「ローズ!」
「リヒト様?」

 リヒトがローズを見つけたとき、ローズはアカリとは話をしていた。
 籠を下げたローズの手には、小さなお菓子が握られている。
 テーブルがあるわけでもないのにどうしてだろうとリヒトが思っていると、リヒトは自分の顔や頭に軽い衝撃を感じて目を瞬かせた。

「いてっ!」
「こらこらみんな、リヒト様をいじめたらダメ」
 見えない『何か』に向かい、慌ててアカリが言った。

「……もしかして、そこに『いる』のか?」
「はい。風の妖精と木の妖精がいます」

 アカリは苦笑いしながら答えた。
 アカリは『精霊の愛し子』だ。
 自分には見えずとも彼女には見えているらしい存在の行動に、リヒトは少し落ち込んだ。

「……俺は、妖精たちに嫌われているのか?」
「嫌われている……というよりは、そもそも妖精は妖精の愛し子にしか懐かない、みたいなところがあるようで。ただ妖精は甘いものが好きですから、美味しいお菓子をくれる人間であれば好きになることはあるらしくて」

 リヒトは、ローズがお菓子を持っていた理由を察した。

「なるほど。……じゃあこれはどうだ? 彼らに俺も気に入ってもらえるだろうか?」
 リヒトは、苺のお菓子を取り出して手のひらの上に置いた。
 すると、その瞬間リヒトの手のひらの上に小さな風が起こり、お菓子が消えて代わりに古びた木が現れた。

「……菓子が木になった?」
 リヒトは目を瞬かせた。

「リヒト様、この木、すごくいい香りがします。もしかして『香木』ではないでしょうか?」
「流石です。ローズさん。この世界でどのように使われているかは分かりませんが、この木、私の世界だと金と同じくらい価値があるものですよ」
「ええ!?」
「妖精と人間の価値観は違うので、彼らからしたらいい香りがする木をあげた、位の感覚だとは思うんですが……」

 アカリは困ったように笑った。

「リヒト様。ローズさんに用があって来たんですよね? この子たちにお菓子をあげる約束もしていましたし、私は少し席を外しますね」
 アカリはお菓子の入った籠を持って二人から離れた。
 二人きりになったリヒトは、ローズに口付けようとして――ローズに背負い投げされた。

「リヒト様、ダメです」
「だから、なんでダメなんだよ!」
 ふわっと体が宙に浮いたと思ったら、地面に下ろされていたリヒトは思わず叫んだ。

「いいだろ。もうすぐ結婚するし、別にへるもんじゃないし!大体すでに一度――」
「あれは貴方が勝手になさったことで、私が許可したことではありません」
 ローズはきっぱり言った。
「とにかく式の時まではだめです」
「~~~~!!!」

 ローズにすげなくあしらわれ、リヒトは肩を落として帰路につくことになった。
 その姿を遠目に見ていたアカリは、リヒトが小さくなるのを見てからローズに尋ねた。

「ローズさん、それってこの世界の風習か何かですか?」
「え?」
「結婚前に、キスしたらダメって」

「いえ、別に決まっているわけではありませんね。というより、アカリの世界とはそもそも結婚についての意識が違う可能性もあります。式まで相手が分からないこともありますし、恋愛結婚というのは、この世界ではかなりまれなことですから」

「じゃあなんでダメって言ったんですか?」
「それは――……」
 ローズは、立ち止まってアカリに向かって笑った。

「あとでアカリにも教えてあげます」



 ローズとリヒトの結婚式の準備は国を挙げて行われ、その参列のため、ロイとロゼリアも再びクロスタロスへとやってきた。
 大国の王と皇女。
 そして何より友人である彼らを迎えるために、リヒトは飛行場にわざわざ出向いて二人を歓迎した。

「随分と疲れた顔をしているな」
「だって、昨日まで毎日決闘を挑まれていたんだぞ……?」

 リヒトは、ロイの言葉にげんなりとした表情で答えた。ロイはその言葉を聞いて笑った。

「いいじゃないか。良い訓練になって。それに戦うことは、彼女への思いの証明になる。君は彼女を、他の男にくれてやるつもりはないんだろう?」
「当たり前だろ。ローズのこと何も知らないやつに、簡単に奪われてたまるかよ」
「ふうん?」
「な……なんだよ」

 『記憶』を取り戻してからというもの、リヒトは前世《いぜん》と同じように親しく文を交わすことも増えていた。

「君は、よほど彼女のことが大事らしいな?」
「だ……大事で悪いか」
「いいや。実に喜ばしいことだろう。思い合う相手と結ばれる。これほど幸せなことはない」

 ロイが、そう話した時だった。
 花の冠をつけたシャルルがロイの元へと走って駆け寄って、勢いよく彼に抱きついた。

「王様、王様! 花の飾りをいただきました!」
「……よかったな。よく似合っている」
 精一杯背伸びをして、ロイを見上げて目を輝かせて嬉しそうに話す。
 シャルルの頭を、ロイは優しく撫でた。

「ロイ。お前……」
 ――もう、好意を隠すつもりは無いのか。

 リヒトが、幸せそうに少女を見つめるロイの顔を見てそう尋ねようとしたところ――アカリがシャルルを見つけて、リヒトたちの元へと走ってきた。

「わ~~!! シャルルちゃんだ! 久しぶり! 元気? その服すごく可愛い! またちょっと大きくなったね!」

 アカリはシャルルを抱き上げると、くるくるその場で回った。
 レースを施したドレスは、花のようにふわりと広がる。

「はい。私は、日々大人になっているのです」
 アカリがシャルルを地面に下ろすと、シャルルは誇らしげに言った。

「先日、王様の隣の部屋に自室をいただきました。部屋と部屋が実は繋がっているので、会いたくなったら廊下に出なくてもすぐにあいにいけるのです!」
「へ~~?」

 その部屋の位置は、どう考えても過保護が過ぎる。
 シャルルが自慢げに語った内容に、アカリはにこりと笑ってロイを見て言った。

「……『思い合う相手と結ばれる。これほど幸せなことはない』」
「やめろ七瀬明。……というより、何故知っているんだ」
「『精霊の愛し子』をなめないでください。ああ、結婚式には呼んでくださいね! 私、『光の聖女』として精一杯お仕事頑張るので!」

 清廉潔白な聖職者のように、アカリは綺麗に微笑んだ。アカリはローズの衣装同様、シャルルのドレスも祝福を施す気満々だった。

「どなたかの結婚式で、我が国にいらっしゃるのですか?」
 だが当の花嫁《シャルル》は意味が分からず首を傾げた。

「はあ、全く……。まだ道は遠いですね」
 自分のこととなど夢にも思っていないシャルルを見て、やれやれとアカリは首を振った。
「おい。まさか、ロイ。まだ言っていないのか?」

 リヒトはロイに小声で尋ねた。
 幸い本人にはバレていないとしても――シャルルへの彼の瞳には、彼女への愛情が溢れすぎている。

「やめろ。哀れみの目を俺に向けるな。――リヒト・クリスタロス。そんな顔をしていられるのも今のうちだけだからな」
「?」
「明日の余興は楽しみにしている」
「余興……?」

 リヒトはロイの言葉の意味が分からず首を傾げた。