常に静かな珍しいカフェが、ボクの家の近所にある。
 桐林館喫茶室と名付けられたこの店舗は、いわゆる「筆談カフェ」と言われるもので、客も店員も店内で話すのは一切、禁止されている。店員に注文したり、一緒に来た人と会話をしたい場合は、各テーブルに置いてあるノートで筆談するか、ジェスチャーや手話でコミュニケーションをとる、というのがルールだ。

 ここは、静かだからいい。
 ボクは、休みの日にここによく来る。この店に来たら、なけなしのお小遣いを使って一番安いコーヒーを注文し、カウンターに座る。そしてヘッドフォンをして、タブレットで作詞・作曲をしたり、楽曲に仕上げたりするのがボクの趣味だ。

 いつか、有名なアーティストになりたい。
 まだ中学生のボクにとって、その夢はあまりに遠く果てしないから、怖くて誰にも話したことがなかった。ボクが曲をつくることを、クラスの誰も知らないし、親も知らない。ましてやつくった曲を誰かに聴かせたこともない。
 いつも静かなこの店で生まれたボクの曲は、これまでひっそりと匿名でネットに投稿しているものの、評判はまるでダメだ。
 きっとボクには表現者として、まだ決定的なものが足りないみたい。
 でも、いつか、多くの人たちが口ずさむような曲をつくってやる。

 あの日も、ボクはお気に入りのこの店にいた。
 店に入ると、レジカウンターに置いてあるメニュー表からホットコーヒーと書かれたところを指差して、店員に見せる。すると店員は、コクン、と頷いた。
 いつもどおりカウンターの一番奥の席に座り、リュックからタブレットとヘッドフォンを取り出す。

 ここでボクは、それに出会った。
 ────何だ、これ? 確か、先週はこんなのなかったのに。
 客によく見えるように、それはカウンターの後ろに貼り付けてある。
 タブレットを立ち上げている時、それが目に入って思わず見入ってしまった。

 美しい。というより、迫力が生々しい。
 それは、曇り空をバックに、紅の梅の花が描かれた掛軸。真っ白な雪が積もっている太くて力強い枝は、、空を掴みかかろうと威勢よく伸びている。
 その絵は美しくもあり、見ている人を威圧するかのようで怖くもあった。

 この絵が気になって仕方がない。
 ボクはテーブルに置かれた筆談ノートに(この絵を描いたのは誰?)と書き込んで、そのメモを店員に見せる。すると、店員はカウンターから出て、二つ後方のテーブルまで小走りし、そこでとびきりの笑顔でボクを手招きした。

 そこには一人で座って、写真を見ながら何かをスケッチしている女子かいる。店員はその女子の肩を軽く叩き、掛軸とボクを指差すと、女子はボクに目を合わせることなく会釈した。

 この女子が、作家?
 ボクと同い年くらいかな?
 掛軸が力強い筆運びだから、作家はベテランの男性だと思い込んでいた。

 同じテーブルに座り、(はじめまして。豊樹と言います)とノートに書いて見せると、その横のスペースに(ツキカです)と書いてくれた。
 ツキカさんは眼鏡をしていて、色白で背が小さめだ。白いセーターが似合っている。髪を括っていて、見た目にアーティストっぽくはない。

(あの梅の絵、サイコーだね!)と伝えると、今度は書き込まないで、立ち上がって礼儀正しく礼をした。やっぱり目を合わせてくれないが、はにかんで頬を赤らめるその表情は、かわいい。

 それからボクたちは、静寂が支配する会話禁止のカフェで、筆談ノートを文字で埋め尽くして会話(回文)を重ねた。
 ツキカさんは、ボクよりも1歳下。本人が言う(書く)には「私は障がい者。耳は聞こえるけど、話せない」そうだ。
 話せない人はみんな、耳が聞こえないものだと思い込んでいたボクには、こういう障がいがあるのを知って驚いた。
 話せないツキカさんにとって、この静かなカフェは話す必要がないから居心地がいいのだという。

 ツキカさんが障がい者だと知ると、急に親近感がわく。
(ボクも発達障がいだよ)と告白する。こんなこと、知らない人に自分から話すのは珍しい。
(どんな障がい?)
(自閉症)
(うそ。分からない)
(よく言われるけど、小さいころからずっとビョーインに通ってる。人とうまく合わせられないし、よくカン違いしてしまう)
(豊樹くんはフツウの中学校に行ってるの?)
(うん。でも通級だよ。フツウの人から見たら、ボクはすごく変な人らしい)
(そう?)
(こだわりが多すぎて、一人よがりなんだって。みんなボクのことをバカにするし、笑われることも多いよ)
(それって、個性じゃないの?)
(大人とか先生は個性だよって言うけど、ボク自身が個性だって思えない。やっぱりボクはどこまでいっても障がい者なんだ)
(じゃあ、わたしたち、障がいがある者同士だね)
(なんだか、ツキカさんだと何でも話せてしまう)
(でも、豊樹くんっていいな。フツウの中学校に通えるのって)
 近所に住んでいるが、ツキカさんはボクと同じ中学ではなく、特別支援学校に通っているそうだ。
 絵だけは誰にも負けたくないらしく、去年は中学生の全国美術コンクールで入賞したこともあって強い自信を持っていた。

(豊樹くんも、イラストを描くの?)とツキカさんはノートに書くと、ボクのタブレットを指さす。
(いや、ボクはこれで、ちょっと)
(ちょっと何? イラストじゃないの? 執筆?)
 ボクは曲づくりしていることをまだ、誰にも言っていない。恥ずかしいし、つくっている曲に自信もないから、秘密にしておきたいが……。
(じゃ、私が今描いていた絵を見せたげるから、教えて)とノートに書いた後、ツキカさんはスケッチブックをめくる。すると、そこにはヒマワリ畑と電車の絵が鉛筆でスケッチしてあった。
 見事な下絵だ。

(上手だね)
(ありがとう。じゃあ、豊樹くんの見せて)
 困った。秘密にしておきたいが、もうそういう訳にもいかない。どうしよう、バカにされたら……。

 えい! と心の中で叫んで、ボクはタブレットの編曲アプリの画面を見せた。
(ボクは、これで曲をつくってる)
 すると、ツキカさんはすごく嬉しそうな表情になった。
(カッコいい)
(ヒミツだよ。曲をつくってるって、誰にも言ってないから)
(何で?)
(全然うまくないし、はずかしいから)
(曲をききたい!)
(え? ツキカさんの絵のように、ボクは曲づくりがうまくないよ)
(アートにうまいとかヘタとかないよ。ききたい!)
 しぶしぶ、ボクはヘッドフォンをツキカさんの耳にあてた。そして、最近つくったばかりの曲を再生する。
 これがボクの中の一番の自信作ではあるが、……。

 ツキカさんは目を閉じて聴いてくれている。
 曲を最後まで聴き終えると、やさしい笑顔になった。
(すごくいいよ。シンセサイザーの音が超個性的。まるで平成の懐かしい曲みたいで新しい)
(ホント?)
 こんな褒められたことがないボクは、嬉しくて照れてしまう。
(おせじでも、うれしいよ)
(おせじじゃないよ。本当だよ。私そんなつまらないウソつかないもん)
(ありがとう。ボクも曲で認めてもらえるようがんばってみる)

 毎月第2と第4土曜に、ツキカさんはこのカフェの近くで手話サークルの活動をしていて、毎回その活動終わりにここに寄って一人でスケッチをしているそうだ。
 それを知ったボクは、それ以後、毎月第2と第4土曜にここに来て、ツキカさんと筆談するようになった。
 会うたびに、ツキカさんは描いたばかりの絵を見せてくれて、ボクは自分の最新曲を聴かせる。月一回のそのわずかな時間が、ボクには楽しくて仕方がない。

 それ以来ボクは、ただ、ツキカさんに喜んでほしくて曲をつくるようになっていた。
「おはよう」
 ため息をついて教室に入る。楽しそうに会話しているクラスのヤツらがチラッとボクを見て、よそよそしく何人かが「よっ」と上辺だけの返事をした。
 そう、ボクはいつもクラスで浮いている。

「もう11月後半だよ。さすがに寒くないの?」
 前の席の香織が言った。
「大丈夫」
 ボクはどの季節でも制服を着ないで、真夏時のような半袖・半ズボンの格好をしていたから、冬が近付いてくると、毎年目立ってしまう。
「やっぱり変だよ、豊樹くん」と香織が指差すと、周りのヤツらが笑った。

 ボクは、好きで半袖・半ズボンの出で立ちをしているのではない。
 触覚過敏だからだ。

 自閉気味の人には、いろんな感覚過敏があるそうで、ボクは肌に触れるものが気になって仕方がない。
 耐えられないのだ、長袖の制服や冬用体操服が腕や脚に触れることが。チクチクするような感触がして耐えられない上、我慢すると気が狂いそうになる。
 縫い目が肌に当たらず、ゆったりしていて、化学繊維を使っていない服なら、長袖・長ズボンでも大丈夫だが、そんな制服や体操服などない。
 長袖・長ズボン姿でノイローゼになるくらいなら、寒さに耐えて半袖・半ズボンでいようと思う。

 このほかにも、服に付いているタグも感触が気持ち悪くてすべて切り落としているし、ショートソックスのスネが擦れる感覚が嫌でハイソックスしか履けないなど、……きっとボクはフツウの人から見たら病的なのだろう。

 こういう部分が、わがままで、頑固だと思われ、結局「変な人」だと認定されてしまう。
 だから、今日も自分の殻にこもって、目立たないよう静かにやり過ごすのだ。

 朝のホームルームが終わって、1時間目は国語。ボクの一番苦手な授業だ。
 縦書きの文字は、うまく読み取れないし、黒板をノートに写すのも苦手。国語こそ、タブレットで授業をやってほしい。
「この時、主人公はどんな気持ちだったかわかる人?」
 先生の質問の意味が分からない。この物語を読んで主人公の気持ちなんか、分かるわけないよ。
 それでもクラスの多くの人が手をあげる。何で分かるんだ?
「『朝日に向かって歩き出した』という一文があるので、希望に満ち溢れているんだと思います」
 優秀な克成が答えた。先生は「すばらしい」と褒めたたえている。

 物語の描写で、主人公の気持ちが分かるなんておかしい。
 「あたかも主人公が希望を感じているかのような匂わせの描写を、物語の作者が自分の都合で入れているけれど、本当に主人公がどう感じているのかは不明」というのが正解じゃないか?

「じゃあ、豊樹さん。この主人公は、家に帰った後、どうすると思う?」
 いやな質問で、ボクが当てられた。
「分かりません。それに先生。この主人公はそもそも男ですか?」
 するとクラスが乾いた笑いに包まれる。
「面白いヤツだな。そりゃ、主人公は男に決まってるよ。だって、本文をよく見ろ。奥さんがいて、娘がいるし、言葉遣いも確認したら分かるだろ?」
「すいません、分かりません」
「もういい。じゃあ、中田さんはどう思う?」
 また、ボクは切り捨てられた。
 でも、どうして奥さんがいて、娘がいたら「男」だって決めつけられるんだ? 女かもしれないし、そのどちらでもないかもしれないし、ひょっとしたら人間じゃないかもしれない。

「豊樹はさ、ツーキューの先生に男とか女とか、教えてもらえよ? 次の時間がツーキューだろ? それか、シエンキューへ行く?」
 中田が発した言葉に、クラスの奴らが大爆笑する。
 もう、この日は耐えられなかった。

「うるさい!」と怒鳴って、中田に殴りかかろうと胸ぐらを掴む。
「豊樹! いい加減にしろ!」
 先生はすばやく間に入って止めると、ボクだけを睨んで押さえつけた。

 フツウの人には考えられないような突拍子もない行動を取るから、怖いんだろ? それでいつも悪者になる。

 ボクがいる、この世界はバグってる。
 そうだ、ボクはツーキューだ。さらにシエンキューに行くよう先生からも勧められている。
 それって、フツウからボクを排除するってことだよね?

 ボクの何がいけない?
 ツーキューでも、その前に一人の人間だ。
 フツウの人がいるフツウの世界から、ボクは排除されたくない。
 ボクだって、みんなと同じように今後もフツウの高校に入って、フツウの人と同じように暮らしていきたい。
 でも、きっと無理なんだろう。

「座れ」と先生が命令する。
 これ以上、逆らうと排除されるのが怖くて、ボクは従った。

 特別支援学校に通っているツキカさんからすると、フツウの中学校にいるボクは羨ましいそうだけど、この中学校に、ボクの居場所はない。

 今頃、ツキカさんは何をしているたろう?
 楽しくすごしていて、笑っているといいな。
 ボクはというと、早く家に帰りたい。
 帰って、作曲がしたい。

 音楽に向き合っている時だけ、ボクは人間らしくいられる。

 会いたいな、ツキカさんに。
 早く土曜日になってほしい。
 少し、興奮している。ツキカさんに会うのが待ち遠しい毎日を乗り超えて、やっと今日がやってきた。
 筆談カフェに入って店内のいつものテーブルを見ると、……いた!
 注文をするのも忘れて店内に入ると、カバンからスケッチブックとペンを取り出して、大きな文字で書き込み、ツキカさんに見せた。
(おめでとう!)
 ツキカさんは頬を赤らめて、「ありがとう」と口を動かして伝えてくる。

 そう、ツキカさんは先週、県の美術展で大人たちを抑えて、見事に最優秀賞を受賞したのだ。これまでの県展でツキカさんは最年少受賞者となり、新聞やネットのニュースにも大々的に取り上げられた。

 ツキカさんが描くのは、日本画だ。
 日本画というと、墨で描いた白黒の暗い色彩の絵をイメージしてしまうが、今の日本画はカラフルでかわいいものがたくさんある。
 今回受賞したツキカさんの作品は、筆談カフェに飾られている掛軸と同じく、雪化粧をした梅の花が力強く描かれていた。同じ景色を同じように描いたようだ。

(次、認められるのは豊樹くんだよ)
 ツキカさんは笑ってボクのスケッチブックに書き込む。この店には、会話用の筆談ノートが常に置いてあるが、ボクはツキカさんの書き込む言葉を大切にしたくて、自分のスケッチブックを使うようになった。
 次に認められるのはボク……か。
 そうなればいいが、現実はそう甘くない。曲をつくってはSNSであげているけど、そもそも聴いてくれる人が少ないし、聴いた人のからも「もうちょっとキャッチーなのがいい」や「歌詞を詰め込みすぎ」といった本気のダメ出しをくらって、毎日落ち込んでばかりいる。

(がんばるよ)と書いて見せると、ツキカさんは激しく首を振った。どういうことだ?
(がんばるんじゃなくて、楽しんで)
(楽しむ? でも、自分が楽しいと思ってやってるだけじゃ、ぜんぜんうまくいかないよ)
(楽しむのでいいよ。楽しんでできたものを、むりやり認めさせればいい)
(カゲキだね?)
(そう?)
 ボクらはお互いを見つめ、声を出さずに笑った。

(豊樹くんの新しい曲、きかせて)
 どうしよう。
 いつもだったらすぐに聴いてもらうのだが、……今回は戸惑う。果たして聴いてもらってもいいものだろうか?
(どうしたの? 早く)
 急かされてタブレットを立ち上げると、いつものようにヘッドフォンをツキカさんの頭にかぶせた。
 そして、……咄嗟に最新曲ではなく先週つくった曲を再生する。これこそ、SNSでダメ出しをたくさんくらったヤツだ。

 非公開の最新曲は、聴かせられない。
 だって、ボクが初めてつくったラブソングだから。
 会うたびにどんどん惹かれていって、気が付いたら、ボクはすっかりツキカさんのことが好きになっていた。
 でも、分かってる。きっと才能のないボクにツキカさんは、不釣り合いだ。叶わない恋だと自分に言い聞かせ、せめて言葉にできないこの気持ちを、歌にしてみた。
 だから、恥ずかしい。
 これを聴かれて、ドン引きされて、嫌われたら生きていけない。

 しかし、恐れていたことが起こった。
 楽曲を聴いている途中で、ツキカさんは一時停止をタップし、ボクの肩を叩く。
(どうしたの?)
(このトップ画面にあるフォルダは何?)
(え?)とボクはしらばっくれる。
(これ、前回会った時、このタブレットにはなかったよね?)
 まずい、あの恥ずかしい曲のデータが入っているフォルダに気付かれた。タブレットのトップ画面の小さな変化によく気付いたものだ。

(まだ完成してない曲)と、また咄嗟にウソをつく。
 片目を細め、疑った顔をしてボクを見る。
(豊樹くんは、完成した曲しかトップ画面におかないよね?)
(そうだっけ)と大げさに首を傾げるが、それがぎこちなかったようだ。
(ははーん)
(何だよ)
(聴かせて、この曲)
(ダメだって)
(何で? 私に隠し事があるの?)
 ない、ないよ。いや、あるのか。困った顔をしていたら、ツキカさんは勝手にフォルダをタップしてその中にあった音声データを再生し出した。

 まずいまずいまずい。
 イントロからツキカさんは驚いている。
 そう、いつもならシンセサイザーとかドラムとかベースといった楽器の音は全部、アプリ上で音符を打ち込んで曲をつくっているのだけと、この曲は違う。
 ボクが、アコースティックギターを弾いていた。演奏はこのギターのみ。いわゆる、弾き語りというやつだ。
 アプリに入力した伴奏なら、音符どおり正確にビートを刻んで音が出るが、人の演奏はそうもいかない。ましてやボクのギターの技術では、機械の演奏に勝てるはずもない。

 そこに、ボクの唄う声が入ってくる。
 しかも、恋する苦しい気持ちを歌詞にして。
 ツキカさんは、目を閉じて聴いていた。

 大丈夫だろうか?
 軽蔑されないか?
 気持ち悪いって思われたらどうしよう。
 ボクは不安でいっぱいになる。

 四分の三拍子。いわゆるワルツでつくってみたこの曲は、スローテンポで、今までのボクの曲とはまるで違う。


 キミに会いたい キミに会いたい
 神様 どうすればこの想い届きますか?
 誰よりもキミが好きで好きで好きで
 自分が壊れてしまいそう


 しっかりと、ツキカさんに聴かれてしまっている。
 何よりも歌詞が恥ずかしい。もう、穴があったら入りたい。
 赤面するボクを、ツキカさんはチラッ、チラッと見ながら聴き続ける。
 もう、終わった。終わったよ。

 しかし、反応は予想外のものだった。
(すごくいい!)
 聴き終わったあと、一際大きな字で伝えてくる。
(ホント?)
(サイコー!)
(ダメ出しされると思ってたから、信じられないよ。ありがとう)
(自分でギター弾いたの? 上手。このスローな曲の方が豊樹くんのボーカルに合ってる)
(これくらいの演奏なら、何とか)
(何よりも、歌詞がいい)
 きっと、今のボクは顔から火が出そうなくらいに真っ赤なことだろう。

(豊樹くんって好きな子、いるの?)
 わ、どうしよう。ものすごく見つめられている。いるよ。いるに決まってる。ボクが好きなのはキミだよ。キミだけだよ。
(うん、いるよ)
 こんなこと書いたら、(どこの人?)とか聞かれてしまうかも。まずかったか?
(いるんだ、へー)
 意外だ。これ以上、問い詰めないみたい。それはそれで悲しい。自分じゃない、と思い込んでいるのかな。

(ツキカさんは、いるの?)
(いるよ)
 いるんだ。誰なんだろう。ボクだったらどんなにいいだろうか? いやでも、そんな訳ないか。発達障がいで、クラスでも浮いてしまって「変なヤツ」だと笑われているボクを好きになってくれる人なんて、いないのだ。それが現実だ。
(そうか)
 ひどく暗い気持ちになった。ほんの少しでもツキカさんと想いが一つになる可能性があるかも、なんて期待していたボクは、バカだ。

(この曲、好き。大好き)
 そうだよな、ツキカさんが好きなのはボクじゃなくて、この曲だ。
(だから、SNSとかwebで公開して)
(恥ずかしいよ)
(恥ずかしい?こんないい曲なのに? 大丈夫。うまくいくから公開して)
 ボクはため息を1つついて(分かった)とスケッチブックに書き込んだ。
 家に着いてから、約束どおり曲を公開しなければのらなくなった。
 あの曲名は「サイレント・ワルツ」。
 恥ずかしいし、これを厳しくダメ出しされたら、自分の恋心まで否定されたみたいに思えて自信を完全になくしてしまいそうだが……、もう、いい。

 いつもなら歌声を先に収録してパソコンに取り込み、打ち込んだ演奏とミックスした上、かなり修正を入れてからしか公開しないのだが、今日は弾き語りの一発収録に挑戦してみる。
 タブレットのカメラをパソコンと同期させ、ギターを弾く手元だけを映るようにした。マイクはボクの口元に1本だけ。このマイク1本で、ギターの音も何とか拾えるだろう。

「よし」と自分に言い聞かせるように声を出すと、パソコンのアプリの「REC」ボタンをクリックした。
 ピックでコードをストロークしてイントロに入ると、ワルツ特有の懐かしいリズム感がボクを包む。
 そこからは唄い終わってパソコンの「REC OFF」ボタンをクリックするるまで夢中だった。

 出来上がりを試聴するのはやめよう。
 一発収録だから、間違いなく、ところどころメロディーを外している。それを確認したら、公開したくなくなる。
 MP4にデータ化して自分のチャンネルに公開すると、すぐにパソコンを閉じた。

 見た人たちの反応が怖い。
 大丈夫かな?
 そもそも、ボクのチャンネルを見ている人の数は少ないから、すぐにリアクションはないと思うが、……気になる。

 ふさぎ込むようにベッドで横になり、楽曲のリアクションがくる怖さを消し去るように、ケータイでエド・シーランの「Shape Of You」を大音量で流した。

「ご飯だよ」と父さんが呼びに来たから、部屋にパソコンとケータイを置いたまま、リビングに行く。そして、食べながらダラダラとして1時間くらいが経っただろうか。

 自分の部屋に戻るとケータイの画面が点滅している。通知があるようだ。
 通知の一覧を開いてみると、SNSに見たこともないたくさんのメンションされたコメントが入っている。
 まさか?
 あの曲が?

 しかし、あの曲は動画投稿サイトにこっそり公開しただけで、SNSでは書き込んでいないから、おかしい。

 SNSを立ち上げてみる。
 嘘だ、待って。

 ━━━━聴いたよ、キュンキュンした
 ━━━━いつものより、この曲がいい
 ━━━━ギターも歌もうまい!
 ━━━━中学生とは思えないクオリティだよ
 ━━━━かっこいい

 次々と嬉しいコメントが並ぶ。
 こんなことってあるのか?

 検索してみると、インフルエンサーらしき人がわざわざシェアしてくれたようだ。
 動画投稿サイトのボクのチャンネルを開いてみる。

 い、い、1.5万PV?!
 これまで、公開しても数百PVくらいだったのに、一気に跳ね上がっている。

 こんなことが起こるんだ。
 自分のつくったものが、ちゃんと多くの人に届いていて、何か人の心に残しているということを、初めて実感した。
 嬉しい。
 大げさな言い方かもしれないけれど、今まで生きてきた中で、今が一番幸せだ。
 生まれてきて、よかった。

 この時、真っ先にツキカさんの顔が思い浮かぶ。
 このことを伝えたくて、仕方がない。
 ツキカさんの言うとおりにしたから、こんなに注目を集められたのだ。

 喜んでくれるかな?
 表現者として、少しは認めてくれるかな?
 こんなに嬉しいボクのそばにいてほしい。

 でも、ボクはツキカさんの連絡先を知らない。
 ケータイを持っているかどうかも分からない。

 会いたいな。
 顔が見たいし、一言でもいいから、筆談がしたい。

 じゃあ、いっそのこと、会いに行っちゃう?!

 ツキカさんの家が、筆談カフェの隣にあるのは知っていた。
 時間は、午後7時13分か。自転車で急いだら、午後7時30分前には着く。
 やっぱり、ボクは会って伝えたい。

「この前、筆談カフェに忘れ物してたみたいだから取りに行ってくる」と親に嘘をついて家を出た。
 街はすっかりクリスマスの雰囲気に染まっていて、飾りやイルミネーションでキラキラしている。すっかり冷え込む時間帯だが、ボクには苦にならなかった。
 筆談カフェに自転車を止め、ツキカさんの自宅の前に行く。
 着きはしたものの、どうやって会ったらいいんだろう? 自宅に行ったら、ツキカさんのお父さんとかお母さんがいて、「こんな時間に何ですか?」と𠮟られそうだ。
 一目だけでも会いたいのに。
 よく見ると、家の電気が点いていないし、車もない。家族でどこかに出かけているのかな?
 じゃあ、待つか。いや、こんな暗い時間に玄関の前で立っていたら不審者だと思われてしまう。
 ボクは道路の反対側の筆談カフェの入り口前で待つことにした。ここなら、誰かと待ち合わせをしているみたいだし、立っていても怪しまれないだろう。

 しばらくすると、ボクの前で一旦停止する車があった。
 ツキカさんだ!
 助手席に座っていて、ウインドーを開くと驚いた目でボクを見ている。運転しているのは、……若い人だ。お姉さんだろうか?
「こんばんは。あなたが、豊樹くん?」と話しかけてくる。
「はい」
「なかなか、いい男なんじゃない」と笑っていた。よかった、優しそうな人だ。
 そして、ツキカさんは車を降りると、お姉さんらしき人はそのまま車を向かいの自宅の駐車場へと走らせる。

 よかった。会えた。伝えられる。

(どうしたの?)と口の動きでボクに伝えてきた。

「あのさ、この前の曲、さっき公開したよ!」
 ここは会話禁止の筆談カフェではないから、声に出して伝えた。考えてみれば、ツキカさんに声で話したのは初めてた。

「それでさ、1.5万PVでプチバズリになった」
(すごーい!)と、また口を動かし、喜んでくれている。
 本人の言うとおり、耳はしっかりと聞こえているようだ。
 そう、この笑顔が見たかった。

「ありがとう。ただ、それだけをどうしても伝えたくて……。こんな遅い時間に、ごめん」
 ツキカさんは、ボクの背中のリュックを勝手に開けて、ボクらの会話が詰まったいつもの筆談用スケッチブックとペンを取り出す。そして、ゆっくり書き出した。

(今夜、豊樹くんの声、初めて聞いた)
 そういえば、そうか。いつも筆談だけだったからな。

(いい声。豊樹くんの声、好き)
 好き?
 スケッチブックの「好き」という文字が、頭の中でグルグルするが、そうか。
 好きなのはボクじゃなくて、ボクの声ってことだよな。

(公開してうまくいったことを私に伝えるために、わざわざ来てくれたの?)
 恥ずかしい。
 もう、好きなのが、バレてるかな?

 頷いた瞬間、ボクは言葉を失った。
 え?
 ええ⁉

 ツキカさんはスケッチブックを地面に落とすと、ボクにハグしてきた。
 ほんの一瞬だったけど。
 体がギュッと触れた。

 え?
 もう終わり……。
 すぐに体がボクから離れる。

 ツキカさんはスケッチブックを拾うと、(来てくれてありがとう。家に戻るね。おやすみ)と書き込んで、手を振る。

「おやすみ、バイバイ」
 ツキカさんは、家に向かう。

 ボクはまだハグの衝撃が抜けなくて、しばらく立ち尽くしていた。
 まだ、この前のハグの感触が残っている。
 あの夜から2週間が過ぎて、やっとツキカさんに会える第4土曜日がやってきた。
 先に筆談カフェに入って待っているが、……恥ずかしくて、どんな顔をしていいものか、分からない。

 あの夜、どうして、ハグしたんだろう?
 どういう気持ちだったのかな。
 仲のいい、友だちってこと? それとも……。

 今日は、12月の第4土曜日の巡り合わせで、クリスマス・イブでもある。
 だから、いつにもまして変に意識してしまうボクは、やっぱりただのカン違いなのでしょうか、神様。

 いっそのこと、筆談用のスケッチブックに、(好きです)と書いてみようか。
 いや、ムリムリ。怖い。
 そんなことして、断られたら気まずい。下手したら、もう会えなくなってしまう。

 ツキカさんのことを考えると、ただ、時間が過ぎていった。ボクの気持ちを置き去りにして、時間だけどんどん先へ行って、悲しいことにボクはどこまでいってもボクのままで……。

 思い詰めて周りが見えなくなっていたその時、ボクの肩に小さな手が触れた。
 振り返るとツキカさんがいて、ボクはびっくりしてイスから落ちた。それを見て、声を出さずに笑っている。

 スケッチブックに(この前、県展の入賞作品が、市役所のロビーで飾ってもらえるみたい)と報告してくる。
(またまた、すごいね。おめでとう)
 この前のハグのことなどすっかり忘れているかのようで、まったくいつもと変わらない。

 あのハグは何だったんだろう?
 ちょっとした、気まぐれ?

 ツキカさんはどんどん画家として結果を残していて、それはそれで嬉しいが、ボクから遠くなりそうで不安になる。

 この日、ツキカさんはいつものようにスケッチすることがままならないほど、店の中と外を出たり入ったりして落ち着かなかった。

(どうしたの?)と筆談で伝えると、(そろそろ初雪がふるかな? わかる?)と天気を聞いてくる。ツキカさんがスマホを持っていないことを、この日初めて知った。だから、自分ですぐに天気を調べられないのだ。

 ボクは自分のスマホで雪雲レーダーのサイトを開いてツキカさんに見せる。すると、あと10分ほどで、この街に雪が降ることが分かった。道理で冷え込むはずだ。

(雪、好きなの?)
(うん)

 雪を見たいのだったら外に一緒に出かけようよ、と伝えたいのだが、……女子をクリスマスのデートに誘うみたいで恥ずかしい。断られたら、どうしようか。
(どうしたの? むつかしい顔してるよ?)
(何でもない)
(何でもないの?)
(うん)

(誰かが、私を外に連れてってくれたらいいのにな)
 ツキカさんは、あやふやな態度のボクを見かねて、大胆なことを伝えてきた。もう、覚悟を決めよう。

 深呼吸を1つすると、勇気を振り絞ってボクはツキカさんを直視した。……が、照れてまた下を向いてしまってはいたが、それでも筆談ノートに勢いよく書く。

(じゃあ、今からボクの自転車で、一緒に近くの広場に行って、雪を見ない?)
 筆談用スケッチブックを見せた後、ツキカさんを見るのが怖くて、顔を上げられない。すると、下を向くボクの目線の先に開いたスケッチブックを持ってきて、文字を見せようとする。

(自転車? 二人乗り?)
(そう)
 あ、いきなり二人乗りってハードルを上げすぎか。嫌がられるかも。
 おそるおそる、ボクは顔を上げる。

 すると、ツキカさんは笑顔で頷いてくれた。
 やった! よかった。

 会計を済ませて店を出ると、ツキカさんはボクの自転車の後ろに座った。
 まだこの街に雪は降っていない。でも、空は鉛色の雲に覆われ、今にも雪が舞いそうだ。

 ツキカさんは落ちないようにボクの腰に、つかまってくる。それだけで心臓が口から飛び出そうになった。二人きりで外に出るのは初めてだ。
 この時間がボクにはあまりに嬉しくて、大げさだけど、生まれてきてよかった、と思えた。

 こんなドキドキするクリスマス・イブになるなんて。
 もう、隠せないくらい、ツキカさんに夢中になってしまっている。ツキカさんの心の中に、少しでもボクを想う気持ちがあったら、どんなに幸せだろうか。

 ボクたちは店の近くにある広場まで行くと自転車を降りて、ベンチに座る。遠くに鈴鹿山脈の藤原岳が真正面に見えた。
 山のてっぺんは、もう雪で真っ白だ。あの雪雲がもうすぐ里まで下りてくる。

「ここで、大丈夫?」
 店の外なので声に出して伝えた。すると、ツキカさんは頷く。
 そしてボクたちはその時を待った。
 凍てつくような厳しい寒さなのに、ボクは胸が高鳴りすぎて何も感じない。

 時間は、午後3時過ぎ。
 だんだん風が強くなってきた。ツキカさんは、空を食い入るように見つめている。
 すると、鉛色の雲がどんどん黒くなっていき、山のふもとに降っていた雪がボクらのいる公園まで近づいてきた。
 そして、その時。
 ボクらの二人きりの時間を祝福してくれるかのように、ようやく白い粒が舞い降りた。

 ホワイト・クリスマスとなったこの景色は、映画のワンシーンみたい。
 その時をやっとの思いで迎えたツキカさんは、持っていた傘も差さずに掌を天に掲げる。雪の感触を確かめ、受け止めているようなその姿は、雪の妖精そのものだった。
「そういえば、あの掛軸の梅の絵も、雪化粧していたね! どこの景色?」
 ツキカさんは首をかしげ、スケッチブックに(ヒミツ)と書いて、悪戯な笑みを浮かべる。
「えー、知りたいよ。それに、もっと、ツキカさんのことが、……し、知りたい」
 大胆なことを言ってしまった。
「なんで雪が好きなの? それもヒミツ?」
 すると、ツキカさんは考えながら、スケッチブックに長い文章を書き込んでいる。

(私の障がいとか、絵にのめり込む特性も、この雪と同じで全部、神さまからのギフト。だから大切にしたいの)
 そして、この文章を見せてボクに微笑みかけた。

(豊樹くんが神さまから受け取ったギフトは、きっと、素晴らしい曲をつくる才能じゃない?)
 もしそうだったら、どんなに嬉しいだろうか。この前のギター弾き語りの曲はうまくいったが、才能とは言えない。
 もし少しでも曲づくりの才能があって、有名とまではいかなくても、ある程度知られるようになれたら、ボクは自信を持ってのびのびと生きられるだろう。

「うーん、ボクはツキカさんのような才能を神からギフトしてもらってないよ」
 ボクの言葉を聞いてツキカさんは、首を何度も横に振る。
(違う。この雪みたいに、ギフトされてる。私はこうやって手で受け止めただけ。豊樹くんは気付かずに、払い落としてる)

「じゃあ、どうすれば、そのギフトを受け取れるの?」
(心の中をからっぽにして、天からおりてくるメロディーとか詞を、そのまま表現するだけ)
「心の中をからっぽにする……か」
 確かにボクは、曲をつくるときいつも人からのどのように見られるかを意識しすぎているのかもしれない。

「分かった。ボクも心をからっぽにしてやってみるよ」
 ツキカさんは頷き、やさしい笑顔になった。やっぱりかわいい。毎日、会えたらいいのに。
 隣に座るボクは、気付いたらツキカさんと密着していて、ふと、目が合った。顔の距離が近い。すぐそこに唇があって、ツキカさんの髪からいい香りがするものだから、ボクは緊張のあまり硬直してしまった。

 クリスマス・イブにこんな状況になるって、まるでホンモノの恋人みたい。
 こういう時、どうしたらいいんだろう。
 こんなこと、誰も教えてくれない。
 授業で教えてもらった、合意だっけ。あれって、どうすればいいんだろう?
 あ、いや、何もしない方がいいのか。ボクらまだ中学生だもん。

 ほんの一瞬、ツキカさんが目を閉じた。……ように見えた。でも、きっとボクのカン違いなんだろう。

(じゃ、帰ろ)とツキカさんは書き込み、密着していた体を急に離す。
「あ、うん。そ、そ、そうだね」
 動揺しすぎて、ボクはツキカさんを直視できない。
 気が付いたら雪は止んでいて、空が明るくなっていた。

(今の気持ちをそのまま曲にしてよ。からっぽの心でさ)
「今の気持ち? 正直に、だよね……?」
 ツキカさんは頷いた。
 好きな気持ちも込みで、正直に表現するなんて、参ったな。

「やってみるよ」と、ボクは言ってしまった。
 ああ、大丈夫かな。

 そして自転車でまた、ボクたちは筆談カフェの店に戻った。
 ツキカさんは手を振って、道の向かい側にある自宅に向かう。

 せっかく冬休みに入ったところだというのに、これでまた、年明けの第2土曜まで会えないなんて……。
 ツキカさんは横断歩道を渡り、その背中が遠くなっていく。
 いやだ、もっと会いたい。
 もっと同じ時間を過ごしたい。

「待って!」
 引き止めてしまった。
 ツキカさんは振り向いて、玄関で立ち止まっていてくれる。
 ボクは慌てて横断歩道を渡り、ツキカさんのところへ駆け寄った。
 息が切れている。
 呼吸を整えて、勇気を振り絞った。

「明日、一緒に大垣に行かない?」
 ツキカさんは驚いた顔をして、ボクを見ている。
「電車で、岐阜県の大垣市に行って、駅の近くにはツキカさんの好きなアニメの舞台になっていて、見覚えのある場所がいっぱいあって、その、……もしよかったら……」
 ツキカさんは、ずっとボクを見つめていた。

 唐突に思いついたのではない。前々から、ツキカさんが大垣に行きたがっていたのは知っている。
 ツキカさんが好きなアニメの聖地だから、ボクが連れて行ってあげたい。
 やっぱり、迷惑かな? 嫌かな?

 ツキカさんは慣れた手つきで、ボクが背負うリュックからスケッチブックとペンを取り出すと、はにかんだ表情で、(いいよ)と書き込む。

「ホント? よかった」
(お母さんとお姉ちゃんにも、出かけていいか聞くけど、たぶん大丈夫)
「ここで朝の9時に待ち合わせして、すぐそこの阿下喜駅から乗ろう。乗り換えとか、どうやって行くかは、ボクが全部調べとくよ」
(楽しみにしてる)
「じゃあ、ね。その、メリークリスマス!」

 そして、ツキカさんはすぐ目の前の家に帰った。
 ボクは寒空の下、自転車で帰る。まだ、腕にはツキカさんと触れ合った感触と温かさの余韻があった。
 ボクは、その余韻を失いたくなかった。
 次の朝、自転車を筆談カフェにとめて、ツキカさんがやってくるのを待つ。
 本当にクリスマス・デートができるなんて。
 昨日は、気持ちが高まりすぎて眠れなかった。二人きりで出かけるのだから、誰がどう見ても、デートだと思うし、もうツキカさんもボクの気持ちに気付いていると思う。

 ……だから、今日ボクは、告白するつもりだ。
 気持ちを素直に伝えるのは怖いけれど、ボクが一方的に好きになるだけじゃなくて、ボクを好きになってほしいから。

 しばらくすると、道路向かいの自宅からツキカさんがやってきた。
 スカート姿だ。スカートをはいているのは初めて見た。上はかわいいパーカーを着ていて、いつもと雰囲気が違う。
 手を振って近づいてくるその姿に、照れて直視できない。

(おはよ)と口を動かして挨拶してくる。その仕草のすべてが、ボクの心を奪っていった。
「おはよー。今日って何時までに家に着けばいい?)」
(日が短いからお母さんが5時には帰ってきなさいって)
「そうか、わかった」

 さっそく歩いて、北勢線の阿下喜駅に向かった。
 電車で遠い街へ出かけるなんて、ワクワクする。筆談カフェから下り坂になっているメインの商店街のとおりを進んだ先に駅舎が見えた。
 切符を買って電車に乗る。
 北勢線は対面式のシートになっていて、車内がすごく狭い。ツキカさんが対面ではなく、真横に座ってくれているのが嬉しい。

 電車に揺れる景色を二人で見ていた。
 いつものように会話がしたくて、スケッチブックとペンを取り出す。
(豊樹くんって私の障がい、知ってる?)
「いや、詳しくは分からない。口がうまく動かないってことで合ってる?」
(うん。口っていうか、舌。生まれつきのもの。運動障害性構音障がい)
「難しい名前だね」
(リハビリをずっとしてるけど、うまくいかない)
「そうか」
(でも、その分、絵に出会えたからよかった)
「そうだよ。ツキカさんの絵、すごいもん」

(豊樹くんの障がいのことも、知りたい)
「ボクは自閉スペクトラム症。小さい頃から、ずっと療育に行ったり、病院に通ってきた」
(どんな時に困るの?)
「人の言っていることを理解するのが全然だめ。特に抽象的な言い方は分からない。分からないから一人よがりになって、空気が読めないっていうか」

 気が付いたら、ボクたちはお互いの障がいの話をしていた。普段、自分の障がいについて話すのは苦痛だが、ツキカさんなら何でも話せる。
(フシギ)
「どうして?」
(だっていつも、私の伝えてること、ちゃんと分かってくれてるもん)
「こうやってスケッチブックに書いてくれるからだよ」
(?)
「ボクは書いた文字だったら、分かりやすい。聞き取るのが弱い分だけ、目から入ってくるものの理解はフツウの人よりいいみたい」

(ひょっとして、勉強が得意な人?)
「テストの点数なら、それなりにとれるかな」
(すごっ!)
「でも、宿題はやり方を間違うし、授業の態度が悪いっていつも怒られて、成績はイマイチ」
(授業で先生の言うことがすぐに分からないんでしょ? それなのによくテストでいい点数取れるね?)
「それは、家で通信教育をしてるからだと思う。タブレットを使うと何でも分かりやすい」

(勉強できるの、いいな。私、勉強、全然ダメ)
「ボクからすれば、大人に負けない絵が描けるツキカさんをすごいと思うよ。尊敬する」
(ホント? 嬉しい)
 そして、ツキカさんは一瞬曇った顔になった。
(尊敬してるだけ?)
「あ、いや、もっとその……」
 まさか、ここで告白はできないし、困った。
「あの、ツキカさん、かわいいよ」
(ホント?)

 電車は空いているとはいえ、人がいるから、これ以上聞かれるのは恥ずかしい。
 だから、ボクもスケッチブックに書き込んだ。
(今日、いつもとフインキが違って、ドキドキする。キレイだよ)
(やったー。今日は髪型とか、服装とか、お姉ちゃんの力を借りてがんばったの)
 ツキカさんの唇がほんのり、赤い。リップクリームを塗ったのではないような、その大人っぽい唇が近かった。
 座席に隣合わせで座っているから、ずっと腕と脚が接していて、体温が伝わってくる。

 ふと、スケッチブックを持つ手を持ち替えようとしたら、ツキカさんの手に触れた。
 思い切って、そのまま手を握ってみる。
 
 嫌がるかな?
 拒否されたらどうしよう。

 え? ええ?
 ツキカさんはうつむいて、握り返してくれた。
 いいんだ。
 手をつなぐのを受け入れてくれたのが嬉しい。
 この時間が、永遠に続くといいのに。
 今日こそは、告白しなきゃ。
 何て言おう。どうやって伝えよう。そこはまるで考えていない。大丈夫か、ボクは?

 ツキカさんとの二人きりの時間にのぼせたまま、ボクたちは終点の西桑名駅で降りて、養老鉄道に乗り換える。
 そして、田園風景を眺めながら、お互いの家族の話や学校の話をしていたら、あっという間に大垣駅に着いた。

「行きたいところある?」
(アニメで見たみどり橋とか、滝のトンネル、公園、商店街)
 きっと、そういうと思ってケータイのマップに地点登録しておいた。
(どっち?)
「あっちだよ」
 改札を通る時に離れてしまっていた手を、ボクはもう一度握って南口へとツキカさんを連れていく。
 この手を離すもんか、ずっと。
 ボクが、ツキカさんの見たいものを全部見せてあげるんだ。

 大垣駅の南口を出て、駅前の商店街に入ると、ツキカさんはとびきりの笑顔になった。
(ここ、見たことある!)
 テンションが上がったツキカさんは、走るように先へ進む。
 出発した時は空が曇っていたが、大垣市はボクたちのクリスマス・デートを祝福してくれるかのように快晴だ。
 通り沿いの店には、クリスマスツリーやリースなどが飾ってあって、気分が高まってしまう。

 歩いて順番に大垣城公園、滝のトンネル、美登鯉橋と巡る。この辺は人気のスポットのようで、デートをしているカップルがたくさんいた。
 ツキカさんは持ってきていたデジタルカメラを取り出し、夢中でシャッターを切っている。
 特に屋根から水が噴き出している滝のトンネルを気に入ったようだ。
(ここの絵、いつか描く)
「いいね!」
 喜んでくれているのなら、よかった。
 歩きながら、ツキカさんが書き込んだ文字を見ているのが、楽しくて時間だけが過ぎていく。

 声が出せないって、暮らしていて困ることが多いだろうな。
 ツキカさんのカバンに掛けられたヘルプマークを見て、ふと、思った。
 事故に遭ったり、チカンされたりしても、誰かにっさに声で助けを求められないのは、苦しいだろう。
 ボクが少しでもツキカさんの役に立てたら、いいな。
 やっぱり、ずっと一緒にいたい。
 そろそろ、告白しようか。
 いや、うーん。

 昼ご飯は、最近できたばかりのカフェと和菓子の施設、船町ベースで、おむすびのランチを食べる。
 目の前には川が流れていて、きれいな風景が目に入ってきた。

 食べ終わると、もう午後1時を過ぎている。帰りの時間を考えると、長くはここにいられない。
 最後に駅前のショッピングセンターを歩いて店を見ていたら、もう出なければいけない時間になった。

 ついに、告白しないままだ。

「じゃあ、駅に行こうか」
 ツキカさんは寂しそうに頷く。
(また来たい)
「いいよ」

 ショッピングセンターから大垣駅に戻る連絡通路を歩いていると、ふと、ツキカさんが立ち止まり、通路の端を指差す。
 何だろう?
 よく見ると、その指の先にはストリート用のピアノとアコースティックギターが置いてあった。

(これ、ここで自由に弾いてもいいの?)
「いいみたいだけど……」
(ききたい。ここでギターで歌ってほしい)

 まさか、ここで?
 しかも、こんなたくさんの人がいる前で?
 ピアノもギターも今、誰も使っていないから、弾けるには弾けるが、ビビってしまう。

(私は、これからもずっと豊樹くんの曲をききたいし、イヤじゃなかったら、一緒にいたい)

 ツキカさんの手が震えていた。

(ごめん、しゃべれない私にこんなこと言われてもメイワクだよね?)

 泣きそうになっているツキカさんを見て、ボクは覚悟を決めた。

「よし、歌うよ」
 深呼吸を1つして、ボクは置いてあるギターを抱えて通りに向かって立つ。その真ん前にツキカさんがいた。
 想像していた以上に、いいギターだ。
 試しに弾いてみると、音色もいい。若干、音程が外れている弦があったから、手早くチューニングを済ませて、呼吸を整えた。

「夕べ、寝ないで心をからっぽにしてつくりました。聴いてください。『心音』」

 ボクは本当は、ロックが好きだ。今までだったら聴いてくれる人に悪く言われるのが怖くて、今風のエレクトロな曲ばかりをつくってきた。
 でも、今回は違う。
 ツキカさんの言ったように、心をからっぽにして自分の想いを、ロックにして伝えたい。

 コードD激しくギターを激しくかき鳴らす。
 高音のキーで勝負だ。
 コードをDからDmaj、D7と半音ずつさげた滑らかなイントロの後、あえてしゃがれた声で唄い出した。
 次々に人が集まってくる。


 そばにいたい いつもずっと ずっと ずっと
 もう この気持ち 止められない
 ボクにもできることがある
 キミしかできないことがある
 一緒だったら もっとワクワクする未来が
 つくれる予感がしたんだ
 やっと気づいた ボクにはキミしかいない
 ボクらにたちはだかる 大きな壁
 それはフツウという 非常識
 一緒に 超えてやる
 キミが好きだから 好きだから
 つないだその手 離さない


 唄い終わると、ツキカさんが大きな拍手をしてくれている。泣いていた。
 周りの人はあっけにとられているのか、静まり返っていた。

 ギターを置くと、そのままボクはツキカさんの前に立つ。

「ボクは、ツキカさんが……。ツキカさんが……好きです。ボクの方こそ、ずっと一緒にいたい」
 ついに、言った。
「いいかな?」

 ツキカさんは、泣きながら笑顔で頷いた。
 その時、周りにいた人たちから、大きな拍手が巻き起こった。

 たった今、ボクの人生は本当の意味で始まったのかもしれない。(了)

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