「そろそろ『光の祭典』の時期だな」

 姉様の治療も兼ねて私が兄様の元を訪れると、珍しく兄様に話を振られて私は嬉しくなった。
 光の祭典というのは、『光の巫女』である私が、毎年受け持っている国の結界のはりなおしの行事のことだ。

「任せて! きっちりこなすから!」

「……あまり、無理はするなよ」

 ――兄様に心配してもらえた!!!

「うん! ありがとう。兄様!」

 私には、それが嬉しくてたまらなくて――私が元気よく返事をしたら、兄様は私から視線をそらした。



「おかえりなさいませ。アメリア様。体調はいかがですか?」

 だが、嬉しすぎて頑張りすぎてしまったらしい。
 魔力を込めすぎた私は式典後倒れてしまい、目が覚めたら神殿の医務室にいた。そして寝台の隣で、椅子に座ったあの男が、何故か私の手を握っていた。
 男の長い睫毛が影を作る。

「な、なんで貴方が」
 私が勢いよく手を引っ込めると、男はいつものように胡散臭い笑みを浮かべた。

「アメリア様に何かあっては困りますから。貴方を支えるのも、私の仕事です」

 私に治癒魔法をかけてくれていたらしい。
 未来予知が専門だろうに、わざわざ他の神官を押しのけてまで私の寝顔を眺めるなんて、本当にこの男は悪趣味だと私は思った。
 『林檎でも食べます?』なんて言って、彼はナイフで赤い果実を剥くと、私に差し出した。しかし、この男が私にくれる食べ物なんて、何が入っているかわかったものではない。私は、当然受け取りを拒否した。
 そうして私は寝台から降りると、私室に戻ろうと廊下に出た。

「ついてこないで」
「そんな足取りで、一体どこに行かれるおつもりですか?」
「ついてこないでって言ってるでしょ!」

 だが、そんな私のあとを男はついてきた。
 気遣うような口ぶりだが、この男が本当に私の身を案じるなんてあり得ない。
 
「わ、わ、わ……っ!」
 私は、男から距離を取ろうとして――バランスを崩して、神殿にある噴水の中に落ちかけた。

「アメリア様!」
 するとその時、誰かが私の手を強く引いた。ぎゅっと目を瞑るも、痛みはない。
 代わりに。

「……大丈夫、ですか?」

 何故かあの男が、私を抱きしめるかのようにして噴水の中に落ちていた。
 顔が近い。これはこれは、水も滴る――……ではなく。

「ち……血が滲んでる!!」
 私は、彼の包帯から流れ出た血が、水を赤く染めているのに気付いて悲鳴を上げた。

「ああ。傷口が開いたのでしょう。問題はありません」
「問題大アリよ! すぐ手当しないと!」
 私は噴水の中で立ち上がると、彼の手を引いて医務室に戻った。

 私の魔法は、式典や王族のためにしか、使うことを許されていない。怪我を魔法で治せないかわりに、私は治療を行った。
 男には、たくさんの傷があった。それも長い間、自分を傷つけたようなあとが。
 あまりの痛々しさに顔を顰める私を、男は黙って見つめていた。

「……ごめんなさい。私のせいで」

 しかし治療を終えた私が長い沈黙の後な謝罪すると、男はいつものように飄々とした笑みを浮かべた。

「貴方に心配してもらえるなら、濡れたかいがありました」

 私の髪を一房取って口付ける。
 そうして、そのまま――綺麗な彼の顔が、私に近付く。

「この……やさぐれ神官っ!」
 
 私は、全力で男の頬を叩くと、急いで医務室を出た。
 全く、何を考えているのか本当に理解出来ない――私は、鼓動が早くなる胸をおさえた。

 有り得ない。有り得ない。有り得ない!
 顔がいいからうっかり流されそうになってしまったが、あんな狂った男と――なんて、死んでもゴメンだ。

 だがその日の私とあの男の話は、神殿の一部の者に目撃されてしまっていたらしい。
 翌日、ジルに話を振られた私は、思わず飲んでいたハーブティーをふきだした。

「アメリア様と神官長様が恋仲で、結婚の話があると聞いたのですが本当ですか!?」

「は、はあっ!? だ、誰にそんな話聞いたの!?」
「だって、みんなが噂してたんです。アメリア様が神官長様の手を無理矢理引いて、二人っきりの部屋からしばらく出てこなかったって……」
 
 医務室! 医務室という情報が抜けている!!!

 私は、顔から火が出そうだった。
 情報の出どころはどこだ。絶対に許さない。
 それに、私とあの男のように、魔力の強い者同士が結婚だなんて――たとえ子どもが生まれなくても、兄様の負担になるに決まっている。
 私は、誤解をとくためにあの男のもとに向かうことにした。すると、私より先に、男に問い詰めている人間たちがいるようだった。
 女の子達に囲まれた男を見て、私は、思わず壁に隠れた。

 ――私のこと、あの男は、どんな風に言うんだろう?
 何故か胸の鼓動が少し速くなる。

「私と彼女は、そういう関係ではありません」 

 男は、いつものような笑顔を浮かべて、私との関係を否定した。

「私は彼女に、嫌われていますから」



「それはそうと、結界がはれたから、今日はお祭りよ! 沢山出店で美味しいもの食べなきゃ!」

 光の祭典による結界のはりかえでは、前後三日間、約一週間の祭りが開かれる。
 私はこの日のために作ったかつらを被り、更に目深にフードを被った。

 クリスタロスで、金髪は王族の象徴だ。
 それさえ隠せば、私の正体がバレることはないだろう。

「あ、アメリア様……」
「ジル? 今日、私は『リア』よ。そう呼んで頂戴」
「リ、リア……」
「よろしい」

 あまり気乗りしないらしいジルの手を引いて、私は神殿の壁にこっそりあけた穴から外に出た。
 因みにこの穴、『強化魔法』であけたものだ。

「行こう。ジル」



 国を守る祭典が成功したということもあって、町は賑わっていた。

 温かそうな食べ物が立ち並び、人々は喜び踊る。その姿を見ていると、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
 『光の巫女』として、私に多くの制約を課す者はいる。普段はそれを鬱陶しく感じている私だけれど、私の魔法で喜ぶ人々の顔を見るのは、私はとても好きだった。

「星が見たいな」
 せっかく神殿を抜け出したのだ。お土産をジルに買ってもらっている間、私はふと空を見上げてそう思った。

「兄様と、昔一緒に見たっけ」

 昔――たった、一度だけ。
 私は兄様と一緒に、星を見上げたことがある。

 幼かった頃の私は、一人神殿で過ごすのか嫌で、駄々をこねて数日間だけ王城に戻ったことがあった。そして私はその夜、枕を片手に兄様の部屋に行った。

『にいさま』
 私が部屋に行くと、兄様はベランダで空を見上げていた。

『……アメリア?』
『にいさま、なにみてるの?』
『……星を、眺めていた』
 兄様は静かに答えた。

『あの星と比べて、どれほど私は、ちっぽけな存在だろう』
『あんなのよりにいさまのほうが、ずっとずっとおおきい』

 兄様の語る難しい話は、私にはよく分からない。
 ただ暗くてよく見えなかったけれど、私の言葉を聞いて、兄様は珍しく笑ったようだった。

『異世界人《かれら》の世界と法則は異なるだろうが、あの星星は、本当はもっと大きいらしい。遠くにあるから、小さく見えるだけなんだ』

 兄様が、星空に手を伸ばす。
 その時だった。
 空から、星が落ちてきた。

『わあっ!』
『流星群だ』
『すごいっ! すごいね。にいさま!』
 その時、ベランダに足をかけてはしゃぐ私の体を、兄様が掴んだ。

『危ない』

 兄様は、全く手のかかる、とでも言いたげだった。
 私と兄様は、少ししか年は離れていないのに――こういう落ち着いたところも、私は兄様が好きだった。

『にいさま、しってる? ながれぼし、におねがいをすると、おねがいがかなうんだって』
『迷信だ』
 兄様は、冷静に言い切った。

『なんでそんなこというの? リア、うそなんてついてない。ながれぼし、にねがったら、かなうんだから! だから、にいさまも――』
『叶わない』
 幼い頃から、兄様はどこまでも現実的だった。

『だったら……』
 私は、両手を精一杯空に向けて広げて叫んだ。

『このおほしさま、ぜんぶにいさまにあげる!』
 私の発言は、兄様にとって予想外だったらしい。兄様は、キョトンとした顔をした。

『それでもし……もしおほしさまがにいさまのおねがいをかなえてくれなかったなら、にいさまのおねがいは、ぜんぶわたしがかなえてあげる!』
『……なんだ、それは』
 
 あの日、兄様は笑った。

 馬鹿みたいに、夢みたいなことを口にする、幼くて傲慢な私の言葉に。
 だから私も一緒に笑った。兄様が笑ってくれるのが、心から嬉しかったから。
 兄様はあの日のことを忘れているかもしれないけれど、私にとってあの夜は、一生の宝物だ。

 星のようにきらめいて、今も私の心を照らしてくれる。

「……兄様も、今頃姉様と一緒に見てるかな?」

 祭りのにぎわいから少し離れ、一人空を見上げていると、私は声を掛けられた。

「貴方も、ここに星を眺めにきたんですか?」
「え?」

 その声は少し、兄様と似ていた。

「すいません。驚かせてしまいましたか」

 落ち着いた雰囲気。けれど彼は金髪でもなければ、魔力は欠片も感じられなかった。
 
 ――兄様じゃ、ない。

 彼は、まるで彼の人柄をあらわすかのように、落ち着いた茶色の髪に、緑の瞳を宿していた。まるで森の新緑を思わせるようなその外見は、私には新鮮で、それでいて私に癒しを与えてくれた。

 私たちはたまたま同じ星を見上げた――それだけの関係だった。
 そのはずなのに――私は、何故か彼とは、また出会えるような気がした。

「貴方の名前を伺っても?」
「……もう一度貴方に出会えたら、その時は、私の名前を教えます」

 彼の問いに、私はまるで恋物語のヒロインが運命の出会いをしたときのような言葉を口にして、名は明かさずに彼の元を去った。