数日後、アルカディアではソールが突拍子もない提案をしていた。
「ケツァルコアトルを引き上げるだと!?」
シバルバーの沈没事故からかなりの時間がたっている。今更引き上げられるのか? そもそも引き上げたところでどうしようというのか?
「この前、グールヴェイグと戦って思ったんだ。不利な上に、あいつらとんでもない切り札を持っているんだろうって」
歴戦のアルカディア軍と対等に戦ったゲリラ組織・グールヴェイグ。しかし、今回は手の内を知られている分だけ不利だった。あのまま続けばソールたちは負けていたかもしれない。にもかかわらず彼らは撤退した。敵を叩きつぶすチャンスだったというのに――。
また、ロキとヴクブ・カメーという世界でも一、二を争ううさんくさい男が手を組んでいることにも頭をかかえていた。いろいろ想像をめぐらせるが、ろくな結論にならない。
「ペガサスやグリフォンも改造しようと思うけど、限界があるからな……」
ソールのつぶやきを聞いてペルセウスは苦笑した。そういえば砲身を勝手に増やそうとしていたよな、こいつは……。
「引き上げるなら、海軍の小型戦艦スキュラを使うといい」
ポセイドンが提案した。小型といっても軍人20人くらいは寝泊まりできる大きさだ。海底にいる戦闘機1機であれば余裕で回収できるだろう。
「ところで回収した後どうするんだ? また使えるとなっても誰が乗る?」
ハーデスが聞いてくる。陸軍の司令官の彼は戦闘機乗りではないが、それでも戦闘機の操縦の難しさは承知している。ペルセウスやアーレスほどのトップガンを育てるとなれば、パイロットの資質とたゆまぬ努力、そして国の財政面でのサポートが必要だ。その費用たるや、戦闘機1機を開発するよりずっと高くつくのだ。
「空いているパイロットなんていないし、今からじゃ若手を育成するのも時間がないぜ。まさかイシュタムをまた乗せる気じゃないだろうな」
開発者のイシュタムはもともとパイロットではない。グールヴェイグと戦わせたら、間違いなく撃墜される。
「そのことについては大丈夫。いいアイデアがあるからさ」
2日後。ソールはスキュラに乗って大西洋上を航行していた。同行するのはポセイドン、アルテミスなど海軍の数名、そしてイシュタムだ。
「この辺りだったよな……」
一行はかつてシバルバーがあった場所に着いた。ソールは甲板に出て、大海原を見渡す。沈没事故直後はコンクリートの陸地の欠片があった。今は、それすらもない。どこまでも海なのだ。
人工的に陸地を造るなんてことが、そもそもおこがましいのかもな……。そんなことを思いながらソールは準備に取りかかった。
小型戦艦スキュラは、本体から数種類の獣型の小型艇を分解できる。ギリシア神話で、さまざまな獣を体に組み込んでいる姿に見られるスキュラの特徴そのものだった。その一つに引き上げ用のワイヤーを装備してソールとイシュタムが乗り込み、海中に潜っていった。
「海の中って初めて潜ったけど、おもしろいな」
目の前を魚の大群が横切って泳いでいく。
「あれ、カツオかな。うまそう……」
「ソール、目的忘れないでね」
舌なめずりするソールに釘を刺すイシュタム。シバルバーの事故以来、一緒に行動することが多く、今ではソールのやんちゃをイシュタムが軌道修正するような関係になっている。もっとも、周囲から姉と弟のように思われることがイシュタムにとっては不満のようだが……。
2時間ほど潜っていき、海底が見えてきた。幾何学的な物体のがれきが散乱している。
「あれは……」
イシュタムがつぶやいた。見覚えがあると思ったら、シバルバー中央研究所の大きな看板だった。金属でできているはずのその看板は、今では潮水で腐食している。
さらに彼女はあるものを見て背筋が凍りついた。いたるところに人間の白骨があるのだ。がれきの下敷きになっているもの、剥き出しの鉄骨に串刺しになっているものなど、沈む人工大陸から逃げようとして失敗した人たちのなれの果てだった。
その様子を見て、のんきだったソールも押し黙った。繊細なイシュタムにはこの光景はきつすぎる。早くケツァルコアトルを見つけて浮上しないと……。
「あれか」
小型艇のライトが照らした先に、巨大な白いものが見えた。近づいていくと……そこにあったのは、あの激闘を繰り広げた白い蛇だった。
「損傷はそんなにないようだな」
ケツァルコアトルの周囲を回ってみる。ボディのあちらこちらが傷ついてはいるが、内部まではやられていないようだ。
しかし、コックピット付近にライトを照らしたとき――2人は思わず絶叫した。
「うわあっ!」
「きゃあああっ!!」
そこには人間の白骨が引っかかっていた。赤い髪の頭蓋骨には見覚えのある黒縁のメガネが……。
「フン・カメーの遺体か!」
尊大で自惚れ屋だった男もこうなってしまっては形無しである。遺体となった今でも現世の科学技術に執着しているようだった。マヤ神話で語り継がれるように、地獄とも言える海底で無残な骸をさらしていたのだ。
「まったく、もったいないことだ……」
ソールはフン・カメーが嫌いだった。しかし、ネオフラカンシステムを開発したその頭脳と技術には一目置いていたし、彼から学ぶことが多かったのも事実である。
――技術は善でも悪でもない。使う人間の心が決める。
亡きアポロンの言葉が、今再びソールの脳裏をよぎった。
回収されたケツァルコアトルは、ソールの手によってすぐ修理されることとなった。
まず、エンジンや機械系統の不具合を見つけ、回路などを交換する。次にボディの損傷を補修する。手際よく1日で済ませた。
次の日はいよいよコックピットの修理だ。
「ソール、どうするつもりなんだ?」
非番だったアーレスが修理工場を訪ねてきた。どのように改造されるか興味があるのだ。
「まず、カウィール・シナプス装置を取り外す」
ソール曰く、あの装置は危険だという。ソール自身は記憶を呼び起こす作用に耐えられたが、それでも数分間気絶したのだ。ましてやパイロットを強引にサイコパスにすれば敵を全滅させた後に気を失って墜落するかもしれない。自他共に被害は大きくなるだろう。
ところがカウィール・シナプスを外した後、座席も取り外したことには驚いた。
「おいおい、そんなことしていいのかよ」
パイロットが乗れないぞ、とアーレスが突っ込む。
「ああ、それでいいんだ」
ソールはコックピットに台座と球形の物体を載せ、コードをつないだ。
「それ何?」
「ネオフラカンシステムさ」
アーレスは唖然とした。シバルバーの自動操縦技術だ。
「お前、いつ造ったんだ?」
「昨夜だよ。これでも真面目に研修していたんだぜ。小さいものなら造れるさ」
フン・カメーたちのことだから、ネオフラカンシステムのノウハウなど丁寧には教えていないだろう。見よう見まねで造ったのだ。
「お前、天才だな……」
「物好きなだけさ」
これでイシュタムは乗らなくて済むし、新しいパイロットを乗せる必要もない。ちなみにこのネオフラカンはフェニックスと連動するようになっているらしい。
フェンリルがスコルとハティを同時に操縦していることからヒントを得たのだ。
「これで準備はできた。後はグールヴェイグがどう出るかだな」
この2週間後……古代文明史上、世界はついに最悪の危機を迎える――。
20世紀後半、世界は米ソ対立を中心とした冷戦状態にあった。資本主義代表のアメリカ、共産主義代表の旧ソ連がにらみあっていた時代だが、両国が武力衝突することはなかった。理由は、恐ろしい破壊力を持つ核兵器をお互いに突きつけていたからだ。
もし片方が核ミサイルを発射したら、もう片方が報復のために核ミサイルを発射する――相互確証破壊(MAD)と呼ばれるこの関係があったからこそ、「これではお互いに核が使えない」となり、実際に火力を用いる熱戦ではなく、火力が使えない〝冷戦〟が続いたのだ。
唯一の例外は1962年10月に発生した〝キューバ危機〟だった。全世界が核戦争に巻き込まれかねなかった出来事だが……これとほぼ同じ状態が、古代世界で起ころうとしていた。
「これ、ミサイルの材料だな」
アルカディア軍の司令官室に招かれたソールは、しれっと言った。
先ほどペルセウスたちから「ヴァナヘイムからニブルヘイムに怪しいものが運ばれている」と連絡を受け、やってきたのだ。ニブルヘイムは、北欧神話では極寒の地獄として語り継がれていく。後世において「地獄」として位置づけられるほど、これから起こる事態が緊迫していた。
偵察機で撮った映像を解析し、ヴァナヘイムの船がニブルヘイムに何かを搬入していることが分かった。しかし、物が何なのかが分からなかったのだ。技術屋のソールなら分かるかもしれないと思い、声を掛けたのだ。
「四角いのが動力部で、似たようなのが2基ある。うち一つが小さいだろ。大きい方が途中まで打ち上げる下段のエンジンで、小さい方が目標に飛来する上段だ」
さらに、発射台の部品と思わしき棒状のものも視認できた。
「でもさソール。部品だけ持ち込んでもどうにもならないよ?」
アルテミスが首を傾げた。
「現地で造ればいいのさ。食材を持ち込んでパーティ会場の厨房で料理するようにな」
「そんな簡単にできるの?」
「普通は簡単にできない。でも、グールヴェイグが関わっていたら話は別だ」
ヴクブ・カメーの顔が脳裏に浮かんだ。あの男ならネオフラカンシステムを総動員してやりかねない。実際は、ほかの3人の整備士が関わっているわけだが。
「じゃあ、ニブルヘイムでテュルフング・ミサイルが造られているってことだな?」
アーレスの問いに
「ああ、まず間違いないだろう」
と答えた。
緊迫した空気が張り詰める。テュルフング・ミサイルの恐ろしさは、ここにいる皆が知っている。そして、そのミサイルを使ってアスガルドを狙うだろうことも察しはついた。
「グールヴェイグはどう出るかだな」
ハーデスも口を挟んできた。2度戦った身としては動向が気になる。もっとも政治的な戦略が苦手な男なので、何か意図があってつぶやいたわけではないが。
とりあえずニブルヘイムでミサイルが組み立てられていることをゼウスに報告することになった。その翌日、全軍にアスガルド警備の指令が下された。
「ゼウスの親父、何考えているんだか……」
輸送機の中でソールはぼやいた。アルカディア軍の中でも精鋭を起こる部隊編成がなされ、アスガルドに派遣されることになったからだ。
「あの親父、自分たちの国が攻め込まれないって根拠のない自信があるんだろうな。元首のくせにのう天気を通り越してアホだな」
「お前、そこまで言うか……」
アーレスがあきれ顔で言う。
アスガルド行きになったのは、空軍からはペルセウスとアーレス、海軍からはアルテミスとポセイドン、陸軍からはハーデスだ。それになぜかまたソールとイシュタムが加わっている。
集団的自衛権が働く関係にあるアルカディアとアスガルドは、紛争の危機が起こった際は軍を派遣することになっている。今回の精鋭部隊の構成は、他国にも名が通っている兵器だ。ペガサス、グリフォン、セイレーン、ケルベロス……ヒュドラは5本の首を分けつして持ってきた。この部隊に戦いを挑むということは、アルカディアとアスガルドの連合軍にけんかをふっかけることになる。
世界最強の布陣か――それを考え、ソールはグールヴェイグのことを思い出した。
(こっちが世界最強の武力なら、あいつらは世界最悪の知力ってところだ。どうなることか……)
一行は午後8時にアスガルドに到着した。
「諸君、すまないね。助太刀に感謝するよ」
元首のオーディンが、頭を押さえながら出迎えてくれた。
「オーディン閣下直々のお出迎え、ありがたく存じます」
「頭、どうかされたんですか?」
「いやあ、2週間前に頭を強打してね。2、3日寝込んでだいぶ良くなったんだけど、まだちょっと痛くて……」
イシュタムの顔に狼狽が浮かび、ペルセウスはソールをギロッとにらんだ。しかし当のソールは白々しく
「それは大変でしたね。お見舞い申し上げます」
と柄にもなく敬語で答えた。
(お前、よくそんなぬけぬけと……)
とペルセウスがささやくが意にも介さない。
「皆さん、お疲れでしょう。具体的なことは明日お話しします」
翌日、ワルハラ宮殿の大会議室にアルカディアの精鋭部隊とアスガルドの連合軍が揃った。オーディンを議長に、作戦会議が始まる。
開口一番、オーディンはこう宣言した。
「今、全ての選択肢がテーブルにある状態だ」
この言葉は、西暦2017年に、当時のアメリカ大統領が宣言したものと同じである。宣言したのはアジアの独裁国家との間で、核兵器をちらつかせる一触即発の状態になった時だ。
「貴国からの助言をもとにニブルヘイムを偵察してみた。やはりテュルフング・ミサイルが組み立てられようとしている」
アルカディアへのリップサービスだろうか? アルカディアに頼らずとも、テュルフングに関する情報はアスガルドでも最大限のアンテナを張って集めているはずだ。
オーディンは続いて今後の計画を発表した。まず、アスガルドからヴァナヘイムに書簡を送り、ミサイルの組み立てをやめるよう通達する。それを無視したら海上封鎖を行い、貨物がニブルヘイムに入らないようにする。
それでも封鎖を突破しようものならバルムンク――アスガルドが保有するテュルフング・ミサイルを発射するというものだ。
「できれば使いたくはない」というオーディンの言葉を、ソールは無表情で聞いていた。当たり前だ。使ったが最後、北欧は核攻撃の応酬になって壊滅するだろう。
「オーディン閣下、我々は何をすればよいのでしょうか?」
ポセイドンが挙手した。
「貴国の増援部隊には、アスガルド軍と共に防衛に当たってほしい」
1日を3区分して8時間ずつアスガルドの防衛に当たる。沿岸部には陸軍と海軍が、空域には戦闘機が配備される。
会議終了後、次のように防衛シフトが組まれた。
空域
アルカディア軍:ペガサス、グリフォン、フェニックス
アスガルド軍:スレイプニル
沿岸部
アルカディア軍:ケルベロス、ヒュドラ、セイレーン
アスガルド軍:スキーズブラズニル、グリンブルスティ、セーフリームニル
アルカディアは各々1機、アスガルドは量産型の機体である。トップガンのような兵士を養成するより、テュルフング・ミサイルの開発に力を入れてきた。そのため、実際の戦闘ではアルカディアの精鋭よりはるかに劣るだろう。
早速、両国の連合部隊は防衛に取りかかった。
防衛作戦が始まり4日たった。シフトはアルカディア軍とアスガルド軍が交互になるように組まれている。ちょうど今、空域の防衛からアーレスが帰ってきたところだ。
グールヴェイグは何も仕掛けてこない。かといって、機密事項ということでニブルヘイムやヴァナヘイムとの交渉の進捗は教えてもらえない。本当に攻撃してくるか疑問がある状態での守りというのは、ある種のストレスが生じる。
このまま有事に到らず、撤収できればよいのだが……。
《緊急事態! 緊急事態!》
何事もなく終わればよいという淡い期待は、見事に打ち砕かれた。
「やっぱりおいでなすったか」
ソールは舌打ちした。ロキとヴクブ・カメーの冷笑が脳裏に浮かぶ。しかし、次の報告を聞いてソールは首を傾げた。
《沿岸部の沖合から未確認の物体10体が接近中! その他、3体の高熱反応!》
「どういうことだ?」
グールヴェイグの戦闘機はニーズホッグ、スコル、ハティ、フレスヴェルグの4機のはず。数が全く合わない。
「モニターで確認できるか?」
ハーデスが誰ともなしに言った。すると、沖合から接近する物体が確認できた。
「…何だこれ?」
映ったのは、人間の頭のような物体10体だった。その他、人間の頭と腕一対が見える。
「ソール! こいつら……」
ペルセウスがソールに向いて言った。見覚えがある。シバルバーで戦ったシパクナーとカブラカンにそっくりだ。
「ヴクブ・カメーが造ったようだな」
あの狂科学者め、やっぱりろくなことをしない。
「なあ、この前の戦闘機が確認できないぞ。まさか、この敵の中にいないのか?」
「どうする? 全員で行くか?」
「待て」
出て行こうとするメンバーを、ポセイドンが止めた。
「今回の襲撃は前座のようだ。全員で出撃して消耗したら本番で戦えない」
ポセイドンは立ち上がると、ハーデスとアルテミスに目配せをした。2人ともうなずいた。
「アルカディア軍は沿岸部防衛のヒュドラ、ケルベロス、セイレーンで迎撃する。空域担当の3人は待機してくれ」
アスガルドの沿岸部の港にはヒュドラとケルベロスが、その上空にはセイレーンが配備された。そして、ヒュドラとケルベロスを囲むように、アスガルド海軍の軍艦スキーズブラズニルが10隻、陸軍のグリンブルスティとセーフリームニルが100機ほど配置された。
「さて、どう迎撃するか」
ポセイドンはヒュドラのコックピットでつぶやいた。敵は初めて見る機体だからやりにくい。ただ、ソールからある程度の見当を付けられていた。
曰く「ネオフラカンシステムで自動操縦していて、高熱か冷却のどちらかで攻撃してくる」とのことだ。その上で「ヴクブ・カメーがシパクナーとカブラカンでの失敗を改善していないとは思えない」とも言った。
いずれにせよ向こうが攻撃してから反撃する。防衛戦では先制攻撃は甘んじて受け、防ぎ切ってカウンターパンチを浴びせる。
やがて近づいてきた10体の顔が口を開いた。と同時にスキーズブラズニルに火炎を放った。
「なっ!?」
一体の火炎放射はたいした威力ではなさそうだ。しかし、3、4体が集中砲火すると、軍艦はあっという間に炎に包まれた。
《ポセイドン、まずいぜ! アスガルド軍は対応できていない!!》
ハーデスの通信だ。瞬く間に軍艦の半分が火だるまになっている。さらに、陸上兵器のグリンブルスティとセーフリームニルにも炎が浴びせられていた。
《手はずどおり、すぐに攻撃を仕掛けるぞ!!》
《おう!!》
《了解!!》
ハーデスとアルテミスが応えた。
ケルベロスは口からブロンズ砲弾とブレードホイールを発射した。三つある頭のうち、中央が大砲の弾で、左右がホイールブレードだ。すさまじいスピードで敵を射貫き、撃墜する。
セイレーンは敵に近づき、音波砲を浴びせる。かつては人間相手にしか通用しないものだったが、金属共振を引き起こしてコンピュータを誤作動させて機動不能にする。
ヒュドラは口から水を吐いた。その水は空気中で氷の穂先に変化し、敵を射貫いた。
《すっげえ……》
《さすがソールね》
グールヴェイグ戦に備えて3機とも装備をソールに改造されていたのだ。
《敵のデータが取れたぞ》
ポセイドンはケルベロスとセイレーンにそのデータを送った。
《ムスペルっていうのか》
北欧神話で語られることになる炎の巨人だ。
《武器は火炎放射だけのようだ。機動性はあまり高くないみたいだな》
生き残ったアスガルド軍に待機を要請すると、アルカディア軍は一気に攻撃を仕掛けた。瞬く間に10体のムスペルが撃破された。
《なんか、あっけないね……》
《油断するなアルテミス。あと3体いるぞ》
ポセイドンが言う方向には、頭部と両腕が宙に浮いている機体が不気味にこちらをにらんでいた。
沖の上に、巨大な深紅の顔が浮かんでいる。その両側に巨大な手が並んで浮いていた。
《どう仕掛けてくるか……》
アスガルド軍の兵器はあてにならない。ケルベロス、ヒュドラ、セイレーンだけで迎撃しなければならないのだ。
突然、左腕が拳を突き出して突っ込んできた。加速すると炎が燃え出す。
《よけろ、アルテミス!》
ポセイドンの声が聞こえるより先に、アルテミスはセイレーンの舵を切った。炎をまとった巨大な腕が、セイレーンの翼の先をかすめた。
《大丈夫か!?》
《ええ、何とか!》
ホッとする間もなく今度は右手が突っ込んでくる。それもかわすと、両手が交互に襲いかかってきた。
《ちょっ……!!》
逃げ惑うセイレーンは、まるで巨人に追われる蝿のようになっている。
《ポセイドン、アルテミスがやばいぞ!!》
《待て、今データを解析している……!!》
モニターには「スルト」と出た。北欧神話では、ムスペルたちを率いる炎の巨人の親玉と言われる。
《炎をまとった巨人、スルトか》
ポセイドンはヒュドラから氷の矢を吐いた。しかし、スルトの熱はすさまじく、届く前に蒸発してしまった。今度は、ケルベロスがブレードホイールと大砲の弾を発射した。しかし、これもまた届く前に蒸発してしまう。
《おいおい、聞いてないぜこんなの!!》
ハーデスが悪態をつく。
《絶体絶命というやつか……》
ポセイドンも平静を保っているが焦りを感じていた。
《……仕方ない、あれを使うか。ソール!!》
ハーデスは、司令部にいるソールに通信を入れた。
《ソール、聞こえるか!?》
《こちらソール、ハーデス聞こえるぞ》
いつになく神妙な面持ちをするソール。
《サンギルドファングボムを使う。パスワードを入力して解除してくれ》
《……分かった》
そう言うとソールはモバイルを取り出し、文字を入力した。
《できた》
《恩に着るぜ。後は武運を祈っていてくれ》
ハーデスは通信を切った。
「ソール、一体何のことだ?」
ペルセウスがいぶかしげに聞く。
「もしものときを考えて、ケルベロスに強力は爆弾を装備させたんだ。そのロックを解除した」
「お前、他にもまた改造したのか……」
呆れるペルセウス。
「ただ、3発しか装備できなかった。それに、あまりに威力が強いから、誤作動を起こさないようロックをかけていたんだ。ついでに言うと、ケルベロスは戦闘不能になる」
その場にいた全員が言葉を失った。
「で、でも、そんな大きな爆弾を持っているように見えないけど……」
イシュタムが心配そうに口を挟む。
「ハーデスがやることを見ていれば分かるさ。3発しか装備できなかった理由もな」
ソールは全員にモニターを見るよう促した。
《アルテミス、ポセイドン! 俺の作戦を聞いてくれ!!》
ハーデスの案はこうだ。セイレーンでスルトの各部を翻弄する。次にヒュドラのフル出力の氷で動きを止める。最後に、ケルベロスの特大爆弾でとどめを刺す。
《動きを止めると言っても、2、3秒が限界だぞ!?》
スルトは装甲に高熱を宿している。ヒュドラの氷でもほんの少しの時間しかとめられないだろう。
《それでいい。頼んだぜ》
通信を切ると作戦が開始された。
(標的は3体、弾は3発。1回も失敗できねえな)
ハーデスは心の中でつぶやくと、モニターに目を向けた。
セイレーンがスルトの左腕を翻弄する。しかし、スピードはほぼ同じか、スルトの方が若干速い。追いつかれそうになると、舵を切って急旋回する。アルテミスは、そんなアクロバット飛行を続けた。
ポセイドンはヒュドラの経口全ての照準をスルトの左腕に合わせた。そして、出力量を最大に設定し、氷を発射した。正確には氷ではなく大気を凍りつかせる風である。
「発射!!」
凍てつく風がスルトの左腕を包んで氷の膜を作り、2秒ほど動きを止めた。
《ハーデス!》
《ああ!》
ハーデスはすかさず、サンギルドファングボムの発射ボタンを押した。
ケルベロスの右側の首が光ったかと思うと、胴体から分離して一直線にスルトに向かう。ケルベロスの頭は大きく口を開いてスルトの左腕に噛みついた。次の瞬間――その牙が光り、標的の内部にエネルギーを注ぎ込んだ。
力尽きたケルベロスの頭は崩れて海に落下。同時に、スルトの左腕はが光り、内部から爆発した。
この一連の動きが、わずか2秒の間に発生したのだ。
《やった!》
アルテミスが叫んだ。
《3発しかないというのは、これが理由だったのか》
ポセイドンが呆れたようにつぶやく。
ハーデス曰く、このサンギルドファングボムは、ケルベロスの牙にサンギルドシステムを応用した装置を組み込んでいるという。頭部に蓄積された太陽エネルギーが牙を伝わって標的に注ぎ込み、内部から爆発させるというものだ。ケルベロスの首が3つだから、3発まで発射できる。
しかし、3発使い終わった後はケルベロスの頭――つまり砲身もなくなるので、戦闘不能になる。まさに捨て身の攻撃だ。ケルベロスはこの戦いで完全燃焼させるつもりだ。
《さあ、あと2体! いくぞ!!》
しかし、ハーデスが叫んだとたん、セイレーンが空中でバランスを崩した。スルトの右腕が殴りかかってきたのだ。
《きゃああっ!》
直撃は避けたが、両翼を溶かされてセイレーンは落ちていく。
《アルテミス!!》
なすすべもなく、地上に墜落して大爆発した。
《アルテミス、脱出できたのか!?》
《脱出ポッドが飛び出たように見えたが、確証が持てん》
死んだかもしれない――しかしこれは戦いだ。戦死することは想定内である。
ハーデスもポセイドンもアルテミスの無事を信じ、残る2体に対峙した。
《それにしてもどうするよ。攪乱してくれる戦闘機がなければやりにくいぜ》
《増援を呼ぶか……》
ペガサスとグリフォンのことが頭をよぎった。彼らが来てくれれば戦況は有利になる。しかしこの後にグールヴェイグの襲撃してくることを考えると、できれば避けたかった。
《加勢するぞ!!》
突然、ケルベロスとヒュドラに通信が入った。同時に、20機ほどのスレイプニルが現れたのだ。
《アスガルド空軍のフレイだ! あのデカブツを引きつける!》
《よせ! 並の敵ではない、死ぬぞ!!》
《自分の国の防衛を、貴国に任せっきりにはできない! 行くぞ!!》
スレイプニルたちはスルトの右腕と頭を取り巻き始めた。セイレーンに比べて機動性は劣る。次々に叩かれ、パイロットも機体も蒸発していく。
《早めに頼む! たいした力にはなれそうもない!!》
《分かった! ハーデス、2発目いくぞ!!》
《おう!》
ヒュドラがスルトの右腕に照準を合わせ、氷を発射した。同時にケルベロスの左首が腕に噛みつき、先ほどと同様に崩れ落ちた。直後、標的の右腕が光って爆発した。
《よし!》
しかし、この間にスレイプニルは5機にまで減ってしまった。残った頭部をさっさと撃破しなければ……!
ところが次の瞬間、想像していなかった光景を目にした。
敵はスルトの頭部を残すのみとなった。対してアスガルド・アルカディア連合隊はケルベロスのサンギルドファングボム1発、ヒュドラの砲身、スレイプニル5機だ。
《腕とは違う動きをするかもしれん。気をつけろ》
《ああ》
ところがスルトの頭部は滞空したままで攻撃してこない。
《何だ、故障でもしたのか?》
しかし次の瞬間、スルトが口を開けてスレイプニルに襲いかかった。
《うわあっ!》
パイロットの絶叫ごと機体を食ってしまったのだ。
《まずい! 各個撃破をしてくるぞ!!》
ポセイドンが叫んだが遅かった。スレイプニルは次々に食われ、残ったのは隊長のフレイだけになってしまったのだ。
(どうする!?)
数秒考えた末、ポセイドンはひらめいた。
《フレイ殿、しばらくスルトを翻弄して、合図をしたらケルベロスに引きつけてくれ!》
《大丈夫か!?》
《ああ、信じてくれ!!》
《了解!!》
フレイの操るスレイプニルはスルトの回りを旋回し始めた。その間に、ヒュドラは移動する。ちょうど、スルトとケルベロスの動線上だ。
《何する気だ、ポセイドン!?》
ポセイドンの案はこうだ。スルトは近くにいる敵に反応して襲いかかるようにプログラムされているはずだ。それなら、ヒュドラとケルベロスに向かってくるように仕向け、先にヒュドラの残った氷のエネルギーをぶつける。その隙にサンギルドファングボムをぶつけるというものだ。
ヒュドラもここで完全燃焼させることにしたのだ。
《フレイ殿、10秒たったらこちらに向かってくれ!!》
《わかった!!》
《いくぞ、ハーデス!》
《ああ、頼むぜポセイドン》
ついにスレイプニルが向かってきた。ヒュドラは砲身を構えてスルトに発射した。最後の力を振り絞った攻撃は、みるみるうちにスルトを凍らせていく。しかし、スルトは進撃をやめない。ついにスレイプニルに激突した。
《フレイ殿!》
《くそっ、あとは頼んだ……!!》
その言葉は爆発に飲み込まれた。さらにスルトは、ヒュドラに激突して砲身を全て破壊した。
《うわあっ!!》
ポセイドンの絶叫がしても、ハーデスは心を乱さない。皆が作ってくれたチャンスを無駄にしないために――。
「アルカディア軍をなめるなあ!!」
最後のボムが飛び出し、スルトに噛みついた。そして内部にエネルギーを注ぎ込み、誘爆に成功した。
「やった!」
しかしその大量の破片が、首のなくなったケルベロスに降り注いだ。
「ぐわあああああああ!!」
敵は全て沈黙したことを確認するとともに、すぐさま救助隊が派遣された。
アスガルド軍の被害はひどいものだった。空軍は全滅、陸海軍も8割がやられている。生存者も大なり小なり負傷していて、無事なものは1人もいなかった。
そしてアルカディア軍は――。
「アルテミス、ハーデス、ポセイドンを救助しました。3人とも生存しています!!」
救助隊の報告を聞き、ソールたちは胸をなで下ろした。さすがに世界最強の軍人たちである。あの状況で、脱出ポッドを作動させて身を守っていたのだ。
しかしながら怪我はひどいもので、アルテミスは左腕と両足を骨折、ハーデスは背中に大やけど、ポセイドンは脳しんとうに加えてあばらを骨折している。気を失っているため、すぐに集中治療室に運ばれ、緊急手術が行われた。
セイレーン、ケルベロス、ヒュドラは大破し戦闘不能に。アルカディアの戦力は半減したことになる。
「ここまでの消耗戦になるとはな……」
アーレスですら眉間にしわを寄せてうなった。
スルトとムスペルが襲撃してきたのは誤算だったが、何とか食い止められた。残るはニーズホッグ、スコル、ハティ、そしてフレスヴェルグだ。他にも戦力を保持しているかが気がかりだった。が、ソールからすれば、スルトのようなものをいくつも造るのは時間や資源の問題から不可能とのことだ。
対してアルカディア側はフェニックス、ペガサス、グリフォン、ケツァルコアトルで、空戦の戦力は欠けずに済んでいる。
「次はどう出てくるか……」
最終決戦が近づいている。誰もがそう思っていた。しかし、事態はその2日後、予想外の動きを見せた。
ニブルヘイムの女王ヘルは、ロキに痛烈な一言を浴びせた。
「どういうことです、ロキ? ムスペルとスルトが倒されたとは……」
ヘルは自国をアスガルドから護るためにヴァナヘイムと手を組み、さらにグールヴェイグを保護して傘下に入れた。テュルフング・ミサイルの製造、ムスペルとスルトの開発など、兵器製造を国内で許可し、資源を提供したのも同じ理由だ。
「ムスペルとスルトは前座のようなもの。アスガルド側の戦力を大幅にダウンさせた点で言えば、作戦は成功ですよ」
不適な笑みを浮かべるロキ。その目は相変わらず笑っていない。
「ここにいるヴクブ・カメーは、短期間であの巨人たちを開発した。その技術を使えば、次の作戦でアスガルドを殲滅できます」
「確かなのでしょうね?」
「ええ」
「……よろしい。では、引き続きお願いします」
「ニブルヘイムが和睦を申し出ただと?」
ペルセウスが首をかしげた。スルト、ムスペルとの激闘から2日後のことである。
「そんなあっさり和睦するもんかね・・・」
アーレスも疑問を持つ。
あれだけの死闘を繰り広げたのに、今さら和睦とは・・・。
ただ、2日前の襲撃がニブルヘイムによるものと断定できていないため、白々しく和睦を申し出てきたとも言える。
もっとも、アスガルドが海上封鎖をしたためにニブルヘイム・ヴァナヘイム連合国の緊張は極限まで達した。このままではテュルフング兵器の応酬戦になってしまう。そこでヴァナヘイム側が譲歩し、ニブルヘイムで和睦交渉のテーブルを用意してきたのだ。
「そんなに気になるのか?」
ソールはのほほんと尋ねた。
「罠かもしれないんだ。この和睦、簡単に飲めるかなあ」
と、ペルセウスが答える。
しかし、アスガルド側は使者を送ることにしたようだ。使者は外交の最高責任者であるバルドルが選ばれた。
バルドルは、オーディンの書簡を携えてニブルヘイムを訪れることになった。その前に、一度アルカディア軍の詰め所に顔を出した。
「アルカディアの諸賢には迷惑をかけている。申し訳ない」
深々と頭を下げた。輝くような金髪と端正な顔立ち。目は切れ長だが優しい印象を与える。
「しかし、もしかしたらこの面談で和睦ができるかもしれない。そうなれば、これ以上迷惑はかけないだろう」
バルドルは白い歯を見せて笑った。
「そうであればいいんですけど・・・」
ソールは頭をかきながら答えた。最初から期待していない態度である。
「おいソール」
「なんだよペルセウス。あんただって罠かもって言っただろ」
ペルセウスはソールの足を思いっきり踏んづけた。
「いてっ!!」
「バルドル殿、よろしくお願いします。これ以上の戦いは無益ですから」
「承知しました。行ってまいります」
バルドルを見送った後、ペルセウスはソールをにらんだ。
「ったく、お前はどこまで空気を読まないんだ」
6時間後。バルドルら交渉メンバーの一行はニブルヘイムに到着した。和平会談は海岸にある都市部の一画で行われた。
ソールは小型偵察機を飛ばし、交渉の様子を観察することにした。
「またお前はそんなものを……」
ペルセウスは呆れつつも、興味があるので隣で一緒に見ることにした。
双方の責任者が握手を交わし、早速交渉が開始される。ニブルヘイムとヴァナハイム側は、ニブルヘイムに入って来たテュルフング・ミサイルの材料及び建設設備を、三日以内に撤去する。アスガルド側は、ヴァナヘイムの近海に浮かんでいるテュルフング・ミサイル搭載の軍艦を全て撤去する。
双方の条件は前もってお互いに知らされていたので、話はスムーズに進み、条約書に調印することができた。
その様子を見て、ソールたちは拍子抜けした。
「何だか…ずいぶんあっさり終わったな」
ニブルヘイムの仕業という確証がないが、ムスペルとスルトの襲撃で甚大な被害があった。それを帳消しにしようとも取れる。
「それが戦争というものだ」
もし、軍事と政治に詳しいポセイドンがいたら、そう言っただろう。
「さて、偵察機を引き上げるとするか」
ソールが操縦レバーを触ろうとしたとき、突然異音が発生した。
「何だ!?」
画面をのぞき込むと、交渉メンバーのところに1機の偵察機がいた。
《諸君、あれだけの戦いがありながら和平交渉に持ち込もうとする心意気、感服したよ!》
聞き覚えのある声だった。
「ロキ!!」
ソールの背中に冷や汗がにじんだ。