勇者の専属鍛冶師、引退して山を買う~極めたスキルで理想のセカンドライフが始まりました~

 そこでは世界の命運をかけた、人類と魔物の頂上決戦が行われていた。
 あらゆる生物を拒む瘴気に満ちた大地にて魔物を支配する怪物である魔王に相対するのは、彼を倒すために同じく人外の領域へと足を踏み入れた四人の戦士達。
「ゴッズディスペア!」
 魔王の放つ、神すらも消失させる一撃に、短く切り揃えた黒髪を持つ少女は真っ向から相対する。
「ホーリーディヴィジョン!」
 少女が手に持っているのは見るもの全てを魅了するほどの神々しさを放つ盾だった。
 その聖なる盾――聖盾から飛び出す防壁は、魔王の一撃すらその場に食い止めてみせる。
 薄く七色に光る防御壁の隙間を縫うように飛び出したのは、全身を金属鎧に身を包んだ女騎士だ。
 彼女は両手に持つ純白の槍を勢いよく突き出す。
「ディヴァインショット!」
 彼女の放つ突きは見事命中。
 本来であれば聖剣でしかダメージを与えることができぬはずの魔王の腹に大穴が空く。
 彼女が操る槍は聖槍――かつて滅んだ古代文明の技術によって生み出された聖性を持つ槍であった。
「ぐぬううう……まだだっ!」
 衝撃を食らい後方に吹っ飛ぶ魔王だったが、与えられた一撃によるダメージは致命傷にはほど遠いものだった。
「これで終わりだ――ケイオスホール!」
 魔王は己が放つことのできる最大の一撃を発動させる。
 極小のマイクロブラックホールが相手をその存在ごと異空間へと飛ばす絶対の一撃。
 本来であれば存在がかき消えるほどの一撃を目の前にしても尚、一人の少女は前に出る。
 金髪を靡かせる彼女の名はリアム。
 世界でたった一人、魔王を倒すことのできる勇者だ。
 彼女の手に握られた魔を滅する正義の剣、聖剣クラウソラスは――見事魔王の心臓に突き立った。
「我が……我がこんなところでえええええええ……!!」
 断末魔の叫び声を上げる魔王が、パタリと倒れる。
 そして黒い煙が噴いたかと思うと、この場に彼がいた証拠は、転がった黒い光を放つ魔石と、彼が使っていた一本の剣だけになった。
「これで……全て、終わったのですね……」
 荒い息を吐きながら地面に倒れ込む戦士達を、唯一後方で待機していたプリーストが癒やしていく。その手に握られている聖杖を使えば、仲間達の傷は瞬時に癒えていく。
 圧倒的な体力を持つ魔王と戦っても前衛が崩壊しなかったのは、ひとえに彼女のその回復能力のなせる技だった。
「ああ、僕達――五人の勝利だ!」
 勇者リアムは、高く拳を掲げる。
 勇者、聖騎士、聖戦士、聖女。
 ここにいるのは四人だったが、彼女達の脳裏にはもう一人、かけがえのない仲間がいた。
 女四人のパーティーにサポートメンバーである彼を加えた五人で、彼女達は様々な艱難辛苦を乗り越えてきた。
 その人物の名は、本人たっての願いにより、世間にはほとんど知られてはいない。
 一体誰が信じることができるだろう。
 彼女達が魔王に勝利するために最大限の貢献をなしたのが、名も知れぬ一人の鍛治師であることを。
 ――壊れた聖剣を修復し、そこから古代文明の神聖文字を解読し、魔王へ届きうるいくつもの聖武具を現代に再現してみせた男がいるなどと。
 そしてその男が実は、
「ふぅ……そろそろ、潮時かもしれないな……」
 雑事に煩わされる都会生活を捨て、一人で隠居生活を目論んでいるなどと……。

 俺の父さんは、直情径行な性格の人間が多く、現場で鉄拳制裁もまま起こる鍛冶師の中では珍しいくらい、難しいことを言う人だった。
『人のために生きることこそ、鍛冶師の本懐だ』
 そう口酸っぱく口にするくせに、またある時は、
『自分のために生きることこそが、鍛冶を何より色づけてくれる』
 とも口にしていた。
「わあぁ……」
 当時の俺は難しいことはわからなかったが、とにかく父さんが鍛冶をしている姿を見るのは好きだった。
 湧き出す玉のような汗、力強い槌の動きに、魔力文字をマイクロ単位で動かしエンチャントを行う繊細な鍛冶魔法。
 父さんが産みだした魔道具や武器・防具はその無骨な手から生み出されたとは思えないほどに美しく、そして何よりも実用的だった。
 そんな父親の仕事っぷりを言葉を覚えるよりも前からずっと見ていれば、自分も鍛冶師になりたいと思うのは当然のことだ。
 俺は父さんから鍛冶師としてのイロハを叩き込まれた。
 いつかは父さんを超える鍛冶師になる。それは俺の夢だった。
 けれどその願いは終ぞ叶うことはなかった。
 ――俺に免許皆伝を言い渡した父さんは、まるで俺が一人前になるのを見守ってくれていたかのようにぽっくりと死んでしまったからだ。
 畜生、勝ち逃げなんてズルいぜ、父さん……。
 当然ながら見習いを卒業したての俺に、鍛冶師としての実績なんかあるわけがない。
 けれど今更どこかの工房に入って徒弟から始める気にはなれなかった。
 だから最初は有り金を叩いて、店主が死んだ鍛冶屋を間借りさせてもらうところから始めた。
 それから一年は……まぁ色々なことがあった。
 今となってはいい思い出だが、苦い経験も楽しい思い出も、ぎゅっと凝縮した歳月だったように思う。
 世の中というのはなかなか思い通りにはいかないもので、鍛冶屋はいいものを作れば人気者になれるというわけではなかった。
 大口の仕事は巨大資本の鍛冶屋とそこからのれん分けをした屋号持ちに振り分けられ、俺のような小さな鍛冶屋には街で暮らす人達が日々使う金物の整備くらいしか仕事がこなかったのだ。
 腕には自信があったが、コネも実績もない俺ではそれを振るう場所がなかった。
 誰か有名なやつが使ってくれれば話は違うと思うんだが、どちらかというと見た目より性能重視な俺の武器は誰からも見向きもされない。
 父さんは誰より優れた鍛冶師だったが、世渡りが下手な人間だった。
 そしてなんとも残念なことに、その部分に関して俺は確実に父さんの血を受け継いでいたのだ。
 技術の向上も望めず、日々に汲々する生活。
 誰より優れた鍛治師になりたいという俺の思いは日に日に募った。
 これじゃあ俺が憧れた鍛冶師になれるのは一体いつの日になるか……そんな焦燥に駆られる日々が終わったのは、とある出会いのおかげだった。
 リアム率いる四人組パーティー、『仮初めの英雄(インスタントヒーロー)』。
 彼女達との邂逅は、俺の運命を変えた。
 魔法剣士のリアム、タンクのミラ、ランサーのフェイ、ヒーラーのナージャ。
 今では世界を救った英雄である彼女達も、最初はちっぽけなそこらにいる四人組の女冒険者パーティーだった。
「ここに腕の良くて偏見のない鍛冶師がいると聞いてきたんだけど……もしよければ、僕達の装備を揃えてくれない?」
 最初に声をかけられた時にはビビったもんだ。何せ四人全員が、とんでもない美人揃いだからな。
 彼女達は女だけで組んだパーティーということもあり、男所帯の鍛冶屋から舐められて門前払いを食らい続けていたらしい。そしたら街の外れで細々と商売をしている俺の話を聞きつけ、ここまでやってきたのだという。
 彼女達からしても、ダメ元のつもりだったのだろう。その顔を見れば、俺の返答に期待していないのは明らかだった。
 だから俺は言ってやったのさ。
「いいぜ、作ってやるよ」
 ってな。
 俺は武器を、防具を、魔道具を作る鍛冶師だ。
 そこには性別も種族も、貴賤も関係ない。
『人のために生きることこそ、鍛冶師の本懐だ』
 父さんが言っていたことは、ずっと俺の心の芯に在った。
 誰かのために役に立つものを作ることこそ、鍛冶師の本懐だ。
 彼女達はまずは武器を一式買っていき、今度は防具を仕立ててほしいと魔物の素材を持ってきた。
 俺は鍛治師なんだが……と思ったが、だからといって断るのなら彼女達を門前払いした鍛冶師共と同類になるような気がしたから、俺は彼女達の要望に応えてオーダーメイドで防具を仕立ててやった。
 当然ながらきっちり寸法も測る必要もあったが、そこは仕事だからな。
 セクハラにならないよう細心の注意を払いながら、プロとして仕事をさせてもらったよ。
 そんなことを繰り返すうちに、気付けばリアム達は俺の店の上客になっており。
 彼女達の名が売れるに連れて、俺は細かい金物以外の武具を仕立てることができるようになった。
「ラック、もしよければ……私達の、専属鍛治師になってくれないか?」
「ああ、もちろんだ」
 どうやら彼女達も比較検討のために色々と見て回ったらしいが、結果的に色眼鏡で見たり好色な目で見てくるようなこともなく、かつ腕が良い俺を選びたいということになったらしい。
 とてもではないが他の武器屋や鍛冶屋では、下着姿などさらせないんだと。
 まぁ無理もないとは思うが、そこをしっかりするのもプロの仕事だろうに。
 とまぁ、そんなわけで俺はリアム達『仮初めの英雄』の専属鍛冶師になったわけだ。
 俺とリアム達は職人と客でしかなかったが、その関係は次第に変わっていくことになる。
 武器と防具というのは最前線で戦い続ける冒険者にとって、何より大切なものだ。
 命の次に大切なそれを預かるパートナーとして、なまなかな仕事などできるわけがない。
 俺は彼女達と共に歩み、己を磨いていった。
『自分のために生きることこそが、鍛冶を何より色づけてくれる』
 父さんの言葉は、やはり何も間違ってはおらず。
 俺は彼女達を利用するような形で、己の理想の鍛冶師を目指すためにその腕を磨き続けた。 だがそれはまた彼女達とて同じ。
 俺達はお互いを利用しあう関係であり、お互いの腕を信じ合う仲間であり、そして同時に切磋琢磨し合うライバルでもあった。
 俺が“技”を磨けば、彼女達は“武”を磨く。
 俺が強力な武具を作り出してみせれば、彼女達はそれを使ってそれを超える武具を作れるだけの素材を揃えてみせる。
 そして二人三脚(正確には五人六脚だが)でハック&スラッシュを続けているうち……気付けば俺と彼女達の見る景色は今までとは違ったものになっていた。
 彼女達を死なせないよう死ぬ気で頑張り続けたおかげで俺の鍛冶の腕はメキメキと上達し、当時はすぐに魔力切れで大して使うこともできなかったエンチャントも、既に鼻歌交じりに使うことができるようになっていた。
 当初は剣や槍の穂先しか打てなかった俺は、既にあらゆる武器を自作できるようになっていたし、エンチャントが達者になったおかげで今では魔道具だろうがなんだろうが大抵のものはクラフトで作ることができるようになっていた。
 だがリアム達も負けてはいない。彼女達『仮初めの英雄』は世界でも五指に満たないSランク冒険者パーティーへと成長しており、とうとう国から正式に勇者として遇されるようになった。
 ただ彼女達が勇者になろうが、俺と彼女達の関係は何一つ変わらない。
 俺達は変わらぬライバルであり、終生の友でもあった。
 彼女達は王から正式に魔王討伐を命じられ、そのために必要なあるものを探すため古代遺跡へと向かった。
「ラック、これなんだが……直せるかい?」
 そうしてリアムに手渡されたのは、芯から朽ちておりほぼ全壊していると言っても過言ではない、一本の剣だった。
 その剣の名は聖剣クラウソラス――かつて滅ぼされたという超大国の建国王が使っていた、魔を誅するための剣だ。
 唯一魔王へ攻撃を可能とするという伝承の伝えられる、由緒正しき聖剣だった。
 詳細な説明は技術的な話になるので、結果だけ伝えよう。
 俺はその剣を、直すことができた。
 そして直すのにあたって必要だったため、古代文明で使われていた魔力文字である神聖文字を扱うことができるようになり、聖剣と同じ技術を流用する形でミラやフェイ、ナージャのための聖武具を作ることもできるようになった。
 彼女達は俺の武具を身につけて魔王の下へ向かい……そして魔王は無事倒された。
 夜も安心して眠れぬ脅威は過ぎ去り、世界は平和に包まれたわけだ。
 それが悪いことだって話じゃない。
 いやむしろ、平和になったのはいいことだろう。
 ただ俺の胸にやってきたのは……虚しさだった。
 魔王を討伐するために作った聖剣。あれを超える作品を作るには、とてつもない研鑽が必要になるはずだ。
 けれど俺の存在は良くも悪くも有名になってしまった。
 リアム達に頼んでいるおかげで流れの鍛治師ラックの名を知っているものはほとんどいない。
 だがそれでも最近は、リアム達を経由する形で俺に大量の鍛冶仕事が降ってくるようになった。
 それに……実はここ最近俺の頭を悩ませている、喫緊の問題があった。
 ――既に俺の技術の向上が、頭打ちになってきていたのだ。
 だが聖剣に記された神聖文字を解読し、魔力情報を読み取ることができるようになったことで新たな可能性が開けた。
 今日もまたこいつを研究して、なんとかして文字を圧縮した古代文明ばりの魔道具を作りたいところだ。
「仕事を終えてからじゃないと手を出せないのがしんどいんだよな……いっそのこと今後一切、仕事は断るか」
 たしかに勇者の側で技術を鍛えたから自分の腕には自信があるが、俺はそれでも流れの鍛冶師に過ぎない。
 俺より腕のいい鍛冶師なんか探せばいくらでもいる。
 それに魔物の被害は今後減っていくだろうから、わざわざ俺が必死こいて頑張る必要はもうないだろう。
「ふぅ、これでさっさと……来客か」
 オーダーメイドのエンチャントを付与した剣をいくつか作ってから仕事に打ち込もうとしていると、店のドアベルが鳴った。
 俺の店は店自体に高度な隠蔽をかけてあり、そこに鍛冶屋があるとしっかり認識できている人間でなければ見つけることができない。
 誰かと思い店に戻ると、そこには店と同じく隠蔽のかかっているローブを身に纏っている女性の姿があった。
 数日ぶりに見る彼女の姿に、先ほどまで感じていた不満など一瞬で吹っ飛んでいってしまう。
 見るのは数日ぶりのはずなのに、まるで何ヶ月もあっていないかのように感じてしまうのは、彼女がやってのけた功績の前に少し気後れがあるからだろうか。
「久しぶりだね――ラック」
 短く切り揃えた金の髪に、意志の強い青の瞳。
 その凜々しさから王都にファンクラブができていると噂の彼女こそ、魔王を倒しこの世界に平和をもたらした勇者リアムだ。
 「おう、巷じゃすっかり偉人扱いだろ。俺も敬語とか使った方がいいか?」
「そんなのやめてよ、ラックはラックのままでいて! 僕の方こそ、来るの遅くなっちゃってごめんね、色々と話さなくちゃいけない相手がいてさ……もう疲れちゃったよ」
 リアムは勝手知ったるといった様子で中へ入ると、椅子に座ったままぐでーっと机の上に倒れ込む。
 世の中の彼女を知っている人が見れば驚愕すると思うが、こいつは案外こんなやつだ。
 がさつだし、ボーイッシュというより男勝りという表現が正しいやつで、女の子らしさというものを母さんの腹の中に忘れてしまったようなやつだ。
 まぁ女の子女の子した子と比べると付き合いやすいから、俺は助かってるんだけどさ。
「色々大変だっただろ……」
「うん、過去形にはできないよねぇ……現在進行形で大変だし、多分一ヶ月後ぐらいまでは毎日パーティーや巡礼でおおわらわだよ」
 見ればリアムは、最後に見た時より明らかに元気がない。心なしかげっそりしているような気もする。
 慣れていない王族や大貴族達との気疲れするやりとりの毎日で、だいぶ心がすり減っているらしかった。
「勇者ってのも楽じゃないんだな……ほれ」
 店の裏から取ってきたポテトチップスを差し出すと、リアムはフードを脱ぎ捨ててからぽりぽりと食べ始める。
 ちなみにこれは自作だ。誰とも話さず長時間過ごすことも多いため一通りの家事はこなせるんだ。
「他人事だなぁ……本当ならラックも僕らと一緒に来るべきなんだからね?」
「趣味じゃないんだよ、目立つの」
 俺はリアム達に、俺の名前を出すことのないようお願いしている。
 おかげで勇者パーティーの専属鍛治師にしては、世俗的な柵も少ない方だと思う。
 俺は金や地位、名誉といった世間的に必要とされるもののほとんどを必要としていない。
 衣食住なんか最低限生きていければいいし、女を作る暇があるならその間に剣の一本も作っていたい。
 これは俺の持論だが、鍛冶師にとって世の中の柵は基本的には邪魔にしかならない。
 リアム達が有力者達のため断り切れないものを選別し、こちらに回してくる仕事を最小限にしてくれていることはわかってはいるのだが、俺視点からするとこれでも大分多い方だ。
 リアム達からの報酬であらゆる素材を私費で調達できるようになった今、正直あまり自分の技術研鑽に繋がらないような仕事は受けたくないと思っている。
 彼女達が最高の素材とオーダーを回し続けてくれるから、我慢してきたわけだけど。
 実際のところ、金にはまったく困っていない。というかそもそもの話、かかる経費以外で金に興味がない。
 途中からはただ鍛冶仕事をして技術の限界を目指し続けていけば自然と溜まっていったため、最近では自分の金庫にどれくらいの金が入っているか自分でもほとんど理解していない。 そういえばかつて古代文明の遺物である聖剣を修復したことで、王家から報酬も出ていたっけ……中身を見ずに袋ごと金庫行きになったため額は知らないが。
「僕らも難儀してるんだよ……腕がいいのにこれだもの」
「お前ほどの剣士に腕がいいと言われると、流石に照れるな」
「前半の言葉、全然聞き取ってなくない!? 難聴系主人公でももうちょっと音拾うよ!?」
 もう……と言うことを聞かない子供を甘やかすお母さんのような顔つきで、彼女は背中に手をかける。
 そしてごとりと机の上に一本の剣を乗せた。
 思わずごくりと喉が動き、生唾を飲み込んでしまった。
 鞘に入っていてもわかるこの圧倒的な存在感。
 そして迸る魔力と、隠しきれない禍々しさ……。
 俺が目を向ければ、リアムはこくりと頷いてみせる。
「そう、これが歴代の魔王が使ってきたという魔剣……禍剣セフィラだよ」
「ありがとうな、無理を言ってもらって」
「もう、ホントだよ! これを借りてくるのに、めちゃくちゃ骨を折ったんだからね!」
 聖剣の修復依頼に関して、俺はリアム達から報酬を受け取らなかった。
 その代わりに彼女達に、俺は一つの交換条件を出したのだ。
 それは――歴代の魔王が使ってきたという魔剣、禍剣セフィラを俺に貸与してくれること。 もし魔王の討伐ができれば彼女達のものになるんだからあっさり借りれるとばかり思っていたが……どうやらこいつが魔王の討伐を証明するものということもあり、持ち出しには相当に難儀したらしい。
 ここ最近の疲れのうちの何割かはこいつを持ち出すためのものと言われれば、俺としても頭を下げることしかできない。
「とりあえずかなりヤバめな呪いが書かれてるみたいだから、気をつけてね」
「ああ、こいつに記されてるのは恐らく聖剣に記されていた神聖文字と同年代のもの……気合いを入れて、楽しませてもらうよ」
「僕はラックの身を案じて言ってるんだけどなぁ……とりあえず僕はそろそろ行くね。この後も予定がぎっしりなんだよ……誰かさんと違ってね!」
「おう、また後でな。この禍剣の分析と研究に区切りがついたら、俺の方から尋ねに行くよ」
「フェイ達もラックに会いたがってたから、そう遠くないうちに来ると思うよ!」
「そうか、それなら楽しみにしておくよ」
 べーっと舌を出しながらかわいらしい嫌みを言って、リアムはそのまま店を出ていった。
 おしゃべりが好きな彼女がこんなにあっさりと引き下がるところを見ると、どうやら相も変わらずかなり忙しいらしい。
 俺にはごめんだな。
「さってと……」
 俺は剣の柄に触れながら、にやりと笑う。
 鏡を見なくてもわかる。
 きっと今の俺の瞳は、おもちゃを与えられた子供のようにキラキラと輝いていることだろう。
 こりゃあしばらくは、徹夜かな。
「――構造分析(アナライズ)」

 リアムが鍛冶屋にやって来てから二ヶ月後。
 一通りの研究と準備(・・)を終えた俺は、彼女が与えられた王都の邸宅にやってきていた。
「ふふん、どうですか勇爵様のお屋敷は! 金に飽かせて調度品から何から全部一級品で揃えたからね! 自慢じゃないけど、なかなかのものだよ!」
「家を誇るのはいいんだが、そのやり方に品性がなさすぎる……」
 リアムは魔王討伐の功から、貴族に叙されることになった。
 ただ本来なら国王でもできないような難事をやってのけたのだから、上げる爵位はどれにするのがいいだろうという話になり。
 公爵位をあげたいが公爵は王と血縁関係がなくてはならないため、新たに勇爵と呼ばれる唯一にして無二の爵位をあげる形でなんとか乗り切ったらしい。
「で……どうだった?」
「ああ、悪くない……いや、実に得がたい経験だった」
 俺は腰に提げている二振り(・・・)の剣を取り出しながらそう口にする。
「禍剣セフィラは俺が想像していた通り、神聖文字とはまた異なる古代文字によって作られていた。新たな知見が広がるどころの話じゃない。この二つを極めれば、俺は鍛治師として更なる高みにいけるだろう」
 禍剣セフィラに記されている魔力文字は、神聖文字とは別のものだった。といっても源流が似ているから解読にはさほど時間はかからなかった(ちなみに俺は、これを便宜上古代魔族文字と呼ぶことにしている)。
 大変だったのはむしろその後と言っていい。
 神聖文字を真っ直ぐな天使とすれば、この古代魔族文字は一癖も二癖もある悪魔といえた。 こいつを使って剣を打つと、ちょっとでも文法を間違えたり込める魔力量を間違えたりするだけで爆発したり、炎に包まれたりしてしまう。
 おかげで副産物も手に入ったわけだが……総括すると、なかなかな難物だったと言える。
「……どうして、剣が二本あるの?」
 たしかにそれは当然の疑問だろう。
 ポケットの中に入れたら二つに増えるビスケットでもないんだから、剣がいきなり分裂するはずもない。
「ふふ、それはだな……」
 俺は何日もの間仮眠しか取ることもなく、若干ハイになっている脳みそをフルで回転させ、早口で説明をすることにした。
 神聖文字と古代魔族文字。
 この二つの新たな魔力文字の解読に成功した俺の脳裏に、一つの閃きが走った。
 聖剣クラウソラスと禍剣セフィラは、間違いなく同格の強さを誇る存在だ。
 そして二つは同年代に生み出されたものと推定され、そのため二つの魔力文字にはいくつもの共通項がある。
 ――で、あれば。
 それら二つの魔力文字を組み合わせれば……二つの剣の特徴を併せ持った、最強の剣が作れるのではないか?
 鍛冶の神髄を突き詰めようとする信徒である俺にとって、その疑問を抱くのは至極当然のことであった。
「そうして紆余曲折の末にできたのが……こいつだ」
 俺は禍剣セフィラの隣にある剣を鞘から抜き出す。
 右半分の刀身が白、そして残る左半分が黒。
 神聖文字と古代魔族文字はとにかく互いに反発する性質を持っており、同じ刃にエンチャントを施そうとしても爆発してしまうだけだった。
 その問題をなんとかするためにはまず剣を作るにあたって必要な魔力情報を一度全て書き起こし、そのうち共通項を両者を接合する部分に集め、その上で一度別々に刀身を作ってから交互にエンチャントをかけてかけ合わせることで、なんとか反発する性質をそのまま魔法効果に落とし込むことに成功した。
 こうして俺が生み出した剣こそが――。
「聖魔剣カオティックレイ……間違いなく今の俺が作れる、最高傑作だ」
「聖、魔剣……」
 リアムは信じられないようなものを見る目で剣を見たかと、同じような顔をこちらにも向けてきた。
「多分だが純粋な耐久性と攻撃力だけなら、リアムが使っている聖剣以上になるだろう」
「な、なんてものを作っちゃうのさ!?」
「作れる技術があるのなら、作らずにはいられない……鍛冶師っつうのはそういう生き物なんだよ」
「か、カッコいいこと言って誤魔化そうとしても騙されないからね!」
 なぜか顔を赤らめながらそんなことを言われる。
 別に誤魔化してるわけじゃないんだが……病気だろうか?
 勇爵としてのめまぐるしいほどの忙しさに、熱の一つでも出したのかもしれない。
 遊びに来た時のフェイ達も全員死んだ目をしていた。
 勇者パーティーは四人とも、とてつもなく忙しいらしいからな。
(というかリアムは褒めてくれているけど……俺自身としてはまだまだこの聖魔剣の出来に満足はいっていないんだよな)
 この短い時間では、そもそも最適な魔力文字を見つけることができなかった。
 理論上より効率的なエンチャントを施せるくらいに情報が圧縮できるようになれば、その他にも色々な性能が足せるはずなのだ。
 純粋な強化効率がエグくなる聖魔剣であれば、もっともっと俺の創作意欲を満たせるような作品が作れるはずなんだが……いかんせん、俺の努力不足だ。
 少なくとも今よりも神聖文字と古代魔族文字を使ったエンチャントに熟達しないと、これ以上の作品を作るのは難しいと言わざるを得ない。
「この剣は習作だ。とりあえずリアムに渡しておくから、もしも聖剣が壊れた時は使ってくれ」
「聖剣が壊れることなんてそうそうないと思うんだけど……? 魔王との戦いの時だって傷一つついてなかったし」
「別に聖剣自体の耐久度はそこまで高いわけじゃないから、そこは純粋にリアムの腕だと思うがな……あ、そうだ。実は今日、リアムに一つ言っておくことがあるんだ」
「え……何、どうしたのさ急にそんな真面目な顔をして。も、もしかして……(ドキドキ)」
 いかんいかん、ここに来たもう一つの目的を完全に忘れるところだった。
 俺はなんでもないような態度のまま、気軽に告げることにした。
「俺……リアム達の専属鍛冶師辞めるわ」

「…………え?」
 ギギギと油の切れた人形のような人形のように、リアムがこちらを向く。
 パクパクと口を開いたり閉じたりしながら、目を見開いている。
「え……えええええええええええええぇぇっ!? どどど、どうして急に!?」
「店が吹っ飛んだから……というのが表向きの理由だな」
「――ええっ!? 店、なくなっちゃったの!?」
 絶えず襲ってくる新たな情報にパニックになっているようで、リアムはグルグルと目を回していた。
「ああ。二つの魔力文字の相性を試すために何振りか作ったら、更地になった」
「更地っ!?」
 そう、この二ヶ月で既に俺の店は完全に更地になってしまっていた。
 まさかちょっと出力をミスったせいであれだけの衝撃波に襲われるとはな……おかげで途中からは完全防備で作業をすることになり、熱中しているうちに俺がやっている店どころか中にあった炉から備品から全てが跡形もなく消し飛んでしまった。
 聖魔剣を作る時には鍛冶作業が終わりあとはエンチャントをするだけで良かったので問題なく仕上げることができたわけだが……更地の鍛冶屋では今後の作業に明らかに支障が出る。 ただ、それなら別に吹っ飛んだなら新しいものを建てれば済む話。
 つまりこれはいわゆる建前というやつで、本音は別のところにある。
「ぶっちゃけた話……これ以上俗世の依頼を受けたら俺の方がパンクして、まともに自分のしたい鍛冶ができなくなる。それに……平和になった世の中じゃあ、リアム達も剣を振るう場所がないだろ?」
「うぐ、それはたしかにそうだね。最近身体は鈍ってしかたないし……お腹だって、ちょっとぷにってきてるし」
 少し薄情な気もするが、俺がリアムの専属鍛冶師になったのはそうするのが一番、自分のしたい鍛冶ができたからだ。
 『仮初めの英雄』と共に歩んできた日々が、間違いだったとは思わない。
 けれどあれはあくまでも、ギブアンドテイクの関係が成り立つからこそ続いているもので。きっと今が、俺と彼女達の道は分かれるタイミングなのだと思う。
 今後、リアム達は強力な武具を必要とする機会はどんどんと減っていくことだろう。
 平和な世界で必要になるのは一本の名剣ではなく、十の鋤や鍬なのだから。
『人のために生きることこそ、鍛冶師の本懐だ』
 父さんの言葉が頭をよぎる。
 鍛冶屋は誰かの役に立たなければいけないとは、俺も常々思ってきた。
 けど自分で言うのもあれだが、その……俺は十分に、世の中というものに対して貢献をしてきたように思う。
 それに何も一切の鍛冶をしなくなるわけじゃない。
 技術を研鑽していけばきっとその先には、今よりもっと沢山の人に役立つものが作れる気がするのだ。
 それもあるからこそ……俺は、わがままになろうと決めた。
『自分のために生きることこそが、鍛冶を何より色づけてくれる』
 ここから先は――俺の好きなように、生きるのだ。
 自分の腕を磨いて磨いて磨き続けて……鍛治師の頂を、この目で見てみたい。
 かねてから抱いていた情熱は、ことここに至っても一切消えることはなく。むしろ以前にも倍するほどの勢いで、煌々と燃え続けていた。
 俺はそんな自分の気持ちを、真っ直ぐにぶつけた。
 最初は不満そうな顔をしていたリアムも、俺が思いの丈を告げていくうちに表情が変わっていく。
 怒りから戸惑い、そして諦め……良い変化なのか悪い変化なのかはわからないが、彼女は最終的にはため息をこぼしながらも頷いてくれた。
「そう……だね。それがラックのしたいこと……なんだもんね」
「勘違いしてほしくないんだが……」
 俺にとって、『仮初めの英雄』との日々は、何よりもかけがえのない、とても大切なものだよ。
 そう告げると、リアムははにかんだ。
 それに釣られて、俺も笑う。
 俺はあの研鑽の日々を、生涯忘れることはないだろう。
 だからこれはしばしのお別れだ。
 もちろん、今生の別れでもなんでもない。
 全力で生き抜いていれば、道は再び交差するはずだ。きっと……いや、絶対に。
「ミラ達に挨拶はしていかないの?」
「もちろんしていくさ。今日の午前中の予定は、屋敷巡り」
「そっか……ラック、ちょっと待っててもらっていい?」
「ああ、構わないぞ」
 俺が待っていると、リアムはめちゃくちゃ仕事ができそうな家宰の人間と話し合い始め、そして数分もしないうちにこちらに戻ってきた。
「出立、明日でも大丈夫? 今日休みもらってきたからさ、皆でラックの送別会をしようと思って」
「……ああ、一日ズレたぐらいで問題は起こらないさ」
 こうして俺は久しぶりに、リアム達と一緒に昼間っから酒を飲むことにした。
 店が吹っ飛んだ俺と大貴族の彼女達。
 立場は変わったものの、お互いの関係性は何も変わらない。
「ラックがいなくなったら困る! 私の聖槍が壊れたらどうすればいいんだ!」
「大丈夫だ、こんなこともあろうかと自動修復(オートメンディング)をかけている。壊れても次の日には直るようになってるさ」
「なんだと!? たしかにヒビが入っても次の日にはなくなってたから、変だとは思ってたんだ!」
「逆になんでそれで気付かなかったんだよ」
 フェイは相変わらずキリッとした見た目のくせにどこか抜けていて。
「まぁ俺くらいの鍛冶師ならいくらでもいるだろうし、達者でやってくれ」
「ラックさんレベルの鍛冶師がいるわけないじゃないですか!?」
 ナージャにはなぜか呆れられ、怒られてしまった。
 俺は流れの鍛治師だので他のやつの腕をほとんど知らないが、まぁ俺クラスの鍛治師ならいくらでもいるはずだ。
 お世辞だとわかっていても、ナージャに認められたようで嬉しい気分になる。
「また遊ぼうね、ラック! あなたはマブダチだからな」
「おう」
 ミラとは拳を打ち付け合い、また会う約束を交わした。
 そして次の日、俺は二日酔いに悩まされながらも馬車に乗り込んでいく。
 向かう先は――この二ヶ月のうちに目星をつけて買った、辺境にある名もなき山だ。
 誰にも邪魔されることなく、鍛冶に打ち込める環境。
 それを求めた結果どうしても人のいない場所を選ばざるをえず、結果としてかなりの秘境になってしまったが……こればかりは致し方あるまい。
 こうして店を吹っ飛ばした俺は、鍛治師としてのセカンドライフを始めるため、王都を後にするのだった――。

 俺が購入した山は、かなりの僻地にある。
 人間の領域では最南端と言って良い場所で、ぎりぎり王国領に入っているという人間の住処というより魔物の生息地帯といった方が正しそうな場所だ。
 なんでも凶悪な魔物が出るような場所らしく、おかげで値段は二束三文だった。
 魔物が出る一人で僻地で暮らしていけるのかと尋ねれば、俺はこう答えよう。
 ぶっちゃけた話、一人で生きていくだけならどうとでもなる……と。
 エンチャントを使えば衣食住どれも問題なく揃えることはできるし、古代魔族文字のおかげで自衛するには過剰なくらいの戦闘能力も身に付けることができた。
 とりあえずしばらくは、一人でじっくりと鍛冶に打ち込める環境がほしい。
 人が来れないくらい厳しい環境なら、誰かに邪魔されることもなくしっかりと鍛冶に集中することができるだろう。
 リアム達が忙しく動いている中で一人ゆっくりしに行くのに少々罪悪感がないではないが……魔王に届くだけの武器を作ってみせたのだから、しばらく己の研究に打ち込むくらいのことを望んでも罰は当たるまい。
 まぁ長々と説明をしたが、俺にとっては人目につかないというのが何より大切なわけだ。
 ただ当然ながら王都から辺境伯領へ向かうためには、人里を通っていく必要がある。
 流石に補給やぐっすり眠れる宿なしで、目的地への最短距離を突っ走れるほど身体が強いわけじゃないからな。
 王都を抜けてから半月ほど、およそ半分ほどの行程が済んだところで、俺は問題に直面していた。その問題というのが――
「盗賊、ですか……」
「ええ、どうも傭兵上がりでなかなか強敵らしく……辺境伯家の騎士団が来るまでは南の街道は封鎖されておりまして」
 現在俺がいるのは、辺境伯領の真ん中あたりにあるレルドーンという街だ。
 ここから更に南下してアルリリという街へ向かおうとしているんだが、現在暴れ回っている盗賊団の根城がその辺りにあるらしく、街道封鎖が実施されてしまっていたのである。
 詳しい事情を聞くため、冒険者ギルドで受付嬢から詳しい話を教えてもらっていたのだ。
 なんでも頭がかなりの強さらしく、レルドーンに在留していた騎士団達相手に対等以上に渡り合ったという。ランクでいうと、B程度の強さはあるということだった。
 魔王が倒されたとはいえ、世界から悪人が消えたわけではない……ってことか。
「援軍がやってくる前に襲われる可能性もあるのではないですか?」
「ええ、ですので現在街には厳戒態勢が敷かれております。また、冒険者達による討伐隊を組織しておりまして、こちらは準備でき次第出発する予定です」
 こちらに攻め込んでこないのは……戦闘力が高いのが頭だけだからだろうか?
 もちろん情報が少ないので、判断するのは軽率だが……。
「現在やってきたばかりのラック様に対して強制力はないのですが……もしよければ盗賊の討伐依頼を受けてはもらえないでしょうか?」
 俺は一応、冒険者ライセンスを持っている。
 ランクはC。
 Sまで上がっているリアム達と比べると大したことはないが、一応自分の身を守れるくらいの強さは持っている。
 しっかし、盗賊討伐か……本気で剣を数本も打てば盗賊程度ならどうとでもなるとは思うんだが……ここで下手に目立って釘付けになるのは避けたい。
 もちろん街の人達の命が危ないとなれば、全力で武器を放出してなんとかするつもりだが……なんとかならないものだろうか。
「『雷剣』のジュリアの得物さえ壊れていなければ、盗賊程度に遅れは取らなかったのでしょうけど……」
 ……なぬ?

「私が『雷剣』のジュリアだ。なんでも私に話があるということだったが……」
 俺は冒険者ギルドの中の会議室を貸してもらい、一人の女性と向かい合っていた。
 真っ赤に燃える炎を思わせる、意志の強そうな女性だ。
 タッパもかなりあり、俺よりも背が高い。
 彼女は現在レルドーンにいる唯一のAランク冒険者、『雷剣』のジュリア。
 本来であれば盗賊など瞬殺できる彼女だが、折り悪く彼女の二つ名にもなっている、雷の魔剣は壊れてしまっている。
 彼女の強さは己の肉体を賦活し相手に一方的に麻痺を与えるその魔剣がなければ、その戦力は大きく半減してしまう。
「あまり時間があるわけではないので、早く目的を言ってくれると助かるんだが」
「その前に一つ質問をさせてください。『雷剣』を直せば、盗賊を倒すことはできますか?」
「――無論だ。ただ魔剣がない状態で挑めば、勝率が下がる。なので冒険者達を纏めて組織的に討伐に出ようという話になっているわけだ」
「だったら俺が魔剣を直します。急いでいるし代金はろはで……いや、魔剣を直した人物を秘密にすることと、魔剣を使う様子を近くで見せてもらうこと。この二つとさせてください」
「――馬鹿を言うのも大概にしろ。何人もの名工に頼んでもダメだったのだ。いくらなんでも……」
 明らかに気分を害して怒っている様子のジュリアさんに、俺は一本の剣を差し出した。
 護身用にと思い持ってきた、一本の短剣は、リアムに渡す前に作っていた聖魔剣のプロトタイプだ。
 剣を見たジュリアが、顔色を変える。
 この剣を見てその反応ができるということは、彼女が魔力の感知や検知に際して一廉の才能があることを示していた。
「こ、これは……」
「俺が打った剣です」
 剣士同士が一合刀を交わせば相手の力量を測れるように、優れた剣士は一目見ればその剣に宿る術理を理解することができる。
「誰も直せなかったというのなら、俺に任せてくれませんか?」
「……ああ」
 その場の雰囲気に飲まれてか、彼女は抵抗せずにスッと背負っている剣を差し出してきた。 鞘から剣を抜いてみる。
 刃は見るからにガタガタになっている。かなり硬い相手に何度も剣を当てたのだろう。
 状態は中破ってところだろうか……これなら素材さえあれば、問題なく直すことができそうだ。
 頼んだ名工ってのが潜りだったのかもしれない。これくらいなら、そこまで難しいものじゃないはずだ。
「雷龍の牙、轟雷ウナギの肝、セリエクト鉱石……修理用に溜め込んでいるはずですね? 今すぐ持ってこれますか」
「な、なぜわかったのだ……? 構造解析(アナライズ)も使っていないというのに……」
「前に似たような剣を仕立てたことがあるので……で、いかがでしょう? 俺の力を認めてもらえましたか?」
 ジュリアさんが複雑そうな顔をする。パッといきなり現れた鍛冶師のことを信じられないのは当然のことだ。
「……いや、信じる。どうせこのままでは壊れたままなのだ、この剣を直せる可能性があるというのなら、私は手間も苦労も惜しまない」
 というわけでジュリアさんに素材を持っていてもらう間に、俺は宿を借り、解体などに使われる作業場を貸し切らせてもらった。
 あの破損具合なら、魔力情報を修正すれば問題なく直すことができる。
 鍛造をして魔力容量を確保する必要もないため、そこまで大がかりな設備は必要ない。
「はあっ、はあっ、持ってきたぞ、ラック殿……」
 聖魔剣を見てから妙に態度が軟化したジュリアさんから素材を受け取る。
「もし良ければ、作業を遠目に見ていてもいいだろうか……もちろん、邪魔だというのなら席を外させてもらうが」
「いえ、大丈夫ですよ。愛剣がどうなるかをこの目で見たいという気持ちはよくわかりますから」
 好奇心旺盛なリアムなんかは、新しい剣を作る度にそれをじいっと観察することも多かった。おかげで誰かに見られながらの作業には慣れている。
 それにこの魔剣の魔力文字は、ごく一般的なものだ。
 古代魔族文字のように暴発する可能性は著しく低いため、距離を取ってくれるのなら問題はないだろう。
 俺は素材を持ってやってきたジュリアさんに見守られながら、鍛冶を始めていくことにした。
 一応道中も魔力文字は毎日弄るようにしていたため、ブランクはないが、油断せずにいこう。
 意識を集中させ、雷の魔剣に触れる。
「構造解析(アナライズ)」
 構造解析は、鍛治師としてやっていくためには必要不可欠な魔法の一つだ。
 これは簡単に言うと、物体の構造を解析する魔法だ。
 その構造というのには、物体を構成する要素や使われている材料だけでなく、そこに記されている魔力文字も含まれる。
 魔力文字というのは、簡単に言えば魔法的な効果のこもったクラフトの際に使われる、専用言語のようなものだ。
「ほう……『切れ味強化』・『斬撃強化』・『神経強化』・『俊敏』・『肉体活性』に『雷魔法』、それにこれは……『雷化』か? これを鍛えた鍛治師は、かなり腕がいいみたいだな」
 構造解析を極めれば、一発でどのような素材でできておりどのような魔力文字を書けば良いかがわかる。つまり簡単に言えば、トレースのようにまったく同じものを作ることができるようになるのだ。
 俺はまだその領域にまでは至っていない。
 俺にできるのはおおよその組成を把握し、記されている魔力文字をざっくりと解読することくらいなものだ。
 それは無理矢理翻訳した直訳のようなもので、意味が完全に理解できるほど完璧なものではない。
 この魔剣をより深く知るためには、もう一つの鍛冶魔法が必要となってくる。
「――情報展開(インフォーム)」
 情報展開もまた、鍛冶師としては必須技能の一つだ。
 構造解析が基礎設計を確認するためのものだとすれば、これはその中で魔力文字にのみ焦点を当て、より詳細な読み取りを行うことができるようになる魔法だ。
 この世界においては、魔力文字が唯一魔道具を作る方法だ。
 そして魔力文字を規則的に羅列し構成していくことで魔法的効果を生み出すことを、エンチャントと呼ぶ。
「魔力の流れは……セノト式に近い。ただちょっと文意がわかりづらいな……少なくとも現代の魔力文字じゃない」
 宙に浮かび上がって見える魔力文字を高速で解読していく。
 これはある種慣れのようなものがあり、見たことのある並び方をしていれば共通項を抜き出して理解までの時間を短縮することができる。
 使われている文字は現代の鍛冶師が使っている魔力文字だけでは文意の通らない部分が多々ある。
 恐らくは中期文明と呼ばれる、古代文明と現代文明の間の時代に作られた剣なのだろう。
 神聖文字と古代魔族文字を理解しているため、さほど時間をかけることなく文字を理解することができる
「なんて流れるような解読だ……ラック、君は、一体……?」
 遠くからささやくような声が聞こえてくるが、完全にゾーンに入っている俺にはそれは音の羅列以上の意味を持たなかった。
「くくっ、面白いな……この文字列は初めて見た。多分切れ味強化だろうが文字数が二文字も省略できるのか……あとでしっかりメモしておかないと……」
 魔力文字を解読していると、思わず笑みがこぼれてくる。
 わからない部分、意味の通っていないと思われる部分がいくつもある。類推はできるが確証はない部分も多かった。
 ハンマーで頭を殴られたような気分だ。
 どうやら俺は現代と古代の魔力文字を操れるようになり、少しばかり調子に乗っていた。
 まだまだ研鑽すべき場所はあるというのに、聖魔剣が作れたからと少しばかり調子に乗りすぎていたかもしれない。
 自分の知らない知識に触れることができる機会は貴重だ。
 それもあって俺はこの魔力文字の情報の読み取り作業が、決して嫌いではない。
 魔力文字によってそのものがどのように作られ、どのような意図を持って作られたかという作成者の意図まで読み取ることができるからだ。
 更に言うと魔力文字というのは、人の癖や個性が反映されることが多い。
 一人称が僕と俺で違うように、エンチャントの構成を見ていればなんとなく人となりのようなものが見えてくるのだ。
「穴だらけな部分も多いが、そこは俺の腕の見せ所だな……」
 魔力文字、およびそれによって作られる文脈としての魔力情報は当然ながら道具自体に記されている。
 剣は刀身が欠け、中の芯が見えているわけだから、そこに記されている魔力情報は当然ながら虫食いのようになっている。
 現代の鍛冶では理解しにくい前文明の文脈と虫食いだらけの魔力情報……たしかにこれは普通の鍛冶師なら匙を投げる。
 俺も古代文字を習得していなければ、無理だと諦めていたかもしれない。
(技術には流れがある。今の俺なら、こいつを問題なく直せる)
 この剣のエンチャントを完全に修復するためには、中期の魔力文字によって魔力情報を記す必要がある。
 現代の魔力文字と古代の魔力文字と比べ合わせ適宜索引する形を採れば、問題なく穴を埋めることはできるはずだ。
「……」
 高速で魔力情報を展開しながら、手持ちのノートに魔力文字を書き記しては消していく。
 魔法効果を成り立たせている魔力文字を読み取り続けること、およそ二十分ほど。
 自分なりに仮説を立て、文意に筋が通るところまでいった。
 訳としては少々堅いが、安全係数は十分に取ってある。 
 後は修繕用の素材を使いながら継ぎ足ししていけば、問題なく直せるだろう。
「光が出るので、気をつけてください」
 俺は作業用のゴーグルを取り出し、カチャリとかける。
 魔力情報にパスが発生し、ラインが通る度に発生する光は、使う魔力文字や鍛冶魔法の腕によって光度が変わる。今の俺の場合、閃光弾クラスの光が出るので普通に殺人兵器だ。
 遠くにいるジュリアさんが手で目庇を作るのを確認してから、締めの作業に入ることにした。
魔力素描(ディスクライブ)
 こいつはぶつ切りになっている魔力情報に新たな魔力文字を書き込んでいく鍛冶魔法だ。 俺の魔力文字が、新たな文脈を生み出していく。
 文意の通っていなかった場所に意味が通り、虫食いになっていた魔力情報が本来の力を取り戻していく。
 バチバチバチッ!
 高速で打ち込んでいく魔力文字に反応して、強烈な光が噴き出してくる。
 いくつものエンチャントの効果が発動し、更に強烈な色とりどりの光が飛び出しては、吸い込まれるように魔力情報の中へと消えていく。
「綺麗……」
 ただ刀身が壊れている状態ではやはり限界がある。それにこの剣自体のリソースも切れかけていた。
 ジュリアさんから渡されていた素材を剣の上に置き、再び鍛冶魔法を使わせてもらう。
「接合(コネクティング)」
 剣と素材を重ね合わせ、魔力文字によって繋いでいく。
 光が収まった時、そこには己の怪我を新たな素材を使って修繕するかのように、少々いびつながらも欠けの消えた魔剣がそこにあった。
「私は一体……何を見ているのだ……?」
 感嘆のため息をBGMにしながら、淡々と作業を続けていく。
 打ち込む魔力文字を間違えれば、その分だけ剣の出来も悪くなる。
 後からやり直すこともできるが、その場合は修正のためにリソースを使わなければならないため、一発で完璧に仕上げるのが理想なのだ。
 幸い最難関と言える古代魔族文字に何百回と触れてきたおかげで、一度のミスをすることもなく魔力文字の打ち込みが終わった。
 次が、最後の仕上げだ。
「調整(チューニング)」
 発揮されているエンチャントがしっかり100%の効果を発揮できるようにするために、残っている不必要な魔力を取り出し、省略できる魔力文字を削り、多少無理に接合した素材と魔剣をしっかりと馴染ませていく。
 最後に余ったリソースを全てエンチャントの効果向上の部分にふってやれば、これで完成だ。
 完全に光が収まった時、そこには一本の剣があった。
 俺はそこに、雷の虎を見た気がした。
 バチバチと雷を弾けさせながら、己の牙で獲物を食い破るのを待ち望んでいる飢えた虎だ。 手に取ってみると先ほどまで爆ぜていた雷は一瞬のうちに消え、美しい紫の刀身が、キラリと俺の姿を鏡のように映し出す。
「雷剣『独虎』、と呼んでいただけたら」
「……」
 俺が剣を差し出すとジュリアさんは何も言わずに、それを受け取った。
 剣をためつすがめつ眺めてから、こくりと頷く。
「古代文字を使ったので少々ピーキーにはなっているかもしれませんが……少なくとも前より弱いということはないはずです」
「ラック殿、あなたは、一体……?」
 ジュリアさんの問いに、俺は自分の唇を人差し指で押さえることで答えとした。
 約束を思い出したのか、彼女は口を噤んでへの字に曲げる。
「どうでしょう、これを使えば盗賊は倒せるでしょうか?」
 軽く剣を振り、調子を確かめてから……彼女は笑った。
「――ああ、鎧袖一触だよ」

 それは一陣の風――いや、荒れ狂う一筋の雷風だった。
「ぐおっ!?」
「なんだ、この化け物はっ!?」
「畜生、こんなんがいるなんて聞いてねぇぞ!」
 現在俺はジュリアさんと一緒に、盗賊のアジトまでやってきている。
 彼女が高速で移動すれば、アジトを見つけるのは実に簡単なことだった。
(しっかし……すごいな……流石はAランク冒険者だ)
 以前は使用感がわかるよう前線に出て武器を観察することもあったが、リアム達が戦う敵が強くなりすぎてからは、こうして最前線で自分の武器が使われている様子を見る機会はとんとなくなった。
 なのでとても新鮮で、そしてためになる。
「「「ぐああああああっっ!!」」」
 俺の目の前で、大量の盗賊達が目にもつかないほどの速度で倒されていく。
 しかもきちんと手加減もしており、誰一人として殺してはいない。
 ジュリアさんは雷をしっかりと使いこなしており、盗賊達は皆感電しながら気絶している。「すごい……すごいぞラック殿! 正直、以前とは比べるのもおこがましいくらいだ」
「ありがとうございます」
 古代魔族文字を使ったので少々出力は上がっただろうが、それほどの違いはないはずだ。
 大げさだなぁと思いながらも、しっかりとお礼を受けておく。
 長いこと使えていなかった魔剣が使えるようになったんだから、テンションが高くなるのもしょうがないだろうしね。
 盗賊を蹴散らしながら奥へと進んでいく。
 一番奥までたどりつくと、そこには簡素ながらも扉がついていた。
 恐らくは頭が住んでいる場所なのだろう。
 ギィ……と軋みながらドアが開くと、中から一人の男が現れる。
「てめぇ……よくもやってくれやがったなぁ」
 筋骨隆々の男は、たしかに騎士を蹴散らしたと言われても頷けるほどの迫力があった。
 けれどそんな男の前でも、ジュリアさんの様子は何一つ変わらない。
 彼女は至って自然体な様子で、
「お前が『首狩り』ザルーグだな。捕縛して、連れて行かせてもらうぞ」
「へっ、ぬかせ! 俺は同じことを言うやつを、既に十人以上殺してるっつうの!」
 瞬間、二人の姿が消える。
 そして遅れて聞こえてくる剣戟の音。
 見れば二人は超高速で移動しながら、互いに攻撃と防御を繰り返していた。
 ただどちらが優勢なのかは、戦いの専門家でない俺にも、見て明らかだった。
「ぐうぅっ……なんで、なんで俺の攻撃が通らねぇっ!」
「……なんだ、この程度か」
 実力者であるはずのザルーグが完全に防戦一方になっている。
 このままでは勝てないと判断したのだろう、彼は戦いを観察している俺を見ると一目散にこちらに近付いてきた。
 恐らくは人質に取るつもりなのだろう。
 その様子を見とがめたジュリアさんが、腰を下げ前傾姿勢になる。
 そして彼女は次の瞬間――大気を裂く、雷そのものになった。
「――『雷化』!」
「ぐああああああっっ!!」
 追いつけないと思い無防備に背中を晒していたザルーグが、モロに一撃を食らう。
「ちくしょう、一生、遊んで暮らすはずだったってのに……」
 ブツブツと言いながら気絶した彼を、ロープでグルグルにして捕縛する。
 同じく盗賊達も全員後ろ手に縛ると、ジュリアさんはこちらを見て笑った。
「やっぱりすごいな、この『雷化』の力は! ラック殿のおかげで、私はまた一歩強くなることができたぞ!」
 俺が直すまでの雷の魔剣には、組み込まれているが使用ができていない機能が一つだけあった。
 それが『雷化』――使用者そのものを雷へと変じさせる力だ。
 恐らくリソースの都合上使えなかったであろうその能力を、俺は古代魔族文字を使って情報圧縮をすることで問題なく使用できるようにしてみせた。
 この力を使ったジュリアさんは正しく敵なしだ。
 恐らく今後、彼女の名は更に有名になっていくに違いない。
 なんにせよ、これで盗賊退治は終わった。
 これで心置きなく山に……。
「……っ……っ」
 何か、音が聞こえてくる気がした。
 ジュリアさんと顔を合わせる。二人でそっと部屋の中へ入るとそこには……。
「くぅん……」
 檻の中に囚われている、一匹の狼の姿がいた。
 体色は光沢のある銀色。全身が銀や鉄でできているんじゃないかと思ってしまうほどにぬるりと輝いている。
 牙は人間を噛み砕けるくらいに長いが、こちらを見つめる視線に剣呑さはなかった。
 それどころか、その深緑の瞳には知性の色を感じる。
 全てを見透かすかのように、その澄んだ瞳でこちらを見つめていた。
「ジュリアさん、多分だけど……こいつ魔物ですよね?」
「ああ、恐らくはそうだろうな。しかし、これほど見事な狼型魔物は、私でも見たことがないな……」
 体長は明らかに俺より大きい。
 思い切りダイブしても受け止めてくれそうなでかもふだ。
「お前……怪我してるのか?」
 怪我しているのか、前足に包帯が巻かれていた。
 ただ盗賊達の巻き方が雑だったのか、怪我が外気にさらされるようになっている。
 その痛そうな様子を見た俺は、ポーチに入れていたポーションを取り出し患部にかける。
 俺が旅の道中暇で作ったポーションは、するとみるみるうちに怪我は小さくなり、数秒もしないうちに消えた。
「嘘だろう、まさかそれは……伝説のエリクサー……?」
「いえいえ、まさか。俺が手慰みに作ったハイポーションです。いやぁ傷が治ってくれて助かりました」
「その回復量がハイポーションなわけがないだろう!? ……はぁ、もう驚くのにも疲れてきたぞ……」
 なぜか戦った直後よりぐったりとした様子のジュリアさんは放っておき、次は檻に手をかける。
「後ろに下がっててくれ」
 言葉が通じるかと思い一応言ってみると、狼は何も言わず檻の端の方で身をすぼめた。
 どうやら人間の言葉が理解できるくらいには高い知性を持っているらしい。
「情報展開、からの……魔力素描」
 この世界に存在しているものは、大小の差異こそあれど必ず魔力を持っている。
 つまりそれは、全ての物体が魔力情報を持っている。
 この檻も魔道具ではないが、そこには魔力文字を書き込む余地がある。
 俺はそこに、でたらめな魔力文字を書き込んでいく。
 エンチャントは、何もプラスの魔法効果を生み出すだけのものではない。
 ぐちゃぐちゃな魔力文字を書き込めば、当然ながらマイナスの効果を発揮する。
 そこに出力が高い古代魔族文字を使えば……バギンッ!
 魔力文字の負荷に耐えきれず、檻を構成する鉄柱が真ん中のあたりからへし折れる。
「ほら、おいで」
 こっちの言葉を理解している狼は、鳴き声を上げることもなくするすると器用に檻から出た。
 そして……ぺろっ。
 まるで感謝の意を示すかのように、俺の頬をぺろりと舐めた。
 狼はそのまま頭をこちらにこすりつけると、体重を預けてくる。
 かなりの巨体なので、思いっきり踏ん張らないとすぐにでも倒れてしまいそうだった。
「なんというか……あんまり魔物っぽくないな」
「……ええ、そうですね」
「わふっ!」
 頭を撫でてやると、狼は満足そうに目を細める。
 もっともっととせがまれたので、そのまま手を下げて綺麗な毛並みを撫でていくことにした。
 指先は絡まることもなく、するすると通り抜けていく。
 ずっと触っていたくなるような撫で心地だ。
 つるつるとしていて、高級なビロードに触れているようだった。
「くぅん……」
 気持ちよさそうにしている狼を見ていると、なんだか気が抜けてしまった。
 警戒していた自分が馬鹿みたいだ。
 ひとしきり撫でて満足させてから、ジュリアさんと一緒にアジトを出る。
 数珠つなぎにした盗賊達を引っ張りながら街へ戻ろうとした時のことだ。
「わふっ!」
 さっき別れを告げたはずの狼が、なぜか後ろからついてきた。
「……一緒に来たいのか?」
「きゃんっ!」
 ブンブンと尻尾を振っている狼は、明らかについてくる気満々だった。
 どうやら怪我を治して檻から出してやったせいで、ずいぶんと懐かれてしまったらしい。
 ついてきたいというのなら、別に断る理由もない。
 知性も高いだろうから、言うことも聞いてくれるだろうし。
「人を食べちゃダメだからな……こいつら以外」
「ガルルッ!」
 狼がその鋭い犬歯を覗かせると、盗賊達がひいっと情けない声をあげる。
 こうして俺はなぜか懐かれた狼と一緒に、街へと戻るのだった……。

勇者の専属鍛冶師、引退して山を買う~極めたスキルで理想のセカンドライフが始まりました~

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