくださいますか?」
そう言うと、ルキアナさんは僕の頭にぽんと手を置いてから撫で始めた。
「仕方ないのじゃ。行ってあげるわよ」
「へへ。そうだ、今夜は鉱石発見のお祝いに、ご馳走を作ろうと思うんです。メニューはどんなのがいいですかね?」
そんな話をしながら、採掘した鉱石を保管する倉庫へと向かった。
フレドリクさんは冒険者のみなさんと一緒に、周辺の見回りに行っている。
町には一パーティーが滞在しているけれど、見張り櫓の近くで待機してくれていた。
夜も交代で見張りに立ってくれているので、僕らは安心して眠れる。
倉庫にはドワーフ族の作業員さんも来ていた。
「おぉ、坊ちゃん。来たか」
「出たんですってね。見てもいいですか?」
『早くっ、早くっ』
「まったく、どっちが子供かわかんねぇな。とりあえず採掘してきたのはこんだけだ。三十キロぐれぇか」
「これぐらいあれば、魔導石に精錬できるんじゃないの?」
精錬するには、ミスリル銀と混ぜる必要がある。
しかもミスリル銀は数回に分けて、一度に混合させるミスリルの量は位置グラムまで。
最終的にミスリル銀がどのくらい必要なのかは、魔導鉱石やミスリル銀の濃度に左右されるから、鉱石一キロに対してミスリル何グラム……とは言えないそうだ。
最初に発見された魔導鉱石は、一キロぐらいしかなかった。
ヴァルゼさんの話だと、ミスリル一グラムに対して鉱石一キロは少なすぎるって。
普段彼が精錬していたときは、最低でも鉱石十キロでやっていたそうだ。
『量としては十分である』
「あとはミスリル銀ですね」
「そいつなら心配いらねぇ。ミスリルならここにあるからな」
そう言ってドズルさんが、自慢のミスリル製の短剣を取り出した。
「え? ま、待ってくださいっ。それは大事な短剣なんじゃ!?」
「希少高価つぅ意味だとな。別にこいつは誰かの形見でも、記念の品でもねぇ。それよか今すぐにでも、魔導鉱石を精錬してぇんだよ」
「で、でも……」
「気にすんねぇ。どうせそこの幽霊の話じゃ、もうちっと深けぇ所にミスリルの鉱脈があんだろ。出たらこいつよか大振りの短剣を作らせてもらうさ」
「そういうことでしたら……。ヴァルゼさん、鉱石の精錬方法を詳しく教えてください。魔導レンジで――」
「『ダメだ』」
え?
ヴァルゼさんとドズルさんの声がハモった。
二人同時にダメだしされるなんて、思ってもみなかった。
『デューよ。魔導レンジで調理をレンチンする際、スタートする前から何分焼いて、何分煮込んでと決めておるのだろう?』
「はい、そうです」
「坊ちゃん。こいつはな、鉱石に含まれる魔素の濃度で、精錬具合が変わってくんだ。ミスリルを投入するタイミングも、何分後って決まりはねぇんだろう。混ぜ具合にもよるんだろうさ」
『その通りだデューよ。その時々で投入タイミング、回数も変わってくる。こればかりは人の手で直接やらねば、精錬は成功せぬのだ』
「そう、なんですね……お役に立てなくて残念です」
魔導レンジでなんでも作れるかも!
って思っていた矢先だったけど、やっぱりそういうわけにはいかないんだな。
「しかしよぉ、あんたが坊ちゃんに憑りついてるってことは、精錬具合を見てもらうためには坊ちゃんにも来ていただかねぇといけねぇってことか?」
ん?
『そういうことだな』
「じゃ、デューも精錬中は傍にいなきゃダメってことじゃない」
『うむ。三日三晩、よろしく頼むぞ』
「え、三日三晩!?」
魔導鉱石の精錬には、平均して三日かかるという。
ヴァルゼさんがミスリル銀を投入するタイミングをドワーフさんに伝えるため、僕は作業場にいなきゃならなくなった。
「ご馳走は完成してからですな」
「あはは。楽しみにしてくださってたのに、すみません」
「まぁ仕方ないですよ。それに、やっぱ精錬が成功してからの方が、安心して騒げるってもんですぜ」
ダルタンさんはそう言って、高炉で作業をするドワーフのみなさんを覗き込んだ。
高炉の火を消す訳にはいかない。
ミスリルと混ぜた鉱石の溶液が固まらないよう、定期的にかき混ぜなきゃいけない。
だから何人かでずーっと、交代で作業をしてくれている。
僕もみなさんの食事をレンチンして用意し、ルキアナも手伝ってくれる。
夜もここで野宿だ。その時にはフレドリクさんも一緒にいてくれた。
作業場には屋根はあるけど、建物の中じゃない。
凄く寒いだろうなって思っていたけれど、そうでもなかった。
「こいつぁ保温性能が高い石だ。暖めてあるから、こいつを布でくるんで毛布ん中に入れときな。あったけぇからよ」
「わぁ、ありがとうございます」
「ほんとじゃ、暖かい」
「冬場の野宿では、自分もこの石を抱いて寝ていました」
「そうなんですか」
僕の握り拳大の、平たい石をタオルに包んで寝袋の中へ。
一つは足元に、あと体の左右に一つずつ置いて寝た。
これはなかなか暖かいな。
「これ、お屋敷で寝るときにも欲しいわね」
「冷え性ですか?」
「ん。少しじゃ」
女性は冷え性が多いっていうけど、本当にそうなのかも。
冷え性かぁ。
融雪装置が作れるなら、ベッドを温める――電気あんかみたいな魔導具も作れないかな。
ヴァルゼさんと相談してみよう。
そして三日目の朝――
「できたぞ!」
歓喜するようなドズルさんの声が作業場に響く。
彼の太い指先には、太陽の光を反射した半透明な石が握られていた。
「たくさん作れたんですね」
ずらーっと並んだ半透明な石――魔導石。
大きさは三種類。転移装置に使われていたソフトボールを少し楕円形にしたようなサイズのものと、うずらと鶏の卵の中間ぐらいのと、直径五ミリぐらいの小さなものだ。
「用途に合わせて、大きさって決まっているんですか?」
『それもあるが、単純に魔導具ごとに大きさを変えるのが面倒くさいだけだ』
「大量生産するなら、鋳型に流し込んで作った方が楽だかんな」
なるほど。
一番小さいものは、エンチャントリングに使用されるサイズだろう。
大きなものは転移装置のような大型の魔導具に。
融雪装置ならどれがいいかな。
「さっそくですが、融雪装置を作りませんか? そろそろ雪も降りそうですし」
『うむ、そうだな。ではどういった形にするか決めなくては』
「え!? 構想は考えてるって言ってませんでしたか!?」
『術式のことだ。装置そのものの形は考えてない!』
ドヤ顔ぉぉ。
刻む術式だけ考えてたって……ま、まぁいいや。
融雪装置だから地面に埋めるか敷くかだ。四角くて平らな形でいいと思う。
「形はシンプルに、板状でいいと思うのですが。町の中だと石畳の上に敷いても支障がないように、薄い方がいいですね」
『うむ。その上を人や荷車が行き来するのを考えると、それがよいだろうな。しかし木材はいかんぞ。熱で焦げてしまえば、術式が消えて、魔導具として使えなくなるからな』
「木製はダメですか……じゃあ、何を使おうかな」
鉱山だから鉄鉱石もある。鉄なら熱ぐらいじゃ溶けないだろうけど、融けた雪でつるんって滑りそう。
「なら、これはどうじゃ?」
「これ? それは、石……あっ」
作業場で寝泊まりしている間、ドワーフさんが湯たんぽ代わりにくれた石だ。
石だから強度もあるし、焦げたりもしない。
「いいですね! ありがとうございます、ルキアナさん。ドズルさん、この石ってたくさんあるんですか? できれば大きいものが欲しいんですが」
「心配ねぇ。ドワーフの里に向かう途中に岩山は、全部これだからな」
「よかった! それじゃあ板状にレンチンして、そのまま術式を刻めますね」
すぐに岩の切り出しが行われた。
魔導レンジの庫内サイズは、横四十五センチ、奥行きが三十四センチ、高さは三十センチある。
これに収まるサイズに切り出してもらった岩を、ドワーフさんの手で魔導レンジに入れてもらう。
その岩の上に、魔導石を十四個置いた。
プレート一枚につき石は二個使うので、一度の調理で七枚の融雪装置を作る。
「横と奥行きの長さはそのままに。厚みは三センチ。刻む術式は――」
ヴァルゼさんから教えてもらった術式を、一度紙にメモしてある。
間違えてないかチェックしてもらって――実は一カ所間違えてて描き直してあるんだけど、それを見ながらレンジのスタートボタンを押す。
普段はすぐにチーンってするんだけど、今回は慎重に、ちょっとゆっくりめに調理した。
紙に描いた術式を指でなぞる。こうするとミスしない気がして。
実際、実家の屋敷の料理長に調理法を学んでいた時も、ノートにメモしたものを黙読しながらやった時は絶対に焦がさなかったし。
うろ覚えだとどこかでやらかしてしまうんだろうな。
チーンっと鳴って、できたてほやほやの融雪装置が完成。
術式はプレートの裏面に。傷が入るんを防ぐためだ。
そして表面には、滑り止めの役目にもなる溝を掘った。
立体駐車場の坂道なんかにある、丸い円の形をした溝だ。
ちゃんと動くか確かめるために、屋敷の外にプレートを並べて起動。
「すぐには温かくなりませんね」
「そりゃ石だもん。すぐにとはいかないわよ」
「数分待ってな」
数分待つと、ほんのり温かくなってきた。
「動いてますね!」
「水をかけてみるのじゃ。蒸発すれば、熱量も十分ってことじゃ」
「デュカルト様、お持ちしました」
「ありがとうございます、ハンスさん」
言った傍から持ってきてくれるなんて、たぶんチェリーチェさんだな。
コップに入った水を垂らすと、じんわりと蒸発する。
「よし!」
「これぐれぇなら踏んでも熱くねぇし、大丈夫だな」
『ふっ。触れても火傷をせぬ温度になるよう、微調整をしておるからな。ま、吾輩の手にかかれば、細かい温度調整を行う術式を考えることなど、造作もないこと! くはーっはっはっは』
「はいはい。デュー、一気に量産するのじゃ。直に雪が降るわよ」
そうだ。ゆっくりしてる余裕なんてないんだった。
切り出した岩をどんどんレンチンしていく。
術式が刻まれ、魔導石がはめ込まれたプレートは、すぐに町の通りへと運ばれた。
重たいプレートを運んでくれたのは――
「さ、ノームたち。落とさないように運ぶのじゃ」
『むっむ』
ノーム。土の精霊だ。
「ルキアナさん、ありがとうございます。ノームって小さいのに、凄く力持ちなんですね」
「土は全てのものを支えてるでしょ? だから力持ちなのじゃ」
僕だとプレート一枚を持ち上げるのだって必死なのに、ノームたちは十枚重ねても軽々と持ち上げてしまう。
僕がレンチンをし、ダルタンさんが魔導レンジからプレートを取り出してノームに渡す。プレートを取り出すときに、ヴァルゼさんが術式をチェック。魔導レンジで調理しているから、一度でレンチンしたプレートにはまったく同じ術式が描かれている。チェックするのは一枚で十分だ。
何度か描き間違いがあったけれど、それは魔導石を外して隙間を埋める用に使う。
町の全ての道に敷き詰めるだけの時間はない。
空き家ばかりの通りは諦めて、一通りのあるところや人が暮らす民家の周辺、鉱山までの通路、同時にドワーフ族の里にも融雪装置を敷いて――
「雪だ」
作業開始から十日後。
必要最低限の道に融雪装置を敷き終えた頃、ついにロックレイは雪の季節に入った。
「せっかく降ったのに、全然積もらなかったですね」
雪は降った。でもたった半日だけ。
「初雪でいきなり積もるなんて、滅多にあるもんじゃないわよ」
「そうなんですね。僕はてっきり、いきなりどかーんって来るのかと思ってました――って、頭撫でないでくださいっ」
「くくく。坊やはかわいいのぉ」
「坊やって言わないでくださいよっ」
どうせ僕は雪国のことなんて、何も知りませんよーだ。
だけどたった半日でも、融雪装置の実力は確認できた。
装置の上に雪が落ちると、すぐに溶けて蒸発する。
他の場所だと溶けはするけど、蒸発はしない。そのうちうっすら白く染まるようになったけど、融雪装置の上はそんなことも一切なく。
それに、融雪装置のある通りはほんのり温かくて、外出時にも震えずに済んでいる。
「その融雪装置ですが、温度調節が可能であれば暖房装置としても使えそうですね」
「そう! そうなんですフレドリクさん。床暖房とかできそうですよね」
『床暖房? デューよ、それはどういったモノか?』
「えっと、それこそ融雪装置を室内に敷いて、足元から温めるってモノです。融雪より温度は低くてもいいかもしれませんね」
『おぉ! 寒い地方ならば、喜ばれる便利魔導装置であるな』
温度調整……そうだ。
「ヴァルゼさん。温度を逆に低くすることはできますか?」
『ん? 当然であろう』
だったら、冷房も作れるんじゃ!
プレートじゃなく、扇風機のようにしてもいい。
羽を自動回転させる術式と、空気を冷たくする術式を組み合わせれば、冷風機になる。
それに冷蔵庫だって夢じゃない。
「――という感じで、暑さ対策の魔導装置なんかもどうでしょう? 小さな庫内を冷やすことができれば、夏場の食料が傷むのもある程度は防げます」
『ほほぉ。れいぞーこなるものか。くく、面白い。実に面白いぞ! 他にアイデアはないか、デュー』
「はい。えーっと……あ、冷風が可能なら温風もいけますよね。ルキアナさん。髪を洗った後、乾かすのが大変だったりしませんか?」
「え? きゅ、急じゃの。そりゃ大変よ。この長さだもん」
ルキアナさんの髪は、腰まで伸びている。
僕だと暖炉の傍にいればすぐに乾くけど、彼女のように髪が長いとそうもいかないだろう。
「温風で髪を早く乾かす魔導具とかどうですか? 髪が濡れたままだと風邪だってひきやすいですし」
「そうじゃな! 髪が乾くのが遅くて、寝間着が触れるわ、眠くてもベッドが濡れるから寝れないわ、すっごく大変じゃ。それが解消される魔導具は、素晴らしいと思うの!」
ベッドが濡れる……そうだ!
布団乾燥機もいいな。電気毛布みたいなのだっていける!
『いぃ。いいぞ! 魔導具研究者としての血が騒ぐ!』
「ゴーストって、血が流れてたっけ?」
「ル、ルキアナさん。はは……」
流れてるのかな?
ヴァルゼさんはやる気満々だ。
しばらく採掘をストップさせていたけど、融雪装置のおかげで冬場も作業ができるだろう。
組合はそのつもりでいるようだし。
「まずは今ある魔導石でドライヤー……えぇっと、髪の毛を乾かす魔導具を作ってみませんか? それから床暖房か、電気あんかとか」
『ほぉ。既に商品名まで考えておるのか』
「し、試験運転ならいつでも言って。すぐに髪を洗ってくるのじゃ」
「はい。まずは形や安全性を考えなきゃいけませんので、完成したときにはよろしくお願いします」
形は決まっているようなものだけど、この世界で、そして魔導具としての安全性は考えなきゃならない。
なんだかちょっぴり楽しくなってきた。
前世の知識も使って、どこまで魔導具が作れるか。
できれば高価なものにしたくない。
低コストで、一般市民でも手が出せる道具にしたい。
たくさんの人が必要とする魔導具に。
そうすれば魔導具の需要はもっともっと広がる。
未だと冒険者や一部の貴族しか手にとれない品物だしね。
需要が高まれば大量生産もできる。
大量生産できれば町の収入も増えて、豊かになる。
町が豊かになれば、人も自然と増えるだろう。
父上が幼かったころには、この町は活気に満ちていたそうだ。
そのころを取り戻せる。
いや、取り戻して見せる。
「ヴァルゼさん。ドライヤーの形について、まずは話し合いましょう」
『うむ。どうせなら使う者の意見も聞こうではないか』
「わ、私?」
「そうですね。どんな形だと持ちやすいかとか、そういう意見を聞かせてください」
「わ、わかったのじゃ」
「では自分は、周囲の巡回にでかけてきます」
「はい、いってらっしゃいフレドリクさん。お気をつけて」
それぞれがそれぞれの仕事へと向かう。
さぁ、やるぞぉ。
「おはようございます」
「おはようございます、ご領主様」
「おはよう、坊ちゃん。ロックレイの冬には慣れましたかな?」
「井戸のお水が氷のように冷たいぐらいはなんとか」
初雪から一カ月。
ロックレイはすっかり雪に覆われた。
町のメイン通りに雪はない。融雪掃除がしっかり仕事をしてくれているから。
だけど家々の屋根の上は……。
「屋根の上の雪は、下ろさなくていいんですかね?」
「そろそろ下ろした方がいいだろうねぇ」
「ですよね。屋根の上にも融雪装置を設置すればよかった」
『ふぅむ。しかし今から設置するには、足を滑らせて落ちる危険性もあるな』
僕の背後霊となったヴァルゼさんの言う通りだ。
前世でも雪下ろし作業の途中で、足を滑らせ怪我をしたというニュースはよく見た。
雪が積もらないようにするべきか、それとも安全に雪下ろしができるようにするべきか。
雪国に疎い僕だと、どっちがいいのかわからない。
みんなにも意見を聞かなきゃな。
『デューよ。何か考えておるな?』
「はい。屋根の上に積もる雪のことで。融雪装置などで積もらないようにするのがいいのか、安全に雪かきができるようにした方がいいのかって悩んでまして」
『ふむふむ。吾輩も豪雪地帯での苦労は、よく知らぬからなぁ』
「え? でもヴァルゼさん、ここに研究所を作っていたのでしょう? 冬はどうしていたのですか?」
『はっはっは。地下に引き籠っておった』
あ、なるほど。引き籠って外に出てないのか。
って、ずっと引き籠ってたの!?
「デュー、お待たせ。さ、帰りましょ」
「はい。ところで何を買ったのですか、ルキアナさん」
『おい。吾輩も待ってやっていたのだぞ』
「プランターじゃ。ほら、融雪装置のおかげで暖かいでしょ? だから案外、植物を育てられるんじゃないかと思って」
「なるほどぉ」
確かに町の人たちはみんな、融雪装置のある通りが暖かいと言ってたっけ。
「荷物、僕も持ちますよ」
「大丈夫じゃ、これぐらい。子供に荷物を持たせるほど、非力じゃないわよ」
「僕は子供ですが、でも男です! 絶対に僕も持ちますっ」
むしろ女性に大きな荷物を持たせたままだなんて、自分が許せないんです!
半ば強引に荷物を奪い取って、それを抱えて歩き出す。
「ふふ。デューは立派な男の子じゃな」
「えぇ、僕は男ですから」
「ふふふ。いい男ねぇ」
くすくすと笑うルキアナさんを横目で見ると、なぜか……顔が熱くなった。
この辺りの融雪装置、温度調節ちゃんとできているんだろうか。
『吾輩、無視された……』
はいはい。いい歳した大人なんだから、いじけない。
「んふぅ~。このふわっふわのチーズケーキ、好きぃ」
今日のおやつはチーズケーキだ。
できたての温かいままいただく。冬なんかはこれが美味しいんだ。
「ルキアナさんはふわふわ派なんですね」
「ふわふわじゃないのもあるの?」
「はい。硬いという表現は適切ではないですが、しっとりとしたチーズケーキもあります。冷やして食べるタイプですね。僕はそっちのチーズケーキの方が好きなんですが、今日は温かいものがよかったので」
小豆があればぜんざいやおしるこもよかったんだけど、もう在庫が少ない。
なので餡子を使ったお菓子は、当分作れそうにないな。
「ルキアナさん。プランターで小豆って育てられないんですか?」
「小豆を? どうじゃろう……小豆は20℃を下回ると発芽もしにくくなるし、さすがに融雪装置の熱だけでは厳しいかも」
「結構高温じゃないとダメなんですね」
温度管理かぁ。
この世界にビニールがあれが、ハウス栽培もできるのだろうけど。
でもビニールはないしなぁ。
さすがにビニールの製造過程を知らないから、レンチンも無理だしね。
窓の外を見ると、さっきまで止んでいた雪がまた降りだしていた。
あ……そうだ、ガラスでも作れるじゃないか!
ガラスハウスが!
いやぁ、でも魔導レンジじゃ大きなものは作れないしなぁ。
『む? 剣士が戻ってきたようだ』
それまでじぃーっとチーズケーキをガン見していたヴァルゼさんが、扉の方に視線を向けた。
するとしばらくして扉をノックする音が。
「どうぞ」
「失礼します、デュカルト様」
入って来たのはフレドリクさんだ。ヴァルゼさん、当たりぃ。
部屋に入って来たフレドリクさんは、いつもより少し真剣な表情を浮かべていた――気がする。
「どうかしましたか?」
「はい。侵入者です」
「えぇ!?」
「侵入者って、もしかしてこの前の子爵の一味とか?」
『ふむ。穏やかではないな』
フレドリクさんの報告に僕らは驚く。
フレドリクさんと冒険者のみなさんは、雪が積もった今でも周辺の巡回をしてくれていた。
雪をかきわけて行くのかと思ったけど、魔法で雪上を歩いてるらしい。
そうして町の北側、山を少し登ったあたりで人らしき足跡を発見したそうだ。
「ひとりではなく、複数の足跡でした」
「複数ですか!? いったい何者でしょう。ただの旅人だという可能性は?」
『それはないだろう。この雪だぞ。山で遭難して凍死するのが目に見えておる』
「そうじゃ。ここから北は山々が連なる山脈じゃ。その向こう側にある国へ行くにしても、春や夏ならまだしも、この時期に山道を行こうとするヤツなんていないわよ」
まぁ、そうだよね。
北の国へ行く道だって、山を迂回する街道がちゃんと整備されてるし。
距離的には山を突っ切る方が早いけど、険しい山道を歩くのと平地を歩くのとでは移動速度が全然違う。
『その足跡はどちらの方角から来ておるのだ?』
「北です。今冒険者が追跡しておりますので、山を下っていなければまもなく見つかるかと」
「そうですか。わかりました。もし発見したら、町に連れて来てください」
「もし抵抗するようであれば?」
足跡は北から来てるってことは、隣国からこちらに入っているってことだろう。
街道を通れば国境検問所がある。たいした金額じゃないけど、当然、通行料が求められる。
また、不法な品を持ちこんだりしないよう、チェックもあるはずだ。
雪が積もった山道をわざわざ来るってことは、通行税を払えない難民か、もしくは本来エンバレス王国に持ち込んではいけない物を運んでいるか……。
本当にただの旅人だったらいいんだけど。まぁそれでも入国税は払って貰わないとね。
食器を片付けて領主としてのお仕事、書類整理をしていると――
「領主様、見つけたぜっ」
冒険者が僕を訪ねて来た。
「デュカルト様まで行かれるのですか?」
報告を受けてからすぐ、僕たちは行動にでた。
侵入者(仮)が誰なのか、確かめるためにだ。
「もし本当に侵入者だったら、僕がその場でどうするか決めた方がいいでしょう? 侵入者じゃなかったときも同様です」
「しかし、もし武装した者たちであったなら――」
「その時はフレドリクさんや冒険者のみなさんが、守ってくださるのでしょう?」
その場に集まった冒険者さんたちは、全員が頷いている。
それを見てフレドリクさんも、諦めたように頷いた。
「で、そっちのお嬢さんは?」
と冒険者さんに問われたのはルキアナさんだ。
彼女が同行する理由は単純明快。
「そいつらが立てこもってる家、私の実家なのじゃ」
「あらぁ……そりゃ勝手に居つかれちゃ困るわね」
そう。侵入者(仮)は森にあるルキアナさんの家に侵入しているってことなんだ。
この雪だし、冬の間はそこに隠れ住むのかもしれない。
逆に言えば、今いかなきゃ逃げられてしまうかも。
「さぁ、行きましょう。アマンダさん、雪上歩行の魔法お願いします!」
「……領主様、もしかして雪の上を歩きたいだけなんじゃ」
「いいえ違います! みなさんが雪の上をさくさく歩くのが羨ましかったとか、そんなことは断じてありません! 行きますよっ。レッツゴーです!」
魔法のおかげでずぼっと沈んだりしないらしい。
これなら濡れることなく、雪の上を思いっきり走れるぞぉ~。
「さぶっ」
「なんじゃ。あれだけ張り切ってた癖に」
だって寒いんだもん!
『融雪装置の有難味がわかったようだな』
「ですね。雪を溶かしたいだけだったんですが、こんな温度差も生み出していたなんて」
豪雪地帯にこれが普及すれば、きっとたくさんの人が暮らしやすくなるだろうな。
ロックレイも山道にずーっと設置できれば、冬場でも下の町に行き来できるようになる。
雪の季節が終わって、鉱石の採掘が安定したら量産を考えよう。
そんなことを考えていたら、冒険者さんが立ち止まった。
ここはルキアナさんの家がある森の入り口だ。
「デュカルト様。向こうからわだちが続いています」
冒険者さんが指しているのは、雪を踏み固めて作ったようなわだちだ。
昨日の夜も雪が降ってるし、それでしっかりわだちが残っているということは。
「ここへ来たばかりですかね?」
「かもしれませんし、何日か前からここにいて、食料調達とか何かで出回っているのかもしれません。実際あちこちわだちや足跡が残ってますから」
食料か。だけど獣はいない。
ダンジョンモンスターがこの辺りの動物を食い尽くしてしまったようだから。
そのダンジョンモンスターも、まだ見つかっていない。
ヴァルゼさん曰く『生理的に日差しの下が嫌いなのだろう』ってことと『奴らも雪を見るのは初めてだろうからな』と。
冒険者さんも、今はどこかに身を隠しているはずだって言ってた。
さて、今は目の前のことを考えよう。
侵入者(仮)がひとりなら、わだちを作る必要なんてなさそうだ。
ってことは。
「複数ですよね?」
僕は誰にというわけでもなく、質問した。
それに答えてくれたのはフレドリクさんだ。
「おそらく二十五人」
「二十五!? 私の家、そんなに入れないわよ……」
「そうか? 床に座って寝ればもっと入れると思うが」
フレドリクさんが真顔で答える。
そういう正論ではないと思うんだよね。
「足跡のほとんどは、大きさからして子供か、小柄な女性だと思います。サイズの大きな足跡は六。これは男のものでしょう。あと気になるものもあります」
「気になる? なんですか」
「細長い物を引っ張った跡があります。縄かなにかかと思いましたが、雪に錆が付着していたので鉄製のもの、鎖ではないかと」
鎖……子供か、小柄な女性。
そこから連想できるものに嫌悪を感じる。
「急ぎましょう。もし思っている状況だった場合、その方たちを保護しなければなりません」
「商人《・・》はどうします?」
「ダンジョンモンスターの討伐と町の警護という内容で来ていただいたのに申し訳ありませんが、商人とその一味を捕らえていただけますか?」
「もちろんだぜ。特別手当、期待してますから」
「ふふ。わかりました。用意します」
雪上歩行、そして無音の魔法をかけて僕らは走り出す。
そしてルキアナさんの家の脇にある茂みに身を隠し、周囲の様子を窺った。
『吾輩が中の様子を見てやろうか』
「ヴァルゼさんがですか?」
『ふっ。吾輩、幽霊であるからして』
あ、そうか。壁とか建物とか、すり抜けられるんだった。
しかも姿も見えなくしたり、見せるようにしたり自由なんだっけ。
「じゃ、お願いします」
『任せたまえ』
オラクルときらーんっと光らせ、ヴァルゼさんが僕の背後からすぅーっと離れ……られない。
あ……。
しばらく沈黙が続く。
きっともう、ここにいるみんなは気づいてしまっているんだ。
『吾輩、デューに憑りついているから離れられないのだった』
「ですよねー」
はぁっとその場にいる全員がため息を漏らす。
それが聞こえてしまったのか、木の家の扉がバンっと開いた。
「出てこいクソ奴隷商人め! 二度と家族を連れていかせはしない!!」
そう吠えたのは、狼男だった。
「ワーウルフ!?」
咄嗟に僕は、腰に下げた剣に手を伸ばす。
一応僕も侯爵家嫡男として、基本的な剣術は学んでいたから自分専用の剣を持っている。
短剣よりはやや長く、大人が使うものより細身で軽い特注のものだ。
でも、実戦経験は……ない。
「デュカルト様、ご安心ください。彼はワーウルフではなく、獣人族です」
「じゅう……そ、そうですか。ふぅ、よかった」
ダンジョンモンスターのこともあるし、ワーウフルだと早とちりしてしまった。
この世界の獣人族の一部氏族には、変身能力がある。
狼氏族や獅子氏族、虎氏族あたりがそうらしい。
逆に狼男ことワーウフルは、地球にいた頃に古い映画でみたそれと違って人から変身することはない。
『じゅ、獣人! はぁ、はぁ』
「ちょ、ヴァルゼさん?」
なんで興奮してるの!?
『わ、吾輩、獣人族を見たのははじめてなのだ。しかも変身能力を持つ純潔ではないか。はぁはぁ』
「落ち着きましょうね?」
『吾輩が生きていた時代は、異種族に対して強い偏見や惨い差別があってだな。魔法が使える者以外は、全て下等な生き物だとしておった』
そういう時代だっていうのは、歴史書にも書かれている。
今でも一部の国や地域では、獣人族への差別は続いているし。
『しかし獣人族は我ら人間にはない、素晴らしい身体能力を持っておる』
「種族が違うっていう理由で、偏見や差別があることが間違いなんですよ」
『うむ。その通りである』
ヴァルゼさん。魔法王朝時代では、浮いた魔術師だったんだろうなぁ。
こういう当たり前の思考が、あの時代ではおかしいとされていただろうし。
この人は、凄く優しくていい人なんだと思う。
『はぁ、はぁ……研究したい』
「それはダメです」
前言撤回。
彼が獣人族なら、まずは話し合いをしよう。
僕が彼のことを勘違いしたように、彼もこちらのことを勘違いしているようだから。
「さっき彼は僕らのことを、クソ奴隷商人って言ってましたね」
「そうね。今だって飛び掛かって来そうな雰囲気じゃ」
「どうしますか、デュカルト様。家の中には他にも獣人族がいるかもしれません。狼氏族の戦士であれば、その戦闘能力は油断できないものです」
奴隷商人と勘違いしたってことは、彼らは元奴隷か、奴隷狩りから逃げて来たか……。
借金の形に奴隷商人へ売られるというのはある。
それとは別に、奴隷狩りという人攫いに捕まって、どこか遠くの国へ売り飛ばされるなんてことも。
でもこの国では二十年前に奴隷制度が廃止されているから、奴隷商人がこの国で商売することは禁止されている。
奴隷商人に誰かを売るのも禁止だし、奴隷商人から誰かを買うのも禁止だ。
でも隣国では今でも奴隷制度のある国があって、この国でも一部の貴族が不正に奴隷を買っているって話だ。
あの人は家族を奴隷商人に奪われた人なんだろうか。
いや、さっきの言葉からすると絶対にそうだ。
腰に下げた剣を鞘ごと引き抜き、彼に見えるよう投げ捨てる。
「デュカルト様?」
「ちゃんとあとで拾いますから。だって父上がくださった剣ですし。あ、ヴァルゼさん、いったん姿を消していただけますか?」
「そういう問題じゃないの。剣を手放してどうする気じゃっ」
『しょぼーん』
「こうするんです。えいっ」
茂みから飛び出して、ジャーンプ。
そのまま真っ白な雪の上にダイブして、仰向けになった。
「なっ、なにをしている!」
「見ての通り、雪の上に寝そべってます」
「見ればわかる! そういう意図で寝そべっているのかだっ」
「んー、敵意がないということを知らせるため、ですかね?」
「はぁ?」
今度はうつぶせに。
両手は見えるように前にだし、彼の方を見た。
「僕はデュカルト・ハーセランです。ここの領主をしています。お名前を窺ってもよろしいですか?」
「りょ、領主!? そんな子供がかっ」
「元々ここは父が管理する領地だったのですが、ある事情で僕が引き継ぎました」
「貴族……か……」
そう言った言葉には、どこか嫌味が含まれているように聞こえた。
貴族が嫌われているなんて、珍しいことじゃない。
いい領主もいるし、悪い領主もいる。
悪い領主が治める土地で生まれた人たちは、自然と貴族を憎むようになるのは当然のことだ。
彼は貴族を嫌っているようだけど、でも奴隷商人という誤解は解けたようだ。
今にも飛び掛かってきそうな態勢だったけど、それを解いて姿勢を正している。
「寝そべる必要はない。……風邪をひくぞ」
「はい。ありがとうございます。でも真っ白な雪の上で、一度ごろごろしてみたかったんですよ」
「ちょ、ちょっとデュー! ほんとに風邪引くからやめるのじゃっ」
「デュカルト様。もしやそれがしたくて飛び出したんじゃないでしょうね?」
「ち、違いますっ」
ダイブしたあとに、ふとやりたくなっただけなんだってばぁ!
「ど、どうぞ。この家にあったものですが」
「ど、どうも」
お茶を頂きながらルキアナさんをちらりと見る。
この家にあったもの=ルキアナさんのだもん。なんかこう、反応に困るよね。
家の中にはピッタリ二十五人いた。
サイズの大きな足跡が六人っていうのが、獣人族の成人男性たちだ。
残り十九人のうち十人は、なんとエルフだった。
異世界メジャー種族代表のエルフだけど、この世界では人口が極端に少ない。
ドワーフ以上に、生きているうちに出会えるなんて思いもしなかった。
まぁそういう意味ではハーフエルフであるルキアナさんも、希少種族だと言えるんだけど。
お茶を淹れてくれたのはエルフの女性で、手足には枷が嵌められていた。
「それ、外せないのですか?」
「魔法が……掛けられていますので」
「魔法ですか……ヴァルゼさん、解く方法とかわかりませんか?」
『手枷を見せてみろ』
「はい――ひっ。キャアァァーッ!」
『わぁぁーっ!』
あ、忘れてた。
怖がらせるといけないから、消えてもらってたんだっけ。
手を差し出したはいいが、すぅっと現れたヴァルゼさんを見てエルフの女の人は壁際まで後ずさり。
ヴァルゼさんはしょんぼりと肩を落とした。
「"――により、契約は無効とされ、戒めを解く。レリィーズ・アンロック"」
魔術師のアマンダさんが、ヴァルゼさんに教わった呪文で手足の枷を外してくれた。
「まさか魔導具だったとはねぇ。しかも二重ロックだなんて、悪質だわ」
エルフの女性たちに着けられていたのは、魔法を使おうとすると全身に傷みが走るというものと、それから単純に枷の鍵を魔法でかけたものの二つ。
九人の獣人族の子供たちには、普通の鍵の魔法しかかけられていなかった。
でも鉄製の枷だし、なかなか外せなくてどうしようかと思っていたそうだ。
「それで、みなさんはいったいどういう経緯でここに? 差し支えなければ教えてください」
獣人族の大人たち――全員、子供たちの父親だって話だけど、彼らは顔を見合わせ頷き合った。
「俺たちはブリデイン国の最北に里を持つ獣人族だ。三カ月前、奴隷狩りがやって来て子供たちを攫っていった」
「それで、子供たちを助けるためにここへ?」
「そうだ。奴らは何故か平たんな道ではなく、険しい山道を選んだ。襲撃するならここだと思ったんだ」
「奴隷商人が山道を選んだのは、国境を通れなかったからでしょう」
「通れない? なぜだ」
なぜってそりゃあ、奴隷を連れていたら入国できないから。
そう話すと彼らは全員、驚いていた。
もしかして――
「ここはエンバレス王国です。エンバレスが奴隷制度を廃止したこと、ご存じないですか?」
「い、いや。俺たちは他国のことなんて、何も知らないから」
「坊ちゃん。普通はそうですよ。他所の国のことなんて、学ぶ機会がなければ知りませんからね。俺らのようにあちこち転々とする冒険者か、教師ってもんから学べる富裕層、貴族ぐらいですよ」
そうか。日本と違って、義務教育じゃないもんね。
お金がなければ学ぶこともできない。そういう世界だ。
僕は幸運なことに、侯爵の子として転生してきた。
だから学びたいことはなんでも学べたし、欲しいものもほとん父上が用意してくれた。
僕は恵まれているんだ。恵まれすぎている。
僕を基準に物事を考えてはダメだ。
「すみません。えっと、この国は二十年前、今の国王陛下がご即位した際に、奴隷制度が廃止されたんです」
「そうなのか。ではなぜ奴らはこの国に?」
「それはたぶん……廃止されたはずなのに、こっそり奴隷を買う貴族がいるからだと思います」
この国では奴隷の売買が禁止されている。
だからこそ高額で取引されているって、以前、父上が苛立った様子でそう話していたことがある。
エルフなんて珍しい種族なら、物凄く高値で取引されるだろう。
そういえば彼女たちはどうして?
「あの、エルフのみなさんは?」
「私たちも似たような感じです。獣人族のみなさんが暮らす里の近くにある森で暮らしていましたが、突然人間たち武器を持ってやってきて……魔導具の力で魔法を封じられ、私たちは捕まってしまったのです」
森には他にもエルフさんが暮らしていたけど、他の人が捕まったのか逃げ切れたのかわからないそうだ。
「それで、奴隷商人は?」
「……何人かは殺った。だが商人と、奴の部下がまだ何人か残っているはずだ」
てことは探してるだろうな。
「あぁ、だからか」
「どうしましたか?」
冒険者さんがぽんっと手を叩く。
「いやね、森の北東にも別の足跡があったんですよ。そっちは大人の足跡ばっかりだったんですがね」
「その足跡の行先は?」
「西ですね。そっちへ向かう別の足跡を追っていた感じです。ただその足跡」
そう言って冒険者さんが獣人族の大人たちを見た。
「そうだ。追跡を逃れるためにわざとつけた足跡だ。よくわかったな」
「まぁ、それが仕事なんでね」
わぁ、なんかカッコいい。
『ふむ、西か』
「どうかしましたか、ヴァルゼさん?」
『いやなに。生前の吾輩が出入りしていた鉱山の入り口がだな、町の傍にあるあそこではなく、ここから西の方角なのだよ』
「え、別の入り口があったんですか?」
『まぁ爆風で塞がっておる可能性が高いが、身を隠せる程度の場所はあるかもしれん』
あぁ、そっか。ヴァルゼさんを亡き者にしようとした人が、坑道を爆弾か何かで吹き飛ばしたんだっけ。
「デュカルト様、どうなさいますか?」
「うん、放ってはおけないけど……ヴァルゼさん、その場所って遠いですか?」
『そうだな。ロックレイの町からここまでの距離よりは少し遠いだろうか』
「なら、行くのは明日にしましょう。今から出発しても暗くなってしまいますし。それよりも、町に戻りませんか。この方たちも一緒に」
獣人族の子供たちを見ると、ずいぶん痩せ細って見える。
ブリデイン国は北の山脈を超えて、もう一つ別の国と超えた先にある。
かなりの距離を移動していているし、その間、まともに食事も貰えてなかったのだろう。
「戻ってご飯にしましょう。ここだとたいしたものもないでしょうし」
僕がそう言うと、子供たちの瞳が輝いた。
「何もなくて悪かったわね」
「え、あ、えっと、ル、ルキアナさん。そ、そういう意味じゃなくてですね」
「じゃあ、どういう意味じゃ?」
「ルキアナさぁん。怒らないでくださいよぉ」
「別に怒ってなんかないわよ」
勝手に家の中を物色されて、いい気はしないよね。
「ルキアナさん。今夜は甘ぁ~い夜食をご用意しますね」
そう呟くと、彼女の顔に笑みが浮かんだ。
「ハンスさん。すぐに使える部屋はありますか?」
町まで戻ってくると、獣人族とエルフの皆さんには領主の館に来てもらった。
まずは湯あみをしてもらって、その間に部屋の用意と食事の準備に取り掛かる。
「チェリーチェに準備させ、夕食が終わるまでに六部屋用意させます。しかしベッドの数はどうにもなりませんので」
「うん、そうですよね」
以前いた使用人の部屋は、冒険者さんたちに使ってもらっている。
他の部屋は客室だから、一部屋に大きなベッドがひとつあるだけ。
キングサイズっていうのかな。ひとつで三人は寝れるけど、それでもちょっと足りないな。
「坊ちゃん、俺たちの部屋を彼らに使わせてやってください。俺らは宿に泊まるんで」
「え、でもこの町に宿なんて……」
「デュカルト様。宿の修繕をお命じになられていらっしゃいましたでしょう。先日、応急処置の方が済みまして」
「そうだったんですね。部屋とかは使えるのですか?」
「はい。問題はございません。ただ薪ストーブの用意がまだでして」
この気温だと、いくら室内だってストーブがないと寒くて堪らないはず。
『デューよ。寒さ対策に何か魔導具を用意してやればよいのではないか?』
「それはいいですね。んー……そうだ」
薪ストーブじゃなく、魔導ストーブはどうだろう。
保温岩を円筒形にして、魔導石をくっつける。ちょっと高温になる術式にしてもらって、後ろ反面を囲うように薄い鉄板を――いやだめだ。鉄板を用意する時間がない。
円筒形の魔導具部分だけで安全に使える方法――あ、あれならいいかも!
七輪!
「これがシチリンってヤツですか?」
「はい。僕の魔導レンジだと大きなものは作れないので、少し小さめのものをいくつか用意しました」
魔導レンジで作る七輪は、高さ三十センチが限界だ。
その中に熱を発する円筒形の魔導具をセットして温めると、魔導具と同じ保温石で作った七輪も温まる。
これなら網を乗せて、上でお湯を保温することもできるだろう。
沸かすほどの熱は出せないけど。
「一部屋に二つ置いてください。もし温もりすぎるなら、一つだけ止めてもらえばいいので。試作みたいなものなので、実際に部屋が温もったかどうか明日聞かせてください」
『吾輩が術式を考えたのだからして、失敗はない!』
「まぁ七輪がうまく作用するかどうかってのもありますから」
「わかりました坊ちゃん。使い勝手の方は明日、報告させていただきます」
「はい。じゃ、みんなで夕食にしましょうか。もう湯あみを済ませた子もいるでしょうし」
「ですね」
食材の用意はもう終わっていた。テーブルもセット完了だ。
チェリーチェさんが全部やってくれたのだろう。
まずは温かいスープをレンチンしよう。
子供も多いし、クリームシチューがいいよね。
そうだ。人参の形を星型にしよう。
鍋に水とミルクを入れ、隙間に野菜とお肉を押し込んでレンチン。
「ルキアナさん、お願いします」
「任せるのじゃ。さ、みんな。お皿をとってくれる?」
今日は人数も多いから、シチューももう二回ぐらいレンチンしないとね。
新しい鍋で同じようにレンチン。もう一回、別の鍋でレンチン。
次はフライパンで鶏肉とてりやきソースの材料、横に添えるコーンとインゲンをフライパンに入れてレンチン。
一度に三人前しか作れないから、どんどんお皿に盛りつけてどんどんレンチン。
ハンスさんと冒険者さん、それにエルフさんも手伝ってくれて、人数分完成。
パンは気を利かせてくれたチェリーチェさんが、お店から買ってくてくれたものがあった。
温めるために軽くレンチンして――
「それじゃあ、みなさん食べましょう。おかわりもすぐに用意できますから、遠慮せず食べてくださいね」
あまりお待たせしても申し訳ないから、ひとまず二品だけ。
みなさんの食べっぷりもみながら、追加で何品か作る準備はしてある。
「こ、こんなご馳走をいただいて、いいのか?」
「いいもなにも、せっかくレンチンしたんです。食べていただかないと、廃棄することになってしまいます」
「勿体ないんだから、食べればいいのよ。いっただきま~す。ん~、てりやきソースが美味しいぃ。ほんっとデューが思いつく創作料理って、なんでも美味しいわねぇ」
「えへへ、ありがとうございますルキアナさん」
創作じゃないんですけどね。
「冒険者のみなさん、足りますか? ハンバーガーをレンチンしましょうか?」
「お、いいのかい坊ちゃん」
「だったら俺はダブルで頼むぜ」
「つ、月見……いいですか?」
「もちろんです」
卵を――という前に、テーブルには卵がいくつか置かれていた。
あ、相変わらず早いなぁ。
それにパンの材料もある。
まずはバンズをレンチンして、それから他の材料とバンズをレンジに入れてチン。
バンズだけ先にレンチンしたほうが、ソースがしみ込み過ぎなくていいっていうのを最近知ったんだよね。
「まずはダブルバーガー。次――月見どうぞ」
「うおぉ、ありがてぇ」
「ありがとうございます、ご領主様。んふふ、もう月見の虜です」
異世界でハンバーガー屋さんをオープンしたら、ぼろ儲けするんじゃないだろうか。
それを見ていた獣人族の子供たちも興味津々で、ハンバーガーを見ていた。
「食うか、嬢ちゃん?」
筋骨隆々の冒険者にそう言われ、小さな女の子がお父さんの腕に顔を埋める。
怖い……というより、恥ずかしいみたいだ。
「小さいハンバーガーを作りましょうか? このサイズはさすがに入らないかもしれないですし」
「い、いいのか? じ、じゃあ、子供だけ」
「遠慮なさらないでください。作るのは簡単ですので」
普通のハンバーガー、それからチーズバーガー、小さいサイズの月見は無理なので、ここはエッグバーガーに変えてたくさんレンチン。
「さ、どうぞ。食べたいものを取ってくださいね。エルフさんも遠慮しないでください」
「ありがとうございます。ですが私たちエルフは、他の種族に比べて元々小食ですから」
「そうですか」
確かに大食いのイメージはないもんなぁ。
するとルキアナさんが僕の肘を突いて「エルフは野菜や果物を好むのじゃ」だって。
そっか。じゃ、新鮮なサラダと果物を使ったゼリーを用意しよう。
ハンスさんに「サラダとゼリーを用意したいのですが」と伝えると、数秒後には材料がテーブルに。
いつもありがとうございます。そうだ、チェリーチェさんの分もレンチンしておこう。
サラダとゼリーをレンチンしたあと、三種のバーガーをレンチン。
そのバーガーとシチュー、チキンステーキとサラダとゼリーを二人分よけて――
「ハンスさん。こちらはチェリーチェさんと召し上がってください」
「デュカルト様……ありがとうございます」
「いえ、いつもお二人にはお世話になっていますから。冷めないうちにどうぞ」
「畏まりました。それでは頂かせていただきます」
ハンスさんは料理をカートに乗せ、隣の控室へと向かった。
そこでチェリーチェさんと食事をしているらしい。
いつかハンスさんたちとも食事ができるようになるといいなぁ。
気づけばレンチンしたハンバーガーは完売。
追加が必要かなと思ったけど、満腹になったせいか、子供たちは既に目がしょぼしょぼ。
冒険者さんたちも食事を終え、七輪を抱えて宿へと向かった。
「それでは、ゆっくり休んでください」
「何から何まで、感謝する」
「いえ、気になさらないでください。それでは、おやすみなさい」
「むにゃ、あやちゅみお兄ちゃん」
ふふ、かわいいなぁ。
いい夢が見れるといいんだけど。
静かに部屋の扉を閉める時、さっきの女の子の声が聞こえた。
「おかぁしゃん」
――と。
子供たちを助けに来たのはお父さんばかりだ。
お母さんはどうしたんだろう。
明日、それとなくお父さん方に聞くことにしよう。