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「えっと。アキラさん……?」
目の前に立つふわふわの髪の女性は目を丸くした。あたしは「そうですよ」と首を傾げながら答えた。
「あなたが、まゆまゆさんですか」
あたしはスマホを見ながら尋ねた。すごい。本当に写真どおりの女性だ。あたしが感心していると、まゆまゆさんは呆然と突っ立っていた。
「なんですか?」
あたしが怪訝に思ってそう訊くと、まゆまゆさんは戸惑ったように笑った。
「アキラさんていうから、というか、ふつう男だと思わない?」
「え? プロフィールにちゃんと♀って書いておきましたけど」
あたしはスマホを見直した。親友の早希との電話を切ったあと、すぐ。ほんの数時間前にダウンロードしたばかりのマッチングアプリ。本名の「晶」をそのままカタカナにしたニックネーム。確かに男性と間違われることのある名前ではあるが、なぜこのまゆまゆさんとやらはそんなに戸惑っているのだろう。
まゆまゆさんはため息をついた。
「あんた、このアプリ使うの初めてなの?」
見下されたような声にあたしはむっとし、顔を上げてまゆまゆさんを見つめた。そして気付く。
よく見ると意外と年上かもしれない。辺りは街灯で明るくはあるが、やはり夜なので一瞥ではわからなかった。目元や首回りから推測するに、二十歳になったばかりのあたしよりも十歳くらい上に見えた。
「なによ、ジロジロ見て。イヤな子ね」
あたしは慌ててスマホに目を戻した。そしてスマホをまゆまゆさんに向けた。
「あの、まゆまゆさ……」
「まゆ、でいいわよ。あんたの目が『まゆまゆって年かよ』って語ってんのよ」
「えっ、滅相もない!」
あたしが首と手をぶんぶんと横に振ると、まゆまゆさんは目を丸くした。そしてぷっと吹き出した。
「めっそうもないって、時代劇かよ」
笑うと目尻に皺が寄ってかわいい。少し親しみがわいた。
「じゃあ、まゆさ……」
「まゆ、でいいって言ってんでしょうが。あたしもあんたのことアキラって呼ぶわ」
あたしは「まゆ」と口の中で転がした。
「えっと、じゃあ、まゆ。あたしこのアプリ使うの初めてなんですけど、それに何か問題が?」
まゆはふーっと深いため息をついた。
「やっぱり。てか、もしかしてマッチングアプリ自体使ったことないんじゃない?」
あたしは無言で頷いた。
今日は早希と映画とドライブに行く予定だった。失恋したって泣く早希を慰めようと思った。大笑いできる映画を観て、そのあとあたしが最近知った絶景の夜景スポットを見に行く予定だった。
あたしはその予定をずっとわくわくと楽しみにしていた。早希に楽しんでもらえるかな、元気になってくれるかな、そう思って。
けれど、その楽しみは今朝かかってきた一本の電話によって壊された。
「ごめーん! 今日急に彼氏とナイトパーク行くことになって!」
「えっ、新しい彼氏できたの?」
失恋からまだ二週間くらいしか経っていない。驚いて混乱するあたしを置き去りに、早希は続けた。
「んーん、今までの彼氏とより戻したの! 彼ね、やっぱりあたしが一番なんだって。あの女とは単なる遊びだったって!」
「そ、そう……」
早希の彼氏に対する不信感は湧き上がったが、早希が元気になってくれるのが一番嬉しい。だからあたしは「ううん、いいよ。ナイトパーク楽しんできてね」と言ったのに。
夕方にかかってきた電話であたしは愕然とした。
そんな男、やめちゃいなよ。
なんとか言うのを堪えた。でも。
「と、いうわけで、今からドライブだけでも行かない!?」
早希にそう言われた瞬間、あたしの中の何かがわずかにこぼれ落ちた、気がした。
「あー、ごめん。実は今飲んでて。車出せないやー」
嘘をついた。高校時代から付き合いのある早希に初めて嘘をついた。
そして気付いたら手の中にあるスマホをいじっていた。適当に検索し、出てきたアプリをインストールした。
「アキラ♀ 二十歳 一緒にドライブ行ってくれる人募集 特に髪がふわふわパーマで身長百六十センチ体重五十キロくらいで目元にほくろがある女の子希望」
いつの間にか手が勝手にそう打ち込んでいた。写真は後回しでいいやと設定しなかった。 すぐにいいねがついた。あたしが書き込んだ早希の特徴どおりの写真の女性。早希とは似ても似つかない顔ではあったが。
そして何回かやりとりをして、数時間にはこの公園の入り口で落ち合うことになっていた。
あたしがそんなことを思い出していると、まゆは額に手をあてた。
「あー、やっぱりね。このアプリ、すぐヤりたい人専門アプリよ」
「へ?」
ヤりたいの意味がわからないほど幼児ではなかったが、現実をすぐには信じられないくらいには子供だった。
あたしは自分の世間知らずっぷりに泣きたくなってきた。
「あたし、そんなつもりじゃ」
「あーあー、わかったわかった。泣くんじゃないって。てかあたしのほうが泣きたいよ」
久しぶりに若い男とヤろうと思って来てみりゃこれよ、とぶつぶつと言いながらも、まゆはそれ以上あたしを責めることはなかった。「で、どうすんの?」
まゆに尋ねられあたしはきょとんとする。
「どうする、とは」
「ドライブ行きたいんでしょうが。あたしも今日はそんな気分じゃなくなっちゃったから付き合ってやってもいいよ」
あたしは一瞬躊躇したあと「お願いします」と言っていた。