深夜にもかかわらず露店通りは人で溢れ返っていました。「男衆雨乞い踊り」の興奮冷めやらぬ様子です。
 私は雑踏の外れに設けられた休憩スペースのベンチに座り、これからどうしたものかと考えていました。ほろ苦い青春の思い出を払拭する機会だと、真城さんはおっしゃっていました。それは確かにその通りなのかもしれません。しかしそもそも始まってもいないものに、どう決着をつければいいのかわかりかねます。かつて高校の食堂で毎日のようにあなたが料理を堪能する場面を堪能していました、なんていきなり告白されたところで、彼の方も困るでしょう。満天の星をぼんやりと仰ぎながら、しばらくそんな思考に耽っていました。
 それから何気なく顔を下ろしたところで、私は目を瞠りました。
 いつの間にか正面のベンチに、「食堂の彼」が座っていたのです。今はもう下帯姿ではなく涼しげな甚平を纏っており、肩の荷が下りたように悠然と背もたれに身を預けています。彼は私の視線に気づいていません。こうして間近に見ると、あの頃の面影をより鮮明に感じました。
 これは神様のお膳立てかもしれない──この状況を私はそう解釈し、天啓に打たれた思いで腰を上げようとしました。行動する前にあれこれ考えるのは、リスクヘッジを重んじる職場の業務だけでさしあたりは十分です。
 ただ結論から申し上げますと、私と彼の距離がそれ以上縮まることはありませんでした。
「ごめんお待たせ」
 私が立ち上がる前に、一人の女性がそう言って彼のもとに近づきました。茶色の髪を浴衣の肩口で揺らしながら、露店で買ってきたと思しき食べ物を両手両腕いっぱいに携えています。
「悪いね、一人で行かせちゃって」すっかり体に馴染んだ習慣のように、彼は少し腰を浮かせて横にずれました。「もうへとへとで足が動かなくてさ」
 やはり彼女も当たり前のように彼の隣に座り、「踊り、本当にすごく良かったもん。お疲れ様。色々買ってきたよ」
「やった。僕もうお腹ぺこぺこ」
 彼は焼きそばのパックを受け取ると、実に食欲をそそられる食べっぷりを披露し始めます。しかし私の目はそんな彼よりも、隣の女性の方に引き寄せられていました。なぜなら、彼女のことを知っていたからです。知り合いではありません。これもまた彼の時と同様に、こちらの一方的な再見です。
 彼女こそ、高校時代に彼と交際していたお相手だったのです。一緒に下校しているところを何度か目撃したことがあります。つまりお二人はあの頃からずっと、互いを最も大切な異性として想い合ってきた──あるいはどこかで破局の危機に陥ったこともあるのかもしれませんが、現在はごらんの通りです──ということなのでしょう。
 そう思うとなぜか、私は無性に幸せな気持ちになりました。胸にわだかまっていた澱がすうっと夜気に溶け出るような感覚が、全身を身軽にしていきます。
 私はベンチから立ち上がり、仲睦まじいお二人の横を通り過ぎて露店通りの方へ足を進めました。これでいいのです。言葉にするのも無粋な話ですが、あえて言うならそう、私は運命に負けたのです。これ以上の誇り高き敗北は他にないでしょうとも。
 自然と口角が上がり、私は空を見上げました。
 ああ、天晴です。