◇◇◇

水琴の事をただの友達じゃないと思い始めたのはいつからだっただろうか。

保科水琴はいつも笑顔で人を寄せつける魅力のある人だった。席が近くなって初めて話すようになり、教室に足を踏みいればいつもそこにあなたはいた。誰かと話している時の水琴は隙がなく、その笑顔で色々な人の心を開いていった。他の人がどう感じていたかは分からないが水琴と話す時は「クラスメイト」や「同級生」なんて肩書きを通した自分じゃなくてちゃんと1人の人、「奥田奏」として話してくれてるような気がした。

あのバレンタインの日、水琴には咄嗟に不思議な夢を見たと嘘をついてしまった。実際は前日の夜、自分の育った家に行こうとしていたのだ。車の免許はまだ持っていないので、夕飯を食べたあとこっそり自転車の鍵を持って家から抜け出した。
住宅街まであと少しというところで、一旦喉が渇いたので水を買おうとスーパーに寄ったんだ。
何となくお菓子コーナーにより、昔買ってもらった駄菓子を眺めていると、反対側から水色のリボンの付いた麦わら帽子を被った女の子が走って来た。すると、数メートル手前の所で足がもつれてそのまま転んでしまった。すぐさま駆け寄り、大丈夫と声をかけた。その瞬間、この子と自分は血が繋がっているんだと分かった。女の子の母親らしき人の声がしたので女の子をおこすとすぐに怖くなってその場から逃げ出した。
あのおっとりとしたタレ目気味の目。横長の薄い唇。そして何より女の子の首元で輝いていたネックレス。一瞬しか見えなかったが、あれは昔から母が大切にしていた祖母の形見だ。
小さい頃、母がいつも大事そうにそのネックレスを見せてくれたから鮮明に覚えている。
母親の顔を見た訳ではないから確実にとは言えないが、あの子は母の子供だ。

再婚していることは、前から知らされていた、はずなのに急にナイフのよう鋭く突きつけられた現実を簡単に受け入れることは出来なかった。
結局水は買わずにスーパーを出てきてしまった。帰り道、田んぼ道に不自然に置かれている自動販売機で水を購入した。
外気よりもさらに冷たい水は喉を通り、体の中に入ると内側から心ごと冷やしていく。このまま何も感じなくなるくらい冷えて凍ってしまえばいいと思った。
涙が出ることはなく、体には水分が溜まっていく一方だった。
涙を流せないことがこれほどまでに辛いことだと知らなかった。このぐちゃぐちゃの形にならない感情を涙という形にして少しでも外に出せたら良かったのに。
一生続きそうな長い一本道を漕ぎ続けてなんとか家に辿り着いた。自転車を駐輪所に置いた時には既に月が輝き始めていたと思う。

真っ直ぐに自分の部屋に行き、倒れ込むようにベットに横になった。すると胃がキリキリと痛み、脳みそに向かって全力で拒絶反応を示した。

自分にとっての母親はたった1人しかいないのに、自分は母親の唯一の子供では無い。話しかけると目を細めて微笑みかけてくれる所も不安そうな顔をすれば無条件で抱き締めてくれる所も、全部全部自分だけの大切な思い出であって欲しかった。
もしも離婚しなかったら。もしも母が再婚していなかったら。ありもしない「もしもの世界」を想像して現実逃避することをやめられなかった。
他の人には朝起きてリビングにいけば朝食を作る母とそれを新聞を読んで待つ父。そんなありふれた日常がある。それを当たり前だと思いたかった。
本を飛ばし読みするように猛スピードで頭の中を何度も何度も思考が巡る。それはやがて自分でも認識できないほどのものになり、気がつけば遮光カーテンの隙間から微かに光が漏れ始めていた。眠っていたのか、それとも一睡も出来なかったのか、それすらも今の自分には分からなかった。

家にいるのも落ち着かず、何かで気を紛らわせたくて早く学校へ向かった。
いつも通り校門が開いていて、静まり返っている下駄箱と廊下を通り、教室へ行くと鍵が掛かっていた。職員室に行き担任に鍵を貰った。
教室は広いのに誰もいなかった。まだ低い太陽の光が、横からダイレクトに教室を照らしている。
あと何分、どれくらいしたら人が来るだろう。
1人でいたくない。
何をしたらこの苦しみから開放されるだろう。
誰かといたい。
何時になれば水琴が来るだろう。

動いているかどうか分からない雲をじっと眺めていた。さっきまであの電柱よりも左側にあったからきっと少しずつ動いているのだろう。どれくらい時間が経ったのか。段々と眠気が出てきて一度寝てしまおうかと思った矢先、扉を開ける音がした。足音は扉から教卓の置いてある方を通って、やがて自分のすぐ目の前でとまった。

「おはよう、今日珍しく早いんだね。」

その声は紛れもなく自分に向けられた声だった。
ずっとひとりで昨日からろくに会話をしてなかったから、柔らかいその声を聞いて涙腺が緩んでしまいそうだった。
この場で泣いてしまったら水琴は驚くだろうか。それとも正直に話せば傍にいてくれるだろうか。
気がつくと手元に綺麗にラッピングされたガトーショコラがあった。それをチャイムがなるまでいつまでも眺めていた。

あなたは知らないだろう。この日話しかけてくれたことでどれだけ救われたか。
いつだってあなたは大切な時に現れる。辛くて寂しくてどうしようもない時、変わらずに声をかけてくれる。

この感情に名前なんてつけたくなかった。

◇◇◇

159ページ。気がつけばもう折り返し地点を通り過ぎていた。この作家さんの作品を読み返すのは何度目だろう。何度読んでもその度に新しい発見があり、やはり読書は私にとってなくてはならないものだ。

ドアが開く音がしてすぐに視線を向ける。思った通りその音の正体は奏だった。

「おはよう」
「おはよう」

あの日、水族館で出会った日から私と奏の距離は少しずつ近くなった。
知りたくなったのだ。奏のことを。
普段一体どれだけのことを考えていれば、あんな言葉を誰かに伝えることができるのだろう。
あの日から確かに私は変わることができた。
今まで得体の知れなかった好きという気持ちにきちんと向き合い、自分なりの答えを見つけようと思うことが出来た。まだその答えはでていないけれど、確実に前に進んでいるのは分かる。

だが前以上に話すようになって気づいてしまった。奏には時々壁を感じる事があった。拒絶されている訳ではなさそうだがそう、例えるなら何かを恐れているような。

私の目の前に大きな境界線が引かれている。この一線を超えるべきなのか。私の中でいつの日か奏が特別になったように奏とっての特別になりたいと思ってしまうのは高望みし過ぎなのかもしれない。けれどその本懐を遂げた先に何かがある事を信じていた。

「今日の放課後空いてる?もし良かったら一緒にご飯食べに行かない?」
なるべく平然を装って話しかける。
「うん今日は何もないから大丈夫だよ」
いつものように左目を細めて奏は私に笑いかけた。


私達が歩く時はいつも奏が右側、私が左側と決まっていた。お互い利き手が外側の方が何かと便利だろうと分かっていたからだ。どちらからという訳でもなくいつの間にか生まれた暗黙の了解だった。

向かっているのは駅前のファミレス。多くの人が行き交う駅前は時の流れを早く感じさせる。ロータリーのど真ん中にある小さな噴水を奏は眺めていた。
あの時は一方的に私の話を聞いて貰っていたせいで奏の話を聞くことができなかった。なので後日、なぜ1人で水族館へ来ていたのか尋ねてみた。
水族館はたくさんの魚がいるけれど奏は魚を見るためではなくその魚を活かしている水を見に行っていたそうだ。昔から水が好きでよく池や噴水のある公園に足を運んでいたらしい。何か好きなものがあるという事は素晴らしいことだと思った。
ファミレスまでの道のりで私は何故か緊張していた。心臓が嫌な音を立てている。拒絶されたらと考えると途端に怖くなった。気がつけば、椅子に座りメニューを広げていた。何から話したらいいのだろう。
奏の様子を伺っていると先に奏が声をかけた。
「もしかして何かあったの?」
この人はほんとに人の些細な変化に気がつく。
気遣いのおかげで本題に入ることが出来そうだ。
「あのね気のせいだったら申し訳無いんだけど、私ここ最近奏と前より話すようになって気がついたことがあるの。上手く言葉に出来ないんだけど、時々話してて壁を感じる時がある。だからもしかしたら奏にも何か悩みがあるんじゃないかって。」

しばらくの間、沈黙が流れた。やはり、踏み込むのはまずかったのか。言いたくなかったら言わなくていいと言おうとしたその時、本当の意味で奏と目が合った気がした。
「ずっと逃げ続けてきたんだ。」
奏はそう自分を責めるように言った。
「水琴に偉そうなことを言っておきながら自分は全然向き合えてなかった。人と関わることが怖くて避け続けてきた。心を開くということは弱い部分を剥き出しにしている様なものだから。もし否定されてしまったら、生きていけないと思った。だから最初からある程度壁を作って自分を守ろうとしてた。けど、水琴に出会ってそれじゃいけないって思い始めたんだ。自ら自分のことを知って欲しいと思ったから。覚えてるかな、バレンタインのこと。」
確かあの日奏は不思議な夢を見たといっていた。体調が悪そうだったからよく覚えている。
「本当はあの日夢なんて見てなかったんだ。寝てすらもなかったかもしれない。」
あの日の出来事、私に救われた事を奏は丁寧に1つずつ話してくれた。
そうして私は奏の家族のこと、過去のことを知った。
両親がいるのが当たり前だった私にとっては、正直、想像もつかない話だった。
奏が泣いている所を見たことがない。それは一種の自己防衛だったのかもしれない。責任感の強い奏は涙を流せば自分の弱さを責めて壊われてしまっていたかもしれない。
けれどそうやって沢山悩んで、多くの傷を負ってきたからこそ今の奏がある事を私は知っていた。そのおかげで私も救われたのだから。
「いつだって一番信用出来ないのは自分自身なんだ。自分が何を考えているのか、思うこと、感じること全部、これは本当に自分なのか分からなくなる。自信が持てないんだよ。」
初めて奏が弱さを見せた瞬間だった。けれどそれを私は受け入れて支えたいと思った。私にとって大切な人だから、この人となら痛みも苦しみも共有して一緒に乗り越えていきたいと。
「逃げることは悪いことじゃないよ。まだ諦めてないのなら今からでも遅くは無いはず。奏は私に答えは1つじゃないと教えてくれた。他人を思いやって尊重できる奏だからこそ自分を信じることもきっとできる。だって私を変えることができたんだもの。もしどうしても自分を信じられないのなら私を信じて。」

震える奏の手を確かに握りしめた。あなたが与えてくれたように今度は私が与えられるようになりたい。


何かが変わった気がした。けれど次の日、学校に登校して顔を合わせても大きく変化したことは無かった。
変化とは目に見えるものが全てではない。むしろ見えないものこそ見えるものよりも大事なことがある。

日々は瞬く間に過ぎ去り、高校三年生の私達は受験シーズンに突入した。私は自己推薦型受験をし、無事に第一志望に合格することが出来た。
奏もきっと自分の選んだ道に進んでいくのだろう。

◇◇◇

水琴の事をただの友達じゃないと思い始めたのはいつからだっただろうか。

保科水琴はいつも笑顔で人を寄せつける魅力のある人だった。席が近くなって初めて話すようになり、教室に足を踏みいればいつもそこにあなたはいた。誰かと話している時の水琴は隙がなく、その笑顔で色々な人の心を開いていった。他の人がどう感じていたかは分からないが水琴と話す時は「クラスメイト」や「同級生」なんて肩書きを通した自分じゃなくてちゃんと1人の人、「奥田奏」として話してくれてるような気がした。

あのバレンタインの日、水琴には咄嗟に不思議な夢を見たと嘘をついてしまった。実際は前日の夜、自分の育った家に行こうとしていたのだ。車の免許はまだ持っていないので、夕飯を食べたあとこっそり自転車の鍵を持って家から抜け出した。
住宅街まであと少しというところで、一旦喉が渇いたので水を買おうとスーパーに寄ったんだ。
何となくお菓子コーナーにより、昔買ってもらった駄菓子を眺めていると、反対側から水色のリボンの付いた麦わら帽子を被った女の子が走って来た。すると、数メートル手前の所で足がもつれてそのまま転んでしまった。すぐさま駆け寄り、大丈夫と声をかけた。その瞬間、この子と自分は血が繋がっているんだと分かった。女の子の母親らしき人の声がしたので女の子をおこすとすぐに怖くなってその場から逃げ出した。
あのおっとりとしたタレ目気味の目。横長の薄い唇。そして何より女の子の首元で輝いていたネックレス。一瞬しか見えなかったが、あれは昔から母が大切にしていた祖母の形見だ。
小さい頃、母がいつも大事そうにそのネックレスを見せてくれたから鮮明に覚えている。
母親の顔を見た訳ではないから確実にとは言えないが、あの子は母の子供だ。

再婚していることは、前から知らされていた、はずなのに急にナイフのよう鋭く突きつけられた現実を簡単に受け入れることは出来なかった。
結局水は買わずにスーパーを出てきてしまった。帰り道、田んぼ道に不自然に置かれている自動販売機で水を購入した。
外気よりもさらに冷たい水は喉を通り、体の中に入ると内側から心ごと冷やしていく。このまま何も感じなくなるくらい冷えて凍ってしまえばいいと思った。
涙が出ることはなく、体には水分が溜まっていく一方だった。
涙を流せないことがこれほどまでに辛いことだと知らなかった。このぐちゃぐちゃの形にならない感情を涙という形にして少しでも外に出せたら良かったのに。
一生続きそうな長い一本道を漕ぎ続けてなんとか家に辿り着いた。自転車を駐輪所に置いた時には既に月が輝き始めていたと思う。

真っ直ぐに自分の部屋に行き、倒れ込むようにベットに横になった。すると胃がキリキリと痛み、脳みそに向かって全力で拒絶反応を示した。

自分にとっての母親はたった1人しかいないのに、自分は母親の唯一の子供では無い。話しかけると目を細めて微笑みかけてくれる所も不安そうな顔をすれば無条件で抱き締めてくれる所も、全部全部自分だけの大切な思い出であって欲しかった。
もしも離婚しなかったら。もしも母が再婚していなかったら。ありもしない「もしもの世界」を想像して現実逃避することをやめられなかった。
他の人には朝起きてリビングにいけば朝食を作る母とそれを新聞を読んで待つ父。そんなありふれた日常がある。それを当たり前だと思いたかった。
本を飛ばし読みするように猛スピードで頭の中を何度も何度も思考が巡る。それはやがて自分でも認識できないほどのものになり、気がつけば遮光カーテンの隙間から微かに光が漏れ始めていた。眠っていたのか、それとも一睡も出来なかったのか、それすらも今の自分には分からなかった。

家にいるのも落ち着かず、何かで気を紛らわせたくて早く学校へ向かった。
いつも通り校門が開いていて、静まり返っている下駄箱と廊下を通り、教室へ行くと鍵が掛かっていた。職員室に行き担任に鍵を貰った。
教室は広いのに誰もいなかった。まだ低い太陽の光が、横からダイレクトに教室を照らしている。
あと何分、どれくらいしたら人が来るだろう。
1人でいたくない。
何をしたらこの苦しみから開放されるだろう。
誰かといたい。
何時になれば水琴が来るだろう。

動いているかどうか分からない雲をじっと眺めていた。さっきまであの電柱よりも左側にあったからきっと少しずつ動いているのだろう。どれくらい時間が経ったのか。段々と眠気が出てきて一度寝てしまおうかと思った矢先、扉を開ける音がした。足音は扉から教卓の置いてある方を通って、やがて自分のすぐ目の前でとまった。

「おはよう、今日珍しく早いんだね。」

その声は紛れもなく自分に向けられた声だった。
ずっとひとりで昨日からろくに会話をしてなかったから、柔らかいその声を聞いて涙腺が緩んでしまいそうだった。
この場で泣いてしまったら水琴は驚くだろうか。それとも正直に話せば傍にいてくれるだろうか。
気がつくと手元に綺麗にラッピングされたガトーショコラがあった。それをチャイムがなるまでいつまでも眺めていた。

あなたは知らないだろう。この日話しかけてくれたことでどれだけ救われたか。
いつだってあなたは大切な時に現れる。辛くて寂しくてどうしようもない時、変わらずに声をかけてくれる。

この感情に名前なんてつけたくなかった。

◇◇◇

159ページ。気がつけばもう折り返し地点を通り過ぎていた。この作家さんの作品を読み返すのは何度目だろう。何度読んでもその度に新しい発見があり、やはり読書は私にとってなくてはならないものだ。

ドアが開く音がしてすぐに視線を向ける。思った通りその音の正体は奏だった。

「おはよう」
「おはよう」

あの日、水族館で出会った日から私と奏の距離は少しずつ近くなった。
知りたくなったのだ。奏のことを。
普段一体どれだけのことを考えていれば、あんな言葉を誰かに伝えることができるのだろう。
あの日から確かに私は変わることができた。
今まで得体の知れなかった好きという気持ちにきちんと向き合い、自分なりの答えを見つけようと思うことが出来た。まだその答えはでていないけれど、確実に前に進んでいるのは分かる。

だが前以上に話すようになって気づいてしまった。奏には時々壁を感じる事があった。拒絶されている訳ではなさそうだがそう、例えるなら何かを恐れているような。

私の目の前に大きな境界線が引かれている。この一線を超えるべきなのか。私の中でいつの日か奏が特別になったように奏とっての特別になりたいと思ってしまうのは高望みし過ぎなのかもしれない。けれどその本懐を遂げた先に何かがある事を信じていた。

「今日の放課後空いてる?もし良かったら一緒にご飯食べに行かない?」
なるべく平然を装って話しかける。
「うん今日は何もないから大丈夫だよ」
いつものように左目を細めて奏は私に笑いかけた。


私達が歩く時はいつも奏が右側、私が左側と決まっていた。お互い利き手が外側の方が何かと便利だろうと分かっていたからだ。どちらからという訳でもなくいつの間にか生まれた暗黙の了解だった。

向かっているのは駅前のファミレス。多くの人が行き交う駅前は時の流れを早く感じさせる。ロータリーのど真ん中にある小さな噴水を奏は眺めていた。
あの時は一方的に私の話を聞いて貰っていたせいで奏の話を聞くことができなかった。なので後日、なぜ1人で水族館へ来ていたのか尋ねてみた。
水族館はたくさんの魚がいるけれど奏は魚を見るためではなくその魚を活かしている水を見に行っていたそうだ。昔から水が好きでよく池や噴水のある公園に足を運んでいたらしい。何か好きなものがあるという事は素晴らしいことだと思った。
ファミレスまでの道のりで私は何故か緊張していた。心臓が嫌な音を立てている。拒絶されたらと考えると途端に怖くなった。気がつけば、椅子に座りメニューを広げていた。何から話したらいいのだろう。
奏の様子を伺っていると先に奏が声をかけた。
「もしかして何かあったの?」
この人はほんとに人の些細な変化に気がつく。
気遣いのおかげで本題に入ることが出来そうだ。
「あのね気のせいだったら申し訳無いんだけど、私ここ最近奏と前より話すようになって気がついたことがあるの。上手く言葉に出来ないんだけど、時々話してて壁を感じる時がある。だからもしかしたら奏にも何か悩みがあるんじゃないかって。」

しばらくの間、沈黙が流れた。やはり、踏み込むのはまずかったのか。言いたくなかったら言わなくていいと言おうとしたその時、本当の意味で奏と目が合った気がした。
「ずっと逃げ続けてきたんだ。」
奏はそう自分を責めるように言った。
「水琴に偉そうなことを言っておきながら自分は全然向き合えてなかった。人と関わることが怖くて避け続けてきた。心を開くということは弱い部分を剥き出しにしている様なものだから。もし否定されてしまったら、生きていけないと思った。だから最初からある程度壁を作って自分を守ろうとしてた。けど、水琴に出会ってそれじゃいけないって思い始めたんだ。自ら自分のことを知って欲しいと思ったから。覚えてるかな、バレンタインのこと。」
確かあの日奏は不思議な夢を見たといっていた。体調が悪そうだったからよく覚えている。
「本当はあの日夢なんて見てなかったんだ。寝てすらもなかったかもしれない。」
あの日の出来事、私に救われた事を奏は丁寧に1つずつ話してくれた。
そうして私は奏の家族のこと、過去のことを知った。
両親がいるのが当たり前だった私にとっては、正直、想像もつかない話だった。
奏が泣いている所を見たことがない。それは一種の自己防衛だったのかもしれない。責任感の強い奏は涙を流せば自分の弱さを責めて壊われてしまっていたかもしれない。
けれどそうやって沢山悩んで、多くの傷を負ってきたからこそ今の奏がある事を私は知っていた。そのおかげで私も救われたのだから。
「いつだって一番信用出来ないのは自分自身なんだ。自分が何を考えているのか、思うこと、感じること全部、これは本当に自分なのか分からなくなる。自信が持てないんだよ。」
初めて奏が弱さを見せた瞬間だった。けれどそれを私は受け入れて支えたいと思った。私にとって大切な人だから、この人となら痛みも苦しみも共有して一緒に乗り越えていきたいと。
「逃げることは悪いことじゃないよ。まだ諦めてないのなら今からでも遅くは無いはず。奏は私に答えは1つじゃないと教えてくれた。他人を思いやって尊重できる奏だからこそ自分を信じることもきっとできる。だって私を変えることができたんだもの。もしどうしても自分を信じられないのなら私を信じて。」

震える奏の手を確かに握りしめた。あなたが与えてくれたように今度は私が与えられるようになりたい。


何かが変わった気がした。けれど次の日、学校に登校して顔を合わせても大きく変化したことは無かった。
変化とは目に見えるものが全てではない。むしろ見えないものこそ見えるものよりも大事なことがある。

日々は瞬く間に過ぎ去り、高校三年生の私達は受験シーズンに突入した。私は自己推薦型受験をし、無事に第一志望に合格することが出来た。
奏もきっと自分の選んだ道に進んでいくのだろう。


体育館にごうごうと鳴り響く暖房がまだ少し肌寒い空気を温めている。天井ついた空気口を眺めながらぐっと唾を飲み込む音を堪えた。
「ラストの曲、盛り上がって行くよ!」
左手に持ったマイクに力を込めて、深く息を吸った。
凌馬くんのドラムを中心にそれぞれが自身の音を刻んでいく。葉月のベースは音の深みを出して、遠藤くんのギターは曲をより華やかに際立たせる。
私は歌った。
どこかにいるあなたに向かって。
卒業間際に行われたラストライブは大盛況に終わった。ライブ後に恒例で開催してる打ち上げはカラオケで行われ、小さな部屋の中は今までの思い出と音楽で溢れていた。今までに演奏した曲を全て歌い切り、解散する頃にはみんな声が別人のように枯れていた。
帰り道、コンビニに寄ってのど飴を買い、葉月と一緒に河川敷を歩いた。
「最後まで4人でライブができて良かった。色々あったけど私は水琴のことを好きになったのもこのバントに入ったことも後悔してないよ。水琴のおかげで前を向こうって思えたんだ。あの時ちゃんと振ってくれてありがとう。」
川の流れよりも遅く、ゆっくりと1歩1歩を噛み締めて歩く。
「私も葉月と遠藤くんに自分のことを考え直すきっかけを貰った。だからそれを無駄にしないようにしっかり自分を見つめ直していこうと思う。」
喋る度に飴がコロコロ動きながら甘味を口の中全体に広げていく。
「今は水琴の幸せを素直に願うことができるよ。水琴のことを変える誰かがこの先現れるといいね。」
そう言われ、奏の顔が浮かんだ。
私を変えてくれた人。
人生に影響を与えてくれた大切な人。
けれど私たちの関係はなんだろう。言葉にするとなると難しい。それも今後考えていこう。
川が奏でる緩やかな瀬音は私の人生を語るようにそっと寄り添ってくれた。



今日も教室のドアが開かれる。足音が段々と近づき、私の前でピタリととまる。

「おはよう、水琴」

「おはよ奏」
「ラストの曲、盛り上がって行くよ!」
左手に持ったマイクに力を込めて、深く息を吸った。
凌馬くんのドラムを中心にそれぞれが自身の音を刻んでいく。葉月のベースは音の深みを出して、遠藤くんのギターは曲をより華やかに際立たせる。
私は歌った。
どこかにいるあなたに向かって。
卒業間際に行われたラストライブは大盛況に終わった。ライブ後に恒例で開催してる打ち上げはカラオケで行われ、小さな部屋の中は今までの思い出と音楽で溢れていた。今までに演奏した曲を全て歌い切り、解散する頃にはみんな声が別人のように枯れていた。
帰り道、コンビニに寄ってのど飴を買い、葉月と一緒に河川敷を歩いた。
「最後まで4人でライブができて良かった。色々あったけど私は水琴のことを好きになったのもこのバントに入ったことも後悔してないよ。水琴のおかげで前を向こうって思えたんだ。あの時ちゃんと振ってくれてありがとう。」
川の流れよりも遅く、ゆっくりと1歩1歩を噛み締めて歩く。
「私も葉月と遠藤くんに自分のことを考え直すきっかけを貰った。だからそれを無駄にしないようにしっかり自分を見つめ直していこうと思う。」
喋る度に飴がコロコロ動きながら甘味を口の中全体に広げていく。
「今は水琴の幸せを素直に願うことができるよ。水琴のことを変える誰かがこの先現れるといいね。」
そう言われ、奏の顔が浮かんだ。
私を変えてくれた人。
人生に影響を与えてくれた大切な人。
けれど私たちの関係はなんだろう。言葉にするとなると難しい。それも今後考えていこう。
川が奏でる緩やかな瀬音は私の人生を語るようにそっと寄り添ってくれた。



今日も教室のドアが開かれる。足音が段々と近づき、私の前でピタリととまる。

「おはよう、水琴」

「おはよ奏」