「アカリ、そろそろ休憩しましょうか?」
「……はい。ローズさん」
アカリは自分の不甲斐なさにうつむいた。
ローズによるアカリへのダンスの指導が始まったのは三日前。
拡声魔法による校内放送で執り行われることになった舞踏会の、優勝商品としてローズが指定されてから、アカリはローズのラストダンスを死守しようと毎日練習を重ねていた。
ただ元の世界での生活もあってか、アカリは体を動かすことがあまり得意ではなかった。
これまでの舞踏会のラストダンスは、ロイや他国の王子など、その時の学院関係者の中で最も女子人気が高い人間がつとめてきたらしく、今回のローズのように女性が『王子様』役に選ばれるのは、初めてのことらしい。
異例中の異例。
だというのに、ローズが『王子様』に選ばれても、女生徒達は不満の一つ漏らさず、それどころかこれまでになく、女性陣は舞踏会に向けて猛特訓を続けているという話だった。
「紳士淑女の嗜みだ。君はこの程度もできないのか?」
やり取りを眺めていたロイが、二人の会話に割って入る。
「私の世界じゃ、こんなの踊れるのは、それをちゃんと習っている人くらいなんですっ!!」
挑発するようなロイの言葉に、アカリは噛み付いた。
ロイに対しては相変わらず狂犬のようなアカリの態度に、ローズは宥めようと落ち着いた声音でアカリに諭す。
「アカリ。出来ないからと焦らなくても大丈夫ですよ。アカリなら、きっとちゃんと踊れるようになります」
「ローズさん……!」
ローズはそう言うと、スポーツドリンク(仮)をアカリに手渡した。
氷魔法で冷やされているあたり、ローズの気遣いを感じてアカリは嬉しくなった。
――やっぱり、ローズさんとのラストダンスを他の人に渡したくない……。
アカリの中で、その気持ちが強くなる。アカリは頬を染めてローズを見上げた。
「……全く、見ていられないな。手を出せ。『光の聖女』」
ロイはそう言うと、乱暴にアカリの手をとった。
「え?」
「ロイ様、アカリは……!」
ロイの突然の行動に、ローズとアカリは動揺した。
何故ならアカリは、男性に触られると泣いてしまうからだ。
しかし。
「あれ?」
不思議なことに、今日のアカリはロイに触られても平気だった。
男性が苦手なアカリが、唯一振られても大丈夫な異性――物語で言えば『運命』の相手だとかいう展開になりそうな流れを、ロイはさらっと断ち切った。
「どうやら成功のようだな」
ロイはそう言うと、自らの手を覆っていた、目に見えない程の薄い膜をぺらりと剥がして見せた。
「君が泣くというから。この手袋は特注品だぞ」
はあとため息を付きながらも、どこか安心したように笑うロイを見て、アカリは少しだけ驚いた。
費用も時間もかかったはずだ。だというのに自分のために、こんなものを用意するだなんて。
「これが使えるなら大丈夫だな。君は俺にすべてを委ねればいい」
「へ?」
ぐいっと体を引かれて、アカリはロイの導きのままに体を揺らした。
パートナーのことをきちんと考えた上での動き――ローズの時とは違い、ロイとアカリのダンスはとても絵になっていた。
ロイはアカリを華麗にリードする。
さすが大国の王だけのことある。
彼のダンスのうまさは、ローズよりも遥かに上だった。
ローズがアカリに合わせるのに対し、ロイの場合自分のペースに巻き込むため、結果、下手なアカリがうまく見えるという違いもあるかもしれなかった。
「これさえあれば、闇属性が使える人間であれば君と踊れるというわけだ」
「闇を抱えてそうな人と踊るくらいなら、踊らない方がましです!!!」
本来なら気遣いに感謝すべきところだったが、ロイに素直にありがとうと言えるアカリではなかった。
彼のほうがローズより優れているなんて――その事実は、ロイが嫌いなアカリの癇に障った。
「酷い物言いだな。だがそれだと、君はラストダンスの相手を他の誰かに奪われてしまうぞ? あと、ローズ嬢も闇属性持ちだが?」
「う……っ」
「彼女が他の誰かと踊っても?」
「そ、それは……」
アカリは口籠もった。
それは嫌だ、と思う。男女問わず、ローズに自分以外が関わるのは正直見ていて面白いものではない。
「そういえば」
ローズに視線を移したアカリの中に、ある疑問が浮かんだ。
「なんでローズさん、男役が踊れるんですか?」
「リヒト王子に教えるために練習したらしくてな。それで、どちらも踊れるそうだ」
「……」
流石のハイスペック。
アカリは、ローズの優秀さに胸を高鳴らせると同時に顔を顰めた。
それにしても話を聞く限り、リヒトは魔法の研究以外、本当に何も出来ないのではともアカリは思った。
剣が得意というわけでもなく、ダンスはうまく踊れずローズに教えてもらい、外交に関しては、ロイとの交流を見る限り慣れているとはとても言えない。
レオンが目覚めない間、ローズがいかにリヒトの不出来な部分を補ってきたのか、うかがい知れるというものだ。
だからこそ、アカリは改めて思ってしまった。
次期王妃としてプレッシャーがあっただろうに、長年自分を支えてきてくれた相手に、公衆の面前で婚約破棄を言い渡すのは、いくらなんでも感謝がなさすぎる。
ローズを『悪役令嬢』と認識していたころ、自分のためにセオリー通りに話を途中までは進めてきたアカリだったが、二人のことを知れば知るほど、ローズの高感度は上がって、代わりリヒトの高感度が下がるはばかりだ。
アカリは溜め息を吐いた。
「リヒト様はいつまで、私を好きだなんて馬鹿みたいなこと言うんでしょうか……」
「気づかぬは本人ばかり、か」
「だから私、リヒト様のこと好きじゃないんですよね……。貴方もですけど」
「俺は真正面から嫌いと言ってくる君だからこそ面白いと思っているがな」
くっくとロイは笑う。
その言葉を聞いて、アカリはゲームの中の彼のセリフ思い出した。
彼もついては、ストーリーこそクリアしていないが、セリフについては少しだけは知っていた。
『俺のことを嫌いだと? 面白い。そう言ってきた人間は、君が初めてだ』
なんというテンプレ。
昔で見たときはよくあるセリフだなあと思ったものだが、この世界のロイには、別にちゃんと想う相手がいる。
恋愛関係なしに自分のことを面白いと言っていると考えると、この世界はゲームの世界のはずなのに、まるで彼は別人で、本当にこの世界を生きているようだとアカリは思った。
「しかし君の体質のことを考えると、舞踏賞をとるには、俺くらいしか相手役がいないんじゃないか?」
「………………」
闇属性が使えるだけが条件ならアルフレッドでも問題はないのだろうが、アルフレッドが相手で一位を勝ち得るとは思えない。
そう考えると、ロイの言葉は、最もなようにもアカリは思えた。
ロイとアカリ。二人のやり取りを見ていたローズは、穏やかに笑みをこぼした。
喧嘩するほど仲がいいというが、ロイとアカリの二人はあれはあれで仲がいいのではないかと思う。
ロイはアカリの暴言を許す寛容さがあるし、アカリは本人の自覚こそなさそうだが、ロイ相手なら強く叱られることはないと思っているように思えた。
年の差もある。だとしたら、それは一種の『甘え』に等しい。
二人はまるで、仲の良い兄妹のようにもローズには見えた。
自分と、自分の兄とは違う――喧嘩はするけれど、仲の良い兄妹に。
そう考えてから、ローズはふと、自身のよく知る兄弟のことを思い出した。
第二王子のリヒト。
自分に対する反抗や婚約破棄はまあいいとして、ロイに対するリヒトの態度は目に余るものがある。
本来、アカリとリヒトでは差があるべきなのだ。
異世界人の少女と王子。
王族であるなら、当然身につけていなければならない素養というものがある。
いわゆる処世術というやつだ。
王侯貴族の世界で生きていくには、出来るだけ欠点はないに限るのに、当のリヒトには昔から、自由というか自分本位というか――ローズでも、庇いきれない点が多かった。
「あの方には本当に、王子としてしっかりしていただきたいものです」
グラナトゥムに来てから、ローズはアカリと行動している。
リヒトとアカリの授業が重なっていないこともあり、ローズはリヒトとは殆ど会っていなかったが、最後に会った日の光景を思い出して、ローズは顔を歪めた。
強い魔力を持つ証である赤い瞳の奥で、ゆらりと僅かに魔力の光が揺らぐ。
すると。
「そのお顔、サイコーなのです!!」
「美人の怒り顔は良いものなのです!!」
「血が似合う凄絶さは良いものです!!」
「白い軍服が赤く染まるのもぜひ見てみたいものです!」
白髪と黒髪のうさぎのような二人の少女が、突如現れそう叫んだ。
鏡合わせのオッドアイを身に宿した双子の発言は、やや物騒だった。
ローズは表情を険しくして帯剣に手を延した。
「その表情もサイコーなのです!!! まさに『萌え』というやつなのです!!!」
「モエ?」
アカリやロイの敵かもしれない――そう思っていた相手の口から飛び出した言葉に、ローズは目を瞬かせた。
「大地から植物が芽を出すことを萌えぐというのです。ゆえににょきにょきと、心の中に芽吹き溢れる、この創造性と可能性に満ち溢れた対象の前に、ひれ伏し空を仰ぐような愛しさを、我々は『萌え』と呼んでいるのです!!!」
「萌え……」
アカリは慣れ親しんだ言葉を復唱した。
双子の言いたいことはわからなくもないが、何かが自分の認識と異なる気がする。
「ローズ・クロサイト様!!!! あなたは我々の萌えなのです!!! 我々は是非、貴方に我らの作った服を着てもらいたいのです!!!」
双子はそう言うと、美しい装飾の施された服を取り出した。
「この服は、貴方のために作ったのです!!! 今すぐ着るとよいのです!!!!!」
「わあっ! すごく綺麗……!」
縫製を見たアカリは嘆息した。
服作りを得意とするアカリにはわかる。
双子の作った服は、まさにプロの技としか言いようのない出来栄えだった。
驚くことしか出来ないアカリの後ろで、ロイは楽しげに笑っていた。
「当然だ。彼女たちはこの学院のものづくりにおける教師だからな」
「――教師?」
「ああ。優秀な人間なら、俺は年齢は問わない」
自分の方を振り返ったアカリに、ロイはニヤリと笑った。
「萌えのためなら、三徹くらい余裕なのです!!」
「さあ、覚悟するのです。あなたは何も考えずともよいのです。我々に身を任せればいきのです!!!」
「……きゃあっ!」
「ろ、ローズさん!!!」
双子はローズに襲いかかる。
即席の着替え室がどこからともなく用意され、中でローズが抵抗しているのかカーテンが揺れる。
「完成なのです!!!」
ローズがカーテンの向こうに連れて行かれてからすぐ、双子のどちらかの満足げな声が響いた。
シャッという音ともに、カーテンが取り払われ、服を着替えたローズが現れる。
「最高です!!! このデザイン!! まさにローズさんのためだけに作られたような採寸!!!」
アカリは心からの賛辞を述べた。
双子が誂えた服は、この世界でローズにこそ似あうと思える出来だった。
最近のローズは、騎士ということもあり胸を抑えた服を着ているいるが、双子が作った服は、ローズの体型を活かし魅力を高めるような、女性らしさと凛々しさを融合させたデザインだった。
無理矢理服を着替えさせられたローズは、ややぐったりしていたが、双子の顔は満足したのかツヤツヤしていた。
「我々は天才なので、当たり前なのです!!」
「なのです!!!」
自信満々に言う双子は、普通の人間と呼ぶにはあまりに常識を欠いていた。
しかしその誇らしげな口調や態度は、その異質さに、価値を与えているようにもアカリには思えた。
「我々は、人の体格など目視でわかるのです」
「そこの少女は、先週より胴回りが0.2大きくなったのです!!」
「成長だな。シャルル」
「もっとご飯を食べます!!」
ふんす。
シャルルはやる気十分だった。
いつもはツッコミの筈のロイだが、対象がシャルルということで今は楽しげに笑うばかりだ。
ツッコミ不在の状況にローズは頭痛がした。
ローズは少し不機嫌そうに溜息をついたが、今はその全てが、額縁に入れて飾りたいほど美しかった。
「今の写真撮影したかった……」
ローズを見て、アカリはポツリ呟く。
「しゃしん?」
アカリの呟きに、ロイは首を傾げた。
「でもこの世界に、カメラはないんですよね」
「そういえば以前もそんなことを言っていましたね」
しゅんと項垂れるアカリに、ローズが返す。
二人の会話を聞いていた双子は目を瞬かせた。
「しゃしん、とは、何なのです?」
「簡単に言うと、一瞬で描かける道具…みたいな?」
「確かに、異世界にはそんなものがあると言っていた者もいたな」
「そんなものが異世界には……!!!」
「なんと、素晴らしいのです!!!」
双子は目を輝かせた。
教師だとロイは言ったが、やはり身長が低い上にこの態度や反応――どうみても新しいものが大好きな、小さな子どもにしか見えない。
双子は膝をついて、ロイの前に頭を垂れた。
「陛下!!! ぜひ我らに、それを作る機会をお与え下さい!!!」
「写真というものは、聞けばとても便利なものなのです!!! 作りたいのです!! ただそのためにはお金がかかりそうなのです!!」
「そうだな……」
ロイはふむ、と口元に手をあてて、何か考えているようなポーズをとった。
そしてすぐ、二人に向かって笑みを作る。
「わかった。許可しよう。必要なものがあれば、いつものように報告を上げてくれ」
「かしこまりました! ありがとうございます!!!! 陛下!!!!! では!!! 我々はこれにして!!!」
「「失礼いたします!!!!」」
ロイの返答を聞いて、がばっと勢いよく顔を上げた双子は、ロイたちをおいてそのままどこか走り去っていってしまった。
嵐は去った。
呆然とするアカリとローズ。慣れた様子のロイは、「さて、今回はどのくらいの費用がかかるかな」と呟いていた。
その様子を見るに、ロイはいつも双子にああやって、パトロンとして金を与えているのだろう。ローズはそう思って、彼はやはりこの国の王なのだ、と思った。
自分の何気ない呟き。それがこんなことになるなんて――アカリは、ロイに小声で尋ねた。
「……そんな、簡単にいいんですか? カメラ作るなんて、めちゃくちゃお金がかかりそうなのに……」
異世界人のアカリにだってわかる。
いくらこの世界に魔法があるといっても、ロイが許可した内容は、それなりにお金と時間がかかるものになるだろうと。
この世界の魔法というのは、「なんでも叶えてくれる便利なもの」というよりは、領民を守り支えるための、貴族の力という立ち側面が大きく、祭典や稀に出没する魔物の討伐、公共事業、天災への対処のために利用されており、アカリの世界の科学技術のような、誰もが使える便利な力というわけではないことを、今の彼女は知っていた。
だからこそ魔法を持つ者は、この世界では大事にされる。
「才能がない人間は短期的な自らの欲のためだけに金を使うことが多いが、本当に才能のある人間は、長期的にみれば世界に還元できる自分の欲のために金を使うからな。まあ、大丈夫だろう」
アカリの問いに、ロイは当然のように答えた。
「時間はかかるかもしれないが形になれば国益になるかもしれないしな」
「国益……」
先程の決定は自分のためではない。
言葉の意味を理解して、アカリは口を噤んだ。
最近ロイと過ごして、アカリは少しだがロイという人間を理解しつつあった。
どんな理由があれ、シャルルやローズを傷つけたことを許すつもりはないけれど――シャルルのことを思いながらも、彼がローズの手をとろうとした理由。それには少なからず、彼の立場が影響している。
「それに、今はまだ完全である必要もない。最初からそんなものを望めば、進歩は望めないからな」
大国ゆえの寛容さ。
その裏でのしかかる重圧を顔には出さずに、ロイはいつものように笑みを浮かべた。
◇
「さて、俺たちも練習するか」
その頃。ギルバートとミリア、レオンとジュテファーは、ミリアの作った昼食をとっていた。
本当ならローズのもとに行きたかったミリアだが、ギルバートの護衛があるため難しい。なかなかローズのもとに行けないことを、ミリアはもどかしく思っていた。
「――ミリア、俺と踊ってくれ」
食事を終えたギルバートはそう言うと、ミリアの腰に手を回した。
そして。
「どこ触ってるんですか。この変態!!!」
ミリアの拳を受けて、すぐさま彼は彼女から離れた。
「さすがミリア……! いい一撃だ……!」
しかし、それでへこたれないのがギルバートである。
彼が光魔法の使い手でなければ、ミリアはギルバートを殺しかねない強さで殴っていた。ある意味全力でぶつかってもへこたれないギルバートは、ミリアととても相性が良かった。
「やれやれ。先が思いやられるな……」
ぎゃあぎゃあと騒がしい。
二人の様子を見て、レオンは溜め息を吐いた。
「レオン王子はよろしいのですか?」
「せっかくの『王子様』とのラストダンスをかけた舞踏会なんだ。僕がでしゃばるより、他の人間が選ばれる方がいいだろうと思ってね。ローズは、女性に好かれるようだし」
「レオン様は、そのようにお考えなのですね。周りの女性のために身を引かれるなんて、流石、兄様が主君にと望まれるお方です」
ジュテファーはそう言ってにこりと笑う。
彼の兄はこの場には居ないが、その弟が自分付きになった意味を理解して、レオンは僅かに眉を下げた。
今回の護衛の配置には、ローズの婚約者であるベアトリーチェの意見も反映されている。そのことを踏まえると、彼が自分付きなのは……。
――まるで監視だな。
見た目の子どもっぽさに騙されそうになるが、ベアトリーチェは執着深く、そして過保護だ。
自分が国を出れないからと、わざわざ弟をつけるなんて――ジュテファーにベアトリーチェの影を感じて、レオンは再び長く息を吐いた。
「……とりあえず、僕は勉強をするよ。いいかな?」
「はい」
木陰の下で、レオンは静かに本を開く。
ジュテファーは、何も言わずそのそばに控えていた。
完璧な兄と、礼儀正しい優秀な弟。
ジュテファーはリヒトと違って、レオンの隣に並んでいてもなんの違和感もなく、まるで本物の兄弟のようだった。
「……はい。ローズさん」
アカリは自分の不甲斐なさにうつむいた。
ローズによるアカリへのダンスの指導が始まったのは三日前。
拡声魔法による校内放送で執り行われることになった舞踏会の、優勝商品としてローズが指定されてから、アカリはローズのラストダンスを死守しようと毎日練習を重ねていた。
ただ元の世界での生活もあってか、アカリは体を動かすことがあまり得意ではなかった。
これまでの舞踏会のラストダンスは、ロイや他国の王子など、その時の学院関係者の中で最も女子人気が高い人間がつとめてきたらしく、今回のローズのように女性が『王子様』役に選ばれるのは、初めてのことらしい。
異例中の異例。
だというのに、ローズが『王子様』に選ばれても、女生徒達は不満の一つ漏らさず、それどころかこれまでになく、女性陣は舞踏会に向けて猛特訓を続けているという話だった。
「紳士淑女の嗜みだ。君はこの程度もできないのか?」
やり取りを眺めていたロイが、二人の会話に割って入る。
「私の世界じゃ、こんなの踊れるのは、それをちゃんと習っている人くらいなんですっ!!」
挑発するようなロイの言葉に、アカリは噛み付いた。
ロイに対しては相変わらず狂犬のようなアカリの態度に、ローズは宥めようと落ち着いた声音でアカリに諭す。
「アカリ。出来ないからと焦らなくても大丈夫ですよ。アカリなら、きっとちゃんと踊れるようになります」
「ローズさん……!」
ローズはそう言うと、スポーツドリンク(仮)をアカリに手渡した。
氷魔法で冷やされているあたり、ローズの気遣いを感じてアカリは嬉しくなった。
――やっぱり、ローズさんとのラストダンスを他の人に渡したくない……。
アカリの中で、その気持ちが強くなる。アカリは頬を染めてローズを見上げた。
「……全く、見ていられないな。手を出せ。『光の聖女』」
ロイはそう言うと、乱暴にアカリの手をとった。
「え?」
「ロイ様、アカリは……!」
ロイの突然の行動に、ローズとアカリは動揺した。
何故ならアカリは、男性に触られると泣いてしまうからだ。
しかし。
「あれ?」
不思議なことに、今日のアカリはロイに触られても平気だった。
男性が苦手なアカリが、唯一振られても大丈夫な異性――物語で言えば『運命』の相手だとかいう展開になりそうな流れを、ロイはさらっと断ち切った。
「どうやら成功のようだな」
ロイはそう言うと、自らの手を覆っていた、目に見えない程の薄い膜をぺらりと剥がして見せた。
「君が泣くというから。この手袋は特注品だぞ」
はあとため息を付きながらも、どこか安心したように笑うロイを見て、アカリは少しだけ驚いた。
費用も時間もかかったはずだ。だというのに自分のために、こんなものを用意するだなんて。
「これが使えるなら大丈夫だな。君は俺にすべてを委ねればいい」
「へ?」
ぐいっと体を引かれて、アカリはロイの導きのままに体を揺らした。
パートナーのことをきちんと考えた上での動き――ローズの時とは違い、ロイとアカリのダンスはとても絵になっていた。
ロイはアカリを華麗にリードする。
さすが大国の王だけのことある。
彼のダンスのうまさは、ローズよりも遥かに上だった。
ローズがアカリに合わせるのに対し、ロイの場合自分のペースに巻き込むため、結果、下手なアカリがうまく見えるという違いもあるかもしれなかった。
「これさえあれば、闇属性が使える人間であれば君と踊れるというわけだ」
「闇を抱えてそうな人と踊るくらいなら、踊らない方がましです!!!」
本来なら気遣いに感謝すべきところだったが、ロイに素直にありがとうと言えるアカリではなかった。
彼のほうがローズより優れているなんて――その事実は、ロイが嫌いなアカリの癇に障った。
「酷い物言いだな。だがそれだと、君はラストダンスの相手を他の誰かに奪われてしまうぞ? あと、ローズ嬢も闇属性持ちだが?」
「う……っ」
「彼女が他の誰かと踊っても?」
「そ、それは……」
アカリは口籠もった。
それは嫌だ、と思う。男女問わず、ローズに自分以外が関わるのは正直見ていて面白いものではない。
「そういえば」
ローズに視線を移したアカリの中に、ある疑問が浮かんだ。
「なんでローズさん、男役が踊れるんですか?」
「リヒト王子に教えるために練習したらしくてな。それで、どちらも踊れるそうだ」
「……」
流石のハイスペック。
アカリは、ローズの優秀さに胸を高鳴らせると同時に顔を顰めた。
それにしても話を聞く限り、リヒトは魔法の研究以外、本当に何も出来ないのではともアカリは思った。
剣が得意というわけでもなく、ダンスはうまく踊れずローズに教えてもらい、外交に関しては、ロイとの交流を見る限り慣れているとはとても言えない。
レオンが目覚めない間、ローズがいかにリヒトの不出来な部分を補ってきたのか、うかがい知れるというものだ。
だからこそ、アカリは改めて思ってしまった。
次期王妃としてプレッシャーがあっただろうに、長年自分を支えてきてくれた相手に、公衆の面前で婚約破棄を言い渡すのは、いくらなんでも感謝がなさすぎる。
ローズを『悪役令嬢』と認識していたころ、自分のためにセオリー通りに話を途中までは進めてきたアカリだったが、二人のことを知れば知るほど、ローズの高感度は上がって、代わりリヒトの高感度が下がるはばかりだ。
アカリは溜め息を吐いた。
「リヒト様はいつまで、私を好きだなんて馬鹿みたいなこと言うんでしょうか……」
「気づかぬは本人ばかり、か」
「だから私、リヒト様のこと好きじゃないんですよね……。貴方もですけど」
「俺は真正面から嫌いと言ってくる君だからこそ面白いと思っているがな」
くっくとロイは笑う。
その言葉を聞いて、アカリはゲームの中の彼のセリフ思い出した。
彼もついては、ストーリーこそクリアしていないが、セリフについては少しだけは知っていた。
『俺のことを嫌いだと? 面白い。そう言ってきた人間は、君が初めてだ』
なんというテンプレ。
昔で見たときはよくあるセリフだなあと思ったものだが、この世界のロイには、別にちゃんと想う相手がいる。
恋愛関係なしに自分のことを面白いと言っていると考えると、この世界はゲームの世界のはずなのに、まるで彼は別人で、本当にこの世界を生きているようだとアカリは思った。
「しかし君の体質のことを考えると、舞踏賞をとるには、俺くらいしか相手役がいないんじゃないか?」
「………………」
闇属性が使えるだけが条件ならアルフレッドでも問題はないのだろうが、アルフレッドが相手で一位を勝ち得るとは思えない。
そう考えると、ロイの言葉は、最もなようにもアカリは思えた。
ロイとアカリ。二人のやり取りを見ていたローズは、穏やかに笑みをこぼした。
喧嘩するほど仲がいいというが、ロイとアカリの二人はあれはあれで仲がいいのではないかと思う。
ロイはアカリの暴言を許す寛容さがあるし、アカリは本人の自覚こそなさそうだが、ロイ相手なら強く叱られることはないと思っているように思えた。
年の差もある。だとしたら、それは一種の『甘え』に等しい。
二人はまるで、仲の良い兄妹のようにもローズには見えた。
自分と、自分の兄とは違う――喧嘩はするけれど、仲の良い兄妹に。
そう考えてから、ローズはふと、自身のよく知る兄弟のことを思い出した。
第二王子のリヒト。
自分に対する反抗や婚約破棄はまあいいとして、ロイに対するリヒトの態度は目に余るものがある。
本来、アカリとリヒトでは差があるべきなのだ。
異世界人の少女と王子。
王族であるなら、当然身につけていなければならない素養というものがある。
いわゆる処世術というやつだ。
王侯貴族の世界で生きていくには、出来るだけ欠点はないに限るのに、当のリヒトには昔から、自由というか自分本位というか――ローズでも、庇いきれない点が多かった。
「あの方には本当に、王子としてしっかりしていただきたいものです」
グラナトゥムに来てから、ローズはアカリと行動している。
リヒトとアカリの授業が重なっていないこともあり、ローズはリヒトとは殆ど会っていなかったが、最後に会った日の光景を思い出して、ローズは顔を歪めた。
強い魔力を持つ証である赤い瞳の奥で、ゆらりと僅かに魔力の光が揺らぐ。
すると。
「そのお顔、サイコーなのです!!」
「美人の怒り顔は良いものなのです!!」
「血が似合う凄絶さは良いものです!!」
「白い軍服が赤く染まるのもぜひ見てみたいものです!」
白髪と黒髪のうさぎのような二人の少女が、突如現れそう叫んだ。
鏡合わせのオッドアイを身に宿した双子の発言は、やや物騒だった。
ローズは表情を険しくして帯剣に手を延した。
「その表情もサイコーなのです!!! まさに『萌え』というやつなのです!!!」
「モエ?」
アカリやロイの敵かもしれない――そう思っていた相手の口から飛び出した言葉に、ローズは目を瞬かせた。
「大地から植物が芽を出すことを萌えぐというのです。ゆえににょきにょきと、心の中に芽吹き溢れる、この創造性と可能性に満ち溢れた対象の前に、ひれ伏し空を仰ぐような愛しさを、我々は『萌え』と呼んでいるのです!!!」
「萌え……」
アカリは慣れ親しんだ言葉を復唱した。
双子の言いたいことはわからなくもないが、何かが自分の認識と異なる気がする。
「ローズ・クロサイト様!!!! あなたは我々の萌えなのです!!! 我々は是非、貴方に我らの作った服を着てもらいたいのです!!!」
双子はそう言うと、美しい装飾の施された服を取り出した。
「この服は、貴方のために作ったのです!!! 今すぐ着るとよいのです!!!!!」
「わあっ! すごく綺麗……!」
縫製を見たアカリは嘆息した。
服作りを得意とするアカリにはわかる。
双子の作った服は、まさにプロの技としか言いようのない出来栄えだった。
驚くことしか出来ないアカリの後ろで、ロイは楽しげに笑っていた。
「当然だ。彼女たちはこの学院のものづくりにおける教師だからな」
「――教師?」
「ああ。優秀な人間なら、俺は年齢は問わない」
自分の方を振り返ったアカリに、ロイはニヤリと笑った。
「萌えのためなら、三徹くらい余裕なのです!!」
「さあ、覚悟するのです。あなたは何も考えずともよいのです。我々に身を任せればいきのです!!!」
「……きゃあっ!」
「ろ、ローズさん!!!」
双子はローズに襲いかかる。
即席の着替え室がどこからともなく用意され、中でローズが抵抗しているのかカーテンが揺れる。
「完成なのです!!!」
ローズがカーテンの向こうに連れて行かれてからすぐ、双子のどちらかの満足げな声が響いた。
シャッという音ともに、カーテンが取り払われ、服を着替えたローズが現れる。
「最高です!!! このデザイン!! まさにローズさんのためだけに作られたような採寸!!!」
アカリは心からの賛辞を述べた。
双子が誂えた服は、この世界でローズにこそ似あうと思える出来だった。
最近のローズは、騎士ということもあり胸を抑えた服を着ているいるが、双子が作った服は、ローズの体型を活かし魅力を高めるような、女性らしさと凛々しさを融合させたデザインだった。
無理矢理服を着替えさせられたローズは、ややぐったりしていたが、双子の顔は満足したのかツヤツヤしていた。
「我々は天才なので、当たり前なのです!!」
「なのです!!!」
自信満々に言う双子は、普通の人間と呼ぶにはあまりに常識を欠いていた。
しかしその誇らしげな口調や態度は、その異質さに、価値を与えているようにもアカリには思えた。
「我々は、人の体格など目視でわかるのです」
「そこの少女は、先週より胴回りが0.2大きくなったのです!!」
「成長だな。シャルル」
「もっとご飯を食べます!!」
ふんす。
シャルルはやる気十分だった。
いつもはツッコミの筈のロイだが、対象がシャルルということで今は楽しげに笑うばかりだ。
ツッコミ不在の状況にローズは頭痛がした。
ローズは少し不機嫌そうに溜息をついたが、今はその全てが、額縁に入れて飾りたいほど美しかった。
「今の写真撮影したかった……」
ローズを見て、アカリはポツリ呟く。
「しゃしん?」
アカリの呟きに、ロイは首を傾げた。
「でもこの世界に、カメラはないんですよね」
「そういえば以前もそんなことを言っていましたね」
しゅんと項垂れるアカリに、ローズが返す。
二人の会話を聞いていた双子は目を瞬かせた。
「しゃしん、とは、何なのです?」
「簡単に言うと、一瞬で描かける道具…みたいな?」
「確かに、異世界にはそんなものがあると言っていた者もいたな」
「そんなものが異世界には……!!!」
「なんと、素晴らしいのです!!!」
双子は目を輝かせた。
教師だとロイは言ったが、やはり身長が低い上にこの態度や反応――どうみても新しいものが大好きな、小さな子どもにしか見えない。
双子は膝をついて、ロイの前に頭を垂れた。
「陛下!!! ぜひ我らに、それを作る機会をお与え下さい!!!」
「写真というものは、聞けばとても便利なものなのです!!! 作りたいのです!! ただそのためにはお金がかかりそうなのです!!」
「そうだな……」
ロイはふむ、と口元に手をあてて、何か考えているようなポーズをとった。
そしてすぐ、二人に向かって笑みを作る。
「わかった。許可しよう。必要なものがあれば、いつものように報告を上げてくれ」
「かしこまりました! ありがとうございます!!!! 陛下!!!!! では!!! 我々はこれにして!!!」
「「失礼いたします!!!!」」
ロイの返答を聞いて、がばっと勢いよく顔を上げた双子は、ロイたちをおいてそのままどこか走り去っていってしまった。
嵐は去った。
呆然とするアカリとローズ。慣れた様子のロイは、「さて、今回はどのくらいの費用がかかるかな」と呟いていた。
その様子を見るに、ロイはいつも双子にああやって、パトロンとして金を与えているのだろう。ローズはそう思って、彼はやはりこの国の王なのだ、と思った。
自分の何気ない呟き。それがこんなことになるなんて――アカリは、ロイに小声で尋ねた。
「……そんな、簡単にいいんですか? カメラ作るなんて、めちゃくちゃお金がかかりそうなのに……」
異世界人のアカリにだってわかる。
いくらこの世界に魔法があるといっても、ロイが許可した内容は、それなりにお金と時間がかかるものになるだろうと。
この世界の魔法というのは、「なんでも叶えてくれる便利なもの」というよりは、領民を守り支えるための、貴族の力という立ち側面が大きく、祭典や稀に出没する魔物の討伐、公共事業、天災への対処のために利用されており、アカリの世界の科学技術のような、誰もが使える便利な力というわけではないことを、今の彼女は知っていた。
だからこそ魔法を持つ者は、この世界では大事にされる。
「才能がない人間は短期的な自らの欲のためだけに金を使うことが多いが、本当に才能のある人間は、長期的にみれば世界に還元できる自分の欲のために金を使うからな。まあ、大丈夫だろう」
アカリの問いに、ロイは当然のように答えた。
「時間はかかるかもしれないが形になれば国益になるかもしれないしな」
「国益……」
先程の決定は自分のためではない。
言葉の意味を理解して、アカリは口を噤んだ。
最近ロイと過ごして、アカリは少しだがロイという人間を理解しつつあった。
どんな理由があれ、シャルルやローズを傷つけたことを許すつもりはないけれど――シャルルのことを思いながらも、彼がローズの手をとろうとした理由。それには少なからず、彼の立場が影響している。
「それに、今はまだ完全である必要もない。最初からそんなものを望めば、進歩は望めないからな」
大国ゆえの寛容さ。
その裏でのしかかる重圧を顔には出さずに、ロイはいつものように笑みを浮かべた。
◇
「さて、俺たちも練習するか」
その頃。ギルバートとミリア、レオンとジュテファーは、ミリアの作った昼食をとっていた。
本当ならローズのもとに行きたかったミリアだが、ギルバートの護衛があるため難しい。なかなかローズのもとに行けないことを、ミリアはもどかしく思っていた。
「――ミリア、俺と踊ってくれ」
食事を終えたギルバートはそう言うと、ミリアの腰に手を回した。
そして。
「どこ触ってるんですか。この変態!!!」
ミリアの拳を受けて、すぐさま彼は彼女から離れた。
「さすがミリア……! いい一撃だ……!」
しかし、それでへこたれないのがギルバートである。
彼が光魔法の使い手でなければ、ミリアはギルバートを殺しかねない強さで殴っていた。ある意味全力でぶつかってもへこたれないギルバートは、ミリアととても相性が良かった。
「やれやれ。先が思いやられるな……」
ぎゃあぎゃあと騒がしい。
二人の様子を見て、レオンは溜め息を吐いた。
「レオン王子はよろしいのですか?」
「せっかくの『王子様』とのラストダンスをかけた舞踏会なんだ。僕がでしゃばるより、他の人間が選ばれる方がいいだろうと思ってね。ローズは、女性に好かれるようだし」
「レオン様は、そのようにお考えなのですね。周りの女性のために身を引かれるなんて、流石、兄様が主君にと望まれるお方です」
ジュテファーはそう言ってにこりと笑う。
彼の兄はこの場には居ないが、その弟が自分付きになった意味を理解して、レオンは僅かに眉を下げた。
今回の護衛の配置には、ローズの婚約者であるベアトリーチェの意見も反映されている。そのことを踏まえると、彼が自分付きなのは……。
――まるで監視だな。
見た目の子どもっぽさに騙されそうになるが、ベアトリーチェは執着深く、そして過保護だ。
自分が国を出れないからと、わざわざ弟をつけるなんて――ジュテファーにベアトリーチェの影を感じて、レオンは再び長く息を吐いた。
「……とりあえず、僕は勉強をするよ。いいかな?」
「はい」
木陰の下で、レオンは静かに本を開く。
ジュテファーは、何も言わずそのそばに控えていた。
完璧な兄と、礼儀正しい優秀な弟。
ジュテファーはリヒトと違って、レオンの隣に並んでいてもなんの違和感もなく、まるで本物の兄弟のようだった。