「アメリア様!」
「ジル」
 神殿に戻ると、私の侍女であるジュリアが廊下を走って私の元へやってきた。

「ひどいです。せめて私も連れて行ってください! 私が神官長様に怒られるんですから!」
「ごめんね?」

 私が謝ると、彼女はむう、と頬を膨らませた。

「もういいです。アメリア様はいっつも謝られるのに、結局私をおいて行かれるんですから。どうせ私のことなんて、すっかり忘れていらしたのでしょう?」
  
 兄様や姉様の前では『妹』になる私だけれど、彼女の前での私は『手のかかる姉』のような気持ちになる。

「ご、ごめんなさい。ジル。今度からはちゃんとつれていくから……」
「絶対! 約束ですからね!」
「うん。約束」

 ジルは私の手を掴むと、無理矢理指切りさせた。

「それで、王太子妃様はお元気でしたか?」

 神殿のなかの私室に戻った私に、ジルはハーブティーをいれてくれた。

「姉様は元気だったわ」

 姉様は、昔から体があまりお強くはない。それでも姉様を迎えたのは兄様だ。姉様だけが、他の婚約者候補たちと違って、王家に生まれながら力の弱い兄様に、気遣うことなく接していた。
 だからこそ、今の状態は兄様にとってあまり良くない。姉様の体調が悪いと、兄様まで体を崩してしまう。

 ――姉様を元気にしてあげる方法を見つけないと。
 私がティーカップ片手にため息をついていると、扉を叩く音が聞こえた。

「光の巫女様。神官長様がお呼びです」
「げっ」
 私は、思わず顔を顰めた。
 


「ご無事にお戻りで何よりです」

 相変わらず、今日も男は胡散臭い笑みで私を出迎えた。

「どうもお気遣いありがとう」
「できればこんな気苦労をかけないでいただけると、私はもっと嬉しいのですが」
「……」

 そして男は、今日も一言余計だった。
 現在この神殿の中で、最も発言力のある男。
 『預言者』とも呼ばれる彼は、『先見の神子』に並ぶともされるほどの未来予知の能力者だ。

 涼やかな外見。
 美しい銀色の髪に、人を惑わすような紫と緑のフローライトの瞳。彼こそまさに天の使いなどという者も居たが、私からすれば、男はただの詐欺師だった。

 『神官長』と呼ばれているこの男は、実は私とさほど年は変わらない。たぶん、兄様より少し上くらいの筈だ。
 幼い頃、私が神殿に入った時、道案内してくれたのが彼だった。

『はじめまして。アメリア・クリスタロス様』

 初めてあった時は、まるで本の中から出てきた人みたいだ、と思った。
 美しい外見も落ち着いた声も、幼い私には輝いて見えた。

『――手を』
 彼は、私の手を引いて神殿を案内してくれた。
 兄様より少し大人で、私よりずっと身長は高かったのに、私に合わせて歩いてくれた。今思えば、一瞬でも素敵だと思ってしまった自分を恥じる。

 当時下級神官だった彼が、今や『神官長』だなんて――つまり神殿の、表面上高潔そうな狸親父たちを丸め込むことの出来る程の狡猾さが、彼にあるということに他ならない。

「貴方は、神より力を賜ったお方なのです。どうか、あまり勝手に出かけるようなことはなさらないでください」 

 私は、苦言を呈した男の体を見た。

 ――また、怪我してる。

 正直出会った頃はまだ、彼は『まとも』だったと思う。
 ただある時期からか、彼は自分の体を顧みず、魔法を酷使したり自分の体を傷付けるようになった。光魔法を神の恩寵であると考える神殿の人間が、修行と称して自分の体を傷付ける事は、昔からままあることだった。

 魔法は心から生まれる。
 後天的に魔法を手に入れる者がいるように、何かを強く信じたり強い痛みに晒されることは、確かに昔から魔法を強化する手段とはされているが、実際にそれをやる彼が、私は苦手だった。
 信仰が何だ。魔法の力を、理を崩し、己の体に傷をつけてまで求めて何になるというのだろう?

 私は男が嫌いだった。
 自分の地位を高めるために、自分の体を傷付ける蛇のような狂人。
 私にとって男は、そういう人間だった。

「大丈夫よ。いざとなったらこの力でどうにかするもの」
「神殿は、その力を使うことを禁じています」

 さらっと釘を刺されて、私は声を上げた。

「どうして貴方たちに、私の行動を制限されなくてはいけないの? 私は巫女として、十分役目を果たしているつもりよ。これ以上私に、貴方たちは何を求めるというの!」
「私はただ、貴方が傷つくのが嫌なだけなんです」

 男が私の手にとる。私は、すぐさま男の手を払った。

 ――気持ち悪い。

「勝手に私に触らないで」
「失礼しました」

 男は、今日もにっこり笑って私に謝った。
 でもその声からは、今日も謝罪の気持ちはひとかけらも感じられなかった。



「むかつく。むかつくむかつく! あの男、本当にいけすかない……!」

 部屋に戻った私は、ペンを手に持った。
 こんな時は、幸せな物語を書くに限る。

「できた! 囚われのお姫様は、運命の出会い恋に落ちる――周囲の反対を押し切って、最後はハッピーエンドになる!」

 結末まで書き終えて、私は椅子の上で背を伸ばした。
 
「やっぱり、物語の最後はハッピーエンドが一番だよね」

 書き終えた物語に目を通しながら、私はうんうんと頷いた。そして完成した小説を読み返して――ヒーロの外見について記載された箇所で、私は手を止めた。
 『銀色の髪に、宝石みたいな輝く紫の瞳』――なんて。こんなの、まるで私が大嫌いなあの男のようではないか。

「あの男、顔だけは良いのよね……」

 それだけは、認めざるをえない。でも、私は――。

「でもあんな狂人、誰が好きになるもんか!!!」

 そもそも『光の巫女』と呼ばれる私は、結婚して子どもを持つことを禁じられている。物語のようにハッピーエンドを迎えて、子どもを設けるなんて私には夢のまた夢だ。

「はあ……私も、こんな恋ができたらなあ……」

 例えば、神殿を抜け出したときにばったり出会ったり。
私が光の巫女であると知らない人と出会って恋をするだなんて事ができたら、どれほど素敵だろうと思った。
 まるで、異世界の有名な恋物語のようだ。