「きゃあああああああああっっ!!」
突如として聞こえてきた叫び声に思わず飛び起きる。
外を見ると日が昇ったばかりのようだった。
すわ敵襲かと思い、迎撃のための武器を手に、そのまま声のしたリビングの方へと走って行く。
「大丈夫か、シュリッ!!」
中へ入るとそこにはあわあわとしているシュリの姿がいるだけで、少なくとも魔物や盗賊の類の姿はない。
ホッとしながら武器を下ろすと、シュリは相変わらずあわあわとしていた。
「す、すみませんラックさん、これ……」
シュリが指差す先を見て、俺は彼女がなぜ叫んだのかを理解した。
そこには――切った肉ごと真っ二つになったまな板があった。
「ちょ、調理しようとしたらまな板ごと切れちゃいまして……」
「ああ、そうか……包丁の切れ味について、もうちょっときちんと説明しておくべきだったな」
これは間違いなく俺の落ち度だ。まな板を上げて見れば、調理場に使われているステンレスにも深い切り込みができてしまっている。
「と、とにかく弁償を……」
「いや大丈夫。これくらいならすぐに直せるよ」
まな板の方はただの木材なので無理だが、台所の方はステンレス製なのでどうとでもなりそうだ。
情報展開を使い、ステンレスの魔力情報を弄っていく。
いくつか動かしても問題なさそうな配列を動かし、新たに上書きしていく。
パパッと使うために中期文明の魔力文字を使って、『自動修復』の効果をつけることにした。
すると先ほどまでついていた亀裂が徐々に、目に見える速度で小さくなり始めた。
「す、すごい……すごいです、ラックさん!」
「お、おお、そうか……」
ものすごい食いつきように、俺の方がびっくりしてしまう。
シュリは目をキラキラと輝かせながら、痕が消え元通りになったキッチンを見つめていた。「ラックさんのクラフト、初めて見ました!」
「あ、ああ……そうだったっけ?」
「はい! やっぱりラックさんはクラフトも一流なんですね!」
「はは、ありがとう」
俺自身クラフトに関しては人並み程度だと思っているが……さすがに褒められて悪い気はしない。
「ちょっと切れ味を良くしすぎたかもしれないな……金属のまな板だと味が移るだろうし、別の包丁にしようか?」
「い、いえ、切れ味が抜群なのはいいことですから! 事前にわかっていればどうとでもなりますので!」
そう言うとシュリは新たに取り出したまな板の上で、ものすごい勢いで肉を切り始めた。
彼女は五ミリ程度のかなりの薄切りを高速で行っているが、まな板には傷一つついていない。
どうやらしっかりと斬撃の範囲を見極め、まな板に傷がつく寸前で引き上げているようだ。 高い動体視力と鋭い勘を持つ彼女だからこそできる芸当だろう。
「まったく抵抗がないので他の包丁を使うのがちょっと怖いですけど……ものすごい切れ味です」
「ああ、この包丁は切れ味特化で作らせてもらった。ちょっと俺の想像以上に切れすぎてびっくりしてるけどな……」
「え、この包丁……ラックさんが作ったんですか? てっきりアーティファクトか何かかと……」
アーティファクトとは、ざっくり言うと古代文明の遺跡から掘り出された魔道具のことだ。 この包丁は一応神聖文字と古代魔族文字を使って作った、いわば現代に蘇らせた古代技術を使って作られた逸品だから、当たらずとも遠からずってところではあるんだが。
「しっかし……うーん、包丁につけるには少しやりすぎだったかもしれないな」
「ち、ちなみにどんな効果がついてるんですか?」
「『絶対切断』だな」
「……ぜ、絶対切断?」
「ああ、霊体だろうが空間だろうが理論上は切り裂くことのできる、絶対の攻撃能力だな」「な、なんて効果を包丁につけてるんですか!」
つけられる効果のうち一番難度が高いものに挑戦したんだが……どうやらやりすぎだったらしい。
ただ鍛冶をするとただひたすらに良いものを作ろうとして、一切妥協できない質だから、こればっかりはどうしようもない。
切れ味を強化するだけだと普通に筋張った肉とか斬りづらいから、わりと有用だと思うんだけどな。
何事も、過ぎたるは及ばざるがごとしということなのだろうか……。
「なんだか聞くのがちょっと怖くなってきたんですけど……もしかしてこのお鍋や解体ナイフやフライパンも……?」
「ああ、鍋は一瞬でどんなものでも煮込むことができるよう『圧壊』のエンチャントを、フライパンにはどんな火力でも焦げ付かないように『概念防御』のエンチャントをつけている。ただ解体ナイフの方は……すまん。これは試しに魔鉄で作った試作品だから『斬撃強化』や『不壊』・『腕力強化』のような普通のエンチャントしかつけてないんだ……」
「私今、何を謝られてるんですか!?」
『概念防御』のエンチャントを作り上げること自体はできたんだが、これに熱だけを上手いこと通すようにするのが難関だった……ただおかげで『概念防御』をすり抜けるための魔力情報を見つけることができたから、結果オーライと言える。
今の俺なら、魔王が持っていた障壁や結界を以前よりほどよほど簡単に貫ける武器が作れるだろうな。
ちょっとやり過ぎな気もしたが……やはり普段から使うものに関しては、鍛治師として一切の妥協はできない。
身の回りの金属製のものくらいは、全てワンオフの一級品で揃えておきたいというのが鍛冶師心というのものだ。
「それじゃあ煮込んで……うわっ、本当に一瞬でお肉がほろほろに!!」
シュリには是非とも、この器具達を使いこなしてもらえたらと思う。
最初はビクビクしながら料理をしていたシュリだったが、効果に慣れてくるとあっという間に使いこなし始めてしまった。
元々高い身体能力との相乗効果で、驚くべきことに調理時間は五分もかかっていない。
だというのに今俺の目の前には、フルコースもかくやというほど大量の料理がほかほかと美味しそうな湯気を上げていた。
「いただきます!」
とろとろのスープに、フォークを軽く押すだけで切れてしまう煮込み料理、シャキシャキノ葉野菜のサラダの上にはすっぱめのドレッシングとローストされた肉が乗りがカルパッチョ風に。
正直全ての品が、俺の男飯とは比較にならないくらいに上手かった。
ガツガツと、ちょっとはしたないと自分でも思ってしまうほどのハイペースで食べ進めていってしまう。
使うのは初めてのはずなのに、まるで熟練の主婦のようにシュリは俺のハイスペック調理器具を使いこなしている。もしかするとシュリは、俺が想像していた以上に料理上手なのかもしれない。
「なぁシュリ」
「はい、なんでしょうか?」
「何か作ってほしい調理器具があったら言ってくれ。作らせてもらうから」
「えっと……それじゃあお言葉に甘えて……」
俺はシュリに言われた金物を最優先で作ろうと心に決める。
一度彼女の料理を味わってしまえば、二度とあの調味料をかけただけの肉には戻れそうにない。
「そういえばシュリは今日は何をするんだ? 家には『浄化』がかかってるから掃除はさほど時間をかけずに終わるだろうし、ゆっくりしてるのか?」
「いえ、でしたらジル……さんと一緒に山を探検しようかと思いまして」
様付けはやめてほしいという本人からの意思で、どうやらジルはさん付けという形で落ち着いたらしい。
にしても山の散策か……。
「もしよければ俺もついていっていいか?」
「はい、もちろん一緒に来てくれるなら心強いですが……鍛冶の方に影響はありませんか?」
「ああ、しばらく外に出てなかったからな。少しリフレッシュした方がいいかと思って」
鍛冶は金属との対話であり、そこには当然ながら高い独創性や創作性を求められる。
作業の性質上、ずっと根を詰めすぎているだけだと、どうしても煮詰まってしまうことも多いのだ。
山の中を歩くというのは、適度な気晴らしにはちょうどいいだろう。
というわけで今日はジルとシュリと一緒に、山を散策してみることにしよう。
「行きは急いで来たからあんまり気付かなかったが……かなり広いな……」
ジルの先導に従いながら、シュリと一緒に山の中を探索する。
一応今回の目的は食べられる野草やフルーツの採取だ。
何か食えるものがあるといいんだが……と思い歩いていると、あるわあるわ。
ヨモギのような野草から野いちごのようなフルーツまで、実に沢山の食料が見つかる。
特にフルーツの方はかなり潤沢で、ミカンやザクロまであった。
よく野生動物に食い荒らされてないものだ……。
魔物は基本的に魔力の籠もっているものしか食べることはない。
恐らく野生動物が魔物に食べられてしまっているせいで、自然がほとんど手つかずの状態で残っているんだろう。
「にしても魔物に遭遇しないな……」
「ジルさんがいるので、当然のことだと思います」
『魔物避け』の魔道具は動かすと効果をなくすタイプのものなので使っていないんだが、さっきから魔物の尻尾すら見えてはこない。
先ほどからなんとなく魔物がいる感覚はあるんだが、こちらが近付く前にどいつもこいつも遠くへ行ってしまうのだ。
どうやらここジルが暴れ回ったのがかなり効いているらしい。
本来であれば闘争心が強いはずの魔物もまったくやってこないとは……一体どれだけ暴れ回ったんだ、こいつは。
「わふっ」
安全に採取ができるから俺達としては問題ないんだが……ジルの方はどこか不満げだ。
なだめながら、とりあえず買った山を回っていく。
「思ってたより広いな……これなら採取に関しては、わざわざ隣の山まで出る必要もないかもしれん」
少なくとも、一日で回りきれるような広さではない。
ただ長期的に見たら別の山に行く必要はあるだろう。
幸い王国では、現地の狩人や村人がいない限り狩猟権や採取権なんかは問題はない。
人の手が入っていない場所である以上、俺が自由に取ってしまっても問題はないだろう。
「こっちにはクワの実がありますよ!」
「こっちにはラズベリーだ。」
「……(すんすん)」
『収納鞄』に十分な量の採取した食料を入れ、そろそろ帰るかと言い出そうとしたタイミングで、先ほどまで楽しそうにクランベリーを収穫していたシュリが鼻を動かした。
「……匂いがします」
「敵か?」
「いえ……焦げ臭いです。多分炊事の匂いかと」
彼女の先導に従って、森の中を歩いていく。
ジルは少し後ろをハイド&シークをしながらついてきていて、俺とシュリを見てやってきた魔物達を的確に捉えていた。
本気を出したジルの隠密は凄まじく、かなりの距離に近付かれないとそもそもその存在にも気付けない。
こいつがこれだけ魔物から避けられていても大量の素材を持ってくるのには、こういうカラクリがあったのか。
シュリの足が止まる。
足下を見ればそこには……たしかに人が焚き火をした後の痕跡が残っていた。
「……匂いはここで途切れてる。多分、風魔法で匂いを散らしたんだ」
どうやら向こうもかなりのやり手のようで、しっかり痕跡は消していたらしい。
足跡も土魔法で消す徹底ぶりで、これではとても追跡はできそうにない。
炊事の匂いを辿ることができたシュリのような子がいなければ、見つけることすらできなかったはずだ。
「現地住民……なのか? 少なくともここには誰も住んでいないって聞いてるんだが……」
「ラックさん、もしかすると……この人は、南から来たんじゃないでしょうか?」
「南、か……」
このアレルドゥリア山脈によって隔てられた更に南側。
そこにはエルフやドワーフ達の暮らす亜人の領域がある……と話には聞いたことがある。
けれど少なくとも俺は今までの人生で一度もエルフもドワーフも見たことがない。
なのでどこか現実味がないというか……都市伝説なんかの類だとばかり思っていた。
「エルフにドワーフ……本当にいるんだろうか?」
「いますよ?」
「……え?」
「えっ?」
気付けば見つめ合うシュリと俺。
シュリの顔がぼふっと真っ赤になる。
けれど彼女の変調に思いを馳せる余裕は、今の俺にはなかった。
「シュリは会ったことあるのか?」
「えっと……はい。私は族長の父さんに連れられて色々と各地を回る機会が多かったので……エルフの方とは一度会ったことがあります」
なんと……そうだったのか。
一人で引きこもって鍛冶ばかりしていると、どうしても世情に疎くなってしまう。
なんだか世の中に置いていかれてしまった気分になってくる。
「それならエルフかドワーフが、わざわざアレルドゥリア山脈まで来ているってことか?」「はい、ただ山脈の南の方もかなりの危険地帯らしいので……かなりの実力者ではあるのかと」
そんな人物がわざわざこちらにやってきているとなると……どんな事情があるにせよ、とにかく警戒しておかないといけないな。
「それならジルも家から出さない方がいいか?」
「う゛ぉふ」
目を細めながら嫌そうな顔をされるが、これはわりと深刻な問題だ。
もしジルが普通に狩られてしまうとなれば、さすがに表に出すわけにはいかなくなる。 多少窮屈に思われようが、家の中にいてもらわなければならないだろう。
「あ、それは大丈夫だと思います。人種が亜人と呼んでいる我々獣人やエルフ、ドワーフ達は多神教ですので。エルフの森林信仰やドワーフの山岳信仰では、守護獣様はきちんとした扱いを受けることができるはずです。むしろ私達の方が危ないかもしれません。ドワーフはまだマシですが、エルフはかなり排他的ですので……」
なるほどな……それなら家の警戒網はしっかりしておいた方が良さそうだ。
警戒用の魔道具、いくつか作っておくか……。
「それならジル、明日からはちょっと遠出して別の山や麓の先に続いている森あたりまで向かってくれるか? もし不審な人物を見つけたら、連れて来てくれると助かる」
「わふ」
別に頼んだわけではないのだが、ジルは俺の山暮らしが快適にいくようにわざと狩りの範囲をこの山の中に限定してくれている節がある。
それだと窮屈だろうし、どうせならこの機会にもっと広い範囲を動いてもらうことにしよう。
「あんあん、あおーんっ!」
どうやらかなり気合いが入っているようで、何度か鳴いたかと思うと急に遠吠えまで上げていた。これだけやる気があるなら問題はないだろう。
ただ、無理はしすぎないようにな。
というわけで俺達はいつもより少しだけ気をつけるようにしながら、日々の生活を送ることにした。
ただ、事態の進展は想像以上に早かった。
俺が警戒用に魔道具を作り終えたタイミングを見計らったかのように、ジルが一人の来客を連れて来たからだ。
小屋にやってきたのは――。
「失礼する……。む、貴殿は、人間……か?」
恐ろしいほどに容姿の整った金髪碧眼のエルフだった――。
エルフを見るのは初めてだった。
その見た目は、伝承に聞いているものそのままだ。
左右対称で整っている美しい顔に、ぴんと綺麗に横に伸びている笹穂耳。
エルフは人間などとは違う悠久の時を生きるという。
見た目は二十代前半くらいに見えるが、見た目通りの年齢と思わない方がいいだろう。
「はい、人種のラックといいます。そちらはエルフ……で間違いないですよね?」
「あ、ああ……エルフの……ビビという。正式に言うと愛称なのだが、人間からすると本名は長すぎるらしいので、ビビと呼んでもらって構わない」
「ビビさん、ですね。よろしくお願い致します」
やってきた瞬間は流石に警戒したが、どうやらエルフの女性にこちらとやり合うつもりはないようだ。
俺は間にジルを立てる形でとりあえず彼女を家の中に案内することにした。
「人種を見るのはずいぶんと久しぶりだ……そういえばこの辺りには人里があるんだったよな? もし良ければ後で案内をしてくれると助かるのだが……」
「……いえ、少なくとも俺以外に住んでる人は居ないと思いますよ」
「む、そうだったのか? なんだか聞いていた話とはずいぶん違うな……」
どうやらエルフの中の認識は、この辺りにまだ人間が暮らしていたあたりで止まっているらしい。
それって一体……いつの話なんだ?
少なくとも百年二百年じゃ利かなそうなくらい昔のことだと思うんだが……時間の流れが違いすぎる。きちんと話ができるか、なんだか心配になってきた。
「えっと……ビビさんはどうして山を越えてこっちにやって来たんですか? こっちのシュリの話では、かなり凶悪な魔物が巣食っているという話でしたが……」
「うむ、それについてはきちんと理由があるのだが……」
ビビさんは時折こちらを見て身体をビクッとさせたりしながら、話をしてくれた。
どうやら今、エルフの里は存亡の危機に立たされているらしい。
ただそれでもエルフの里の人間は、里の外に助けを求めることはない。
シュリから聞いていた通りエルフは非常に排他的であり、以前(それこそ千年近く昔の中期文明の頃の話だ)狩りと称して自分達を攫い奴隷に落としていた人間の手など借りたくはないし、定期的にいざこざを起こす根本的に相容れないドワーフ達に弱音を吐くわけにはいかない。
ただ危機を放置しているせいでとうとうエルフ達は里を捨てるかどうかの瀬戸際にまで追い込まれてしまった。
それでも尚助けを求めようとしない里の長老衆を見かねたビビさん達中でも比較的若いエルフ達は、周囲の反対を押し切って里を出ることを決めたのだという。
どうやら彼女は里の若いエルフ達のリーダー的な存在らしく、エルフ達の中では一番実力も高かった。
故に他のエルフ達は彼女をサポートし、彼らの協力を受けてなんとか森と山を抜けてきたのだという。
「もちろんかなりの危険を伴う旅ではあったが……こうしてなんとか生きながらえることができている。山の手前で別れはしたが、皆も無事で居てくれるはずだ。そんな風に命からがら山へやってきたら……いきなり神獣様と出会ったのだ。これを運命と言わずになんと言えばいい? 私達は神様に見放されていなかったのだと、改めて信じることができたよ」
どうやらジルのことも魔物とは思っていないらしい。
というか俺よりも隅に置けないような扱いをしている気がする。
エルフの方の信仰では、守護獣ってどういう扱いになっているんだろうか。
「そうしたら、その……」
ビビさんは言いよどむと、ちらちらとこちらを見ている。
エルフというのはもっと尊大で、人間に対していい思いを抱いていないと聞いていたから、正直なところかなり意外な反応だ。
嫌われているわけではないんだろうけど……恐がられている?
心当たりがないので、首を傾げてしまう。
「ラック殿と出会ったわけだ。最初は守護獣様と共に人間が暮らしていることに驚いてしまったが……今ではきちんと納得している、安心してほしい」
「ビビさん、一つ聞いてもいいでしょうか?」
「な、なんだ?」
ワンオクターブ上がった半分裏返った声で聞き返される。
知り合ってからほとんど時間は経っていないが、彼女は間違いなく緊張していた。
ただ、なんと聞けばいいか迷う。正直に聞いたら、答えてくれるだろうか?
「その……怖がってますか?」
悩んだ末、馬鹿みたいな質問をしてしまう。
びくうっと一際大きく身体を動かしたビビが、おずおずと答えてくれる。
彼女の口から出てきたのは、俺が想像もしていなかった答えだった。
「す、すまない、ラック殿の魔力がすごすぎて、つい……」
「魔力……ですか?」
「ああ、ラック殿ほど大量の魔力を持っている者を見るのは初めてで……もし態度に出ていたのならすまない」
魔力がすごいなんて言われたのは初めてだ。
そんなのリアム達からも言われたことないぞ。
ていうかそもそも魔力っていうのは、人が見ることのできるものなんだろうか?
「エルフの耳はある種の感覚器官になっているのだ。我々が生まれ持っての狩人と言われるのは、この笹穂耳が風の流れだけではなく魔力や生命力といった、目では見ることのできない色々なものを捉えることができるからなのだ」
彼女曰く、俺の魔力はとてつもなく多いらしい。
ピンと横に張った耳が、この家に近付こうとする際にものすごい勢いで警鐘を鳴らし。そしてこうやって対面すると耳のセンサーが完全にいかれて無音になってしまったのだという。 少なくとも彼女の人生経験の中では、そんなことは一度としてなかったらしい。
「俺の魔力量って、多かったのか……」
「もしかして、自覚なかったんですか?」
シュリにも呆れたような顔をされてしまう。
どうやら彼女の方も、魔力量に関しては色々と気付いていたらしい。
「なかったな……今まで比較対象がいなかったし」
俺は別に優れた魔法の才能があるわけではない。
リアムやフェイのように大規模殲滅魔法が使えるわけでもなければ、ナージャのように欠損した肉体を完全に再生できるわけでもない。
そのため俺は持てる魔力のほとんど全てを鍛冶に使っている。
そして幸か不幸か、俺に鍛冶の知り合いはいなかった。
なので自分の魔力量が多いのかどうか、比べる相手がいなかったのだ。
ただよくよく考えてみると、魔力は最初の頃と比べればかなり増えてはいる……と思う。
最初はすぐに魔力切れでへばってしまうことも多かったが、ある程度鍛冶技術が上がってからは魔力よりも集中力の方が先に切れるようになっていたし。
しっかし、エルフにビビられるほど多かったのか……。
ま、まぁその分レベルの高い鍛冶が長時間できるってことだから、別に問題はないよな。「ラック殿の方はその……ここで何をしているのだ? 守護獣様と一緒に住んでいるということは……この地域の鎮守的な存在なのだろうか?」
「……いや、普通に山暮らしをしているだけですね」
「普通に……山暮らし……?」
俺は何もおかしいことは言っていないはずなのだが、なぜだかビビさんは首をもげそうなくらいすごい角度で傾げられてしまう。そしてそのまま、フリーズしてしまった。
……別に嘘とか隠語とかじゃなくて、普通に山暮らしをしているだけなんだけどな。
「そ、そうか……」
なんかそれ以上聞いたらマズいと思ったからか、ビビさんがちょっと引き気味にそういった。
彼女は絶対、何かを勘違いしていると思う。
ただ今の俺が何を言っても通じなさそうなので、とりあえず別の話題を用意することに使用。
「そういえばその……エルフの里で起こっている問題というのは、一体なんなのでしょう?」
「それは……そうだな、どうせ人里に下りたら話そうと思っていたのだ。少し長くなるかもしれないが……聞いてくれると助かる」
そう前置きをしてから、ビビさんは話し出した。
今エルフの里を襲っているという、とある魔物の被害について……。
元々エルフは、俗世との干渉を良しとしていない。
故に彼らはエルフ文字のエンチャントを使って作った魔道具を使い、常に里の外に『人避け』や『魔物避け』の効果のある結界を発動させていた。
故にエルフの里には普通の人間や魔物はたどり着くことができず、害意を持ってエルフに接しようとする者はそもそも結界を抜けることすらできずに永遠に森をさまよい続けることになる。
だがある時を境に、彼らエルフの結界を抜けて、魔物が襲ってくるようになったのだという。
ブレーンらしき大物が奥にいるらしいのだが、臆病な性格だからかエルフ達の前に姿を現すことはなかった。
統率された動きを取る魔物達によって沢山のエルフが傷つき、今も苦しんでいるという。 エルフ達は何度も挑もうとしたのが、魔物達が結界を抜けてくるというのがなかなかに厄介だった。
下手に相手を責めようとすればこちらの防御がおろそかになってしまう。
そして狡猾な魔物達はその隙を逃さず、戦闘力を持たないエルフ達を狙ってくるだろう。
里にいる怪我人やまだ未来ある年若いエルフ達のことを捨て置けることができず、エルフ達は動くことができていないのだという。
その現状を変えるために、ビビさんはやって来た。
かつて自分達を高級奴隷として売り払った人間に色々と思うところはあるが、今ばかりは業腹を抑えて人の力を借りなければなるまい……と。
「なるほど……つまり結界がなんとかなればいいわけですね」
「ああ、自慢ではないがエルフは皆が強力な魔法の使い手だ。結界さえなんとかできれば、魔物も倒すことができると思うのだが……」
話を聞きながらも、俺は高速で頭を回転させていた。
結界にほころびがあるとしても、俺が行ってすぐに直すことができるかどうかは正直微妙だ。
そもそもエルフ文字のエンチャントがどういうものなのかもわからないし、それを勉強しようとしている間に事態が悪化してしまえば目も当てられない。
それならとりあえず魔物にこれ以上好き勝ってされないように俺が改めてクラフトで結界を張り直すという手もあるが……俺のクラフトの腕はそう大したものではない。
その魔物がどうやって結界を通り抜けてきているかわからない以上、俺がなんとかできると楽観的に捉えるのは良くないだろう。
となると取られる手は限られてくる。
その中で最も確実な手はというと……。
「わかった、人間側の戦力には俺が話を通しておきましょう。確認だが、魔物が結界を通さないようなんとかすればいいんですね?」
「あ、ああ……ありがとう……」
困った時はお互い様だ。
それに山を隔てているとはいえ、エルフの人たちとはお隣様ということになる。
彼らが困っているのなら、手助けをするのは当然のことだ。
それに、善意だけではなくてわずかばかりの打算もある。
もしかするとこれを機に……エルフの魔力文字を学ぶこともできるかもしれない。
エルフの魔力文字は人と同じなのかもしれないけど、もし違うものだとしたら……俺は鍛冶師として、また一歩高みに上ることができるはずだ。
「……もう二つほどお願いをしてもいいだろうか?」
頷くと、ビビさんがおずおずと続ける。
「もし良ければ、武器を融通してほしい……恥ずかしながらここに来るまでに、武器を駄目にしてしまってな。も、もちろん金は用意させてもらうからそこは安心してくれ」
なんだ、そんなことか。
何を言われるかとちょっとビビってたが、それくらいならおやすいご用だ。
なんたって俺は……
「鍛冶師ですから、任せてください。もう一つは?」
「私のことは気安く、ビビと呼んでくれ。恩人に敬語を使わせるような恩知らずにはなりたくない」
「――ああ、わかったよ……ビビ」
こうして俺はビビと一緒に、一度山を下りることになった。
そこで一通の文をしたためる予定だ。
その宛て先は――エンポルド子爵家。
『仮初めの英雄』のメンバーの一人……あらゆる神聖魔法を使いこなすことのできるナージャが治めている領地である。
「一番近くの街まで行くのに結構時間がかかるから、待っていてくれてもいいぞ?」
「いや、何もしないのは流石に気が済まない。できれば同行させてくれるとありがたいんだが……」
「それならそれで、もちろん構わないぞ」
それなら問題はないということで、俺はシュリとジルに新たにビビを合わせた三人と一匹の即席パーティーで森を下りていくことになった。
ビビが背中に背負っているのは、特殊な形状をした弓だ。
見たことがない複雑な形をした弓だ。恐らくは複数の動物の筋肉辺りをねじって作った合成弓なのだろう。
その名はエルフィンボウ。
コンパクトなサイズにもかかわらず大弓以上の飛距離を出せる、エルフ達が独自の製法で作っている弓らしい。
鍛冶師としての自分が正直なところバラして中身を確かめろとしきりに訴えかけてきていたが、努めて無視する。
エルフィンボウはエルフの誇りなのだと言われてしまえば、我慢する他ない。
……あっ、そうだ。
弓を見てようやく思い出した。彼女に武器をあげるんだった。
俺は『収納鞄』からあるものを取り出して、彼女の前に出す。
「ビビ、これを使ってくれ」
「……マジックバッグだと!?」
「ああ、俺が作った」
「作った!? ラックが!?」
「今それはいいだろ、大事なのはこっちの方だ」
「これを、何に使えと……?」
「何って……もちろん戦闘にだよ。今俺が出せる一番強い武器は、間違いなくこの二つだからな」
「武器って――これ、包丁とフライパンじゃないか!!」
そう、俺がビビに出したのは――俺が山暮らしをするようになってから作ったあのオリハルコン製の包丁とフライパンだった。
……いや待て、落ち着いてくれ。
まずは一旦、俺の話を聞いてほしい。
俺は作った武器は、実戦で使われてこそ最も輝くと考えている。
そのためリアム達の専属鍛治師になってからは、オーダーメイドの一点物しか作っていなかった。
なので俺の手元には、武器と言えるものの在庫がほとんどないのだ。
強いて言うのなら、俺の腰に提げている聖魔剣のプロトタイプである短剣は武器と言えるだろう。
ただこれは、俺が使うためにちょっと……いや結構なカスタマイズを加えている。
そもそも古代魔族文字を弄ることができる人間しかまともに使うことはできないため、人に使ってもらうには危険度が高すぎる。
となると今渡すことができるのは山に来てから俺が鍛冶で作った金物……包丁・鍋・フライパンに解体ナイフの四つになる。
魔鉄を使って大したエンチャントをつけられていない解体ナイフと、『圧壊』を鍋の内側に発動させることしかできない鍋を除くと、選択肢がこれしかなかったのだ。
俺だって作れるものならきちんとしたものを作ってあげたかった。
……いや、もちろん包丁とフライパンがきちんとしてないなんて言ってないぞ。
趣味の領域に足を突っ込みながら作ったこいつらの効果の高さは折り紙付きだ。
「包丁と……」
ビビは俺がソッと手渡した包丁の柄を握り、
「フライパン……」
その後に手渡したフライパンのグリップを確かめる。
ビビがカッと目を見開く。
「これでどうやって戦えばいいというんだ!?」
「どうってその……食材を解体する要領でだな……」
「ピイイッッ!!」
要領の得ない話をしているうちに、草むらの中から魔物が飛び出してきた。
やってきたのはハインドバードという鳥型魔物だ。
大きな叫び声を上げて他の魔物達を呼び寄せるという、厄介な特徴を持つものである。
こいつが本腰入れて騒ぎ出す前に仕留めなければ魔物がやってきてしまう。
「と、とにかく切れ味は保証する! 鍛冶師の俺を信じてやってみてくれないか!」
「――ええい、ままよっ!」
「それ実際に口にしている人、初めて見ました!」
内心でシュリと同じことを思っていると、ビビがハインドバードへと駆けていく。
彼女は指呼の間まで一瞬で近付くと、前傾姿勢になりながらハインドバードの首筋へと斬撃を繰り出した。
すると……。
「ピイイイイイッッ!!」
彼女は斬撃を放ったはずなのだが、まるで何事もなかったかのようにハインドバードが叫び続けている。
「な、なぜだ!? 攻撃はたしかに当てたはずだぞ!?」
「ラ、ラックさん、どうなってるんですか!?」
こちらを見る二人に対して俺は……黙って頷いた。
俺の見た限りでも、たしかにハインドバードへ斬撃は当たっていた。
つまりどういうことかというと……。
「ピ、ピイ……?」
するりと、ハインドバードの首が胴体からズレていく。
そしてそのまま……ストンと首が地面に落ちる。
「オリハルコン包丁の切れ味が良すぎたせいで、ハインドバードが斬られたことに気付かなかったんだ」
「な、なんなのだ、この高揚感は……」
包丁をジッと見つめるビビの頬は、なぜだか少し赤くなっていた。
彼女はその熱い視線をフライパンにも向けていき、そのまま包丁とフライパンをぶんぶんと振り回し始める。
「もちろんビビの確かな腕あってのことなのは間違いないけどな。俺が斬ったとしても、ただ即死させていただけだろう」
「そういうものなのか……って、オリハルコンだと!?」
「……? ああ、その包丁は完全にオリハルコンだぞ」
オリハルコンの加工はさほど難しいものじゃない。
そもそもオリハルコンの融点まで耐えることができる炉を用意するのはたしかに難しいが、それさえできればいいのだから性能のいい炉さえ作れればオリハルコン製の武具はわりかし簡単に作れるのだ。
ただオリハルコンをきちんと魔力鍛造しながら魔力情報を打ち込んでエンチャントを作るのはかなり難度が高いから、そっちに驚いたならまだわかるんだが。
何せこれが俺もできるようになるまでにかなりの量のオリハルコンを駄目にしてしまった経験があるからな……。
「オリハルコンはドワーフ達がどれだけ頑張っても加工できなかった伝説の金属だぞ!? 当然ながら我々にも加工技術はない」
「……そうなのか? 俺は普通に加工ができるが……」
「人間の技術は、我々が里の間に閉じこもっている間にここまで急速に進んでしまっていたのだな……」
「あ、あのー、神妙な雰囲気を出してるところ申し訳ないのですが……ラックさんがおかしいだけなので、あんまり気にしなくて大丈夫だと思いますよ」
「ほっ、そ、そうか……」
シュリの説明にほっとした様子のビビを見ながら、顔をしかめる。
俺がおかしいだけ……?
オリハルコンの加工ができるのは当たり前のことではないのか……?
「ちょっと聞くのが怖いんだが……ちなみにこの柄は、何でできているんだ?」
「柄はえっと……持ってきてもらった魔王城に生えていたキングエルダートレントを使っている」
「キングエルダートレントだと!?」
「……何をそんなに驚いてるんだ?」
キングエルダートレントは、トレント材の中でも特に癖が強いため使うまでにはかなりのコツがいる。
ただ魔道具を使ってしっかりと温度と湿度を調整してから作れば、『自動修復』を使わずとも活性化して傷を治してくれたり、刃分と完全に一体化してくれたりと色々と便利なところが多い。
リアムが持ってきてくれたんだがこの木材はとにかくデカくてな。
樹齢何千年とかそういうレベルの超のつく巨木で、ぶっちゃけると俺の一生で使い切れないくらいに大量にある。
なので気合いを入れて鍛冶をする時には、積極的に使うようにしているのだ。
「ラック殿と一緒にいると、自分の常識が音を立てて崩れていく気がするよ……」
「わかります、ビビさん」
「おお、わかってくれるか、シュリ殿」
「どうか私もシュリと」
「そうか、ではシュリと。多分だがシュリとは今後も、仲良くできそうな気がするからな」
気付けばシュリとビビの間に友情が育まれていた。
そのかすがいになっているのが俺なのがどうにも納得がいかないが、仲良くなってくれたなら良しとしておこう。
「ラック殿、ちなみにだが、この包丁についているエンチャントを教えてもらってもいいだろうか?」
「それにつけてるのは『絶対切断』だな。すまない、本当ならもう何個かは効果をつけるつもりだったんだが……」
「――『絶対切断』だって!?」
「ちなみにフライパンには、『概念防御』がついてるんですよ、ビビ」
「『概念防御』!?」
素材で驚かれたのは意外だったが、ついているエンチャントで驚かれるのは自分の腕を褒めてもらえているようで、なんだか嬉しい気分になってくるな。
何かある度にものすごい勢いで驚いているビビと一緒に森の中を歩いていく。
どうやら彼女は今のうちに使用感に慣れておきたいらしく、道中でエンカウントする魔物達と積極的に戦闘を行いながら戦いの経験値を稼いでいた。
「馴染む……驚くくらい良く手に馴染むぞ!」
ビビの包丁とフライパン捌きは、戦いを一つ経る度にどんどんと見事になっていった。
見ているこちらが恐ろしくなるくらいの成長具合だ。
天稟――そんな言葉が頭をよぎった。
ビビは間違いなく、包丁とフライパンの扱いに関して天賦の才を持っている。
稀にだが、こんな風に自分とぴったりと合う武具を身に付けた戦士は驚くほどの速度で強くなっていくことがある。まさかリアムの時に見て感じたあの感覚を、また味わうことができるとはな……。
ビビに細かく話を聞きながら包丁とフライパンの微調整をしながらも移動していく。
だがすぐに呼吸が荒くなり、足に痛みを覚えるようになった。
「ぜえっ、ぜえっ……」
俺の身体能力は、このメンバーの中でダントツに低い。
狩りをして生活している二人と一匹と基本的に店や小屋の中でずっと物作りをしているだけの俺とでは、そもそもの基礎体力が違ったのだ。
「ラック殿にもできないことがあるんだな……」
「そりゃあ、そうだろう……」
途中からは明らかに俺に合わせて全体のペースが落ち始めてしまったため、俺はジルの背中に乗ることにした。
鞍を取り出して装着すると、明らかにサイズが合っていなかった。
どうやらジルはまだまだ幼生らしく、成長スピードがめちゃくちゃに早いらしかった。
待たせるわけにもいかなかったので革と木を使ってサクサクとクラフトをして新しい鞍を作る。
今回は成長しても問題がないよう、ベルトにいくつか穴を打って微調整ができるような形にさせてもらった。
「い……一瞬で鞍が!? もうなんでもありか!?」
ビビはまたしても、飛び跳ねるように驚いている。
なんでもありなわけがないんだが。
鍛冶なら性能はわりと自分が好きなようにいじれるが、少なくともクラフトに関してはかなり制限も多いしな。
というわけでジルの背中に乗ってからは移動は一気にサクサクと進んでいき、俺達はあっという間に最寄りのウィチタの街へとやってきた。
そして俺はそこで、予想していなかった人物と再会するのだった――。
「ラック殿――ラック殿ではないか!!」
ウィチタの街でナージャへ文を出そうとしていたところに現れたのは、鬼気迫る様子でこちらに駆けだしてきたジュリアさんだった。
話を聞いてみると、なんとかして恩を返すべく俺のことをあちこちと探し回っていたらしい。
その過程でいくつもの難関クエストをクリアし、今ではSランクに最も近い女傑とまで言われるまでになっているそうだ。
街と街の間の道を高速で移動すべく『雷化』まで完全にマスターしてしまったというのには、流石の俺も驚いた。
見ればその様子は以前とは明らかに変わっていた。
独特の風格というか……経験に裏打ちされた自信のようなものがしっかりと見て取れる。
俺が作った剣がその変化のきっかけになったというのだから、やっぱり鍛冶師はやめられない。
「何かしてほしいことはないか!? 色々と鍛冶に使えそうな素材を集めたり、金を貯めたりしてきたんだ!」
どうやら成長のきっかけを作ってくれた俺になんとしてでも恩返しをしたいらしい。
お金や素材に関しては今は別に求めてないが、幸い今俺の隣には助けを求めている人がいる。
ジュリアさんはソロでAランクを誇る実力者だ。彼女の力は、確実に助けになってくれるだろう。
……いやちょっと待てよ? 高速移動ができるのならもしかして……
「実はですね……」
というわけで俺は彼女に、二つのお願いをした。
まず一つ目は、エルフの里の近くでの魔物の討伐してもらうこと。エルフの里の結界を超えることはできないが、その周りに居る魔物を討伐してもらえるだけでも非常に助かる。
そして二つ目は――彼女に、ナージャへ文を届けてもらうこと。
「委細了解した! 任せてくれ!」
「あっ、ちょっ……」
なんとかして押しつけようとしたのだが、依頼料は受け取らずに雷の速さで消えていってしまった。
それならご厚意に甘えさせてもらうことにしよう。
せめて剣のメンテナンスくらいは、ロハでやらせてもらうことにするか。
彼女は『雷化』の能力を完全に制御下に置いているらしく、恐ろしいことにたったの二日で手紙が返ってきた。
しかもなんとそれだけではなく……。
「あ、どうも……お久しぶりです、ラックさん」
四角い旅籠のようなものに入ったナージャまで、一緒にやって来たのだった――。
「本当に、久しぶりだな……そこまで時間は経ってないはずなのに、どこか懐かしさすら感じるよ」
「ええ、本当に……」
『仮初めの英雄』でヒーラーを務めていたナージャは、そういってたおやかに笑う。
少女のように愛らしかった笑顔は、今ではどこか怪しげな色香を漂わせている。
以前送別会をした時はしっかりとしたイブニングドレスを着ていたが、今の彼女は俺の見慣れている神官服をその身につけていた。
既に説明は済んでいるらしく、ある程度情報を共有したらそのままエルフの里へ向かうことになった。
「でも頼んでおいてなんだが……本当にいいのか?」
「ええ、大丈夫です。子爵といっても、実務はほとんど文官の方に投げていますので。少し屋敷を空けるくらいのことは、なんでもありませんよ」
「ほっ、そうか……助かるよ」
ちなみに今回俺とシュリ、ジルは里へは行かずにこの山で待機をすることになる。
エルフの里に向かうまでの道のりはかなりの難関らしく、またたどり着いたとしても、恐らく里の中に入ることは許されない。
長期間森の中でも問題なく活動でき、かつエルフの里を襲っている魔物達を退けられるくらいの実力のある者でなければ、今回のミッションをこなすのは難しいのだ。
俺はできることをしておこうと思い、あらかじめ用意しておいた各種魔道具をナージャに渡していく。
やはりというか、彼女が一番驚いたのは俺が作れるようになった『収納鞄』であった。
「後でリアム達から羨ましがられるでしょうね、ふふっ」
話もそこそこに、ナージャ・ビビ・ジュリアの三人は急いでエルフの里へ向かう。
ちなみにその運搬方法は、はちゃめちゃな力業だ。
「うおおおおおおおおおおおっっ!!」
『雷化』したジュリアが、絶縁体である轟雷ウナギの革張りの籠を引いて、ものすごい勢いで走り去っていく。ただそれだけである。
あっという間に消えキランと光を残して消えていった三人の姿を、俺は見えなくなるまでじっと見つめるのだった。
「頑張ってくれ……皆……」
「エルフの里の皆さんが、救われますように……」
一筋の雷と化したジュリアは、あっという間にエルフの里の近くまでたどり着いてみせた。「お、おろろろろろろろ……」
そのあまりの乗り心地の悪さに馬車を降りた瞬間に戻してしまったビビと、自分の身体にこっそりと魔法をかけて乗り物酔いしないような魔法を編み出していたナージャが馬車を降りる。
そこは新緑の森の奥深く。
「それでは私はここから別行動を取らせてもらうぞ! 二人の健闘を祈る!」
ビビの案内に従い、ジュリアはそのまま魔物を討伐しに向かっていった。
ビビとナージャはそのまま真っ直ぐ進み、エルフ達が張っているとされる結界の下までたどり着く。
「これは……」
「どう、だろうか……?」
ビビがナージャを見つめながら尋ねる。
あのラックの紹介なので何も心配はしていないが、腕がいいからといって必ずしも問題が解決するとは限らない。
「……」
ナージャは何も言わず、ジッと結界を見て回った。
この結界は侵入者を拒むタイプの『人避け』と『魔物避け』の効果のこもったものに、更に物理・魔法障壁を組み合わせたタイプのものだ。
結界の強度的に考えれば、話に聞いていたような普通の魔物が通り抜けられるはずがない。 彼女は触れるように確かめてみたり、自分で出した結界とぶつけてみたりとゆっくりと時間をかけて検分を行い……数十分ほどかけてから、一つの結論を出してみせる。
「この結界は――問題なく作動しています。ですのでこの場合、相手が一枚上手と考えるべきでしょう」
破られることのない絶対防御の結界も、決して無敵ではない。
破ることができないのならすり抜けたり、地面を掘って結界の張られていない場所をくぐり抜けたり、あるいは……。
「――来ます。ビビさん、結界をすり抜けていった魔物のお相手をお願いしてもいいでしょうか?」
「ああ、任せてくれ!」
ナージャは駆けて結界の内側に入っていくビビを見送ってから、じっくりと魔物を観察する。
やってきたのは鳥形の魔物であるラプターだった。
ラプターは結界へ向かっていくと……そのまま何事もないかのように、結界を通り抜けて内側へと入っていく。
実際に侵入の様子をその目で見ることで、ナージャは何が起こっているのかを即座に理解してみせた。
「なるほど……どうやら敵の魔物は、空間の窓を開いています」
「空間の……窓?」
ラプターをしっかりと仕留め、その魔石をしっかりと回収したビビの問いに、こくりと頷きを返す。
彼女に対し、ナージャはなるべくわかりやすく言葉を変えて説明を試みる。
「簡単に言うと結界の手前と結界の後ろという二つの空間を繋げ、結界そのものを完全に無視しているのです」
「そんな! つまりどれだけ結界を張り直そうがどうしようもないということか!?」
「いえ、そうではありません。そもそも空間越え事態がある程度高度な術式になりますし……それにこれならまだ、どうとでもなります」
ナージャは片膝を折り、目を瞑る。
――神官が行う奇跡の御業は、魔法とは異なる技術体系によって編み出されている。
神に真摯に祈り、神から力の一部を譲与されることで発動を可能となる、神の能力の代行行使。
それらはこう呼ばれる――祝祷術と。
「断絶結界(フォークロア)」
ナージャが生み出した結界は、ピアノの鍵盤にビロードをかけるように、エルフの里の周囲を覆うように展開されているそれの上に覆い被さっていった。
淡いオレンジ色の光を宿していた結界が、先ほどまでより強い輝きを宿しはじめる。
「「キョワアアアッッ!!」」
「――なっ!?」
先ほどの一体は斥候のようなものだったのか、後を追うように大量のラプター達が押し寄せてくる。
「ナージャ殿!」
「大丈夫です」
ビビの切羽詰まる声を聞いても、彼女は顔に浮かべる微笑を崩さない。
そしてラプターの群れが結界へと向かい……そのまま嘴の先から結界に激突し、そのまま地面に落下していく。
「……っ!?」
「簡単な話です。空間を繋いで中に入ろうとするのなら……空間そのものを固定させてしまう結界を作ってしまえばいい」
魔物が使ってくる知恵など、その王である魔王と対峙したナージャからすれば児戯のようなものであった。
「それでは後は、お願いしますね?」
「――ああっ、ここまでお膳立てをしてもらったのだ! ここから先は、任せてくれ!」
ナージャは結界の内側へ再度入っていくビビの背中を見送る。
そして念のために結界を強化させ完全に魔物の侵入を拒絶できる状態を作り出してから、外で待機するのだった……。