エルフを見るのは初めてだった。
 その見た目は、伝承に聞いているものそのままだ。
 左右対称で整っている美しい顔に、ぴんと綺麗に横に伸びている笹穂耳。
 エルフは人間などとは違う悠久の時を生きるという。
 見た目は二十代前半くらいに見えるが、見た目通りの年齢と思わない方がいいだろう。
「はい、人種のラックといいます。そちらはエルフ……で間違いないですよね?」
「あ、ああ……エルフの……ビビという。正式に言うと愛称なのだが、人間からすると本名は長すぎるらしいので、ビビと呼んでもらって構わない」
「ビビさん、ですね。よろしくお願い致します」
 やってきた瞬間は流石に警戒したが、どうやらエルフの女性にこちらとやり合うつもりはないようだ。
 俺は間にジルを立てる形でとりあえず彼女を家の中に案内することにした。
「人種を見るのはずいぶんと久しぶりだ……そういえばこの辺りには人里があるんだったよな? もし良ければ後で案内をしてくれると助かるのだが……」
「……いえ、少なくとも俺以外に住んでる人は居ないと思いますよ」
「む、そうだったのか? なんだか聞いていた話とはずいぶん違うな……」
 どうやらエルフの中の認識は、この辺りにまだ人間が暮らしていたあたりで止まっているらしい。
 それって一体……いつの話なんだ?
 少なくとも百年二百年じゃ利かなそうなくらい昔のことだと思うんだが……時間の流れが違いすぎる。きちんと話ができるか、なんだか心配になってきた。
「えっと……ビビさんはどうして山を越えてこっちにやって来たんですか? こっちのシュリの話では、かなり凶悪な魔物が巣食っているという話でしたが……」
「うむ、それについてはきちんと理由があるのだが……」
 ビビさんは時折こちらを見て身体をビクッとさせたりしながら、話をしてくれた。
 どうやら今、エルフの里は存亡の危機に立たされているらしい。
 ただそれでもエルフの里の人間は、里の外に助けを求めることはない。
 シュリから聞いていた通りエルフは非常に排他的であり、以前(それこそ千年近く昔の中期文明の頃の話だ)狩りと称して自分達を攫い奴隷に落としていた人間の手など借りたくはないし、定期的にいざこざを起こす根本的に相容れないドワーフ達に弱音を吐くわけにはいかない。
 ただ危機を放置しているせいでとうとうエルフ達は里を捨てるかどうかの瀬戸際にまで追い込まれてしまった。
 それでも尚助けを求めようとしない里の長老衆を見かねたビビさん達中でも比較的若いエルフ達は、周囲の反対を押し切って里を出ることを決めたのだという。
 どうやら彼女は里の若いエルフ達のリーダー的な存在らしく、エルフ達の中では一番実力も高かった。
 故に他のエルフ達は彼女をサポートし、彼らの協力を受けてなんとか森と山を抜けてきたのだという。
「もちろんかなりの危険を伴う旅ではあったが……こうしてなんとか生きながらえることができている。山の手前で別れはしたが、皆も無事で居てくれるはずだ。そんな風に命からがら山へやってきたら……いきなり神獣様と出会ったのだ。これを運命と言わずになんと言えばいい? 私達は神様に見放されていなかったのだと、改めて信じることができたよ」
 どうやらジルのことも魔物とは思っていないらしい。
 というか俺よりも隅に置けないような扱いをしている気がする。
 エルフの方の信仰では、守護獣ってどういう扱いになっているんだろうか。
「そうしたら、その……」
 ビビさんは言いよどむと、ちらちらとこちらを見ている。
 エルフというのはもっと尊大で、人間に対していい思いを抱いていないと聞いていたから、正直なところかなり意外な反応だ。
 嫌われているわけではないんだろうけど……恐がられている?
 心当たりがないので、首を傾げてしまう。
「ラック殿と出会ったわけだ。最初は守護獣様と共に人間が暮らしていることに驚いてしまったが……今ではきちんと納得している、安心してほしい」
「ビビさん、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「な、なんだ?」
 ワンオクターブ上がった半分裏返った声で聞き返される。
 知り合ってからほとんど時間は経っていないが、彼女は間違いなく緊張していた。
 ただ、なんと聞けばいいか迷う。正直に聞いたら、答えてくれるだろうか?
「その……怖がってますか?」
 悩んだ末、馬鹿みたいな質問をしてしまう。
 びくうっと一際大きく身体を動かしたビビが、おずおずと答えてくれる。
 彼女の口から出てきたのは、俺が想像もしていなかった答えだった。
「す、すまない、ラック殿の魔力がすごすぎて、つい……」
「魔力……ですか?」
「ああ、ラック殿ほど大量の魔力を持っている者を見るのは初めてで……もし態度に出ていたのならすまない」
 魔力がすごいなんて言われたのは初めてだ。
 そんなのリアム達からも言われたことないぞ。
 ていうかそもそも魔力っていうのは、人が見ることのできるものなんだろうか?
「エルフの耳はある種の感覚器官になっているのだ。我々が生まれ持っての狩人と言われるのは、この笹穂耳が風の流れだけではなく魔力や生命力といった、目では見ることのできない色々なものを捉えることができるからなのだ」
 彼女曰く、俺の魔力はとてつもなく多いらしい。
 ピンと横に張った耳が、この家に近付こうとする際にものすごい勢いで警鐘を鳴らし。そしてこうやって対面すると耳のセンサーが完全にいかれて無音になってしまったのだという。 少なくとも彼女の人生経験の中では、そんなことは一度としてなかったらしい。
「俺の魔力量って、多かったのか……」
「もしかして、自覚なかったんですか?」
 シュリにも呆れたような顔をされてしまう。
 どうやら彼女の方も、魔力量に関しては色々と気付いていたらしい。
「なかったな……今まで比較対象がいなかったし」
 俺は別に優れた魔法の才能があるわけではない。
 リアムやフェイのように大規模殲滅魔法が使えるわけでもなければ、ナージャのように欠損した肉体を完全に再生できるわけでもない。
 そのため俺は持てる魔力のほとんど全てを鍛冶に使っている。
 そして幸か不幸か、俺に鍛冶の知り合いはいなかった。
 なので自分の魔力量が多いのかどうか、比べる相手がいなかったのだ。
 ただよくよく考えてみると、魔力は最初の頃と比べればかなり増えてはいる……と思う。
 最初はすぐに魔力切れでへばってしまうことも多かったが、ある程度鍛冶技術が上がってからは魔力よりも集中力の方が先に切れるようになっていたし。
 しっかし、エルフにビビられるほど多かったのか……。
 ま、まぁその分レベルの高い鍛冶が長時間できるってことだから、別に問題はないよな。「ラック殿の方はその……ここで何をしているのだ? 守護獣様と一緒に住んでいるということは……この地域の鎮守的な存在なのだろうか?」
「……いや、普通に山暮らしをしているだけですね」
「普通に……山暮らし……?」
 俺は何もおかしいことは言っていないはずなのだが、なぜだかビビさんは首をもげそうなくらいすごい角度で傾げられてしまう。そしてそのまま、フリーズしてしまった。
 ……別に嘘とか隠語とかじゃなくて、普通に山暮らしをしているだけなんだけどな。
「そ、そうか……」
 なんかそれ以上聞いたらマズいと思ったからか、ビビさんがちょっと引き気味にそういった。
 彼女は絶対、何かを勘違いしていると思う。
 ただ今の俺が何を言っても通じなさそうなので、とりあえず別の話題を用意することに使用。
「そういえばその……エルフの里で起こっている問題というのは、一体なんなのでしょう?」
「それは……そうだな、どうせ人里に下りたら話そうと思っていたのだ。少し長くなるかもしれないが……聞いてくれると助かる」
 そう前置きをしてから、ビビさんは話し出した。
 今エルフの里を襲っているという、とある魔物の被害について……。