【最終章】『婚約破棄された悪役令嬢は今日から騎士になるそうです。』永遠の薔薇の誓い編

 彼の話をよくよく聞いていると、彼は本当に、『友人』の多い男だった。

 因みに何故大国の王と友人なのかと言うことを聞いたら、王の結婚式で『紙の鳥』を披露したことがきっかけらしい
 しかも、彼らと学校を作るために計画を練っていると話を聞かされたときは、彼の変人っぷりを私は再認識することとなった。

『大切な友人なんだ』

 彼が笑って話すその言葉を聞く度に、私の胸はつきりと痛んだ。

 森の屋敷に、もう人は私だけだ。
 そのこと、ずっと忘れたことなんてなかったはずなのに、彼と話すようになってから、私は『空白』というものを強く感じるようになっていた。

 そんな日々が続いて暫くして、彼は再び国をあけると私に言った。
 なんでも時空の歪みから『異世界人《まれびと》』がやってくると予言があったらしい。
 現在異世界召喚について、世界に与える影響から、禁止の方向で世界は動いている。そんな中で、異世界にやってきてしまった彼らの保護は、急を要することは私にも理解できた。

『客人を、迎えに行ってくる』
 そう笑う彼は『王』らしく、そして何故か、どこにでもいる『少年』のようでもあった。
 彼を待つ間、私は彼が今どうしているかを想像してみた。

『ようこそ。俺の名前はリヒト・クリスタロス。ここは、俺が治める国、クリスタロス王国だ。異世界から招かれた客人よ。俺は、君のことを歓迎しよう』

 金色の髪に赤い瞳。
 純白の翼に青い目を持つフィンゴットともに現れた美しい王に手を差し出されたら、誰だってその手を取るに違いない。

 そして今のこの世界の、『異世界人《まれびと》』を利用しようとする人間が多いなかで、自分を守ってくれる王に、やがて彼らは心酔するだろう。
 敬愛というより執着に似た――いや、もっとその感情に、相応しい言葉は……?

「依存」

 その言葉を口にしたとき、何故か私の胸は騒いだ。

 ―――違う。自分が、そんなはずはない。

 心臓は、バクバクと音を立てる。

 ――有り得ない。私が、彼に依存している、など。



「帰ってきたぞ! ユーゴ!」

 約束通り数日後、再び彼はやってきた。

「聞いてくれ。なんと異世界人から、本で読んだことのない話を聞いたんだ!」
「それは良かったですね」

 私が頷けば、彼は目を輝かせ、延々と異世界人から聞いた話を私に聞かせた。

「私、今日はもう貴方の話は、聞きたくありません」

 流石に長時間、ずっと相槌を強要されると疲れる。私がそういえば、彼は首を傾げた。どうやら、本気で悪気はなかったらしい。

「えっ? なんでそんなこと言うんだ……?」
「知らない世界の、知らない人間の話を長々と聞かされる私の身にもなってみてください。貴方が異世界に興味を示している件については、十分私も理解しました」
「すまない。君は興味のない話だったか?」
「……」

 彼の質問に、私は頷きはしなかった。
 興味がなかったわけではなかった。

 ただ、妬ましく思っただけだ。
 私が与えられない知識を、異世界人は持っている。私が彼に与えられない権力を、二人の王は持っている。
 私にはないものを喜んで語る彼の姿を、私は見たくはなかった。
 
「じゃあ!」
「はい?」
「今度は、君の話を聞かせてくれ!」

 予想外の彼の願いに、私は驚くことしか出来なかった。

「私、ですか……?」
「ああ。俺が来ていないときは何をしているのか。好きなものだとか、嫌いなものだとか、何でもいい。――俺に、君の話を聞かせてくれ」

 私のことを知りたいと願う。
 彼の笑顔を見たときに、また胸はざわついた。



 その日、久しぶりに夢を見た。 
 それは忘れたはずの、過去の記憶の夢だった。

『ユーゴ様』
『どうか、どうか我らをお救いください!』
 誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。

『神に祝福された子どもよ!』
 誰かが私を讃える声が聞こえる。

『どうして、貴方だけが……?』
 そうして、誰かが――私を見上げ、掠れた声で呟く。

「……っ!」
 縋るように、女は私の脚を掴む。血に濡れたやせ細った女からは、昔の明るい面影は微塵も感じられない。
 女の目に宿るのは、私への問いかけだけ。
 女とは違い、健康な私への。

「は……ははは……」
 目が覚めたら、私は泣いていた。
 私は体を丸くすると、頭痛のする頭をおさえた。
  
「……全く、なんて夢だ」



「大丈夫か? ユーゴ。顔色が悪いように見える」
「何でもありません」
「でも、顔色が……」
「何でも無いと言っているでしょう!」

 彼に触れられそうになり、私は思わず声を上げた。
 私に『癒し』なんて必要ない。

「落ち着け。君の心が乱れると、世界に影響が出る」

 その言葉を聞いたとき、私は私の中で、何かがひび割れる音を聞いた。

「……ああ。やっぱり、分かっていたんですね。私が、『神に祝福された子ども』だと」
「ユーゴ?」
「ここに来たのは、自分の地位のために私を懐柔するためですか?」

 祝福の子の忠誠を得る王は優れた王であるとされる。
 彼は、人の心を掌握することに長けている。
 大国の王の心さえ掴む。そんな彼なら、森で一人で暮らす人間の心を操ることなど容易いだろう。

「違う。俺は……!」
「触らないでください!」

 私が叫べば、彼は体をビクリと震わせた。

「危うく貴方に騙されるところでした。……貴方の父が私の村に何をしたのか、貴方が知らないはずはなかったのに」
「……っ」
「私の村を見捨てた王の子が、私と友となろうなど――――虫がよすぎるにもほどがある」



 一三年前のことだった。

 この森にはかつて、小さな村があった。
 村には特産物などがあったわけではなかったが、誰もが心穏やかに暮していた。
 ある日、村に一人の子どもが生まれた。

 『神に祝福された子ども』
 人々は、子どもの誕生を祝福した。

 そして、永遠の命をも与えられるというその子どもの話を聞きつけた王は、自分の元に寄越すように言ったが、子どもの両親はそれを拒んだ。

 長い時を生きる自らの息子に、二人は『普通』に生きていくことを望んだ。
 両親は彼が一〇歳頃不慮の事故で亡くなったが、子どもが困窮するようなことはなかった。村で唯一地属性の魔法を使えた彼は、植物の成長の促進などを手伝いながら、同時に薬師としての役目も果たすようになった。

『ユーゴってば。まーた難しい顔してる!』

 子どもはあまり外に出る生活は送らなかった。それは子どもの性分と言うより、幼すぎる外見のせいだった。
 同じ年に生まれた少女とは、いつの間にか身長が離れてしまっていた。

『部屋に引きこもって、そうやってすり鉢とにらめっこする人生なんてつまらないわ』

 彼女は子どもとは違い、どこまでも明るい人だった。美しい人というわけではなかった。ただ、彼女の纏う雰囲気は、いつもきらきらと輝いていた。
 彼女がそこにいるだけで、周囲の空気は明るくなる。彼女は、そういう人だった。
 
『前空を見上げて、手を空に伸ばすの。陽の光を体いっぱいに浴びると、生きてるんだって、そう思うの』

 無理矢理私の手を引いて外に出た彼女が、空に手を伸ばしてそんな事を言う。

『ねえ、ユーゴ。貴方も部屋にばかり閉じこもってないで、一日の間にこんな時間があってもいいものだとは思わない?』

 そんな彼女だったからこそ、彼女を妻にと望む者は現れた。申し出を受ける前、彼女は私に話をした。

『ユーゴ。私は、どうすべきなのかな?』
『受ければいい』
『え?』
『あの男なら、貴方を幸せにできるだろう』
『そっか。……わかった』

 子どもは彼女の顔が見られなかった。
 その時彼女がどんな表情をしていたかしらぬまま――彼女の結婚は決まった。
 周囲の人間が祝福の言葉を口にする中、子どもは祝福の言葉を述べることは出来なかった。

 最初は同じ目線で進んでいたはずなのに、同じ世界を見ていたはずなのに――いつの間にか自分たちが見ていた世界は、大きく違ってしまったように子どもには思えた。
 そんな日々を過ごす子どものもとに、何度も手紙は届いた。
 
『また手紙が……。いい加減、諦めてくれたらいいのに』

 『神に祝福された子ども』として、自らに仕えよと――手紙の内容は、だいたいいつもそんなことだった。

 王の下に行くつもりはなかった。
 そんな時だった。
 村に、病が蔓延した。
 そして王はその対応として――村人を助けるどころか、結界を張って人々を森から出られなくしてしまった。

「私が。私が拒んだから……?」

 王が村を救うつもりがないこと。それだけは明らかだった。
 
 毎日人々が死ぬ中で、たった一人の子どもが――私だけが、病にかかることが出来なかった。
 一緒に死んでしまえたら良かった。けれど自分に与えられた神の祝福は、それを許しはしなかった。
 そしてそんな私のことを人々は神とあがめ、その祝福が自分に与えられないことがわかったとき、私への態度を変えた。

『どうして、貴方だけが……?』
 いつだって優しい言葉を口にして、明るく笑っていた彼女でさえも、最期はそう言って私の腕の中で命を落とした。
 私には、誰一人救えなかった。
 たった一人。たった一人――愛した女性でさえも。
 
『は……は、あ……。は……はは……』

 一人きりの森の中、私は空を見上げた。
 王も村人も同じことだ。
 馬鹿げている。こんな無力な自分を神の愛し子と思うことも、縋ることしか出来ない人間も。
 みんなみんな、馬鹿げている。

『一人で生きよう。これからは、ずっと一人で』

 この世界に、神などいない。
 他人の優しさなんて所詮作り物だ。
 信じるに値する人間など、この世界にどこにもいない。



 私が突き放してから、彼の訪れはなくなった。森に響くのは木々のざわめき、そして生き物の声だけだ。
 手紙は来なかった。
 そういえば、先代からなら鬱陶しいほど来ていたというのに、彼の代になってから連絡があったのは、初めて彼が森にやってきたときだった。

 いつだって彼は突然やってきて、私の世界をかき回した。
 嵐の日にさえやってきた、まるで嵐のような、太陽のような王。
 訪れがなくなりしばらくして、森に聞き慣れた声が響いて、私は思わず扉を開けた。
 
「ピイ!」
「フィンゴット……?」

 籠をくわえたあの王の契約獣が、森の屋敷にやってきた。
 籠の中に、手紙は入っていなかった。
 手紙を探す私を見て、フィンゴットは首を傾げ、それから静かに飛翔した。
 飛び立つ白いドラゴンの背を見上げながら、私は一人自嘲した。

『はじめまして。突然だが、俺と友だちにならないか?』
 目を瞑ればあの日の彼の言葉が、鮮明に蘇る。

「……私は」

 結局のところどうしようもなく、私は彼に溺れていた。

「あ……」

 彼がいない。彼はもう、自分に会いに来てくれない。
 そう思うだけで、胸が張り裂けそうになって涙がこぼれた。地属性の適性の強い自分では、この小さな体では、森から遠く離れた彼の城に行くことは難しい。
 たとえ城にたどり着いてもなんというのだ。
 自分は神の愛し子だから、王に会わせろと? ……そんなこと、今更得言えるはずない。

「リヒト、様……っ!」

 私が、彼の名前を呼んだとき。

「……ユーゴ?」

 彼が、驚いたような声で私を呼んだ。

「……な、なんで、ここに」

 これは、夢か幻か。
 私が目を瞬かせると、フィンゴットから降りた彼が、私の方へと近寄ってきた。

「フィンゴットが連れてきてくれたんだ。大丈夫か? まさか、どこか怪我でもしたのか?」

 手を伸ばした彼は、私に触れそうになると――伸ばした手を引っ込めて、ぎこちなく目を伏せた。

「す、すまない。俺に触れられるのは嫌だよな」

 だが私は、その手を取った。

「ユーゴ?」
「もう私には、会いに来てくださらないと思っていました」
「それは……」

 彼が私から視線をそらす。

「今は君が俺に、会いたくないだろうと思って」
「これまでは私が拒んでいても会いに来ていたのに?」
「……」

 沈黙の後、彼は口をひらいた。

「すまない。実は君に、話していなかったことがある」
「それは、なんですか?」

 彼が何を話すのか、私にはわかっていた。

「君が言ったように、父上がしたことを、俺は知っていた。君が特別な存在であることも、最初から俺は知っていた」
「……」
「俺は君に会いに来た。でも……でもそれは、君が特別だったからじゃない。俺は……俺は君にただ、一人になって欲しくなかっただけなんだ」

 彼は目をそらすことなく、まっすぐに私を見て言った。
 
「俺は、君と友だちになりたかった。君が誰かの痛みを、一人で背負ってしまわないように。君が誰かの、神様になってしまわないように。悪かった。守ってやれなくて、すまなかった。君を――一人にしてすまなかった」

 王であるはずの彼が、私に深く頭を下げる。
 それは彼の父が、私に一度もしなかったこと。

「貴方なら、どうしましたか」
「?」
「貴方も貴方の父と同じように、村を閉鎖されましたか」
「それは……今の俺には、わからない。もしかしたら、同じような選択をしたかも知れない」
 
 彼の言葉に偽りはない。
 そうだ。いつだって、彼はそういう人だった。
 ……それはきっと、本当は、彼女だって。

「でも同じ理由で、誰かが苦しむのは見たくない。だから俺は、同じことが起きないように、この国を変えたいとそう思う。例えば、誰もが使える薬を。光魔法が使えなくたって、役に立つそんなものを――これから作りたいと俺は思う」

 空を見上げて語る彼の姿が、彼女と重なる。
 姿形は似ていない。ただそれでも、明るい方へ、明るい方へ、私を連れ出そうとするところは、彼女と彼はとても良く似ているように思えた。

『前空を見上げて、手を空に伸ばすの。陽の光を体いっぱいに浴びると、生きてるんだって、そう思うの』

 そう言って、笑っていた。

『どうして、貴方だけが……?』

 最後の瞬間、彼女は私にそう言った。
 かつての私は、それを裏切りだと思った。所詮本当に優しい人間など、この世界にはいないのだと。
 でも、今は。
 今なら彼女や死んでいった他の者たちの言葉も、理解出来るような気がした。

 あの言葉は、全部。私の死を望む言葉ではなく、差別をされていたわけではなく、ただ――彼らはみな、きっと生きたかっただけだった。

 だとしたら。
 あの場所で過ごした、自分に向けられた笑顔も何もかも、全て偽りでなかったのなら。
 あの時自分に向けられた彼女の笑顔が、本物だったのだとしたら――。
 私が救えなかった、のは。

「……っ!」

 『優しい人間』が嫌いだ。
 善人のふりをして、その実何を考えているかわからない。
 心の奥底の裏切りを知ったとき、彼らが私に与えたあらゆるものが、偽物へとかわる瞬間。
 陽だまりのようだった世界は、欺瞞だらけの世界に変わる。
 だからこそ――信じることは、愚かしい。

 私は『死』を知らない。
 でもだからといって、死に瀕した人の弱さを攻めることがどうして出来るだろう。
 生きたいと願う人の心を、神ではない自分が、どうして否定できるだろうか。

「私。……私は」
「一緒に行こう。ユーゴ。俺は君を、一人にしないと約束する」
 
 森の奥の屋敷はずっと、光が差し込んでいるのだと思っていた。
 けれど男の見せる光の世界には、その輝きは、遠く及ばなかった。

「だから俺と、友達になってくれないか?」

 その言葉に返す言葉は、とっくにもう決まっている。



「何というか君とのこれまでを思い出して、俺は三顧の礼という話を思い出した」

 ぽつり彼が呟いた言葉を聞いて、私は彼に尋ねた。

「因みにその話について、貴方はどの程度理解しているのですか?」
「ん? 友だちになりたい相手と仲良くなるために、三回相手の家に行く話だと聞いたが」

「貴方の場合、どちらかというより『三顧の礼』というより『天の岩戸』ですよ」

 百夜通いにしては彼は図太く生きているし、三顧の礼というには礼儀がない。
 だとしたら世界に閉じこもっていた存在を無理矢理外に出す話のほうが、よほど似ているように私には思えた。

 自分は戸の内に引きこもっていたのに、外の世界がどうしようもなく騒がしいから。
 外の世界を見てみようと少しだけ戸を開ければ、強引に腕を引かれる。
 現実に背を向けて、自分の世界に引きこもっていた私を、貴方が外に連れ出したのだ。

「扉の外でどんちゃん騒ぎというか……。何度私が拒んでも、貴方は扉を開こうとするのでしょう?」

 それでも、無理矢理連れ出された世界は案外悪くはなくて。

「すまない。迷惑だったか?」

 一つあの神話と違うのは、閉じこもっていたのが、神ではなく私だったということで。
 外の世界には私よりもっと尊い人が、本当にいたということ。
 
「それでも俺は君に、俺の愛するこの国を、この世界を、一緒に見て欲しいと思ったんだ」

 風魔法を使えず、空を飛ぶ生きものとの契約も結べない私では空は飛べない。
 彼が見せてくれた、初めて見た空からの王都の景色は、息をのむほど美しかった。



「おはようございます。リヒト様。執務を終えられていないのに、ここにいらっしゃるとはいい度胸ですね?」
「お、おはよう。ユーゴ……」

 彼の下についてからというもの、日常は慌ただしく過ぎていった。
 森でいたときも彼には振り回されていたが、臣下となってからのことを思えば、あれはまだ甘かったのだと私は再認識させられた。

「陛下は今日も、宰相殿の尻に敷かれておりますなあ」
「一応俺がこの国の王なんだけどな……」
「ならばもっと、王らしく振る舞ってください」
 
 彼の周囲の人間は、みんながみんな彼に甘い。
 それが彼の人柄ゆえというのが理解できるからこそ、私はもどかしかった。

 近くについてよくわかった。
 彼は才能ある人だ。
 森にいる時は、夢物語のように感じたことさえ、彼ならば出来るに違いない――今の私にはそう思えた。

「リヒト様、先日私がお渡ししたものは見ていただけましたか? 魔法の研究はほどほどになさって、早くいい人の一人や二人作ってください」
 
 彼の欠点はただ一つ。
 それは彼に、妃がいないことただそれだけ。

「そういう不誠実なことは、俺はだな……」
「浮いた話一つ無いから言っているんです!」

 私は、思わず叫んだ。
 それは私が、今彼に望む唯一のことだった。
 そう。永く続くこの命が、貴方に願うことはただ一つだけ。

 貴方がこの世界から消えても、貴方の面影を持つ王にお仕えしたい。

「早くお妃様を迎えてください。お世継ぎをつくって、早く私を安心させてください」

 私の光。
 誰よりも大切な優しい貴方が、悲しむ顔は見たくない。
 だからこの国を、貴方が愛するこの国を守るために、貴方がいなくなっても私の心が揺るがないように、私にしるべを与えて欲しい。
 永遠とも思えるこの命。
 私の魂《こころ》が光を失い、闇に閉ざされてしまわぬように。

 貴方が私に『世界』をくれた。
 貴方が魅せてくれる世界が、私にとっての『世界』そのもの。

 だから貴方が愛するこの国を、私が守ると誓いたい。
 リヒト様。
 この命が尽きるまで、変わらぬ敬愛を貴方に捧げましょう。


 この世界にただ一人。
 『我が君』――私にとっての、『光』の王よ。

 いつの世も、多分兄と妹という関係は難しい。

「何故、お前がここにいる」
「兄様。せっかく可愛い妹が来てあげたのに、そんな言い方ないじゃない?」
 
 白百合の咲く庭で、私を見るなり、兄様は今日も不機嫌になった。
 まあ、私が兄様の至福の時間を邪魔したんだから、文句は言えないけれど。

「リカルド。リアを責めないで。リアは私のことを思ってきてくれたの」

 姉様がそういえば、兄様はそれ以上何も言わなかった。

 姉様のために兄様が用意した白百合の庭には、今日も美しい花が咲く。
 昔から感情をあまり表に出さない兄様だけど、兄様が姉様に向ける愛情は本物だ。
 
「しかし、今日の来訪を俺は聞いていなかった。……アメリア。今日は、『光の巫女』としての仕事できたわけじゃないだろう?」
「仕事じゃなじゃ、私は姉様に会ってもいけないの?」

 『光の巫女』アメリア・クリスタロス――それが、私の名前だ。

 クリスタロス王国の姫として生まれた私は、生まれたときから強い魔力と、光属性に強い適性を持っていた。
 得意分野は治癒。
 未来予知……については、治癒に比べると精度は劣る。

 私は兄様と離れて育った。
 私は神殿で巫女として、兄様は王として育てられた。
 私は、能力故にクリスタロス王国での最高位の巫女という立場だけでなく、王族でありながら、王族のための『魔法医』でもあった。
 体があまり強くない姉様の診察や治療もその一つで、私は『姉様の診察』と称しては、神殿を抜け出して兄様をからかいに行っていた。

 ちなみに見た目こそ私と兄様は同じ金髪だけれど、私と兄様の性格は全く似ていない。
 兄様は慎重な人だ。
 石橋は叩いて割って、それで壊して自分で作り直すくらい慎重だ。
 はっきり言って、私はそばで見ていてたまに少しイライラする。
 
「はあ……。全くお前は昔から何なんだ。お前に、俺に関わる理由がどこにある?」
「妹が兄に絡んで何が悪いっていうの?」
「お前には感謝している。……だがお前は、そもそも巫女の役目があるだろう」

 兄様が溜め息を吐くのを見て、私は良いことを思いついた。
 私は、私と兄様のやりとりを微笑みながら眺めていた姉様の膝にわざとらしく頭を乗せて、お兄様を指さした。

「姉様。ひどいの。兄様が私をいじめる」
「まあ、可哀想に」

 姉様が優しく私の髪を撫でる。
 柔らかくて、温かな手。姉様の優しさに私が浸っていると、

「離れろ」

 私は、兄様によって姉様から引き剥がされた。私はそのまま、兄様の手を掴んで背負い投げした。

「てぇいっ!」

 一応、着地は『ふわっと』を意識した。
 何が起こったか理解できなかったらしい兄様は、暫く目を瞬かせていた。
 
「兄様。力勝負で私に勝てるとでも?」

 私が笑って兄様に手を差し出すと、兄様は眉間に皺を作って自力で立ち上がった。

「この馬鹿力め……!」

 そう。
 私には、光属性の他にもう一つ、魔法属性の適性がある。

 それは、『強化属性』。
 この国における神殿の最高位の巫女である『光の巫女』の名を賜る私が強化属性の魔法が使えることは公開されていないが、兄様や姉様に隠す必要は無い。

 慈愛に満ちた愛の伝道者、聖女――『光の巫女』という存在を、世の多くの人はそう考えているけれど、そのイメージは実際の私とかけ離れている。

 私は束縛されるのは嫌いだし、楽しいことが好きだ。
 人が笑っている顔も好きだけど、生真面目な兄様をからかったり、優しい姉様に甘えるのも好きだ。精進潔斎、生きものを殺すことを嫌って肉も魚も食べないのが私のイメージらしいけど、私は振るうに肉や魚を食べるのも好きだし、あと甘いお菓子も好きだ。
 
 巫女としてお祭りに参加するのは禁じられているけれど、神殿を抜け出して顔を隠して祭り屋台を楽しむくらいには、私は娯楽に飢えている。
 詰まるところ私の本質は、魔法さえ使えなければ、他の普通の女の子と変わりはしない。

 対して兄様。
 兄様私と違って確かに魔法の才能は低い方かも知れないけれど、努力家で立派な人だ。
 だって私の能力は、『努力』で手に入れたものじゃない。
 その点、兄様は凄いと思う。とてもじゃないが、私は兄様のようにはなれない。

 兄様は私とは違う視点で、この世界を見ることが出来る人だ。
 だから私は兄様とは違う方法で、この国を、兄様を支えたいと思っている。
 
 問題なのは、神殿と王室との関係だ。クリスタロスに限らず、世界各地にある神殿は、人々の支持によって力を強めていた。兄様は私と比べると、魔法に関わる素質で劣ることは、彼らにとって『つけいる隙』になるようだった。 
 ただ、どんなに彼らが私に媚び諂っても、私と兄様の敵対を望もうと、そんなこと私には関係ない。私の家族はここに居る。私の居場所はここにある。

「いっつも机仕事ばかりしているからこうなるのよ。兄様、少しは外に出て鍛錬でもしたらどう? 太るわよ」
 
 にっこり笑って私が言うと、兄様の眉間の皺が深くなった。
 
「……全く、お前は何なんだ。私をからかって楽しんでいるのか?」
「だって、兄様、いっつも無表情なんだもの。まるで仮面を被っているみたい。そんなんじゃ、子どもが出来たら誤解されるわ」
「子ども……」
 
 私の言葉に、兄様が姉様を見て頬を染める。私は、それを見過ごさなかった。

「兄様ってばむっつり……」
「……お、お前が先に言い出したんだろうっ!」

 兄様は、今日もからかいがいのある人だった。
「アメリア様!」
「ジル」
 神殿に戻ると、私の侍女であるジュリアが廊下を走って私の元へやってきた。

「ひどいです。せめて私も連れて行ってください! 私が神官長様に怒られるんですから!」
「ごめんね?」

 私が謝ると、彼女はむう、と頬を膨らませた。

「もういいです。アメリア様はいっつも謝られるのに、結局私をおいて行かれるんですから。どうせ私のことなんて、すっかり忘れていらしたのでしょう?」
  
 兄様や姉様の前では『妹』になる私だけれど、彼女の前での私は『手のかかる姉』のような気持ちになる。

「ご、ごめんなさい。ジル。今度からはちゃんとつれていくから……」
「絶対! 約束ですからね!」
「うん。約束」

 ジルは私の手を掴むと、無理矢理指切りさせた。

「それで、王太子妃様はお元気でしたか?」

 神殿のなかの私室に戻った私に、ジルはハーブティーをいれてくれた。

「姉様は元気だったわ」

 姉様は、昔から体があまりお強くはない。それでも姉様を迎えたのは兄様だ。姉様だけが、他の婚約者候補たちと違って、王家に生まれながら力の弱い兄様に、気遣うことなく接していた。
 だからこそ、今の状態は兄様にとってあまり良くない。姉様の体調が悪いと、兄様まで体を崩してしまう。

 ――姉様を元気にしてあげる方法を見つけないと。
 私がティーカップ片手にため息をついていると、扉を叩く音が聞こえた。

「光の巫女様。神官長様がお呼びです」
「げっ」
 私は、思わず顔を顰めた。
 


「ご無事にお戻りで何よりです」

 相変わらず、今日も男は胡散臭い笑みで私を出迎えた。

「どうもお気遣いありがとう」
「できればこんな気苦労をかけないでいただけると、私はもっと嬉しいのですが」
「……」

 そして男は、今日も一言余計だった。
 現在この神殿の中で、最も発言力のある男。
 『預言者』とも呼ばれる彼は、『先見の神子』に並ぶともされるほどの未来予知の能力者だ。

 涼やかな外見。
 美しい銀色の髪に、人を惑わすような紫と緑のフローライトの瞳。彼こそまさに天の使いなどという者も居たが、私からすれば、男はただの詐欺師だった。

 『神官長』と呼ばれているこの男は、実は私とさほど年は変わらない。たぶん、兄様より少し上くらいの筈だ。
 幼い頃、私が神殿に入った時、道案内してくれたのが彼だった。

『はじめまして。アメリア・クリスタロス様』

 初めてあった時は、まるで本の中から出てきた人みたいだ、と思った。
 美しい外見も落ち着いた声も、幼い私には輝いて見えた。

『――手を』
 彼は、私の手を引いて神殿を案内してくれた。
 兄様より少し大人で、私よりずっと身長は高かったのに、私に合わせて歩いてくれた。今思えば、一瞬でも素敵だと思ってしまった自分を恥じる。

 当時下級神官だった彼が、今や『神官長』だなんて――つまり神殿の、表面上高潔そうな狸親父たちを丸め込むことの出来る程の狡猾さが、彼にあるということに他ならない。

「貴方は、神より力を賜ったお方なのです。どうか、あまり勝手に出かけるようなことはなさらないでください」 

 私は、苦言を呈した男の体を見た。

 ――また、怪我してる。

 正直出会った頃はまだ、彼は『まとも』だったと思う。
 ただある時期からか、彼は自分の体を顧みず、魔法を酷使したり自分の体を傷付けるようになった。光魔法を神の恩寵であると考える神殿の人間が、修行と称して自分の体を傷付ける事は、昔からままあることだった。

 魔法は心から生まれる。
 後天的に魔法を手に入れる者がいるように、何かを強く信じたり強い痛みに晒されることは、確かに昔から魔法を強化する手段とはされているが、実際にそれをやる彼が、私は苦手だった。
 信仰が何だ。魔法の力を、理を崩し、己の体に傷をつけてまで求めて何になるというのだろう?

 私は男が嫌いだった。
 自分の地位を高めるために、自分の体を傷付ける蛇のような狂人。
 私にとって男は、そういう人間だった。

「大丈夫よ。いざとなったらこの力でどうにかするもの」
「神殿は、その力を使うことを禁じています」

 さらっと釘を刺されて、私は声を上げた。

「どうして貴方たちに、私の行動を制限されなくてはいけないの? 私は巫女として、十分役目を果たしているつもりよ。これ以上私に、貴方たちは何を求めるというの!」
「私はただ、貴方が傷つくのが嫌なだけなんです」

 男が私の手にとる。私は、すぐさま男の手を払った。

 ――気持ち悪い。

「勝手に私に触らないで」
「失礼しました」

 男は、今日もにっこり笑って私に謝った。
 でもその声からは、今日も謝罪の気持ちはひとかけらも感じられなかった。



「むかつく。むかつくむかつく! あの男、本当にいけすかない……!」

 部屋に戻った私は、ペンを手に持った。
 こんな時は、幸せな物語を書くに限る。

「できた! 囚われのお姫様は、運命の出会い恋に落ちる――周囲の反対を押し切って、最後はハッピーエンドになる!」

 結末まで書き終えて、私は椅子の上で背を伸ばした。
 
「やっぱり、物語の最後はハッピーエンドが一番だよね」

 書き終えた物語に目を通しながら、私はうんうんと頷いた。そして完成した小説を読み返して――ヒーロの外見について記載された箇所で、私は手を止めた。
 『銀色の髪に、宝石みたいな輝く紫の瞳』――なんて。こんなの、まるで私が大嫌いなあの男のようではないか。

「あの男、顔だけは良いのよね……」

 それだけは、認めざるをえない。でも、私は――。

「でもあんな狂人、誰が好きになるもんか!!!」

 そもそも『光の巫女』と呼ばれる私は、結婚して子どもを持つことを禁じられている。物語のようにハッピーエンドを迎えて、子どもを設けるなんて私には夢のまた夢だ。

「はあ……私も、こんな恋ができたらなあ……」

 例えば、神殿を抜け出したときにばったり出会ったり。
私が光の巫女であると知らない人と出会って恋をするだなんて事ができたら、どれほど素敵だろうと思った。
 まるで、異世界の有名な恋物語のようだ。
「そろそろ『光の祭典』の時期だな」

 姉様の治療も兼ねて私が兄様の元を訪れると、珍しく兄様に話を振られて私は嬉しくなった。
 光の祭典というのは、『光の巫女』である私が、毎年受け持っている国の結界のはりなおしの行事のことだ。

「任せて! きっちりこなすから!」

「……あまり、無理はするなよ」

 ――兄様に心配してもらえた!!!

「うん! ありがとう。兄様!」

 私には、それが嬉しくてたまらなくて――私が元気よく返事をしたら、兄様は私から視線をそらした。



「おかえりなさいませ。アメリア様。体調はいかがですか?」

 だが、嬉しすぎて頑張りすぎてしまったらしい。
 魔力を込めすぎた私は式典後倒れてしまい、目が覚めたら神殿の医務室にいた。そして寝台の隣で、椅子に座ったあの男が、何故か私の手を握っていた。
 男の長い睫毛が影を作る。

「な、なんで貴方が」
 私が勢いよく手を引っ込めると、男はいつものように胡散臭い笑みを浮かべた。

「アメリア様に何かあっては困りますから。貴方を支えるのも、私の仕事です」

 私に治癒魔法をかけてくれていたらしい。
 未来予知が専門だろうに、わざわざ他の神官を押しのけてまで私の寝顔を眺めるなんて、本当にこの男は悪趣味だと私は思った。
 『林檎でも食べます?』なんて言って、彼はナイフで赤い果実を剥くと、私に差し出した。しかし、この男が私にくれる食べ物なんて、何が入っているかわかったものではない。私は、当然受け取りを拒否した。
 そうして私は寝台から降りると、私室に戻ろうと廊下に出た。

「ついてこないで」
「そんな足取りで、一体どこに行かれるおつもりですか?」
「ついてこないでって言ってるでしょ!」

 だが、そんな私のあとを男はついてきた。
 気遣うような口ぶりだが、この男が本当に私の身を案じるなんてあり得ない。
 
「わ、わ、わ……っ!」
 私は、男から距離を取ろうとして――バランスを崩して、神殿にある噴水の中に落ちかけた。

「アメリア様!」
 するとその時、誰かが私の手を強く引いた。ぎゅっと目を瞑るも、痛みはない。
 代わりに。

「……大丈夫、ですか?」

 何故かあの男が、私を抱きしめるかのようにして噴水の中に落ちていた。
 顔が近い。これはこれは、水も滴る――……ではなく。

「ち……血が滲んでる!!」
 私は、彼の包帯から流れ出た血が、水を赤く染めているのに気付いて悲鳴を上げた。

「ああ。傷口が開いたのでしょう。問題はありません」
「問題大アリよ! すぐ手当しないと!」
 私は噴水の中で立ち上がると、彼の手を引いて医務室に戻った。

 私の魔法は、式典や王族のためにしか、使うことを許されていない。怪我を魔法で治せないかわりに、私は治療を行った。
 男には、たくさんの傷があった。それも長い間、自分を傷つけたようなあとが。
 あまりの痛々しさに顔を顰める私を、男は黙って見つめていた。

「……ごめんなさい。私のせいで」

 しかし治療を終えた私が長い沈黙の後な謝罪すると、男はいつものように飄々とした笑みを浮かべた。

「貴方に心配してもらえるなら、濡れたかいがありました」

 私の髪を一房取って口付ける。
 そうして、そのまま――綺麗な彼の顔が、私に近付く。

「この……やさぐれ神官っ!」
 
 私は、全力で男の頬を叩くと、急いで医務室を出た。
 全く、何を考えているのか本当に理解出来ない――私は、鼓動が早くなる胸をおさえた。

 有り得ない。有り得ない。有り得ない!
 顔がいいからうっかり流されそうになってしまったが、あんな狂った男と――なんて、死んでもゴメンだ。

 だがその日の私とあの男の話は、神殿の一部の者に目撃されてしまっていたらしい。
 翌日、ジルに話を振られた私は、思わず飲んでいたハーブティーをふきだした。

「アメリア様と神官長様が恋仲で、結婚の話があると聞いたのですが本当ですか!?」

「は、はあっ!? だ、誰にそんな話聞いたの!?」
「だって、みんなが噂してたんです。アメリア様が神官長様の手を無理矢理引いて、二人っきりの部屋からしばらく出てこなかったって……」
 
 医務室! 医務室という情報が抜けている!!!

 私は、顔から火が出そうだった。
 情報の出どころはどこだ。絶対に許さない。
 それに、私とあの男のように、魔力の強い者同士が結婚だなんて――たとえ子どもが生まれなくても、兄様の負担になるに決まっている。
 私は、誤解をとくためにあの男のもとに向かうことにした。すると、私より先に、男に問い詰めている人間たちがいるようだった。
 女の子達に囲まれた男を見て、私は、思わず壁に隠れた。

 ――私のこと、あの男は、どんな風に言うんだろう?
 何故か胸の鼓動が少し速くなる。

「私と彼女は、そういう関係ではありません」 

 男は、いつものような笑顔を浮かべて、私との関係を否定した。

「私は彼女に、嫌われていますから」



「それはそうと、結界がはれたから、今日はお祭りよ! 沢山出店で美味しいもの食べなきゃ!」

 光の祭典による結界のはりかえでは、前後三日間、約一週間の祭りが開かれる。
 私はこの日のために作ったかつらを被り、更に目深にフードを被った。

 クリスタロスで、金髪は王族の象徴だ。
 それさえ隠せば、私の正体がバレることはないだろう。

「あ、アメリア様……」
「ジル? 今日、私は『リア』よ。そう呼んで頂戴」
「リ、リア……」
「よろしい」

 あまり気乗りしないらしいジルの手を引いて、私は神殿の壁にこっそりあけた穴から外に出た。
 因みにこの穴、『強化魔法』であけたものだ。

「行こう。ジル」



 国を守る祭典が成功したということもあって、町は賑わっていた。

 温かそうな食べ物が立ち並び、人々は喜び踊る。その姿を見ていると、私は胸の奥が熱くなるのを感じた。
 『光の巫女』として、私に多くの制約を課す者はいる。普段はそれを鬱陶しく感じている私だけれど、私の魔法で喜ぶ人々の顔を見るのは、私はとても好きだった。

「星が見たいな」
 せっかく神殿を抜け出したのだ。お土産をジルに買ってもらっている間、私はふと空を見上げてそう思った。

「兄様と、昔一緒に見たっけ」

 昔――たった、一度だけ。
 私は兄様と一緒に、星を見上げたことがある。

 幼かった頃の私は、一人神殿で過ごすのか嫌で、駄々をこねて数日間だけ王城に戻ったことがあった。そして私はその夜、枕を片手に兄様の部屋に行った。

『にいさま』
 私が部屋に行くと、兄様はベランダで空を見上げていた。

『……アメリア?』
『にいさま、なにみてるの?』
『……星を、眺めていた』
 兄様は静かに答えた。

『あの星と比べて、どれほど私は、ちっぽけな存在だろう』
『あんなのよりにいさまのほうが、ずっとずっとおおきい』

 兄様の語る難しい話は、私にはよく分からない。
 ただ暗くてよく見えなかったけれど、私の言葉を聞いて、兄様は珍しく笑ったようだった。

『異世界人《かれら》の世界と法則は異なるだろうが、あの星星は、本当はもっと大きいらしい。遠くにあるから、小さく見えるだけなんだ』

 兄様が、星空に手を伸ばす。
 その時だった。
 空から、星が落ちてきた。

『わあっ!』
『流星群だ』
『すごいっ! すごいね。にいさま!』
 その時、ベランダに足をかけてはしゃぐ私の体を、兄様が掴んだ。

『危ない』

 兄様は、全く手のかかる、とでも言いたげだった。
 私と兄様は、少ししか年は離れていないのに――こういう落ち着いたところも、私は兄様が好きだった。

『にいさま、しってる? ながれぼし、におねがいをすると、おねがいがかなうんだって』
『迷信だ』
 兄様は、冷静に言い切った。

『なんでそんなこというの? リア、うそなんてついてない。ながれぼし、にねがったら、かなうんだから! だから、にいさまも――』
『叶わない』
 幼い頃から、兄様はどこまでも現実的だった。

『だったら……』
 私は、両手を精一杯空に向けて広げて叫んだ。

『このおほしさま、ぜんぶにいさまにあげる!』
 私の発言は、兄様にとって予想外だったらしい。兄様は、キョトンとした顔をした。

『それでもし……もしおほしさまがにいさまのおねがいをかなえてくれなかったなら、にいさまのおねがいは、ぜんぶわたしがかなえてあげる!』
『……なんだ、それは』
 
 あの日、兄様は笑った。

 馬鹿みたいに、夢みたいなことを口にする、幼くて傲慢な私の言葉に。
 だから私も一緒に笑った。兄様が笑ってくれるのが、心から嬉しかったから。
 兄様はあの日のことを忘れているかもしれないけれど、私にとってあの夜は、一生の宝物だ。

 星のようにきらめいて、今も私の心を照らしてくれる。

「……兄様も、今頃姉様と一緒に見てるかな?」

 祭りのにぎわいから少し離れ、一人空を見上げていると、私は声を掛けられた。

「貴方も、ここに星を眺めにきたんですか?」
「え?」

 その声は少し、兄様と似ていた。

「すいません。驚かせてしまいましたか」

 落ち着いた雰囲気。けれど彼は金髪でもなければ、魔力は欠片も感じられなかった。
 
 ――兄様じゃ、ない。

 彼は、まるで彼の人柄をあらわすかのように、落ち着いた茶色の髪に、緑の瞳を宿していた。まるで森の新緑を思わせるようなその外見は、私には新鮮で、それでいて私に癒しを与えてくれた。

 私たちはたまたま同じ星を見上げた――それだけの関係だった。
 そのはずなのに――私は、何故か彼とは、また出会えるような気がした。

「貴方の名前を伺っても?」
「……もう一度貴方に出会えたら、その時は、私の名前を教えます」

 彼の問いに、私はまるで恋物語のヒロインが運命の出会いをしたときのような言葉を口にして、名は明かさずに彼の元を去った。
「昨日のお忍びで、何か良いことでもありましたか?」
「別に」

 『彼』と共に星を見て、神殿にこっそり戻った翌朝。
 嫌みったらしいその男は、にっこり笑って私に尋ねた。私の脱走を『お忍び』よさらっと言う辺り、監視されているようで癪に障る。
 
「そういえば、ご報告すべきことがありました」
「?」
 書類をめくっていた男は、すっと私に一枚の紙を差し出した。

「国内で、歪みが発見されました」

「ひず、み……?」

「はい。それにより、異世界人《まれびと》がこちら側に来るかもしれないと報告がありました。今後、その歪みは神殿で管理することになりました」

「大丈夫……なのよね?」

「勿論。それにもし異世界人がこの世界にやってきたとしても、今は制度が整っておりますから。彼らの生活は保障されます」

 淡々と、男は言った。
 けれど、異世界でたった一人。違う世界で暮らすなんて、きっと大変なことだ。

 昔、彼らの知識を悪用しようとしていた時代があった。それもあり、基本的に世界の危機でもない限り、今は『異世界召喚』は認められていない。
 そして今のこの世界では、『境界』を越えた者を元の世界に返すことは行っていない。つまり、この世界にやってきた異世界人《まれびと》はもう二度と、家族には会えなくなる。
 彼らの気持ちを思うと、生活を保障してやるという男の言葉は、私には理不尽に思えてならなかった。

 それから程なくして、男の言葉の通り、異世界から一人の少年がやってきた。
 少年は、どこにでも居るような――私と同い年くらいの男の子だった。

「俺、剣とか魔法とか、昔からすっげー憧れてて。魔法、俺にも適性があるらしいから、これから使えるようになるのが楽しみなんです」

 一つ予想外だったのは、彼が異世界転移を、悲観することなく受け入れていたこと。
 異世界には、そういった読み物などが沢山あるらしい。
 そのせいか、寧ろ彼は、勇者などといった『役割』を与えられなかったことに、拍子抜けしていたくらいだった。

 異世界人は、どこまでも自由だった。
 何者にも縛られず、自分の意思を突き通す。そうすることが当然だと、生まれながらに染みついているかのようだった。
 そんな彼の前で気を抜いていたせいか――私は、うっかり自分の怪力を彼の前で見せてしまった。

「巫女様って意外と力強いんすね」
「引いたりしないの?」

 この世界では、強化魔法を使える女性は侮蔑の目が向けられる。

「なんでですか?」
 少年は目を瞬かせた。

「俺の世界にも、強い女の人はいますし。ていうか、俺の姉ちゃんがまさにそうだったっていうか……」

 いつも、元気いっぱいに笑っていた。その彼が、家族のことを口にしたときに瞳に悲しみの色が宿るのを、私は見た。

「私のことは、今日から姉だと思って接して」
「……巫女様、俺とそう年は変わらないように見えるけど」
 彼は私を見て――それから少し視線を下げた。

「確かにこの胸のなさは姉ちゃんと一緒だけど」
「今、何か言った?」

 ――よくも、人が気にしている身体的特徴を……!
 私は、彼の首に腕を回してしめた。

「ギブギブ! それ、マジいてえから。やめてよ姉ちゃん!」



「新しくペットを買い始めたんですか?」
 私が少年と仲良くなってから、あの男は私にそんなことを言った。

「『ぺっと』?」
 ――って、なんだっけ? 
 私は、一瞬分からなかった。でも、確か異世界では自分の家で食料目的以外で飼う動物のことを、そんなふうに呼ぶと本で読んだ気がした。

「……彼は、私の弟です」
「そうですか。貴方は本当に昔から、兄弟『ごっこ』がお好きのようだ」
 相変わらず、腹の立つ男だと私は思った。
 いつだってこの男は、一言多い。

 男が私になんと言おうと、私は『弟』との交流をやめはしなかった。『弟』と交流する中で、私は異世界の知識を得た。

「『乙女ゲーム』?」

「うん。恋愛シミュレーションゲームなんだけど……。選択によって、未来が変わるってやつなんだ。もし姉ちゃんが俺の世界に行ったら、きっとハマると思う」

「れんあいしみゅれーしょん……」
 あまり聞き慣れない言葉だ。異世界の言葉だろうか。

「だって姉ちゃん、少女漫画とかのラブストーリーとか好きそうだし、それにイケメン好きでしょ? あの神官長さんのことだって――」

 私は、彼が続きを口にする前にがっと肩を掴んだ。

「確かに顔はいいと思うけど、あの男だけは絶対無いから!」
 それは、私の心からの叫びだった。

「性格が悪いの。自分の体に傷をつけて喜ぶような被虐趣味の持ち主だし、一言多いし小姑みたいだし、とにかく危ない男なの」
「そうなの? 俺には、そういう人には見えなかったけど……」
「蛇みたいな男なの。私たちに見せているものと、あいつの中身は別物なの。騙されちゃ駄目よ。油断してたら、ぱっくり食われちゃうんだからね」
 
 私があの男の危ないところをせっかく説明してあげたのに、『弟』はまるで理解していないようだった。「いい人そうに見えたけど」なんて、とんでもないことを言うほどだ。 
 あの男が、善人なワケがない。

「そういえば、『乙女ゲーム』って、女の子向けなんでしょ? 貴方はどんな『ゲーム』をしてたの?」
 話を変えるために尋ねたら、『弟』は視線を逸らした。

「俺は乙女ゲーじゃなくてギャルゲーを……」
「ぎゃるげー? それって、どんなゲーム?」
「姉ちゃん、この話はもうナシにしよう」

 『弟』に、異世界の、『乙女ゲーム』の話を聞いた日。
 私は一人夜空を見上げて、『彼』のことを想った。

「異世界のゲーム、かあ……」
  
 ――あの日共に星を見上げたあの人は、今何をしているんだろうか?

 それから程なくして、私は『彼』と運命の再会を果たした。

「あ」
「あ」
「宝石職人さん……だったんですね」
 
 異世界人の『弟』のために、精霊晶の宝飾品を買うために訪れた店で、私は彼と再開した。

「また、会いましたね。あの日の約束通り、貴方のお名前をお伺いしても?」

「リ……リアです! リア・アルベール。それが、私の名前です」

 流石に『光の巫女』とバレたら、引かれるのは目に見えていた。私はとっさに偽名を使うことにした。

「今日は、どのようなご要件で?」
「『弟』が、魔法を使うので。そのために、精霊晶の宝飾品が欲しくて」
 その言葉に嘘はなかった。ただ、私の返事に、彼は少し考え込むような表情をした。
「……なるほど」

 商品の説明を追えたあとで、彼は私に、店の奥の工房を案内してくれた。

「いつもここで、作業をしているんです」
 彼は私に、研磨されていない鉱石なども見せてくれた。

「どの石にも、違う魅力があると思いませんか?」
 色の混じった石を一つ手にとって、彼は私に微笑んだ。

「この石は原石です。磨くことで、新しい魅力が生まれるのです」
 
 彼は、魔法は使えない人だった。
 けれど価値のなさそうにない石を、美しい宝飾品に仕立てる彼の瞳は真剣そのもので、そしてそれはまるで、一種の魔法のようだった。

 彼の言葉は私の大好きな姉様に似ていて、それでいて彼の真っ直ぐな人柄は、どこか兄様に似ていた。
 私は彼に会いたいという思いもあり、『弟』への贈り物という大義名分のもと、彼の元に足を運ぶようになった。

 彼に会う度、言葉を交わす度に、私は彼に惹かれていった。
 私は、彼が好きだった。
 彼は私が知らない世界を、私に見せてくれような気がした。



「アメリア様。ジュリアを置いて、今までどこにいかれていたのですか?」

 ある日私が彼との逢瀬の為に神殿を抜け出して戻ると、私はあの男に捕まった。

「ね……姉様のところよ」
「異世界では、嘘つきは泥棒の始まりだというそうですが、貴方にその自覚はありますか?」
「どうしてそんなことを言って私を責めるの? 嘘だとしても、貴方には関係ない」

 せっかく彼と話せて、幸せな気持ちだったのに。気分を害した私が彼をにらめば、彼は溜息の後にとんでもないことを言った。

「――王宮から、貴方に招請がありました。王妃様の容態が芳しくないようです。アメリア様。それでも、関係ありませんか?」

 『光の巫女』である私の役目は、王族の治癒。私は、急いで姉様のもとに向かった。

「姉様!」
 姉様の顔色は、明らかに悪かった。

「ごめんなさい。兄様。今すぐ私が魔法を――」
「何故」
 兄様のそんなに低い声を聞いたのは、私は生まれて初めてだった。
「え?」
「何故、すぐに来なかった? 彼女を助けられるのは、お前しかいないのに」
「……兄、様……」

 兄様の瞳には、私に対する敵意や憎しみが込められていた。私は、自分の足元がぐらつくのを感じた。

 ――兄様。兄様にとって私は、一体どういう存在なの?

 私は変わらなくても、周りの世界は変わっていく。
 私は『光の巫女』で、兄様は『王』だから。それは、仕方のないのことだ。
 でもそれでも、私が兄様を思う気持ちは変わらなかった。遠く離れても、年をとっても、兄様が私の兄様であることに変わりはない。

 兄様は、姉様を愛している。だから私も、姉様を愛している。兄様が愛する人を、兄様を愛してくれる人を、私が愛さない理由はない。

 兄様は、愛情深い人だ。兄様は、家族を愛している。でも兄様の家族に――私は。兄様の中に、私はいるんだろうか?
 もし兄様の中に私がいないなら――私のことを本当に思ってくれる人は、この世界に居るのだろうか?
 
 私は幼い頃に両親と引き離されて、神殿で祈りを捧げることを義務付けられて育った。『光の巫女』と呼ばれるようになってから、私の仕事は姉様が急病の時は必ず駆けつける事になった。それだけが、今の兄様が私に求めることだ。

 兄様にとって、一番大切なのは私ではなくて姉様だ。

 もしそうなのだとしたら――私の人生に、本当に価値はあるのだろうか?
 この世界に生まれ、誰かと結ばれることも、自分の血を引く子どもを残すことすら禁じられて、『光の巫女』という立場の、人々の思い描く人物像を守るために一生を終えるのだとしたら。

「私も、家族が欲しい」

 兄様と私を比べる両親は本当の家族とは呼べない。異世界人の『弟』はいても、結局は本当に思う誰かの穴埋めに過ぎない。

 家族が欲しい。
 姉様みたいな、兄様みたいな、そんな優しい人。寂しいとき、暗い夜に、一緒に星を見上げて笑ってくれる、そんな人が。
 
 貴方に――貴方に、会いたい。

 神殿を抜け出して、私は一人、彼のもとへと走る。
 好きだ。
 貴方が好きだ。
 世界で一番、私は貴方ことを愛している。だからこの場所から、どうか私を連れ出して。
 その願いが叶わなくても、私は――私は自分が生きた証を、この世界に残したい。
 貴方なら叶えてくれる。
 何も知らない、貴方なら。

 貴方なら私を、普通の女の子にしてくれる。

「リア?」
 私は、彼の工房の扉を開いて、出迎えた彼に抱きついた。

「お願い。私の、家族になってください」

 分かるの。魂が叫んでいるの。この人は私の、『運命』の人なんだって。

「貴方のことが、好きなんです」



「巫女様が懐妊だと……!?」
「何を考えておられるのだ! あの方は!」
「いやしかし……これは、好機なのでは?」
 神官たちや貴族たちの反応は様々だった。

「アメリア様! どうしてこんなことをなさったのですか!」
 ジルは、一人神殿を抜け出して子どもまで作った私を責めた。

「私は彼を愛しているの。彼が生きるこの世界を愛しているの。もしこの気持ちを無かったことにするのなら、きっと私は、これまでのように魔法を使えないわ」

 それから程なくして、私の愛する彼は捕らえられてしまった。罪状は、私を妊娠させた罪――馬鹿馬鹿しいとしか思えなかった。私はただ、愛する人と思いを重ねただけなのに。

「リア……いや、『アメリア』」
「嘘を吐いてごめんなさい」
「いや」
 彼は、私を責めはしなかった。

「僕が愛した人は凄い人だったんだって、少し驚いただけだよ」
 そう言うと、彼はふわりと笑った。
 その笑顔を見るだけで、私は思わず泣いてしまった。この人を選んで良かったと思った。間違いじゃなかったとそう思えた。
 だって彼が私に笑ってくれるだけで、私はこんなにも幸せな気持ちになるんだから。

 彼の縄を解いて、再会の約束をして口付ける。彼を見送った私は、何故かあの男に腕を引かれた。
 
 男の私室に入ったのは、それが初めてだった。
 てっきり私欲を満たし、豪華なものに囲まれていると思ったけれど、予想とは違って彼の部屋にものはほとんど置かれてはいなかった。

「その手で、その唇で、貴方はあの男に触れたのですか?」

 聞いたことのない男の声。
 怒っているような、泣いているような――それは、そんな声だった。
 
「痛い。……離してっ!」

 私が拒絶すれば、彼は私の腕の拘束をといた。私は、彼から逃げるように部屋をあとにした。
 私室に戻った私は、閉じた扉に寄り掛かり、何故か痛む胸を押さえた。

「……なんで貴方が、そんな顔をするの。なんで私は……」

 ――あの男の顔が、頭から離れないんだろう?

 私が好きなのは、彼なのに。


 
「アメリア様、お体は大丈夫ですか?」

 私が妊娠してからというもの、ジルはこれまで以上に私に過保護になった。
 そして私の出産が近付くにつれ、神殿の中で妙な話をする男たちを見かけるようになった。

「しかし、これはいいきっかけになるかもしれないぞ。病弱なあの王太子妃に、子など本当に出来るのか?」
「そうだ。光の巫女様の子が、男の子なら――」
「アメリア様の子が男児なら、神殿で養育した者を、玉座につけることが出来るかもしれない」

 彼らの話を、呆然として私が盗み聞いていると、そこにあの男が現れて彼らに言った。

「ここでは、人目につきます。詳しいことは、奥の部屋で」
「――ああ、そうだな」

 彼らはそれから、しばらく部屋から出てこなかった。
 彼らが奥の部屋で、どんな話をしていたか私は知らない。私は彼らが帰ったあと、男を問いただした。

「知ってたの?」
「最初から、こうなることはわかっていたことでしょう? 貴方は強い。そして貴方の兄の力は弱い。この世界での貴方と彼の価値は、決して等価ではないことを」

 たとえ兄様にとって私が姉様に劣る存在であったとしても、私は、兄様を否定する人間が許せなかった。
 だって一番悪いのは兄様ではなく、私と兄様の間に壁を作る、この世界の価値そのものだ。そしてそれを理由に、兄様を蔑む人間達だ。

「残念です。私なら貴方の心を、ちゃんとわかって差し上げれたのに」
「……貴方に、私の何がわかるの?」
「少なくとも私なら、子どもを作るような真似はいたしません」

 私は、お腹に手を当てた。この男は何を言うのか。私は、望んでこの子を得たというのに。

「力を持って生まれた人間には、その責任がある。『愛する者のために』、なんて、そんな思想は無意味だ」
「だから……私に感情を殺して生きろと?」
「……」

 男は、肯定も否定もしなかった。

「……私は、貴方のようにはならない」
「貴方は子どもだ。貴方はまだ、自分の運命を何も知らない。それでいて、全てを知った気でいる。いつか貴方は後悔するでしょう。一時の気の迷いで、彼の手を取ったことを」

「子ども扱いしないで。私は自分の決断に、後悔なんてしない」
「……貴方は、本当の痛みを知らない。貴方には信仰心というものが存在しない。しかしもし貴方がその痛みにさらされた時、貴方の心は、それに耐えることが出来るでしょうか?」

「私、貴方のことが嫌い」
「私は好きですよ。ですから必要なときは、私を頼ってください。私はいつだって、貴方の味方です」
 
 ――心にもないことを。

 からかうような男の言葉を聞いて、私は彼を睨んだ。
 
 大嫌い。大嫌いだ。
 私と比べて、兄様を蔑むような人間。
 神殿に心からの忠誠を誓うような人間に、私が心を許す日なんて絶対に来るはずがない。



「子どもが出来たのでしょう? おめでとう」
 姉様は、私の懐妊を喜んでくれた。
 ただ兄様は、私が妊娠してからは、私にあってくれなくなった。

「私、兄様に嫌われてるんだわ」
「そんなことないわ。今はただ、周りが見えなくなっているだけ。だってリカルドは、可愛い人だもの」
「……兄様のことをそういうのは、この世界できっと姉様くらいです」
「そう?」

 姉様は、落ち込む私を抱きしめてくれた。大丈夫と、安心させるみたいに頭を撫でてくれた。その温もりに触れた時に――私は改めて、姉様のことが好きなのだと、そう思った。

 妊娠してからは、『彼』との面会は神殿のみで許されることになった。
 週に一度、私は彼と部屋で会うことを許された。
 
「リア」
「会いたかった!」

 彼はいつも、私を優しく抱きしめてくれた。
 その腕に包まれている時は、愛されていると実感できた。
 彼はいつも私に、愛の言葉を口にしてくれる人だった。その言葉を聞くと、私は安心できた。

 彼の側に居ると、心の隙間が埋まっていくような気がした。

 でも私には、一つ不思議なことがあった。
 自分でも、理由はわからなかった。
 だって、そうでしょう? 『彼』と兄様の姿が時折重なるだなんて――そんなこと、どう考えてもおかしいのに。
 

 
 痛い。
 痛い。
 子どもの出産を行う時、痛みで死ぬかと思った私は、初めて心の底から神様に願った。
 
 お願い神様。この子を私に、無事に産ませてください。この子の幸せのためなら、私は死んだっていい――。

 まさかそれが、『引き金』になるとも思わずに。

『……貴方は、本当の痛みを知らない。貴方には信仰心というものが存在しない。しかしもし貴方がその痛みにさらされた時、貴方の心は、それに耐えることが出来るでしょうか?』

 彼の言葉のとおり、追い詰められた私は『未来』を見た。
 しかしその光景は、私が思い描くものとは、あまりに違っていた。

 これは――こんなものが、未来の光景だというの?
 
 私には信じられなかった。この世界が、滅ぶだなんて。
 どうしたらいいの? 

 どうしたら――この結末を変えられるの?

「アメリア様!」
 子どもを生んだあと、私は意識を失ってしまったらしい。私が目を覚ますと、ジルは目を潤ませた。

「よかった。私、本当に、本当に心配したんですからね……!」
「心配かけてごめんね」

 わんわん泣くジルの頭を撫でていると、そーっと扉を開けて彼が部屋の中に入ってきた。私の、『弟』が。

「姉ちゃん、大丈夫?」
「大丈夫。ジルが心配性なだけ」
「心配して当たり前じゃないですか! アメリア様は、私がどれだけアメリア様のこといっつも心配してるか全然わかってないんだから!」
 拳を作って、私の手をジルがポコポコ叩く。正直、全く痛くはなかった。
 
 私の子どもが生まれたことで、まだ子どものない兄様の地位を確かなものにするためか、父様は位を退いて兄様に譲ることになった。
 ただそれは、兄様を思ってというよりは、私や私の子どもを押す人間たちの牽制に近かった。
 そんな中でも、姉様は私のことを愛してくれた。

「おめでとう。リア」
「……姉様」
「名前はもう決めたの?」
「はい」

 子供の名前は、ローゼンティッヒ。
 愛称はローズだ。彼が、私に最初に贈ってくれた赤い薔薇の指輪から、私はその名前をつけることにした。

「素敵な名前ね」
 姉様は優しく微笑む。

「私もね、子どもが生まれたらつけたい名前があるの」
「なんという名前ですが?」

「――『リヒト』」
 
 姉様は、嬉しそうに言った。

「光、という意味よ。良い名前だとは思わない?」
 姉様は私の手をとった。

「私はね、リア。もし私とあの人に子どもが生まれたら、貴方みたいに優しい子に育ってくれると嬉しいなって、そう思うの」
「姉様……」

 兄様と姉様の子どもの名付けの理由が私という存在なんて、私には、これ以上の名誉はないように思えた。

「これからもまた、貴方に私の治療を頼めるかしら?」
「はい! 勿論!」
 
 優しい姉様と会って、私は改めて思った。
 私のことを信じてくれる、大好きな姉様のためにも。

「私が、未来を変えなくちゃ」



「姉ちゃん、しかめっ面してどうしたの?」

 しかし未来を変えるというのは、そう簡単なことではなかった。
 いい考えが浮かばず、私は『弟』に聞いてみることにした。

「えっ? 未来を変える方法……?」

 唐突な私の問いに、『弟』はうーんと腕組して首を傾げた。

「……よくわかんないけど、ゲームみたいに、こう、なんか自分で動いてみるとか?」
「自分で動く?」
「だってさ、何もしなきゃ、変えるなんて無理じゃね?」

 元の世界で、将来は『ゲーム』を作る人間になりたかったという『弟』は、この世界に来てカードや本、サイコロなどを使った『ゲーム』を作っていた。

 『選択によって、未来が変わる』――たしか以前そう聞いたことはあったけれど、私はその言葉の意味を、理解してはいなかった。
 
「そうだ。姉ちゃん、俺と一緒にゲームしようよ。新しく作ったやつ、感想も聞きたいし。そうしたらきっと、俺が言いたいことも分かると思う」

 ジルと私は、彼が作った『ゲーム』を一緒に『プレイ』することになった。

「じゃあ、姉ちゃん。成功か失敗かを決めるために、そのサイコロを振ってくれる?」

 そのゲームには『分岐地点』のようなものがあり、私は言われるがままにサイコロを投げた。
 サイコロの数字を見て、『弟』は私に言った。

「おめでとう! 成功だよ。じゃあ、次に進もう」
「成功ですって! やりましたね。アメリア様!」

 ジルが嬉しそうな声を上げた。
 私は笑う二人をよそに、サイコロを見た。
 
 なるほど、と思った。
 つまり私が、サイコロを振ればいいのだ。
 


 未来を変えるために、行動する。サイコロを振る。
 ただこの仕組みは分かっても、何をすれば良いということは、私には分からなかった。
 だってその『未来』の世界に見た兄様たちは、随分と年をとっていたから。 
 そうして未来の私も――いや、これは、見なかったことにしようと思う。

 そんなある日のことだった。
 私はジルが、少し怪しい動きをしていることに気が付いた。

「何してるの?」
「えっ? あっ。アメリア様! こ。これは……っ!」

 ジルは、とっさに何かを背に隠した。私は、彼女の背から『それ』を取った。
 
「『公爵と囚われの乙女の恋物語』……?」

 それは本だった。
 ジルは、膝を床につけて謝罪した。

「あ、アメリア様! どうか、どうかお許しください!」

 神殿に持ち込める本には制限がある。
 規則からすると、彼女の今回の持ち込みは罰則ものだった。
 
 ジルから回収した本の内容は、不思議な力を持って生まれたが故に悪い魔女に捕まり塔に幽閉され利用されていた少女が、ある日森を訪れた公爵と偶然出会い恋に落ち、最後は魔女を倒して幸せになるというラブロマンスだった。
 
「妹の誕生日にと買ったものなんです。でも、家に置いておいたら、妹が見つけてしまうかも知れないから――」

 ジルには、彼女によく似た顔の可愛い妹がいる。

「今、こういうのが流行ってるの?」
「え? そうですね。はい」
「貴方もそういうのが好きなの?」
「……」

 ジルは顔を赤く染め、私から視線を逸らした。

「好き……です」
「……」
「だって、まるで登場人物《ヒロイン》になったような気持ちになれるから。それに本当に、その世界が存在しているみたいで……ヒロインがした行動を、つい自分もなぞってみたりなんかして――」
「『行動をなぞる』?」

 私は、ジルに尋ねた。

「はい。同じ飲み物を飲んでみたり、同じ食べ物を食べてみたり。手紙を書いてみたり。お話の中に出てくる場所を、私も訪れてみたり。お話の中に出てくるヒロインの台詞を、私も呟いてみたり。……勿論、私が物語の主人公になれるわけではないけれど、そうしていたらいつか私も、素敵な恋が出来る気がして」

「じゃあ、これを読んでくれる?」
 頬を染めて話すジルに、私は昔書いた小説を差し出した。
 ジルは一気に読み終えて、興奮を抑えられないのか手を震わせた。

「凄いです! アメリア様、こんな才能をお持ちだったなんて!」
「才能と言うほどでは……」
 
 巫女として育てられ、誰かを愛されることを禁じられた私が、慰めに書いたものをジルが評価してくれたことは、私は純粋に嬉しかった。

「でも、アメリア様。この人、少し神官長様に……」
「あっ」

 私は、ジルに見せた昔書いた小説のヒーローが銀髪紫眼だったことを思い出し、ジルから小説を取り上げた。
 代わりに、最近書いた茶髪ヒーローのものを渡す。

「たまたまだから! こっちは全然違うから!」
 
 そもそも、最初に渡した小説は『彼』に会う前に書いたものだ。
 昔は身近にいた男が、兄様かあの憎たらしい被虐趣味の男くらいだったせいで多少影響はあったかもしれないけれど、今ならちゃんと違う種類のヒーローだって、私は書くことは出来るんだから!
 
「あれ? こっちは違うんですね」
 ジルはその小説を読み終えた後、私にこんな提案をしてきた。

「アメリア様。アメリア様のこの小説、売りましょう」

 ジルの従姉妹は、女性でありながら男顔負けの商才を持つと評される傑物だ。
 『光の巫女』である私が、表立って恋愛小説を出版することは難しかった。
 彼女は私の小説の中に、彼女の事業に関わるものを登場させることを条件に、私の活動を支援してくれることを約束してくれた。

 それは私にとっても、好都合な提案だった。
 自分の物語がどれだけ他人に影響を及ぼすことが出来るのか――それをはかることが出来るから。

 結果として、この実験は成功だった。
 本は売れたし、作中に出てきたお菓子も売れた。沈みかけていた事業は、継続されることが決まった。
 のちのちこの件はバレることになり、誰もが知る事実になってからは、本には私の名前が記載されるようになった。

 この件で、私は確信した。
 人の心は、物語で動かすことが可能だ。そして、人の心が変わることで――きっと、『未来』は変わる。


「――見つけた。『未来』の変え方」

 順調に思えた私の『未来改編』だけど、思ったようにいかないこともたくさんあった。

 そもそも私の専門は『治癒』であり、『未来予知』じゃない。
 昔から、毎日を精一杯生きていた私と、『予知』は相性が悪かった。

 『未来予知』の適性は、あの男のような、冷静に世界を判断することの出来る狡猾な人間にこそ強く現われる。
 私と兄様で言えば、兄様向きの魔法なのだ。
 勿論これは兄様が狡猾というわけではなく、兄様が私と違って賢くて現実的だということだけど。

 『予知』は苦手分野。
 ただある方法を使えば、私も未来を見ることは出来た。
 それは、痛みによる『予知』。
 いつからか私は未来を見るために、あの男と同じように、自分の体に傷をつけるようになってた。
 でも私は、あの男と自分は違うのだと思った。
 だって私はちゃんと、大切な人の為に『未来』を見ている。
 あんな男と自分が同じだなんて、他人に思われたくはなかった。

 だが最悪なことに、私の行動はある日あの男にバレてしまった。
 男は、私に治癒魔法をかけた。

「女性が、体に傷を作るものではありません」

「貴方はいいの?」
 皮肉っぽく私は尋ねた。
 私の傷を治すために魔法を使うくらいなら、自分の傷を先に治せば良いのに。

「私は男ですから。それに、傷は男の勲章だと昔から言うでしょう?」
「貴方のそれは自虐趣味でしょ。……でも、一応お礼は言っておくわ。ありがとう」

 男だとか女だとか、私はそんなものに興味は無い。
 だって強化魔法を使える私は、兄様だって投げ飛ばせる。

「いつでも私を呼んでください。貴方の力になることが、私の喜びなのですから」

 男が、私の手の甲に口付ける。
 私はすぐさま手を引っ込めた。

「……二度と、貴方には頼らないわ」  
「そうしてください」

 嫌悪を顔に出した私を見て、男は愉快そうにくすくす笑った。
 私は男に背を向けた。
 そんな私に、静かな声で男が言った。

「アメリア様。――どうか、あまり無理はならさないでくださいね」

 その声はまるで、男が本当に私を心配しているかのようで――私は、一度立ち止まって男の方を振り返った。
 
 でも男は、もうそこにはいなかった。
 私は少しその場にとどまって、それからあの男の唇が触れた場所を指でなぞった。

 ――きっと、私の勘違いだ。だってあの男が私を心から心配するなんて、あるはずがないんだから。



 『未来』を見る。『未来』を変えるために、私が出来ることをする。
 その繰り返し。
 そして私は、私が望む『未来』のために、何が必要なのかを理解した。 

「ベアトリーチェ・ライゼン……?」

 死した人間を蘇らせるなんて――それは、人の領分を超える行いだ。

「私がこの世界で死ぬことで、『未来』は完成する……?」

 でもその時、やっとわかった。
 『Happiness(あのゲーム)』を作ったのが誰なのか。私が望む『未来』に、必要なものは何なのか。
 それは――私が、この世界から消えること。違う世界で一人生きること。

「兄様、姉様……。ローズ……ッ!」

 理解してしまった。
 でも私が頼れる人は、本当に私が頼れる人は、この世界にどこにもいなかった。
 私が動かなければ、みんなが死んでしまう。私が動けば、『未来』は変わる。

 もしかしたら。
 この世界に魔法なんてなければ、もしくは、これほどまでに王侯貴族に魔法を求める世界でければ、私も違う世界の兄妹みたいに、兄様に話せたのかもしれなかった。
 でも今の世界じゃ、私は、兄様に相談なんて出来なかった。

「……もし、こんな世界じゃ、なかったら」

 目の前が真っ暗になる。
 もうやめてしまおうか、と何度も思った。
 でもある日、私は『予知』の中で、『希望』を見つけてしまった。

「――『リヒト』?」

 それはとある青年が、世界の価値を変えるというものだった。
 私はその『未来』を見て、姉様の言葉を思い出した。

『私もね、子どもが生まれたらつけたい名前があるの』

「兄様と、姉様との、子ども……?」

 『紙の鳥』の復元。それは、古代魔法の復活を意味する。
 かつてこの世界にあったという魔法。
 解読不能とされる本に記されているのは、今の世界に残る魔法とは、仕組みそのものが違っている。
 それは――今のこの世界の、『魔法』の価値を変える魔法だ。

「――『リヒト・クリスタロス』」

 私の希望。私の光。その子がいつか、この世界を変えてくれるなら。
 もし、そんな存在が兄様の子として生まれるなら、兄様を後ろ指指す人間なんて、この先いなくなるだろう。
 
 赤い石。
 黒い影。
 神に祝福された子ども。
 光の聖女。
 ――私には、『未来』が見える。

「ベアトリーチェ・ロッド。ローズ・クロサイト……」

 いつかこの世界に生まれる子どもたちの名前を並べて、私は笑った。

 この命に変えても、変えたい『未来』が出来てしまった。私が愛する人を、愛する人たちが笑って過ごせる未来のために、私が出来ることを知ってしまった。
 
 そして、とうとう『その日』はやってきた。
 寒い雪の降る日に、全ては始まる。

「この国の未来のために、一緒に来て欲しい場所がございます。――国王陛下」

 兄様。
 貴方がもう私のことを『巫女』としてしか見てくれないなら、私は『巫女』として、貴方に頭を垂れたっていい。
 だって約束したんだもの。そうでしょう?

 私は、貴方の星になる。



 私は、『ベアトリーチェ・ライゼン』の命を救った。

 そして私が見た『未来』通り、『レオン・クリスタロス』と『リヒト・クリスタロス』は生まれた。

 『賢王』レオンの生まれ変わりとして兄の方は周囲の関心を集めたが、弟のリヒトに対する扱いは、兄様と同じくひどいものだった。
 二人より早くに生まれていたローゼンティッヒは、立派に育っていた。
 私譲りの強い魔力、赤い瞳の外見も、周囲にあらぬ野望を抱かせるには十分だった。

「どうして、放っておいてくれないの? 私を担ごうとしても無駄だと、どうして分かってくれないの? 私は、兄様と争うつもりなんてない」

 私はただ、自分の血を継ぐ人間が欲しかっただけだった。
 子どもは産んだが、兄様を害そうと思って始めたことじゃない。

「貴方の子どもは見目麗しい。――彼らを抑える方法を、私が教えて差し上げましょうか?」
「……何が目的なの?」
「私はただ、貴方の力になりたいだけですよ」

 あの男――神官長の助言で、私はローズに髪を染めさせた。
 私が子どもに望んだのは、人並みの幸福だけだった。

 それから数年後、ついに約束の日はやってきた。
 『ベアトリーチェ・ロッド』蘇生の副作用で、私の命の火は消えようとしていた。

「最初から、分かっていたのか? こうなることが分かっていて、お前は魔法を使ったのか?」

 兄様の問いに、私は微笑んでみた。
 大好きな兄様の中の私が、これからもずっと、笑顔であることを願って。

「兄様。それでも私はいつか、この選択が正しかったと、兄様もそう分かってくれる日が来ると信じています」

 そうだ。きっといつか、兄様だって分かってくれるはずだ。
 だって、『あの子』が変えてくれる。
 この世界も――兄様の世界だって。

「泣かないでください」
「私は泣いてなどいない。私は、私は……」

 その時私は兄様の瞳に、涙がきらめいているのを見た。
 私は、それが嬉しくてたまらなかった。 

 ――神様。私は、信じても良いのでしょうか。この世界に、愛は確かにあるということを。私が本当は、ずっと兄様に愛されていたということを。

「兄様。いつかこの世界も、魔力だけが評価される世界ではなくなります。だから、どうか忘れないでください。明るい方に、光は伸びるということを」
 
 兄様が私を見舞いに来てくれてから少しして、私はレイゼル・ロッドの薬を飲んで起き上がった。

「……行か、なきゃ」

 私には、まだやるべきことが残っている。



「母さんが死ぬなんて、嫌です」

 これからのことをローズに話すと、私の愛する息子は、珍しく泣きそうな顔をした。

「あの子を助けたせいですか? あの子が、母さんの時間を奪ってしまったのですか?」

 ローズの言葉の通り、私が死ぬ理由は光魔法の副作用だ。
 ――でも。

「あの子を責めないで。どうか、あの子を守って」
 
 残酷なことを言っているということは、自分でも分かっていた。

「いつかこの世界に魔王が復活したとき。あの子は、それを倒す要の一人となる」

 私の言葉は半分本当で、半分嘘だ。

「魔王? 復活? それは、どういう……」
「今は分からなくても、私と同じ力を持つ貴方なら、時が来ればきっとわかるわ」

 私はローズを愛していた。
 だから私は、ローズに私の思いを託した。

「最後に貴方に、『光の巫女』最後の予言を託すわ。『ユーリ・セルジェスカという少年が聖騎士として目覚めるとき、世界は光に包まれる』」
「『ユーリ』……?」
「そう。貴方は信じてくれる?」

 ローズは私の問いに、すぐに頷いてくれた。

「――俺はいつだって、母さんの言葉を信じています」

「そうね。私も、貴方のことを信じている。どうか忘れないで。どんなに遠く離れても、私が貴方を愛していることを。貴方のことを誰よりも、私が信じていることを」
 
 私は、私とローズを見つめていた『彼』に微笑んだ。

「この子のことを、頼みます」

 彼は静かに頷いた。
 私は改めて、彼に心から感謝した。
 彼に――彼との出会いに。

「私を愛してくれてありがとう。貴方が私に幸せをくれた。貴方が私に、ローズと出会わせてくれた。私の人生で、一番幸せな瞬間をくれてありがとう。――あの日、貴方と出会えて良かった」

 それが私が、彼に告げた最後の言葉だった。



「アメリア様!」
「ジル」
 
 ジルには書き置きを残して去るつもりだったけれど、彼女は手紙を読んで、急いで駆けつけてくれたらしい。
 息を荒げた彼女は、私に抱きついて叫んだ。

「私も、アメリア様と一緒に行きます!」

「……ジル」
「おいて行かないって、約束したじゃないですか。指切りして、約束したのに」
「ごめんなさい」 
 私は、彼女に謝ることしか出来なかった。

「でも駄目。貴方には、大切な家族がいるでしょう?」
 目に涙をいっぱいにためて、彼女は私を抱きしめる手に力を込めた。

「アメリア様だって、私にとって大切な人です。家族と同じくらい――……いいえ。アメリア様は、私の家族です。私が、本当に、本当に、大好きな人なんです」

 私はその言葉を、もっと早く聞けていたらと思った。
 でも私は、自分の決断を後悔はしなかった。
 だって私が導く未来は、彼女の命を救うんだから。
 そして私は彼女に願った。私の信じる彼女なら、役目を果たしてくれると信じていた。

「それに私ね、貴方にはこの世界で、頼みたいことがまだあるの。ねえ、ジル。手紙に書いた最後のお願い、貴方は聞いてくれる?」



「これで、やるべきことは全部終わったと」 

 そろそろ薬の効果が切れる。
 不完全な薬の効果にふらつきながら、私は『歪み』に辿り着いた。

「……そろそろ、私も行こうかな」

 私は、深く息を吸い込んだ。

『樹は夢を見る』
 夢見草に四枚の葉を巻いて、私は『歪み』の前に立つ。
 『未来』で見たとはいえ、不確定要素はまだ残っていた。でも、と私は心の中で繰り返した。
 幸運が私を導いてくれるなら、きっと、私は大丈夫だ。
 私が『歪み』に足を踏みいれようとした、その時だった。
 高位神官しか立ち入りが出来ない結界の張られた場所で、誰かが私を呼び止めた。

「アメリア様」

「……どうして、貴方がここに?」
 私は思わずそう尋ねていた。

「ひどい方だ。私に何も言わず、この世界を去ろうとなさるなんて」
 男はいつもと変わらぬ口ぶりで軽口を吐いて、私の手を取った。

「嫌。私に触らないで」
「――動かないでください」
 男の低い声に、私はびくりと体を震わせた。

「今のままの貴方では、『歪み』を抜けて『向こう側』に行く前に、貴方という存在は消えてなくなるかもしれない。……だから」

 男は私に魔法をかけた。

「『思いは願い。思いは祈り。思いの全ては心より生まれ、魔法もまた心より生まれる。これは私のひとしずく。――この心を、貴方に捧げる』」

「……どうして」

 ――どうして貴方が、命を削る魔法を私にかけるの?
 私の問いに、男は言った。

「……これだけが、あの男には出来なくて、私に出来ることだから」

 その男は嘘つきで、信じるには値しない人で。
 私と兄様を引き離そうとする人たちの仲間で、自分の体に傷を作ってまで高位神官になるような人で。
 狡猾な蛇のような、本心の見えない男で。
 自らの体を代償に未来を見て、『先見の神子』の再来とまでもてはやされる、被虐趣味のある『預言者』だ。
 でも思い返せば、私と出会ったばかりの頃、彼の体に傷はなかった。

『――手を』
 神殿にやってきた幼い私のために、彼が私の手を引く前までは。

「もし私が――触れた相手の未来が見えるといえば、貴方は信じてくださいますか?」
 
 ユーリ・セルジェスカがそうであるように、魔法に強い適性を持つ人間は、まれに魔法を使おうと思わずとも、無意識に発動させることがある。

「貴方の願いは叶う。貴方が変える未来で、貴方が愛しく思う人々は、みんな笑っています」

『私はいつだって、貴方の味方です』
 その時何故か私は、彼が昔私に告げた言葉を思い出した。

 美しい顔で男は囁く。まるで恋人に向けるような、甘く優しい言葉たちを。
 いつだって私をからかうように、本心の見えない笑みを浮かべて。

 私にはわからない。
 どの言葉が本当で、どの言葉が嘘なのか。
 だって私は、この男が嫌いだった。
 私が愛しているのは家族やジルたちで、その中にこの男はいない。

 だから私はこの男のことを、ずっと知ろうとはしなかった。

「……私は、貴方が嫌い」
「ええ。知っています」

「昔から……ずっとずっと、大嫌い」
「ええ。貴方の態度を見ればわかります」

「なのに、なのになんで……っ!」
「私のことを、嫌いでいてくださって構いません。だから貴方が違う世界で生まれ変わっても、どうかその気持ちを忘れないでください」

「私、私は――……」
「違う世界でもお元気で。――アメリア」

 私が言葉を紡ぐ前に、男は『歪み』の方に私の体を押した。
 意識が遠くなるその瞬間、私には男の顔が見えた。

 ああ。やっぱり嫌いだ。こんな瞬間まで、笑っている男なんて。
 あんな男、死んで生まれ変わっても、ずっとずっと大嫌いだ。

 私は忘れない。
 たとえこの命が潰えても、違う世界でたった一人、生きていくことになったとしても。
 愛した人を、愛した国を、愛した世界を、絶対に私が守ってみせる。


◇◆◇


「『Happiness』売上好調ですよ!」

 『歪み』を超えて――私は無事、異世界に転生した。

 今度の人生は最初だけ少しハードモードで、私は一度親に捨てられたものの、その後子どものない夫婦に引き取られ、愛されて育った。
 そして私は五人の求婚者に――……いや、この話は今は置いておこう。

 私は予定通り、異世界で『乙女ゲーム』を作った。
 タイトルは、昔自分が書いた小説と同じ『Happiness』だ。

「私の推しはベアトリーチェなんですけど……。やっぱり、ちょっと影があるキャラっていいですよね。勿論リヒトやユーリたちもいいなって思うんですけど……。大人の魅力というか、言葉に出来ない魅力があってですね! ……そうだ。大人の魅力といえば、メイジス・アンクロット! 彼を攻略したいという声もあったんですが、今後攻略可能になったりするんですか?」

「いやあ……。メイジスさんは奥さん一筋だからそれはないかな? 息子ポジもいるしね」

 新しい世界で、私の仕事は『シナリオライター』というものだ。
 仕事仲間である彼女の質問に、私は苦笑いした。

「なるほど、息子ポジ……。奥さんと同じ名前って、なかなか運命的ですよね。そういえばベアトリーチェって、確か海外の有名な作品の、初恋の女性の名前ですよね。ベアトリーチェが初恋に執着するキャラクターだから、先生はこの名前をつけたんですか?」

「違うわ」
 私は静かに首を振った。

「親が自分の子供に初恋で悩むからこの名前、なんて、つけるわけないでしょ? 彼の名前が女性的なのは、違う性別の名前をつけることで悪いものを追い払うという、呪術的な習わしからよ」

「このお話、ユーリとかベアトリーチェとか、女性的な響きの名前が多いなとも感じたんですが、何か理由ってあるんですか?」

「名前って、音であったり意味であったり、その人らしさに繋がると思うの。それにキャラクターには合っていれば、問題はないと思わない?」

 私はそれ以上は言わなかった。
 だって彼らはあの世界に本当にいる人間だし、名前だって私がつけたんじゃない。もし名付けの理由を聞くのなら、彼らの親に聞くべきだ。

「そういえばレオンルートって、結局婚約者のローズじゃないと攻略できない仕様でしたけど、私はあればあれで好きでした」

 乙女ゲーム『Happiness』において、レオンルートは、通常のヒロインルートでは攻略できない。しかも、リヒトを手玉に取りつつ攻略しようとすると、レオンは敵意を向けてくる厄介キャラだ。

 『Happiness』に、『王子の婚約者(あくやくれいじょう)』は登場するが、ローズにまつわる話は、和解ルートと、自分がローズの立場になるルートの二つが存在する。

 膨大な魔力、全属性の適性を持ちながら、公爵令嬢として生きていくことを義務付けられた彼女が、一途にレオンを思う存在として描かれるルートが。

 まあ私の見た『未来』では、本物のローズ・クロサイトは、最終的に自分の望む未来を自分で掴み取る、そんな女性に育つのだけれど。
 結婚式にまつわる『未来』は傑作だったと、私は思い出して笑った。

「というか彼はブラコン……? 何ですかね?」

 レオン・クリスタロスを攻略できるのは、ゲームの中ではローズのみ。

 ベアトリーチェの初恋の話同様、ゲームのパッケージに描かれながらヒロインが攻略が出来ないってどうなんだと言う声も勿論あったが、レオンが幼い頃の弟の明るさに救われていたことなどの過去のエピソードもあったことで、レオンにとっての一番大切な人間は、そもそも弟のリヒトだったのではという話がまた話題になり、レオンは『Happiness』ファンの間では、『ブラコン王子』の異名で呼ばれている。

 ……ただこれはゲームの中の話で、本当の世界では、彼が結ばれる相手は、違う女の子なのかもしれないけれど。

「最初の印象が最悪なのは、少女漫画では王道だしね」
「わかります! かっこいいけどイメージ最悪のところから、だんだん仲良くなるのが良いんですよね!」
「いやまあ、そこまでは言ってないけど……」

 私は彼女から視線を逸らした。
 そうだ――そんな未来は、永遠にない。

「私はね、愛にはいろんな形があるものだと思うの。恋ではなくても、結ばれる愛ではなくても、見えない糸で繋がるような関係があるとしたら、私はそれもまた、尊いものだと思うの」

 私はそう言うと、彼女がいれてくれたハーブティーに口をつけた。
 ……うん。良い味だ。心が落ち着く優しい味だ。

「なんだか先生の話聞いてたら、『そうなのかな』って思っちゃいました。……それに、とても不思議です」 
「?」
「先生と話していると、まるでこのゲームの世界が、違う世界に本当にあるんじゃないかな、なんて思う時があるんです」

 彼女の言葉に、私は微笑んだ。

「そう。本当にあるのよ」
「え……?」
「だってこの世界は、私の前世だから」
「も、もう先生ってばっ! はぐらかさないでくださいよ。魔法なんて、この世界にあるわけないじゃないですか!」

 いたずらっ子っぽく私が笑うと、彼女は拳を作って、ぽこぽこ私を叩いた。正直、全然痛くない。

「私は異世界で、未来の見える巫女だったの。そうね。一つ、貴方に預言をするわ。貴方が先週買った宝くじ、当たっているから見てみるといいわ」
「ええ!?」

 彼女は鞄の中から宝くじを取り出して、それから当選番号をWEBで確認してから目を瞬かせた。

「え!? えっ。ほ……本当に当たってるんですけど、なんでわかったんですか? これ連番じゃないし、私、そもそも先生に買っただなんて話してませんでしたよね!?」
「企業秘密」
 私は、人差し指を口元に当てて笑った。
 
 微かに残った魔法の力。
 でももう私が、あの世界を見ることは出来ない。
 それでも私は今も、あの世界の物語を書いている。

 言葉は、自分とは違う誰かに伝えるために、残すために、物や思いを、音や文字で表したものだ。
 私はもう、あの世界に行くことは出来ない。愛した人々と、言葉を交わすことはない。
 それでも言葉は受け継がれる。
 見えないところでそうやって、人と人は繋がっていく。
 時間も、空間も、飛び越えて。
 人と人との物語は重なる。

 もう二度とあの世界に戻ることは出来なくても、それでもこの心は、いつだって二つの世界の、愛する人々を思っている。

 これが私の選択。
 私は自分の決断に、後悔なんてしない。
 私は違う世界で、愛する人が生きる世界の幸福を祈って生きる。

「愛している」

 だからどうか。
 いつかこの物語《いのり》が、私の愛する人々の生きる未来を変える、光の魔法となりますように。


☆★☆★☆★☆★☆★☆

 物語を描こう。
 魔法は心から生まれる。
 これはそんな世界で、少女が運命を変えるお話――……。

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『婚約破棄された悪役令嬢は今日から騎士になるそうです。』番外編完

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