――ずっと、ロボットになりたいって思ってた。なにを言われてもなにも感じない、なにも食べなくてもいられるロボットに。


 ***


「――おまえ、熊野さんと別れたの?」
「あぁ、うん。まぁな」
「マジ? なんで?」
「あーあいつさぁ、めっちゃワガママなんだよね。昼飯一緒に食いに行こうって言ってもいつも気分悪いとか言って俺に付き合ってくれないし、デート中もいつも不機嫌そうで。ドタキャンだってしょっちゅうだったし」
「えーマジ? めっちゃ意外! あの子、そんなふうに見えないのになー」
「最初はいいけど、さすがにこれずっとはきついわー。新しい彼女は控えめでいつも俺に合わせてくれるからマジ天使」
「うわ、おまえもう次いってんの!? クズだなー!」
「あっ、てか、あいつ総務課でパスタさんって呼ばれてるらしーぜ」
「は? なにそれ?」
「お昼パスタばっかだから」
「なんだよそれー」
 聞き覚えのある大きな笑い声に振り返ると、エレベーターの前に別部署の元カレがいた。
 楽しそうに、私の噂話を同期にぺらぺらと話している。元カレはそのまま、私の存在に気付かずにエレベーターに乗り込んでいった。
 ――付き合う前にちゃんと言ったはずなのにな。
「……はぁ」
 私は彼らの話を聞かなかったことにして、胸のちくちくに気付かないふりをして、そそくさとエレベーターの前を通り過ぎた。


 ***


「熊野さーん、今日みんなでランチ行きません?」
 お昼休みのチャイムと同時に、後輩に声をかけられて顔を上げる。
「あ、私はお昼もう買ってあるから」
 ごめんね、と断るが、
「えーでもぉ、熊野さんっていつもコンビニのパスタじゃないですかぁ。毎日毎日パスタって、いい加減飽きません?」
「うん、まぁ……」
 そりゃ、飽きてるが。
「なら、行きましょうよ! 近くに美味しいオムライスのお店できたんですよー! ずっと前からみんなで行こうって言ってて」
「……分かった。行こっか」
 後輩の強い誘いに、私は仕方なくパソコンをスリープモードにして、席を立った。


 ***


 そして、午後四時。
「うぅ……気持ち悪……」
 案の定体調を崩し、給湯室で休んでいると、ひとが入ってくる気配がした。
 小さな声で「あ、パスタさん」と言われた気がしたけど、それよりも体調が悪いことを隠すため、私は慌ててコーヒーを入れるふりをした。
「……お疲れ様です。コーヒーですか?」
 訊ねるが、いっこうに返事がない。訝しげに思って顔を上げる。
 立っていたのは、今年入った新入社員の後藤くんだった。
 耳には大量のピアス。明るい髪色。さらに切れ長の目元が相まって、いろんな噂が囁かれている子だ。
 部署が違うから話したことがないが、そのいかつい外見から、私は彼のことがちょっと苦手だった。
 なんと声をかけようか迷っていると、
「あの……大丈夫っすか?」
「え?」
 なにについての大丈夫なのか、問いかけの意味が分からず、私は後藤くんを見上げた。
「手、震えてるから。顔も真っ青だし」
「あ……だ、大丈夫。ちょっと低血糖になってるだけだから」
「低血糖?」
 後藤くんが眉を寄せた。
 口走った言葉にハッとして、口元を押さえる。
「ごめん、なんでもないから」
 私はマグカップを持って、デスクに戻った。


 ***


 しばらくして症状が落ち着き、すっかり冷めきったコーヒーを作り直そうと給湯室へ向かうと、後輩がいた。
「あ、熊野さんお疲れ様でーす」
「お疲れ様」
「コーヒーですか? 私淹れますよ」
「ありがとう。お願いします」
「はーい。あ、砂糖入れます?」
「あー……うん。じゃあ、ひとつ入れようかな」
 体感的に血糖値がまだ上がりきっていない気がして、私はうなずく。
「あれ? うちって角砂糖なんて置いてありましたっけ?」
「角砂糖? いや、ないと思うけど……」
「でもこれ見てくださいよ」
 言われて見ると、筒状のシュガーとミルクの横に、四角い角砂糖のようなものがどさっと置いてあった。
「……それ」
 後輩は首を傾げているが、見覚えがあった。
「……ぶどう糖だ」
「ぶどう糖? え、ぶどう糖ってコーヒーに入れるものなんです? シュガーの代わりみたいな?」
「まぁ……たしかに砂糖みたいな感じだけど、わざわざコーヒーには入れないかな……」
 ぶどう糖は私もよく食べる。主に、血糖値が下がったときに。
 でも……午後来たときはこんなものなかった気がするけど、と思っていると、部屋の外から怒鳴り声が聞こえた。
 驚いて給湯室を出ると、総務部の部長が後藤くんを強く叱責していた。
「おまえっ! 無駄なもの買うなっていつも言ってるだろうが! 小遣いじゃないんだぞ!」
 怒られている後藤くんを見て、後輩が言う。
「うわぁ……後藤さんまたやらかしたんですかねぇ」
「またって?」
「あぁ、後藤さん、給湯室に置いてあるものの補充とか担当してるらしいんですけどー、この前買って来いって言われたお茶菓子買ってこなくて怒られてたんですよー。特定の社員をあからさまに避けたりして」
「え、そうなの?」
「若いからってダメですよねー。そのうちどっかの支社に飛ばされるんじゃないですか」
 そう言って、後輩はさっさとデスクに戻って行った。
「特定の……」
 しばらく後藤くんを見ていると、後藤くんはデスクに戻る際、山南さんの横を大回りして避けていた。もしかして、避けている社員というのは山南さんのことなのだろうか。
 でも、なんで?
 山南さんはたしかに格好は少し派手だけど、仕事もできるし人当たりもいい。悪いひとではないが……。後藤くんから山南さん観察に切り替えていると、ふと指先が目に入った。
「あ、赤のマニキュア可愛い」


 ***


 翌日、通勤途中に後藤くんと遭遇した。後藤くんは濃い色のサングラスをかけていて、一瞬だれか分からなかったけれど、私を見て開口一番「あ、パスタさん」と言ったので気付いた。
 私がなにも言わないでいると、後藤くんはしまった、という顔をして、
「あ、いや……すみません」
 と、気まずそうに目を逸らした。べつに私は気にしない。気にしたって、意味がないから。
 そう思って、
「いいよいいよ、みんなが影で私をそう呼んでることは知ってるから」
 と言うと、
「……そっすか」
 後藤くんはもう一度ぺこりとして、再び歩き出した。その様子を見つめていると、不意に後藤くんが振り返った。
「……会社、行かないんスか」
「あっ、うん。行く」
 なんとなくそのまま、一緒に会社に行くことになった。
「……あの、聞いていいんか分からないんスけど」
 一度言葉を区切ってから、後藤くんは言った。
「パスタ食べてるのって、持病が原因っすか?」
「え……?」
「この前、低血糖で具合悪くなってたじゃないっスか。だからそれが原因なのかなって」
「いや、あれはたまたまで……」
 そう誤魔化そうとしたとき、脳裏にふと昨日の給湯室の光景が浮かんだ。
 彼の行動のいろんなことが、今になって繋がった気がした。
「もしかして、だから給湯室にぶどう糖?」
 すると後藤くんは、少しだけ気まずそうに、
「血糖値を上げるには、ぶどう糖ってネットに書いてあったから。違いましたか?」
「いや、合ってる。けど……じゃあ、あのぶどう糖は本当に私のために?」
 意外すぎて驚いていると、
「……誤解されても、説明できないもどかしさっていうか、まぁその、そういう気持ちは俺も分かりますから」
 後藤くんは無表情のまま、そう呟いた。
「…………」


 ***


 私は、幼い頃から反応性低血糖という病を患っていた。糖尿病の初期症状とも言われるらしいこの病気。私の場合は血糖の数値が悪いでもなく、原因は不明で低血糖になるのはお昼すぎ。つまり、昼食後と決まっていた。
 低血糖になるとものすごく気持ち悪いし、身体が重くなるし、手足は震えるし発汗するし、とにかく見た目には分からないけれど、とても辛い。
 低血糖にならないようにするには、急激に血糖が上がるものを食べないようにすること。
 ……と思われがちだが、そんな簡単な話ではない。
 いろいろ試したけれど、私の場合はおにぎりは不可、そばも不可、カップラーメン、丼ものも不可。
 唯一食べても低血糖症にならなかったのは、コンビニのパスタだった。
 だから、私は毎日コンビニのパスタを食べている。
 同僚が私を影で『パスタさん』と呼んでいることは知っていた。
 恥ずかしかったしいやだったけれど、弁明はしなかった。できなかった。
 だって、私の持病は、病とも言えない病気だ。目に見えて症状が分かるわけではないし、どうせ話したところで理解されないと思ったから。
 話を終えると、後藤くんはぽつりと言った。
「……俺も、赤が苦手で」
「赤?」
 赤ってなんだろう。色のこと? でも色が怖いなんて……。
 頭の中でぐるぐる考えていると、後藤くんが続けて話し出した。
「子供の頃、火事で親を亡くして、それ以来、どうしても赤がダメなんです」
「……トラウマってこと?」
 恐る恐る訊くと、後藤くんは小さく頷いた。
「親が死んだの、俺がストーブの火を点けたせいだったんスよ。親の見よう見まねでストーブの火を点けて、そのせいで家族みんな死にました。俺だけ、消防隊に助けられちゃって」
「そんな……」
 壮絶な話に、私は思わず言葉を失くす。
「ふつう、家事で助かった子供って、じぶんも消防士になるっていうケース多いじゃないっスか。俺も助かった頃はそう思ってたんスよ。家族への罪滅ぼし的な気持ちもあって。……でも、火事からしばらくして、赤い服着たひと見た瞬間気分が悪くなって、吐き気がして。最初はわけが分かんなかったんスけど、どうやら赤がダメなんだって分かって。それからはもう、赤色を見るのがどうもダメで」
「そっか……だから、外ではいつもサングラスなんだ」
 サングラスをかけていれば、赤色は分からないから。
 だけど、そんな濁った世界ではとても生きづらいだろう。だって、赤がない場所なんてほとんどない。職場にだって、たくさん……。
 ハッとした。
 昨日、後藤くんが避けていた山南さんは、赤いマニキュアをしていた。彼は山南さん自体を避けていたわけではなく、ただ彼女の爪の赤が怖かっただけなのだ。
 だけど周りは、彼にそんな過去があるなんて知らないから、言いたい放題言って……。
 私だってそうだ。色の恐怖症があるなんて、考えもしなかった。
「子供の頃、俺、これが理由でクラスメイトからめちゃくちゃいじめられたんですよ。それ以来、いじめられないように、ピアスとかタトゥーとか、わざと入れてるんです」
 まぁ、そのせいで今度は逆に浮きましたけどね、と、後藤くんは薄く笑う。
「私……ぜんぜん知らなくて、噂鵜呑みにしてた。ごめん……」
 思わず謝ると、後藤くんは困ったように笑って、頭をかいた。
「まぁ……こんなの話すようなことじゃないし、話す気もなかったですから、気にしないでください。熊野さんには、熊野さんの秘密を聞いちゃったから、おあいこに話したようなものなんで」
 後藤くんは、優しいひとだ。
 彼自身のトラウマだって、彼が優しいから起こったできごとだ。そして、優しいがゆえに、心に傷がついた。
「……私もね、この病気のこと、だれにも話したことなかったんだ。女同士って結構シビアだから。仲良くしたそうに見えて影で悪口言ってるタイプも多いし……だから余計、どう思われるだろう、って考えたら言いにくくて」
 どうせ話したところで理解されないだろう。そう、勝手に一線を引いていた。
 私が一線を引いてしまったひとたちのなかにも、彼のような優しいひとがいたかもしれないのに。
「俺、ずっとロボットになりたかったんですよ」
「ロボット……?」
「ロボットだったら、こんなに生きづらくないんだろうなって」
 親のためになにかしようとか思わなかっただろうし、まわりになにを言われても、なんとも思わなかったはずだから。
 後藤くんはどこか遠くを見つめて、そう言った。
「人間って辛いじゃないっスか。働かなきゃ生きてけないし、ひと付き合いもめちゃくちゃ厄介だし」
「そうだね……実は私も、ずっとそんなふうに思ってた。人間っていろいろめんどくさいから。……でも私、人間でよかったって今ちょっと思ったよ」
 後藤くんは驚いた顔をして私を見た。
「え、なんでですか」
 そんな彼に、私は微笑む。
「だって、心がなかったら、君の優しさに気付けなかったと思うから」
 彼の細い目が、一瞬大きく見開かれた。後藤くんはすぐに私からパッと目を逸らして、
「……べ、べつに優しさとか、そんなんじゃ……俺も事情を知らない頃は、熊野さんのことあだ名で読んでたし。……ごめんなさい」
 後藤くんがぼそっと言う。それが少しおかしくて、私は小さく笑った。
「私、嬉しかったよ。ぶどう糖が給湯室にあったとき。すごく嬉しくて、泣きそうになった」
 生きててよかった。心があってよかった。
 だってもし私がロボットだったら、こんなふうに心があったまることなかっただろうから。
「…………」
「それにね、私、仕事中はたしかにパスタしか食べないようにしてるけど、休みの日とかは結構いろんなもの食べるんだよ。甘いものも、お酒も!」
「えっ、そうなんスか!?」
「うん。仕事に支障が出るのはまずいけど、食事はやっぱり楽しいほうがいいじゃん? せっかく人間に生まれたんだから」
 だから、休みの日は食前薬とぶどう糖を持参して、割と好きなものを食べている。
 そう言うと、なら、と後藤くんが立ち止まって私を見た。
「なら、今度飲みに行きませんか? 俺、結構美味しい店知ってるんで」
 胸の中がじんわりとあたたかくなっていく。
 ほら。
 やっぱり、ロボットじゃなくてよかった、と思った。だってロボットだったら、こんな気持ちは知らないままだったと思うから。
 私は全開の笑顔で、
「行く!」
 と答えた。


 ***


 そうして、後藤くんとの約束の日。
 私はバッグの中にあるものを忍ばせて、待ち合わせの駅に向かった。
「あ、熊野さん、こっちです」
 先に来ていた後藤くんが私に手を振る。
「おまたせ、待たせてごめんね」
「いえ」
「あ、あの、後藤くんこれ、プレゼント」
 私はカバンの中からあるものを取りだし、後藤くんに差し出した。
「ん? なんスか? ……あ、なにこれキーホルダー?」
 そう。私が差し出したのは、ひと世代前のロボットのキーホルダー。
「……えー……可愛くねぇ」
 後藤くんは顔の前にキーホルダーをぶら下げながら、半笑いでキーホルダーを眺めた。
「はは。分かる。可愛くないよねー」
「えっ、なんスか、可愛くないもの渡さないでくださいよ」
「いいんだよ、お守りに可愛いもなにもないでしょ」
「お守り?」
「そ。これ、ちゃんとしたお守りなんだよ。おなかのとこ、HAPPYって書いてあるでしょ。この子はたしかにロボットだけど、ちゃんと心があるロボットくんなんですよ」
「……あ、ほんとだ。HAPPYって書いてある。でも、なんで?」
「うん、まぁ……これは、ぶどう糖のお礼。遅くなってごめんね」
「……よかったのに」
「いいの。私のせいで、部長に怒られちゃったし、それもごめんね」
 後藤くんはキーホルダーを見つめ、しばらく黙り込んだ。そして、ふと私の背後の店を見て言った。
「……あの、ちょっとそこの店、寄ってもいいですか」
「え?」
 後藤くんがすたすたと足早に向かったのは、可愛らしい雑貨屋だった。なにやら買い物をしている後藤くんを待ちつつ、私も中に入って品物を見物する。しばらくして買い物を終えた後藤くんがやって来て、一緒に店を出た。
 店を出てすぐ、
「……これ、どうぞ」
 と後藤くんはさっき買ったらしき紙袋を私へ差し出した。
「え、え、なに? もしかして気を使った? ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど」
「気とか、そんなんじゃないっスよ。ただ……勇気をもらったから、今ならなんか、大丈夫かなって思って」
「今なら?」
「あげます、それ。……結構頑張ったんで、もらってくれると嬉しいです。てか、俺の渾身の成果だから、もらってくれないと困るというか」
「あ、うん。ありがと」
 中を開けようとすると、
「あっ……いや、今じゃなくて、家で開けてくれません?」
 後藤くんは青白い顔で、私から目を背けて言った。まさか、と思って、私は後藤くんに背を向けて袋を開ける。
 そこにあったのは、ペンギンのぬいぐるみキーホルダーだった。白黒で目がつぶらな可愛らしいペンギンだが、首元に赤い蝶ネクタイをしている。
 彼のきらいな赤だ。
「……後藤くん……」
 これを手に取るのがどれだけ大変だったか、想像しただけで胸がぎゅっとなった。
「……ありがとう……大切にする」
 ペンギンのぬいぐるみを両手で包みこみ、私は彼の思いを噛み締める。
「ま、まあ、あのロボット? 割と効果ありそうッスね! そんな怖くなかったし」
 そう言いながらも、彼の顔はちょっと強ばっていた。
「ふっ……そっか」
「ちょ、笑わないでくださいよ。こっちはマジで……」
「笑ってないよ。むしろ感動してるんだから」
 嘘。強がる後藤くんが、なんだかちょっと愛らしく思えて、思わず笑ってしまったのだ。
「ありがとね、後藤くん」
「……べつに。赤が……こんなちっこいペンギンが怖いなんてバカみたいなこと、真剣に理解しようとしてくれたひとなんて初めてだったから」
 私もだ。
 体調が悪いことに気が付いてくれたひとは、後藤くんが初めてだった。気付くだけじゃなくて、ぶどう糖まで用意してくれたひとなんて、きっとこの先も一生会うことはない気がする。
「……じゃ、行こっか」
「はい」
 私たちは一度目を合わせてから、並んで歩き出した。改札を抜け、ホームへ向かう。
「そだ。今から行く店って、どんなとこ? カフェ?」
「はい。カフェ『宝箱』って店なんすけど、そこ、チョコバナナのパフェが美味しーんスよ。あ、でもそこ、結構ロカボスイーツとかにも力入れてるらしくて。植物由来の甘味もあるってこの前聞いたから、熊野さんでも行けるかな……って」
「……ありがと。気を遣わせてごめんね」
「……謝るのはなしで。熊野さんに謝られると、俺も甘えらんなくなるから」
「……う、うん。分かった」
 ……あれ? あれ、なんだろう。この高揚感。
 恋って、こんな感じだったっけ。元カレのときもこんな気持ちになったっけ?
 久しぶりに感じる胸の高鳴りに、私は少し困惑する。
「体調、大丈夫ッスか?」
「うん。食直前に飲む薬も持ってきたし、気持ち悪くなったとき用のぶどう糖も持ってきたし。いろいろ気を遣わせてごめん……じゃなかった、ありがとう」
「……べつに。気分悪くなったら言ってくださいよ」
「ありがとう。あ、後藤くんも。私もできるかぎり気付くようにするけど」
「……あざっす」
「あ、電車来たよ、行こ!」
 後藤くんのいちいち優しい言葉や仕草なんかにときめきながら、私は電車に乗り込む。
 その日、私は初めてじぶんの弱さを認められた気がした。


 ***


 ――ずっと、ロボットになりたかった。
 食べなくてもいられる、なにを言われても傷つかないロボットに。
 でも、もし私がロボットだったら、きっと後藤くんの優しさに気付けなかっただろう。
 後藤くんの苦しさに気付けなかっただろう。
 私たちはロボットじゃない。ロボットにはなれない。
 私たちは弱いからこそ生きているのだ。
 歩くのが下手だからこそ、必死に前に進む。
 だから、つまづいて転んでも、顔を上げて。
 きっとそこには、だれかが転んだことに気付いて、振り返って足を止めて、待っていてくれるひとがいる。
 並んで歩こうと言ってくれるひとが、きっといるから。