【最終章】『婚約破棄された悪役令嬢は今日から騎士になるそうです。』永遠の薔薇の誓い編

***レオン過去編****


 いつだって、能力《ちから》を肯定する言葉や評価基準《かち》は、この世界に山程あった。
 けれどそれは、自分が本当に望んでいたものとは、いつも遠いものだった。

◇◆◇

「レオン様はまさに、玉《ぎょく》のようなお方ですな」

 異世界の記憶をもって、世界に新しい価値を伝える『異世界人《まれびと》』。
 レオンは幼い頃、クリスタロスを訪れたある異世界人《まれびと》から、そんな言葉をかけられたたことがある。

「玉?」
「はい」
 言葉を繰り返し、子供らしく首を傾げたレオンを見て、老人はくすりと笑った。

「玉とは美しく、素晴らしい宝のことを言うのです。私の昔生きていた世界では、『玉石混交』という言葉もありまして、宝石と塵芥――同じ『石』でも、まるで違う。『玉に瑕』という言葉があるように、玉は傷のない完全なものであるがゆえに、価値がある。ですから、『完璧な王子』といわれるレオン様は、まさしく玉のようなお方であるように思われます」

 眠りにつく前、レオンは『氷炎の王子』と呼ばれていた。
 世界で一番完璧な王子様。
 一〇年間のハンデがあっても、多くの人間が追いつけなかったほど、『レオン・クリスタロス』は昔から、優秀な人間だった。

「玉璽、玉座。玉《たま》の男《お》の子《こ》。玉という字は、まさしく国を導く、天より与えられた者にこそ、相応しい文字といえましょう。貴方さえいらっしゃれば、この国は安泰ですな」

 宝石の産出国。
 クリスタロスという国の名から、老人がそう自分に向けた輝かしい未来への祝辞は、幼いレオンは、重い足枷のように思えた。

「レオンは本当に何でもできるのね。凄いわ」
「母上。あまり、無理はなさらないでください」

 病弱な母。
 心配性の彼女が、息子である自分の世間からの評価を褒めてくれる時間が、レオンはとても好きだった。
 優しく頭を撫でてくれる人。白百合のような人。
 王から贈られた彼女の所持品には、百合の飾りが施されていた。

 生まれつき、魔力が高い人だった。
 だが不幸なことに昔から体が弱かった。強すぎる力は彼女の体を蝕み、リヒトを産んだせいで王妃は以前より衰弱したと、周りの大人たちは隠れて話していた。

『出来損ないの第二王子。あの方さえ産まなければ、王妃様は……』

 心無い言葉を吐く人間を、弟のそばに置くわけにはいかない。
 レオンは弟に悪意を持つ人間を、弟の周りから消すことを心に誓っていた。
 だが王子である自分が、父に告げ口する形でら立場を奪うことは避けたかった。
 だからレオンは相手がわざと失態をするように仕向け、彼らをリヒトの周りから排除した。

「貴方は、とても優しい子ね。でも、人に恨みをかうようなことは、少し控えたほうがいいかもしれないわね」

 知ってか知らずか、母はある日レオンにそんなことを言った。
 白く細い手がレオンの頬を包む。

「リヒトはとても弱いから。だから貴方が、この国を守ってね。でも、レオン。貴方が、傷付くのも私は嫌よ?」
「安心してください。リヒトのことは、僕が守ります。王族としての仕事も、僕が完璧にこなして見せます」
「……ええ、そうね。私の完璧な王子様。貴方ならできるわ」

 レオンが胸に手を当てて言えば、レオンの母は少しの沈黙の後、小さく笑ってそう返した。
 彼女はその頃外を歩くどころか、寝台から起きることすらままらなくなっていた。

「はい。母上」
 母に心配をかけないように、レオンは彼女に笑いかけた。

 レオンが公爵家を訪れ、『剣聖』グラン・レイバルトから訓練を受け始めたのは、まだ母が存命の頃だった。
 グランはアルグノーベンの血に連なる子どものユーリを弟子に迎え入れ、レオン・ギルバート・ユーリの三人は、グランから剣を教わることになった。
 兄たちが鍛錬を積む隅で、ローズとリヒトはミリアの監視のもと仲良く過ごしていた。
 その少し前から、レオンとリヒトは公爵邸を訪れていた。

「ローズちゃん、とっても魔力が強いそうね。私のようにならないか、とても心配だわ」

 ある日、彼女はレオンにそんなことを言った。
 赤い薔薇のような、その魔力。
 ローズ・クロサイトは、産まれたときから優れた能力をその身に宿していた。

「こげる!」
 だが母と違い、ローズはいたって健康で、その頃は稀に魔法で失敗しては、周りを困らせていた。
 ローズが魔法で作った火は、リヒトに燃え移る。

「動くな! リヒト!」
 ギルバートの水魔法がリヒトを襲う。

「も、もやされるかとおもった……」
 びしょ濡れになったリヒトに、レオンはタオルを被せた。

「駄目だよ。ローズ。魔力はちゃんと操作しなくちゃ」
「ごめん、なさい」
 レオンはローズを窘めた。

 ローズの祖母が先王の妹であったことから、王家と公爵家の子供は幼いころから親交が深かった。
 ローズとリヒトは、レオンやギルバートよりは言葉が遅かった。
 それでも、二人は早いほうだと周囲の大人たちは話していた。レオンは、自分やギルバートが異質な存在だということを後から聞いた。
 そしてその度に、誰もがレオンを『流石、賢王レオンの生まれ変わり』と褒め称えた。

 生まれたころから魔法は使えた。
 炎と氷。
 対極をなす二つの力に恵まれて、知能も高く容姿も優れている。それは絶対的な自信となって、レオンの魔法を強くした。
 ある日、公爵家の図書室で過ごしていると、ギルバートはレオンに手紙を見せながら言った。

「今度、アルグノーベンから新しいメイドが来ることになっている。ついでに、お祖父様が弟子を招くらしい」
「弟子?」
「ああ。風魔法の使い手らしい。メイドは俺付きになるときいたが、ローズについてもらおうと思っている。俺とお前はともかく、この二人を、このままにしておくわけにもいかないだろう?」

 ギルバートの視線を辿り、レオンはローズと一緒に本を読んでいたリヒトに話しかけた。

「リヒト。君は今日外国語の勉強だったはずだよね? 何故ローズと一緒に魔法の勉強をしているのかな?」
「ぼくもまほうのべんきょうがいい!」

 リヒトに魔法の才能はない。
 レオンは、本を手放そうとしない弟を見て苦笑いした。それから、自分の鞄の中に入れていた本を、リヒトに差し出した。

「……なら君にいいものを上げよう」
 それは赤地に、金の装飾の施された本だった。

「これは、誰も読めない本」
「え?」
「この本を読むには、あらゆる精霊言語・まれびとの言葉を理解している必要があると言われている。精霊の言葉は、世界各地の言語のなかにその名残があるから」

 魔法が使えないならせめて、クリスタロスの王子としてリヒトが恥ずかい思いをしなくていいように、レオンはリヒトが世界の言葉や文化を学んでくれることを望んだ。

「じゃあ――このせかいにあるぜんぶのことばのべんきょうをすれば、まほうのべんきょうになるってこと!?」
「あくまで僕の仮説だけどね。でも、そんな特別な本をリヒトが読むことが出来たら、きっと誰もがリヒトはすごいって思うだろうね」
「ほんとう? じゃあぼく、このほんをよむために、いっぱい、いっぱいべんきょうする!」
 赤色の本を抱いて、リヒトは満面の笑みを浮かべた。
 


「彼が、今日から一緒に学ぶことになったユーリ・セルジェスカだ」

 ユーリがグランと一緒に屋敷にやってきてから、ギルバートとレオンの本格的な訓練が始まった。
 ユーリは自分やギルバートと比べ少し幼いようにレオンは感じたが、それでもローズとリヒトに対しては、『年上らしい』人間だった。

「ローズ様は可愛いですね」
「お嬢様に餌付けしないでください」
 ユーリは最初から、初対面のローズに対して好意的だった。

「ミリア、剣を向けるな!」
 ミリア・アルグノーベンと、ユーリ・セルジェスカは従兄弟だった。

「ミリア。今日も元気いっぱいで可愛いな」
 そして幼馴染みのギルバートは、何故かある日を境に『ミリア・アルグノーベン』に対して好意を示すようになった。

「わあ!」
「リヒト様。あまり一度に思いものを持つのは危ないですよ」
「ありがとう。ユーリ」
 リヒトが庭で本を読もうとして、何もないところで転べば、すぐにユーリが駆け寄った。
 新しくできた優しい『兄』に、幼いリヒトはとてもよく懐いた。


「リヒト、怪我をしたの? まあ、可哀想に。お母様がそばにいますよ」
「ははうえ」

 夜。
 きつい訓練を終えてから、レオンが母と話すために私室を訪れれば、先客がいてレオンは部屋に入れなかった。
 三人が優れた能力を持ち合わせて居たせいでグランの剣の指導は厳しく、まだ幼いレオンの体には、傷が耐えなかった。
 ユーリもギルバートも泣き言一つ言わないのに、王子であるレオンが、つらいと口に出すことは難しかった。
 いつも自分たちの訓練を眺めながらローズと本を読んでいただけのリヒトは、うっかり転んで出来た傷を母に見つかって、優しく頭を撫でられていた。

「レオン。きてくれたの? 貴方も、こちらにいらっしゃい」

 レオンに気付いた母が、そう言って手招きした。その手に、幼い弟を抱いて。
 レオンは手が震えた。そしてその光景を見ているだけで、涙がこぼれそうになって居る自分に気がついた。

「用を思い出しました。……また、後で参ります」
「レオン!」
 自分を引き詰めようとする母に背を向けて、レオンは一人自分の部屋に戻った。
「……あれくらいの怪我、なんでもないじゃないか」
 そう呟いて、レオンは自分の弱さに気付いて吐き気がした。

 ――結局、『手のかからないいい子』の僕と、『手のかかる』弟では、両親は弟の方が目について。温かな手も優しい笑顔も、誰も自分には向けてはくれない。

 そしてそれは、幼心に思っていた相手でさえも同じだった。

「どうして、ぼくは……僕は、出来ないんだ」
「……リヒト様に、お渡ししようかと思ったんです」
 一人で泣いているリヒトに、ローズは花を差し出そうとしてやめた。

「でも、私が花を渡しても、何も変わらない」
「お嬢様……」
「私は、リヒト様のために何も出来ない」

 無能な弟を、才能ある幼馴染が少なからず思っていたことは知っていた。
 けれどその事実を、レオンは鈍感な弟に告げてやる気持ちにはなかった。そしてその感情を何と呼ぶのか、幼馴染に教えてやる気もなかった。

「どうしてみんな、リヒトばかり」
 差し出されずに枯れてゆく。
 花の行方を、レオンは見守ることしか出来なかった。

 『賢王』レオンの生まれ変わり。
 次期国王としての才能を期待される日々の中で、雑念を払うようにレオンは意識を失うまで魔法を使う日々を繰り返した。
 愛しい誰かに向けて伸ばそうとした手で、誰かを傷付けたくはなかった。
 結果として魔力は増え、『レオン・クリスタロス』の名声はより高まることになった。

「駄目だ。……こんな感情は、僕にはいらない。僕がこの国を守らなきゃいけない」

 周りの人間は、誰もが弟に手を差し伸べる。
 自分に手を差し伸べてくれる人間なんて、この世界にはいない。
 ――それでも。
 強くならねばならない。誰にも後ろ指をさされぬように、誰の手を借りることもなく生きていけるように。

 ――傷一つない玉のように、自分は『完璧』でなくてはならない。

 誰もがそう望んでいる。そうでなければ自分に価値なんてない。
 『賢王』レオンの力を継ぐ王子。この国のために自分が求められる『自分』。
 けれど幼くして求められすぎた代償は、レオンの幼い心を蝕んで、ふと押した瞬間に、無意識に涙がこぼれることもあった。
 誰にも気取られてはならない。
 そう思っていたのに、ある日リヒトに見られてしまった。

「兄上、泣いていらっしゃるのですか?」

 レオンは慌てた。
 こんな情けない姿、弟に見られるなんて最悪だと思った。
 母や父に弟が告げ口しないだろうか。そんな考えが浮かんだレオンに、リヒトは手を大きく広げて言った。

「いたいの、いたいの、とんでいけー!」

 弟の行動が理解出来ず、レオンは目を丸くした。
「ぎる兄上がおしえてくれたんです。僕にもつかえる、魔法だって」
 リヒトはそう言うと、上目遣いでレオンに尋ねた。

「兄上。いたいの、なくなりましたか?」
 その笑顔を見たときに、レオンは思わずリヒトに手を伸ばしていた。 
 小さな体を、ぎゅっと抱きしめる。

「……あの、あにうえ?」
 目を丸くする弟からは、自分に対する悪意は何も感じなかった。
 ただ小さくて、弱くて、柔らかくて。
 優しい温もりと、少し滑舌の悪い子どもらしい声だけが、弟を構成する全てに思えた。

 ――馬鹿だ。僕は。こんなに優しい子を妬んで、責めて……。それが、一体なんになるというのだろう?

「ああ。リヒトのおかげで、ね」 
「よかった!」
 レオンがそう言えば、リヒトは心から嬉しそうに笑った。
 そして弟はそれからたまに、夜のレオンの部屋にやってきた。レオンは夜が嫌いだったが、弟の体温を感じると、不思議とよく眠れる気がした。


 初めてリヒトと夜を過ごした日のこと。
 レオンは聞き慣れない生き物の声が聞こえた気がして、リヒトを寝かせて一人城の中の庭に降りた。
 庭には小さな池があった。
 池には月が映っていた。水面には季節外れの、薄桃色の花びらが浮かんでいた。
 レオンが池に近づけば、どこからか不思議な少女の声が聞こえた。

【貴方は、何を望む?】

 それはあまりに透明な、まるで踏んだら壊れる薄氷のような、冷たさと神々しさをはらんだ声だった。

 ――自分は、夢を見ているのだろうか?

 レオンはそう思って、生まれて初めて、自分の中に生まれた『願い』を口にした。

「強くなりたい。僕は……この国を、弟を守れるだけの、力が欲しい」

【ならば授けましょう。貴方に。貴方を守る、夜のとばりを。相応しき者よ。貴方の力を示しなさい】

 その瞬間、薄桃色の花びらがレオンの視界を覆った。

「わっ!!」
 思わずレオンは手で顔を押さえた。そして彼が、風が収まったことに気付いて手を離すと――そこには、光る一つの卵があった。

「これ、は……? 光る……月の、石?」
 レオンがそれに触れると、断面に亀裂が入った。

「うわっ!!!」
 卵の中には、真っ黒な鳥の雛がいた。
「どうしよう。大人に知らせないと……!」

「ぴぃ……」
 そう呟いて、けれど弱々しく鳴く鳥の声に足を止めた。

「だめだ。その間に死んでしまうかもしれない……! 僕が、僕が助けないと……!」
 光魔法は、力の循環を司る。レオンに光魔法は使えない。
 その時レオンの中に、ある考えが浮かんだ。

「僕は、君と契約する。僕の魔力、全部君にあげる」

 死にかけの生まれたばかりの雛に、自分の魔力を与えて生かす。レオンはありったけの魔力を、その雛に与えた。
 そして彼の記憶は、一度そこで途切れた。

「……? ここは、僕の部屋の……」
 目を覚ましたとき、黒鳥はレオンを守るかのように羽でレオンを囲っていた。
 そして彼は、自分を見守る巨大な黒鳥をみて目を瞬かせた。

「……ずっと、そばにいてくれたの?」
 鳥は静かに頷いた。

「ありがとう」
 レオンが羽を撫でると、黒鳥は身を屈めた。

「乗れってこと?」
 黒鳥は静かに頷く。

「わっ!」
 黒鳥はレオンをのせると、空高く舞い上がった。

 夜の空中散歩。
 それは幼い頃のレオンのどの記憶よりも、幻想的で、美しい光景だった。

「月の光が、こんなに大きく見えたのは初めてだ」

 その日レオンは、初めて自分の国を見た。
 空から見下ろすクリスタロスは、月の光を浴びて、山がまるで宝石のように光り輝いて見えた。
 精霊晶は、月の光を浴びて光り輝くとされる。
 だからこそ――異世界の『紫水晶《アメジスト》』の名前の由来もあって、精霊晶は月の女神の力でこの世界に生まれたとも言われる。
 
「この国は、美しい」
 それは、心からの思いだった。

「僕は、この国を守りたい」
 それは、心からの願いだった。

 でも、とレオンは思った。
 自分は未熟だ。しかし自分のことをみんなが『賢王』の生まれ変わりだという限り、自分は『完璧』でなくてはならない。王にも、玉にも。一つの傷もあってはならない。そんな『自分』を演じるには、まだ力が足りないことをレオンは理解していた。

「君も協力してくれる?」
 レオンが尋ねれば、黒鳥は頷いた。
「ありがとう」
 レオンは夜色のその生き物に手を伸ばし、ぎゅっと優しく抱きしめた。

「流石レオン様! レイザールと契約をなさるとは!」

 レオンが黒鳥の名前を知ったのは、翌朝のことだった。
 レオン・クリスタロスの契約獣は、レイザールである。
 この事実は、すぐに世界中に周知された。

 『世界で一番完璧な王子様』
 やがてレオンは、周囲にそう評されるようになっていった。

「兄上は、僕の自慢の兄上です!」
「ありがとう。リヒト」
 リヒトは兄がレーザールに選ばれたことを、心から喜んだ。
 『誰かの自慢』
 もしそんなものがこの世界にあるなら、レオンはリヒトの笑顔を見て初めて、そんな自分であることを心から誇らしく思えた。



 けれど能力の高い第一王子だからこそ、周りの大人たちはレオンとローズの結婚を望んだ。

「魔力の高いローズ嬢ならば、レオンと共にこの国を任せるのに相応しい」
「ええ。レオンとローズちゃんなら、私も安心だわ」
「レオンの婚約者として、彼女には、王妃としての教育を受けてもらおう。いいな? レオン」
「――はい」
 レオンは父である王を前に、そう返事をすることしか出来なかった。
 もうすぐ、自分と彼女の婚約が発表される。そんな中、レオンはリヒトのある絵を見てしまった。

「リヒト、何を描いているの?」

 何も知らない幼い子供。
 リヒトの持つ絵には、金色に碧の瞳の少年と、黒髪に赤い瞳の少女が描かれていた。

 ――駄目だ。君とローズの結婚は認められない。ローズほどの能力を持つ人間と、無才の弟との結婚を、父《おう》が許すはずがない。

 その絵を見たとき、レオンの中に浮かんだのはそんな言葉だった。

「王には、力が必要なんだ。そして妃も、同じように力を望まれる……魔法が使えない限り、君を父上は認めてくださらない」

 今思えば、弟の思い描いた未来への希望《ねがい》に気付いた日が、レオンにとっての苦悩の日々の始まりだった。
 リヒトの夢を、自分は奪う立場にあると自覚した日から、レオンはリヒトたちを、『正しく』導くことを決めた。
 ローズがリヒトを思っていたことは気付いていた。
 それでも、だからといって立場がある人間が、生まれ持った責任を放棄することは、許されないことだとも思った。

 ローズと自分が結婚することが、この国にとっての『正解』だ。 
 だからこそ、リヒトが傷つくと自覚しながら、レオンは幼馴染みに話をした。

「僕がこの国の王となって国を守ろう。僕は優秀だからね。僕以上に相応しい人間は居ないだろう?」
「俺はこの目をこの国の為に使う。それが俺の役目だ」
 最も信頼を寄せていた幼馴染みは、レオンに賛同した。
「私も公爵令嬢として、お兄様と一緒にこの国の為に力を使います!」
 兄思いの幼い少女は、兄の言葉にならう。
「私は、騎士になって、この国を守ります」
 剣聖に認められた才能のある少年は、剣を手に誓う。

 それは四人だけで、完成された未来の話。

「僕としては、ローズが僕の王妃になってくれたら助かるなあ。僕が王様でギルが宰相で、ユーリが騎士団長。名案だとは思わない?」
「あっ。あの、兄上。ぼ、僕は……」
 自分の名前が挙がらなかったリヒトは、当然慌てた。

「リヒトは才能がないんだから、どこかの令嬢と結婚でもすべきなんじゃないかな? 良かったね。王族に生まれたおかげで選り取り見取り」
「そんな!」
 レオンの言葉を聞いて、リヒトは立ち上がって、懸命に自らの心の叫びを訴えた。

「嫌です。僕だって、兄上たちと一緒がいいです!」
「――リヒト」
 そんな弟に、聞き分けのない子どもをなだめるように、レオンは言った。

「人にはね、向き不向きというものがあるんだよ。君は国王には向いていない。でも大丈夫。僕たち四人がいれば、この国は安泰だ」

 その言葉がどんなに弟の心を傷付けるか、理解しながら。
 兄として、これは第一王子である自分の責務であると言い聞かせた。

 感情なんて必要ない。わかってもらおうなんて思わない。魔力の弱い人間を、誰も王には望まない。現実を突きつけることが、時には必要なこともある。
 ――だから。

「君は、僕が守ってあげる」

 弟に嫌われようと――それだけが、幼いレオンのただ一つの決意《ねがい》だった。



 程なくして、レオンとリヒトの母が亡くなった。

「母上。母上を埋めないで!」

 母が亡くなったとき、リヒトは声を上げて泣いた。
 レオンは泣けなかった。
 なんだか足下がふわふわして、自分が立っている場所は、弟が生きる世界とは違う場所にあるような気がした。
 そしてその日何故か、レオンはある物語を思い出した。

 玉の男の子。
 帝に寵愛された女性の子ども。
 幼くして母を亡くした彼は、後に母の面影を女性に求めるようになる。
 それはまれびとから齎された、異世界のとある国の最古の長編小説。 
 物語の始まりの中で、母を失った主人公は、母の死を嘆く周りの人間を見ても不思議に思うばかりで、泣くことはない。
 それが今生の別れだということを理解できない子どもの幼さは、周囲の人間の涙を誘う。泣くことのできない子どもは、何もしないことで大人たちの同情を得る。

 『必要とされる』感情の表現方法は、幼さによって変わるものだ。
 自分も泣くべきなのだろう、とレオンは思った。
 それでもレオンは、弟のように泣くことは出来なかった。けれど物語の主人公のように、幼く在ることもできなかった。
 心の中に浮かんだ言葉は、母を亡くした息子にしては、薄情すぎることを知っていた。  
 泣けるわけがない。だって。
 
 ――泣いても、何も変わらないのに?



 母を失ってからも、レオンの日常は変わらず過ぎていった。
 王となるべく必要なことを学ぶために、レオンは日々を生きていた。
 
 ある日ギルバートが、突拍子もない話をレオンにした。
 それはギルバートとレオンが、もうすぐ原因不明の長い眠りにつく、というものだった。
 未来の世界に自分たち二人は居ない。それはとても、信じるに値しない未来《はなし》にレオンには思えた。

「僕と君が、居ない未来? 何を言っている? また夢でも見たのか?」
「違う。ちゃんと聞け! これは……俺の視る未来は、この先起こりうる未来だ。俺は、『先見の神子』。だからその未来は、本物だ」
「『先見の神子』……?」

 自分の幼馴染みが歴史に名を残す存在の生まれ変わりだなんて、レオンはとても思えなかった。
 だから、レオンはギルバートにある提案をした。

「君の言葉が本当なら、僕に一つ予言をしてみてくれないか。次の団長と副団長は、誰がなる?」
「なんでそんなことを聞く?」
「今後の為に、使えそうな人間を把握しておこうかと思ってね」
「……副団長は、『ベアトリーチェ・ロッド』だ」
「ベアトリーチェ……? 『変わり者のロッド伯爵』が手元に置いている、『神に祝福された子ども』のことか?」
「ああ」

 当時のベアトリーチェは、まだ『ベアトリーチェ・ライゼン』だった。

「なるほど。彼か……確かに、彼ならありうるかもしれないね」

 レオンはギルバートの予言を使い、ベアトリーチェに未来を告げた。
 『先見の明』をもつ第一王子となるために、それからもレオンはギルバートの予言を用いて、自分の地位を確かなものにした。
 ギルバートはレオンの行動を責めることはなかったが、まるで本当に『その日』が来るとでもいうように、やたらと時間を気にするそぶりを見せた。

「もうそろそろいいだろ。今は時間が大事なんだ。こんなことに、これ以上時間を費やすことは出来ない。来《きた》るべき未来のために、俺たちにはやるべきことがある」
「やるべきこと? それで一体、何が変わるというんだ?」
「……俺はずっと、『未来』は変えられない。何をしても、また無駄だと、ずっとそう思っていきてきた。でも、やっと見つけたんだ。俺の――『運命』を」
「『運命』?」

 レオンには、ギルバートの言葉が信じられなかった。
 ギルバートはレオンがこの世界で唯一、自分と同等の能力《ちのう》があると認めた存在だったからだ。

「ああ。俺がずっと、探していた」
 しかしその相手は、遠くを見据えて笑った。

「『運命』を打ち砕く者に、『強化』の魔法は与えられる。どんな最悪な結末をも覆す、壁を打ち壊す者に。俺は彼女なら、『未来』を変えてくれると信じている」
「……それが、『ミリア・アルグノーベン』だと?」

 レオンの問いに、ギルバートは頷いた。

「次期公爵が、メイド風情に想いを寄せるなんて正気かい? 彼女の魔力は高くないんだろう?」
「それがどうした? 人の感情は、そんなものでははかれない」

 ギルバートはそう言うと、レオンの目を見て言った。

「――レオン。お前に忠告しておく。いつか来るその日に、最善の選択を。そうしなければ、きっとお前は後悔することになる」
「僕が後悔? そんなこと、するはずないだろう」
「……リヒトのこと。本当はお前、どう思ってるんだ?」
「リヒトは王には向いていない。この国を守ることができるのは僕だけだ」
「……今のお前は、そんなふうにしか考えられないんだな」
「今のも何も、僕はいつだって、最善を選んでいるだけだよ」

 本心だった。
 出来損ないの弟と、優秀とされる自分。
 そんな力関係で、弟が兄を押さえて、王になろうと考えること自体が有り得ない。
 別に昔から、父の跡をついで王になりたいと思っているわけではなかった。けれど叶わない願いを弟に抱かせるのは、弟のために避けたかった。
 魔法が絶対視されるこの世界では、誰も弟を王には望まない。
 レオンがそう言えば、ギルバートはそれ以上、もう何も言わなかった。


 そしてついに、ギルバートの予言は現実のものとなった。

「――……!!」
 体が思うように動かない。レオンはその時、何が起きたか分からなかった。混乱する頭で、レオンは必死に考えた。

 ――どうして? 何が起きている? まだ僕は、何も成せていないのに。君をこの世界で、守れるのは僕だけなのに。

 意識を失うその瞬間。
 レオンの頭に浮かんだのは、自分に笑いかける、幼い弟の顔だった。
 震える声で名前を呼ぶ。手を伸ばそうにも、もうその手は届かない。

「……リヒ、ト」

 ――僕から全てを奪う。何よりも大切な、僕の弟。

「お兄様! レオン様!!」
「兄上! ギル兄上!」
 自分の婚約者と目される自分より、兄を呼ぶ幼馴染みと、優しい幼馴染を兄と慕いながら、優しくない自分のことを先に呼ぶ弟の声が、最後に聞こえた。
 そしてレオンの世界は、闇に包まれた。



 目を覚ますまでの十年のことは、何も覚えていない。 
 知らないうちに大きくなった体。心は幼い頃のまま、けれど『時間』は残酷にも過ぎていた。

 それでも周囲が、自分に『十八歳のレオン・クリスタロス』を求めていることは、レオンにはすぐに理解出来た。
 二歳年下だった弟は、いつの間にか背も伸びていて、その顔を見たときに、レオンは八年長く生きた人間として接するべきか、それとも昔のように弟として接するべきか少し悩んだ。
 けれど自分が眠っている間、ローズとの婚約を破棄を言い渡し、ローズが騎士となり魔王を倒し自分を目覚めさせたという話を聞いて、レオンは兄として、自分が王位を継ぐために再び行動することにした。

 毎日鏡の中の見慣れない自分を見ては、不安な表情をするなと心の中で言い聞かせた。
 中身が八歳の子どもだなんて、周囲に認識されただけで闘いは不利になる。
 先手有利の盤上遊戯。
 そうだったはずなのに、自分が駒を置けないうちに、十年という月日の間、リヒトはいくつもの駒を盤に並べているようにレオンは感じた。

 ――それでも、僕が勝たなきゃいけない。これは、リヒト自身のためだ。

 眠っていた間の記憶はなく、ただただ眠りにつく前、自分が厳しく接する前のリヒトが自分に向ける笑顔が頭にちらついては、レオンは頭《かぶり》を振った。
 今はもう弟のほうが長く生きているはずなのに、レオンは目覚めてからも弟のことが心配でならなかった。

「リヒトが指輪を……?」
 『鍵』の指輪。
 それをリヒトが無くしたと聞いたとき、レオンがまず心配したのは弟の心だった。

「あの子のことだ。また気にしているんだろうか」
 事件性があるにしろないにしろ、どうせ弟に指輪を見つけることは難しい。
 レオンは、指輪は自分が見つけようと思った。そしてまずは、弟に休息を取らせることにした。

「癒やし効果のある作用のある砂糖……? これはどういう品なのかな?」
 レオンは城下で集める内に、とある品を手にしていた。
 それはよく頑張りすぎる弟には、ちょうどいい品だった。

「精神を落ち着かせて、よく眠れる効果がある、か……。なら、これとこれを一つずつ貰えるかな?」
 そしてレオンはその後、乾燥した苺をホワイトチョコレートでコーティングしたお菓子を購入した。

「リヒトは確か、このお菓子が好きだったはず。これにかければ食べるだろう。……子どもの頃とは、味覚が変わっているかもしれないけれど……」
 それだけが少し、気がかりだった。
「でも無理をしているようだから、倒れる前に休ませないとね」

 レオンがリヒトを探していると、廊下をトボトボ歩いている姿を見つけた。
「……ユーリに嫌いって言われた……」
「おやリヒト。何をしているんだい?」
 背後から声を掛けられば、リヒトは振り返った。

「……兄上」
「君の失態のために連日心を悩ませているユーリからしたら、そう言いたくもなるんじゃないかな?」
 酷い言葉だと自分でもレオンは思った。

「う……っ」
 案の定、リヒトは顔を僅かに歪めた。
「ユーリはローズが好きだから、俺のことが嫌いなのかも……」
「なるほどね」

 ――ユーリは『優しい人間』だから。簡単に君を嫌える人間ではないと思うよ。

 冷たい声で言うつもりが、そんな言葉が頭に浮かんで、言葉は妙な『音』になって響いた。
 自分の失態に動揺するなと、レオンは心の中で自分に言い聞かせた。

「ユーリも君も、よくそんなものにかまけてられるな。僕からしたら、色恋なんていう感情は、とてもくだらないものに思えるのだけれど」
「……兄上?」
 リヒトが、レオンの顔を見上げた。

「感情なんてものはね、人を惑わせるだけなんだ。だから、本当は要らないんだよ」

 ――そう。もし自分に感情なんてなければ、こんなに悩まずに済んだのに。

「……あの、兄上……?」
 弟に呼びかけられ、レオンははっと我に返った。
 見れば弟は、心配そうにこちらを見ていた。レオンはリヒトの言葉を遮った。

「リヒト」
 レオンはそう言うと、そっとリヒトの頬に触れた。
 久々に触れた頬は、昔よりかたい気がした。

「また、夜遅くまで何かを作っていただろう? 目が赤い。君が何をしても無駄なんだから、さっさと早く寝るべきだと思うけど?」
 レオンはそれだけ言うと、ぱっとリヒトから手を離した。

「……」
「ああ。そうだ、これを」
 そして動けずにいる弟に、レオンはリボンの巻かれた箱を手渡した。

「女性からの贈り物の中に、安眠効果のある菓子があったから君にあげよう。僕は食べる気にはならないけれど。……ああ。毒性は特に無いから安心していい」
 『女性にモテる兄』と弟が自分を思っているならば、この理由でいいだろう。レオンはリヒトに菓子を渡すと、その場を去った。

 
 闇属性のその鳥は、人の視界を遮断する。
 指輪は無事見つかり、ベアトリーチェは本来の姿を取り戻した。弟に跪くベアトリーチェの姿を、レオンは見下ろしていた。

「麗しき兄弟愛、か。……まあ、くだらない茶番だね」

 夜に回収をしておいた薔薇を凍らせて、レオンはそれに火をつけた。
 青い薔薇は彼の手の中で灰になる。
 巨大な黒鳥レイザール。
 その上に居たのはレオンとギルバート。
 城の塔の上に降り立ったレオンは、今はその高台から、自らの国を見つめた。

「……お前は、本当にこれでいいのか」
「僕がこの国の王になる。やっぱりあの子は甘すぎる。あの子にまかせていては、国が崩壊しかねない。協力してくれるよね?」
 レオンは笑った。だがギルバートの表情は少し暗かった。

「俺は、お前たちが一番いい未来に辿り着けるよう動くだけだ」
「そう」
 幼馴染の答えに、レオンは目を伏せた。

 ――昔から『ギルバート・クロサイト』が、異質な存在であることは知っている。

「なら君は、僕の味方のはずだ。そうだろう? この国の為には、僕が王になるのが『正解』だ」
 レオンはそう言うと、ギルバートに手を差し出した。

「僕のために、その瞳の力を使ってくれ。ギルバート。――いや、『先見の神子』」

 今このことを知っているのは、レオンのみ。だからこそギルバートを利用出来れば、レオンにとって切札《カード》となる。
 しかしレオンの差し出した手を取らず、ギルバートは静かに呟いた。

「俺はこの目をこの国の為に使う。それが俺の役目だ」
 十年前の彼と同じ言葉を。


 指輪が見つかり、クリスタロスに平穏が戻った。レオンは安堵したが、今度は問題が他国からやってきた。
 大国の王ロイ・グラナトゥムからの、ローズへの求婚。
 レオンは自身も決闘に参加するために、父である王に頭を垂れた。

「――父上。私は、幼少の頃よりローズを愛してきました。彼女はまだ、この思いを受け止めてくれてはおりません。ですが私は、やがてこの国を背負いたいと考えております。その王妃に、私は彼女を選びたい。私が決闘に名を連ねることを、どうかお許しください」

「お前が、ローズ嬢を……」
「眠りにつく前から。ずっと、彼女だけを愛してきました。この気持ちに、嘘偽りはございません。この国を愛する彼女こそ、私の王妃にもっとも相応しい」
「……そうか」
 リカルド・クリスタロスは悩んだ末に首を垂れるレオンの名を呼んだ。

「レオン。ベアトリーチェ・ロッドとの決闘を許可する。彼に勝ち、その力を彼女に示しなさい」
「ありがとうございます」

 しかし、自分と同じ学院を作った『三人の王』。
『大陸の王』の生まれ変わりとされているロイ相手に、外身ばかり大きくなった自分では太刀打ちができないことはすぐにわかった。

「ベアトリーチェ・ロッド。今日は君を跪かせてやるから覚悟しておけ」
「???」
 ロイの態度の急変に、レオンは首を傾げた。

「レオン様。彼はこっちが素なのです。私は昨晩呼び出されて軽く脅されました」
「脅された?」
「ええ。ローズ様を渡さなければ身の安全は保障しないと」
「それは……」
 レオンは顔を歪ませた。完全に脅しだ。

「それと、どうやら彼はローズ様を鍵の守護者として狙っているようです。勿論彼女自身……魔力の高い女性としても、興味はお持ちの様ようですが」
「……やはり、そうか」
「予想していらっしゃったのですか?」
「ああ。彼がここに来る前から、嫌な予感はしていたよ。だから僕がローズの婚約者になろうとも思っていたんだ」

 レオンは唇を噛んだ。
 するとベアトリーチェは、レオンの顔をじっと見てから、不思議なことを尋ねた。

「貴方が決闘を私に申し込まれたのは、それが理由の全てですか?」
「?」
 ベアトリーチェの問いに、レオンは首を傾げた。
 
「レオン様はローズ様のことを、一体どのようにお考えなのです? 私に決闘を挑まれるのは、国を守るためですか? 幼馴染としての好意ですか? ……それとも」
 ベアトリーチェは僅かに間を作る。

「レオン様は本当に、彼女を心から愛していらっしゃるのですか?」
「……っ!」
 レオンはベアトリーチェから顔を背けた。
 新緑の瞳は、自分の表情の変化を見逃さない。
 レオンはベアトリーチェが少し、怖いと思った。

「レオン様。私は貴方の本心が知りたい。それによっては、私も態度を改めます」
 ベアトリーチェはそう言ったが、本心なんて、レオンには晒せるわけがなかった。

 気付かないで欲しいとレオンは思った。
 自分の心の弱さを知られたら、自分への『信頼《きたい》』なんて、すぐに失われてしまうような気がしていた。

 ベアトリーチェとのやり取りのあと、始まった決闘の中で、レオンは自身の力不足を感じざるを得なかった。

「――私の勝ちです」 
「ははははははは! まさか俺が負けるとは。実に面白い男だ。ベアトリーチェ・ロッド。まさか君がこれほどの力を持っているとは。何故君ほどの力を持つ人間が、副団長などという中途半端な場所に居るのか理解に苦しむ。君の年下の騎士団長が、君に敵う器とはとても思えないのに」

 『相棒』であるユーリのことを馬鹿にされて、ベアトリーチェは眉間に皺を寄せた。
 ベアトリーチェは剣を下ろした。ロイがベアトリーチェに向かって、敗北の意思を見せたからだ。
 立ち上がったロイは、炎の魔法ではロイに押し負け、ベアトリーチェには剣を奪われて呆然としていたレオンを見下ろした。 

「それに比べ、君にはがっかりだ」
 冷たい声が、頭上から振って来る。

「『氷炎の王子』。君はもっとやれる男だと思っていたが、一〇年の月日は君から名声を奪うかもしれないな。世界で最も王子として優秀だともてはやされた君も、時間には抗えなかったということか?」
「……っ!」

 レオンは息を飲んだ。
 それは何より、自分自身思っていたことだった。

 魔法を使っていなかった一〇年間。
 レオンの時間は止まったままで、今の自分が使えるのは、八歳の時の魔法の、多少威力が増したものに過ぎない。
 目が覚めてから日々訓練はしていても、一〇年の欠落はやすやすと埋められるものではなかった。
 そして次の決闘で、ロイはベアトリーチェに空中戦を挑んだ。

「――こちらには翼がある」
 ロイはそう言うと、高く左手を上げた。

「来い。レグアルガ!」
 するとロイの背後から、彼がこの国にやってきたときに乗っていたドラゴンが、高い声を上げて現れた。
 鋼のような、硬質な鱗を持つドラゴンの身体はてらてらと輝き、その翼が羽ばたくたびに風が起こる。

「お前の魔法がどんなに優れていても、その魔法が、俺に届かなければいいだけのこと」
「……」
「王の生き物を舐めるなよ」

 ドラゴンは、ロイの後ろに着地した。
 ロイが体を撫でると、その見目とは裏腹に、ドラゴンは気持ち良さそうな声を上げた。

 力あるものに従属する獣。
 その信頼関係は、決してロイが『王』だからではないということを物語る。

「契約獣も、決闘への参加は認められてはいる。君は彼女に何も言っていないのか?」
 ベアトリーチェの服を不安げに掴むローズ。
 その姿を見て、ロイはまた笑った。

「これだけ体を張っても自分を選ばない彼女には、何も言えないということかな?」
「私はただ、愛する婚約者に余計な負担をかけたくないだけです」
「本当に君は、『お優しい』な」

 それはベアトリーチェを、誠実に人を思う人間を、嘲笑うような声だった。
 レオンはわざと足音を立てた。
 これ以上目の前の男が、ベアトリーチェを蔑むことのないように。

「おや。レオン王子。貴方はもう諦めたかと」
「ローズは貴方には渡さない」
 レオンは静かにそう呟いた。
 ただその言葉を、ロイは真面目に受け取ろうともしなかった。

「ははははは。実に愉快。君が俺にかなうとでも!?」
「レイザール」
 一瞬唇を噛んで、レオンは手を上げた。
 すると、太陽を隠すほどの大きな黒鳥が宙を旋回し、レオンのそばに降りた。

「なるほど。『最も高貴』とされる生き物。だが……」

 その美しさは、ロイの契約中であるドラゴンとは全く違う。
 侵すことのできない漆黒。
 闇夜を思わせるその色は、この世界を生きる生き物の中で最も美しいと言われる、双璧をなす生き物のうちの一つだ。

 『氷炎の王子』。
 レオンがかつて、そうもてはやされたのは、彼がレイザールの契約者であったことが理由でもある。
 力ある生き物は、力を持つ主を選ぶ。
 レイザールは、レオンの力の象徴でもあるのだ。
 だというのに、大陸の王はその生き物を見ても、顔色一つ変えなかった。
 いや、正確に言うと――どこか冷めた目で黒鳥を見た彼は、つまらなそうにこう呟いた。

「やはり君の契約獣は、フィンゴットではないんだな」
「?」

 ロイの言葉の意味がわからず、レオンは首を傾げた。
 レイザールと双璧をなすドラゴンは、今は眠りにつき、卵から目覚めないという話なのに。

 ――この男は一体、何を言っているんだ……?

 訝しむレオンの隣で、ベアトリーチェは閉じていた目をゆっくり開いた。

「もう、いいですか? さっさと決闘を始めましょう」
「いいだろう」
 ロイは余裕たっぷりにそう言った。

 地上でしか戦えない場合と、飛行が可能な場合は、大きく戦闘法を異にする。
 自身の契約獣の背に乗るレオンとロイに対し、ベアトリーチェはいつものように薔薇の剣を手にしているだけだった。
 そんな彼を揶揄するかのように、ロイは飛び立つ瞬間、わざとドラゴンにベアトリーチェに向かって翼を羽ばたかせた。

「……っ!」
 飛ばされぬよう、剣を地面につきたて手を体を支えたベアトリーチェを、ロイは嘲笑した。

「空を飛べない人間は、地面に這いつくばっているのがお似合いだ」
「ビーチェ様!」
 ローズが婚約者《ベアトリーチェ》の名を呼んだ。
 魔法を使う戦闘の前から、これでは分が悪すぎる。

「ロイ・グラナトゥム殿」
 そんなロイに向かって、レオンは尋ねた。

「私の弟に、やたらとかまっていらっしゃる理由を教えていただきたい」
「傀儡にできそうな人間が王になる方が、御しやすいと思っただけだ」
 ロイはそう言うと、小馬鹿にするように笑った。

 ――ふざけるな。もしそうなれば、リヒトがどれだけ悲しむと!?

 結局は、力を持たない弟が王となれば、他国に軽んじられ、搾取されるだけになることが目に見えている。
 リヒトを嘲るロイの言葉に、感情を表には出すまいと思っても、レオンの手は僅かに震えた。

「……わかりました」
 レオンは短く言うと、さっと左手を高く上げた。
「レオン、様?」
 レオンはベアトリーチェの手を掴んだ。
 自分の契約獣の背に、ベアトリーチェを乗せる。

「れ……レオン様?」
「――飛べ。レイザール」
「何の真似だ? レオン・クリスタロス」
「僕は、この国を守る王子だ」
 レオンは、ロイを見据えて言った。

「名声なんて必要ない。誰に非難されても、否定されても。僕はこの国を……ローズを選ぶ。貴方のような人に、ローズは……。ローズは、渡さない!」
「レオン、様……?」

 ベアトリーチェは空を飛べない。
 慣れない空の上で、振り落とされないよう、ベアトリーチェは鳥の背を掴んでいた。

「レイザール。僕の魔力の全てを与えよう。かの王から、僕らを守る壁をつくれ」

 この世界で、最も高貴とされる生き物は二ついる。
 すべてを阻む闇属性のレイザール、光の祝福を与えるフィンゴット。
 ただその二つの生き物は、強い力の代償に、どの生き物よりも魔力を主に要求する。
 力ある生き物は力を持つ生き物を選ぶ。
 一説には、彼らには主の魔力を自分の中で増幅させる機能を持つ力があるといわれている。

「レオン様」
「単純な魔力だけなら、君の方が強い筈。これで彼には勝てるだろうね?」
 レオンはベアトリーチェの方を振り返りはしなかった。
 ベアトリーチェは、静かに頷いた。

「……はい」
 空中戦対空中戦ならば、ベアトリーチェにも勝機はある。

「私の勝ちです」
 レオンの行動のおかげで、ベアトリーチェはロイを追い詰めた。
 ドラゴンから振り落とされたロイに突きつけられたのは、鋭い剣の切っ先だった。

 ベアトリーチェの肩は上がっていた。
 一方、負けたはずのロイにはまだ余裕がある。それを物語るかのように、武器を向けられているというのに、彼の表情はいつもとそう変わらなかった。
 まるでこれまでの全てが、盤上の遊戯でてもあるかのように。
 レオンは嫌な予感がした。本能的に理解する。

 ――違う。この男の、本当の狙いは……。

「――それはどうかな?」
「え?」
「この戦い、勝つためのものではない。これで手の内はわかった。やはり君は、空を飛べない」
「……!!!」
「勝負など、最後に勝てばいいだけの話。暇つぶしはここまでだ」
「……貴方は。最初から、そのつもりで」

 ベアトリーチェの言葉に、ロイは不敵な笑みを浮かべた。
 幸運・魔法・精霊晶。そして、空を飛べるかどうか。
 これまで決闘は、小手調べに過ぎないと言われたベアトリーチェの顔色が険しくなる。
 そんなベアトリーチェの横で、レオンは魔力の枯渇で意識を失った。



「……ローズ?」
「お体は、大丈夫ですか?」
 レオンが目を覚ましたのは、倒れて三時間ほど後のことだった。
 そばで光魔法をかけ続けていたローズは、レオンが目を覚ましてほっと息を吐いた。

「倒れたのか……僕は」
 天井を見つめる。レイザールの力を全力で開放したのは初めてだった。体に力が入らず、動けない。 

「はい。決闘の、その後すぐ」
「……そうか。――全く、情けないな。今の僕は」
 目覚めてから、レオンは血のにじむような努力した。
 それでも駄目なのだ。月日はそう簡単にはとり戻せない。そして世界は、レオンを待ってくれなどしない。

「あの王は、僕が気に入らないらしい」
「あの方は、一体何を考えていらっしゃるのでしょうか……?」
 レオンはローズが首を傾げる姿をじっと見つめた。

「なぜ私の顔をまじまじと見ていらっしゃるのですか?」
「……こうやって、君とちゃんと話すのはいつ以来だろうと思って」
 それはいつも演じている『レオン・クリスタロス(かんぺきなおうじ)』としての言葉でなく、心からの言葉だった。
 素のレオンを前に、ローズはレオンから顔をそらした。

「……それは、いつもレオン様が、私をからかわれるからでしょう?」
「……ああ。そうだ」

 『いつものように』くすくすレオンが笑えば、ローズは不機嫌そうな顔をした。
 そんなローズに向かって、レオンは小さな声で、彼女に尋ねた。

「でも……本当に、それだけだった?」
「レオン様?」
「……ねえ、ローズ。君の手を、握ってもいいかな?」
「いつもは勝手に行動されるのに、どうして尋ねられるのです?」
「……なぜだろうね」

 レオンは苦笑いした。
 力の入らない手を精一杯持ち上げて、ローズの手に触れる。
 彼女の手に触れたとき、じわりと心のなかに熱が広がっていくのがわかって、レオンは無意識に笑みが溢れた。

 理由なんて、最初から自分が一番わかっていた。
 どんなに想っても、心は得られないと諦めてきた相手から伝わる熱は、ただただ愛しく温かかった。
 いつからだったかは、自分でもわからない。
 いつだって一生懸命で、馬鹿みたいに真面目で。言い換えれば融通がきかない。それでも真っ直ぐなその瞳に、幼い頃からずっと惹かれていた。

「君の手は、温かいな」
 愛しい少女の手はもう、弟のものでも、自分のものでもない。
 ただこの手を握る資格がないとしても、彼女を物のように扱う大陸の王にだけは、ローズを渡してはならないとレオンは思った。


 結果として、ベアトリーチェはロイに最後まで勝利した。
 リヒトは、レオンが眠っていた十年の間に培った魔法道具をつかい、ロイに好意を抱かれることに成功した。ギルバートはクロスタロスのために、魔法を使ってロイに交渉した。

「この国は、僕の国だ」
 月明かりのさしこむ部屋で、レオンは一人決意を呟く。

「約束は、違えません。……母上」

 けれどその誓いは、深い夜の闇に、消えてしまうようにも感じられた。
 レオンは夜が嫌いだった。夜の静寂は、世界に一人ぼっちの自分を、食べてしまうような気がしたから。
 でも、そう怯えていては生きてはいけない。
 闇を怯える様な弱い人間は、誰からも望まれない。
 だから彼は一度も、夜が怖いと口にしたことは無かった。
 けれどその思いを口にせずとも、そばにいてくれた弟は、今はもう、ここにはいない。

『リヒトはとても弱いから。だから貴方が、この国を守ってね』
『私の完璧な王子様。貴方ならできるわ』

 思い出の中の言葉は遠く霞んで、遠い日の母の言葉だけが、自分の中には残っているようにレオンには思えた。
 手の中の銀色に力を籠める。
 母の形見の銀時計は、確かに時を動かすのに、ずっと止まっているような気もした。
 ゆっくりと瞳を閉じる。
 瞼の裏に映るのは、笑い声の響く懐かしい景色だ。

『兄上。僕も大きくなったら、魔法を使って、この国を守ってみせます。お姫様と一緒に、お城で暮らすんです!』

 何も知らない幼い子供。
 子供の持つ絵には、金色に碧の瞳の少年と、黒髪に赤い瞳の少女が描かれている。
 お城で一緒に暮らしたい。
 そんなお伽噺のような幸福なことを、自分に話していた子どもの笑顔を思い出して、彼は拳を握りしめた。



 ロイからの申し出で、レオンたちはグラナトゥムの魔法学院への入学が決まった。
 中身が幼い子どもとは他人は知らず、優れた能力を持つレオンのことを、相変わらず周りはもてはやした。

 ロイやベアトリーチェには敵わなくても、レオンの能力は世界を見れば、決して低い方ではない。
 ただ、精神面では年上の少女たちにまとわりつかれるのも疲れて、レオンは彼女たちを撒いては時間を潰した。

 そんな中、レオンは『海の皇女』に出会った。
 弟と同じように、王族でありながら魔法を使えない人間。レオンにとって、彼女はそれだけの存在だった。
 しかしある日、自分からリヒトが離れるように行動していたにもかかわらず、レオンは見過ごせないものを見てしまった。
 青の大海――クリスタロスの王族として、敵対すべきでない、大国の皇女の言葉は、リヒトにつらい現実を突きつけた。

「貴方は、自分がまだ魔法を使える可能性があると、本当に思っているの?」
「ああ。それに確かに俺は魔力は低いと言われているけど、でもその分俺は研究で――……」
 ロゼリアは、蔑むような声でリヒトを否定した。

「そんなこと、したって無駄よ。魔力が低い貴方が何をしたって、認められるはずはないわ」

 それはレオンが、これまでリヒトに告げてきた言葉。だがその言葉を、何も知らない他人が口にすることを、レオンは許せなかった。

「誰も貴方に期待なんかしていない。出来損ないの第二王子。貴方は絶対に、貴方が手にしたいものは手に出来ないわ」
「……」
「貴方と私はおんなじね。出来損ないの、ないものねだりなんだわ」

 リヒトは声が出ないようだった。
 泣き出したい気持ちを必死に抑える。
 レオンはそんな弟を庇うため、二人の間に割って入った。

「僕の弟に、余計な考えを吹き込むのはやめて貰おうか。海の皇女。持った力を扱えないだけの君が、リヒトを責めるのは筋違いだ」
「……あ、兄上!?」
「才能があって努力するのと、才能がなくて努力するのは違う。砂浜に落ちた指輪を探すのと、砂浜の砂全てが指輪であるのと、何が一緒だって言うんだ」
「何よ! 何よ、何なのよ! 出来損ないと、諦められているのは一緒じゃない!」

 ロゼリアはそう叫ぶと、目に大粒の涙を浮かべて走り去った。
 レオンは、追いかけようとしたリヒトの行く手を遮った。

「あの、兄上……」
「――リヒト」
「……はい」
 レオンの声に、リヒトはびくりと体を震わせた。
「あんな考えしか出来ない人間と、付き合うことはおすすめしないよ」

 頑張れば何でも出来る。
 夢は叶う。
 そんな夢に溢れた世界なら、人はきっと涙なんて流さない。
 人は自らの前に立ちふさがる壁を前に生きる。それを超えたときに人は泣き、超えられないときにまた泣くのだ。

「君と、僕は違う」
 一人呟く。

『あにうえ!』
 目を瞑れば、幼い頃の弟が自分に笑う。
『僕も、兄上のようにできるようになりますか?』
『……どうして。どうして僕は、兄上のようにできないんだろう』

 自分がいるから弟は苦しむ。そんなこと、最初からわかっている。
 比較されて育った弟は、あまりにも自分と比べて弱すぎる。変えられない現実が、弟の心を苛むなら。その心が壊れる前に、自分は兄として、弟に烙印を押すべきだと思った。

「君は、出来なくていい。――リヒト。だから、もう頑張らなくていいんだ」

 レオンは幼いときに一度だけ、幼馴染みたちと共に浜辺で遊んだことがあった。
 そしてその時、リヒトが当時大切にしていた小さな宝石を、誤って落としてしまった。
 夕暮れになってもまだ、一人宝物を探すと言ったリヒトに、父が似たものを与えるから諦めるように言い、レオンは大事なものをそんな場所に持ってきたリヒトを責めた。

『大切なものだったのに』
『宝物だったのに』
 もう戻らない宝物を探して泣く弟を、レオンは見守ることしか出来なかった。

 ――砂浜に落ちた指輪を探す君は、昔から地べたを這いずって泣いている。

「指輪はもう無い。だから……だから……」

 でも、本当は。
 弟が一番求めるものを与えられるのは、自分だけだと知っている。
 


 レオンは、胸元に手を当ててゆっくりと目を見開いた。
 多数決での決定は、次期国王はリヒトだ。
 だがリカルドは、レオンが選ばれなかったことに、少し動揺しているようでもあった。

「お答えください。私にも、弟がいます。私にとって弟は、かけがえのない存在です。貴方だって本当は、そうお考えではないのですか?」

 ベアトリーチェは真っ直ぐに、レオンの意志を問うた。

「貴方が本当にこの座を望むなら、出来ることはあったはずです。でも貴方は、そうしなかった。リヒト様を守るように行動されていたと、そう話も聞いています」

 ジュテファーがレオン付きになったのは、ベアトリーチェの指示によるものだ。
 ジュテファーは、敬愛する兄に嘘は吐かない。

「僕は……」
 その時、高く鳴く鳥の声が聞こえレオンが天窓を仰げば、レイザールの姿が見た。
 巨大な黒鳥は、悠々と空を舞う。その瞬間レオンの中に、暗い夜の出来事が甦った。

【貴方は、何を望む?】

 その問いに、なんと返したか。レオンは今でも、はっきりと覚えている。

『強くなりたい。僕は……この国を、弟を守れるだけの、力が欲しい』

 それはレオンを世界に繋ぎ止める、たった一つの決意《ねがい》。
 王になれるのは、たった一人だけ。
 ならば。

 ――いつか自分の手を離れる弟に、弱くて頼りないその手に、一体自分は、何を握らせてあげられるだろう?

 玉は傷のない完全なものであるがゆえに、価値がある。
 王族であるが故に、『賢王』の生まれ変わりであるとされるが故に、期待に押しつぶされそうな日々を送っていたから自分だからこそ。

 ――『玉座』なんてそんな重いものは、僕が背負うから。君が幸せなら、何もいらない。だから、どうか。君は、君だけは、ずっと笑っていて。

 レオンはずっと、リヒトに『自由に』生きて欲しかった。


 レオンが目覚めてからのリヒトは相変わらず魔法の使えない頓珍漢のポンコツだったが、それでも変わらずリヒトの周りには人が居た。
 レオンが作った『令嬢騎士物語《せいし》』のせいで貶められ、子どもにすら軽んじられても、リヒトは怪我を負った子どもに、手を差し伸べようとした。
 そんな弟の、変わらない優しさに気付く度に、自分がどう行動すべきかレオンは悩んだ。

 すれ違う。
 レオンはずっと、自分の心に嘘を吐いて生きてきた。

 幼い頃からいつだって、自分の本心を隠して、誰かの望まれる自分を演じて生きてきた。
 そうすることが癖になって、弱音を口にすることすら出来なくなった。
 氷のような心は触れた相手を傷付ける。だから本当の意味で、自分は誰にも干渉できないようにもレオンは思えた。
 だから本当は、一番自分がわかっている。
 ――王に向いているのはきっと、自分よりも。
 レオンは、人には見られぬよう小さく笑ってから、リヒトの顔を見た。

「リヒト。君は、王になりたい?」

 レオンの問いに、リヒトはゆっくり、大きく頷いた。
 そんなリヒトを見て、レオンは下を向いて腰の方へと手を伸ばした。
 ユーリは剣に手を伸ばす。
 しかしそんなユーリの手を、ベアトリーチェは阻んで首を横に振った。

「なら」
 レオンは、リヒトを傷つけるようなことはしなかった。
 代わりに、リヒトの手にある指輪を握らせて、静かに頭を垂れた。
 それは幼い頃、リヒトが砂浜でなくした赤い宝石の付いた指輪だった。

 リヒトは眼を瞬かせた。
 傷はついていたけれど――それでも確かに、彼がずっと探していたもの。
 十年も前のこと。
 レオンはリヒトの代わりに、その宝石を見つけた。けれど弟には渡せないまま、レオンは長い眠りについた。

「――僕が、君を守ってあげる」



 その言葉は、かつてリヒトがレオンに向けた言葉と同じだった。
 彼が眠りにつく前に、自分に向けられた最後の言葉。
 昔その言葉を聞いたとき、リヒトは兄に自分は必要ないと、そう言われたと思っていた。

 けれど今――兄は優しい眼をして、自分に笑いかけている。
 ヘンだ、とリヒトは思った。
 こんなの、自分が知る兄じゃない。これじゃあまるで――優しかった頃の『あにうえ』のようではないか。
 リヒトはレオンと同じように、膝をついて尋ねた。

「ありがとうございます……。えっと、違う。そうじゃなくて……! なんで兄上がこの指輪を!? それに……あ、あの。兄上? ……その、どこか痛いのですか?」

「……」
 レオンは、心の底から心配そうに言う弟を見て苦笑いした。
 勘がいいというか鈍いというか――昔からこの弟は、隠したい自分の本心を、的確についてくる。

「今、それを言うのかい?」
「え……。いや……あの、その……」
「全く……。――本当に、これだから……」

 レオンは目を細め、今度はリヒトの頭を優しく撫でた。
 子どもの頃の、優しかった頃の『あにうえ』のように。

「……兄上?」
「今までごめんね。――リヒト」

 熱のこもった兄の言葉。その言葉を聞いたとき、リヒトは魔法学院で、エミリーに問われた言葉を思い出した。
 紫の瞳はただ穏やかに、優しくきらめく。

『貴方は誰にも、魔法を与えてもらえなかったの?』

 リヒトはその問いに、かつて答えることは出来なかった。
 魔法の使えない自分は兄に、愛されているとは思えなかったから。でも今は、違うと言えるような気がした。

 ――違う。兄上はずっと、優しかった。きっとこれまでも、自分を愛してくれていた。でもそれを、自分が受け入れることが出来なかった。

 『完璧』だと誰もが褒めたたえられた兄が、本当はまだ幼い子どもだったと、今ならリヒトは理解出来る。
 あの頃、兄が小さな手にどれほどのものを背負って生きてきたかも知らず、自分がどれだけ子どもだったかも、今のリヒトになら分かる。

 ――覚えている。『あにうえ』は、優しい人だった。それだけじゃない。目覚めてからだって、本当は……。

 指輪を自分が奪われた時、王位争いの時の最中だったのに自分を気遣ってくれた。青い薔薇――花を処分したのは恐らく兄だろうとリヒトは考えていた。

 ロゼリアも言っていた。
 兄は自分を思っていていると。不器用なだけなのだと。そしてかつて王位継承者としての兄に忠誠を誓っていた筈のベアトリーチェは、レオンの行動の意味を問う。
 圧倒的な力を持っていた筈のレオン。
 レオンの魔法属性は炎と氷。
 それが意味するところは――……?

「……俺も。俺も、ごめんなさい。……あにうえ」

 いつの間にか、リヒトの目からは涙がこぼれていた。
 リヒトは、兄の服をぎゅっと握りしめた。
 幼い頃、優しい『あにうえ』にしていたように。

 嫌われていたわけではなかった。兄は自分のことを、昔から変わらず思ってくれていた。そのことが、リヒトはたまらなく嬉しかった。
 レオンはリヒトの頭を撫でた。
 夜が怖いと言えなかったレオンの、一人きりの冷たい部屋に、幼いリヒトが枕を抱えてやって来た――あの日の彼が、リヒトが眠りにつくまでかつてそうしていたように。
 その瞬間、レオンは自分の中で、何かがかちりと割れる音を聞いた。

 柔らかく溶けていく。氷は水へと姿を変える。レオンはそっと、自分の指輪へと手を添えた。
 ずっと、欲しかった魔法を『願う』。
 するとレオンの手のひらには水が満ちた。それはレオンがずっと、指輪に書きこんでいても使えなかったはずの水魔法。

 空から降る雪がやがて溶け恵みをもたらすように、雪の与える恩恵は時間を経て現れる。
 けれど冷たい雪が人を凍えさせるのもまた確かで、氷属性を持つ人間はその両方を持ち合わせる。

 氷を溶かすのは炎だ。
 絶対的な自信。才能を認められ、自分を肯定する心は、レオンの中に確かにあった。
 二つをかけ合わせれば、水は生まれる。
 けれど、ローズが墜落したときのような場面で使えるかというと話は別だ。
 墜落する彼女を包み守る。そのためには、本当の水属性が必要だった。
 氷のような冷たさ。けれどいつかそれは、溶けて水となる。
 不器用な彼の優しさは、棘のように人を傷付け、その意思の強さは、炎のように人を遠ざける。
 レオンはずっと、誰かを傷付けてばかりの魔法ではなく、本当に人を守れる、優しい魔法が欲しかった。
 それはこれまで、レオンがどんなに望んでも手に入らなかった魔法《ちから》。

「……答えは最初から、ここにあったのか」

 世界で一番強い、完璧な王子様。
 与えられた肩書は、『選択』を彼から奪った。

「陛下」
 レオンは、『王』に向かって頭を垂れた。

「僕は……王にはなれません。望まれたのは、僕じゃない。だから……認めてください。リヒトを――この国の、次の王に」

 一人、また一人。リヒトの周りには人が集まる。
 かつてレオンに向けられていたの羨望とは違う。
 リヒトを見る人々の瞳は、誰もがどこか優しい色を宿していた。
 リヒトが選ばれるのは、彼自身の弱さに由来する。
 リヒトは弱いから。
 だからこそ、自分たちが――彼を支えたいと思うのだ。

『この玉座は冷たい』
『自分に従う人間たちの前で、完璧でなくてはならない』
『一つの傷も許されない』
『玉は、美しくあらねばならない』

 言葉は呪いのように降り積もる。
 いつだって、昔から、自分に言い聞かせるように呟いて、レオンは胸が苦しくなった。
 不向きだ、と思った。けれどだからこそ、自分が王になるべきだとレオンは思った。
 
 誰もが立場があり、立場には責任が伴う。
 たとえ王になることを望まなくても、その地位に生まれたならば、相応しい行動と努力を求められる。
 そんな世界は、きっと弟には向いていない。

 でも、実際はどうだろう?
 十年間の長い眠りの末、目覚めた世界は大きく変わっていた。
 体ばかりが大きくなって、時間を失ったレオンには、『完璧な王子』の続きを演じることしかできない。
 でも、リヒトは違う。レオンは目覚めてから、リヒトの人柄や行動に、救われた人々を見てきた。
 誰かに認められて、嬉しそうに笑う。そんな弟を見たのは、レオンは初めてだった。

 人に愛される才能。

 レオンには、それは自分に欠けた才能《もの》に思えた。
 本当の心を、弱い自分を、レオンは他人に晒すことなんて出来ない。
 『完璧で優れた王子』でなければ、自分に存在の価値なんてない。
 そんなふうにしか思えない自分では、他人を従えることは出来ても、他人《ひと》を笑わせて導くことなんて出来はしない。
 でも弟が王になるなら、その玉座は決して冷たくなんてない。
 きっと彼が王となる国は、慌ただしくはあるかもしれないが、きっと笑顔にあふれていることだろう。

『俺はお前たちが幸せになれるよう選ぶだけだ』

 幼馴染の言葉の意味が、今ならレオンにもわかる気がした。
 ギルバートの言う『幸福な未来』。
 その中にはリヒトとレオン、二人が存在する。
 けれど自分が王となれば、リヒトはきっと幸せにはなれない。弟はもう、自分には笑ってはくれないだろう。

『いたいのいたいの、とんでいけー!』
『お姫様と一緒に住むのが夢です!』

 弟は昔から変わらない。
 真っすぐで、柔らかい光のように、自分の中に在り続ける。
 レオンは、ベアトリーチェのかつての言葉を思い出していた。

『名前が変わっても、どんなに遠く離れても、年をとって姿が変わり、いつか貴方が、私の背を超えてしまっても。私にとって貴方は、かけがえのない弟です』

 弟を持つ兄として、自分と同じように、弟から離れようとしたベアトリーチェの言葉が、今はただそのすべてが、レオンは自分の言葉のように思えた。

『私はいつからか、貴方が傍にいるのが当たり前なように思えていた。このかけがえのない時間の幸せを、尊さを、忘れてしまっていたのです。時間が私を置いていく。みなが私を置いていく。それでも貴方だけは、私を追いかけてきてくれる。繋がっていてくれる。家族なのだから――それが、当然だと思ってしまっていた。遠くで駆ける貴方を見るたびに、私とは違う誰かと笑い合う貴方を見るたびに、私はそれを眺めるだけで一人満足して、貴方に手を差し出そうとはしなかった。それが貴方の心をどんなに傷付けていたかを考えずに、貴方に背を向けて、自分のことだけを考えて過ごしてきました。許してください。……私を。愚かな貴方の兄を』

 だがリカルドは、レオンの願いに顔色を曇らせた。

「しかし、魔力の低い王など前例がない」

 指輪の力が明らかにならなかったのもそのためだ。
 クリスタロスはこれまでずっと、魔力の強い王と王妃をいただいてきた。
 他国の王を見ても、魔力の低い王など、この世界には存在した例《ためし》はない。

「魔力の低さだけが否定の理由なら、補う者は、ここにおります!」
 自ら五人に選択をさせながら、それでもリヒトを時期国王に認めようとしない父に、レオンは高らかに宣言した。

「レオン王子がそれを望み、リヒト王子が王になるのなら……。グラナトゥムは、力を貸すことを約束しよう」
「ディランも、グラナトゥムにならうことを約束するわ」

 ディランにおいて、水晶宮の魔法の使い手であることは、次期国王の資質とみなされる。
 かつての力を取り戻したロゼリアは、今や大国ディランの次期女王なのだ。
 赤の大陸グラナトゥムの国王と、青の大海ディランの次期国王の支持――ロイとロゼリアが続けた言葉に、リカルドは動揺した。

 まさか自分の二番目の息子が、魔法の使えない弱い子だと思っていた人間が、そこまで大国の王と皇女から思われているとは、リカルドは思ってもみなかった。
 確かに二つの国が、リヒトが在位のうちはクリスタロスと友好な関係を築いてくれるというのなら、その話は渡りに船だ。

「しかし……」
 だがリカルドはクリスタロスの王として、『他国に頼ることが前提の次期国王』を、すぐに肯定は出来なかった。

「待ってください!」

 リカルドが、言葉を詰まらせたまさにその時――高い少女の声が、扉を開く音と共に響き渡った。
 闖入者《ちんにゅうしゃ》はかつてリヒトを惑わせ、ローズとリヒトの関係を切り裂いたとされる張本人――『光の聖女』、その人だった。
 アカリは大きく息を吸い込むと、玉座に座っていたリカルドを見上げて叫んだ。

「リヒト様の魔力なら……補う方法は、あります!」
「本当にリヒト様が、ユーゴ(あのひと)の言っていた『王様』で、ローズさんの聖剣の石が、本当にリヒト様が、本来待つはずだった魔力なら、それを元に戻すことさえ出来れば……!」
「しかし、そんなことが本当に可能なのか?」

 リカルドの問いに、アカリは静かに頷いた。

「はい。『光の聖女』として、この世界に招かれた『異世界人《まれびと》』として、どうかその魔法を、私にお許しください」

「でも、アカリ。貴方は……」
 異世界に戻るためにアカリは、魔法を使ってはならない――そう聞いていたローズは、アカリの言葉をすぐには受け入れることはできなかった。

「大丈夫、ですよ。……あのね。ローズさん、私ね」
 自分を心配そうに見つめるローズに、アカリは振り返って笑みを浮かべた。

「この世界に来るまでの私は、ずっと病室で、窓の向こう側の世界を眺めて生きていました」

 アカリは、静かにそう言った。

「自分もあの世界に行きたい。自分がもしあの世界に行けたら、きっと自分は変われると、ずっとそう思って生きていました。でも違った。体が強くなって、向こう側の世界に行っても、心はずっと変わらないまま。結局私は、自分の世界に閉じこもって、必死に自分を守ろうとしているだけだった。……ローズさんは、そんな私の世界の扉を叩いてくれた。蹲って震えることしか出来なかった私を信じてくれた。認めてくれた。本当なら私のことを、誰より嫌ってもおかしくなかったのに、いつだって私のことを一番に信じてくれたのはローズさん、貴方でした」

 アカリの言葉は――ローズだけが知っていた『七瀬明《ほんとうのかのじょ》』の言葉は、しんとした広間に響き渡る。

「『魔法は、心から生まれる』――ローズさん昔私に、そう言いましたよね。だったら私に魔法を与えてくれたのはローズさん、貴方です。この世界も、自分も。何も信じられなかった私を、ローズさんは信じてくれた。ローズさんが信じてくれたから、貴方を守りたいと思えたから、私はあの日魔法を使えた。『何も出来なかったただの七瀬明』だった私に、ローズさんが私に、魔法を与えてくれた」

 アカリはそう言うと、自らの胸に手を当てた。

「私、ずっとどこかで思ってました。ここは『ゲームの世界』だって。そういう思いが消えなかった。私が『光の聖女』だから、誰もが私に優しくしてくれる。気遣ってくれる。レオンさんたちのことは……ちょっと違ったけれど。結局他は『ゲーム』と同じで。私は、ああここはやっぱり『ゲームの世界』で、私は死んでこの場所に招かれて、『悪役令嬢』である貴方に苛められて、私を好きだという人たちと一緒に魔王を倒すのかなとか、そんなことを考えていました。私は魔法を使えない。でもいつか、『私だけにしか使えない特別な力』で、この『セカイ』を救うために喚ばれた。――……そんな、『セカイ』で」

 アカリは、ゆっくりと息を吸い込んで言った。

「あの日リヒト様に婚約破棄されたローズさんが、ゲームじゃありない行動をとった」
「? 有り得ない??」
 
 ローズは思わず首を傾げた。
 自分はなにか、おかしなことをしただろうか? 

「だって、有り得ないですよ。お嬢様なのに、公爵令嬢が騎士にだなんて。それも、騎士団長であるユーリさんを倒して、だなんて。信じられない。だってこんなの、『ゲーム』には無かったのに。……その時私、余計に怖くなったんです。ローズさんが、もしかしたら私と同じような『異世界人《そんざい》』で、私と同じ世界から来た人間なら――今度は私が、貴方に糾弾されるんじゃないかって。ここにも、私の居場所はないんじゃないか、って。でも、そんな風にしか考えられない弱い私を、ローズさんは死ぬかもしれないのに庇ってくれた」

 魔王討伐。
 ローズは自分の命の危険をかえりみずアカリを助けた。
 ローズは思い出した。アカリが自分に歩み寄ろうとてくれたのは、その出来事以降だった。

「私は、たくさん……たくさん、貴方を傷つけたのに……!」

 胸を抑えて、悲鳴の様に言葉を紡ぐ。
 とぎれとぎれになる声を、ローズは黙って聞いていた。
 アカリのことを『光の聖女』――『世界に光をもたらすという伝説の少女』だと、この世界で誰もが思っても、『青い鳥』に焦がれていると、かつてローズに話して泣いた彼女が、今も変わらずそこにはいた。

「でもその後、ミリアさんに怒られて、『ああやっぱり、自分は駄目なんだ』って。……何も出来なくて、変われなくて、目の前が真っ暗になったときも、ローズさんは私に手を差し出してくれた」

 アカリはそう言うと、ローズの前まで歩いて立ち止まった。

「ローズさん、気付いていましたか? あの日私を『信じる』と言った貴方の手が、本当は震えていたこと」
「……え?」
 ローズは目を瞬かせた。

「その様子じゃ、やっぱり気付いてなかったんですね」
 アカリは、そんなローズを見て苦笑いした。

『ローズが握るアカリの手は小さく震える』

 アカリを信じるとローズが初めて言った時。
 あの時、本当に震えていたのは――……。

「その時私ね、この人は確かに私と同じように『生きている人』だって、そう思えたんです」

 アカリは目を閉じた。
 『七瀬明』は、本来病で死ぬはずだった。

 その事実が現実味を帯びてきた時、いつも話しかけてくれていた看護師《あいて》もまた、ローズのようにアカリのために嘘をついて震えていた。

 そして彼女が、ある夏の日に子どもを救おうとして亡くなったということを知った後に、アカリもまた同じように、子どもを救おうと火にとびこんで、ユーゴに導かれ聖女としてこの世界にやってきた。

 命を賭して誰かを救おうと手を伸ばしても、愚かだと言われるそんな世界で、アカリは自分の人生は、一度終わったとのだと思っていた。

 そして新しい人生を送れると思った世界でも、本当の自分を受け入れてくれる人なんて、アカリは結局居ないんだと思っていた。

 ――それでも。
 震える手。
 ローズの隠せなかった嘘は、アカリに『真実』をつきつけた。
 これが、自分の受け入れるべき現実であることを。
 人間は嘘を吐く。真実を隠す、優しい嘘を。

「この『セカイ』は、ゲームで。私は、この『セカイ』に選ばれた聖女で。いつかは私の為にハッピーエンドになる、そんな『セカイ』。私にとって、守るべき世界は偽物だった。――そんな『セカイ』で」

 アカリは、そっとローズの手を取った。

「ローズさんだけが、私にとっての『本物』だった」

 その言葉を聞いて、ベアトリーチェは大きく目を見開いた。
 アカリが魔法を使えなかったとき、ベアトリーチェは彼女の味方であろうと努力していたつもりだった。
 けれど、と思う。
 その一方で、自分たちは彼女のことを『力の使えない聖女』として扱ってはいなかっただろうか?
 あの日々の中で、自分たちはどれだけの期待《おもに》を、彼女に背負わせてしまっていたのだろうか?
 『七瀬明』という少女は――この世界に連れてこられた、ただの少女でしかなかったというのに。
 そして思う。
 あの時アカリの心の弱さ(ゆらぎ)を正しく認識出来ていなかったのは、本当にローズ一人だけだったのか?

「はじめて『加護』を使えた時、私、ずっとローズさんの言葉を繰り返していました。あの日から、ずっと。ローズさんが、私の心を守ってくれた。ローズさん私ね、きっと私は貴方に出会うためにここに来たんだって、今はそう思うんです。だから私は、ずっと貴方の幸せを願っています。貴方が笑える未来を作るために、私は祈りを捧げる。この世界を知らない私はまだ、この世界の光の聖女にはなれない。でも貴方が愛するこの国を守りたい。この願いは、祈りは、届くと信じている。私は弱くて、この世界の全てを守ることなんてきっと今は出来ないけれど、貴方の幸せを願うことが、この世界の幸せに繋がると信じています。だから、今は……今の、私は……っ」

 アカリは真っ直ぐに、ローズを見つめて言った。

「――私は、ローズさんの光の聖女になりたい」

 アカリは、ローズの手を握る手に力を込めた。

「私がリヒト様の器を元に戻します。光魔法は、力の循環を司る。私が本当に、この世界の光の聖女なら。きっと、それが出来るのは私だけ。ローズさん、信じてください。私なら出来ると。そうすれば私はきっと、何だって出来る」
「アカリ……」

 ローズはアカリの言葉に、すぐ返事をすることが出来なかった。
 アカリは以前、光魔法を失敗させた。しかもギルバートやレオンの、命のかかった光魔法を。
 もし彼女が失敗すれば、今度はリヒトの器が壊れる可能性もある。

 そしてきっと今回は、ローズはアカリの失敗を今度は補うことは出来ない。
 でも、ローズには予感があった。
 これは、『光の聖女』にしか出来ない魔法なのだと、そんな予感が。

 ローズはアカリの目を見つめた。
 少女の瞳には、かつてのような迷いは感じられない。アカリはもう、あの頃の彼女ではない。今のローズにはそう思えた。
 その時ローズは、遠い日のことを思い出した。それは、アカリが初めて加護を使った日――死んでしまうと思った時、照らされた光の温かさだった。

 ――信じられている。それに気付く、それだけで。どうして心は、こんなにも熱く滾るの?

 かつての自分を思い出す。そしてかつて、自分自身がアカリに向けた言葉を。
 相手を守りたいと思うこと。相手を思い、慈しむ。その心が、誰かを守る力になるなら、そのとき祈りは、自分だけのものではなく、誰かに影響を与える力になる。それは共に戦うことと等しい。

 この祈りが、思いが、誰かの力になると信じている。それが、光属性の適性。ローズは胸をおさえた。

 魔法は心から生まれる。
 ならば。
 この言葉は、彼女に捧げる光の魔法《いのり》だ。

「信じて、います。貴方は……貴方は、きっと。この世界を守ってくれる、光の聖女なのだと」

 ローズの手はもう、あの日のように震えてはいなかった。
 
「はい。――私に、お任せください!」

 その言葉を聞いて、アカリは笑みを浮かべると、ラピスラズリの青い石に触れてから、手を空に掲げた。
 その瞬間、アカリの足元に円を描くように、地面に光の輪が広がる。
 光魔法特有の温かさがローズを包む。
 その光は、かつて魔王討伐の際、一度だけアカリが垣間見せた力より、ずっと柔らかく温かかかった。

「ローズさん。剣をお借りしてもいいですか?」

 ローズは、アカリに祖父の家系に引き継がれた剣を差し出した。
 アカリは剣に触れると、聖剣から石を取り外した。

「リヒト様」
 アカリに呼ばれ、リヒトは緊張した面持ちで前へ踏み出した。

「リヒト様は、私のことを信じてくださいますか?」

 アカリはかつて、絶対に失敗を許されない祭典で失敗している。
 けれど。

「……ローズが信じるなら、信じない理由はない」
「ふふっ」

 リヒトのその返答に、アカリは目を瞬かせてから笑った。
 リヒトはアカリが、自分の言葉や行動で本当に笑ったのは、それが初めてのような気がした。
 そしてアカリ自身も、リヒトにちゃんと向き合ったのは、それが初めてのような気がしていた。

『貴方には貴方のいいところがある』
 そう言葉では言えたとしても、結局誰かの言葉を借りるだけでは、本当の意味で人の心は動かせない。
 それに、『リヒト・クリスタロス』は『ゲームの中の攻略相手』ではないのだから。

 それでも、この世界が『自分のための世界』ではなくても、アカリはこの世界に生きる人々と、これからは生きていきたいと思った。
 たとえもう二度と、元の世界に戻ることが出来なくても。
 自分を愛してくれた家族に、二度と会うことは叶わなくても。
 いつかこの世界の『光の聖女』として、この世界の全てを愛せる自分になりたいと。

「……なんで笑うんだ?」

 アカリの笑みはどこか大人びていて、自分の知る『アカリナナセ』とは、リヒトは少し違う少女のように見えた。
 リヒトの問いに、アカリは真っ直ぐにリヒトを見てこたえた。

「だって、リヒト様――やっぱり貴方は私に似ている」

 それはアカリの本心だった。
 そして同時に、アカリが本当はずっと前から、わかっていたことだった。
 光の名を持つ自分とリヒト。
 ローズはアカリのことを大事にした。
 でもそれは、自分とリヒトが似ているとローズが思っていたからなのだと、アカリは思っていた。
 シャルルのことでロイに怒りを向けたアカリに対し、ローズはリヒトに似ていると言った上で、こう言ったのだ。

『だから貴方はどうか、そのままで』

 アカリは魔王の持つ魔力の『冷たさ』に気付ける感性の持ち主だ。

 そのアカリが、言葉の奥にある本心に気付かないわけがない。
 アカリはずっと理解していた。
 ローズはずっと、自分を通してリヒトを見ていたのだと。
 ローズの心を占める一番には、どうあがいてもなれないことを。
 レオンをさん付けで呼ぶアカリが、リヒトだけは様付けで呼んだのは、元からそうだったということもあるけれど――ローズと和解してからの一番の理由は、『リヒト・クリスタロス』を、自分から遠ざけるためだった。
 この世界で、いちばん大切な相手が愛する人を。

 アカリはリヒトに向かって微笑んだ。

 ――それでも、いい。

 今のアカリには、不思議とそう思えた。

 ――ローズさんの一番が私じゃなくても、今この世界での、私の一番は変わらない。自分に向けられた感情が、本当は別の誰かに与えられるべきだったものだとしても、貴方が私の心を動かしたことに変わりはないのだから。貴方が与えた優しさが、私に魔法を与えてくれた。この事実に代わりが無いのなら、もう何も望まない。

「私も信じています。ローズさんが信じる、貴方の可能性を」

 アカリはそう言うと、手を合わせて祈りを捧げた。
 『光の聖女』のみが仕えるとされる『加護』の魔法は、この世界で唯一、あらゆる願いを叶えることの出来る魔法だとも言われている。
 大きな魔法を使うときに生じる時空のゆらぎのなか、静止したようにも見える世界で、アカリにはローズの姿が見えていた。

 自分を見つめるその瞳が、アカリには『誰か』と重なって見えた。
 アカリはローズに向かって駆け出すと、彼女の体を強く抱きしめた。

「――さん。私……本当はずっと、貴方のこと」

 アカリの唇が言葉を紡いだ。 
 でもそれは、ローズの耳には届かなかった。
 ローズの知らない『異世界《くに》』の言葉。
 それでも、その意味が自分にはわかる気がして、ローズはアカリの背にそっと手を伸ばした。
 きっとそれはアカリからの、自分への祝福の言葉のようにローズは思えた。

「はい。私も、ずっと貴方のことが好きでしたよ」
「……っ!」

 ローズの言葉に、アカリの瞳から涙が溢れた。その瞬間、アカリは自分の内側で、殻が壊れる音が聞こえた気がした。

 真っ白な羽を生やした鳥が、大空に向かって高く飛び立つ。そんな光景が、まぶたの下に広がる。そして、アカリの心の変化に合わせるように、彼女の魔法はより強く光り輝いた。

 光の粒子は空を貫く。
 光の聖女のみが使える『加護』の力。
 それはどんな絶望をも覆す、希望の光だ。
 光は温かく柔らかく、ローズに降りそそいでいた。

 聖剣の石を中心に、光が広がっていく。その光は空へと届き、どこからか現れた薄桃色の花びらが、光を囲むように空へと舞い上がる。

 人々は空を見上げた。
 そして空に映し出された光景に、誰もが胸を抑えた。
 

 穏やかな風の吹く春の陽気が満ちる中、白銀の天龍は、翼を持つ生き物でありながら、大地を駆けて遊んでいた。

 『最も高貴』。
 そう呼ばれる生き物は、楽しそうに、目の前を飛ぶ蝶を追いかけている。
 美しい春の風景。
 しかしその背にのる青年は、慌てた様子で、天龍の背にしがみついて叫んでいた。

「待て。フィンゴット! 俺が乗っているときにそれはやめろ! 俺が落ちるっ!」

 彼の悲痛な叫びなどお構いなしで、天龍は野原を駆けていく。
 そして池を前に地面を強く蹴ると、天龍は青年を池に振り落とした。

「うわああああッ!!」

 ――悲鳴。
 ばっしゃーん! という大きな水音ともに、盛大に池に落ちた青年は、咳き込みながら池の中から起き上がった。

「うえ……っ。水飲んだぞ……。ったくもう、何なんだよ。今日のあいつは……」

 金色の髪に赤い瞳。
 美しい外見をした青年の頭には、青緑色の蛙が乗っかっていた。
 ゲコ、ゲコゲコ。ゲコゲコゲコゲコ。
 蛙は青年の頭を蹴ると、ゲコ、という声と共に水の中に帰っていく。

「ふふふ……あはははっ! 相変わらず剣も魔法も、そして契約獣も、陛下は本当に自由ですなあ!」

 すると、無様というに相応しいびしょ濡れの青年を見て、老年の騎士が豪快に笑った。
 その声を皮切りに、どこからともなく笑い声が上がる。

 青年は最初こそ不満顔だったが、自分の失態をきっかけに楽しそうに笑う人々に気付くと、一度きょとんとした表情《かお》をして、それからどこか満足げに、彼自身も微笑んだ。
 その時、空からまるで彼らを優しく見守るように、どこからか薄紅色の花びらが降ってきて、青年は空を見上げた。

 見れば空には、虹がかかっていた。
 美しい、空の色。
 神々が住まうという青い空――セレストブルーに架かる虹は、まるで天上と地上を繋ぐ、虹の橋のようだった。
 それがまぶしくて、綺麗で。
 青年が目を細めて虹に手を伸ばそうとすると、『何か』が彼の体を頭から飲み込んだ。

 ぱくんちょ。

「……フィンゴット。助けてくれるのはいいが、頭から俺の体を噛むな」

 自分を池に落とした本人に、引き上げるためにぱくりと体を口に含まれ、溜め息とともに彼は顔を顰めた。
 池の水とは違う、服についた『それ』に触れれば、透明な糸がのびる。

「ああもう……。べちょべちょじゃないか……」
「――我が君。こんなところで遊んでいないで、政務をなさってください」

 彼ががっくり肩を落としていると、小さな少年がハキハキとした声で言った。

「ユーゴ。いやこれはだな、別に遊んでいたわけじゃなくて、皆に騎乗の訓練を……」
「言い訳は結構です。その格好では、皆に示しがつきません。早急にお着替えください」
「……はい……」

 『我が君』
 子どもは青年をそう呼んだが、これではどちらが立場が上か分らない。
 立ち上がろうとした青年は、足下に貯まっていた唾液で足を滑らせ、体に更に葉や泥を纏わせた。
 ユーゴと呼ばれた少年は、その様子を見て深く溜め息を吐くと、青年に手を差し出した。

「我が君、参りましょう」
 子どもは騎士たちに小さく頭を下げると、青年の手を引いて歩いた。
 いつものように、強制的に執務室へと連行された青年の後ろ姿を見送りながら、騎士たちは話を続ける。

「宰相殿はリヒト様のせいか、日々お疲れのようですな」
「いやはや、『神の祝福を受けた子ども』――リヒト様が彼を迎えられた時は、どうなるかと思いましたが、今ではこうやって隣にいらっしゃるのが、当たり前に思えるのだから不思議なものです」

 その声は、誰もがどこか楽しげだ。

「なんと申しますか、実に微笑ましい光景ですな。私の孫もちょうどあのくらいの背格好なので、ついつい彼を私は子ども扱いしてしまいがちなのですが、リヒト様が隣にいらっしゃると、彼がリヒト様より歳上だと感じるのですよ」
「確かに、そう私も感じます」
「昔から、祝福の子の忠誠を得る王は優れた王であるとされるが、彼がリヒト様を選ばれたのは、なんとも不思議としか言いようがありませんな」
「いやまあ、こう言う俺たちも、リヒト様に仕えているんだがな」
「違いない」

 はははは、と笑い声が響く。
 その国は一人の王を中心に、いつも笑い声に満ちていた。



「うう。流石に疲れた……。大陸の王(ロイ)海の皇女(ロゼリア)と、久しぶりに遊びたい」

 漸く執務を終えた彼は、ペン置いて机にうつ伏せになった。

「我が君。言っておきますがあの方々は、貴方の遊び相手ではないのですよ」
「何を言うんだ! 学校を作ろうという俺の話に乗ってくれた二人とは、熱い友情で結ばれている!」

 青年は拳を握って熱弁した。だが、ユーゴの反応は冷めていた。

「ですが我が君、貴方もあの御方方も、そうやすやすと、時間を取れる方ではないのはおわかりでしょう?」
「……」
「ロイ・グラナトゥム様もロゼリア・ディラン様も、立場あるお方です。貴方だって、それはわかって……」

 いつものように『常識』を説く。
 ユーゴの説教を黙って聞いていた青年は、ユーゴが席を外した途端、いいことを思いついたとばかりに瞳を輝かせ、勢いよく立ち上がった。

「よし。神殿に行こう!」

 この世界にある各国の王都に存在する神殿には、共通点が一つある。
 それは各国の神殿に一つずつある水晶が、現存する唯一の魔力をためおくことができる石であり、光魔法のみだがその石を使い魔法が使えることだ。
 その石にはかつては空をも貫く巨大な水晶だったと言うまことしやかな話があり、事実各国にある水晶は元は一つの石である場合の性質である、「石を通して通信」が可能であり、石は光魔法での国の守護と通信に用いられている。 
 ただ、この「通信」機能は特定の国を指定できないず石を持つ全ての国に情報が伝わるため、この石の力は基本、有事の際にしか使われてこなかった。

「なあ二人とも、今度俺の国に来ないか?」
 その石を使って、青年は「会いたい」二人と話すことにした。

『君……。突然連絡を寄越すものだから、神官たちが困っていたぞ。連絡するなとは言わないが、前もって教えておいてくれ』
『そうよ。全く、貴方って人は礼儀ってものを知らないんだから』

 王城に居たところ、突然青年から連絡が入ったと伝達があり、慌てて神殿に赴いた二人の王は、石に映し出された満面の笑みを浮かべる青年を見て溜め息を吐いた。
  
「すまない。……でも、今俺はロイたちと話したいって思ったんだ」
 素直に謝罪した青年の言葉を聞いて、ロイとロゼリアは「全く」と呟いて苦笑いした。

『まあいい。丁度俺も仕事は一段落はしたところだったんだ。それにしても……最も高貴な生き物とされる一族の生き残り――フィンゴットは君の話だと、随分自由な気性なんだな』
『ロイ、違うわ。彼が舐められているだけじゃないかしら』

「いや、そんなはずは……! あ、でも……実際に顔を舐められて転んだせいで、顔に葉がついたりしてこの間はとんでもないことに……」

 『水晶』ごしのロゼリアの言葉に、青年の顔に焦りが宿る。
 優秀なはずなのに、決してそうは見えない青年に、二人の王は『水晶』ごしに笑いをこらえていた。
 その瞬間、青年の背後の扉が勢いよく開いた。

「我が君! 仕事をさぼって神殿の石を使うとは何事ですか!」

『おや、笑っている場合ではなかったな。お目付役が来たようだ。ロゼリア。俺たちはそろそろ退散するとしよう』
『そうね。貴方、次に繋ぐ時は、出来るだけ前もって連絡を入れてちょうだい』

 水晶越しにユーゴの姿を見たロイとロゼリアは、無情にも水晶に布をかぶさせた。
 途端、青年から見える『視界《がめん》』は、暗くなってしまう。
「待……っ!」

 ――俺を一人置いていかないでくれ! 

 しかし青年が水晶に触れるも、なんの反応もない。

「――我が君?」
 一人残された青年は、背後から聞こえる自分を呼ぶ冷たい声に、ぎくりと体を震わせた。

「ゆ、ユーゴ……」 

 ぎぎぎぎ……。
 そんな音が聞こえそうなほど、青年はゆっくり振り返った。

「我が君! その石は使うと、お二人だけでなく世界中の神殿の石に繋がってしまうのをご存知ないわけではないでしょう!? この石は世界が危機に陥ったとき、そのような大事の時にのみ使うことを許されているのですよ!? それなのにそれを、貴方と来たら!」

 ガミガミと怒る少年に対し、青年は視線を逸らして、小さな声で反論した。

「……別にバレて困ることは話してないし、あの二人が国をあけたからかって、おいそれと他国に攻め入られるような守りしかない国じゃないから大丈夫だろう? それに俺は、他の国の人間が俺たちの話を聞くのも、何なら会話に混じるのも、いいことだと思っているからこうするんであって……。三国の仲が良好だと示すのは、国益にこそなれ、問題はないと思うんだが……?」
「貴方はそう、どうして詭弁ばかり……!」

 反論したせいでユーゴに更に小言を吐かれ、彼は暫く頭を上げることが出来なかった。



「なるほど。それで、今日はマトモな出迎えだったわけか」
 数日後。
 青年の願い通り、大国から二人の王がクリスタロスを訪れた。

「うう……」
 今日の青年の格好は、ロイやロゼリアが知る『彼』とは、随分出で立ちが異なっていた。
 随分王らしい――いや、普通だ。
 そのせいで二人は、思わず『彼』が本人か疑ってしまった。

「君、前回俺たちにこの国に招いたときは、突然ピクニックに行こうなんて言い出したじゃないか」
「あれは、『異世界人《まれびと》』の本でそういうものを見かけて、ピクニックっていいなあって思って……」
「まさか他国の王の手料理を振る舞われる日が俺の人生であるなんて、思ってもみなかったぞ」

 青年は、ロイの言葉を聞いて――おずおずと彼に尋ねた。

「いや、でも……! ま、不味くはなかっただろ?」
「ああ。『不味くは』なかったな」
「含みのある言い方をするなよ」
「君が先に言い出したんだろう?」

 ロイに強い口調で返されて、リヒトは怒られた子どものように肩を落とした。

「だって、せっかく二人が遊びに来てくれたんだから、のんびり俺の国を楽しんで欲しいって思ったんだ……」

 『悪気はなかったんだ』――そう語る青年は、一国の王で立派な成人男性のはずなのに、ロゼリアよりも小さく見えてロイは思わず笑ってしまった。

「全く君は……本当に、面白い男だな」
「ロイ、違うわ。この人は子どもっぽいのよ。発想も奇天烈だもの。本当に何が出てくるか分からない、びっくり箱みたいな人」
「それ、俺のこと褒めてるのか? 貶してるのか?」
「その問いには答えないわ」

 ロゼリアは、困った顔をした彼を軽くあしらう。
 そんな彼女の横で、『結局どっちなんだ……?』と、青年は至極真面目な顔して頭を捻った。

「まあ確かに、君が年の割に落ち着きがないのは事実だろうな。君もそろそろ妃を迎えるべきだろうし、落ち着きは身につけるべきかもしれないな」
「でも、それをいうならロゼリアだって……この間、結婚話が破談になったと聞いたけど」
「私に話を振らないで。 大体、魔力が強すぎて怖いとか、そんな貧弱な男はこちらから願い下げだわ!!」
「ご、ごめん……」

 声を荒げたロゼリアに、青年が慌てて謝罪する。

「もう二度とその話は私に振らないことね。分かった?」
「あ、ああ……」
「もういっそ、君たち二人が結婚すればいいのにな」

 ある意味息ぴったりな二人を見てロイが呟けば、二人は同時に同じ言葉を発した。

「遠慮しておく」
「遠慮しておくわ」

 沈黙。
 ロゼリアは青年の襟元を掴むと、ぎりぎりと締め上げた。

「何? 私じゃ不満だって言うの?」
「ちが……っ! そ、そういうわけではなくて! 俺もこの国の王だから無理だろって話で……!」
「そう。それなら許してあげるわ」

 ロゼリアはそう言うと、ぱっと青年を締め上げていた手を離した。
 ロイは横暴な妹分《ロゼリア》には一切手を上げず、彼女の理不尽に付き合っている友人を見て苦笑いした。

「ロゼリアの話は置いておいて、君は本当に落ち着きは持ったほうがいい。今のように子どもっぽいままでは、色恋なんて無理だろう」
「……!! ロイ! 俺が子どもっぽいから、恋愛出来なさそうってどういうことだよ!」
「言葉のままの意味だ。君はいい年して経験が無さ過ぎる」
「ふふふふふ」

 ロゼリアは、ロイの言葉にお腹を抱えて笑いだした。
 
「五月蝿い! ロイ、既に結婚してるからって馬鹿にするなよ! あとロゼリアは笑うな!」
「まあ、君と俺が出会ったのは俺の結婚式だったからなあ。あの時の贈り物を見たときは、立派な青年に見えたんだが……。ちなみに、君はどういう女性が好みなんだ?」
「そうだなあ……。大人しくて、女の子っぽくて、俺の一歩後ろをついて来てくれる可愛い子かな」
「独創的過ぎる君についてこられる女性が、そんなおしとやかなわけがないだろう」

 照れながら理想を述べた青年を、ロイは一刀両断した。
 彼は思わず膝をついて倒れ込んだ。その様子を見て、ロゼリアはポツリ呟く。

「貴方には似合わないわ」
「ふざけんな!」

 青年は思わず顔を上げて叫んでいた。

「その怒り方が子どもっぽいんだよ。だから駄目なんだ君は」
「モテませんわねえこれは。王だというのに、相手が居ないんじゃなくて? おしとやかな女性は、貴方のような方は好みませんわ」
「二人とも五月蝿い!」

 ――せっかく会えたのに、なんで俺にひどいことばっかり言うんだ!

 彼は憤慨したが、大国の二人の王は終始笑ってばかりだった。
 ロイとロゼリアが帰国した翌日、青年はサボった分の仕事をユーゴに積み上げられていた。

「……二人に会いたい。会って話がしたい」

 山積みになった仕事を素早く片付けて、彼が小さな声で呟けば、ユーゴは元気のない彼にお茶を差し出した。
 『神に祝福された子ども』――ユーゴは元々、青年に王城に招かれるまでは、森に一人で暮らしていた。
 そのこともあり、ユーゴは森を思わせる香りがするものを好んでいた。

「我が君。いい加減、もう少し落ち着きというものを身につけてくださいませ。先日お二人に会われた時も、馬鹿にされていたではありませんか」
「いや、あれは……だな。信頼故の軽口って言うか……本音を言い合えるのも友情だろ?」

 爽やかな香りが部屋に満ちる。
 
「私にはわかりかねます」
「いやでもまあ、ひとつだけ、俺も気に食わない話があったな。酷いと思わないか? 中身が子どもっぽいから、恋愛出来なさそうってどういうことだよ!」
「その言葉には私も賛同いたします」
「おいユーゴ、お前もか!」

 『裏切られた!』とばかりに、青年は声を上げる。

「ところで我が君。貴方の理想は、一体どんな方なのですか?」
「そうだなあ……。大人しくて、女の子っぽくて、俺の一歩後ろをついて来てくれるそんな可愛い子かな」
「独創的過ぎる貴方についてこられる女性が、そんなおしとやかな方であるはずがないではありませんか」
「お前まで悪口言うなよ!」
 臣下からさえロイ(ゆうじん)たちと全く同じ言葉が返ってきて、彼は思わず叫んだ。

「率直な意見を申し上げたまでです」
「はあ……ったくもう……。俺の周りは、本当に俺に遠慮が無い奴ばっかりだな。これでも一応国王なんだが」
「私は、それも貴方の人徳だと思っておりますよ。人の言葉を聞き入れて、自分に対する暴言にも手を上げない貴方だからこそ、人はみな率直な意見を口にできるのです」
「……褒めるのか貶すのかどっちかにしてくれ……」

 ユーゴの言葉に、彼は少し間を空けてから、顔を真っ赤に染めた。
 いくら顔を覆おうと、耳まで赤くなっては隠すことが出来ない。

「照れていらっしゃるのですか?」
「う、五月蝿い。しかし……恋、か」
 そう言うと、青年は机に肘をついて思案するそぶりを見せた。
「我が君?」
「でも俺はさ、この国の王だから。自分の感情よりもきっと、国の為に結婚すべきとは思ってはいるんだ。俺の結婚相手は、魔力の高い人間が望ましい。……結局は、俺の意思よりも、そっちの方が大切だよな」

 彼はそう言うと、同意を求めるようにユーゴのほうを見た。

「……行儀が悪いので、その格好はやめてください」
「今言うか!? それ!」

 しかし帰ってきた言葉は予想と反し、青年は思わずツッコんだ。



「そういえば今年は、騎士団に一人女性が入ったんだよな」
 書類にサインをしながら、青年はユーゴに思い出したように尋ねた。

「はい。何でもその方は女性から恋文をもらうこともあるとかで、巷では『薔薇の騎士』とも呼ばれて人気があるそうですよ」

 ユーゴは苦笑いした。
 珍しいユーゴの表情に、青年はくすりと笑う。

「まさかあの制度を利用して、騎士団入りをする実力者が出るなんて思いもしなかった」
「これまでは、騎士団は男性ばかりでしたからね」

 クリスタロス王国には、王国騎士団が存在し、その団員は男性で構成されていた。
 そんな中、二つ名を持つ人間を倒し、一人の少女がクリスタロスの騎士団に入団した。

「男所帯だろうし……何か困っていることはないか、せっかくだし直接会って聞いてみようと思うんだ」
『ローズ・レイバルト』紙に書かれたその名を見て、青年はぼつり呟いた。

「一体、どういう女性なんだろう?」

 青年は急ぎの書類を全て片付けると、騎士の訓練場へと向かった。

「陛下! 申し訳ございません。今日いらっしゃるとは伺っていなかったので……」

 青年の突然の来訪に、真面目そうな少年が頭を下げた。
 青年は気にするなと軽く手を上げた笑った。

「ああ、いや。今日は少し様子を見に来ただけなんだ。俺のことは気にしないでくれ。さて、噂の彼女はどこに……」

 青年が周りを見渡していたときだった。
 彼は何者かによって体を強く押された。

「危ない!」
「えっ?」
 
 ――誰かに押し倒された?

 上から降ってくる声は、意思を感じる凛とした声。だがその声は、男性のそれではない。

「大丈夫……ですか?」

 青年は自分の代わりに水を被った少女を見て、大きく目を見開いた。
 亜麻色の髪に、琥珀の瞳。
 長い髪は高く結われ、その瞳は、まるで剣のような鋭さを宿す。

「……貴方が、ご無事でよかった」
 
「ローズ!」
 彼女の後ろからは、慌てた様子の別の騎士がやってきていた。

「申し訳ございません。実は私、魔法があまり得意ではなくて。友人に稽古をつけてもらっていたのですが……」

 話によると二人で訓練を行っていたが、自分を押し倒した少女がそれを受け止めきれずに起こった事故ということだった。

「申し訳ございません。陛下」
「俺は大丈夫だ。それより君、体に痛いところは無いか?」
「いいえ。陛下のお手を煩わせるようなことは」
「そうですよ。リヒト様」
「……神官がどうしてここに?」

 『神官』と呼ばれた音は少女の頭に無遠慮に手を置くと、無理矢理頭を下げさせた。

「妹がご迷惑をおかけしてしまってすいません」
「……神官の妹?」

 神官というには不似合いな、黒いローブを纏った青年は、妹だと言った少女と違い、黒に近い髪に朱色の目だった。
 魔力による外見の変化。
 その血筋では、本来ありえないはずの色。

「妹の怪我は俺が見るので大丈夫です。昔からそそっかしくて」
「今の私があるのは兄上のせいです。兄上が私を弟のように扱うから」
「妹の扱い方なんてわかるか! お前の性格は俺のせいじゃなくて昔からだろ」

 外見は全く違う。けれど二人は、誰が見ても『兄妹』だった。

「では、俺たちはこれで」
 『神官』は、不満顔の妹を引きずるように引っ張った。
 青年は、その姿を黙って見送った。

「……ユーゴ。今の女性が?」
「はい。彼女がローズ・レイバルト。『薔薇の騎士』と呼ばれている女性です。二つ名を持つ騎士を倒し、唯一女性で騎士団に入団を果たした、神官殿の妹君です」
「薔薇の、騎士……」
「我が君、どうかなさいましたか?」
「いや……」

 青年の頬がほんのりと赤く染まる。彼は落ち着かない様子で胸をおさえた。



 青年はそれから、騎士団を訪れるときは、必ずローズに声をかけるようになった。

「見てくれ! 薔薇の騎士!」
 青年が手を開くと、紙の鳥が一斉に空へと飛び立った。

「これは、一体……」
「驚いたか?」
「紙の鳥が空を飛ぶ。面白い魔法だろう?」
「……資源の無駄です。一体なぜこんなことを?」
「だって」

 ローズは青年の期待より少し冷めた反応を見せた。

「……君が、笑ってくれるかと思ったんだ」
え?」
「いや、もともと大陸の王の祝いに作ったんだが……。君が笑ってくれるかと思って」
「……リヒト様。貴方は国王なのですから、こんなことをして私を驚かせるより他に、やるべきことが沢山おありではないのですか?」
「はい……」

 淡々と諭され、青年は肩を落とす。

「でも、この魔法――手紙に使ったら良さそうですね」
「なるほど。それは確かにいいかもしれないな」

 その後『紙の鳥』は、誰もが使える伝達手段として使えるよう、青年は魔法の研究を行った。

 そんな二人のやりとりを見ていたとある騎士は、ローズに笑って言った。

「ローズさんは、リヒト様と仲が良いのですね?」
「最近よく声を掛けていただくことが多いのですが、何故私なんかに……。この国で、女騎士が珍しいからでしょうか?」
「いえ、リヒト様はただ……」

「そういえば先日はお菓子をいただいたんですが、リヒト様には私がそんなに物欲しそうに見えていたんでしょうか? 確かに甘いものは、昔から大好きですが……」
「ローズさん。それ、本当にそう思っているんですか?」
「はい。だって、他に何か理由があるんですか?」
「……………ローズさんは本当に、こういうことに疎い方のようですね……?」
「え?」

 首を傾げるローズを見て、童顔の騎士は苦笑いした。

 その後青年は、弟である第二王子も連れて訓練場へとやってきた。
 強い魔力を持ち、魔法の研究は追随を許さない。
 優秀な兄と比べられて育った年の離れた第二王子は、少し気弱な少年だった。
 しかし彼は兄を敬愛し、そして青年も弟をとても可愛がっていた。

「兄上がとんだご迷惑を」
「いえ。レオン様が謝られることではありませんよ。レオン様は真面目ですね」
「――それだけが僕の取り柄ですから。せめて少しでも、兄上に追いつきたくて」
「レオン様はリヒト様を尊敬されているのですね」

「はい! 兄上は少し抜けたところもあって頼りない時もあるのですが、本当に兄上の魔法はすごくて――僕は将来、兄上をお支えしてお守りするのが夢なんです!」
「抜けているというか、ずれているというか、頓珍漢というか……。人間味があるといえば、そうなのですが……」

「僕は、それも含めて兄上の魅力だと思っています。だから、きっと兄上の周りには沢山人が集まる。……僕は、兄上とは違うから」
「レオン様」
「?」
「レオン様は、レオン様ですよ」
「…………はい」

 ローズに微笑まれ、幼い王子は頬を染めた。
 その様子を見て、騎士は溜め息を吐いてローズの肩を叩いた。

「ローズさん、無自覚にレオン様に茨の道を歩ませないでください……」
「?」

 ローズはありのままのレオンを肯定したが、その後レオンは、上昇志向の強いロゼリアとぶつかり、喧嘩しながらも交友を深めていく。
 それは光の巫女が書いたという、『はぴねす』に描かれた二人のように。



 ある日のことだった。
 ローズに元に、神殿に勤めていてなかなか外出を許されないはずの兄がやってきた。

「ローズ」
「兄上」
「リヒトがここに来なかったか?」

 彼は青年を探していた。

「いいえ。今日はお見かけしていません」
「おっ。レオンは来てたんだな」
「……頭を撫でないでください」
「撫でたくなるんだよなあ。お前は弟みたいなものだしな」
「神官のくせに、言葉遣いがなっていませんよ」 

 レオンは顔を顰めたが、神官はどこ吹く風だった。

「いいんだよ、俺は俺なんだから」
「兄上、一体どうされたのです? 何かご用でも?」
「いや、何でもない。ここに居なかったならいいんだ。少し、リヒトの水晶に影が見えてな。……多分、俺の取り越し苦労だろうが」
「『先見の神子』の兄上の水晶に影……?」
「ただ、今の俺は神殿勤めで力が少し制限されてるから、今のままだとよく見えないんだよ。だから、リヒトに許可を貰って詳しく調べようかと」

 『先見の神子』は神殿で働くに当たり、魔法を制限されてた。
 大きな魔法を使うには、神殿と国王の両方の了解を得る必要があると彼はローズに話をした。

 青年が行方をくらましては臣下たちが捜索するということは、たまにあることだった。
 その日、青年を捜し当てたのは童顔の騎士だった。

「リヒト様! お探ししましたよ! ……その花は?」

 騎士が青年を見つけたとき、彼はとある花を手にしていた。
 それは、地属性を持つ騎士が知らない『新種』の花だった。

「この花は、『屍花』というんだ。綺麗だろう? でも、切なくもある。病で亡くなったものたちのの墓の上に咲く、治療薬となる花。ベアトリーチェ、君は地属性の魔法が使えるんだろう?」
「ええはい……」
「いつか君のように魔法を使える人間に、薬学・医学と魔法の壁を、超えてほしいと俺は思っている。無理にとは言わない。でももし、それが叶ったら。俺はこの世界は、もっと優しい世界になるんじゃないかって思うんだ」

 青年は優秀だった。
 だが、今の自分に薬の研究までは行う余裕はないからと、彼は騎士に――ベアトリーチェに話をした。


 また別の日。
 ベアトリーチェが青年を見つけたのは、魔物との戦闘で腕をなくした男の家だった。
 男は神殿での治療費が高価なこともあり、治療も出来ず片腕を失い職を辞した騎士だった。

「君は、忘却魔法というものを知っているか?」
 自分を見つけたベアトリーチェに、青年は尋ねた。

「……いいえ」
「心に与えられた負荷が魔法に繋がるという考え方はある。しかし、辛い思いを抱えたまま生きることは難しい。なら俺は、その痛みを忘れることも、生きていくうえでは必要なのかもしれないと思うんだ」

 『魔法は心は生まれる』
 力をつけるため、無理な訓練を行う者がいることを青年は危惧していた。

 そして青年は、心に傷を負った者に後天的に魔法が発現する事例は確かにあるが、多くは心的外傷により廃人になるということを、ベアトリーチェに話して聞かせた。
 大国グラナトゥムでは、ロイが治めるより昔の時代、人為的に魔法を発現させるために、人の心に傷を負わせる研究が行われていたという。
 そして青年は、その被験者たちを救うためにも、『忘却魔法』という新しい魔法を作り出したと言った。

「民と共にあれ。民と友であれ。それが、俺の理想だ。この国の多くの人間は魔法を使えない。俺は、人と人との壁をなくしたい。誰もが笑い合える、そんな国を作りたいんだ」
「陛下。陛下がそう望まれるなら、私は貴方の望みのままに、最善を尽くしましょう」
「ありがとう。ベアトリーチェ」

 青年が礼を言えば、ベアトリーチェは笑った。
 青年はそうやって、様々な人々と交流を重ねていた。
 その中には、ユーリによく似た者の姿もある。
 彼が望む知識を簡単に得ることが出来るように――青年は図書館に、望む本と出会えるように魔法をかけた。
 


 ある日のこと。
 青年と弟のレオンは王の執務室で話をしていた。
「魔法の複製を禁じる魔法?」
「はい!」

 レオンは元気よく返事をした。

「兄上の作ったものは、恐らく他国でも利用が可能なものでしょう。しかし、特別なこの魔法に価値を与えることで、我が国の国力を上げることが可能だと僕は考えます。魔法の収益化。これが見込めれば、クリスタロスは、もっと栄えることができると思うんです」
「魔法を……」

 笑顔で話すレオンを前に、青年は顔を強ばらせた。

「提案をありがとう。悪いがレオン、この件については少し考えさせてもらってもいいか?」

 弟が部屋を出て行くのを笑顔で見送り、青年は頭を抱えた。

「……今よりも使える人間を狭めた『技術《まほう》』に価値を与えすぎれば、格差を広げることになりかねない。誰もが魔法を使える世界。そんな世界を望んで、僅かな魔力でも魔法を使えるように研究をしてきたのに」
 
 生活を便利にする、誰もが使える魔法。
 青年は、そんなものを望んでいた。

 ――わからない。誰かの幸福を願うこの心に、価値を与えることが、本当に正しいことなのか。

「レオン……。俺は、俺の考えは、間違っていたのか?」
 青年の問いは、誰にも届くことなく消えていった。

 それからも、変わらない日常は過ぎていった。
 ある日レオンは、兄が紙の鳥を飛ばしているところに出くわした。

「兄上、何をなさっているんですか?」
「鳥がどこまで飛ぶか試してみようかと思って。……『手紙』みたいな?」
「……兄上、一体誰に『手紙』を出されたです?」
「大陸の王と海の皇女に」
「兄上! すぐに戻してください。兄上!」

 兄がまた突拍子もない内容を他国に送りつけたのではと、レオンは慌てて叫んだ。

「無理だ。一度飛ばしたものは戻せない。この魔法は、まだそこまでの性能は付けていない」
「兄上――!!!」

 『紙の鳥(てがみ)』を受け取ったロイとロゼリアは、それを受け取って笑った。

「相変わらず自由な発想の持ち主だな。かの国の王は」
「しかし、この魔法は複製を禁じられているようですね? こんな魔法も作れるなんて、やはり彼は天才と呼ぶべきなのかしら」
「馬鹿と天才は紙一重というだろう」
「――確かに」
「これを、クリスタロス王国へ届けさせろ」

 ロゼリアは、ロイが手にしていたものを見て尋ねた。

「あら。『幸福の葉』を彼に贈るの?」
「彼が誰に渡すか知りたいと思わないか?」

 いたずらっ子のような顔をして笑う従兄弟を見て、ロゼリアは笑った。



 爽やかな風が吹いていた。
 ある晴れた日に、木陰で涼んでいたローズに、青年は尋ねた。
 唯一の女性騎士。
 青年はなぜ、ローズが騎士になりたいと思ったのか疑問だった。

「君はどうして、女性なのに騎士になりたいと思ったんだ?」

「リヒト様。性別で人を判断するのはやめてください」
 不機嫌そうな顔をしてローズが言えば、青年はためらいなく頭を下げた。

「す、すまない……」
「私、昔兄上から聞いた話で、好きな話があるんです。確か題名《タイトル》は『騎士の結婚』――いえ、『ガヴェインの結婚』というお話だったかと思うのですが……」

 その話は、青年は知らないものだった。

「陛下は、『すべての女性の願い』とはなんだと思われますか?」

「……守られて暮らすこと? 子どもを産んで、夫婦仲良く、健やかで幸せな家庭を築いて……」
「違います」
 青年の言葉を、ローズはぴしゃりと否定した。
「なら、一体何なんだ?」
 そしてローズは、笑って答えた。


「正解は、『自分の意志を持つこと』です」


「…自分の、意志……?」
 リヒトは、ローズの言葉に目を瞬かせた。ローズはそんな彼の顔をじっと少し眺めてから、青く晴れた空を仰いだ。
「でも私は、それはどんな人も、同じだと思うんです。『選択』が人を作る。だとしたら、性別も立場も関係ない。自分の意志で、望む自分を、未来を選ぶこと――それこそが、私は幸せなことだと思うんです」

 ローズはそう言うと、胸に手を当てて青年を見た。
 
「私は選択の自由を与えられ、兄上と一緒にこの国を守りたいと思い、騎士に志願しました。そうして、沢山の人と出会った。ユーリや、ベアトリーチェさん、ローゼンティッヒさん。この世界ではまだ女性騎士は少なくて、でもそんな道を選んだ私を、認めてくれる人と出会えた。幼い頃は、魔力の強い兄上が神殿に行ってしまって寂しかったけれど――その間訓練をしていたおかげで、私は騎士になれた。兄上に守られてばかりの私じゃないと、今はそう思える。私、自分はとても幸せなんだと、今はそう思えるんです。だからこれからも、そう思えるように生きていくこと。そのために、自分の意思で選択し続けられる世界を守って、自分が貫くべき意思を持ちつづけること。それが、私の願いです」
 
「――……君は本当に、真っ直ぐな人なんだな」

 熱の籠もった声で言うローズを見て、青年はまぶしいものを見るかのように目を細めた。
 そんな青年の前に跪き、ローズは綺麗に微笑んだ。

「陛下のことも、私がお守りします。それが、私の『意思』です」
「ああ……。ありがとう。薔薇の騎士」

 まっすぐに人の目を見て話す。
 そんな彼女の瞳を見て、青年は少し頬を染めてから微笑んだ。

 それからも二人の交流は続いた。
 ある日、ローズは訓練中に契約獣の背から落ちそうになり、偶然その場に居合わせた青年はフィンゴットに乗って彼女を助けた。

「君は、一体何を考えているんだ!」
 いつもは穏やかな青年に珍しく声を荒らげられ、ローズはびくりと体を震わせた。

「……君を失うかと思った。もう二度と、こんな危ないことはしないでくれ」
「大丈夫……です」
 その出来事があってから、青年は訓練中の彼女の身を案じるようになった。

「この怪我は?」
「それはその、訓練で……」
「……あまり、体に傷を作るな」
「申し訳ございません」
「責めて居るわけじゃないんだ。ただ、俺が君には怪我をしてほしくないというか……」
「――陛下?」

 二人がそんなやりとりをした日。
 ロイから青年宛てに手紙が届いた。
『お前が好きな相手に渡せ』
 手紙には、『四枚の葉』が同封されていた。

「……好きな……? それは……王である、俺には出来ない」

 青年はそう呟くと、手紙を握る手に力を込めた。

「強い魔法を使えることを強者というなら、この国の多くの人間は弱者だ。俺は弱者の味方でありたい。そのために、俺はこの国の王として、強くあらなくてはならない。この国ためには、魔力の強い人間との婚姻しか認められない。彼女を、王妃に迎えたい。……でも」

 魔力の弱い騎士と王とが、結ばれることなんて許されない。
 この想いは、抱いてはならぬものだと知っている。
 祝福されない結婚を、王である自分が選ぶことは出来ない。

 『自分の意志を持つこと』
 それが幸せだと語る騎士の顔を思い出して、青年は静かに目を瞑った。
 王である自分に、身勝手な意思を持つことなど許されない。けれど自分の心を貫きたいと語る騎士の心を、守りたいと彼は思った。

「君を傍で守ることが出来ないなら、いつでも君を守ることの出来る魔法道具を作ろう」

 魔力の使える人間と、使えない人間の差。
 それは、魔力を貯蔵する器の大きさの差だ。

「そうだ。だったら……器の一部を、体外に取り出すことが出来れば……」
 『自分の代わりに彼女を守る魔法』を作るため、彼は研究を重ねた。

「出来た!」
 そしてついに、彼の研究は形になった。
「彼女を后に迎えることは出来なくても、これさえあれば、いつでも彼女を守ることが出来る」
 その魔法を、青年は愛する女性のために使った。

「俺はこの魂をもって、彼女を守ると誓う。『誓約の指輪』よ。指輪の持ち主を守れ」

 三重の魔法陣。
 指輪を身に着けた者の身が危険にさらされた時に、魔法が発動するように彼は石に式を書き込む。
 この世に二つと存在しない、複雑な形をした魔法陣は、彼が騎士として戦う彼女の為に作った最終兵器だ。
 国を守るために、命の危機にさらされる可能性がある彼女の為に、彼はこの魔法をつくりだした。

「君を選ぶことはできなくても……。せめてこれくらいは、許されても良いだろう?」
 
「リヒト様……」
 ユーゴは、青年の呟きに首を縦に振ることは出来なかった。
 そんなユーゴに、青年は苦笑いした。
 希望の光。
 国を明るく照らす光のような王は、少し影のある笑みを浮かべた。

「指輪の魔法は成功だ。あとは他にも同じような物を作って、みんなが利用できればいい」

 水を希釈して広げるように、魔力を溜めおくことの出来る石《うつわ》を作る。
 自分の魔法に影響のない程度に、少しだけ取り出すだけのはずだった。

「大丈夫。俺なら出来る」

 だがその彼の願いは、人の身には許されぬものだった。

「……がっ! あ、ああ、あああああああ!」

 リヒトの叫び声に気付いた彼の弟と臣下が、勢いよく彼の部屋の扉を開ける。
 部屋の中で、青年は血溜まりの中に倒れていた。

「リヒト様!」
「兄上!!」

 ユーゴとレオンの悲鳴が響く。
 血まみれの青年の傍には、大きな赤い石が落ちていた。

 ――苦しい。
 青年の顔が苦痛に歪む。兄の喘鳴に顔を青くする、泣きそうなレオンは何もすることが出来ず、ユーゴはリヒトの脈を確かめながら、顔を顰めて叫んだ。

「我が君! ああ、どうして。どうして、こんなことを……! 魔法を。早く、光魔法を!!」
「だい、じょうぶ、だ。それは、俺が自分で」

 治癒魔法を使おうとして、青年はとある変化に気が付いた。

 ――どうして、魔法が使えない?



 青年の事故の後、レオンは父である先王に呼び出された。
「どうして。どうしてなのですか。父上!」
「言葉の通りだ。リヒトは魔法を失った。あれはもう王とは呼べない。レオン。お前が、この国の王となるんだ」
「…………ッ!」

 ずっと、期待なんてされていなかったのに。ずっと兄だけが、周りに愛されてきたのに。
 小さな肩にのしかかる重圧に、レオンは、肩を震わせて唇を噛んだ。
 自分を見つめる、兄を見捨てる者たちへの怒りと、期待への恐怖だけが、彼の中にはあった。

 青年は日に日に衰弱していった。
 訓練場に行くことも叶わなくなった青年のために、ローズは見舞いのため城に訪れた。

「リヒト様。体調が悪いというのは本当ですか?」
「……どうして君がここに?」
「レオン様が、城に来るように仰って――ここまで案内してくださって」
「ああ。でも、大丈夫だ。じきに良くなる」
「本当に?」
「少し、徹夜続きでいろいろ作っていたせいだろうな。だからそう心配そうな顔をしないでくれ」

 青年は少女に、精一杯笑ってみせた。

「ですが……」
「大丈夫。この程度でくたばる俺じゃない」
「リヒト様……」

「『薔薇の騎士』」 
 青年は最期まで、彼女のことを名前で呼ぶことはなかった。

「はい。何でしょう?」
「……少しの間だけ、君の手を触れさせてくれないか?」
「え?」
「やはり、駄目か?」
「えっと、その……。…。わかりました」
 青年が柔らかく微笑む。
「君の手は、温かいな」

「……っ!」
 その笑顔が、本当に嬉しそうに見えて――ローズは顔を真っ赤に染めた。

「そうでした。これを」
「レオン様に教えていただいたんです。陛下の好物だと」
 ローズが差しだしたホワイトチョコレートの中には、乾燥させた苺が入っている。

「ありがとう。では俺からは君にあれを」
 青年はそう言うと、壁に掛けられた一本の剣を指さした。

「?」
「以前助けてくれたお礼に」
 それは、ローズの祖父グラン・レイバルトの家に伝わっていた、家宝である『聖剣』だった。

「助けた? ……でもあれは、そもそも私のせいで」
 ローズは、青年との出会いを思い出して言った。

「君に、持っていてほしいんだ」
「この剣に誓って、貴方の国を守ることを誓います」
「――ありがとう。薔薇の騎士。君の忠義に感謝する」
 そして青年は、彼女に一枚の葉を手渡した。

「この葉は?」
「……おまけだ」
 レオンはそう言ってローズから顔を逸らした。ハート型の緑の葉。ローズはそれがなにかわからず首を傾げた。

「?? ありがとう……ございます?」
 剣と葉を受け取ったローズは、青年の快復を願って部屋を去った。
「ゆっくり、休まれてくださいね」
「ああ。――ありがとう」

 ローズが部屋を出て行くと、代わりにレオンが彼の部屋へと入ってきた。
「……兄上は大馬鹿です」
「すまない」
「レオン」
「……はい」
「俺は、お前にこの国を任せたい」
「無理です。人には向き不向きがある。僕は王には向いていない」
 
「大丈夫。お前なら出来る」
「無理、です。……僕じゃ、無理なんです」
 震える幼い弟の頭を、青年は優しく撫でた。
「誰も、俺のような王になれなんて言っていないさ。レオン。お前は、お前らしい王様になればいい」
「あに、うえ……」

 レオンは優しい兄の最後の願いを叶えるために、涙を拭って決意を述べた。

「わかりました。――この国は、僕の国です。これからは……これからは僕が、兄上の代わりにこの国を守ってみせます」
「ありがとう。レオン。流石、俺の弟だ」
 いつものように自分に優しい兄の言葉が、レオンは嬉しいのに胸が痛かった。

「なあ、レオン。お前にもう一つ、頼みたいことがあるんだ」
「はい。なんですか?」
 レオンは精一杯の笑みを作った。

「俺の存在を、この世界から消してほしい」

「……え?」
 レオンは、驚きのあまり言葉が出なかった。
「今回のことでわかった。俺の魔法は、今のままでは不完全なのかもしれない。未完成の魔法。この魔法に欠陥が発見された時、それに対応できる人間が今この世界には居ない。俺が作り出したものが、今後どう悪用されるか。その時どうするか、俺は考えていなかった」

 子どものような自由な発想。
 その心は空を目指して墜落する。
 古代魔法。
 この世界にはなかった特殊な魔法は、彼がたった一人だけですべて作り出したものだ。
 情報はすべて彼の頭の中にある。クリスタロスは、グラナトゥムのようほど大きな国ではない。
 その魔法がどのようにして世界を変える力を持つのか、その理由を、正しく理解できているのは作り出した青年一人だった。

 彼は自分の魔法について、多くを人に語ることはなかった。
 仕組みを理解せずとも、誰もが使える魔法を目指したからだ。
 だが自分の命が失われようとしたとき、青年は怖くなった。
 自分の作り出した新しい魔法が、いつかもし、今の自分のように、誰かの命を奪うことがあるなら――そのとき責任を問われるのは、愛すべき自分の国になるかもしれない。

 ――争いの火種になるかもしれない不完全な魔法を遺して、死ぬことはできない。
 青年は、そう考えた。

「俺はもう魔法が使えない。だから……これは、お前にしか頼めないんだ。これは忘却魔法。俺も、俺の魔法も。全部この世界から消してくれ」

 しかし、その魔法は不完全で。
 魔法の存在の記述だけは、消すことが出来ず現代へと引き継がれた。
 そして時を経て少しずつ、不完全な魔法は解け、かつて彼を慕った者たちの中に、『彼』の存在を蘇らせた。

「あに、うえ……」
 青年を呼ぶ、レオンの声は震えていた。

「嫌です。だって、そんなの。この国の民が、どれほど……どれほど、兄上のことを」
 たとえ兄の願いとはいえ、兄の存在を消す自分が、王になるなんて――そんなことは許されない。

「頼む。任せられるのは、お前しかいないんだ。お前に魔法が使えない筈がない。お前には力がある。ただそれに、気付いていないだけなんだ」

 青年は、弟を信じていた。
 自分と比べられ、そのせいでどんなに傷ついても、自分を兄と慕ってくれた優しい心を持った弟を。

「お前なら出来るよ。だってお前は世界でたった一人の、俺の弟なんだから」

 その言葉は、ローズが大好きな兄の言葉と似ている。
「兄上は、残酷です。ひどい。ひどすぎます。こんな……こんなふうに、兄上の心を知りたくなかった」
「ごめん。ごめんな」

 笑おうと努力しても、レオンは泣いてしまった。
 そんなレオンを気遣うように、青年は小さな弟の頭を優しく撫でた。

「許してくれ。レオン。お前の馬鹿な兄を」

 泣きじゃくる第二王子に笑いかける、そんな優しい声を聞いて、扉の向こう側で一人の男は血が滲むほど唇を噛みしめた。
 予見されていた未来を、防げてはずの災厄を、防ぐことが出来なかった自分を苛んで。
 起こってしまえば何も出来ない。運命は変えられない。
 そんな自分の無力さが、ギルバートの瞳に涙をにじませる。

「――……リヒト……!」
 青年とギルバートは、旧友のような、親友のような関係だった。
 青年が王になれば、クリスタロスの繁栄は約束される。強い力を持ち、幼くして神殿ですごすこともあったギルバートは、青年とは偶然街で出会った。  
 身をやつして、『普通の子ども』のように遊んでいるときにできた友人だった。
 お互いの立場が明らかになってからも、二人の仲は変わらなかった。
 青年が王になったとき、ギルバートが青年に『祝福』を与えた。

 クリスタロスでは王の即位の際、神殿で最も高位なものが、新しい王に花の枝を王に与える習わしがある。それは古くから、樹木を神とみなす信仰の名残で、王は神ではなく、神によりその地を統べる力を、分け与えられるということを認識させるための儀式である。

 王は神ではない。
 そう王に教えることが、神殿で最も高位であったギルバートの、いちばん大切な役割だった。
 なのに、それが出来なかった自分なんて。

「何が『先見の神子』だ。こんなんじゃ、俺は、俺は……ただの『無能な預言者』じゃないか」
 吐き捨てるようなギルバートの声は、ただただ虚しく響く。


 光の王は、愛する女性の写真を指輪に仕舞った。
 叶えてはならないその想いは、誰に明かすことも許されないと知っている。
 それでも。

「太陽《かみ》に近すぎた人間は、蝋で固められた翼を失い墜落する、か。確かにその通りだ。人は、神にはなれはしない」

 だからこれは、傲慢な願いに対する神の罰。

 あらゆる願いを叶えられた、この世界で最も優れた力を持っていた王は、今はその全てを奪われる。
 光の王は最期の瞬間まで、『彼女《きし》』のことを想った。
 自分が死んで記憶がなくなれば、いつか違う誰かと結ばれるかもしれない愛しい人を。

「薔薇の騎士。――君に指輪は渡さない。でも、どうか。この心だけは、君の傍に居させてくれ」

 自分の瞳と同じ色。
 他とは違う、特別な人間である証。深紅の薔薇のような赤い指輪に、彼は口付けて目を瞑る。
 閉じられた王の瞳は、二度と開くことはなかった。

「我が君……! 嫌です。目を開けてください。お願いです。私を、私を一人にしないでください。貴方が私に教えたんです。この世界に、あたたかな場所があることを。それなのに……それなのに……っ! 貴方が、貴方がいない世界なんて。私は、私は……!」

 ユーゴが部屋に駆け込み、目覚めることのない王に呼びかける。そんな彼を、周りの者たちは王から引き剥がす。
 取り乱して、泣き叫ぶ声だけが、部屋の中には響いていた。



「陛下は、お亡くなりになりました」
「リヒト、様が……?」

 『薔薇の騎士』が王の死を知らされたのは、それから少し時間が経ってからだった。

「亡くなったというのは、どういうことです!?」
 王は、これからの国の守護を担うであろう騎士のうちの数名を、自分の
死後呼び寄せるように言葉を残していた。
 
「だって。だって……昨日まで、大丈夫だって、すぐに元気になるって笑ってたのに!」

 ローズは告げられた事実が受け入れられず、思わず王城からの遣いの人間に掴みかかった。

「ローズ!」
 そんなローズを、後ろから手を回してユーリは男から引き剥がした。
 ユーリの服を、どこからともなく落ちてくる涙が濡らす。

「大丈夫だって、そう言ってたの……」
「ローズさん」
 ユーリに支えられ、涙を流すローズの名前を呼んだのは、彼の弟である少年だった。
「……レオン様」
「兄上に、会われますか?」

 レオンの問いに、ローズは静かに頷いた。

 王の寝室で、青年はまるで眠るように息絶えていた。
「リヒト、様」
 ローズは、彼の心臓に耳を当てるようにして――それから震える声で呟いた。

「どうして……?」
 心臓の音がしない。
 その事実が、彼女に現実を突きつける。

「目を、開けてください。……嫌です。こんなの。こんなのは。こんな別れは」

 泣き崩れるローズの声が静かな部屋の中に響く。
 ユーリとベアトリーチェは、レオンが目の前にいることもあり、ローズのように感情を顕わにはしなかった。

「陛下を失い、これからこの国はどうなるのでしょうか。陛下は、なんと仰っていたのでしょうか」
 ベアトリーチェの問いに、レオンは静かに答えた。

「兄上は、『自分を消せ』と仰いました」
「え……?」
 ベアトリーチェは、思わず目を瞬かせた。

「そんな。なんで……!」
 ユーリは動揺のままに疑問を口にした。

「それが必要だからです。兄上は、兄上の研究も、自分のことも、この世界から消すようにと仰いました」
 
 兄の死を嘆くこともなく淡々と語る。
 非情な弟王子に、ユーリはレオンに掴みかかって叫んだ。

「レオン様……! 貴方は、リヒト様のことをなんとも思っていないのですか!? そんな非情なことが、許されるとお思いですか!? それほど……あの方を消してまで、貴方は王になりたいんですか!? それほどまでにリヒト様がお嫌いでしたか!?」
 
 『レオン・クリスタロス』は、『リヒト・クリスタロス』に劣る存在だ。
 それがその世界での、誰もの共通の認識だった。
 だがそれでも――青年が兄として、弟を思っていたことを、国の誰もが知っていた。

「ユーリ!」
 ベアトリーチェは、割って入って二人を引き離した。
 長身のユーリに怒鳴りつけられている間も、レオンは微動だにしなかった。

「――僕が……兄上を嫌いだ何て、いついいましたか?」
 だがその言葉を口にするレオンの体は僅かに震え、声は涙で微かに掠れていた。

「兄上は……兄上は僕にとって、誰より大切な人です。これまでも、これからも。ずっと、この気持ちは変わらない。だから、叶えるんです。僕がこの魔法を使うことが、この国を僕に託すことが、兄上の最後の願いだから。……だから……!」

 いつも笑っていた優しい王様。
 誰もが『彼』を愛し、誰もが『彼』を王にと願う。
 そんなお伽噺のような優しい国で、彼はずっと一人悩んでいた。
 この世界にある魔法が、人と人とに隔たりを作ることを。

 彼のことを自由な人だと、きっと誰もが彼を思っていた。大変な時だって顔に出さずに、いつだって彼は笑っていたから。
 本当の意味で、彼の心の痛みを知る者は居なかった。
 だって彼は、それを明かそうとはしなかったから。

 『民と共にあれ。民と友であれ』
 それが理想だと語る優しい王様。
 いつも笑っていた彼は、いつだって孤独だったというのだろうか。
 その痛みは、全て彼だけの責任なのか。

「――僕が、この国の王となる」 

 小さな新しい王の言葉に、人々の声が続く。騎士の心は、民の心は、失われた王の下にあり続ける。
 けれど、その記憶をとどめることは許されない。
 だからその願いは、遠い未来に向けた、祈りの言葉だ。

 いつかもう一度この国に産まれ、遠い未来、再び『彼』と出会うことが出来たなら。

「この国は僕が守る」
「わかった。……なら。この国の為に俺はこの目をつかう」
「ならば私は、この剣でお守りします」

 それは彼らの、最初の約束。喪失への慟哭と、祈りと願いがこもる言葉。
 その想いは、千年の時がたったとしても、彼らの魂に深く刻まれ強い魔法を生み出す。

「私……私は。貴方は一人ではないと、私が証明してみせる。私は、貴方の国を守ると誓う。この剣に……たとえこの魂が、何度巡っても。私は……私は、ずっと。ずっと……!」

 赤い石の宿る剣を手に、亜麻色の髪の少女は言葉を紡ぐ。

「強くなりたい。今度は、貴方を守れるように。貴方が、一人で戦わなくてもいいように。すべてを一人で、背負わなくてもいいように。今度は私が、一緒に背負うから。大丈夫。……もう、大丈夫、だから」

 それは、今のローズの口癖とよく似ている。

「貴方が心から笑えるように――私は、強く、強くなりたい」

 『魔法は心から生まれる』
 この世界で今は常識とされるこの言葉は、元々後天的に魔法を使えるようになった人間をさして使われた言葉だ。
 少女の髪は、瞳は、生まれかわる度に色を変える。
 茶色の髪と瞳は、真っ赤な瞳と黒髪へと。
 生まれ変わるたびに大きくなる魔力。
 魂に刻まれたその決意は、力の弱い一人の少女を、国を守る器へと変える。
 
『貴方はまるで、いつも不思議な力に守られているような方ですね』

 ベアトリーチェは昔、魔王討伐の後に、ローズにこう言った。
 魔法は心から生まれる。
 その想いの強さは、誰にもはかることなんて出来やしない。
 その誓いは、彼女の剣を神の頂にまで近付ける。
 測定不能の魔力も、『剣神』の名も。
 彼女のはじまりの全ては、ただ一人に捧げられたものだ。
 彼女の魂はずっと、その『誰か』を探している。
 
 ――その人物の、名前は?




「私は…………」
 いつの間にか、空に映し出された映像は姿を消していた。
 そしてリヒトの碧の瞳は、今は紅にその色を変えていた。
 その色は『光の王』と同じ――今のローズと遜色ない、強い魔力を持つ者の証だった。

「魔法が……魔法が、使える……!」
 リヒトの手に宿るのは、『王』に相応しいとされる火の力。
 けれど溢れる魔力の制御を上手く出来ず、リヒトが作り出した火は火柱となって大きく燃え上がった。

「う、うわ!? ……あっ、あつっ!!!」
「リヒト!」
「リヒト様!」
「何をしているんだ君は!」
「何やってるの!」

 リヒトの行動を見かねて、レオン、ローズ、ロイ、ロゼリアが、慌てて魔法を発動させる。
 四人が放った水魔法は、リヒトに盛大に降りかかった。

「……へ?」
 一瞬でびしょ濡れになったリヒトは、何が起こったかわからずに呆然としていた。
 アカリは、そんなリヒトを見て微かに笑った。
 その瞬間、アカリの体はゆらりと傾いた。 

「アカリ!」
「――すいません。ローズさん。私……少しだけ、眠くて……」 

 魔力の使い過ぎだ。
 そのことに気付いて、ローズはアカリのために光魔法を発動させた。

「ありが、とう……。ありがとうございます。アカリ……っ!」

 リヒトが魔法を取り戻せたのは、アカリのおかげだ。
 ローズはアカリを抱きしめた。

「貴方の。……貴方の、おかげです」
「――いい、え……」
「ローズさんが……みんなが、居てくれた……おかげ、です」

 かつて、ローズが魔王を討伐した日。
 ユーリの腕の中でローズが口にした言葉と同じ言葉を告げて、アカリはローズの腕で小さく笑い、そのまま深い眠りについた。
 全てのことが片付いてから、レオンとギルバートは二人で話をしていた。

「しかし問題は残っているよな。魔法が使えるようになったからといって、『令嬢騎士物語』がある限りリヒトの評価を覆すのは難しい」
 レオンは顔を顰めた。

「……悪かった。あの時はああするのが、『正解』だったと思っていたんだ」
「あの場合の行動としては、お前の判断は間違ってはいなかったと思うから気にするなよ。まあ、大丈夫だろ。ようは黒を白に変えればいいだけのこと」
「何か算段はあるのか?」

 レオンの問いに、ギルバートは歯を見せて笑った。

「ああ。とっておきのが一つある」

◇◆◇

 穏やかな春の風が吹いていた。
 ユーリは木陰に座り込んで、一人空を流れる雲を眺めていた。

「ユーリ。何をしているんですか?」
 ベアトリーチェはそう尋ねると、了解も得ずにユーリの隣に座った。

「……ビーチェ。アカリ様はもういいのか?」
「はい。もう容態は安定しました。後はお目覚めになるのを待つだけだけです。……ユーリ? 何故そう不満そうな顔をしているのですか?」

 アカリの無事を聞いて表情を明るくしたものの、徐々に顔を曇らせたユーリに、ベアトリーチェは尋ねた。

 『光の聖女』であるアカリのおかげで、リヒトは魔力を取り戻した。
 その力はローズと同等であることがわかり、『五人の選択』もあって、リカルドは正式にリヒトを次期国王として認めた。
 しかし、当のアカリは魔力の使いすぎで倒れてしまい、ローズは彼女に尽きっきりで看病することとなった。
 そしてベアトリーチェは、彼が薬を専門にしていたこともあり、ローズが無理をしないよう側について、一睡もせず光魔法を使っていたローズのために薬を処方していた。

「……だって、十年前に戻ってやり直そうと思っても、千年以上も昔のことじゃどうしようもないじゃないか」
「貴方がそう思うのも仕方が無いかもしれませんが……ただリヒト様は、これからが大変かもしれませんよ」
「え?」

「魔力が戻ったのは良いとして、『光の王』の臣下だった彼が『精霊病』や『魔王』を作り出したのには変わらない。幸い私が特効薬を完成させたとはいえ、その出来事は私たちの記憶に新しい。もしかしたらその罪を、リヒト様は今後問われることになるかもしれない」
 ベアトリーチェは静かに目を伏せた。

 所詮前世の記憶なんて、無い方が楽に生きられる。
 遠い日の、前世の罪の贖罪を、生まれ変わってまで行うなんて、あまりにも窮屈な人生だ。
 だが人が人である限り、大切な人を奪われた人間がこの世界に生きている限り、『光の王』を恨んでしまう人間がゼロだとはベアトリーチェは言えなかった。
 『光の王の死(はじまり)』に悪意なんてなくても、喪失は時に人を歪め、原因となった相手を責め立てる。
 理屈ではないのだ。人の心は難しい。

「幸い、今のリヒト様には支えてくれる者たちがいる。学院を作ったとされる『三人の王』――『大陸の王』や『海の皇女』の国は、国の規模が大きかったのもあり被害も一番大きかった。ただその二人が、これからの世界を担う人材となるなら、リヒト様の研究も評価され、今後は多くの人と協力し、守られながら進められていくかもしれない」

 精霊病の原因を作った――その罪を問われれば、今のクリスタロスでは、リヒトを守れないかもしれない。
 たとえそれが千年前の出来事であったとしても、その事実が明らかになったとき人がどうとらえるかは、ベアトリーチェにもまだわからなかった。
 けれど、今のリヒトは一人じゃない。ベアトリーチェはそうも思った。

 リヒトには、彼を信じている『大陸の王(ロイ)』がいる。
 それに、魔法をうまく扱えない苦しさを知る『海の皇女(ロゼリア)』も。
 そして『光の王(リヒト)』を守りたいと願う『賢王《レオン》』も。
 ならばその責任や重圧を、リヒトだけが背負うことはい。
 『光の王』の記憶や記録が、彼の最期の願いのために消されたとしても、『祭典』が千年経っても残っているのは、彼が周囲から愛された存在だったという証のようにも、今のベアトリーチェには思えた。

「元々『大陸の王』は、リヒト様の才能を評価していたようですし。リヒト様は周りから嫌われているワケではありませんし。そうでしょう? ユーリ、貴方だって」

 『古代魔法の復元』――リヒトが短期間でそれをなし得たのは、元々『光の王』が作ったものだからというものあるだろうが、ある意味クリスタロスには、そのための書物があり、同時にその本を探すことが容易だったからこそ成し得たことだったのだ。
 『光の王』の遺産――それが結果として、今の『リヒト・クリスタロス』が、『光の王』と同じ魔法を作り出すための、最短の道を選ばせた。

 そうでなければ、いくらリヒトがたとえ優秀だとしても、今の人生では魔法が禄に使えない中、古代魔法の復元に成功するはずがなかった。

 ある意味それは、『光の王(かつてのリヒト)』が『リヒト・クリスタロス(いまのリヒト)』に与えた光そのものだ。
 そしてその魔法は、そもそも『ユーリ《かつてのじぶん》』のために作られたものだったことを、今のユーリは知っている。

「……それは、俺だって……」
 ユーリは否定出来なかった。
 リヒトは昔とは変わったと否定しようといても、嫌おうとしても――ユーリには結局、リヒトを嫌うことは出来なかった。
 言い淀むユーリを見て、ベアトリーチェは小さく笑った。

「きっと私や貴方、彼女たちは、これまでいろんな形で出会っていたんでしょうね。命を、時を、巡りながら。時には結婚して、子どもを設けたこともあるかもしれない」

 おそらく、『ローズ・レイバルト』の相手はユーリだ。
 ベアトリーチェには、確信めいたものがあった。
 説明なんて出来ない。でも、そう思わずにはいられなかった。
 今のユーリの魂を継ぐ存在が、確かに『あのユーリ』であったなら――きっと大切な人を失い傷付いたローズ・レイバルトを、支えようとした可能性は高い。
 その心こそが、ユーリの魂に強い風属性の適性を与えたのだろう。
 そうして、今度はきっと。
 ローズだけではない。自分とミリア(じぶんたち)の幸せを願う心が、ユーリを本当の『騎士団長』に相応しい、光魔法を与えてくれる。

 その力を得ることでやっと、ユーリは『ベアトリーチェに指名された』騎士団長ではなくなる。
 誰もから認められる、信を置かれる存在となる。
 それは彼の優しさが、彼に与える新しい力。
 彼がずっと望んできた、仲間からの――他者からの信頼だ。

「ユーリ。私は、人と人の結びつきというのはきっと、そういうものだとどこかで思っているのです。肉体は、ただの器でしかない。大事なのはきっと、魂や、心と呼ばれるもの。では私たちの心は、一体誰が決めるのか。生来のものはあるかもしれない。けれどきっと人は、生まれ育った環境で変化する。何を見て、何を選び、何を知り、何を学ぶのか。人は、言葉には出来ない沢山のものの積み重ねで、『今の自分』を作る。それは風景でもまた、同じように」
 
 ベアトリーチェはそう言うと、どこからか飛んできた一枚の赤い花びらに手を伸ばした。
 
「春に咲く花を憂い、夏にはあらゆるものを輝かせる日の光に目を細める。秋には沈みゆく夕焼けに胸をおさえ、冬には儚く消える雪に、『時』を想う」
「夏、秋……?」
「ええ。この国には、春と冬しかない」

 花びらは、ベアトリーチェの手のひらの上でとまる。
 彼がその花びらを、自分の物にするのは簡単だった。手を握り、花びらを閉じ込めさえすれば、花はどこにも行けやしないのだから。
 だがベアトリーチェは、その花びらを綺麗だとは思ったけれど、手に力を込めることはなかった。

「移り変わる四つの季節、魔法の有り無し。発達した技術だけではない。アカリ様の世界とこの世界とでは、違うことが山ほどある。言葉を紡ぐ。誰かに伝える。きっとそういう感性を宿す心でさえも、人は自分が生まれた世界や、育った環境の影響を受ける。だからこそ違う世界を、自らが与えられた世界だと、自分が生きるべき世界だと、簡単に思うことは難しい。ましてそれが、『架空の物語』だったと思っていたのなら尚更」

 その時、少しだけ強い風が吹き、ベアトリーチェの手のひらにあった花びらは、風に浚われて空高く飛んでいった。
 ベアトリーチェは少し名残惜しそうに手を眺めたが、自分の手を離れた花びらには、手を伸ばすことはなかった。

「でも、それでも……今の自分が在る場所を、自分の居場所だと思うことが出来たなら――その時は彼女は本当の意味で、自分を許し、誰かの幸福を願える人になっているでしょう。そうしてきっとそうなれば、彼女は本当の意味で、『この世界の光の聖女』になれる」

 ローズの光の聖女になりたいと願った、今のアカリは完全に『光の聖女』になれたわけではない。
 『光の聖女』として、今の彼女の『祈り』は急ごしらえだ。

「人の心は目に見えない。けれどもし、魔法という形で心が人の目に映っても、目に見えるものばかりが、人のまこととは限らない。魔法は心から生まれる。経験も、感情も、出会いも。この世界に無駄なものなんて一つもない。貴方が居たから、今のローズ様が居る。私が居る。『貴方と出会えてよかった』『貴方が生まれて来てくれてよかった』たとえそれが、どんな繋がりであったとしても。――この出会いに、感謝している。私もローズ様も、同じ気持ちを、きっと貴方に抱いている」

 ベアトリーチェのその顔は、かつて彼の養父《ちち》であるレイゼルが、メイジスに向けた表情《もの》とどこか似ていた。
 誰か一人が欠けたとしても、この結末は存在し得ない。今のベアトリーチェは、そう信じたいと思った。
 
「ビーチェ……」
「思うに」
「?」
「今になって考えると、私は今の世界を生きるローズ様に、試練を与えるために産まれてきたのかもしれない」
「……つまり、どういうことだ?」
「私が居たからこそ、ローズ様は兄とレオン様を守るために今の自分を『作られた』。私は、本来彼女の代わりに二人の生命を維持するための『光の巫女』を殺すために産まれた」
「え……?」

「『国の未来を変える者』――この予言の本当の意味は、私がレオン様を説得するなどという行動よりは、『光の巫女』が私を生かすために、死ぬことに意味があったと考える方が、余程しっくりくるのです」

『貴方はいつか、この国を変える人になる。だから、貴方を生かすと決めたのです』

 今のベアトリーチェには、光の巫女はこの未来を知っていたように思えた。
 自分を殺すための子ども。
 そのための布石のような運命を与えられた子どもに、希望を与えるために彼女は真実を口にはしなかった。
 その言葉があったからこそ、ベアトリーチェは前を向けた。今日まで生きることができた。

 そしておそらく――彼女の息子であり光属性の適性者であるローゼンティッヒは、この事実を知っている。
 それでもずっと、ローゼンティッヒはベアトリーチェに対して優しかった。それがきっと、母の願いだと知っていたから。
 だとしたら自分がどうあるべきかは、どう生きるべきかは、ベアトリーチェはもう定められているような気がした。
 心臓は、とくとくと音をたてる。ベアトリーチェはそっと自分の胸に手を当てた。

 ――自分の中には、自分を生かしてくれた人たちがいる。

「『光の巫女』がいなかったからこそ、ローズ様は愛する人間の命を守ることになり、そんな彼女だからこそ、魔王を倒すという大役を担うことが出来た。リヒト様が彼女に贈られた指輪は、本来レオン様が継ぐべきもので、リヒト様は本来、兄の命が危うい時に、兄の婚約者候補に求婚するような方ではない。ローズ様が追い込まれていたからこそ、彼は彼女に指輪を贈った。だとしたら――私に課せられた一番の役目は、誰かの大切な人を死に追いやり、ローズ様とリヒト様の関係性を動かすことだったのかもしれない。……婚約も、何もかも」

 ベアトリーチェは唇を噛んだ。
 自分の人生は、まるでこの結末を導くための舞台装置だ。
 地属性の人間には、死が付きまとう。
 それでも、この世界に生を受けた自分が向けられた感情や言葉には、確かに意味があると、今のベアトリーチェは信じていた。

「そんな……」
 愕然とするユーリに、ベアトリーチェは笑って見せた。
「ユーリ。この世界は、『神様』は――きっと、優しいばかりではないのです」

 世界は不確かだ。
 もしこの世界で本当は、『結末《みらい》』が決まっていたとしても、人間である自分たちは、目の前の現実しか受け入れることしかできない。
 人は今を信じて前を向かなければ、前には進めない。
 希望を抱く。誰かを想う。そういうふうに『信じる』ことは、その上に成り立っている。
 『その先』にあるものを知らない自分たちだからこそ、許される特権だ。
 わからないから助け合う。わからないから結びつく。  
 人は一人では生きていけない。

 ベアトリーチェは空を仰いだ。
 あまりに大きな青い空。
 神々が住まうという至上の色を、空に焦がれる彼は鳥の名に与えた。そう選択した自分の心を、彼は今でも、鮮明に覚えている。
「でも。……でも、だからこそ」
 ベアトリーチェは顔を手で覆った。その手の間からは、一筋の涙が頬を滑って地面に落ちた。

「信じることは、美しい」
 


 アカリの容態が安定したことで、不眠不休で看病に当たっていたローズは、少しだけアカリの寝台に寄りかかるようにして仮眠をとっていた。
 ローズは目を覚ますと、穏やかな寝息を立てるアカリを見て安心して息を吐いた。
 少し風に当たりたくてローズが外に出ると、まぶしい日の光が彼女のことを待っていた。

「ローズ、少しいいか?」
 目を細めて空を仰いでいると、リヒトに声をかけられて、ローズは振り返った。

「その、俺は……前に一方的に婚約破棄したわけだし……こんなこと、本当は駄目だっわてわかってる。でも、今は……これを、受け取ってほしい」
 
 リヒトが差し出したのは、『四枚の葉』で作られた指輪だった。
「ありがとうございます」
 ローズはリヒトから指輪を受け取ると、その葉を一枚千切った。

「何でちぎるんだよ!!」
 リヒトは思わず突っ込んだ。
 『完璧でいい場面だった』と思ったはずなのに、自分のツッコミのせいでムードは台無しだ。
 リヒトは口を手で覆った。
 ――どうして自分はこういつも、かっこよく決められないんだろう?

 ガックリ肩を落とす。
 ローズを好きだという想いに向き合うことが出来ず、傷付けたという自負はある。それでも諦められい思いがあるから、勇気を出して指輪を贈ったというのに――やはり彼女は、自分のことを許してくれないんだろうか?

「リヒト様」
 落ち込んでいると名前を呼ばれて、リヒトは恐る恐る顔を上げた。

「この指輪は、リヒト様が下さった、この世界にたった一つしかないものです。――だから私は、この葉を貴方に贈りたい」
「?」

 ローズの言葉の意味が分からず、リヒトは首を傾げた。
 だがその時、彼はとあることを思い出して、リヒトは顔を真っ赤に染めた。

『なぞかけか?』
 思い出す。かつて彼女の問いに、自分はなんと答えたか。
『俺なら、一番好きなやつに贈るけど』

 四枚の葉をどうするのか。
 ベアトリーチェは昔、ローズに葉を与えて問うた。
 自分の幸運を分け与えて、相手の幸福を願う。四枚の葉は、それを誰かに与えたときに、特別なものではなくなってしまう。
 かつてのローズは、誰か一人を選べなかった。

 でも、今は。
 ローズは、ただ一人を選ぶ。

「……っ!」
 リヒトはローズから渡された葉を抱いて、震える声で彼女の名前を呼んだ。

「……ローズ」
 リヒトの声に、ローズは今は穏やかな笑みを浮かべている。
「これからは、もう間違えないようにするから。これからは、ずっとそばにいるから。だから。……だから、俺と」
 リヒト、は大きく息を吸い込んで言った。

「俺と、結婚してほしい」

「――はい。リヒト様」
 ローズは三枚の葉の指輪をリヒトに手渡すと、彼に自分の手を差し出した。
 リヒトは指輪を受け取ると、ローズの指に指輪を通した。
 それはもし二人が今の立場で、リヒトが最初から今と同じ強い力をを持っていたとしたら、幼い頃にあったかもしれない出来事だった。
 でも同時に、『光の王』と『薔薇の騎士』としてでは、絶対に叶わなかったこと。
 だからこそ――野に咲く葉で作られた指輪が、ローズはこの世界のどんなものよりも、価値あるものに思えた。
 

 春の風が心地いい。
 リヒトと共に木陰で休んでいたローズは、リヒトから貰った指輪の葉を楽しそうに指でつつきながら言った。

「今の私はお兄様のことが大好きだったんですが、『ローズ・レイバルト(むかしのわたし)』は今ほどまでは兄を好きではなかったような気がするのです。『今のお兄様』は、『昔のリヒト様』にどこか似ています」

「?」
「お兄様が目覚めないと知ったときに感じた痛みは、かつて私が貴方を失ったときに感じたものに近かったのかもしれない」
「私はこれまで、あなたの影を、ずっと探していたのでしょうか……?」

『戻ってきてくださったのだと思うと嬉しくて』
『――お帰りをお待ちしておりました』

「……」
 兄にかけよる妹の図。
 それにしてはどこか近すぎる気もする二人の関係。
 でもそこに、『光の王(かつてのじぶん)』を重ねていたと言われては……。

「リヒト様」
「……ああ」
「好きです」
「えっ」
「大好きです」
「は!?」

 水属性と最も相性が良いのは水属性だと言われている。
 ローズはこれまで、誰かに好意を示したことは無い。彼女は人に優しくても、誰かの心を動かしても、彼女自身が誰かに惹かれているわけではない。
 そしてそれはリヒトに対しても、殆どそんなそぶりは見せてこなかった。

「リヒト様の心音は安心いたします。……貴方が本当に、ここに生きていらっしゃるのだと思えて」
「や、やめてくれっ!」

 リヒトは自分からローズを引きはがした。 
 ローズは切なげな瞳でリヒトを見つめる。

 ――その顔はやめろ! 
 リヒトの心臓は、はち切れそうなほど高鳴っていた。

「リヒト様……」

 『何故駄目なのですか?』
 赤い瞳がそう訴える。いつも強気な彼女が、潤んだ瞳で自分を見上げる。
 器を取り戻してから少し身長が伸びたせいで、リヒトにはローズが今は少し小さく見えた。赤い薔薇のように艶やかな、彼女の唇が目に入る。

「お願いだから……っ。これ以上、俺を煽るな」

 リヒトはたじろいだ。
 水属性の人間は好意を持った人間に積極的なはずなのに、ローズは水属性の割に冷静だと思っていたら、まさか自覚したとたんここまで素直になられると対処に困ってしまう。
 どうやら他人の好意に疎いだけでなく、自分の好意にも疎かったらしい。
 面倒なことこの上ない。
 堰き止められていた感情を一気に向けられて、リヒトは慌てふためいた。
 
 その時だった。
 涼やかなベアトリーチェの声が響いた。

「――随分と、仲がよろしいのですね?」
「ビーチェ様」
「げっ」
 リヒトは、ベアトリーチェの笑顔が少し怖くて、思わず後退った。

「……私でなかったら、王子とはいえ許されませんよ」
 リヒトのことで頭がいっぱいのローズは嬉しくてつい指輪を受け取ってしまったが、ベアトリーチェとの婚約がある今の状況で、その行為は本来許されることではない。
 ベアトリーチェの指摘にローズがリヒトから離れて下を向くと、ベアトリーチェはローズに優しげな笑みを浮かべた。

「ローズ様、よかったですね。これでやっと、貴方の願いは叶う。私は、貴方が私の幸福を願ってくださったように、あなたの幸福を願っております」
「……申し訳ございません」

 ベアトリーチェの言葉でそのことに気付いたローズは、思わずそう呟いていた。

「謝らないでください。それに、謝るのは私の方です。――すいません。私は、本当はずっとどこかで、貴方に嘘を吐いていました」
「え?」

 ベアトリーチェの言葉に、思わずローズは顔を上げて目を瞬かせた。
 ローズと視線が合うと、ベアトリーチェはいつものようににこりと笑った。

「私の初恋が叶わなかったから、私は貴方には、納得のいく選択をして欲しかった。自分を選んでほしいと思う一方で、貴方には私じゃない誰かを選んでほしいとも思っていました。貴方をずっと思う誰か、貴方が初恋だった誰かに。だから心のどこかで、貴方に対する私の言葉は、貴方を困らせるものだったのかもしれない。本当は、わかっていたんです。貴方から棘を奪って、ただの花にしてしまったら、それは『貴方』でなくなることと理解しながら、そうしなければ他の誰かに取られることを、私はどこかで怯えていた。そして『貴方を待つ』と言いながら、私はどこかで、貴方が違う誰かと結ばれることを望んでいた。だから私は嬉しい。貴方方二人が、貴方方の初恋が叶ったことが」

 ベアトリーチェの声は、とても嘘をついているようには二人には聞こえなかった。

「ベアトリーチェ……」
「お二人の結婚を、私は反対しません。それにお二人のように千年越しの初恋が実るなら、私も彼女を待ってみようかと思いまして」
「「え?」」

 ローズとリヒトは、ベアトリーチェの言葉に首を傾げた。

「あの光景を見た時。『精霊病』の話を聞いた時。婚約者である貴方が、危機に陥っていたというのに、私は彼女のことを考えてしまっていた。それがたとえ一瞬だとしても、私は、貴方を裏切った。……きっとこの心は、誰と結ばれても、彼女のことを忘れられない」

「ビーチェ様……」
「そんな顏、なさらないでください。それに、ローズ様。私はあの光景で――一瞬ですが、私に似た少年と彼女に似た少女を見たんです」
「それって……」

 ローズにはベアトリーチェが『彼女』と呼ぶ相手は、一人しか思いつかなかった。
 『ティア・アルフローレン』――それは精霊病によって亡くなった、ベアトリーチェの初恋の相手だ。

「ええ。偶然かもしれない。……でも、私は」
 ベアトリーチェは声を震わせて、そうして綺麗に笑った。

「それを、『嬉しい』と思ってしまったから」
 
「ビーチェ様……」

「貴方のことを、幸せにしたかった。それは本当です。貴方となら、自分は前に進めると、そう思う気持ちは今も変わらない。私の人生は長くて、彼女を待つ間、貴方と結婚しても、きっとなんの問題も生まれない。貴方となら私は、幸せな時間を過ごせる。貴方にもそう思ってもらえるよう、努力するつもりでした。――でも、その貴方が、本当に愛しく思う相手と結ばれるなら。私は、貴方を祝福します。だから」

 ベアトリーチェの手の上には、契約水晶が載せられていた。

「私は、貴方との婚約を破棄する!」
 ベアトリーチェの言葉と共に水晶は砕け粒子となり、それから花びらとなって空へと昇る。
 
 聞き覚えのある言葉。
 でもそれは、かつてのように自分を責める言葉ではなく、幸福を願う言葉のようにローズには思えた。
 ベアトリーチェの表情《かお》は晴れやかで、もうそこに、迷いは存在していなかった。

 彼は待つと決めたのだ。
 これから自分を残して、大切な人々が亡くなることを受け入れることを。そうして、その上で――初恋の少女を待つことを。
 たとえそのために永遠とも思える月日が、その心を苛んでも。
 待って、生きると決めたのだ。

「ローズ様。どうか、幸せになってください。私は、お二人の幸福を願っています」

 千年後にしか実らない恋だとするならば、彼がローズと数十年の人生をともにすることを誰も責めやしないだろう。
 けれどもう彼の瞳は、ローズの心が欲しいと言った、かつての彼のものとは違っていた。
 陽の光から人を守る、木陰を作る木の葉のような彼の新緑の瞳は、今はローズと、その後ろでどこかバツが悪そうにしているリヒトへと向けられている。

「――はい」
 二度目の婚約破棄を告げられたはずのローズは、優しい目で自分たちを見るベアトリーチェの言葉に、静かに首肯した。

「――リヒト様」
「ローズ様を、よろしくお願いします」
「……おう」
「本当ですか? 次泣かせたら、今度こそ他の人間は黙っていませんよ」
「?」
「ローズ様沢山の方から慕われていらっしゃる。正直な所を申し上げますと、婚約破棄の一件で、彼女に恥をかかせて心を傷付けた貴方の印象は、彼女の父からすると最悪だと思います。リヒト様から遠ざけるために、レオン様ではなく私を指名されたくらいですから」
「……」

「でも、これだけは忘れないでください。公爵令嬢として、ずっと誰かに求められる人間であろうとしてきた彼女が、父親の決めた相手を蹴ってまで選んだのは貴方だということを。貴方にどんな欠点があったとしても、これまで何があったとしても。彼女が未来を過ごしたいと思ったのはリヒト様、貴方だということを。魔法が使えても、使えなくても。どんな貴方だったとしても、彼女が貴方を信じ――誰より愛していらっしゃることを」

 ベアトリーチェはそう言うと、リヒトを見上げて微笑んだ。

「どうかその心に、留めておいてください」
「……ああ、わかっている。だから、もう」
 リヒトは手を握りしめた。
「ローズを一人にはしない」
「その言葉を聞いて安心いたしました。――では、私はこれで」

 ベアトリーチェは安堵したかのように微笑むと、静かにその場を去った。
 二人っきりになったリヒトは、ローズに口付けようとして全力で拒まれた。

「な、な、ななな……っ! 何をなさるおつもりですかっ!」
 ローズの顔は真っ赤だった。

「なんで拒むんだよ!? 今のはそう言う雰囲気だっただろ!」
「だ、駄目です。手や髪や瞼と唇では意味が違うのです。時と場合と立場を考えてください」

 心音を聞くのは良くて、キスは駄目な理由がリヒトにはわからない。

「は!? 瞼ってなんだよ。それ俺は知らないぞ!?」
「知らなくて当然です。誰にも言っていませんから」
 ユーリとのことは口外していなかったのに、ついローズは口を滑らせていた。
「はあ!? ローズ! お前、まさかやっぱり女性と関係が……」
「だから、なぜそうなるのです!? 私がお慕いしているのは、ずっとリヒト様ただお一人です!」

 失言だった。
 沈黙の後、ローズはしどろもどろになりながら言った。

「………………い、今のは、今のは聞かなかったことにしてください」
「それは無理な注文だ」
 ふわりと笑う、大人の笑み。
 それは今世のリヒトというよりも、かつての彼《おう》のそれと似ていた。

「愛している。俺の――薔薇の騎士」

 その言葉はきっと、遠い日の彼が、彼女に伝えられなかった言葉。
 誰かが彼女に触れた場所に自分を上書きするように、リヒトはローズに口付けた。
 ローズは目を瞑った。
 触れる温度も何もかもが、嬉しくて、愛しくてたまらない。自分の心は、こんなにも彼が好きだと叫んでいる。
 ――この人には、敵わない。

「これで、全部か?」
「あとは手のひらと手首ですね」
「……ローズ…………」
「はい?」
「いくらなんでも無防備すぎるだろう。どこまで許しているんだ」
「別に許しているわけでは……」

 ローズはボソリ呟いた。
 そう。別に、許しているわけではないのだ。いつも知らないうちに、身動きをとれなくされているのは否めないが……。
 
「もう面倒だから、お前ははやく俺と結婚してくれ。頭痛がする……」
 想い人が人から好かれるのは、それだけ相手が魅力的だということだろうが、そのせいで誰かに奪われるのだけは絶対に嫌だ。
 リヒトの言葉はそう思ってのことだったが、言い方がまずかった。

「面倒だなんて失礼な。リヒト様にとって私は、面倒な女なのですね」
「えっ。いや、ちが」

 不機嫌そうな声がローズから返ってきて、リヒトは慌てた。
 まずい怒らせた。どうやら自分は、また失言してまったらしい。
 ぷんすか怒る彼女は昔よく見ていた気もしたが、今の彼女の怒り方はなんだかリヒトには可愛く見えた。欲目だろうか……ではなく。

「ごめん。違うんだ。そう言う意味じゃなくて……だから、その。ローズは俺のだって、他の奴らに知らしめないと、今のままじゃ俺が安心できないんだよ」
「リヒト様……」
「だから、俺が言いたいのは……」

 『俺がローズを好きだってことで』――リヒトはそう続けようとしたが、予想外の言葉が返ってきてリヒトは目を瞬かせた。

「わかりました。お父様も、早く孫の顔が見たいと仰っていましたし、すぐに了承してくださることでしょう」
「……待て、ローズ。お前、意味わかって言ってるか?」

 何故今子どもの話になるんだとリヒトは頭を抱えた。

「ええ。結婚した夫婦の間には、コウノトリという鳥が子どもを運んでくるのでしょう?」
「…………頭痛が悪化しそうだ……」
「嘘です」

 困惑を隠せずにいるリヒトを見て、ローズはくすりと笑った。

「医学・薬学を学んでいた私が、知らない筈がないでしょう?」
「私も、早く貴方と血の繋がった子どもが欲しいなと思っただけです」

 そして、その子どもがこの国を守ってくれる。
 それはなんて幸せな未来だろう? ローズの中での幸福はイコール国の幸福だったせいで、発想がやや斜め上だった。
 リヒトの顔は真っ赤だった。

「……どうかされたのですか?」

 ローズ自身もそうだったが、アカリが見せた自分の前世に影響を受けていたのは、リヒトも同じだ。
 恋心を自覚する。それと同時かつて叶わなかった想いの、彼女への愛しさがこみあげてくる。
 剣《こころ》を贈り指輪《あい》は贈れなかった、自分の感情を思い出す。
 千年越しの初恋が実ったのだと実感して、心臓の鼓動がおかしい。

「ローズ。俺はさ……うわっ!」
 リヒトは立ち上がろうとして、何もないところで躓いた。
 リヒトはローズにぶつかりそうになるのを避けようとしたが、逆にその手をローズに捕まれた。

「リヒト様!」
 二人はそのまま地面を転がった。幸い体の痛みはない。
 地面が柔らかくてよかったと思い、リヒトが立ち上がろうとしたのもつかの間。

「わ、わるい。だいじょう――」

 今の自分たちの状態に気付いて、リヒトは言葉をつまらせた。
 ――これでは俺が、ローズを押し倒したみたいじゃないか!
 『あの日』と立ち位置が逆だ。リヒトは顔には出さないよう努力しながら、内心パニックに陥っていた。

「リヒト……様……」
 ローズの赤い唇が、自分の名を呼ぶ。
 その瞬間、リヒトの中で感情が溢れるのを感じた。
 とどめていたはずの思いが、封じこめてていたはずの思いが、まるで濁流のように押し寄せて、自分の心を満たしていく。

 ――好きだ。好きだ、好きだ。ずっと、遠い昔から。この魂は、ずっと彼女だけを。

 今のリヒトのように、『光の王』も国を愛していた。だから『薔薇の騎士(かのじょ)』の手をとれなかった。
 でも千年の時をかけ、彼女は自分のところに来てくれた。自分のために――そのことが、リヒトはたまらなく嬉しかった。
 そしてそれがどんなにつらい道だとしても、前に進もうとする強い意志を感じる瞳だけは、彼女は昔から変わらないように思えた。

 ――ああそうか。こんな彼女だから、自分は彼女に惹かれたのかもしれない。

 『自分の意志を持つ』
 そして自分の人生を『選択』すること。
 それこそが幸せなのだと語った初恋の相手は、生まれ変わっても消えない光を瞳に宿しているようにリヒトには思えた。
 ただリヒトにとっての問題は、過去と今の自分たちの関係が逆転していることだ。
 だからこそこれからは、誰かのためでなく自分のために、今度は自分が頑張る番なのだとリヒトは思った。


 ――強くなりたい。誰かに認められたいからじゃない。祝福されたいからじゃない。ただ彼女の側に在ることを、愛する人と共に生きることを、自分自身が、恥じなくていいように。
 

「ローズ……」
 リヒトは目を瞑り、口づけ――ようとして。

「仲直りはしたか?」
 ギルバートに阻まれた。

「……………ギル兄上……」
「恨みがましそうな目で見るなよ」
「何故邪魔をするんですか!!!」
「妹を結婚前に傷物にされそうだったから助けたまでだ。流石に未来の弟でも、結婚前に手をだされるのは兄として見過ごせないからな」
 
「し……しませんよ。そんなこと」
「大丈夫だ。心配しなくても、ローズはお前しか選ばない」
「言っただろ? 『弟みたいなものだしな』って」
「え? まさか、最初から……?」
「……さあ? どうだろうな?」
「結末は見えても途中は見えないってこと、直感ではよくあることだろ?」
「ありませんけど!?」

 リヒトはその時、とある琴に気が付いた。
 アカリの見せた光景通りギルバートが『先見の神子』の転生者であるなら、その潜在能力は普通ではないのかもしれない。
 歴史の中で、最も多くの未来、先の未来を予言した人物。
 それが、『先見の神子』の伝承だ。
 『神子』は歴史の中に現れては、未来視をして他人を救い、いずれも力の使い過ぎで早世している。彼の能力は諸刃の剣なのだ。

 ――だったら、もしかしてあの包帯の下は……。

「本当は、ギル兄上は……」
 リヒトが泣きそうな顔をしてギルバートを見つめれば、ギルバートはいつものように軽い口調で言った。
「気にするな。これは俺の意志で、俺が俺の願いのためにやったことだ。お前が気に病むことじゃない。それにほら、昔からよく言うだろ?」

「『終わり良ければ全て良し』」
「良くありません!」
 リヒトは思わず叫んでいた。

「大丈夫だ。それに幸い俺のこれについては、彼の薬が効くことがわかったんだ。これからは治療のためあまり魔法を使えないかもしれないが、それでも俺は後悔はしていない。それに『今回』は、自分が『先見の神子』だと明かさなかったぶん、前世《これまで》よりは体への負担はまだ少なくて済んでいる方なんだ」

「でも」
「だからそんな顔するなよ。俺はお前にそんな顔をさせたくて、こうしたんじゃないんだから。それなりには大変だったんだぞ? 目が覚めたらお前は婚約破棄してるし、五歳児みたいなこと言い出すし……。本当にお前には昔から、苦労ばかりさせられる」

 ギルバートは優しく笑ってリヒトの頭をぽんぽんと軽く叩いた。

「お前たちが、笑って過ごせる未来が一番だ。――ああ」
 ギルバートはそう言うと、何かに気付いたように空を見上げた。

「お兄様?」
「そろそろ、彼女が起きるな」
「え?」
「行くぞ。ローズ、リヒト」
「どこへ行くのですか?」
「決まっている。『光の聖女』のところへ」

 ギルバートはそう言うと、いつものようににっと笑った。

「ユーゴは彼女をこの世界に招いたのは自分だと言ったが、元々彼女は選ばれて、この世界に来た人間だ」



 アカリの部屋にローズが戻ると、ちょうどアカリが意識を取り戻したところだった。

「アカリ!」
「ローズ、さん……?」

 アカリは自分を心配そうに見つめるローズの名を口にした後に、その隣にいたリヒトの赤い瞳を見て微笑んだ。

「ありがとうございます。ローズさんが、私に魔法をかけてくれたんですよね?」
「礼を言われるほどのことではありません。それよりアカリ、貴方が目をさましてくれて本当に良かった。改めて、貴方に感謝を述べさせてください。――本当に、本当にありがとう」

 自分の手を握り、何度もそう繰り返すローズに、アカリは苦笑した。

「でもリヒト様は、赤よりも碧の瞳のほうが、リヒト様らしい気もします」
 金色の髪に赤い瞳。
 魔力を取り戻したリヒトの姿を見てアカリがそういえば、リヒトは少し小さな声で言った。

「……そのことについてなんだが、瞳の色は碧に戻すつもりだ。この赤い瞳のせいで、話しかけにくいと思われるのは嫌だから……」

 それは『光の王』が、かつてその魔法をつくりだした理由と同じだった。
 王族なのに気安い存在だと思われていいのか、とその場の誰もが思ったが、胸に手を当てて嬉しそうに微笑むリヒトには、誰も何も言わなかった。

「それに瞳の色が何色だって、俺自身は変わらないんだって、今はそう思えるから」
 自分への自信を口にするその赤い瞳には、柔らかく光が灯る。
「はい。リヒト様なら、きっと何色でもお似合いになりますよ」

 アカリは笑顔でそう言った。

「ただ、リヒト様はこれまでのことがあるので、瞳は赤いほうが正当性は示しやすいとは思います……」
 リヒトの瞳の色に対し肯定的なアカリとは違い、ローズは冷静な意見を述べた。

「そのことなんですが……あの、ローズさん」
「何でしょう? アカリ」
「私の名前で、発表してほしい小説があるんです。実はこっちの世界に来てから、ずっと書いていて……」

 アカリはそう言うと、寝台のそばに置かれていたチェストから、紙の束を取り出した。
 どうやらアカリが描いた小説らしい。
 ローズはそのタイトルを見て顔を顰めた。

「でもこれでは……貴方が」
 確かに『光の聖女』が書いたこの物語が発表されれば、リヒトの印象は大きく変わるだろう。
 けれど『ローズ・クロサイト』を『悪役』だとするこの物語は、きっと今度はアカリを貶めてしまうことになるのではとローズは思った。

「私のことは、気にしないでください」
「――でも」

 ローズはアカリの提案にすぐに頷くことは出来なかった。
 アカリのおかげで、リヒトは力を取り戻せたのだ。
 その恩だけじゃない。今のローズにとって、アカリもまたリヒトと同じ、守りたい大切な存在だった。
 アカリを――七瀬明を、『悪役』にすることなんて出来ない。
 駄目だと首を振るローズの手に、アカリは手を重ねて笑った。

「もしそうなったとしても……。ローズさんが信じてくれるなら、私は誰に『悪役《わるもの》』と罵られても構わない」
「アカリ……」
「だから大丈夫」
 アカリは綺麗に笑った。

「今のこの国には、物語が必要です。それこそ、あらゆる運命《けつまつ》を覆す物語が」

 そのためには、世の中の認識を変えるしかない。
 その力を持つのは、異世界から召喚されたアカリが書いた物語だけだ。
 婚約破棄も何もかも、発端は『光の聖女』が原因だという物語が発表されれば、きっとリヒトや、リヒトを選んだローズの評価も変わる。
 それは物語《アカリのことば》で、『正史《れきし》』を変えるということだ。

「いいえ、アカリ」
「ローズさん……?」
 この世界のために、一人罪を背負うと言ったアカリに、ローズは首を振って言った。

「私は、貴方を悪役になんてさせません。貴方も私にとって、大切な人です。私は貴方一人に、全てを背負わせたりなんてしない」

 その言葉は昔、『ローズ・レイバルト』が『光の王(リヒト)』のために口にした言葉と同じだった。
 けれど今の彼女の言葉は、他の誰のためでもなく――『七瀬明』のために、『ローズ・クロサイト』の心に生まれた決意の言葉だった。
 今のローズの瞳はリヒト越しではなく、確かにアカリの姿だけを映していた。

「それにこの話も、より多くの視点で書いたほうが、もっといいものになると思いませんか?」
「それは面白そうだな」
「お兄様?」
「提案なんだが、どうだ? この際みんなでこの話に、それぞれの視点を取り入れるっていうのは」
「なるほど。そういう話なら、僕も協力するよ」
「私も協力しましょう」
「ロイさん、レオンさん、ベアトリーチェさん……」

 アカリは自分を囲む人々を見渡して目を瞬かせた。
 かつて白い病室で、画面の向こう側に居た筈の住人たちは、今彼女にその手を差し出していた。
 この世界を生きる、一人の人間として。

「私も、貴方に協力します。……今は貴方のことを、認めていないわけではありません」
 それはかつて、彼女の存在を否定した相手でさえも。
 アカリはこの世界で、もう一人きりではなかった。

「素直じゃないなあ。ミリアは」
「煩いので、黙っていてくださいませんか? ギルバート様」
「えっと。あの、その……喧嘩はあまり……」

 自分のベッドの前で、ぎゃあぎゃあ騒ぐミリアとギルバートを前に、アカリは困惑して二人の顔を交互に見た。

「アカリ」
 そんなアカリの手を、ローズ包んだ。
「ローズさん」
 その時、公爵令嬢にしては硬い手に気が付いて、ローズらしくてアカリは思わず笑ってしまった。

 ローズと自分は違う。
 でも違うからこそ、出来ることがある。違うからこそ、世界は作られる。違うからこそ、変えていけると信じている。
 この世界を、みんなが笑える国に出来ると、そう信じている。
 だって魔法は心から生まれる。
 アカリはそう思い、ローズの瞳を見つめた。
 強い意志を宿す赤い瞳は、今のアカリには、赤い薔薇のようにも、美しい宝石のようにも見えた。

「沢山の人の話をまとめるのは、貴方一人で書いていたときより、ずっと大変かもしれません。それでもアカリ、この仕事を、貴方にお願いしても良いですか?」

「はい。私に、お任せください!」

 アカリは元気良く返事をして、心からの笑みを浮かべた。
 


◆解説◆
 この物語は、千年前ある少女によって書かれました。
 この本が出版された当時、『魔王』という存在を恐れていた人々は、この書物が果たして本当のことなのか、そして自分たちが信じていた『聖女』との乖離から、多くの批判があったそうです。
 五人の選択により王に選ばれた彼はクリスタロスの王となり、そして彼の魔法は、たくさんの人の協力を得た上で、人々の生活を豊かにする道具として開発は進みました。

 これにより、魔法というものは貴族が専有する力ではなくなり、王侯貴族の中には反発する声もあったと聞きます。

 果たして、魔法とはなんなのか。
 その力を誰もが使えることが、本当に正しいことなのか。
 力がどこから生まれることも知らず、便利な道具として受けいれる世がくれば、その時魔法と呼ばれるものは、人々が憧れるような特別な才能や夢物語のものでもなくなり、生活の風景の中に受け入れられる。
 異世界の記憶を持って生まれたある少年は、今のこの世界を見て、『魔法道具《これ》の仕組みは自分の世界の科学と似ている』と、そう口にしたそうです。
 異世界では、風属性を持たぬものも、契約獣を持たぬものも、等しく空を飛ぶことができる乗り物があるそうです。

 人々の叡智が、世界を変えた瞬間。
 私はそれこそ、魔法と呼ぶべきものであると感じます。

 しかしどんな思いも、優れた力も、それを誰かに分け与えた瞬間に、自分の手を離れ、多くのものに共有される世界となったとき、それは特別なものではなくなり、どこにでもある風景の一部として、私のたちの生活の中にあらわれる。
 彼がこの世界に届けた四枚の葉の価値を、今、人々は忘れてしまっているのかも知れない。

 与えられることが当たり前。
 それが生活の一部となったとき、魔法が平等であることを願うからこそ、安全性を保ち発展させるために、複製を封じる魔法や、魔法に開発者の名を刻むことも義務付けられるようになりました。
 それは、彼が――かの優しき王が、一人の青年が、かつて望んだ魔法のあり方とは違うかもしれない。
 けれどそれは人々の選択であり、それこそが、世界が常に人々によって成り立っている証だと私は思います。

 誰もが使える魔法道具を作った、彼の選択が間違いだったのか。
 彼の選択は、自らの地位を揺らがせるだけのものであったのか。
 その答えは、もしかしたら彼以外には、誰にも出すことなどできないのかもしれません。

 しかし、私はこう思います。
 彼が亡くなったとき、夢見草がその死を悼むように花を散らし、多くの人に死を悼まれたかの王は、どんな未来をも受け入れることのできる、寛容さを持った優しい王であったと。
 そして彼らの信じた可能性は、きっと世界の、そして人々の、可能性を広げるものであったと。
 長くなりましたが、最後にこの本の初版が出版された際、あとがきとして書かれていた文章を最後に紹介し、終わりとさせていたどきます。

 魔法は心から生まれる。
 その言葉を信じ行動し、物語を紡いだ彼女たちへ敬意を込めて。
 この物語がまた、彼らから遠い未来に生きる貴方にも、四枚の葉となって届きますように。

 ベアトリーチェ・ロッドが娘 セレーナ・ロッド



◆あとがき◆
 物語は祈りだ。
 だから私は物語を描《えが》く。
 俯く誰かが前を向けるように、私の言葉が、もう一度誰かが前に進む力になれると祈りを込めて。
 人はすれ違う。
 人は間違える。
 完全な人間など無く、誰も傷つけない人間なんていない。
 人は、誰もが傷を背負って生きる。
 宝石の産出国。美しい水晶の王国。
 この国の人々は、誰もが心に傷を負う。
 けれど水晶の内に生まれる傷が、光を浴びて虹色に輝くように、この国に生きる人々は、その傷を持つがゆえに輝きを放っている。
 魔法は心から生まれる。
 この言葉を、私はこの世界で初めて知った。
 この世界は、私の産まれた世界とは違うけれど。
 この世界と私の世界と、一体何の違いがあるだろう?
 世界に影響を与えるほどの力は、いつだって人の心から生まれる。
 今の私は、そう思う。
 だからこそ私は願う。
 貴方の心に魔法をかけたい。
 この物語を最後まで読んでくれた貴方に、私は『加護』を与えたい。
 この世界に生きる誰もが、自分の物語の主人公だから。
 どうか後悔のない物語を、貴方が歩めるように。
 この国を、この世界を生きる全ての人に

 どうか、光の祝福を。
                  了

『婚約破棄された悪役令嬢は今日から騎士になるそうです。』
七瀬明著
協力 ローズ・クロサイト
   リヒト・クリスタロス
   ユーリ・セルジェスカ
   ベアトリーチェ・ロッド
   レオン・クリスタロス
   ギルバート・クロサイト
   ミリア・アルグノーベン
   ………………………




――『『婚約破棄された悪役令嬢は今日から騎士になるそうです。』了――

■■■以降番外編です■■■

「本当に綺麗です! ローズさん!」

 『魔王』による負傷者の治療や建物の修繕も終わり、『日常』が戻った頃、ローズの結婚式の日取りは正式に決まった。

 結婚式に向けた衣装合わせに付き合っていたアカリは、ローズの新しいドレスを見て目を輝かせた。
 純白の花嫁衣装は、星をちりばめたかのようにキラキラと輝いていた。

「ありがとうございます。アカリ」

 アカリの心からの素直な称賛に、ローズは笑顔でこたえた。
 ローズ自身、以前あつらえた婚礼衣装より、今回のものはどこか美しく見えていた。
 ロイたちをはじめとした他国の王族を招くということもあり、前回もローズの衣装は『水晶の王国(クリスタロス)』の名に恥じぬ素晴らしいものだったのだが――何故か、今回のものは輝きが違うのだ。
 ローズが首を傾げていると、アカリが腕組みをしてドヤ顔で言った。

「前の時と違って、私も今はしっかり魔法が使えますし! 今回のローズさんの花嫁衣装の『祝福』は私が担当しました!」
「……アカリ? もしかして、ドレスが光り輝いて見えるのはそのせいなのですか……?」

 この世界での花嫁は、光属性持ちの人間にドレスに『祝福』してもらうのが普通だ。
 主にこれは神殿の神官が行うものだが、それは普通形式的なもので、見た目が変わるような祝福なんて、ローズは聞いたこともなかった。
 流石、『光の聖女』と言うべきか。
 アカリの魔法の腕が上がっていることを嬉しく思いながらも、あまりにきらきらしい衣装にローズは苦笑いした。

「ローズさん! 私がローズさんのこと、世界一の花嫁にしてみせますからね!」
「……ありがとうございます。アカリ」

 ――これ以上光らせる必要はないのだけれど……。

 ローズはそう思ったが、自分の幸せを願って楽しそうに笑うアカリを見ると、何も言うことが出来なかった。
 はしゃぐアカリを見てローズがくすりと笑うと、突然アカリが声を上げてローズの腕を掴んだ。

「あ~~っ!!」
「あ、アカリ?」
「もう、ローズさんってばっ! また体に傷を作ってるじゃないですか! 『訓練しないと腕がなまる』って言ってましたけど、人生に一度の晴れ舞台で、傷だらけの花嫁なんて笑えませんからね!」

 アカリは、ローズの肌に見つけた傷を見て顔を顰めた。

「ほらほら。もう、こっちに来て座ってください。私が治療しますから!」
 
 リヒトに力を戻してから――以前よりアカリは、安定して魔法を使えるようになっていた。
 そして今、『光の聖女』であるアカリが治療する対象者に、今はローズも含まれている。

「よし! これでもう大丈夫です!」
 アカリはローズの怪我を癒やすと、満足げに微笑んだ。

 ベアトリーチェとの結婚の時とは違い、今回ローズは、剣を捨てることなく戦い続けることを願った。
 リヒトはローズに無茶をしてほしくはなかったが、ローズの願いを否定することがリヒトには出来なかった。
 ローズとベアトリーチェの婚約は解消されたものの、今の二人は友人として、良好な関係を続けている。

 ただ、二人の結婚が突然中止になったことで、少し困ることはあった。
 それは二人が『魔王を倒した英雄』だったため、結婚式には世界中の王族なども参列予定で、二人の破局を世界中の人が知ることになってしまったということである。
 だがこの点については、その後アカリの本が出版されたことで解消された。
 今の人々が口にする話と言えば、ローズへはリヒトとの結婚での祝福と、ベアトリーチェに対しては、ティアとの恋を応援するものへと変わりつつある。

 この件についてベアトリーチェは、「確かにティアを一生をかけて待とうとは思ってはいますが――自分の恋心を誰もが知っているのは、少し恥ずかしい気がします」ともローズに語った。
 しかし、このことを知っても未だベアトリーチェに縁談を持ってくる親は居るらしく、自分の娘が一番に愛されないと分かっているのに、それでも娘を寄越そうとする親が気に食わないとベアトリーチェはローズに言った。

 ベアトリーチェが『優良物件』である以上、それは仕方ないと思うのだが――そう考えてしまう自分は、やはり今の身分に生まれたことで、『ローズ・レイバルト』ではなく『ローズ・クロサイト』になったのかもしれないともローズは思った。
 
 ユーリについては、今回の『魔王討伐』の際の活躍から、国内外から人気が高まっているとかで、縁談の話が山ほど来ているとのことだった。
 以前ならローズのこともあり、絵姿すら見なかったらしいユーリだが、ベアトリーチェから「貴方は早く結婚したらどうですか?」という助言もあり、最近以前よりかは縁談に聞く耳を持つようになったらしいと、ロ―ズはアルフレッドたちから聞いた。

 ただこの話には続きがあり、結婚を急かしたのはベアトリーチェにもかかわらず、いざユーリの縁談が進みそうになると、ベアトリーチェは気が気でない様子になるらしい。
 その後、ローズは偶然会ったメイジスから、「結婚したら人は変わるものですよと言ったら、あの子、珍しく何もないところで転んでいたんですよね」という話を聞いたときは、ローズはベアトリーチェのことを「面倒だけど可愛い人」なのかもしれないと思った。

 婚約を結んでいたときは、「年上で余裕たっぷりな」彼ばかり見ていた気がしたけれど――ベアトリーチェの本質は、ユーリを前にした時の彼なのではと、今のローズは思う。

 「ユーゴ」と同じ永遠をも生きる命を抱えて、自信家なくせに寂しがり屋で――誰よりも、愛に飢えている。
 今のローズには、ベアトリーチェはそういう人間のように思えた。
 そうして、だとするなら自分たちは結婚したとしても結局、心を通わせることは難しかったのかもしれないと思った。
 自分たちはお互いに、本当の自分ではない姿を相手に見せていたのだから。
 「剣を捨てて彼だけの花」になろうとした自分と、「一人の大人の男」で在ろうとした彼とでは、結局お互いを偽っていたに過ぎないと。
 
 ローズは、ユーリは優しい人だと思う。
 だから、ローズはユーリが好きだ。でもそれは――リヒトに対する感情とは違う。

 レオンについても同じだ。
 リヒトを受け入れた今のレオンに、ローズは苦手意識はない。兄の友人で、大切な幼なじみだとは思う。けれどそれは、彼が自分に求める『愛』ではないと。

 ローズは結婚式を前に、レオンに告白された。
 はぐらかすのではなく真摯なその告白に、ローズは礼を述べた。
『伝えてくださってありがとうございました』
『まあ、そう言うと思ってはいたけれど』
『?』
『だってあの時、ローズは父上たちの前で公開告白したようなものじゃないか。愛される才能、だなんてね。ああ言われたら、言われるまでもないよ』
『え? あれはそういうつもりでは』
『だったら無意識? ローズは昔からいろいろ鈍いよね』
『……』
『でも僕に、向き合ってくれてありがとう』

 レオンもユーリも、二人はローズにとって大切な幼馴染だ。
 その事実は、これからもローズの中で変わることはない。
 みんなで過ごした陽だまりの記憶は、いつまでもローズの心のなかに在り続ける。
 『子ども』から『大人』になって、それぞれ違う道を選んでも、感情や交わした言葉の、その全ては思い出せなくても。
 それでも、共に過ごした時間は消えない。

 因みに、「ぶつかり合える二人」であるギルバートとミリアは、ローズたちの後に結婚式をあげる予定だ。
 全てのことが片付いて、正式にギルバートがミリアと結婚したいと言ったとき、ミリアの父は「仕えるべき主人となんて」と反対したが、ギルバートがミリアのことを「運命の人」だと言い、また一〇年間眠り続けた息子の願いということもあり、ファーガスにより二人の仲は正式に認められることとなった。

 ただ、まだ解決していない問題もいくつかある。

 全てのことの発端となった『ユーゴ』について。
 彼の墓はまだ、『春の丘』にたてることが出来ていない。
 『精霊病』や『魔王』を作った、『神に祝福された子ども』の墓は今、リヒトの願いもありクリスタロス王国の城の庭の一角に設けられている。

 小さな墓の上には、遠い記憶の中で彼が好んで食べていた果実が供えられた。
 すると供え物の果実の甘い匂いに誘われて虫が寄って来てしまい、リヒトは解決策を模索した結果、本物そっくりの偽物の果物を作ることにした。

 リヒトに芸術の才能が無いのは誰もが知っている。
 才能がない彼が作るのは、時間の無駄である。
 ただ幸い工芸品に関しては、クリスタロスはお国柄リヒトの思いつきを叶えるための人材は揃っており、加えてアカリが異世界の『食品サンプル』を例に挙げたことで、お供え物の果物だけでなく飲食店の店頭に並べるような模型についても、今はクリスタロスで制作が進められることになった。

 アカリは『異世界人《まれびと》』として、今はリヒトの助言者として、良い関係を築いている。 
 相変わらずアカリがリヒトを様付けで呼ぶのは変わらないが、以前とは違いアカリは、リヒトのことを評価しているようにもローズには見えた。

『私の世界の技術って、すごいなと思うものは沢山あるんですけど、詳しく聞いてたら、戦争がきっかけで一気に技術が進んだって話も聞いたことがあって。リヒト様って少し変わってるなとは思うんですけど、誰かを傷付けるためじゃなくて、誰かを想って、この世界になかったものを作ろうとされるところは、素直にすごいなって思います』

 アカリのその言葉が、ローズはとても嬉しかった。

 最近リヒトの周りには、彼の奇抜な思いつきを実行するために、いくつかの集団が出来つつある。 
 ローズは、彼らに自分の考えを一生懸命に説明しては、驚かれたりあきれられたりして、一喜一憂するリヒトの姿を見るのがが好きだった。

 恋心《おもい》に気付いてしまってから、ローズの生活は一変した。
 ローズは昔よりも、些細なことで笑えるようになった。
 彼が自分を瞳に映す、その瞬間の全て――彼と当たり前に過ごす日々の全てが、今のローズには愛しく思えた。
 そんなローズが、昨日のリヒトのことを思い出して微笑んでいると、アカリの視線に気付いて、ローズは慌てて真面目な表情を作った。

「ローズさん、今更真面目な表情《かお》しても遅いですよ。どうせまた、リヒト様のことを考えていたんでしょう?」
「すいません。……今は貴方と一緒に居るのに」

 ローズは、アカリに失礼なことをしたと思って謝罪した。
 だがアカリは、特に怒ってはいないようにもローズには見えた。

「それは別にいいんですけど……。やっぱりローズさん、前より雰囲気が柔らかくなった気がします。上手く言えないんですけど、接しやすい? というか……。綺麗なんですけど、可愛い? というか……」
「ありがとうございます?」

 これまで「綺麗」とは言われても、「可愛い」なんてあまり言われてこなかったローズは、アカリの言葉に柔らかく微笑んで少し首を傾げた。

「そういうとこ! そういうとこですよ、ローズさん!」
 アカリはぴしっとローズを指差した。

「上手く言えないんですけど、やっぱり、絶対前より可愛いんです! 笑い方? というか……。そしてそのせいでリヒト様の心労もハンパなさそうだなっても思うんですけど、これまでみんなを巻き込んだ分、リヒト様はせいぜい苦しめばいいんだとも実はちょっと思ってて……」
「アカリ……?」

 「ただこの件についてはみんな同意見だと思います」と腕を組んでうんうんと一人頷くアカリを前に、ローズは彼女がそう言う理由が分からずまた首を傾げた。

「ううっ! また決闘の申し込みが……」

 リヒトは、部屋に積み上がった手紙の束を見て顔を顰めた。
 このところ、リヒトには毎日のようにローズを巡っての決闘の申し出が届いていた。
 『落ちこぼれ』と呼ばれていたからこそ、『あわよくば』と思われているんだろうということはリヒトは自分も理解していたが、それにしても量が多すぎる。

「毎日戦っているんですが、量がおかしくないですか?」
「まあ、おかしくないんじゃないかな」
 リヒトの部屋で椅子に腰掛けて本を読んでいたレオンは、その問いに静かに答えた。

「最近のローズは……綺麗になったからね」
「……」
「昔は笑い方がもう少し固かった気がするんだけど。今はそう……幸せそうに笑うんだ。元々ローズは見目はいい方だけれど、花が咲くような笑い方っていうわけではなかったから」
 レオンはそう言うと、リヒトの顔をチラリと見た。

「咲き誇る美しい薔薇を目にすれば、摘み取りたいと思うのも人のさがというものだろう」
「兄上」
 すらすらと言葉を並べたレオンは、ぷるぷる震えるリヒトを見てにこりと笑った。

「なにかな? リヒト」
「……俺のこと、いじめて遊ぶのやめてください……」
「残念だけど、君のそういう表情を見るのは、僕は案外嫌いではないらしい」
 机に顔をつけて、情けない声を上げるリヒトの髪を、レオンは側によると優しく撫でた。
 まるで幼子にするように。

「……」
 リヒトはその時、あることに気が付いた。
 今のリヒトは、レオンが一〇年間眠り続けた間の意識がないことを知っている。
 だが『賢王』としての記憶の欠片がレオンの中にあるならば、レオンはリヒトより多くのことを知っているかもしれなかった。
 それはもしかしたら、リヒトのことを幼子のように思うくらいに。

 前世では弟、現世では兄。
 そんな兄に子どもにするように優しく頭を撫でられて、リヒトはなんだか照れくさくなってしまった。
 嬉しいはずなのに、慣れない。
 リヒトはほんのりと赤く染まった頬を隠すように、レオンに背を向けた。

「……そ、それでっ! あの、兄上。……父上は、今どう過ごされていますか」
 リヒトの問いに、レオンはわずかに眉間にシワを作った。

「いつも通りさ。子どもじゃないんだから、避けるのはどうかと僕も思うけどね」
 やれやれとでも言うように、レオンはため息まじりに言った。
 最後までリヒトを認めなかったリカルドは、リヒトを王太子として認め、そして落ち着いた頃リヒトに王座を譲り、王都から離れて暮すと言いだした。

「それで? リヒト。君はどうするつもりなんだい?」
「……」
 リヒトは兄の問いには答えずに、静かに席を立った。
 レオンはその背を見送りながら、ふうと息を吐いた。



 白い百合の花。
 リヒトとレオンの母が愛したその美しい庭を、リカルドは一人見つめていた。
 もうすぐ息子が結婚する。
 英雄と王太子の結婚に国中が活気付く中、彼は人を避けるかのように庭に佇んでいた。

 これまでのことを思い出し、リカルドは深く息を吐いた。
 他者の才能を理解するのも、一つの才能だ。リカルドは、それを理解していた。
 無才の凡人が、天才と呼ばれる人間を殺すことなんて、最初から知っていたはずだった。遠い日に、無能な自分の代わりに、妹がこの世界から姿を消した日に。

 アメリア・クリスタロス。
 『光の巫女』として神殿に入ったリカルドの妹は、優れた能力を持ちながら破天荒な性格をしていた。
 未来予知と治癒。その二つで、当時彼女の右に出る者は居なかった。そして、公にはされていないものの、アメリアもまた『二属性』の適性を持っていた。

 光属性と強化属性。
 彼女の公なイメージを保つため、神殿は彼女が『光の巫女』として活躍していた際は、彼女が強化属性持ちであることは秘匿した。
 しかし彼女は、その抑圧に抗うように身分を隠し神殿から脱走し、運命の出会いをした。そして彼女は、『誰よりもクリスタロスの王に相応しい』とも言える金髪に赤目の美しい男の子を産んだ。

 ローゼンティッヒ・フォンカート。
 その子どもが生まれてからというもの、生まれつき強い魔力の代わりに体の弱かった王妃になかなか子どもが出来なかったことから、ローゼンティッヒを次期国王に望む声が上がるようになった。
 騎士団に入ったローゼンティッヒは、瞬く間に頭角を現した。
 母に似た明るい性格、それでいて優しい少年の人柄はは、周囲に好感を抱かせるには十分だった。

 幼い頃はまだ、妹とは良好な関係を気付けていたとリカルドは思う。
 けれど強い魔力が尊ばれるこの世界で、リカルドは妹やその子どもと比較されては、自分の立場に不安を感じていた。

 そんな時だった。
 ようやく第一子のレオンが生まれ、リカルドは一安心した。
 美しい外見と才能を持つ子どもは、『賢王』レオンの生まれ変わりとみなが評した。だが次に生まれたリヒトは、クリスタロスの歴史上類を見ないほど、『無才の王子』だった。

 リカルドは悩んだ。
 『光の巫女』と『凡人な自分』。
 『賢王レオンの生まれ変わり』と『無才の王子』。

 自分の過去を思えば、リヒトがやがて過去の自分と同じように周囲と比べられることは容易に想像出来た。その中でリヒトが過去の自分と同じように心を痛めることは、想像に難くなかった。
 王妃の体調が以前より悪くなったせいではない。
 ただ自分の苦い記憶が甦り、リカルドはレオンの時より、生まれたばかりのリヒトに関わりを持つことが出来なかった。
 そしてリヒトが生まれてから二年ほどたった頃、アメリアが突然倒れた。

 原因は、ベアトリーチェ・ロッドを蘇生させたことによる後遺症。
 それは『光の巫女』なら、当然予知できた未来のようにリカルドには思えた。
『最初から、分かっていたのか? こうなることが分かっていて、お前は魔法を使ったのか?』
 リカルドの問いに、アメリアは曖昧に微笑んだ。
 いつも快活に笑っていた彼女が弱々しく見えて、リカルドは胸がざわつくのを感じた。

『兄様。それでも私はいつか、この選択が正しかったと、兄様もそう分かってくれる日が来ると信じています』
 見ず知らずの他人を助け、妹が死ぬことを正しいと思う日が来る筈なんてない。
 唇を噛みしめたリカルドを見て、アメリは言った。
『泣かないでください』
『私は泣いてなどいない』
 実際その時、リカルドは泣いてはいなかった。
『私は、私は……』
 ただ――涙をこらえていたというだけで。

『兄様。いつかこの世界も、魔力だけが評価される世界ではなくなります。だから、どうか忘れないでください。明るい方に、光は伸びるということを』

 言葉遊びだ。そんな日なんて来るはずはないのに。
 リカルドがアメリアとそんな言葉を交わした翌日、アメリアは部屋から姿を消した。
 そしてリカルドは妹の侍女から、アメリアは未来を変えるために異世界に行くのだと言い、一人歪みの中に消えたことを聞かされた。

 たった一人の妹だった。
 その妹は、もうこの世界のどこにも居なくなってしまった。
 『歪み』を広げるようなアメリアの行いは、この世界では現在禁じられていることの一つで、彼女の死の本当の理由が公表されることはなかった。
 花で満たされた空の棺が厳かに運ばれるのを、リカルドは見つめることしか出来なかった。

 妹がこの世界に居なくなったのに、世界はいつもと変わらず回り続けた。

 それから少しして、リカルドは『剣聖』グラン・レイバルト――過去『魔王』を倒した男に、レオンの師となることを頼んだ。
 グランは、領地からユーリという子どもを引き連れ王都にやってきた。
 彼はレオンだけではなく、ユーリや彼の孫であるギルバートも含めた指導を行うようになった。グランはレオンの才能を評価していた。
 その言葉を聞いて、リカルドは安堵した。
 だが妹に続き程なくして、最愛の王妃もリカルドの前から消えてしまった。

『どうか二人のことを、同じように愛してあげてください』

 彼女の棺には、彼女の愛した白百合の花が満たされた。
 そしてその頃、精霊病という病が世界中で発祥事例が報告され始め、リカルドは二人の息子が病を発症しないか気が気でなかった。
 幸い発症こそしなかったものの、第一王子レオンは、ある日原因不明の眠りについた。
 信じていた者たちが、愛していた者たちが一人一人自分の前で倒れる中――リカルドは妹と同じように幼いながらも強い光魔法を使える少女に、祈りを託すことしか出来なかった。

『君だけが頼りだ。お願いだ。レオンを、息子を守ってくれ。この国の、次の王を』

 結局は、力を持つ者だけが大切な者を守ることが出来、持たざる者は奪われることしか出来ない。
 眠りについたレオンの手を握り、リカルドはそう思った。
 
 リヒトが魔法を使えない代わりに、魔法道具の研究をしていることは知っていた。
 でもそれは所詮子ども遊びで、才能あるギルバートが居たからこそ成し得たことだとリカルドには思えた。
 だからレオンと共にギルバートが眠りについたこともあり、リカルドはリヒトに研究結果を発表することを禁じた。
 その魔法に『間違い』が合ったとき、まず矢面に立たされるのは間違いなくリヒトであり、リカルドはその時に、リヒトを庇うだけの力は、自分にはないように思えた。

 たった一人残された息子を――リヒトを思い守ろうと思えば思うほど、いつの間にかリカルドは、自分が幼い頃から向けられていた言葉と同じ言葉を、リヒトに向けるようになっていた。
 そうする内に、いつの間にか幼い頃は妹に似た笑みを浮かべていたリヒトは、リカルドを真っ直ぐに見ることすらなくなった。
 
 自分がどこで何を間違えたのか、リカルドには分からない。
 ただどんな過去があったとしても、それは結局、その人間の都合でしかないと、今のリカルドは思った。
 そして自分がリヒトにしてきたことを思えば、息子から離れることが『正解』だと彼は思った。
 これ以上自分の存在が、リヒトを傷つけることのないように。

 リカルドがそう思い、庭を立ち去ろうとしたとき――聞き慣れた子どもの声が、彼のことを呼び止めた。


「――父上」

 
 一度足を止めたリカルドは、それから何も聞こえなかった振りをしてその場を去ろうとした。
 そんな父を、声は再び呼びとめた。

「父上。逃げないでください」

 リカルドはその言葉に再びピタリと足を止めたものの、振り返ろうとはしなかった。

「……リヒト」

「最近、ここにいらっしゃることが多いと聞いたので」

 リカルドはその言葉を聞いて、ポツリつぶやくように言った。

「……彼女も、あの子も。この場所を愛していたから」
「あの子とは……俺の、伯母上のことですか?」

 リヒトの問いに、リカルドは静かに頷いた。
 
 『光の巫女』と母の仲が良かったという話は、リヒトは後から兄に聞いた。
 昔から体の弱かった母の治療は、そもそも『光の巫女』が行っていたらしいということも。
 だからその『光の巫女』が亡くなったからこそ、後を追うように母は亡くなったのかもしれないと、リヒトはレオンに聞いた。

「伯母上は、どんな方だったのですか?」

 『光の巫女』のことを父に尋ねるのは、リヒトがそれが初めてだった。
 と、いうより――父と話というものを、リヒトはこれまでほとんどしたことがなかった。

「妹は、優秀な人間だった。私と違い誰からも、妹はその能力を認められていた」

 兄弟での才能の差。
 それはどこか、リヒトとレオンと似ていた。

「『炎属性』に適性がある。私が妹より『王の資質』があるとするなら、その一点だけだった。だから私はいつだって、私を慕う妹が、愛しいのに憎らしかった」

 リヒトだって、レオンが嫌いではなかった。
 でも、周囲の人間に比べられて心ない言葉を吐かれる度に、いつからかリヒトも、兄のそばに立つことが苦しくなったのは事実だった。

「陽だまりのような妹だった。まるで彼女がその場にいるだけで周囲が明るくなるような、妹はそんな人間だった。そしてその子どもは金色の髪に赤い瞳を宿して生まれ――力を隠してこそいたが、私の二人の息子よりも優れた力を持っていることは、疑いようはなかった」

 今のリヒトなら、ローゼンティッヒを上回る。
 けれど『賢王』の転生者とされるレオンでさえ、一〇年の月日を魔法の研鑽にあてたとしても、ローゼンティッヒと肩を並べるのが精一杯だったはずだ。
 ましてや彼には『強化属性』持ちの妻がいて、なおかつリヒトたちより、ずっと早くに生まれているのだから。

「魔力の低い王など受け入れられるはずがない。――お前に向けた言葉は全部、かつて私自身が、自分に向けた言葉だった」

 リカルドは、美しい花に触れて言った。その手は、かすかに震えていた。

「お前や、眠りについたレオンより、妹の子のほうが相応しいという者さえいた」

 父が母を愛していたことを、リヒトは知っている。
 それは、王としてでは一人の人間として。
 
 だとしたら、それは――。二度と目覚めないかもしれない我が子を切り捨てるような言葉を吐く者たちの声は、父の目にはどう写ったのだろう? リヒトは、考えると胸が苦しくなった。

「弱い私では……お前が『失敗』した時に、力の弱い私では、お前を守ってやることができない。だから私は、お前が新しいことをなすことを禁じた。結局私は、大国の王のように振る舞うことなど出来なかった。お前を認め評価できるほどの力が、私にはなかった」

 ずっと、自分の道を阻んでいたはずの大きな壁。
 それが今は、今のリヒトには、何故かとても小さく見えた。

「私がそばにある限り、お前は私を思い出すだろう。……だから」

 リカルドは振り返り、リヒトを真っ直ぐに見つめて言った。

「お前を、私から解放する」

 どこか、寂しそうに笑って。
 リカルドはリヒトに言った。

「私のことは王とも、親とも思わなくていい。存在しなかったようにも扱えば良い。事実私が王になって成したことなど微々たるものだ。これからお前が成すことを思えば、居ても居なくても変わらぬほどの。だから――」

 しかしそのリカルドの言葉を遮るように、リヒトは言った。


「許しません」


「……今、なんと?」
 
 リカルドは、思わず聞き返していた。
 自分の息子なら、喜んで聞き入れるだろうと思っていたのに。

「貴方が俺から逃げることは、許さないと言いました」

 リヒトはもう一度、はっきりリカルドに言った。
 リカルドは、思わず目をまたたかせた。予想外の事態に、どう反応していいかがわからない。



 『光の巫女』、アメリア・クリスタロス。
 彼女はかつて、ベアトリーチェの命を救った。
 それから数年後、彼女は『死んだ』とされている。けれどその体は――実は、今この世界にはない。
 リヒト自身、この事実を知ったのは最近だった。
 そして、アカリが生きてきた異世界に存在していた『Happiness』というゲームには、クリスタロスの言葉でこう書かれていた。

【これは私が、未来を変えるために紡ぐ幸福の物語。私がこの国を守ると誓う。たとえそのために、この命が潰えても。 アメリア・クリスタロス】

 『光の巫女』が強化魔法の使い手であることは、公式の記録では完全に伏せられていた。
 神託を賜るような高貴な女性が、強化魔法の使い手であることを、神殿は隠したのだ。
 強化魔法は己と他者を強化する。
 そしてその力は、『運命を打ち破る者に与えられる』とされる。

 『光の巫女』がベアトリーチェを救ったからこそ、ローズちは魔王を倒すことが出来た。
 『光の巫女』が不在だったからこそ、ローズは兄やレオンのために己を磨いた。
 アカリにとってこの世界が偽物で、ローズだけが本物だったからこそ、アカリはローズのために『守護』の力を使うことが出来た。
 リヒトを中心とした『今』の全ては、『光の巫女』の行動なしでは有り得ない。
 この事実に気づいた時に、リヒトは考えた。
 『光の巫女』が命をとしてまで救いたかったのは、救いたかった世界の中心には――一体誰がいたのだろうと。
 
 愛すべき人。
 夫や子どものことだけを思うなら、もしかしたらいつか滅ぶ世界であっても、最期の時を共にするという決断だって出来たはずだ。
 ――なら。
 彼女がずっと、幼い頃からずっと、救いたかったのは。
 変えたかった、『世界』は。
 ローズとは違って、結局たった一人、自分の命を賭けることを選んだのは。

「俺と貴方は、ある意味似ているかもしれないと思うんです。俺も昔アカリのことを、部屋にとじこめてしまった。それが、自分にできる最善だと思っていたから。でもそれは、今思えば、父上が俺にしたことと同じでした」

 親を見て子は育つという。
 だからだろうか。リヒトはリカルドが自分にされたことを、かつてアカリにしてしまった。
 かつて自分が、そうされたことで苦しんだことすら忘れて。

「貴方がこれまで、どんなふうに育てられたのか。どんな風に生きてきたのか。その中で、感じたこと。『分かって欲しい』――もしかしたら貴方は今、俺にそう思っているかも知れない。でもそれは、これまでの俺にとって、何の意味も無かったことなんです。俺が知ることが出来る貴方は、他者が語る貴方であり、そして何より、俺が知る貴方で。兄上とは違う俺を、どうしようもなく無力な俺を、その努力も思いも、無駄だと言った貴方でしかなかった。貴方は『クリスタロスの国王』で、ロイのような大国の王ではなかった」
「……」
「でも、どう嘆いても、過去を変えることなんて出来ない。あの時ああして欲しかった。ああ言って欲しかった。勿論、俺自身の責任もあります。だから全て、貴方が悪かったとは俺は言いません。……ただ、これだけは、言わせてください」

 リヒトは深く息を吸い込んで、父にずっと伝えたかった言葉を口にした。

「俺は、貴方に信じて欲しかった」

 その言葉を口にした瞬間に、ずっと胸にしまっていた感情が溢れ出すのをリヒトは感じた。

「兄上じゃなくて、俺のことも、ずっと信じて欲しかった。――……だって」

 泣きそうになるのを必死に堪えて、リヒトは言った。

「愛することは、信じることだ」

 リカルドはその言葉を聞いて、大きく目を見開いた。
 そうして子どもの瞳が僅かに揺れているように見えて、リカルドはぐっと拳に力を込めた。

「今更言ったとしても、過去は変えられない。ただ俺はこの不幸の連鎖を、俺はここで断ち切りたい。俺はもう、貴方の庇護がなくても生きていける。だからこそ今俺は、一人の人間として、貴方に向き合いたいと思うんです。俺はもう、逃げません。これまでのことからも、これからも。だから貴方も、俺から逃げないでください。貴方が俺に対して負い目があるなら、今、そう感じているのなら。一生を賭けてでも、証明してください。人は変われるいうことを、今度は貴方が、俺に教えてください。それが俺が貴方に望む、唯一の贖罪です。――……父上」

「……リヒト」

 リカルドは、リヒトに手を伸ばそうとしてやめた。

「過去の私の行動を、許してくれとは言わない。……それでも、これだけは、言わせて欲しい」

「?」

「こんな私を、もう一度信じようと思ってくれてありがとう。私の子どもとして、生まれてくれてありがとう。きっと彼女も、そう思っていることだろう」

 その時。
 父の心からの笑顔を、リヒトは久々に見たような気がした。
 リヒトは何も言えなかった。
 もしかしたらそれは、自分が生まれたときに、父が自分に向けてくれたかもしれないもの。
 覚えていなくても。きっと、思い出せなくても――リヒトは心は、確かに覚えているような気がした。
 
『リヒト様さえいらっしゃらなければ』
『陛下に嫌われているのは、リヒト様のせいで王妃様が――……』
 
 心ない誰かの言葉を、知らなかったわけじゃない。だからこそリカルドのその言葉が、リヒトは心から嬉しかった。

 ――やっと。……やっと。
 
 リヒトはその時ようやく本当の意味で、自分を許せたような気がした。

 リヒトは父に背を向けると、前に足を踏み出した。



「リヒト」
「……兄上」

 リカルドと話を終えたリヒトを、レオンは待っていた。

「父上のこと、許すのか」

 レオンの問いに、リヒトは足を止め、曖昧に微笑んだ。

「……許すとか許さないとか、そういうことじゃないと俺は思うんです。そんな簡単な言葉で片付けられるなら、きっと誰も苦労なんてしない。俺は大事なことは、気持ちに『区切り』をつけることだと思うんです」

「区切り?」

「父上とのことがなかったら、もし俺が魔法が使えなくても、ロイみたいに父上が俺の魔法道具を認めてくれていたら――俺がローズや兄上に対して抱いていた感情も、きっと今とは変わっていたはずです。こんなふうにローズを傷つけて、アカリのことを振り回すこともなかった。でも俺は、それは『俺の罪』だと思うんです。……前世の自分のせいたからだとか、そういうことではなくて」

 リヒトは胸に手を当てた。

「たとえ自分が傷ついたからとしても、誰かを傷つけていい理由にはならない。傷付けた時に、きっと自分も『同じ』になってしまう。そのためにこの不幸の連鎖を、俺はここで断ち切りたい。だから俺は、父上にも変わることを願っています。俺を選んでくれたローズや、俺を信じてくれるたくさんの人の俺が出来る贖罪は、きっとこれからの俺で、証明することでしか出来ないと思うから」

 『変わること』――父に願ったそれは、リヒト自身の誓いでもあるのだ。

「自分に向けられた言葉は、一生消えることはありません。悲しかったこと、悲しかった時間。もしそれがなかったら、俺はもっと早く、前へ踏み出せたこともあったかもしれない。その思いは、これからも俺の中にあり続けます。その全部を許せるかと言われたら、俺だって……もしかしたらこれからも、思い出しては、胸が苦しくなることはあるかもしれない」 

 自分を変えることは自分で出来ても、他人を変えることは難しい。
 血が繫がる家族だから、全てが許せるわけじゃない。
 いいやむしろ、家族だからこそ――期待が裏切られる度に、また胸は痛むだろう。

「詰まるところどんな過去があったとしても、一人の人間としてみたときに、一緒に居て欲しいかどうかだっても思うんです」

 父は――『リカルド・クリスタロス』という人間は、決して『悪人』ではない。
 今のリヒトにはそう思えた。

「もし側に居て欲しいと思うなら、共にありたいと思うなら、どんな過去があったとしても、それを受け入れるしかない。……ただもしかしたら、心では一緒に居たいと思っても、体が付いていかないということもあるかも知れない。そしてこの選択が正しいとかそうじゃないとか、そう議論することは無意味だとも俺は思います」

「……どうして?」

「自分にとってのその時の『最善』は、他の誰かの『最善』だとは限らない。誰かの気持ちを完全に理解できる人間なんて、結局はどこにもいないんだから」

 もし自分の心の『理解者』だと、『代弁者』だと思う相手と出会ったとしても、そこにはきっと問題を抱える当人の、『期待』や『理想』が入りまじる。
 決断をできるのは当人だけだ。
 同じ人生を歩む人間なんてこの世界にはどこにも居ないのだから、他人《だれか》の決断に、他の誰も、口出しする権利はない。

「誰かに与えられた道《せんたく》を進むのは簡単で、でもその道が自分にとって『過ち』だと思ったときに、手を差し伸べた誰かのことを、憎んでしまう瞬間もあるかも知れない。だから俺は、いつか後悔したとしても、その責任は俺の中にとどめていたい。大切な誰かを嫌わなくて良いように、どんな未来であっても、向き合うべきは、過去の自分であるために。俺は、『神様』ではありません。これからのことは、俺にはまだ分かりません。でもこれが――『今の俺』の選択です」
 
 リヒトは空を見上げた。
 空は快晴。美しい青の色を見つめていると、リヒトは自分の心も晴れるような気がした。

「……それにきっと、『明るい方に光は伸びる』」

 差し出された手を掴んだからこそ、今のリヒトがいる。
 だから今度は、自分が掛けて貰った思いの分、違う誰かに手を差し出したいとリヒトは思った。
 相変わらず王侯貴族らしくないリヒトの言葉に、レオンは目を瞬かせた。

「……ああ、そうだね」 

 美しい希望の光。
 それは白百合のような、純粋で無垢なものではない。
 ――それでも。
 泥の中に咲く花もまた、きっと美しいに違いない。
 迷いながら弟が辿り着いた結論を祝福するかのように、レオンは笑って頷いた。
 そうして彼は、母の遺品である懐中時計を優しく撫でた。

「それって母上の……?」
「ああ。そうだ」
 レオンは頷いて――じっと時計を見つめる弟に少し不機嫌そうに尋ねた。

「……何ずっと見ているのかな」
「あっ。いえ、ただ綺麗だなあって思って」
「これは僕のだ。君が欲しがっても、これだけはあげないよ」
「べ……別に俺は、『欲しい』だなんて言ってません!」

 リヒトの返答に、レオンは思わず笑ってしまった。
 自分の全ては弟に奪われたと思っていたレオンに、母が遺してくれたもの。
 大切な人がこの世界からいなくなっても、変わらずに時は動く。
 この世界で時間だけは、平等に与えられる。
 止まっていた時が動く音を聞いて、レオンは笑った。

「兄上、そんなに笑わないでください。……父上とは話も出来ましたし、そろそろ俺はローズのところに行ってきます」

「ああ。行ってらっしゃい」

 レオンは笑ってできた涙を指で拭って、弟を送り出した。
「ローズ!」
「リヒト様?」

 リヒトがローズを見つけたとき、ローズはアカリとは話をしていた。
 籠を下げたローズの手には、小さなお菓子が握られている。
 テーブルがあるわけでもないのにどうしてだろうとリヒトが思っていると、リヒトは自分の顔や頭に軽い衝撃を感じて目を瞬かせた。

「いてっ!」
「こらこらみんな、リヒト様をいじめたらダメ」
 見えない『何か』に向かい、慌ててアカリが言った。

「……もしかして、そこに『いる』のか?」
「はい。風の妖精と木の妖精がいます」

 アカリは苦笑いしながら答えた。
 アカリは『精霊の愛し子』だ。
 自分には見えずとも彼女には見えているらしい存在の行動に、リヒトは少し落ち込んだ。

「……俺は、妖精たちに嫌われているのか?」
「嫌われている……というよりは、そもそも妖精は妖精の愛し子にしか懐かない、みたいなところがあるようで。ただ妖精は甘いものが好きですから、美味しいお菓子をくれる人間であれば好きになることはあるらしくて」

 リヒトは、ローズがお菓子を持っていた理由を察した。

「なるほど。……じゃあこれはどうだ? 彼らに俺も気に入ってもらえるだろうか?」
 リヒトは、苺のお菓子を取り出して手のひらの上に置いた。
 すると、その瞬間リヒトの手のひらの上に小さな風が起こり、お菓子が消えて代わりに古びた木が現れた。

「……菓子が木になった?」
 リヒトは目を瞬かせた。

「リヒト様、この木、すごくいい香りがします。もしかして『香木』ではないでしょうか?」
「流石です。ローズさん。この世界でどのように使われているかは分かりませんが、この木、私の世界だと金と同じくらい価値があるものですよ」
「ええ!?」
「妖精と人間の価値観は違うので、彼らからしたらいい香りがする木をあげた、位の感覚だとは思うんですが……」

 アカリは困ったように笑った。

「リヒト様。ローズさんに用があって来たんですよね? この子たちにお菓子をあげる約束もしていましたし、私は少し席を外しますね」
 アカリはお菓子の入った籠を持って二人から離れた。
 二人きりになったリヒトは、ローズに口付けようとして――ローズに背負い投げされた。

「リヒト様、ダメです」
「だから、なんでダメなんだよ!」
 ふわっと体が宙に浮いたと思ったら、地面に下ろされていたリヒトは思わず叫んだ。

「いいだろ。もうすぐ結婚するし、別にへるもんじゃないし!大体すでに一度――」
「あれは貴方が勝手になさったことで、私が許可したことではありません」
 ローズはきっぱり言った。
「とにかく式の時まではだめです」
「~~~~!!!」

 ローズにすげなくあしらわれ、リヒトは肩を落として帰路につくことになった。
 その姿を遠目に見ていたアカリは、リヒトが小さくなるのを見てからローズに尋ねた。

「ローズさん、それってこの世界の風習か何かですか?」
「え?」
「結婚前に、キスしたらダメって」

「いえ、別に決まっているわけではありませんね。というより、アカリの世界とはそもそも結婚についての意識が違う可能性もあります。式まで相手が分からないこともありますし、恋愛結婚というのは、この世界ではかなりまれなことですから」

「じゃあなんでダメって言ったんですか?」
「それは――……」
 ローズは、立ち止まってアカリに向かって笑った。

「あとでアカリにも教えてあげます」



 ローズとリヒトの結婚式の準備は国を挙げて行われ、その参列のため、ロイとロゼリアも再びクロスタロスへとやってきた。
 大国の王と皇女。
 そして何より友人である彼らを迎えるために、リヒトは飛行場にわざわざ出向いて二人を歓迎した。

「随分と疲れた顔をしているな」
「だって、昨日まで毎日決闘を挑まれていたんだぞ……?」

 リヒトは、ロイの言葉にげんなりとした表情で答えた。ロイはその言葉を聞いて笑った。

「いいじゃないか。良い訓練になって。それに戦うことは、彼女への思いの証明になる。君は彼女を、他の男にくれてやるつもりはないんだろう?」
「当たり前だろ。ローズのこと何も知らないやつに、簡単に奪われてたまるかよ」
「ふうん?」
「な……なんだよ」

 『記憶』を取り戻してからというもの、リヒトは前世《いぜん》と同じように親しく文を交わすことも増えていた。

「君は、よほど彼女のことが大事らしいな?」
「だ……大事で悪いか」
「いいや。実に喜ばしいことだろう。思い合う相手と結ばれる。これほど幸せなことはない」

 ロイが、そう話した時だった。
 花の冠をつけたシャルルがロイの元へと走って駆け寄って、勢いよく彼に抱きついた。

「王様、王様! 花の飾りをいただきました!」
「……よかったな。よく似合っている」
 精一杯背伸びをして、ロイを見上げて目を輝かせて嬉しそうに話す。
 シャルルの頭を、ロイは優しく撫でた。

「ロイ。お前……」
 ――もう、好意を隠すつもりは無いのか。

 リヒトが、幸せそうに少女を見つめるロイの顔を見てそう尋ねようとしたところ――アカリがシャルルを見つけて、リヒトたちの元へと走ってきた。

「わ~~!! シャルルちゃんだ! 久しぶり! 元気? その服すごく可愛い! またちょっと大きくなったね!」

 アカリはシャルルを抱き上げると、くるくるその場で回った。
 レースを施したドレスは、花のようにふわりと広がる。

「はい。私は、日々大人になっているのです」
 アカリがシャルルを地面に下ろすと、シャルルは誇らしげに言った。

「先日、王様の隣の部屋に自室をいただきました。部屋と部屋が実は繋がっているので、会いたくなったら廊下に出なくてもすぐにあいにいけるのです!」
「へ~~?」

 その部屋の位置は、どう考えても過保護が過ぎる。
 シャルルが自慢げに語った内容に、アカリはにこりと笑ってロイを見て言った。

「……『思い合う相手と結ばれる。これほど幸せなことはない』」
「やめろ七瀬明。……というより、何故知っているんだ」
「『精霊の愛し子』をなめないでください。ああ、結婚式には呼んでくださいね! 私、『光の聖女』として精一杯お仕事頑張るので!」

 清廉潔白な聖職者のように、アカリは綺麗に微笑んだ。アカリはローズの衣装同様、シャルルのドレスも祝福を施す気満々だった。

「どなたかの結婚式で、我が国にいらっしゃるのですか?」
 だが当の花嫁《シャルル》は意味が分からず首を傾げた。

「はあ、全く……。まだ道は遠いですね」
 自分のこととなど夢にも思っていないシャルルを見て、やれやれとアカリは首を振った。
「おい。まさか、ロイ。まだ言っていないのか?」

 リヒトはロイに小声で尋ねた。
 幸い本人にはバレていないとしても――シャルルへの彼の瞳には、彼女への愛情が溢れすぎている。

「やめろ。哀れみの目を俺に向けるな。――リヒト・クリスタロス。そんな顔をしていられるのも今のうちだけだからな」
「?」
「明日の余興は楽しみにしている」
「余興……?」

 リヒトはロイの言葉の意味が分からず首を傾げた。
 ローズとリヒトの結婚式は、盛大に行われた。

 古代魔法だけではなく、リヒトが作った新しい魔法も式では使われることとなった。
 学院の宴の席を盛り上げる天才双子のマリーとリリーも、式を行うにあたり協力を申し出た。
 双子はリヒトを気に入っていたらしく、『存分にやるとよいのです!』『遊び心は大事なのです! 協力してやるのです!』とリヒトの師匠を気取っていた。
 アカリは『愛し子』として、妖精たちに願って二人が歩く度に、花が咲く道を用意した。
 会場を彩るベアトリーチェが育てた花は、結婚式当日に大輪の花を咲かせ、招待客の目を楽しませた。

 完璧な結婚式。
 その式は、そう言うに相応しいものだった。
 ――だが。
 リヒトがローズに誓いの口付けをしようとしたとき、それを制止する声が響いた。

「その結婚、待った!!!!!」
「え?」

 リヒトは目を瞬かせた。
 振り返れば何故か、招待客の内数名が手を上げて、好戦的な目をこちらへと向けているではないか。

 リヒトは無言で父の方を見た。 
 リカルドは予想外の事態に一瞬顔を曇らせて、こほんと咳き込んでから静かに言った。

「……どうするかは、お前が決めなさい」

 それは丸投げと同義だった。
 その中には何故かロイも居た。リヒトは顔を引きつらせた。

 ――くそ。まさか、『余興』ってこれかよ!!!

「どうした? さっさとはじめよう。今の君なら余裕だろう? 七回の決闘くらい」

 ロイはにこりと笑って言った。
 ミリア、アルフレッド、ジュテファー、ユーリ、ロイ、アカリ。
 手を上げた六人は、リヒトの前に立っていた。

「貴方が本当にお嬢様を守れる方かどうか、試させていただきます!」

 リヒトは、ミリアからの攻撃を避けるために外に出た。
 強化魔法の使い手であるミリアが建物の中で本気を出したら、倒壊してもおかしくはない。
 逃げたリヒトを、他の人間も追いかける。

「お嬢様を悲しませたら、絶対に許しません! 地の果てまで追いかけて、必ず後悔させます!」

 リヒトは、少しだけ傷ついた赤い指輪の石に口付けると、ミリアと同じく強化魔法を発動させて彼女の手を払った。
 『光の王』は武術もおさめていたということもあるけれど――最近のリヒトは、ローズを抱き上げられなかったことを後悔して体も鍛えていた。

 続いて、ジュテファーとアルフレッドがリヒトに向かって魔法を放った。
「ローズ様にはお姉様になっていただくはずだったのに!!」
「そこかよ!?」
「叔父になる覚悟を決めてたのに!」
「気が早い!!」
 
 リヒトは思わずつっこんだ。
 雷属性と地属性。
 異なる魔法を放たれたリヒトは、空中に光の階段を作り出すと、それを素早く駆け上がってた。
 二つの魔法がぶつかり合い、大きな衝撃で砂埃が舞う中、リヒトはとん、と軽く光る階段の踏み板を蹴って、くるりと一回転して地面に着地した。
 景色がはっきりとしない。
 リヒトがきょろきょろとあたりを見渡していると、砂埃の中を隠れ、鋭い剣先がリヒトのふいをついた。

「ローズ様を泣かせたら、次は本当に『嫌い』になります!」
 ユーリはそう言ったが、昔からリヒトに甘いユーリでは、リヒトに傷を負わせることは出来なかった。

「久しぶりに、腕試しといこうじゃないか。……シャルルの前で、簡単に負けるわけにはいかないしな」

 全ての属性の精霊晶を持つロイは、楽しそうに笑って魔法を発動させた。
 小声でロイが呟いた後半の言葉に、リヒトはキレ気味に叫んだ。

「お前は別にローズのこと好きじゃないなら俺に挑むなよ! というかお前の場合さっさと本人に言えよ! 八つ当たりは大人げないぞ!」

 リヒトの言い分はもっともだった。
 六人目はアカリだった。

「ローズさんのこと泣かせたら、私はローズさんのこと攫って国を出ます!」
「さら……? あ、アカリ……?」

 『光の聖女』が本来の力を行使できるようになり、『愛し子』でもある今のアカリは、人間には不可侵の『妖精の森(シルフィード)』に人間を隠すことも可能らしかった。

 暗にそれをほのめかされ、リヒトは少し慌てた。
 だがローズの幸せを願うアカリがリヒトに向けたのは、攻撃ではなく回復の魔法だった。
 これまで五人との闘いで消費した分の魔力が回復するのをリヒトは感じた。
 リヒトはアカリの真意が読めずにいた。
 まるでこれでは、大きな闘いを前に聖女が勇者に行う祝福のようではないか――。

「ん?」
 ――そういえば、七回とか言っていたな。

 リヒトはロイの言葉を思い出して首を傾げた。
 七というのは、『祝福の数字』であることはリヒトも認識しているが、果たしてわざわざ結婚式の誓いの口づけの前に決闘を申し込むのが祝福であるかは謎だ。

「七人目……最後の一人は、一体誰だ?」

 そしてリヒトはようやく、自分が戦っていた理由であるはずの愛しい少女が、見当たらないことに気が付いた。
 ローズが居ない。
 どうして? と辺りを見渡したところで――リヒトは結婚式のドレスではなく、純白の軍服に身を包んでいるローズを見つけた。

「……ローズ?」

 なぜ彼女が今、騎士の服を――?
 リヒトが理解できず彼女の名を呼んだとき、ローズは『光の王』の赤い石を欠いた聖剣を手に静かに言った。

「お待たせしました。私が、最後の一人です。リヒト様。さあ、最後の勝負を始めましょう」

 その瞬間、ローズはリヒトに向かって水の魔法を放った。
 強者の証である赤い瞳。
 全属性を扱えるという素質。
 拮抗した二人の力はぶつかり合い、爆風での被害を防ぐために、ロイやアカリ、ユーリが光の障壁を作り出す。
 攻撃は常に、ローズから繰り出される。
 リヒトはローズに怪我を負わせないように、ローズの魔法を可能な限り安全に無力化させていた。

 強い魔法を扱える人間がいることを示すこと――王族の結婚式では、自身の魔法を披露することがままあるが、リヒトとローズのそれは、明らかに『世の普通』を凌駕していた。
 『剣神』と三人の王の一人『光の王』との闘いに誰もが注目する中――防戦につとめていたリヒトは闘いを終わらせるため、少しだけ強い魔法を放った。
 ローズはその魔法を防ごうと魔法を発動させたものの、二つの魔法は重なり合って大きな爆発が起きてしまった。

「ローズ!」

 しまった。自分今はの方が、力が強いのかもしれない。そのせいでローズに怪我を負わせてしまったのかと思って、リヒトは慌ててローズへと駆け寄った。
 砂埃が落ち着き視界が開けると、そこには少し傷を負った彼女が倒れ込んでいた。
 リヒトはローズの体を抱き上げた。
 目立った外傷は見当たらないが、もしかしたら爆風で脳震盪でも起こしたのかもしれない。
 目を開かない彼女を見て、リヒトは胸が締め付けられるのを感じた。

 ――嫌だ。せっかく思いが通じ合ったのに、彼女には笑っていてほしいのに。自分が彼女を傷つけてしまったなんて。

「……ローズ……!」
 動かない彼女の体を、リヒトは強く抱きしめる。
 しかしその瞬間、首元にひやりとしたものを感じて、リヒトは大きく目を見開いた。

「――貴方の負けです」
 その光景は、彼女が騎士団に入団した時と似ていた。冷静に敗北を告げるその声は、身動き一つとることを許さない。

「これが刃物であれば、貴方は死んでいますよ。リヒト様」

 形勢逆転だ。
 リヒトがローズから手を離すと、ローズはそのまま彼を地面に押し倒した。
 それは初めて二人が出逢った時のように。
 仰向けになった彼の耳のそばに、ローズは氷で作られた短剣を突き刺した。
 リヒトは瞠目した。
 何が起きているのかが理解出来ない。

「……ろ、ろーず……?」
「貴方なら、私が気絶したふりをすればこうなさると確信していました」

 目を瞬かせるリヒトに、ローズはいつものように落ち着いた声で言った。

「貴方がどんなに強くても、貴方は私には勝てない。貴方を倒せるのは私だけ。貴方は私のものです。誰にも貴方を奪わせない。たとえそれが、貴方自身であったとしても。貴方の命は、貴方一人のものじゃない」

 リヒトは動けなかった。
 自分を見下ろすローズの瞳が、涙で濡れているように見えたから。

「もう二度と、勝手に死ぬのは許しません。次に貴方がそうすれば、私はこの命を持って貴方を生かす。私の命は貴方のもの。私を殺したくなかったら、死なないでください。もう二度と、私を置いていくことは許しません。貴方は私のもの。そして私は、貴方のものです」

 その言葉はかつて、ロイがシャルルにおくった言葉。
 ローズの言葉をロイの側で聞いていたシャルルは、そのことを思い出して頬を少し赤く染めた後、ロイの服の袖を小さな手で少しだけ引っ張った。

「愛しています。――『私の王様』」

 ローズはそう言うと、自らリヒトに口付けた。

「おめでとうございます!」
 口付けに合わせ、二人を祝福する声が上がる。

「……ろ、ローズ。あのな、普通こういうのは俺がかっこよくだな……」

 ローズの口づけは確かにずっと望んでいたことだったが、自分の思い描いていた未来と違いすぎてリヒトが不満を述べようとすると、ローズに低い声で名前を呼ばれ、手を握られて、リヒトは顔を真っ赤に染めた。

「リヒト様」
「な、なんだよ」
「人には、向き不向きがあるのです」
「つまり、俺が不向きだと!?」

 ローズの言葉に、リヒトは反射的に突っ込んでいた。
 確かに、『かっこいい』も『王子様』も、ローズの方がぴったりかもしれないけれど……。
 まさか劇の中だけでなく、まさか現実でも姫扱いされる日が来るなんて、リヒトは思ってもみなかった。
 せめて今日くらいは、自分が彼女をリードしたいと思っていたのに――リヒトがそう思っていると、二人のやりとりを見ていたロイが声を上げて笑った。

「あはははは! この国の人間は、本当に昔から愉快だな」
「……全く、あいかわらず前代未聞だわ」
 笑うロイを見て、ロゼリアが腕を組んで溜め息を吐いた。

「確かに、王族の結婚式で、女性に押し倒されて誓いの口付けをされたのは、俺が知る限りこれが初めてだな」

 くくくと笑うロイを見て、リヒトは諦めたかのように息を吐いた。
 リヒトは正直、自分が笑われるのは少しだけ不満だったが、それをきっかけに周囲の人間が楽しそうに笑う姿は、嫌だとは思えなかった。

「二人とも五月蠅い。……いいんだよ、もう。俺たちは、俺たちなんだから」
「リヒト様」
「ああ。わかってる」
 ローズに促され、リヒトは頷いた。

「今日は俺たちのために集まってくれてありがとう。今日ここに集まってくれた人に、全ての人に――たくさんの幸福がありますように」

 ローズとリヒトは視線を合わせて、それから紙の鳥の魔法を発動させた。
 四枚の葉を咥えた鳥たちが、一斉に飛び立っていく。
 全ての鳥が飛び立っても、花籠の中に四枚の葉はまだ残っていた。
 すると二人の結婚式を側で見守っていた白い天龍は、リヒトから花籠を奪うと、高く空へと羽ばたいた。

 フィンゴットが咥えた花籠からは、四枚の葉が降り注ぐ。幸福の葉を咥えた紙の鳥は、世界中へと飛び散っていく。

 雲ひとつない青い空を、白い鳥は翔けていく。
 どこまでも、どくまでも遠く、遠くへと――……。

【騎士の結婚編 了】