勇者の専属鍛冶師、引退して山を買う~極めたスキルで理想のセカンドライフが始まりました~


 俺達はジュリア達が去るのを見守ってから、とりあえず小屋に戻ってきた。
 エルフの里の皆は今頃戦っている頃だろうか……。
「ふわぁ~」
 と大きなあくびが出る。
 明らかに気の抜けている俺に対して、シュリの方は不安そうな様子をしている。
 なぜだろうか……と思ったがすぐにわかった。
 そういえば彼女は、ナージャのことを詳しく知っているわけではないのだ。
「安心して大丈夫だぞ、シュリ。ナージャは天才だ」
「天才……ですか?」
「ああ、少なくとも俺はあいつ以上のヒーラーを見たことがない。ナージャが向かったんだ……里のエルフ達は誰一人、死にやしないさ」
「ラックさんがそう言うんなら……信じます」
 彼女は伏し目がちだった目を開き、薄く笑う。
 俺の言うことを信じてくれようとしているその健気な態度に、思わず心がどきりと高鳴った。
「ちなみに知ってるかはわからないが、ナージャは『仮初めの英雄』のヒーラーだ」
「かりそめのえいゆう……って、『仮初めの英雄』ですか!? あの魔王を討伐した!?」
「なんだ、知ってるのか」
「もちろんですよ! 超のつく有名人じゃないですか!」
「そうか?」
 まだひよっこだった時の頃から知っている俺からするといまいち実感がないんだが、たしかに街でも時折『仮初めの英雄』の話は聞くことがあった。
「『仮初めの英雄』を呼び出せるラックさんって、一体何者なんですか……?」
「ただの鍛冶師だよ」
「ラックさんがただの鍛冶師なわけないじゃないですか!」
 うーん……別に俺自身は普通の鍛治師だと思うんだけどな。
 特別に才能のある鍛冶師でなくとも、恵まれた環境で何年も技術を磨き続ければ俺くらいにはなれると思う。
 やっぱり俺なんか、運が良かっただけの普通の鍛冶師さ。
「まぁ別にそれはいいさ。とりあえず俺は今日から、また何日か作業部屋に籠もろうと思う」
「今度は何を作るんですか?」
「とりあえず替えの包丁とフライパン……後はまぁ、意欲作を一つってところかな」

 今のこの小屋には、まともな包丁がない。
 シュリは解体用のナイフを使ってなんとか素材を切っているのだが、やはりオリハルコン製の包丁の時と比べるといくらかやりづらそうにしている。
 それに代用として使っている深底フライパンも火力のせいで焼き加減の調節が難しそうだったので、とりあえず包丁とフライパンはもうワンセット作るべきだろう。
 『絶対切断』はやり過ぎだったから、切れ味の方はあまり弄る必要はないだろう。
 強力なエンチャントをつけなくていいならオリハルコンを使うのはもったいないので、今回はどちらもミスリルで作っていこうと思う。
 金属ごとに微妙にやり方が違うから、忘れないうちに加工していかなくちゃな。
 それじゃあまずは包丁の製作からだ。
 ミスリルの融点になるまで炉の内部の温度を上げてから、ミスリルを溶かしていく。
 溶けたのを確認したら取り出し、槌を使って魔力鍛造をしていく。
 ミスリルはオリハルコンと比べると少し粘り気が強いので、叩き方にコツが必要だ。
 また強度の問題もあり、あまり強く叩きすぎるとミスリルの構造が壊れ、魔力容量が減ってしまう。
 なので優しく丁寧に、赤ん坊を抱きしめるときのように神経を注ぎながら叩いては熱し、叩いては熱しを繰り返していく。
 叩いて割れたミスリルのそれぞれの魔力容量を限界ギリギリまで増やしてから、沸かして再度叩き、一つにまとめていく。
 あらかじめ用意していた魔力文字自体、ミスリルだと限界まで容量を拡張してギリギリ書き込めるようになるくらいの見込みだったんだが……思ってたより俺の腕が上がっていたらしく、想定していたより少し魔力容量に余裕ができるほどだった。
 今回は練習も兼ねて、神聖文字だけで魔力素描していく。
 魔力文字にはそれぞれ特徴がある。
 普通の魔力文字を王都で使われている話し言葉だとすれば、中期文明の魔力文字は片田舎で使われている、なんて言ってるか聞き取れないけど文字に起こしてみるとまぁわからんではない田舎言葉くらい。
 そして古代魔族文字は昔過ぎてイントネーションから何から違う完全に別言語。
 神聖文字も古代魔族文字とおおよそ同じなのだが、ただ神聖文字の場合は詩的な美しさがある。
 文脈の構成だけでなく韻を踏んだ分を繰り返すことでわずかに効果を向上させることができたり、諧謔を利かせた単語なども多いため、書き込んでいて結構楽しかったりするのだ。 古代魔族文字と違い暴力的なまでに強力な効果は発揮しないが、その分だけ扱いやすい。
 どちらかと言えば補助や支援などのエンチャントを発揮させた方が効果が高くなりやすく、俺が蘇らせた聖剣クラウソラスもその特性を活かし斬撃の威力より防御と回復に重きを置いている剣だった。
(古代魔族文字と違って、ぽしゃっても爆発が起きたりしないのもありがたい)
 俺が普段使っている作業着はドラゴンブレスを受けようがびくともしないような一級品の素材とそれらの魔力容量をギリギリオーバーするかしないかまで敷き詰められた魔力文字が記されている。
 だがたとえダメージを受けなくても、至近距離の爆発を食らえばどうしても衝撃は身体に届く。その間に下手に魔力情報がズレたりした時のストレスがヤバかったりするし、神聖文字だけで作ると非常に精神衛生的によろしい鍛冶ができる。
 ただ純粋に効果を求めるんならどうしても古代魔族文字を避けられないというのが、なかなか難しいところだったりする。
「よし、完成っと」
 そのままの勢いで、フライパンの方も作ってしまうことにしよう。材料はミスリルでいいかな。
 一度包丁を使って慣れていたおかげで、フライパンの方はささっと作ることができた。
 外に出てみると時間はまだ午後三時で、シュリが夕食を作り出すよりも前だった。
 ジルと一緒にリビングでまどろんでいる彼女に手を振る。
「ほいシュリ、できたからぜひ使って、使用感を聞かせてくれ」
「今回は事前に聞いておきたいんですけど……どんな効果がついてるんですか?」
「今回は神聖文字を使っているから、以前ほどのインパクトはないぞ」
「鍛冶に関しては、ラックさんの言葉は信用してませんから!」
 なぜかぷりぷりと怒り出すシュリ。 
 信用してほしいところだ。鍛冶に関しては俺より真摯に向き合っている人間は滅多にいないことだぞ。
 今回包丁につけたエンチャントはいくつかある。『自動修復』や『耐久力向上』なんかの恒常的についている効果意外についているものは一つ。
 その効果は『回復』だ。
 とりあえず実演してみせることにした。
 俺の指を、包丁を使って浅く裂く。
 当然ながら刃先が俺の皮膚を破り、つつ……と球のような血が出てくる。
 けれど見ていると……ふわっ!
 全身が柔らかい光に包まれたかと思うと、温かい感触が指先にやってくる。
 光が収まると、先ほどつけた傷が跡形もなく消えていた。
「と、まぁこんな感じでもし包丁を使って傷つけても傷が治るようにできてるんだ。どうだこれ、調理人垂涎の一品じゃないか?」
「す、すごいです……これがあればお料理教室を開いても安心ですね!」
 一応案としては切ったものを自動的に燃やしてコンロ要らずな包丁や、切ったものを凍らせて保存しやすくした包丁なんてのもあったんだが、全てボツにさせてもらった。
 当たり前だけど、包丁なんだから使いやすいに越したことはないからな。
 ナージャにインスピレーションをうけて回復効果をつけてみたわけだが……たしかにこうして結果だけ見てみると、あまり包丁の慣れていない初心者向けのものになってしまったな。 まぁそれでも、調理の時に怪我をしにくいというのも利点だろう。
 ただとりあえず回復効果は魔力容量を超過しないギリギリまで使って強化してあるから、普通に『回復』の魔道具としても使える一品に仕上がっているはずだ。
「それじゃあこっちのフライパンの方はどんなものなんですか?」
「これも一緒で、『回復』の効果がついているぞ」
「……フライパンに、『回復』ですか?」
「ああ、油が跳ねたりしても大丈夫になっている……はずだ」
 実際に調理してみないと効果がわからないが、流石にこの場で試すわけにもいかない。
 どうせなら自分が作ったものの結果も見てみたいし、こっちの方も実験してみることにしよう。
 というわけで台所にやってきた。
 ただ油だけ跳ねさせるだけでは芸がないので、おやつにポップコーンを作りながら試してみることにする。
 皮の固いトウモロコシの実を用意し、軽くパラパラと塩胡椒を振ってから加熱していく。
 上に蓋を被せず、時間が経つのを待つ。
 すると……ぱうっ!
 勢いよく弾けた熱々のポップコーンがこっちに飛んでくる。
 避けずにむしろこちらから当たりにいくと……。
「あっち! ……おお、治ったぞ」
 当たって熱さを感じたかと思うと光だし、火傷後が消えた。
 包丁の方は初心者向けになってしまったがだけど、今度こそ料理をする人垂涎の品ができたはずだ。
 油跳ねの火傷は調理をするなら避けられないものだからな。
 とりあえず効果のほどは確認できたので蓋をしめて、ポップコーンができあがるのを待つ。 ぱこん、ぽこぽこぱこんっ!
「……ん?」
 目の前で小気味いい音を鳴らしながら、実が弾けポップコーンができあがっていく。
 だが何かがおかしいような……?
 もこもこもこっと物凄い勢いでポップコーンがどんどん作られていく。
「……なんか量、多くないか?」
 俺がそう言っている間にも、ものすごい勢いで量産されていくポップコーン達。
 その量は俺が最初に入れたはずのトウモロコシの量を明らかに超えていた。
「わわわわっ!?」
 そのあまりの量の多さにとうとう蓋をおしのけたポップコーンが、調理場に散り始めた。
 ただそれでもまだまだ生産は追いつかず、ポップコーンは変わらずもりもりと増えていく。「な、なんですかこれっ!?」
 俺とシュリは慌てて火を止める。
 すると流石にポップコーンの増産も止まってくれた。
 びっくりした……あのまま増え続けて、ポップコーンに押しつぶされるかと思ったぞ。
「ラックさん、これどういうことなんですか!? やっぱりただのフライパンじゃないじゃないですか!」
「いや、今回ばかりは『回復』がついただけのフライパンのはずなんだが……」
 とりあえず落っこちたポップコーンを拾い、軽く払ってから確認する。
 気になったので、ひょいっとつまんで食べてみた。
 塩味の聞いた味と軽い食感が楽しい、ポップコーンだ。
 使っている実もわりといいやつだし、アツアツなのでとっても美味しい。
(ただ少し、サイズが小さいような……?)
 落ちたものを拾ってから、フライパンをひっくり返して皿に空ける。
 とりあえずフライパンの謎は置いといて、おやつの時間にすることにした。
「お、おいしいれす~」
 シュリが頬に手を当てながら、目を細めている。どうやら獣人界隈には広がっていないものらしく、ものすごい勢いで食べ始めた。
「わふっ!」
 どうやらジルも気に入ったようで、シュリに負けない勢いで食べ始めている。
 フライパンからあふれ出すくらい大量に作ったポップコーンだが、あっという間になくなってしまった。
 効果の再確認がてら、もう一度ポップコーンを作ってみる。
 そこで俺はようやく、この無限ポップコーンの仕組みについて理解することができた。
 あふれんばかりにこんもりと盛られたポップコーンを提供しながら、なるべくかみ砕いてシュリに説明をしていく。
「つまりこれも『回復』の効果なんだ。トウモロコシの種がポップコーンになって弾けた、ということが怪我として認識されてるってことらしい」
 たとえば人が右手を失った際、ナージャのような使い手であれば強力な回復魔法をかけて欠損した腕を生やすことができる。
 その時元あった腕が勝手に消えるかと言われれば、否だ。腕は腕としてそのまま残る。
 この『回復』のフライパンもやっていることはそれと同じだ。
 トウモロコシの実が弾けた瞬間に回復が発動し、弾けていない部分を急速に下の状態に戻していく。
 その際弾けてポップコーンになった部分はそのまま残り、回復した実は弾け、またポップコーンになる前に戻り……ということを繰り返すというのが、この無限ポップコーンの仕組みというわけだ。
「図らずも、とんでもないものを作ってしまったな……」
 まさか回復効果を極限まで高めると、こんなことになるとは……この『回復』がどのくらいの範囲に有効なのかはわからないが、少なくとも加熱している限りポップコーンなら無限に作ることができる。
 間違いなく有用だが、こいつの影響がどこまで波及するか、ただの鍛冶師である俺には想像がつかない。
 ただ有用そうなのは間違いないから……とりあえずリアム達に一つずつプレゼントすることにするか。
(そのためにも、こいつの製作を成功させなくちゃな)
 俺はポップコーンをサクサクと食べながら、ノートに書き付けた魔力文字を確認していく。 これから俺が作るのは――遠隔地に魔力で書いた文字を届けることのできる魔道具である。 こいつが完成すればもっと簡単にリアム達と連絡を取れるようになる。
 今回のナージャの一件もそうだが、多分今後もなんやかんやで俺とあいつらの腐れ縁は続くことだろうからな。高速の連絡手段の一つや二つはあった方がいいだろう。
(そろそろ、エルフ達の戦いも終わった頃だろうか……)
 麓の先に広がっている大森林のその先にいるであろうナージャ達と、里に住まうエルフ達のことが頭をよぎる。
 まぁ、まったく心配してはないんだけどさ。
 何せ――ナージャが目の前で誰かを死なせるはずがないからな。

「はああああああっっ!!」
 それはあまりにも圧倒的な蹂躙劇だった。
 包丁がひらりと動く度に魔物達は切り刻まれていき、そしてあらゆる攻撃はフライパンによって防がれていく。
「す、すげぇ……」
「格好いい……」
 その姿を見たエルフ達から、思わず簡単のため息がこぼれていく。
 魔物達からすると命を刈り取る死神であったとしても、エルフ達からすれば彼女はばっさばっさと魔物をなぎ倒していく英雄そのものだ。
 そう、包丁とフライパン捌きに関して天性の才能を持っている彼女は、英雄であるナージャでさえその資質を認めるほどに開花していた。
「主婦二刀流……俺も習えるかな」
「可能なら私だって習いたいわ! 少なくとも包丁捌きなら、男衆なんかには負けないもの!」
 先頭を切って進んでいくビビの戦闘スタイルには、気付けば主婦二刀流の名がついていた。 『いや、フライパンは刀じゃなくね?』などとマジレスしてしまう者がいるとすれば、恐らくそれは圧倒的な力を示すビビの力強い雄姿を見ていないからに違いない。
 激戦は続いているが、エルフ達には余裕があった。
 その原因は後方で戦局を管理しながらエルフ達の支援を行っているナージャによるものである。
「エリアヒール」
 魔王の一撃すら一瞬で完治させてみせる彼女の祝祷術の威力は、他のヒーラーと比べれば隔絶している。
 彼女は重傷者が出れば即座に回復を飛ばし、戦士達が戦いに傷つけばすぐさま全体回復を発動させ、誰一人として脱落者を出すことなくエルフの軍団を森の奥まで進めさせていた。
 ビビとナージャ、そして彼らがやってくるギリギリまで身を削って魔物達の数を減らしてくれていたジュリアの奮戦のおかげでエルフの戦闘部隊はどんどんと歩を進めていき……そしてとうとう、彼らは最奥へとたどり着いた。
 そこに待ち受けていたのは……。
「GYAAAAAAAAAO!」
 全身を紫色の鱗で覆った巨大な竜、ポイズンドラゴンだった。
 その討伐ランクはA。ただしその中では最上位に近く、Aランク冒険者パーティーが複数で当たらなければ倒せないほどの難敵だ。
 けれどビビはそれほどの強敵を前にしても決して臆さず、むしろ不敵な笑みをこぼしながら前に出る。
「お前達は他の魔物を片付けていてくれ。こいつとは――私がやる」
 言うが早いか、ポイズンドラゴンとビビの姿が消える。
 紫竜の放つ攻撃には、全て毒が含まれている。
 振るう毒爪、噛み砕く毒牙、そして吐き出すポイズンブレス……その攻撃手段全てが毒を持ち、一撃でももらってしまえばナージャの解毒を受けなければ動けなくなってしまうほどに強烈だ。
 だが……。
「当たらなければ……どうということはないっ!」
 ビビはその攻撃をフライパンで捌きながら、包丁によって攻撃を加えていく。
 このポイズンドラゴンは魔物を結界内に侵入させていたことからもわかるように空間に作用する魔法も使うことができるが『概念防御』を持つオリハルコンのフライパンはその全てを防ぎきっていた。
 また、いかに強固な爪を持っているとはいえ、ラックが現代に蘇らせた古代技術による『絶対切断』を持つ包丁には敵わない。
 ポイズンドラゴンの身体には傷が増えていき、このままいけばビビが勝利することができる……かに見えた。
「GUOOOOOOOOOO!!」
 けれど自らの劣勢を悟ったポイズンドラゴンは、そこで肉を切らせて骨を断つ作戦を採った。
 ポイズンドラゴンが攻撃を放つと、ビビはそれを当然ながらフライパンで防ぐ。
「はああっ!」
 そして続けざまに包丁の一撃を放った。
 その突き込みを、ポイズンドラゴンは敢えて前進して受けた。
 スパッと右前足が断たれたが、一瞬のうちに近付かれたせいでビビにフライパンを使うだけの余裕はない。
 更にポイズンドラゴンはそこで、範囲攻撃であるポイズンブレスを選択する。
 この至近距離では避ることはできず、今からフライパンを引き戻しても間に合わない……
だが包丁の天稟の才を持つ彼女には、正解の道を照らす一筋の光が見えていた。
「主婦二刀流を……舐めるなああああっっ!!」
 彼女は右手に持つ包丁を、全力で振るう。
 彼女は包丁に込められた『絶対切断』の能力を完全に己の制御下に置き――ポイズンブレスという攻撃それ自体を、切断してみせたのだ。
「おおおおおおおおおおおおおっっ!!」
 続けざまに放った一撃は、ポイズンドラゴンの頭部に突き立つ。
 そして竜はそのまま、二度と起き上がることはなかった。
 ビビは両手を高く掲げると、包丁とフライパンを両手でクロスさせる。
「「「うおおおおおおおおっっ!! 主婦二刀流! 主婦二刀流!」」」
 主婦二刀流のシュプレヒコールが鳴り止まぬ中、統率する個体のいなくなった魔物達が、森の中を千々に逃げ始める。
 ビビは手に持つ包丁を魔物達に向けながら、大声で叫んだ!
「掃討に移る! 皆の者、私に続け!」
 こうしてビビは見事森の異変の元凶を打ち倒し、エルフの里には平和が戻るのだった――。
「――と、いうわけで。見込みのありそうなエルフ達に渡すために、できればフライパンと包丁のセットをいくつか頼みたいんだが……」
「……まるで訳がわからんぞ!?」
 新たな包丁と鍋を作ってから数日後、俺は魔物達を無事に倒して帰ってきたビビの報告を受けていた。
 ちなみにジュリアは既に帰り、ナージャの方はエルフの里に滞在して何かをしているらしい。
 ビビの説明を最初のうちはふんふんと納得しながら話を聞いていたんだが、途中で流石に聞き流せなくなり、最後の方は完全に質問をしたくてそわそわしてしまっていた。
 ――主婦二刀流って、なんだ!?
「当然、包丁とフライパンを使い戦う私が編み出した流派のことだ」
 あまりの驚きに、心の声が漏れ出してしまっていたらしい。
 包丁とフライパンによる攻防一体の流派、主婦二刀流。
 魔物を一刀両断してみせる攻撃力とどんな攻撃も防げる絶対の防御力を兼ね備えたこの二つを使うことでビビは凡人では越えられない、いわゆる強さの峠というやつを越えた。
 そんな彼女のようになりたいと、今エルフの里では包丁とフライパンを持って狩りに出かけるのがブームになっているらしい。
 上司である長老衆達も、包丁とフライパンを武芸の科目に入れるかを真剣に議論しているそうだ……そんなもの議論するまでもないだろ!?
 俺は眉目秀麗なエルフの狩人達が皆右手に包丁を、そして左手にフライパンを持っている姿を想像してみた。
 ……あまりにシュールすぎる。思わず噴き出しそうになってしまったじゃないか!
「それと……続けて頼んでしまって申し訳ないのだが、できればこの包丁と鍋を、買い取らせてもらいたいんだが……」
 どうやら俺がツボっている状態でなんとか爆笑せずに我慢しているのを、機嫌を悪くしたと捉えたらしく、ビビが申し訳なさそうな顔をして言ってくる。
 幸い今は新しい魔道具の方が無事完成したので気分がいい。
 何十個も作れと言われたら面倒なので断りたいが、数個くらいであれば用立ててもいいだろう。
 それにあの包丁と鍋に関しても、買ってもらうのは問題ない。
 ビビの主婦二刀流の才能は本物だ。
 彼らも自分達のことを有効活用してくれる人間に使われたいと思っているだろうしな。
「両方とも構わない。ただし支払いは金以外で頼む。金には別段困ってないからな」
「な、なんだろうか……もしかして、か、身体かっ!? わ、私の貧相な身体で良ければ差し出すが……は、初めてだから、優しくしてくれ……」
「とんでもない勘違いをしないでくれ!」
 人聞きの悪いことを言わないでくれ!
 さっきからシュリがこっちをものすごい顔で睨んでいるじゃないか!
 シュリの弁明も兼ねて、慌てて説明させてもらうことにした。
「俺が教えてほしいのは、エルフの魔力文字だよ……できればエルフの鍛冶師から直接教えを請いたい」
「本当にそんなことでいいのか?」
「ああ、エルフの魔力文字に触れることができる機会なんてそうないからな。是非お願いしたい」
「――ああ、任せてくれ! ただこれだけだとまだまだ対価に見合っていないだろうから、貸し一つということでどうだ? 何かあれば連絡してくれれば、私が手を貸そう」
 ということで俺は急ぎで魔鉄で包丁と鍋を作っていった。
 途中でビビは新たに作ったミスリルの包丁とフライパンを見て羨ましそうな顔をしていたが……残念ながらこいつはまだあげるつもりはない。
 もしビビに渡すとしても、リアム達に色々と確認をしてもらってからになるだろう。
 こうして大量の包丁とフライパンを持っていったビビとは別れ……しばらくしてからやってきたエルフの鍛冶師からエルフの魔力文字を教えてもらうことができた。
 エルフの魔力文字は今まで習ってきた文字とはまたひと味もふた味も違い、新たな知見と発想力を培うことができたので非常に参考になった。
 これでまた、鍛冶の頂に近付くことができたぞ……ふふふ、笑いが止まらないな。

 とある魔道具の研究が一段落したところで、俺はエルフの魔力文字――エルフ魔力文字の探究に励むことにした。
 エルフ達の間で使われている魔力文字は、現代のものとさほど変わらない。
 にもかかわらず彼らは、およそ現代の魔力文字では不可能なほど強力な結界を張ることができている。
 その理由はどこにあるのかと言われれば、それこそがエルフ魔力文字の特徴にあるわけだ。 ――エルフ魔力文字は、それ自体が複数の意味を持つことができる。
 その理由は、エルフ魔力文字の韻を踏む形式と複数の意味合いを持つ玄妙な性質にある。 たとえばAとBという単語があるとすると、人間の魔力文字であれば当然ながら二つの意味しか持つことができない。
 ただエルフ魔力文字の場合、たとえばBに使う単語をAの韻を踏めるA’とした場合にA、A’、AとA’で韻を踏めていることによって発生するCという三つの意味合いを持たせることができる。更にここにA’が複数の意味を持つ単語であった場合、DやEの魔法効果が発生させることもできる。
 こんなことを単語ごと、文節ごと、文意ごとに大量に行っていると言えば、その難解さが理解できるかもしれない。
 そんな風に、エルフ魔力文字は長大な魔力情報の中に情報を大量にちりばめていくことで、人間の魔力文字を使っていては到底不可能なだけのエンチャントを施すことに成功している。 もしこれを神聖文字や古代魔族文字にも応用することができれば……あるいは今よりも更に強力なエンチャントを複数つけることすら可能になるかもしれない。
「……ク……」
 ただこれが非常に難しい。
 そもそも生き字引のいるエルフ魔力文字と違い、古代魔族文字と神聖文字を同時に使おうとした場合、両者の複数の意味合いを調べることはできない。
 更に言えば古代魔族文字と神聖文字がその韻や意味合いにおいてどのような感応を起こすのかの予測はざっくりとしかできず、かなりの確率で予期しない効果を発揮させてしまう。
 この技術を使ってしっかりと実用に耐えるレベルの鍛冶を行うためには、とてつもない量の試行錯誤がいる。
 だがそれで見えてくるものもあるはずだ。
 なかなかに研究しがいが……。
「ラックさん! ご飯ですよ!」
「うおっ!?」
 びくっとしながら振り返ると、そこには持っているオリハルコンの鍋をカンカンと打ち鳴らしているシュリの姿があった。
 どうやらもう飯の時間になっていたらしい。
「もうちょっとだけ……」
「そう言って今日の朝ご飯も抜いたばかりじゃないですか! 夜ご飯くらいきちんと食べて、しっかり英気を養ってください!」
「は、はい……」
 俺は手を引っ張られ半ば強引に連れ出される形で作業部屋を後にする。
 鏡に映った自分の姿があまりにも情けなくて、ちょっと泣きたい気分になってくる。
 リビングへやってくると、既にそこにはほかほかと湯気を立てている食事がある。
 ジルの方は既に食べ始めているらしく、がつがつと勢いよくスペアリブを豪快にかじっている。
 この狼最近では人の作る料理の味を覚えたせいで、一日三食きちんと小屋でシュリの料理を食べていく。
 ちなみに外で狩った魔物はまた別腹と普通に食べるという話だ。驚くほどの食いしんぼうっぷりである。
「いただきます」
「いただきます」
 シュリとの共同生活にもずいぶんと慣れたもので、今では一日のルーティーンもしっかりと決まっている。
 一人で暮らしていた時は作業の具合によって飯を一日抜くことくらいはまったく珍しくはなかったのだが、シュリが来てからというもの絶対に一日に二食は飯を(半ば強制的な形で)食べることになった。
 睡眠時間の方も同様で、あんまり俺が根を詰めて二日以上連続で徹夜をしようものなら、鬼の形相でやってきたシュリの手によって強制的にベッドに送還されてしまう。
 おかげで生活習慣はずいぶんと規則的になった。もっとも、普通の人間と比べればまだこれでも不規則なのかもしれないが……。
 最初はインスピレーションが爆発している最中に作業を打ち切られたり、アドレナリンでギンギンになっている状態でベッドに連れて行かれたりするせいで苦労もあるが……そこはシュリもさる者。
 ある程度タイミングが掴めるようになってきてからは、俺が一休止取るタイミングを狙い澄ましてやってくるようになったので、被害(と言っていいのかはわからないが)も最小限で済むようになった。
 ずっと家に閉じこもっていては駄目だと時たまシュリに連れられてハイキングや散歩をしたりすることもあるため、しっかりと健康で文化的な生活を送れていると言えるだろう。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
 食後のデザートまでしっかりと平らげたら、シュリが入れてくれたお茶を飲む。
 なんでも自生していた豆を煎ったものらしいが、風味がなかなかいい。
 ほんのり甘い後味も含めて、俺の好きな味だった。
「ふぅ……ん?」
 警戒のために作っておいた魔道具が、チカチカっと明滅するのが見える。
 だがジルの方は何もせずゆったりとしている。
 来客者に敵意はないと考えるべきだ。
 だれかと思い待っていると、やってきたのはナージャだった。
「日付の感覚は曖昧だけど……結構エルフの里に居たよな?」
「はい、エルフの方達と対話ができる機会は滅多にありませんので、この機会にと思いまして……」
「なるほど」
 里の危機も去ったのに長いこと滞在してるから何かしらの事情はあるとは思ってたが……エルフ達と交渉でもしてたんだろうな、多分。
 現在エルフやドワーフ、ハーフリングなどの純粋な人種以外の亜人達とはほとんど窓口らしい窓口が存在していない。以前から交流のあった獣人を除くと、その交流は極めて少ない。 エルフは長い寿命を持ち、学術的、魔法的な知識は人種のそれをはるかに凌駕する。
 であれば技術交流などの形で彼らと関わりを持っておきたいと思うのは当然のことだろう。「実はそれ以外にも少々立て込んだ話し合いをしておりまして……」
「立て込んだ話し合い? エルフの危機は去ったんじゃないのか?」
「ええ、それが……」
 ナージャは一度ちらと小屋の外を見やってから、覚悟を決めたような顔でこちらを見つめてくる。
「問題はエルフの里ではなく――里を越えた先にあるドワーフ達の暮らす造山地帯で起こっているらしいのです」
「ドワーフ達までいるのか……」
 実際にエルフが居たから、もう驚ないぞ。
 エルフ同様、ドワーフとも一度も会ったことがない。
 ドワーフには優れた鍛冶がいるという話は鍛冶師界隈では有名な話だったりするから、一度くらい話してみたいな。
 ビビとも普通に対話ができたし、できれば交流ができると助かるんだが……。
「ラックさん、実は――外に一人、助けを求めに来たドワーフの少女がいるのです」
「話が早くて助かる」
「話……ですか……?」
「あ、いや、すまん。こっちの話だ」
 ドワーフと話せるとあってつい気持ちが逸ってしまった、これではいけない。
「外で待たせるのもあれだし、連れて来てくれて良いぞ」
「そう言ってくれて助かります……少々お待ちください」
 ナージャは一度外へ出ると、すぐにドワーフを連れてやって来た。
 俺の前に姿を現したのは……。
「ど、どうか……ドワーフ達をお救いください、ラック様!」
 なぜか顔を合わせるなりものすごい勢いで土下座をしてきた、見た目が一桁年齢の幼女だった!
 ――とにかく顔を上げてくれ、事案が発生してしまう!

「私の名前はアリーシャと申します、ラック様」
「さっきから言ってるが様付けはよしてくれないか? せめてさん付けにしてくれ」
「……わかりました、ラックさん」
 とりあえず土下座から直ってもらった幼女は、アリーシャというらしい。
 ちなみに見た目的には完全にロリなのだが、これで成人している立派なレディーということだ。
 こういうのをなんというんだっけか……合法ロリ……だったか?
 一部のマニアが見たら飛びつきそうなほどに愛くるしい見た目だ。
 彼女は先ほどからなぜか、物凄いキラキラとした目で俺のことを見つめてきている。
(ナージャ、お前一体この子に何を吹き込んだんだ……)
 恨みがましい目でナージャを軽く睨むと、何を勘違いしたのか、ナージャは何故かふふんと自慢げに胸を張った。
 ……駄目だ、残念ながらまったく意思疎通ができていない。
「エルフ達のリーダーを務めているビビという女から、ラックさんであればドワーフの現状をなんとかできるに違いないと聞きました! ナージャさんもラックさんであれば解決できないことはないと!」
「お前……ビビやナージャから何を聞いたのかはわからないが……俺はただの鍛冶師だ。できることなんて、本当に些細なことだぞ」
 ぽりぽりと後頭部を掻く。
 鍛冶の腕になら自信はあるが、俺はその辺にいて十把一絡げにできるような凡人だ。
 ただ鍛冶が好きなだけの俺に、ドワーフ達が困っているような難題が解決できるとは思えない。
 まぁ武力でなんとかできる問題ならなんとかできるかもしれないが……俺は基本的にオーダーメイドでしか武器を作らない。数人分の装備を作るくらいが関の山だ。そんなんでは大局的に問題を解決することはできないだろう。
 もちろん、俺にできることなら手伝わせてもらうけどさ。
 ちょうどエルフ式の文法を使って鍛冶がしてみたくてうずうずしてたところだったんだ。
「アリーシャさん、もし良ければラックさんに詳しい事情を話してあげてくれませか?」
「はい、えっとですね……」
 あまり慣れていないからか、たどたどしい口調で話してくれた内容はざっと話すとこんな感じだった。
 現在アリーシャの所属しているドワーフの共同体は、食糧難にあえいでいる。
 その原因は今までドワーフ達が獲っていた燕麦や大麦が突如として不作になったからだという。
 今はまだ備蓄を放出しているためになんとかなっているが、このままでは早晩餓死者が出てしまう。
 それならとそこでまず、彼女は他のドワーフ達の共同体に助けを求めたのだという。
 すると他の共同体でも、同様の食料不足が起こっていた。そのせいであちらからむしろ食料を分けてほしいと頼まれてしまうほどにどこも厳しい状態だったのだという。
 ドワーフ達は現状を打破するために、エルフの里へ助けを求めることにした。
 ただエルフの里へ行こうとしても結界に阻まれてなかなかたどり着くことができない。
 どうやって突破したものかと難儀していたところ、なぜか物凄い大きな叫び声が聞こえてきた。
 そこで大量の包丁とフライパンを持っている謎のエルフ達と、その先頭を行くビビと出会ったのだという。
「あれは儀式か何かだったのでしょうか……どうやらエルフ達の文化は、私が知らないうちに大きく変化していたようです……」
「わかります」
 つい先日、やってきたビビから追加で包丁とフライパンのセットの注文を請けた俺は、彼女の気持ちに痛いほど共感ができた。
 人生でこんなに沢山の包丁とフライパンを作ったのは流石の俺も、あれが初めてだったよ……。
 ――なんで主婦二刀流の勢い、留まるところを知らないんだよ……っ!
 どう考えても剣と盾の方が強いだろうが……っ!
 間違いなくあれはビビの才能あってのものだと思っていたんだが、どうやらビビは最近本格的に主婦二刀流を体系的な流派にしようと取り組んでいるらしく、誰でも見事な包丁とフライパン捌きができるよう教理も固まってきているのだという。
 恐ろしい話だよな……って、いかんいかん。今はそれよりドワーフの話だ。
 つい日頃の恨みつらみのせいで思考が逸れてしまった。
「そこでビビとナージャさんと知り合うことができた私は、まずは背に腹は代えられないとエルフ達に助けを求めることにしたのです」
 どうやらドワーフの方もエルフ達を良くは思っていないらしく、しぶしぶという感じがこちらにもひしひしと伝わってくる。
 だがどうやらエルフ達の方にも、そこまでの食料の余裕はないらしかった。
 彼らは元々が狩猟民族であり、交易で何かを外に輸出入という考え方自体を持っていない。 穀物も育てているが、それはあくまでも自分達が消費する程度の量。自活できる以上の量はない。
 そのため食料難の解決は仕様がなく、結果として領主としてある程度小麦類の融通の利くナージャに頼ることに決めたようだった。
 そしたらナージャがこちらに来る際に俺のことをあれやこれやと褒めたものだから、それならあのラックさんであればなんとかできるはずだと俺にお鉢が回ってきたということらしい。
 なんというか……信頼が篤すぎる!
 そこまで真っ直ぐ信じられると、俺の方も答えなくちゃいけないような気になってくるから不思議だ。
「ラックさんに頼ってなんとかならなかったことは一度もなかったですからね。信用しているんです、あなたのことを」
 そう言ってにっこり笑うナージャ。
 『仮初めの英雄』からの製作依頼ではリアムの言うできるわけねぇだろってタイプのやつが一番キツかったが、その次に無茶を言ってくるのはいつだってナージャだった。
 彼女の無茶ぶりはいつも、こちらができるかどうかギリギリなところをついてくるものだから、鍛冶師としての創作魂が疼いてつい100%以上の力を出してしまうのだ。
(幸か不幸か、食糧難を解決できそうな手段がつい先日手に入ったんだよなぁ……偶然って怖い)
 俺は再びぽりぽりと頭を掻きながら、頭を回転させた。
 そして台所へ行き、ミスリルでできた包丁とフライパンをちらと見てから、脇に置かれていた『収納鞄』を取ってくると、アリーシャの前にドスンと置いた。
「実はこいつの中に大量の食料が入っている。ある程度時間はかかるが、量も用意できるぞ」
 俺の説明を聞いたアリーシャの顔がみるみるうちに明るくなっていく。
「す……すごいです! 流石ラックさん! さすラック!」
「……変な略し方しないでくれるか?」
 常に微笑を浮かべているナージャは口角を更に上げ、そして小さく笑った。
「ね、だから言ったでしょう? ラックさんに任せれば、どんな問題も解決するって」
 ナージャの期待が重すぎる、が……とりあえずできることをしていきましょうかね。

 最初は包丁とフライパンを直に貸そうと思ったが、流石に怖かったので渡すのは『収納鞄』に入った食料という形にさせてもらうことにした。
 別にアリーシャが信用ならないわけではないけれど、ものがものなのでよほど信用していないと誰かの手に渡すのは怖い。
 何せこの二つ……直接的な戦闘能力こそ大してないものの、その凶悪さは下手をすればオリハルコン製のそれを上回るほどなのだから。
 まず色々と試してみた結果、『回復』によって材料を回復させることができる力は、フライパンだけでなく包丁にも宿っていることがわかった。
 というか調理の都合上、フライパンよりも包丁の方が効果は強力だった。
 このミスリル包丁の場合、素材を包丁によって切り離すことで怪我をしたと認識され、回復効果によって元の部分を取り戻すようなエンチャントになっていたのである。
 この怪我をしたと判断されるラインは、およそ素材の五分の一前後まで。
 つまり1キログラムのブロック肉から200グラムの肉塊を切り落とすと、ブロック肉の方で回復が発動し、元の1キログラムに戻るといった具合である。
 これを使えば、まるで錬金術のように大量の肉を生産することができる。
 この二つの道具があれば少なくとも食糧不足は回復させることができるだろう。
 ただこれはあまり軽々に世に出していいものではない。
 具体的に言うとこんなヤバい代物が作れたということが発覚すると、俺の身が危うくなる。 なので俺が『収納鞄』を作り、シュリが包丁で肉や野菜をカットして増やしていき、そしてジルがフライパンでポップコーンを製作(今回ばかりは盗み食い禁止と納得させた)という風にしっかりと役割分担をした上で、食料生産をしていくことになった。
 その間にナージャには領地に戻ってもらい、あいつらに俺が作った新作の魔道具を渡してもらうことにする。
 俺が作っていた新作の魔道具というのは……『通信』の魔道具だ。
 送受信が可能で音声と映像を行き来させることのできる魔道具の製作に成功したのだ。
 通信を一秒するのにAランクの魔石相当の魔力を使うために使える人物は非常に限られるが……なんにせよこれで、リアム達とのホットラインを作ることができる。
 山暮らしをして俺は痛感した。
 一度交友関係を切って、孤独な暮らしをしたからこそ思うのだ。
 やはり人との関わりというのは、大切だと。
 もちろんコミュニケーションに充てる時間は最低限でいいという考え方が変わったわけではないが……できればリアム達とくらいは、定期的に連絡を取っておきたい。
 そんな風に思うようになったのは……自然に囲まれる暮らしをした中で、俺が丸くなったからなのかもしれない。
 とりあえずナージャから連絡が来るまでは、ひたすら『収納鞄』作りに精を出すとしますかね。
 何せドワーフ達全部をまるっと救うほどの食料が必要なんだから、百や二百では利かないだろうし。
 鍛冶師としては少し物足りなくもあるが……人のために生きることこそ、鍛治師の本懐……だからな。

 ドワーフの里は基本的に、鉱山の中に作られている。
 傍から見ると大量に空いている、巨大な蟻の巣とでも形容すべき大きな空間が、彼らが里と呼ぶ居住スペースになっている。
 最初はいちいち鉄鉱石を里まで運んでから精錬をしていたのだが、そのうちにそれなら鉄鉱山の近くでそのまま精錬をした方が楽ではないかと居を移し、更にそれが発展する形で鉱山そのものに住む形が定着するようになった。
 そんなことをすれば落盤事故や健康被害が馬鹿にならないのではないかと思われるかもしれないが、そちらも問題はない。
 何せ彼らは天性の手先の器用さを持っており、それをものづくりに使った際には格別の力を発揮させる。
 坑道と居住用の洞穴をしっかりと分けて、落盤が起きぬよう鉄で補強するくらいはお手の物。
 少なくとも現在人種が使っている魔力文字やエルフ魔力文字では作れぬような魔道具を作ることができる彼らは、『浄化』や『濾過』などの魔道具を稼働させることで鉱業による健康被害を請けることなく生活を続けることが可能であった。
 己の興味の赴くままに製作活動に打ち込むためにしばしば寝食を忘れる彼らではあるのだが、ここ最近はそんなことも言っていられないような自体になってきた。
 ――未曾有の食糧難が、ドワーフ達の里を直撃したのだ。
 病気に無縁な頑健な肉体を持つ彼らであっても、流石に空腹には敵わない。
 その原因は不明。
 しかし今年度の秋に収穫するはずの作物は、ほとんど全てが駄目になってしまったのだ。
 今までなら収穫できていたはずの大麦や燕麦、各種野菜は黒ずみ見る影もないような見た目になってしまい、またかじったネズミが死んでしまうほどの強烈な毒素まで持ってしまっていた。
 今まで溜めていた備蓄があるからなんとかなっているものの、このままでは……誰もがそんな危機感を覚えながら、動くことができないでいた。
 そんな中、精力的に動く一人の少女と、その彼女を裏で動かしている男の名は、電撃的な速度でドワーフ達のネットワークを通じて広がっていく。
 その理由は単純にして明快だ。
 何せ彼女達こそが――誰も融通することができなかったはずの大量の食料を、分け隔てなく配ってみせる……救世主だからである。

 そこはドワーフ達のいくつもある里の中でも特に南方にある、ガジールの里。
 集落の中で力を持つリーダー格のドワーフ達が、むしろの上であぐらを掻き、顔をつき合わせながら話をしていた。
「くそっ、もう備蓄の大麦が切れかけちゃあおしまいだ!」
「持って後一月、か……」
「万事休す、ということか……」
 彼らの顔は一様に暗い。
 皆顔を俯かせながら、大きなため息を吐いていた。
 が、それも当然のことだ。
 ガジールの里に暮らすドワーフの数はさほど多くはない。
 けれどそれでも大麦の袋が五十というのは、あまりにも少なすぎる量だった。
 このままでは一月もしない間に尽きてしまうだろう。
 リーダーである彼らとて、決して余裕はない。いやむしろリーダーであるからこそ彼らは率先して飯を女子供に分け与えていた。
 こんな状況であれば酒も貴重なエネルギー源だと、彼らは空きっ腹に酒を流し込んでなんとか最低限の栄養を補給しているような状態だった。
 故に彼らの顔色は里にいるドワーフ達よりも更に悪く、その頬はこけ、本来であればつやつやとした光沢があったであろう顎鬚はしなびた干物のようになってしまっている。
「ビルの里にやったモングはどうした?」
「そっちも駄目だった。わかっちゃあいたが、状況はどこも厳しいらしい……」
 これだけの食糧難なのだ、当然ながら彼らもほうぼう手を尽くしている。
 周囲のいくつもの里に救援を出し、まだ元気がある者に食料を持たせエルフの里へと向かわせもした。
 ただ帰ってくる返答は、どれも景気の悪いものばかり。
 同時多発的に起こっているであろう食糧難の前では、いかに優れた魔法技術を持つドワーフであっても無力であった。
「野性動物がわずかに残っていると聞くが、そっちはどうなんだ?」
「駄目だな。狩人んところのリュートに聞いた感じだと、既に獲物もほとんど残っちゃいないっていう話だった」
 ドワーフの里は鉱山にあるが、周囲には未だ自然豊かな森も多い。
 そこから食料を取ればいいと最初は誰もが思ったが、その目論見も上手くはいかなかった。 なにせ……。
「魔物が消えちまったわけだからな……跡形もなく」
「もしかするとスタンピードが起きるのかもしれねぇぞ?」
「起きたとしてもその頃には俺らは全員骨と皮になってるさ」
「はっ、ちげぇねぇ」
 生息地域から魔物が消える現象は、大量の魔物が徒党を組んで暴れ出すスタンピードの兆候に似ている。
 けれどリーダーの一人が言っていたように、それが起こるよりも間違いなく食料が底をつく方が早いのだから、考えるだけ無駄な話でもある。
「……聖女アリーシャ様が来てくれるとありがたいんだがなぁ」
「馬鹿かお前、あんな与太話を信じてるのかよ!?」
 聖女アリーシャの話は、ドワーフ達が食糧難にあえぐようになってからどこからともなく広がり始めた話だ。
 ここ最近巷では誰も彼もが彼女の話ばかりを口にしている。
 どこからともなく現れたドワーフの女性が、大量の食材と共に現れては、また同胞を助けるために去っていく……。
 恐らくは絶望の中に希望を見出すために、誰かが作り出した創作だろう。
 はんっと一人の男が鼻で笑うが、次の瞬間、勢いよく扉が開かれる。
「た、大変です! アリーシャを名乗る者がやってきております!」
 その内容に、皆が顔を見合わせる。
 彼らは誰からともなく頷き合うと、その人物の下へと向かっていった。
 そこにいたのは、一人の女性だった。
 ドワーフの男達からするとかなりの美人に見える彼女は、彼らから挨拶を受けると、
「私はアリーシャと申します。食料を持ってきましたので、食料庫へ案内してもらえると助かるのですが……」
 男達は言われるがまま、空っぽの食料庫へと向かう。
 彼女は背負っている背嚢に手をかけ……それをひっくり返した。
 するとなんとそこから……食料が飛び出してくるではないか!
 まず最初に出てきたのは……大量のよくわからない白い何かだった。
「これはポップコーンといいまして、トウモコロシという穀物でできている食料です。一つ一つは軽いですが、しっかりと量を食べればお腹は膨れます」
 そのポップコーンなる食料が袋を一袋、二袋、三袋……百を超える袋をパンパンにするほどに大量に飛び出してくる。
 これだけあれば当座はしのぐことができるだろう。
 続いて飛び出してきたのは、新鮮な野菜や肉といった生鮮食品。
 収穫ができない状況で長いこと口にしていなかった野菜に、狩人が頑張ってもせいぜいがネズミや小さな鳥程度だった現状下では口にすることができなかった肉。
 それらを目にして、その場にいる全員がごくりと唾を飲み込んだ。
 それらは全てがなぜか薄切りにカットされていたが、そんなことは彼らからすれば些細なことであった
 なにせどれだけ食べようと思っても手の届かなかったその食材が、食料庫を満たすほど大量に支給されたのだから。
「それでは私はまた次の集落へ向かいます。次の補給からは私ではなく私の代理人がやってくる手はずになっておりますので、よろしくお願い致します」
 次の支給日なや代理人に使う符丁などを伝えると、彼女はそのまま風のように消えてしまった。
 まるで夢か何かを見ているようだった。誰もがどこか呆けたような顔をしている。
「ありがたや、ありがたや……」
 だが目の前にある大量の食料は紛れもなく本物であり、これもまた紛れもない現実であった。
 彼らにはわかったことが二つあった。
 一つ目は自分達は助かったのだということと。
 そして二つ目は、彼らを助けてくれた聖女アリーシャと、彼女を動かしている鍛冶神ラックは本当に存在するのだということだ――。

「よし、こっち上がったぞ!」
「はい、今すぐ詰めます!」
 俺は小屋を出てすぐのところで食材の回復を行っているメイドのラディに、作り上げたばかりの『収納鞄』を渡す。
 彼女は途中からやってくることになった、ナージャの腹心のメイドの一人である。
 ラディは俺が作り上げた『収納鞄』を取りに来ると、そのまま外へ出て、巧みな包丁捌きで切り落としていた食材をひょいひょいと中へ入れ始める。
 そのすぐ隣からは、ぱああっという回復効果の発動する音と光が見えていた。
 見ればシュリが、目にもとまらぬ速度で食材を切りまくっている。
 こんな風に外ではナージャのメイド達が食料の増産に励んでいるわけだが……意外なことに、中でも一番食料を回復させるペースが速いのはシュリだった。
 彼女は食材の回復する量をしっかりと把握しており、これ以上は回復が発動しないというギリギリのラインで食材を切っては再生させていた。
 その速度はなんと驚くべきことに普通の『収納鞄』ではあっという間に中身が埋まってしまうほど。
 おかげで俺は彼女用に特注で金属製の箱形『収納鞄』を作らなければいけなくなってしまった。
 ただそれだけの効果はあり、箱形『収納鞄』は一つあるだけで巨大な里二つ分まかなえるくらいの食料をしまうことができる。その分重たいので持ち運びが大変だったりするが、それを補って余りある効果だ。
 ――あれから俺はフル体勢で鍛冶に移ることになった。
 なんだか当初は軽く考えていたんだが想像していた以上に大事になってしまった。誰かを助けるためだと思えばそう悪いもんじゃないが、疲れるものは疲れるから心の中で泣き言を言うくらいのことは許してもらいたいもんだ。
 俺の見通しが甘いせいで、いくつもの誤算が生じてしまい、結果的に想像していたより大量の時間を取られてしまっている。
 ドワーフ達の人口ははるかに多かったこと。そしてドワーフの暮らしている領域は俺が想定していたより遙かに広がっており、その全てで食糧問題が発生していたことなど、数え上げればキリがないほどだ。
 最初は俺・シュリ・ジルの二人と一匹体勢で回そうとしていたんだが、そんな状況だとすぐに手が足りなくなってしまった。 
 そこでまず最初にやったのは、ミスリル製の『回復』包丁とフライパンの増産だ。
 食料を大量に生産できれば、それだけドワーフ達に食料が回るペースも上がるからな。
 元々リアム達に一つずつプレゼントする予定ではあったので、『仮初めの英雄』それぞれにワンセットずつの合わせて四つと、普段使いするための一つの合わせて五つを用意させてもらった。
 次に行ったのが人員の確保だ。
 食料を増産するための人手と、増産した食糧をドワーフの里まで持ち帰る者達が両方必要だった。
 前者はジュリアに連れて来てもらったナージャの腹心のメイド達を使うことになった。
 それだけの人員が小屋に泊まれるわけもないので、今では外に仮設小屋まで建てている状態だ。
 かなり大規模に食料を増産することになったのはいいが、もう山に隠れ住んでいる感はゼロだ。
 そして後者の方はというと……。
「来ました、ウッディさん!」
「用意はしてある! 持って行ってくれ!」
 アリーシャの里のドワーフの女性が、メイド達が切って回復させた素材を大量に詰め込んだ『収納鞄』を持って森の中に消えていく。
 彼女の護衛をしているドワーフ達がこちらにぺこりと頭を下げてきたので、俺は軽く手を挙げて挨拶だけさせてもらうことにした。
 そう、後者の方はとりあえず一番最初に食料問題をなんとかできたアリーシャの里の人間を使うようにしていた。
 エルフほどではないとはいえ、ドワーフ達も人種のことはあまり良く思っていないらしいからな。それに同胞同士の方が色々と話が早いだろうという目算もあり、そちらの方は狙い通りに上手いことスムーズに話を通すことができていた。
 こんな風に色々と大規模になりながらも、俺達の食糧増産は今のところ上手いところいっていた。
 もちろんこれはあくまでも一時しのぎの応急措置だ。
 所詮十二三人の作業量では、恒久的に食料問題を解決できるような事態にはならない。 
 ただしばしの時間が稼げればそれで構わないのだ。
 何せ困っている人を助けるのは俺のような普通の鍛治師の領分じゃなく――仮初めの取れた、本物の英雄達の仕事だからな。
 その日の夜、俺が作りナージャに渡していた『通信』の魔道具で連絡があった。
 とうとうリアム、フェイ、ミラ、ナージャの四人の下に魔道具が行き渡り、連絡を取ることができるようになったのだ。
 俺はその日のうちに四人とアポを取り、久しぶりに『仮初めの英雄』の四人と顔を合わせることになったのだった――。