涙が零れる度に、自分の世界が波紋のように広がっていく。
 この感覚を何度味わっただろう。涙を絵の具として絵を描き出して、十数年の月日が経った。
 初めは母に言われるがまま描くだけで、自分らしさなんて追求してはいなかった。いつの頃からか、零れる涙にも種類があることに気付いた。大好きな音楽を聴いた後と、叱られた後では、明らかに涙の色が違う。夏の張り付くような暑さと、冬の締め付けられるような寒さほどに。
 僕が好きな色は黒だ。見ているだけで、宇宙にも通じる深遠を感じる。じっと見つめていると、いつか吸い込まれそうな気さえしてくる。黒は全ての色を塗り潰す強さも持ち合わせている。
 多くの偉大な先人の作品にも触れてきた。例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチ、クロード・モネや、レンブラント・ファン・レイン。時代を代表する画家達には、表現の違いはあっても、共通して観る者の心を掴んで離さない何かがあった。何度も何度も、食い入るように画集を見つめてきた。母は本に関しては寛大な人間で、生活苦でも本に掛かる費用は削らなかった。
 そのおかげで、多くのことを学べた。実際に人に触れる事でしか学べないこともあるだろうが、本には本の良さがある。自分のペースで読めるし、短時間で他人の人生を垣間見ることができる。僕は多くを本から学んだ。絵に生かせるものは、綿が水を瞬く間に吸い込むように吸収していった。
 今まで生まれた作品は、決して多くはないかもしれない。だからこそ、一作品ごとに強い思い入れがある。涙で絵を描くということは、魂を削って描くということ。魂を削ることは、生命を時の流れに晒すということだ。書き終えた後の疲弊感は、尋常ではない。抜け殻のようになってしまう。
 涙で描いた絵は様々な人を魅了した。だが、母の言いつけで、人前では涙を流すことは許されなかった。もちろん、人前で涙を流して絵を描けば、周りからどんな目で見られるかは、容易に想像できた。だから、授業中は一般的な絵の具を使用して、絵を描いていた。
 幼い頃から、上手く描けていると周りから褒められてきたが、僕には嬉しい気持ちより不思議な気持ちの方が大きかった。
 上手く描けているなんて一度も思ったことがない。
 ただ、僕の側にはいつも絵があり、創作をすることが生きている証明だった。
 それと同時に、何かから逃げるように絵を描いてきたのも事実。
 一度入り込めば、抜け出せない螺旋の世界だった。その螺旋は果てしなく上まで伸びていて、どこか違う世界に繋がっているのではないかと思えるほどだ。
 芸術は自由ではない。
 枠を狭めて、その制限の中にこそ自由が見えてくる。
 描けば描くほど、そう感じられた。
 涙絵を人の評価の対象にしたのは、高校生の時の二科展だ。母の勧めで応募してみると、入選に輝いた。そのときに、母から、改めて「あなたの涙は人前で流してはだめよ」と言われた。僕は偏狭な目で見られるから、母にそう言われたのかと思っていたが、あんなに深い理由があるとは思いもしなかった。
 母の想いとは別に、確かな自信が生まれていたのもその頃だ。僕はは生涯を通して、絵を描いていくのだろうと感じた。絵が揺るぎのない指針になり、自分の中に核となる存在が出来たようだった。
 創作は謎解きでもある。
 確信めいた回答があるわけではないが、壮大なテーマから矮小なテーマまで様々な問題が提起される。
 創作者は自分の感性で、扉を開けていく。
 自分だけが見える世界を具現化する。
 表現する方法が無限なら、答えもまた無限だ。そんなことを想像し、実行してきた。
 時間は確実に着実に過ぎていく。
 僕は青年期を迎えるまでに、ひたすら創作に打ち込んだ。