地味系シンデレラをプロデュース~美形魔法使いと王道ハッピーエンドをめざします

 爽やかな鳥の声が聞こえる昼下がり、私は渾身の力を込めて、義妹のコルセットを締め上げていた。

「うぐぐぐ、もっときつく! もっと! もっとよ!」

 イエローのドレスに身を包み、鏡の前で金切り声をあげているのは私の義姉、メアリーだ。
 しゃくれ気味の顎がトレードマークの彼女は、20年ぶりに開かれる皇帝舞踏会に参加するためボディメイクに余念がない。

(すごい根性ね……私とは大違い)

 洋服なんて楽で動きやすいのがベスト。メイド服が一番のお気に入りというナチュラリストな私はメアリーのリクエストに応えながらも、つい、本音をくちばしってしまう。

「ねえ、もうこれでストップすべきじゃない? 内臓が外にはみ出しちゃいそうよ」

 義姉の体調を案じての助言だったが、メアリーはたちまち信じられない、というような表情を浮かべた。

「贅肉がベルトからはみ出てるですって?」
「そうそう、ぜい肉が……ん?」
「ひどいっ! ひどいわ! エラ!」

 メアリーは憎々し気な目で私を睨み、コルセットを引き剥がして私に投げた。
 さっと避け弁解する私。

「あのね、メアリー、聞き間違いよ。いつもの空耳シリーズだわ」
「んまああああああっ! ぜい肉はみ出し気味な嘘つき女ですって?! あんまりだわ。ぎゃーっ」

 メアリーは駄々っ子のように地団駄を踏み始めた。
 こうなったメアリーは手が付けられない。いわば最終形態のようなものである。

「どうしたの。私の可愛い三日月ちゃん」

 メイク中だった義母のサマンサが振り向き、独特なあだ名でメアリーを呼んだ。
 多分顎からきているネーミングだと思うが耳にするたび「それってどうなのよ」と感じてしまう。

「エラが言ったの! 『あなたなんか王子のパートナーに選ばれるわけない』って!」
「え……」

 私はメアリーのセリフに凍りついた。

(そんなこと言ってない……わよね?)

 うん。多分、大丈夫だと思う。
 メアリーならではの空耳だ。
 だけど……。

 一瞬ビクッとしてしまったのは、半分図星だったから。

 自慢ではないが私は超前向きだ。その前向きさは自分にだけでなく他人にも発揮される。
 だから、本当はメアリーにも『未来なんて誰にもわからないわよ』と言ってあげたい。
 でも、言えない。口が裂けても。
 あまりにも白々しくて。

 継母はふっ、と微笑みながらメアリーを宥めた。

「許してあげなさい。エラはきっとあなたの美貌に嫉妬してるのよ」
「嫉妬?」

 メアリーの涙がピタリと止まる。

「ええ。王宮舞踏会に招待されるのは見目麗しく心優しい淑女だけ。その証拠にエラには招待状が来ていないでしょう。あまりにも貧相で性悪だから、リストから外されたのよ。この女は論外、って」
「へえええ。メアリーは呼ばれたのにエラは呼ばれてないんだ。へえええ」

 メアリーはにたあ、と意地悪そのものな笑みを浮かべる。

「エラって……かーわいそ」
「こんな性悪娘に同情してあげるなんて……私の三日月ちゃんはなんて優しいの」

 継母はうっとりと目を細めた。
 メアリーは私の顔を覗き込んでくる。

「ねえねえ、今、どんな気持ち? 1人でお留守番、どんな気持ち?」
(ううう、これ、絶対に喜んでるよね……)

 人の不幸は蜜の味。
 そんな格言が自然と浮かんできてしまうような笑顔である。
 私は心の中でため息をついた。

(申し訳ないなあと思ってるわよ……! ずっとね!)

 メアリーも義母も、王子のお妃になる日をこんなに楽しみにしているのだ。
 ウエストをぎゅうぎゅうにしぼって、苦しいのも多分我慢して。
 そこまでがんばっているのに、報われないと知ったら。
 ショックははかり知れないと思う。

 メアリーは王子のお妃さまにはならない。
 隠そうとしていたんだけど、顔色に出てしまっていたなら申し訳ない。
 結果を知っているなんてフェアじゃないよね。
 でも、仕方ないの。

 なぜならここは童話「シンデレラ」の世界。

 そして私=エラ=シンデレラなのだ。

 そう。
 私は誰もが知っている恋物語のヒロインで。
 今夜王子に見初められるのは、この私なのだった。

 ◇

 今から8年前。
 私は、中世ヨーロッパに似た、この物語世界にやってきた。
 それまでの私は日本の地方都市に住む女子高生。
 どこにでもいる平凡な、小説を読んだり書いたりするのが大好きな典型的文学……いいや、オタク少女だった。
 そんな私はある日の夕方、トラックにはねられて……多分、そのまま死んでしまい、気がつけば10才の女の子、エラになっていた。
 父親は亡くなり義理の母娘に牛耳られた屋敷で、エラは朝から晩までこきつかわれていた。

(って、設定がそのまんま「シンデレラ」じゃない! そういえばエラってシンデレラの本名だよね)

 最初はかなり動揺した。
 地味で目立たないオタクの私が、王道恋愛物のヒロインに抜擢(?)されたなんて信じられない!
 それに、物語の筋を知っているだけに、王子と出会うまでの苦境を乗り越えられるのか不安にもなる。
 でも、私がこの世界に来たのには何か理由があるはずだ。

(そう言えば、トラックにはねられ空中を舞う数秒間の間に、『恋がしたかった』なんて思ったっけ)

 ずっと図書館にこもりきりだった私は、青春らしい青春を過ごしていない。
 そんな暇があれば物語の世界に埋没していたかったからだ。

(ど、ど、どうしよう。なんてもったいないことを!)

 事切れる前の強い思念が神様に届き、シンデレラワールドという、ヒロインの恋を中心に繰り広げられる舞台が私に用意されたのかも。
 ありがたいような、残念なような。

(そんなことなら、ドラゴンスレイヤーになりたかった……)

 でも、さすがに贅沢よね。
 当時はただの後悔でしかなかったのだもの。

 納得してからの私は迷わなかった。
 異世界ものの小説は大好きだったから、大まかな流れは頭の中に入っている。
 まず、未来に向けて計画を立てた。
 その結果、『18までは準備期間。舞踏会からが本番!』という指針ができあがった。
 セミって、地中で何年も過ごすんだっけ。私もそれをまねることにする。
 本番がくるまで、予定調和に合わせること以外しない。息切れしないよう、ペースを保ちつつクライマックスに全力を注ぐのだ。
 正直なところ、地味で目立たない普通すぎるほど普通な私にシンデレラだなんて大役、荷が重すぎる。
 でも、それでも。
 運命がその責務を私に課したのだとすれば。

 私は全力を尽くす!

 そしてあっという間に8年間が過ぎ、物語のメインイベント、舞踏会の日を迎えたのだ。
 着飾った母娘を見送った後、台所で夕ごはんの下ごしらえをしていたら、メイドのイングリードがだん、と両拳で作業台を叩いた。
 私はびくっと肩をすくめる。

「どうしてあのバカ母娘が舞踏会に行き、エラ様がここで私たちと豆の皮を剥いているのですか。私は不思議でなりません」

 メイドのバーサも同意する。

「馬車に雷でも落ちてくれればねえ」
「無理でしょう。憎まれっ子世に憚るとはよく言ったものですよ」

 二人は物心ついた頃から私の味方だ。
 気分の浮き沈みが激しい義母たちから理不尽な仕打ちを受けても受け流せていたのは、苦境は期間限定だという救いがあったのと、彼女たちの存在が大きい。
 しかしそんな二人にさえ、この先の展開を言えない罪悪感で私の胸はちくりと痛む。

「まあまあ、仕方ないのよ。招待状が来なかったんだから」
「これの事ですか?」

 イングリードがくしゃくしゃに丸められた紙を台の上に置いた。

「えっ? 来てたの?」
「ゴミ箱から回収しました。サマンサ様が捨てたのです。まさか気が付いてなかったんですか? お茶会に貴族が開く小さな舞踏会など、殿方との出会いが望めるイベントはことごとく握りつぶされてきたことを」
「そうだったのね……」

 私は両目を丸くした。
 鈍感にもほどがある。
 理不尽に耐えることと、舞踏会を無事迎えること、その二つに全振りしていたから、それ以外の社交イベントに全然目が向かなかった。

「まあ、別にいいわ。過ぎたことだし」

 私の発言に、二人はますます渋い表情になった。

「随分余裕があるんですね。エラ様。もっと真剣にご自分の人生を考えてみてはどうですか?」
「え? 考えてるわよ?」
「そうは見えません」

 イングリードは怖い目になった。

「この年になるまで、ろくに男性と話したこともないでしょう? お化粧もおしゃれにも興味なし。サマンサ様たちの理不尽にも受け流すまま。一体エラ様は何を楽しみに生きてるんですか?」

 うううう。イングリードはお説教モードだ。
 面倒くさいことになってしまった。

「楽しいことなんていっぱいあるわよ」
「何がです?」
「そんな、気の毒な人を見るような目で見ないで!」

 私は言った。

「例えば、今、みんなとこうやって夕食の支度をしてるだけでも、私結構楽しいんだけど」

 ぽっと頬が赤らむのが自分でもわかる。
 現世の私はオタクが行き過ぎていて、他人とのコミュニケーションを怠っていた。
 だから、イングリードたちとの会話は新鮮で楽しかった。

(でも、直接本人たちに伝えるのって照れくさいのよね……)

 そう言いながらも少しは喜んでくれるかと思いきや、

「はああああああ」

 イングリードは喜ぶどころか呆れ顔になった。
 バーサもやれやれ、と言いたげに肩をすくめている。

「私たちと豆剥いて何が楽しいんですか。エラ様の気が知れません」
「えっ? イングリードは楽しくないの?」
「全然」

 きっぱりと言われて私はそこそこのショックを受けていた。

「私が働くのはお金の為です。でないといきていけませんのでね」
「お願い……少しはオブラートに包んでよ!」
「それに、そのうち私は嫁にいきますよ。そうしたらここにはいられません」

 イングリードの指先が、ピシリと私に向けられる。

「私はもっとエラ様に運命に抗ってほしいのです。このままでは奴隷として孤独死する未来が待っていますよ!」

 孤独死……。
 それは嫌だ……。
 でも……。

「大げさねえ。イングリードったら」

 私は余裕たっぷりにその予言を退けた。
 未来を知る私には、それに怯える必要は一切なかった。

「これでも控え目な未来予想図ですよ。もっともっと悲惨かも」

 あまりにもしつこいイングリードに、私は口を尖らせる。

「運命にに抗えば物語が破綻するじゃない……」
「ん? どういうことです?」
「いや、なんでもない。あのね、イングリード」

 予言者イングリードに私は言った。

「大丈夫。私はきっと幸せになるから。今は言えないけれどそういう運命なのよ。それはそれは腰が抜けるほどのハッピーよ。きっとあと数日したら私の言ってることがわかるわ。だから今は黙って見守って」

 本当は、私の味方たちに真実を告げたい。
 私の本番はすぐそこに来ているのだという真実を。確かに受け身に見えていたかもしれないけれどそれは本番に合わせてスタンバイしていただけの話。
 心配しなくても私は王子の妃になる。魔法使いの手によって、プリンセスにしてもらえるのだ。
 私はぐっと唇を噛みしめる。

「いっけない。部屋に戻ってなくちゃ」

 私は立ち上がると、イングリードたちにこう言い含めた。

「朝が来るまで部屋に来ちゃだめよ」

 ◇

「ううううう、しくしく。私だけ舞踏会に行けないなんて……」

 私はベッドに突っ伏して泣きまねをしていた。
 物語の展開的に必要なムーブである。

(置き去りにされて泣いていなきゃ、魔法使いのおばあさんが、助けてくれないからね)

 私は頑張った。
 熱演だった。
 アカデミー賞を受賞しそうなほどの勢いだった。

 とはいえ、いつまでやってても、誰も来ない。

「疲れちゃったな」

 そう独りごちて目を閉じる。

 もうすぐこの世界での本番が幕をあける。
 最高のハッピーエンドを迎えたら、その先はどうなるのだろう。
 物語は終わって、私は元の世界に戻れる?
 それとも……。

 ううん。
 それは考えても仕方がない。
 とにかく大舞台を成功させなきゃ。
 私はそう心に誓った。

 ◇

 薄暗い部屋の中、ゆるゆると眠りからさめていく。そして感じた、唇に触れる温かい感触。
 頬に当てられた掌が、優しくて……気持ちがいい。
「んんん」
 声が甘くなっていく。なんだ、まだ夢なの?
 私は思わず両手を突き出し、そこにあるものへと絡ませた。
 と、唐突にぬくもりが離れていき
「あ、生きてた」
 澄んだ声が鼓膜に響く。
 一気に意識が覚醒した。こんな声、知らない。
 ここは物語の世界。予定調和な人物以外、登場してくるわけがないんですけど!?
「うわわああああああ」
 私は転がるようにベッドから降りた。
 部屋の隅っこにたち、ベッドの上の不審者を睨む。女性だった。長い金髪で黒いドレスを着ている。
「あなた、今、私に、き、き、き……」
 唇に触れる。濡れた感触が指先に伝わってきた。絶対私、キスされたよね? だとしたらファーストキスを見ず知らずの女性に奪われた、ってことなんですけど!
「人工呼吸だ。死んでるのかと思ったから」
 女性は信じがたい言い訳をしながら素早くベッドから降りてきた。ハイヒールをはいたままらしく2メートルはあろうかと思える長身。高い位置にある小さな顔は例えようもないほど美しい。私を見下ろしてにっこりと笑う。バラの花が一斉に開いたような華やかな笑顔。不審者なのに、ダメだ。つい見とれてしまう。それくらい彼女の美貌は際立っていた。
「誰……?」
 震える声で私は尋ねる。
 美女はすくっと背中を伸ばし、挨拶をした。
「俺の名前はアッシュ」
「アッシュ……?」
「お、呼び捨ていいね!」

 アッシュと名乗った美女は嬉しそうに言った。

「別に……っこれは……ただオウム返ししただけで……っていうか何者?」

 私の警戒心はマックスになる。
 今夜はとても大切な日だ。
 なのになぜこう、予定外なことが起きるかな。

「俺? ああ、魔法使いだ」

 アッシュは凛とした声でそう言った。

「……魔法使い? 誰が?」
「俺が」

 彼女が微笑むたびに白い歯がきらりと光る。

 え?

「えええええっ!」

 私は驚きの声をあげた。

 シンデレラにおける魔法使いとは王子に次ぐ主要人物だ。
 彼女の協力がなければ、私はそもそも舞踏会という舞台にすら立てない。
 ずっと彼女を待ち望んでいた。
 でも……。
 原作では高年齢女性のはずだった。
 しかし目の前にいるこの人は。

「こんな綺麗な人だったなんて……」

 アッシュはオタク女子高生だった頃、書いたり読んだりしていたファンタジー小説ヒロインのビジュアルイメージそのものだった。
 女性なのに「俺」呼びだし、いきなりキスはしてくるし、まごうことなき変人である。
 だけどそれを忘れてしまうほど、彼女の美貌に圧倒される。
 毎日同じメンツと似たようなルーティンを繰り返していた私は、イレギュラーな出来事にとことん耐性がないらしい。

「あはは。ありがとう。でも、俺は君の目的を叶えるモブキャラだ。君の幸せのために全力を尽くすよ」

 私はハッとした。

「ちょっと待って。今、モブキャラ、って言った?」
「ああ。言ったよ」
「えっと、じゃあ、もしかして……」
「ここはシンデレラの世界で、君がヒロインだ。俺たちは物語の世界を生きている。最初からその前提で話してるだろ」
「えええええ! これ、墓場まで持っていくはずの秘密じゃなかったの……!?」

「おいおい、気づくの遅すぎだろ」

 アッシュは心底呆れたような顔をした。

「あなたがキスなんかするから……それどころじゃなくて……!」
「人工呼吸だって。まあ、知ってるのは俺だけだよ。つまり君と俺とはこの世界の本質を知っている、運命の双子みたいな関係、ってわけ」

 そしてアッシュはクスリと笑った。

「そう言えば君さ、ここ数日、ずっとこの日のシミュレーションしてただろ。あの小芝居、目の前で見れなかったのは残念だな。爆笑できたのに」
「小芝居……?」
「泣き真似の練習だよ。『私も舞踏会に行きたいのにぃぃぃ』ってやつ。しかしなー君、稀に見る大根なんだわ。セリフが全部棒読みだろ。あれじゃあ、俺を騙すのは無理だわ」
「嘘! アカデミー賞ものじゃなかった? 私、眠っていた才能を掘り起こしてしまったかと思ったのに」
「逆にすごいな。その自惚れ」
「って言うか、なんで知ってるの? そんな事!」
「そりゃ、水晶玉で見てたからだよ。暇だったから四六時中」

 アッシュは、にやっと笑いながら言った。

「君のことなら何でも知ってるぜ。自作鼻歌が得意だとか。1人になると大抵謎の踊りを踊ってるとか。全部笑えるほど下手だけど」
「もしかしてあなたってストーカー?!?!」

 私はざざっと後ずさる。

「バーカ。俺は君の目的を達成させるために存在してるんだぞ。君を知るための情報収集だよ」
「いやいやいやいや、情報収集なんて必要あるの?! 全ては運命で決まってるのに」
「は?」

 アッシュの表情が一気に変わった。

「君は運命が決まっていたら本気にならないのか? 流されるままでいいのか? それでも物語のヒロインか?」

 どうしよう。
 イングリードたちだけじゃなく、お説教好きがまたここにも……。
 適切なアドバイスだったら聞く気になるけど、私だって考えてるから、なんだかげっそりしてしまうのよね……。
 ここはボソボソと反論しておく。

「本気も本気、めちゃくちゃ本気よ。シンデレラって大人しくて健気で優しい心の美しい女の子が人格をひたすら磨いていたら、ご褒美のように幸せになれる話じゃない。私、家事ならなんでもできるようになったわ。畑仕事だって。家具だって作れるし瞑想もしたしお祈りもしたし羊の世話もしたし牛の世話もしたし、犬猫の世話もしたし筋トレもしたし腹筋は毎日100回したし継母姉たちの意地悪にも耐えてひたすら徳を積んできたの。どう? これ以上ない完璧なヒロインだと思わない?」

 えっへん、と胸をはったけど、アッシュはますます難しい顔になってしまった。

「あー、偉い偉い。君の努力は認めるよ。ずっと見てたからな。水晶玉で」

 ストーカー魔法使いは開き直ったように言うとこう続けた。

「けどそれってさあ、王子も見てたと思う?」
「え? 何を言ってるの? 見てるわけないでしょ。まだ会ったこともないのに」

 そもそもアッシュだって水晶玉がなければ知らないはずの情報だ。

「じゃあ、どうやって君のその善行を知るんだよ」
「えっ。えっ、そんなの自然に伝わるんじゃない? だって私はシンデレラなんだし」
「んなわけねーだろ」

 アッシュは少し声を荒らげた※。

「あのな、心の中なんて、一番見えにくいものなんだよ……それにな、善人だから好かれるわけでもない。君さー、初めて会った人に毎日畑を耕してます! とかドヤ顔で言われて好きになる?」
「ええ……最高だと思うんだけど。だって畑よ? 太陽の下、汗をかくのよ? 好感度アップの可能性しかなくない??」
「マジか……」

 アッシュは頭を抱えている。どうやら会話が噛みあっていないみたい。


 どうしよう。
 目の前で魔法使いのモチベーションがぐんぐん下がっていくのがわかる。

「アッシュ、お願い。見捨てないで」
「ああ……そんなつもりはない。俺は君の目的を叶えるためのサポートキャラだから」

 アッシュは義務感だけで踏ん張ってくれているようだった。
 それでもほっとする。ここで見捨てられたら、そもそも方向音痴の私は王宮にたどり着けない。

「とりあえず君の武器はなんだ? アピールポイントを言って見ろ」

 アッシュは即席のコンサルタントになったようだった。

「えっと……その……無害なところ……?」
「論外だ。ったく、こんなノープランで、どうやって王子を惚れさすつもりなんだ」
「それは……目と目があえばビビビッと……」
「甘すぎる。原作のシンデレラは絶世の美女だぞ? 君が同じことをして同じ成果があげられると思う?」
「原作と私のスペック差!」

 初めて、アッシュの苦言が脳に突き刺さった。

「確かに……!」

 私は己の肩を両手で抱いた。
 確かに、シンデレラが黒髪黒目のままだったり、おばあさんのはずの魔法使いが美女だったり、お屋敷にメイドたちがいたり、原本とかなりのズレがある。

 つまり、王子が私を好きになるかどうかも、わからないのだ。
 なんてことだろう。
 当然あると思っていたヒロインへの優遇措置が、もしかしたら、ない可能性があるなんて。

「どうしよう。急に不安になってきたわ!」

 そしてアッシュに尋ねる。

「教えて。今まで本当はどうすれば良かったのか。そうしたら出来る範囲で立て直すから」

 私のヒロインスイッチがかちりと入った。
 なんだかんだ言っても私は前向きな人間だもの。

「メイクやファッションを頑張ること、だな。それからちょっとしたパーティーに参加して男に慣れることだ」
「わああああ、さっきイングリードに同じことを言われたばかりじゃない!」

 あの時は、またまた、事情を知らないイングリードは、悲観的になるのも仕方ないわねえ、なんて、余裕綽々に流してしまったが、結局彼女の言うことが正しかった。
 何故なら、アッシュは私と同じでここが物語の世界だと知っている。
 その上で、イングリードと同じことを言うのだから、多数決で、私の負け。

「例えばな、俺のこのドレスを見てみろ。一年かけてデザインした」
「ええっ」
「俺にとっては、この日がそれほど大切だったからだ。君に好かれたかったからな」
「私に好かれたかった……?」
「そう。ファッションとは、相手への思いやりだ。そして相手を動かすものでもある」
「なるほど! 新しい視点だわ!」

 暑ければ脱ぎ、寒ければ重ね着する。
 体を締め付けられるのは大嫌い。動きやすいのがベスト。

 そんな私の認識は大間違いだったというわけだ。


 後悔。
 私の一番嫌いな言葉だ。
 なのにその言葉が私の頭を満たしかけていた。

 しかし。

「ん? でもちょっと待って」

 ざわついていた心が落ち着いてきた。

「アッシュ。あなた魔法使いよね?」
「そうだ」
「私をプリンセスに変身させてくれるのよね」
「その通り」
「なーんだ。じゃあ、簡単じゃない。私を魔法でちゃっちゃと金髪ロングの美人シンデレラにしてくれたらいいのよ……って、アッシュ、どうしたの?」

 眉根を寄せ、いかにも怒った表情へと変わっていく彼を見て、私はうろたえる。

「君は魔法は何だと思ってる!」
「え? できないの? ごめん。デリカシーがなかったわね……」
「変身魔法なんて簡単だよ! 特にテンプレな美女なんてお手の物さ」
「だったら、何を怒ってるの?」
「自分の素材を生かさず勝負してたとえ勝っても、それが嬉しいか? 嫌だろう? そんなハッピーエンド!」
「え、いや、私は別にそれでも全然問題ないんだけど」
「だめだめ! 君は黒髪黒目、寸胴体型のそのまんまで舞踏会へ行く。それは俺のこだわりだ!」
「やめてよう。無駄な職人気質……」

 と、そこに

「エラ様! アッシュ様の言う通りです!」

 ばん、と大きな音と共にドアがあき、入ってきたのはイングリードだった。

「わあああああっ! 部屋に来ちゃダメって言ってたのに!」
「話は全部聞きました。ここは物語の世界でエラ様はヒロインのシンデレラ。魔法の力でハッピーエンドを迎えること」

 ちょっと待って。
 ひた隠していた真実まで知られてしまったじゃないの。
 最悪すぎる。

「だから三日月コンビに何を言われても平気だったんですね。納得です。いいじゃないですか。素材勝負。エラ様は素のままで魅力があります。私もお手伝いさせていただきます!」

 ぱちぱちと私は両目を瞬かせた。

「協力……してくれるの?」
「当然です」
「ずっと、秘密を黙っていたのに?」
「ええ」
「それに私、あなたの言うことを無視してメイクもオシャレもサボってたのよ……」
「大切なのは過去じゃなくて今です。その気になった時から頑張ればいいのですよ」

 イングリードの言葉は胸にしみた。

「そうよね。大切なのは過去じゃなくて今よ」

 愚かな私は、善行をつみ大人しくさえしていれば、順当にハッピーエンドを迎えられると信じていた。
 でも、本番前に、それが甘いと知れたのはいいことだ。

「運命は待つものじゃなく、自ら掴むもの……今こそ私は地中から這い出すわ。大切なのはこれから。思い立ったが吉日。軌道修正よ!」

 私はアッシュをしっかりと見つめた。

「というわけで、私を金髪碧眼の美少女に……!」
「だからそれはないって言ってるだろ」

 あえなく却下されてしまった。
 ポン、と小気味のいい音を立てて白い煙が体を包み込む。
 次の瞬間、私は青いドレス姿になっていた。

「うん。清楚でかわいらしいな。エラにとても似合っている」

 アッシュは満足そうに頷いている。

「うーん。さっきのピンクも捨てがたいですね」

 イングリードが私を舐めまわすように見ながら言う。

「確かにあれも良かったよなー」

 ぽん、と音がして、ドレスが今度はピンクに変わった。

「黄色が案外似合うのでは?」
「あ、確かに」

 ぽん。

 イングリードの目が輝く。

「ああっ! いいですねえ。明るい野の花って感じで。エラ様は少々お顔が地味ですし、これくらいの方がよさそうです」
「うーん、もう一回青、行ってみるか。あっちはエラの魅力がそのまんま出るからな」
「確かに。もう一度見てみましょうか」
「それにしても……俺ってやっぱセンスの塊だな!」

 アッシュは満足そうに呟いた。
 もう、こう言うのを何十回となく繰り返されている。
 そして私は……。

(どうしよう。違いがさっぱりわからない!!!)

 さっきから背中に脂汗が流れている。
 全部素敵で全部可愛い。
 つまり、どれも同じに見えている。

(付け焼き刃のセンスなんて無理だわ。どうしよう。二人の会話が外国語みたいに聞こえるんですけど! と言うか子守歌?)

 くううう。

「エラ様、寝ちゃだめですっ!」

 激しい叱責に私は両目をぱちりと開けた。

「ご、ご、ごめんなさい!」
「エラ、君な、やる気あんのか?」

 アッシュの眉間には青筋が立っている。

「ありますありますっ! だけど、どれも(同じくらい)素敵に見えて……」

 私はしょんぼりと肩を落とす。

「ごめんね。二人とも。なんだか冴えないヒロインで。アッシュと私が交代できたらいいのに……」

 イングリードまでが、同意する。

「確かにアッシュ様のファッションショーは見ごたえがありそうですねえ。でもエラ様も十分お可愛いですよ」
「ありがとう……気を使ってくれて……」

 そう。
 一生懸命な二人のためにも、頑張らなきゃ。

「そういえばアッシュ様はなぜ女装をしているんです? エラ様には素のままで行くべきとおっしゃるのに」

 イングリードがアッシュに尋ねている。

「モブキャラとしての矜持だよ。素で行くと王子を食っちゃうからな。俺ってほら、モブの癖にビジュアル良すぎだから」
「でも逆にエラ様を食ってしまうのでは?」
「男は2メートル超えの女には興味を持たない」
「確かに。考えてますねえ。さすがアッシュ様」

 二人はまた意味不明な会話で納得しあっている。
 私は首をかしげた。

「じょそう……? ここに来る前に除草してきたの? それなのに、全然疲れが顔に出てないわね。お疲れ様」
「君は何を言ってるんだ?」

 労いは伝わらなかったらしい。
 私は口をつぐんでおくと決めた。

「やっぱり黄色がベストですね」
「だな。決まり」



 やっとドレスが決定した。
 そして次の瞬間、アクセサリーやヘアスタイルも一気に変わる。
 
「仕上げだ」

 アッシュが杖を一振りすると、透明なハイヒールが現れた。

「ガラスの靴だよ」

 これが噂の……。
 流石に私でも見惚れてしまう。
 キラキラしていて繊細で……とっても綺麗……。

 と、アッシュが私を軽々と横抱きにした。

「ちょ、な……」

 突然の事に目を白黒させてしまう私を椅子に座らせると、アッシュは足元に跪く。
 足首をそっと握られドキっとした。
 ガラスの靴が足先に触れる。
 そして私の足にフィットした。

「ぴったりだな」

 そう言われてふつふつと湧き上がるものがある。

「ありがとう! 二人とも……私、頑張る。立派なシンデレラになって、ハッピーエンドを目指すわ」

 私は拳を握りしめ勢いこんで立ち上がる。
 しかし慣れないハイヒールにバランスを崩し、よろめいてしまう。

「おっと」

 アッシュの胸が私を受け止めた。
 彼女の筋肉のついた胸板にドキッとする。そして……。

(ん……何か違和感が……)

 私は彼女の胸元にさらに頬を押し付けようとした。
 が、すぐに肩を両手で挟まれ遠ざけられる。
 そして手を取られ、再び鏡の前に立たされた。
 鏡の中にいたのは、黄色いドレスに身を包んだ、どこから見てもプリンセス然とした淑女だった。

「これが私……!」

 私は鏡にかぶりつきになった。

「これが君の舞台衣装だ。君の鎧にもなってくれる。絶対に勝てよ。この勝負」

 アッシュが言う。

 そうか。待ちに待った本番に、今から私は立つんだ。
 このドレスとガラスの靴で。
 この時を私はずっと待っていた。

 みーんみんみん

 武者震いとともにセミの鳴き声が、頭の中を駆け巡った。
 夕陽が落ちかけた森の中を、かぼちゃの馬車は、軽快に王室へと向かっていた。
 私の隣にはアッシュがいる。
 青ざめた顔で。

「……死にそう……」
「アッシュ、しっかり」

 私は彼女の背中を撫でながら励ました。

 今から時を遡ること30分前。
 何か高速移動手段が使えないのか、と言う私に、アッシュは首を激しく横に振った。

「ふざけんなよ。カボチャの馬車は必須アイテムだろ! シンデレラというヒロインの素朴な魅力がカボチャの馬車という素朴な乗り物で増幅されるんだよ!」

 うん。
 君ならそう言うよね。分かってた。でも。

「ガタゴト道を1時間なのよ? 私、すごく酔いやすいの……」
「それくらい耐えろ! 君は物語のヒロインだろ!」
「はーい……すみません……」

 そんなやり取りがあったのに……。

「乗り物に弱いのは私だけじゃなかったんだ……」
「うるせー」

 アッシュはぷいっと顔を背けた。

「どうしよう。酔い止めなんて持ってないし……魔法で何とかできないの? 妙な職人気質を発揮してる場合じゃないわよ」
 
 アッシュは気弱そうな声で言った。

「健康に関する魔法は、命に関わるから無理……」
「そっか……」
「魔法使いなんていざという時には役立たない……医者はすごいよな……あれこそがホンモノだろ……」
「アッシュがネガティブになっている……!」
「ああ、もう限界だ! 止まれ!」

 アッシュの命令に馬はキキーッと急ブレーキ。

「うぷ……」

 アッシュは馬車から飛び降りて道端で豪快にリバース。
 美人はそんなシーンまで絵になるんだ、と感心する私。
 とんとんと背中を叩きながら、マーライオン状態のアッシュを見守る。

「……少し休ませてくれ」

 気落ちした態度でアッシュは言った。

「うん。ごめんね。私のために無理させて」
「いや……謝るのは俺の方だ……けど、今は無理……長く喋ってたら言葉より別なものが出ちまう」

 アッシュが馬車の中に戻ると、私は馬に話しかけた。

「ずいぶん早足だったね。疲れてない? イングリード」

 馬は私に鼻面を近づけこう言った。

「大丈夫です。エラ様。案外楽しいものですよ。ヒヒーン」

 馬はイングリードの声で喋った。

(シュールだわ……)

 ◇ ◇ ◇

 またまた時を遡る。

 カボチャの馬車で移動すると決定した後、「はい、あの」とイングリードが挙手のポーズをとった。

「アッシュ様。私も連れていってください。エラ様の事が心配なのです。とんでもないポカをして、せっかくのチャンスをふいにするのではないか、きょどって動けなくなるのではないか、さっきから胃が痛くて」

 確かに彼女が一緒だと心強い。
 だが、引率者が必要なシンデレラって、それ、どうなんだろう。

「イングリードったら。心配性ね。こんなに素敵にしてもらえたのだもの。大成功をおさめて帰るから。安心して」
「……さっきまで半泣きだったくせに」
「ふふふ。今は失敗する気がしないわ!」
「すぐに調子に乗るから不安なのですよ。まあ、それだけではありません」

 イングリードは続けた。

「私もこの物語の主要人物になりたいんですよ……だって原作にメイドなんてどこにも登場してないじゃないですか。エラ様が王子とうまくいけば、私はどうなるんです? 最悪消えるのでは? そうなる前に手をうっておきたいのです」

 私はぽかん、と口を開けた。
 確かにハッピーエンドを迎えた後の自分たちがどうなるのか、私も知りたいとは思っていた。
 でも、どうせわからないから、とすぐに考えるのをやめ、何の対策も採らなかった。
 それなのにイングリードは早速生き延びる方法を探している。

(すごいなあ。私とは大違い)

 見習わなきゃ、なんて思っていたら、

「というわけで私を馬にしてください」

 爆弾が落とされ、私は思わずひっくり返りそうになった。

「何言ってるの? 冗談はやめて!」
「本気も本気。大真面目です」

 イングリードはアッシュに迫る。

「原作には魔法でハツカネズミを馬、ドブネズミを御者にしたと書かれてあったじゃないですか。人間の私なら両方やれます。コストカットできる上に、私の存在価値も上がります。どうでしょう? アッシュ様。お互いWin-Winじゃありませんか?」
「そうだな。さすがイングリード。ナイスアイデア」
「まさかの採用?!」

 というわけで、イングリードは馬になり私たちを舞踏会へと運んでくれているのだ。
 本当にこれでいいのだろうか……不安しかない。

「ごめんね……あ……そうだ。私としばらく交代する?」
「シンデレラが馬だなんて。論外です」
「……でもでも申し訳なさで死にそうよ」
「大丈夫です。エラ様。私、嫌なことはしませんから。結構楽しいですよ。案外スピード狂なのかも」
「……私を安心させるための強がりじゃないといいんだけど…………」

 とはいえ、もうこれ以上は何も言えない。

(アッシュ、元気になったかな)

 馬車に乗ろうとした時グルグルという唸り声がした。
 そして獣臭。

「あ……」

 振り向くと、10m ほど前をこちらに向かって歩いてくる巨大なヒグマが目に入った。
 口からダラダラと涎が滝のように流れている。
 鋭い眼光はひたと馬=イングリードに向けられていた。
 
(どうしよう。アッシュを呼んでくる? で、でも間に合わない!)

 大声を出すのも恐くて出来ず、私は震えながら、イングリードに寄り添った。
「ぐるるるる」

 邪魔者に怒ってか、ヒグマは激しく威嚇してくる。

「エラ様。逃げてください。私が奴をひきつけます」

 イングリードが小声で言った。

「む、む、無理よ。どうやって引き付けるって言うのよ」

 ここは離合もできない一本道。駆け抜けるにしてもヒグマとの一騎打ちは避けられない。

「どうにでもなりますよ。だから早く」

「そんなわけにはいかないわ!」

 がくがく震えながらも私は言い返す。

「私はモブどころか、いてもいなくてもいいオリジナルキャラ。ヒロインとは存在価値が全然違います」
「命の価値は同じでしょ!!!! むしろ、あなたは私に付き合ってる立場よ。ここで死んだら無駄死にじゃない!」

 ヒグマを刺激してはならないのに、つい声を荒らげてしまう。

「がおおおおおお!」

 ヒグマは雄叫びを上げながら直立した。

「うわっ、大きい」

 のしのしと歩いている時には多少可愛らしい印象もあったが、立つと化け物にしか見えない。
 鋭い眼光で睨まれて私は恐怖の叫び声をあげた。

「きゃあああああああ」

 その声に刺激されてか、ヒグマは私に向かってきた。
 やられる!

 と、思った時。

 アッシュがドレスの裾を翻しながら私とヒグマの間に身を滑らせてきた。

「二人とも動くな」
「アッシュ!」
「アッシュ様!!!!」

 私とイングリードは突然の救世主に色めきたつ。

「がおおおおお!」

 ヒグマは余計にいきりたってか、凄まじい形相で私たちに飛びかかってきた。
 アッシュを見ると……青ざめて唇を噛んでいる。

(まだ酔いが収まらないのね。あっ!)

 私はハッとした。

「だめよ、アッシュ! 殺傷系魔法は使えないんでしょ!」

 そうだった。さっき聞いていたのに。私ったら。
 こんな時に忘れるなんて。

「魔法? はっ。 必要ないね」

 思いのほか冷静な声でそう言うと、アッシュは持っていたハイヒールで思いっきりクマの頭を殴った。

「気分が悪いのに歩かせやがって。許さん」

 くぐもった声でそう言うと、素足で腹を蹴とばした。

「失せろ」
「ぎゃううううううううう」

 クマはあっけなく弧を描いて飛んでいく。
 どん、という大きな音と地面が軽く揺れたので森のどこかに落ちたんだと思う。
 可哀そうだけど……仕方ないよね。
 ヒグマの生命力は強いって言うし、生きていてくれるのを願うしかない。

「うおおおおおおおおおおおおお」

 次の瞬間、アッシュは再び道端に走り込み吐き始めた。
 マーライオンなアッシュ。
 私はその背中を再び摩る。

 吐き終わったアッシュは、見違えるように元気だった。

「サンキュ。これで完全復活!」

 アッシュはにっと笑った。
 さっきまでマーライオンだったのが嘘みたいにさわやかな表情である。

「ありがとう。アッシュ。凄いのね。魔法を使わずに倒しちゃうなんて」

 私は感謝と驚きを伝えた。

「大した事ねーよ。最高ではドラゴン倒したことあるし」
「えっ? そうなの?」
「なんせ暇だったからなー。この8年間。君を水晶玉からのぞき見する以外することないし。毎日鍛えまくってたら、いつの間にか腕力がついた」

 アッシュは細い腕を筋肉自慢みたいに折り曲げながらそんな事を言う。
 
「なんと頼りがいのある味方なんでしょう」

 イングリードが呟く。
 私も全く同感だった。
 しかし……

(8年間、って、もしかしてアッシュも転生者なの?)

 そんなことが気になってしまう。
 でも、聞けなかった。なんとなく触れてはいけない気がしたから。
 イングリードが頑張ったおかげで、あっという間に丘の上の王宮に到着した。

「とうとう来たわ! シンデレラ城!」

 私はぎゅっと目を閉じた。
 セミの幼虫みたく、土に潜ったような8年間。
 全てはこの時のためだった。

「エラ様。頑張ってください」
「大丈夫。今の君は最高に綺麗だ」

 セミのイメトレに励んでいた私に、イングリードとアッシュが声をかけてくる。

「うん。頑張る! 二人ともありがとう……! ところで……」

 私は傍らにいるイングリードを見た。

「イングリードも舞踏会に参加するのね」
「ええ。エラ様が心配ですし」
「……他にも理由があるわよね」
「ええ。馬だとまだ存在感が薄いでしょう。オリジナルキャラとしてレギュラー化を狙っています」
「凄いわね。その粘り強さ……っていうか、イングリードって超絶美女だったのね」

 私はマジマジと彼女を見た。
 スレンダーでボーイッシュな魅力のあるアッシュと比べて、イングリードはダークな大人の魅力だ。いつもはきっちりまとめている髪の毛が長く垂らされており、並ぶとイングリードの方が魔女っぽい。

(なんだか気後れ……ずっとオシャレをサボってたからなあ)

 ヒロイン補正を当てにして、ビジュアル方面を一切磨いてこなかった。
 でも……。

「美しい二人を見ると、もっと頑張っておけば良かったって思うわ……」

 しみじみと呟く。
 なんていうか、見た目もだけれど、立ち姿が素敵なのだ。
 アッシュはうんと背が高く、イングリードもスラリとしている。
 かっこいいとはこのことだ。
 はあああ。ずっと見ていたい。眼福眼福。

「何を言ってるんだ(んですか)」

 2人が同時に叫んだ。

「エラ様には畑を耕して培った強い筋肉があるでしょう。それに、付け焼き刃とはいえ、最高に似合うドレスと装い……きっと誰にも負けませんよ」
「その通り。俺の魔法とセンスを舐めんな。それから、君自身の素材もな」

 素材……それを言われると「しょぼい」としか言えなくなるが……。
 確かに当初望んでいたように、金髪碧眼で来て居たら、なんだか借り物の自分みたいで絶対に落ち着けなかっただろう。
 これできっと良かったのだ。

「どうしてそんなに優しいの? さっきはお説教モードだったのに」
「もう本番だ。今さら四の五の言っても仕方ない」
「その通りです」

 イングリードが言った。

「エラ様。あなたにはいい人です。でも、それは初見で伝わりにくいものなのですよ。でも、一度目に留まりさえすればこっちのもんです!」
「そ、そ、そうよね!」
 
 的外れな努力だったかもしれないけれど、自分なりに頑張ってきた。
 シンデレラとしての自信は0でも自覚はある。
 この物語をハッピーエンドに導きたい。
 それが、自分の意志でもあるし、協力してくれた二人に報いることだもの。

「それじゃ行くわね!」

 私は一声そう言うと、傍らに美女二人を従えて、ゆっくりとカーペットの上を歩き出した。


 ◇◇◇◇

 会場に入った瞬間、あまりの人の多さに眩暈がしそうになった。
 とんでもなく広いフロアに、紳士淑女たちがひしめいている。

「お、王子発見」

 双眼鏡を覗いていたアッシュが指さす先を見る。
 100メートルほど先の遠い舞台上に玉座が3つあり、その中の1人がそうらしかった。
 肉眼では豆粒ほどにしか見えない距離である。

「どうぞ」

 アッシュに双眼鏡を渡され覗き込む。
 中央にいる青年が、玉座の肘掛けに片肘をつき、つまらなさそうな表情を浮かべている。
 王子をはさむように座っているのが王と王妃なのだろう。

「私にも見せてください。まあ、ハンサム」

 イングリ―ドが言う。

「そ、そう?」

 もう一度双眼鏡を渡される。
 ハンサム……なのかな?
 多分そうよね。
 私は男性のビジュアルの良し悪しが昔から全然ピンとこないのだ。
 女子高生時代、100年に1人の美貌とかいうイケメンの同級生が学校にいたが、どんなに目をこらして見ても、他のクラスメイトとの差を感じることができなかった。
 男生の顔の差なんて、丸いか四角いか長いか小さいかくらいしかわからない。

(王子は丸ね。覚えておこう)

「とはいえ、アッシュ様には負けますね」
「だろ? 女装してきてよかったわー」
「また除草の話なの? アッシュ、どんなところに住んでるの?」
「……エラ様……」
「何、その憐れむような目は!」

 まあいい。
 二人には何か一瞬でできた絆があるみたい。
 仲間に入れない私は、運命の相手をもっとちゃんと観察しようと目を凝らした。

 王子は給仕の者が差し出した、恐らくカクテルの入ったグラスを億劫そうに受け取ると、一気に飲み干し無造作にまた給仕の者に突き返した。
 とてつもなく不機嫌そうな、いや、不機嫌を見せつけているかのような態度だ。

(この人が私の夫になるの?)

 正直なところ全然ピンとこない。
 運命の鐘が鳴ることも胸がキュンとする事も想像していた感情の動きは全くなかった。

「王子、ずいぶん物憂げですね」

 イングリードが腕を組む。

「ああ。今すぐここから退散したいけど、仕方なくここにいてやるんだバカやろう……とでも言いたそうな顔だな」

 アッシュも頷いた

「まあ、億劫になるかもなあ。この人数だもんな」
「確かに……彼はストーリーを知らないんですもんね」
「早く安心させてやらなきゃな。エラ」
「ええ。でも……」

 私は金髪の美男美女でごった返しているダンスフロアを見てため息をついた。

「どうやって玉座の間に行けばいいんだろう……不安になってきたわ」
「ああ、それならば私にお任せを」

 イングリードが髪の毛をかきあげ、すっ、とフロアへと進み出た。

「ちょっと、見て。綺麗な人」
「わあ、本当ね」

 たちまち、ざーっと注目がイングリードに集まる。
 なぜか、彼女を中心にフロアのスペースが空いた。
 それはまっすぐ、王子のいる場所まで広がっていく。

「海が割れたみたい……モーゼの十戒……」

 それはまさしく古い映画のシーンを連想させる動きだった。
 何千という男女がひしめく中、ほぼ全員の目がイングリードに向けられている気がした。

「もしかしてイングリードも魔法が使えるの?」
「いや。彼女は魔性の女だからな。そのオーラが人を圧倒するんだろう」
「知らなかったわ。そんな凄い人だったのね!」
「適当に言った。ま、チャンスだ」

 アッシュが私に片手を差し出した。

「行こうぜ エラ」
「え? 踊るの?」
「そ」
「えっ、でもでも」

 女同士なのに……という言葉は強引に手をとられ、ダンスの輪の中に引き入れられた瞬間にかき消えた。
 たくみなリード。周りの人たちが、私たちを見てる。
 視線のほとんどが、アッシュに向けられている。
 綺麗で優雅でダンスも上手で。そりゃ注目されるよね。
 でも一番うっとりしてるのは、きっと私だ。

(だ、だ、だ、だ、ダメだ。心臓がバクバクする!!!)

  もともと人との距離感を詰めるのが苦手な私。
 たとえ女性とはいえ、こんな至近距離に、こんな美しい顔があるとドキドキする。

「ん? どうした? 顔が赤いけど」

 アッシュが私の顔を覗き込む。

「あああ、やめて。これ以上近づかないで。ドキドキしてるのばれちゃう」
「ははっ。変な奴」

 アッシュは笑う。
 ううん、確かに私はちょっぴり変かもしれないけれど、君とこんなシチュエーションに遭遇したら誰だって、こんな感じになると思うよ。

 私はアッシュの視線を避けるため俯きがちに踊った。
 ガラスの靴が、とっても綺麗。
 なんだか、この先がクライマックスだなんて信じられないくらい、甘い気持ちで満たされる。
 怖いくらいに楽しいなあ。こんなに楽しいの……生まれて初めてかも。
 そうか。彼女って現世で私が夢ノートに書きつけていた、理想のヒロインそっくりだ。
 そりゃ、憧れるに決まってる。強くて優しくて面倒見がいいとなったら余計に、そう。

「もっと胸を張って。君はヒロインなんだから」

 囁かれて、ハッとする。

「そうだった。私には使命があったんだ」

 私は慌てて顔を上げた。

「ほら、皆が注目してるの、わかるだろ?」

 アッシュが再びそう言った。
 確かに数人の男性と目が合っているけれど。

「皆アッシュを見てるのよ」
「いいや。君だよ」
「そんなまさか……」
「君はシンデレラなんだから。注目されて当然。だろ?」
「今さらだけどプレッシャーだわ……」

 私は頬を赤らめた。
 本当にイングリードやアッシュの言う通り、もっと場数を踏むべきだった。
 初めての舞踏会が本番だなんて。
 あっけないにも程がある。

「何もかもアッシュのおかげよ。あなたがいなかったらどうなっていたことか……」

 私は心の底からそう言った。

「もし最初に甘いと叱ってくれなかったら……気楽な感じでここに来ていたと思う。そして後悔したと思うの。どうして万全の準備をしなかったのって。アッシュとイングリードが似合うドレスを選んでくれたおかげで後悔なく本番に挑めたわ」

 私はしみじみとこう言った。

「運命って切り開くものなのね……待ってるだけじゃ、幸せは落ちてこない」

 そう。

 当初の予定通り、地上から這い出たセミのイメージで、ただそのへんにある木につかまって鳴いているだけだったとしたら。
 私は森でイングリードともども、ヒグマに食べられていたかもしれなかった。

「結局、二人に助けられてばかりだけどね……もっと早く運命は自分で選べるってわかってたら……私シンデレラを降りてた。そしてあなたと立場を交換したわ」

 なぜ思いつかなかったんだろう。それが可能かもしれないってことを。

「私が魔法使い、あなたがシンデレラだったらもっと素敵な物語になったと思わない? もちろん夢物語だけど」

 そういうとアッシュはふっ、と笑った。

「分かってねえな。俺やイングリードが何の理由もなく、君に協力すると思う?」

 ワルツのテンポが速まった。

「どういうこと?」
「君だから見てた。君だから助けた。イングリードだってそうだろう」

 くるりと体が回される。
 足に羽が生えたみたい。

「だから、どういう……」

 尋ねようとした私の声を遮るように、聞きなれた声がした。

「なんでここにいるの?!」
「まさか、招待状を盗んだの?」

 こ、こ、この声は。

(継母姉コンビ!)

 もしかして見つかった?!
 恐る恐る視線を向けると、案の定二人が立っていた。
 そして。

「あーら、サマンサ様にメアリー様。偶然ですこと」

 対峙しているのはイングリードだった。
 イングリードVS継母姉コンビの傍らを通り過ぎてしまい、もう声が聞こえなくなってしまった。

「ああああ、こんなに人がいっぱいなのによりによって鉢合わせしちゃうなんて……」

 慌てる私にアッシュが言う。

「彼女に任せておけばいい。自分のことに集中しろ」
「でも……」
「見ろ」

 アッシュの視線を辿り、ドキッとした。
 いつの間にか私たちは玉座の真下へ到着していた。
 さっきは豆粒だった王子が、ほんの10メートルほど先に迫っている。

(う、う、嘘……いつの間に……!)

 なんたることだ。

「アピールしなきゃ……どうやるの!?」
「エラ、落ち着け」
「あああ、でも、でも!」

 確かに私なんかより、イングリードの方がしっかりしている。
 スルーすべきかと思ったが、さっき見たイングリードの固く握られたこぶしを思い出し、そうも言ってられなくなった。

『あの意地悪コンビ、いつか拳で打ち据えたいものです』
  
 ある日の軽口が頭をよぎる。もちろん冗談のはず。だけどもし切羽詰まった彼女が実力行使に出ちゃったら……。

「ダメよ!!!!! イングリード!」

 私はアッシュの手を振りほどき、ダンスの輪から抜け出すとバチバチのバトルトライアングルに割りこんでいく。
 イングリードは、私に気が付くと両目を丸くした。

「何してるんですか。フロアに戻ってください!」
「あなた、殴るつもりだったでしょう。絶対にダメだからね! メイドが貴族に手を出したら……最悪、死刑なんだから!」
「ほっといてください。ターゲットはすぐそこなのですよ……!」
「これが解決したらスタンバイするわよ。人のことより自分のことを心配してよ」

 イングリードはむう、と黙り込む。
 ごめんね。イングリード。私のせいで面倒に巻き込んでしまって。
 でもこの世界は貴族に優しい世界なの……。
 なので、今は耐え忍ぶのよ、忍耐は私とアッシュが散々やってきたことだからね!
 私はイングリードにテレパシーを送りつつ、作り笑いを浮かべながら、継母姉に向かい合った。

「あのね、これには深い事情が……」

 なぜお前もここにいるのだと詰められるのを覚悟した。
 ところが意外な展開が待っていた。

「あなた誰?」
「私たちの会話に口を挟まないでちょうだい」

 二人は私にそんな事を言ってきたのだ。

「え……」

 あまりの事に対応できずにいたら、イングリードに肩をつつかれた。

「エラ様だと気がついていないようですね」
「えええええええっ」
「アホかもしれません。この三日月たち」
「お願いだから、黙ってて」

 とはいえ、正直かなり驚いた。

(別人級の美女になったイングリードが判別できるのに、大して代わり映えのしない私がわからないなんて、どういう基準よ!)

 背後からアッシュの声が聞こえてきた。

「正体がバレていないのはラッキーだ」

(きゃあああああ、アッシュ!!!!!)
(アッシュ様!!!)

 私とイングリードは心の中で歓声をあげる。
 心強い味方アッシュが、私たちを庇うように継母姉コンビの目前に立つ。

「ごきげんよう。サマンサ様にメアリー様」

 アッシュが名前を呼ぶと、二人は虚を突かれたような表情を浮かべた。

「まあ、素敵な人……女神みたい」
「どこかでお会いしましたっけ?」

 母娘がうわずったような声で言う。

「ええ。アイマス男爵のパーティーでご挨拶をさせていただきましたわ」

 しれっとした顔でアッシュは言う。
 さあ、どんな言い訳をするのだろう、と固唾を飲んでいたら、

「先ほど、イングリードに招待状の事をお聞きになっていたでしょう? 実は彼女は命の恩人でして。ヒグマに食べられそうになっていたところを助けてもらったのです。そのお礼に付き添いを頼んだのですわ。大切なメイドを許可なく連れ出して申し訳ございませんでした」

 いかにも嘘っぽい理由を繰り出してきた。

「ちょっと、さすがに無理があるわよ」
「ええ。いくらアホ二人でも、この言い訳で納得するわけがありませんね」

 私とイングリードは絶望していたのに、母姉はにっこりほほ笑んだ。

「なるほど。そういうことだったのですか」
「最初からそう言えばよかったのに。イングリード。楽しみなさいね」

 さっきとは打って変わった、にこやかな態度で去っていく。

「信じた……!」

 案外継母コンビは、御しやすい人たちなのかもしれない。
 まあ、ただアッシュのオーラに圧倒された可能性が高いけれど。
 イングリードは柱時計を見ながら早口で言った。

「ったく、エラ様、私の事など放っておいても良かったのに。とりあえず、ダンスフロアに戻ってください!」
「そ、そうね」

 ドレスをたくし上げて私は元いた場所に戻ろうとした。
 ところが突然音楽が止んだ。

「え?」

 王が立ち上がり両手をパンパンと叩いている。
 おごそかな声でこう言った。

「王子のお妃が決定した。皆の者、静粛に!」
「ええええええええ」

 私は唖然としてしまった。

「げ、マジか」

 隣にいるアッシュも口をポカンと開けている。

「そんなっ……くっ……三日月コンビのせいで!」

 イングリードは悔しがっている。

「大変よ。絶対に私じゃない自信があるわ」

 私は頭を抱えてしまった。
 王子の視界に入ることすら出来なかった。
 お相手が決まってしまったら、私の出る幕はなくなってしまう。

 物語が……終わってしまう。
 あたりが真っ暗になった気がした。
 アッシュは?
 イングリードはどうなるの?
 私のために、こんなに……こんなに頑張ってくれたのに!
 王子が階段から下りてきた。
 ゆっくりと。
 双眼鏡で見た印象と同じく不機嫌そうだ。
 その目が……

(ん?)

 なぜだか私に向けられている気がする!
 間違いない。バッチリ目があっている。
 私はいつのまにかスポットライトの中にいた。
 輪の中にいるのは私だけ。間近にいるアッシュやイングリードすら入っていない。

 王子が私の前に立つ。
 スポットライトは彼と私の2つになった。
 王子は至近距離にいる。
 その目と表情があまりにも暗くて、私は不良に呼び出しをくらった過去を思い出していた。
 真面目で害がないはずの私だが、髪の毛がある日はねていて、それがちょっとだけオシャレに見えたらしい。
「その髪にハサミをいれてやろうか!」と凄まれて、足がすくむほど恐かった……。
 王子の目はその時の不良の敵意に満ちたものとそっくりだった。
 私、何かやらかした?
 そんな気分になってしまう。
 怯えている私に向かって、王子が口を開いた。

「お前、名前は?」
「エ、エラ.ケネスウッドです」
「変な名前だな。まあ、いい。お前を俺の妃にする」
「え?」

 王子は私の片手を高くあげた。

「妃が決まったぞ! エラ.ケネスウッドだ」

 いきなりファンファーレが鳴り響く。
 どん、という音がして窓の外から花火が見えた。

「ど、ど、ど、どういうこと?」

「おめでとうございます」の声が、あちこちから投げかけられる。
「あ、ありがとう……って、どうして?」

 私はキョロキョロと「嘘でした!」の札を探した。
 しかし、そんなものは見つからず、私は本当にプリンセスの冠を射止めてしまったようだった。
 そりゃ、私は物語のヒロインで。
 こんな感じで、膝に手をおいてじっとしていれば、運命が歩み寄ってくれると、今朝がたまで信じていた。
 しかし、アッシュやイングリードの考えは違っていて……。
 色々あって、ついさっき、自分で運命を手繰り寄せられるようにならなきゃ、と方向転換をしたのだった。
 もしかして、その見立てが間違っていたの?
 運命は勝手に落ちてくるものなの?
 頑張っても頑張らなくても、私の前には王子というぼたもちが落ちてくる事になっていたの?

 だったら、ここはストーリーに合わせて、この場から逃げ出すべきなのだろうか。
 ガラスの靴を片方残して。
 そして王子に追わせるべきなのだろうか。
 でも、この冷たい目をした人が、私を探しに来てくれるとは思えなくて。

 どうしよう。どうしよう。

 私は隣にいるアッシュに助けを求めようとしたが、

「じゃあ、行くぞ。ついて来い」
 
 王子に手首をつかまれて、私は引きずられるようにフロアを後にしたのだった。



 妃選びが終わった後も舞踏会は続けられた。
 王と王妃の祝福を受けた後、私は王子にいざなわれ、大きく空中へと突き出したバルコニーへと移動した。
 なんだかとてつもなく居心地が悪い。
 狙い通りというか想定通りに妃の座を射止めたと言うのに、嬉しさも恥ずかしさもロマンもなかった。 私はまるで囚人として連行された気分だった。
 王子は満月をバックに私に言った。

「最初に言っておく。俺はお前を愛する気はない」
「え?」

 想定外のセリフに私は驚きの声を上げた。

「えっと、これ、シンデレラの物語ですよね?」
「はあ?」
「あ、すみません。口をはさんでしまって。続きをどうぞ」
「お前は便宜上の妻だ。だから一生愛さない」
「うぬぬぬぬ、やっぱり違う物語な気がする……」

 いきなり難題がふってきた。
 アッシュたちから色々アドバイスを受けたはずなのに、どうしたらいいか、全然思いつかないよ。

「わかったか。お前は便宜上の」
「もういいです。理解しました」

 私は、はあっと溜め息をついた。

「あの、じゃあ、どうして私をお妃にしようと思ったんですか? あんなに女性が沢山いたのに、その中から選んだってことは何か理由があったわけでしょう?」

 王子はせせら笑った。

「自分に魅力があるとでも思ったか。自惚れやのバカ女」

(会話パターンが継母姉と似てるわ……! 良かった。耐性があって……)

 しかし、ヘラヘラ笑ってやり過ごす事はできない。
 だって不思議で仕方がないのだもの。

「ただ、知りたいだけですよ。ミステリーの謎が解けなかったら気持ち悪いでしょう? それと同じ感覚です」
「気持ち悪いだ? あ? 王子たる俺に向かって言ってるのか?」

 この人、メアリーの双子の兄かしら?
 どうやら空耳が聞こえるようだ。

「……違います。王子の本心が知りたいだけですよ」

 私は真剣だった。
 王子は全く無意識に、これといった理由もなく私を選んだのかもしれない。
 もしそうなら、未来は運命の導きによって決まるという私の最初の見解が正しいことになる。しかし、もし理由があるならば、それは私が運命を自ら引き寄せたことを意味する。
 これは、間違いなく重大なポイントだ。

「あの、もしかして一目ぼれとか……?」
「はああああああああ? 今、魅力があるなどと一切思ってないとか言ってなかったか?」
「あ、はいっ。そうでしたね! だったら何なんでしょうか。焦らさずに教えてくださいませんか」
「王に、結婚しないと城を追い出すと言われた。だからだよ」
「え?」
「王は僕が遊び呆けていると思ってるんだ。違うのに。いざとなったら本気出す。今は地中に潜って時期を見ているのさ……本番が来るまでエネルギーを温存してね」

 これまた、どこかで聞いたことのある言説である。

(共感性羞恥がキツいわ……)

「なるほど。王子様もセミの幼虫だったんですね」
「はあ??」
「あっ。すみません。続きをどうぞ」
「そうやってのらりくらりしてたんだが、もう待てないと言われた……だから誰でも良かったんだ。太ってても不細工でも腹黒でも全然いい。どうせお飾りの妻だからな」

 なんだか堂々巡りである。
 私はこめかみを刺激しながら尋ねた。

「あの、だからどうして私に? 他にもいっぱい女の人はいたじゃないですか。それなのに私に声をかけたってことは何か理由があったんでしょう?」

 さっさとそこだけ教えてほしい。
 でないと、この先の計画が立たない。PDCA が回せないのは非常に困る。

「黒髪が目立っていたからだ。初めて見る色だった。それに黄色のドレスが映えていた」
「なるほど。黒髪はあまり見かけませんでしたね」

 次を待ったが、全然話が進まない。

「え……? まさかそれだけが理由じゃないですよね」
「それだけの理由だが?」
「マジですか…………」

 どこから突っ込んでいいのかわからないが、私の知っているシンデレラはこんなんじゃない。
 どう修正をすればいいのか、困り果ててしまう。

(んーでも、アッシュとイングリードの選んだドレスが効いたってわけよね? じゃあ、やっぱり、運命は自分で切り開くものなのかな?)

 だとしたら、この性格がゆがんだ王子とも、ディスカッションを続けて互いの落としどころを探るべきなのかな。

「まあ、どうせお前も金と地位が大好きなバカ娘だろう。子供を1人でも生みさえすれば、適当に愛人を作っていいぞ。お前が何をしようと俺には全く関係ない。浮気をしようが死のうが、どうでもいいからな。どうだ? 嬉しいか?」

 私が未来を思って考えこんでいたら、王子はそんな事を言い出した。

(なんたる性格の悪さ!)

 私は唖然としてしまう。

 その時だ。

「黙って聞いてりゃ……いい加減にしろよ!」

 と、何かが弾丸のように飛び出してきて、王子の前に立つとそのほっぺたを思いっきりグーで殴った。

「ああああ?」

 王子が頬を庇いながら大声をあげる。

「アッシュ!」

 見るとそこには怒りのためかブルブル震えているアッシュがいた。

地味系シンデレラをプロデュース~美形魔法使いと王道ハッピーエンドをめざします

を読み込んでいます